穀物論争の背景
|一八一五年穀物條例を中心として|
池
田
一
浩
︵一︶
英國における羊毛工業の磯之は牧畜のための園込を促進し︑所謂
第一次薄畳運動となって顯現した課であるが︑當時政樺粗鉱のチュ
ードル王朝は﹁國王の所得にも︑國王の兵力にも等しく不利釜﹂①
な理由で之に干渉を加え阻止しようとした︒猫立自螢農民擁護のた
めに他ならない︒
然るに市民革命後議會重商主義は一六六〇年毛織物工業保護のた
めにその原料たる羊毛の輸出禁止政策をとり︑爾來その政策は漸く
優良な外國産羊毛輸入促進のため外國産羊毛に罫.する高峯關税引下
げを有利とする段階に到達した頃︵一八二四年︶その代償として國
産羊毛の輸出解禁に同意して羊毛生産者U牧畜業者U地主階級の長
年に亘る悲願に酬いた︒即ち國内工業嚢展のため原料生産としての
牧畜業U農業は犠牲に供せられた繹である︒
他方食糧生産のための農業は一六八九年の輸入制限・輸出奨働金
制度に裏づけられて保護された︒然しここで保護された農業は最早
﹁椹密院の猫立の勢力の失墜﹂②した後では猫立自螢農ではなくて
大農に傾斜していた︒ かくて羊毛に不利に︑耕作に有利な政策に支えられて十八世紀前
事を通じて豊富・安慣な穀物生産國となり得た英図も︑後牛産業革
命の進展に俘い穀物自給の困難に逢着し︑穀物戸扉も輸入奨学に轄
撫したが︵一七七三年︶︑ブラγスとの長年の職宰の終末と︑商工 立國化への傾斜とはここに工業のための穀物の國内自給の慶止︑外國産穀物の自由輸入をめぐって農業と工業との封立抗争を産み幾多の三雲が行われた事は有名であるが︑我汝はリカアドウ経濟學が
﹁この穀物の輸入制限乃至は地代の騰落の是非に寄する現實の問題
の討議が︑その議論を裏づける理論の一段の精緻を要請し︑これが
實業家として多忙な生活を逡りつつあったりカアドウをして経濟學
の研究に精進せしめる機縁﹂③となったことを思うとき︑一八一五
年の﹁一論﹂④から一八一七年の﹁原理﹂⑤更に一八ニ翌年の﹁農
業保護論﹂⑥の個展を辿るための準備として︑ 議論の中心点とな
る一八一五年條例を取上げてその成立過程と影響とを︑ 主として
じσョ昌⑦ω⑦に依嘱しつつ進めて行ぎたい︒
︵二︶
産業革命の進行による都市入口の増大ぱ︑知内消費を増加させ自
給が困難となったので一七七三年⑧外壕穀物を以て補うよう穀法の
改正を見たが︑それは二十年も経たない申に失敗した︒即ち九十年
代の打導く凶作による不足と︑當時の輸途舶舶が小さかったために
所期の目的を果さなかった繹である︒そこで外事産穀物輸入を困難
にする九一年の改正を行ったが︑職時体制に入って自給の強化につとめ特に一八〇四年の穀物法はその性格を強く示した︒しかしこれ
らの一七九一年法一八〇四年法は共に實際に作用しなくとも︑職時
イγフレと大陸封鎖と度汝訪れる凶作の爲に穀慣高となって農業階
O の
穀物論争の背景︵池田︶
穀物論争の背景︵池田︶
級に有利に展開した︒我汝はその問の事情を垂込の急増の中に看る
事が出懸る⑨︒野曝農業資本家は低賃銀支梯をスピーナムラγド法
に支援されつつ利潤を確實なものにし縢製する地代の支梯に充てた
が︑救貧税の負澹は農村の階暦分化を促進し︑ただでさえ繊維工業
の機械化が農村の家内工業を塵堅していた折とて自螢農民の雲壌に
拍車をかけた⑩︒地主は﹁國家の幅耐を進める最良の手段﹂⑪とし
て共有地の圃込につとめ︑ひたすらに地代の増加に狂奔した︒
︵三︶
ところでこのような好況な農業の状勢下にありながら一八一三年
三月アイルラγドの地主は更にその利釜を確實なものにすべく輸出
の自由を求めて穀物貿易の委員會を組織した︒.ハーネルωぐ類①昌民望
勺9層昌O一一委員長の報告によれば輸入制限に關しては禁止的關税二四
志三二を一〇五志2片以下のとき課し︑一三五志二片倉のとき第二
段の二黒誤射を︑一三五志二片以上のとき6片の名目關税を課そう
とした︒彼によればこれは何等農業者や地主本位の爲に提案するb
のではなく︑安定で適正な慣格で穀作の嚢展を確保し︑以て消費者
の不安を除去し引いては外信産穀物輸入の半期から離家を保護せん
とする愛学的提案たる事を主張した︒然も勘定商工業者は神璽金︑
猫占︑保護關親の諸制度の利釜を蒙っているので資本が農業から移
動している歌況にあるから︑彼等にして自己の利釜を放掬して完全
な自由貿易制度を採用するならば自分達地主にしてもその輸入制限
強化の主張を撤回するのに︑少しもちゅうちょするものではないと
いう︒ 他方輸出の自由に心してはかくして耕作の重大が促進されるとし
て輸出制限と奨裏金制度の塵止を主張した︒
彼は更に語をついで自分の提案にして採用されんか英國とアイル ラγドの地主と農業者は高便で國内市場を猫占する事になろうし︑穀償の攣動によって苦しんでいる農村と都市の螢働者は共に安定にして適正な慣.格が保障されて生活が確保されるであろうし︑穀便高が賃銀や生産費に及ぼす悪影響をおそれている製造業者に封しては彼等の最良の顧客たる農業階級の繁榮を輕減させないでおいて穀便低落の利釜を確信させた︒何故ならば彼は當時の耕地櫨張と新農法の探用は牧穫を蓬増せしめるであろうことを確信していたから︒この提案に封しては輸出自由は五百年の傳統に反するとか︑強固な農業擁護論者からすらもこの高穀贋の時代にパンも買えない多藪の螢働者が居る申で安里.なる穀贋のあらゆる希望がこの提案で永久になくなって了うとゴウーたる非難を受けるだろう等と批判された︒ ところが︑この法案のロ呉の理由はアイルランド地・惑溺が職ハ孚で外國産穀物の輸入が杜絶しているので︑イγグラγドへ供給する事で の十分利釜をうける事がわかつでいたけれども︑更に植民地への輸 ω出が自由になれば飢饒償格で英國市場を確保する事にもなるので︑更にもうけを確かなものにするに相違ないと信じたからに他ならない︒ 然しこの法案は禽期末の事由で⁝撤回されたが︑當時の歌勢は別に英國の地主階級をしてかかる高度の保護を必要としないように見えた︒翌年五月穀法改正の議事が再開された時は事態は前年と可成り相違していた︒一八一三年六月卒均で小萎慣格は一一七志一〇片だつた︒それが一八一四年四月には七五志八片に暴落した︒ 一八一三年の大豊隠然も四牛世紀も幽いた職宰にも亭和のきざしが見え始め外國産穀物輸入の期待も大きかっただけに地主の驚きも一入だつた︒近年農業者達は莫大な利潤をあげていた︒そこで高報償がいつまでも績くものだと當にして︑彼等は資本の莫大な量を改題に投下し︑多くの場合穀慣に比例した地代で小作期間を更新していた︒そ
の期間申地主と農業者達は彼等の生活水準を引上げていた@︒從っ
て彼等としては穀憤の低落を傍観する諜にはいかなかった︒然もス
マート︵ω目無#︶もいっているように當時﹁外國からの早立を認め
る議論もヨーロツ.ハの三大國が我汝の密接な同盟國であり︑測る
見せかけの愚弄にも拘らす我汝の最大の敵ーフラγスーが平和の主
要な破壊者たる事をやめ︑長い鍛鋼國の厚遇をうけて居られた聖王
を認めたので︑今やその勢力を失っていた﹂⑬時だけに穀法改正を
彼等に有利に合理化する事は可成困難な状況にあった︒北部やスコ
ツトラγドの新興都市から早くも穀法改正反封.の請.願書が績汝提出
された︒ところが五月パーネルは改正案を提出した︒それによれば
穀物と粉の輸出は何等輸出視の母上もなく且奨働金の支出もなく何
時でも許可する︒且穀物と粉に關する現行一八〇四年の輸入關税は
外國小萎の酵母⁝が八四志以下︑八四−八七志︑八七志以上に鷹じて二
四志3片︑二志6片︑6片の無税を支彿うべきだというのである︒
改正案の輸出の自由に些して 殉Oω①は﹁一二八志の便益で世界
のどの部分に輸出出來るだろうか︑唯一の例外の輸出は℃①昌巳亭
ω=冨の我軍隊に封.するものでそれ以外はどこにも輸出されていな
い﹂とその虚鶴と矛盾をついて反暑し︑穀物の完全な自由貿易の理
想は﹁生産者・消費者にとって共に有害であるから︑農業者にとっ
ては公正な地代を支梯い合理的利潤を確保するだo︐の慣格を保護し
消費者にとってはその保護慣格を超えない慣.格で容易に供給出來る
保護貿易の原則によって輸入同様輸出も規制されるべきだ﹂と結論
づけ輸出自由の新提案に反封.した︒パーネルは同案を弁護して請う︑
第一に職雫・によって創り出された人金的な農業の歌態は︑工業製
品の輸出代贋︑を︑諸外國をしで穀物で支梯はせるという自由貿易政
策から流入する外野産穀物に英國農業は堪え得ない︒ 第二に十分な供給を外弁から獲得出湿るという議論に博しては︑
穀物論争の背景︵池田︶ たといこの事が眞實だとしても長期に亘って考察すれば返って高贋になる︒ 第三に自由貿易による無制限の輸入は地主階級の購買力を減少せしめ最良の得意先を自ら喪うことになるだろう︒ 第四に本法案によって穀物は高くなり︑それは工業螢働者の賃銀を引上げて外玉人に封.する英國製造工業品の優越性をなく曝せると︐いう議論に封.しては︑容易にその然らざるゆえんを論早出昇る︒即ち一歩を譲って制限政策が穀慣をあげるにしても賃銀は穀慣の騰貴に随俘するものではない︒たとい窮極に於て賃銀が穀物便格によって決定される事は眞理であるとしでも英國の製造工業品の優越性は低賃銀でぱなくて︑技術・機械・資本の優秀性にあるのだから外國で安躍りさせられるような事はない︒ 結論して日う﹁我汝が高地代・高穀慣を求めるのは外ならぬ曲豆富と低革嚢を望んでいるからなのだ︒若しも何等の保護も農業者に與えられないならば耕作は直ちに停止されでそれに引用いて繋るものは高贋造と稀少であろう︒高地代と高穀贋こそ豊富と低廉とをもたらしうるものである︒即ち生産者の利釜は消費者の利釜を保護し促進するものである事が理解して貰えるであろう︒我慢にとって何か他人に貢献しようとすれば電設のように聞えようが︑保証され難い誤論を實行ずる事であり︑かつて自分達が押し進めで來た議論や事實がちっとも正しくないという事を實行ずる事である﹂と︒ 出qω置ωωoづはパーネルの提案は英國の生産者に副直市場の猫占を與える傾向があるとして反封し︑二四志3片の禁止早見は六三志の点で一八〇四年法を継喫すべぎであり位格が一志騰貴する毎に關税を一志引下げるべぎだと反封提案した︒ ところが≦㎡簿︒民昌ば﹁我汝は名巻革命の法律の政策へ戻るべきである︒我汝は名僧革命の法律が鼓吹したあの信念を農業者に與
D
ω
穀物論争の背景︵池田︶
えるべきである︒かくて再び外國依存を放棄すべきである﹂として
原案に反窪した彼ぱ氣候の攣化が穀物量を不確かにした事を認め
る︒然し︑彼によればヒ.の攣動を最小限に減ぜさせる唯一の方途は
實際の必要量以上に需要を創造する事であるとし︑この事は輸出奨
働金制度と︑擾大された國内消費量によって一暦効果があると信じ
た︒彼は外國穀物の輸入奨諭⁝から永久の利釜が生するという考え方
と︑外穀に依存する事によって政治的猫立を危瞼にする事に憎して
警告を愛して結論とした︒
パーネルはハスキツソγ案に同意したが︑容易に議論はまとまら
ないで五月になった︒その聞賛成請願一三〇反封︑請願一七〇が出さ
れ議倉も反樹請.願に老慮を携う事を賢明として愼重審議に入る事に
なった︒然しこの時穀物の自由輸出は殆んど大した反樹もなく六月
に通過した︒
一960びの如きぱ一八一四年の論孚のパレプレツトには著るしい量
質の差があるし︑反謝請願書は多県議會に提出され.たが︑ピ鋤=◎o〒
α巴︒卿oQ冒国・℃鋤筥︒一一℃寓5霜︒馨⑦﹃昌等が穀物條例に聾する
問題で大衆に演果したけれども︑之等の見解に反封ずる意見は定期
刊行物での若干の匿名の著者以外には全然現われなかったのば嘆わしい事だ︒そこで我汝が肚會がよくなるために必要だとして努力し
て示して來たかかる提案に溶してどんな反響提案がなされうるかと
いう事を推量する事はむつかしいと嘆いている︒バーンズもいくら
か重要性をもつた反封.ハγプレツトば三つにすぎなかりたようだと
いっている︒その中の一はパーネル宛の匿名の書簡であるが︑その
筆者は委員會のフラー腰を痛烈に非難した後で︑穀物の自由貿易
を求める大謄な議論を展開している︒
匿名の扁筆者は穀物の自由貿易を構讃する場合︑心から委員會が
怖れると伺じ惨謄たるものが結果として直ちに表れる事を認める︒ 曰く﹁我國の市場は供給過剰になるかもしれない︒我國の農業者は貧乏になるだろう︒我國の貧弱な土地は耕作されるのを止めるだろう︒そして農業に投資された資本は何かもつと有利な使用を求めるだろう︒然しこの慣格ですらきっと新注丈に十分引合うだろう︒亘大な地代と高賃銀がなくなれば耕作者は繁忙期に入るだろう︒かくてもはや製造業者は高賃銀と高關税のハγデイキヤツプがなくなるので貿易は急速に増加するだろう︒たとい貿易が同じ歌態にあったとしても製造業は多欺の人欧の問に振げられ︑澤山の富をうるであろうQ要するに悲喜の繁榮は自由貿易によつて永久であろう︒何故ならば内部から何等の攣化の興しはないし︑外部から破壊的騒動を生造う何等の原因もないのだから﹂と︒ 以上の議會の動ぎを概括するが如く︾昌昌¢亀口ooqδ審﹃ の一筆者はのべている︒ の ﹁第一に︑輸出を止め輸入を許可する点を求める議決の最初の場 ω面で固定された極めて高い標準は提案者側では確かに最近藪年間起つた穀贋を維持するという徴候を示した︒ 第二に︑下院の大多数が緩和された決議にひいきしだのは公亭に見て提案された方法が公衆のためになるという信念以外の他の原因に謁せしめる事は出來ない︒ 第三に現存の法律の攣更に墨画.する多籔の請.願書は︑明白に彼等の生活資料と結びついた場合︑大衆の聞に容易に騒動が刺激⁝され.易いと老えられる時に事件の理非曲直を制断ずる何等の物差をも與える事は出雲ない︒ 要するにこの問題は健全にして公亭な政策問題としてまだ得心の行く迄議論し蓋されたという事は出來ない﹂と︒ かくて一八一五︑二︑一七︑再び議會がこの問題を取上げた時は可薫りこの軍国は議論されていた︒
即ち上院の委員會は一八一四年の會期中に提出された請願書を調
査してこれを四項目に匪別出來るとし︑以下のようにまとめた︒
一︑蓮合王國が實際に白星産の適切な穀物供給を引上げさせた手
段︒ 二︑大陸からの穀物供給を確保する蓋然性︒
三︑自由輸入がいつも許されるならば英國の農業者が迎撃を作り
うる慣格︒
四︑毅物が工業並びに農業勢働者に及ぼす影響︒
然し委員會ほこの項目の下でなく︑外國産と國内産穀物の量と慣
値の比較に饗する陸墨︑蓮合王國の農業状態︑賃銀と穀慣の結びつ
ぎ︑製造業者の利潤︑小萎と粉を海で輸差する事の比較的な利釜等
を調査した︒そのために穀物商︑農業者︑地主︑製造業者等が証言
しているが︑しかしこの調査では︑この問題は更に調査する必要が
あるという以外に何等の結論も引出していない︒
処が下院の委員會は一八一四︑七︑二六の報告書で極めて重大な
結論に到達した︒即ち
一︑連合王國農業の最近の撰大と改良︒
二︑地代を含んだ最近の耕作費︒
三︑生産者を補償するに必要な慣格︒
第一点に關して報告書な耕作に投下された附加資本と沼地︑共有
地︑荒蕪地の開墾と園込との明白な証擦を積み重ねた︒ 第二点に關しては卒均して一般の耕作費と金納地代は共に過去二
十年間に倍加した︒同時に地主の総牧入の割前は%から%i%に減
少したように見える︒ 第三点に亡しては費用は土壌・市場・占有者の技術と勤勉の相
違︑違った地方のみならす同じ地方でも違った農場に種汝影響を與
える多くの他の條件で異るからここで一義的に決定する事は困難で
穀物論争の背景︵池田︶ あるとした︒ 委員會は測量者・土地代理人・農業者・穀物輸入商等三六人の証人の証言を参考にし以上の点を考慮して一クオター八○志が適當な報酬を與える最低便格であろうという結論に到達した︒そこで委員會は二つの勧告を提出した︒ 第一に︑外葦戸穀物の輸入は︑渇望の生産者を保護し且彼等が近年なしたような耕作を横大する事を可能にするため︑便格が一定贋格に蓬する迄は禁止すべき事︑小鮒の場合この固定古格は八○志である︒ 第二に︑英國で不作が起つた場合︑飢饒の危瞼を回避するため保税倉庫制度を利用して地方に外國塵穀物用の倉庫をつくり︑必要な場合に直ちに供給を確保する事Q 確かに第二の渤告は現行制度の改革は全國地主階級の利釜のため のであるという第一勧告によって與えられる印象を相殺するための試 ωみとしてなされたという事が出下る︒ これらの報告書に賛否の多籔のパγプレツトをつけ加えて一八一五年の早汝議會へ提出した︒ 賛成側に廻る入々には﹈≦巴筈q9ωb①昌Oρ臼餌OOぴ℃ωびO浦圃色辞出.ω目一昏等が目立っているQ反封側の代表的人物には園一〇契α9↓O罎O昌90・U・閏¢ヨρ幻OぴON叶白昌ωO暮景がある︒・我六は簡輩・に双方の代表者を撰んで議論の方向を知る事にしよう︒
︵四︶
賛成者側としてのマルサスは﹁考察﹂⑭に於て﹁均衡のとれた﹂
パγプレツトを製表したが︑﹁根上﹂⑮に出て﹁考察﹂黒表後の附
加的事實によつて保護論者に韓早した事を明かにする︒その附加的
事實とは⑯
穀物論争の背景︵池田︶
第一に﹁今年の経駿と共に現在の穀慣の影響に蓋して議會に提出
された証擦
第二に塗替の改善された⁝状態と地金贋格の下落︒
第三にそして主要なものであるが︑フラγスで最近通過した穀物
輸出に越する現行法である︒﹂
穀贋の急速な下落から惹起している互額の損失と一八一四年の凶作とは最早農業階級の困窮を疑う余地はない︒即ち﹁制限制度によ
って取り除かれうる直接の弊害は決して些細なものでない﹂⑰とい
う事實は明白である︒
麟八一四年の通貨の不安.定な状態はその竹工永久的な制度を得策としなかった︒然し今やこの不確さは存在しなくなった︒外國穀物
に依存しえない最重要な理由は全く一クオター四九志以上になれば
小笹の輸出禁止をやるフラツスの現行法である︒ブラγスは最大最
良の穀産國で英國はフラγスに主要な輸入を確保すべく期待しなけ
ればならない︒しかし一八一四年の結果は結論的に以下のような事
がはっきりした︒即ちバルチツク海の穀物は英國の不作の場合忌避
市場を低落せしめないけれども︑フランスのそれは補償慣格以下に
引下げる事が直筆る⑲︒
彼は次に外國産穀物を輸入する事によって杜愈の各階級が蒙る影
響を取上げて曰く︑
農業螢働者は穀贋の低落が農業者をして借地契約を申止させた時
失業する事になる︒
都市の螢働者は低賃銀と穀憤攣動に苦しむだろう︒
農業者は一八一三年以來経験して來たように苦しむだろう︒
大多数の商工業階級は地主や農業者等の萎縮した購買力の影響を
感ずるだろう︒
三聖な輸入によって眞に利釜を受ける唯一の階級は投資家と︑そ の購買力が著るしく増加した固定した給料で生活している人と︑外國貿易に從事している人汝である︒ 彼ばそこで次のような記述をして︑彼のパγプレツトを結論づけた︒ ﹁私はヨーロッパの現状及我國現在の實際の事情の下に於ては︑我國自身の亭均的な穀物供給の自足を達成することが最も賢明なる我国の政策であると確信している︒而してかくする事によつて私はこの国が人口︑力︑富︑及幸幅の大なる賊塁綾的の艶聞のために豊富な資源を有するものである事が首肯されると思うのである﹂⑲と︒ 他方リカアドウは﹁一論﹂に於てマルサスに答えつつ︑完全な穀物の自由貿易は全体としての英國にとってだけでなく︑地主以外の各階級にも亦有利であるという立場に立つた︒曰く ﹁立法府にして若し穀物貿易に關して直ちに断乎たる政策を採用するならば一筆の政策にして永綾的なる自由貿易を許し︑贋格の如何なる攣動に際しても輸入の制限・奨働を交互に行う揺ぎ事がないならば︑然る時は我國は恒常的なる輸入國たる事は蓋し疑いなぎところであろう︒我國は土壌の今度に封比して富と人口とが諸隣國に封して優っている結果當然そうなるのである﹂⑳と︒ ・ 彼は戦宰や凶作の場合その國からの穀物輸出を禁止するであろうから安い穀物を求めで外國穀物に依存する事は危瞼であるという反封意見が生れる事を充分承知していた︒即ち彼によればこの時徊等の穀物も外國で確保されないのでばなくて英國で外殻穀物に封ずる着實な需要がありさえずればもっと澤山の穀物が大陸で生産され船積する事に利釜を感ずるようになるであろう︒一二で乃至蓮合してすらこうした運邊を干渉する危陰を犯さないだろう︒又如何なる國民と雄もこうした干渉に屈服しようとはしないだろう︒
亦彼は無制限の輸入ぱ農業に資本を投下した人に不公準であると
ω の
主張するマルサス一派に封しても決定的に反封した︒彼は指摘して
曰く﹁旧式機械の所有者はアークライトの紡績機械やワットの蒸氣
野壷が完成したとぎ同様に損失を受︑けた﹂⑳と︒
彼が喜んで直増した事は過渡期における一時的保護であった︒何
故なら﹁農業者は地主との現存の貨幣契約の下に於ては︑穀物の低
廉な慣格に由臥するところの貨幣の新二値から疑いもなく損失を蒙
るであろう︒此の損失に野.して﹁は︑彼等は現存の小作契約の間は保
護されている事が望ましいであろう﹂⑳から︐三年乃至四年聞の制
限關税があれば農業者も過渡期に適斗出飾るよづにな︑るので︑その
後は國内産に課せられない税は輸入穀物にも賦課すべきでないとし
ている︒ 彼ば穀物の輸入が肚會の諸階級に及ぼす影響に署してマルサスと
根本的に封立した︒マルサスは資本所有者・年金受領者・貿易商人
以外全部損害を受けると信じていたのに︑リカアドウは地主だけが
苦しむだろうと主張した◎彼は地主階級という特殊の階級のための
考慮はこの國の富と人口の進歩を阻害する旨をのべ︑遺憾の意を表
現して彼の.ハγプレツトを閉じた︒曰く
﹁若しも地主の利釜にして吾汝が低廉な贋.格で穀物を輸入する事
から生する総ての利釜を拗棄すべく吾汝をして決断せしむるに充分
な程の重要性を有するならば︑それは物言汝をして農業や農具にお
けるすべての改良を︐も拒絶せしむる様な影響を持たねばならぬ︒蓋
し穀物が低廉となり地代が下落し〜地主の租視距佛︑能力が少くとも
暫時は害はれるというに於ては︑斯くの如き諸改良に依るも穀物の
輸入に依るも何れも同様である事は確實であるからである︒されば
首尾一貫せんがためには同一の法令によって改良を阻止し且輸入を
阻止し︑且輸出を禁止しようではないか﹂⑳と︒
穀物論争の背景︵池田︶ ︵五︶
懸案の穀法改正問題は委員會の報告書︑賛否双方の明確化された︒ハγプレツト︑それに一八一四年頃牧穫訴求−一八一四年は寒い冬
と牧穫期の多雨の爲小褒は害虫とかびで質量共に劣った不作であ
ったが︑昨年來の繰越と八十萬クオ迅雲の輸入は穀慣を落勢へ導い
た!とは解決の方向を與えたという事が出填る︒即ち下院は一八一
五・二・一七︑委員會の勧告に基いて作成された決議案の紹介で再
開された︒これらの九の決議案の大要は次の通りである︒
第﹂︑外国産穀物・及び粉はいつでも無税で輸入されて︑倉庫に入れる事
が出来る︒
第二︑穀物も粍もいつも無税で.輸出出来る︒
第三︑輸入許可の固定価格に達するとどんな種類でも倉庫から取出して英
帝国内で売却出来るQ
第四︑ この価格は小麦に対しては八○志︑ライ麦・豆類五五志︑大麦・ビ
ール麦二六志とするQ
第五︑ 二月十五日Y五月十五日︑八月十五日︑十一月十五日以前の六週間
の平均価格を下廻るならば︑新平均売口がつくられる迄田伽Φ唖河から
09︒8昌昌︒河までの間輸入は禁ずる︒
第六︑北米植民地からの穀物もそれに比例して低める︒
第七︑植民地からの穀物は無税で倉庫に入れることが出来る︒
底入︑植民地産穀物はいつでも無税で輸出できる︒
第九︑植民地からの穀物が消費を許可された時は売却してよい︒
しかしこの決議に縛しては堂汝たる反動.演詮が以下の線に沿うて
なされた︒
一︑たとい如何に旨く事實が議論されたとしてもその目的は地主
の利釜のために穀倉を引上げる事︒ 一︑外國産穀物を排撃すれば︑ヨー官ツパの諸國の生産を減少さ
せ︑英國にとって不作の場含供給を確保する事を不可能にする︒
ω の
穀物論争の背景︵池田︶
一︑製造業に及ぼす影響は賃銀を引上げ且︑生産的方面から非生
産的方面へ資本を人爲的に移動させる事によって著るしい損害を及
ぼす︒ 一︑下院に提出された請.願書は明かに人民の大多激が現在の穀物
法から逃げる事に如何に好意を寄せているかを示している等汝︒
猛烈な内外の討論と抗議の後三月一日法案は第一累層を通過し︑
三日第二讃會があった︒六日ロγドγ市民は議會に歴力をかけるべく請願書に署名するため市聴舎へつめかけたり︑關係代議士を直
接行動に訴えて暴行したり︑夕方下院の近くに集って道路をせきと
めたりした︒或は關係代議士や法案賛成新闘肚の窓を破壊したり掠
奪したりもした︒血豆では賛成議員が一回に可決しようと急ぐのを
止めて審議⁝延長に持ち込むため次ぎ一に改正案が提出された︒群
集の反封蓮動は︑政府に﹁法律と秩序﹂を守る好餌を與えた︒
毛Oω叶O筥の如きは暴力行使によって議會の活動に影響を及ぼそ
うと試みている群集を鎭糊するために警察力が不充分であれば陸軍
を召集するのが要當であると強く主張して拍手喝采をうけた︒
當時の新闘は一部を除いて大体︑大多籔の公衆の罪障は不和的であり︑大多歎の市民は請願模を失っていなかったと一般大衆を援護
した︒例えば﹈≦oNロ貯σq娼︒珍紙は穀物法について﹁最もいやな且
愚かな方法﹂だと批評し且﹁乱暴な暴動さえ起っていなかったなら
ば全能罠によって支持された理性は遠からずこの問題に關する談判
で我紙を堂欧と渡り合せたであろうし︑法案は現在の形で通過する
機會をもたなかったであろう﹂といっている︒
又寓oNづ冒αqOけHo昆90紙は暴動は停止されねばならない事を認めた︒然し政府の役人が警察や軍隊の保護がなければ政府・議會
・憲法︒英国の自由がなくなって了うというのは馬鹿げている︒當
時國民は一部のための保護法律︑虫垂等で強堅的な課税︑無覗され た代表制度︑.無視された所疇に不平をいっていた︒ O一9︒ωひqoξO冥︒巳︒一〇紙も同様に暴民のひどさを翫んだ︒そしてこうした行爲に射する同紙の責任を否認した︒然しロγドγ商人の前で穀物薫炉ぱ下津階級には理解出遅ないものだといった芝山津ヨ鋤旨の導管を憤り︑抗議して曰く﹁この事ぱおそらくイγグラγドには滴』
p出來ようがスコツトラγドには適用出來・乱ない︒ スコツトラγド
の分別ある決議は彼等によってつくられたものであるがこの事は少
くとも彼等が上流階級と同様にこの問題に精通している事を証明す
る﹂と︒ 三月十日には有名な毛︒ω叶ヨぎ曾⑦雨請願書が司﹃9昌︒一の切口a①Ω
卿によって提出されたが︑議會は簡輩に片づけて第三理論に入っ
た︒次ぎくに修正案が提出されたが否決されて法案は下院を通過
した︒ の さて下院における改正案を打破する全ての試みが失敗に更した 価今︑議會外では他所に支持者を捜し始めた︒ ω欝入目雲紙は
菊①ひqo算王は法案に同意するのを拒絶するかもしれないとか︑議會
を解散してくれるかも知れないと希望さえした︒しUユひq算︒昌国O轟箆
紙は議場に集った澤山の奪敬に値する請願書にヨリ以上の注意を上
院が梯うだろうという希望をのべた︒
三月十三日法案は上院へ途付されたが法案賛成者が白癬をしめ︑これ以上の延引は不便と心配と焦燥だけを結果する事になるとして
審議を急ぎ︑多少の波乱はみたものの大した事もなく三月二十三日
王の同意を受けたQ
︵六︶
以上我汝は委員會の報告書.パγプレツト︑請願書︐議會の演詮等にふれて來た諜であるが之等を一貫して如何なる結論を導く事が
出來るであろうか︒
第一に蓮合王國の農業に影響を及ぼしている眞の原因は何である
かを見付ける事が必要である︒
第二に當時地主階級を救濟するため議會は如何なる援助︑保護を
興え得たかという事である〇
一八一五年︑英國における次の事情ぱ否定出來ないであろう︒即
ち一七九一年と一八〇四年の穀物條例は一八一五年迄の間實際には
何等作用しなかった︒だからといってての二條例がナポレオ7職争
末期の農業欺態に責任があるという事にはならない︒
蓮合王國の穀物生産地域は一八〇六年以來園込による溶解地の開
墾と劣等地の改良とによって大いに増加した︒二十ご年嵩の職宰中
に地代と農業生産費は倍加した︒一八コご年から一八一五年にかけ
て農業階級︑別して小作人ぱ一八一三年の豊作︑一八一四年の凶作︑
亭和恢復︑外國穀物の新に三つた輸入のためにひどく苦しんだ︒地主と農業者は特に一八〇六年から一八=二年にかけて食糧供給の増加
という点で國家に大いに貢献し︑高地代と高利潤とで酬いられた︒
工業と都市人口は一七九二年よりも全体の中で大ぎな割合をしめ
るようになった︒一八〇四年の穀物條例で農業が保護されたように
製造工業の全分野は既に保護されていたQこういう歌 勢は︒っ目9二
が﹁何事かが農業に減してなされなければならない﹂⑳といってい
るような罷る感情が議會内にあった︒議禽における法案嘉月.者と難
も大抵の場合新状態に封ずる調整がなされる迄は一時の保護が必要
である事を認めていた︒ それでは穀物貿易統制に毒して議會が打ち出し得る政策にはどん
な政策がありうるであろうか︒穀物の輸出入を支配する政策には大
体以下のように分類できるであろう︒
輸入側に零して
穀物論争の背景︵池田︶ 一︑絶封的禁止 二︑何等の制限措置も設けない三︑滑準式︵雇踏第箋莚タ畿響年︑の務条例及び︶四︑固定關税 五︑一定贋格までは絶樹に禁止しその点を越えると何等の制限も 設けない︒
輸出側に潔して
一︑絶封.的禁止
二︑何等の制限措置も設けない
一﹃滑管制關税
四︑固定關税
五︑償格が一定償格以下の場合に実働金支梯
この場合病者の一以上を組合せる事が可能である︒例えば奨働金
の支佛︑一定償格水準間の無制限輸出︑一定慣︐格以上の絶繋的禁止
といった如くにである︒之等の組合せは艶美の穀物條例によく見出
されるところである︒然し實際問題として一八一五年法の場合︑輸出問題は政府︑法案賛成者︑反盛者︑皆關心がなかった︒即ち既に
一、l年の法律で輸出自由に落着していたからである︒輸入側につい
てぱ政府は第五を撰んだ︒その庶男は普通理解されている以上に重
要な意義をもつものである︒一八一五年法ぱ一八一四年法と共に一
六七〇年と一六八九年の法によって確立された制度に決定的終末を
告げるものであるからである︒かつて一七七三年法に封.して穀物條
例賛成者は傳統に封ずる破壌として非難した事があるが︑然し實際
は何等原則上の攣化があった諜ではなかった︒ 一八一四年置で穀贋
が低い場合は輸出穀物に奨隠金を支佛って余剰穀物を輸出する事になっていた一六八九年の法律の原則は破壊されたQ穀便と共に浄化
する輸入關税の三つの基準に基礎づけられた一六七〇年の法律の原
ω の
穀物論争の背景︵池田︶
理は一八一五年の條例で同じく破壌された︒このように一八一四年
の條例が奨罰金制度を言止した事で︑一八一五年の青肌が輸入福野
の三基準の政策に代えるに一定奪格までの絶封的禁止とその水準以
上は無税で輸入の自由という政策をもつて︑全く新制度を確立した
事は明かである︒その上この攣化は原理の攣化にとどまらないで同
様に精榊の攣化でもあった︒旧制度の背後には生産者と消費者双
方の利害が考慮されるという祉會正義の考え方が横たわっていた︒
その意圖は双方に公亭である水準に墨太を維持する事であった︒か
くて或る慣格迄は生産者は贋首市場の猫占を實際に與えられた︒そして余剰を奨働金付で輸出する事が援助された︒或る贋格を越える
と輸出が禁ぜられ輸入は名目關﹁税又は無税で許可された︒一八一四
年目一八一五年の條例に賛成した人汝は消費者の利害は彼に穀物の一定量の供給iそれは生産者に畿内市場の猫占を與える事によって.確保される一を保証する事によって保護されると主張した︒なおそ
の上生産者は外構の輸入に謝.して附加的な保護を與えられたけれど
も︑この事は昇る程度一八﹂四年の輸出強要金がなくなった事で相
殺されると議論するかもしれないが︑これら二つの議論は一八一五
年の法律の目的が生産者の利釜のために穀物を高慣格に維持する事
にあり︑唱=八一五年の法律によって予期された償格の規準・は周園
の主翼の.再発よりも極めて高かったので︑輸出は不能であるから奨
鋤金は無三値であるという事を考慮に入れないでいる︒旧制度は牧
穫の豊凶を見越していた︒豊作のとぎは余剰は漿墨金の援助で処分
される事になっていたし︑凶作の場合は輸入許可と醸造用穀物の使
用禁止で補完される事になっていた︒新制度では外國穀物が無税で
許可される点迄︑穀便の攣動は面内の牧野の多少で直接に攣化す
る︒保税倉魔制度が期待されるような機能をすれば︑小潮が八○志
を上廻るのを防ぐ事にぱなろうが︑八○志以下の時は穀贋は多くの 救世が期待される前に他書の水準へ下落しなければならない︒然し何れにしても英國は凶作のときだけ外点から輸入しようとするので︑外業では着實な需要以外に・は輸出向の栽培を行わないという傾向を生ませる事になる︒ 然しながら一八一五年の條例を・めぐる議魯の討論ぱ︑ヨリ以上の考慮が生産者に與えられていた事ぱ明かである︒輸出賞翫金制度の屡止は既にのべたように︑明かに西印度とその他の植民地に穀物を供給して英霊市場を猫占しょうとしたアイルラγド地主の欲求に基づくものである︒然し實際には議會では︑この奨働金を落し輸出制限を一掃するのに何等の無封もなかった︒おそらくこの事は三栄が過去五〇年算に極めて少量しか輸出していないし︑實際最近二十五年.間には全然輸出していなかった事に基づくものであろ・う︒一八一四年幻︒の︒は旧い輸出政策は慶止されているという根擦でその年の法案に反親して職を挑んだ︒然し彼ぱ殆んど何の支持も受けないで︑然も一八一四年の隠蟹は蝦蟹もなく通過した︒一八一五年の條例のように一方に偏した法律を地主階級が危瞼だと見なかったことはおかしい︒明らかにそれに反異して抗議した唯一の保護主義者はO①oNひqo毛⑦びび出子=であった︒彼は毒⑦の叶⑦民昌と共に農業に封ずる最高の可能な保護の三値を信じた人であった︒彼は奨耳金を五志から二〇志の引上げるように提案した︒勿論彼の言った事は重く取りあげられなかったQ然し彼が提案した問題は實際採用されたものよりも一暦地主側から見れば論理的であったという事が出來よう︒
︵七︶
一八一四年と一八一五年の條例における原理と精神の調製よりも
もっと大ぎな重要性をもつものは一八=二年から一八一五年にかけ
て輿論に及ぼした騒擾の影響であった︒勿論穀物法改正問題につな
の ω
がる騒擾は一七九一年の場合も一八〇四年の場含もなされた︒然し
前者の場合は關税額の埆額も少なかったし製造工業人口も一八一
五年忌較べると少なかった︒その上地・葺階級も不當な政治力を行使しなかったようだと細螺の感情は見て取っていたようだ︒後者の場
合には可成り歌勢は悪化したようであったが︑議會が輿論の立上る
前に非常に急速に議事を押進めた事と法案通過後贋格が六三志を遙
か騰貴して了って多年作用しなかった爲に事態の攣化を防ぐ事が出
港た︒処が一八一五年になると手勢は可成り攣化していた︒そこで
爾汝は以下地主・農業者・農業勢働者・製造業者・都市勢働者.年
金受領者・商人階級に大別して彼等の穀物條例に熱する反鷹の姿勢
を見る事にしよう︒
先ず地主階級であるが︑彼等は一八一四年とh八一五年号條例に
強い關心を示した︒何故なら不和到來後も職時中︐の地代を保持しよ
うと強く欲したから︒從って彼等はパγブレットや議會の演読で再
三再四法案を提出し宣傳に勉めた諜であるが既に我六の今迄のべて
來たところによっても明かであるのでこれ以上のべる事は不必要で
あろう︒然し地主に關する興味の焦点は何といっても彼等が自分達
だけでなく農業者や農業螢働者のためにも代弁しているという姿勢
を取った事である︒ ・難心入の態度は.則成り爪冠である︒
農業に從事しているあらゆる階級のスポークスマツたる地主は小
作人は自分達よりもヨリ以上保護に封して熱心であるといつも推察
していた︒不幸にも小作人自身パγプレツトなり新聞への投稿等で
殆んど彼等の意見を獲表していないのでこの問題に慰しては何等の
証嫁となるもめは礎されていないようである︒多くの人がヨリ以上
の保護を求めて議禽への請.願書に署名した事は事實である︒然し彼
等の中の小部分はこの試みに賛同しなかった︒例えば穀物條例を有
穀物論争の背景︵池田︶ 利に展開するためアイルラγドでの公式の會合の読明書や或は皇院
へ途られた請願書に於て貴族︵昌Oぴ一〇H巨鋤昌︶牧師︵o竃﹃oq︽︶自由土
地所有者︵隔同O①匿O雨受①Hの︶土地保有者︵冨昌ユび︒匡①目の︶という記録
はあるが占有者︵ooo口気①層︶という文字は例外的に出て來るだけ
である︒ 霜当日貯暮︒村での地主と占有者との地合で占有者が自己を最も
よく表現した事件がある︒この知合は一八一五・一・六℃団?国oqの①
の豪土boび昌切①昌¢洋によって地主と占有者とのために聖壇へ請願
書を起草するという目的で召集されたものである︑小作人︵酢︒昌鋤算︶
としての切口〇〇〇犀の熊度ぱ今議論している主題から最も興味のある
ものである︒彼は自分は占有者であると共に小土地所有者であるの
で來越するようしらせを受けたので出席する資格があるものと告げ
て磯善して日う
﹁皆さん︑私はここへ泣き言や不平をならべたてるために来たのではあり
ません︒私は自分の郷里から逃げ出すべきだと私の友人達や隣人に告げるた
めに来たのでもありませんQ私の信ずるところによれば穀価を引上げる傾向
を持つようなこうした制度を採用するように立法府へ請願するためにここに
来たのでもありません︒等々と私が皆さんに語る勘注さんは私のいう事を信
じて下さるでしょう︒私はいやしくもこんな感情や意図でここに来なかった
という事を誇りに思いますQ私は土地占有者や小土地所有者が大壷地所有者
の虚偽に満ちた理由で誤導されて立法的干渉を求めて請願書に署名しないよ
うに一その立法的干渉たるや穀価の維持引上にあるに相違ないところであり
ましようが一注意を促すためにここにやって参りましたQ この制度は自分達
の救済に資するどころか自分達の負担を継続させる傾向をもつだけだという
事を皆さんに注意するためにやって来ましたQ亦私はここに出席した人の申
でこの会場で我国のために私達の最後の一銭を出させたり︑私達の最後の血
の一滴を流させようと申出るのをおぼえておくためにここに来ました︒.戦争
・申彼等は途切れぬ繁栄の過程をつき進んで行ったけれども︑今や少し情勢が
の 値
穀物論争の背景︵池田︶
逆転しかけるや否や第一番に然も声高く不平をいっている︒占有者で同時に
小土地所有者といわれる人は請願の目的に最も決定的に反対しました︒そし
て私の知るところによりますとこの広大な教区の入穿の七の占有者は同様な
意見を持っています﹂
と彼がいう時多敷の占有兼小自作農がこの野合に出席して請願の
署名に反堅したであろう事は明白である︒然し少勲の事例から明確
な結論を引く事は困難であろうがおそらく小作人の申の可成りの部
分について彼等が法案通過に導いた背後の蓮動の動力ではなかった
という.事はいってよかろう︒おそらく彼等や︑落ちぶれて既に農業
螢働者や工業螢働者になったものの中からトーマス・スペγスの蓮
動に共鳴するものも出て転たであろう︒⑳
農業者は斜懸の下落がひき起したおそろしい不況からの或る種の
器財を凝望したけれども新法は事態を輕減するという信念では決し
て萬黒駒致している⁝諜では.なかった︒彼等の多くは八○志基準で地
代が徴牧されはしないかと怖れて地代は引き下ぐべぎだと信じた︒
新法の下では保税倉庫に入れられて市場に放出される小判があるの
で小萎は八○志以下に下がる危瞼の割く事はあってもそれ以上にな
る事は滅多になかろうと彼等は信じていた︒
農業螢働者についても彼等の意見を獲表する手段をもたなかっただけにはっきり断定は出來ない︒然し地主達は農業螢働者の保護者
としての姿勢をとり︑大膿に露命を維持しない限り彼等を雇う農業
者の不安定を通じて失業の爲に苦しむだろうという︒事實農業螢働
者の名目賃銀は一七九二年から一八一三年にかけて縢貴したけれど
も物贋洋白に歩調を併せて進む事は出來なかった︒そこで二更賃銀
は實際この期間中に低下した⑳︒高糧嚢が農業螢働者を雇傭させる
ために必要であるという地主のこの要求は反樹請願書調査のために
組織された委員會での証人の証言に一致しない︒彼等は軽便が下る と螢働者は生きてゆくだけ働くから賃銀ぱ騰貴するが︑穀贋が上ると賃銀は下落するといった︒若しこの証言が事實ならば螢働者にとっては高運便のときは二重に一生懸命に働く事が必要である︒そこで多くの雇傭者は螢働者が怠けるのを避けるために高卑慣を正看化した︒然し如何に螢働過重が螢働者の精華にとってよいと大いに論ぜられようとも高穀贋のとぎ賃銀は最低だという議論は高楼便は勢働者を雇傭せしめるために必要だという論点と一致しない︒實際︑上にのべたように螢働者の名目賃銀は上ったのだが實質賃銀は下ったのだから眞正面から受取れば全部が全部正しい諜でぱない︒ということば雇傭者が最低限迄賃銀を切下げていたのでこれ以上下げられないためには穀慣高が必要だという風に取れば納得行く課であり︑またそう解すべきであろう︒撃茎農業螢働者をして穀物條例に無關心たらしめた他の要因は救貧法の作用であった︒彼等は生活資料を賃銀で貰おうと救貧率で貰おうと問題ではなかったからである︒ここに彼等・の宿命論的な態度が出て來る繹である︒ 製造業者は穀物條例は穀償を引上げ︑それは賃銀を引上げるようになり︑かくて外國市場で忌事する場合ハγデイキヤツプがつくという理由で反樹した︒ところが彼等の反封は一八二五年以後特に﹁反穀物條例同盟﹂の結成を見る迄はひどく攻勢でもなく又輩刀直入でもなかった︒何故なら午時彼等は内耳自由化の方向を押進めていたとはいえ尚多籔の商品に保護を受けているという弱味があったからである︒再三再四農業保護のスポークスマγは製造工業が保護を撤回すれば自分蓬も要求をしないと申出たが︑製造業者の代弁者はそのことを七って見四っていた︒彼等の﹁合理的な答え﹂は保護は
﹁殆んど無効﹂だとか﹁完全に根底から覆される原理﹂であるとか
いう代りに自分達の享受している保護を棄てると申込む事であった
ろう︒処が彼等は當時自分蓬自身の保護をやめようとなしなかりた
σ の
ので︑彼等ぱ無理に螢働者階級と結び︑外國穀物の排除ぱ生活費を
高める事によって螢働者を︑生産費を高める事によつて彼等を害す
るという議論に基づいて請願書で穀物條例に職おうとした︒彼等は
図甘oH島P↓o鐸①旨ω鳩類①馨ω日ヰ貫出離ヨ①といった如き立派な代
弁者を持つた︒彼等は確實な.禮儀正しい︑理論的な態度で穀物の
自由貿易の内釜を主張した︒
嘗て以前には敵だと思った事もなかった地主と製造工業家は一八
一五年の穀物條例をめぐって激しく事う事になったが︑製造業者は
寸時まだ彼等の保護を喜んで棄てるか︑地主と激烈な職を績行ずる
という段階には到達していなかったのである︒1即ち完全に産業革
命を成就して﹁世界の工場﹂として強力に自由貿易を促進する状勢
に到ってなかった1
都市と製造工業の勢働者の黛度は明.瞭である︒繰返し請願書で彼
等は自分達の反魂理由をのべた︒彼等は不和の恢復と共に食糧の便
格は下り︑煩わしい課税はなくなるだろう︒かくしてかつて不穏な
時代に慣れていた底幅と利釜に庵ることを彼等に㎡︑能にするだろう
という合理的な期待を持っていた︒彼等は軍に公の會合の時だけで
なく︑騒動の場合最も熱心に自己を主張した︒あらゆる階級の中で
利他主義を少しも振廻さないで然も最大の熱情をもつて自分達の見解を隠避した︒彼等は穀物條例が生活水準に決定的な打撃を與える
と信じていたが故に反回した︒ 鯛金受領者と資本所有者は穀物條例に大いに反封ずるがちっとも
騒汝しくない反封.をした︒彼等は過去二十二年闇物贋騰貴で螢働者
階級よりもひどい打撃を受けて來たので︑今や彼等の所得が以前に
慣値を持っていたのと同じように今一度旧い水準に爵号が下落する
事を熱心に望んだ︒
最後に商塁と貿易業者の藩度は事業の性格と規模の大小に依存し
穀物論争の背景︵池田︶ て相違を示した︒彼等がつくした階級へ結びつけて考えるべきであるQ
︵八︶
一八一四年から一五年にかけての帆影や騒動を通じて最も重要な
面は新しい位置に地主をおいたという事であった︒かつて長い問穀
物商と製粉業者とが普通人の眼に憎悪と罵警の封象であったが︑今
や地主が穀物商と製粉業者の位置に取って代ったのである︒即ち中
世の都市佳民は穀物商人を交通機關が貧弱なために穀物を稀少にし
て濁占を容易ならしめ︑大いに利釜を受けるといって怖れていた︒
事があれば住民は穀物商を襲撃した︒一八一五年になると攻禦を受
けたのは穀物條例擁護者の家であった︒地主に影響を與えるために
下院の周りに集った︒請願書は地主や農業者が他の階級の犠牲で贅
澤な生活を維持させてはならない事を乞うたQ要するに籔世紀継熱
した疑と憎しみは穀物商から地主に攣えられたQ
果して然らば一八一五年の條例の通過に封して取った議會の態度
は正しかったであろうかQ若し正しくなかったとすればどんな活動
をすればよかったであろうかQ
井上氏は穀物論戦を取上げて結論的に次のようにいう︒
﹁穀物法是非の論争は︑結局はイギリスの拠りどころを何に畳めるかの争
いである︒
その頃︑国土の狭隙なイギリスにおいては︑その工業の発展と人口の急激
な増加とに因って︑穀物の自給は最早不可能となり︑国民の消費する穀物の
少からぬ部分を︑海外の供給に仰ぐの止むなき状態となっておった︒叉産業
革命とナポレオン戦役との影響によって︑イギリスは︑世界の工場として揺
ぎのない地歩を略確立するまでになっておった︒かかる段階に到達せる以上
商工立国こそは当にイギリスの利益でなければならない︒
然るにも拘らず︑狂瀾を既倒に廻らすべく︑徒らに穀物法によって農業に
O
σ
穀︐物論争の背景︵池田︶
高度の保護を与えれば︑穀価の昂騰と穀価の頻繁な変動を惹き起し︑一般国
民の生活を窮迫せしめ剰え農業を投機的たらしめることによって農業生産者
の利益をも阻害することとなるばかりでなく︑製品の生産費を高め︑イギリ
ス工業の発展を挫折せしめる結果とならざるを得ない︒
その意昧において︑マルサスの所論は反動的で︑リカアドオのそれは進歩
的であったと謂わなければならない﹂⑳と︒
長汝と引用したが井上氏の所司をもつて先の我汝の問題設定に答
えさせるならば︑議禽の態度ぱ正しくなく︑その時當然︑自由貿易
を採用すべぎであったという事になろう︒
我々も英國が既に一八〇七年奴隷貿易の慶止︑一八一三年東印度
三三の貿易特三三︐止︑ 一八二二年−一四年エリザベス徒弟法塵止︑
一八一五年航海條例改訂と一路経略自由化の方向にあった事を認め
るものであるが︑一八一五年︐穀物條例の成立と︑一八一六年今時所 得税が慶止されて内構消費税と關∬祝が増徴された事とは︑當時の英國の資本主義の嚢展段階としては致し方なかったと解すべぎである︒⑳この事は更に之から時代を経て一八四一年一二月︑第一次ピール内閣が成立して臨時所得税を導入するに當ってさえ﹁産業資本家のがわからも地主のがわからも︑相當強い反封があったが︑彼は赤字補墳のためには他の方策のないことを強調するとともに︑資本家に指しては關視の整理︑引下げを︑地主に害しては穀物條例改正の繰延べを︑約束することによって︑ともかくも三年をかぎっての臨時税として所得税を復活﹂⑳せざるを得なかった事に徴しても明かであろうQ 一八一五年自由貿易が採用されていたらそれは如何に作用していたであろうか?・o
註① アシュレイ 徳増栄太郎訳 英国経済組織の史的考察 一六四 ② 前 掲 書 一七五
③井上次郎﹁リカアドオとマルサスの穀物法論争﹂︵立命館創立五十週 年記念論文集 一二五︶ ④U曽く匹田$ao⁝︾口国ωω9同︒昌夢︒ぼh嘗窪80出卑﹃o毛
℃ユ︒Φo団Oo場昌︒昌酔ゲ︒℃厭oh答ωohω紳oo置ド◎◎こ● ⑧ 参考のための著名な穀物法の一欄表を掲げておくこととする︒ ⑤ U9<置閑言四目幽︒⁝勺ユ昌︒一嘗ooh℃o嵩寓︒護国oo口︒目矯9ロ幽臼9×蟄︒− 試O昌uドooドS⑥U母臨空8ao髄Oロ℃889ざ昌8︾oqユ〇導けq同Pド︒︒B⑦Uop巴俺08︿o切母巳の℃︾国一ω8幡団oh夢︒国口oq鵠魯Oo触けピ簿 毒ω坤︒目まαOードQ︒A◎ 主として彼によって論を進めているので一々引 用しなかったQ
謬庄料汗諏欝監響強勢書三揃暮臨 ︻欝﹀繋剖鋤﹁謬︾圏強弓一廻奪﹁ ミ 門口三三潟駈人溢羅︶ ミ 三川贈屡
HααOド禽O
まQ◎や
H刈い娼ゆド
ドQQOも¢ご︑ん1勢︑ぐ聯油︾
ドQoド︽
ミ
H◎oO心H︒0ド心ンメ華懸ヌマ瀕
ド◎oU 詮i﹂α!
U心一やOb;謬圧θ皿爵一座θ一十 i合所禽〜ま劇〜試
1献Q◎醗︵い勢︶!ぬ酬︵い蔚︶一三鰍︵い鰍︶
!AQo十四︵い針︶
︵諮誰蓼麟臣︶一◎◎Ol 心O〜蔭心︵N鰍︶
一︶い蔚継ヰ︵ま蔚︶一Uい鰍魅ヰ︵ま蔚︶
一 一ぬ︵NN勢︶一Jo9心酬u司
一$︵N溢所い詐︶ード8●N︵鼠所い矧 認鰍帝⁝α︒盤塾
◎◎n鰍1︵湛詐︶
◎◎n針1︵心ヰ︶
−ぬ〜魁Q◎︵ド刈所︶UO〜誌︵N鰍α詐︶
αい〜αα︵N尉α詐︶
Io◎駆酬︵三所いヰ︶
!α劇所︵NN所︶⁝︵三三蓼皿蚤︶ ドOい●N〜Hいい︵Nぴ︶
o◎S〜oo刈︵N●α︶
ド所eヌWへ槻冥︑⁝ 丁紬晶瀬窄 象一︵α沸︶i間い1斜‡︶i ︒︒刈一︵α詐︶
⁝◎o㊥磯 ︵O︶
三一︹ハ ︶一一幌︶
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