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著者 大角 幸枝

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Academic year: 2021

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著者 大角 幸枝

雑誌名 東京家政大学博物館紀要

巻 16

ページ 113‑127

発行年 2011‑02

出版者 東京家政大学博物館

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010325/

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From Tradition to the Future

A Report of the Bulgarian-Japanese Scholarly Meeting Sofia, 28

th

August 2009

Yukie O

sumi 大角 幸枝

国際服飾学会研究会報告 (Sofia, Bulgaria)

はじめに

 筆者は標題の通り平成21年8月28日にブルガリアのソフィア市所属の博物館「ME<Old Sofia>」

を会場に国立歴史博物館と国際服飾学会によって合同で開催された国際服飾学会の研究会に参加 し、多くの興味深い成果を得たのでここに報告する。

 この企画は国際服飾学会がブルガリアの国立アカデミーの民族学部門研究者等と日本、ブルガリ ア両国の「服飾文化の伝統と継承及び発展について」をテーマに文化交流を目的として企画したも のである。

 ブルガリアはバルカン半島に位置し、北はドナウ川を自然の境界としてルーマニア、西はセルビ アとマケドニア、東は黒海、南はギリシアとトルコに接し、イスラム世界とも隣り合う複雑な地勢 状況から、さまざまな民族と文化が衝突し、また交流し、混交したところである。そして中央ヨー ロッパからは、はるかに距離を隔てているため、西欧文化の影響から遠く、古くからの民俗風習 や、東欧独特の多様な民族衣装を現在に伝えている。

 空の旅で日本からブルガリアに行くにはウィーンを経由するしかなく、裕に片道 1 日半掛かる。

遠い外国である。言葉はブルガリア語、文字はキリル文字、読み書き話す事がかなわず、迷子に なったら道を聞く事も出来ない異国である。会場は首都ソフィアのオールドスパと呼ばれる建物 で、近い将来「ソフィア市民文化会館」になる予定で、現在は準備室の段階で整備されつつある。

 ブルガリアは現在このような形で旧共産党時代の施設、設備が次々と新体制の枠組み作りに則っ て整備が進んでいる。かつて党の主要な活動を担った建物は、ホテルや市民施設に改装され、道路 や鉄道などあちこちで工事中の風景が見られた。その多くの現場に日本や韓国の著名な会社名やロ ゴを発見し、新しい体制下での建設途上の東欧国家の一つブルガリアで、日本の建設会社などが一

造形表現学科 金工・ジュエリー研究室

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役買っているのだという事を知った。

 一方、かつてのトラキア黄金文明の地、ユネスコの文化遺産を9つも持っている現存する最古の 国家、掘り返せば紀元前という遺跡の上にある町並みは、近代的建造物と中世の石畳、ローマ時代 の遺跡、取り壊しに漏れた旧共産党時代のモニュメントや銅像などが混在した、誠に複雑で長い民 族の苦闘の歴史を体現するものであった。近年海外に報道されているように、ソ連崩壊に伴う共産 主義体制の崩壊から 20 年余、2007 年には EU に加盟、遅れをとり戻すかのように開発が続き、遺 跡の宝庫が壊滅、盗掘の危機に瀕している状況も深刻である。

研究会の概要と次第

 学会の主要目的である文化交流は双方の講演とワークショップを基調として熱気のこもる交流が 展開された。日本側の参加者は、日本女子大学教授・田中俊子会長を団長とする学会員とその関係 者の計 19 名、ブルガリア側は民族学博物館関係者、ソフィア大学の学生、ワークショップ参加者 に混じった子供たちまで含めると50名を超える盛況であった。

 開会に先立ち、会場の部屋の周囲に両国それぞれの民族衣裳と作品を展示した。聴衆が講演を ヴィジュアルに理解するために、この展示は大変効果的であった。

 日本側は用意した花嫁の白無垢の打掛、濱田雅子武庫川女子大学教授所蔵の振袖と袋帯など、日 本の伝統的衣装を壁に飾り付けた。筆者も手持ちの明治時代の正装用丸帯と現代の袋帯を持参し、

展示した。基調講演をされた多田牧子京都工芸繊維大学教授は自作の組紐作品を多数展示してワー クショップに備えた。

 ブルガリア側はマネキンに着せた様々な男女の民族衣裳と、やはり伝統的な組紐を多数展示し た。またこの交流会の宣伝の為に両国の組紐を配したカラーポスターも各所に貼られていた。こう して両国の展示が聴衆を取り囲むような形となり、雰囲気満点といった会場の仕様となって、午後 1時に開会した。

 まず冒頭にブルガリア文化大臣の挨拶があった。初めての試みに日本とブルガリアの文化交流に 期待する内容の激励の言葉があった。続いてブルガリア民族学研究所の3名の研究者の挨拶があり、

我々の長旅をねぎらう言葉とともに、この企画の実現を喜び、成果を期待する言葉があった。これ に対して田中俊子会長から挨拶が返され、その後すぐに本題に入った。双方の講演と交流会は一部 ブルガリア語、日本語の発表があった他は全て英語で行われたが、ブルガリア語及び日本語でのス ピーチにはソフィア大学の日本文化学科を卒業し、日本への留学経験のある二人の通訳がついた。

この若い女性通訳たちは、今時の日本の若者に聞かせたいと思うほど、びっくりするような美しく 完璧な日本語を話し、私達を感激させた。

 研究発表は、多田牧子教授の基調講演を含む日本側 3 名、ブルガリア側 3 名の口頭発表で構成さ れた。以下順を追って講演の概要を紹介する。

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Ⅰ 基調講演 「組紐―伝統から未来へ―」 (Kumihimo-From Tradition to the Future-)

多田牧子 京都工芸繊維大学 伝統みらいセンター教授 

 (本講演は日本の伝統的服飾工芸のひとつである組紐・組物の歴史を 「組紐の文化」 として紹介 するとともに、複合材料の強化形態として脚光を浴びつつある現状と、その研究成果を提示するも のであった。流暢な英語のスピーチとともに、動画を含む図解による映像を駆使した説明は大変解 りやすく好評であった。内容は概略以下の通りである。―演者レジュメによる―)

1、はじめに(Introduction)

 現在、複合材料に用いられている組物の種類は、力学的合理性とは無関係に、これまでの組機で 製作可能なものに限られている。複合材料とは2種類以上の異なる材料を組み合わせることによっ て単一素材では得られない新しい特性を発現するもので、ここでは、繊維とプラスチックの複合材 料を取り上げる。この複合材料はスキーの板、ゴルフクラブのシャフト、ヨット用マスト自転車の パーツ等々、スポーツ用品や車などに使われ始めており、金属より軽くて丈夫な特性が注目され て、現在、航空機分野でも研究が進められている。複合材料の強化形態として組物が優れている点 は、繊維束が長手方向に連続的に配向し、長手方向の荷重に対して全ての繊維が荷重を負担するの で剛性や強度が高いこと、厚肉中空、中実など自在に出来、断面不定形のものなど3次元形状も製 作可能であること、全ての糸が斜めに交差されて出来ているので曲げて成型することが容易である こと、制作工程の自動化が可能であること、などである。日本は縄文時代から組紐の伝統があり、

複合材料の強化形態として、より適切な組物を創製出来ると考えられる。

2、組物の歴史(History of Kumihimo)

 人類が考え出した紐は、初め蔓や動物の皮を裂いたものであったと考えられるが、やがて植物や 動物から繊維を取り出し、撚りをかけ、交差して組むようになった。縄文土器にはその圧痕文が見 られる。また福井県鳥浜貝塚や青森県三内丸山遺跡などから原体の断片が出土している。

 弥生時代中期になると『後漢書東夷伝』や『魏志倭人伝』などの文献資料に登場する。『後漢書 東夷伝』には西暦 57 年に光武帝が倭奴の首長に金印紫綬を授けたとみえる。福岡県志賀島から発 見された「漢委奴国王」と刻まれた金印がこれに相当すると考えられており、これには印綬、つま り組紐が付いていたとされる。『魏志倭人伝』には 239 年の卑弥呼の貢ぎ物に対して魏の明帝より 授けられた金印紫綬、銀印青綬、銅鏡 100 面の記録に組紐の存在が記されている。以降、自力で 作っていた組物文化に大陸の組物の文化が入り、影響を受けた様子がうかがえる。

 それは飛鳥時代、仏教伝来とともに中国及び韓国の様々な色と種類の組紐が将来され法隆寺に 残っている。現在それらは奈良国立博物館に収蔵されている。奈良時代にはシルクロードの終着点 とされる東大寺正倉院に大陸の文物が集結したが、その中でも組物は大量で、現在の組物の原型の 大半が残されている。アメリカ在住の組紐研究家・木下雅子氏はこれらの組紐がループ操作で作ら

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れたという説を提言している。

 平安時代には遣唐使廃止に伴う国風文化によって純粋に日本的な組物が作られるようになった。

特記すべきものは束帯用の唐組平緒である。京組紐は公家組紐の流れを持つもので、唐組平緒は有 職の紐として現在も作り続けられている。京都の深見家は代々唐組平緒を作り続けた家系で、13 代目の深見重助(1885-1974)は重要無形文化財保持者として著名である。

 平安・鎌倉時代の組物技術は頂点に達し、ループ操作で作られる組紐は肉厚で立体的になった。

主な遺品として西大寺経巻錦袋の紐、中尊寺金色堂藤原秀衡の棺納入の組紐、四天王寺懸守の紐、

熊野速玉大社の両面亀甲組などがある。両面亀甲組は、横に2、3、4人と並んで組糸を連結させな がら組んだと考えられる。これらの連結角組はループ操作で作られたという木下雅子氏の仮説をも とに、演者はループ操作と高台で1987年に両面亀甲組の復元模造に成功した。両面亀甲組は他に、

東京都の御嶽神社、静岡県の三島神社、奈良県の春日大社に保存されている。

 室町から江戸初期の時代に組紐は一般に広く消費されるようになり、需要が増えるとともに組紐 を生業とする職人が増えたと考えられる。特記すべきは名護屋帯で、それは5メートルほどの丸組 を腰に 5、6 回巻き蝶結びにしたものである。肥前(佐賀県)の名護屋で流行り始めた帯で、八つ 組や丸唐組で組まれていて、当時「韓組帯(からくみおび)」と呼ばれ、16世紀末から17世紀半ば にかけて流行した。室町・戦国・江戸を通じて組物を一番消費したのは武士階級であった。鎧、刀 装、馬具などの武具類に主に用いられた。江戸にはおよそ 50 万人の武士が居たそうで需要も大き く、この時代に丸台、角台、綾竹台、高台などの道具が考案されたと推測される。明治時代になっ て廃刀令により需要がなくなると、帯締めが作られるようになり、今では組紐といえば帯締めを指 すようになった。

3、組物の3次元構造の解明と製組方法に関する研究(Kumihimo composite materials)

 (この項は本講演の最も主要な部分であるが、もっぱら、組の経路図の映像を介して説明された ので一部要旨を述べるに留める。詳しくは多田牧子氏の博士論文「組物の3次元構造の解明と製組 方法に関する研究」京都工芸繊維大学 2003 を参照されたい。)

 複合材料の強化形態として優れた組紐を製作出来る機械を作ることを最終目的として、平安・鎌 倉時代に製作され、遺品も国宝や重要文化財になっている角組系組物を取り上げた。角組系組物 は、単位を増やして行くことができ、角八つ組を最小単位として、その結合で出来た組物で、発展 性のある基本単位の組物である。角八つ組は側面2畝×正面2畝の角組(2×2角組)で、正倉院に 多数残存する。畝数とは、組物が出来上がった後に外周に位置する繊維束で出来た畝の数である。

2 × 2 角組を 2 個連結させた組物 「御岳組」 を 4 × 2 角組、4 個連結させた組物 「西大寺組」、「中尊 寺組」を 4 × 4 角組、6 個連結させた組物「春日大社組」、「四天王寺組」を 4 × 6 角組、8 個連結さ せた組物「両面亀甲組」を4×8角組と呼ぶ。

 制作方法はループ操作法による。「ループ操作」とは、道具を使わず手にループ(輪)をかけて

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糸を入れ替えて組む方法である。これを図式化し経路図を作製する。2 × 2 角組のループ操作は両 手に 2 本ずつループをかけて行う。4 × 4 角組の場合は 4 本の手(2 人)、4 × 6 角組の場合は 6 本の 手(3人)、4×8角組の場合は8本の手(4人)を使って行う。このようにして最終的に安定した各 角組系組物の繊維束数を、畝数をパラメータとして決定する式を導き、複合材料の強化形態として の有用性と自由度の高い設計を可能にした。

 (最後にホーンギア方式3D組機(3D rotary braiding machine)で中実6×8角組系組物を組んで いる様を動画で示され、手組から動力機械に移された組紐が高速で出来上がる様を、聴衆皆、感動 を持って視認した。この機械は軌道およびホーンギアの配置変換により、多様な組物に対応出来る ものである。)

4、おわりに(Conclusions)

 本研究の成果は任意の形態に対して合理的な組構造を決定する設計技術を確立した。また本研究 の特徴は、古典的伝統的知識を先端の複合材料の強化材開発に活かしたことで、学術的、工業的、

文化的に意義が深い。

 (拍手喝采の内に基調講演が終わり、続いて吉田 扇 芦屋女子短期大学教授の、舞妓を通して の日本の伝統衣装「着物」の紹介に移った。この講演に際しては、説明のための展示品と映像の 他、筆者が夏の絽訪問着を着用し、モデルを務めた。)

Ⅱ 「ファッションと地域性―近世後期京都花街の衣装に見る―」

   (Fashion limited area at Kyoto Gion in last modern age)

吉田 扇 芦屋女子短期大学教授 

1、現在の舞妓の衣装規範(Current regulation of Maiko costumes)

 「花街」は 「歌舞練場」 を中心として置屋の機能を合わせ持つお茶屋が集合した地域であるが、

郭の中に発生し、長らく併存したため、芸妓舞妓が遊女と混同されて来た。しかし近世後期には京 都の芸妓舞妓はもてなしのプロフェッショナルとして有名であった。現在京都には祇園甲部、祇園 東、宮川町、先斗町、上七軒の地域を花街と称している。舞妓は芸妓になるまでの見習いとされ、

置屋に居住して歌舞音曲を初めとする様々なもてなしを修行する。舞妓の衣装は 「近世京都室町通 の豪商の娘の装い」 とされていることを検証するのが本発表の趣旨である。

 (まず、髪型、頭飾りから化粧、履物に至る規範と習慣、着物に関する四季折々の素材と仕様に ついての細かな説明が展開された。)

 芸妓は鬘を使用するが、舞妓は地毛で日本髪を結う。「割れしのぶ」、「おふく」、「奴島田」、「勝 山」などの髪型があり、正装時(黒紋付)や祭礼にはまた特別な髪型がある。髪飾りは 12ヶ月の 定まった意匠の花簪の他、櫛、玉、平打ち、前ざし、ビラなど年齢や行事によって様々なものが使

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用される。正月は15日まで稲穂の簪を使う決まりである。

 化粧で 「白塗り」 する訳は、昔、燭台の灯りを使う室内で白い顔、輝く金銀や花簪で幻想的な世 界を創り出していた名残である。襟足は、正装時は3本足、通常は2本足とする。

 着物は 12 月から 3 月の冬は二枚袷、6 月と 9 月は間着の単衣、7、8 月の盛夏は薄物、その他は袷 である。一般の着物と違うのは 「肩揚げ」、「袂揚げ」 があり、舞妓を子供として扱っていることで ある。室内では 「引きずり」、屋外では「からげ」という着装である。

 帯は屋形(置屋)の紋入りの 「だらりの帯」 を締め、季節によって塩瀬の染帯、織帯、絽などを 使い分ける。履物は「おこぼ」と呼ばれる桐製の高下駄である。等々。

2、歴史的検証(Historical Study)

  (江戸時代の文献(喜多川守貞著『守貞謾稿』など)をもとに各時代の流行や特色についての考 察が解説された。)

 江戸中期になって帯の幅や長さが増大し、江戸後期には幅が約45㎝にもなった。「だらりの帯」、

「引きずり」 の図も見られる。遊女と舞妓の髪型は異なっていた。様々な資料によって現在の舞妓 の衣装は文化・文政期の京都町人の未婚女性の服飾に似ていることが判った。等々。

3、江戸(東京)と京都の地域的差異(Regional difference between Edo(Tokyo) and Kyoto)

 元文・延享年間(1735-47)には髪飾りに縮緬の布地が用いられ、文化・文政年間(1804-29)に 盛んであった。嘉永年間(1848-53)になると京都では使用されたが江戸では廃止された。

 髷や簪の名称が江戸と京都では異なるなど文化的違いがある。

 社会経済状況においては、元禄時代(1688-1703)と文化・文政期(1804-29)に江戸時代の衣装 状況は爛熟した。三井越後屋などの巨大呉服商が栄え、江戸を大規模消費地として京都西陣が世界 屈指の技術力を有する生産地として発展した。等々。

4、結論(Conclusions)

 時代検証の結果、現在の舞妓の衣装は近世後期(文化・文政期)の町娘の衣装スタイルで、最後 の純和装文化を継承している。美術工芸品を身につけるに等しい豪華な装いが出来るのは、当時、

呉服商か両替商のみであった。花街は19カ所、舞妓芸妓の数は400人といわれ、西陣の技術の粋を 集めた装いを凝らし、美服への欲望の広告塔の役割を担っていたと考えられる。京都五花街の舞妓 の衣装は近世後期の衣装スタイルが継承されており、着物、帯、履物、簪などが現在も生産供給さ れている事は、世界的にも珍しく、京都の地域性がなし得たファッションの特性である。

 (伝統民族服にはそれぞれの国柄が繁栄されるので、気候風土や風俗の異なる地域でどこまで理 解されたか判らないが、外国の人々に紹介するのは有意義である。展示品の花嫁の打掛と「婦人画 報」の保存版(帯結び)を資料としてブルガリア国立民族学博物館に贈呈した。

 次に「浴衣」が、畠山絹江 神戸ファッション造形大学教授によって紹介された。この発表では

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通訳の一人のブルガリア人女性をモデルに持参の浴衣を着付ける様を披露した。)

Ⅲ 「日本の祭りと浴衣の装い」(YUKATA the Attire of Summer Festival in JAPAN)

畠山絹江 神戸ファッション造形大学教授 

1、はじめに(Introduction)

 日本の着物は世界に誇る民族衣装であるが、現在は洋服が日常着として定着し、着物は儀礼的な 場に着用されるようになった。しかし夏祭りのシーズンには着物(浴衣)の着用が増える。京都の 祇園祭に取材し、夏祭りの祭事に繰り出した群衆を対象に、カラー写真 200 枚の浴衣姿を撮影し、

浴衣の地色、模様、帯の色と帯結び、履物、小物、などのコーディネイトについて考察した。

2、浴衣の地色(Base Color of Yukata)

 国際版色の手帳240色の色標とカラー写真の浴衣地色を照合した。基調色の色相は34色で、最も 多かった色相は紫黒色(ミッドナイトブルー)、紺青(プルシャンブルー)、瑠璃色(ラピスラズ リ)、藍色(シーブルー)などトーンの異なる青色が多く、特に紫黒色は35%を占めた。次いで多 かったのが黒色で 15.2%、白地は 8%、グリーン系は 7.2%で、その他多彩な色があったが、基調 色はジャパニーズ・ブルーと呼ばれる寒色系が多い。涼しさを求めて夏の季節感を表現している。

寒色系は各年代層の女性に支持されているが、赤系統は若年層、白地はミセスに多かった。

3、浴衣の模様(Patterns in Yukata)

 34種類識別出来た。花が最も多く79%、紫陽花、朝顔、百合、ひまわり、女郎花、桔梗、薔薇、

菊・・・・など季節感のあるものが多彩である。動物は蝶、蜻蛉などの昆虫、金魚、兎など。その 他、花火、扇子、日傘など夏の風物、幾何学文様などである。これらの模様がシックに地色に組み 合わされて染色され、特にミッドナイトブルーとパープルピンクの花柄は若い女性に多い。

4、帯の色と帯結び(Belt Color and Belt Knot)

 浴衣の帯は大半が半幅帯で、基調色は 27 色であった。表裏で色が異なり、結んだ時に現れる配 色効果が美しい。赤、オレンジ、黄色の色相の暖色が最も多く、中間色ではグリーン系が多い。着 物と帯のコーディネイトは、濃い色と冴えた明るい色の配色が多い。

 帯結びは文庫結びが多い。レースやチュールを重ねたアレンジも見られた。

5、ファッション化した浴衣の装い(Fashionable Yukata)

 祇園祭の宵山見物の群衆の浴衣姿について定点観測を行った。若年女性やジュニアの着用が最も 多い。次いで母子、夫婦、若年男子、外国人などの浴衣姿が見られた。髪飾りだけでなく洋装のア クセサリーも抵抗感なく身に付けている。履物は黒塗りの下駄が多かったが、ミュールやサンダル

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も見受けられた。

6、おわりに(Conclusions)

 祭りの雰囲気を楽しむ為に、若者が積極的に夏の衣服として浴衣をドレス感覚で着こなしてい る。相撲の力士も冬を除いて浴衣を日常着にしている。夏祭りと浴衣の装いは庶民の間で育まれた 日本の着物である。若い世代が浴衣を通じて「和の文化」に関心を寄せているのは喜ばしい。

 (以上で日本側の発表がすべて終わり、続いてブルガリア側の発表が行われた。最初の発表はブ ルガリアの民族衣装全般にわたるもので、映像や表による細かな時代的、地域的特徴や民族間の違 いなどの具体的な説明、研究論文を引用しての学説の紹介が多く、初見聞では難解で記憶出来な かったので緒言にとどめる。)

Ⅳ ブルガリアの民族衣装―基本的知識と論点

  Bulgarian Traditional Costume - Basic Knowledge and Discussible Questions

ミレラ・デチェヴァ ブルガリア民族学研究所助教授 Mirella Decheva

 衣装は人の第一印象を示すものである。私達は衣装を、内なる自己決定の、外界への表明に必要 なものという考えに慣れて育ってきた。それは人の性別、年齢、職業、宗教、家族、社会的地位な どを表す名刺のようなものである。審美家によれば、衣服は、あるファッションの粋狂に従属した 形や標識、変化と確認である。ファッションの変化における力学は、社会経済のリズムとイデオロ ギー上の進化によって起こり、決定される。…民族学において、衣服は、言語の意義と似たところ があり、与えられた共同体の民族的、文化的特色を決定する役割を担って来た。それは自己乃至自 民族と外人乃至他民族を、初見で見分ける基本的標識である。衣服は物質的システムにあって個人 の文化的相対物であり分身である。それは特定の文化の法典を運ぶアイデンティティーの表明であ る。衣服は、グローバルかつ個人的な人間の一面が存在する自然と文化の関係についての情報を蓄 積する。この情報の解読は、どのようにして文化が、その法則に従属させながら自然な身体を修正 するかを示すことが出来る。文化の問題としては、人は自身を民族的特色の全体のセットとしての 衣服に投影し、それに従属する。歴史的に見れば、衣装は鍵となる各時代精神の存在と発展を反映 する特色を伝えている。それは直接的に経済の発展段階、社会の諸関係の構成、そして特定の自然 や地理的環境を連想させる。その中に生きているのはその消費者達である。この基礎の上に立ち、

地方的特色と文化の変形を保存している共通なものと、人種的に特定のものとに焦点を合わせる。

衣服の発展と特定のスタイルの調査による、社会生活上の決定的な過程と段階の分析および図解の 好機は、大部の科学的文献を産み出した。ブルガリアの伝統衣装の問題は、長年にわたってブルガ リア民族誌学/ブルガリア民族学の進歩と平行して位置し、発展していることである。国家の復興

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(ルネサンス)から今日までブルガリアの伝統衣装の蒐集、保存、展示は博物館の枠内で最も広大 な計画である。それらの中で主導的なところは国立民族学博物館で、20,000点以上の資料を保存し ており、最も傑出した衣装研究員と専門家達を科学者集団として擁している。(Stefan Kostov, Hristo Vakarelski, Maria Veleva, Marina Cherkezova, Anita Komitska)

 蒐集資料を基礎に、民族衣装専門調査を伴う大図書館と共通の民族プレゼンテーション計画が創 出された。…そして、ここに最初の議論すべきブルガリアの民族衣装の問題が生まれる。事実、そ の基本的ユニフォームというものは存在しない。…民族衣装は数多くのローカル・ヴァージョンと して存在し続けている。…第2の大きな伝統衣装の問題はファッションに関係する。ほとんどの研 究において、衣装は伝統的自然の独自性の故にファッション路線に屈しない事が示されている。…

ブルガリアの民族衣装におけるファッションの変遷のよい例は織りベルトである。…より刺激的な 言及したい第3の問題は性による明白な衣装の区別である。最も典型的な女性の衣装はエプロンで ある。…が、最も女性的要素であるエプロンを男性も公的に身につけるのである。…ある地方では 職人や耕作者が特別な仕事にかかる時、エプロンを着ける。多分、これが専門的地位の象徴として 男性の衣装になった理由であろう。興味深い例は織りベルトである。それは女性の典型的衣装だ が、男性の祝祭の衣装でもある。

Ⅴ ブルガリアの民族衣装における象徴としての織りベルト   The Woven Belts as a Symbol Sign in the Bulgarian Costume

ナディア・テネヴァ ブルガリア国立民族学博物館主任学芸員 Nadia Teneva

 ブルガリアの伝統的盛装と織物は、すでに 20 世紀初頭には特定の方法で織られたベルト(kori)

の鮮やかな美しさと豊富な装飾によって注目されていた。水平な織機で職人的技術と典型的な装飾 法によって織られた織りベルトは、ブルガリアの伝統的民族衣装の重要部分であった。初期の研究 者によれば、その源は世紀を超えて何千年も遡る。その色彩配列と装飾の技術は、彼らの古代バル カン文化との提携関係が、東洋の影響と同じくらいあったことを証している。最も重要なことは、

これらのベルトの中に日々の暮らしの装飾物に対するブルガリア精神および趣味が発見できること である。

 ベルトは、小穴のついた幾つかの薄くて四角い小さな板(Koriコリ)を使って織られる。

 ベルトのおよその長さは前もって腰周りを計って決めておく。通常、腰回りの 2 倍から 3 倍の長 さになる。最も古い織技は、縦糸の一端を木に縛り、もう一方の端を織り手の腰に結んだものであ る。もう一つのよく使われた方法は、縦糸をしっかり縛り付ける為に、地面に打った木の杭を使う ものである。コリの枚数はベルトの幅によって決まる。男性のベルトの方が狭く 2〜4㎝で、30 枚 ほどのコリがいる。女性の場合5〜7㎝で40〜70枚のコリを使う。織りの作業の間に組み込まれる 装飾を用意する。通常、ベルトの両縁には同色の糸が使われる。多色の糸も多様なパターンをベル

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トの中央に創り出す為に用いる。織りはそれ自体、緯糸を縦糸に通して後、コリを 90 度に巻くこ とを含んでいる。これは1色の緯糸に対して多色の縦糸を可能にしている。ベルトが出来上がると 中心の糸は引き抜かれて幅が縮む。

 北ブルガリアの特徴的なベルトは両端に房を付けている。あるいは異なるパターンのステッチが 細かくなされているものがある。これらの端飾りは全く異なった技法で作られている。それらは多 色の羊毛で縁取られた長い糸を使って織られ、その部分はパターンに忠実に細かく縫いあわされ る。端飾りは幅10〜15㎝で、二つに折り畳み、ベルトに縫い付ける。その長さは20〜30㎝である。

これらの端飾りはベルトそのものよりずっと美しい。端飾りの色の配列と装飾の仕方は東方、主と して小アジア、中央アジアの織物に似ている。しかしあるものは古代陶磁器類の装飾に類似してい ることは、その古い起源を示す証拠となる。

 糸の染色は大昔から草木染めである。それは化学染めが出来るようになって後も守られていた。

 その膨大な色彩や色あいの種類は単に草木によるだけでなく、より多くの部分を、織り手が得た 注入物や多くの添加物を加える方法によっている。その技術は家族や村の世代間で受け継がれ、伝 統の保存を保証した。その結果、信じられないほど豊かな色調と文様構成の、極めて特色ある民族 服飾工芸をもたらした。

 ベルトを飾る文様は、幾何学的なものと直線的なものが傑出している。これらはブルガリア民族 美術の典型で、古代において独自の意味を持っていた要素から成り立っている。文様もまた人体に 装着したベルトの特別な位置と機能に従っている。伝統産業の仕事は年月を経て大切にされ、保存 されて来たので、古代の象徴や記号も我々に伝わって来た。それらに隠された魔術的な機能は長く 忘れ去られていたが、未だ伝統の継続性を負って、あたかも神秘的な概念と我々の祖先の信仰に よって運命付けられていたかのように、あるべき位置におかれている。その装飾の主な機能は黒魔 術や悪魔や嫉妬からベルトを帯びた人を守ることにある。同じ機能はブルガリアの織物や刺繍の色 使いによっても示される。装飾文様として使用される幾何学的形の古風な概念は、ベルトの持ち主 に、神秘的に「多産」を授けるという信仰から来ている。すなわち、彼(彼女)は子孫を残すこと が保証されるのである。我々はここに、ベルトを身に着ける人の人生に永遠の繁栄と幸福を願う、

ある種の目的要素の存在を仮定できる。

 古代の概念では、腹部は命の中心であって、守られるべき防衛すべきところである。ブルガリア 人を含むほとんどの人にとって、この機能は女性のバックルと男性の腰帯にある。伝統的ブルガリ アのベルトの典型的な装飾は菱形である。鈎付の菱形、三角、ジグザグ、十字、卍、薔薇など、独 特の文様構成で命の木などが表現される。ジグザグは蛇を象徴する。蛇は多産を象徴する。薔薇は 太陽と豊かさの象徴である。卍は火、悪霊や黒魔術から守られると信じられた。これらの幾何学的 形モチーフはブルガリア民族美術の全てに現れる。

 ブルガリア民族は伝統的に未婚、既婚の男女、年長者がベルトを腰に巻いた。そのステータスの 違いは、ベルトの幅や色彩配列でわかる。少女が思春期に入るとすぐに、結婚する用意ができたこ とを公にするために繊細な薄いベルトを締める。未婚の若者も薄いベルトを締める。クリスマスイ

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ブに若者は、ベルトの端を肩に揚げて婚約者の家を訪問する。ベルトは婚儀において重要な役割を 果たす。

 ブルガリア人は胸と腹の間には障壁があると信じていた。臍が腹を、上の心臓(胸)と下の心臓

(臍の下)とに分けていたのである。ある概念では男の腹は一つだが、女には二つある。上の腹は 食べるため、下の腹は子を産むためである。恐らく新郎新婦の胸に斜にベルトを巻くのはこの概念 と関係がある。婚礼の儀式の間、新郎新婦は最も黒魔術の影響を受けやすいと信じられていた。斜 に巻いたベルトの特定の文様や色彩は彼らを黒魔術から守ると考えた。一方、こうした特別な日の 彼らの考えは、若い家族が沢山の子供を持ち、繁栄を確実にするためであった。

 ほとんど20世紀の半ばまで織りベルト(kori)は男女の年齢と社会的身分のシンボルとして存在 した。職人仕事の質の高さは、娘の技量と結婚への覚悟を計るものになっていた。象徴的なメッ セージもまたベルトの端飾りに受け継がれた。ベルト(kori)は伝統的ブルガリアスタイルの刺繍 とともにブルガリア女性の卓越性による最も高い業績となったと考えられる。多くの地方でこのベ ルトは、若い花嫁が贈り物として用意しなければならない嫁入り衣装の一部になって以来「婚礼用 ベルト」と呼ばれている。すでに婚約中に花嫁はこの種のベルトを将来の夫とその兄弟に贈る。婚 礼の間、男性たちも贈られたベルトを肩に掛け、腰に締める。

 2度撚った毛糸を使ってのベルト作りは難しく、時間がかかるので、すでに20世紀初頭に高度に 修練されたベルトメーカーと呼ばれる女性たちによって、緻密なタペストリーや敷物が作られ始め た。これらのベルトメーカーの名手は、未来の花嫁に古代の工芸技術を教えながら、助手をさせて いた。より器用な若い女性達は伝統を受け継いだ。20 世紀半ば以降の劇的な政変の結果、家内工 業によるベルト作りはしぼみ始め、やがて死に絶えた。今日、民族美術品の再生産を営む女性の熟 練者達によってのみ、それは練習されている。残念なことに新しいサンプルの色彩配列や文様は昔 のものに遠く及ばない。それは、断絶したこの古代の民族工芸の伝統は再生を必要としていること を示唆している。

Ⅵ 19世紀から20世紀初頭にかけてのマケドニア、ビトラ地方の女性用の帯とベルト

   Bulgarian Female Waist-bands and Belts from the Region of Bitola(19th - beginning the 20th c.)

アニタ・コミトスカ ブルガリア国立民族学博物館学芸員 Anita Komitska

 ビトラ地方はブルガリア民族の居留領域の南西部に位置し、住民はバルシャツィというブルガリ ア民族の下位分類に属する。本発表では 19 世紀から 20 世紀初頭にかけてのマケドニア、ビトラ地 方の女性用の帯とベルトを、材料、製作技術、装飾、象徴性などの分析を通して紹介する。

 腰に巻き付ける布バンドをポヤスという。それはまた、家族の絆、氏、世代をさす言葉でもあ る。帯はブルガリア人の伝統衣装の重要な構成要素である。普通、シャツの上に着る衣服の上に何 回か巻いて腰に締めるもので、ゆりかごから墓場まで人生のお供であるといわれている。帯を締め

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ないことは裸同然で恥ずべきことである。帯は仕事を助け、子供を授け、魔除けとなり、健康と力 を与えるものと信じられていた。

 帯はキリスト教の伝統においても重要で、現在も牧師は、最後の晩餐にイエス・キリストが腰に 締めた布を象徴する帯を着ける。かつては帯を締めていない信者は聖餐を受けることができなかっ た。民族衣装の象徴性を分析する学者は、衣装の一部である帯と時間を超越した幾つかの概念との 意味の類似性に注目する。命の流れを意味する帯、男系の家柄を意味する帯である。帯は受胎、正 常妊娠、安産を保証する。

 ビトラ女性の衣装の独特な外見はヒップを強調し、ふっくらとした体型を作る。19 世紀末の記 録によれば、ビトラの農山村の女性は幅7㎝、長さ11mにもなる帯を腰に巻きつける。帯によって 胸や背中に 15㎝もの積み重ねが出来て、子供が座れるほどである。パンや料理の皿をのせて立っ たまま食事が出来る食卓にもなる。

 帯は黒く染めた羊毛及び山羊の毛で作られる。未婚女性用には太い紐を五つ編にする。既婚女性 用には七つ編にする。これをストラックと呼ぶ。2 本のストラックを縫い合わせて幅 3 〜5㎝の帯 を作る。長さは 10〜30m である。長いものは既婚女性用である。サヤという衣服の上から、上半 身がヒップから腋の下まで包まれるようにしっかりと巻き締める。

 帯に対する信仰は生命力と生産力を持つ大地と太陽を象徴する 「輪」 に関する古代信仰から生ま れた。「輪」 は多産、繁盛の源であり、腰に巻かれた帯は身体を守る多くの輪を作る。また帯の長 さは長寿を象徴する。帯は長ければ長いほど、その持ち主は長生きすると信じられている。

 ビドラ地方の女性のベルトの制作方法は、小穴のついた幾つかの小さな板(Kori コリ)を使っ て赤い羊毛で織る。メインスペースには赤い色で伝統的に使われて来た幾何学的、直線的な文様が 織り込まれる。2 本のベルトが縫いあわされ、金銀糸で編まれた装飾バンド、ビーズ、硬貨、貝殻 のついた刺繍入りの赤色の羊毛や絹の飾りが表面につけられる。両端には帯のサイドにベルトを固 定させるバンドがあり、パフティという留め金を飾ることもある。ベルトはエプロンの上に締めら れる。ビトラ地方の女性用帯とベルトは伝統衣装に完全性を与え、衣装の全ての要素と調和する。

極彩色と豊かな装飾は独特の魅力を生み出している。

 (以上で発表は終わり、休憩をかねて別室での軽食と飲み物のパーティーに移った。ワインと民 族料理、菓子と新鮮な果物を頂きながら、講演者と聴衆が思い思いの感想や質問をかわした。パー ティー会場の床に薔薇の花びらがまき散らされていたのは、薔薇の国ブルガリアの習わしであるら しく、もてなしの妙に感じ入ったひとときであった。

 その後、4時30分からワークショップに入った。)

Ⅶ ワークショップ

 日本側は多田牧子教授の指導による組紐作りを行った。

Makiko Tada - Making of kumihimo-Japanese Traditional Braided Cord  ブルガリア側は、織りのベルト作りの説明と指導が行われた。

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Velichka Georgieva, Association of Masters of the Folk Art Crafts Making of Woven Belts

 多田牧子教授考案のソフトプラスチックのディスクを用いての組紐作りは、とてもわかりやすく て、簡単に取り組めるものであったので、誰にでも楽しく組紐を作ることができ、聴衆は皆、日本 の組紐ワークの虜になってしまった。ブルガリアのワークショップも同時に披露されたが、こちら は少々複雑で難しく、手が出なかった。それは何枚ものコリという木の薄板に通した糸を、板ごと 回転させつつ織っていくもので、織物のようで組紐でもあるというような複雑さの故であると思わ れた。門外漢には説明も完全に理解するのは難しかった。しかし組紐、帯、ベルトという共通の伝 統を介して異文化が交流出来たことはとても感動的であった。

 この後、我々一行は、世界遺産、リラの僧院を始めとする各地の修道院、博物館、トラキア人の 墓などの古代遺産、遺跡を見学し、9月3日帰途についた。

おわりに

 筆者は服飾工芸に関しては全く素人であるが、織物、組物の技術は、歴史的にも金工の技法と共 通するものが多く、この学会研修が、特に日本とブルガリアの組紐の伝統を、相互に紹介し合うと いう企画に期待をもって参加した。また、古代トラキア文明には、世界を驚かせた黄金細工の遺品 が多数あり、それらを首都ソフィアにある民族学博物館所蔵の貴重な民族衣装の数々とともに、歴 史博物館などで、つぶさに観察出来たことは望外の幸せであった。

 おおざっぱな印象としてブルガリアの民族衣装のアイテムを挙げると、シンプルなシュミーズと 呼ばれる白いブラウス、それとは対照的に技巧の限りを尽くした前掛け、後ろ掛け、下履き、そし て帯、ベルトである。それから帽子、飾り立てた冠のような頭飾りなどである。

 民族衣装には、しばしば彫金の技法を凝らした装身具、髪飾り、耳飾り、首飾り、腕輪などが付 属していたが、中でも目を引く特徴的なものは、チャンピオンベルトのように大きなバックルで あった。それは豪華なベルトを、なお一層美しく立派に見せていた。

 組紐との関係でいえば、金銀の1本の細線で長い紐を編むことは古代から行われているが、同様 に組むことも行われた。ただ金属は繊維のように従順ではないから、金属疲労を改善して柔らかく する為に、たえず焼鈍をしなければならない。この手間がかかることと、繊維と違って溶接や鑞接 が可能な金属は、輪を繋ぐことによってできる鎖(チエーン)によって、紐状のものを自在に作れ ることから、古代の技法は使われなくなったと考えられる。しかし、組による金属の味わいはまた 捨てがたいものがあると筆者は感じている。

 そのような技法上のことはさておき、ブルガリアの研究者の発表の中身に、極めて精神性の高い 伝統意匠の象徴的意味について、細かに語られたことが特に印象に残る。筆者は常々、「もの」に は「心」が宿るということを考え、主張し、いたずらに物質主義を批判することを好まなかった

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が、日本とブルガリアの民族衣装の美しさに宿る高い精神性は、改めてその思いを深めてくれた。

少なくとも、人の手で、思いを込めて作られたものが、意味のないものであるはずがない。であれ ばこそ、これをまた深く研究することに意義を感じることが出来ると、改めて感じた研修旅行で あった。

モデルを務める筆者 学会聴衆

交歓会 多田教授の基調講演 学会ポスター

展示及び発表会

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ブルガリア民族衣装(バックルと帯)

ブルガリア民族博刊  図録表紙(男女の民族衣装)

組紐ワークショップ 2 組紐ワークショップ 1

バラ祭風景 ワークショップの成果

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参照

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