公立学校における生徒のビラ配布の自由と修正第1 条 : Heinkel v. School Board of Lee County事件 判決を素材として
著者 大島 佳代子
雑誌名 同志社政策研究
号 1
ページ 108‑116
発行年 2007‑03‑15
権利 同志社大学政策学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011091
公立学校における生徒のビラ配布の自由と修正第1条
――Heinkel v. School Board of Lee County事件判決を素材として
大島 佳代子
1.
はじめに1969年、アメリカ合衆国連邦最高裁はTinker判決1)において「生徒は表現の 自由という憲法上の権利を校門をくぐるなり捨て去ったとはいえない」2)と述べ、
学校における生徒の表現にもアメリカ合衆国憲法修正第1条の保護が及ぶこと を認めた。Tinker事件では、ベトナム戦争に反対する意思表示として生徒が黒腕 章を着用することを禁じた教育委員会規則の合憲性が問題となったが、連邦最高 裁は、腕章の着用は純粋な言論とほぼ同じであり3)、修正第1条の保護を受ける ものである4)とした上で、かかる権利は「教室での学習を著しく妨害したり、実質 的な混乱を招いたり、他人の権利を侵害しない限り」認められる5)と判示した。
Tinkerテストと称されるこの基準は、「明白かつ現在の危険」よりも緩やかな基準で
あるが、このような基準が適用される背景には、教育環境という特別な状況に対 する連邦最高裁の考慮の跡が窺える6)。連邦最高裁も自ら、1986年にFraser判決7)
の中で「公立学校における生徒の憲法上の権利は、自動的に、他の状況における 成人のそれと同じように認められるわけではない」8)と明言している。
そこで実際には、学校関係当局は、生徒の表現の自由に対するさまざまな規制 を行っており、その合憲性をめぐって多くの訴訟が提起されている。本稿では、比 較的最近出された連邦控訴審レベルの一事例(Heinkel v. School Board of Lee
County9))の紹介を通して、公立学校における生徒の表現の自由について若干の
考察を試みるものである。
2.
本件訴訟に至るまでの事実経過(1)2003年4月初旬、非営利団体である「学習する自由」(Freedom to Learn)は、
教育委員会に対して、その管轄内の学校に通う生徒たちが4月11日に学校で「追 悼の日」(the Day of Remembrance)の催しを行う予定であることを通知した。「追 悼の日」とは、選択的堕胎によって失われた4000万の子どもを思い出し、堕胎し た女性の痛みを思い出すための日である。また、「学習する自由」は、生徒たちが 学校でビラを配布するつもりであることも伝えた。これに対し、教育委員会は、同 委員会が学校の敷地内でのビラ配布を規制する明文の規則(policy)を有してい ることを告げ、「学習する自由」に対して同規則のコピーを渡した。「学習する自由」
は、4月10日に当該規則に従い、Lee郡教育長James W. Browderに対し、生徒た ちが配布する予定のビラのコピーを提出したが、同日、教育長は当該ビラが学校
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環境に実質的混乱をもたらしうるとして、配布することを認めなかった。
(2)当該規則10)は、以下のように規定している。
【Paragraph4】ビラ配布による広告
(a)学校で生徒に配布されるいかなるビラも、その配布の許否を判断するために 教育長またはそれによって指名された者に対して提出されなければならない。
(b)教育長またはそれによって指名された者は、その許否を判断する際に、次 に示すParagraph(1)(a)の基準に従わなくてはならない。
(Paragraph (1)(a))
各学校の校長は、校内において企業や団体の名前の入った看板その他の展 示物で広告を行うことについて許可する権限を与えられている。校長は、ま た、広告するために校内やその一部を使用することの許可を与える権限も有 している。
校長は、広告主から基金や資産を受け取る場合にのみ、広告の許可を与え ることができる。
(Paragraph (1)(b))
校長は広告の許否を決定する際に、以下の基準に従わなくてはならない。
1. 広告はわいせつであったり、または未成年者が法的に購入したり使用した りすることが禁じられている物やサーヴィスを宣伝したりするものであっては ならない。
2. 広告は誹謗中傷を含むものであってはならない。
3. 広告は、政治的、宗教的または団体のシンボルを含むものであってはなら ないし、改宗を勧めるものであってはならない。
4. 広告は、学校環境に実質的混乱を招くようなものであってはならない。
(3)翌2004年1月29日、Lee郡教育長Browderは「学習する自由」に対し、2004年 の「追悼の日」にビラを配布する場合には、配布予定日の少なくとも1週間前に許可 を求める申請を行うよう手紙を送ったが、申請はなされなかった。
Cypress Lake 中等学校の7年生であったHeinkelは、2004年の「追悼の日」を祝 うために、「追悼の日Tシャツ」を着て、授業時間外は沈黙を誓い、堕胎や堕胎の他 にとりうる道について書かれたビラを級友に配るつもりでいた。そのTシャツの前 面には「追悼の日、1973年以降堕胎によって失われた4500万の命。沈黙の中で 思い出す」と、背面には「われわれは話すことのできない者たちの声を伝える。わ れわれは決してできなかった者たちの代わりに主張する。われわれは失われた同 世代の1/3を思い出す」と記されていた。
Heinkelはビラ配布の許可申請をしていたわけではなかったが、前年にビラ配布 の申請をした際に教育委員会規則が適用されビラ配布が認められなかったことか ら、2004年の追悼の日に再び彼女のビラ配布の機会が否定されないように、教育
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委員会に当該規則の適用を禁じる差止めを求めて、2004年3月26日に彼女の母親 を通して提訴した。
(4)これに対し、同年4月14日に連邦地方裁判所は差止請求を棄却した。そこで、
Heinkelは4月14日と15日の両日、2004年の追悼の日(4月16日)に堕胎に反対する ビラ配布の許可を求める手紙を2通、教育長宛にファックスで送った。4月15日に
は、Heinkelの弁護士も、彼女の要求を繰り返すとともに、自ら高校生にも同じビラ
を配布する旨の許可申請の手紙をファックスで送った。
けれども、同日、教育長は、規則に従ってビラを審査したうえで、当該ビラの配布 が学校環境に実質的な混乱をもたらしうると判断したとして、Heinkelが彼女の通う 中等学校でビラを配布することを認めなかった。その際、教育長は、高校で同ビ ラを配布すること(弁護士の申請)および「追悼の日Tシャツ」の着用を禁じることに ついて見解を示したわけではなかった。
これを受けて、2004年4月16日、Heinkelは、本訴を宣言的判決、仮差止命令と 本案的差止命令、および損害賠償を求める訴えに変更した。これに続いて、当事 者双方が正式事実審理を経ないでなされる判決(summary judgment)を求める申 し立てを行い、連邦地裁は、Heinkelの主張は法律問題を欠くとして退けた。そこ
で、Heinkelは、当該規則が事前に言論を制限するものであり文面上違憲であるこ
と、また、言論を禁じる当該規則をHeinkelの申請に適用することは違憲であると 主張して控訴した。
3.
当裁判所の判断3.1.文面違憲の主張について
(1)連邦地裁は、当該規則が表現内容に基づく規制であることを認めたうえで、当該 規則はビラ配布の許否を決定する際の教育委員会の裁量行使の指針となってい るが、それを制限する安全弁を欠いていると判示した。また、連邦地裁は、安全弁 の欠如は厄介(troublesome)であるとみなしている。われわれも、これに同意する。
(2)生徒が配布前に教育長に対してビラを提出するという要求自体は違憲ではな い。しかし、本件で問題となっている規則は、言論を事前に抑制するものであり 違憲である。すべての宗教的、政治的シンボルを禁止する当該規則は表現内容 に基づく制約であり、このような表現がすべてLee郡の諸学校において実質的な 混乱を招来しうるという教育委員会の合理的な信念によっては正当化されない。
また、当該規則には、教育委員会が文書配布の申請に対して回答しなければな らない時間的制限についての規定が存しない。このように、当該規則は恣意的 な検閲(arbitrary censorship)の重大な危険がある。以上のような理由に基づいて 当該規則は文面上違憲であると解されるから、教育委員会によって使用されては ならない。
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3.2.適用違憲の主張について
(1)記録と書面を審査した結果、われわれは、教育長が彼女の申請を拒否したこ とに対する主張に関し、連邦地裁が教育委員会を支持する判決(summary judg- ment)を下したことに誤りはないと結論づける。
(2)Heinkelの申請を拒否した教育長の手紙は当該規則に言及しているけれども、
その中で教育長はとくに、彼女が配布したいというビラを自ら審査したうえで申請を 拒否したこと、その際に当該規則にだけ判断の根拠を置いたのではなく、自身が
「当該ビラが学校環境に実質的な混乱を招来しうるものである」と判断したと主張 している。この基準は、Tinker連邦最高裁判決において初めて示された、生徒の 表現の自由に対する制約の合憲性を判断する際の基準である。同判決において、
連邦最高裁は、生徒の表現が学校運営に必要とされる適切な秩序を著しくかつ 実質的に妨害するようなものでない限り、もしくは他者の権利と衝突しない限りは、
生徒の表現活動を寛容に扱わなくてはならないと判示している。また、この基準の 下では、はっきりとしない不安や混乱発生の懸念があるというだけではこの基準を 満たすものではないが、生徒の表現が教育活動に実質的な混乱を引き起こすか、
または著しく妨害すると学校が合理的に予想した場合には、それを禁止するため に、学校は実際に混乱が発生するまで待つ必要はないとされる。
(3)かかる基準を適用し、連邦地裁は、堕胎に反対するビラを級友に配布するとい
うHeinkelの要求を教育委員会が拒否したことは合憲であると判示した。連邦地裁
は、このようなビラの配布が学校の規律を著しくかつ実質的に混乱させると教育長 が合理的に結論づけたと判決を下すにあたって、Heinkelが中等学校の生徒であ るという事実はとりわけ説得力があると述べている(つまり、彼女が堕胎に反対す るビラを配ろうとした級友たちは11歳から14歳である)。証拠もまた、バースコントロ ールや堕胎が中等学校のカリキュラムに含まれていないこと示している。教育委員 会側の証人である保健体育の教師は、証言の中で次のように説明している。すな わち、「われわれは学校において堕胎について議論しない。なぜなら、それは、怒 りを生むような非常に感情的な問題であり、クラスを対立させ、教育の場を混乱さ せるからである」。これらのことは、正当に配慮すべき理由だと思われる。
(4)われわれは、連邦地裁の判断――証拠には、ビラ配布によって教育活動に実 質的混乱や著しい妨害が招来されうると学校当局が予測するに至った合理的な 事実が示されている――に明白な過誤があるとは言えないと判断する。われわれ が過去に説示したように、「憲法の合理的な要求に反しない限り、表現と規律の比 較衡量は教育行政機関や教育委員会の判断に敬譲してなされる」。従って、連邦 地裁の判決は、Heinkelが文書配布の要求を否定されたこと対してなした申立て につき、教育委員会の主張を認めた限りで支持される。
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3.3.結論
以上の理由から、当裁判所は、以下のように判断する。すなわち、連邦地裁判決 のうち、
(a)Heinkelの文面違憲の主張に関し、教育委員会の主張を認め、また差止請求 を棄却した部分は、破棄する。
(b)Heinkelの適用違憲の主張に関し、教育委員会の主張を認めた部分は維持 される。
4.
解説4.1.生徒の表現の自由の保障範囲
1969年にTinker判決が出される以前は、学校関係当局は、いかなる理由であろ うと生徒の表現を制限し得ると解されてきた11)。というのも、20世紀中葉まで学校 関係訴訟において市民的権利の主張がなされることが稀であったこと、問題とな っている規則を裁判所が審査する際には一般的に合理性の基準を用いてきたこ と、更に、裁判所が学校関係当局に広範な裁量権を認めていたのでほとんどの 規則の合理性が肯定されてきたことによる12)。それゆえ、生徒の表現の自由が憲 法上保障されることを認めたTinker判決は重要な意義を持つものである。しかし ながら、裁判所の態度には、教師の専門的判断や彼らの果たすべき責任に敬譲 する傾向がみられる13)。
まず、修正第1条は、学校が果たすべき教育的使命と矛盾するような生徒の表 現を許容するものではない14)とされる。これまでも、例えば、低俗・わいせつ・卑 猥な表現15)や不快な言葉16)などを学校が規制することは、修正第1条に違反し ないとされてきた。連邦最高裁も、高校の生徒会役員選挙の応援演説の際に、性 的たとえを用いたことを理由に停学処分を受けた生徒が提訴したFraser判決にお いて、「公の討論において低俗で不快なことばの使用を禁止することは、公立学校 教育のきわめて妥当な役割」17)であると述べている。次に、これらの言葉を含ま ない生徒の表現行為は、それが教育活動を実質的に混乱させたり著しく妨害しな い限りで許される。Tinker ルールによれば、妨害の懸念だけでは表現の自由を制 限することはできず、規制が正当化されるためには、混乱の発生が合理的に予測 可能であることを学校関係当局が立証しなくてはならない18)。Tinker判決以降、下 級審レベルでは、具体的事実との関係で、実質的混乱や著しい妨害の発生の可 能性19)、学校側の予測の合理性が検討されている。これら下級審の具体的検討 は別稿を予定しているので、ここでは一例を挙げるに留めるが、例えば、抗議行為 として静かに体育館から退場した行為によって重大な人種的対立が招来されうる とした学校側の判断が支持されたケース20)がある。そもそも事件のあった高校に は黒人生徒と白人生徒の人種的対立の土壌があったようであるが、このケースの ように表現行為の外形からだけでは実質的混乱の可能性の有無の判断が難しい 場合があり、また、表面上は同じようにみえるスト行為や署名行為であっても、個別
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具体の状況によって表現行為として認められるか否かの違いが生じうる。したがっ て、裁判所には、個別の状況をよく知りうる学校側の判断を尊重する傾向があるよ うに思われる。
更に、Tinker判決は、当該表現行為が他の生徒の権利を侵害する場合にも制
約が許される21)と述べ、その例として「安全の権利」と「放っておいてもらう権利」
を侵害した場合を挙げている22)。前述のFraser判決において、連邦最高裁は、「学 校や教室においてあまり一般的でなく議論の多い見解を主張する自由は、社会的 に適切である行動の限界を生徒に教える社会的利益とバランスを図らなければな らない。民主社会において最も熱烈な政治的論議であってさえ、他の参加者や聴 衆の個人的な感受性に対する配慮が要求される」23)と述べ、他人(学校の場合に あっては、他の生徒たち)の感受性に配慮することの必要性を強調している。
4.2.本判決の合憲性判断基準 4.2.1.文面違憲に関して
本判決は、同裁判所(第11巡回区控訴裁判所)がUnited State v. Frandsen24)に おいて「表現行為がなされる前に、政府が言論市場へのアクセスを否定しうる場合 には、表現に対する事前抑制とみなされる」25)と判示した部分を引用し、本件教 育委員会規則が言論を事前に抑制するものであって違憲であると判断している。
具体的にいえば、本件の場合は、表現行為に対する事前の抑制の上に、すべて の宗教的、政治的シンボルを禁止する表現内容に基づく規制であることから、この ような表現行為がすべて実質的な混乱をもたらすという合理的な信念によっては 正当化されないとされたのである。
加えて、「許諾の判断をしなければならない期間の制限を欠く事前抑制は恣意 的な抑制の危険を孕み、それゆえ違憲である」26)とした前述のFrandsen判決、な らびに、「表現内容に基づく事前規制の場合には、明記された期間内に表現行為 の許否の決定をなすことが保証されなければならない」27)としたSolantic, LLC v.
City of Neptune Beach判決の二つの先例を引用して、時間的制限を欠く本件規 則を文面上違憲と結論づけた。
4.2.2.適用違憲に関して
本判決においては、Tinkerルールの下、当該ビラの配布によって教育活動に実 質的混乱や著しい妨害がもたらされると予想した教育長の判断に明白な過誤はな いとされている。この結論を導く際に、裁判所は、とりわけ、Heinkelが中等学校の 生徒であることを重視している。具体的には、彼女が堕胎に関するビラを配布しよ うとした級友たちは11歳から14歳という年齢であること、堕胎やバースコントロール というテーマが中等学校のカリキュラムにないこと、更に、堕胎というテーマが感情 的でクラス内に対立を生むものであることが考慮されているのである。本判決自身 は直接引用してはいないが、このような他者の感受性に対する配慮を重視する判 断姿勢は、Fraser判決にみる連邦最高裁と同一のものといえよう。
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4.2.3.本判決の問題点
本判決の特徴は、問題となっている教育委員会規則が表現内容に基づく事前 抑制に当たり違憲と判断したことにあるが、その論理的根拠は必ずしも明確では ない。その短い判決文からは、当該規則がすべての宗教的、政治的シンボルを禁 止する表現内容に基づく事前の制約である故に違憲とされたのか、ビラ配布の許 可申請に対する回答の時間的制限についての規定を欠く、つまり恣意的な検閲 とならないよう判断権者の裁量をコントロールするための安全弁を欠くが故に違憲 とされたのかが不明確である。仮に、当該規則が回答のための時間的制限を設 けた場合には合憲と考えられるのか、疑問が残る。
また、本判決においては、教育長が、ビラ配布の許否の判断に際して、当該規 則にだけ判断の根拠を置いたのではなく、「当該ビラが学校環境に実質的な混乱 を招来しうるものである」と自ら判断したと主張している。そこで、この教育長の判 断の合理性が審査され、この判断に基づいてなされたビラ配布の拒否は合憲で あるとされた。このように、本件は、明文のルールがあっても、それとは別に、学校 関係当局はTinkerルールに基づいて生徒の表現の自由を規制することが可能で あることを示唆している。もっとも本件規則は「広告」ビラの配布に関するものであ って、厳密にいえば、当該規則だけをもって本件ビラの配布を禁止することの方が むしろ問題であったかもしれない。とはいえ、本判決だけをみるならば、広告ビラ の配布については当該規則が事前抑制に当たり違憲とされている一方で、政治 的言論については中等学校の生徒であることが強調されて規制が合憲とされたこ とに、成人の修正第1条の世界ではみられない逆転現象ともいうべき状況28)が生 じているといえよう。
学校が公教育機関として果たすべき使命や教師の専門性に対して裁判所が敬 譲の態度を示すこと自体は非難されるべきことではない。しかしながら、過度の敬 譲はTinker判決のそもそもの意義を没却することになり得るであろう。「憲法が規定 する原理、例えば、表現の自由の意義を教えることは学校の重要な役割である。
学校で表現が制限されることは、この教えに逆らうものである」29)との指摘は、社 会における礼儀の習慣や作法を教える学校の役割と生徒の表現の自由との調整 の難しさを前にしたとき、改めて傾聴に値するもののように思われる。
註
1)Tinker v. Des Moines Independent Community School District, 393U.S.503 (1969).
2)Id.at 506.
3)Id.at 505.
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4)Id.at 506.
5)Id.at 513.
6)Id.at 507.
7)Bethel School District No.403v. Fraser, 478U.S.675(1986).
8)Id.at 682.
9)__ F.3d. __, 2006U.S. App. LEXIS 21626(11th. Cir. Aug. 22, 2006).
10)School District of Lee County Administrative Regulation 3.15.
11)M.M.McCARTHY & N.H.CAMBRON-McCABE, PUBLIC SCHOOLLAW, 109(2nd ed.1987).
12)L.FISCHER& D.SCHIMMEL, THERIGHTS OFSTUDENTS ANDTEACHERS15(1982).
13)E.CHEMERINSKY, CONSTITUTIONALLAW, 1150(3d ed. 2006).
14)D. T.KRAMER, LEGALRIGHTS OFCHILDRENvol.2, 511(2nd ed. 1994).
15)SeeChandler v. McMinnville School District, 978F.2d 524(9th Cir. 1992), Fraser, supranote 7.
16) SeeMelton v. Young, 465F.2d 1332 (6th Cir.1972),cert.denied, 411 U.S.
951(1973), Fenton v. Stear, 423F.Supp.767(W.D.Pa.1976).
17)Fraser, supranote 7, at 683.
18)Tinker, supranote 1, at 514.
19) 例えば、「 混 乱 発 生 の 蓋 然 性 が 極 めて 高くそれ が 安 全 に 関 わる場 合 」 (Solmitz v. Maine School Administrative District No.59, 495A.2d 812 (Me.1985))や「より大きなストライキを招ぜしめるような扇動行為があった場 合」(Dodd v. Rambis, 535F.Supp. 23(S.D.Ind.1981))に「教育活動を著しく 妨害した」とされたケースがある。また、「妨害」とは「身体上の妨害をいう」
(Pliscou v. Holtville Unified School District, 411 F.Supp.
842(S.D.Cal.1976))、「表現自体が妨害的であればよく、それに反対する者 が実際に妨害を起こす必要はない」(Butts v. Dallas Independent School District, 436F.2d 728(5th Cir. 1971))などの定義づけも試みられている。
20)Tate v. Board of Education, 453F.2d 975(8th Cir.1972) . 21)Tinker, supranote 1, at 509.
22)Id.at 508.
23)Fraser, supranote 7, at 681.
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24) 212F.3d 1231(11th Cir. 2000).
25)Id.at 1236-1237.
26) Id. at 1239. 同様の判決は、第5巡回区控訴裁判所によっても出されている (See Shanley v.Northeast Independent School District, 462F.2d 960, 978 (5th Cir. 1972))。
27) 410F.3d 1250, 1270-1271(11th Cir. 2005).
28) 一般に、広告のような営利的表現(commercial speech)にも修正第1条の保 護が及ぶが、その保障の程度は政治的表現等と比べると低いものと解され ている(see Central Hudson Gas v. Public Service Commission, 447 U.S.
557 (1980))。また、言論や出版の事前抑制は修正第1条の権利にとって最
も深刻で許容することのできない侵害である(see Nebraska Press Assn. v.
Stuart, 427U.S. 539, 559(1976) )とされ、違憲の推定が働き、政府にはその システムを正当化するための重い立証責任が課されている。なお、営利的表 現の事前抑制については、新聞に違法な行為を提案する広告の掲載を禁 じる条例が合憲とされたケース(Pittsburgh Press Co. v. Pittsburgh Commis- sion on Human Relations, 413U.S. 376(1983))がある(CHEMERINSKY, supra note 13, 949-968, 1084-1109, R.L.WEAVER & D.E.LIVELY, UNDERSTANDING THE FIRSTAMENDMENT, 74-84, 88-105(2003))。本件で問題となった規則は 営利的表現の事前抑制といえるが、この点に関する本判決の判断は一般的 な法理に従ったものと思われる。しかしながら、「堕胎」という政治的・宗教的 なテーマに関する表現の規制が、Tinkerルールの下で比較的容易に許され ている。
29)CHEMERINSKY, supranote 13, at 1150.
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