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ちりめん本とその周辺

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Academic year: 2021

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学外の皆様からのご支援

 書籍にかんする仕事をしている人に「ちりめ ん本をご存知ですか」と尋ねて、「知っていま す。」と答えられる人は全体の一割にも満たな いでしょう。いわんや、ちりめん本を手にとり、

あの独特の手触りを感じた経験を持つ人は古書 店主、蔵書家、図書館職員の中だけにしかおら れないような気がします。さらに、全国でちり めん本をコレクションとして所蔵している図書 館、資料館はどれほどあるのでしょうか。いろ いろな方途で調査をしましたが、かろうじて10 館を見つけることが出来ました。見方によれば 10館もあるのかと思われますが、特別な書物で あることを考えれば、各館の収集努力は相当な ものだったと推察できます。京都外国語大学の 皆さんには、昨年、5月に付属図書館で「ちり めん本展示会」が近隣の中学生と協力して開催 され、たくさんの方がご覧になられた事と思い ます。また、2007年5月には貴校が創立60周年 を迎えられ、それを記念して稀覯書展示会「文 明開化期のちりめん本と浮世絵」が開催されま した。その折、ちりめん本の全容を垣間見る事 ができる、見事な展示目録が出版されています。

展示を見ることが出来なかった方は、ぜひ目録 に眼を通して、ちりめん本を知っていただきた く思います。

 絹織物「ちりめん」は天正年間(1573年~

92年)に中国の明から堺へ入ったのが始まりと され、全国に名をはせた 「丹後ちりめん」 は江 戸時代の中期に宮津藩と峰山藩の領地内で織ら れていました。絹織物「ちりめん」の美しさを 和紙を使って表現し、書籍として出来あがった のがちりめん本です。このちりめん本を作る事 を思いついた、最初の人物は長谷川武次郎と言 われています。嘉永六年(1853年)に日本橋で 生まれ、33歳の時、すなわち明治十八年(1885 年)に長谷川弘文社を立ち上げ、欧文挿絵本を ちりめん本にして発行します。その多くは日本 の説話、お伽噺を英語やフランス語、ドイツ語、

スペイン語、ポルトガル語などの欧文に翻訳し

た書籍で、翻訳は明治初めに来日した外国人の 力を借りて行われました。本作りには絵師、彫 師、刷師がかかわり、絵や文字が刷られた和紙 は独自の工程をへて縮められ、和綴して出来上 がっています。ちりめん本を販売したのは長谷 川弘文社と当時、外国書籍を扱っていた丸善と 中西屋です。明治時代に欧米の書籍・文化を輸 入した丸善はあまりにも有名です。また、神田 神保町にあった中西屋は丸善の創立者である早ゆうてきが明治十四年(1881年)に開いた店で、

洋書古本を扱う草分け的な書店でした。中国と 西洋の書物を取り扱う書店を表現するところか ら 「中」 と 「西」、すなわち中西屋と言う屋号が 生まれました。外国書籍を購入する顧客には当 然、外国人が含まれています。日本の国家建設 にかかわった外国人が書店を訪れ、異文化の香 りがするちりめん本に思わず手をだす姿が見え てきます。彼らはちりめん本を母国へ持ち帰り、

その美しさは家族との団欒の中で思い出の花と なったでしょう。

 ちなみに、この中西屋があった神田に本屋が 顔をだすのは明治十年(1877年)以降です。世 界の歴史において、神田に並ぶ書籍街はないと 言われていますが、江戸時代は旗本屋敷の用地 でほぼ占められ、本屋は一軒もありませんでし た。神保町界隈で最も早く開店したのが古本店

「有史閣」と言われています。のちに「有斐閣」

と改め、法律書等を出版し今日まで続いていま す。近代国家を建設するのにはまず、法体系の 整備が必要だったのでしょう。また、大量の出 版物を発行できるようになったのも活字印刷が 普及し始めたからです。

 西洋に追いつこうと、一年、一年、凄まじい 速さとなって書籍街が構築されていきますが、

過去も振り返り振り返り見直されていたのでは ないでしょうか。だからこそ、江戸時代の名残 である版木による多色刷り本がちりめん本とし て新たに登場したと思っています。ちりめん本 は昭和初期まで細々と出版され続けたわけです が、後世に書かれた出版史にはちりめん本にふ れた箇所はあまりありません。人知れず、消え ていった書籍です。図書館等で所蔵されている ちりめん本の多くは外国から里帰りした書籍な のです。

とりい かずやす(植物愛好家)

鳥居 万恭

ちりめん本とその周辺

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