シュムベーターとマルクス 161
シュムベーターとマルクス
−彼等における進化主義について− (その一)
川田俊昭
私の所謂「マルクス体系の有機体説的性格」−自然・社会(精神)そし て,経済(生産一労働)と一貫する−は,御大自身の言説に拠る時,それ
° ° °
自体,例えば次の如き(序列の)展開をもつ。
存在するあらゆるもの・地上や山中に生きとし生けるあらゆる ものは,何らかの運動によってのみ存在し生活する。
(『哲学の貧困』)
弁証法……それは,生成せる一切の形態を,運動の流れの中 に,従って又,その経過的な側面に従って理解するものである0
(『資本論』算二版後書)
今日の社会は固定的な結晶物でなく,変化し得る・絶えず変化 の過程にある・一つの有機体Organismusである。
(『前掲書』算一版序言)
「一言でいえば,経済的生活は生物学という別の領域における 進化史に類似した現象を呈する。」
(『前掲書』第二版後霞より)
自然史的関係……諸関係−即ち,如何に彼が主観的にそれら を超越しようとも,社会的には彼がそれらの被造物たるに止まる 諸関係……。
(『前掲書』鐸一版序言)
「……その場合,人類が,これらのことを意識していようが意
識していまいが,何の関るところもないのである。……この過程
を左右しているのは,人間の意志や意識や意図から独立している
のみならず,むしろ逆に人間の意志や怠識や意図を規定する諸法 則なのである
oJ
( f1fIj掲音」第二版後宮より〉
自然法則は一般に止弱され得るものではない。歴史的に異なる 状態において変化し得るものは,ただ,先の法則が貫かれる形態 である。
(クーゲ
jレマンに宛てた吉二筒より) すべての人間史の第一の前提は,勿論,生きた人間的個体の生 存である。従って,確認され得る第一の事態は,これら個人の身 体的組織と,そしてこれによって与えられるところのその他の自 然への彼等の関係とである
O( r ド イ ツ ・ イ デ オ ロ ギ ー J)
労働はさしあたり,人間と自然との間の一過程,即ち,それに おいて人間が,人間と自然との質料変投 ( S t o f f w e c h s e l C 生・化コ 新陳代謝,物質代謝,物質交代,物質変換 筆 者 ) を 自 分 自 身の行為によって媒介し,規制し,統制する一過程である
O( r 資本論 J)
労働過程は……人間と自然との間の質料変換の一般的な条件で あり,人間生活の永遠的な自然条件であり,従って又人間生活の どの形態からも独立したものであり,むしろ人間生活のすべての 社会形態に共通したものである口
( r 前掲書 J)
労働は,人類存在の自然的条件であり,如何なる社会形態にも 依存することのない人類と自然との間の物質代謝の一条件であ
る 。
( r 経済学批判 J)
有用的諸労働又は生産的諸活動が如何に相臭っていようと,そ
れらは人間的有機体の機能であるということ,及びこうした機能
は何れもその内容や形式がどうあろうと,本質的には人間の脳
シュムベーターとマルクス
髄,神経,筋肉,感官などの支出だということは,生理学的な真 理である
D1 6 3
( r 資 本 論 j ) マノレクスの謂う「生物学という別の領域における進化史 J (前書〉 は , 又 所 謂 「 進 化 主 義 J ( E v o l u t i o n i s m u s 進 化 論 ・ 生 物 進 化 論 ) と い う ヨ リ 一 般 的・象徴的な言葉で語られるものとして敷約され得る
O換言すれば r マル クス体系」は進化主義の一つなのである
O斯くて, r 国 民 経 済 学 史 』 の 著 者 E ・ザリーンは,マルクス経済学を「社 会主義と歴史主義一一進化主義的科学 J (同書 第 三 章 題 目 〉 と し て 一 政 言すれば, r 発展」を志向する「進化主義の一つ J と し て 一 一 , 歴 史 学 派 経 済学(或はコント,スペンサーを含む所謂「有機体説 J )と併置する。即ち,
言う, 1"斯くして,我々の所謂『発展』の思想が道標として,サン・シモン やマルクス流の社会主義的図象や概念の背後に控え,リスト,ヒノレデプラン ト,シュモラーの歴史主義の背後に控え,コント並びにスペンサーの社会学 の背後に控えている乙とが示される一一『進化主義』……。 J 1 " W 進 化 主 義 こ そ は , 恰 も そ れ が 哲 学 又 は 生 物 学 の 指 導 原 理 を 表 し て い る の と 全 く 同 様 に,この時期(1 9 世 紀 筆 者 ) の 全 経 済 及 び 経 済 学 説 の 統 一 的 目 印 で あ る。」
マルクスの進化主義は,一つには一一敢てその全体とは言わぬが一一,へ ーゲノレ(更にはカントを含むドイツ古典哲学)から引継いだものである。 W
• 1 ・レーニンは,その論文「カーノレ・マノレクス」において, しかもマルク
ス体系の進化主義的(有機体説的)是認の下に,如上の事態を容認する一一
勿論,マノレクスの絶対的佼越においてではあるが。即ち,言う1"今日で
は , 発 展 ・ 進 化 の 観 念 が 全 ん ど 余 す と こ ろ な く 社 会 的 立 識 に 入 り 込 ん で い
る
D……しかし,マルクス及びエンゲノレスがへーゲノレから出発してこの観念
に与えた定式化においては,この観念はありふれた進化論よりも遥かに内容
笠宮である
oJ 1"……最も包括的な・最も内容豊富な・そして最も深遠な発
展論としてのーゲノレの弁証法のうちに,マノレクス及びエンゲルスは古典的ド
イツ哲学の最大の業績を認めた。発展・進化の原理の他の一切の定式化を,
彼等は,一面的で内容貧弱であり,自然及び社会における(屡々飛躍・崩壊
・芋命において自己を貫徹する)発展の現実の経過の由説であり歪曲である と考えた。 ……エンゲルスは書いている, u'世界は出来上った諸事物のー全 体と解すべきではなく,諸過程のー全体と解すべきであり,これらの過程に おいて,外見的には安定せる諸事物が,我々の頭脳におけるそれらの思想映 像たる諸概念と同じように,生成と消滅の間断なき変化を閲するのであり,
この変化のうちに,あらゆる外見上の偶然にも拘らず,又あらゆる一時的な 後退にも拘らず,結局,一つの前進的な発展が自己を貫徹するのであるとい う偉大な根本思想一一一この伴大な根本思想は , J 1 ; d とへーゲノレ乙のかた普通の 意識にすっかり入りこんでいて,こうした一般論においては全んどもう反対 論を見ない程である
o……それ(弁証法哲学〉は,あらゆるものにつき,あ らゆるものにおいて無常性を立証するのであり,その前に存立するものは,
生成と消滅の・低きものより高きものへの限りなき上昇の・間断なき過程l 乙 外ならぬのであり,それ自身は思惟する脳髄におけるこの過程の単なる反映 である
o~ J
以前,私は次の様に書いた r 有機体思想一一それは,私をして言わしむ れば,通常謂うと乙ろのドイツ浪漫派,即ちフィヒテ, シ ェ リ ン グ , ア ダ ム・ミュラー……或は一一有機体思想としては正目の一一コント,スペンサ ー……などに限定されるものではない。リスト……マルクス……ゴットノレ,
ゾムパ
Jレ ト , ウェーノイー・・・…マーシャ
J, シュムベーター・・…・ハロッド… レ 等,今日に至る社会勤学乃至発展理論の大凡に共通する不可欠な基礎,秘め
られたる実質である
oJ (拙稿「経済学説における有機体思想 J)
然して,その際私は,併せて,私自身の努力による「発展の原理(の原 理)としての弁証法……へーゲ、ノレ,マルクス両者の基本における有機体的 (=生物学的)アナロジーの発見」を約した……が。「……その成功は,従 来におけるが如き観念・論理の遊戯としての,或は『魔女の九々』としての 弁証法の暗諦乃至学習ではなく,真に実感ある弁証法の一一従って又ヘーゲ
j
レやマルクスの一一理解乃至把掠である。」
シュムベーターとマルクス 1 6 5
ジュムペーターは,彼自身の「考えと目標とが,マノレクスのそれらに完全 に一致する」点として, r 経済体制それ自体によって惹起された独自の過程 としての経済進化 economice v o l u t i o n というヴィジョン」を挙げている口
( IT'経済発展の理論』日本版への序) r あらゆる他の点において,マルク スは,ただ, リカアド経済学の概念や命題を使用し,採用しているが,彼が 行った不必要な程のへーゲノレ的強調を伴った経済進化の概念は,完全に彼自 身のものである。それが,おそらく,マルクスに批判すべき多くのものを見 出し乍らも,一時代の経済学者達が次から次へと彼に回帰していく理由にな
っている
oJ
或は言う, r マルクス主義の分析こそ,そこの期間に産出された唯一の真 正な進化的な経済理論 e v o l u t i o n a r yeconomic t h e o r y である
o… … 経 済 過程の内在的進化ー乙れは,ともかく蓄積を通じて働き乍ら,ともかく競 争的資本主義の経済並びに社会を破壊し,又他のタイプの社会組紋をどうや ら生むような・支え切れない社会状勢をともかく作り出すものであるーーーと いう壮大なヴィジョンは,最も力強い批判が最も邪悪な害をこれに加えた後 にも,依然として存続するものである
oJ ( IT'経済分析の歴史~ )
斯くて,シュムベーターは,自らの「発展」を, (謂わば,マノレクスに準 じて)説明して日く, r ここに『発展』とは,専ら経済が自己自身から生む 径済生活の循環の変動, IT'自己自身に委ねられ』て,外部からの街撃によっ て劫かされていないところの国民経済に起り得べき変化のみが理解さるべき である
oJ ( IT'発展~) r 我々の怠味する発展一一……それは循環迎劫とは臭 って循環が実現さるべき軌道の変克であり,……しかも,斯かるすべての変 更……を指すのではなくて,ただに,第ーに経済から自発的に生れ,第こに は非述続的な変化を指す。 J(
IT'前掲古:~)
如上のような「発展」の概念(へーゲソレ一一マノレクス一一一シュムベーター) は,そのまま生物学的発想に直結する
O例えば, 北野 tì~古-男氏(神戸大学名誉教授)の旧著『経済社会の椛造分
析 . 1 l (昭和22 年)における次の行文は,その一つの証というべきである
O「……有機体的な考え方……社会有機体説……。例えば人間のからだを考え てみるがいし、。からだは先づ沢山の細胞が集って色々な器官をつくり上げて いる
O……しかも,これらの器官は……複雑に結び、ついて,結局,我々のか らだ全体をっくり上げている
C……生物のからだの仕組というものは,同じ 仕組でも,機械などの仕組とは全く追っている
oどこが違うかといえば,紋 械のようなものはどんな精巧な機械でも,又自動的と言われるような機械で も,真に勝手に自分だけで内から勧き出すということはない。結局何らかの 仕方で外から力が加えられて,それによって動く仕組に過ぎない。これに反 して,生物は文字通り自分で生命をもっ働きの志向を身のうちに蔵して,謂 わば内から動き出す。……自発的な生命力……生命力をもったからだの仕 組…… O r g a n i s m u s . .一一。このように生命力や自発的な生活志向が全体と部 分を内から貫いているということこそ,生物のからだが機械の仕組とすっか
り追っている点でなければならないロ」
カントも又, r 判断力批判」において,全く同様なことを述べている
o「……自然的所産においては,いかなる部分も他の一切の部分によってのみ
存在すると同時に,又他の一切の部分及び全体のために実在する。放言すれ
ば , すべての部分が夫々道具 ( O r g a n 器官)と見なされるのである。しか
し,こう言うだけではまだ充分ではない。(部分は技術の道具にもなり得る
し,従って又可能的目的一般に過ぎないとも考えられ得るからである
o)要
するにいかなる部分も,他の部分を(従って又すべての部分が夫々他の部分
を相互的に)産出する器官なのである
D……乙うしてのみ,又乙のような理
由によってのみ,斯かる自然的所産は,有機的存在であると同時に自分自身
を有機的に組織する存在者として自然目的と称せられ得るだろう。……有機
的存在者は単なる機械ではない。……有機的存在者は,それ自身のうちに形
成する力を具えている。……有機的存在者は,たとえ我々が他の物に対する
関係を一切無視して,これをそれ自体だけとして考察しても,尚且つ自然の
目的として可能であると考えざるを得ない唯一の存在者である
oJ
シュムペーターとマルクス 1 6 7
「社会体の有機体との比較 J (シュムベーター)一一
両者のいづれにおいても全く奇異に互いに調和している三和音 即ち統一性,働き,及び持続。
(ゴットノレ『経済の本質及び根本概念Jl) 社会的構成体と有機体は相互に極めて近い。どちらも鋭い観察 眼を向ければ,一様に働く統一体であり,自ら働いて獲得した存 立いわば内面的に造り出された生を保ち,その周囲に適応してい る 。
(同『民族・国家・経済・法律J]) 生あるものは,外的影響の版めて多様な条件に自己を適応さ せ,しかも一定の獲得された決定的な独立性を失わないという天 賦を有する
D(ゲーテ) 自然的自由の状態の下に,一全体として類似の他の諸社会に対 立し,従って現存の世界状勢の下では,ただ自身の力と手段とに よってのみ自立と独主とを維持し得.るところの一社会…・・
0(リスト『政治経済学の国民的体系J]) 国家は,世界において存在し,且っそこにおいて;意識をもって 自己を実現すると乙ろの精神である。
(へーゲ、ノレ『法の哲学J]) 同家,即ちそれ自身において有機化された独立の神経系統……。
( W 前 掲 : i ' } J ])
シュムペーターは,へーゲルやマルクスと進化主義,殊に生物学的進化論
との親縁に関して,全くといってよい程否定的である
oむしろ,経済学,更
には社会科学一般と進化主義との関聯について,そうである。況んや,彼自
身の体系については,一寸だにそのような言及はない。しかし乍ら,私自身
における場合,へーゲノレ,マルクスそしてシュムペーターと進化主義(とり
わけ生物学的進化論)との問には,問めて密接な繋がりのあることを予想し
ている
OI
I
白えば, 1 8 世紀,フランスの啓家思想家の一人として名高いディドロー は,その若『自然の解釈 P e n s e e sd e 1 ' i n t e r p r e t a t i o n d e l a
Nature~( 1 7 5 4 ) において,進化の思想を表現すべく,次の殺に述べている
oi 動 植 物 界 において,一個体が成長し,生存し,老衰して死ぬように,程も同椋のこと をするので、はなかろうか。もし我々が,動物が現に見る如きものとして神の 手を離れたものと信ずることをやめれば,又動物 l こ発端 i と終末のあることが かなり確からしいとすれば,推量を働かせる哲学者は次のことを疑い得ない だろう
o動物が個々の要系を永久不変に有することを,これら安芸の再結合 カシーそれが可能だから一一生ずることを,これら要系によってつくられた 服子が体制化と発生の無限の過程を経由することを,次第に迩勤・感覚・矧 念・思考・反省・えま識・情緒・ Ji~悩・動作・音戸・有節音戸・言語・法作・
科学・芸術が生ずることを,これら各発展の聞に何百高年も経過したことを
……。」
「成長……生存……老衰……死」……歴史学派やマルクス体系のもつイメ ージにも似た乙の言葉一一
進化的継起……例えば,個人の青年期,壮年期,及び老年期と いう様な類推を立てていると考えられる歴史的継起
(シュムベーター『経済分析の歴史~ ) シュムベーターの経済発展の理論一一ーより広い意味で言えば,
資本主義の発生・機能・衰退の理論
(ハリス一一一『社会科学者シュムベーター」より〉
「一つの与えられた社会的有機体の成立・存続・発展・死滅…
…を規制する特別の法則」
(マルクス『資本論 J 第二版後書より) 私の考察した事実と,その事実によって私の造出・命名した早 期資本主義・高度資本主義・末期資本主義という概念
(ゾムパノレト『高度資本主義時代おける経
シュムベーターとマルクス 1 6 9
済生活』・「近代資本主義』第三巻序言) 一一「あらゆる生物と同じように,共同体も又,成熟・結実及び死亡を経 験する J (ザリーン) ……が,それにも増して,乙こで重要なのは,次の言 葉,即ち一一「要素…・・・要素の再結合・・…・発展 J , 乙れである。「適者生存の 思想……自らの中に変化の原因があり,物質的要素の結合・離別の過程によ って発展が生ずるという考えを根底に置いている
oJ (八杉竜一『進化と創 造 . l l)
シュムベーターは『発展』に書いている, r 生産するとは,我々の処分範 囲に存在する諸物諸力(所謂「生産要素」 笠者)を結合することであ る
O生産物並びに生産方法の変更とは,これらの諸物諸力の結合を変更する ことである
oI 日結合から漸次に小さき歩みを通じて連続的 l こ適応しながら新 結合に到達され得る限りにおいても,確かに変化又は場合によっては成長が 存在するであろう
oしかし,それは均衡考察の力の及ばぬ新現象でもなけれ ば将又我々の意味する発展でもない。そうでない場合,即ち新結合が,ただ 非連続的にのみ現れることが出来,又事実現れる限り,発展に特有なる現象 が成立する。……斯くて,我々の意味する発展の形態と内容とは,新結合の 遂 行 D u r c h s e t z u n g n e u e r K o m b i n a t i o n e n なる定義によって与えられ る
oJ
以上は,証明というより所詮暗示の域を出ぬものではある
D一一ーが,一つ の重要と云って差支えないであろう
Oシュムペーターに「発展」に関わる生物学的言及(しかも上述せる合苔
の)が全然ないわけでもない。例証のーっとして『発展』に次の様な類比が
ある
or ……我々の問題はこうである
o第一 mo 甘 ト 態 筆者〉の理論は,経
済生活を年々歳々本質的には同ーの軌道における『循環』の見地から描写し
たものである
D一一それは動物的有機体の血液循環に比較し得べきものであ
ろう
oと乙ろでこの経済的循環並びに ‑‑1 担にその個々の場面にのみ止まら
ずーーその軌道そのものは変化する
oそ う し て 血 液 循 環 と の 類 比 A n a l o g i e はこの点において我々から退くことになる
o何故なら血液循環と雌も有機体 の成長及び衰退の道程 im Zug von Wachstum und V e r f a l l d e s O r g a n i ‑ smus においてはもとより変化するものであるが,それは専ら連続的に,換 言すれば,如何なる微少量よりも更に微少なるものを選び得る椋な小さき歩 み方で,且つ常に同じ枠の中で変化するに過ぎないからである
o経済なる生 命 Leben d e r W i r t s c h a f t も又同様な変化を経験するが,しかし吏にその 以外に…・・・純粋に経済的一一『体系内部的 i n n e r s y s t e m a t i s c h . J ] ‑ーなも のであって,しかも迎続的には行われず,その枠や常軌そのものを変更し,
且つ『循環』からしては理解出来ないような他の程類の変動(動態即ち「発 展」 筆者)を知っている
D斯かる程類の変動並びにその結果として生れ る諸現象乙そ,我々の問題設定の対象たるものである
oJ
他 方 , マ ル ク ス ー ー 『 マ ル ク ス に と っ て は ( マ ル ク ス に と っ て も 筆 者) ,ただ一つのことだけが重要である。即ち,彼が研究に従事している諸 現象の法則を発見すること,これである
Oそして,彼には,これらの現象が 完成せる形態をとり,与えられた期聞に観察されるような一つの関聯に立っ ている限りこれを支配する法則(静態 筆者)が重要であるばかりではな い。彼にとっては,尚特に, その変化・その発展の法則(動態 筆者) , 即ち一つの形態から他のそれへの移行,関聯の一定の秩序から他のそれへの 移行なるものが重要なのである
O……マルクスは,社会の運動を自然史的の 過程として考察する
D……経済生活は,我々にとって,生物学の他の諸領域 における発展史に類似した現象を呈示する
o……この様な探究の科学的価値 は,一つの与えられた社会的有機体の成立・存続・発展・死滅及びこの有絞 体の他のヨリ高いそれによる代置等を規制する特別の法則が明瞭にされると
ころにある。そして,事実,マノレクスのこの書は斯かる価値をもっている
ol . J ( u'資本論』第二版後書より)
「マルクス休系の有機体説的性格 J (というよりマルクスの所謂「弁証法
シュムペーターとマルクス 1 7 1
的方法 J )を,当時,斯くも見事に一一現今に至るいかなる批評家も及ばぬ 程に一一看破した一人のあることは,既に私の別稿 c r 有機体説と弁証法 J ( 3 ) )
において特記・強調せる如くである
Dそして又,それへのマルクス自身の随 分の肯定のあることも!即ちマルクスの(前援用に続けて〉言う, r 乙の著 者は,彼が私の実際の方法 c r 弁証法的方法」 筆者)であるとするもの を,乙のように適切に,そしてこの方法の私自らの適用が問題とされる限 り,極めて好意的に描いてくれている J ,と
o加えて,その際私は,マルクスと『程の起源』の著者ダーウィンとの親縁 について,次の様に書いた。 r マノレクス l こ斯かる固有の体系を創らしめた生 物学的暗示ありとすれば,それは何か。私は敢て言いたい,それ乙そはチャ ーノレズ・ダーウィンの進化論である,と
o……と言うことは,マルクスがダ ーウィンに倣って彼の体系を創り上げた,ということを主張するのではな い。本稿の筆者の如き突拍子もない立言・仮設を好む者にとっても,到底その 様な歴史的隠担 J I ・臆断・断定を下す勇気はない。……殊に,マルクスの如き 傑出した天才(の評価)についての場合,尚更のことである
o私が主張した いのは,彼がダーウィンと略共通の関心を抱く機会があったということ一一 それは,或は時代の制約として,学問的流行として説明され得るかもしれな いが一一一,更に又,彼自身の研究には,多分にダーウィンと共感をもち得る如 き成果を,社会科学について或は彼自身の生物学の(生理学?)の研究につ いて持ち合せていたに違いない,と言っているに過ぎない。……マルクスに おける生物学の教義(彼が『資本論』初版をダーウィンに贈った一事実をも 含めて)の彼の社会科学への渉透を臆測することは,我々にとって組めて重 要なことである
o……ともあれ,我々はここで次の事を予想・確認しよう
oマルクスの体系と所謂『進化主義』との聞には,普通以上の関聯があったと いうこと。……従って,進化主義によって,マルクスの最も重要なる一面が 解釈され得るであろうという乙と口従来におけるその様な試みの完全なる欠 如・怠慢が,マルクス体系の,或は彼の唯物弁証法の実感ある理解を妨げて いるのではないかということ。一一但し,凡席エンゲノレスの『自然弁証法』
或は近くはソ連邦科学院の『哲学教程』の如きは,むしろ,余計な業であ
るというのが,私の卒直な感想である……等々
oJ
マルクス自身,彼とダーウィンとの親縁について次の椋に述べている
O「現在の社会が,経済的に見て,一つの新しい・ヨリ高い形態をはらんでい ることを著者(マルクス 筆者)が論証しているのは,彼が,ダーウィン が自然史について立証したのと同じ漸次的な変苧過程を,ただ社会について 証示しているに過ぎない。 J (エンゲ、ノレス宛の苦節より〉
エンゲノレスも言う 1 私の考えによれば, w 宣言』を貫く根本思想 ( 1 この 根本思想は専ら,そして全部マルクスに局するものである」 筆者)は, ダ ーウィンの学説が自然科学の進歩にその基礎を置いたと同様に,歴史科学の 進歩にその基礎を置く使命をもつものである
oJ ( W 共産党宣言』英訳序文)
「ダーウィンが有機界について進化の法則を発見したと同じ椋に,マルクス は,人間の歴史について進化の法則を発見した。 J (マルクス送葬の辞より)
如上の最初のマルクスの記述を他の援用によって投言すれば,こうであ る
o1 私の立場は,経済的な社会構造の発展を,自然史的過程として了解せ んとするものである
oJ ( W 資本論』第一版序文)……『マルクスは,社会 の運動を自然史的の過程として考察する。……乙のような探究の科学的価 値は,一つの与えられた社会的有機体の成立・存続・発展・死滅及び乙の有 機体の他のヨリ高いそれによる代置等を規制する特別の法則が明瞭にされる ところにある
o~
(W 前掲書』第二版後者より)
『……要するに,経済生活は,我々にとって,生物学の他の諸領域におけ る発展史に類似した現象を呈示する
o……旧い経済学者達が, (或は所謂
「近代経済学」が 筆者)経済的諸法則の性質を,物理学や化学の諸法則
になぞらえた時,彼等は,これを誤り解したのであった。……現象のヨリ深
い分析は,社会的有機体相互が,柄物有機体や動物有機体と同様 l 乙,根本的に
異っていることを証明した。……否! 一つの同じ現象が,全く臭った諸法
則の支配に服するのであるが,それは,かの有機体の全構造の異れる結果で
あり,又その個々の器官が相異り,更にそれらの諸器官の機能する諸条件が
シュムベーターとマルクス 1 7 3
異れること,その他の結果なのである
o……マルクスは,この観点から資本 主義的経済秩序を探究し,説明しようという目標を立てて,経済生活のあら ゆる正確な研究のもたなければならぬ目標を,専ら精密に科学的に定式づけ ている
o~
(~前掲吉:~ 同)
「有機体は,力学,物理学,化学をー全体としてそのうちに含むところ の,高度の統一体である。 J (エンゲ、ルス『自然弁証法~ )
岩波の『広辞苑』及び『国語辞典』について「進化」を調べれば,一一本 稿の重要に関する限りで一一ー,最少限に,次の椋な若干の・要領よい記事を 見つけることが出来る
o【進化】 ①生物が……体制を進めて行くこと。②〔社〕生物における進 化の観念を社会に適用した発展の観念。
【進化主義】 ……一般に進化という考え方で事物を説明する立場。生物 進化論はその代表的な例であるが,自然や社会生活・精神生活について
も,この考え方で説明しようとする試みは甚だ多い。
【進化論】 …… 1 8 5 9 年,ダーウィンが体系づけたことによって広く社会 の注目をひき,雨後,文化一般に多大の影怨を与えた
o……進化の原 因,過程を 3 命ずる生物学の一分野。
シュムベーターの場合,マルクスとダーウィン両者の関税について,
両者の共通を暗に認め乍らも,関聯についてはーーかなり冷淡である
o~経 済分析の歴史』に云う, [""マルクスは恐らくはダーウィン主義の進化論の出 現に満足を感じたことであろう
Dしかし,彼自身のものはこれとは何の関係 もなく,又相互に他に対して援助をさしのべたところがないのである
oJ
当時かなりの影怨を及ぼしたに違いないダーウィン主義に対するシュムベ ーターの斯かる冷淡は,彼自身の叙述に従う限り次の殺な三つの理由をも て
コ 。
第一は,マノレクスの「傑出した天才」・非凡な個性に対するシュムベータ
ーの大いなる信頼である。
シュームペーターとて,ダーウィン主義のもつ社会的重要を無視している わけではない。否! むしろその評価たるや絶大である。即ち,言う, r w 程 の起源』や『人間の系図 J は,この期間の時代精神を描いている我々の回面 の中で,最も大きな色彩の斑点のーっとなっている
oこの両官:が人類の宇宙 観に対しでもっている長期的志義は,地動説がもっている;意義に比すべきも のがある
oこの両書は一般公衆によって広く読まれ,熱心に討議され,又ブ ノレジョアジー精神のいわば住家というべきものの家具を改装するのに有効で あった。 J ,と
o (W前掲書~ )
が,しかし,である
o(シュムベーターは続ける) r 我々の基礎的信仰や態 度は,一書の力が能く作り出し又動揺せしめ得るものではない。殊に教義を もっ人聞が荷も他を論破せんとするだけの信念を持っている限り,ダーウィ
ンを読了することによって,自分の信念が論破されるのを見出すとは考えら れない。」
そして,ここには,マルクスの天才・個性へのシュムベーターの信頼とい うよりは,むしろ,シュムベーター自身みずからへの自負一一我々俗流(亜 流)には到底察しもつかぬ程のーーが,他の同様偉大な天才・個性へのオー パー・ラップとして,斯く書かせしめたという方がヨリ適切である一一恰 も,彼の『十大経済学者』における方法におけると同じく
o俗 流 ? シュムベーターは書いている, r 私は乙こで教養をもっ cu 1 t i v a ‑ t e d 人間といったが,これは,解釈上並びに批判上の防衛手段を欠いているよ うな・余り訓練のない精神の持主にとっては,事態が異ってくるのに由るか らである
Dしかし,その場合には,訓練のない精神の持主は権威の影にかく れるのである J ,と。( w 前掲書~ )
もっとも,シュムベーターは,ここでも,彼が些かもダーウィン主義を軽
んずるものでないことの念を押すことを,忘れてはいない。「我々がダーウ
ィン主義のもっている因果的役割の大小をいかに考えようとも,その象徴的
な重要性は疑うべくもなし'1
0それは,マルクス主義による知性の上部構造と
いう理論によれば,まさに当然そうであるべき時政に現われ且つ人気を博し
シュムベーターとマルクス 1 7 5
たのであった。」
加えて,我々は,ここで,マルクスが『資本論』中におけるー註に,ダー ウィンの『程の起源』を「画期的な著述 epochemachendenWerkJ と形容 している一事実を看過してはならない。と同時に,マルクスよりダーウィン を隔絶せしめたシュムベーターは,同様,マノレクスよりへーゲノレ(更には
「哲学 J )を隔絶せしめた行過ぎ(?)を侵している御当人であることをも,
この際改めて確認しておく必要があろう
o次 l こ,第二の理由として挙げられるのは,ダーウィン主義は進化主義とし ての全体にとってその一つに過ぎない一ーという;意味でのダーウィンへのシ ュムベーターの相対的評価である
or それが広々としている河川の中の一部 の水流に過ぎないことは,地質学におけるこれとは独立しているが,類似の 発展が充分に示すところである
oそれは又……他の多くの進化論をも迩んで いったのと同じ河川であった。しかしこれらの進化論は他の点においては,
ダーウィン主義とか或はその他の生物的理論だとかとは,論理的には無関係 のものであった。この点を認識することは,この期間の知性の歴史を理解す るのを脅かしている混同を避けるために,全く主要である
oJ ( r 前掲吉j] )
この点が又,私のダーウィン主義についての考え方と,やや具るところ である
o後にはっきり述べることであるが一一一先には拙稿の援用中に既に指 摘 せ る 如 く で あ る が 私 は ダ ー ウ ィ ン 主 義 ( 生 物 学 的 進 化 論 ) を 進 化 主 義中,文字通り「象徴的重要性」をもっと見ているからに外ならない。
第三 l こ挙げらるべき理由としては,ダーウィン主義が社会科学に及ぼした
影響は同時代的でなく,多分にタイム・ラグがあった,というシュムベータ
ーの見解である
or ダーウィン主義又はダーウィン学派の発言は,後になっ
てまさしく社会学や経済学の中に入り込んでいった。……しかし木編で扱っ
ている期間にとっては,ダーウィン主義が世人の思想の一般的な慣行に与え
た影響を考えられたものを除いて,社会諸科学に対する顕若な影響を発見し
得ない J ,と。( [f前掲書 j )
加えて,シュムベーターの科学主義一ーというよりむしろ彼固有の性癖 (学問的潔癖)一一ーというべき,経済学と他の学問との関聯についての,徹 底したモンロー主義である
o彼の斯かるイズムは所謂「歴史的解釈」につい ても,それが時には事実の歪曲とも受取りかねぬ程に,国守されるのであ る
O言う, r ダーウィンもスペンサーも共に心理学に貢献した。後者は心理 学の社会学的応用を企てる趣向を示した口しかし,ただそれだけであるに過
ぎない。 J( [f前掲書~ )
斯かる直接の一例証を挙げて日く, r ダーウィンがマ
Jレサスの人口理論か らインスピレーションを受けたという彼の言葉に対して,註釈を加えておき たい。自分自身の精神過程についての当の本人の言明に背くのは,確かに危 ない乙との様に思われる
oけれども,全くーすした事件や暗示でも良く一定 の思想の流れの真相を暴露することがあるものだ。ダーウィン自身は,その
『種の起源』の序論の中ではマノレサスの著作を引用しているが,その歴史的ス ケッチの中ではこれを挙げていないのである。……斯くて私は,夕、、ーウィン 説の展開に対してわが経済学が致したサービスは,かの有名な詩烏がローマ に対して果したそれに,些か類するものがあるのを恐れる
oJ ( [f前掲書~ )
更に,別の個所では,社会学に及ぼしたダーウィン主義の影響に触れて (同じく)云う, r 歴史的社会学があるという殺な意味において,生物学的社 会学なるものは存在しない。生物学的考察が一一恰も経済学的考察その他の 場合の様に一一多少なりとも重要な説明的仮設を供するに至り得ることはあ ろう。けれども,これらの考察が登場している社会学は,それ自らの持つ方 法と材料との力によって,現にあるが如きものに止まっているのである J ,
と
o経済学の「生物学的諸学派 J ,或はダーウィン主義に対するシュムベータ
ーの拒絶反応は,一面,経済学はまさに経済学として独立した・自己完了的
な体系(学問)として存立し得ベし,とする彼の一般的な主張と共に,他
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面,彼自身の抜群な才能への自負,及び自己の才能を自信し得る者だけの示 す他の同様な個性・独自性への絶対的敬意乃至共感といったものに拠る
oと 言うことは,反面,その様な才能,即ち天才者の, I 当の本人の言明に脊く」
ことが,我々凡庸にとっては相応しく,且つ又,納得のゆく場合の多いこと をも示している。我々一ーというより,本稿の筆者の如きにおいては,むし ろその様な方向への意識的反逆に,従って又,そこに,自らの学問的甲斐性 を見出したい思いがする
Q関話休題。我々は,経済学殊にその勤学が, I 生物学的諸学派」或はダー ウィン主義などと無関係であり得ないこと,むしろ非常な密接乃至因縁を保 っていることを,ここで殊更に確認したい。シュムベーター自身, w 発 展 J 英 訳書序文に書いているではないか。 IW 静態 J 及び「動態』なる術語……それ は果して(通常の理解における如く, 筆者) W 力 学 的 類 推 』 と 必 然 的 な 関係があるであろうか。術語の歴史を穿撃する趣味を持つものは,もしも欲 するならば,むしろ動物学的類推をこ乙に挙ぐべきではないか。何となれ ば,静態及び動態なる語は,呉る芯;味においてではあるが,ジョン・スチュ アート・ミノレによって経済学に導入せられたものであり, ミノレはおそらくは これらをコントから得,後者は再びこれらを動物学者たるドゥ・プランヴ
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