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戦前における外国史教育の歴史 (1)

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Title 戦前における外国史教育の歴史 (1)

Author(s) 有田, 嘉伸

Citation 長崎大学教育学部紀要. 教科教育学. vol.38, p.29-43; 2002

Issue Date 2002-03-27

URL http://hdl.handle.net/10069/5918

Right

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

(2)

BulletinofFacultyofEducation,NagasakiUniversity:Curriculum andTeaching

N o . 3 8( 2 0 0 2 )2 9 ‑ 4 3

戦 前 にお け る外 国史教 育 の歴 史 ( 1 )

有 田 嘉 伸 *

(平成

1 3

1 0

31

日受理)

A Hi s t or i c alSt udyonWor l dHi s t or yEduc at i on be f or eWor l dWarⅡ

Yos hi nobu ARI TA

(Received October

3 1 , 2 0 0

1

)

1 は じめ に

平成元年 の学習指導要領 の改訂 によ って、高等学校社会科 は地理歴史科 と公民科 とに再 編 され、世 界史 は地理歴史科 のなか の科 目 と して行 われ るよ うにな った。 わが国 の中等学 校 にお ける歴 史教育 は、第二 次世 界大戦以前 には、 国史 (日本史) ・西洋史 ・東洋史 の三 つ に分 けて行 われて きた。 それが、第二次世界大戦後、新教科社会科 が設 け られ ると、歴 史教育 は高等学校社 会科 の なか に 日本史 と世 界史 の

2

科 目が設 け られ、

2

分法 で行 われて きた。社 会科 が地理 歴史科 にな った ことは、歴 史 を現代理解 の 「手段」 と してのみ考 え る 考 え方 の問題点 を指摘 し、 歴 史 自体 の意 味 や価 値 を重視 し、 「歴 史 を」 教 え る ことを よ り 重視 す る考 え方 を反 映 して いたが、 それ は、戦前 の歴 史科 の復活 的 な意 味 ももって いた と いえ る 本論 は、 明治以 降、第二次世 界大戦 まで のわが国で行 われ た外 国史教育 の歴史 を た ど り、教科 ・科 目の 目的や内容構成 の考 え方 にお け る、社 会科世界 史、地理歴 史科世 界 史 との共通点 や相違点 を探究 したい。

ところで、戦前 の外 国史教 育 の歴 史 をた どる際 に、教授要 目等 の改正 を基準 に して時期 区分 をす る方法11'と、教科書 の検定制度等 を もとに時期 区分 す る方法(2)が あ るが、本論 文 で は前者 を中心 に、次 の四つ の時期 に区分 して論 じて い きた い。

1

明治前 期 (明治

5 [ 1 87 2 ]

年 〜明治

2 6 [ 1 8 9 3 ]

年)

2

明治後期 (明治

2 7[ 1 8 9 4 ]

年 〜明治

4 3 [ 1 91 0 ]

年 )

3

大 正 期 (明治

4 4 [ 1 91 1 ]

年 〜昭和

5 [ 1 9 3 0 ]

年)

4

昭和前期 (昭和

6 [ 1 9 3

1]年 〜昭和

2 0 [ 1 9 4 5 ]

年)

*長 崎大学教育学部社会科教育研究室

(3)

2

明治前期 (明治

5 [ 1 872]年 〜 明治 26 [ 1 893]年 )

(1) 学制 の公 布

廃 藩 置県後 の

1 871

(明治

4

)年 に設 置 され た文 部省 は、 翌

1 872

(明治

5

) 年 に学制 を公 布 し、統 一 的 な国民教 育制 度 の確 立 につ とめ た。 その構想 は、全 国 を

8

大学 区 に分 け、 各 大 学 区 に

1

大学 を置 き、 さ らに各 大学 区 を32の中学 区 に分 け、 各 中学 区 に

1

中学校 を設 け (計

256

校 )、 各 中学 区 を21

0

の小 学 区 に分 け、 各 小 学 区 に

1

小 学 校 を置 く (計

53, 760

校 ) と い う、 フ ラ ンス流 の中央集 権 的 ・画一 的 な教 育 制 度 の実 現 を 目指 した0(3)

学 制 の特色 や 目指 す人 間像 は、学 制 と同時 に出 され た 「学 事奨 励 に関す る被 仰 出書 」 に よ る と次 の よ うな点 で あ った。

① 学 校 は立 身 治産 のた めの学 問 を授 け る ことを 目的 とす る。

② その ため の学 問 は、実 践 に役 立 た な い封 建 的 な教 学 で はな く、官 吏、農 工 商 その他 あ らゆ る職業 に必 要 な知 識 や技術 で あ る

③ こ うい う学 問 は、 身 分 階級 を問 わず、 す べ て の人 民 が就学 して、 「邑 に不 学 の戸 な く 家 に不学 の人 なか ら しめん事」 を期 さね ば な らな い。

④ 学 校 は各 人 の立 身治 産 に役 立 っ もので あ るか ら、 その費用 は官 に依 頼 す る ことな く、

人 民 自 ら負 担 す べ きで あ る。(4)

学 校 の組織 と歴 史 教 科 につ いて み る と、 小学 校 は、 下 等小 学

4

年 (

6

〜 9

歳 )、 上 等 小学

4

年 (

1 0

〜1 3

歳 )、 計

8

年 は男女 と も必 ず卒 業 すべ き もの とされ た。 1

872

(明治

5)

年 の小 学教 則 で は、歴 史教 科 と して は、上 等 小学 第

7

級 で 「史 学 輪講、

1

4

字 (字 は時

と同 じ意)、 王代 一 覧等 ヲ独 見 輪 講 セ シム」、 第

6

級 で 「史学 輪 講 、

1

4

字 、 国史 略等 ヲ 独 見 輪 講 セ シム」、 第

5

級 で 「史学 輪講 、

1

6

字 、 前級 ノ如 シ」、 第

4

級 で 「史 学 輪 講 、

1

4

字 、 万 国史 略 ノ類 ヲ以 テ独 見 輪講 スル コ ト前 級 ノ如 シ」、 第

3

級 で 「史学 輪 講 、

1 過 2

字 、 五 洲 記 事 等 ヲ独 見 輪 講 スル コ ト前 級 ノ如 シ」、 第

2

級 で 「史 学 輪 講 、

1

2

字 、 前 級 ノ如 シ」、 第

1

級 で 「史学 輪 講 、

1

2

字 、 前 級 ノ如 シ」 と規 定 され て い る 各 級 通 算 して の教 授 時数 は、 日本史

1 4

時 間、外 国史

1 0

時間 とい うことにな る。(5)

しか し

、 1 87 3

(明治

6

) 年 の改正 小 学 教 則 で は、 「史 学 輪 講」 が 「歴 史 輪講 」 と改 め ら れ、 時 間数 も、第

7

級 で

1

2

時、第

6

級 で

1

2

時、第

5

級 で 1週

4

時 、第

4

級 で

1

2

時、第

3

級 で

1

2

時、第

2

級 で

1

1

時、第

1

級 で

1

1

時 とされ た。(61

中学 校 につ いて は、 1

872

(明治

5

)年 の中学教 則 略 で規定 され、下 等 中学

3

( 1 4

歳 〜

1 6

歳 )、 上 等 中学

3

年 (

17

〜1 9

歳 ) に分 け られ た。歴 史教 科 は、 「史 学 」 とい う名称 で下 等 中学 で科 され たが、 1

87 3

(明治

6

) 年 の改正 中学 教 則 略 で は、 「史 学 」 は 「歴 史 」 と改 め られ た。17)

また その間、良 い教 師及 び邦 文 で書 か れ た適 当 な教科書 の不 足 の ため、 1

872

(明治

5)

年 「外 国教 師 ニ テ教 授 スル中学 教則 」を定 め、英 語 、 フ ラ ンス語 、 ドイ ツ語 の いず れ の外 国語 を用 いて教 授 して も良 い中学 校 を設 け る こと と した。 そ こで の歴 史 教 科 は、 「史学 」 とい う名 称 で行 われ、 英 語 で は 「バ ー レー氏 万 国史 」 、フ ラ ンス語 で は 「テ ユ リュー氏万 国史 」、 ドイ ツ語 で は 「ペ ック氏 万 国史 」 な どが教 科 書 と して用 い られ た。 時 間数 は、 下 等 中学 第

2

2

時間、 第

1

2

時 間、上 等 中学 第

6

2

時間、 第

5

2

時 間、 第

4

2

時 間、第

3

2

時間、 第

2

1

時 間、第

1

1

時間、 合 計

1 4

時 間 と規 定 され た。(8)

しか し、 外 国人 教 師 を招 いて、 こと ごと く原書 で講 義 す る とい うことは容 易 で はな く、

(4)

有田 :戦前における外国史教育の歴史(1)

31

開設 され た東京 の第一 番 中学 (南校) はその後東京医学校 と合併 して東京大学 とな り、大 阪 の第一 番 中学 (開 明学校 )、長 崎 の第一 番 中学 (贋 運学 校) も、 それぞれ外 国語学校 と な った(9)。 これ らの学 校 の歴 史教 育 は、 日本史 を省 いて外 国史 のみ を教 え、 それ も内容 は 西洋史 中心 で あ った ことは問題 で あ った。

学制 が発布 されて も、新 しい教科書 は間 にあわ なか ったので、文部 省 は、 当時民 間 で使 われて い る書物 の うち、各教科 の教科書 と して適 当 と思 われ る もの を例示 した。 やが て師 範学校及 び文部省 によ って近代 的 な教科書 が編集、 出版 され、全 国的 に使用 され るよ うに な るが、 それ らの教科書 は、外 国 の教科書 を模倣 す るか、 直訳 した もので あ った。文部省 が小学校 の教科書 と して例示 した歴 史教科書 に は次 のよ うな ものが あ った。00)

1 87 2

(明治

5

)年 例示

『王代一 覧』 (林恕著)

『国史 略』 (岩垣松苗著)

『万 国史略』 (西村茂樹訳)

『五洲記事』 (グ ッ ドリッチ著、寺 内章 明訳)

1 87 3

(明治

6

)年追加

『内国史略』 (南摩綱紀編)

『史略』 (文部省版)

『参考太平記』

『条約 国史 略』 (土 屋政朝 ・高 見沢茂編 )

( 2 )

当時の教科書 の特色

筆者所有 の教科書 によ って、 この時期 の代表 的 な外国史教科書 の内容 と特色 を見 てみ よ

っ 0

7 『史 略』

この書 は

、1 87 2

(明治

5

)年 に文部省 が刊行 し、 その後各府県 で多 くの版 が発行 され た。

和 と じの

4

冊本 で、第

1

巻、皇 国 (日本 史)、第

2

巻、支那 (中国史)、第

3

巻 ・第

4

巻、

西洋 (西洋史) とい う構成 にな って い る ものが多 いが、筆者 が所有 す る もの は

、1 87 3

(明 治

6

)年 山 口県が発行 した

3

冊 本 で、第

1

巻、皇 国 ・支那、第

2

巻、西洋上 、第

3

巻、西 洋下 とな って い る 当時 の歴史 は、幕末以 来 の伝統 を受 け継 いで、 日本史、 中国史、西洋 史 が ひ とっ の本 にま とめ られて いた ことが わか る 第 1巻 の編集者木村正辞 は 「例言」 で 次 の よ うに述 べて い る

「‑ 此書 幼童 を して暗涌 せ しめむ ことを要 す。故 に簡易 を 旨 と しすべて省 略 に従 う。」

「‑ 天皇 の御名 はすべて常 の御称 のみ を しる して尊号 御講等 を略 く。」

当時 は、歴 史教育 によ って国家 や支配者 の興亡盛衰 の経緯 を、一種 の知 識 ・教 養 と して 身 につ けさせ る ことを 目指 し、 そのため に は、教科書 を読 ませ、 暗涌 させ る読書主義 の学 習法 が中心 で あ り、歴 史 の学習 によ って国体 の尊厳 を知 ら しめた り、 国民 の 自覚 を高 めよ うとい うね らい は未 だ強 くなか った。 その ため、天皇 ・皇 室 に対 して関心 が うす く、神秘 的崇敬 の念 もあ ま りなか った ことが文章 か らうかが え る。

文章 は、 当時 と して は珍 しく漢 字 と平 か なで書 か れて い る 内容 の配 分 は、 皇 国

1 9

( 37

ペ ー ジ)、 支那

1 8

( 3 6

ペ ー ジ二)に対 して、西 洋 は

8 5

( 1 6 9

ペ ー ジ) とな って お り、

(5)

西洋史 の比重 が非常 に重 くな って い る

第 2巻 の編者 内田政雄 は、 「西洋史 略緒言」 で、 「歴史 を学 ぶ にはまづ地理 の大 略 を記憶 し預 め何 れ に在 るを知 るを肝要 な り」 と し、 また 「年代 の数 ‑方 を知 るべ し」 と して西暦 紀 元 の由来 や 「紀元前」 の意 味 につ いて説 明 を して い る また時代 区分 につ いて は、 「上 古 ・中古 ・近代

に分 け、上古 は 「世 の未 だ開 けざ る初 め よ り紀元五 百年 まで」、 中古 は

「五百年 よ り千五百年 まで」、近 代 は 「千五百年 よ り今 日まで」 をい うと説 明 して い る

イ 『万 国史 略』

この書 は

、1 87 3

(明治

6

)年 に東京 師範学校 が小学校用教科書 と して編集 し

、1 87 4

(明 治

7

)年 に文部省 が刊行 した もので、著者 は大槻文彦 とな って い る その後各府県 で多 く の版 が発行 され たが、 筆者 が所有 す る もの は

、1 877

(明治

1 0)

年 に岐阜県 で発行 され た も ので、巻末 に小川亮 の標注 略解 がつ いて い る。和 と じの

2

冊本 で、第

1

巻、亜 細亜 洲 ・欧 羅 巴洲上、第

2

巻、 欧羅 巴洲下 、亜米利加 洲 とな って い る

『史 略』 で は皇 国、支那、西洋 の構成 であ ったが、 この書 で は皇 国が省略 され、外 国史 だ けにな って い る また支那 が亜細亜 に拡 大 され、 その中 は漢土、 印度、波斯、亜細亜土 児其 の構成 にな って い る

「例言」 によ る と、 日本 の部 は この中 には入 れず、万 国 の中で、漢土 (中国) の部 を詳 しくす る それ は、 中国が 日本 と 「交通」 が最 も久 しく、 「彊界」 も近 く、 「気類」 も近 い 国だか らで あ る 中国 の年 号 は記載 しない。西洋 につ いて は、 キ リス ト生誕 の年 を紀元 と した西暦 を用 い る 印度、 波斯等 の諸 国 はア ジアに属 すが、 その記事 は西洋 の史書 か ら訳 した ものであ るため西暦 を用 いて記 す。西洋 の部 は文部省 の発行 した 『史略』 を用 いて こ れを増減 した、 な どが記 され て い る

文章 は、漢字 と片 か な混 じりで書 かれてお り、

2

冊 あわせ て

51

点 の挿絵 も挿入 されて い る 内容 の配分 は、漢土

5 4

ペ ー ジ、 印度

4

ペ ー ジ、波斯

4

ペ ー ジ、亜細亜土 児其 (古代 オ リエ ン ト、 イス ラム帝 国、西 ア ジア史)

1 3

ペ ー ジなの に対 し、 欧羅 巴

(ギ リシア、 ロー マか ら

1 9

世紀後半 まで の ヨー ロ ッパ 史、 オ スマ ン=トル コを含 む) は

7 4

ペ ー ジ、亜米利加

(いわゆ る 「発見」 か ら

1 9

世紀後 半 の グラ ン ト大統領 時代 まで)

1 5

ペ ー ジで、圧倒 的 に 西洋史 の比率 が高 くな って い る 記述 内容 も、 欧米 キ リス ト教文化 を賛美 し、 ア ジア ・ア フ リカに対 して は偏見や劣等感 に満 ち、 ア ジア的 自覚 が欠如 す るとい う特色 を もって いる。

『泰西史鑑』

この書 は、東京 師範学校 な どで用 い られ た中学校 用教科書 で あ る 原書 は ドイ ツで発行 され、 オ ラ ンダ語 に訳 され た万国史 を、 さ らに 日本語 に翻訳 した もので、 ドイ ツ ・オ ラ ン ダ系 の万 国史 と して珍 しい書 で あ る 表題 に、物 的爾著、王白爾克訳、西村茂樹 (鼎)重訳 と記 され て い る 上編 (

1 0

冊 ) ・中編 (

1 0

冊) ・下 編 (

1 5

冊)、合計

35

冊 の和 と じ本 か ら な るが、上編 は

1 869

(明治

2

)年、 中編 は

1 87 2

(明治

5

)年、下編 は

1 877

(明治

1 0)

年 に 発行 されて い る 序 文 は漢文 で記 されてお り、下編 の序 文 は中郡正 直が書 いて いる。本文 は漢字、片 か な混 じりの文語文 で あ る 内容 は西洋 の政治史 ・戦争史 が中心 で、上編 は開 聞 か ら古代 ローマ まで、 中編 はゲル マ ン民族 の移動 か ら大航海 時代 まで、下編 は宗教 改革 か ら

1 9

世紀後半 までの欧米史 とな って い る

(6)

有田 :戦前における外国史教育の歴史(1)

3 3

エ 『巴来万 国史』

この書 は、 アメ リカ人 グ ッ ドリッチが ー レーのペ ンネ ームで刊行 した教科書 を、牧 山 耕平 が訳 した中学校 用 の教科書 で、 当時多 くの翻訳 が出 され た 『バ ー レー万 国史』 の なか で は最 も広 く使 われ た。 上巻 ・下巻 か らな り、筆者所有本 は

、1 877

(明治

1 0 )

年、東京 の 弘令社 か ら発行 されて い る

『岩 波‑ケ ンブ リッジ世界人名辞典』 な どによ る とnl)、 グ ッ ドリッチ

( Samue lGr i s wol d Goodr i c h、1 7 93‑1 86 0)

はア メ リカの著述 家 で、 バ ー レ

ー ( Pe t e rPar l e y)

はその ペ ン

ネームで あ った。 ボス トンで 『トーーク ン』誌 を編集 して新 進作家 を養成 し、 自 ら子 ど も向 けの道徳 的詩、物語 、 エ ッセイを寄稿 し、約

2 0 0

冊 の本 を出版 した。『バ ー レー万 国史』 の 原書 もその1冊 で あ った。

文章 は漢字 、片 か な混 じりの文語 文 で書 か れて お り、 全

1 98

章 か らな る 最 初 の

5

章 は

「緒言 」 で、 「風船 二駕 シテ源行 スル事 並 二 目撃 スル所 ノ奇事 ノ説話 」 「歴 史並 二地理誌 ノ 説話」 「地球上水 陸 ノ区分」 「亜細亜亜 非利加及 ヒ其他 ノ国 々 ノ人民」 「世 界 ノ各種 ノ人民」

につ いて述 べ、歴 史 と地理 の並行学習 の必要性 を主 張 して い る

7

章 か ら第

37

章 まで亜 細 亜、 第

38

章 か ら第

47

章 まで亜 非 利加 、 第

48

章 か ら第

1 5 9

章 まで欧羅 巴、 第

1 6 0

章 か ら第

1 87

章 まで亜米利加、第

1 88

章 か ら第

1 9 3

章 まで オ ー シェニ ア (オセ アニア) の歴史 を述 べ、

最 後 の

5

章 は 「国政 ノ淵 源及 ヒ進歩」 「建 築及 ヒ貿易」 「諸 芸 術 ノ起 源及 ヒ進歩 」 「諸 発 明 ノ月 日」 な どの テーマで締 め くくって い る

記述 内容 の特色 をみ る と、満井 隆行 も指摘 して い るよ うに、

① キ リス ト教 的史観 、 キ リス ト教第一主義 であ る

② 欧米 中心 の世 界 史で、 ア ジア ・アフ リカな どにつ いて は人種 的偏 見 に満 ちて い る。

③ 自由 と独立 を賛美 し、近代文 明 を誼歌 して い るO

④教訓 的 ・勧善懲悪 的で、科学 的 ・客観 的 な歴史 で はな

な どの特色 がみ られ る。(la

ア ジアにつ いての記述 を具体 的 にみ ると、

「亜細亜諸 国‑其 治乱世変少 ナ カ ラズ、而 シテ其人民 ノ情形古今 同一 ナル‑亜細亜史 ノ 面 目ノ最 モ奇異 タル所 ナ リ、亜米利加及 ビ欧羅 巴 ノ如 キ‑、知巧 日二開 ケ、文化月 二進 ミ、

法制 芸術凡 ソ国 ヲ利 スル ノ具 日二新 ナ ラザ ルモ ノ無 シ」

「亜細亜 ‑然 ラス、国王 ‑何人 ク リ トモ、人民‑唯 々其奴隷 ニ シテ、教化 ‑毒 モ進 マズ、

自由 ヲ知 ラズ、真正 ヲ貴 シ トセズ、徳行 ヲ重 シ トセ ズ、余謂 フ所 ノ安 楽 ナル事 卜愛 国 ノ念

‑彼 ノ天帝 ノ恵 ヲ受 ケ且富 ヲ賦 セ ラ レタル亜細亜 二於 テ‑之 ア ラズ」

「福音真道 ノ聖教 ヲ識 ラザル間 ‑彼人民許 多 ノ邪教 ヲ尊仰 セ ン是 レ亜細亜 ノ真 二開化 シ 難 キ所 ナルベ シ、 [マ ホ メ タニ スム] 回 々教 ‑亜細亜 中 二蔓 延 ス レ トモ、此 邪 宗 ヲ崇 信 ス

ル所 ノ匡レ\、其 人民 曽 テ幸福 ヲ享 ル コ ト能 ‑ ズ」 (第

3 6

章)

と述 べ、 ア ジア社会 の発展 を否定 す るのみ な らず、 ア ジアの人 々の幸福 な生 活 や、愛 国心 や道徳性 の存在 まで否定 して い る.

( 3 )

教育令 の公布

学制 の理想 は高遠 で あ ったが、 中央集権 的 ・画一 的 で、 当時 のわが国 の国力 や国民感情 に も適 さなか った。 しか も、政府 は これ を実施 す るため、地方 に対 す る干渉 を強 めたため、

(7)

種 々の弊 害 が生 まれ、 国民 の不満 も高 ま った。 そ こで、政府 は

1 8 7 9

(明治

1 2 )

年、学制 を 廃止 して、 アメ リカ流 の 自由主義 的 な教育令 を公布 した。

教育令 は、小学 校 の規定 が大部分 を しめ る

4 7

か条 か ら成 って いたが、(彰就学義務 は毎年

4

か月、

4

か年 で計

1 6

か月 に短縮 され、 さ らに、(塾学校以 外 に普通教育 を受 ける方 法が あ れ ば就学 とみ なす とい うはど寛大 であ った。③学校 の設立 に関 して は、学 区制 を廃 し 「毎 町村或 ‑数 町村連合 シテ公立小学校 ヲ設 置」 す る もの と し、④ 私立学校 を もって公立学校 に代用 しうる もの と し、私立学 校 の設立 を届 出制 と した。 また、⑤教科 目が学制 の半数以 下 に削減 され、簡素化 され た。u劫

しか し、教育令実施 の結果、 よ うや く普及 し始 め た初等普通教育 が くず れ始 め、政府 内 に批判 が高 ま ったため、翌

1 8 8 0

(明治

1 3 )

年、 改正教育令 が公布 され る とと もに、 その実 施 のための諸規則 が あ いっ いで制定 され た

。1 8 8 1

(明治

1 4 )

年 に制定 され た小学校教則綱 領 は、修 身科 とな らんで歴史科 を重視 す るとと もに、算術 ・地理 や 自然科学教科 で は、 開 発主義 の教 授法 によ って教科教 育法 を確立 させ よ うと して い る。歴史科 につ いて は、 それ まで の欧化 的 ・啓 蒙主義 的歴史教 育 か ら、 国家主 義 的 な歴 史教育 ‑ の転 換 を示 し、第

1 5

条 で次 の よ うに規定 され た。仙

「歴史 歴史 ‑ 中等科 二至 テ之 ヲ課 シ日本歴史 中 二就 テ建 国 ノ体制、神武天皇 ノ即位、

仁徳天皇 ノ勤倹 、延喜天暦 ノ政績、 源平 ノ盛 衰、南北朝 ノ両立、徳川氏 ノ治績、王政復古 緊要 ノ事 実、其他古今人物 ノ賢否、風俗 ノ変遷 等 ノ大要 ヲ授 クへ シ凡歴史 ヲ授 クニ‑務 メ

テ生徒 ヲシテ沿革 ノ原 因結 果 ヲ了解 セ シメ殊 二尊王愛 国 ノ志 気 ヲ養成 セ ンコ トヲ要 ス」

この よ うに、歴史科 で は、建 国 の精神 や 「尊王愛 国 ノ志気

の滴養 が強調 されて い るが、

小学校教育 か ら外 国史 が省 かれ る ことにな った。

1 8 8 2

(明治

1 5 )

年、 中学校教則大綱 が制 定 され、 中学校教育 の内容 に関す る準則 が設 け られ た。 当時 中学校 は、初等 中学科 (

4

年) と高等 中学科 (

2

年) に分 け られて いたが、

歴 史 は初等 中学 科 で次 の よ うに課 せ られ た。45)

1

年 ・前期 (日本史 ・週

2

時間)、第

1

年 ・後期 (日本史 ・週

2

時間)、第

2

年 ・前 期

(日本史 ・週

2

時 間)、 第

2

年 ・後期 (支那 史 ・週

2

時 間)、 第

3

年 ・前 期 (支那 史 ・週

2

時間)、第3年 ・後期 (万 国史 ・週 2時間)、第 4年 ・前期 (万 国史 ・週 2時間)、第 4年 ・ 後期 (万 国史 ・週 2時間)

(4) 学校令 の制定

1 8 8 6

(明治

1 9 )

年 、帝 国大学令 ・小学校令 ・師範学校令 な どとと もに、 中学校令 が制 定 され た。 それ によ って、 「中学校 ‑実業 二就 カ ン ト欲 シ又 ‑高 等 ノ学 校 二人 ラ ン ト欲 スル モ ノニ須要 ナル教育 ヲ為 ス所 トス

と規定 し、 中学校 を分 けて尋常 、高等 の2等 と した。

尋常 中学校 は各府県 で便宜設置 しうるが、地方税 の支弁 によ る もの は各府県 1校 に限 られ た。 高等 中学校 は官立 と し、 全 国5か所 に設 け られ る こととな った0秒。 これ らの諸学 校 令 は、 国家 の立場、国家 の利益 を正面 に打 ち出 した もので、 かって学制 が、個人 の立 身 ・治 産 を掲 げたの とは対照 的 で あ った。 また、 小学校 令第

1 3

条 、 中学 校令第

8

条 で、 「小学校

(中学校) ノ教科書 ‑文部 大 臣 ノ検定 シタル モ ノ‑限 ル‑ シ」 と規定 し仰、初 めて教科書検 定制度 が採用 され た こと も、絶対主義 国家 の国民 を養成 す るの にふ さわ しい教材 のみ を教 え よ うとす る意 図の あ らわれで あ った。

(8)

有田 :戦前における外国史教育の歴史(1) 35

中学校 令 と同時 に定 め られ た 「尋常 中学校 ノ学科 及其程度」 で は、歴史 は 「日本及外 国 ノ歴 史」 と し、 各学 年 の時 間数 を示 した に過 ぎな いが、 文部省 学 務 局 が各府 県 に示 した

「尋常 中学校課程 表」 で は、歴史科 の科 目と時間 は次 の よ うにな って い る.n翰

1

年 (日本歴史 ・週

1

時間)、 第

2

年 (万国歴 史 ・週

1

時間)、第

3

年 (支那歴史 ・週

2

時間)、第

4

年 (日本歴史 ・週

1

時間)、第

5

年 (万 国歴史 ・週

2

時間)0

1 8 8 9

(明治

2 2 )

年、天皇親政 と立憲主義 を抱 き合 わせ た大 日本帝 国憲法 が発布 され、翌 年議会 が開かれ る ことにな った。議会政治 が もた らすで あ ろ う国民思悲 ‑ の影響 を憂慮 し、

同年、教育勅語 が発布 され、天皇制教育 の体制化 が国民教 育 の大方針 と して確立 され た。

(5) 当時の教科書 の特 色 ア 『万 国史要』

この書 は、バ ー レー万 国史 と並 んで、 明治前 期 の教科書 と して よ く用 い られ た ス ウ ィン トン万 国史 の一 つ で、

Wi l l i am Swi nt on

(維 廉 斯 因頓) 著

" Out l i ne soft heWor l d‑ s Hi s t or yH( 1 8 84

年) を松 島剛 が訳 し、弟 の松 島錬之助 が校 閲 して、東京 の春 陽堂 か ら出版 され た もので あ る 筆者 は、版 の異 な る

2

冊 の本 を所有 して い る

1

冊 の方 の奥付 によ る と、上 巻、 明治

1 9

4

1 6

日版権 免許、 中巻、 明治

1 9

1 1

1 8

日版権 免許、下巻、明治

2 0

1 0

2 7

日版権免許 とな って い るが、所有本 は、 明治

2 0

1 2

3

日発行 の合本 で あ る ま た、 もう

1

冊 も上巻 ・中巻 ・下 巻 の合本 で、奥付 には、 明治

1 9

7

月第

1

版、 同

2 0

1

1月 第

2

版 、 同

21

6

2 7

日訂正 第

3

版、 同

2 2

1

2 8

日第

4

版 とな って お り、 「文部 省検定 済」 の文字 も入 って い る す なわ ち、 もと もと原書 が中学校 の教科書 と して使 われて いた が、 それ を翻訳 して教科書 と して使 用 し、 さ らに

1 8 8 6

(明治

1 9 )

年 か らの検 定制度 の実施 と と もに文部省 の検 定 を受 け、 合格 して使 用 され続 けた もので あ る

。85 8

ペ ー ジとい う厚 冊 で あ る

2冊 と も内容構 成、訳 文 は同 じだが、文部省検定済 の後者 には、前者 にはない、 2ペ ー ジ大、部 分着色 の歴 史地 図6枚 が挿入 されてお り、教科書 と しての体裁 が よ り整 え られて い る 文章 は、漢字 と平 か な混 じりの文語 文 で、上段 に小見 出 しが あ り、読 みやす く、理 解 しやす い。適 当 に挿絵 や地 図、年 表 や内容 の ま とめが あ り、下巻 の最後 には索 引 もっ い て い る 本書 の内容構成 は次 の よ うにな って いる

第 1編 古代東洋諸 国

1

章 地理 第

2

章 エ ジプ ト 第

3

章 ア ッシ リア人及 バ ビロ ン人 第 4章 へ ブ リウ人 第 5章 フェニ シア人 第 6章 イ ン ド人 第 7章 ベル シア帝 国 第8葦 古 代人民 の商業

第 2編 グ リース史

1

章 総説 第

2

章 第 1年期 ノ史 第

3

章 第

2

年期 ノ史 第

4

章 第

3

年期 ノ史 第

5

章 グ リースの文 明

3

編 ローマ史

1

章 地理 及人種 第

2

章 古代 の ローマ、 王政 時代 第

3

章 共和政治 第

4

章 ローマ帝 国

4

編 中代史

1

章 新人種 第

2

章 三百年 間 の史

(9)

3

章 シァー レメ ン

( Char l e magne )

の帝国 第

4

章 封建制度 第

5

章 法皇 の権力 の振張 第

6

章 十字軍 第

7

章 騎士 の興廃 第

8

華 中代 の文明 第

9

章 政治史要

5

編 近代史

1

章 中代 よ り近代史への遷移 第

2

章 第

1 6

世紀 の大事件 第

3

章 第

1 7

世紀 の大事件 第

4

章 第

1 8

世紀 の大事件 第

5

章 第

1 9

世紀 の大事件

また、 「緒論」 で、次 のよ うに述 べてい る。

「(1)歴史 とは、広 く解 すれば、人世 の記録 と謂 ふを得べし 。 然 れ ど も、特兄 を下 す とき は、其行為、文 明史 を組織 す る、著名 なる国民 の起原 と進歩 との談話 な りとす。

( 2 )

歴史 を以 て、斯 の如 く高 尚の もの とす るときは、草味の境堺 を脱 して、有政 の社会 を結 べ る種族、即 ち国民 な る者 巳に これあ りと看倣す ものにて、而 して其記載 すべ き 区域 も、古来世事 の本体 に影響 を及 ぼ し、以て方今 の世態 を成就 した る国民 にのみ限 るな り、此区域 を歴史本部 と名 づ く。 ‑ ・

(5)上 に述 べ た る如 く、歴史 は著 しき文 明国民 の事蹟 のみを記 す る者 な り、然 らば即 ち 歴史 の関渉すべ き人種 は只‑ のみ、人種 の‑大部 なるカウカ シア ン人種即 ち白人種是 な り。何 となれば古 国の人民、即 ちェ ジブ ト人、 ア ッシ リア人、バ ビロ ン人、 ‑ ブ リ ウ人、 フェニ シア人、 イ ン ド人、 ベル シア人、 グ リース人及 ローマ人 は皆此部 に属 し。

又近世 の欧羅 巴洲の諸国民、並 にその植民 の建立 せ る諸国 も、亦皆此種族 に属す るが ゆ‑ に。要す る所、歴史本部 の関渉すべ き者 は、人類 中大 に発達 せ る一種族 に外 な ら ず、更 に之 を詳言すれば、書契以来今 日に至 るまで地球上 の人 口の大半 は、常 に他 の 人種 に属 すれ ど も、歴史上 の真正 の人種 は独 りカウカ シア ンのみな り 是故 に文明 な

る者 は、此人種 の脳髄 にて造 られた りと言 ふ も、何 ぞ不可 な らんや。

(6)近世 の学士 は、此歴史上 の人種、即 ちカ ウカ シア ン人種 を区分 して三大族 と為す。

第一 ア リア ン族一名 イ ン ドヨー ロ ッパ族、第二 セ ミツ族、第三‑ ミツ族是 な り。 ‑ ・ (ll)以上述 るが如 く文明世界 の歴史 はア リア ン、 セ ミツ、及 ‑ ミツ三族 の歴史 に外 な ら ず。然 るに、就 中世界進歩 の大劇場 に於 て、常 に重要 の優技 を漬 した る者 はア リア ン 族 とす。 ‑・

(12)・‑是故 にア リア ン族 は特 に進歩 の種族 に して、而 して万 国史 の大半 は、実 に此族 の国民等 が此共有 の文明 に供 した る、資益 の談話 を以 て 占領 せ ざるを得 ず。 ・・・」 また、第

5

編、第

5

章 の冒頭 に

、1 9

世紀 の特色 を次 の よ うに述 べて いる。

「第

1 9

世紀 を して、此特相 を有せ しめた る大事件、数多 これあ り 今之 を掲 くれば、第 一、此 時代 の戦争 は、王 と王 との戦争 に非 らず して、王 と人民 との戦争 な り 而 して欧羅 巴の政事 を全 く一変 したるは、独 り此事実 に由 る もの とす。第二、民主政治、代議政体、

国民統一、勤労 の権理、等 の如 き、政治上及 び社会上 の新 問題起 りて、大 に人心 に刺激 を 輿 へた り、第三、史壇 の区域大 に拡張 し、全世界 を包括す るに至れ り、蓋 し一 には従来不 毛 に して、人 の住居せ ぎ り し遠 隔の地 に、数多 の新 国民起 りた ると、一 には、数世 の間欝 爾 と して睡眠せ るが如 き、亜細亜、亜弗利加 の旧国大 に覚醒 して、復漸 く世界 の史劇 に入

るに至 れ り。」

このよ うに、本書 も、 コーカサス人種 を世界 で最 も優秀 な民族 と考 え、彼 らが作 って き た西洋文明の歴史 をた どる、 ヨー ロ ッパ 中心 の万国史 であ った。

(10)

有 田 :戦前 における外国史教育 の歴史(1)

イ 『万国歴史』

この書 は、 フ リーマ ン、 フ ィッシャー、 ス ウ ィン トン、 テ ィロル、 バ ー ンズ、 ウイル ソ ンな どの万国史 を参考 に して、天野為之 が著 し、東京 の冨 山房 か ら発行 されて いる。尋常 中学校 ・尋 常 師範 学 校用教 科 書 で、 「文 部 省検 定 済 」 の文字 も入 って い る 初版 は

1 887

(明治

2 0)

9

月 の発行 だが、筆者 が所有 す るの は

、1 889

(明治

22)

1

1月

5

日発行 の訂 正

1 2

版 で あ る 文章 は漢字 と片 か な混 じりの文語文 で

、582

ペ ー ジとかな り厚い 。 本書 の 内容構成 は次 のよ うにな ってい る。

第 1巻 古代史

第 1編 亜細亜諸 国

1

章 填及国並附録 第

2

章 巴比倫尼亜述 国並 附録 第

3

章 俳尼西亜国並附録 第

4

章 猶太国並 附録 第5章 馬太及波斯 国並附録 第6章 印度国並 附録 第

2

編 欧羅 巴諸 国

1

章 希臓史 第

2

章 羅馬史 第

2

巻 中古史

第 1編 中古人民 ノ顛末

1

章 西刺伯人 ノ勃興 第

2

章 仏朗克王国 ノ勃興 第

2

編 近世諸 国 ノ発生

1

章 英倫 国 第

2

章 仏蘭西 国 第

3

章 日耳蔓 国 第

4

章 瑞西国 附章 中古時代 ノ伊太利 国

第 3編 拾 遺

1

章 十字征伐 ノ顛末 第

2

章 「無 うる」国 第

3

章 中古 時代 ノ亜細亜

3

巻 今世史

1

編 紀元千六百年代

1

章 伊太利戦争 第

2

章 査禄斯第五世 時代 第 3章 和蘭共和 国 ノ勃興 第4章 仏国 ノ内乱 第

6

章 英倫国 「智 ゆ うどる」王統

2

編 紀元千七百年代

1

章 三十年戦 第

2

章 第十七世紀 間 ノ仏蘭西国 第

3

章 英倫国 「斯 ちゆあ ると」王統

3

編 紀元千八百年代

第 1章 魯西亜 国 ノ勃興附瑞典国王査禄斯第十二世

第2章 普魯士 国 ノ勃興 第3章 英倫 国 「波 のバ ー」王統 第

4

章 仏蘭西 国革命

4

編 紀元千九百年代

1

章 仏蘭西国近 時 ノ変遷 第

2

章 英倫国 「波 のバ ー」王統 ノ続 キ 第 3章 日耳蔓国 ノ合一 第 4章 伊太利 国 ノ合一

附章 希臓 国 ノ再興並 二比耳 時国 ノ勃興

また、「序」で、万国史 の考 え方 につ いて次 のよ うに述べて い る。

3 7

(11)

「歴史‑固 卜是 レ社会発達 ノ誌録 ニ シテ三種 ノ別 ア リ、‑ ヲ一 国史或‑特別史 卜云 ヒ、

他 ヲ万 国史或‑普通史 トイ フ 一国史即 チ特別史‑地球上 ノ人類 ノ事‑之 ヲ論外 二置 キ、

独 り一個特別 ノ国民 二就 テ其発達 ヲ誌録 スル者 ナリ 。 彼 ノ英 国史、 日本歴史 ノ如 キ則 チ此 類也。万国史即 チ普通史 ニハ又二種 ア リ。‑‑各国 ノ歴史 ヲ個 々別 々二編述 シ許多 ノ特別 歴 史 ヲ蒐集 シテ之 ヲ万 国史 トナス。 [バ ー レー] ノ万 国史 ノ如 キ是 ナ リ。他 ‑万 国 ヲ一括 シテ一大社会 トナ シ一大集合体 トナ シ此世界全体 ノ進歩発達 ヲ誌録 スルニアル ヲ記憶 セ ヨ

[フ リーマ ン] 派 ノ万 国史 ノ如 キ是 ナ リ。 ・・・・我 ガ万 国史 (本書 の こと) モ万国 ヲ以 テ一 社会 卜見倣 シ世界全体 ノ発達 ノ事実 ヲ序 スル ノ目的 ナ レ‑建国極 メテ旧 ク歴史 ノ材料 二富 メル邦 国 モ此 中‑記載 スル丈 ノ価値 ナキ事 モアル可 キナ リ 即 チ万国 ノ中二就 テ取捨選択 ヲナス ヲ要 スルナ リ 而 メ何 レノ社会 ヲ取 り何 レノ邦 国 ヲ拾 ツ可 キヤ ト選択 ヲナサ ンこ、

取 ル可 キ者‑欧州諸国 ナ リ。捨 ツ可 キ‑東洋各土 ナ ラスヤ。見 ヨ西洋 ノ文 明‑実 二世界万 国 ノ上 二其影響 ヲ及 ホ シ世界発達 ノ傾 向 ヲ指拝 スル勢力 ア レ トモ、悲 ヒカナ東洋 ノ文化東 洋 ノ人民‑世界全体 ノ大運動 二秋毒 モ関係 ヲ有 セス シテ万 国史上 二其名 ヲ留 ムル丈 ノ功績 アラサル ヲ如何 セ ンヤ‑‑若 シ万 国史 ノ中 二赫 々 トシテ 日本 ノ国名 ヲ輝 カサ ン トナ ラ‑ 日 本 ノ人民 ヲシテ世界 二対 シテ大関係 アル人民 トナ ラシムル ノ外 ナ シ‑・・」

さ らに、「例言」 で は、次 の よ うに述 べてい る

「一 万 国歴史 ト‑英語 ニ 「ヒス トリー ・ヲフ ・ゼ ・ウ ヲル ド

「ジェネ ラル ・ヒス ト リー

「ユニ云ルサル ・ヒス トリー」 トイ フ 之 ヲ訳 シテ世界歴史、普通歴史、全般 ノ歴 史 卜称 スルモ可 ナ リ、 中二就 イテ世界歴史 ノ語 コソ至極適 当 ナ リ ト雛 モ通例世 間 二於 テ万 国歴史 卜呼 ヒ倣 シ来 ルニ因 り今之 二従 フ」

「一 万 国歴史 ノ目的‑此世界万 国 ヲ以 テ一大社会 卜見徹 し其全体 ノ発達 ヲ誌緑 スルニ 在 レ‑此全体 ノ発達 二関係 ナク世界全般 ノ運動 二影響 ヲ輿 ‑サル邦国‑ 己ム ヲ得 ス之 ヲ切 り捨 ツル事 トシ専 ラ世界全体 ノ運動 ヲシテ今 日ノ方向 二傾 向 セ シメ又将来 二於 テモ之 力運 命 ヲ指揮 スルノ見込充分 二之有 ル邦 国、人民 二就 イテ眼 目ヲ注射 スルナ リ

この よ うに、万国史 は各国史 の寄せ集 めで はな く、世界 を一つの社会 とみ な し、 その発 達 をた どる もので、世界史意識 が明確 に出て い る点が注 目され る しか し、 ア ジア的 ・日 本的 自覚 はあ る ものの、 その視点 で万国史 を記述 す るためには、東洋 や 日本 の ことは軽視 せ ざるを得 ない とい うジレンマがあ り、本書 も西洋 中心 の万 国史 にな って いる

『万国史要』

この書 は、辰 巳小次郎 と小川銀次郎 の共著 になる もので

、1 893

(明治

2 6 )

年 に東京 の金 港堂 か ら出版 された。筆者 が所有す るの は

、1 89 8

(明治

3

1)年発行 の

8

版 であ る 尋常 中 学校 ・尋常 師範学校用 の教科書 で、 「文部 省検定済」 で あ る。文章 は漢字 と平 か な混 じり の文語文で、教科書 であ ることを配慮 して

38 8

ペ ー ジと精選 されて いる 内容 は、古代史、

中世史、近世史 の

3

編 か らな り、西洋史 が中心 であ るが、 それ は、 日本歴史、支那歴史 の 2学科 がす で にあ るので、 「支那 日本 の事 に して世界一般 の上 に及 ぼ ざ る もの」 は これ を 除 いた結 果 で あ る ことが 「凡例」 で述 べ られて い る 万 国史 の考 え方 につ いて、 冒頭 の

「総論」 で次 のよ うに記 してい る

「歴史 に二種 あ り 主 と して一国民 の事変 のみを記す るを国史 と云 う 万 国万代 の事変 を並記 す るを万 国史 と云 う 故 に万 国史 は国史 の集合体 な りとす。 甲乙両種以上 の国民始

(12)

有田 :戦前における外国史教育の歴史(1)

3 9

めて相接 し、或 は好 を通 し或 は戦 を宣 した るの時 を以 て、万国史 の発端 とな し、其 の以 て 世界 とす る虞年代 を経 るに従 ひ漸 く発達 変遷 して今 日に至 るの概要 を究 む るを以 て万 国史 の主 眼 とす。然 れ ば オセ アニ ア洲並 に東洋諸 国 の内、近世 に至 るまで世 界一般 に対 して関 係 の少 か り しもの は、其近 時 の事変 のみ を記 るす の要 あ り。」

この よ うな考 え に基 づ き、西洋 史 を中心 とす る記述 にな ってい るが、明治初期 の万国史 とは異 な り、反 ヨー ロ ッパ 的で、 ア ジア意識 の強 い もの にな って い る0

3

明治後期 (明治

2 7[ 1 8 9 4 ]

年 〜 明治

4 3[ 1 91 0 ]

年) (1) 東洋史 の新設 と歴 史三 区分 法 の成立

1 8 9 4

(明治

2 7 )

年、文部 大 臣井上毅 の諮諭 を受 けて、 中学校 の各教科 の教 育 につ いて検 討 が な され た。 その とき、歴史科 の会 合 で、那珂通世 は次 の よ うな主 張 を した。

従来、 中等学校 にお いて は、外 国歴 史 とい う科 目の もとで、 万国史 と支那史 を教 えて い る 西洋諸国 につ いて は、 欧米 で行 われて い る、 いわゆ る世界史 (万 国史) をその まま教 えて もよいが、 これ とは別 に、東洋諸 国 につ いて は、 す なわ ち中国 を は じめ と して朝鮮 ・ イ ン ドな どの 日本 に関係 が深 い国 々 につ いて は、 やや詳 しく教 え な くて はな らない 。 その ため、東洋諸 国 の歴史 を適 切 に編成 して、世 界歴 史 の一半 を補 わ な くて はな らない。

この よ うな考 えが多 くの賛 同 を得 て、 同年 「尋常 中学校歴史科 ノ要 旨」 が発表 され た。

その主 な主張 は次 の通 りで あ る

「尋常 中学 校 ノ歴 史科 ‑国史 ヲ主 トシ傍 ラ世 界史 ヲ授 ケ歴 史上普通 ノ事蹟 ヲ教 ‑以 テ豊 富 ナル経験 ヲ得 シメ良好 ナル感情 ヲ養 ‑ シム‑・・

世 界 史 二於 テ‑世界大勢 ノ変遷 二関 スル事蹟 ヲ主 トシテ著名 ナル諸 国 ノ興亡盛衰及 ビ礼 会 ノ発達 ノ要領 ヲ教 フルモ ノ トス

世 界史 ヲ分 チテ東洋史西洋史 トシ東洋 史 二於 テ‑特 二支那 史 ヲ詳 ニ ス・・‑

東洋歴史 ‑支那 ヲ中JL、トシテ東洋諸 国 ノ治乱興亡 ノ大勢 ヲ説 クモ ノニ シテ西洋歴 史 卜相 対 シテ世 界歴史 ノ一半 ヲナ スモ ノナ リ

東洋歴 史 ヲ授 クル‑‑我 国 卜東洋諸 国 卜古 ヨ リ互 二相 及 ボセル影響如何 二注意 シ又東洋 諸 国 ノ西洋諸 国 二対 スル関係 ヲ説 明 スベ シ

是 マデ支那歴 史 ‑歴代 ノ興亡 ノ ミヲ主 トシテ人種 ノ盛衰 消長 ヲ説 カザ レ ドモ東洋歴史 ‑ テ‑東洋諸 国 ノ興亡 ノ ミナ ラズ支那種、突蕨種、女真種、蒙古種等 ノ消長盛衰 二説 キ及 ボ スベ シ・・

‑」

国史 ・西 洋 史 ・東 洋 史 の歴 史三 区分 法 は、 明確 な世 界史 意 識 を基 礎 と した もので、 本

「要 旨」 は 「世 界史」教育 の提 唱 を も意 味 す る もので あ ったが、 同時 に、 東 洋史 の新 設 の 背景 には、 同年 の 日清戦争 によ るナ シ ョナ リズムの高揚 が あ り、西洋 に相対 す る東洋 の盟 主 と しての 自覚 が あ った。09)

( 2 )

高等女 学校令 ・実業 学校令 と中学校教授要 目の制定

1 8 8 6

(明治

1 9 )

年 の中学校令 で は、 中学校 に尋常 中学校 と高等 中学 校 の二 っ を置 いて い たが

、1 8 9 4

(明治

2 7 )

年 に高等学校令 が発布 され、高等 中学校 は専 門教育 を主体 とす る高 等学校 に改編 され た。 また

、1 8 9 1

(明治

2 4 )

年 に中学校令 が改正 され た際、第

1 4

条 で 「高 等女学 校 ‑女子 二須要 ナル高等普通教育 ヲ施 ス所 ニ シテ尋常 中学校 ノ種類 トス」 と規定 さ

(13)

れ、高等女学校 が尋常 中学校 と同一水準 の女子高等普 通教 育機 関 と して法 的 に位 置づ け ら れ たCO。 その後 、 人 口の半 分 を しめ、 しか も次 の世 代 の国民 の養育 を天 職 とす る女性 に一 定 の知 識 と国家意識 を与 え、産業革命 の進展 によ る女子労働 ‑ の需要 の増大 な どの要 因 を 背景 に

、1 8 9 9

(明治

3 2 )

年、 中学校令 か ら分離 独立 した高等女学校令 が公布 され た。 それ は、高 等女学 校 の 目的 を 「女子 二須要 ナル高等 普通 教育 ヲ為 ス」 と規 定 LCD、 中学 校 と類 似 した構成 を と って い るが、 その 「高等普通教育」 は中学校 の場合 と異 な り、女性 を 「良 妻 賢母」 た ら しめ る ことにね らいが あ った

。1 9 0 3

(明治

3 6 )

年 の高等女学校教授要 目で歴 史 の授 業 は次 の よ うに定 め られ た。 第

1

年 (日本歴 史、

1

時間)、 第

2

年 (日本歴 史、

2

時間)、第

3

年 (東洋歴史、

1

時間)、第

4

年 (西洋歴 史、

2

時間)。田

1 8 9 9

(明治

3 2 )

年、実業学校 令 が制 定 され、工 業 ・農業 ・商業 な どの実業 に従事 す る者 に対 す る実業教育 の根本規定 が定 め られ た

。1 9 0 3

(明治

3 6 )

年、実業学校令 が改正 されて 実業専 門学校 が設 置 され る と、 実業学校 は中等程度以下 の実業教育 を ほど こす機 関 とな っ た困。実業学校 で は、 この時代、歴史 は必修 で はな く随意科 目 とされ た。

1 8 9 4

(明治

2 7 )

年 「尋常 中学校 の学科及 び其程度」 が改正 され、歴史 と地理 の時間数 が 増 や され た。 時間数 は歴史 と地理 の合計 で示 され、第

1

年 (

3

時間)、第

2

年 (

3

時間)、

3

年 (

3

時間)、第

4

年 (

3

時間)、第

5

年 (

4

時 間) とな った。 また、 時間数 を合計 で 示 した理 由の説 明 に、 「歴 史及 地理 ノ課 目 ノ時 間 ヲ増 シタル‑歴 史 二重 キ ヲ置 クカ為 ナ リ 蓋歴 史教育 ノ精神 ‑我 国体 ノ貴重 ナル ヲ知 ラ シメ宇 内 ノ大勢 ヲ詳 ニ シ古今 ノ変 二通 スル ノ 能 力 ヲ養成 スルニ在 り而 シテ尤 中等教育 ノ要点 ヲ占ムル者 ナ リ」 と述 べて、歴 史教育 の重 要 さを強調 して い る。伽

1 8 9 9

(明治

3 2 )

年 中学校令 が改正 され、尋常 中学 校 の制度 は一新 され、戦前 にお け る中 学校 の性格 を確立 した。第 1条 で 「中学校 ‑男子 二須要 ナル高等普通教育 ヲ為 す ヲ以 テ 目 的 トス」 と定 め、 実業学校及 び高等女学校 との違 いが明確化 され た脚。 また

1 9 0 1

(明治

3 4 )

年、 中学校 令施行規 則 が制定 され、 その第

1

章 「学科及其 ノ程度」 にお いて、歴史 につ い て は次 の よ うに定 め られた。

「第 5条 歴史 ‑歴史上 重要 ナル事蹟 ヲ知 ラ シメ社会 ノ変遷、邦 国、盛衰 由ル所 ヲ理会 セ シメ特 二我 国 ノ発達 ヲ詳 ニ シ国体 ノ特異 ナル所 ヲ明 ニスル ヲ以 て要 旨 トス 歴史 ‑ 日本 歴史及外 国歴史 トシ日本歴史 二於 テ‑国初 ヨ リ現 時 二至 ル マテ ノ事歴 ヲ授 け 外 国歴史 二 於 テ‑世 界大勢 ノ変遷 二関 スル事蹟 ヲ主 トシテ著名 ナル諸 国 ノ興亡、人文 ノ発達及我 国 ノ 文化 二関係 アル事蹟 ノ大要 ヲ知 ラ シム‑ シ」 と。

また、 時間数 は、歴史 と地理 をあわせ て示 され、 第

1

学年 か ら第

5

学年 まで、週

3

時間 とされ た。CO

1 9 0 2

(明治

3 5 )

年、 中学校教授要 目が制定 され、歴史 につ いて は次 の よ うに規定 され た。

まず時 間数 と科 目は、 第

1

学 年 (日本歴 史 、毎 週

1

時 間)、 第

2

学 年 (日本 歴 史、毎週

2

時間)、 第3学 年 (東洋歴 史、 毎週 2時 間)、 第 4学年 (西 洋歴史、毎 週2時間)、 第5学 年 (日本歴史 ・西洋歴史、各毎週

1

時間) で あ る その内容 は、東洋歴史 につ いて は上古、

中古、近古、近世 に分 けて詳細 に示 し、西洋歴史 につ いて も上古 、 中古、近古、近世 に分 けて詳細 に項 目をあ げて い る また 「教授上 ノ注意」 で、

「‑ 歴史 ヲ授 クルニ‑社会 ノ変遷、邦 国 ノ盛衰 二関 スル明噺 ナル概念 ヲ得 シム コ トヲ 主 トシ正確 ヲ期 スル為徒 二細密 ナル事実 ノ詮索 二流 レサ ランコ トヲ要 ス

(14)

有田 :戦前における外国史教育の歴史(1)

4 1

「二 偉 人 ノ事蹟 ヲ授 クルニ富 リテ‑其 ノ性行、事業及菖 時 ノ事情 ヲ詳 ニ シ生徒徳性 ノ ブ函養 二資 セ ンコ トヲカ ム‑ シ」

「五 外 国歴史 ‑特 二我 国 卜関係 アル事項 二留意 シテ之 ヲ授 クへ シ」

「六 対照年表 ヲ用 ヒテ紀年 ノ連絡 ヲ知 ラ シメ又常 二地 図、実物、 図画、標本 ヲ示 シテ 生徒 ノ知識 ヲ確実 ナ ラ シム‑ シ」

な ど と記 して い る。即

(3) 教育 実践 の画 一化 と教科書 の国定化

明治 の後半、教育課程 の編成、教授方 法及 び学校 や学級 の管理方式等 にお いて、 国家基 準 の強化 と著 しい類型化 が進 んだ。 まず教育課程 につ いて は

、1 9 0 0

(明治

3 3 )

年 の小学校 令 改正 によ って、 「第

2 8

条 小学校教 則及小学 校編 成 二関 スル規程 ‑文部 大 臣之 ヲ定 ム」

と規程 し、 その全 国的画一 化 が完成 した。伽

中等教育 に関 して は

、1 9 0 1

(明治

3 4 )

年 の中学校 令施行規則 で中学校 の教育課程 の大綱 が規定 され、翌年 の中学校教授要 目で、各学校 の教 授 内容 を は じめ、教科書 の内容 まで統 制 され る ことにな ったeg'。 高等女学校 にお いて も、 中学 校 と同様

、1 9 01

(明治

3 4 )

年 に高 等女学 校令施行規則

、1 9 0 3

(明治

3 6 )

年 に高等女学校教授要 目が定 め られ た。伽)

学校 ・学級 の管理方式 につ いて は、 この ころか ら子 ど もを集団 と して把握 す る 「学 級」

の概念 が成立 し、 それ に応 じて統一体 と しての学校運営 を図 るため、

4

月 に始 ま り翌年 の

3

月 に終 わ る 「学校暦」 が全 国的 に採 用 された。教授細 目の編成 は、原 則 と して校長 の権 限 で あ り、個 々の教 員 は単 に校長 の教育方針 の学級化 を担 当す る もの とされ た。職員会議 は上意下達 の機 関 とな り、教 員 の任命 す る級長制 ・週番制 が子 ど もの 自己管理方 式 と して 成立 した。Ol)

教授方 法 で は、 ‑ルバ ル ト主義 に もとづ く段 階教授法 が各教科 に適用 され、類型 的 な各 科教授法 が形成 され た。田

最後 に、教育実践 を統制 す る決 め手 と して、教科書 の国定化 が企 て られ た。 なかで も、

文部省 が最 も重要視 して いた修 身 の内容 を一定化 すべ きとい う主 張 が たか ま った。議 会 の 建議 もあ って

、1 9 0 0

(明治

3 3 )

年、文部省 は省 内 に修身教科書調査委 員会 を置 き、小学 校 修 身教科書 の国費 によ る編集 に着手 す るが、 その とき、府 県教科書 の採択 をめ ぐる 「教科 書事件」 が発生 した。 そ こで文部 省 は進 めて いた教科書 の国定化 を直 ちに実施 す る ことに し

、1 9 0 3

(明治

3 6 )

年 、 小学校 令 を改正 して、 「小学 校 ノ教科 用 図書 ‑文部 省 二於 テ著作 権 を有 す るモ ノ タル‑ シ」 と した。 こう して、 まず修 身 ・日本歴史、地理及 び国語 の教科 書 は必 ず国定 の教科書 を使 用 しな けれ ば な らない と し

、1 9 0 4

(明治

3 7 )

年 か ら実施 した。

翌年 には算術 と図画

、1 91

1 (明治

4 4 )

年 には理科 も国定 とされ、小学校 の主要教科 がすべ て きび しい国家統制 の もとにおかれ る ことにな った。m

(15)

参 考 文 献

(丑教育史編纂全編 『明治以 降教育制度発達史』第1巻 〜第4巻 (龍吟杜、1938年)

②黒 田茂次郎 ・土館長言編 『明治学制沿革史』 (金港望書籍、1906、復刻版 有明書房、1989年)

③唐揮富太郎著 『教科書 の歴史』 (創文社、1956年)

④満井 隆行著 『外国史 の教育』 (葵書房、1966年)

⑤ 『教育学全集3 近代教育史』 (小学館、1968年)

⑥伊勢仙太郎編 『わが国の義務教育 にお ける教育方法 の歴史的研究』 (風間書房、1972年)

⑦財団法人教科書研究 セ ンター編 『旧制 中等学校教科 内容 の変遷』 (ぎ ょうせ い、1984年)

⑧奥 田真丈監修 『教科教育百年史』本編 ・資料編 (建 吊杜、1985年)

⑨二谷貞夫著 『世界史教育 の研究』 (弘生書林、1988年)

⑲茨木智志 「中等学校での外国史教育 の内容」、歴史教育者協議会編 『あた らしい歴史教育3』 (大 月書店、

1993年)

⑪茨木智志 「1894年 の 『尋常 中学校歴史科 ノ要 旨』 に対 す る再検討

『総 合歴 史教育』第37号 (総合歴史教 育研究会、2001年)

1)④ や⑦ は この分類 を採用 して い る。

2)③ は教科書 の発行形態 の違 いによ って、次 の よ うに時期 を区分 している (p.1‑ 2)0 1 翻訳教科書 (明治5 [1872]年〜明治12 [1879]年)

2 儒教主義復活 の教科書 (明治13 [1880]年 〜明治18 [1885]年) 3 検定教科書 (明治19 [1886]年〜明治36 [1903]年)

4 国定 1期教科書 (明治37 [1904]年 〜明治42 [1909]年) 5 国定2期教科書 (明治43 [1910]年 〜大正6 [1917]年) 6 国定3期教科書 (大正7 [1918]年 〜昭和7 [1932]年) 7 国定4期教科書 (昭和8 [1933]年 〜昭和15 [1940]年) 8 国定5期教科書 (昭和16 [1941]年 〜昭和20 [1945]年) 3)①第1巻、p.277‑278、(9p.36、⑧ 資料編 p.34

4)①第1巻、p.276‑277、②p.2‑ 4、⑤p.37、⑧ 資料編 p.33 5)①第1巻、p.397‑415、②p.23‑32、⑧ 資料編 p.38‑41 6)(丑第 1巻、p.421‑441、②p.23‑36

7)①第 1巻、p.487‑500、(塾p.203‑204 8)①第1巻、p.501‑543、②p.203‑207 9)(9第1巻、p.552‑553、(診p.203‑207

10)(9第1巻、p.415‑417、858、(参p.1046‑1049、③p.81、⑥p.259‑260、⑧本編 p.280 なお 『万国史略』

につ いて、(卦はバ ー レーの著作 と して い るが、⑧ はス コ ッ トラン ドの タイ トレルの著作 と してい る。

ll

)

『岩波‑ケ ンブ リッジ世界人名辞典』 (岩波書店、1997年)p.275、『岩波西洋人名辞典増補版』 (岩波書店、

1981年)p.422 12)④p.42‑47

(16)

有 田 :戦前 における外国史教育の歴史(1) 43

13)① 第2巻、p.161‑166、⑤p.53、⑧ 資料編 p.43‑44 14)(丑第2巻、p.254‑255、258、③p.123‑126、⑧ 資料編 p.46 15)②p.210‑213

16)(∋第 3巻、p.150‑152、②p.220‑221

17)(D第3巻、p.38、151、③p.147‑149、⑧ 資料編 p.51 18)① 第3巻、p.155‑159、②p.221‑226

19)④p.128‑130、⑨p.20‑22、⑲p.82‑84。⑪p.32‑49

なお、⑪ は 「尋常 中学校歴史科 ノ要 旨」 の歴史教 育史 的意義 を論 じ、本 「要 旨」 は教育行政 的 には基準 も しくは標準 と して 「訓令」 されず、 暖味 な位置 におかれ た こと、 また本 「要 旨」 は(1)学科 目 ・東洋史 の提 唱、 (2)国史 ・西洋史 ・東洋史 の三 区分法 によ る歴史教育 の提 唱 とと もに、 (3)「世 界史」教育 を提 唱す る も ので あ った ことを述 べ、新 しい意義付 けを行 って い る

2 0 )

① 第3巻、p.194‑195、215、②p.860 21)(丑第4巻、p.274、

22)(丑第4巻、p.307‑311、②p.897‑901 23)①第4巻、p.472、477

24)(彰第3巻、p.200‑204、(塾p.229‑231 25)(む第4巻、p.154、②p.233

26)① 第4巻、p.178‑181、②p.236‑239 27)(9第4巻、p.211‑218、②p.268‑275 28)① 第4巻、p.21

29)(∋第4巻、p.178‑190、192‑268 30)(∋第4巻、p.284‑344

31)⑤p.94‑96 32)⑥p.294‑308

33)(彰第4巻、p.693‑700、③p.191‑218、(9p.96‑99

参照

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