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『三玉挑事抄』注釈 冬部(上)

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(1)

『三玉挑事抄』注釈 冬部(上)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 197

ページ 133‑175

発行年 2016‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014451

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

岩 坪

本 稿は

﹃三 玉挑 事抄

﹄冬 部の 265番 から 313番 まで を掲 載す る︒ 凡例 は秋 部︵ 上︶ と同 じで ある ので 省略 する

︒担 当者 はす べて 本学 博士 課程 在学 者で

︑以 下の 通り であ る︒ なお 各項 目末 尾の

︶内 には

︑担 当者 の氏 名を 示し た︒ 森 あか ね︑ 風岡 むつ み︑ 廣瀬 薫︑ 松本 匡由

︑島 田薫

︑金 子将 大︑ 北井 達也

︑小 森一 輝︑ 村上 泰規 冬

部 初冬

265 冬き ては 野沢 に深 き春 の水 のみ とり をみ ねの 松の 一本 春 水 満

︑夏

雲多

︒秋 月 揚

明輝

︑冬

嶺 秀

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一

〇三 一番

︒古 文真 宝前 集︑ 四時

︑二 九頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 春 の水 の│ 春の 水﹂

︒﹃ 古 文真 宝前 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

初冬

― 133 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(3)

春 の野 べの 沢は 緑色 の水 に満 ちて いた が︑ 冬が 来る と緑 は峰 にあ る一 本の 松だ けだ なあ

︒ 春 は水 がゆ たか に四 方の 沢に 満ち る︒ 夏は さま ざま のお もし ろい 形の 雲の 峰が

︑空 高く に湧 き上 がる

︒秋 は月 が 明る い光 を放 ち︑ 冬は 木の 葉の 落ち た嶺 には

︑一 本松 の緑 が群 をぬ いて 一き わ高 く仰 がれ る︒

﹇ 考察

﹈﹁ 四 時﹂ は 晋 代の 詩 と され

︑春 夏 秋 冬そ れ ぞ れ の風 物 を 取り 上 げ︑ 自 然の 大 観 に お け る 美 を 詠 じ る

︒当 歌 は

﹁四 時﹂ に詠 まれ た春 と冬 の風 景を 踏ま え︑ 冬の 到来 に よ る自 然 景 を春 と の 対比 し て 詠 む︒ 冬に な る と松 の 緑 が目 立 つこ とは 303︑ 304・ 番歌

︑参 照︒

﹇ 参考

﹈﹁ 四時

﹂は 116番 歌に も掲 載︒

﹃ 円機 活法

﹄に は陶 潜詩 とさ れ︑ 夏の 部分 のみ 引用

︵森 あか ね︶ 初冬 落葉 266一 葉に もお とろ き初 る秋 の風 はら ひ尽 して 冬は 来に けり 淮 南子

︒一 葉落 而天 下知 秋︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 三〇 九番

︒淮 南子

︑巻 一六

︑九 四五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 和刻 古 今事 文類 聚 前集

﹄﹁ 落而

│落

﹂︒

﹇ 訳﹈

初冬 の落 葉 一 枚の 葉が 落ち て初 めて

︵秋 の訪 れに

︶驚 く︑ その 秋風 が葉 を落 とし 尽く して 冬は 来た のだ なあ

︒ 淮 南子

︒一 枚の 葉が 落ち て︑ 天下 は秋 を知 る︒

﹇ 考察

﹈﹃ 淮 南 子﹄ の 一節 は

︑身 近 なこ と に よっ て 未 来 を察 知 す るこ と を 意 味 す る

︒当 歌 は

﹃淮 南 子

﹄を 踏 ま え な が

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 134 ―

(4)

︑冬 の到 来を 詠む

﹇ 参考

﹈﹃ 淮南 子﹄ の本 文は

﹁見 一葉 落︑ 知歳 之将 暮﹂ で異 なる

︒寛 文六 年︵ 一六 六六

︶刊

﹃和 刻 古今 事文 類聚

﹄巻 一

〇・ 秋部 は﹃ 淮南 子﹄ を出 典に 掲げ る︒

︵ 133番 歌︑ 参照

︶︒

︵ 風岡 むつ み︶ 紅葉 随風 267恨 あれ や風 のち から はお たし くて すく なき にし もた へぬ 紅葉 ゝ 文 選︒ 陸士 衡︑ 豪士 賦序

︒落 葉 俟

以 隕

︒ 而風

之 力蓋

云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 四六 八番

︒文 選︑ 文章 篇中

︑五

〇二 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ お たし くて

│け だし くも

﹂︒

﹃ 和刻 本 文選

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

紅葉

︑風 に随 う

︵風 を︶ 恨む のだ ろう か︒ 風の 力は 穏や かで 少な いの に︑ それ に耐 えら れな い紅 葉の 葉は

︒ 文 選︒ 陸士 衡の 豪士 の賦 の序

︒落 ちよ うと する 木の 葉は

︑微 かな 風が 吹け ば落 ちる

︒し かし

︑そ の風 の力 は少 な い云 々︒

﹇ 考察

﹈陸 機︵ 字は 士衡

︶の 文章 は︑ 何か 物事 を成 すた め に 必要 な の は自 己 の あり 方 で あ り︑ 外的 な 条 件は 二 の 次で あ ると いう こと を︑ 季節 が秋 を迎 えた ため に葉 は自 らの 性質 によ って 落ち るの であ り︑ 風の 力に よる とこ ろは 少な い とい う比 喩を 用い て表 現し たも の︒ 第三 句﹁ 穏し くて

﹂︵ 穏 やか でと いう 意︶ は︑

﹃新 編国 歌大 観﹄ では

﹁け だし

く も﹂ で出 典の

﹁蓋 し寡 し﹂ によ り近 い表 現と なる

― 135 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(5)

﹇ 参考

﹈﹃ 源氏 物語

﹄少 女の 巻に

︑秋 の情 感に 心 を 打 たれ た 内 大臣

︵か つ て の頭 中 将︶ が 和 琴を 奏 で︑

﹁ 風の 力 け だし す くな し﹂ と口 ずさ む場 面が ある

︒﹃ 和 刻本 文 選﹄ は慶 安五 年︵ 一六 五二

︶版

︵ 廣瀬 薫︶ 朝時 雨 268見 し夢 のあ した の雲 よた か為 か夕 をま たす 時雨 行ら ん

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 八八

〇番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

朝の 時雨 夢 で見 た朝 雲よ

︑︵ お まえ は︶ 誰の ため に夕 べを 待ち きれ ず時 雨を 降ら せて いる のだ ろう か︒

﹇ 考察

﹈当 歌は

﹁旦 には 朝雲 と為 り︑ 暮に は行 雨と 為る

︒﹂

︵ 269番 歌に 掲載

︶に よる

︵金 子将 大︶ 269夕 こそ 雨と もな らめ しく れ行 あし たの 雲よ たか こゝ ろな る 髙 唐賦 曰︑ 妾

之陽

︑高

之 岨

︒旦

朝雲

︑ 暮

︒朝

々 暮

々 陽

之 下︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 五五

〇番

︒文 選︑ 巻一 九︑ 賦篇 下︑ 三四 三頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃和 刻本 文 選﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 朝の 時雨

︶ 夕 方に はき っと 本降 りの 雨に なる だろ う︒ 時雨 を降 らせ て行 くこ の朝 雲よ

︑︵ そ れは

︶誰 の心 なの か︒ 高 唐賦 によ ると

︑私 は巫 山の 南側 にあ る険 しい 峰の 頂に 住ん でい ます

︒朝 には 雲と なり

︑夕 方に は 通り 雨と な って

︑毎 朝毎 晩こ の楼 台の もと に参 りま しょ う︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 136 ―

(6)

﹇ 考察

﹈﹁ 高唐 賦﹂ は宋 玉が 楚の 襄王 に向 かっ て︑ 巫山 の近 くに 建て られ た高 唐の 楼観 の様 子を 述べ たも の︒ 出典 の一 節 は︑ 先王 の夢 に現 れた 女性 のセ リフ

﹇ 参考

﹈﹁ 雨と なり しぐ るる 空の 浮雲 をい づれ の方 とわ きて なが めむ

﹂︵ 源 氏物 語︑ 葵の 巻︑ 五五 頁︶

︵金 子将 大︶ 夕時 雨

270あ かつ きの 霜に きく へき 声も なし しく るゝ 雲の 入あ ひの かね 山 海経

︒豊

︒是

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一

〇四 四番

︒山 海経

︑第 五︑ 中山 経︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 玉海

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

夕べ の時 雨 夜 明け 前に 霜に 応じ て鳴 ると いう

︑豊 山の 鐘 の 音 も聞 こ え ない

︒︵ そ の 代わ り に︶ 時 雨 を降 ら す 雲の 中 か ら︑ 夕暮 れ 時に つく 鐘の 音︵ が聞 こえ てく るな あ︶

︒ 山 海経

︒豊 山に 九つ の鐘 が有 る︒ この 鐘は 霜を 知っ て鳴 る︒

﹇ 考察

﹈鐘 が霜 を知 って 鳴る とは

︑霜 が降 りる と 鳴 る とい う 意 味︒

﹃山 海 経﹄ の 本文 を 抄 出 した 至 元 三年

︵一 三 三 七︶ 版

﹃玉 海﹄

︵ 国立 国会 図書 館デ ジタ ル コ レク シ ョ ン︶ は︑ 南宋 の 王 応麟 の 撰︒ 前 野 直彬 著

﹃全 釈 漢文 大 系 第 三三 巻 山 海 経・ 列仙 伝

﹄︵ 集 英 社︑ 一九 七 五 年︶ によ る と︑

﹁ 豊山

﹂と

﹁有 九 鐘 焉 是知 霜 鳴﹂ の 間に

﹁有

獣 焉︒ 其状 如

垣︑ 赤目 赤啄 黄身

︒名 曰

雍和

︒見 即国 有

大恐

︒神 耕父 処

之︒ 常遊

清泠 之淵

︑ 出入 有

︹清 冷水 在

西号 郊 県山 上

︒ 神来 時︑ 水赤 有

光輝

︒今 有

屋祠

之︒

︺見 即其 国為

敗︒

﹂と いう 文章 が入 る︒

― 137 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(7)

﹇ 参考

﹈﹁ 暁の 鐘を 聞か ずは 霜さ ゆる 夜半 とも 知ら じ炉 火の 本﹂

︵ 続草 庵集

︑三

〇二 番︶

︵北 井達 也︶ 枕上 時雨 271聞 わか ぬし くれ よい かに 枕せ しな かれ は水 のひ ゝき なか らに 晋 書︒ 孫楚 事実

︑見 于秋 部︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 五五 三番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

枕元 の時 雨

︵水 の流 れる 音と

︶聞 き分 けら れ な い︵ ほど 激 し い︶ 時雨 よ

︑ど れ ほど

︵降 っ て い るの だ ろ う︶ か︒ 孫楚 が 枕 にし て いた 水の 流れ は︑ 昔と 同じ 響き であ るが

︒ 晋 書︑ 孫楚 の事

︑秋 の部 に見 える

︒︵ 154 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈枕 元で 時雨 の響 きを 聞き

︑孫 楚の 漱石 枕流 の 故 事を 連 想 して

︑孫 楚 が 枕に し て い たと い う 流れ の 音 と︑ 雨音 と が区 別で きな いほ どだ と詠 む︒

︵小 森一 輝︶ 窓落 葉

272枝 の雪 もい まや みて まし 窓ふ かく あつ めぬ 物の 積る この はに

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一

〇六 三番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

窓辺 の落 葉

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 138 ―

(8)

枝 の雪 も今 は見 てい るだ ろう か︒

︵ 雪の よう に︶ 窓辺 にう ず高 く集 めて もい ない のに

︑積 もっ てい る落 ち葉 を︒

﹇ 考察

﹈当 歌の

﹁枝 の雪

﹂と

﹁窓

﹂は

﹃源 氏物 語﹄ 273︵ 番歌 に掲 載︶ によ る︒

︵松 本匡 由︶ 落葉 窓深

273色 こき は木 の葉 も窓 の光 にて おも はぬ 枝の 雪そ つも れる 乙 女巻 云︑ まと の蛍 をむ つひ

︑枝 の雪 をな らし たま ふ云 々︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一

〇六 四番

︑一 九六 二番

︒源 氏物 語︑ 乙女 巻︑ 一五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 落 葉窓 深│ 落葉 深窓

﹂︵ 一九 六二 番︶

︒﹃ 承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

落葉

︑窓 辺に 深し 落 葉の 色が 濃い のも 窓か らの 光の せい で︑ 思い がけ ない ほど 枝に 雪が 積も って いる なあ

︒ 乙 女の 巻に よる と︑

︵ 夕霧 は高 貴な 身分 で︑ 出世 は保 障さ れて いる のに

︶蛍 雪の 功を お積 みに なる 云々

﹇ 考察

﹈﹁ 窓の 蛍を 睦び

︑枝 の雪 を馴 らし たま ふ﹂ とは

︑窓 辺の 蛍の 光を 友と して 枝の 雪に 親し むよ うに 勉学 に励 むと い う意 味で

︑夕 霧が 大学 で学 ぶ志 を称 賛し た場 面︒

﹃ 蒙求

﹄の

﹁孫 康映 雪︑ 車胤 聚蛍

﹂︵ 家が 貧し く雪 の明 かり で本 を 読ん だ孫 康︑ 蛍の 光で 学ん だ車 胤の 故事

︶を 踏ま える

︵松 本匡 由︶ 水郷 寒芦 274し ほれ あし のよ る

!

"

い かに 川つ らの 冬に 成行 波風 の声

― 139 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(9)

薄 雲巻 云︑ 冬に なり 行ま ゝに

︑川 つら の住 ゐい とゝ 心ほ そさ まさ りて

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 九九 八番

︒源 氏物 語︑ 薄雲 巻︑ 四二 七頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

水郷 の寒 芦 寒 さで 枯れ た芦 が川 辺に 夜ご と打 ち寄 せら れる と︑ さぞ かし 波風 の音 は冬 にな って いく のだ ろう よ︒ 薄 雲の 巻に よる と︑ 冬に なる につ れて

︑川 のほ とり にあ る住 まい はい っそ う心 細さ がつ のっ て︒

﹇ 考 察﹈

﹃源 氏 物 語﹄ は︑ 明 石 の 君 た ち が 住 む 大 堰 川 ほ と り の 邸 宅 の 心 細 さ を 描 く

︒第 二 句 の

﹁よ る﹂ は︑

﹁夜

﹂と

﹁寄 る﹂ の掛 詞︒ また

﹁寄 る﹂ は﹁ 波﹂ の縁 語︒

︵村 上泰 規︶ 垣根 寒草 275冬 草の した の心 や数 なら ぬ垣 根な から も春 をま つら ん 初 子巻 の詞

︑春 の部 に見 えた り︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 五九 一番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹁垣 根│ 牆根

﹇ 訳﹈

垣根 の冬 草 冬 草は 内心

︑身 分の 高く ない 者の 垣根 に生 えて いて も︑ 春を 待っ てい るだ ろう か︒ 初 音の 巻の 文章

︑春 の部 に見 える

︒︵ 10 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈初 音の 巻は

︑﹁ 数な らぬ 垣根

﹂︵ 低 い身 分 の 者の 垣 根︶ の 内に も 春 が訪 れ る と いう 場 面︒ 当 歌も 春 を 待つ

︑庶 民 の垣 根の 草の 心を 詠む

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 140 ―

(10)

︵ 島田 薫︶ 鶴払 霜

276霜 はら ふ鶴 の毛 衣や はら かに ぬる よも なし と音 をや 鳴ら ん 催 馬楽

︑貫 河︒

ぬき 川の せゝ のや はら たま くら

︑や はら かに ぬる よは なく て︑ おや さく るつ ま︒

﹇ 出典

﹈三 玉和 歌集 類題

︑鶴 払霜

︒催 馬楽

︑貫 河︑ 一二 三頁

﹇ 異同

﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄

﹁ やは らか に│ 和か に﹂

︒﹃ 梁 塵愚 案抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

鶴が 霜を 払う 霜 を払 う鶴 の羽 毛は 柔ら かで

︑柔 らか に寝 る夜 もな いと 鳴い てい るの だろ うか

︒ 催 馬 楽︑ 貫 河︒

貫 河 のあ ち こ ちの 瀬 に 立つ 波 は 荒 々し く て 柔ら か で ない よ う に

︑私 の 腕 を 枕 に し て︑

︵い と しい あな たと

︶柔 らか に共 寝す る夜 はな くて

︑両 親が 会わ せて くれ ない 妻よ

﹇ 考察

﹈﹁ 貫河

﹂は

︑親 に仲 を裂 かれ なが らも 純愛 を歌 い合 う男 女の 掛け 合い から 成る

︒当 歌は 霜を 払う 鶴に

︑男 に会 え ずに 嘆く 女の 姿を 重ね て詠 む︒ 第三 句﹁ やは らか に﹂ は﹁ 鶴の 毛衣

﹂と

﹁寝 る﹂ を修 飾す る︒

﹇ 参考

﹈﹁ 貫河

﹂の 解釈 は﹃ 梁塵 愚案 抄﹄ の本 文﹁

﹁ せゝ の手 枕﹂ は波 枕と 云か 如し

︒波 はあ らき 物な れは

︑﹁ やは らか に ぬる 夜は なき

﹂と 枕に よせ てい へり

︒﹁ お やさ くる

﹂は 父母 とし て子 の妻 をさ くる 也﹂ によ る︒

︵金 子将 大︶ 残菊 匂 277を のか ため 折の こす 枝に あら なく にこ てふ そ菊 の匂 ひを はし る

― 141 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(11)

三 躰詩

︒節

去 蜂

愁蝶 不

知︑ 暁

庭還

︑ 自縁

日 人

︑未

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 二八

〇番

︒三 体詩

︑巻 上︑ 十日 菊︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 三体 詩﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

残菊 の匂 い 自 分の ため に折 り残 した 菊の 枝で はな いの に︑ 蝶は 菊の 匂い を知

︵り 飛び 回︶ って いる なあ

︒ 三 体詩

︒菊 の節 句が 過ぎ たの を蜂 は憂 えて いる が︑ 蝶は 気づ かず

︑明 け方 の庭 に折 りし だか れた 菊の 枝を なお も 飛び 廻っ てい る︒

︵ 菊の 色香 が変 わっ て見 え る のは

︶今 日 の 人の 心 が 変わ っ た か らで あ り︑ 菊 の花 の 秋 の香 り が一 夜で 衰え たわ けで はな い︒

﹇ 考察

﹈﹁ 十日 菊﹂ は節 句を 過ぎ ると 顧み られ ない 菊の 花に 同情 した 漢詩

︒第 二句 の﹁ 折残

﹂に つい て村 上哲 見著

﹃三 体 詩 上﹄

︵ 新訂 中 国 古典 選 16︑ 朝日 新 聞 社︑ 一九 六 六 年︶ では

︑﹁

﹁ 残﹂ は︑ 敗 残︑ 衰 残な ど に おけ る よ うに

︑動 詞 のあ とに そえ られ て︑ すた れる

︑だ めに なっ て し ま うの 意 を あら わ す︒

﹁ 折残

﹂は 折 ら れ てず た ず たに な っ てし ま って いる とい うこ と︒ 折ら れた あ と に 残る

︑で は な い︒

﹂と 解 釈 する

︒そ れ に 対 して 当 歌 の﹁ 折り 残 す﹂ は 折ら ず に残 すと いう 意味 で︑ 咲き 続け る菊 花の 香り に気 づい て近 寄る 蝶を 詠む

︵金 子将 大︶ 石間 氷

278氷 りけ りひ まな く水 も石 川や 花田 の帯 の中 絶て みゆ 催 馬 楽︑ 石 川︒ い し か は ん の こ ま う と に︑ 帯 を と ら れ て

︑か ら き く い す る

い か な ん る

︑い か ん な る 帯 そ

︑花 田の 帯の

︑中 は絶 たる

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 142 ―

(12)

﹇ 出典

﹈三 玉和 歌集 類題

︑冬

︑石 間氷

︒催 馬楽

︑石 川︑ 一四 九頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 三 玉和 歌集 類題

﹄﹃ 梁塵 愚案 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

石間 氷

隙 間も 無く 氷っ てし まっ たな あ︒ 絶え 間な く︵ 流れ てい た︶ 水も 絶え て見 える

︒石 川の

︵高 麗人 に取 られ た︶ 縹色 の 帯の 真ん 中が 絶ち 切れ たよ うに

︒ 催 馬楽

︑石 川︒ 石川 の高 麗人 に︑ 帯を 取 ら れて

︑ひ ど く 後悔 し て い る︒

ど んな

︑ど ん な 帯な ん だ い︑ 縹色

︵薄 藍色

︶の 帯で

︑真 ん中 が切 れて いる

﹇ 考察

﹈催 馬 楽

﹁石 川﹂ で 帯が 絶 え たこ と を 踏ま え て

︑当 歌 は石 川 の 流れ が 氷 って 絶 え て し ま っ た と 詠 む︒

﹁ひ ま な く

﹂流 れて いた

﹁水

﹂が

﹁ひ まな く﹂

﹁ 氷り けり

﹂の 結果

︑﹁ 帯﹂ が﹁ 絶え

﹂る よう に﹁ 水﹂ も﹁ 絶え

﹂た

︑と いう 技 巧で ある

﹇ 参考

﹈本 文異 同に は元 禄二 年︵ 一六 八九 年︶ 版﹃ 梁塵 愚案 抄﹄

︵早 稲田 大学 古典 書籍 総合 デー タベ ース

︶を 使用 150︵ 番 歌︑ 参照

︶︒

︵北 井達 也︶ 氷閇 細流

279海 川に いと はぬ 水の 心を もし らぬ 氷の あさ きへ たて よ

史 記︒ 李

上 書

云︑ 泰

︑ 河

﹇ 出典

﹈該 当歌 ナシ

︒史 記︑ 李斯 列伝 第二 七︑ 四六 一頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 史 記﹄

﹁泰 山│ 太山

﹂﹁ 能 成其 深│ 能就 其深

﹂︒

﹇ 訳﹈

氷が 小川 を閇 ざす

― 143 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(13)

大 海や 黄河 には

︵細 い流 れで も︶ 厭わ ず受 け入 れる 水の 心が ある のに

︑氷 がそ れも 知ら ない

︵で 小川 を閉 ざす

︶と は 浅は かな 分け 隔て だな あ︒ 史 記︒ 李斯 が上 書し て言 うに は︑ 泰山 は塵 のよ うな 土で も受 け入 れ積 み上 げる ため

︑あ のよ うに 大き くな るの で す︒ 黄河 や大 海は どん な小 川の 水で も受 け入 れる ため

︑あ のよ うな 深い 河に なる ので す︒

﹇ 考察

﹈﹃ 史記

﹄は

︑人 民を 棄て 賓客 を斥 ける 秦の 始皇 帝を 李斯 が諌 め︑ 他人 の意 見を 広く 受け 入れ ない と大 成し ない と 説い た故 事︒ 当歌 はそ れを 踏ま え︑ 氷が 張っ ても 大き な水 の流 れは 止め られ ない が︑ 小さ い水 流は 塞き 止め られ る 様子 を︑ 流れ の大 小で 分け 隔て する 浅は かな 思慮 と見 立て た︒

﹇ 参考

﹈﹁ 朗詠 ニ厭

﹂と いう 傍注 が示 す通 り︑ 北村 季吟

﹃和 漢朗 詠集 注釈

﹄に は﹁ 河海

細 流

﹂と ある

︵北 井達 也︶ 懸樋 氷 280氷 けり した ひの 水よ たか 為に なか るゝ こと の緒 をも たち けん 列 子︑ 湯問 篇︒ 伯

牙善

︑ 鐘

期 善

︒ 伯

牙 鼓

志 在

高 山

︒ 鐘子 期

曰︑

﹁ 善

哉︒ 峩

々兮 若

﹂︒ 志 在

︒ 鐘

曰︑

﹁ 善

哉︒ 洋

々兮 若

﹂︒ 呂 氏春 秋曰

︑鐘 期 死

︒伯 牙 破

琴 絶

云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 五一 三番

︒列 子︑ 下︑ 湯問 第五

︑二 四七 頁︒ 呂氏 春秋

︑巻 一四

︑本 味︑ 三七 六頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ た ちけ ん│ たつ らん

﹂︒

﹃ 列子

﹄﹃ 呂氏 春秋

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

懸樋 の氷

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 144 ―

(14)

凍 って しま った なあ

︑下 樋の 水よ

︒誰 のた めに

︑流 れる

︵水 に心 を寄 せて 弾い た︶ 琴の 緒を も絶 って しま った

︵よ う に水 の流 れも 絶え た︶ のだ ろう

︒ 列 子︑ 湯問 篇︒ 伯牙 は上 手に 琴を 弾き

︑鐘 子期 はそ の音 色を 上手 に聞 き分 けた

︒伯 牙は 琴を 弾き なが ら︑ 高い 山 に登 る気 持ち を表 現し た︒ 鐘子 期 は︑

﹁ 素 晴ら し い︒ ま るで 泰 山 がそ び え 立 って い る よう だ

﹂と 言 った

︒伯 牙 が流 れる 水に 心を 寄せ て弾 いた

︒鐘 子期 は︑

﹁ 素晴 らし い︒ まる で江 河が 水を 湛え てい るよ うだ

﹂と 言っ た︒ 呂 氏 春 秋 によ る と︑ 鐘 子期 が 死 んで か ら と いう も の︑ 伯 牙は 琴 を 壊し て 絃 を 絶ち

︑終 生 弾 く こ と は な か っ た 云 々︒

﹇ 考察

﹈歌 題 の

﹁懸 樋﹂ も 第二 句 の﹁ 下 樋﹂ も水 を 導 く樋 で あ る が︑ 懸樋 は 地 上 に 架 け 渡 し

︑下 樋 は 地 中 に 埋 め る︒ 歌 題と 異な るの は︑ 下樋 には 琴の 空洞 にな った 部分 とい う意 味も あり

︑下 の句 の﹁ 琴の 緒﹂ の縁 語に なる から であ ろ う︒ 伯牙 と鐘 子期 の故 事は

﹁知 音﹂ の由 来に なる

﹇ 参考

﹈﹃ 列子

﹄の 本文 校合 には 寛永 年間

︵一 六二 四〜 一六 四四

︶刊

﹃列 子鬳 齋口 義﹄

︑﹃ 呂 氏春 秋﹄ の校 合に は江 戸前 期 版本 を使 用︒ いず れも 長澤 規矩 也編

﹃和 刻本 諸子 大成

﹄︵ 汲 古書 院︑ 一九 七六 年︶ 所収

︵小 森一 輝︶ 深山 炭竃 281み ねた かみ やく 炭か まや けた 物の 空に ほえ けん 道も たつ ねん 列 仙伝 曰︑ 劉

孫 封

︒ 好

方 技

書 二十 一篇

︒又 著

鴻宝 万年 二巻

之 道

是 与

安 登

山 大

祭 埋

於 地

︒八

公 与

安 所

践 之 石︑ 皆 陥︒ 至

今 有

― 145 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(15)

之 迹

︒所

︑鶏 犬 舐

軽挙

鶏鳴

犬吠

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 六二

〇番

︒列 仙全 伝︑ 劉安

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃列 仙全 伝﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

奥山 の炭 窯 峰 が高 いの で︵ 天に 昇る のに ふさ わし く︶

︑ 炭を 焼く 炭 窯 があ り

︑け だ もの が 天 空で 吠 え た とい う 昇 天の 道 も 捜し 求 めよ うか

︒ 列 仙伝 によ ると

︑劉 安は 漢の 高帝 の 孫 で︑ 淮 南王 に 封 じら れ た︒ 劉 安は 儒 教 の 秘術 を 好 み︑

﹃淮 南 子﹄ 内 書二 十 一篇 を編 んだ

︒ま た︑

﹃ 鴻宝

﹄﹃ 万 年﹄ 二 巻を 著 し︑ 神 仙錬 金 の 術 を論 じ た︒

こ こ に おい て

︑劉 安 と山 に 登り

︑盛 大に 祭を して

︑金 を地 に埋 め︑ 白日 の下 に昇 天し た︒ 八公

︵八 人の 神仙

︶と 劉安 が踏 んだ とこ ろの

石 はす べて 陥没 し︑ 今に なっ ても 人馬 の跡 が残 って いる

︒捨 てて 置か れた 薬鼎

︵薬 を作 る鍋

︶を 鶏や 犬が 舐め て

︑こ れら も軽 々と 飛び 上が り︑ 鶏は 雲中 に鳴 き犬 は天 上に 吠え た︒

﹇ 考察

﹈当 歌は 深山 に立 ち上 る炭 窯の 煙 を︑ 劉 安の 薬 鼎 から 立 ち 上る 煙 に 見 立て た

︒第 二 句の

﹁焼 く 炭 窯﹂ に﹁ 焼く 炭

﹂と

﹁炭 窯﹂ を掛 ける

︒引 用本 文の

﹁内 書二 十一 篇﹂ とは

﹃淮 南子

﹄を 指し

︑内 書が 二一 編︑ 中書 が八 編︑ 外書 が 二三 編あ った が︑ 現存 する のは 内書 二一 編の み︒

﹇ 参考

﹈﹁ 列仙 伝曰

﹂と ある が﹃ 列仙 伝﹄ の本 文と は異 なり

︑明 代に 編ま れた

﹃列 仙全 伝﹄ によ る︒ 本文 校合 には 慶安 三 年

︵一 六 五

〇︶ 版﹃ 絵像 列 仙 全伝

﹄︵ 同 志 社大 学 図 書 館 蔵

︶を 使 用

︒﹃ 列 仙 伝

﹄は 七 十 余 名

︵諸 本 に よ り 異 同 あ り

︶の 仙人 の話 を載 せる が

︑﹁ 劉 安﹂ の 項を 立 て ない も の も多 い

︒た と え ば寛 政 五 年︵ 一七 九 三︶ 版﹃ 列 仙伝

﹄は 仙 人七 十名 で︑

﹁ 劉安

﹂の 項は ない

︒ち なみ に﹃ 神仙 伝﹄ にも

﹁劉 安﹂ の項 があ り︑ 本文 は﹃ 列仙 伝﹄ より も詳 述︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 146 ―

(16)

な お寛 文六 年︵ 一六 六六

︶版

﹃古 今事 文類 聚﹄ は﹁ 鶏犬 舐鼎

﹂と して 劉安 の記 事を 載せ

︑﹃ 列 仙伝

﹄の 記事 に近 い︒

︵小 森一 輝︶ 冬月 冴 282浦 遠き 水よ り出 て水 より もさ むき 氷を しけ る月 かな 荀 子︒ 氷

於 水

而寒

於 水

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 五一 四番

︒荀 子︑ 巻第 一︑ 勧学 編第 一︑ 一五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 荀子

﹄﹁ 氷生 於水

│氷 水為 之﹂

﹇ 訳﹈

冬の 月が 冴え る 海 辺か ら遠 い水 平線 から 出て きて

︑水 より も寒 々と した 氷を 敷き つめ た︵ かの よう に水 面を 照ら す︶ 月だ なあ

︒ 荀 子︒ 氷は 水か ら生 まれ て水 より も冷 たい

﹇ 考察

﹈﹃ 荀子

﹄は

﹁出 藍の 誉れ

﹂︵ 303 番歌

︑参 照︶ の本 文に 続く 一節

﹇ 参考

﹈﹁ 月照

平沙

夏 夜霜

﹂︵ 白 楽天

︒和 漢 朗 詠集

︑夏 夜

︑一 五

〇番

︶で は

︑月 に 照ら さ れ た 砂原 の 輝 きを 霜 に 例え る

︵松 本匡 由︶ 冬月 283す さま しき ため しと いへ とす む月 のあ はれ は冬 の空 にそ 有け る 総 角巻 云︑ 世の 人の すさ まし きこ とに いふ なる

︑し はす の月 夜の

︑く もり なく さし 出た る︒

― 147 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(17)

篁 記云

︑し はす の望 の頃

︑月 いと あ か き に物 語 し ける を

︑人 み て︑

﹁あ な

︑す さ ま し︒ しは す の 月夜 に も ある か な﹂ とい ひけ れは 云々

︒ 枕 双帋 に︑ すさ まし き物

︑し はす の月 夜︑ おう なの けそ う云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 六三 二番

︒源 氏物 語︑ 総角 巻︑ 三三 二頁

︒河 海抄

︑巻 九︵ 槿の 巻︶

︑巻 一八

︵総 角の 巻︶

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国 歌 大 観﹄

﹁た め し とい へ と│ た めし に い へ と﹂

︒﹃ 承 応﹄

﹃ 湖月 抄

﹄ナ シ︒

﹃ 河海 抄

﹄巻 九﹁ 望 の頃

│も ち ころ

﹂﹁ 人 みて

│人 みて これ そ﹂

﹁月 夜に も│ 月夜 も﹂

︒﹃ 河 海抄

﹄巻 一八 ナシ

﹇ 訳﹈

冬の 月

お もし ろか らぬ こと の譬 だと 言う が︑ 澄ん だ月 の趣 は冬 の空 にあ った のだ なあ

︒ 総 角の 巻に よる と︑ 世間 でお もし ろか らぬ 譬に 引く とい う︑ 十二 月の 月が 曇り なく さし のぼ って きた

︒ 篁 記に よる と︑ 十二 月の 望月 の頃

︑月 が た い へん 明 る いと き に 世間 話 を し てい た の を︑ 人が 見 て︑

﹁ ああ

︑お も しろ くな い︒ 十二 月の 月で ある なあ

﹂と 言っ たの で云 々︒ 枕 草子 に︑ おも しろ から ぬこ と︑ 十二 月の 月夜

︑年 をと った 女の 恋云 々︒

﹇ 考察

﹈当 歌と 同じ 趣旨 のこ とは

︑﹃ 源氏 物語

﹄で 光 源 氏 が﹁ 冬の 夜 の 澄め る 月 に雪 の 光 り あひ た る 空﹂ を称 賛 し て︑

﹁す さま じき 例に 言ひ おき けむ 人の 心浅 さよ

︒﹂

︵ 朝顔 の巻

︑四 九〇 頁︶ と述 べて いる

︒﹁ 篁記

﹂は

﹃河 海抄

﹄巻 九の

﹁す さま しき ため しに い ひ を きけ ん

﹂項

︵玉 上 琢磨 編

﹃河 海 抄﹄ 三六 七 頁

︑角 川 書店

︑昭 和 四 三年

︶︑

﹁ 枕 双帋

﹂は

﹃河 海 抄﹄ 巻 一八 の

﹁よ の 人の す さ まし き こ と にい ふ な るし は す の月 夜 の く もり な く さ し い て た る を﹂ 項︵ 同 書︑ 五 六三 頁︶ に引 かれ てい る︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 148 ―

(18)

﹇ 参考

﹈﹃ 篁物 語﹄

︵ 別名

﹁小 野篁 集﹂

﹁篁 日記

﹂﹁ 小 野篁 記﹂

︶は 平安 後期 頃に 成立 した 作者 未詳 の物 語︒ 文人 政治 家と し て著 名な 小野 篁に 名を 借り た人 物を 主人 公と する 実録 風の 短篇 物語 で︑ 二話 より なる

︒引 用箇 所は 彰考 館本 では 一 八行 目に ある

︒ま た︑ 現存 する

﹃枕 草子

﹄に は﹁ 師走 の月

﹂﹁ 媼 の懸 想﹂ の一 節は ない

︵松 本匡 由︶ 水鳥 284氷 る夜 はく かに まと ふも 水鳥 のし たや すか らぬ 音を や鳴 らん 玉 かつ らの 巻︒ 只︑ 水鳥 のく かに まと へる 心地 して

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 六五 二番

︒源 氏物 語︑ 玉鬘 巻︑ 一〇 二頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ ま とふ も│ まよ ふも

﹂︒

﹃ 湖月 抄﹄

﹃承 応﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

水鳥

︵水 面が

︶凍 る夜 は陸 に上 がっ てさ まよ う水 鳥 も︑ 水 面下 で 足 を絶 え 間 なく 動 か し て︑ せつ な く 鳴く よ う に︑ 陸で も 鳴い てい るの だろ うか

︒ 玉 鬘の 巻︒ ただ 水鳥 が陸 に上 がっ てさ まよ うよ うな 心地 がし て︒

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は 肥後 の豪 族で ある 大夫 監の 強引 な求 婚か ら逃 れる ため

︑よ うや く上 京し た玉 鬘一 行が

︑頼 るあ て もな く途 方に 暮れ てい る様 子を 水鳥 に例 えた 一節

﹇ 参考

﹈﹁ 水鳥 の下 安か らぬ 思ひ には あ た り の水 も こ ほら ざ り けり

﹂︵ 拾 遺 集︑ 巻 第四

︑冬 部

︑二 二 七番

︑よ み 人 知ら ず

︶︒

﹁ 水鳥 の下 安か らぬ

﹂と は︑ 水鳥 が水 面下 で足 をせ わし なく 動か すの で水 が落 ち着 かず 凍ら ない こと で︑ 人が

― 149 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(19)

内 心も だえ 思慕 する さま に重 ねて 詠む こと もあ る︒

︵村 上泰 規︶ 冬歌 中 285あ ひお もふ とも ねし てた にあ らし 吹梢 のを しの わひ つゝ や鳴 捜 神 記 曰

︑宋

時︑ 大

夫 韓

憑 娶

而 美

︒ 康

王 奪

云 云

︒宿 昔

之 間︑ 便

大 梓 木

︑生

於 二 塚 之 端

︒旬

日 大盈

体以 相就

︑根 交

於 下

︑枝 錯

於 上

︒又 有

鴦雌

雄各 一

︑恒

夜不

去︒ 交

︒ 音

声 感

︒ 宋

人哀

︑曰

一ト

︒相

之 名起

於是

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 四一 七番

︒捜 神記

︑巻 一一

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 冬 歌中

│冬 十五 首﹂

︒﹃ 捜 神記

﹄﹁ 大梓 木│ 梓木

﹂﹁ 旬 日大

│旬 日而 大﹂

﹁於 是│ 於此

﹂︒

﹇ 訳﹈

冬の 歌の 中 互 いに 思い あっ ても

︑共 寝す るこ とさ えで きな いだ ろう

︒嵐 が吹 く梢 にい る鴛 鴦は

︑辛 く思 って 鳴く のだ ろう か︒ 捜 神記 によ ると

︑宋 の時 代の 役人 長官 であ った 韓憑 は妻 を迎 えた

︒美 人だ った ので

︑康 王が 奪い 取っ てし まっ た 云 々︒ 幾 晩 も経 た ぬ 間に 大 き な梓 の 木 が︑ 両 方の 塚 か ら生 え て きた

︒十 日 も 経 つと 一 抱 え に 余 る ほ ど に な り

︑幹 を曲 げて 近づ きあ い︑ 下の 方で は根 が︑ 上の 方で は枝 が交 わっ た︒ また 鴛鴦 が雌 雄一 羽ず つ現 れ︑ いつ も その 木を ねぐ らに して

︑朝 から 晩ま で離 れな かっ た︒ 首を さし 交え なが ら悲 しげ に鳴 き︑ その 声は 人々 を感 動 させ た︒ 宋の 人々 は哀 れん で

︑そ の 木 に﹁ 相思 樹

﹂と い う名 を 付 けた

︒﹁ 相 思﹂ と い う名 称 は ここ か ら 始ま っ た云 々︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 150 ―

(20)

﹇ 考察

﹈当 歌 の 第一

・二 句 に﹁ 相 思ふ と も﹂ と﹁ 共 寝﹂ を︑ 第三 句 の﹁ 嵐﹂ に﹁ あ ら じ﹂ を掛 け る︒ 嵐 で激 し く 揺れ る 枝に いる 鴛鴦 は︑ 一睡 もで きな いだ ろう と詠 む︒

﹃ 捜神 記﹄ の引 用で

﹁康

王 奪

云 云﹂ のあ と 大 幅な 省 略 があ り

︑韓 憑は 自殺 し︑ 妻も 後追 い自 殺し たた め︑ 康王 は埋 葬し て︑ 二人 の塚 が向 き合 うよ うに させ たと いう 内容 であ る

﹇ 参考

﹈和 刻 本

﹃捜 神 記﹄

︵古 典 研 究会

﹃和 刻 本 漢籍 随 筆 集 第 十 三 集﹄ 汲 古 書 院

︑一 九 七 四 年

︶と は 異 同 が 多 い た め

︑本 文 異 同 に は﹃ 四 庫 全 書﹄ 所 収 の﹃ 法 苑 珠 林﹄ を 使 用︒ 他 に も

﹃藝 文 類 聚

﹄﹃ 法 苑 珠 林

﹄﹃ 獨 異 志﹄

﹃ 北 戸 録﹄

﹃太 平廣 記﹄

﹃太 平御 覧﹄

﹃ 太平 寰宇 記﹄ に引 かれ てい る︒

︵村 上泰 規︶ 嶋千 鳥 286玉 手箱 水の 江白 く浦 しま のこ のよ あけ ぬと 千鳥 しは なく

丹 後国 風 土記

︑長 谷 朝 倉 宮 天 皇

御 世︑ 浦

子 独

小 船

五 色

︒ 忽

婦 人

︒其

容 美

︒女 娘教

即 至

中 博

大之 嶋

云 云︒ 奥子 忘

︒未

見 之間 芳

之体 率

于 風

去云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 六四 五番

︒河 海抄

︑巻 一五

︑夕 霧巻

︑五 一六 頁︒

﹇ 異 同﹈

﹃新 編 国 歌 大 観﹄ ナ シ︒

﹃河 海 抄﹄

﹁長 谷 朝 倉 宮│ 長 谷 朝 倉 宮 御 宇

﹂﹁ 浦 奥 子 独

│嶼 子 独﹂

﹁奥 子 忘

│嶼 子 忘﹂

﹁未 見之 間│ 未瞻 之間

﹂﹁ 翩去

│翩 翻蒼 天﹂

﹇ 訳﹈

島の 千鳥

― 151 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(21)

浦 島の 子が 玉手 箱を 開け た水 の江 は白 み︑ 夜が 明け たと 千鳥 がし きり に鳴 いて いる

︒ 河 海抄 が引 く丹 後国 風土 記に よる と︑ 長谷 の朝 倉の 宮で 天下 を治 めた 天皇

︵雄 略天 皇︶ の御 世に

︑浦 島の 子が 独 りで 小舟 に乗 り︑ 釣り をし て五 色の 亀を 得た

︒︵ そ の亀 は︶ たち まち 婦人 にな った

︒そ の容 姿は 美し かっ た︒ 乙 女は

︵浦 島の 子を

︶眠 らせ て︑ 一瞬 のう ちに 海上 の大 きな 島に 到着 した 云々

︒浦 島の 子は 以前 の約 束を 忘れ て

︑す ぐに 美し い化 粧箱 を開 けた

︒突 如か ぐわ しい 香の 匂い が風 雲と 共に 翻り 去っ てし まっ た云 々︒

﹇ 考察

﹈当 歌の 第二 句﹁ 水の 江﹂ は浦 島 伝 説が 伝 わ る地 名

︑第 四 句﹁ あけ

﹂に 浦 島 が 玉手 箱 を﹁ 開 け﹂ たこ と と 夜が

﹁明 け﹂ たこ とを 掛け る︒

︵ 島田 薫︶ 湖千 鳥

287さ ゝ波 にな くや 千と りの 山の 井の あか てわ かれ し友 した ふら ん 古 今集

︑八

︑離 別部 云︑ しか の山 こえ にて

︑い し井 のも とに て物 いひ ける 人の

︑わ かれ ける 折に よめ る︒ 貫之 む すふ 手の 雫に にこ る山 の井 のあ かて も人 にわ かれ ぬる かな

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 一三 九番

︒古 今和 歌集

︑巻 八︑ 離別 歌︑ 四〇 四番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃古 今和 歌集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

湖の 千鳥 さ ざ波 のも とで 鳴い てい る千 鳥は

︑山 の井 は

︵底 が 浅 く濁 り や すく

︶ 飲 み 足り な い よ うに

︑も の 足 りな い 思 いで 別 れた 友を 懐か しく 思っ てい るの だろ うか

︒ 古 今和 歌集

︑巻 八︑ 離別 部に よる と︑ 志賀 の山 越え の時 に︑ 石で 囲ん だ清 水の ほと りで 言葉 を交 わし た人 と別

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 152 ―

(22)

れ る際 に詠 んだ 歌︒ 貫之 掬 い上 げた 手か らこ ぼれ る雫 で濁 る︵ ほど 浅く 水の 少な い︶ 山の 井が 充分 に飲 めな いよ うに

︑私 は満 足で きな い 思い であ なた と別 れた こと だな あ︒

﹇ 考察

﹈貫 之の 歌の 上の 句は

﹁あ か﹂ を導 く序 詞︒

﹁あ か﹂ に﹁ 閼伽

﹂︵ 仏 に供 える 水︶ と﹁ 飽か

﹂を 掛け る︒

﹇ 参考

﹈﹁ 山の 井﹂

︵ 山中 の清 水︶ は底 が浅 いと いう 考え は︑

﹃古 今和 歌集

﹄の 仮名 序に も引 かれ た和 歌﹁ 安積 山影 さへ 見 ゆる 山の 井の 浅く は人 を思 ふも のか は﹂

︵ 万葉 集︑ 巻一 六︑ 三八

〇七 番︶ によ る︒

︵ 島田 薫︶ 冬歌 中 288あ らは るゝ 名に や高 砂住 の江 の松 もあ ひ生 の雪 のう ちか な 古 今序

︒高 砂・ 住の 江の 松も

︑あ ひ生 のや うに おほ え云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 二二 四番

︒古 今和 歌集

︑仮 名序

︑二 三頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 冬 歌中

│冬 十首

﹂︒

﹃ 古今 和歌 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

冬の 歌の 中 慣 れ親 しん だ名 高い 高砂

・住 江の 松も

︑長 年な じん だ雪 の中 に姿 を現 わす なあ

︒ 古 今和 歌集 仮名 序︒ 高砂

・住 江の 松ま でが 長年 の馴 染み とし て親 しま れ云 々︒

﹇ 考察

﹈﹃ 古今 和歌 集﹄ 仮名 序は 和歌 の歴 史を 述べ た部 分の 一節 で︑ 北村 季吟

﹃八 代集 抄﹄ には

﹁高 砂・ 住の 江は 播州

・ 摂州 両国 の松 の名 所を よひ 出て 両所 の松 を相 生の やう にお ほゆ ると 也﹂ と注 す︒ 当歌 はそ れを 踏ま えつ つ︑ 高砂

― 153 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(23)

・ 住の 江の 松も 雪の 中で 紛れ ず姿 を現 わす こと を詠 む︒ 第二 句の

﹁名 にや 高砂

﹂に

﹁名 に高

﹂︵ 名 高い

︶と

﹁高 砂﹂ を 掛け る︒ また 第四 句の

﹁相 生﹂ は︑

﹁ 高砂

・住 江の 松﹂ と﹁ 雪﹂ とを 修飾 する

﹇ 参考

﹈﹃ 古今 和歌 集﹄ 仮名 序の 当該 箇所 は︑ 606番 歌に も引 用さ れる

︒冬 の松 につ いて 303は 304・ 番歌

︑参 照︒

︵金 子将 大︶ 薪 289民 の戸 のけ ふり にき はふ 九重 にた のし きを つむ 春や 待ら ん 日 本紀

︑廿 九巻

︒天 武天 皇御 宇四 年︑ 百

寮諸 人 初

位以 上 進

薪 云云

︒ 雑 令曰

︑凡 進

薪 之日

︑弁

官 及式 部︑ 兵部

︑宮 内省

︑共

検 校

納 主殿 寮

延 喜式 三十 六曰

︑年 中所

用御 薪湯 殿

料一 百八 十荷

︑御 匣殿 御洗 料七 十二 荷︑ 御沐 料一 百八 十荷

︑御 脚水 料二 百 四十 荷︑ 御炊 料七 百八 荷︑ 儲料 二百 荷云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 九 三 三番

︒日 本 書 紀︑ 巻第 二 九︑ 天 武天 皇 下︑ 三 五 九頁

︒令 義 解︑ 巻 一〇

︑雑 令

︑進 薪 条︒ 延喜 式

︑巻 三六

︑主 殿寮

︑年 中薪

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ に きは ふ│ にき ほふ

﹂︒

﹃ 日本 書紀

﹄﹃ 令義 解﹄

﹃ 延喜 式﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

薪 民 の戸 から は炊 事の 煙が 豊か に出 てい て︑ 豊か な宮 中で は薪 を積 み︑ 楽し みを 積み 重ね る春 を待 って いる のだ ろう か 日 ︒ 本書 紀︑ 二十 九巻

︒天 武天 皇の 御宇 四年

︑初 位以 上の 百官 の人 々は 薪を 奉納 する 云々

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 154 ―

(24)

雑 令に よる と︑ 薪を 奉納 する 日は

︑弁 官及 び式 部︑ 兵部

︑宮 内省

︑共 に監 督し て︑ 主殿 寮に 貯納 する

︒ 延 喜式 三十 六巻 によ ると

︑年 間で 用い る御 薪は

︑湯 殿の ため に百 八十 荷︑ 御匣 殿の 洗髪 のた めに 七十 二荷

︑沐 浴 のた めに 百八 十荷

︑脚 洗い の水 のた めに 二百 四十 荷︑ 炊事 のた めに 七百 八荷

︑蓄 えの ため に二 百荷 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 日本 書紀

﹄は

︑宮 廷所 用の 薪を 百 官が 奉 る 行 事を 記 し た箇 所

︒﹁ 雑 令﹂ は薪 を 献 納 する 日 の 規定

︑﹃ 延 喜 式﹄ は 年間 に用 いる 薪の 量を 記し た箇 所︒ 当歌 の第 二句

﹁に ぎは ふ﹂ は﹁ けふ り﹂ と﹁ 九重

﹂を 修飾 し︑ 第四 句﹁ たの し き﹂ の﹁ き﹂ に﹁ 木﹂ を掛 ける

︒ま た︑

﹁ 高き 屋に のぼ りて 見れ ば煙 立つ 民の かま どは にぎ はひ にけ り﹂

︵新 古今 和 歌集

︑巻 七︑ 賀︑ 七〇 七番

︑仁 徳天 皇︶ も踏 まえ る︒

﹇ 参考

﹈本 文異 同 に は︑ 寛 文九 年

︵一 六 六九

︶版

﹃日 本 書 紀﹄

︑寛 政 一 二 年︵ 一八

〇︶ 版﹃ 令 義解

﹄︑ 享 保 八年

︵一 七 二三

︶版

﹃延 喜式

﹄を 使用

︒貞 治 五 年︵ 一 三六 六

︶の

﹃年 中 行事 歌 合﹄ に︑

﹁ 百敷 の も も のつ か さ の御 か ま 木に

民 のけ ぶり もに ぎは ひ にけ り

﹂︵ 八 番︑ 左︑ 御薪

︑家 尹 朝 臣︶ とあ り

︑そ の 判詞 に

﹁御 薪 と 申す は 百 官悉 薪 を 奉る な り︑ たと へば これ も民 の肩 をや すめ んが 為に や

︑宮 内 省 に被 納 け るな り

︑其 数 は延 喜 の 宮 内式 な ど にみ え 侍 り﹂ と ある

︵金 子将 大︶ 冬歌 中 290深 きよ の月 にた か行 道な らし 笛の ねす める 木枯 の声 帚 木巻 云︑ 神無 月の 頃ほ ひ︑ 月面 白か りし 夜︑ 内よ りま かて 侍る に︑ ある うへ 人き あひ て︑ 此車 にあ ひの りて 侍 れは

︑大 納言 の家 にま かり とま ら ん と する に

︑此 人 のい ふ や う︑

﹁こ よ ひ︑ 人 待 らん や と なん

︑あ や し く心

― 155 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

(25)

く るし き﹂ とて

︑此 女の 家︑ はた よき ぬ道 なり けれ は︑ あれ たる くつ れよ り池 の水 影見 えて

︑月 たに 宿る すみ か を過 んも さす かに て︑ おり 侍り ぬか し︒ 本よ り︑ さる 心を かは せる にや 有け ん︑ 此男 いた くす ゝろ きて

︑門 ち かき 廊の

︑す のこ たつ 物に 尻う ちか けて

︑と はか り月 をみ る︒ 菊い と面 白く うつ ろひ わた りて

︑風 にき ほへ る 紅葉 のみ たれ なと

︑哀 とけ に見 え た り︒ ふ とこ ろ よ り笛 と り 出て 吹 な ら し︑

﹁か け も よし

﹂な と

︑つ ゝ しり う たふ 程に 云々

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 二二 一番

︒源 氏物 語︑ 帚木 巻︑ 七八 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 冬 歌中

│冬 十首

﹂︒

﹃ 承応

﹄﹃ 湖月 抄﹄

﹁ 尻う ちか けて

│し りか けて

﹂﹁ ふと ころ より

│ふ とこ ろ なり ける

﹂︒

﹇ 訳﹈

冬の 歌の 中 夜 ふけ の月 のも と︑ 誰か が道 を通 って 行く らし い︒ 笛の 音が 澄ん で︑ 木枯 らし の音 と︵ 合わ さっ て響 いて いる

︶︒ 帚 木 の 巻 によ る と︑ 十 月の 頃

︑月 が 美し か っ た 夜︑ 宮中 か ら 退出 し ま す と

︑あ る 殿 上 人 と 一 緒 に な っ て

︑私

︵左 馬頭

︶の 車に 相乗 りし まし たの で

︑︵ 私 が︶ 大 納言 の 家 に行 っ て 泊ま ろ う す ると

︑こ の 人 が言 う に は︑

﹁今 夜

︑私 を待 って いる であ ろう 女の 家が

︑妙 に気 がか りで

﹂と 言う ので

︑こ の女 の家 が︑ 通ら ねば なら ぬ道 であ っ たの で︑ 荒れ た築 地の 崩れ から 月影 を映 した 池の 水が 見え て︑ 月で さえ 宿る 住み かを

︑さ すが に素 通り もで き ず︑ 車を 降り てし まい まし た︒ 以前 から 情を 交わ して いた ので あろ うか

︑こ の男

︵殿 上人

︶は ひど くそ わそ わ して

︑中 門に 近い 渡り 廊下 の濡 れ縁 めい たと ころ に腰 をか け︑ しば らく 月を 眺め てい る︒ 白菊 が︵ 霜に あた り

︶と て も 美 しく 一 面 に薄 紫 に 色変 わ り し て︑ 風に 競 っ て散 り 乱 れる 紅 葉 な ど︑ いか に も し み じ み と 思 わ れ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 冬 部

︵ 上

― 156 ―

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