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若夫九成 図 蓋。則康陽垂日。四柱方輿。則凝陰

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(1)

  本稿は、聖武天皇宸翰『雑集』中に収められている北周趙王宇 文招の文集「周趙王集」の注解と全訳を試みたものである。今回 は「道会寺碑文」に訳注を付す。以下に凡例を記す。 一   本 稿 の 底 本 は 毎 日 新 聞 社 刊『 正 倉 院 宝 物・

( 一 )(『 南 都 仏 教 』 一 九 七 八 年 一 二 月 ) を 全 面 的 に 参 照 し て   一 本 訳 注 は、 小 野 勝 年「 『 宸 翰 雑 集 』 所 収「 周 趙 王 集 」 釈 義 」   末 に 訂 正 を 示 し 、 な お 訓 読 の 該 当 箇 所 に [ ] で 訂 正 を し た 。   一 明 ら か な 誤 字 や 極 端な 異 体 字 に は 本 文 に 漢 数 字 を付 し 、 本 文 所に筆者が文字を補ったものである。     一 訓 読 文 中〖 〗 で 示 し た 箇 所 は、 脱 字 が あ る と 考 え ら れ る は常用漢字に改め、句読点を付した。   一 本 文 は 一 行 十 八 字、 八 十 五 行 の 原 文 の ま ま 表 記 し た が 字 体 集』漢字総索引」を用いた。   を 用 い、 あ わ せ て 合 田 時 江 氏 編・ 清 文 堂 刊「 聖 武 天 皇『 雑 一 本 文 は 内 容 に よ り , 銘 は 脚 韻 に よ り 段 落 を 分 け た 。

3

』 所 収 の 影 印 は小野勝年氏の前掲論文を指す。 な点につき本稿末に補注を付した。注釈中「小野」とあるの があり、その場合には小野氏の解釈との違いを明示し、重要 いる。小野氏の注釈に依る所は多いが、解釈を異にする場合

《原文》

  道會寺碑文 矣。豈似真如寂絶。非千尺之可求。実相冥言。非 亥爻於六位。是知鬼神無所逃形。天地之情尽 戴升。而君称龍首。既 泣 暦於九宮。帝曰蛇身。遂

1

若夫九成 図 蓋。則康陽垂日。四柱方輿。則凝陰

5

一音之可證。毛渧海水。算数之理無方。塵折須 聖武天皇『雑集』所収「周趙王集」訳注〈Ⅳ〉

安   藤   信   廣

(2)

弥。測量之情 逾 遠。昔者 吾

百羅漢。同来舎衛之 城。十千天子。共詣迦陵之国。乃見安居鹿苑。説 法鶏園。満面含光。通身微咲。自月落金棺萎香 炭。双林変色。四馬生風。若使 図

光不写。則度敬 宵夢。啓正教於山東。呉宮夜明。悟斜心於江左。 伝妙質而無窮。八斛四升。散全身而不滅。漢皇 紺髪而昇天。須達長者。布黄金而満地。卅二相。 龍宮自開。梵志求香。則海潮仍落。波斯檀越。図

10

靡託。方墳莫樹。則栖庇焉奉。是以商人採宝。則

如玉盤銀甕之祥。赤獣白禽之瑞。双苗三脊。以 羽客。棄神仙戻止。渭浜隠士。捨垂釣而来王。至 葛而継百王。月紀玄英。衣鹿裘而朝万国。蓬莱 都平陽而受禅。坐玄扈而披図。長贏炎景。服絺

15

皇帝沈璧握図。懐珠受暦。幽房貫月。華渚落星。

黄封万巻之言。青首五車之冊。占月司星之術。 易俗之楽。若乃金縄玉字之書。石架銀函之部。 慈愛之文。叡徳戢兵之武。安上治民之礼。移風 夜宿華山之桐。河漢双龍。朝遊葛陂之水。接礼

20

表至孝之徴。神雀霊鳥。乃応 大 平之兆。丹両鳳。

25

観風候気之儀。中臂礙柱之精。驚猨落鴈之巧。 桂影澄淵。即是沈河之璧。楡落水。然投渭之銭。 恒調。不待周瑜之顧。空香自吐。無労荀 之衣。 摩竭国中。翻慙浄土。毘耶城裏。到愧伽藍。天楽 瑠璃。帯春風而不堕。雲連馬腦。似秋雨而将垂。

40

雕楹散藻。三處紅蓮之殿。五時白鶴之 官 。月映

揮斤好匠。莫不椒泥桂柱。彩壁梅梁。綺井舒荷。 合浦朱提之宝。並充随喜。尽用行檀。転埴陶人。 揚子之宅。乃於旧所。経始荘厳。荊山春嶺之珍。 香滅。蕭々虚牖。或似相如之台。寂々疎扉。乍同

35

祇園。但以春灰数動。秋火屢移。台毀花萎。蓋彫 内 名所興也。観其揆日面方。祟基架宇。外諠王舎。 諸 家 滅。乃逮斯刹。厥名天会。其寺蓋昔某官姓

停。汲亥群迷。紹隆釈典。豈止驅之仁寿。方且帰

30

迹住有為。而心存遣相。達五家非已。識三相莫 上林秋蒐。書而莫尽。睢陽竹簡。載而弗窮。雖復 咲。弾碁則玉女度河。可謂唯聖唯神。多才多芸。 懸諳薬姓。四童九転。遥識方名。投壺則仙女含 縁情則飛雲玉髄。落紙則垂露銀鉤。白石紫芝。

45

吉士詵々。捧乳糜而競入。名僧済々。抱応器而

(3)

知帰。是知縁覚争飛。終留世界。声聞聴響。遂至 他方。法雨纔沾。枯苗即潤。慧燈暫照。暗空方明。 現五縛於離車。伏双魔於道樹。鴿憑威而向影。 大楽法而昇階。寺主比丘某甲。僧徒英儁。法侶 香苑。六龍厳設。四校広陳。懸豹尾於属車。望霊 皇帝輟万機之務。隆四海之尊。輦詣花園。輿廻 宝刹。 禅友。鉅鹿沙門。止通経論。未有守護雕龕。堅持

50

高明。心伏慳貪。身行忍辱。若夫酒泉開士。唯学

善吉先知。遣有為住無為。滅執相存忘相。錬石 梨成実。事等膏。広説涅 盤 。迦葉起問。高談般若。

金机。潜名教。闡大乗。法勝毘日 雲 。義均廃疾。呵

蛇影。於是頂戴天人。帰依正遍。然後登宝座。撫

55

鳥於大史。鹿盧之剣。本帯龍文。宛転之弓。旧合 斜懸別館。青苗目蓿。遥映離宮。都尉 誠 船。独有

朝翔。周王杖鉞。五星夜聚。漢帝治兵。縁蔓蒲陶。 慙其断見。尓其處也。国称四塞。地曰一金。一鳥 火宅童児。方知離苦。足使提舎恥其頭燃。納衣

60

鉱於貢金。変醍醐於乳酪。法華窮子。始悟慈顔。

65

昆明之水。将軍置陳。唯余細柳之営。南望上林。 葉紫。蓮吐花紅。園成樹満。渠開水通。禅永定智 雕欒婉転。鏤檻玲籠。窓疎受電。檐逈来風。瀾生 流銀粟。 慢 黄金。床雕青玉。鳳皇之閣。芙蓉之宮。

十二

解。景落霞新。糸縷共纏。燈光相続。水激珠泉。沙

80

橋鉄鎖。灞岸銅人。雲低宝蓋。花大車輪。天晴霧 樹。偈説多羅。経文妬路。甘泉北接。細柳南隣。河 瞻夜光。儒童剪髪。難提承露。水浄 洛 池。花然宝

十一

穂。蓮開両房。鄷戸赤雀。殿庭白狼。璧連朝影。蓂 是曰人王。兼称法王。惟天隆祉。地呈祥。苗垂三

75

浄土。道牙広潤。勝幢高豎。静監有空。縁思愛取。 熟暁良津。我皇御宇。超茲文武。迹染俗塵。心標 曰応。反寂称真。法身豈滅。世眼時淪。倶迷苦海。 百非体妙。万徳凝神。空因相顕。理寄言申。赴機 騎之碑。舞蹈希有。乃為銘曰。

70

使襄陽水中。独有鎮南之頌。燕然山上。唯勒車 陵之山。新書易蠹。唯当一刊玄碣。万古常観。豈 勝葉恒伝。福田永播。而霊光之殿。古字難存。羽 旗亭。則五層迢遰。傍臨峻堞。則百雉逶迤。欲令 想仙童之来晩。西瞻青綺。思召子之苽甜。正対

85

炬方融。道成果々累尽空。

(4)

一   図→円    二   泣→治    三   吾→五   四   図→円    五   大→太    六   家→寂 七   官→宮    八   日雲→曇   九   盤→槃 十   誠→試    十一洛→珞    十二慢→幔

《訓読》

〈第一段〉 (

1

行「若夫」〜

夫 の九成の図〔円〕 蓋

6

行「 逾遠 」)

1

の若きは、則ち康陽   日を垂れ、四柱の方 輿

2

は、則ち凝陰   戴升す。而して君は龍首と称し て

3

、既に暦を九 宮に泣〔治〕 め

4

、帝は蛇身と曰い て

5

、遂に爻を六位に 亥

そな

6

。是に 知る   鬼神も形を逃るる所無 く

7

、天地の情   尽くと。 豈

8

に真如の 寂 絶

の、千尺の求むべきに非ず、実相の冥 言

注注

の、一音の証すべき に非ざるに似んや。毛もて海水を 滴

したた

ら す

注注

は、算数の理   方ぶる無 し、塵もて須弥を折す る

注注

は、測量の情   逾 々遠し。 〈第二段〉 (

6

行「昔者」〜

  昔 者 吾〔 五 〕 百 の 羅 漢 は、 同 に 舎 衛 の 城

14

行「江左」 )

注注

に 来 り、 十 千 の 天 子

注注

は、共に迦陵の 国

注注

に詣れり。乃ち鹿 苑

注注

に安居 し

注注

、鶏 園

注注

に説法する を 見 る。 満 面 に 光 を 含 み、 通 身 に 微 咲 す。 月 の 金 棺

注注

に 落 ち、 香 炭

注注

の 萎 え て よ り、 双 林

注注

色 を 変 じ、 四 馬 風 を 生 ず。 若 し 円 光

注注

を し て 写 さ ざ ら し め ば、 則 ち 度 敬

注注

託 す る 靡 く、 方 墳

注注

を し て 樹

う る こ と莫からしめば、則ち栖 庇

注注

  焉んぞ奉ぜん。是を以て   商人   宝 を 採 ら ん と す れ ば

注注

、 則 ち 龍 宮 自 ず か ら 開 き、 梵 志   香 を 求 む れ ば

注注

、 則 ち 海 潮 仍 り て 落 つ。 波

の 壇 越

注注

は、 紺 髪 を 図 き て 天 に 昇 り、須達の長 者

注注

は、黄金を布きて地に満たしむ。卅二 相

注注

、妙質を 伝 え て 窮 り 無 く、 八 斛 四 升

注注

、 全 身 を 散 じ て 滅 び ず。 漢 皇 の 宵 の 夢

注注

、 正 教 を 山 東 に 啓 き、 呉 宮 の 夜 の 明 り

注注

、 斜 心 を 江 左 に 悟 ら し む。 〈第三段〉 (

15

行「皇帝」〜

  皇帝 璧を沈めて図を握 り

32

行「家[寂]滅」 )

注注

、珠を懐きて暦を受 く

注注

。幽房   月を貫 き

注注

、 華 渚   星 落 つ

注注

。 平 陽

注注

に 都 し て 禅 り を 受 け、 玄 扈

注注

に 坐 し て 図 を

ひら

く。 長 嬴 の 炎 景

注注

に、 稀 葛 を 服 し て 百 王 を 継 ぎ

注注

、 月 紀 の 玄 英

注注

に、鹿裘を 衣

て万国を朝せし む

注注

。蓬莱の羽 客

注注

は、神仙を棄てて戻 止

注注

し、渭浜の隠 士

注注

は、垂釣を捨てて来 王

注注

す。玉盤・銀甕の祥、赤 獣・ 白 禽 の 瑞

注注

の 如 き に 至 る。 双 苗・ 三 脊

注注

、 以 て 至 孝 の 徴 を 表 わ し、 神 雀・ 霊 鳥、 乃 ち 大〔 太 〕 平 の 兆 に 応 ず。 丹 穴 の 両 鳳

注注

、 夜   華山の桐に宿り、河漢の双 龍

注注

、朝に葛陂の水に遊ぶ。接礼慈愛の 文あり、叡徳戢兵の 武

注注

あり。上を安んじ民を治むるの礼あり、風 を移し俗を 易

うるの楽あり。若しくは乃ち金縄玉 字

注注

の書あり、石 架銀函の 部

注注

あり。黄封万巻の言あり、青首五車の 冊

注注

あり。月を占 い星を司るの術あり、風を 観

  気を候うの儀あり。臂〔贄〕に中

(5)

て柱を 礙

へだつ

るの 精

注注

あり。猨を驚かし雁を落とすの 巧

注注

あり。情に縁り て は 則 ち 飛 雲 玉 髄

注注

の ご と く、 紙 に 落 つ れ ば 則 ち 垂 露 銀 鉤

注注

の ご と し。白石・紫 芝

注注

、 懸

はる

かに薬姓を諳んじ、四童九 転

注注

、遥かに方名を 識る。壺に投ずれば則ち仙女   咲

みを含 み

注注

、碁を弾じては則ち玉 女   河を度る。唯れ聖   唯れ神、多才にして多芸と謂うべし。上 林の秋 蒐

注注

、書けども尽くる莫く、睢陽の竹 簡

注注

、載すれども窮まら ず。復た迹を有為に 住

とど

むと雖も、而も心を遣 相

注注

に存す。五 家

注注

に達 す る も 已 む こ と 非 ず、 三 相

注注

を 識 る も 停 ま る 莫 し。 群 迷 を 汲 亥

注注

し、 釈典を紹隆す。豈に止だに之を仁寿に駆るのみならんや、方に且 に諸を家〔寂〕 滅

注注

に帰せしめんとす。 〈第四段〉 (

32

行「乃 逮 」〜

52

行「宝刹」 )   乃ち斯の 刹

注注

に 逮

およ

ぶ、厥の名は天 会

注注

なりき。其の寺は蓋し昔   某 官姓名の興す所なり。其の日に 揆

はか

り方に面 し

注注

、基を崇くし宇を架 くるを観る。外は王舎より諠すしきも、内は祇園よりも〖 閑

注注

〗か な り。 但 だ   春 灰 の 数

しば

しば

動 き、 秋 火 の 屢 々 移 る

注注

を 以 て、 台 毀 た れ 花 萎 れ、 蓋 彫 み 香 滅 ぶ。 蕭 々 た る 虚 牖 は、 或 は 相 如 の 台

注注

に 似、 寂々たる疎扉は、 乍

たちま

ち揚子の 宅

注注

に同じ。乃ち旧所に於い て

注注

、経始 し荘厳す。荊山春嶺の 珍

注注

、合浦朱堤の 宝

注注

、並びて随 喜

注注

に充て、尽 く 行 檀

注注

に 用 う。 埴

はに

を 転 ず る 陶 人 あ り、 斤 を 揮 う 好 匠 あ り。 椒 の 泥   桂の柱、彩れる壁   梅えがける梁ならざる莫し。綺井に荷 舒

び、雕楹に藻を散ら す

注注

。三 処

注注

  紅蓮の殿、五 時

注注

  白鶴の官〔宮〕 。 月は瑠璃に映じ、春風を帯びて堕ちず。雲は 馬

のう

に連なり、秋雨 に 似 て 将 に 垂 れ ん と す。 摩 竭 国

注注

中、 翻 っ て 浄 土 に 慙 じ、 毘 耶 城

注注

裏、伽藍を愧ずるに到る。天楽   恒に調せられ、周瑜の顧り み

注注

を 待たず。空香   自ずから吐き、荀彧の 衣

注注

を労する無し。桂影は淵 に 澄 み、 即 ち 是 れ 河 に 沈 む の 璧 の ご と く、 楡〖 莢

注注

〗 は 水 に 落 ち、 然り〖而〗うして渭に投ぜらるるの錢のごとし。吉士は詵 々

注注

とし て、乳 糜

注注

を捧げて競って入り、名僧は濟々として、応 器

注注

を抱きて 帰 る を 知 る。 是 に 知 る   縁 覚

注注

争 っ て 飛 び、 終

つい

に 世 界 に 留 ま る を、 声 聞

注注

  響きを聴き、遂に他方に至るを。法雨纔かに 沾

うるお

して、枯苗 即ち潤い、慧灯暫く照らして、暗空方に明らかなり。五縛を離車 に現 じ

注注

、双魔を道樹に伏 す

注注

。 鴿

はと

は威に憑りて影に向か い

注注

、大いに 法 を 楽 し ん で 階 を 昇 る。 寺 主   比 丘 某 甲 は、 僧 徒 の 英 儁 に し て、 法侶の高明なり。心に慳貪を伏し、身に忍 辱

注注

を行う。若し夫れ酒 泉の開 士

注注

は、唯だ禅友を学ぶのみ。鉅鹿の沙 門

注注注

は、止だ経論に通 ずるのみ。未だ雕龕を守護し、宝刹を堅持すること有らず。 〈第五段〉 (

53

行「皇帝」〜

皇 帝

62

行「断見」 )

注注注

  万機の務めを輟し、四海の尊きを隆くし、輦もて花園に詣 り、輿もて香苑を廻る。六龍   厳そかに設けられ、四校   広く陳 な る。 豹 尾 を 属 車 に 懸 け、 霊 鳥 を 大 史 に 望 ま し む。 鹿 盧 の 剣 は、

(6)

本   龍 文 を 帯 び、 宛 転 の 弓 は、 旧

もと

  蛇 影 に 合 す。 是 に 於 い て 天 人

注注注

を 頂 戴 し、 正 遍

注注注

に 帰 依 す。 然 る 後 に 宝 座 に 登 り、 金 机 を 撫 し、 名 教

注注注

を潜め、大乗を闡す。法 勝

注注注

の毘日雲〔 曇

注注注

〕は、義   廃疾に均 し く、 呵 梨 の 成 実

注注注

は、 事

  〖 金 〗 膏

注注注

に 等 し。 広 く 涅 槃 を 説 け ば、 迦 葉

注注注

  起 ち て 問 い、 高 く 般 若 を 談 ず れ ば、 善 吉

注注注

  先 ん じ て 知 る。 有為をして無為に 住

とど

めしめ、執相を滅して忘相を存せし む

注注注

。石鉱 を貢金に練り、醍醐を乳酪より変 ず

注注注

。法華の窮 子

注注注

は、始めて慈顔 に悟り、火宅の童 児

注注注

は、方に離苦を知る。提 舎

注注注

をして其の頭を燃 や す

注注注

を恥じしめ、納 衣

注注注

をして其の断 見

注注注

を慙じしむるに足る。 〈第六段〉 (

62

行「 爾其 」〜

爾 し て 其 の 処 た る や、 国 は 四 塞

しかところ 71

  行「 銘曰 」)

注注注

と 称 し、 地 は 一 金 と 曰 う。 一 鳥   朝 に 翔 り、 周 王   鉞 を 杖 つ く。 五 星   夜 に 聚 い

注注注

、 漢 帝   兵 を 治 む。緑蔓の蒲陶は、斜めに別館に懸かり、青苗の目蓿は、遥かに 離宮に映ず。都尉   船を誠〔 試

注注注

〕みて、獨り昆明の水有り。将軍   陳を置きて、唯だ細柳の 営

注注注

を餘す。南のかた上林を望みては、仙 童

注注注

の来たること晩きを想い、西のかた靑 綺

注注注

を 瞻

ては、召子の 苽

注注注

の 甜 き を 思 う。 正 し く 旗 亭 に 対 し て は、 則 ち 五 層 迢 遰 た り。 傍 ら 峻 堞

注注注

に 臨 み て は、 則 ち 百 雉

注注注

逶 迤 た り。 勝 葉

注注注

を し て 恒 に 伝 え し め、 福 田

注注注

をして永えに播かしめんと欲す。而れども霊光の 殿

注注注

は、古字   存し難く、羽陵の 山

注注注

は、新書   蠹

むしく

い易し。唯だ当に一刊の玄 碣

注注注

の み、万古   常に観るべし。豈に襄陽の水中をして、獨り鎮南の 頌

注注注

を有らしめ、燕然の山上をして、唯だ車騎の 碑

注注注

を勒せしむるのみ ならんや。希有に舞踏し、乃ち銘を為りて曰う。 〈銘文〉 (

73

行「百非」〜

  百 非 妙 を 体 し

85

行「尽空」 )

注注注

、 万 徳   神 を 凝 ら す。 空 は 相 に 因

り て 顕 ら か に

注注注

、 理 は 言 に 寄 り て 申

ぶ。 機 に 赴 く を 応 と 曰 ひ

注注注

、 寂 に 反 る を 真 と 称 す。 法 身   豈 に 滅 び ん や、 世 眼   時 に 淪

しず

む の み。 倶 に 苦 海 に 迷 い、 熟

く 良 津 を 暁 ら ん。 』 我 が 皇   宇 を 御 し、 茲 の 文 武

注注注

を 超 ゆ。 迹を俗塵に染め、心を浄土に標す。道牙   広く潤い、勝幢   高く 豎

つ。 静 か に 有 空

注注注

を 監 み、 縁 り て 愛 取

注注注

を 思 う。 』 是 れ を 人 王 と 曰 ひ、 兼 ね て 法 王

注注注

と 称 す。 惟 れ 天   祉 を 隆 く し、 〖 惟 〗 れ 地   祥 を 呈す。苗は三穂を垂れ、蓮は両房を開く。 鄷

に赤雀あり、殿庭 に 白 狼 あ り。 璧 は 朝 影 を 連 ね、 蓂

めい

は 夜 光 を 瞻 る

注注注

。』 儒 童   髪 を 剪 り、難提   露を承く。水は洛〔珞〕池に浄らかに、花は宝樹に然 ゆ。 偈 は 多 羅

注注注

を 説 き、 経 は 妬

注注注

あや

に す。 』 甘 泉

注注注

  北 に 接

つらな

り、 細 柳   南に隣りす。河橋に鉄鎖あり、灞岸に銅 人

注注注

あり。雲は宝蓋を 低れ、花は車輪より大いなり。天晴れ   霧解け、景落ち   霞新た な り。 』 糸 縷   共 に 纏 い、 灯 光   相 い 続 く。 水 は 珠 泉 に 激 し、 沙 は 銀 粟 を 流 す。 幔 に は 黄 金 を〖 飾

注注注

〗 り、 床 に は 青 玉 を 雕 む。 』 鳳 皇の閣、芙蓉の宮。雕欒   婉転たり、鏤檻   玲籠たり。窓は 疎

とお

(7)

て 電 を 受 け、 檐 は 迥

はる

か に し て 風 を 来 た す

注注注

。 瀾 は 葉 の 紫 な る を 生 じ、蓮は花の紅なるを吐く。園成りて樹は満ち、渠開きて水は通 ず。禅は永く定まり智 炬

注注注

は方に 融

とお

らん、道は果を成じ果累なりて 空を 尽

きわ

め ん

注注注

。』

《現代語訳》

〈第一段〉 そもそも(宇宙開闢のはじめには)九重にかさなった円天井のご とき天では、陽の気が太陽を中空にかがやかせ、四本の柱を持つ 四角い乗りもののごとき大地においては、凝集した陰の気が万物 を載せるようになった。やがて龍首と称される君主(黄帝)があ らわれて暦を九つの星を見てととのえ、蛇身といわれる天子(伏 犧氏)があらわれて易の爻を六つの位置に定めた。こうして人々 は 知 っ た の で あ る。 ( 目 に 見 え る も の は も ち ろ ん ) 目 に 見 え な い 鬼神さえも形を逃れ(て見えないままでい)ることはできず、天 地 万 物 の 実 情 は 完 全 に 明 ら か に な っ た、 と。 ( し か し、 そ の よ う にみごとな中国の暦法や易占も)どうして仏教の真如の絶対的静 寂が、千尺のものさしによってもはかることができず、世界の真 実の相を示す奥ふかい(仏の)言葉が、世俗の音声によって証明 することができないのに比較できようか(いや比較することなど で き な い ほ ど 仏 教 の 真 理 の 方 が 深 遠 な の だ )。 一 本 の 毛 先 の 一 滴 の 水 の 中 に 全 て の 海 水 が 含 ま れ て い る( と い う 仏 法 の ) 真 理 は、 普通の算術の原理などくらべることさえできない。一つの塵の中 に須弥山が 折

ちきられ入れられるとする(仏法の)真理は、物の 量 を は か る 通 常 の 方 法 な ど か ら は ま す ま す 遠 く 離 れ て い る。 ( 普 通の認識では、仏法の超越的真理をおしはかることはできないの だ。 ) 〈第二段〉 昔(インドにおいて)五百人の僧侶たちは、ともに舎衛城に来た り、一万人の信徒たちは、ともに迦陵国を訪れて、仏陀の説法を 聞こうとした。かくして彼らは鹿野園に安居する仏陀、鶏園精舎 に法を説く仏陀を見ることができた。そのときの仏陀のすがたは 満面ひかりかがやき、体全体に喜びの笑みをたたえていたのだっ た。 (しかし)月のごとき仏陀が黄金の棺に沈み(亡くなり) 、仏 陀を荼毘に付した香りよい炭が灰となってから、沙羅双樹の林の 花は色を変えて散ってしまい、四頭立ての馬車が風を切って走る ように時はたちまち過ぎ去った。もし仏陀のまどかな光のような 姿 を 描 き 写 さ な け れ ば、 ( 後 代 の 人 々 は ) 仏 の 姿 を お し は か り 敬 おうとしてもその思いを寄せるよすがが無く、仏の四角い墳墓に 樹木が植えられなければ、どうして(仏の遺骨を)かばい守るこ

(8)

とをしてさし上げられようか。そのようなわけでかの商人が宝を 取ろうとしたとき、龍宮は自然に開いて宝を出し、かのバラモン が 香 料 を さ が し 求 め た と き、 海 の 潮 が 引 い た の だ。 ( こ の よ う に 求 法 の 意 志 に よ っ て 優 れ た 教 え が 残 さ れ た の だ。 ) 波

のく

王 は 施 主となって、紺琉瑠色の頭髪の仏陀を描かせるために画工を天に 昇らせ、 須

だつ

長者は祇園精舎を仏陀に寄進して、黄金を地面に敷 き つ め た の だ っ た。 ( 人 々 が 強 い 意 志 を 持 っ て 仏 像 を 制 作 し 寺 院 を建立したために)仏陀の三十二種の相貌は、その優れた内面を 永遠に伝えられるようになり、釈迦が八斛四升の粳米を無限に増 やして大衆に与えたという奇跡の如く、仏陀の舎利(遺骨)は全 身の骨を各地に散らしたにもかかわらず(塔に安置されて)滅び なかったのだ。かくして後漢の明帝は夜の夢に仏を見て、仏の正 しい教えを山東(華山の東)の地に開くこととなり、三国呉の宮 殿に仏舎利が降って夜を明るく照らしたために、 邪

よこしま

な心の人々 をも江南の地において悟らせたのだった。 〈第三段〉 ( さ て わ が 北 周 の ) 皇 帝 は 璧 を 黄 河 に 沈 め 河 図 を 手 に と り、 珠 玉 を懐き宝暦を受け(全天下をしろしめすという天命を受け)た方 である。母后は奥深い房室で星が月を貫くという様を見て皇帝を お生みになった。皇帝陛下はかの堯帝のごとく平陽の地に都を定 めて先帝よりの禅りを受け、黄帝のごとく玄扈の地に坐して河図 を 開 き 即 位 さ れ た の で あ っ た。 夏 の 炎 の よ う な 日 射 し の と き に は、葛布の薄いかたびらをまとい百代の聖王を継承して政治には げみ、冬の玄黒の気のみちるころには、鹿の皮ごろもを着て万国 の王侯たちを朝参させるのである。東海の蓬莱山に住んでいた仙 人 も、 神 仙 た る こ と を 棄 て て 君 前 に 至 り、 渭 水 の ほ と り で 魚 を 釣 っ て い た 隠 者 も、 釣 り 竿 を 捨 て て 君 王 の も と に 馳 せ 参 じ て い る。 ( か く し て ) 玉 盤 や 銀 甕 が 現 れ る 瑞 祥、 赤 獣 や 白 禽 が 現 れ る 瑞 祥 の 類 さ え も 度 々 起 き る に 至 っ た。 穀 物 の 苗 が 二 す じ と な り 茅

ちがや

は 三 す じ と な っ て、 天 子 が 至 孝 で あ る 徴 を 表 わ し、 神 雀 や 霊 鳥があらわれて、太平の兆に応じたのである。丹穴の二羽の鳳凰 は、夜に華山の桐にやどり、天の川の二匹の龍は、朝には葛陂の 水 に 遊 び、 瑞 祥 を 地 上 に も た ら し て い る。 ( 皇 帝 に は ) 人 を も て なす礼と人をいつくしむ文の力があり、英知の徳と武器を蔵にお さめて用いない(真の)武の才がある。上の人々を安んじ民衆を 治 め る 礼 を 持 ち、 人 々 の 風 俗 を 良 き も の に 変 え る 音 楽 の 能 力 を 持っておられる。さらには(皇帝のもとには)金糸でつづった木 簡に玉で字を記した祭祀の書があり、石で作った書架の上に銀の 箱におさめた仏典がある。黄色の封紙の万巻の儒書があり、青紙

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に標題を記した五台の車に積むほどの諸家の書がある。 (皇帝は) 月によって占い星の運行を見る術、風を見て気をうかがう方法を 身 に つ け て い る。 ( 弓 射 に お い て は ) 獲 物 の 鳥 を 射 あ て 柱 を へ だ てて獲物を射る精確さ、猿を驚かせ雁を射落とす巧みな力を持っ ている。情によりそう文学を作れば飛ぶ雲のように気高く玉の精 髄のようにきよらかであるし、紙に文字をしるせば露が降りたよ う に 鮮 や か で 銀 の 鉤 の よ う に き り り と う る わ し い。 ( 仙 人 の 食 す る)白い石や紫の霊芝など、はるかに(遠い仙界の)薬の名を覚 えているし、四人の仙童が九回煉成して金丹を煉るという、その 仙方をも知っている。投壺のあそびをすれば仙女がそれを見て笑 みを浮かべるし、弾碁のあそびをすれば玉女が天の河を渡って見 に 来 る ほ ど の 腕 前。 ( 皇 帝 は ま こ と に ) 聖 人 に し て 神 の ご と き 人 で あ り、 多 才 に し て 多 芸 の 人 と い う べ き で あ る。 ( 皇 帝 の ) 上 林 苑 の 秋 の 蒐

かり

の あ り さ ま は、 書 い て も 書 き つ く せ ぬ ほ ど の 盛 大 さ、 睢陽の(梁孝王の)庭園のごとき宮園のさまは、竹簡に記しても 記しきれないほどの雄大さである。さらにまた(皇帝は)その姿 かたちをはかない有為の人の世にとどめていながら、心を現象を 超 越 し た 遣 相 の 世 界 に 置 い て い る。 『 春 秋 』 の 五 家 の 学 問 に 達 し ているがそこに止まることなく、この世のはかなさを示す 三

さん

相を知っているがそこに停まることなくつとめ励んでいる。そし てもろもろの迷える人々を救いあげ、釈教の聖典をさかんにおこ したのである。どうしてただ単に民衆を(儒教の理想である)仁 寿 に 進 ま せ る だ け で あ ろ う か( い や そ れ だ け で は な い )。 ま さ に この民衆を(仏教の理想である)悟りの世界へと帰入させようと しているのだ。 〈第四段〉 かくして(皇帝は)この寺(道会寺)にお出ましになった。この 寺の名はかつて天会寺と言った。この寺はむかし何がしの官職の 何がしという人が創建したものである。その(境内の)ありさま を 見 る と 太 陽 に よ っ て 方 位 を 定 め、 基 礎 を 高 く か た め 屋 根 を か け て い る の が 見 て と れ る。 ( 寺 の ) 外 は か の 王 舎 城 よ り も か ま び す し い が、 そ の な か は 祇 園 精 舎 よ り も 静 か で あ る。 ( そ の よ う に りっぱな寺であったが)たびたびの春を送り、しばしば秋の季節 が移った(年月が経った)ために、台はこわれ花はしおれ、屋根 はいたみ香りもほろんで(荒れはてて)しまったのだ。ものさび し い う つ ろ な 窓 は、 あ た か も 漢 の 司 馬 相 如( が 貧 窮 を き わ め て い た と き ) の 家 の よ う で あ り、 ひ っ そ り と し て 破 れ た 扉 は、 た ち ま ち の う ち に 漢 の 楊 雄( が 貧 し さ に 甘 ん じ て い た 頃 ) の 家 宅 と 同 じ あ り さ ま に な っ て い た。 そ こ で( 皇 帝 は ) こ の 旧 境 内 に お い て、 ( 新 た な 建 物 を ) 創 建 し( 古 い 建 物 を ) 美 し く 飾 り 整 え

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た。荊山や春嶺から取れる宝玉も、合浦や朱提に産する珠玉や銀 も、すべてを喜捨にあて、ことごとく布施に用いたのである。こ うして(寺を修理・荘厳するために)陶人たちは土をこね、大工 たちは斧をふるった。山椒をまぜた泥の土壁、桂樹の柱、色とり どりの壁の上塗り、梅を描いた梁とすべてが華麗であった。美し い格天井には蓮が描かれ、雕刻をほどこした柱には鮮やかな模様 が広がる。釈迦が説法をしたインドの三つの精舎のような紅蓮の 咲 き ほ こ る 殿 舎、 釈 迦 が 五 段 階 に 分 け て 説 法 を し た 白 鶴 の よ う な( 白 い ) 沙 羅 双 樹 の 花 咲 く 宮 殿。 ( そ の 境 内 の 中 に ) 月 は 瑠 璃 に照りはえ、春風に吹かれても落ちることなく輝きつづける。雲 は 瑪 瑙 の 飾 り と 連 な っ て、 秋 雨 が 今 ま さ に 降 り そ め る か の よ う。 ( た く さ ん の 精 舎 を 誇 っ た ) マ ガ ダ 国 の 人 々 も、 か え っ て こ の 浄 土( の よ う な 道 会 寺 ) に 慙 じ い り、 ( 巨 大 な 寺 々 を 誇 っ た ) バ イ シ ャ ー リ ー 城 の 人 々 も、 ( 道 会 寺 の 荘 厳 な 殿 宇 を 見 て ) 自 ら の 伽 藍を愧じるようになってしまうだろう。天上の音楽はいつも奏で ら れ て い て、 ( 曲 に 誤 り が あ れ ば 必 ず ふ り か え っ た と い う ) 周 瑜 に ふ り か え ら れ る こ と も な い( そ れ ほ ど み ご と に 演 奏 さ れ て い る )。 あ た り に み ち る( 空 の 教 え を 暗 示 す る ) 香 は 自 然 に 湧 き お こ り、 ( い つ も 香 を た き し め て い た と い う ) 荀 彧 の 衣 を わ ず ら わ す必要もない。桂の葉の影は淵に清らかにうつり、黄河の中に沈 んだ璧玉のよう、楡のさやは水中に落ち、渭水に投げ入れられた 錢のよう。良き在家の信徒たちはむつまじくより集い、供物の乳 糜( 乳 で 作 っ た か ゆ ) を さ さ げ て 競 い あ う よ う に や っ て く る し、 すぐれた僧侶たちはおごそかに整然と、托鉢の器を抱いて帰って く る。 か く し て( 人 々 が こ の 寺 に 集 う さ ま を 見 て ) 知 る の で あ る   縁覚の人々は争って飛び交っても、ついにはこの世界に留ま ることを。また声聞の人々は(この寺で説法の)響きを聴いて悟 り、各地へと(それを伝えるために)散って行くことを。真理の 雨がわずかに地面をぬらすだけで、枯れていた苗はただちにうる おい(そのように廃仏の苦しみに迷い沈んでいた人々は救われ) 、 知恵の灯がほんのしばらくこの世を照らしただけで、暗黒の空は 今 ま さ に 明 る く な っ た の で あ る。 ( 仏 は ) 五 つ の 呪 縛 の ご と き 迷 妄をリッチャビーの人々に現し(そのように廃仏の迷妄を中国に 現 し )、 そ し て 二 人 の 悪 魔 を 道 の 側 の 菩 提 樹 の も と で 降 伏 さ せ た ( そ の よ う に 今 や 廃 仏 の 妄 動 を 解 決 し た ) の だ っ た。 か く し て 鴿 にたとうべき民衆は(仏の)威力をたよって仏影に向かって参拝 し、おおいに仏法を楽しんで(道会寺の)階を昇るのである。こ の寺の主僧   何がしという名の比丘は、僧徒のなかのずばぬけた 英才で、法の友たる僧侶のなかの高い明識の持ち主である。彼は 心の中ではむさぼりを断ち、体においてはいかなるはずかしめを

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も忍ぶ忍耐を実行してきた。そもそもかの酒泉の開士(菩薩)と 呼ばれた鳩摩羅什は、ただ瞑想による悟りを学んでいただけであ り、鉅鹿の沙門と呼ばれた道生は、ただ経論に通じていただけで あった。彼らは石窟を守り、寺院を堅く維持するという(道会寺 寺主比丘其甲のような)努力をしたことはなかったのである。 〈第五段〉

  皇帝陛下は   万機を統べる務めを一時やめ、四海のうちに比べ よ う の な い 尊 い 身 を 隆 く し( 降 し )、 輦

てぐるま

に て 花 園 に い た り、 輿

こし

にて香り豊かな苑をめぐられた。六頭だての馬車は厳かにしたて られ、四所の近衛の衛士は堂々とつらなり従った。従う車には豹 の尾のかざりをかけ、大史には霊鳥の出現を望見させた。鹿轤の 形の玉飾りをつけた剣は、もとより龍のもようをつけ、なだらか な 曲 線 を 描 く 弓 は、 も と よ り 蛇 の 形 影 に 合 致 し て い る。 ( 従 う 将 兵の武装はこのように厳然としている。 )かくして(皇帝陛下は) 人と神との師といわれる仏陀に敬礼し、 正

せい

へん

(正しくあまねく 悟った人)と呼ばれる仏陀に帰依したてまつる。その後に宝座に 登 り、 黄 金 の ひ じ か け に よ り、 名 教( 儒 教 ) の 教 え を 奥 に ひ そ め、 大 乗 の 教 え を 明 ら か に さ れ る。 法 勝 の 説 い た 阿 毘 曇 の 説 は、 その内容は疾病にひとしいような(拙劣な)ものであり、対して 阿梨師の説く『成実論』は、その内容は(疾病をいやす)膏薬の よ う に 優 れ た も の で あ る( こ と を 皇 帝 は 明 ら か に し た )。 ( 皇 帝 が)広大な涅槃の説を説けば、魔訶迦葉のごとき高僧が立って質 問をし、高遠な般若を論すれば、善吉のごとき尊者が真っ先に理 解 す る の で あ っ た。 ( ま た ) 生 じ て は 滅 ん で ゆ く 有 為 の 世 界 を 絶 対 の 真 理 で あ る 無 為 に と ど め さ せ、 ( 外 面 的 な 現 象 た る ) 相 に 執 着 す る 衆 生 に 相 を 忘 れ る 心 を 持 た せ る の で あ っ た。 ( 皇 帝 の 教 説 は)掘り出した鉱石を貢物の黄金に練りあげ、牛乳を精製した牛 酪を(窮極まで精製した)醍醐へと変えるものである。 『法華経』 に 見 え る 長 者 の 窮 子 は、 ( 父 を 捨 て て 放 浪 し た が ) 父 の 死 の 間 際 にその慈愛にはじめて気づいたというし、火のついた家に住んで いた童児は、まさに苦を離れる道を知ったという(そのように廃 仏で苦しんでいた人々は今やその苦しみから救われたのだ) 。(皇 帝の説教は)提舎(舎利弗)のような僧たちに頭髪を燃やすとい う自傷の行いを恥じさせ、納衣(ぼろ布をつづりあわせた衣)を つけた僧たちにも来世が無いなどという誤った見方をしたことを 恥 じ さ せ る に 足 る も の だ っ た。 ( 廃 仏 に よ っ て 自 傷 や 絶 望 に 沈 ん でいた僧たちに希望をあたえるものだった。 ) 〈第六段〉   さてその(道会寺のある)所はと言えば、国としては四方が堅 く 防 が れ、 土 地 と し て は 一 つ の 金 城 と 称 さ れ る 関 中 の 地 で あ る。

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一羽の鳥が朝空に飛ぶとき、周の武王が鉞を杖ついて殷を伐ち王 者となった地である。五つの惑星が一方に集まったとき、漢の高 祖 が 出 陣 し て 天 子 と な っ た 地 で あ る。 ( こ の 地 で は ) 緑 の ツ ル の ブ ド ウ は、 斜 め に 天 子 の 別 宮 に か か り、 青 い 苗 の ク ロ ー バ ー は、 は る か に 天 子 の 離 宮 に 映 え て い る。 ( 漢 の 武 帝 の と き ) 主 爵 都 尉 楊僕が(楼船将軍となって西南夷を征伐するため)ここで船戦さ の訓練をしたが、今はただ(その訓練をした)昆明池だけが残さ れ て い る。 ( 漢 の 文 帝 の と き ) 将 軍 た ち が( こ の 地 で 匈 奴 に そ な えて)陣を置いたが、今はただ(周亜父の陣であった)細柳の陣 営の遺跡だけが残っている。南のかた上林苑の方角を望めば、仙 界の童子が来ることの遅さを想起し、西のかた青綺門のあたりを は る か に 見 れ ば、 秦 の 将 軍 だ っ た 召 平 の ウ リ の 甘 か っ た こ と が 思 い お こ さ れ る。 ( こ の 寺 は ) 正 し く 旗 亭 に 対 し て、 五 層 の 塔 が 高 々 と そ び え て い る。 そ ば 近 く け わ し い 都 城 の ひ め 垣 に 臨 ん で、 百 雉 の 城 壁 が は る ば る と 連 な っ て い る。 ( こ の 寺 は ) す ぐ れ た 時 代(のありさま)を恒久に伝え、福徳をもたらす田地たる布施行 を永遠に行わせようとするものである。しかし(漢代の)魯の霊 光 殿( の 賦 ) は( い か に も 優 れ て い る が )、 古 い 文 字 は 残 る こ と が 難 し く、 ( 周 代 の ) 穆 天 子 が 羽 陵 の 山 で 記 し た 書 は、 新 し い 書 であったがすぐにたやすく虫くうのである。ただただ一たび黒い 石に(文章を)刻んでこそ、永遠にいつまでも見ることができる のだ。どうして襄陽の水の中に、鎮南の頌をとどめ、燕然の山の 上 に、 車 騎 の 碑 を 刻 む だ け で あ ろ う か( い や、 こ の「 道 会 寺 碑 文 」 も 石 に 刻 ん で 永 遠 に 残 す の で あ る )。 こ の( 皇 帝 が 道 会 寺 を 訪れたという)稀有なるできごとに舞い踊る思いで、ついに銘を 次のように作る。 〈銘文〉 全ての悪は   仏の妙なる真理を体現しており、あらゆる徳は   霊 妙な精神に凝集する。世界が 空

くう

であることは物の相によって明ら かとなり、真理は言葉によって伸び広がる。人々の心のさまざま な機(きっかけ)に向かうのを応(応化)といい、涅槃に反るこ と を 真( 真 如 ) と 称 す る。 仏 の 本 体 た る 真 理 は ど う し て 滅 ん だ り し よ う か、 ( そ の よ う に 見 え る の は ) 世 間 の 人 々 の 目 が た ま た ま闇に沈んだためなのだ。もろともに苦しみの海の中に迷うてこ そ、よくよく(彼岸への)良き渡し場を知ることができるのだ。 』 我が皇帝は天の下をしらしめしてからというもの、この(地上を 治 め た 周 の ) 文 王・ 武 王 を 超 越 し て お ら れ る。 ( 天 子 は ) そ の 存 在の跡を俗世間の塵に染め、その心を浄土の中に高く現しておら れる。人の道を示す牙旗は広く(はためいて)輝き、仏の勝義を 示す幢は高く屹立している。静かに有と空について考えをめぐら

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し、それにより衆生の愛欲の煩悩に思いをめぐらしておられる。 』 このような天子をこそ人王(人間の王)といい、兼ねて法王(仏 法の王)と称するのである。天は 祉

さいわい

を高く重ね、地は祥を呈上 している。稲の苗は(一本の茎から)三本の穂が垂れるという瑞 兆を表わし、蓮は二つの房を開くという吉祥を現している。鄷宮 の戸口には赤雀が現れ、宮殿の庭には白狼が現れる(という瑞祥 が見られた) 。璧は朝の日の影を連ね、 蓂

めいきょう

莢 は夜の月の光をあお ぎ見る(というめでたさである) 。』 ( 今 や こ こ 道 会 寺 で は ) 儒 童 の ご と き 青 年 も 髪 を 切 っ て 仏 道 に 入 り、煩悩に苦しんでいたナンダ(釈尊の異母弟)のごとき若者も ( 釈 迦 の 教 え と い う ) 甘 露 を 承 け て 悟 り を 開 い て い る。 水 は 瓔 珞 ( 宝 玉 の 飾 り ) を め ぐ ら し た か の よ う な 池 の 中 に 満 ち、 花 は 宝 玉 のような樹林の中に燃えるように咲いている。 (道会寺にひびく) 偈の声は梵語の経典の義を説き明かし、読経の声は梵文の経文を 美しい(漢語の)響きにしている。 』 ( 遠 く 道 会 寺 の 外 を 眺 め れ ば ) 漢 の 甘 泉 宮 が 北 に 連 な り、 細 柳 営 が南に隣りあっている。河橋は鉄の鎖で岸につながれ、灞水の岸 辺には銅で鋳られた人の像が立つ。 (近く道会寺の中を眺めれば) 雲は宝蓋のように仏殿の上に垂れ、華は車輪よりも大きく咲きほ こっている。天は晴れわたり   霧は解け消え、夕日は沈み   夕映 えが鮮やかに輝く。 』 ( 夜 と も な れ ば ) 飾 り 糸 は ま と い あ い、 灯 の 光 は ど こ ま で も つ づ く。水は珠のごとき泉に激しく散り、沙は銀の粟つぶとなって流 れる。幔幕には黄金が飾られ、床には青い玉が雕刻されている。 』 鳳 皇 の住 ま う 閣 、 芙 蓉 の 咲 き ほ こ る 宮 居 。 雕 刻 され た ひ じ き は な だ ら か に 伸 び 、 ほ り も の を さ れ た お ば し ま は 美 し く 輝 く 。 か ら り と 遠 く を 見 わ た せ る 窓 は 遠 い 電 を 受 け 、 の き は 遠 く つ づ い て は る か 彼 方 か ら 風 が 吹 い て 来 る 。 さ ざ な み は ( 浮 き 草 の ) 紫 の 葉 を 生 み 、 蓮 は 紅 の 花 を 開 い て い る 。 庭 園 は 成 り 樹 木 は 満 ち 、 水 路 は 開 き 水 は 流 れ 行 く 。 禅 の 瞑 想 に よ っ て 永 え に 心 身 は 定 ま り   智 慧 の 炬 は 今 ま さ に あ ま ね く ゆ き わ た ら ん と し て い る 。 道 の 修 業 は 果 報 を 結 び   そ の 果 報 を 積 み 重 ね て 空

くう

の 真 理 を き わ め る で あ ろ う 。』

《注釈》

注 れる通り、陽を象徴する。下文の「康陽」は、すこやかな陽の気。 るのが古代以来の中国の考え方だった。「九」はまた、『易』に示さ あるのは、小野の指摘通り、「圓(円)蓋」の誤。「天円地方」とす 天は九層のドーム状の形と考えられていた。本文「圖(図)蓋」と  1 九成円蓋九重にかさなった円天井。天を指す。「九成」は、九層。

 2 四柱方輿四本の柱の四角い乗り物。大地を指す。「四」は、六とと

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もに『易』等で陰を象徴する。注

注 れる。  3 君称龍首君主が龍のような顔であること。黄帝は龍顔だったとさ

注 野に従い「治」に改めた。 つの星の神。またその星。「治」は、本文「泣」となっているが、小  4 治暦於九宮暦を九つの星を基準としてととのえる。「九宮」は、九

注 れる。  5 帝曰蛇身帝王が蛇の体であること。伏犧は、人首蛇身だったとさ

注 じめ万物の未来が予言できるとされた。 の組み合わせができ、それによって天地の原理が分かり、人間をは を示す記号。それを下から上へ六段(六位)に並べると六十四通り  6 亥爻於六位陰陽の爻を六つの位置に具備させる。「爻」は、陰と陽

注 さずにいられなくなったこと。 『易』の爻ができたことにより、目に見えないはずの鬼神さえ姿を現  7 鬼神無所逃形鬼神も姿を見せないことはできなくなった。暦や

注 の主意を誤認することになると考えられる。 文脈。小野は「豈」を「丁度」と解するが、それではこの文章全体 か(いや仏教には遠く及ばない)」と仏教の超絶的な位置を強調する めた上でそれを否定し、「どうして(仏教の世界観に)比較できよう  8 豈反語。ここまで述べた儒教的・伝統的世界観の深遠さを一旦認

注  真如寂絶仏教の真理の絶対的な静寂。「真如」は、事物を支える真理。

10 実相冥言世界の真相を示す奥深い仏の言葉。

の中に全ての海水が含まれているとする認識。六十巻本『華厳経』 11 毛滴海水一本の毛先に全ての海水をしたたらせる。一滴のしずく 注 との世界観につながる。 経』の「一即是多、多即是一」(一は即ち是れ多、多は即ち是れ一) 海の水、能く一毛滴を以て尽くさしむ)とあるのにもとづく。『華厳 菩薩十住品に、「十方一切大海水、能以一毛滴令尽」(十方一切の大

注 る。 一毛端」(金剛囲山は数無量なれど、尽く能く一毛端に安置す)とあ 山。六十巻本『華厳経』菩薩十住品に、「金剛囲山数無量、尽能安置 は、断ち切る。「須弥」は、世界の中心にそびえる巨大なシュメール 12  塵折須弥一つの塵の中に巨大な須弥山を断ち切って入れる。「折」

13  舎衛之城北インド、コーサラ国の首都だったシラーヴァスティー。

注 きに集まった無数の人々を象徴していう。 14 十千天子一万の天神。「天子」は、天神の意だが、釈迦の説法を聞

15 迦陵之国南インド、カリンガ国。

注 じめて説法をした(初転法輪)地。 16 鹿苑鹿野苑。北インド、ベナレス北東のサールナート。釈迦がは

17 安居雨季の三ヶ月間、僧侶が一か所に集住して修行すること。

18 鶏園鶏園精舎。北インド、マガダ国のパータリプトラにあった寺。

1注 金棺黄金の棺。釈迦の遺骸を収めたとされる。

20 香炭釈迦を火葬するために用いた香木の炭。

21  双林沙羅樹の林。釈迦入滅のとき、沙羅双樹の花が白く変った。

注 は、小野に従い「圖(円)光」に改める。 22 円光釈迦の、まどかな光の如き姿。本文「圖(図)光」とあるの

23 度敬仏の姿をおしはかり敬う。忖度し敬仰すること。

24 方墳四角い墓。実際の釈迦の墓の形状ということではなく、「円

(15)

光」の対。注

25 栖庇住みかばう。墳墓に小屋掛けをして住み、墓を守ること。

注 示した。 海に出て宝を求めることが仏法を求めることに通じるという教えを 知る)といい、「知一切龍宮殿」(一切の龍宮殿を知る)ともいい、大 師は、「我知一切宝洲、一切実相」(我は一切の宝洲と、一切の実相を は、海岸で、十万人の商人や無数の人々に法を説いていた。自在海 善財童子は求法の旅を続け、楼閣城の自在海師を訪ねた。自在海師 六十巻本『華厳経』入法界品(巻五十一)に次のような部分がある。 し「則龍宮自開」までを含めて適合する出典とは必ずしもいい難い。 経』には、商人が海におもむいて宝をとる話がある」とある。しか 26 商人採宝商人が宝を求め(て海に出)る。小野注には、「『雑譬喩

注 悩を除く「智慧妙香」等を求めることを善財童子に勧める。 て不可壊と名づけ、大海より生ず)等と様々な香の功徳を示し、煩 切の諸香を知る)と述べ、「復有香名不可壊、従大海生」(復た香有り に、甘露味国の青蓮華香長者が、「我能善知一切諸香」(我能く善く一 長者を指す場合もある。六十巻本『華厳経』入法界品(巻五十一) 度の最上位の僧侶階級)の別称。但し、婆羅門は、修行者や尊貴な 27 梵志求香婆羅門が香を求める。「梵志」は婆羅門(インドの四姓制

注 像を作ったという。『法顕伝』舎衛国条等に記事がある。 国の舎衛城主。釈迦が天上に赴いたとき、画工を天上に遣してその 28  波斯壇越施主である波斯匿王。波斯匿王は、北インド・コーサラ

人。ジェータ太子の苑林に黄金をしきつめて買い取ったとされる。 2注 須達長者釈迦に祇園精舎を寄進した長者。コーサラ国の舎衛城の 注

30 卅二相三十二相。仏の三十二種の瑞相。

注 喩えた。 迦の遺骨(舎利)は、分骨されるたびに増えたとされるが、それに 四升を、釈迦が神通力によって増やし、会衆全てに与えた奇跡。釈 31 八斛四升釈迦の涅槃に際し、供養としてたてまつられた粳米八斛

注 をつかわし西域から洛陽の白馬寺に仏教を迎えさせた故事。 32 漢皇宵夢後漢の明帝(在位五七―七五年)が金人を夢に見て、人

注 いう故事。 位二二二―二五二年)のために仏舎利を降し仏寺の建立に至ったと 33 呉宮夜明西域僧の康僧会が三国呉の都建康に来着、呉主孫権(在

注 に「堯帝の故事」とのみ説明している。 四代宣帝)の即位のありさまを描いている。この部分を小野は、単 34 皇帝沈璧握図帝堯の事跡をふまえて、北周皇帝(具体的には、第

注 でも北周皇帝の即位をいっている。 こと」とするのは、堯帝の事跡を述べていると解したため。あくま ること。小野注、「こよみを正して、民に日次、季節、農耕を教える 35 受暦宝暦(皇帝としての在位年数)を受ける。皇帝として即位す

注 紀』) 応して女樞が顓頊を生み、顓頊は後に帝位についた故事。(『帝王世 屋。「貫月」は、星が月を貫いて虹のように見えたとき、それに感 が、後に皇帝となる子を妊娠する吉瑞。「幽房」は、奥深い婦人の部 36 幽房貫月奥深い部屋で、星が月を貫く(ありさまを見る)。母后

37 華渚落星華渚に星が(虹のように尾を引いて)落ちる。(注

同じく貴子を妊娠する吉瑞。『宋書』符瑞志上に、帝少昊の母が、 36)と

(16)

「見星如虹、下流華渚」(星の虹の如くにして、下のかた華渚に流るるを見)て少昊を生んだ、とある。「華渚」は、伝説上の地名。小野はこの二句に注して、「しずかな奥深い部屋に月がさしこみ、美しい水ぎわには星がきらめく。政務につとめて深夜におよぶ形容であろう」とするが、この間を堯帝の事跡と見たための誤りか。注

注 るが、帝堯の事跡と重ね合わせるための修辞。 38 平陽山西省臨汾県。堯が都を置いたところ。北周の都は長安であ

注 れる。 3注 玄扈天子の居所。陝西省の山名で、黄帝が図録を授かった所とさ

注 混乱させるか。 小野注に「暗に火徳を継承する夏王朝をさす」というのは、文脈を 釈天に、「春為発生、夏為長贏」(春を発生と為し、夏を長贏と為す)。 40  長贏炎景夏の炎のような日射し。「長贏」は、夏の別名。『爾雅』

注 に政務に励むさま。「百王」は、百代の聖王。 41 服絺葛而継百王薄いかたびらを着て、百代の聖王を継承する。夏

注 のは、妥当ではない。 義。ここでは晦日をいうか」とし、やはり堯帝のエピソードとする 名。『爾雅』釈天、「冬為玄英」(冬を玄英と為す)。小野注、「純黒の 冬には「月窮于紀」(月は紀に極まる)とある。「玄英」は、冬の別 42 月紀玄英厳冬の季節。「月紀」は、極西の地。『礼記』月令に、季

43 衣鹿裘而朝万国鹿の皮ごろもを着て万国の王侯の参内を受ける。

44 蓬莱羽客東方海中の蓬莱山に住む仙人。

読している。「戻」は、もどるではなく、いたる意。 45 戻止いたる。ここに小野は注を付していないが、「戻り止り」と訓 注

注 ような人。 46 渭浜隠士渭水のほとりに(釣りをしていた)隠者。太公望呂尚の

注 「王」をこの文章全体の主体にしてしまっている。 語としたために、「施主たる北周某王」という文脈上に存在しない でなければならない。それだけでなく、小野は「王」を次の文の主 いる。しかしここは、前文の「戻止」に対応しているので、「来王」 つ「王」に注して、「ここには施主たる北周の某王をいう。」として り、「渭浜の隠士は垂釣を捨てて来たる。王の至るや…」とし、且 47 来王王者のもとに馳せ参じる。小野は、「来」までで前文を区切

48  玉盤銀甕之祥・赤獣白禽之瑞吉事に先だって現れる瑞祥。

注 る。 之禾六穂、江淮之茅三脊」(北里の禾は六穂、江淮の茅は三脊)とあ り)。さらに趙王の文学の師である庾信の「羽調曲」其四に、「北里 『史記』封禅書に、(江淮之間、一茅にして三脊、所以に藉と為すな 草で、一年に三回花が咲いて実る」と注するが、「三脊」で正しい。 「字画明らかでないが、しばらく三秀に擬す。三秀は芝草または霊 の穂が出る茅。吉瑞とされた。小野は「三脊」を「三秀」と改め、 4注 双苗三脊一本の茎から二本の苗が生える穀物、一本の茎から三本

注 「丹穴更巣梧」(丹穴更に梧に巣くう)。 「穴」字を補う。「丹穴」は、丹砂を出す穴。庾信「宮調曲」其三、 50 丹穴両鳳丹穴に棲む二羽の鳳凰。「丹」字の下に、小野に従い

北にあり、後漢が黄巾の賊を破ったところ。…龍変のあるところとい 漢」は、天の川。小野は下句の「葛陂」に注して、「河南省新蔡県の 51 河漢双龍小野注に「黄河と漢水にひそむ二頭の竜」とあるが、「河

(17)

う」と述べるが、費長房の故事によるだろう。後漢の費長房が杖に乗って葛陂に飛来し、杖を乗り捨てたところ龍に変じたという故事。庾信「竹杖賦」に、「送游龍於葛陂」(游龍を葛陂に送る)。注

が存在しないことは(注 下、某王の徳行と教養をたたえての形容である」とするが、「某王」 力を用いないことが最高の「武」であるとする考え方。小野は、「以 52 叡徳戢兵之武すぐれた徳と、兵器を収めて用いない武の才力。武

注 についてのべているのである。 47)参照。あくまでも北周の「皇帝」(宣帝)

注 庾信「羽調曲」其三、「可以金縄探策」(金縄を以て策を探るべし)。 53 金縄玉字之書黄金のひもで結んだ木簡に玉で文字を記した書物。

注  (銀函東に度る)という。 庾信「陜州弘農郡五張寺経蔵碑」に仏典の中国伝来を、「銀函東度」 54 石架銀函之部石の書架に銀の箱に納められた書籍。仏典をいう。

注 雖も、博士の名を取らず)。 公神道碑」、「雖復五車竹簡、不取博士之名」(復た五車の竹簡ありと の書物。ここでは主に諸家の書物をいう。庾信「周車騎大将軍賀婁 55 青首五車之冊青紙に標題が記された、五台の車に積むほどの大量

注 とも類例未詳。仮に右のように解した。 は、雉なり)。「礙」は、さえぎる、へだてる。但し、「中贄」「礙柱」 え。『儀礼』士冠礼に、「尊摯」(摯を尊ぶ)、その注に、「摯雉也」(摯 は、恐らく「贄」または「摯」の誤写であろう。「贄」「摯」は、に だてた的を射あてるという(弓矢の)精確さ。原文「臂」とあるの 56 中臂〔贄〕礙柱之精にえ(となる雉や雁)に矢を命中させ柱をへ

57 驚猨落鴈之巧猿を驚かせ雁を射落とす(弓の)巧みさ。小野注に 注 とし猿を吟ぜしむ)。この他にも庾信には同様の表現が三例ある。 王憲神道碑」、「養由百発、落雁吟猿」(養由百たび発すれば、雁を落 「狩猟の巧妙の形容であるが典拠未詳」とあるが、庾信「周上柱国斉

58縁情則飛雲玉髄

注 流になった考え方。 的な「詩言志」(詩は志を言う)という文学観対して、六朝時代に主   「縁情」は、(詩は)情に縁う(て表現する)。伝統

5注落紙則垂露銀鉤

注 鉤永固」(銀鉤永えに固し)。 は、すぐれた筆画の文字。庾信「陜州弘農郡五張寺経蔵碑」に、「銀 の例は、庾信が趙王その人に送った文章であることに注意。「銀鉤」 示新詩啓」に、「筆非秋而垂露」(筆は秋に非ずして露を垂る)。こ をいう。「垂露」は、つゆが垂れる(ように美しい)。庾信「謝趙王   「落紙」は、(墨が)紙に落ちる。文字を書くこと

60白石・紫芝

注 う。下句の「薬姓」は、薬の名。   「仙薬として用いられる鉱物や植物」とする小野注に従

注 法の名。 61  四童九転四人の仙童が仙薬を九回もねりあげる。下句「方名」、仙

62投壺則仙女含咲

注 は、盤上に白黒の石を置き、あて合う遊び。 「仙女」は、下句の「玉女」と同じく、仙界の女性。下句「弾碁」   「投壺」は、壺の中に矢を投げ入れて競う遊び。

注 ある。なお合田は「蒐」を「菟」と翻字しているが「蒐」で良い。 は書を蒐めて尽くるなく」と訓読しているが、上林苑は狩猟の場で の広大な苑林。「秋蒐」は、秋の狩猟。小野は本文を下に続けて「秋 63  上林秋蒐上林苑の秋の狩。「上林」は、長安郊外にあった秦漢以来

64 睢陽竹簡睢陽の(梁孝王の)広大な庭園のことを記した竹簡。「睢

参照

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