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渓流魚における遺伝的多様性低下の影響の把握
水産総合研究センター 中央水産研究所 内水面研究部 栃木県水産試験場 三重大学 要旨 渓流魚が生息しない沖縄県を除く全国の都道府県の水産試験場等を対象にアンケート調査を 行い、その結果と既往の知見(学術論文)を整理した結果、渓流魚について 19 例の奇形集団が 確認された。奇形集団は北海道から島根県まで広い範囲でみられ、種の内訳はイワナで 15 例、 ヤマメで 1 例、アマゴで 3 例であった。奇形の形態タイプでは背鰭の萎縮が最も多く(8 例)、他 に腹鰭や胸鰭、尾鰭の萎縮、背鰭や腹鰭の鰭数の増加、短躯、頭部(上顎)の短縮(いわゆるキ ャブ、狆頭)、下顎の異常伸長、尾鰭前部上端へのこぶ出現等があった。19 の奇形集団のうち 3 集団についてミトコンドリア DNA の分析を行った結果、3 集団ともに過去に放流履歴のない在来 集団であると考えられた。移植により遺伝的回復を図ったイワナ在来集団について、適応度に関 連する形質のひとつとして発眼率を調査した結果、発眼率の向上は特に認められなかった。遺伝 的多様性低下と個体群や資源の生産量との関係について、7 つの国際誌の計 498 本の文献を精査 した結果、遺伝的多様性が低い自然集団でその絶滅確率が高いことを実証(絶滅あるいはその寸 前まで追跡調査)した研究例は見つからなかった。また、近交弱勢が顕在化した自然集団で、そ の絶滅確率が高いことを示した研究例も見つからなかった。その一方で、近交弱勢を直接的・間 接的に示す研究例は多数存在した。近交弱勢の例として、稚魚の成長や生残の悪化、奇形個体の 出現、寄生虫への耐性低下等が上げられていた。 緒言 日本のサケ科魚類の自然集団における奇形個体の出現は論文の形式でいくつか報告されてい るが(Morita & Yamamoto 2000; Sato 2006; Mori et al. 2009)、これらの他にも奇形集団は存在する と考えられる。奇形と遺伝多様性低下との関連性が指摘されている(Morita et al. 2009)。しかし ながら、奇形個体が出現する集団を対象に、実際に遺伝子分析を行った研究は少なくとも日本国 内では存在しない。 本課題では、イワナ、ヤマメ・アマゴについて、奇形集団の出現状況をアンケートにより調査 するとともに、背鰭が萎縮した奇形個体が出現するイワナ集団および近隣の奇形個体が出現しな い集団を対象に、ミトコンドリア DNA の塩基配列分析を実施し、奇形個体が出現する集団が在21
来集団かどうかを判別する。
また、小集団化と隔離によって生じる近交弱勢と遺伝的多様性の低下に対処するため、移植に よる遺伝的回復(Genetic restoration)が様々な動植物種で行われ、一部で集団の遺伝的多様性や
適応度の増大に明らかな効果を上げている(Vrijenhoek et al. 1989;Westemeier et al. 1998)。そこで、
移植による遺伝的回復を図ったイワナ在来集団について、適応度に関連する形質の変化を検証す るため、発眼率の調査を行った。 さらに、サケ科魚類において、遺伝的务化と個体の適応度や個体群動態の関係に言及している 文献調査を行い、当該分野の現状把握に取り組んだ。 方法 奇形集団の出現状況 都道府県の水産試験場等を対象にアンケート調査を行った。渓流魚(イワナ、ヤマメ・アマゴ、 オショロコマ)の奇形集団の有無をたずねた。 奇形集団の遺伝子分析 以下に示す集団から遺伝子分析に供するサンプルを収集した。福島県阿武隈川水系片貝川 A 集 団、片貝川 B 集団、阿武隈川水系木戸川、阿武隈川水系請戸川、栃木県那珂川、茨城県久慈川、 岩手県馬淵川。これらのうち奇形個体が出現する集団は、片貝川 A 集団、木戸川、請戸川の 3 集 団であり、片貝川 A 集団ではすべての個体が背鰭に奇形をもち、木戸川、請戸川では集団内の一 部の個体に背鰭の奇形があらわれる(中央水産研究所 中村智幸、私信)。
標本からの DNA は、99%エタノールで固定した供試魚の脂鰭から GenElute Mammalian Genomic DNA kit (Sigma 社, USA)または QIAGEN DNeasy Blood & Tissue kit (Qiagen 社)を用いて抽出し た。PCR 反応には、L15285(5’-CCCTAACCCGVTTCTTYGC-3’Inoue et al. 2000)及び
H15915(5’-ACCTCCGATCTYCGGATTACAAGAC-3’Aoyama et al. 2000)のプライマーセットを使 用し、AmpliTaq Gold 360 Master Mix (Applied Biosystem 社、 東京)を用いて 50℃のアニーリング 温度、40 サイクルの条件で増幅した。PCR 産物の塩基配列の決定には、ABI3100 Genetic Analyzer(Applied Biosystem 社、 USA)を用いた。なお、検出された多くのハプロタイプは
Yamamoto et al. (2004)、Kubota et al. (2007)、Kikko et al. (2008)、山本他 (2008)において既に報 告されているため、それぞれのハプロタイプ名はこれらの文献に準じるようにした。 発眼率調査 水系内で最も遺伝的多様性が低下した萱の手沢のイワナ在来集団に対して、近隣の支流である 足沢からの在来イワナの支流間移植を 2009 年 9 月に実施した(平成 21 年度の栃木県水産試験場 の本事業報告書を参照)。萱の手沢内の移植先区間を、堰堤間の距離が長く、最も多い生息個体 数が見込まれる区間 1(流程長 276.6m、平均勾配 8.1%)と区間 2(流程長 223.7m、平均勾配 7.5%) とした(図 1、2)。移植に先立ってエレクトリック・ショッカーによる採捕を行い、ほぼ雄だけ
22 が生息する区間(区間 1)とほぼ雌だけが生息する区間(区間 2)を設定した(詳細は平成 22 年 度の栃木県水産試験場の本事業報告書を参照)。足沢で採捕した成熟雄 16 個体と成熟雌 10 個体 を、それぞれ区間 2 と区間 1 に移植した。 移植による適応度の変化を調べるための指標として、産着卵の発眼率を調査した。移植を実施 した 2009 年には、移植区間である区間 1 および 2 と移植区間の上下の 2 区間(区間 L と U)にお いて、ホースポンプ(岸ら、2009)を利用して産卵床から卵を回収し、発眼卵数および死卵数を 計数した。移植翌年の 2010 年には、両移植区間の発眼率を同様の方法で調べた。発眼率の調査 は、積算水温で産卵から 300℃・日を超えたと見込まれた 2009 年 12 月 24 日および 2010 年 12 月 21 日に行った。 文献調査 遺伝的务化がサケ科魚類の野外集団に負の影響を与えるプロセスを考慮して、(1) 遺伝的务化 が個体群動態に影響を及ぼしている実証例、(2) 近交弱勢の事例、(3) 遺伝的多様性の低い集団に おいて適応可能性が低下している実証例の 3 つのプロセスに関して文献検索を行った。文献検索 においては、野外集団の遺伝的問題を取り上げている 7 つの主要な国際雑誌(Table 1)を対象と した。それぞれのプロセスに関する文献検索に用いた用語は以下である。 図 2 萱の手沢の移植先区間と移植の概要 図1 大芦川水系支流群の在来特定結果と遺伝的 多様性 青で示された 3 支流が在来個体群生息支流。A お よび He はそれぞれマイクロサテライト DNA8 遺伝 子座の分析から求められたアリル数と平均へテロ 接合度。
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(1) Genetic variation, genetic diversity, inbreeding (depression)/ fitness, population viability (presistence)/ salmonid (trout)
(2) Inbreeding (depression)/ fitness/ salmonid (trout)
(3) loss of genetic variation (diversity)/ fitness/ salmonid (trout)
結果 奇形集団の出現状況 渓流魚が生息しない沖縄県を除く 46 都道府県の水産試験場等を対象にアンケート調査を行っ たところ、奈良、京都、山口、長崎の 4 府県を除く 42 道府県から回答があった。 このアンケートの結果と既往の知見(論文)を整理した結果、現時点で 19 例の奇形集団が確 認された。奇形集団は北海道から島根県まで広い範囲でみられた。 種の内訳はイワナで 15 例、ヤマメで 1 例、アマゴで 3 例であった。 奇形の形態タイプとしては、背鰭の萎縮が最も多く(8 例)、他に腹鰭や胸鰭、尾鰭の萎縮、背 鰭や腹鰭の増加、短躯、頭部(上顎)の短縮(いわゆるキャブ、狆頭)、下顎の異常伸長、尾鰭 前部上端のこぶ等があった。 確認された渓流魚の奇形集団 Table 1. 文献検索を行った雑誌 雑誌名 検索数 Conservation Biology 41 Conservation Genetics 81 Molecular Ecology 119 Heredity/ Journal of Heredity 61
AFS Journals 196
Total 498
AFS Journals は Transactions of the American Fisheries Society と North American Journal of Fisheries Management を含む。
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奇形集団の遺伝子分析
それぞれの集団で確認されたハプロタイプ(Hap)の種類を表1に示す。奇形が出現した集団 はいずれも単型集団であり、片貝川 A 集団では Hap-3、木戸川では Hap-45、請戸川では Hap-3 が確認された。一方、同じ水系の奇形個体が出現しない片貝川 B 集団では Hap-3、Hap-5、Hap-7、 Hap-8、Hap-11、Hap-19 の 6 種類のハプロタイプが確認された。また、阿武隈川と近接する栃木
県の那珂川、茨城県久慈川ではいずれも Hap-3 が確認され、岩手県の馬淵川では Hap-3 と Hap-45
が確認された。 片貝川 B 集団では 6 種類のハプロタイプが確認され、多型的な集団であることが示された。ま た、見出されたハプロタイプのうち Hap-19 はこれまでのところ琵琶湖と琵琶湖周辺河川に生息 するイワナから確認されているタイプである。これらのことを考えあわせると、この集団は移殖 放流由来の個体が含まれている可能性が高い。一方、奇形個体が出現する片貝川 A 集団、木戸川、 請戸川では、いずれもミトコンドリア DNA 単型集団であった。また、これらの集団では近接の 放流履歴のない那珂川、久慈川、馬淵川と共通するハプロタイプが認められた。これらのことか ら、今回解析をおこなった奇形個体が含まれる 3 集団は過去に放流履歴のない在来集団であると 考えられる。 発眼率 2009 年には、移植区間で 6 カ所(区間 1:1 カ所、 区間 2:6 カ所)、移植区間外で 5 カ所(区間 U:2 カ 所、区間 L:3 カ所)の産卵床が確認された。区間 1 で確認された 1 カ所の産卵床では、わずかな死卵(19 粒)のみが観察されたことから、発眼率の算出から除 外した。区間 2 で確認された 6 カ所の産卵床の発眼卵 数と死卵数をそれぞれ合計すると、発眼卵が 326 粒、 死卵が 144 粒で、合計の発眼率は 69.4%だった(図 3)。 移植区間外で確認された合計 5 カ所の産卵床の発眼卵 数は 245 粒、死卵数は 101 粒で、合計の発眼率は 70.8% だった。また、移植翌年の 2010 年には移植区間で 9 図 3 2009 年の移植区間外と移植区間および 2010 年の移植区間における発眼率 バーは産卵床間の標準偏差、 ボックスは範囲、黒四角は全
25 カ所(区間 1:5 カ所、区間 2:4 カ所)の産卵床が確認された。合計の発眼卵数は 366 粒、死卵 数は 131 粒で、合計の発眼率は 73.6%だった。2009 年の移植区間、移植区間外および 2010 年の 移植区間の発眼率に有意な差異は認められなかった(2検定、2 = 2.23、P > 0.05)。 文献調査 7 つの国際誌で計 498 本の文献を精査した。以下にその概要を示す。 (1) 遺伝的务化が個体群動態に影響を及ぼしている実証例 遺伝的多様性が低い集団で、その絶 滅確率が高いことを実証した研究事例は見つからなかった。また、近交弱勢が顕在化している集 団で、その絶滅確率が高いことを示した研究事例も見つからなかった。 (2) 近交弱勢の事例 飼育下での事例が多いものの、近交弱勢を直接的・間接的に示す研究例が 多数存在した(Table 2)。近交弱勢が顕在化している形質としては、稚魚の成長・生残、奇形個 体の出現に加え、寄生虫への耐性や社会的地位などが取り上げられていた。 (3) 遺伝的多様性の低い集団において適応可能性が低下している実証例 遺伝的多様性が低い集 団で、その適応可能性が低いことを実証している研究事例は見つからなかった。一方、MHC 遺 伝子等、適応関連遺伝子の多様性評価はいくつかの研究でなされていた(Table 2)。 考察 奇形集団の出現状況 すでに論文として報告されているにもかかわらず、それら奇形集団が存在する都道府県の水産 試験場から奇形集団存在のアンケート回答のない事例が多かった。このことから、渓流魚の奇形 集団は実際には数多く存在する可能性がある。 回答のあった奇形集団の多くは堰堤やダム、滝の上流の隔離集団である可能性が高く、奇形と 遺伝多様性低下との関連性(Morita et al. 2009)が考えられる 奇形集団の遺伝子分析 ミトコンドリア DMA を指標とする分析により、奇形個体が含まれる集団が過去に放流履歴のな Table 2. 近交弱勢を検証している研究例 文献 No. 種 生活史 調査環境 方法 形質
1 O. clarki lewisi 河川 飼育下 間接的 (isozyme) 奇形/ FA
2 O. clarki lewisi 元文献を未入手
3 O. mykiss 河川 飼育下 直接的 (sibling) 稚魚の成長・生残
4 O. mykiss 降海 野外/ 飼育下 直接的 (sibling) 成長・生残
5 Salmo salar 河川 飼育下 間接的 (microsatellite) 攻撃性
6 Salmo trutta 河川? 飼育下 間接的 (microsatellite) 稚魚の社会性
7 O. tshawytscha 降海 飼育下 間接的 (MHC) 稚魚の生残
8 O. tshawytscha 降海 野外 間接的 (MHC) バクテリア寄生
9 Salvelinus leucomaenis japonicus 河川 野外 野外観察 奇形/ 生残
26 い在来集団であることが特定された。これらの集団はいずれも隔離が進行した集団であり、集団 内に含まれる遺伝的多様性が著しく低下している可能性がある。今後、高感度マーカーである核 DNA のマイクロサテライト DNA や自然選択の影響を受ける MHC 遺伝子などを併用し、奇形集団の 遺伝的多様性を検討していく必要がある。 発眼率 調査した産卵床の発眼率は、2009 年の移植区間、移植区間外および 2010 年の移植区間で 69.4– 73.6%の範囲にあり、有意な差異は認められなかった。これらの値は、鬼怒川支流蛇王沢の自然 産卵床の 60.1%よりも高く、同沢の人工産卵場の 78.0%や蒲田川に設置された人工産卵河川に おける 90.0%よりも低かった(中村 1999、中村ら 2009)。現状では、過去に報告されている発 眼率の範囲内にあったといえる。移植によって支流間の交配個体が生まれ、それらが卵質や精子 の質に関して現状よりも高い適応度を有する仮定とすると、その効果が現れるのは交配個体が繁 殖に参加する 1~2 年後になると考えられる。移植区間における発眼率やその他の形質の変化に ついて、今後もモニタリングを継続する必要がある。 文献調査 文献検索の結果、遺伝的务化が個体群の存続可能性を低下させている実証例は見つからなかっ た。これは、世代時間が数年以上あるようなサケ科魚類において、様々な要因を考慮した長期野 外観測、あるいは実証的な実験研究を実施することが困難なためであろう。 一方、近交弱勢が個体レベルで負の影響を持ちうることは、手法にばらつきはあるものの、多 数の研究によって示されていた。また、適応関連遺伝子の多様性が低いことは将来の環境変化へ の適応可能性が低い可能性を示す指標になると考えられる。このような研究は特に 2000 年以降 に蓄積されつつあった。 今後の課題としては、文献検索の範囲を広げるとともに、メタ解析等の手法を用いて個体レベ ルでの影響が出やすい形質の抽出等を行うことが挙げられる。これらにより、本事業の計画への フィードバックができれば、事業を通して遺伝的务化とサケ科魚類の個体群存続可能性について さらに言及できるだろう。 引用文献
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