関西大学博物館所蔵朝鮮瓦 : 文字瓦を中心として
著者 高 正龍, 熊谷 舞子, 安原 葵
雑誌名 関西大学博物館紀要
巻 20
ページ 39‑51
発行年 2014‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/8254
三九 一.はじめに
関西大学博物館には膨大な資料が所蔵されており︑その中には少なか
らず朝鮮半島で採集された瓦塼が含まれている︒今回︑これらの瓦につ
いて資料調査の機会を得た︒出土地未詳のものが多いが︑これまで報告
書︑図録等で周知されていない軒瓦︑文字瓦があり︑また一部に咸鏡北
道といったまったく瓦の様相の分からない地域のものも含まれている︵図
1︶︒本瓦の重要性を鑑み︑資料紹介をおこなうことにしたい︒
関西大学に所蔵されている朝鮮半島由来の瓦塼は八〇点ほどである
が︑ここでは︑軒丸瓦一三点︑軒平瓦四点︑垂木先瓦一点︑文字のある
平・丸瓦二二点の報告をおこなうことにする︒なお︑資料調査は山口卓
也・近藤康司両氏のご援助によるものである︒冒頭に︑ご芳名を記し感
謝の意を表しておきたい︒
関西大学博物館所蔵朝鮮瓦
︱ 文字瓦を中心 と し て ︱
高 正 龍 熊 谷 舞 子 安 原 葵
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図 1 瓦の採集地
四〇
二.軒瓦︑垂木先瓦
瓦当面に紋様をもつ瓦は︑三国時代高句麗の軒丸瓦五点︑新羅の軒丸
瓦一点︑統一新羅時代の軒丸瓦三点︑軒平瓦一点︑高麗時代の軒丸瓦一
点︑軒平瓦一点︑垂木先瓦一点︑朝鮮時代の軒丸瓦三点︑軒平瓦二点で
ある︒
⑴ 高句麗︵図
−2
1〜 5︶
1・ 2は高句麗の王都であった中国集安の高句麗王陵から出土する灰
色系蓮蕾紋軒丸瓦である︒両者はほぼ同様の意匠であるが︑
1は八葉︑ 2は六葉で構成される︒
1は周縁が欠失し︑裏面に﹁高麗国/廣開土境 王好 ①⁝﹂と注記がある︒
2は内外面に漆喰が付着している︒同紋の八葉
蓮蕾紋は将軍塚・太王陵から︑六葉蓮蕾紋は千秋塚・太王陵から出土し
てい ②る︒
3〜 5は赤色系の高句麗瓦で︑いずれも蓮蕾紋と他の紋様を組みあわ
せた意匠で︑蓮華複合紋と呼ばれる一群である︒
5には﹁楽浪/⁝下/
大正二年﹂と注記があり︑また日本各地に所蔵される同様なものの出土
地をみると︑これらは平壌付近で出土したものと考えることができるだ
ろ ③う︒
⑵ 古新羅︑統一新羅時代︵図
−2
6〜 10︶
6は古新羅と考えられる一〇葉素弁蓮華紋である︒中房は隆起せず八
分割したのち珠紋を一つずつ入れる︒﹁慶州新羅瓦/吉村氏所贈﹂と注記 がある︒同様の紋様をもつ瓦は︑月城や雁鴨池︵東宮︶から出土してい
④る︒
7〜 10は統一新羅時代の瓦で︑
7は宝相華紋軒丸瓦︑
8・ 9は内外弁
で構成される重葉弁で︑
8は内弁八葉︑外弁一二葉に復元でき︑
9は内
弁八葉︑外弁一六葉である︒
8は﹁慶州佛国寺/大正二⁝﹂︑
9は﹁八年
七月渡韓時﹂と注記がある︒
10は仏国寺から集中して出土する鬼面唐草 紋軒平 ⑤瓦で顎部にも紋様をともなう︒﹁慶州佛国寺/大正二・六﹂と注記
がある︒言うまでもなく︑仏国寺は新羅を代表する八世紀中葉に創建さ
れた国家的な寺院である︒
⑶ 高麗時代︵図
−2
11〜 13︶
11は八葉からなる蓮華紋と推定されるが︑蓮弁の形態が一定しておら
ず︑全体に粗雑な作りである︒
12は左に展開する唐草紋で︑平面的な意
匠である︒
13は有環の鬼目紋を中心に二種の雲紋を交互に配する︒左右
に二箇所の穿孔があり垂木先瓦のように建築部材の先に釘で固定した瓦
と考えられる︒同様な紋様構成の垂木先瓦は慶州皇龍寺跡出土瓦で確認
でき ⑥る︒
⑷ 朝鮮時代︵図
−2
14〜 16︑図
−7
35・ 36︶
14は歯車状の紋様で︑瓦当の側面が直線的になる軒丸瓦である︒楕円
瓦の一形態とも考えられる︒瓦当裏面に布目が認められる︒
15は八葉蓮
華紋に復元でき︑瓦当裏面に布目があり﹁西林/⁝﹂と注記がある︒
16
はソウルの景福宮など朝鮮王宮でよく見られる朝鮮時代後期の軒丸瓦
四一
20cm 0
図 2 軒瓦、垂木先瓦
四二
表1 今回報告する瓦一覧
図番号瓦 種紋様/文字時 代注 記(遺物番号以外)登録番号色 調焼成備 考1軒丸瓦八葉蓮蕾紋高句麗「高麗国/廣開土境王好…」2319−1102.5Y4/1 黄灰(断面;2.5Y6/2 灰黄)普通2軒丸瓦六窯蓮蕾紋高句麗なし2319−122F2.5YR5/1 黄灰(断面;10YR6/2 灰黄褐)普通漆喰付着3軒丸瓦蓮華複合紋高句麗なし2319−122A5YR5/1 褐灰(断面;7.5YR5/3 にぶい褐)良4軒丸瓦蓮華複合紋高句麗なし2319−120B2.5YR6/8 橙普通5軒丸瓦蓮華複合紋高句麗「楽浪/…下/大正二年」2319−120A2.5YR5/4 にぶい赤褐色(断面;2.5YR6/6 橙)普通6軒丸瓦十葉蓮華紋古新羅「慶州新羅瓦/吉村氏所贈」2310−10010YR6/2 灰黄褐(断面;10YR8/2 灰白)軟7軒丸瓦宝相華文統一新羅なし2319−116A2.5Y6/2 灰黄(断面;2.5Y6/1 黄灰)軟8軒丸瓦重葉蓮華紋統一新羅「慶州佛国寺/大正二…」2310−10110YR5/1 褐灰普通9軒丸瓦重葉蓮華紋統一新羅「八年七月渡韓時」2319−925Y5/1 灰(断面;5Y7/1 灰白)普通10軒平瓦鬼面唐草文統一新羅「慶州佛国寺/大正二・六」2319−935Y5/1 灰普通11軒丸瓦八葉蓮華紋高麗なし2319−122E10YR6/2 灰黄褐(断面;5YR6/4 にぶい橙)良12軒平瓦唐草紋高麗なし2319−1172.5Y5/1 黄灰(断面;2.5Y7/1 灰白)普通13垂木先瓦鬼目・飛雲紋高麗(14世紀)なし2319−122G2.5Y5/1 黄灰普通14軒丸瓦車軸紋朝鮮なし2319−119O10Y5/ 灰良15軒丸瓦八葉蓮華紋朝鮮「西林/…」2319−122HN6/ 灰(断面:N4/ 灰)普通16軒丸瓦「壽」の図案化朝鮮末期なし2319−1117.5Y4/1 灰(断面;N6/ 灰)良漆喰付着17丸瓦「北漢受国…」羅末麗初「朝鮮漢江上流」2319−1082.5Y6/2 灰黄(凹面・断面;2.5Y7/2 灰黄)軟18平瓦「…受蟹□」羅末麗初「朝鮮漢江上流」2319−952.5Y5/1 黄灰良19丸瓦「赤項/文甫」高麗「開城…」(ラベル)2319−114D5YR6/2 灰褐良20丸瓦「丙申…」高麗なし2319−118E10YR4/1 褐灰(断面;5YR5/3 にぶい赤褐)良21平瓦「丙申年瓦匠林」高麗なし2319−130B10YR4/1 褐灰(断面;5YR5/2 灰褐)良漆喰付着、119B=130B22平瓦「…申年…匠…」高麗なし2319−119BN5/〜4/ 灰良119B=130B23丸瓦「甲…」高麗〜朝鮮なし2319−127B7.5YR3/1 黒褐(断面;7.5YR4/1 褐灰)良24平瓦「甲午…」高麗〜朝鮮なし2319−130F5Y5/1 灰普通25丸瓦「戊午五月 日…」高麗〜朝鮮「鏡城三層楼瓦」(側面) 「大正十三…十…」(凹面)2319−1077.5YR4/1〜3/1 褐灰(断面;7.5YR4/3 褐)良26丸瓦「…丁卯六月二十日」高麗〜朝鮮なし2319−118F10YR5/1 褐灰普通27平瓦文字瓦(未読)高麗〜朝鮮「咸北慶興郡/雄基面龍水洞貝塚」2310−1032.5Y5/1 黄灰普通28丸瓦「官」高麗〜朝鮮なし2319−114A2.5Y4/1 黄灰(断面;5YR6/3 にぶい橙)良29丸瓦「官」高麗〜朝鮮なし2319−118D10YR5/1 褐灰(断面;10YR6/1 褐灰)良30平瓦「…官造」高麗〜朝鮮なし2319−130G10YR5/1 褐灰良31平瓦「辛己五月日官造」高麗〜朝鮮なし2319−130D2.5Y5/1〜4/1 黄灰(凹面・断面;7.5YR4/2 灰褐)良119M=130D32平瓦「…造」高麗〜朝鮮なし2319‐119MN5/ 灰良119M=130D33平瓦「…寅六月/…官造備」高麗〜朝鮮なし2319−130C10YR4/1 褐灰(断面;7.5YR5/2 灰褐)普通34丸瓦「…月日官造」統新〜高麗なし2319−129N3/ 暗灰良外切り35軒平瓦「新羅始祖殿」朝鮮なし2319−1282.5Y5/ 黄灰普通36軒平瓦「康凞四十六年丁亥四月日」朝鮮(1707年)なし2319−1252.5Y5/2 暗灰黄(断面;2.5Y7/2 灰黄)普通37平瓦「福満…」朝鮮なし2319−130E7.5YR5/3 にぶい褐(断面;7.5YR6/4 にぶい橙)良130E=130A38平瓦「福満家郷」朝鮮なし2319−130A5YR4/1 褐灰(断面;5YR5/2 灰褐)普通130E=130A39平瓦文字瓦(未読)、八掛朝鮮なし2319−127A7.5YR4/1 褐灰(断面;7.5YR5/3 にぶい褐)良40平瓦「康煕貮拾…/…寅年土?…」朝鮮(1686年)「會寧(庚煕弐年/大正一三七月十日/松陰堂主拾得」2310−1065YR5/1 褐灰(断面;5YR5/3 にぶい赤褐)良
四三 で︑﹁壽﹂字が図案化されたものと考えられてい ⑦る︒瓦当裏面には木目痕
が観察され︑丸瓦の過半が残存する︒なお︑
14・ 16には一部漆喰が付着 する︒ このほかに朝鮮時代の軒瓦には文字が主体となる軒平瓦二点︵
35・ 36︶
があるが︑次の文字瓦の項で取り扱うことにする︒
三.文字瓦
文字瓦については︑一部は統一新羅時代の瓦を含む可能性はあるが︑
おおよそ高麗から朝鮮時代にかけてのものと考えられる︒ただし︑筆者
の丸瓦や平瓦に対する理解が充分でないため︑明確に時代別の分類がで
きていない︒図
3はほぼ高麗時代以前と考えられるもの︑図
5は干支の
記載があるものなど︑図
6は﹁官﹂の見られるもの︑図
7は確実に朝鮮
時代と思われるものに分けて図版を組んだ︒したがって︑図
5と図 6に
は様々な時代のものがそれぞれ混在している︒
なお︑
17以降は︑平瓦・丸瓦の凹面︑瓦当裏面に残る布目の糸の数︵
3
㎝四方︶を計測し︑表
2にまとめている︒平瓦︑丸瓦は︑側面に平行す
る方をタテ︑端面に平行する方をヨコとした︒軒平瓦裏面の布目は︑瓦
当の上辺に対し︑垂直方向をタテ︑平行するものをヨコとした︒
⑴ 高麗時代以前の文字瓦︵図
−3
17〜 19︶
17・ 18はともに﹁朝鮮漢江上流﹂と注記があり︑
17は丸瓦︑
18は平瓦
である︒これらは一九二五年の﹁乙丑大洪水﹂時に︑当時の広州郡東部 面船里︑現在の河南市船洞の遺跡から流失し︑大量に発見︑収集されたものの一部で︑同様の資料が韓国の国立中央博物 ⑧館︑ソウル大学校博物
⑨館︑梨花女子大学校博物 ⑩館に散在する︒
他の事例と比較すると︑
17は﹁北漢受国蟹口舩⁝﹂銘瓦︑
18は﹁北漢
受蟹口﹂銘瓦の一部にあたる︒
17は斜格子叩きの上に大型の長方形スタ
ンプによって文字が押印されており︑
18は叩き板に文字を刻んで文字を
表している︒
17については中央博・ソウル大の資料では異なる叩き︵平
行線紋︶によって作られた瓦に︑同じスタンプが使われており興味深い︒
ここにあらわれた﹁北漢﹂は﹃三国史記﹄地理志︵巻
35・地理
2︶に
見える北漢山郡︑現在のソウル市北部にあたる︒この時に採集された瓦
には︑このほかにも﹁泉口郡﹂﹁買召忽﹂﹁松岳﹂﹁栗木﹂﹁高峰﹂﹁楊根﹂
など一九の地名が確認されており︑比定が難しい地名も数カ所あるが︑
表 2 瓦の厚さと布目の糸数
図番号 瓦の厚さ 糸数(タテ) 糸数(ヨコ)
17 1.4 ― ―
18 1.9 ― 24
19 1.5(玉緑部) 19 18
20 1.9 ― ―
21 2.2 19 21
22 2.4 27 20
23 2.0 20 19
24 1.8 ― ―
25 1.8 33 ―
26 1.8 ― ―
27 2.1 22 18
28 2.3 27 25
29 1.8 19 23
30 1.7 21 20
31 2.3 24 22
32 2.3 18 18
33 2.2 20 21
34 2.5 21 16
35 ― 30 20
36 2.0(平瓦部) 29 29
37 2.3 ― 18
38 1.7 ― 17
39 2.3 16 22
40 1.7 18 15
四四
ほぼ統一新羅時代の行政単位である九州の一つ︑漢州の郡県
名であることが明らかにされてい ⑪る︒ また︑これらの瓦には﹁受﹂﹁蟹口﹂などの共通した文字が
見え︑これらの同時代性を表しているが︑解釈については大
きく二つに分かれる︒第一は﹁受﹂ける主体を地名のあらわ
れた各郡県として︑﹁蟹口﹂=船里に中心となる瓦窯があり︑
ここから供給したとみる説であ ⑫る︒いっぽう︑これとは逆に
﹁受﹂けもつ地域が︑地名の郡県と見て︑﹁蟹口舩家﹂という
文字瓦も見られることから︑これらの瓦がこの建物に供給さ
れたとみる見解があ ⑬る︒また年代についても︑高句麗の地名
が確認できることから高句麗時代とみる説︑新しくは高麗時
代︑一〇世紀初めとする説まで様々な見解がある︒
19は丸瓦の玉縁に縦横二字ずつ計四字を刻んだ小型方形の
刻印が押されている︒丸瓦の玉縁部にこの種の刻印が押され
た事例は︑渤 ⑭海や高麗の都城遺跡で確認できるが︑本例には
かろうじて﹁開城⁝﹂と読める紙ラベルが添付されており︑
文字通り高麗の王宮のあった開城︑恐らく王宮のあった萬月
台の瓦と見てよいだろう︒
近年刊行された高麗王宮跡南北共同調査の報告 ⑮書では︑こ
の種の文字瓦一四〇点について考察がなされ︑高麗の文字瓦
について理解が深まった︒検討結果を参照すれば︑本例は鏡
文字︵左書︶で﹁赤項/文甫﹂を表したものと理解できる︒
高麗王宮跡の文字瓦は小型方形のスタンプによって押印され
20cm 0
−
−
図 3 文字瓦(1)
四五 ており︑本例と同じく二字ずつ二行にあらわすものが多い︵図 4︶︒丸瓦
ではほぼ凸面・玉縁部分に押印し︑平瓦は凸面・端面側に押すのが基本
である︒ ﹃高麗史﹄・﹃高麗史節要﹄などには﹁諸窯直﹂・﹁諸窯﹂・﹁六窯直﹂など
の窯に関する記述が見られ︑具体的に﹁板積窯﹂・﹁月盖窯﹂といった窯
の名前が確認できる︒刻印瓦には実際に︑﹁月盖﹂とある刻印が一八種以
上五九例︑﹁板積﹂が同様に六種以上一四例を数え︑それに続く﹁可中﹂
﹁中孟﹂﹁元甫﹂などは人名と把握されている︒つまり刻印は﹁窯︵瓦所︶
名+工人名﹂と理解されるのである︒本例の﹁赤項﹂は文献記録では確
認できないが︑﹁赤項﹂の刻印瓦も一七種以上三七例あり︑赤項も同様に
瓦所名と考えるのが妥当である︒ついで︑﹁徳水﹂の類型が三種以上七例 あり︑これも同様に推定される︒また︑これらの瓦所の一部は地名の検討から開京の近隣地域であることが分かっており︑﹁六窯﹂のうちの四窯
にあたると推測されている︒
⑵ 干支を表した文字瓦ほか︵図
−5
20〜 27︶
20〜 26は干支を冒頭に記しており︑瓦の製作年を表したものと理解で
きる︒
20は叩き板で丸瓦凸面に﹁丙申⁝﹂︵鏡字︶を表す︒上下に綾杉紋
︵魚骨紋︶をともなうものであるが︑叩き板の半面だけを見せるように重
複して叩きを施している︒
21・ 22は同じ叩き板によるもので︑文字の上
下に魚骨紋をともなう︒
21は丸瓦︑
22は平瓦であるが総合すると︑﹁丙申 年/瓦匠林﹂︵鏡字︶と読める︒魚骨紋は一五世紀代にも続くた ⑯め︑限定
はできないが︑このような魚骨紋をともなう銘文瓦は高麗時代と把握す
ることが多い︒
23は叩き板で丸瓦凸面に﹁甲⁝﹂とあり︑これも干支を表すのであろ
う︒斜方向の集線紋が方向を変えながら配置される︒
24は小片であるが
平瓦と思われ︑﹁甲﹂のあとに区画線をいれて﹁午﹂と続け干支を表す︒
斜方向の集線紋である︒
25は丸瓦で﹁鏡城三層楼瓦﹂﹁大正十三□十⁝﹂と注記がある︒鏡城は
咸鏡北道鏡城郡にあり︑現在もよく邑城が保存されている︒鏡城邑城は
一一〇七年に土城として築城され︑現在の城壁は一六一六〜一六二二年
にわたって作られた石築城壁であ ⑰る︒現在は二層の門楼である南門だけ
が建物として残されているが︑三層楼については不明である︒
叩き板で﹁戊午五月日⁝﹂と表し︑やはり集線紋をともなう︒
26は丸
図 4 開城高麗王宮跡出土瓦刻印
(国立文化財研究所 2012)
四六
20cm0
図5 文字瓦(2)
四七 瓦で︑叩き板で﹁丁卯六月二十日﹂と表す︑ともなう紋様は集線紋構成と思われる︒
27は平瓦で﹁咸北慶興郡/雄基面龍水□/貝塚﹂と注記がある︒文字
をともなうようにも見えるが具体的にはよく分からない︒咸鏡北道雄基
の貝塚といえば一九二九〜三一年に藤田亮策らが調査を開始した松坪洞
貝 ⑱塚が著名である︒松坪洞貝塚は雄基邑の龍水湖東岸砂丘に立地してお
り︑ほぼ同じ貝塚を指す可能性がある︒
⑶ ﹁官﹂を表した文字瓦︵図
−6
28〜 34︶
28は叩き板により丸瓦凸面に﹁官﹂一字が確認できる︒
29も丸瓦で︑
集線紋系統の叩き板による﹁官﹂一字を表す︒
30は円圏内に一字ずつ﹁⁝官造﹂と最後の二文字だけが確認できる︒ 31・ 32は同板の平瓦で︑方郭に﹁辛己五月/日官造﹂︵鏡字︶をあらわ
す︒
33は区画なく
2行にわたり﹁⁝寅六月/⁝官造備﹂と表し︑﹁備﹂の
み鏡字である︒
34は﹁⁝月日官造﹂︵鏡字︶を表し︑集線紋をともなう丸
瓦である︒円筒から個々の平瓦や丸瓦を分割する際には︑凹面側に切れ
目を入れるのが一般的であるが︑本瓦は分割を凸面側からおこなってお
り︑特徴的である︒
これら﹁官﹂瓦についてはそれが出土する大型建物を︑地方勢力の居
館や地方の官庁や倉庫といった︑それらが出土する建物の性格を読み取
ろうとする研究がなされてい ⑲る︒確かにそれらの建物の性格については︑
その可能性は充分にあるが︑基本的にはここで取り扱った文字瓦の多く
が﹁官造﹂とあるように官が造った︑﹁官﹇窯﹈で造った瓦﹂という意味 が第一義であろうと考えられる︒したがって︑それが供給された場所は多くが公的な性格の強い場所になるのであるが︑﹁官﹂が供給先の建物の
性格をあらわすために打捺されたものではないと思われる︒
⑷ 朝鮮時代の文字瓦︵図
−7
35〜 40︶
35は瓦当面に屈曲を有するいわゆる滴水瓦である︒瓦当上部を区画し
て﹁新羅始祖殿﹂︑左右に蓮蕾を配してその中に五行にわたって﹁匠韓岑
/林珎/朴應/□□□/色崔天祥﹂と人名を記す︒﹁匠﹂が瓦工人とし
て︑﹁色﹂は何を示すのだろうか︒瓦当裏面には布目が認められる︒裏面
には朱書きがあるが読めない︒現在︑慶尚北道慶州市塔洞の五陵脇の崇
徳殿は︑新羅の始祖︑朴赫居世王の祭祀をおこなっており︑新羅始祖殿
銘瓦もこのような祭祀の建物を飾った瓦であると考えられる︒
36も同様に滴水瓦で︑罫線を設けて全面に文字だけを記すものは︑一 七〜一八世紀前半に盛行した瓦当様式であ ⑳る︒右より﹁康体四十/六年
丁亥四/月日□源寺/□□縁化秩首/□□□□过三座/⁝﹂とある︒康
体四十六年は清の年号で一七〇七年にあたる︒瓦当裏面に布目がある︒
37・ 38は同板の平瓦で﹁福満家郷﹂をあらわす︒三角集線紋が波状に
なっており︑朝鮮時代と考えられる︒
39は平瓦で文字が二字あるがよく
分からない︒八卦紋︑波状三角集線紋も朝鮮時代叩き紋の特徴である︒
40は平瓦で︑注記によれば﹁會寧︵康煕貳年/大正一三七月十日/松
陰堂主拾得﹂とあり︑咸鏡北道会寧で採集された瓦である︒﹁康体貳拾⁝
/□寅年⁝﹂と二行にわたり文字を叩きによりあらわし︑付帯する紋様
はないようである︒したがって注記の貳年は貳拾の誤記になる︒康体二
四八20cm0
図6 文字瓦(3)
四九 20cm0
図7 文字瓦(4)
五〇
〇年代の寅年にあたるのは︑康煕二五年丙寅のみで一六八六年にあたる︒
四.おわりに
以上︑軒瓦︑文字瓦を中心に関西大学博物館所蔵の韓国瓦四〇点につ
いて紹介をおこなった︒軒瓦については︑同笵・同紋瓦がわかるものに
ついてはこれを指摘し︑文字瓦については︑注記にある遺跡を簡単に紹
介しながら︑一部研究の状況についてふれた︒
このほかにも︑カラー写真で紹介できないため断念したが︑朝鮮時代
の王宮で使われたと推定される青瓦二点が収蔵されており︑特筆される
ものである︒また︑実見できていないが︑中国集安の千秋塚の﹁千秋萬
歳永⁝﹂銘塼︑同太王陵の﹁願太王陵安如山固如岳﹂銘塼も所蔵されて
おり︑軒瓦とともに貴重な存在であ ㉑る︒ この拙文も同様ではあるが︑これまでの文字瓦研究は︑記された文字
についての研究が主たる対象であり︑瓦のもつ属性と合わせての総合的
な考察が十分でない︒たとえば︑高麗王宮跡瓦の刻印が工人個人をあら
わすものであれば︑工人ごとの﹁癖﹂︑細部的な差違がスタンプごとに見
られるはずであり︑それが認められれば︑﹁工人印﹂であることの傍証に
もなる︒また︑船洞の特殊な一連の瓦についても︑瓦の属性を詳細に検
討すれば︑同一の瓦窯で製作されたのか︑各地の瓦が集められたのかは
それほど難しい課題ではないと思われる︒
いずれにせよ︑文字瓦の年代をもう少し絞り込む作業が不可欠である︒
韓国では平瓦︑丸瓦の製作技法の研究が進展しており︑これらの成果を 援用すれば︑より詳細な検討が可能になると思われ ㉒る︒韓国の平瓦・丸
瓦を専門とする研究者による再調査が望まれる︒なお︑本稿をなすにあ
たって︑田中俊明氏︑松波宏隆氏︑永惠陽子氏︑濵﨑範子氏よりご援助︑
ご助言を賜った︒末筆ながらご芳名を記して謝意を伝えたい︒
註
① 拙文において﹁⁝﹂は文字の読めない︑あるいは文章が途切れて不明な
場合をあらわす︒また︑不明な部分の字数が分かる場合︑□□などとあら
わす場合もある︒
② 吉林省文物考古研究所・集安市博物館編﹃集安高句麗王陵
︱
1990〜2003年集安高句麗王陵調査報告
︱
﹄︵文物出版社︑二〇〇四年︶③ 日本に招来した高句麗瓦をまとめた図録として︑井内功編﹃朝鮮瓦塼図
譜Ⅱ 高句麗﹄︵井内古文化研究室︑一九七六年︶があり︑また日本各地の
機関に散在する高句麗瓦については﹃日本所在高句麗遺物﹄としてⅠ〜Ⅳ
が︑韓国の東北亞歴史財団により︑二〇〇八年より二〇一一年まで毎年一
冊ずつ刊行されている︒
④ 国立慶州博物館﹃新羅瓦塼﹄︵二〇〇〇年︶
⑤ 高正龍﹁統一新羅時代瓦の編年
︱
感恩寺・仏国寺創建瓦の検討︱
﹂︵﹃奈良県立畝傍高等学校︵旧制畝傍中学校︶所蔵考古資料目録Ⅰ︱
国外之部
︱
﹄社団法人橿原考古学協会︑二〇〇九年︶⑥ 慶州皇龍寺から出土した円形垂木先瓦は︑鬼目紋を中心に︑二重に異な
る雲紋を配し︑釘孔は中心一孔と三角状に三孔あるものの二種が確認され
ている︒文化財研究所編﹃皇龍寺 遺跡発掘調査報告書Ⅰ﹄︵文化財管理
五一 局︑一九八二・八四年︶︑図版二五三
−一︑挿図三四五
⑦ 国立文化財研究所編﹃전통 무늬
6와전
﹄ ︵디자인문화︑二〇一三年︶︑二
八七頁⑧ 김규동・성재현﹁船里銘文瓦考察﹂︵﹃考古学誌﹄第一七輯︑国立中央博
物館︑二〇一一年︶
⑨ 임상택・전덕재・양시은﹃서울대학교 소장 명문기와
﹄ ︵서울大学校博物
館︑二〇〇二年︶
⑩ 梨花女子大学校博物館﹃梨花女子大学校博物館創立
100周年紀念博物館所
蔵品目録﹄︵一九八七年︶
⑪ 註⑧文献︑註⑨文献︑田中俊明﹁広州船里出土文字瓦銘文の解釈と意義﹂︵﹃古代文化﹄五六
︱
一一︑二〇〇四年︶⑫ 註⑧文献︑註⑨文献
⑬ 註⑪田中俊明文献
⑭ 例えば︑吉林省文物考古研究所ほか編﹃西古城
︱
2000〜2005年度渤海国中京顕徳府故址田野考古報告
︱
﹄︵文物出版社︑二〇〇七年︶でも丸瓦の玉縁に刻印のある瓦が多数報告されている︒
⑮ 홍영의﹁개성 고려궁성 출토 명문기와의 유형과 요장︵窯場︶﹂︵﹃개성 고 려궁성 남북공동 발굴조사보고서Ⅰ﹄国立文化財研究所︑二〇一二年︶
⑯ 高正龍﹁沖縄出土﹁癸酉年高麗瓦匠造﹂銘瓦の製作年代
︱
魚骨文の消滅時期に関連して
︱
﹂︵﹃田辺昭三先生古稀記念論文集﹄︑二〇〇二年︶⑰ 韓国精神文化研究院編﹁鏡城郡﹂﹁鏡城南門﹂︵﹃韓国民族文化大百科事
典﹄一︑一九九一年︶
⑱ 後藤直﹁松坪洞貝塚﹂︵﹃世界考古学事典﹄平凡社︑一九七九年︶
⑲ 車順喆﹁﹁官﹂字銘銘文瓦의 使用処検討﹂︵﹃慶州文化研究﹄五︐二〇〇
二年︶︑金虎俊﹁高麗 城郭 出土 文字 기와
︱
남한지역山城출토기와를 중 심으로︱
﹂︵﹃城郭과 기와︱
韓国기와学会・韓国城郭学会2013年度国際学術会議
︱
﹄二〇一三年︶⑳ 서창호﹁고려말 조선시대 암막새의 변천과정﹂︵﹃考古学﹄九
−一︑中部
考古学会︑二〇一〇年︶︑서창호﹁
17〜 18 世紀前半嶺南地域出土文字암
막새 研究﹂︵﹃大邱史学﹄第一〇九号︑二〇一二年︶
㉑ 網干善教﹁東アジアにおける古代文化の諸相﹂︵﹃関西大学考古学等資料
室紀要﹄第十号︑一九九三年︶
㉒ 韓国の平瓦・丸瓦の研究は徐五善﹃韓国平瓦紋様의 時代的変遷에 対한 研究﹄︵忠南大学校碩士学位論文︑一九八五年︶を嚆矢として︑崔兌先﹃平
瓦製作法의 変遷에 대한 研究﹄︵慶北大学校碩士学位論文︑一九九三年︶に
おいて製作技法から接近する大枠が構築され︑その後多くの研究が進展し
ている︒代表的なものを挙げれば以下の通りである︒
崔晶惠﹃高麗時代 平기와의編年的研究
︱
紋様形態를 中心으로︱
﹄︵慶尚大学碩士学位論文︑一九九六年︶︑崔孟植﹃百済 평기와 研究﹄︵学研
文化社︑一九九九年︶︑趙成允﹁新羅 出土 中板 打捺紋様 평기와의 製作
時期와 그 意味﹂︵﹃仏教考古学﹄二︑威徳大学校博物館︑二〇〇二年︶︑崔
英姫﹃江原地方 高麗時代에 関한 研究﹄︵檀国大学校碩士学位論文︑二〇
〇三年︶︑李仁淑﹃統一新羅〜朝鮮前期 평기와 製作技法의 変遷﹄︵慶北大
学校碩士学位論文︑二〇〇四年︶︑崔孟植﹃三国時代 평기와 研究﹄︵周留
城出版社︑二〇〇六年︶︑柳煥星﹁慶州 출토 羅末麗初 寺刹銘 평기와의 변
천과정﹂︵﹃新羅史学報﹄第一九号︑新羅史学会︑二〇一〇年︶