はしがき第一節
第二節
第三節
第四節
第五節
第六節
戦前における富山県経済の成長
1 1
1経済成長のケ
lス・スタディーーー
日H
次
成長過程の時期区分
現住人口および職業人口の変動
工業の成長
地域別現住人口︑職業人口の変動
地域別工業生産の成長
地域別経済水準の変化
{ ま
カt
き し
明治以降の富山県経済の成長は近代日本の経済成長の内部で
‑147‑
興味ある部分を占めるものである︒明治初期において砺波地方
戦前
にお
ける
富山
県経
済の
成長
︵柴
田︶
昭和19年における富山県行政区画
(③は明治42年における富山市と高岡市)
柴
裕 田
富大
経済
論集
は全国でも屈指の農業生産力の高い地方であり︑高岡市の銅器︑富山市の売薬のような独持の伝統工業はあったけれ
ども富山県は第一次大戦前までは工業的にかなり遅れた地域であった︒それが第一次大戦中から昭和初期にかけて急
速に近代工業が移植され︑昭和十年代初期には全国水準なみの工業化段階に達し︑十年代中期には六大都市を含む県
を除けば最も高い工業化段階に達したと推定され︑大戦の数年の聞に工業が県の隅までかなり良く浸透したものと推
定される︒このことが戦後において富山県経済の特徴である工業と農業の統合化による高い経済水準を生み出したも
のと
思う
︒
本稿は資料の関係で明治四二年以降の戦前の富山県経済の成長を分析するのであるが︑この期間は富山県経済の近
代化過程で最も重要なのである︒利用する資料は人口統計︑職業人口統計︑工業生産額統計および農業生産額統計で
ある︒これらは富山県統計書に与えられているのであるが県統計の特徴として県全体のみならず郡市別の統計も得る
ことができる︒また︑郡市別統計を利用して富山県内の地域構造の変化に重点を置いて成長分析を行うのが本稿のね
らいなのである︒しかし︑これらの統計は大巾に整理の手を加えることなしには分析資料として取上げることはでき
ない︒特に工業生産額統計は他の統計に比べて不備であり︑信頼度の高いものを得るためにはかなりの困難があっ
た︒この困難が克服されることによって本稿の執筆が可能になったのである︒以上の諸統計のほかには工業統計が全
国工業水準と富山県工業水準を比較するために利用された︒
使用された資料から分るように本稿は富山県経済の狭い意味での歴史的研究ではなくて︑いわば経済成長論のケー
ス・スタディである︒富山県経済の研究において個別的歴史研究には多くの成果が従来あったに相違ないのだが成長
いわば巨視的な富山県経済の研究はなかったと思う︒本稿はその欠を補うことを意図しているので論に基礎を置く︑
ある
︒
︵追
記︶
鷹栖文庫記念号のために私は同文庫中の戦前の鷹栖村の行政統計を利用して富山県経済の発展の中で鷹栖村経済の占める位置を
論ずる計画を持っていた︒このような計画を持たせる程に同村の行政統計の記録に信頼性があり︑かつ保存が完全である︒しかし
富山県経済の発展を私の意図する形で論ずることで論述を止めなければならなかった︒鷹栖村経済の成長分析は次の機会に譲りた
い︒
しか
し︑
その
試論
とし
て次
の拙
稿が
ある
こと
を記
して
おき
たい
︒﹁
鷹栖
︑大
島地
区の
人口
変動
の分
析﹂
︑北
陸農
政局
計画
部計
画
課︑富山平野地区土地改良事業長期綜合調査︑鷹栖︑大島︑桐山地区調査報告書︵昭四O
年三
月︶
の第
四章
とし
て収
録︒
第一節
成長過程の時期区分
戦前の日本経済が約二十年の周期を持つクズネッツ・サイクルを持つことは一般に認められている︒篠原三代平氏
によれば第一の長波の谷は明治十年代の松方デフレの時代であり︑第2の長波の谷は明治三十年代の金本位制度への
転換を含む時期であり︑第3の長波の谷は昭和初期のいわゆる昭和恐慌の時期である︒第1の谷に先立つ時期は工業
化の開始の時期であり︑第1の谷と第2の谷の中間の時期では軽工業を主とする工業化がスピード・アップされ︑日
本経済の飛躍する時期である︒この飛躍はやがて頭打ちの状態になるが︑頭打ち状態が打開されるのは第一次大戦を
契機とする重化学工業の勃興である︒しかしながら第一次大戦の終7とともに再び沈滞状態を迎え︑昭和恐慌にいた
る第3の長波の谷を迎える口その時の長波の回復は昭和六年の満洲事変の勃発︑昭和七年の為替切下げなどによって
象徴される劇的な時代の開始にもとずくのであり︑重化学工業の発展が戦争経済の進展とともに行われるのである︒
‑149‑
以上は日本経済の成長過程の大まかな時期区分であるが︑詳細な設備循環のクロノロジlの作成の試みが藤野正三
郎氏によってなされた口藤野氏は明治元年一月から昭和十六年五月にいたる期間に十コの設備循環を発見しており︑
各循環の週期は最短が三一カ月︑最長が一一四カ月であって平均七年九カ月である︒藤野氏はさらに設備循環より長
戦前
にお
ける
富山
県経
済の
成長
︵柴
田︶
富大経済論集
四
い週期を持つ建設循環を五コ発見するcその平均週期は一五・四年であって︑山と谷の時期は設備循環の山と谷とほ
ぼ一致するので︑通常二コの設備循環が重って一コの建設循環を形成すると考えられている︒しかも︑二コの設備循
環のうち最初の設備循環では技術革新や経済外部からの刺戟によって企業活動が盛んになるのであるが︑次の設備循
環では企業の環境への適応︑調整の動きが支配的となる傾向がみられるのである︒藤野氏はおのおのの建設循環と設
備循環を次のように対応させる︒第1建設循環は第工設備循環︵明一・一ーー明九・一二︶と第E設備循環︵明九・一
一 一
l明一六・九︶から︑第2建設循環は第E設備循環︵明一六・九l明二四・−O
︶ ︑
第百設備循環︵明二四・一O
明四
二・
一︶
︑
第V設備循環︵明一三・一一ーー明三四・六︶から︑第3建設循環は第百設備循環︵明三四・六|
第四設備循環︵明四二・一
Ti
ll
大三・二一︶から︑第4建設循環は第四設備循環︵大三・二一ーー大一O
ー明
一一
二・
一一
︶︑
第民設備循環︵大一0
・四
l昭五・一一︶からなっており︑第5建設循環は第X設備循環︵昭五・一一l昭
一六・五︶だけを含んでいて戦争により中断されたのである︒第2建設循環が3コの設備循環を含んでいるのは第V
・四
﹀︑
設備循環が例外的に短い周期を持ち︑日清戦争の賠償金と外資の流入によって第百設備循環の後退期が中断されて長
期化されたものとみなされているからである︒
篠原氏のとり上げるクズネッツ・サイクルはアメリカの場合︑移民や資本移動の長波との相関が指摘されているの
であり︑藤野氏の建設循環は建設︵建築﹀に関する長期的調整過程から生れるものとされている︒しかし︑大正三年
以後の両サイクルはほとんど一致してい司令すなわち︑藤野氏の第4建設循環が一つのクズ︑ネッツ・サイクルを構成
し︑中断された第5建設循環が中断されたクズ︑不ッツ・サイク戸を構成している︒しかし︑第一次大戦前については
一つのクズネッツ・サイク戸が二つの建設循環を含むようにみえる︒すなわち︑第一のクズ︑不ッツ・サイクルの谷を
明治十年代にとるならば︑それ以来大正三年に到るまでに第2建設循環と第3建設循環が含まれることになる︒Lか
し︑藤野氏が建設循環を検出した資料から篠原氏が見てとったようね︑明治二十一年上期から明治四十四年上期まで
を週期が二十三年のクズネッツ・サイクルだとすることもできる口しかし︑私の考えでは︑上に記された週期二十三
年の波を一つの建設循環とみなすことも不可能でないように思う︒このように建設循環を考えればこの建設循環には
第百設備循環︑第V設備循環︑第百設備循環︑第四設備循環を含ませることになろう口第百設備循環は明治二十四年
十月から始まるのであるが︑建設循環の谷は設備循環の谷に先行するものと考えられるのであ配︒しかし︑新しい建
設循環を以上のように考えるとすれば第V設備循環は第百設備循環の中に含めてその第四番目の在庫循環とみなした
方が良いであろう︒
私の考えでは以上のように明治の中期から末期にかけて一つの新しい建設循環を考えてクズ︑ネッツ・サイクルと実
質的に同じものとみなした方が良いように思う︒新しい建設循環は第一次大戦を含む建設循環とは異って一二コの設備
循環
を持
ち︑
しかも最初の設備循環は他の設備循環が三コの在庫循環を持っているのと異って四コの在庫循環を持つ
という特徴を持っている︒しかし︑この特徴はこの建設循環が日清戦争と日露戦争をわずか十年の間隔で含むことを
考えると不思議ではないと思う︒第一の設備循環︵明二四・一
Ol
明三四・六︶は日清戦争を含んでいて特に四コの
在庫循環を含むのは賠償金と外資の流入で設備循環の後退期が長びいたと考えれば良い︒第2の設備循環︵明三四・
六ー明四二・一︶は日露戦争を含んでおるのであるが︑もし日露戦争がないとすれば第1の設備循環を受け次いで調
整的︐な性格の設備循環となったかもしれない︵事実︑藤野氏もこの設備循環では製造業よりは電力業とその関連産業
としての電気鉄道が経済発展をリードしたとしている︶︒しかし︑日露戦争のために十分な調整的設備循環となるこ
‑151‑
とはできず︑さらに第3の電力・運輸・ガスの著しい拡張と製造工業の低調で特徴ずけられる調整的な設備循環︵明
四二・一ー大三・一二︶がはいりこんだのだとみなされる︒
戦前
にお
ける
富山
県経
済の
成長
︵柴
田︶
五
富大経済論集
六
以上の考え方は日本経済の成長に戦争が大きな役割を持っていることを強調することになるであろう︒すなわち︑
日清︑日露の戦争を中心とする建設循環︑第一次大戦を中心とする建設循環︑満洲事変に始まる建設循環を考えてい
る︒篠原氏はアメリカや日本にみられるクズネッツ・サイクルをひき起すものは外生的なものとみなした方が良く︑
本来
は一
O年周期の波を示すにとどまるはずの経済が︑巨大な外的ショックを受けて二O年周期の大きなうねりを一示
すと考えていみがこの巨大なショックが日本経済の場合には戦争であることはふさわしいように思う︒このことは経
済を戦争によって説明しようというのではない︒日本のように欧米に遅れて工業化が開始された経済では先進経済と
の接触の型が成長過程に大きく影響を与えることになるが︑日本の場合は戦争が接触の契機となり︑このために成長
過程が大きく変容︑促進されたことは否定できないように思う︒建設循環は内生的な動因を持つ波動と考えられてい
るのだが︑日本経済のようにほぼ二十年ごとの外生的なショックの繰返しで急速な成長をとげた経済ではクズネッツ
・サイクルと一致してしまうと考えてもおかしくはないであろう︒
本橋におけるように富山県という一つの地方経済の成長を考察する場合には戦争の影響は特に大きいように思う︒
それを示す一つの指標は富山県人口の動きである︒富山県統計書は明治一七年から人口統計を記載しているが︑それ
によれば︑明一七末の七O五︑九三七人から明二六末の七八一︑三五O人までかなりの増加率で増加するが︑日清戦
争を契機として人口は減少に転じ明二九末には七六三︑一四五人となり︑その後明三六には七七五︑三二三人まで増
加するが日露戦争の影響で再び人口は減少し︑明二六の水準に回復するのは明四四である︒以降︑人口はかなりの増
加率で大五の八一七︑O九二人に達するが第一次大戦の影響で以後減少に転ずる︒戦後人口は増加に転ずるが大五の
水準に達するのは大二ニであり︑以後増加を続けて昭九には八六六︑九五五人に達し︑大陸での戦争の影響で人口は
再び減少に転ずる︒以上の人口の動きから分るように︑富山県人口は戦争の時期の前には増加を一示すが\戦争の時期
には人口は減少を一示すという型を明治初期以降とゥている︒そして日清と日露の両戦争は人口変動の型からは一つの
戦争の時期に含めることができることが分る︒県人口の変動は長期的に県経済の変動を反映しているとみられるから
戦争が富山県経済に大きな影響を与えたことは明らかである︒
本稿は戦前の富山県の経済成長を分析するものであるが資料の関係から明治四十二年以降を取扱い︑日本経済の成
長過程の中での富山県経済の成長の特質を特に県内部の地域分析を行うことによって明らかにしようとするものであ
る︒その為の時期区分を次のように定める︒
第1期明治四十二年||大正三年
第2期大正三年||大正九年
第3期大正九年||昭和六年
第4期昭和六年
ll
昭和十二年
第5期昭和十二年111昭和十六年
これらの時期区分は藤野氏の設備循環と基本的に一致している︒しかし︑藤野氏の時期区分が月別資料から得られ
時期区分として満洲事変︵および金ているのに本稿では年別資料による分析であるための変更︵第2
期末
の場
合﹀
︑
富山県の分析の為の特別の時期の設定︵第5期を設けること﹀が行われて
いる︒第4期と第5期は藤野氏の第X設備循環に当るのであるが︑昭一二の日華事変を中にして二つの時期に分けら 輸出再禁止︶の重視︵第3
期末
の場
合︶
︑
‑153‑
れている︒日華事変の勃発以降は景気循環は消え始めるのであるが︑経済成長過程としては戦時体制にはいるだけに
重要性を持っている︒富山県人口の動きでいうと昭九以降の人口の減少が昭二二以降上昇に転ずるという従来の戦争
期とは異った動きを示すのであって︑その背後に満洲事変期とは異った経済成長過程が存在することを一示すものであ
戦前
にお
ける
富山
県経
済の
成長
︵柴
田︶
七
富大経済論集
八
る︒以上の理由が特に昭一二以降を第5期として取扱わしめるのである︒
これら各期の成長過程における意義は基本的には藤野氏によって明らかにされたとおりである︒第1期は軽工業を
中核とする産業構造への転換が行われる建設循環︑あるいはクズネッツ・サイクルの最後の設備循環である︒しかし
第1期は建設循環の最後の設備循環の特徴として第1期以前の日清︑日露の両戦争を含む製造業における企業活動の
盛んな設備循環の調整期であり︑製造業における企業活動はさして活様ではない︒第2期は軽工業が確立する建設循
環︑あるいはクズネッツ・サイクルの前半の設備循環である︒この期は第一次大戦を含む設備循環であって製造業の
企業活動が極めて活穫であり︑重化学工業化も開始される時期である︒第3期は同じ建設循環あるいはクズネッツ・
サイクルの後半の設備循環であって調整的性格を持っており︑経済活動は停滞傾向を持っている︒第2期と第3期を
含む長波において軽工業は確立されるのであるが︑重化学工業中心への転換の開始が十分でなかったために第3
期の
調整的設備循環の停滞性は強いとみなされる︒第4期と第5期は強力に政策的に重化学工業化が押しすすめられる長
波の前半の設備循環であるが特広第5期は国家総動員体制のもとで非商業的ベースの上で重化学工業化が推進される
時期なのであるD
註ω大川一司︑日本経済分析︑昭三七︑第一篇第一章︑および篠原三代平︑日本経済の成長と循環︑昭三六︑第一章を参照︒ω藤野正三郎︑日本の景気循環︑昭四O
︑第
一篇
︒
ω篠原氏はクズネッツ・サイクルの谷を前掲書では明治三十年代に置いたが︵国民所得統計を資料として︶︑後に藤野民の預
金払戻額変化率の資料にもとづいて明治四十年代に置く見解も提出している︒篠原三代平︑日本経済論︑昭四O
︑第 三部 第一 章 ︒ 凶 前 註ω
の篠 原︑ 前掲 書︒
間藤野︑前掲書︑二二頁︒
側藤野︑前掲書︑五八頁︒
(8) (7)
藤野︑前掲書︑六O
頁 ︒
篠原
︑日
本経
済論
︑一
八一
頁︒
第 二 節
現住人口および職業人口の変動
以上のような日本経済の成長が富山県経済にどのような影響を与えたかを人口の面から最初に考察しよう︒第1図
に一ホされた富山県人口の曲線から分るように︑明治四十二年以降の人口変動は増加トレンドの中に二つの山を持って
いる︒しかも︑その山はいずれも戦争を含む経済活動の昂揚期︑すなわち︑第2期と第4期に含まれている︒経済の
全国的な活況は富山県からの人口流出をひき起しているのである︒しかし︑注意されることは︑第5期という第4期
に優るとも劣らない高い経済活動水準が全国的に維持された期間に︑富山県の人口は増加傾向をみせていることであ
る︒第4期までの経験に従えば人口が減少的でなければならぬ筈であるから︑この現象は解明を要する問題である︒
もっとも︑富山県の人口は傾向的には増加はしているものの︑対全国人口の比率でみると第4期︵昭和十二年﹀まで
は低下している︒すなわち対全国比率は明四二には一・五六%であったが︑大三︑大九︑昭六︑昭一こにはそれぞれ
一・一八%であって低下傾向が続いたのであるが︑昭一六には一・一八%を
維持して低下傾向が止み︑さらに昭一九には一・一九%とわずかではあるが上昇に転じている︒第5期以降は︑明治
一・
五三
%︑
一・
四三
%︑
一・
三O
%︑
末以降の人口の相対的減少が停止したという意味でも問題を提供しているのである︒
‑155‑
人口の変化がどのような職業人口の構成の変化を伴ったかは第一表の最上段の﹁富山県﹂の部に一訳されている︒職
業人口統計は大三までは毎年の調査結果が発表されているが大四から大二ニまでは三年毎︑大一三以降は隔年の調査
となっており︑しかも︑昭一七の調査結果は発表されていない︒また︑調査方法は大三以前と大回以降では大きく変
戦前
にお
ける
富山
県経
済の
成長
︵柴
田︶
九
富大経済論集
第 l['.;{] 7;;山県および各都市別人口(1)
(白山県統計書による)
887)人
78 JJ人 86刀 847) 82Jj 80h
12})
llJj
107)
97i
8Jj
7Jj
67)
575 。
s
19
r
1
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16
s
12 6 s
1 s
T 9 T
3 475
M 42
‑157ー
第1図富山県郡市別人口(2)
(富山県統計書による)
占畠3
17万人
16万
15万
14万
13万
12万
ll万
J.O万
・9万
8万
7万 4万
3万
戦前における富山県経済の成長︵柴田︶
職 業 人 口 構 或 比 (1)
(富山県統計書により作成)
第 一 表
富大経済論集
1 1 1 1
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9
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ょ 一 2268061一白一11122345一1222235一3434768一1111325一1112234一1111226一巨一00000000一0000000一0000000一0000000一0000000一0000000一
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