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羊 に死 者 の 罪 を背負 わせ る 「一神教的人問中心主義」再考

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人 文 学 報No.516‑2(社 会 人 類 学 分 野13) 首 都 大 学 東 京 人 文 科 学 研 究 科 、2020,3

91

羊 に死 者 の 罪 を背負 わせ る

一神教的人問中心主義」再考

1は じ め に

近 年 、 人類 学 で は エ ドゥア ル ド ・ヴ ィ ヴ ェ イ ロス ・デ ・カス トロ、 フ ィ リ ップ ・デ ス コラ らが 「人 間対 動 物 」、 「自然 対 文 化 」 な どの よ う な二 分 法 の 見 方 を問 題 視 し、 従 来 の多 文化 主 義 を人 間 中 心 主 義 と名付 け て 痛 烈 に批 判 して い る。 彼 らの 研 究 は存 在 論 的転 回 とい う潮 流 を生 み 出 し、 欧 米 諸 国 だ け で な く、 日本 国 内 の 学 術 界 に対 す る影 響 も大 きい 。 例 え ば 、奥 野 克 己 は カ ス トロや デ ス コ ラ らの 研 究 成 果 を積 極 的 に紹 介 し、

マ ル チ ス ピー シ ー ズ 人 類 学 を提 唱 して い る。 存 在 論 的 転 回が 投 げか け る問 い は知 的好 奇心 を大 い に か きた て るが 、 本 稿 で 注 目す るの は、 存 在 論 的 転 回 それ 自体 の議 論 で は な く、 奥 野 が 人 間 中 心 主 義 に言 及 した と き に引 用 した 川 田順 造 の 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム 」1であ る[奥 野2011:9‑10]。

川 田 は 肉 食 や 種 間 倫 理 を取 り上 げた 論 考 の なか で 人 間 中心 主 義 を問 題 視 し、 キ リス ト教 に み られ る 「一 神 教 的 人 間 中心 主 義 」 を 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」 と命 名 し、 批 判 の 矛 先 を向 け た。 川 田 の 定 義 に よれ ば 、 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム 」 と は 「全 能 の神 が 己 に似 せ て ヒ トの祖 先 を創 り、 そ の ヒ トに奉 仕 させ るべ く他 の生 物 を創 っ た とい う、 ヒ トを 生 まれ な が らの 生 物 界 の 支 配 者 」[川 田2007:99]と 捉 え る見 方 で あ り、 川 田 は、 「 世 記 パ ラ ダ イム 」 が 「19世紀 に一 つ の 頂 点 を迎 え る、 人 文 科 学 や 思 想 に お け る西 洋 的 ヒュ ー マ ニ ズ ム 、 人 間 中心 主 義 の 基 本 に な っ た」 と主 張 した[川 田2007:164]。 た 、 川 田 は 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」 を 「一 神 教 的人 間 中心 主 義 」 と して批 判 した後 、 日 本 の 鰹 塚 の よ う な動 物 慰 霊 を紹 介 し、 ア ニ ミズ ム に 「非 人 間 中心 主 義 」 的 な姿 勢 を看 取 し、 「一 神 教 的人 間 中 心 主 義 」 と対 比 させ なが らア ニ ミズ ム の思 想 を肯 定 的 に評 価

した[川 田2007:164]。

詳 細 につ い て は後 述 す る よ うに、 川 田 の 唱 え た 「創 世 記 パ ラ ダイ ム 」 に は い くつ か の 間 題 が 潜 んで い る。 第 一 の 問題 点 は 、ユ ダ ヤ ・キ リス ト教 の 世 界 観(聖 書 的 世 界 観) を 「一神 教 的 人 間 中 心 主 義 」 と して批 判 す る 一 方 、他 ㊧宗 教(こ の場 合 は ア ニ ミズ ム) の 思 想 ・儀 礼 を 「人 間 中 心 主 義 」 か ら意 図 的 に除 外 した こ と に あ る。 第 二 の 問題 点 は 、 川 田が 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」 と命 名 した 「一神 教 的 人 間 中心 主 義 」 が 近代 西 洋 ヒ ュー マ ニ ズ ム の基 盤 とな っ た とい う主 張 に あ る 。 もっ と もユ ダヤ教 、 キ リス ト教 だ け で な く、 イス ラ ー ム教(以 下 、 イ ス ラ ー ム)を も含 め た 「ア ブ ラハ ム の 宗教 」 は 聖 書 的 世

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92 羊 に死 者 の罪 を背 負 わせ る 「一神 教 的人 間 中心 主義 」再 考一

界 観 を共 有 して お り、特 に 旧約 聖書 、 ク ル ア ー ンに 目 を通 せ ば 、 人 間 が 他 の 動 物 よ り 優 位 な存 在 と して記 述 され て い る 表現 を 目に す る こ とは で きる 。 しか し、 そ れ ぞ れ の 宗 教 書 に 「一神 教 的 人 間 中心 主 義 」 と思 し き表 現 が 散 見 さ れ る とは い え 、 そ の 教 義 ・ 教 理 とは別 の 次元 で 、 ユ ダ ヤ教 、 キ リス ト教 、 イ ス ラー ム の信 徒 た ち が 実 際 の 日常 生 活 に お い て動 物 を どの よ うに扱 っ て い る の か を仔 細 に 観 察 し、 そ の う えで 「人 間 中 心 主義 」 の妥 当性 を検 討 す る 必 要 が あ る 。 また 、 川 田 は 、 聖 書 的 世 界 観 を 「人 間 中 心 主 義 」 の根 源 とみ な す 一 方 、 ア ニ ミズ ム の 信 仰 ・儀礼 を 「人 間 中 心 主 義 」 か ら排 除 した こ とに は 恣 意性 が垣 間見 られ 、 さ らに は 、 史 実 の 検 証 を踏 ま えず に聖 書 的 世 界 観 が 近 代 西 洋 ヒュv‑一マ ニ ズ ム の 基 盤 とな った と主 張 した こ と に も検 討 の 余 地 が あ る2。

私 が フ ィー ル ドワー ク を実 施 した 調 査 地 は 中 国 の 西 北 、 内 モ ン ゴル 、 華 北 な ど に分 布 す る回族 集 住 地 域 で あ る。 回 族 は 自分 た ちの 祖 先 が 西 ア ジ ア ・中央 ア ジ アか ら中 国 へ 移 住 した イ ス ラー ム 教 徒(ム ス リム)と そ の 子 孫 だ と考 えて お り、 中 国共 産 党 政 権 下 で も清 真寺(モ ス ク)の 周 囲 に集 住 しな が らイス ラー ム を細 々 と実 践 してい る。 ユ ダヤ 教 、 キ リス ト教 、 イ ス ラー ム は 「ア ブ ラハ ム の 宗 教 」 と表 現 され るが 、 聖 書 的 世 界観 は 中 国 の 回 族社 会 に も根 を下 ろ し、 回 族 の 人 間 観 ・動 物 観 ・死 生 観 を形 作 って い る。 特 に旧 約 聖 書 の 創 世 記 は イス ラー ム の 年 中行 事 に相 当 す る犠 牲 祭 だ け で な く、 回 族 の 購 罪 儀 礼 お よ びそ れ に 付 随 す る動 物 供 犠 に色 濃 く表 れ て い る。 回 族 の蹟 罪 儀 礼 (特 に 動 物 供 犠)の 場 面 を仔 細 に観 察 す れ ば、 犠 牲 獣 の取 り扱 い か ら動 物 に対 す る一 定 の 配 慮 を読 み 取 る こ とが で きる。 本 稿 で は、 中国 華 北 の 回族 が 実 施 す る蹟 罪 儀 礼 を 詳 細 に分 析 し、 主 に動 物 供 犠 の 形 態 や 意 味 を土 着 の解 釈 を も とに読 み解 くこ とに よっ て 、 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム 」 を 「一 神 教 的 人 間 中 心 主 義 」 と して 否 定 的 に 捉 え る だ け で

は誤 解 を招 く危 険 性 が あ る とい う こ とを議 論 す る3。

創 世記パ ラダイ ム」の検討

ま ず 、 川 田 の い う 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム 」 の 定 義 ・内 容 を確 認 して お か ね ば な らな い 。 川 田 は2007年 の 単 著 に 肉 食 や 種 問 倫 理 に 関 す る 論 考 を 掲 載 し、 「人 間 中 心 主 義 」

(anthropocentrism)に しば しば言 及 した こ とが あ る4。川 田 は 種 間 倫 理 を論 じた と きに ,肉 食 問 題 にか か わ る四 つ の概 念 モ デ ル、(1)自 然 史 的非 人 間 中心 主 義 、(2)自 然 史 的

人 間 中 心 主 義 、(3)一 神 教 的 人 間 中 心 主 義 、(4)汎 生 的 世 界 像 を提 示 した[川 2007:161‑162]。 以 下 、 川 田の 記 述 を引 用 しなが ら四 つ のモ デ ル を説 明 して い こ う。

まず 、(1)の 非 人 間 中心 主 義 は、 人 間 も 自然 の な か に 自分 の意 志 で は な く存 在 し始 め た一 つ の生 物 で あ る とい う見 方 で あ る。(2)の 人 間 中心 主 義 は 、 人 間 とい うの は生 物 の 一 部 と して 自然 の一 部 、 自然 の歴 史 の過 程 で存 在 し始 め 、 人 間 は 人 間 を中心 に考 え て生 きる のが ご く 自然 で あ り、 そ うす べ きだ とい う見 方 で あ る。例 えば 、 西 洋 で発 達 した い わ ゆ る唯 物 論 、 私 た ちが ご く ご く日常 的 に持 っ て い る見 方 に相 当 す る。(3)

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羊 に死者 の罪 を背 負 わせ る 一神 教 的人 間 中心主 義」 再考一 93

の 人 間 中 心 主 義 は、 旧 約 聖 書(特 に創 世 記)に は全 知 全 能 の神 が 自分 の姿 に似 せ て 人 間 とい う もの をつ く り、 次 に人 間 に役 立 て る た め に ほ か の動 物 や植 物 を つ くっ た とい う確 信 犯 的 な見 方 で あ る。(4)の 世 界 像 は 、 ア ニ ミズ ム な ど非 常 に漠 然 と した考 え方 に裏 打 ち され た よ う な、 非 人 間世 界 、 人 間以 外 の世 界 も人 間 に よる比 喩 的 な投 影 で擬 人 化 す る見 方 で あ る。 例 え ば、 非 人 間 に も人 間 の よ うな魂 が存 在 す る とい う民俗 信 仰 が 代 表 例 で あ る[川 田2007:162‑164]。

こ の よ う な分 類 を ふ ま え、 川 田 は(3)一 神 教 的 人 間 中 心 主 義 に対 して 批 判 の 矛 先 を向 け る。 例 え ば 、川 田 は一 神 教 的 人 間 中心 主 義 を次 の よ うに 説 明 す る。 全 知 全 能 の 神 が 人 間 を 自分 に似 せ て造 っ た とい う創 世 記 の神 話 が 、 世 界 とい う もの は 「全 知 全 能 の 神 が 被 造 物 で あ る人 間 に示 した偉 大 な書 物 で あ るか ら、 そ れ を私 た ち は知 恵 を尽 く して解 読 しな け れ ば な らな い とい う、 自然 を対 象化 して研 究 して い くとい う 自然 科 学 の考 え 方 と も一 致 」 して お り、 「19世紀 に一 つ の 頂 点 を迎 る 、 人 文 科 学 や 思 想 に お け る西 洋 的 ヒュ ー マ ニ ズ ム 、 人 間 中 心 主 義 の 基 本 に な った 」[川田2007:164]。 川 田 は 、 創 世 記 に由 来す るキ リス ト教 の 「人 間 中心 主 義 」 が19世 紀 の科 学 技 術 の発 達 、 産業 革 命

を相 侯 っ て、 近代 西 洋 ヒュ ーマ ニズ ムの基 盤 にな った と主 張 した[川 田2007:151]。

こ こ まで が 川 田 の い う 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」 の 内容 で あ るが 、 素 朴 な疑 問が 脳 裏 を よ ぎ る。 す な わ ち、創 世 記 の 世 界 観 は キ リス ト教 だ けで な く、 ユ ダ ヤ教 や イ ス ラ ー ム に も共 有 され るが 、 創 世 記 の 世 界 観 が 近 代 西 洋 ヒ ュ ーマ ニズ ム の基 盤 とな っ た と仮 定 す れ ば、 ユ ダヤ 教 社 会 や イス ラ ー ム社 会 に は なぜ 西 洋 社 会 の よ うに ヒュ ー マ ニ ズ ム は 芽 生 え なか った の だ ろ うか 。 ユ ダ ヤ教 徒 や イ ス ラ ー ム教 徒 も創 世 記 の世 界 観 を継 承 し て き た わ け で あ るか ら、 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」 が 正 レい の で あ れ ば 、 ユ ダヤ 教 社 会 や イ ス ラ ー ム社 会 に も近 代 西 洋 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム が 誕 生 した はず で あ るが 、 実 態 は そ う で は な い 。 川 田 が 指 摘 した よ う に 、「一 神 教 的 人 間 中 心 主 義 」 が 旧 約 聖 書 の な か の 創 世 記 に垣 間見 られ 、ユ ダ ヤ ・キ リス ト教 が 「一神 教 的 人 間 中心 主 義 」 を共 有 す る こ と を全 否 定 す る こ とは で きな い が 、創 世 記 の世 界 観 が 近代 西 洋 ヒュ ー マ ニ ズ ム の 基 盤 と な っ た と無 条 件 に認 め る こ とは 容易 な こ とで は な い 。

実 は 、文 化 人類 学 者 の谷 泰 が 近代 科 学 の 誕 生 をキ リス ト教 に求 め る こ との 妥 当 性 に 対 して疑 義 を投 げ か け て い る 。 そ れ は 、 ヨー ロ ッパ の キ リス ト教 世 界 に は近 代 科 学 が 根 を下 ろ した の に対 し、 同 じ一 神 教 の イス ラー ム の 世 界 に は近 代 科 学 は成 立 しなか っ た とい う一 部 の 見解 に 対 す る批 判 で あ る。 谷 は、 い わ ゆ るセ ム的 一 神 教 の なか で は一 神 教 の 原則 が 不徹 底 な キ リス ト教 世 界 に近 代 科 学 が 誕 生 した こ とに注 目 し、 近 代 科 学 の 成 立 の 原 因 をキ リス ト教 に求 め る見 方 に警 鐘 を鳴 ら してい る。 以 下 、 関連 箇 所 を引 用 して お こ う。

近 代 科 学 が 成 立 した の は ヨー ロ ッパ で あ り、 ほ か で は な か っ た こ との理 由 の一 つ をキ リス ト教 に求 め る人 もい る。 近 代 科 学 の 自然 観 の基 礎 に は 、絶 対 空 間 な い し 自

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94 羊 に死 者 の罪 を背負 わせ る 一 一 神教 的 人間 中心 主義 」再 考一

然 必 然 的 宇 宙 観 が あ る。 偶 然 や 例 外 を認 めず 、 自然 は一 つ の絶 対 的原 理 に貫 か れ た もの と考 え られ て い る。 この よ う な 自然 観 は多 元 的、 多 神 的世 界 で な く、一 つ の絶 対 原 理 、 唯 一 神 に よ っ て世 界 が 支 配 され てい る と考 え る人 び との も とに お い て容 易

に観 念 され るの だ と い う の で あ る[谷1997:107]。

(中 略)

それ な の に イス ラ ム の一 神 教 的排 他 的性 格 か ら、 ヨー ロ ッパ 文化 に対 して と同 じ 文 化 的 特 徴 を演 繹 し、 イ ス ラ ム文 化 の特 徴 とせ ず 、 ヨー ロ ッパ 文 化 の特 徴 とだ け い うの はい っ たい ど う い う こ とだ ろ うd同 じ宗 教 的特 性 か ら ヨー ロ ッパ に つ い て は 近 代 科 学 成 立 の積 極 的 条 件 を引 きだ し、 イ ス ラ ム世 界 に つ い て は近 代 科 学 が生 まれ な か っ た の で、 それ を 問題 に しな い とい うの は い っ た い ど うい う こ とだ ろ うか 。 自然 必 然 的宇 宙 観 は、 イ ス ラ ム の ま さに そ の一 神 教 的徹 底 性 か ら早 くイ ス ラム 世界 に そ の成 立 を み た の で あ る。 そ れ な の に 、実 は よ り一 神 教 原則 で は不 徹 底 な キ リス ト教 世 界 に お い て近 代 科 学 は根 を お ろ した 。 とす れ ば 、 近代 科 学 の 成 立 の 条 件 は 他 に 求

め な け れ ば な る ま い[谷1997:108]。

キ リス ト教 と近 代 科 学 の 関係 に つ い て は 、科 学 哲 学 者 の村 上 陽 一 郎 が キ リス ト教 を 近 代 科 学 技 術 文 明 の元 凶 とみ な す見 解(例 え ば 、代 表 的 な論 者 は リ ン ・ホ ワ イ ト・ジ ュ ニ ア)に 対 して懐 疑 的 な見 解 を抱 い て い る。 リ ン ・ホ ワイ ト ・ジ ュ ニ ア の 主 張 と は、

現 代 の 環 境 破 壊 の元 凶 はユ ダ ヤ ・キ リス ト教 の 「地 の支 配 」 とい う理 念 、 す な わ ち、

人 間が 自然 界 を支 配 す る権 利 を神 に与 え られ た こ とに あ り、 こ う した創 世 記 の 世 界 観 が 人 間 中心 主 義 を生 み 出 した とい う見解 で あ る[村 上2003:126‑127]。 村 上 は、 「 代 技 術 革 命 な る もの が い つ 起 こ っ た の か と い う こ と を問 う と、 そ れ は キ リス ト教 に よっ て 起 こ っ た の で は な く、 む しろ キ リス ト教 を捨 て る こ と に よ っ て起 こ っ た の だ」

[村 上2003:135]と 指摘 し、 ヨー ロ ッパ で は18世 紀 の 聖 俗 革 命 の 結 果 、 「神 ・人 間 ・ 自然 」 とい う序 列 関係 が崩 壊 し、 人 間 が神 に取 っ て代 わ り、 近 代 科 学 技 術 が は じめ て 誕 生 した こ とを 強調 す る 。 つ ま り、 ヨー ロ ッパ に お け る近 代 科 学 の 成 立 はキ リス ト教 的世 界 観 の否 定 を前 提 と した もの で あ り、 近代 ヨー ロ ッパ の 聖俗 革 命 こそ が 人 間 中 心 主 義 を加 速 した と理 解 す る こ とが で きる 。創 世 記 で あ ろ う とな か ろ う と、 近 代 科 学 の 成 立 要 因 を聖 書 的世 界 観 に帰 す る こ とに は 十 分 な 説 得 力 は な い 。

そ の ほ か 、川 田 が使 用 した ヒュ ー マ ニ ズ ム とい う概 念 につ い て も再 検 討 の 余 地 が あ る 。 ヒュ ー マ ニ ズ ム とい う用語 の語 源 は 古代 ロ ー マ 時 代 の 「フマ ー ヌ ス 」で あ り、 「 商 的 」 を意 味 し、 人 間 が 理 性 を働 か せ る こ とに よっ て 学 問 や 文 化 を生 み 出す こ と を含 意 す る。 こ の よ うな フマ ー ヌ ス の 思想 は15世 紀 に イ タ リア の ル ネ サ ンス で 開 花 し、16 世 紀 に フ ラ ンス で 「ユ マ ニ ス ム 」 と翻 訳 され 、 中世 キ リス ト教 の 世 界 観 か らの 脱 却 を 目指 す 運 動 を意 味 す る よ う に な っ た[平 賀2014:31,2016:30]。 つ ま り、 近代 西 洋 ヒュ ー マ ニ ズ ム は 中 世 キ リス ト教 、 す な わ ち カ トリ ッ ク神 学 の否 定 を出 発 点 と し、

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羊 に死者 の 罪 を背負 わせ る 一 神教 的 人間 中心 主義 」再考 一 95

人 間の 解 放 と 自 由 の獲 得 を 目指 した 、既 存 の宗 教 的権 威 に対 抗 す る 思 潮 ・運 動 で あ っ た。 近 代 西 洋 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム は 、神 や 自然 で は な く、 人 間 の存 在 を物 事 の価 値 判 断 の 基 準 に据 え る考 え方 であ り、 中世 キ リス ト教(カ トリ ッ ク)の 世 界観 とは相 容 れ な い もの で あ る。

イ タ リ ア発 祥 の ル ネサ ンスが フ ラ ンス で勃 興 した16世 紀 とい え ば 、 ヨー ロ ッパ に お い て宗 教 改 革 が 拡 大 した 時 期 に あ た り、 カ トリ ッ ク の権 威 ・組 織 ・信 仰 の あ りか た が 大 き く揺 る が さ れ た 時 代 に 相 当 す る。 当 時 、 カ ト リ ッ クの 伝 統 的 な権 威 、 宗 教 組 織 、 儀 礼 の 形 式 な どが プ ロ テ ス タ ン トに よっ て抜 本 的 に批 判 ・改 革 の標 的 と され た こ と は こ こで 説 明 す る ま で もな い。 キ リス ト教 内部 の改 革 運動 は 近代 西 洋 の 潮 流 の ひ と つ を構 成 して お り、 カ トリ ック の 世 界 観 は否 定 的 に捉 え られ て い る。M・ ヴ ェ ー バ ー [1989]は 、 プ ロ テ ス タ ン トの 世 俗 内禁 欲 が 西 欧 諸 国 の 資 本 主 義 経 済 を発 展 させ た こ と を力 説 した が 、 ヴ ェ ー バ ー の 議 論 は プ ロテ ス タ ン テ ィズ ム の 話 で あ り、 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」 と近 代 科 学 ま た は ヒ ュ ー マ ニズ ム の 関係 性 を議 論 した わ け で は な い 。 こ こ まで の 議 論 をふ ま え れ ば 、近 代 西 洋 ヒュ ー マ ニ ズ ム の起 源 を ユ ダヤ ・キ リス ト教 の 世 界 観(川 田 の い う 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム」)に 求 め る こ とに は 論 理 的 な矛 盾 が 存 在 す る こ とが お のず とわ か る の で は な い だ ろ うか 。創 世 記 の世 界 観 と近代 西 洋 ヒュ ー マ ニ ズ ムの 相 関 関係 につ い て は歴 史 的事 実 の慎 重 な検 証 に よっ て 理解 しな け れ ば な らな い 。

「ア ブ ラ ハ ム の 宗 教 」 の 人 間 観 ・動 物 観

そ れ で は、 こ こ か らは 「ア ブ ラハ ム の 宗 教 」の宗 教 書(主 に 旧約 聖 書 、 ク ル ア ー ン) にお い て 人 間 と動 物 の 関係 が どの よ うに記 述 され て い る の か を確 認 して い こ う。 イ ス ラ ー ム社 会 で はユ ダ ヤ教 、 キ リス ト教 、 イ ス ラ ー ム は 「ア ブ ラ ハ ム の 宗教 」 とい わ れ る よ うに 、 ユ ダヤ 教 、 キ リス ト教 、 イ ス ラー ム は預 言 者 イ ブ ラ ー ヒー ム(ユ ダ ヤ教 、 キ リス ト教 で は ア ブ ラハ ム)の 純 粋 な 一 神 教 を継 承 して い る と考 え られ て い る 。 実 際 、 よ く指 摘 さ れ る よ うに 、 イ ス ラ ー ム の 人 間観 は ユ ダヤ 教 や キ リス ト教 の 人 間 観 と 基 本 的 に は 同 じで あ る[塩 尻2008:2]。

まず 、 旧約 聖 書 の動 物 観 を そ の記 述 内 容 か ら確 認 して お きた い 。 旧 約 聖 書 には イス ラエ ル の民 を 中心 と した神 と人 との歴 史 が記 録 され て い る が 、 そ の な か の 創 世 記 には 聖 書 的 世 界 に特 有 の 動 物 観 が 記 述 され て い る。 例 え ば 、創 世 記 第1章 の記 述 は 以 下 の とお りで あ る。

神 は言 わ れ た。

地 は そ れ ぞ れ の 生 き物 を産 み 出せ 。 家 畜 、 這 う もの、 地 の 獣 をそ れ ぞ れ に 産 み 出せ 」。

そ の よ うに な っ た 。神 は そ れ ぞ れ の 地 の 獣 、 そ れ ぞ れ の 家 畜 、 そ れ ぞ れ の 土 を這

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96 羊 に死 者 の罪 を背 負 わせ る 「一神 教 的人 間中心 主義 」再 考一

う もの を造 られ た。 神 は こ れ を見 て、 良 し とさ れ た。 神 は言 わ れ た。

我 々 に か た ど り、 我 々 に似 せ て 、 人 を造 ろ う。 そ して 海 の 魚 、 空 の 鳥 、 家 畜 、 地 の獣 、 地 を這 うす べ て の もの を支 配 させ よ う」(『旧 約 聖 書 』 創 世 記 第1章 第24 節 第26節5)。

人 間が 神 に よ って 楽 園 を追 放 され た後 、 堕 落 した た め、 神 は ノ ア の洪 水 を もた ら し た。 楽 園追 放 まで は菜 食 が 推 奨 され て い たが 、 ノ ア の洪 水 の後 、動 物 食 が解 禁 され る よ う に な っ た。 例 え ば、 創 世 記 第9章 には 肉 食 の 規 定 が 次 の よ う に説 明 され て い る。

神 は ノ ァ と彼 の 息 子 た ち を祝 福 して言 わ れ た。

「産 め よ、 増 え よ、 地 に満 ち よ。 地 の す べ て の獣 と空 のす べ て の 鳥 は、 地 を這 うす べ て の もの と海 のす べ て の魚 と共 に、 あ な た た ち の前 に恐 れ お の の き、 あ な た た ちの 手 にゆ だ ね られ る。 動 い て い る命 あ る もの は、 す べ て あ な た た ち の食 糧 とす るが よい 。 わた しは これ らす べ ての もの を、 青 草 と同 じ よ うに あ な た た ち に 与 え る。 た だ し、 肉 は命 で あ る 血 を含 ん だ ま ま 食 べ て は な らな い(『 旧 約 聖 書 』 創 世 記 第9章 第1節 一第4節6)。

こ こ ま で の 描 写 だ け を 読 む と、 川 田 の 「創 世 記 パ ラ ダ イ ム 」 で 強 調 され る よ う に、

創 世 記 には 人 間 が 他 の 動 物 よ り も優 位 にあ り、 犬 間 が 他 の 動 物 を利 用 して も よい とい う確 信 犯 的 な見 解 を十 分 に読 み 取 る こ とが で きる。 しか し、 そ の一 方 、 旧約 聖 書 、新 約 聖 書 、 ク ル ア 「 ン に は、 人 間 が 動 物 に対 して危 害 を加 え る こ と は慎 むべ きで あ る、

神 は 人 間 が 動 物 を暴 虐 す る こ と を憎 む な どの よ う な戒 め が 説 か れ てお り、 そ の こ とに も留 意 しな け れ ば な ら ない 。

例 え ば 、 旧約 聖 書 の 箴 言 に は、 「神 に従 う人 は 家 畜 の 求 め る もの す ら知 っ て い る。

神 に 逆 ら う者 は 同 上 す ら残 酷 だ 」(『旧 約 聖 書 』 箴 言 第12章 第10節)、 「あ な たの 羊 の様 子 を よ く知 っ て お け 。 群 れ に心 を向 け よ」(『旧 約 聖 書 』 箴 言 第27章 第23節)、 「羊 は あ な た の 着 物 とな り、 雄 山 羊 は 畑 の 代 価 と な る」(『旧 約 聖 書 』 箴 言 第27章 第26節)、 「 山 羊 の 乳 は あ な た の パ ン、 一 家 の パ ン とな り、 あ なた に仕 え る少 女 らを養 う」(『旧約 聖書 』 箴 言 第27章 第27節)、 「この 地 上 に小 さい もの が 四 つ あ る。 そ れ は知 恵 者 中の 知 恵 者 だ 」(『旧約 聖 書 』 箴 言 第30章 第24節)な どの 記 述 が あ り7、人 間 と動 物 の あ い だ に は等 しい価 値 は な い と され て い るが 、 動 物 の存 在 価 値 に対 す る配 慮 の 必 要 性 が 説 か れ て い る 。

一 方 、 イ ス ラ ー ム の場 合 、 クル ア ー ンに 描 か れ た 人 間 観 は ユ ダヤ 教 や キ リス ト教 の 人 間観 と基 本 的 に は 同 じで あ り、 人 間 は動 物 や植 物 、 鉱 物 、 山 河 な ど、 あ らゆ る被 造 物 の頂 点 に立 つ 支 配 的 な存 在 で あ る と考 え られ て い る[塩 尻2008:2]。 た だ し、 こ の よ うな 人 間 の立 場 は 「万 物 の霊 長 」 と して の お ご り高 ぶ る 地位 で は な く、神 の創 造

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羊 に死 者 の罪 を背 負 わせ る 「一神 教 的人 間中心 主 義」 再考一 97

した 世 界 を管 理 し運 営 す る た め の 、 い わ ば管 理 義 務 の 責 任 を負 っ た 地 位 で あ る[塩 尻2008:2]。 つ ま り、 人 間 も 自然 も神 の被 造 物 で あ り、 人 間 が 自然 を思 い の ま ま に 破 壊 す る こ とは神 の 意志 に背 くもの とみ な され て い るの で あ る。 例 え ば、 ク ル ア ー ン に は、 家 畜 の位 置づ け に 関 して 次 の よ うな 記 述 が 散 見 され る。 人 間 が 家 畜 に対 して ど の よ うに振 舞 うべ きな の か が 説 明 され て い る。

ま た、 家 畜 の あ る もの は荷 を負 い 、 あ る もの は食 用 で あ る 。 ア ッ ラー が あ な た が た に与 え る もの を食 べ 、悪 魔 の歩 み に従 っ て は な らな い 。 か れ は あ な た が た に

と って 、 公 然 の 敵 で あ る(『 クル ア ー ン』 第6章 第142節8)。

また か れ は、 家 畜 を あ な たが た(人 間 のた め)に 創 られ た。

あ なた が た は、 それ らに よ り暖 衣 や 種 々 の便 益 を得 た り、 また そ れ ら を食 用 と す る。

夕 方 にそ れ ら を(家 に)駆 り戻 す 時 、 ま た朝 に(牧 地 へ)駆 りた て る と時 、 あ な た が た はそ れ らに優 美 さ を感 じる。

また あ な た が た が 自 ら苦 労 しな けれ ば達 し難 い 国 に、 そ れ らは あ な たが た の重 荷 を運 ぶ 。

本 当 に あ な た が た の主 は 、 親 切 で 慈 悲 深 い 方 で あ られ る(『 ク ル ア ー ン』 第16 章 第5節 第7節9)。

ク ル ア ー ンの ほ か 、 預 言 者 ム ハ ンマ ドの 言 行 を記 録 したフ、デ ィ ース に も動 物 へ の慈 しみ を強 調 す る記 述 を容 易 に見 つ け る こ とが で きる。 例 え ば、 預 言 者 ムハ ンマ ドが 動 物 に つ い て語 っ た と され る逸 話 を紹 介 して確 認 して お こ う。

ア ブ ー ・フ ラ イ ラ に よ る と、神 の 使 徒 は言 っ た 。 「或 る男 が 歩 い て い る 途 中 で ひ ど く喉 が 渇 い た が 、 運 よ く井 戸 を見 つ け た の で 下 りて 行 き水 を飲 んで 出て 来 た。 す る と、 一 匹 の 犬 が 渇 きの た め に 舌 を出 して喘 ぎ、 湿 った 土 を噛 ん で い た。 そ こ で 、 そ の男 は 自分 が苦 しん だ と同 じよ うな 渇 きに この 犬 も苦 しん で い る に違 い ない と思 い 、 ま た井 戸 に 下 りて行 ら て 靴 に水 を充 た し、 そ れ を くわ えて 上 って 来 て 犬 に飲 ま せ た。 こ の こ とに ア ッラ ー が 感 激 し、彼 の 罪 を赦 して 下 さっ た 」 と。 これ を聞 い て 信 徒 達 が 「動 物 の こ とで も、 報 い が 与 え られ るの か 」 と尋 ね た と き、 預 言 者 は 「 う だ 。 す べ て の 生 き もの に つ い て報 い が あ るの だ 」 と答 え た(『 ブ ハ ー リー 』 第5 巻10)。

ま た、 ハ デ ィ ー ス に は屠 畜 に 関 す る預 言者 ムハ ンマ ドの伝 承 が 収 め られ て お り、 そ の なか で動 物 に対 す る扱 い に つ い て注 意 が しば しば 喚 起 され て い る。

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98 羊 に死者 の罪 を背 負 わせ る 一神 教 的人 間 中心 主 義」 再考一

脚 を切 り落 と し た り、 縛 りつ け た り、 打 ち 倒 し た り して 殺 し て は い け な い 。 (1)ヒ シ ャ ー ム ・プ ン ・ザ イ ドが ア ナ ス と 共 に ア ル ・バ カ ム ・プ ン ・ア イ ユv‑一一ブ

の と こ ろ へ 行 っ た と き 、 ア ナ ス は 、 若 者 達 が 鶏 を縛 りつ け 、 石 を 投 げ て い る の を 見 て 、 預 言 者 は 動 物 を縛 りつ け て 殺 す こ と を 禁 じ た 、 と 言 っ た 。

(中 略)

(4)イ ブ ン ・ウ マ ル に よ る と 、 預 言 者 は 動 物 の 脚 を切 る 者 を 呪 っ た 、 と い う 。 (5)ア ブ ド ・ア ッ ラ ー ・プ ン ・ヤ ズ ィ ー ドに よ る と 、 預 言 者 は 掠 奪 と 手 足 を 切 っ

て 殺 す こ と を 禁 じ た 、 と い う(『 ブ ハ ー リ ー 』 第5巻11)。

こ こ ま で 旧約 聖 書 、 ク ル ア ー ンに記 載 され た 内容 をみ た が 、 当然 の こ とな が ら、 宗 教 書 に書 か れ た テ ク ス トを字 義 通 り解 釈 すべ きか ど うか とい う問 題 が存 在 す る こ と に 留 意 しな け れ ば な らな い。'例え ば 、創 世 記 の場 合 、神 が 人 間 に動 物 を支 配 させ よ う と い う文 言 に 関 して は、 人 間 を動 物 の上 に位 置 づ け た支 配 的 な存 在 で は な く、神 の被 造 物 に対 す る人 間 の責 任 を理 解 させ る た め の もの だ とい う解 釈 が存 在 す る 。 こ こで い う

「支 配 」 とい う語 彙 は 「見 守 る」、 「気 遣 う」 とい う意 味 で 、 「邪 魔渚 扱 い 、 粗 末 な扱 い 、 無 視 、 淘 汰 、 虐 待 、 殺 害 す る」 な どの行 為 は神 の意 図 に反 して い る とい う解 釈 も成 立

し うる[奥 田2014:68]。 そ の ほ か 、創 世 記 で は、 当初 、 人 間 は動 物 の 命 を私 物 化 して は な らず 、 肉食 よ り も菜 食 が 推 奨 さ れ てお り、 聖 書 的世 界 観 に お け る 肉食 の位 置 づ け も時 代 に よ って 変 容 して きた 。 この よ う に、 旧約 聖 書 、 ク ル ア ー ンの記 載 内容 の 解 釈 に際 して は各 啓 示 宗 教 の成 立 背 景 ・文 脈 ・世 界 観 との 関連 性 も視 野 に入 れ る必 要 が あ り、 宗 教 書 の 文 言 を字 義 通 り解 釈 す る だ けで は読 者 が 誤 解 して しま う危 険 性 が あ

る。

IV贋 罪 のため の動物供犠

1「 セ貼 羊 」 の 儀 礼

さて 、 こ こか らは 回 族 の 動 物 供 犠 を伴 う蹟 罪 儀 礼 を具 体 的 に紹 介 し、 蹟 罪 羊 が 紡 ぎ 出 す 神 ・人 間 ・動 物 の 関 係 性 を検 討 す る。 回族 は 漢 語 を母 語 とす る ム ス リ ム の 少 数 民 族 で あ り、 中 国 イ ス ラ ー ム は ス ンナ 派 に属 し、 ハ ナ フ ィ ー法 学 派 に従 う。 た だ し、

中 国 国 内 で は、 イ ス ラ ー ム の 伝 播 時 期 ・地 域 に よ っ て伝 統 派 の カ デ ィー ム派 、 ス ー フ ィー教 団 、 イ ス ラ ー ム 改 革 派 の イ フ ワー ン派 とサ ラ フ ィー ヤ 派 な ど に細 分 化 して い る 。調 査 地 の 華 北 地 方 に は伝 統 派 の カ デ ィー ム 派 が圧 倒 的 に多 く、 カデ ィー ム派 の 信 徒 た ちが 「セ貼 羊 」(漉 吻 伽g,ニ エ テ ィエ ・ヤ ン)と い う、 一 種 の蹟 罪儀 礼 を定 期 的 に 実施 す る 。

「セ貼 羊 」の 「セ貼 」と い う語 彙 は ア ラ ビァ語 の 「ニ イヤ 」(η勿・の を語 源 と して お り、

意 図 」、 「意 思 」 を意 味 す る。 「セ貼 羊 」 とは生 者 が死 者(主 に 家 族 ・親 族)の 平 安 を

(9)

羊 に死 者 の罪 を背負 わせ る 一 「一神 教 的人 間中心 主義 」再 考一 99

祈 念 す るた め に実 施 す る羊 の供 犠 を意 味 す る。 一 般 的 に は、 「セ貼 羊 」 の実 施 時 期 は 葬 儀i当日、死 後7日 目、40日 目、100日 目、1周 年 、5周 年 、10周 年 で あ り、 そ の なか で も葬 儀 当 日、 死 後7日 目、100日 目に参 加 者 が 多 く、 「セ 貼 羊 」 の儀 礼 が 盛 大 に 執 り行 わ れ る 。 「セ貼 羊 」 は華 北 地 方 の カデ ィ ご ム 派 が 実 施 す る 習俗 で あ るが 、 こ の 習 俗 は ク ル ア ー ンや ハ デ ィー ス に依 拠 した もの で は な く、 中 華 世 界 で 創 り出 され た 独 自の 習 俗 で あ る。 そ れ ゆ え 、 後 述 す る よ う に、 イ ス ラ ー ム 改 革 派 の信 徒 は 、 「セ貼 羊 」 と い う習俗 は預 言 者 ム ハ ン マ ドの ス ン ナ(sunna)12と は 無 関 係 な ビ ドア(bid̀a)13と して 批 判 し、 そ の 実 施 を禁 止 す るが 、 カデ ィー ム 派 の 信 徒 は伝 統 儀 礼 と して 積 極 的 に実 施 す る 。

2019年3月 、 私 は北 京 市 の 回 族 集 住 地 域14のひ とつ 、 牛 街 を 訪 問 した と きに 「セ 貼 羊 」 を観 察 す る機 会 に恵 ま れ た 。 「セ貼 羊 」 は 次 の よ うに 実 施 され る。 ま ず 、 主 宰 者 の 家 族 は 自分 の所 属 す る清 真 寺 の 宗 教 指 導 者15へ連 絡 し、儀 礼 の 日程 ・場 所 な ど につ い て相 談 す る 。 集 団礼 拝 が 実 施 され る金 曜 日が 理 想 的 で は あ るが 、 儀 礼 参 加 者 に とっ て仕 事 や学 校 が休 み に な る 週 末 の 方 が 平 日 よ り都 合 が よ く、 土 曜 日や 日曜 日が 選 ばれ る こ とが 多 い 。 儀 礼 実 施 日が 決 ま る と、 主 宰 者 は 回族 の 牛 羊 肉 販 売 業 者 に羊 の購 入 を依 頼 す る。 一 頭 の 羊 の 価 格 は1,000元16ほ ど で、 北 京 市 民 の 平 均 月 収 の10分 の1ほ ど で あ り、 近 年 、 羊 肉 消 費 量 が 増 加 して い るた め 、 け っ して 安 くは ない 。 北 京 市 で 回族 が 消 費 す る羊 の 種 類 は モ ン ゴル 羊 で 、 内 モ ン ゴ ル 自治 区か ら北 京 市 へ 直 接 運 送 され た り、 内 モ ン ゴル 自治 区 か ら河 北 省 へ 運 ばれ て 羊 仲 買 業 者 に飼 育 さ れ た りす る。 一 般 的 に は 、 羊 の仲 買 業 者 も牛 羊 肉 販 売 業 者 も回 族 で あ る。 そ の理 由 を理 解 す る に あ た っ て 、 北 京 市 の イス ラー ム 学 者(カ デ ィー ム派)が 語 っ た家 畜 購 入 の注 意 事 項 を紹 介 し て お こ う。

北 京 市 の 場 合 、 回 族 が 儀 礼 な どで 家 畜 を購 入 す る場 合 、 同 じ回族 の仲 買 業 者(畜 産 業 者)か ら購 入 す る。 私 が 知 るか ぎ り、 回族 が 家 畜 を漢 族 か ら購 入 す る こ とは な い 。 なぜ な ら漢 族 が 飼 育 す る家 畜 は どの よ うな飼 料 を食 べ て い る の か を知 りえ な い し、 飼 料 が ハ ラー ル か ど うか わか らない か らで あ る。 例 え ば、 次 の よ うな逸 話 を 聞 い た ご とが あ る。 あ る 回族 が 羊 を供 犠 した と き、 羊 は頸 をす で に切 られ た に もか か わ らず 、 突 然 暴 れ だ し、 血 を撒 き散 ら しなが ら走 り回 っ た。 一 般 的 に は あ りえ な い こ と なの で 、 家 畜 購 入 者 が 羊 の購 入 先 を調 べ た と ころ 、羊 は 漢族 の畜 産業 者 が販 売 した羊 だ とい う こ とが わ か った 。 しか も、 そ の 羊 は豚 乳 を飲 ま され て い た とい う。

この よ うな逸 話 が 事 実 か ど うか を証 明 で きな い が 、家 畜 を購 入 す る場 合 、 回 族 は 家 畜 の飼 料 に ま で細 心 の注 意 を払 う こ とは珍 し くな い17。

儀 礼 当 日の早 朝 、 主 宰 者 は牛 街 礼 拝 寺(北 京 市 の最 古 の モ ス ク)の 近 くにあ る牛 羊 肉販 売 店18に集 合 した 。 北 京 市 の イ ス ラ ー ム学 者 の 見 解 に よれ ば 、 屠 畜 は 日の 出 か ら

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100 羊 に死者 の罪 を背負 わせ る 一 神教 的 人間 中心 主義 」再 考一

日没 前 まで に行 わ な け れ ば な ら ない が 、 現 在 、 北 京 市 内で は正 規 の屠 畜 場 以外 で の 屠 畜 は 禁 止 さ れ て い るた め(北 京 市 内 にハ ラ ー ル 屠 畜 場 は存 在 しな い)、 日中 の 屠 畜 は 当 局 に発 見 され る と処 罰 の対 象 と な る19。そ の た め 、 日の 出 の 直 後 、 薄 明 るい 時 間帯 に 屠畜 を秘密 裏 に実 施 す る。 私 が 観 察 した事 例 で は 、主 宰 者 の家 族 は 日の 出 直 後 に は 屠 畜 場 所 へ 集 ま り、 宗 教 指 導 者 の 来 訪 を待 っ て い た。

主 宰 者 が 屠 畜 を事 前 に依 頼 した 宗 教 指 導 者 が 到 着 す る と、 「セ貼 羊 」 の 儀 礼 が 始 ま る 。 宗 教 指 導 者 は 主 宰 者 とそ の 日の 段 取 りを確 認 した後 、 す ぐさ ま供 犠 に と りか か る 。 まず 、 宗 教 指 導 者 は 屠 畜 の 目的 を小 声 で 唱 え(漢 語 で も ア ラ ビア 語 で も構 わ な い)、 そ の 後 、 参 加 者 全 員 が 両 手 の ひ ら を顔 の前 に ひ ろ げ、 ドゥア ー とい う祈 念 を行 う(写 真1)。 この 場 合 の ドゥア ー は儀 礼 の成 功 を神 に対 して祈 る行 為 で あ る 。

参 加 者 全 員 が 両 手 で顔 を な で る よ うな 動 作 を した 後 、 宗 教 指 導 者 は 刃 渡 り30セ ン チ メ ー トル ほ どの ナ イ フ を右 手 に持 ち 、躊 躇 す る こ とな くナ イ フ を羊 の 喉 にあ て た。

「ビス ミッ ラ ー ヒ ・ア ル=ラ フ マ ー 二 ・ア ル=ラ ヒー ミ(慈 悲 深 き慈 愛 あ ま ね き神 の 御 名 に お い て)鞠 「ア ッラ ー フ ・ア クバ ル(神 は偉 大 な り)21」 とい う ア ラ ビア 語 の 聖 句 を小 声 で 唱 え なが ら、羊 の気 管 ・頚 動 静脈 ・食 道 を一気 に 切 断 した 。 羊 の 頸 か ら 血 が 流 れ 出 し、 羊 が 息 絶 え る と、宗 教 指 導 者 は帰 り支 度 に と りか か っ た 。 主 宰 者 は宗 教 指 導 者 に小 さ な封 筒 を手 渡 した。 こ の 封 筒 に は手 数 料 が 入 れ られ て お り、 サ ダ カ (自 発 的 喜 捨)を 意 味 す る 。 な お 、 屠 畜 を担 当 す る者 は、 礼 拝 の 時 と 同様 、 あ らか じ め ウ ドゥー(小 浄)ま た は グ ス ル(大 浄)と い う沐 浴 を済 ませ て お か ね ば な らな い 。 日常 の 屠 畜 で あ れ 、 年 中 行 事 の 供 犠 で あ れ 、 家 畜 の 殺 生 は神 に対 して 実 施 さ れ るた め 、 当事 者 は心 身 と もに清 め る 必 要 が あ るか らで あ る。

理響

・耗 諺r●;

写 真1「 セ貼 羊 」 儀 礼 の 祈 念(2019年3月 撮 影)

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羊 に死者 の罪 を背 負 わせ る 一 神教 的人 間 中心主 義」 再考一 101

主 宰 者 は 羊 の 頸 部 か ら血 が 流 れ きった の を見 届 け た後 、 解 体 作 業 に と りか か る。 北 京 回 族 の 場 合 、 一 般 信 徒 は屠 畜 を ほ と ん ど経 験 した こ とが ない た め 、牛 羊 肉販 売 店 あ る い は 回 民 残 葬 所 の 職 員 に解 体 して も らう。 私 が 観 察 した事 例 で は 、牛 羊 肉販 売 店 の 職 員(河 北 省 出 身)が 羊 を解 体 した(写 真2)。 解 体 担 当者 は ナ イ フ を右 手 に持 ち 、慣 れ た 手 つ きで 毛 皮 を剥 ぎ、羊 肉 を部 位 ご と に切 り分 け る 。 羊 の 肩 肉、 バ ラ 肉 、 腿 肉 、 脛 肉 、 内臓 な ど を地 面 に広 げ た 羊 の 皮 の 上 に丁 寧 に並 べ る。 羊 の 頭 や 骨 な ど も捨 て る

こ とは な く、 回 族 の 人 々は 普 段 か ら家 畜 の 部 位 は余 す とこ ろ な く消 費 す る。 一 頭 の羊 を解 体 す るの に20分 ほ どあ れ ば十 分 で あ る。 主 宰 者 は 手 数 料 を解 体 担 当 者 に 手 渡 し た 。 これ もサ ダ カ(自 発 的 喜 捨)で あ る。

主 宰 者 の 家 族 は 小 分 け に して も ら った 羊 肉 を 自宅 へ 持 ち帰 り、 午 前 中 に調 理 に と り か か る 。 なぜ な ら主 宰 者 は 宗 教 指 導 者 や 親 戚 ・友 人 た ち を 自宅 へ 招 待 し、 饗 応 儀i礼を 実 施 しな け れ ば な らな い か らで あ る。 主 宰 者 は正 午 まで に は羊 肉料 理 を準 備 し、 宗 教 指 導 者 た ち に 自宅 へ 集 ま って も ら う。 準 備 作 業 は昼 の ズ フ ル礼 拝(正 午 の礼 拝)の 前 まで に は 終 え る。 調 理 す る羊 肉 はそ の 日の 朝 に屠 畜 した羊 の 新 鮮 な 肉で あ る。 宗 教 指 導 者 が 主 宰 者 宅 を来 訪 す る と、 饗 応 儀 礼 が す ぐに 始 ま る。 まず 、 宗 教 指 導 者 は ク ル ア ー ン を朗 訥 し、 朗 論 後 、 参 加 者 全 員 で ドゥアー(祈 念)を 行 う。 そ の 後 、 参 加 者 全 員 が 羊 肉 料 理 に 舌 鼓 を打 ち なが ら故 人22の思 い 出 話 な ど に花 を咲 か せ る 。 食 事 の 後 、 宗 教 指 導 者 の 先 導 の 下 、 参 加 者 全 員 が 死 者 の 平 安 を祈 り、 神 へ の 感 謝 の気 持 ち を伝 え る べ く ドゥア ー(祈 念)を 行 う。 客 人 た ちが 立 ち去 る際 、 主 宰 者 は小 さ な封 筒 に入 れ

鯨。"

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写 真2供 犠 獣 の 解 体(2019年3月 撮 影)

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102 羊 に死 者 の罪 を背負 わせ る 「一神 教的 人 間中心 主義 」再 考一

た 謝 礼 をサ ダ カ(自 発 的 喜 捨)と して 手 渡 す 。 これ で 饗 応 儀 礼 は終 了 した こ とに な る。

なお 、 こ の よ うな饗 応 の席 に酒 や 煙 草 が 提 供 され る こ とは な い。

2動 物 供 犠 の 起 源

中 国 華 北 の 回 族 が 実 施 す る 「セ 貼 羊 」 の 起 源 は 明 らか で は な い が 、 北 京 市 の イ ス ラ ー ム学 者 の説 明 に よれ ば 、 次 の よ うな起 源 説 が 考 え られ て い る。 イ ス ラー ム で は犠 牲 祭 が 毎 年 実 施 され るが 、 そ の と きに供 犠 の実 施 が 預 言 者 イ ブ ラー ヒー ム お よび ムハ ンマ ドの ス ンナ(慣 行)と して推 奨 され る 。 実 際 、驕駝 、牛 、羊 、 山 羊 な どの 家 畜 の 供 犠 は世 界 各 地 の イ ス ラ ー ム社 会 で積 極 的 に実 践 され る 。 この よ うな犠 牲 祭 の供 犠 の 形 式 が 「セ貼 羊 」 の 習 俗 に取 り入 れ られ た 可 能 性 が 高 い 。 現 在 、 「セ 貼 羊 」 は華 北 地 方 の伝 統 派(カ デ ィー ム派)を 中心 に 定期 的 に 実施 され て い る23。'

そ もそ も、 こ こ で指 摘 す る まで もな いが 、 イ ス ラー ム の犠 牲 祭 の起 源 は ユ ダヤ教 の イサ ク の幡 祭 だ と考 え られ て い る 。 旧約 聖 書 で は預 言者 ア ブ ラハ ム が神 の た め の そ の 子 イサ ク を殺 害 し よ う と したが 、 イ ス ラ ー ム の伝 承 で は預 言 者 イ ブ ラー ヒー ム が 子 イ ス マ ー イ ー ル を殺 害 し よ う と した とい う話 に改 変 され て い る。 つ ま り、 イ ス ラー ム で は預 言 者 イ ブ ラ ー ヒー ム の故 事 も供 犠 もユ ダヤ教 の伝 統 を祖 型 と して 踏 襲 した もの で あ る。 旧 約 聖 書 に は動 物 供 犠 の 細 則(例 え ば、 ヨ ム ・キ プ ー ル の と きの 山 羊 の 供 犠) が 詳 細 に記 述 され て い る が 、 ユ ダヤ教 の動 物 供 犠 が イ ス ラー ム社 会 に借 用 ・流 用 され た と考 え る こ とは け っ して不 自然 な こ とで は な い 。預 言 者 の 故事 に しろ 、 動 物 の 供犠 に しろ、 そ の起 源 はユ ダ ヤ教 の伝 統 儀 礼 に あ る こ とは 間 違 い な い 。

こ こでユ ダ ヤ教 の動 物 供 犠 を ご く簡 単 に確 認 して お こ う。蹟 罪 の た め の 動 物 供 犠 は ユ ダ ヤ教 で義 務 づ け られ て お り、 旧約 聖 書 に は羊 や 山羊 な どの家 畜 の供 犠 に関 す る詳 細 な 文 言 が 豊 富 に記 載 され て い る 。例 え ば、 レ ビ記 第1章 に は 以 下 の よ うに供 犠 の 細 則 が 記 述 され て い る。

主 は 臨在 の幕 屋 か ら、 モ ー セ を呼 ん で仰 せ にな った 。 イ ス ラエ ル の人 々 に告 げ て こ う言 い な さい 。

あ な た た ち の うち の だ れ か が 、家 畜 の 献 げ物 を主 に さ さげ る と き は、 牛 、 また は 羊 を献 げ物 と しな さい(『 旧約 聖 書 』 レビ記 第1章 第1節 、 第2節24)。

レ ビ記 第4章 に は蹟 罪 の た め の供 犠 につ い て 詳 細 に説 明 さ れ て い る。

共 同体 の代 表 者 が 罪 を犯 し、過 っ て 、禁 じ られ て い る主 な る神 の 戒 め を一 つ で も 破 っ て責 め を負 い、 犯 した罪 に気 づ い た と きは 、献 げ物 と して無 傷 の 雄 山羊 を引 い て行 き、 そ の頭 に手 を置 き、主 の御 前 に あ る焼 き尽 くす 献 げ物 を屠 る場所 で そ れ を 屠 る。 これ が 蹟 罪 の献 げ 物 で あ る。 祭 司 は献 げ物 とす る雄 山羊 の血 を指 につ け て 、

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羊 に死 者 の罪 を背 負 わせ る 「一神 教 的人 間 中心 主 義」 再考一 103

焼 き尽 くす 献 げ 物 の 祭壇 の 四 隅 に角 を塗 り、 残 りの血 は そ の祭 壇 の基 に流 す 。 脂 肪 は すべ て和 解 の 献 げ 物 の 脂肪 の 場 合 と 同 じよ う に、 祭 壇 で 燃 や して煙 にす る。 祭 司 が こ う して彼 の た め に罪 を蹟 う儀 式 を行 う と、彼 の 罪 は赦 され る(『 旧約 聖 書 』 レ

ビ記 第22節 一第26節25)。

また 、 旧約 聖書 レ ビ記 第16章 に よれ ば 、 毎 年 、 ユ ダヤ 教 徒 た ち は瞭 罪 の 日 に 山羊 に 罪 を着 せ て 野 に放 ち 、 また 、 別 の 山 羊 を屠 って い た こ どが 伝 え られ て い る。

次 に 、民 の購 罪 の献 げ物 の た め の 雄 山 羊 を屠 り、 そ の 血 を垂 れ 幕 の 奥 に携 え、 さ きの雄 牛 の血 の場 合 と同 じ よ う に、 蹟 い の 座 の 上 と、 前 方 に振 りま く。 こ う して彼 は 、 イ ス ラ エ ル の 人 々 の すべ て の 罪 に よ る汚 れ を背 きの ゆ え に、 至 聖 所 の た め に購 い の 儀 式 を行 う。 彼 は 、 人 々 の た だ 中 に と ど ま り、 さ ま ざ ま の 汚 れ に さ ら され て い る 臨在 の 幕屋 の た め に も伺 じ よ う にす る(『 旧約 聖 書 』 レ ビ記 第16章 第15節 一第16 節26)。

こ の よ うに 、ユ ダ ヤ教 で は特 定 の家 畜 が 人 間 の 身代 わ りと して 蹟 罪 儀礼 で 供 犠 の 対 象 と され るの で あ る が(最 も代 表 的 な儀 礼 が イサ ク の幡 祭)、 人 間 が 蹟 罪 の た ゆ に羊 を供 犠 す る とい うユ ダ ヤ教 徒 の儀 礼 の様 式 が ム ス リム に よ って 流 用(借 用)さ れ た こ とは否 定 しが た い。

実 は 、 こ の よ う な蹟 罪 儀 礼 は ユ ダ ヤ教 や イ ス ラ ー ム に 限 っ た こ と で は な く、 カ ト リ ック の聖 体 拝 領 に も通 じる とい う見 解 が これ まで 指摘 され て きた 。 例 えば 、 谷 泰 に よれ ば、 最 後 の晩 餐 に お い て キ リス トは弟 子 た ち にパ ン と葡 萄 酒 を与 えた が 、 パ ンは キ リス トの 肉、 葡 萄 酒 は キ リス トの血 を象 徴 して お り、 参会 者 全 員 が そ れ を 口 に した の だが 、 葡 萄 酒 は キ リス トが流 した血 で あ り、蹟 罪 の血 で あ り、 葡 萄 酒 を浸 す パ ン は キ リス トの 肉 で あ る。 この よ うな最 後 の 晩餐 の 形 態(キ リス トの 血 肉 の 共 食)が カ ト リ ック にお け る ミサ 聖 祭 の 中 心 的儀 礼 と な っ た とい う[谷1997:2‑3]。E・ リー チ も聖 書 的 世 界 観 に注 目 し、 キ リス ト教 の供 犠 が 旧約 聖書 の神 話 を参 照 しな が ら、 た だ 象 徴 的 な 身代 わ り(罪 人)の 身代 わ りと して の キ リス トの 受 難 とい う形 で あ らわ れ る と指 摘 してい る[リ ーチ1981:185]。 もち ろ ん キ リス ト教 世 界 で家 畜 が犠 牲 獣 と し て 供 犠 さ れ る こ と は な い し、 イ エ ス が 犠 牲 獣 で あ る とは み な され て い な い が 、 カ ト リ ッ クの ミサ 聖 祭 の 形 態 に は他 宗 教 の 供 犠 との 共 通 点 が み られ 、 特 にユ ダヤ 教 の慣 習 の影 響 が 大 きい[谷1997:20]。E・ リー チ も指 摘 した よ うに 、 ユ ダヤ 教 の ヨ ム ・

キ プ ー ル の供 犠 は キ リス ト教 に は継 承 され て い な い が 、瞭 罪 とい う観 念 とそ の 儀礼 の 形 式 が ミサ 聖 祭 の な か に埋 め込 まれ て い る可 能性 は 十分 に 認 め られ る。 い ず れ に して も、 旧約 聖 書 に描 か れ た蹟 罪供 犠 の形 態 が キ リス ト教 の ミサ や イス ラー ム の 犠 牲 祭 に 脈 々 と継 承 さ れ て い る こ とは 「ア ブ ラハ ム の宗 教 」 の 連続 性 を如 実 に示 して い る とい

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104 羊 に死 者の 罪 を背負 わせ る 一 神教 的 人間 中心主 義 」再考 一

え る だ ろ う 。

V死 者の罪 を背負 う羊

1神 へ の 執 り成 し

「セ貼 羊 」 で は羊 は 「替 罪 羊 」 と中 国 語 で 表 現 さ れ る。 「替 罪 」、 す な わ ち 「罪 を代 わ りに被 る」 とい う意 味 で あ る。 一 般 的 に は、 イス ラ ー ム の犠 牲 祭 で は牛 、騎 駝 、羊 な どが 中心 に 供 犠 され る が 、 「セ貼 羊 」 の 場 合 、 慣 例 と して 、 羊(あ る い は 山羊)が 必 ず 屠 畜 され な け れ ば な ら な い。 犠 牲 祭 で 屠 畜 され る家 畜 は 預 言 者 イ ブ ラ ー ヒ ー ム

の 子 イス マ ー イ ー ル の 代 役 で あ るた め 、 「セ貼 羊 」 の儀 礼 で も羊 が 犠 牲 獣 と して 優 先 的 に選 択 さ れ る 。 そ の 理 由 に つ い て は北 京 市 の イ ス ラ ー ム学 者 の 説 明 が 参 考 に な る。

犠 牲 祭 の 故 事 に あ る よ う に、 羊 は神 が イ ス マ ー イ ー ル の 代 役 と して遣 わ した 動 物 で あ り、 そ の姿 形 は 美 し く、・ま た 、性 格 は従 順 で あ る と認 識 さ れ て い るか らで あ る27」

「セ貼 羊 」 で は羊 が 人 間 の 罪 、 す な わ ち 死 者 が 生 前 に 善行 を怠 っ た とい う罪 を背 負 わ され るた め 、犠 牲 と な る羊 は 「替 罪 羊 」 と呼 ばれ るの で あ る。 そ れ は ま さ し く 「蹟 罪 、 羊 」(ス ケ ー プ ゴ ー ト)で あ る 。 た だ し、 北 京 市 の イス ラ「 ム学 者 の 説 明 に よ れ ば 、

「セ貼 羊 」 の 起 源 は ク ル ア ー ンや ハ デ ィー ス に は明 記 され て お らず 、 中 国独 自の 習 俗 で あ る とい う28。

蹟 罪 羊 」 が 「替 罪 羊 」 と表 現 され る こ とか らわ か る よ うに 、 「セ 貼 羊 」 と い う儀 礼 の 目的 は 、 生 者 が 羊 の 供 犠 に よ って 死 者 の 購 罪 を神 に伝 達 す る こ と に あ る。 「蹟 罪 羊 」 の役 割 は 容易 に理 解 で き る。 しか し、 なぜ 死 者 の 蹟 罪 を神 に伝 達 す る た め に生 者 が 羊 の 供 犠 を 実 施 しな け れ ば な らな い の だ ろ うか 。 犠 牲 祭 の場 合 、 供 犠 獣 は 預 言 者 イ ブ ラー ヒー ム の子 イ ス マ ー イー ル の 身 代 わ りと して 屠 畜 され る ため 、 供 犠 獣 をス ケ ー プ ゴー トと み な す こ と は容 易 で あ る。 そ れ に対 して 、 「セ貼 羊 」 が なぜ 羊 の供 犠 を必 要 とす る のか(犠 牲 獣 は 羊 か 山羊 で な けれ ば な らな い)、 また 、 なぜ 羊 の供 犠 に よ っ て 死 者 の照 罪 が可 能 とな るの か が外 部 者 に は理 解 しづ らい 。

も ち ろ ん生 者 が死 者 の た め に瞭 罪 を行 う儀 礼 は 「セ貼 羊 」 に 限 っ た こ とで は な く、

死 者 祈 念 儀 礼 に お け る クル ア ー ン朗 論 、 ドゥア ー の 実 施 、 墓 参 慣 行 な ど の よ う な儀 礼 に もあ て は まる 。 こ う した蹟 罪 の 意 味 を理解 す るた め に は イス ラー ムの 死 生 観 を把 握 して お か ね ば な らな い 。 あ くまで も生者 の解 釈 で は あ るが 、 生 前 、 死 者 は イス ラ}ム の五 行(特 に義 務 行 為)を 十 分 に実 践 で きな か った た め 、 数 多 くの グ ナー フ(罪)を 背 負 っ て い る。 イ ス ラー ム で は 、 この世 が 終 わ る と、神 が 死 者 を一 度 甦 らせ 、 最 後 の 審 判 を実施 す る 。 この と き に厳 正 な審 判 が神 に よ って 下 され 、 死 者 が 楽 園 と火 獄 の ど ち らに送 られ る の か が 決 め られ る。最 後 の 審 判 の 際 の 判 断基 準 は死 者 が 生 前 に行 った 善 行 ・悪 行 の多 寡 で あ る 。 も し死 者 の 罪 が 善行 よ りも多 い 場 合 、 楽 園 で は な く、 火獄 へ 送 られ る。 原 則 論 と して は 、イス ラームは神 と個 々の人間 との契約 にもとつ く生 き

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羊 に死 者 の罪 を背負 わせ る 一 「一神 教 的人 間中心 主義 」再 考一 105

方 で あ る た め 、個 々 の 人 間 の生 前 の行 為 が シ ャ リー ア(イ ス ラー ム 法)に 照 ら し合 わ せ て妥 当 か ど うか が 問 わ れ る はず で あ る。 た だ し、 そ れ は あ くま で も原 則 論 で あ り、

実 態 と して は 、 回族 社 会 で は死 者 の 家族 ・親族 は 死 者 が神 に よ って 楽 園 へ 送 られ る こ と を願 い、 祈 念 や供 犠 な どの膿 罪儀 礼 を 定期 的 に 実 施 し、神 の 審 判 へ働 きか け よ う と す る。 こ の よ うに 、生 者 は死 者 が 生前 に 犯 した 罪 の 多 さ を危 惧 す るあ ま り、 死 者(主 に 自分 の近 親)の た め に神 に対 して 執 り成 し を試 み るの で あ る。

実 は、 中 国西 北 、 特 に イ ス ラ ー ム改 革 派(イ フ ワー ン派 、 サ ラ フ ィー ヤ 派)が 多 い 地 域 で は 「セ貼 羊 」 の儀 礼 は実 施 され て い な い 。 筆 者 自身 は 「セ貼 羊 」 の 儀 礼 を北 京 で は じめ て 目撃 した た め 、犠 牲 祭 とは 異 な る 動 物 供犠 の慣 行 に 非 常 に驚 い た 。 中 国 西 北 の イ ス ラ ー ム 改 革 派 の信 徒 も死 者 の蹟 罪 を 目的 と した儀 礼 を定 期 的 に 実 施 す るが 、 彼 らは ク ル ア ー ンを朗 訥 す る だ け で動 物 供 犠 を実 施 しな い 。 イ ス ラー ム 改 革 派 の 認 識 に よれ ば、 儀 礼 参 加 者 に お い て宗 教 指 導者 が 単独 で クル ア ー ン を朗 論 し、 そ の 場 にい る他 の 信 徒 た ちが 静 か に拝 聴 し さえ す れ ば 、 死 者 の 瞭 罪 が神 に伝 え られ る とい う。 こ の よ う に、 イ ス ラ ー ム 改 革 派 の 認 識 とは 異 な り、 中 国華 北 、 特 に 北 京 に く らす 伝 統 派(カ デ ィ ー ム派)の 回族 は動 物 供 犠 が死 者 の膿 罪 を実 現 す る と考 え、 羊 をス ケ ー プ ゴ ー トと して定 期 的 に供 犠 す る の で あ る 。

2犠 牲 獣 を屠 る者

回族 社 会 の伝 統 的 な慣 習 と して は 、 屠 畜(供 犠 を含 む)は どの よ うな 人 物 が 実 施 し て もか ま わ な い 行 為 で は な い 。 法 学 派 や 地 域 に よ っ て差 異 が み られ る が 、 回 族 社 会 で は殺 生 に対 す る独 特 な忌 避 観 念 が 共 有 さ れ て い る。 例 え ば、 中 国 華 北 に 多 い伝 統 派(カ デ ィー ム派)の 場 合 、 「セ貼 羊 」 の儀 礼 を 定 期 的 に実 施 す るが 、 屠 畜 は 主 宰 者 の 一 般 信 徒 で は な く、清 真 寺 の宗 教 指 導 層(宗 教 指 導 者 や そ の 弟 子)が 担 当 す る こ と に な っ て い る。 日常 の屠 畜 に しろ 、 年 中行 事 の犠 牲 祭 に しろ 、 一 般 信徒 は 屠 畜 を 自 ら 実 施 しよ う と しな い 。 そ の 主 な理 由 は 、 一 般 信徒 は 動 物 の 殺 生 は グ ナ ー フ く罪)で あ る と認 識 し、屠 畜 を 意 図 的 に忌 避 す る か らで あ る。 そ の た め 、 一 般 信 徒 は 一 部 の 屠 畜 専 門家(主 に宗 教 指 導 者)に 屠 畜 代 行 を依 頼 す る 。 もっ と も一 般信 徒 が 屠 畜 の 方 法 を 習 得 で きて い な い こ と も屠 畜 代 行 の 一 因 で は あ る が 、 一 般 信徒 は 一 部 の 屠 畜 専 門 家 に 屠 畜 代 行 を依 頼 す る こ とに よっ て 動 物 の殺 生 が もた らす 罪 を巧 妙 に回 避 す るわ け で あ る29。

こ の よ うな屠 畜 代 行 の慣 習 は 回 族社 会 で は カ デ ィー ム 派 や ス ー フ ィー 教 団 にお い て 根 強 く、 イ ス ラ ー ム 改 革 派 で は伝 統 と して は 堅 持 され て い な い 。 イス ラー ム 改 革 派 の 場 合 、 た とえ 一般 信 徒 で あ っ て も屠 畜 技術 を学 ん だ こ とが あ る な ら ば、 誰 が 屠 畜 して もか ま わ な い。 実 際 、』内 モ ンゴ ル 自治 区 フ フホ ト市 で は 、犠 牲 祭 の 日、 イ ス ラー ム 改 革 派 の清 真 寺 で は一 般 信 徒 が家 畜 を屠 畜 す る 光 景 を観 察 した こ とが あ る。 イス ラー ム 改 革 派 の 信 徒 た ち の 見 解 に よ れ ば 、 「自分 た ち で 屠 畜 す れ ば 、神 か ら の報 奨 を多 く獲

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106 羊 に死 者 の罪 を背 負 わせ る 一神 教 的人 間 中心主 義」 再考一

得 す る こ とが で きる」 と説 明 し、伝 統 派(カ デ ィー ム派)が 遵 守 す る屠 畜 代 行 を推 奨 して い な か った 。 伝 統 派 は殺 生 が 罪 を もた らす と主 張 す る の に対 し、 イス ラー ム 改 革 派 は 殺 生 が 報 奨 を増 や す と主 張 す る。 両 者 の見 解 は異 な るが 、相 違 点 は 各 々の 立場 を 知 る うえ で 興 味 深 い 。

賛 否 両 論 で は あ るが 、 中 国 華 北 の 場 合 、伝 統 派 が 多 数 派 で あ り、 「セ 貼 羊 」 や 犠 牲 祭 で は一 部 の 屠 畜 専 門家 に屠 畜 代 行 を依 頼 す る こ とが 伝 統 的 な慣 行 と して 受 け とめ られ て い る。 実 は 、1949年 以 前 、 屠 畜 専 門 家 は 「帯 刀 阿 旬 」、 「下 刀 阿 旬 」、 「下 刀 師 傳 」、 「刀 師傳 」 な ど と呼 ば れ 、 清 真 寺 や 屠 畜 場 に勤 務 してい た。 彼 らは特 別 な専 門職 で あ っ た。 屠 畜 専 門 家 は 動 物 の 命 を普 段 か ら奪 って い た た め 、 清 真 寺 で は礼 拝 を先 導 で きな い 、礼 拝 を最 後 尾 で 行 う、 ア ザ ー ン(礼 拝 の 呼 びか け)を して は な らな い な ど の様 々 な制 約 を受 け て い た が 、 そ の 一 方 、 「阿旬 」(イ ス ラー ム 学 者)、 「師 傳 」(師 匠) な どの 尊 称 を付 与 され て お り、 尊 敬 さ れ るべ き存 在 で あ っ た[澤 井2020]。1950年 代 、 中 国 共 産 党 が 社 会 主 義 改 造 を 強 行 し、 屠 畜 業 が 「公 私 合 営 」・国 有 化 され た 後 、 屠 畜 専 門家 と い う伝 統 的 な役 職 は廃 止 され 、 公 共 の 場 か ら抹 消 され て しま った(た

し、 一 部 の 屠 畜 専 門家 は 国営 の 食 品 会社 な どに転 職 し、 新 た な 職 場 で 屠 畜 を担 当 す る こ とが で きた)。 この よ うな社 会 主 義 改 造 の 結 果 、1978年 以 降 は 、 伝 統 的 な 屠 畜 専 門 家 が 消 滅 した た め 、清 真 寺 に復 帰 した正 規 の 宗教 指導 者 や そ の 弟 子 が 屠 畜 を代 行 す る こ と に な って い る(写 真3)。

写 真3犠 牲祭 の供 犠(2016年9月 撮影)

社 会 主 義 改 造 の結 果 、屠 畜 は 回 族社 会 にお い て さ え生 活 圏 か ら遠 い 出来 事 と な っ て い る。 例 え ば 、北 京 市 の場 合 、1949年 以 前 、 北 京 市 内 に屠 畜 場 が 数 箇 所 設 置 さ れ て い た が 女}、現 在 、北 京 市 内 に はハ ラー ル屠 畜 場 は 存 在 せ ず 、屠 畜 は 隣 接 す る河 北 省 の 回

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