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田 舎 町 と そ の 周 辺

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(1)

地 域 研 究 第 6 樹

田 舎 町 と そ の 周 辺

ー 吉 井 町 の 場 合 ‑

岡山大学教育学部社会科教室 内地域研究会

イ T

1

J 。 1

」 ̲ ̲ J ̲ ̲ ̲ . ̲止 上 . . 二 . ⊥ L̲ ̲・ . 〟

(2)
(3)

は し が き

「[日食町 とその周辺 」‑ 吉井町‑1を地域at究 V リー ズ窮古称 と して こ

に公 にす る.

地域 研究開始以来d年 目になるこの虻は ,従来の研究対 攻の分布状況に飼 して .備前 の国境にある東櫛 の吉井町 を対束地 に選ん だ。

吉井

町打.

出離 2 9 5月1日 .周匝 .山方 .肘 自北 の三 村が合併 し

,

「吉井川 」D 青井 i̲・ 新町名 として発足 し ,その後 ,昭和3 1年9月 5 1a .仁朗 .布部弟 の大半 ・i・稀入 して今 別・⊂ 至 っているo 「行 政U)合迦化 と冗少の節 約 」をpLfい ,全国画一 (Y̲I(・こしか も急yポC,:行 われた 町村 合併 であ っただけ・粧 .皇凶到 る ところで艦首如 を薬 でたが .・Llf井町(,3勘合 ど うてらったか。

成立 した広域市政地 が .住 民の生 活実感 と相即 Lた も

,

I)であ り.契質的72機能単位 として 存在 してい ろか .

i

Ll'i・して ,その間 雌 とズL/打をかっ たか .噂 に研究上 の輿 曜7Ltけではか(。 卵 白 の

吉 井

町行 政にも必賓 で参る。

さて ,周肘 ,1.新 町吉井 の政治行政上 U:'中心 で&,i(, , 拝辞 ・教

r

I・娯楽等L)セソクー で あ る。 田舎町 が ,ヒ./ター ラソ ドとしての周辺 血相†∴':ど うかカめ りみヘ ビの亀乾住 民vl生チエ賢 求 を充足 してい るかは .アメ リカ錘村社会学L'Vせ如 た0‑11した 即究デー ‑/で.i,り ,この研究 が ア} リカ曲村行 政 に寄与 した功織はA‑ELl.奄 ものであ ったO 鮎市化7:・櫓 速L/C進匝 し .広域行政 圏が叫ばれ てい る現在 ,田舎町の実態究明は .魚

R

o急 を必喪 とす る今 日的雌 てTpわ .そ',) こと(・JC上って19世紀的 改煉村 ロマ ンチVズム

か‑一去った新 しい 「町づ くり」O兇 やと発酵 を礎供 しf=くで はIf=らないoお 一周匠は

,

阿 u心 時 代 粗

町 として.線 上 ・・Y・S上交通 }・?電池 , さら(・Cは間原町 と して栄えた艇史 を・I 持っている。 しか も ,佐 伯 ,虫RJl等 の家老在 所 として栄え た町分が .雅 史の流れ とともに,地相 (・て還元 して Ltったのを上そに .周配 は .いま夜か .セ

ンター としての機能 を採ち ,と

忙殺近 でtl.そd点能 を増大 しつつ ある。 こうした摘

の 歴

史と現況を立体 的 ・多角的 I/{̲考察す ることけ .とれ迄個別的 研究 L/ベルに止 ま り ,とか く等 親 祝されて来た 阻舎町研究i・参るだけに ,恥味を唆る ももつが あるO成否 什別 と して ,研究q)一班 5:これtn=さき .4)えて .辞鼠に掲げたの も .そ うした滞 由か らで ある。

ところで .広表 8

4K桝

に拡が る周旋の ヒyタ‑ ラン ril吉井 川流域の谷底 平野部 と吉備高 TjF上の締 軒 と忙大 きく分け る ことがで きる。

L ̲̲

(4)

周旋 と走らひ ,書井川 とと もに発展の歴史を刻んで来た谷庇平野 も .条里制退棟に も知 られ ること.(‑古vl歴史を もっている。 しか し .その姫史 も ,エルギー革命の洗礼を受 け ,吉井川 yム建設計画に よって終止符 5・打つか否かの漸 戸軌 こ立 た されている。

戸毎に船 られたダム建設反対の ビラは .阜 こと忙印象的で 参ったo この谷鑑平野 に展開 した 自然 と人間 ,人筒 と^聞 .地域 と地域 との縮合 vl.鮭付き打 ,惜好の研究 テ‑ マといつていVl。

l

しかも ,他方 では ,榊厭鉱山 とい5労 他市が近 い平野部のBt集 も .全匡的 な瀦美化 と軌を一 つ托 して ,ダム間短程 ドラ マチックではないが ,鮎

忙そ して大 き く射 ヒしっつるるQ との変 化が変 った とも ,魯るvl

‑ ユ

変 らない ともvlわれ る伝統的 夜長村 の生精錬式 .思考様 式に どのよ

うを彰啓 を及rl'したであろうか この間姐 もまた吾々匂追求 したか った ところで 参るo 谷荘平野 と地形 上対照的な吉備高原上の高確集落打 .どの ような生活東他 を皇示 してV,るか も問題 として艶味が 奉る。 くっ き りとした地形 上 の対比同印材清掃準 もまた脊 し

いコ

ン トラス トを示 しているだろ )か。そ うでは なくで ,全国を洗った変動 の波は この山村を も洗い尽 し . かつての山村の閉鎖性 は餅れ去って、しまったのであろ うか凸山村妃tr,もはや村落共同体の件

を もて .周鑑を中心 とした新 しvlセカyダ リ‑ な共同体 を形成 し ,それ 忙象与 しているだろ うか凸そ うしたことを問題意取忙高 取集落を選 び ,飼養 することに したo

なか,こO鵜野網走 に当って ,一般的 な飼養 ,旗堰 中心の調査 とに ,イ yデノUlなケー ス .スタディ (串例研究 )を実施することに して .是里 を対粂地 に選び .研究計画の

軒をそ

咋あてること托 した。複雑を社会現象をとく糸口を教 え ,盛付 を正 しく理解 させる上に適当 た と考えたか らで あるO成否 は別 として .的恵 に必袋をチー ムワー クけ申分なかったと思 う。

もちろん .研究 員的がその せせ遵 成 された訳でけない。三年次生 を中心 とした研究で参 り, どれ程耗卦 把研究 しようと増 え酔い限界が参 り .限 られた短時 日の桐蒼であってみればなかの ことであるC Lか‑し炎暑 を物 ともせず .駆 けずり廻り ,一年の才月をかけ た学生括君の井努力 は大 きかつた .無理 とも思える安東忙 岬 を傾け ,再三再 四朗壷 を行vl.文字通 り心 血を圧しへ IL,Ibの もあるo問題 は ,そ うした其単 な努力 に充分答ええ万かった青 々の個にある。お詫びす ろ他 (,11ない。

後に ,本納査に終始かわら助郷 払力を澱いた冨井町長荘脱恒 ,敵背長甘木代三氏癒赦課長 岩林実Ltを任 じめ ,町当局 .町鼓金 ,有志各位か ら物心

両 面

の姓‑Jjを得た。 これ な くして舶査

(5)

Lriな しえ なか ったであろ う。 町内各年按 を推 じめとす る各 部紐体 の払力 .兜陣の 簿供 ,伸教 示 を 破 いた万 々 ,楢を接供 して下 った長里の 卓也快

氏,

正 宗仁,Lと‑.氏 ,棟木氏 に もここで)./‑(御礼

I/i:佃 しあげてふ く次窮 であるO

寸髄 を書いて参加戚 いた向山 市市教委 の金谷東 天氏 ,卒 実生各虻 ,陣 中兄適 を成 しへた池畑 野江教 諭の 如意 も心

泌み てい/D,叔 えあげれば限

b

別 、人 々の

意 と腕力 とに よって ,

O朝告滋が LL成 上 ったこ とを ,今RiO ことく疎 く味わい ,̀光弘と して娼 L:る。 しか し ,そ うした御uJ,.

. h

粧応 え るL,紘 ,余tiに鑑撃 て托

. L i > Di ) I ,

強力 であ る。 妻 ら・JAh点l .汁,今投に仰す るこ とに し .ともカーく

に公にするb .

不 充分を都債iJ;であるが ,偶 係各位 の

意の一部 I・̲でも答 えるととがで き ,吉井町莞鳩の鮭‑6と で もなれば ,率いと、九に趣 したE̲とれ なしヽ

卿 依苛

む公 略力潜れ ,沓力 むiK

k E

悠 毛:かか 1したが ・ そJ)此 ま,米相 .,こあ ることを

1

に付 してか く。

参 加 教 官 谷 口 ,漁 夫 虫 朗

石 田 寛 : 米 村 昭 二

学 生

5 5年次入学生 中 見 貞 子 商 卒 仲 I

5 4年 次入学生 脊 木 戚 平 天 野 尚 子 ̲ 池 本 帖 司 片 山 忍 光 金 田 腐 義 近 藤 %‑ F:i 高 m 浩 二 寺 内 辞 兼 草 餅 一 之 庶 悦 子

&

田 蒐 堀 江 .L侵 F一枚 本 男 鹿 明 華 保 類 本 幸 子 uJ,.下 紺 青 EE) 弘 匡 渡 辺 ^ 千代 5 4年次入学 法科学生 坪 田 零 紀

5 3年次入学生 安 篭 件 横 山 TE 夫 井 上 百 姓

5 1年 次入学生 小松 原 文 位 ・

特 別 奉 加 '

プ ラL7ル留学生 近 鋪 草 子 L

(6)

l

弟 1 牽 吉井 町の成立 と発展 (械 田 安 紀 )・・・‑ ・・・・・・‑・・・・.・・.・・ l

t 節

2 葦 地 理 的 Zg境 (虫 明 雫 保 ) )5.

第 5 卑 谷底 平野一周rtE地区‑ ェ

第 1 飾 舌 代 条里 の 仲 野 (井 上 苫 堆 )‑ .・‑ .・・・・・‑・・・・・・ 2 5

2 節 地 形 と 土 地 鞄 発 (磯 山 正 夫 )・・‑ ‑‑・・‑‑‑・・・・ 5 2 5 節 佐 伯 y ム の 間 取 ‑日日・.・‑・・・‑‑.・‑‑ A・・・・日 日,・.・.・‑‑ う り

4 壬!口 商 品 作 物 の 換 魯 (安 選 修 )・・・.・・・‑ ・・・.・・‑ ・・・・ 47 ,

5

家族 と同族一事 生部落‑

L ・r#族 珊成 と役割分担= (小松粁 文 堆 )・・・‑・・・‑・‑・.I‑

̀ ・・ ‑ ・ ! dU

2. 同族 の構成 と機能 (矢 谷 原

)・・・‑ .・∴ ・‑ ‑・・

‑‑・・ 7

b

'Zl, 4 高 軒 集 落

.

:..n, 1 節 中 敷 ・* の 集 落 (藤 田 晃 )・・・・・・・・‑.‑・・・・・・・・ ・‑ r:, a

St 2 珊 八 島田の集落 と姓幕 (池 本 佑 司 )・・・・・..‑I.・・・‑‑・・‑ :・・ ? y

・宗 .5 車 市場集落 と しての周旺寸 の歴史 ・生活 とセ y トラルテ ィの間 組一

1 節 周 肝村 (串 生村 )近世前脚忙 おける土地 所有 の批移

(青 田 弘

)‑ ‑ .・‑‑ 〜‑・・・‑I l l a 第 2 飾 陣 屋町の形怨 と榔 巨 (金 血 願 那 ・・・‑ ‑:‑・‑・・・・J・1‑ ‑2 4

5 飾 交通 費地 としての商業 的機能 とそ の変遷 (近 藤 竜 顔 )・・・・ 1 5 4

1第 4 部 局匠にかけ る結 節的機能 とそ のサー ビスエ リヤ

(片 山

光 )・・・‑・‑ ‑‑‑・‑・,・・・・ 14 9

?,I S 節 周柾 とそ の/クー ラン ド

ー 町村合併 との四連 について‑ (三 宅 克 薮)‑I.‑・・.・‑ Jd2

(7)

第 6 節 周 帳 の 家 族 (帯 木 炭 平

)‑‑. ‑ ・ ・ ・ ‑・ ・ ・ ・ ・ ‑ ・ ・ ・ ・ ・

2 u4

7 節 田舎町の マスコミ (天 野 尚 子 )‑ ‑・・=‑・

J ・ ・

・・‑

・・ 22 日8 節 官 投的典団一 社会教 育印体を中心 とす る‑ (高 田 撒 こ う‑ 2 2 '' 第 7

南 原 集 落 と し て の 長 殿

→一軍一冊 研 究 一

1 節 自然 的 昂 境 ( 本 伸 1 ‑ ‑・・.・・.・・・・・・∴ .・・・・・ 2 4 1

2 節 穫 妃 的 発 展 (松 本

叔 弟

) ・・.・・‑・‑・‑I‑・・・・‑・・‑一・・・ 2 L 5

第 5 怖 所 晶 作 物 の 隆 替 〔 見 息 子 l)・‑I‑・・‑I‑・,・・,‑ ・・ 21, Z

4 節 土 地 所 有 の 虻 化

(

如 鴨 + )・・・・・・・・・・・一・・・ ・ ・ ・ ,

1 L l

・日

, T J 7

5 節 LJj村 発 折 の 現 況 (楳 事 寺 子 )・・・・・・・'・・・・・・・‑・・・・・ LJ J /

d 節 家族膿成 ・役割分担 と家族 をLG1‑n郡 司額 〔JLl 下 悼 i')・・・ LL ZJ

荷 7 番 同族 の形lJlL:・発展 と機能 ( ^ 辺 八 千代)‑・・・・・・・・‑・‑・・ i A. 4

. I . 6

8 年 中 行 卑し (堀 江 Ffl・・・・‑・・‑I.・・・‑・,・‑・・・・・・・・1 5

lj3 9 節 祭 礼 組 綬 (寺 内 好 菜 ) f

'‑P,‑1O 節 山村 の統一 と再編成 (萩 野 之)・‑ ‑・・,・・・‑・・ う ′・7

特 別 報 告

長里の生態学的迎礎 近 痛 孝 子

(8)

第 1章 吉井町の成立 と発展

械 出 安 妃

⊂調査の 日的 コ 町村合併の歴史 恕 汲じて ,新宮井町の粂体 と間硯点を正 しく把握 し ,将乗の エ9良 き発展‑のオ リエソテーシュンの一 助 となれば幸 いである。

⊂調 奄 方

法コ

に先立 ち八月下旬県庁地方項 で町村合併 の債老台調べ た。調査第一 日は 町与 とイ/クLJユー Lで帯非町a)碍 管と周批 点.亡つかんだo二 日tj以漁はそれに基づいて町役 ErT裁f7委員会学監その fLqの 行政規 淵を中

忙 して 13

りと資料iltLめに寄与ぬしたJ

〔患 者

1 . jコ

涼田式天 : 「日本 地方

町 政

詣展史」河

山笹1 1 7 紹邦

26

松下憎 正 : 「行政法tL#

;

」J

藷支社 眉和

56羊

田 奈重唱教 大学LILL与吋 虹生研究所 :「三,Ftq市一 吐虫生活

O諾I i 8‑」

掴常

壷汗

故大字社会畢 科竿 軌究所 :「蜘 寸の1」力持遣」

第 ‑ 節 吉 井 町 の 成 立

軸 敏の民主 化の ひとつに 地

L

・.iがもけ られるであら )。 艶 去綻新た(,=戒十 八重 で地方 自治 I:・こついてiiI.ぺ ,H/3胡 22年 には地

E3漁法 (症 やd67号 )が附綻された。そ して こうした触 ●

鼓 の地方 呂福にとって穀大 のモノン ト(つひ とつ ,こなったのが出 ir主√てZ;DH'・T付合併 であった○

軌印 28革 9月

1

日町村合 昨促進法 (・=1.

‑ J

.LT,

2 59

号 )が

5

ヶ年 の特損 立法 でill'擬 され,翌 月 1 0月 1日エ9柘行 された。そ して ここにほ う大 在エネルギーD消史 と多大のよき苛 を注 して . 多くの訴 LLへ6‑卵 1‑が 生み出されたのであった。昭和 51牢 9月 5 D日この法

旺失効 し ・新 た

に 10

1

9斬 市町村建設促進法に切身 モえ らiLたのであるが合 併紺

勺1

万を敬えてい た市町村江今 日約

5700

余 (,'Cその革 をm じ〈るo

さて的LU

L ) , t

t,(かける町村合併のプ ロIjLスにつ.・ へて 見ると合JJF的紹和

28

年 5月

51

日現在

6

74

町村

252

相 (合計

514

)あ った もD,う・'.町村 合併促進法の積 った姫

祁 51

年 9月

50

枇 1 2

69

24

村 (合

か 05

・)と前に戚 じ ・那 昭和

5昨 1

、 5

日現在 は 新 )で

抹 1 2柿 d9町 16

・fl(合計

97)

となっているQその計画達成率は弥

印 56

7

1

日現在

に凶の 目頭

I D 97

0/0,県の目深の

92

もに遥 している。勿串,この数字は全国的に見 て決 して高 くJIiな くなか!て!・1日環を 控えている ところ もあ るわけ であるが ・ともか くも合縮 十

(9)

画が予定 された朔甥にほほ 計画 と卦 り消化・3れ たこと告示 している。

第 1費 菅 井 町 の 成 立

期 日 形 式 薪 町 名

村 名 人 口 面 識

昭和

29

年5月

1日

合 体 青 井 町 佐闇 伯方匝北 村村村

2. 1 2 . . 276 i25 46占 767 人 1L 9 L . .6 . 2 5 h2

(琳

庁地方練調べ ) 第 2

衷 耐電区画領及び特 別会計

区 名

面 研

旧 村 名 特別 会 計 唱和 55年度

法界オ出面

周 止 軒 垂 直 LU万 灯 産 直

佐 伯北 財覆区 99と

i反

周虹村 (旧周虹だけ〕 1 2.6

0し 〕DF q

8ム69 山 方 村 6 1,1

G□' J

( 誌

務 浪 岡 べ )

7.〜+

‑、 ‑.: ̲I : l ''二 ̀ 御

‑ 2‑

i :

第 1回 菅井町の位荘

(10)

こ うし7t状況の利 てあって新 しい青井町 姓どの 上う,cLて成立 してい ったの であろ うか。昭 和

29

5

1

日この 日他 の多 くの新 市町1寸と共 に岡皿付山方村佐伽 ヒ村の5付が合 併 (‑令 体 )して新 しレ増 井町が誕生 したo当時 の人 R面触 6512人・51・2Kh2であ 9.新町 触 合併 軒 守

に もある とお り

「県下の三瀬 ‖憎 井

0線姐 で沿って存立す る関取打妊 蓄井川

J の恩吾 :てエD今 日の兼轟とみた ところであ9・罵る ところ を知 ら81)甘 菅 井 Jの呼柵まFT町の 名称 として

も相応 しい もの」 として合併 促進謹 厳 で・:ii第一数 決定 され たのであ ったり とこ ろで一 見スム ーズに見え るこの合 併VEも潤 掛が如 ▲ったわJrTで比 ない。 ここで少 しこの合榊 こ 唱する空夢続,・7‑‑11こついて述べ エ r)9 28ヰ 7n 9日これまでの合 併町 村の視察の 管 長,/I̲・貰づL・、 て

血 .LiJl)‑,亡堀 .桁都 電パ主軸

L5

ケ相

帽 読会が 凋催 された。そ して

9

10

r]には 赤群

比g:5//材令

t . T挺

進漆 丘会が 璃止

′ 」

朝 で5ケ村 J#艮4 5名 (各村 9人 )出 肺の 元に諒

t

・'〜Tされた。 し:Jj,し合併

け丘定 逆卿 ⊂つ

いて

‑dt<.I:入ったので.bるが .帝 JT<'卓功

位 胃の遺産

について

qてl重 し .仁砧 ,闇 毛

2ケ. 寸蛋且は

佳胤 と地且・.こ1東通 吋香 色は rj虻

円にむにす

ると双方 車領に主嬉 し .ついにその年

12月21

日合併 促進J会は ・:て攻0止 むなきに蓋

った

の で,?,'つた この こと

硯を O新

合が町のR丸大二手喝山 地.こある こ とと合 せて篭 めて

江口

され る。元 /Iこ0 5村 と

2

村の周には施蔑杓はtEがある。 何者が北;‑ 斜面であるの 忙反 し ,

布むi

車 ,仁湖の

2

何は向斜面

ijLそ の棚 き小Lll脈 ともい うべ 糾 ilで二 分 されて いる

た. J o

,人lJ;1, 札付 .懲 帆及 び生清秋 了l害意同 じ(す るに もかかわ らず 交通通 信の不淡 さJ‑.▲らとか

く行政

一体

性モ欠t/,ていた ようだ。それが合併 ケこあ7こって市町緯韻のIR圧で章句化 した といえ よう。‑Jとし て この間掛けそ 0

‑ gま

鋭 在 の書井町L)をや みてあ りJJyである。

. さて この合tJFで もうーっ 珪目される点があ る.それは28年11月 1 0日の

Il小香 艮金で 僧正村か ら提案の あった .書井川対岸 晦 村に合 併 0噂盟が 参れば参邪 念望める としへり

題で ある。籍局 この間脳壮 次回

12

10

日の同小委 良全で撤回盲iL.又同一 部内の合併 と

う蚊 の 方針か らも実現 しなか った① で あるが実態 七無 祝 した行 政茎 こは 大 きなF'巧過がある。全 く 土煙里的名に過 ぎなLl郡が今 日その名称 としての在宅 転捷す ら失い つつ ある現 在 ,改卦て考え 屯 て見ふ 必要が あ りは しなレ、だろ うれ 備前 ,宅作 とい った国 や '赤磐 ●和 気 ・美 EB'久米 とい I

った行政区画の相 異 エ 9菅井 川中耽盆地 ,畑地 地 と もい うべ き中心 と した経 細 ない し生括 血の大岡合併が是非 とも必棄てあ9.やがて比 日篭れ上るであろむ とい うのが町長の 考えであD I 又私 の考えである。

の間願比地理 的Kのみ な C.す字 改 止読身 更な どの話徴発 i'Cも舛 栗のある

ことなので」 間hIrtの地攻的統一憤 維」む ところで くわ し く述 べたい0

年 が明けて

男 29

1

月草 々 宜 ,LU方 ,炭価 ヒ5吋 の村 長敦長金が開カ九 ・早 くも1月10日

3 ‑

̲̲̲̲.̲̲̲一■

(11)

にはろ醐酌 ヒ部 5ケ村 合併促進協議会が売戚 せれた。 しか しここで も新 庁舎の位盤の 選掛 こつい て意 見が一致せずそのま部 .Jlrl.会 された。そ ゐ直 後

1

5日佐 傾 ヒ公民館で合 併態議会が開かれ ・ 新 庁舎の位置 についで洪 韮巷嶺 の籍果 闇払村長に 白武一任 されたlt'であ った0‑万村長領置会 でもこD問題は新町鷲 足

i/⊂選定す る ことを諜藁 ,よ うや く

26

日満場一致合併条件 協建 醐 及び 申合 せ事碩 含決 嶺 した0 1月28日各村は村 議会 食説 き ・これ叉蒲原一致合併 敏 夫を行っ た,Dであるo聞 趨uj多か った役宅糾こついては 周旺村大字 周WiiJC新箪する もgjとして新庁舎落成 する ‑iで仮庁舎 と して旧剛 圧村役場 を駿 弔 し .LiJ方 ,佐 伯北 の 旧権掛こ出張所を設ける ことに な ったっ合併の場合いつも問題 rLなる村有林 につV'て虻そ の評 滴が一致 しれ 1たLlb ,旧吋区的 t

r中

位 とする材蛋区 として 残 し

,

旧氾 舌市 藍する ことJ/=た つ・k。そ の面和そ・‑'/J

他こ ‑ 1

第 2衣の と か ̲()で.らちが大要山方仕両帝 大

,

佐イ朗 ヒ壮 絶質 ともに鹿富 ,闇LLEtrl逆 I.^=丑乾 ともにわずかであ るo 片肺前相の主董財源の ひ とつであった付ノ銅 こ うして地方 El治法 の改 凪 てエ

材壁Lg̲(

地方 日給.去

爵 294

桑 以下 )と して法 的にも空走 し ,地区蛙民の 公共施設そ のに貢献 してい ノつo

iJL二凍 瀕の桝 佃法先の合

g F

の最荷段曙で脱落 した

2

村か棚 か ら取 i)戎Jされた形 とな り .こE, 亡に

村合併/挺進連の51功直前51年 9月5 0日納入 とい う形 で実 質上 対等 合併 したtL)で ri)1',, こi/3:/rJe・1同年4月2 5日 5ケ町村 合

態薮会が如かれ ,7月 50日J/Cは顎係町村 議会で滴 数

;.‑,・‑.'5れた。 ここでe)間 組は市部等村uIJ墳串につい、てで一あった。 勉鞄的事情か ら

津町へ入 る こと5:希

する大字石上 ,中軸 {L)各一部 ,rt札こく赤坂町へ脱入 され る合 田の一 瓢 と

の ,

LIi界

つい て敵対町村で私感の詰果 ,蚊地方課長‑一任

解決さ れたので あった。 この

2

ケ村

に ノ 1

.村 有林 もな く大 した ことは なか った とはいえ

,2

年半 のブラyクL'/j慧果結局元の形 に落 ち磨

き ,しか も'('ia粒.慮a)希望 もかなえ られ なか った酪粟住民の心 rl]は 複雑 で.Jbったろ う。元 々多 少,D頓軌 ま承知 で整庁され た町村合併であ って見れば こa)毒血の 曲折は

胤 .,Cは ‑ならぬか も如 TL血が長い かせ と大 きな荷物 恕背お って新 しい菅井町はこうして成立 し

いったのであるO

舛二 節 関係 村 の歴史 的 rF'審I

決忙青

井' J T

ldr悌成 している関 蘇旧村の腔 史的 rF.1革 を明治22年の町村制‑kr・P,LJ/Cして簡 単に I

ふれてお・こ う。

(I) 周距村の沿革 ‑.

,:JL】血相Id襲長年潤

) r

mFl(

邸に

琶 して ,

l T l

]山村 ,草 生村 ,衛沖村 と称 し.珪莞 2年

椿掛

けは

箱 田村 と改称 し ,また明治 8年分村 して河 原村が発足 し4ケ村 となるO 明治 22年 町村制

‑4‑

(12)

施行 に エ94ケ付 を合併 して周卸

歳托 し・傭 寸名を もって大 字 周匝 ,草生 ,福田 ,河 肝 度の

4

大字 と して現在IJC至 るO

(2)LU万付のrFT'革・,

町村 削施行に エD鞘 白J?2年 6月鼻里 村 ,

山村 ,熊太村 ,黒沢村 ,中山村 の 5ケ村 を 合併 して山方村を澱催 し,旧村名 なとって 度Ei.軌 J,異本 .熊沢 ,中山 の

5

大字 と して 現在 に至 る。

13)佐伯北 村の 信幸 ;

明 治 2 2年 1 0月町村制施行 にエってうと 1,古村 ,稲蒔村

, 藩

田村 ,

八島

和村 が合併 して佐伯北村 ILd:遭忙 し .旧村 名を とって7ヒ木 ,ち ,禰 蒔 ,A.・乱

島 田の5犬i:と しで現 在(,こ至 る.

川 1‑̲二堀村 の沿鼓 I

に僻

比麻衣 郎仁相丑 と称 し ,赤坂D地 名は

J g ‑ . 芭5

年認 在のLll苛町田崎付近 にあた

′ 3こ

とが備前

L

ii瞳 に よって叫 ちか である。その鼓社長串間L,C1.{仁堀付火手塩

性 岡山卦こ略 し た こともあったがに堀掛 ⊂浸し ,明細 22年収 村 .中考実村 ,戸津野村 ,=lriHJ村 .仁堀

i i

,

i

付 ,仁卿 帥 ‡,仁堀西村を合併 しで 仁

F比 疎し幼在に 至る。

(r') 布

更村の

麟 ・ ,

布部重科 は もと平榊妬 ,

唾部

茄 ,仁堀雀

,

席同社 '/C釦 rEl,.!とが

,

=

i

12

jjI.Lj.

̲t村 と.Ifi5JrJJT竜村 が合 併 して含 EB村 Ja:作!),大粒LU付と佐野相が石上r:Iに郎 FLで 含・田

村,

中細村 ,石上村 ,小錦村 ,商根 付 .拡戸

村の 6

ケ村 とIa 少 .明

斉 22年 6

ケ・Tlを合 uFL で満都童村 と改称 して旧村名 を大 字 と して現在に要 る。

第三 節 吉 井 町 の 行 政

前述の よ うな凍 過 きたとって成立 した‑#井町吐合 僻箆 どの エ F)に発展 して きたで;bろ うかO 郎 椎 の間執 it′げ こも同 じであろ うが ,掛 こ青井町にあ ってはその合併 の過程 から ,行政の 一体化即 ち等痩巌 合 ,交通通 信の垂柵が 目下の 急務であ り,‑‑方 これ とい った地元産 第・D‑ない 町に とって ,と t)わ け人FJ

U J 白

土L;I:iJri L'L・.T.Lよ.'二人

C

.:占,bてい る剰 );か ら ,g連累 基地の 鉱充 ,

鹿

繕蓮の改 昔は将来の町民生 活の向上にか けがえのない もの で ある。 こで この姉では これ らの問題 台中心に して .盲井町の行政 とそ の蒐

L h

j重 な とらえ ようO

(‖ 町 の 財 政

町 財政 を明 らかにする ため'lC蒐づ第一 園 ,

= 圧は .計 rるo昭和

55

年度決31‑預に rる

‑ 5‑

」 ‑

(13)

普通「蚊会計故人歳出の割合は ,回の とかDであるO

(14)

哉人 材源綻 .税収 入 と りわけ rF町村税の占める比鰐 が筒 い名 自主的 自立的 である こ とは h うまでもなし1。 しかる 忙吉 井町の 自主 財蘭 た る町税は か ゝむね 5 0市郎l'5̲であ 9,弛刀交 付 税を訓 えて も

70別

⊂満たな T/I. これ ま菅井町 Z)臥 ;しへか(,‑C貧弟 であるか な物磨 っ

てレ1るO

弟 1黄 歳入中㌢こ占める税収入割合の変 遷

年度別

税目別 S

5 1 3 5 2 8 5 5

, 4

8

5 5 ! l

町 税

35 ,5卓 52

55

くち 5

1 .1 % 2&?i

地 方管 内 杭

26.5 55 45

58

. 5 59 .1

計 6 0 . C l 67 78 69 ,6 66. 0

しか もLTl蒙 忙上る と .昭和 52年以 究筏入kす庇0‑ 位は地方 焚付説であ Jn,二丑 町 税 の 占める 割合が年 々債下 してい くの托反 し.一

万・

2)これは年 々そID比蓬 を増 してl/Lるのが

状 で.lbる。滋近5ヶ年欄の歳入誌写比 も 1クと 7u卓'D:曾打 を示 してい るか ,それ に}・J して地方焚 付

和 51

年度の

11241

千月から′阿部 55年 既は

27 .928

千円 と果 VE

149

串 の増 刀ロ,m ち約

2

倍半に増]Jpして

い. D 。伯

山 5

6

i

F L X

5'

過才i

f説

;

' h

if2表の とか

bであるが .吉井 町は走破町村 上 りずば抜け < 多く ,県下

85

r

相中 占冶EJ't去 る。

2

表 唱和

56

年 度市町村 別せ通 交付税 (.昇焦分の み 〕

「一志 名 町 名 普 通 3',=付 議 碩

M N J 1

皇 軍

君? 町町 5

15, l ,699 595

千 円 御 汚

部 町町

22, 之5. 808 595

和 気 的 町

18, 447

1 ‑ / ,41 9

郡 久 米 両 町 2 5,8

9

8 (県庁地方陳 )

一 一7 ・

(15)

普通 交付 税の 井定 基 纏 になるOは 基準財 政詰濱 濠 と収入 鑑 とである が ,青井 町 は両村 が広 くそ れ に伴 う事務 通信 交通 愛な どの行政 鮫がか さむ こ と .町 道 が多く(寵延長

459 ・210 0

1)その維持 管聖 資が 多額 t,{のはこと ,学 校政 が 多い (幼稚 園

2

.小学 校

7

,中辛

世2

, 組 合立定 時別高

校 1)

ことな どか らそ の 財政需要 霜 が増大 す る

. q

反 し ,曲 業 中心 の産 菜 篭 磐か ら(A:多 くの財政 収入 は 見込 めず ,篇 局そ の差額 と して 地 方交 付 税がそ の 比篭 を増 し

ことが分 るOこの よ うな地方 交付 税の二曽耶吐合国共 通 の 硯 攻で あ

D

,それ が一

於 て 税収入,D雲定 と財政 規頂 の糖 町 ・?.・うめ てい るのは審英 で .ちるが,他面地 方 自治法

絹神 と結 ,全逆の 地方交 付 税法 が 財政 a・、うかなめ i'C的 、て 地方 ヨ治の根 密告かび やか してい るの もーた車乗 で ある。私比 こ こ

に Ott o Z { ・ t a . yer

L

r

'名言 「

粒 は.

# ぶ ,行政壮存

練す

」 とは全 く反対

I K

「悪 法紘変 ちな

v l

が行 枚は 変 る」の一 針 /J;見 られ る と思 うが ,と も.A れ峨 鍵の地 方 自治LZ)典 型 が,こD吉J

t l

町 しr̲)財政l/C

い て も題

に見 られ る こ と空・積摘 する iてことt'め たい 。

第 5 5̲ 科 目 別 放 出 割 合 の 三'lk;.逮

. S 51 H l ' 52 S 55 b l 54 S S 5 1 . 三 女

食 莞

2 .5啓 2 . 4% 2 .0

%

1 .91

.ち

1 ̲82

2.

指 市 錠

19 .4 19 .4 22, 5 18.52 1( i .88

5 . 甲

孟子.:′■i防 役

2.6 5.0 5 ,1 5. 52 r 2. 42

J1.」二 木 莞

5 . a 5 .7 5.5 A . 45 6 . 55

5.教 育

牡 42

,5

55.5 5l LQ 28. 89 24 . 29 6

.社会 労 脚施設 旋

7 .0 ■ 5.5 . 7 .5 8 . 09 5. 52

7.保 雄 衛 生 安

5. 4 5. 5 5 ,7 1 .58 1 .25

8

.

生 業 経 済 受

9 ,4 8 . 2 16 . 2 12. 5L l 27 ̲2?

?.財 軽 喪

0 8 . , 1 5 0 0 .6 . 2 8 . 8 0 .61 1 .68

.

統 計 調 査 藍

0 ,1 D .24 0 . 29

ll̲遵 奉 資

D . 4 0 . 62 0 . 46

1 2.

公 依 建

4 , 2 4 . 6 6 . 6 5̲ ‑ 77 5. 25

( 誌 頗 諌 )

‑ 8‑

(16)

第 4表 地

方錐他

‑i 年 次 衣 (S56,7.1現在 )(慧腐深 )

i

年 産 未

伯 元金 莞金;

円室岡a:享地方賓念及びその他の地万一ー1 円 利盤 所

Ji:Ar‑̲ 泡

皮び

S

8 5 756 256516UD25789210 E 2156321 J 15249u三;57 1452525

G 5 8

51

専制 B SB 2114‑1245 2572696 1295702

∠」

'

三 方

S 59 18588547 i 2756702 1129696

34dU152 5942682 586659LB

5 8

占6598

5 5

‑ / 9

8

9 2

次に歳 出面 '.てついて 偵?・tLで見る

五泉か ら一 見分る ことは教子fy=:がず っとか′王i)め ウェイ トー・i・占めて町 財政 を圧迫 して き ことである O 通 20̀T'代です む といわ れる

紙 ク;,相和51年か S.vlて虹 42・ 5と言‑ 占‑ の伽 少 しで・‑る とはい え ・ 終始町政写出 の弟一位 を占めて きた

。 55

年LLの

款= , 7

類土的 165rJ万円24.5ap とIrfって

その地位 をは じめ て症ぷ追済蚊 27.5好',{丘集ってvl, これ,エ′;.A‑吉71統合 が地理 約 月環か ら1 ほ とん ど望めず ,′J、中辛攻の改 舎娃弟がiEなった か らであ る。そ の上組・.f=.‑「作 両等竿汝 が本町凡 こある ことか ら地元負担20‑ 5 01を含めて

70

¢近 く l'C近道 してい る こと も そqJ一 因であるO この租合立定時刑市硬(・qLついては ,昭

和 37

年渡 か らの iJ,''宮等菅 全 日

gJ皆の連動が在されてい る。 が

v

lず れに しこt .こD汝字か らも和 良の 地方

ロ: 綿

'に と

て数群が どれ亭仏道に なってい るかがる 。地万 自治か ら艶 ̲!と教帯 を冷けば何 も残

らな

い といわれるが,376体 昏Fj,の廃止 された今d故幣行政が ,地方 自治の‑太の柱 をな して い ることは で ある。そ してその教 'F糟 が「打Jf村財政を圧迫 してい る こ とには今 も晋 も かわ りか ないO明融 時代か ら教 育の近代化 を地方 自治 体の 財政を基忠 と して推進 させ よ う とす る出家の斎 団は ,教育史を して 長大 の支

焚EIとした。相次 ぐ小学校合 の改 正

r L L

'教 習運営 Ilt国政委任耕軌 ヒして地方 白描体6jil拓 とナ る ものであった。 しか も 地 方 ヨ治体が筑 しかろ うと富裕であら ・)と‑辞に B定的 忙必蟹在 もqJであるo こうして市町 村a)教 育氏は年 々増刀ロして ,支 出の四 .,l

t

顧え ,七 'lj昔遇 えるもの も少 くない1)こ虐 とな り・

大正

7

年 には窮乏す る地 方 財政缶救 済すべ ,地方 町政史上活軸 勺な 「市町村康妨教習 貿 国庫負担法」が 公布 され た。現在:でかvlて壮 数Tl行政は地 方公共EB体 飯石 の事務 (地方 自

一・一9‑‑

(17)

漁法第二粂三原 )とされるのであるが .故 習 財政上か らはそ の実体に大 きな安 化 はモレ㌔ 次に蛋搬 済費や 土木 投の割合が逐次増耶 してい る ことであ るO この故 事は合 併以来手の まわ らなか った町 財政が エうや く余裕i・見せ始めた取 払 として歓迎 されるが ,性貰別透せ 分所 でないので.この 中どれだけが塩安的軽 費 に向 け られてvlるか壌問 である。昭和

55

年以兼 の嶺会費の凍少は ,或艮走者 が

46

名か ら

26

名に淑少 した ことに 上る

。粛

さ牽iこ は .は っき9襲われてい ないが人件 費念中心 と した鼓 常硬の 榊 短向 (.t注 目に価す る。得

に吉井町の 消費的産 熱 ま約

60

番 とか な ij笥くなっている。第

4

乗の地方伽 こつい て虻 . そ・Z)歳 出中 I.{占める公触更tZ)割合 が

55

年鑑にか

て も

5 . 25

毛 と全国 人 口同鼓柄平均 成比 4多忙比べ てか

7 t

少布 くなっているが .間噂は む しろ鎌遼所要 額中の元金に対す る刺 子の割 合の高い ことである。即 ち

56

年度代走所尊 宅合 計の中 ,実 に

58

年が利子 である。

以上まことに析片的蒙面的vE青 井町の宙政について述べて きたので b右が ,この地 域 研

究O

基礎的'=,科 を与える忙 とど まった ことは城念で ある。

E.13) 行 改 む 一 体 化 ,

主 として地 帝上D理 由か ら新町 が行 政的一体 生せ失 く点は

に蒜蒲 し‑,TL。そ こで合

併鼓

D 古井 丁の譲也は ,何 riZ上りも河

上D

も̀斤

F j t

¢‑ 尉 ヒで.Bる。町内JLT̲4つの保 育所.12 D字密 がう

り .

約 20Q価.D'‑芸i活が 4つ の

に分れて互 に市外 通速'.て取 り故 われ .卦 P̲局

・ J j ;6

弓亙って

ii三冠局は

4つ )

.帝一町内 で

5

日もかか り ,急 ぐ時には山号惑えて殻 函す るとい.う

D

が劫状であるこの 上 うに具休め に紅 ,学 校鎗 合 ,通 冒頭調の成 合盤 廟それrL 行政態舗め改 善 ,支所出張所の憶 止競合 .

行政審勝の 合

化 などが あげ られ るてあろ う。 まず学 校総 合IKつvlては現在の とこ ろ 通学 臣縦 の問緒 ,地形の間組か ら望みな しI'が ,f概 の繋通過倍の盤偏 を錬 って孟非 ,'lE英司.したvlところ。 昭和 56年 5月現在

・つま井町の幼稚武 ,′J、学 皮 .中竿懐妊新日 軽

,2051

6

5学戟 てる b⊥硬当 i)平均 18

5人 ,

5.

7年

敬 である。一等:敬当 りの 妃悪政は 52とす しめ学級で こ吹 く鼠 と い った有様であ るが,これ では教 育効果は 期待出来 ない し .町財政の負草 もなみた

̲10‑

5 襲 改 伯

和5 4

年5月1日現在 改 児亜生徒数 学 抜 放

喝 劫 40人 2 組

堀 ′ト 199 6

隻 勃 25 1

電 ′ト 157 6

南 中 481 ll

串 中 289 7

山 ′ト 542 10 本 ′J、 1(54 a 岡 .ト 96 4 伯 ′ト 1占7 6 石 小 91 4

(

委員余 )

I̲∴臼‑‑=二=1.

(18)

てい では ;5:い。

牧 に, 退

官要項:・&=つ い て比それ が故嬉 /=:利筈 ,収治開 田が か らん でお いそ れ とは究現 しそ うにないO重 要;ql・Z)統合 の 心 葺総 員に 見えてい るの に ,そ れ が今 もって襲 現 しT=い不 直結はか i)しれ ない ものが ある。せ &t・て もの な ('さめは萌在 農村公 衆 囁 吉が5 憤あり 7本年中に比触曜落部満が解 消す るこ とで魯る 。そ れ と共 に青IW Tで紘有感放送 に 力怒入 れ ,昭和

56

年 5月仁堀 ,

部垂管内で完成 .現 在 544頓が t.れ忙 つC入 して か 9 ,

5月 に比 ・仁 堀貰 研一本市 郎 こ1 立5ケの棚 放送 が完 成 した 。就いてLu方 ,佐伯..L・., 闇旺 l{Cつ いて も

1一 }2

年の うち七 日指 し‑こ31折甲 で もFL.O しか し究 唾的

町一都変 局 D'R 現せt

をつ

噛IfJ:hD これに反 し ,読者 の町偉功忙 'qす る行政D一 体化は 府喜郎こ進んで v

l

o う 6年10月1.q付けで山 万

. 佐

†朗 ヒl布が 毎

の 5

出境所

巧さ止 さ

J ‑ i

,完 庁と仁裾三

・TTrD 2ケ席に統合 されるO 行政頂椎の改ii・・忙つい て

止1 1 5

5回 rDとか 9てあt)

.

Jl袴釦 速 官製 凱 こちた っては,55年1月井務故 等研究 重

任会 を

虚けて以党議‑Ll紙 蕃

(

J

EH 5/jF・

4月〜56年 5)」)に 上って,555□0ロ で庁 弁 舌訣空 し,667000‑A,3,‑i

t

犯人

した。 これ に こっで住民男 が新 た に痩け

.色

民O 憩 口頒 蜘 一 元化‑1れ た 唱,フ 一・イ リy グシス テム忙 上って‑3:iFli子中芋的忙集 中守.lEさJIL,甚不台聴 よ全 て か‑ド化石Jt/,I̲。

タ イプ ラ イ 9‑ , ))コ ピー な ど の1jl頻 拍やRも I入 され ,近代遥官学 に分 け ろii藷化抱 も

j ; ,

・ i

i虚処浬の合理 化の考 えが と り入れ らtLで・.4る。 しか し行

O二王窒 化

, が

iHL咋 これ7

t

‑汁 r

/i:留ま らず ,またまたそ

0 枚を! ・ こ か

いて改 笹O 草地があろ う。夜 を ;

j;・迄 に Jr

玉n放牧L

LITF 均穏与 につ いて講 6孝 i・舵せで か く。

● 第 5 回. 行 箪

筒 の 智 者

昭和3 8 . 7 .1,現在

S2

9 5・ 1 逼 = 或l[ 再 転 二

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住民

塵新鹿一丈

‑ ll‑

(19)

第 6表 敬 艮 故 及 び平 均 冶 与 r

(昭 56 15.1硯在 )

役 哉 喝 見 放 月賓平均冶与

本 庁

支 所 出 張 所 福 祉 楯 段 竿 故 関 係 教育委 員会 .Lb務局 最巣委員会 lr,務局 薗 民 保 経 串 菜 ( 合 計 )

54050円

)1∽ 10 909〔】 10460 15050 18150 1B200 1568〔)円

参 考 資 料

(A,ETl<地方課泊べ ) 県下平均給与 150朗 t月

市 荒 17D78円

町 村 部 12452円 碇 高

il 政 市 18495H 早 良 町 16525円 費 低

薪 良 市 14776円 八 寛 村 9142円 ( 綻 耕 課 〕

川 堤温 さ本法対貸

鹿屋基本 法の政治的な苦味 について壮 ここでは述べ ないB ただ者 9行 く豊村の‑jLljiと今 統 つあ り方の一箱 が これで示 ‑されれば よい と思 うC

寺井町D

土讃者故 とその比撃は 第

7

表の とお りである。

7

襲 就 農 者 故 と 比 事 帽

55

10

jl現在

千 一‑ こ 、 節一次輩某 許二 次産屋 窮三 次重賞 =計

突 放 N

4114 517 6占5 5296

(誌 鋳 鉄 ) これ i・生産所禍 で見る と

.

此柴の

81 .6

多 を含 めて

に節一 次藍選 が

95 . 9

FOの

i

占めてい る。また町民所得に3>vlで も第一次産業所得68飾 .第二次塵

所得 5.窮 三

択蛋某所縛 27帝となっている。以上 の数字 はvlずれ も富井町が鹿炎llc基憩を位tJlた純良 け泡箱 であ って ,第二 次琶某が極 めて貧弱 である ことを示 してvlるo この こと総人 口劫 博 を見る と一 層は っき りす る。即ち昭和

22

年 か ら

25

年にかけ て結 ,年 々その人 Elは増刀8

‑12‑

(20)

して きたが ・その馴 】2 5年 !d:ビーiYとしてそ

, D

鼓は減少の一速 をた どっている。

昭和55

年 の人口は5u‑'fLITa苛調査時 に比べ て7年・・・戒少 してい ろ。労 鋤力人口の大都 市移動 が頚著 なためであるO

約 8表 崖 旨蹄 也譲顎別羊兼 別柁家概 tPL 昭 和

55

分 草 炭 別 ∵ 三 言 者o地位兼題凸寮O

別戸故 漁業

瀬 il 磁 類別 戸 故 可 i講,j‑!'E ll I 'Jヽ lこ'三 ji'L一トlTlE 誌 せ 兼 [盤

又箆 二に

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l i 霊 雷 二主訂農1/

C管絃坊 主J 重 し ' = 井 や と た

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1861197i79押 I71D5

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1十 。8. 5 5 t

7 55 l l li i1l

(

農兵構

造改苛 む芸冶Jよ指定 将帥 Lナ) 昭和 56年3月

さて

現実の出

笈経営は どの ように行わ れてvtるてあろ うか。第 8表 のI,C税別 .単

式別

Ll

家の概況 がそれ を示 しているO それに よる と全 件 としての鞍点正家は ,わず かに

1

aroltf= 過 ぎかO しか も払 謀敏,D8 4ro‑k占める iFL・親砿 1

h

o 未満 の倭家は

i5希が牟ユ三であ

,

賎リ8 7Gjbが兼 ぶてb るO即ち油 壷の如 くミ人 口

D 86

引 JJ が良太に依 存する昔非 町 にあ ‑てそその‡ま でが

.ha

舟 船 二束‑1'緒 .ハ うことr‑なるO沃''Cこれ急転待する 姓 歓 ぶ老壮家族人 見の約4舶 TL均2人い るDに対 し,そ の 幹労的者た る

15‑ 59

オ の男子瀕 放た ii

壮 一戸当90,5人 しかい な・へ 。 この 女手か ら も[純鼓のた i・遥

' 童

の突放 ま っかめ よ う老人,7!3女子 ,Dやせ厳に支え られた最束 に果 して生蔓性の向上 がどれ だけ塾か

‑15‑

(21)

得る ものなのだろ うか。一一万 これ に反して逆の現象 も見 られるO兼贋鹿家 の釆選者の地位 紘年々上昇 し .世帯主が100日 以上熱渡忙笹 ホ して1,1る家が464戸 と含鹿譲の 58車 ぁ 少 ,その中折半故は安 定貸金労 僻者であるo窮二枚兼渡が痩 家政の半 数以上 を占めてい る番実 と合 せて今や典 男抹一部の尊貴鹿家 を徐いて大部分の典家 にあって娃副次的二次的 存在VC過 ぎない とvlっても過言で旺 なo こE)粗向は驚本主題の発露 と共

'所御憤激 汁 画の進 最とjt・に増 々祭る しくな ってvlくであろ うが ・しか しそ れft'か らこそ腹巣の立代化 比決 して忘れ去 られて吐 な らなしへも(Dなの である。農発展本 王果 してこの 日本経済の二 盛儀遺性を うめる ことが 出来 るかど うか。それ

は鉦 々の其鮎 もあろ う。ここでtrlそれら vc江触れないで菅井町 とい う地域の計由についてだけ簡単に触れる忙留めたいO

吉井町は北の姫新緑 ,西め汚LIJ慮 ,南のLLF簡未 払の各rFTl感のいずれに も尽さず ,ほほ榊 uJ県の中東許に一能 し,鼎の計海 している首万都 市計画にも入 らない.町は娼b]44年度の

民所得 舌現在の 160帝 に増か口させ エうとしでvlるが ,説 経性昭和50年を 100とし た55年の生壁電仕窮一 駅蛍光102.第二次藍藻 105 ,姥三次墜讃 105と篇 一 次 蛋 農の成 長罫比々と した ものである。そ こで将来 の所得水準向上のために も ,町財政の庭 全化の た捌 こも.一万忙如 する壁毅練達の繋化 と共 に ,亀 菜構造その他のの敬啓が 定卓執 心葉である。 ち.tうど塊林省壮士地 整備 ,営虚 ,蛮 墳施設な ど一連の番糞 を総合的に爽施 する戯凍碑道政普本選 を明年鹿か ら1ロケ年計画で推進する。そ こで岩井町で

虚芸 構造 計画推進委il食 を設けて 全

回 92

のJl'イロ ット地域 む指定怒 5 6年8月申請 した。11 月現在岸憩 W i/こ内壁 し ,明年産 か ら康林省の補助串菜 と 止 .計画虎 50万 円 ,‑沸濃党

8500万円を投 じ本 格的 に生産毒見の義化や

化 ,共 同化吾進める.計画に よると果樹 の主 蛮地 を日原 と して地区両軸 5495ha,耕地両村 2dO/Jq,農 家

491

戸を対袋 とする0

線串発受は1億 9千万円で ,経曹規模 を現在の 540か ら平 均2h a以上の 自11運 営過

に背成 し,果樹箇地7

5h

aを竜虎 ,畑地70j・La 乏兵務 画に転換す る。ス ピー ドス プレ ヤ1 10台 .共同選集盛 5み所 ,大地乾如 投など七整 備する。一万 水地帯 に も大型 ト ラクク1 2台 .コンバ イン2進 の他ブJL,ドーサ ー ,トラヮクも脹入す る とい うも(Dこう して姓発粗収入100万円 とvlDのがこの計画のあらま しであ る。計画 が予定通 9進展 し て煉商工男地帯あるいは阪神への新鮮な農 蔓物供給地として ,良港近代化のモデル地区 と なる よう嬢辞 したt^。

T

‑14‑

(22)

L i 一一

(23)

1. 概 観

菅井町は岡山県の中東部rL位足 し ,南北

10 .

5Km,東

西 12.

5h .両簡 85・

9 K i

l を有す る。i 間UJ県 ・広島県に広 く許たわ ってvlる音傭高原a)ほ ゞ東端 で

,200‑ 4CO

茄のLU岳に四 一まれ ' 西に高 く,束に低vl地形 を皇 している (第1回 )A

町の東端 L/Cは中乳 U地l/こ振 告発する県下a)三大河川の‑つ .音 #JlIが蛇行 しなが ら .書

冊I l

・滝

L l l

川 ・苗 庄川 は 合 し .稀蒔附近でi‑1峡谷を作 9,帝旅 しているO

地賢即 硝 岩が全体の半ば を占め ,愚父古生屑が とれ忙択V,でいるが ,本

の蔓桶 と称 朝 t るLU岳地帯 に多 くZ)花樹岩地帯 がある。その 似 て石英榎面巷 ・悶経巻 などがあ 9 ,主導河川の

局,ql

神祇屑がみ られ るよ第1零 ),,

1

費 地 質

\ 票

l

E

.

i

備考 :青井町雀荘調査 野 周匝盆地綜その虹 も大 きな もので,ほゞ直角三角形の形吾 とる。また本 町

は断層網の発 達が 嘗 しく,水素は碍子状 ない し比碑

状の硬骨 水系をな している。

i

2.

吉 井

川 と谷底平 野

中国山地は著 しく北に偏 している・,tめ ,LU博例 と山憤例に発達 してい る軌 IIは ,そ,D性菜食

に してい る。長さの点 でも ,北に流れ る もむは江ノ

J

Iは 除きすべて桓 か く .南VC耽れる川の 万が柔い。例えば太 皿川 ・高梁川 ・旭川 ・吉

井1

1

ど何れ も北旅する ら

ゎk :

比 して長大で ある。

ここで 鮭の三河 Ill恵

b'K岡山鵜の三大河川 と称する こと忙す る。三大剰 川ri何れ もその萌は 中臥 け択 発 し,膏舶 原の鞄起準平脈 横切る先行性紘路であ

;,幽 瀬 川即 比べる

と鹿jt,j、規硬である。舌第三紀或… 第三紅 科精 鵬 原が生成 紬 娩 め ,各

河州 土芸通 力

庶人蛇行号繰 り返 しなが ら南 沢 している。侵蝕時 期a)上か ら見る と笛の高梁川が蚕 も苦 く

,

H

H;これに次 ぎ ,青井川牡泉 も青い

O河

川の偉 断面図をみて もとのことが知れる。芯

A t

Lは急 .:Jll・な し,平衛 た軌 'LTI,はまだ遠か忙及ば ないo これに対 して青井

揺流れ も礎やかで .琳内の

真野可HLこ)うちで姓長 も平衡状暦 に近いoつまil,岡UJ県下の河 川は軌こ葺

く,

鬼に古いと

‑16‑

(24)

うことが分 かる。従 って冨井川流域には 比蚊的多 くD平 地が宛け でか 9 .坪 山釦 也・周挺盈地 はその代車 的なものであるO

周直盆地紘吉井 川の言放等 野川が合 流す る他 城に掃け .歯式か ら妊 濁⊥

佃 ;雅人 してい る。

以前は荒地であった らしい が ,州 とな

り.丈

に近年 に .^}って南次水 r8化 され たもの で (明治9

‑ 12)

,現在 でtl一面 水血 となって ,町内長大の平 野 とを ってvlる。開悪当時 の名

演b

音思 αらl

わせ る 「鎧胃」 とい う蚤 号も中 村南方 に頚 少 .竹故 缶切 D開いた ことに起因す る (聴取に 上る )¢

いずれ に して も月払盈 地は沖朝世の駒 である ことに壮賢いな く.地屑を調べ でみ る と .克.‑.・3 虻 で止盛土.:t抄士 で ,蔭士は紗 ・小石又は玉石(門生)となってい る。周匝 上9下流の一首FELで 吐表 土は粒子の 小さい耳土 となるが ,共 に

5.6

JIの蜜 に

い カナJ/屑がある ことを注 自しな けれ ばな らない。盲井川が大 きく蛇行 してvlる水裏側の禰詩で壮毘土杖砂 集成土 であるが,盛 土は々耳の過 った土砂 で.<ラス が堆胡 している これは 醗下 士砂の堆

VCエって新 し く出釆 た

川であるか らである」(3.)参考まで 忙井 戸喝 川 時 の地脈 調査 したもの 絹 け てお こ う(

. 32

図 )。ここで往志 しなければ ないの仕 .地下にかつての河 床 聡 と思・bれ る ものが存在 して

る ことである。つま りとの盆地内で昔井川は旋 JL放蛤をかえてい るので ある。

地層及び空中写夷を もと',{旧経路 を遭跡 してみる と ,盆地の 軌 6号限るLurF11vlに流れた こと もある らしぐ ,‑ トバナ (乱 と端 ?)なる.也名 も表 .'てvlる。 また備作 帯校 的近 忙仕 小魂硬で は あるが .妓丘面 も見 られ る。 更に現在の片上 扶lJZDす ぐ由万 に故低地 があ り'旧伺iEを しの .1せ る。 一万 西方 か ら流れ出る稚山川 も現在 のもの エ Dも北等 91で流れ てい た らしく .地 割 り 仕手 しく乱れ てい るo

一版 に如 尊性平 地集落を除き ,・J

J

旋沿い に萄

す る もので あるが .佃虹a町は残分兵な った 政虎に立地 してい る. これはか って伸 てこって取か幽 tILた 中州 に立地 した もの と鵬訳 され . 現に役韻附近 とや ゝ北寄 りの 諏弘神社鮒近 で虹土勅 ;鼻なっている (穂取 )a

盈地の西半 ま等

升醐 ノ ミ

地的 な畦格恵有 し楓 叫 虹 地 の由あた

b

で 吠旅 し ・中村肘正 で地表 に表われ て

v

lるC

町内の 柳 川の上流 ,.,Cはほ とん ど

は く ,河 臣段丘が莞嘩 してか9'高馴 版 城 忙位 も蔑 5

&>

' 式的yC見られる (写

り 。これは た態 的新

補の

心性運抄 ⊂基づ くものであ って ・首領笥 Et‑め 穐 程に エって各何 日帖 等返 り .蝕 を

店 して

.

旧';̲}昏〇一武 を段丘面 と して河 肺 よ軒高い 位圧に致 した もので参る.町内 で見 られる ものはすべ て二段 ‑i,

l炭丘面 と

, m

段丘面は比 .林 郎 茄 で ・多 く止岬 te‑TL ・.

凱 旋追 しか る。段丘敵 地 芸滑丘 では取 D瞭 かれ,

て州 されてし、. ,.13綿 空

知 こ 酋

7.‑D もの ・唇 (,C仁剃 、竿脚 紐 で 比 も細 大

L 1 17‑

(25)

硯懐である。一般

に.

蒜位促忙.Bる段丘面ほ ど古い時代に形成 され た もの と考え られ '当時a) ま ゝD表面形繁 を保 持 してい る所は少 く ,本 町で も第 1段丘面 と背後の山地 との境界は '押 し 出 し地形に 上って不明瞭 である。

押 し出 し地形の長 も著 しいのは 周伍 盆地西端託 の柘LU川が同性盆地 i'=注入する所 で ,川妊 答 の中央 部を流れず ,唾端茂までに南へ押 しつけ られ てい る0

5 高 原 の 地 形

中過地に広 く分 和 してい る膏席高原は青井町軒道 までその性格が 明紀 で ,吉 井川以東 で斬 次消波 して いるOそ うした懲味 で一 応 吉井町は 音 節蒜原の束喝 とみ.jk+ ことがで きよ う。敵 分布念見て も ,(盲伺 )局麻

西

T

G

400 ‑ 700

n で.らるe)Iに対 して ,本LITでi上濁 しハ所で

400

778内外 , JR晋町中ま

2 ‑50( )

7Tt虹杵まで低下 している 〔

al , 1

回 ,

第 2

牽 )

O

「大 E]本 地誌」

弟 2

衷 預 識 別 面 芯

.備考 : 吉井町毒帝調査簿 U:)記述 と見る と

,

「東大 川 〔書井川)及 び西大川 (九射l〕間にか けるLU地 もJJ二 川のモ椎に 上 りで故 多 く小山塊 に舟たれ .

にその南部 に於では地中一般に低災なる丘接地Jrこして ,肋 々 た/7,∴j上で喰 峻‑なるLU

派壮

更に之Ja:認む る忙由

く ,概 して古生層 ・花尚 岩及び維軟 岩等 上

り成

i),北 に高 く南に至る忙琵ひ て次第 に低 くなる 。共 の北部は二三官米の丘稜に して稀に四五百 米I.'C逮する裟 毎夜さにあ らざれど も地 中平 讃

,

確答轟将に走 りて英の 沿岸 には何 れ も綿 々虹 き 平 野nd=遭え ,田園布 くr7.1げ ,唄 邑/n=刑雷 し .狂 って地は竜 も(・l柵 !rLあ るの戦 な Lo共の珊Ep u‑]き 棚 を峯 ぐれば ,備 糾 ・美作の糾 こ太平LU・絶 天

及び肩峰uJ,火大川河津 75:る佐伯 の北

方L , r ̲

大王LU・稲蒔LU,南方に濃

LU .西大

I,こ貼 み て万

lJあ

Da ‑‑‑

‑ 」 とあって ,そ の様子 HI

が よく表わされて いるO こ うした高原市に島牧 状yEそびえる能天山

(48

5n) .山 鳥山

(5 15 . 9

巧 )T一芸壷

L I J 〔426 . 7 m)

・鰍

U (41 5 . 7m)

・鳥 ケ仙 (

48 1 . 7取)

等は何れ もモナ ドノ ッ ノ LJ,るが ,吉備苗L'Ii仲良9‑乳の兼戸LU ( 761.5m〕・明字仙 ・満山 (

681

.5n〕・稚硯山

猪辻 .・

1〔7

5

1 ・ Dn)

・‑Jlr:見

u J

(如 2

. 6n)

・帝高

L U(占55 . 7

2n)・須志

山 (521 . 8m , )

・日野山(669.1

‑ 18‑

(26)

瓜 )

・仙垂LUなどに比べる と豊かに低 く ,書 冊 高LLlも東部ではか な 9低下 している ことが分か ノDo

さて ,本町 で吉'Lf7TTrS堺両 をよく残 している所と して結 西中実 ・中砂実 ・戸浄野 ・長里

, .

藤 田

・八島田 ・余田 ・石などが挙げ られ る。 しか し,その何れ もが現在失なわ九つ ゝある ことは特 異な景栽 と共 にL庄自する必藩がある。 つま i)前記の各束落牡か ワ この准平原面即 ち旧璃髄 の良 師 に王地 している ものであるが ,現胎憩の谷に 上って四方か ら開析 され つ ゝある。両税の地 衣面舵陳斜の告辞 に上って容易に遺 跡できる し ,川の 奪断面図引 乍炎 してみる と

I j f

汚点 と しで 発現され ,上13明曙でIbJ.''。甚 Lvl・所 では縄 と在 ってか り,本町の名所 の一 つ と して奇

観 を塵

してf^る 軽Bi3‑̲の皿洗滝壮それ である の 上 う

旧4j‑3題の磁蝕面 と現輪芯のそれ:.‑i

j

=地虎がro 不達批忙 上って判別する ことがで きる。

iik̲平Lt;(上 の経斜面 にはJLL"が騒け,払‑清 が分 布ナる 中 等釆 ・戸津野及び平LU頂 万では 水田も 多 く ,土地利用の上 で・:rl晋儲高原西部の油木対辺 と萌似 してか 9.一般に旧輸雷の 古か水田 ・

; ;

ン価 がか細 となる高原上 の

1

1

蛎 り用の一肢位が見られる。旭に足型 ・八島tEl

水 田あた Dでは エ9色t・Rも.'k)(現盛奄D )谷が水田となってい る。形状 .'iヨ ら滞段状 とな 17

,

「谷底○水田は 蛇花形 'rL・なって ,一 つのEq'.Ji弧状rLな った二 辺にRiほ れ ,凹面 甘 下方//Cf向けている。省軌の 臨 糾O大 きい誘 分で壮水田の巾が映 くなって睦は雷fL̲し,答巾の左 くな った下部 では 遠の畦が で きるjS)o これ(,用 し机 上多少蓮 伏Z,ある斜面にも 9 ,長里あた Dで心 吐称帖士 と丁紙 ILる粘 り のある未士の性概 VC兼 Elして ,ゴポー故培 が沓及 し .古

周 匝大根VC対 し是里ゴポー として名 P 引Y・したが ,般近では‑ ッカ ・尭 ・ビー ト・富強が我転 されてい る.

美 浦

5与芝 地 目 刺 而 胡

成 比

%

備考 :青井町基挺調査 ;If

高原上で環 も広面和音 占めるのはLU林 で (

5畏 ),滝LU川を境LjCL ,北弧 d:樹木串 F/C松 榊 ;よく繁茂 し .南部の花脳岩1,1州 の‑,/・LUと}・rJ紬 で ・地質 と植生の関別 項 若である。

この松林 には松た けが よく生育 し .多Lfに出荷書れてvlるo村の共有林比野LU(ノサ ン )と

‑ 1〜l‑

(27)

呼ば れ ,大体平温な山林が.これ忙当て られ ている。

高原 と谷間の境界をなすLU髭韻仕的致され .秩父古生届の池 川 "流域吐土箕も比政的良好で 栄樹 栽培の遠地 となってvlる。

4.

複 雑 な 断 層 網

中国地方 .符IjC.瀬戸内沿岸 に壮東北‑西南 忙走 る断層桐が発達 してお i),西帝において仁山ヒ 悔 し.東部に行 くにつれ て束 偏す る捜向台もってvlる。 またこれに直交する もの もあるが .前 徴 。比べて藩か綿 ,てV,る ことが指慮 射 してV,票 割 抑 町 かいて性仁堀から東級北'/C屯る 管が主 な断 層谷 であ D.育井川をは さん で点に概 を.埋

林十

町の谷奇経 て赫吹浦蚊 している。

iTも下で長も明帝 を断層谷の一つで ,十町野Ji5'谷 と呼ばれている。

斬 桶谷妊 自然の地形索敵 こよって もある窃盗推測で きるが ,地集の上か ら断層の帝

(顛卸し )や破砕帯 とそれに伴なう析屑角疎及び新F#枯士の存在 などによっで証塾づけ られる。十町斬 rLri谷にいて これが明瞭なのは盲井町

りも .む しろ文 の塩田階近.〔かいてであるo

毎々と牡 くこの節屑谷

忙比

塩田の連絡

9てケルノ J{ット(分較 丘礎 ) ・ル ンコル (分誕 充 )

見ることがで き(等

式 2)

,更 に軒厄劫 に よってFE砕され た花紺若の角鞄 8鳩 出 し , その

r

孔こ

,JT三味をr7L:ぴた枯土方の ロームが挟まれてあたか も寄木細工の ような状況音量 して い

ら(音義

S

J。また角糟としては これ エ少轟かに小

いが ,山風 の広範田 にわたる ものは先0 ケル yJ;ア トの鍬 ・Cあ Jh,舶放言九い。

青井町ノ‑1のこの斬瀞谷虹い うiで もを くそ の一群であ 17,花尚岩及び串良最良岩 を切 り.LU 岬は急斜面 を見せ て谷底に迫 tク ,あるもの仕三角宋 櫛画となっている。谷は旺 ゞ豆緋 で . EJT窄旗下に よく見られる地下 水

描取 ともい うべき執奴 も故ヶ所に見られ ,亡堀の韓附近のカ

ッテ ィングに比断層の帝面 (鏡肌 )が描出 している。(育毛 4)o走向が 40OEで局部的に断 層癌が 曲折 している ことが分かる。脊軒 )平野比唾妙で細長 く ,典再 も親友地を求めて立地 し ている。起 伏に富んだLU勝ちの所で比 ,こうした斬眉谷 や地港などに交通路 が多 く先達するが , 園噺 道 として この斬fi谷が遊ば れたの も決 して鞘頼ではない

「歯怖衝 遠江 岡山市を噂点 と

して牟佐 ・町刈田 ・周匝舌底 つつ ,山lg感の和気駅 より出たる一別路 と会 し,こJl̲よ りか朝 日 (普野川 )の右幾 を様ひて舟 故町 (林野町 )に到 9,これ

L)東 に向ひ,Jとpt転 じ古町 ・杉横 o諸訳 経 て因幡国甘免に連す(1)るが ,町内における谷拙 さむ二つ以上 の蛸 {,3間で技軸

原‑k刻む幼年辞 ,例へは成羽川などと同様

愚は不史 である。

十町断層谷 にほ ゞ平行 ナる ,北の

川 の雨

糾斜面にも三角某誌i石,〜):.」受け られ,{・苛地形

‑ 20

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