GNH : 豊かさという概念を問い直す
著者 大岩 圭之助
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
号 10
ページ 33‑54
発行年 2007‑12
URL http://hdl.handle.net/10723/501
GNH-豊かさという概念を問い直す
大 岩 圭之助
● 昨年度をふりかえって
(1) 昨年度は春と秋に小さな研究会としては、比較的大きな催しを春と秋に企画し、実施した。
まず5月には来日された言語人類学者で環境運動家としても国際的に知られるヘレナ・ノーバー グ・ホッジさんをお招きし、彼女を中心に公開授業やシンポジウムを開いた。また、11 月には市 民運動としての GNH キャンペーンである「GNH 市民会議――「豊かさ」を問い直す」(ライフス タイル・フォーラム、ナマケモノ倶楽部、スロービジネス・スクールなどとの共催)と連動して、
公開授業やシンポジウムを行った(資料 1 参照)。主なゲストとして、民俗研究家で特に東北地方 の食文化に詳しい結城登美雄、ブータンの音楽家ジグメ・ドゥッパと観光会社経営者ペマ・ギャル ポ、オーストラリアの環境活動家でシンガーソングライターのアンニャ・ライト、カナダ・ハイダ 民族のアーティストマイケル・ニコル・ヤグラナスの各氏を招聘し、話をうかがった。
すべて音声記録をとり、そのうち主要なものはすでに文字に起こし終えている。今後の記録と合 わせて、冊子、本として出版することを目指したい。
(2) これらの行事とは別に、メンバー各自がそれぞれのフィールドで現地調査を行った。
A. 平山研究員:シリア
B. 大木研究員:国内――その報告書を下に付す(資料2)。
C. 大岩研究員:ブータン――大岩は、今年3月に「ブータンGNHツアー」を企画、実施し、22 名の研究者、活動家、学生たちとブータンを訪れた。これは昨年 11 月に来日し たブータンの 2 氏と共同企画したもので、GNH というコンセプトを軸に視察を 行うというものだった。このツアーでは、大岩自身が 2005年の3月に訪れ、ま た昨年3月から4月にかけては、大学院生の小田義紀君(指導教官、大岩)の調 査地ともなったシェムガン県、ブリ村を再訪し、小規模ながら継続調査を行った。
また、GNH について、また現在進行中の王制から民主制への移行について、い くつかの聞きとり調査も行った。
D. また本研究会では、修士課程にあった小田義紀君がブータンでの現地調査を行うにあたって、
大岩が聞き書きやフィールドワークの指導を行い、その記録を報告書として提出することを依 頼した。その報告書を資料として下に添付する(資料 3)。なお小田君は、このブータンでの フィールド調査をもとに書いた修士論文を書き上げ、優秀な成績で本年3月に修士課程を修了 した。GNHに関する議論も含まれているこの論文を、本研究会の成果のひとつと考えたい。
● 今年度の計画
共同研究の2年目となる今年も前期、後期それぞれに、ゲスト講師を招いて、公開授業、シンポジ ウム、講演会、インタビューを行う。(すでに 4 月にはサティシュ・クマールさんを招いて公開授業 やインタビューを行ったが、その報告は次年度に回すこととする)
各自のフィールド調査については今後検討する。
今年度、大岩は本研究会の活動と連動させることを前提に、5~6 月の公開講座(一般市民向け)
と、後期の総合講座(学部の授業)のコーディネーターを引き受け、それぞれのテーマを、「社会の
“豊かさ”を再考する」と「豊かさと幸せの国際学」とした。研究会からは大岩と大木研究員がその それぞれで講義することが決まっている。
また公開講座に登場していただくゲスト講師の方々には、できれば研究会としても取材をしたり、
別にお話をうかがう機会などを設け、記録をとらせていただき、今後の研究に活かしたいと考えてい る。講師陣と講演テーマは以下の通り。
5月12日:「イントロダクション:豊かさを問い直すということ―GNPとGNH」 辻信一(明治学院大学国際学部教授、文化人類学、環境問題)
5月19日:「食の豊かさと貧しさ―スローフードとファストフード」
島村菜津(作家、食文化、イタリア研究)
5月26日:「時間をめぐる豊かさと貧しさ」
西本郁子(社会史、時間論)
6月09日:「関係性喪失の時代―幸せの条件と不幸せの背景」
大木昌(明治学院大学国際学部教授、文化交渉史)
6月16日:「豊かさと環境問題―経済成長神話を超えて」
坂田裕輔(近畿大学経済学部助教授、環境経済学)
6月23日:「自分たちで創るこれからの豊かさ」
ダグラス・ラミス(作家、元津田塾大学教授、政治学)
● 資料
(資料1) 2006年11月に行われたGNH市民会議のための企画書(抜粋)
GNH市民会議――「豊かさ」を問い直す GNH(Gross National Happiness) Citizen’s Forum
►企画概要:
2006年、日本とブータンが国交樹立20周年を迎えるにあたり、国際的にも研究や議論が高まり、
ブータンのワンチュック国王が 1972 年以来提唱した「GNH(国民総幸福量)」をテーマに、「本当の 豊かさ」を再定義する知的交流会議を、アジア・大洋州5カ国から伝統文化継承者、先住民族、環境 活動家を招いて、国内3箇所で11月に開催する。
目的
人間の幸福度を「豊かさ」の指標とする「GNH(国民総幸福量)」を、モノや富(オカネ)を豊か さの指標とする「GDP(国内総生産)」や「GNP(国民総生産)」への「オルタナティブ(代替)」と 捉え、国際的な潮流として、アジア・大洋州の多様なゲストとともに「本当の豊かさ」を問い直して いく。
意義
グローバル化する世界において、特にアジア・大洋州における各国の伝統文化、アイデンティティ が希薄になりつつある。また、1990 年代以降、人類全体の課題として我々が取り組んでいる地球温 暖化問題の原因が、日本やアメリカを中心とした先進国の大量生産・大量消費・大量廃棄によるファ ストな経済発展による副産物であることも明白だ。これらの問題に地球市民として取り組む際、アジ アや大洋州の先住民族がはぐくんできた自然と調和したライフスタイルが大変参考になる。
これまで、アジアや大洋州独自の文化は、西洋型の発展からみて「遅れている」として切り捨てら れ、あるいは西洋型への転換を余儀なくされてきた。
しかしながら今日、「GNH」は、ブータン国内で国民的な運動として盛り上がりを見せていること はもちろんのこと、国際的にも従来の開発に疑問を持つ学者・研究者から注目を集めている。日本で もスローライフや LOHAS(健康で持続可能なライフスタイル)志向者層をはじめ、メディアの関心 が高い。2005 年は愛・地球博にブータン館も出展し、ナショナルデーにはブータンから内務大臣や 本事業で招聘予定のジグメ氏率いる王立舞踊団が参加して盛大に式典が行われた。11 月にも外務省、
民間で「GNH」に関する学術シンポジウムが開催されている。物質的な開発にのみ目を向けていて は十分ではないという認識が広まっている現代に、「GNH」はタイミングよくマッチしたテーマとい える。
背景
「GNH(国民総幸福量)」とは、「豊かさ」の指標をオカネやモノに置くのではなく、人間の幸福 度におこうという思想だ。経済発展を否定するものではない。具体的には①持続可能な社会経済開発、
②環境保全、③伝統文化の振興、④国民参加型の統治で構成されている。ブータンではこの指針にも とづき、全国民に伝統衣装の着用を義務付けたり、外国からの観光客を制限したり、プラスチック製 品の持込を禁止するなどして、ブータン独自の民族性、アイデンティティを保ちながらも、学童を親 善大使として海外に派遣するなど、国際交流にも寛容だ。「幸せは外から与えられるのではなく、人 の内面からしか得ることができない」という仏教的思想にもとづき、「進歩をめざすひとつの賢い指 針」として国をあげて取り組んでいる。
ブータン以外でも、アジア・大洋州の先住民族は、自然資源との「よいバランス」をとってきた。
日本では「もったいない」に代表されるように、素材は最後まで使いきるという生活文化がほんの数 十年前まで残っていた。カナダ・クイーンシャーロット島のハイダ民族は、動物を家紋にするなどし て崇め「足るを知る」暮らしを営み続けてきた。これは日本の先住・少数民族(北海道、西表島な ど)でも共通していて「自然界の中の人間」としてのスタンスが確立されている。
日本とブータンが国交樹立20 周年を迎える来年、これら「GNH」が掲げる思想哲学に通じるゲス トを国外から招き、日本で改めて「本当の豊かさ」を問い直す国際会議を開くことになった。
期待される成果
「GNH」という思想について理解する日本市民が増える。ブータンという同じアジア圏から生ま れた思想であるがゆえに、日本市民にとっても、西洋追従型とは異なる人間・社会としての将来像を 描くことができる。日本の地方自治体においては、地域主体の街づくりへの示唆を得ることができる。
カナダ、オーストラリアからのゲストや日本国内の民俗学者、文化人類学者、文化伝承者らとのデ ィスカッションを通じて、ブータンの国策としての「GNH」にとどまらない、国際的な潮流として、
欧米型の「発展」にかわるアジア発のオルタナティブを示すことができる。
(資料2) GNH研究・活動報告 大木昌
研究・活動の概要
2006 年度は健康上の理由もあって、予定していたフィールド調査を大幅に縮小せざるをえなかっ た。また、8月始めから体調を崩し、8月6-7日のフィールド調査の実施中に急性膵炎を発症して緊 急入院と手術をするなどの事態も発生した。このため、その後のフィールド調査もいくつかキャンセ ルしたり、実施した場合でも満足のゆく状態で調査ができなかった。何よりも、ブータンへの調査を 断念せざるをえなかったことは非常に残念だった。
2006 年度の研究活動は、可能な限りで実施されたフィールド調査と、GNH にかかわる文献・資料 による文献調査だった。現在、フィールド調査と文献調査から得られた知見をもとに、現段階におけ るGNHにかんする報告を作成中である。以下は、フィールド調査を中心とした、2006年度の活動報 告である。
実施したフィールド調査は大きく分けて2つのグループに分けられる。第1のグループは、何らか のハンディキャップを負った人たちが、どのような状況におかれ、彼らおよび彼らの周辺の人たちが それにどのように対応したかという観点から行なわれた調査である。第2のグループは、第1のグル ープとまったく無関係というわけではないが、主としてコミュニティーにおける人間関係が人の
Happiness にどのような影響を与えるかという観点からなされた調査である。なお、下記の調査のう
ち 4)、5)、6)には「GNH研究会」の調査費を使用した。
1 フィールド調査記録
1) 「愛知たいようの杜」見学(自費 4月14、15日。愛知県愛知郡長久手町)
2) 「行徳ケア・ハウス」の試み(6月3日 千葉県市川市行徳)
3) 栃木県小山市の市民祭り参加(自費 7月29~30日)
4) 西表島(研究会調査費 2006年11月5~9日)
5) 「森林療法研究会・静岡(モリスト)」の行事への参加(研究会調査費:7月16~17 日、8月 6~7 日)ただし、これ以外にも自費で 3 回、静岡での知的障害児およびその家族との森林療 法活動へ参加した。
6) 静岡市で開催された「森林療法研究会・全国大会in静岡」への参加(12月2~3日)
7) GNH研究会の予算とは関係ないが、地元での老人介護の実態の聞き取り、知的障害児NPO施
設でのケア体験、成人の障害者が働く農園の見学とインタビューなどを行なった。
2 調査の内容
当研究会のテーマである Gross National Happiness のうち私は、「Happiness」(幸せ、幸福)をもた らすひとつの重要な要因として、「関係性の確立または充足」を考えており、逆に、「関係性の喪失」
は孤独、葛藤、対立など、「Unhappiness」をもたらす、と考えている。フィールド調査も主としてこ の観点から行なわれた。
関係性と幸せとを関連づけて考えるとき、昨年度の調査では、家族間の人間関係と地域社会の人間
関係の二つに着目した。上記のフィールド調査のうち 1)、2)、5)、6)、7)は、家族間と地域社会の 人間関係の両方にまたがり、3)と 4)は主として地域社会における人間関係にかかわる調査である。
ただし、「森林療法」については、「人間と自然との関係性の回復」が大きな意味をもっているので、
これについては後日別個に説明したい。まず、家族間・地域社会の人間関係の問題から説明しよう。
A 老人介護にみる家族間・地域社会の人間関係
上記のテーマにかんして、調査はまず家族間あるいは地域の人間関係がどのように人の幸福感と関 係するか、という観点から行なわれた。家族の人間関係の良し悪しが、人びとの幸福に影響するもっ とも極端な形で現れるのは、家族の誰かが、寝たきりになった時、認知症になったとき、あるいは身 体的・知的障害をもった時など、介護を必要になったときである。今回の調査は、老人介護と知的障 害者(とくに自閉症児)のケアに焦点をあてて行なわれた。
老人介護の問題は、自分の両親の場合であれ、自分自身が老齢化した場合の介護であれ、私たちは いずれは直面する問題である。しかも、人生の高齢期・終末期をどのように過ごすかは、人生の総決 算ともいえ、一人ひとりの幸せにとって決定的に重要である。終末期にみじめで孤独な状態におかれ たら、若い時の華々しい活躍や幸福に満ちた生活も、その人の「総幸せの量」のバランスシートの上 では「赤字」になってしまうかもしれない。
現代社会においては、親子・兄弟が地域的に遠く離れて住むことは珍しくない。このため、老人だ けの家族、あるいは老人の一人暮らしは増えざるを得ない。それでも、老人が健康で日常生活をなん とか自力でやりくりできる間は問題は表面化しない。しかし、寝たきりになったり病気になった時に は、さまざまな問題が発生する。最近では、親の面倒を見るために息子夫婦が親の住む場所に移住す るなど介護のための転職事例さえ見られる。一方、子どもたちの間で、誰がどの程度、親の介護を引 き受けるかで、兄弟姉妹間で押し付け合いや激しい対立が起こる場合も珍しくない。とりわけ、高齢 化した親の介護には遺産相続の問題も関係して、文字通り骨肉の争いとなるケースも多い。
近くに子どもたちが住んでいなかった場合や子どもがいない場合には、行政や地域社会の援助が期 待されるが、その実態は必ずしも満足な状態にはない。以下に、二つの事例をとおして、この問題を 考えてみたい。なお、プライバシー保護のため、年齢その他を若干変えてある。
事例1 Kさん(静岡県在住)
K さんは大正元年の生まれで、現在95才の女性である。K さんは同じ市から現在住んでいる町に 嫁いできて、以来60年以上も同じ家に住んでいる。夫は15年前に死亡し、それ以来一人暮らしであ る。子どもは4人(男3人、女1人、それぞれ既婚)いるが、それぞれ遠くに住んでいるため、日常 生活の面倒を見る親族はいない。子どもたちは、月に1度ほど様子を見に行くか、あるいは全く訪れ ない子どももいた。10 年ほど前からヘルパーさんの助けを借りて、なんとか生活していたが、次第 に体の不調や認知症の症状がでてきたので、子どもの判断で、4 年ほど前から介護施設に入所して現 在に至っている。
K さんが一人暮らしを始めた頃、子どもたちの人間関係はばらばらで、だれも責任をもって K さ
んのケアをしようとはしなかった。しかし、Kさんの住んでいる地域は昔からの住民が多く、人間関 係もしっかりしているので、年代を問わず、毎日のように近所の人たちが顔を出して様子をみたり、
話相手になったり、買い物などを手伝っていた。こうして K さんは、体が動くうちは老人会や町内 会の会合にも出るなど、地域社会とのつながりも継続していた。
以上のような事情のため、Kさんは孤独からもある程度解放され、生活上の不便はかなりの程度緩 和されていたようだ。さらに、急病の際も、近所の人たちが病院への連絡や立会いをしてくれていた ので、何度か危機を救われた。最終的には、認知症の進行と火の管理ができなくなり、ケア・マネー ジャーの助言もあって介護施設に入所することになった。もし、地域社会が崩壊していたら、ずっと 早くから施設入所で、ひょっとすると寝たきりになっていたかもしれない。この意味で、古くからの 地域社会ではぐくまれた人間関係がまだしっかりしていて、お互いに助け合っているという状況はK さんの「生活の質」(最近の言葉では Quality of Life=QOL クオリティー・オブ・ライフ)を高める 上で大きな意味を持っていたといえよう。
事例2 Sさん(千葉県 故人)
Sさんは千葉県にある東京のベットタウンY市に住んでいたが、平成19年の初めに95才で亡くな った。子どもは、計6人(男2人、女4人)で、一番下の息子Mさん(50代のタクシーの運転手)
だけが未婚である。S さんは 10 年ほど前に夫と死別し、その後は末っ子の男性と同居していた。そ の他の兄や姉は、東京に住んでいて日帰りでもケアが可能であるにもかかわらず、母親の世話をする こともなく、さらに金銭的な援助をすることもなかった。
M さんは週に 6 日ヘルパーを頼み、部屋の掃除や食事の介助で助けてもらっていたが、介護にか かわる全ての費用(年間100万円ほど)を負担したうえ食事の用意、洗濯など日常生活全般の家事一 切を Mさんが行なっていた。これができたのは、Mさんがタクシーの運転手という時間に比較的拘 束されない職業についていたからである。S さんが死亡する前の7年間ほど M さんの精神的、肉体 的な負担は非常に大きく、それにたいして兄弟姉妹はまったく援助しなかったので、M さんと残り の親族との確執は激しく、いつも喧嘩が絶えなかった。
Sさんの住んでいたY市の地区は、比較的新しい住宅地域で、近所付き合いやコミュニティー的な 地域社会は成立していなかった。このため、事例 1 の Kさんのように、近所の人の助けは全く得ら れなかった。もちろん、部分的には行政による介護援助としてヘルパーの派遣を利用することはでき たが、それも現行法では介護必要度が最も高い(介護認定5)人でも、週7日、1日3回朝昼晩、そ れぞれ 1 時間(計 3時間)という限られた時間しか認められない。したがって、Mさんが仕事中は 本人にとっても M さんにとっても非常に不安であったと思われる。この点、日本における老人介護 は、まだまだ不十分であるといわざるを得ない。
S さんの場合、地域の親密な人間関係がないため近所の人たちの助けを得られず、さらに子どもた ちも全員が協力して母親の世話をするような人間関係も崩壊していた。もし、M さんの献身的な介 護と多大な肉体的・金銭的犠牲がなかったとしたら、S さんの老後はきわめて惨めになったにちがい ない。現状では、とりわけ都市的な環境のもとでは、子どもたちも自分たちの生活に追われて母親の 世話をする余裕がなく、家族の人間関係もかなり希薄になっている状況がみられる。これは程度の差
はあっても日本全体で起こっている現象でもあろう。それにしても、人生の末期を孤独と絶望のうち に生きなければならないとすれば、それは幸せな社会とはいえない。
日本では老人の孤独死が問題となってきているが、そのような現象はおそらく昭和 30 年代の高度 成長期以前の日本ではあまり考えられなかっただろう。老後を幸せにいきることは一人ひとりの「総 幸せ量」に大きく影響し、その総和である日本人全体の「総幸せ量」にも大きな影響を与える。しか し、残念ながら日本の現状は、家族の人間関係も地域社会の人間関係も、ますます弱まる傾向にあり、
強まる予兆はない。
金銭によって、老後の生活を快適なものにすることは、ある程度可能である。しかし、金銭で買え る物やサービスで孤独や不安は解消されない。やはり、老後を幸せに生きるためには、家族や友人・
知人、地域社会の人たちとの暖かい人間的な交流が絶対に必要である。しかし、金銭で買えるサービ スでさえ、政府による老人介護への財政的、人的補助がますますカットされ、自己負担分が増えてい て、次第に貧しい人たちにとって手の届かないものになっている。これが、人びとの不安を一層強め ている。こうした実情をうけて、民間で、行政からの補助を一部受けながら、老人介護にたいする新 しい試みがいくつか行なわれている。そのいくつかを以下に紹介しよう。
老人介護に対する新しい試み―多世代交流型施設―
少子化と家族の絆の弱体化は、現状を考えると避けられない傾向かもしれない。かといって、行政 がその間隙をすべて埋めることもできない。このような状況下で、子どものいない老人や、親族とは 別に暮らしている老人世帯で介護が必要であったり、自活はできるが一人暮らしの孤独だけは避けた い、と思う人たちも多い。今までにも、このような需要に応えるさまざまな民間施設が存在した。た とえば千葉県の、ある有名な施設を何度か訪れたことがある。この施設は森に囲まれ静かでとても環 境は良いが、入所には数千万円(5000 万円くらいかかる場合もある)が必要であるという。また、
たとえ経済的に余裕があったとしても、施設に家族が頻繁に訪問することはあまり期待できないよう だ。施設は、音楽界や映画など娯楽のプログラムをいろいろ用意しているが、それで孤独が癒されて いるとは思えない。これにたいして以下に紹介する二つの施設は、今後の老人施設のあり方、老後に おける幸せを考える上で大いに参考になる。
事例1 「愛知たいようの杜」「ゴジカラ村」(愛知県愛知郡長久手町)
社会福祉法人「愛知たいようの杜」グループは、幼稚園、託児所、特別養護老人ホーム、デイケア センター、リハビリセンター、看護福祉専門学校などの運営施設を13施設、NPO 法人1、そしてこ れらの施設がある長久手町の福祉コミュニティー「ゴジカラ村」の管理組織、「ゴジカラ村役場株式 会社」を統括している。これらの施設(大部分は「ゴジカラ村」にある)が存在する長久手町は名古 屋市の東に隣接し、近年、名古屋市の住宅地としても急成長を遂げている地域である。法人の理事長 である、吉田一平氏は 15 年ほどサラリーマンをしたが、あるとき生まれ故郷の長久手町の雑木林を 残したくて、子どもたちがひたすら遊べる、隠れる場所のある幼稚園を作ろうと思ったという。これ を手始めに、現在では雑木林 3000 平方メートルの「ゴジカラ村」敷地と周辺の飛び地にグループホ ームをいくつか持っている。
「たいようの杜」は「多世代交流自然村」を基本コンセプトとしており、それはあらゆる世代の人、
そして施設に関係ない人も自由に交流できるように全施設を開放しているところに特長がある。実際、
私が訪れたとき、託児所の小さな子どもたちが、特養老人ホームの入居者のいる建物を訪れ、おじい ちゃん、おばあちゃんに抱きついたり、話しかけたり一緒に遊んでいた。老人は老人だけの場所です ごす、というこれまでの老人介護の考えに反対し、「たいようの杜」は老人と子どもが交流する場と して複合施設を作ってきている。職員は時間で働いているので、勤務時間以後には、施設にいる「居 候」や飼っている動物が老人の相手をしてくれるようだ。「ゴジカラ村」には誰が入ってきても良い ので、近所の主婦などもいろんな行事に参加している。ここは文字通り、多世代交流自然村となって います。
「たいようの杜」を作った吉田氏のアイディアと構想は、GNH を考える上でとても示唆に富むの で、ごく簡単に紹介しておこう。吉田氏は人を「時間に追われる人」と「時間に追われない」人に分 ける。「時間に追われる人」は、能力があり目的をもってきびきびと動き回って活躍して、世の中を 動かしていると思っている人、大きな単位がいいと思っている人で、「時間に追われない人」は年寄 り、子ども、主婦など、時間がたっぷりあって、特定の目的を持たずに生活する人、無駄が多く、責 任を問われることが少なく、少人数が心地よいと感じる人だ。氏は、「時間に追われない人」の中で も特に、老人の幸せをどのように向上させるかが、今後の日本にとって重要な課題であると考える。
というのも、日本は高齢化社会に入り、「時間に追われない人」、もっと言えば、時間が有り余ってど うしようもない老人や、寝たきり老人がますます増えるからだ。
日本社会は、「時間に追われる人」にはさまざまな方策を講じて奨励したり配慮するが、「時間に追 われない人」には冷たい。社会ではこのような人たちは何の役にも立たない無用の人、むしろ厄介者 のようにみなす。しかし、吉田氏は、人は、何もしなくても存在するだけで価値があるという思想で、
「たいようの杜」を運営している。彼は「時間に追われている人」と「追われない人」の内容をさら に詳しく書いているが、それは別の報告で説明した。ここで大切なことは、もし「国民総幸せ量」を 増やすとしたら、「時間に追われない人」(実際には老人が中心)がどのようにしたら楽しく生きがい を感じることができるのか、という具体的な方法だ。「たいようの杜」「ゴジカラ村」は、確かにこの ような課題に答える、ひとつの方向を提示していると思う。
事例2 行徳ケアハウス「翔裕園」
平成 11 年 7 月に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」(Private
Finance Initiative=PFI法)が定められ、平成12年3月に具体的な実施方針が決定された。これは、
法律の名称の通り、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力および技術的能力 を活用して行なう新しい手法である。平成14年11月、千葉県市川市行徳に、PFI法に基づく新たな 福祉施設の運営事業者として「社会福祉法人長寿の里」が選定された。この事例では、施設の建設整 備は運営法人がおこない、施設完了後、自治体(市川市)が施設を買い取り、自治体と運営法人との 間で交わされる賃貸借契約により運営してゆくことになった。上記法人の運営者募集に(株)メディ コ・ジャパンが中核となってケアハウス「翔裕園」を設立し、30 年契約で運営を始めた。土地と建 物は市の所有で、法人は家賃を払って運営している。
この施設ができる経過は地域社会と老人福祉の問題を考える上で興味深い。この施設の設立は、地 下鉄東西線の行徳駅から徒歩7分のところにある、老朽化した中学校校舎の建て替え問題から端を発 している。地域住民から地域社会のニーズを満たす施設を、という要望が出され、それに市が応えて アイディアを募集した。最終的には、中学校、公会堂、保育園、ケアハウス、デイサービスセンター がひと続きの建物として設置された。中学校、保育園、ケアハウスの老人の空間は、扉でつながって いて、三者はさまざまな行事を通じて交流がある。施設では、花寿司など地元の伝統料理の作り方を 市民に教える機会を造り、老人に活躍の場を与えている。このような機会に老人は普段みられないほ ど生き生きと働くという。
2006年6月当時、50人の定員(10人が1ユニット)のうち49人が入所していた。法律では3人 の入所者に1人のスタッフが必要とされているが、ここには2.5人に1人のスタッフがいる。この施 設の入所者は主として近隣の住民であるため、家族が頻繁に訪問している。また、近隣の住民との交 流のため、花火大会などの際には屋上を市民に開放している。施設の中はホテルを思わせるように明 るく非常にきれいで、入所者や訪問者が憩うスペースも十分に確保されている。スタッフによるリハ ビリのプログラムも用意されている。
説明してくれた職員は、この施設の問題として費用が高いことを挙げていた。現在、費用は所得に より異なるが、介護保険を使っても 15~20 万円と高い。さらに、質の高いスタッフを常に確保する ことも、大きな問題だという。このような問題を抱えながらも、この施設は、老人を老人だけで孤立 させず、他世代との交流、近隣の地域社会との交流を重要視していること、老人にも活躍できる機会 を意図的に作っていること、などの点で、従来の老人ホームとは大きく異なっている。
「翔裕園」の周囲は、比較的新しい住宅地域であるが、地域住民の要望でこのような施設ができた ことは新しい方向を示しているように思われる。おそらく住民の間には、個々の家庭で親の介護をす ることは負担が大きすぎ、かといって、入居料が比較的安い従来型の老人ホームは希望者が多くてな かなか入所できないという現実の問題を抱えていた。さらに、そのような施設では老人だけが隔離さ れ活力を失ってしまうのではないか、という悩みを抱えていたにちがいない。この施設の場合、近く に住む家族が日常生活のなかで気軽に訪問できるというメリットをもっている。おそらく、このよう な方式は家族にとっても老人にとっても、ベストではないかもしれないが、なんとか受け容れられる システムではないだろうか。
老人だけを隔離して必要最低限のケアを施すという従来型老人ホームは、老人の幸せを願ってとい うより、厄介者を預けてしまう「うばすて山」のような印象を与えかねない。これにたいして「翔裕 園」や「愛知たいようの杜」は、親族だけでなく世代を超えたさまざまな人たち、地域に住む人たち との関係性を維持することの重要性を意識した施設となっている。いうまでもなく、孤独が辛いのは 老人だけでなく、ほとんど全ての人にとっても苦痛である。
B 知的障害者の療育現場から―特に自閉症児とその家族をめぐって―
2006 年度は知的障害者(特に自閉症児)とその家族のケアについて、主に「モリスト」というボ ランティア・グループの活動に直接参加して調査を行なった。また、これと平行して、千葉県の知的 障害児の療育を行なう NPO 施設でも若干の参与観察も行なった。知的障害児のケアについて調査を 行なったのは、老人介護の問題と同様、ハンディキャップを背負った人たちが日本でどのように扱わ れているかを知るためだった。もし、これらの人たちが社会的に冷遇されているようなら、日本人の
「総幸せ量」は大幅に割り引かなければないだろう。というのも、個人的であれ社会的であれ、「幸 せ」を考える場合には、ハンディを背負ったひとがどれだけ暖かく手厚いケアを受け、社会との関係 を保ちながら生きていることの喜びや充実感を味わえるかが重要な基準になるからである。
「モリスト」は 2003 年に静岡市の森林インストラクターが中心になって結成されたボランティア 団体である。当初は、森が好きな人たちの集まりであったが、メンバーの一人の男の子が自閉症であ ったことから、次第に森の中で楽しみながら自閉症の子どもたちのケアができたら、という方向に変 わっていった。当時、「森林療法」が次第に認知されつつあり、厚生労働省や林野庁も、森林という 環境がもつ心身への治癒的効果に着目するようになっていた。この分野では、すでに先行するグルー プが「森林療法研究会」という名称で活動し始めていたので、静岡の団体も「森林療法研究会・静 岡」という名称で、自閉症児をもつ家族を説得して本格的な活動を始めた。しかし、3 年経過した時 点で、自分たちは「研究」も「治療」も行なっていないから、という理由で会の名称を「モリスト」
に変更した。これは、森を愛するひと、森と生きる人、森のスペシャリスト、などの意味を含んでい る。現在まで、「モリスト」はNPOのような法人組織にはなっておらず、有志会員によるゆるやかな ネットワークという形態をとっている。
「モリスト」は定例の活動を月に1回行い、それ以外に森に関連した臨時のイベントを年に数回実 施している。私は2006年の7月のイベントから計5回参加した。他の地域で行われている森林療法 研究会の活動は通常、障害児だけを集め、カウンセラーや医者などの専門家が中心となって「治療」
を施すという体裁をとっている。これにたいして「モリスト」は以下のような方針で活動を実施して いる。
1) 障害児が単独で参加するのではなく必ず家族単位で参加することが原則となっている。
2) しかも、全ての行事には障害児ファミリーだけでなく健常児ファミリーも参加すること。私が 参加したイベントでは、両ファミリーの割合は一定しないが、6対4くらいで障害児ファミリ ーの方が多かった。1回のイベントに参加する人数は平均50~60人くらいであった。
3) もうひとつ大きな特徴は、1 ファミリーに必ず 1 人、「モリスト」会員のスタッフがつく。活 動は山や川で行なわれるので、子どもたちの安全確保と両親が安心して参加できるよう配慮し たためである。
4) 自分たちが障害児を「治療している」、という意識を持たず、一緒に森を楽しむというスタン スを貫く。
「モリスト」は、その活動に関しては参加家族と、会のメンバーの記録や感想をまとめて、2006
年12月に『MORIST』(モリスト発行、静岡)を出版した。詳しくはこの本を参照されたいが、私が 参加して得られた、GNHとの関連で興味深い点をいくつか挙げておこう。
1) 通常、自閉症児のケアにたずさわる人たち(とりわけ専門家と称する人たち)は、当の子どもだ けを対象として「治療」にあたる。しかし彼らは、その家族が精神的・肉体的に疲労している場 合が圧倒的に多いにもかかわらず、家族に対するケアをまったくしない。これにたいしてモリス トの活動では、スタッフが自閉症児と一緒に行動してくれるため、両親はその間だけでも開放さ れる。両親は、この活動のおかげでリフレッシュできること、そして彼らにとってモリストの存 在が大きな励ましとなっており、自閉症児を抱えて生きてゆく力をもらっていることを書いたり 語っている。
2) イベント当日の夜、スタッフが参加した家族(自閉症児と健常児双方の)に電話をして、その日 のイベントの感想や子どもたちの精神的、身体的な様子を確認するが、ほとんどの場合、両親、
子どもたちの心身の状態は非常に良いとの返事が返ってくる。何より、これらの家族は次のイベ ントを楽しみにしているようだ。
3) 現代医学では、自閉症は脳症、つまり脳の器質的疾患であり心の病ではないので、心理療法では 治らず、症状の一部を薬で抑える以外治療方法はないとされている。しかし、当初からのモリス ト会員の話では、モリストの活動に参加している自閉症の子どもたちの状態は、以前と比べて明 らかに良くなっているという。私自身が担当した自閉症児も、最初は健常児かと思ったほどだっ た。
4) モリストの活動で、重要な点のひとつは健常児とその家族も合同で参加することであるが、これ は、健常児もその家族も、自閉症児という存在を受け入れ、その家族を励ます効果をもっている。
また、2007 年 4 月のイベントの際には中学生の健常児が、誰にも指示されないのに、小学生低 学年の重い自閉症児の世話をごく自然におこなっていた。これも、「モリスト」方式の大きな成 果である。
5) 参加家族だけでなく、スタッフも含めて、森の中で1日過ごすことによって、すばらしい爽快感 を得ることができるし、スタッフとして自閉症児とのコミュニケーション(これは言葉や会話と いうより、スキンシップや行動をとおしてということになるが)ができたときの喜びは非常に大 きいことを私自身も実感している。
以上のような「モリスト」の活動を、従来型の施設と比べて見ると、その差はあまりにも大きい。
私がかかわったNPO法人の障害児施設では、狭い室内で10人強の子どもたちが、養護学校が終了し たあと、2 時半頃からバスでやってくる。あるいは親が直接車で連れてくることもある。施設の中で は、障害児だけが狭い空間で、互いに何の交流もないまま、バラバラに動き回っていたり、じっとし ているだけである。施設では、親のお迎えがくるまで事故が起こらないことに集中している。いずれ にしても、自閉症児が他の健常児と一緒に遊んだり、一般の人と接触する機会はほとんどない。
親の方も、たとえ可能でも、契約した終了時間ぎりぎりにならないとお迎えにこない、など、一秒 でもながく子どもを施設にあずけておきたい様子が見てとれる。また、自閉症児が家族にいることを あまりオープンにしたくない雰囲気もある。「モリスト」の場合には、障害児をもつ家族がそのこと
を世間にオープンにしていて、できるだけ社会になじませようとしているのとは対照的である。
2005年10月に障害者自立支援法が国会を通過した。障害認定についての詳細はまだこれからであ るが、いずれにしても、基本方針は「自立」をうながすという表現のもとに、実際には障害者とその 家族に、より多くの負担を強いるものである。現代の日本では、「時間に追われている人」にたいす る配慮はあっても、病をもった病人、老人、障害者など、ハンディキャップを負った人たちに対する 理解と援助は、財政難を理由にますます弱くなっている。これは、将来に対する不安を国民一人ひと りに抱かせる。なぜなら、私たちはいつ病気になったり、事故にあって障害をもったり、親族に障害 者をもつことになるかもしれないからである。このような状況は、明らかに国としての「総幸せ量」
を高めることにはならないだろう。
別の報告で詳しく触れるつもりであるが、国際比較でみると日本は、教育の機会、健康、収入・財 産を総合した「豊さ」では上位に位置するが「幸福度」ではかなり下にランクされているのは、この ような事情によるのではないだろうか。次に、地域社会と幸せとの関係を、栃木県小山市と、沖縄県 西表島・祖納のフィールド調査からみてみよう。
C 地域社会の人間関係と満足度
栃木県小山市の市民夏祭り
小山市は東北本線、東北新幹線の停車駅をもつ、人口 16 万人ほどの都市である。市の北部を思川 が流れ、小山城跡を有する、落ち着いた城下町でもある。小山に住む友人より「小山の人の満足度は 高い」という話を聞いて、市民祭りに合わせて町の様子を観察しに行った。あいにく、このころより 体調が悪くなりはじめ、当初予定していた調査は十分にできなかった。私が当市で観察したのは、祭 りの準備をしている市民の様子と「ネパール館」に出入りする人たちの観察だけだった。
「ネパール館」は、白鵬大学の教員、白鵬大学に在籍する5人ほどのネパールからの留学生が主催 した。20 畳ほどの空間の「ネパール館」では、ネパールの写真を展示し、民芸品を売っているほか、
お祭りに合わせてネパールから来日した、ネパールを代表するマンダラの画家が作品の展示をし、歌 手がネパールの民族楽器を持参して日に何回か歌った。このほか、この館では留学生が作ったカレー や飲み物を提供していた。
ネパールと直接関係のない小山市民がどんな反応を示すのかを観察したが、ネパールの人たちを、
あたかも自分たちと同じ市民、仲間という感じで受け容れ接触していたことが印象的だった。また、
町の人が皆知り合いのような雰囲気で談笑し、人びとの動きがゆったりとしていて緊張を感じない。
どことなく一体感がある。同じような市民祭りが私の地元の八千代市でも毎年行なわれるが、このよ うにくつろいだ雰囲気はない。おそらく、東京のベッドタウン化していて常に外部からの住民が流れ 込んでいる八千代市とはちがって、小山では昔からの住民の割合がかなり大きいことが、この差を生 んでいるのかも知れない。しかし、この町にかんしてはこれ以上のことは分からず、さらに継続的な 調査が必要である。
沖縄県西表島祖納地区
西表島祖納地区には、往復の交通に要した日数を除いて、実質的に3日間滞在した。今回の調査目 的は、節祭(シチ)の前夜祭と祭りを通して、コミュニティーとしての一体感や人間関係と幸せ感と の関係を観察することであった。一つのコミュニティーの人間関係をわずか3日間で知ることはもち ろん不可能である。以下は感想の域を出ないが、気がついた点を整理しておく。
シチは、今や沖縄以外でも広く知られるようになったお祭りであり、外部からシチを見るために観 光客がやってくる。この祭りは、農作業の年度変わりに行なわれる、一種の正月儀礼であり、今年の 豊作にたいする感謝と、来年度の豊作祈願を目的として行なわれる。11 月 6 日には、感謝と招福の ためのさまざまな儀礼が海岸の砂浜で行なわれ、翌7日は井戸への感謝儀礼から始まり、正装した人 たちの行列が地区の主要施設をひとつひとつ巡ってゆく招福の行事が行なわれる。
シチをとおして感じられるのは、これがあくまでも住民のための祭りであり、観光行事として外部 に向けてアピールしようという姿勢が全くないことである。この点は、半ば観光行事化した石垣島の 祭りとは異なる。シチに合わせて、西表出身で現在は別のところ出に住んでいる人も帰ってくる。私 は埼玉県から来た中年の男性にも出会った。もっとも、お盆と正月に帰省する習慣は日本全国で今で も行われているので、これは特別なことではないかもしれない。地域社会の人間関係という観点から 私の印象に残ったのは以下の点であった。
まず、シチの準備から祭りそのものをとおして、住民があたかも一つの大家族、共同体であるかの ような親和的な人間関係を感じた。このような人間関係は、今でも日本各地の農村で見られるが、祖 納地区では特に強く感じた。この地区では、近年かなり衰退してしまったが比較的最近まで、ユイマ ール(本州の「ゆい」と同じで、農作業などを共同で行なう慣習)が機能していた。80 歳くらいの 女性の話では、彼女の若い頃はユイマールが実行されていたという。実際の共同労働が行なわれなく なった今日でも、その精神は人びとの心に残っているものと思われる。
次に、シチは「祈り」の要素が強い。棒術や獅子舞のような娯楽的要素も含まれるが、ゆったりし たテンポで延々と繰り返される歌と踊り、海岸の砂浜に独特の装束に身を固めた女性(アンガマ)の 行進と、ミルク様(明らかに「弥勒」を連想させる神様)の前で奉納される踊りなど、祭りは「祈 り」の要素に強く彩られている。これは、海岸での通常の儀式が全て終わり、ほとんどの人が引き上 げた夕刻に、海岸にしつらえた桟敷の上で行なわれる、巫女による祭りの終焉儀礼に最もはっきりと 現れている。6日に夕刻には4人の巫女と数人の男性が、唄とも呪文ともつかない祈りを延々と続け る儀式である。この時使われる言葉は、古い島の言葉で、私にはひと言も理解できなかった。
祭りのほとんどは、豊作祈願であれ、疫病退散であれ、宗教儀礼的な起源をもっており、その儀礼 をつうじて住民の一体感を確認することが大きな目的となっている。これはどこの祭りでも同様であ るが、特定の役職者を除いて、宗教的色彩は薄れて形だけになっている場合が多い。しかし祖納のシ チの場合、人智を超えた力にたいする非常に素朴な祈りの精神が共通にあり、これが人びとを結びつ ける上で大きな役割を果たしているように思える。
共同体的な人間関係といい、祭りに見られる一体感といい、祖納地区の人々の人間関係が非常に緊 密であるのは、この地域の人々の生活史と深い関係があるに違いない。考えられるひとつに理由は、
この地域がかなり長い間、自給自足に近い生活を送ってきたという経緯である。実際、現在でも、生
活用品を売っている店はこの地区でひとつしかない。人々は、必要なもの(とりわけ食べ物)を分か ち合うことによって生活を成り立たせてきたにちがいない。実際、年配の人の話によれば、昔は現金 をほとんど使わなかったという。実際問題として、西表島は、衣食住にかんしてはほぼ自給できる自 然条件に恵まれている。地理的に見ても、西表島は石垣島や沖縄本島からさえも海で隔てられた離島 であるうえ、1972 年まではアメリカの施政権下にあり、本土との自由な交流もできなかった。これ らの自然的・歴史的条件のもとで、自給自足的な性格はずっと続いていたはずである。
シチが終わった夜に、いろいろな家で宴会が催されるが、そのときには新鮮な刺身をはじめ魚介類 がふんだんに出された。これらの魚を売っている店はないのにどうして調達しているのかを聞いたと ころ、はっきりとは答えてくれなかったが、どうやら漁船をもっている漁師から買ったり、もらった りしているらしい。後者の場合、あとで何らかの形で返すことになるのだろう。ただし、直接的な 物々交換をするとは限らず、時間をおいて最終的に帳尻が合うように交換が行なわれているようだ。
自給自足といっても、個別の家族が全ての必要を満たすことはできないので、限られた生活資源を分 かち合ったり、ユイマールのように共同労働が必要になる。
祖納地域の人間関係で注目すべきことは、通常、共同体的性格の強いコミュニティはよそ者に対し て排他的になるが、ここではよそ者をも受け容れるオープンさをもっているように見える。これは、
明治学院大学の学生や教員を祭りの中に取り込んだり、住民として受け容れたり、また、先に紹介し た、巫女による締めの儀礼に私も同席を許されたことなどからも分かる。
おそらく、現金で評価した住民の消費水準は、本土のそれと比べてかなり低いと思われるが、人々 の生活や表情にどことなく余裕を感じるのは、助け合い分かち合うことからくる心地よさや安心感の せいではないだろうか。西表島にも、現金経済、市場経済の波は否応なく押し寄せているが、今のと ころ何とかそれに流されずに踏ん張っている、という状況である。もし、住民に幸せに関するアンケ ートをとったら、かなり高い幸せ度をしめすのではないだろうか。
今年度のフィールド調査で何らかの結論を導くことは不可能であるが、人間関係の良し悪しが、私 たちの幸・不幸に大きな影響をもっている、という私の仮説(見通し)はそれほど間違っていないと いう印象を受けた。これを踏まえたうえで、GNH の原理的な議論と国際比較などを中間報告として 行なうことにしたい。
(資料3) ブータン・フィールドワーク報告書
小田義起(明治学院大学大学院国際学研究科博士前期課程2年)
2006年3月14日から4月4日までの3週間、ブータンでインタビューと参与観察によるフィール ドワークをおこなった。このフィールドワークを実現できたのは、明治学院大学 GNH 研究会の支援 による。ここでその支援に対して感謝の意を表したい。同時に、本報告書の提出が帰国後かなりの月 日を経てからとなったことをお詫びしたい。
フィールドワーク期間中、特に2週間は南部ブータン、シェムガンZhemgang県のブリBuli村に滞 在した。一昨年、GNH 研究会の大岩圭之助教授が数日間ではあるが、やはりこの村に滞在している。
大岩教授に教えていただいたブリの様子が、この村への滞在を決める大きな要因となった。今回のフ ィールドワークに先立つわたしの初めてのブータン訪問は、2005 年 9 月に大岩教授のゼミの校外実 習に同行することで実現した。この時、GNH(Gross National Happiness)という概念を打ち出し、経 済指標よりも「幸せ」を開発のものさしにしようとするブータンという国家に関心をもった。GNH のひとつの柱が伝統文化の保護である。伝統的な生活と輸入されてくる情報やものがある部分ではゆ っくりと、ある部分では急速に混ざり合っていく様子が印象的であった。この時は時移動時間が長く、
一箇所に留まって調査することができなかった。その反省から、今回は2週間――これでも十分な時 間とは言えないが――同じ村に滞在することを決めた。
大岩教授が滞在された時点ではブリにはまだ電気が登場していなかった。それがこの1年の間に各 家に電灯がもちこまれていた。その事実は日本を出発する前に、ブータンでコーディネーターを務め てくださったペマ・ギャルポPema Gyalpo氏からうかがっていた。この変化に対する反応を知ること がフィールドワークの目的のひとつであった。もうひとつ興味深かったのが、この村が聖地であると いうことである。村の南の森の中に湖があり、この湖の〈主〉は村の信仰体系の重要な一部をなして いるということであった。そして村には、代々女性が湖の世話人を務める家族がいる(ブータンは女 系制である)。この湖信仰についての知識を深めることも目的となっていた。
ブータンの首都ティンプーで話され、公用語のひとつとなっているのはゾンカ Dzongka(これ以外 の公用語は英語とネパリである)だが、ブリの近辺ではケンパ Khengpa という言語が話されている。
今回ガイドと通訳を務めてくれたソナム・デンドップSonam Dendup氏はケンパ語圏の出身であった。
2 歳しか年が違わないということもあって、様々な話題について気兼ねなく話せる仲になることがで きた。彼は調査の通訳を務めるのは初めてで、通訳の仕方や調査の進め方で衝突することも何度かあ ったが、最後には「兄 Acho」、「弟 Nucho」と呼び合うようになった。ドライバーを務めてくれたの はケンザン・チェダKuenzang Choeda氏である。村へ到着してドライバーとしての役割を終えてから も調査に同行してくれ、年長者の立場から、儀礼へ参加する際のマナーなどについてアドバイスを与 えてくれた。時には息抜きのためブータンの遊びを教えてくれた。彼はデゴ Daego という石を投げ て的の近くへ落とすゲームの名人である。このふたり、そしてティンプーからサポートしてくれたペ マ・ギャルポ氏の協力がなければ今回のフィールドワークは成り立たなかった。コーディネーターの ペマ、通訳のソナム、ドライバーのケンザン、この三氏にもこの場で感謝したい。