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詩集』典據・出典考

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(1)

『文

秀麗集』には「奉和春閨怨」詩三篇――征夫思

心 の

と 體を詠ずるが、中國閨怨詩とは抒

特質をやや

にする

長篇の作品は 安嵯峨弘仁期の佳作――が收められている。この 想から詩體・語彙、そして

明確に先行作品の享受と 容に關するまで であった。 擇(排除)の跡を指摘できる作品 稿ではそれらの問題のいくつかを、抒 (1)

を明らかにするという 特質 典に關しても言 點から考察し、そのなかで典據・出 ところで本の敕撰三 している。

の解明については、 詩集の作品に對する。典據・出典 に小島 之氏の語彙を中心とした

で膨大な 確

果が示されている。それはこの「奉和春閨怨」詩 (2) ようである。また小島氏は、當時享受された 三篇でも同じなのだが、やはり檢索から漏れた例も見られる

作品を中

ごろまでと 期

べていても、實際の檢索では初 (3)

に 期までの作品

出典および先行作品の享受の形態を、ほとんど 眼を置いているのではないだろうか。さらに疑問なのは、

書『

聚』に限定しがちなのではないか、と思われることである。そこでこの稿では

稿では りあげ、 えなかったやや複雜な例を取 體 な典據・出典の解明を

して小考を して、右の問題に對

べてみたい。

(一 )

鹿取の作品の第三段には、

似登隴首腸已 の一聯がある。 (4)

、非入楚宮忽細。

280

『敕撰三

詩集』典據・出典考

『文

秀麗集』

!

收「奉和春閨怨」詩を例として

"

#

(2)

(隴首に登るに似て腸已に

え、楚宮に入るに非ざるに

本聯上句の典據となった作品は、『 ち細し。) 忽 文 れている(後 聚』にも收めら 目 )。それをここで取り上げることは、本論の から まず出典の確 げることにしたい。 という理由により、ここで取りあ明に曖昧さが殘されている (5) が正しく指摘されておらず、それ故この句の解釋と抒の解 ばそれてしまうが、管見ではこの句中の語の典故

から始めよう。上句は、『

文 う。 十二「閨」隋江總の詩に依據して、制作されたものであろ (6) 聚』卷三

天 人怨江總

水慣相知、空牀明

不相宜。庭中

桂憔悴

井上疎桐零 、

枝。

燈作 羞夜短、霜雁多恆結

爲隴水 。非

秦川、直置思君腸自斷。(點線部「隴水に秦川を む爲に非ず、直だ君を思ふが置めに腸已に斷てり」) (7)

右の詩の最

用語と 聯が鹿取當該句の典據となっていることを、

容の兩面から確かめておきたい。 まず用語から見てゆこう。

似登隴首腸已

非爲隴水 、(鹿取「春閨怨」) 秦川、直置思君腸自斷。(江總「

人怨」)

この江總の作品以外にも

つか見られるが、表現や發想の共 似する語句を使用する詩はいく 性から 詩の典據は、明らかに江總の詩である。 斷すれば、鹿取 に

「隴首」「隴水」という、「隴頭」とほぼ共(鹿取)(江總) まず當該句・聯の表現や發想に關して留意すべき點は、 容の面からやや詳しく見てゆこう。

る詩 す

ことである。(そこに イメージを喚び覺ます詩跡名を用いて、表現している (8)

それを最も端 は、どのような詩を刻みつけてきた詩跡なのであろうか。 それでは「隴頭」と想の妙味もある。) に示す作品が、魏末晉初に

「隴頭歌辭」第三曲を例に 歌辭」三曲である。そのなかから鹿取の句に關わりの深い (9) り、梁・陳で演奏された「隴頭歌辭」三曲および「隴頭流水 吹曲の一つとな げよう

隴頭流水、鳴聲幽咽。遙

秦川、心肝斷

『敕撰三

詩集』典據・出典考(

谷)

(3)

(隴頭の流水、鳴聲幽咽す。遙かに秦川を

めば、心肝斷

す。)

「隴頭」とは、現在の陝西・甘肅兩省の省境、いわゆる邊塞の地にある隴山、またはその頂きを指し、「隴首」とも言う。また「隴水」とは、歌辭のなかに見えた隴山の頂き付

に發して流れ下る谷川のことである。この歌辭の大意は、・隴山の頂き付

れ下る。行人(多くは西征の兵士)がこの水 に發する谷川は、かすかに咽びなきつつ流

のかた故 を聞きながら東 長安をながめやれば、殘して來た家族や故

とが思い のこ

の喚(詩語) というものである。つまり、他の歌辭からも補ってこの詩跡 こされて切なくなり、腸がちぎれそうになる。・ する詩

いた激しく切ない行人が イメージ(本意)を探ると、それは、

、ジと特に結びつく)と言うことができよう の念(「隴水」では斷腸のイメー

あっては閨怨詩 に閨怨詩のなかにも取りあげられてゆく。それは、邊塞詩に は、單に邊塞詩のなかにのみ詠みこまれるだけでなく、同時 。しかもこの詩跡

素材が、閨怨詩にあっては邊塞詩

それぞれの抒 素材が、

をよりいっそう深

の行なわれやすい關係にあるからであった させるという、相互依存

。このため本

「春閨怨」詩にも詩材の一つとして詠じられているのであり、 それは本詩征夫を愛

する女の怨みの抒

に、

に則した典故の用い方である、と言えよう。 確

にいくつか

代あたりまでの例を示しておく。

……去

征人 、流傳 相識。聞君上隴時、東

東西征登隴首 息。……「擬古」鮑照『玉臺新詠』卷四 久歎

「雜曲」沈 不見家……

紅妝樓上歇、白髮隴頭新……「倡 『玉臺新詠』卷五 行」李

……聞 『玉臺後集』

家未有期、誰憐登隴不

「擣衣篇」劉希夷『 悲

……棄妾 玉小集』

登隴、從軍幾度

「春日代 ……

人」董思恭『玉臺後集』

以上、明らかにした典故「隴首」の

出征した夫への想いは激しく であった鹿取當該句の大意を記しておこう。 容をふまえて、曖昧 がかの隴山の頂きに登り、振りかえって故 り、それはあたかも征夫

だ。 しんで腸がちぎれそうになるのと同じように、切ないもの ・妻子を懷 中國詩文論叢第二十一集

282

(4)

すなわち、江總の聯を參照した鹿取の句は、征夫への愛

の痛切さを、詩跡「隴首」の詩

征夫が斷腸の思いで

く切ない

の念を用いて、表現したものなのである。

(二 )

に 章で見てきた聯の下句、

非入楚宮忽細

について考えてみたい。この句の

いるように、楚の靈王が細の女を 容は、小島氏も指摘して 現である。この故事はすでに『懷風 愛した故事によった表

「逐楚王細、體隨 』荊助仁「詠美人」に 飛」(は楚王に逐ひて細く、體は したが

に隨ひて飛ぶ)と詠まれており

、本

の人々も早くから

のは、鹿取の句の表現の組み立て方(發想)である。 の閨怨詩における表現素材であった。だがここで留意したい 知 の六 ・ 代における用例を見てみよう。

……是妾愁

(是れ妾愁へて痩を われ 痩、非君重細

せり、君が細を重んずるには非ず。) 「爲人寵

有怨」王

……纖非學楚、 孺『玉臺新詠』卷六

(纖は楚を學ぶに非ず、 帶爲思君。

「詠袙複」蕭 帶は君を思ふが爲なり。)

……君戀京師久留滯、妾怨高樓積年 『玉臺新詠』卷十 久しく留滯し、(君は京師に戀して妾は高樓に怨んで年 われ 宮、直爲相思轉細…… 。非關曾入楚王

を積む。曾て楚王の宮に入るに關せるに非ず、直だ相ひ思ふが爲に轉 うたた細し。)「

日閨怨」蔡

『玉臺後集』

以上の例に共

・妾・の閨 する發想は、楚の靈王の故事を反轉させて

の深切さを

取の場合も同じなのである。そして、これらは三首とも『 べている點である。その發想が鹿

文字表現がとりわけ 聚』には收められてはいない。そのなかでも發想および

似している蔡

は、天寶年 の作品は、現存文獻で 以後に る李康 れている。ちなみに蔡 『玉臺後集』にのみ收めら

は玄宗の天寶年

以 一首を殘すのみである。 の人。この詩

『敕撰三

詩集』典據・出典考(

!谷)

(5)

(三 )

に菅原 公「春閨怨」詩から一例とりあげたい。

見 鸞常

(庭 、樓上吹簫鳳未臻。

に ふを見れば鸞常に

らず。だ臻) いた み、樓上に簫を吹くも鳳未

この聯はおもに下句の

容からみて『列仙傳』「蕭史

『の故事は文 の故事が、どのように受容されたのかを檢討してみたい。こ 典故とした表現であることがわかる。まず最初にこの「蕭史」 」を

聚』『初學記』にも收

し、例えば『文 されている。しか 』卷二十八鮑照「升天行」の「鳳臺無

簫管有 駕、

聲」、あるいは同卷三十一江淹「班

「畫作秦王女、乘鸞向 」の 霧」の李善

を抄出していることは見 に、『列仙傳』「蕭史」

しにはできない。

安 人たちには、 初頭の詩

書よりも『文

』がさらに身

はずだからである。また當時、はなはだ愛好され『文 な集であった ともに愛讀されていた『玉臺新詠』、その卷五にも 』と

淹「班 記の江

」が收められている。すでにこれらの點から みただけでも、特定の書に限った受容を想定することは困

であろう。

ところで當時、詩賦の典故となる故事が、書卷以外の形態で受容される場合はなかったのであろうか。

記『文

收の江淹の作品について、さらにその詩題「班

詠 本文「畫作秦王女、乘鸞向紫 」と 。」に は 目してみたい。これ 面の繪を見て詠じたものであり、

げられている點も、後 が畫かれていたのであろう(しかも蕭史ではなく弄玉が取りあ に「蕭史」故事の繪 する

で本 容から留意しておきたい)。ところ に同じような例はないのであろうか。まず『

のなかには、 集』

仙や 士を いた屏風があったことを示す歌

がある。

!って敕撰三

"詩集の作品のなかにも、中國の老

# 仙世界を

それらは當時畫題としても中國の いた山水壁畫があったことを示す作品がある。

たこと 仙譚の世界が好まれてい を示してる。とすれば、この $

%名な「蕭史」の

を畫題にした壁畫や屏風が、本 仙譚

能性も、敢えて否定できないのではなかろうか。 による受容と竝んでこの故事が廣く知られていったという可 議ではない。そしてそれらの繪を媒介として、あるいは書卷 にあったとしても別に不思 中國詩文論叢第二十一集

284

(6)

さらにもう一つ推察を

べておきたい。鹿取・

公は

二十三年(八〇四)に渡

している

た 。その際に彼等が滯在し

長安の西南六十㎞にある、あの「長恨歌」を生んだ場 としても知られる仙

當時の 寺の「弄玉祠」弄玉にちなんだ せる 自體に大きな高低はあるにしても、種々の享受形態を想定さ このように考えてくると「蕭史」の故事は、各々の可能性 ない。 名な詩跡を見聞する機會を持っていたかも知れ

例ではないだろうか

。むろん書卷による方法が第一義

ではあろう。しかしそれは少なくとも一

學ばれたものでないことだけは、明らかである。 書に限定されて

(四 )

に當該聯の

來この聯のもつ抒 容を典故を中心にして讀み解いてゆき、本

の解明にまで言

する場合、 そのまえに、「蕭史」の故事を典故にふまえた詩賦を解釋 してみたい。

意すべき點を

の故事とは べておこう。まず、この「蕭史」

仙昇天譚であり、また古代の幸

てゆく あった。そのためであろう、この故事自體が詠作の對象となっ な戀愛譚でも

。それと同時に他方では至

戀愛譚という性格から、 閨怨詩を中心に多くの詩のモチーフの一つとして詠み

てゆく。それ故に本 まれ ある。さらに、この幸 「春閨怨」詩にも詠じられているので して、後世人々が憧憬の念を な結末をもつ古代の登仙戀愛譚に對 き深めていった

ことも重

滿な理想 女、あるいは美男・美女として、また二人の結婚が幸せで圓 ある。こうした關心を背景として、蕭史・弄玉が高貴な男・ で たのである 婚姻として、詩賦のなかに喩えられ詠作されていっ

。このような

點に留意しながら、

を讀み解いてゆこう。 公の當該聯

便宜上、

庭見 公の當該聯を再び記しておく。

!鸞常

"、樓上吹簫鳳未臻。

最初に上句「庭見

の行爲「吹」 !」の「見」・下句「樓上吹簫」の

#が誰であるのかの檢討から始めたい。考察の

「蕭史」の記事( 合上、下句から考えてゆく。典故となっている『列仙傳』

が想 14からみて、まず蕭史と弄玉の二人參照)

$されよう。だがこの「春閨怨」詩作

三人稱 #が設定した 人物・女・の臺詞獨白體

・女・、しかも弄玉に喩えられた・女・であることが、おのず のなかでは、それが %

『敕撰三

&詩集』典據・出典考(

'谷)

(7)

から明らかになるだろう。

て檢討しよう。小島氏の にもどって上句の「見」につい

には、「庭

の 女の 、樓上の簫は彼 であり」、と記してある。「彼女」とは

であると解釋するのが、・女・も と解釋してはいないことがわかる。しかしやはりこの行爲 を・女・行爲の「見」それ故小島氏は上句指すのであろう。 を・女・の 對偶をつくる下句「樓上吹簫」の「吹」の行爲が、 當であろう。なぜならば、

により、(歌) ように・女・であったからである。むろんそう解釋すること 記の が・女・の伎

い。むしろ上句でさらに重 でなくなることにはならな なのは、佳人(・女・)と(歌)

現は、「趙飛燕」の故事例えば「 表現した結果ではない。小島氏は指摘していないが、この表 が結びつけられていることである。これは決して無作爲に

壯、屬陽阿

學歌 家、

、號曰飛燕 (師古

曰、以其體輕故也)」(『

を典故とした表現であろう。つまり十七下「外戚傳」) 書』九

公の當該聯には、歌

する趙飛燕、また蕭史と結ばれ理想 に巧みで細身の輕やかな身のこなしを

・女・に託されているのである。加えて 登仙するという幸せで美しい弄玉、その二人のイメージが な婚姻をし、そのうえ の點にも

おきたい。それはこの「春閨怨」詩 目して 頭の段婚姻

の ・女・の

・の故事を用いている點である。ここに予期された女・の幸 やかさ、艷やかさを詠じている場面に、弄玉 あで

な行く末と、この作品の後

の・女・の不幸孤閨に

しみ容色の衰えにおののきながら夫の歸りを待ちわびるとが、

後 い對照をなしているからである。このような

點からみると、

公のこの聯が秀

よう なものであると理解でき

ところで、この

る。それは『 られるように、典據となった先行作品を指摘することができ 公の表現にも當時の他の多くの作品に見 文 聚』

引の作品ではなく、初

人盧照 の一

「長安古意」のなかの

の一聯である。

借問吹簫向紫

、曾經學

(簫を吹いて紫 度年。

に向ふひとに借問すれば、曾經て

「趙飛燕」を用いる。 この聯における典故の用い方上句に「弄玉」、下句に 年を度る、と。) を學んで

公の聯の順序とは

!

は、

場合と基本 公の

に變りがない。

くつかの作品を鑑賞するなかで、とりわけこの「長安古意」 公が「蕭史」を典故としたい 中國詩文論叢第二十一集

286

(8)

から影 を受けたことは、その典故の用い方の

明らかである。しかしながら、 似性からも、

公の聯も盧照

じく、その作品のなかでこの典故を用いた表現が表現意圖に の場合と同 確に ちなみにある先行作品を參照して しており、決して凡庸なものとはなっていない。

とそれ自體が、そのまま否定 似した表現を行なうこ かは、その な價に結びつくものかどう 度愼重に檢討しなければならない。特に南

ら初 か

あたりまでの作品

における

似表現の關係を想

るとき、敕撰三 す 詩集にも見られる先行作品と

を、今日 似する表現 點からのみ價することはできないであろう。

(五 )

に 勢識人の「春閨怨」詩からその最

片時枕上 その典據を明らかにしてゆきたい。 聯をとりあげて、

中意、幾度

塞外

(片時枕上 。

中に意ふ、幾度か、塞外の おも

を この最 するを)

聯は、・女・が良人への思

にはほとんど期待できない再會を願うあまり、せめて がつのるなか、現實

かで良人のいる塞外の地へ のな

い、ひとときの逢

という を果たす、

容である。このように孤閨の哀切さを

くために、

中での征夫との

や邂逅を詠じる表現手法は、六

はじまり、 期に

あった。(ただし、これがやや常套 代にも閨怨詩を中心にしばしば見られる趣向で

作品の抒 な手法であることから、この も 凡であると見なすのは、おそらく

いくつか用例をあげておこう。 當ではない。)

……幾回明夜、飛

到 その他、梁・沈 「閨思」范雲 !邊。

"「

……昨來 ある。 見美人」なども(『玉臺新詠』卷五。)

「閨 #見、夫壻來應知。

」王

……已 $『國秀集』卷下

%殘 隨君去、

&有 '烏

「佳人 (夜啼。

)別」

*況『御覽詩』

右の例のように思

+が の詩に見られる。しかし識人の當該聯は、これらのなかでも に征夫に逢うという表現は、多く の ,の岑參の作品を典據としたものであろう。

『敕撰三

詩集』典據・出典考(

(谷)

(9)

洞 昨夜春風

、遙憶美人湘江水。枕上片時春

(洞 盡江南數千里。 中、行 昨夜春風

春片時 こり、遙かに美人を憶ふ湘江の水。枕上 の中、行き盡くす江南數千里。)

この岑參の七言

句の轉・結兩句が、久しく逢えない人と のなかに

表現 い會うという同じ趣向であること、また措辭や

容が多く一

依據した先行作品と見なしてよい することから斷して、鹿取の當該聯が

右の詩は、『河岳 。

靈集』に(『才

いる。『河岳 集』にも)收められて

靈集』は、

「南」卷に 知のごとく序文を『文鏡祕府論』

文載せるように、

安 初頭の詩人たちにも身 な總集の一つであった。これらのことは、敕撰三

詩人が、 詩集の

・中 に示している一例である。 期の總集も隨時披見していたことを、確實

(六 )

以上、「春閨怨」詩三篇から4例とりあげ、それぞれの典據となった先行作品の解明を中心として、そこに本來託されている抒

をも探ってきたつもりである。そこで

に典據と される作品と『

文 聚』との關係という

めて見解を示しておきたい。 點にしぼり、改

順序が

行するが、まず

勢識人片時枕上

度 中意、幾

塞外

から見てゆこう。この聯が

「春 期の岑參

」に依據した表現であることは明らかであり、『

聚』

とは、 收の作品とは、ほとんど關りがない。そしてこのこ 期以

に示している !の總集・別集が享受されていたことを如實

"

に、菅原

#公庭

$見

%鸞常 は、『列仙傳』「蕭史」という &、樓上吹簫鳳未臻 であった。だが、この '仙・戀愛譚にもとづいた表現 (話の受容では、小島氏が

ように『 )べている 文 聚』のみを(『初學記』も含めて)

れていたと考えるならば、實態とは相 して享受さ の *していよう。これら 書を含め、廣く『文

さえも想定しうる可能性すら、 れていたと考えるべきであろう。しかもさらに他の享受形態 +』『玉臺新詠』などからも受容さ の故事への理解とそれにもとづく表現とがほぼ共 ,められるのである。またこ

初 する聯を、

の慮照

兩 -「長安古意」のなかに見い出すことができる。

.に見られるこの故事への理解と表現は、おそらく

代に 中國詩文論叢第二十一集

288

(10)

入ってからこの

そしてそれは『 話に付加されていった性格に基づいている。

文 聚』

んど見られない表現のようである。 收の隋代までの作品には、ほと 野鹿取似登隴首腸已

、非入楚宮

まずその下句は、楚の靈王が細 忽細の聯、

る。この故事は、すでに『懷風 の美女を愛した故事によ れる發想(表現の組み立て方)は、『懷風 から閨怨詩の素材として知られていた。だがこの下句に見ら 』に用いられており、早く

』でのそれとは

なり、六

から

代にかけて共

するやや常套

のである。この例も單に した表現な 現を またこの聯の上句は、江總の作品以外には、同じ發想の表 集・別集を中心に廣く受容していた實態を示す好例となろう。 書のみを參照するに止まらず、總

めることができない。しかもこの江總の作品は、

初頭の人々が

覽できた現存文獻を檢討すると、『

聚』卷三十二の他には見あたらない。現存文獻によるかぎり『

文 愼重に考察してみると、江總「……隴水 聚』を典據としていると考えられよう。しかしより

「似登隴首……」と表現するに至る 秦川」から當該句 なぐ、この詩跡に關する樣々な理解が必 には、二つの表現をつ る。それを『 であったはずであ 文 聚』各卷に點在する作品を

して行なう ことは、不可能ではないにしても大きな困

ちなみに、詩跡「隴頭」に關する源泉 が想定されよう。

作品である

「隴頭歌辭」第三曲は、じつは『 記の 文 段階で、敕撰三 以上、「春閨怨」詩各篇からわずかに四例のみを檢討した られていないのである。 聚』のなかには收め

詩集 先行作品の享受と作品の制作に關して、小島 はむずかしい。しかし「春閨怨」詩三篇にかぎっていえば、 體にわたる典故の傾向を論じること

るように『 之氏が指摘す 文 ろう。 聚』の範圍に限定できるものではないであ

(七 )

さらに敢えて

べれば、『

文 う 詩文制作の兩面において、他に優先して利用されていたとい 聚』が先行作品の享受と

提を、小島氏は

示す享受上の實態や推定も加わえてゆくと、やはり小島氏の いていたのではないだろうか。以下に

勢に疑念を

一つは、當時の書物が卷子本であったことに かざるをえない。

である。むろん 因する問題 の比ではない手 書も例外ではない。それを讀むには冊子本 がかかり、また利用したい記事が一卷のな

『敕撰三

詩集』典據・出典考(

谷)

(11)

かに備わっているのは、むしろ稀なことではなかったのか。それ故に、ある作品の典據がたとえ『

文 問を えって他の集からも受容されていたのではなかったかと、疑 る場合であっても、それらが各卷に散在しているならば、か 聚』に指摘され

もう一つは、 くのである。

を求めた場合、『 披見されていたもので、しかも現存する集や書のなかに典據 の推察を補足することにもなろうが、當時 文 のは、 聚』のなかに他より多く見い出せる れは、敕撰三 のような理由も關わっているのではなかろうか。そ 詩集の詩人たちの表現の場ほとんど「

公なものと考えてよいに希求された表現 」、

最も 容、それと

も多く收載しているのが、ほかならぬ『 似する性質をもった作品を、現存する文獻のなかで最

文 て詩を制作したとしよう。同時に某作品は『 ないのか。例えば、當時の詩人が或る集の某作品を典據とし 聚』百卷では 文 かにも收められていた。しかし現在或る集は 聚』のな ている 佚してしまっ

。そういう

こうした であろうか。 況を稀なものであると、果して見なせる 點も考えあわせると、やはり

のような見解を

かざるを得ない。『

文 聚』百卷は、その

引する作品 べて、享受と實作の兩面で の性格と收載量の多さにより、當時傳來していた他の集に比

しかし、それが小島 に利用されていたであろう。

之氏の指摘するほどの高い比

は、むしろ以下のように されていたのかは、なおも疑問なのである。そしてこの問題 で利用 點を變えたほうがよいであろう。

波の文

の享受と

詩文の實作を、ほとんど『

文 を利用した結果にほかならないとほぼ斷定してしまう 聚』

敕撰三 提は、

詩集 收の作品世界を、單なる中國詩家の

るいは 倣、あ

代の文

果の搖

という

穽に 價に固定しがちな深 まり、當時典據した作品が收められた『 る結果を、自ら招くことになるのではあるまいか。つ

文 れにより 集別集から、他の作品をも合せて享受していたであろう。そ 聚』以外の總 第に釀

見 されていた詩人たちの豐饒な詩背景を とを經て、はじめてその抒 なされる先行作品が位置する同じ位相に再び本作品も置くこ ろうか。さしあたって典據の解明に關して言えば、典據と見 したまま、この期の作品を讀むことになるのではないだ

少なくとも敕撰三 本質が見えてくる。すなわち 詩集における典據の解明とは、作品の抒 特質に

るための重

け直し、再 なプロセスとして、改めて位置付 識する必

があるのではなかろうか。 中國詩文論叢第二十一集

290

(12)

(1)拙稿「『文

秀麗集』・艷

・『春閨怨』詩考」(『函

私學 究紀 』 31號、

01年)、同「『文

秀麗集』・艷

詩に關する比較詩學 ・『春閨怨』

考察」(『中野幸一

武 授職記念論文集』

野書院、

(2)『上代日本文學と中國文學』上・中・下、『國風暗 03年)

文學』上・中・下、『日本古典文學大系』 時代の

(3)例えば小島 69など。

之氏は、「(『奉和春閨怨』詩の作

である

公・鹿取は)第十六

使(

二四年

805歸 た點よりみて、 )に隨行し 詩に接する機會にも惠まれ、

安初頭歸

の第一便として數多くの

をも

安の かと思われる」と、 にもたらしたもの 下』一六一九~二〇頁、塙書 べている。(『上代日本文學と中國文學

65年)この指摘は中

での 期ま

(4)本文と試訓は『文 に對する見解と見なされよう。

秀麗集』(『日本古典文學大系』

69收)、

(5) (1)拙稿を參照されたい。

2 の西北、甘肅省にまたがる國境附 書一六三二頁には、「悲しみのために隴山(陝西省

やうに腸もすっかりたち切られるほどであり」、と の山)の頂上に登る時の

が明らかにされていない。また、『文 しかしここには隴山に登るとなぜ悲しいのかをはじめ、典故 べる。

學大系 秀麗集』(日本古典文 69收)一三四・五番の詩の頭

・補

、『國風暗

時代の文學』下Ⅱ(塙書

95年)三五五八頁以下における 「隴頭」その他に關する記

にも、この地と

く 愁との關係が

(6)ここに !明されていない。

引の詩は、すでに

"欽立氏『先秦

魏晉南北

に指摘されているように、「 詩』

#人怨」・「

#人怨 が後 $散」の二首 句の出典と見なされる の題のもとに一首として收載されている。そこで當該

(7)最 未詳。 のみを記す。また第一句「慣」は

%聯下句「直置」は、王雲路氏『六

詩歌語詞

( 究』

龍江 育出版

&、

99年)三六八頁に「

と (8)中國古典詩の分野で用いられはじめた、我國の歌枕・俳枕 す。 とある指摘に從う。「ただ~のために(原因、理由)」を表わ '言只因、只因爲」

(似した

きた古典詩のなかに出現して、ある特定の傳統 る地名ではなく、長いあいだ詠みつがれ、愛誦・流布されて )念をもつ詩學用語。「中國の『詩跡』は、單な

な詩 メージを豐かにたたえた、各地に實在する やイ

*體 な場

・關亭・橋・高樓 に、・宮殿樣我が國の歌枕・俳枕と同し、屬名詞に固有れもず (い ・祠廟・

+宅・寺院・

心の詩の傳統を、ふくよかにやどす も含まれる)をいう。この詩跡は、いわばすぐれた詩人たち ,-などの人工物 地理 .地であり、當地獨特の 空 /や自然景

られ、託されてきた豐かな詩 0だけでなく、代々その土地に刻みつけ

と長い風

1の傳統を

2く喚び

『敕撰三

詩集』典據・出典考(

3谷)

(13)

さます

の存在とその〔詩跡〕 想機能を持っている。」植木久行氏「中國における

念」(『村山吉廣

典學論集』、汲古書院 授古稀記念中國古 00年)。また『

詩のふるさと(詩跡)」(植木久行氏擔當、大修 詩の事典』第三章「名

書店、

には、現在までの 99年)

(9) 示されている。 果をふまえた總論・體例が豐富に 田 秀氏「南

人作の

吹曲辭」(『樂府の

史 創文 究』、 、

( 75年)。

隴頭流水、流離山下。念吾一身、飄然曠野。 10)他の二曲も記しておく。

發欣 、 宿隴頭。

( 『樂府詩集』卷二十五 不能語、舌卷入喉。

11)このイメージの背景には、この土地が古來、

民族と

族の境界、言い換えれば、そこを 民 ぎれば夫と妻子(故

が少なくとも心理 ) には斷

する地、そして

との防備・戰鬪の地という 民族 識があったことも、見

( せない。

( 詩の事典』五〇一頁參照。植木久行氏擔當。) 原論』、大修 12)松浦友久氏「『邊塞』と『閨怨』を結ぶもの」(『中國詩歌

書店、

86年)。そのなかで例えば「『兵士の

の念いの中核たる閨中の妻』と『空閨の

きの

( 境の防備』という關係」、と指摘している。 因たる邊 13)『懷風

』(『日本古典文學大系』

69收)一〇二頁。 (

蕭史 14)『列仙傳』卷上「蕭史」

!、秦穆公時人也。善吹簫、能

公有女、字弄玉、好之。公 "孔雀白鶴於庭。穆

#以女妻焉。日

居數年、吹似鳳聲。鳳凰來止其屋。公爲作鳳臺、夫 弄玉作鳳鳴。

( 於雍宮中、時有簫聲而已。 其上、不下數年、一日皆隨鳳凰飛去。故秦人爲作鳳女祠 $止 15)

%中しのぶ氏「題畫詩の發生」(『國語と國文學』、

ここに引の小島 88年)。

&之・川口久雄・後

( '昭雄各氏の論考。 16)

( (15參照。

17) )*二十三(八〇四)の

+,使一行が、詩賦への

變させられた在 識を一 ,體驗については、拙稿「『文

」位相Ⅱ(四)(『中國詩文論叢』十七集、 -秀麗集』の

( たい。 98年)を參照され 18)さらに、

.典 /に付けられた

(、その

に賦よっても、先行作品を含む樣々な (に引の記事や詩 と充分に想定しうるであろう。例えば舶載後 0容が享受されていた、

甚だ當時愛讀されていた『 1百年を經ても 一年)の奧書をもつ金剛寺本『 2仙窟』、いま元亨元年(一三二 2仙窟』(東野治之

3、塙書 4、 00年)の

傳』「蕭史」の記事(同書、四十頁・圖 (を見てみると、ここで取りあげている『列仙

11)、および『文

『玉臺新詠』收の梁江淹「班 5』 67詠 班 8(ただし梁何遜「擬 67詩」として。同書、一二四頁・圖

53)が、引用されて 中國詩文論叢第二十一集

292

(14)

いるのである。金剛寺本『

「金剛寺本の文が古い 仙窟』は「現存最古の寫本」

之氏「金剛寺本『 を傳えている」という見解(東野治 もあり、 仙窟』について」同書、三頁~十三頁)

安 初頭に付けられた

の故事やそれに關わる詩賦が、當時の『 ている可能性も、高いのではあるまいか。いま「蕭史・弄玉」 をそのまま踏襲して傳え

仙窟』の

されていたか否かはひとまず置くとしても、 に引用 た に付けられ

( た可能性が高いことは、充分に銘記しなければなるまい。 に引用された記事、詩賦をして、先行作品が享受され 江總・沈 19)この一例として「蕭史曲」の題をもつ樂府鮑照・張融・

期・曹

をあげることができよう。(

20)それを示す典型

な例が『太

廣記』卷四「蕭史」(『

傳拾 仙

』)の

蕭史不知得 れたと考えられる部分のみを示す。 の記事。『列仙傳』には見られず、後世付加さ 年代。貌如二十許人。善吹簫作鸞鳳之

而瓊 。

爍、風

( 乘龍、昇天而去。…… 超邁、眞天人也。……弄玉乘鳳、蕭史

21)その例として後

する盧照

の詩もあるが、典型

として、魚玄機「 な作品

『 別」(二首其一)をあげておく。また、

詩典故辭典』「吹簫」(湖北辭書出版

( 參照されたい。 89年)の條も 22)詳しくは

1の拙稿參照。 (

23) 2

( 書下卷一六二一頁。

24)當該聯の下句中・……鳳未臻・に對して、小島

察「この記事を 之氏の推 意味するものとみてよかろう」は、この故事に對する 用したものとみて、まだ結婚しないことを

關心をもとにして考えると、 代の

( 當であろう。

25)岑參「春

」では、誰が

を見ているのか、またその

(『續校 對象「美人」とは誰なのかが、しばしば論議されてきた の

詩解釋辭典』

〔大修 子和男氏擔當「岑參」參照。

書店、

01年〕)。この「春閨怨」詩では「春

女が思 」を、

する男性を

とがわかる。これは中國の傳統 みる詩と解釋して、典據としているこ

り、その背景には文學 解釋とは相する解釋であ 風土・傳統の差

(參考、植木久行氏『 !があるであろう 詩物語』「

"純な愛の物語趙

〔大修 #」。

書店、

( 02年〕)。

26)

$・中

期の總集・別集の受容については、

( 「Ⅲ(四)」をも參照されたい。 17拙稿、

27)例えば『日本國見在書目

それら 數を見れば、現存しない集が相當あることがわかる。むろん %』卷三十九別集家・四十總集家 てが參看されていたわけでもないだろう。

大學付屬柏稜高等學校

&

'

『敕撰三

詩集』典據・出典考(

(谷)

参照

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