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映画「四谷怪談」考−中川信夫の実験的怪奇表現

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1 「怪談映画」としての映画『東海道四谷怪談』

 本稿では、四世鶴屋南北作の歌舞伎狂言台本『東海道四谷怪談』を映像化した映画作品の うちで、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』(新東宝、1959 年)を取り上げ、この作品にお いて、南北が表現した怪奇性がどのような映像表現の方法によって描き出されているかを明ら かにする。

 戦後初めて『東海道四谷怪談』が映画化されたのは、木下惠介監督による『新釋四谷怪談前 篇・後篇』(松竹京都撮影所、1949 年)であり、以降、現在に至るまでこの原典テクストは劇 場公開された劇映画作品において九回の実写映像化がなされてきた。これらは、それぞれが独 自の観点から南北の原典にアプローチしながら散発的に制作されてきたものではあるが、全体 を通して見ると、「『東海道四谷怪談』映画史」ともいうべきフィルモグラフィを形成している ともとらえられる。まずは、本稿で取り上げる中川信夫監督作品が、こうしたフィルモグラフィ においてどのような位置付けにあるかを確認しておきたい。

 中川信夫監督の『東海道四谷怪談』は、前述の木下惠介監督作品、毛利正樹監督『四谷怪談』

2011 年9月2日受理   * 尚絅学院大学 准教授

 本論文では、戦後に制作された鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』映画化作品のうち、

中川信夫監督『東海道四谷怪談』において、南北的な怪奇性がどのような映像表現の方 法によって描き出されているかを考察した。この作品での怪奇描写は、お岩が亡霊とな る後半以降に見られ、特に、作品の終盤では、亡霊の出現のみならず、お岩の復讐、伊 右衛門の狂乱という文脈が形成されようとする最中に、隠亡堀、蚊帳、戸板といった断 片的なカットがモンタージュされることで、その文脈が拡散し、混沌とした無秩序の世 界が形成されるという表現が怪奇描写として試みられていた。こうした表現方法は、日 常的空間の秩序が、異質なものの不意の侵入によって突如、内側から解体し、混沌とし た無秩序の世界へと変容する、南北的な怪奇表現と共鳴するものであり、それを映画の モンタージュによって創出させることこそが中川信夫の実験的怪奇表現であったことが 明らかとなった。

キーワード:日本映画、『東海道四谷怪談』、怪談映画、歌舞伎、映像表現

映画「四谷怪談」考−中川信夫の実験的怪奇表現

Ai HIROSE 廣  瀬     愛 *

A Study of "Yotsuya Kaidan" Films : In a Case of Nobuo Nakagawas Experimental Expression of Horror

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(新東宝、1957 年)に続く映画化作品である。この作品について、例えば、第五作目の『怪 談お岩の亡霊』を監督した加藤泰は、1971 年の時点でのインタビューで、「こういうつくり方 もあるのかなと、たいへん感心しました。それまでの四谷怪談は、どれを見ても感心しません でしたが。」と評価する。この時、聞き手であった水野和夫(後に水野晴郎)が、1961 年の 加藤泰版映画化作品から 1971 年までの間に、第六作目豊田四郎監督『四谷怪談』、第七作目森 一生監督『四谷怪談 お岩の亡霊』が公開されているにも関わらず、「中川信夫さんの作品は ごらんになりましたか。」と、この作品を特に話題に取り上げている点にも着目しておきたい。  このように戦後の『東海道四谷怪談』映画化作品の中では特筆すべき作品として位置付けら れてきた中川信夫監督の『東海道四谷怪談』にも、それ以前の映画化作品からの影響をとらえ ることができる。それは、この作品の中で宅悦がお岩に、伊右衛門が伊藤家の娘から想いを寄 せられているらしいと告げる場面である。ここでお岩は、「独り身のあなたにはわからないか もしれないが、夫婦というものはそのようなことで縁が切れたりしないものだ」と答えるのだ が、これと同一の会話は、前作となる毛利正樹監督の『四谷怪談』に登場する。毛利正樹版に おいては、この会話は直助とお岩との間で交わされるが、こうした二人のやり取りはそもそも 原典には登場せず、この作品での映画化にあたって独自に創作された場面であると考えられる。 つまり、毛利正樹版で生み出されたと考えられるこの場面は、ほぼ同一の台詞まわしのまま中 川信夫監督の『東海道四谷怪談』に引用されているのである。

 ここで、中川信夫監督のフィルモグラフィを確認しておきたい。中川信夫は、1934 年に

『弓矢八幡剣』(右太衛門プロ第二部)で監督デビューして以降、1982 年に遺作となった『怪 異談 生きてゐる小平次』(ATG)を制作するまで、九七本に及ぶ映画作品を制作した。その うち、「怪奇映画」に分類できる作品は、『怪談累が渕』(新東宝、1957 年)、『亡霊怪猫屋敷』(新 東宝、1958 年)、『憲兵と幽霊』(新東宝、1958 年)『女吸血鬼』(新東宝、1959 年)、『東海道 四谷怪談』(新東宝、1959 年)、『地獄』(新東宝、1960 年)、『怪談蛇女』(東映、1968 年)、『怪 異談 生きてゐる小平次』(ATG、1982 年)の八作品であり、『東海道四谷怪談』以前には 四本の怪奇映画を手掛けている。特に、新東宝の社長であった大蔵貢の興行上の意向により、

1956 年から 60 年までの四年間に怪奇映画が集中的に制作されており、59 年に制作された『東 海道四谷怪談』は、その佳境に入る時期の作品であったと言える。

 それでは、このように怪談映画の制作を続け、その表現方法の追究に力を注いだ中川信夫は、

南北の『東海道四谷怪談』をもとにどのような怪奇性を映像によって創出しているのだろうか。

ここで、中川信夫が映画化にあたって用いた原典について確認しておきたい。前述のインタ ビューで加藤泰が『怪談お岩の亡霊』の映画化にあたって、歌舞伎の舞台は未見であったが岩 波文庫版の原作を読み込んだと語っているように、南北作『東海道四谷怪談』は歌舞伎台本 であり、それが上演された舞台が映像化の土台となる場合も考えられる。例えば、第六作目豊 田四郎監督『四谷怪談』には、伊右衛門の「首が飛んでも動いてみせるわ」という台詞が用い られているが、この台詞は南北の原典にはなく、『東海道四谷怪談』が鶴屋南北の手を離れ、

翌年に大阪で『いろは仮名四谷怪談』として内容を大幅に改変され、再演された際に初めて登 場したものである。しかし、歌舞伎の上演においては、この台詞は伝統的に用いられてきたた め、映画化にあたってこの台詞が用いられている場合は、原典テクストのみならず、上演され た舞台もまた映像化にあたって参照されていると考えられるのである。

 「演出雑記」によると中川信夫は『東海道四谷怪談』の映像化にあたっては、岩波文庫版を

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参照したことが確認できるが、南北の原典に対しては次のように考えていたようである。

南北の熱気のこもったセリフまわしを、現代訳する業は尋常一様には行かない古調のひび きをもつ。(中略)十年前の時は、闇雲にとり組んだが、今、回想すると、南北のリアル なセリフのどこまで生動さし得たか忸怩たるものがある10

 この言葉からとらえられるのは、中川信夫が、単に新東宝の要請を受けて、「怪談映画」の 制作に力を注いだのではなく、あくまでも鶴屋南北の生み出した表現の映像化に取り組んでい たという点である。これまで、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』については、誰もが知って いる四谷怪談のストーリーを斬新な映像表現によって描き出した怪作として評価されてきた。

しかし、その一方で、中川信夫の映像表現が、南北の生み出したどのような表現と共鳴しあう ことで生み出されたかという点については、未だ考察されてはいないのである。それでは、中 川信夫は、『東海道四谷怪談』の原典テクストの映像化にどのように取り組んだのか、以下に 考察していこう。

2 映画『東海道四谷怪談』における封建的価値観の乗り越え

 中川信夫監督の映画『東海道四谷怪談』について、鶴屋南北作の原典に基づいた観点からそ の映像化の方法を考察するにあたり、まず本節では、この映画作品のストーリーがどのように 構成されているかを分析する。

 鶴屋南北作の原典の土台となっているのは、忠臣蔵の世界観である。この歌舞伎狂言台本は、

初演時の文政八年七月には、江戸中村座で、竹田出雲ら作の時代物狂言『仮名手本忠臣蔵』と ともに上演された。『東海道四谷怪談』が初演された文政八年の時点では、『仮名手本忠臣蔵』は、

忠臣蔵を描いた狂言として、広く知られていた演目であった。一方で、『東海道四谷怪談』は、

鶴屋南北が書き下ろした台本である。この時、南北が、『仮名手本忠臣蔵』と同日に上演され ることを念頭において、台本を執筆していることは、すでに近世文学研究において明らかにさ れている11。 

 例えば、『仮名手本忠臣蔵』の大序では、鶴岡八幡宮において、新田義貞を討ち取った際に 着用していた兜を、同社の蔵に納めるために、数多ある武具の中から、どれが納めるべきもの かを詮議する場面が描かれるが、これに対して、『東海道四谷怪談』の序幕は、浅草寺境内の 楊枝店と茶店が舞台となり、遊び人、商人、ならず者たちが、楊枝店の店番をしているお袖が、

夜は地獄店に出ていると言う噂を聴きつけ、どれほど金をはずめば相手をしてもらえるかと品 定めをする場面から始まっている。つまり、鶴岡八幡宮での兜検めと言う荘厳な空間での武士 の儀式に対して、南北の『東海道四谷怪談』では、浅草寺という、町人文化の中心地ともいう べき空間12での、私娼の品定めと言う庶民の猥雑な評定の様子が描かれるのである 。  この序幕での対置的な表現の他にも、『東海道四谷怪談』の後日二番目序幕小塩田隠れ家の 場において、病床の義士小塩田又之丞が、質屋から万病に効く薬ソウキセイなどを盗み出した 疑いをかけられ、討ち入りの要員から外されてしまうくだりからは、『仮名手本忠臣蔵』六段 目で、勘平が金を盗んだ嫌疑をかけられ、討ち入りに加わることが叶わず、切腹する場面が想 起される。このように、南北が、『仮名手本忠臣蔵』との同時上演を意識し、武士階級を町人 の視点から嘲笑するかのような『東海道四谷怪談』を書き下ろした要因としては、この作品に よって、忠臣蔵の持つ封建的な価値観を乗り越えようとしていたことがとらえられるのである。

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 それでは、このように反忠臣蔵的世界観を土台とする南北の『東海道四谷怪談』の物語はど のような方法で語られているのか考察していこう。この原典は、大きく分けて三つの筋から構 成されている。第一のものは、不忠の義士である民谷伊右衛門と、その妻お岩をめぐる筋であ る。鹽冶浪人民谷伊右衛門は、お家断絶以前に御用金を横領し、その金をお岩との結納金に充 てた罪を、お岩の父、四谷左門に気付かれたために、左門を斬り殺してしまう。そして、お岩 と夫婦となるものの、隣家の豪商の孫娘お梅に見染められたため、お岩を毒殺した挙句、お梅 の家に婿入りし、鹽冶の義士にとっては仇敵となる高の氏側への仕官の口を手に入れる。最終 的に伊右衛門は、亡霊となったお岩の復讐に悩まされ、追い詰められていく。

 こうした伊右衛門とお岩のストーリーに深く関わって来るのが、第二の、お岩の妹お袖、彼 女に横恋慕する直助、お袖の許婚与茂七らの三角関係をめぐるストーリーである。お岩の妹お 袖は貧窮した家計を支えるために地獄宿(私娼屋)へと出ている。そこで彼女は、お家断絶後 に離れ離れになっていた許婚の与茂七と再会する。与茂七は義士であり、小間物屋になり澄ま して討ち入りの密計の取りまとめを図っていたが、本来の色好みから、許婚のある身でありな がら、美しい女が地獄宿に出たと言う噂を聞きつけ、そこでお袖と再会する。この作品におい ては、与茂七は、忠義を重んじて生きる典型的な義士として人物設定されているが、この場面 で描かれる与茂七の内面は、そうした義士の清廉潔白さとは矛盾したものである。お袖は地獄 宿に出ていながらも、客に涙ながらに訴え、肌身を許さず帰らせることを続けている。だが与 茂七は、それには耳を貸そうともせず、どうにかして同禽しようと説得するばかりである。こ の場面でとらえられるのは、落ちぶれても武家の娘であり、町人の生活規範にしたがって生き るのを拒絶するお袖と、立場上は義士でありながらも、その内面は色好みであり、自らの欲望 の前には、倫理観など崩れ去ってしまうような与茂七の滑稽さである。行燈の明かりを近づけ たことによって、お袖と与茂七は、互いを知ることになるのだが、与茂七は、お袖に、自らの 色好みを棚に上げ、許婚のある身で地獄宿にいることを責め苛む。その後、与茂七は姿を消し てしまうのだが、後々、お袖と直助の長屋に現われ、直助が偶然手に入れていた討ち入りの回 文状を渡せば、お袖を女房としてくれてやると取引を持ちかけるのである。つまり、与茂七に とって義士であることの体面を保ち続けることが最も重要なことであり、その内実は空虚なも のなのである。

 さらに、こうした主君の仇討をもくろむ義士としては、病に臥せってしまい、討ち入りの計 画には加われなくなってしまっている小塩田又之丞が登場する。この又之丞の病状を回復させ るべく、民谷伊右衛門の浪宅から秘伝の万病の薬ソウキセイを盗み出そうとする小仏小平の筋 が三つ目のストーリーとして語られる。ここでの小平は、旧主人への忠義心から盗みを働き、

それを伊右衛門に知られたために、なぶり殺されてしまい、お岩の死骸とともに戸板に打ち付 けられる。小平は伊右衛門に、盗みに及んでしまったのは旧主人への忠義心からであり、許し てくれるように懇願するが、伊右衛門にその理屈は通じない。むしろ、「出來心で有ふが忠義 で有ふが、人の物をぬすまばぬす人。忠義で致すどろぼふは、命はたすけるといふ天下のおき てが有か。たわけづらめ。」13と正当な理屈を切り返されてしまうのである。結局のところ、

小平は亡霊となり、すでに質草となっていたソウキセイを質屋から盗み出してしまい、その嫌 疑は、病床の小塩田又之丞にかかることになる。小平の働きによって、又之丞は病状を回復さ せ、討ち入りへの参加を果たすのだが、この顛末においては、小平の行動が忠義のための功績 ではなく、単に盗みと言う罪を背負うものとして扱われているのである。

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 これまで、一般的には第一の筋を中心に「お岩さんが伊右衛門に祟り、復讐を遂げる話」と して広く知られてきた南北の『東海道四谷怪談』であるが、原典テクストはこうした三つの筋 が、複雑に絡まりあって展開する一種の構造的表現となっている。その中で、物語は一つの一 義的な価値観へと集束されることなく、絶えず拡散していく。それは、ともすれば、『仮名手 本忠臣蔵』が、討ち入りと言う決着点に向けて、忠義を柱とし全てが紡ぎあわされていくこと とは正反対の物語の構成なのである。

 それでは、こうした物語構造を持つ原典を、中川信夫はどのように映像化しているのか。ま ずは、この作品の全体の筋がどのように構成されているか考察していこう。この映画作品では 原典とは異なり、旧家臣たちが亡き主君の仇討を目論むといった意味での忠臣蔵的世界観や義 士という人物設定は表立っては描かれない。この映画作品での民谷伊右衛門は備前岡山の浪人 であるが、お岩の父四谷左門を暗殺した後に父の仇討ちと偽って江戸に出る。つまり、この作 品で描かれる「仇討」は、主君のために義士が集結する大規模なものではなく、暗殺された父 親の仇を取るという私憤である。伊右衛門は、お岩と所帯を持つものの隣家伊藤家の娘お梅の 横恋慕によって心変わりし、お岩を毒殺してしまう。そして亡霊となったお岩が伊右衛門に祟 りをなし、復讐を遂げるべく追い詰めていくというのがこの映画作品の大筋である。

 この筋の中で、物語が最も大きく展開する局面は、伊右衛門がお岩の毒殺を決意するくだり である。なぜなら、この毒殺は、お岩の復讐とそれに伴う伊右衛門の転落を引き起こす最大の 契機と言えるからである。この映画作品の中で伊右衛門は、夜道で地面に手をついて婚約を直 訴するほど、お岩に執着していたととらえられるが、なぜ、最終的にはお岩を殺してしまうま でに心変わりしてしまうのか、この伊右衛門の心境の変化がとらえられる【シーン 20 伊右衛 門の浪宅(夜)】の場面についてまずは分析してみたい。伊右衛門と伊藤家の娘お梅が恋仲に なり、直助がお岩を殺す計略を伊右衛門に持ちかけた後、夜、蚊帳の中で伊右衛門とお岩が横 になっている。ここでは、二人の間に次のようなやり取りが交わされる。

お岩「…私は病で死ぬことなどは少しも恐れていませんが…ただ、この子がふびんで…私が 死ぬようなことがあっても…」

伊右衛門「…なんだ…」

お岩「よもや、当分は…?」

伊右衛門「もってみせる…」

お岩「え…」

伊右衛門「女房ならばじきに持つ!」

伊右衛門、がばと蒲団の上に起き上がり、お岩に向かって、

伊右衛門「その方より立派な女房をな…」

お岩愕然となる。

お岩「では、やっぱり…お梅とやらと…」

伊右衛門「世間にはいくらもある話だ…」

お岩「それでは、あの…父上の仇討は…」

伊右衛門「仇討の助太刀か…今時、そのような古風なことをするのは嫌になった。」

お岩「今さら、そのようなことを…」

伊右衛門「拙者は心底から嫌になった…それよりも晴れて仕官をなし、楽しく余生を送りた

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いのだ。」14

 この、伊右衛門がお岩に決別を言い渡す場面は、原典では、初日二番目中幕雑司ヶ谷四谷町 の場15で描かれているが、原典の場合、お岩はすでに伊右衛門から毒を盛られた後であり、

面体が崩れ始めている。原典での伊右衛門は、自分が盛った毒薬が実際に効いたのかを確かめ るために家に戻り、お岩の崩れた面体を見て驚き、お岩と決別する覚悟を固めるのである。一 方、中川信夫の映画作品の場合、先に引用した部分の直前のシーンで、伊右衛門は、まだ、お 岩に手をかけることを躊躇している16。それでは、この場面でのどういった点が、伊右衛門に お岩殺しへと向かわせるのだろうか。

 この映画版の筋では、お岩にとっての伊右衛門は、やがて父の仇討を果たしてくれる存在と して描き出されている。そのため、伊右衛門から、すぐにでも新しい女房を持つと宣言された お岩の反応は、それを悔しく妬ましく思ったりするものではなく、父の仇討が成就できないこ とを心配するというものである。こうしたお岩の伊右衛門に対しての見方は、作品中の別の場 面からもとらえることができる。例えば、序盤で、江戸で所帯を持つ伊右衛門とお岩の暮らし ぶりを描く【シーン8伊右衛門浪宅(夏)】には、次のようなやり取りが見られる。

 (お岩のセリフ)「どうしてあたし達はこんなに不幸せなのかしら、世が世ならあなたさ まも…」伊右衛門はグチはよせといらだち、「仇はいつ討てることやら」という岩に、「お 前は貧乏ぐらしがいやになったのか、この伊右衛門にもあいそがつきたのか」と、とび出 す17

 このようにお岩が伊右衛門を父の仇討の頼りとする見方は、冒頭の場面から中盤に至るまで 変わることはない。それは伊右衛門が、新しい後添いをすぐにでももらうことを宣言しても変 わらないのである。

 一方で、伊右衛門は、お岩とお梅という二人の女性と関わりを持つことになる。お岩は、先 にも述べたように、伊右衛門が惚れ抜き、恥をかいてでも罪を犯してでも一緒になろうとした 女性であるが、当のお岩は一人の女性として伊右衛門自身と向き合うことはない。一方でお梅 は、窮地を救ってくれた伊右衛門に一目惚れをした女性である。つまり、伊右衛門自身に、惚 れて一緒になりたいという自らの欲望のまま向き合う女性なのである。この映画作品の中で、

お岩の行動の規範となっているのは、四谷左門という武士の娘として、そして浪人しても民谷 伊右衛門という武士の妻として務めを全うするという封建的価値観である。こうしたお岩の考 え方は、宅悦から、伊右衛門が伊藤家の娘お梅と密会しているらしいと聞かされた時に、「宅 悦どの、あなたはまだ独り身だそうですから、おわかりにならんでしょうが、夫婦というもの は、そのようなことで」と答える台詞のうちにもとらえることができる。このように、伊右衛 門にとってお岩は、苦労して一緒にはなったものの、決して自分と人間的に向き合うことので きない女性であった。結局のところ、伊右衛門は、お岩から人として愛されることはなかった のである。

 お岩が他者と関わりあうことを阻んでいたのは、彼女の行動の絶対的な規範であった封建的 な価値観である。お岩にとっては、親を殺されれば仇討をすることは、最も常識的な行動原理 なのであり、それは夫の務めであると固く信じていた。特に武士である伊右衛門も同じ規範の

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もとで生きていることを疑わなかったのである。しかし、この映画の中で伊右衛門が望んでい たのは、あくまでも人として、自分の思いや欲望に基づいて生きるということであった。この ように考えて見ると、伊右衛門にとって、お岩は、単にお梅と一緒になるために邪魔な存在で あるばかりでなく、ともすれば人として自分のために生きることを、旧弊な行動規範のうちに 抑えつけようとする存在ととらえることができる。【シーン 20 伊右衛門の浪宅(夜)】の場面 において、お岩が死後に未練を持っているのが、自分自身と一緒にいられなくなることではな く、父の仇討であることが明らかとなる。それゆえ、この作品において、伊右衛門は、お岩を 手に掛けるのである。

 

3 モンタージュの生み出す怪奇性

 映画『東海道四谷怪談』の前半部の筋からは、人として生きようとする伊右衛門と、封建的 な生き方に閉じようとするお岩との葛藤の末に、伊右衛門がお岩を殺すことによって、旧弊な 価値観を乗り越えるという内容をとらえることができる。この前半部での、お岩が封建的な価 値観に閉じているという描写は、お岩が生きている人間として登場するシーンの演出方法から もとらえることができる。それは、お岩の行動範囲を極めて狭く限定し、動作自体も緩慢なも のにとどめている点である。以下に、前半部でのお岩の動きの特徴を具体的に挙げてみたい。

 この作品に初めて人間のお岩が登場するのは、【シーン2四谷左門の家】で、お岩とお袖が 仏壇の前で、伊右衛門と与茂七に父の仇討ちを頼む場面である。このシーンでは、お岩が仏壇 の前に座ったまま筋が進行する。続いて、【シーン3街道】では、お岩、伊右衛門、直助、お袖、

与茂七の一行が、江戸を目指して歩いている。だが、お岩は疲労のためお袖に助けられながら 辛そうに歩みを進める。この一行が辿り着いた先は、【シーン4街道の茶店】である。立札に は「白糸の滝・曽我兄弟の墓まで半里」と書かれている。前のシーンでお岩は、力を振り絞り、

歩みを進めているが、その理由が、お岩の「曽我の五郎、十郎の墓に参り、めでたく本懐遂げ られますよう祈願したいと思っておりましたのに、とてもこの体では…」という台詞によって 示される。生前のお岩は、仇討という行動原理に突き動かされるが故に、長い道のりを歩くの であるが、この場面では、疲れ果てて茶店の床几の上に座り込んだままである。さらに、伊右 衛門と直助が、与茂七を滝壷に突き落とし、敵に襲われたと茶店に戻って来る【シーン6街道 茶店】では、シーンの冒頭から、お岩は疲労のために癪を起こし、床几にもたれかかったまま である。

 舞台は江戸に移り、【シーン8伊右衛門の浪宅・座敷】では、庭先から縁側越しのカメラア ングルで座敷内がとらえられるが、お岩はまず、座敷の奥で赤ん坊を寝かしつけ、そして少し 手前に座り込み、針仕事を始める。こうして座った姿勢のまま、お岩は、伊右衛門に、いつに なったら父の仇討ができるのかあてがなく、不幸せな身の上だと語るのである。苛立った伊右 衛門は外に飛び出し、お梅を助ける一件が起きる。再びお岩が登場するのは、賭場で一文無し になった伊右衛門が帰宅する場面である。【シーン 15 伊右衛門の浪宅】は、お岩が庭先で盥に 後ろ向きに浸かり、行水をする板付きのショットから始まる。伊右衛門が帰宅する物音が聞こ える。カメラ位置が変わり、次のショットでは、お岩は座敷に入り、伊右衛門の枕元に座り込 む。ここで伊右衛門には、吉原に行くための金策に、吊ってある蚊帳を無理やり持ち出そうと する大きなアクションがあるが、お岩は座ったまま、これに抵抗し、戸棚から帯を出し、伊右

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衛門に差し出すという制限した動きとなっている。

 日が替わり、お梅と伊右衛門が船宿で逢引をするのと同じ頃、【シーン 18 伊右衛門の浪宅】

では宅悦がお岩の肩を揉みながら、伊右衛門が外で他の女性と逢っているらしいと話す。ここ では、カメラはローポジションで、手前に赤ん坊、その奥にお岩が、団扇で赤ん坊に寄って来 る蚊を追いながら、宅悦に按摩をされている様子を固定した画面内にとらえる。ここでもお岩 に大きな動きは見られない。伊右衛門は直助から、早いところお岩を始末するよう急かされる が、気乗りがしないまま帰宅した後の夜半の場面【シーン 20 伊右衛門の浪宅】では、伊右衛 門が、お岩に新しい女房をすぐにでも持つとけしかけるやり取りが行なわれるが、このやり取 りは、蚊帳の中で、伊右衛門がカメラの方を向いて横たわり、その背後にお岩が伊右衛門の方 を向いて横たわるという位置関係で行なわれる。二人ともにほぼ動きのない固定したショット である。

 日が替わって、伊右衛門は、直助から面体の変わる毒薬を手渡され、【シーン 24 伊右衛門の 家】の場面で、ついにお岩に毒を盛る。お岩は、伊右衛門から手渡された毒の入った湯を、蚊 帳の中の病床で飲み干すのだが、この時、はじめて、お岩をとらえるカメラに動きが伴う。最 初、カメラは、茶碗を口に運ぶお岩を俯瞰のバストアップでとらえているのだが、お岩が湯を 飲み干すために茶碗を高く持ち上げ、背中を反らす動きにつれて、カメラも斜めにカーブを描 くようにパンするのである18。このショットは、お岩の動きを伸びやかに、大きく見せるもの であり、ここでの映像表現には、これまでの固定した、制限された動きのショットからの変化 がとらえられるのである。

 この場面までのお岩の描写の特徴は、最小限に制限された動作と、固定したカメラワークで あった。前半に登場するお岩は、病弱、あるいは産後の肥立ちが悪いという設定上の理由もあ るが、伊右衛門の家の中で座っている、もしくは横たわっているばかりである。ここまでで描 かれるお岩は、自分の足で立って、自らの思惑に従って行動することはない。伊右衛門という

「立派な武士の妻」という立場に閉じているのである。それは、自己の思考や欲望以前に、武 家の娘、武士の妻である以上、かく行動すべきという行動規範を持ち、それを第一義的に遵守 する生き方であった。そうしたお岩の存在の仕方が、前半部では、固定したカメラワーク、制 限された動作のうちに描出されているととらえられる。

 しかし、こうした、お岩の閉じた生き方は、お岩が毒をあおるショット以降、変化を見せ始 める。なぜなら、お岩の動きにつれて、カメラが大きく動き始めるのである。廣末保は、原典 においての、お岩の鉄漿付け、髪梳きの場面を、すでに面体の崩れたお岩が、髪を梳き、鉄漿 を付けることで、さらに異様な容貌へと変貌していく過程を通して、伊右衛門という悪に拮抗 するエネルギーを蓄えていく時間であると論じているが、映画『東海道四谷怪談』には、こう した変身のための髪梳き、鉄漿付けの描写はなく、お岩は、毒によって容貌を変えることで変 身を遂げる。つまりこの映画でのお岩の変身は毒をあおる行為から始まるのである。

 この場面でカメラが大きく動くのは、それ自体がお岩の精神のありようを描写する。お岩は、

毒をあおることによって容貌が変わり、そうした自らの異変によって、伊右衛門の企みを知る ことになる。その結果、お岩は宅悦に向かって剃刀を振り回すほど錯乱し、伊右衛門を呪いな がら息絶えて行く。だが、この死に至る過程の中で、お岩の精神のありようは、大きく変化し ているのがわかる。なぜなら、毒をあおる前までは、武士の妻として、武家の娘として、然る べき行動を取ることがお岩の行動規範であったが、毒をあおって以降、お岩は、自らの恨みの

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エネルギーに基づいて行動を始めるのである。そして、毒をあおるショットで、カメラが大き く動いて以降、お岩自身のアクションは、宅悦に向かって剃刀で切りつけるという大きな動き へと変化する。

 それでは、お岩は、このショット以降、どのような存在へと変身するのか、お岩と宅悦を打 ち付けた杉戸が流されてから後の描写をもとに考察していこう。お岩が亡霊となって登場する のは、伊右衛門が伊藤喜兵衛の娘お梅と祝言を挙げた後の【シーン 33 伊藤家・お梅の部屋】

の場面である。この場面では、お梅が着替えのために退出し、伊右衛門は一人で茶を飲み、座っ ている。そこへ水音とともに、お岩の「伊右衛門殿、よくもこの私に毒を飲ましたな」という 恨み言が聞こえて来る。ただならぬ気配に、伊右衛門が辺りを伺うと、天井に戸板に打ち付け られたお岩が張り付いている。この時、天井には、水の反射のような光が揺れている。

 だが、これと時を同じくして、お岩は直助のもとへも現れる。四谷左門殺しの濡れ衣を着せ た小沢宇三郎を闇討ちするところを目撃させ、仇討が果たされたとお袖に思い込ませた直助は、

【シーン 34 直助の家】において、晴れて、お袖と床を共にする準備を進めている。だが、直助 が、行燈に布を掛けようとした瞬間、座敷の上に、戸板に打ち付けられたお岩の姿が、そして、

川の水の中に滑り込んでいく、お岩と戸板が現れるのである。ここでのお岩出現のくだりは、

4カットで描写されるが、このモンタージュの方法は特徴的である。第一のカットでは直助は 行燈に布を掛け、何気なく後ろに目をやる。第2のカットでは、直助の位置から見たアングル での戸板に打ちつけられたお岩が示される。戸板は座敷の上に置かれており、お岩は戸板の上 に打ち付けられ、横たわり、直助の方に首がごろりと倒れる。このカットは直助の見た目とし てとらえることができ、お岩は画面右上を頭、左下を足にして斜めに横たわっている。これに 続く第3のカットでは、その光景に直助が驚きの声を上げる。ここでの直助は同じ方向を見た ままである。しかし、これに続いてモンタージュされる第4のカットは、お岩を打ち付けた戸 板が川に沈む。このカットでは、第2のカットでの直助の見た目に反し、画面下側にお岩の頭 が、画面上側にお岩の腰帯が配置された、ウェスト・ショットである。このカットが特徴的で あるのは、第2のカットとは異なり、お岩を打ち付けた戸板が座敷に現れるのではなく、川に 沈められる光景それ自体の描写が挿入されている点である。

 直助は、お岩の死後、伊右衛門を手伝い、お岩と宅悦を打ち付けた戸板を川に流すことに加 担するのだが、この場面での直助はお岩の足元に立ち、川に戸板を放り込むという位置関係で あった。つまり、第4のカットが直助の幻覚であるとしても、それは、直助にとってかつて見 た光景のフラッシュバックではなく、新たにもたらされる心象なのである。直助は、あわてて、

目を覆って顔をそむけるが、こうした光景は、お袖には見えていない。 

 このように、お岩の姿が突如現れ、お岩が恨みを抱いた相手に、その姿が見えるという異変 は、伊右衛門のもとにも立て続けに起こるようになる。【シーン 35 伊藤家・お梅の部屋】にお いては、伊右衛門とお梅が蚊帳を吊った新床の中にいる。ここでは、お梅が、まず、蚊帳の上 に這っている蛇を目撃し、驚いて悲鳴を上げる。続いて、伊右衛門が、即座に枕を投げ、蚊帳 を叩き落とすというくだりが描かれる。

 ここで、この場面で登場する蛇について確認しておきたい。この映画作品において、蛇が登 場するのは、序盤の【シーン6街道茶店】の、伊右衛門と直助が与茂七を白糸の滝に突き落と した後、敵を追うために、直助とお袖が急いで出立した後のくだりである。後に残った伊右衛 門は、癪を起こし、苦しんでいるお岩を介抱する。お岩は、床几の赤い毛氈の上に半身を横た

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えているが、突然、毛氈の上でとぐろを巻いている蛇に驚き、伊右衛門にすがりつく。伊右衛 門は、蛇を打ち殺そうとするが、お岩は、「殺さないで、蛇は神様の使いと申しますから、そ れに私は巳年の生まれなんです」19と言い、伊右衛門を止めようとする。原典においては、お 岩は子年の生まれという設定がなされており、随所でネズミが変事を起こす。さらに、映画に は登場しない小仏小平の怨念が蛇に姿を変えて現れることになる。中川信夫は演出雑記におい て、この【シーン 35】で蛇を登場させることで、「後段、蛇の登場の一伏線とした」20と記し ており、ここで亡霊となったお岩の祟りの一環として蛇が登場するのは、お岩の恨みの念が蛇 の姿として現れたものと解釈することができる。

 蛇の登場に続き、この場面では、伊右衛門が蛇を蚊帳から落とし、外の様子を伺いに蚊帳を 出た後、再び蚊帳に横たわる。この時、お梅は安堵し、寝床に横たわる。この時、お梅は恥じ らいつつ、うつむきながら横たわるように、画面下へとフレームアウトする。画面には身を起 こしている伊右衛門だけが残る。伊右衛門が、「そのように恥ずかしがらなくともよい」と声 をかけると、今度は、お岩が起き上がるように画面下からフレーム・インして出現する。伊右 衛門は蚊帳の外に躍り出て、叩き落とした蚊帳の上からお岩に斬りかかる。だが、蚊帳を払い 除けるとお袖が惨死し、すでに事切れている。

 次に続くのは、原典においても、お岩の復讐の最大の見せ場となる十万坪隠亡堀の場面であ る。【シーン 41 隠亡堀】では、直助が鰻掻きの最中、お岩の落毛のついた櫛とお岩と宅悦が身 に付けていた着物を泥の中から掻き出す。直助は、それが、お岩と宅悦のものだとは気付かず、

良いものが手に入ったと、それを持ち帰ることとなる。直助が引き上げるのと入れ替わりに、

隠亡堀に気晴らしの魚釣に出向いて来た伊右衛門が、堀へと釣り糸を垂らす。だが、浮きは動 いても何もかかっておらず、不審に思った伊右衛門は、釣竿で水の中を探る。その途端、辺り が一瞬にしてかき曇り、堀の水の中から戸板に打ちつけられたお岩が浮かび上がって来る。お 岩は、「恨めしや伊右衛門殿、民谷の血筋、絶やさでおくべきか…」と恨みの言葉をつぶやき、

水の中へと沈んでいく。伊右衛門が驚愕し、目を背けているうちに、再び戸板が、打ちつけら れた宅悦とともに浮かび上がって来る。この戸板に表裏一体に打ち付けられた男女の死体とい う描写は、終盤に再び現れて来ることになる。

 この隠亡堀の場面に続き、【シーン 42 直助の隠れ家・土間】の場面にも、お岩の亡霊が登場 する。隠亡堀での鰻掻きから戻り、濯桶の中に足を入れた直助の足に、突如無数の蛇がからみ つく変事が起きる。お袖には何も見えず訝しがっているうちに、お袖は、直助が持ち帰って盥 に放り込んだ着物と、蛇に驚いて直助が放り出した櫛がお岩のものであることに気付く。お袖 は、盥の水の中からお岩の着物を取り上げるが、着物から血が盥の中に滴り落ちる。お袖は、

お岩の身に何かあったのではないかと案ずるが、その時、表の戸が音もなく開き、生気のない お岩が入って来る。このお岩の姿は、毒を盛られる以前のなりである。直助は驚き、声を上げ るが、その背後では面体の崩れたお岩が、直助をじっと見据えている。お袖は、姉の無事を喜 び、お岩を家の中に招き入れるが、お岩は一言も言葉を発しない。一方、直助は、うつ伏せの まま、戸板に打ち付けられたお岩の下敷きとなり、床に這いつくばったまま、恐怖に震えてい る。お袖に見えているのは、倒れて来たであろう戸板の下敷きになっている直助の姿であるが、

直助は恐怖のあまり、四谷左門と佐藤彦兵衛を殺したのは伊右衛門であり、今や瑞正寺に身を 隠していると口走り、家から逃げ出してしまう。お袖はお岩に連れられ、霧深い夜道を歩き、

【シーン 44 宿の一室】の場面において、九死に一生を得て、江戸に辿り着いていた与茂七と再

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会する。この場面で、与茂七とお袖は、実の仇であった伊右衛門を瑞正寺に討つ決意を固める のである。

 ここまでが、映画においてお岩の死後、亡霊となったお岩が伊右衛門を追い詰めていくシー クエンスである。この中でお岩は、蛇への転身と自在な偏在性を獲得し、伊右衛門あるいは直 助の前に現れるようになる。それ以前の序盤の街道の茶店の場面においては、お岩自身と蛇は 分離したものとして描写されていた。この場面でお岩は、赤い毛氈の上を這いまわる蛇に驚き ながらも、伊右衛門に殺さないでくれと強く求める。序盤のお岩の動きとしては、蛇を激しく 打擲する伊右衛門にしがみ付き、動きを制するという大きなアクションであるが、ここでのお 岩の心情は、やや分裂したものとなっている。お岩が癪を起こして苦しい身でありながらも、

力を振り絞って、伊右衛門を制する理由は、「蛇は神様のお使いですから」とする、伝統的規 範を遵守するためである。しかし、お岩は、そこに、「それに私は巳年の生まれですし…」と する、自らの信条に基づいた理由を付け加えるように口にするのである。

 ここでの蛇は、映画前半のお岩の抑制された動きに反するかのように、毛氈の上を動き回る。

その動きは言うまでもなく本能に基づくものである。つまり、ここでの蛇は、お岩が、自らの 内にあることを知りながら、封建的な価値観という社会的に架された枷によって抑圧してきた、

一人の女性、あるいは人間としての自分自身を表わすものとしてとらえられるのである。だが、

この序盤では、お岩と蛇とは分離したままである。それが、一体化するのは、お岩が亡霊と化 し、伊右衛門にたたりをなし始めた直後のことである。原典では、子年生まれのお岩は、鼠と なって変事を起こすが、例えば、巨大化して猫を食い殺したり、赤子を引きずり込んだりといっ たように化け物となって得た強大な力を描くことではじめて、そこでは怪異が成立する。しか し、この映画の場合、当のお岩自身ですらも驚きの声を上げるほどに、蛇の姿は忌み嫌われる ものである。蛇と化したお岩は、ただ伊右衛門とお梅の新床の蚊帳の上に、そして直助の足が 浸かっている桶の中に現れるだけである。にもかかわらず、その姿で、肝を潰した如く、相手 を怯えさせるのである。

 つまり、お岩は、そうした姿かたちの醜悪さを含み込んだ上で、蛇へと転身するのである。

お岩は、毒を盛られて面体が崩れ、狂乱の挙句憤死を遂げたのであったが、そこで、お岩は悲 嘆にくれたまま終わるのではなかった。面体が崩れたまま亡霊となったお岩は、蛇という忌み 嫌われる姿へと転身することで、美醜という価値基準を乗り越えてしまうのである。そして、

蛇と化したお岩は、自らの恨みという感情にのみ基づいて、自在に動き回るようになる。同時 に、お岩は、蛇、戸板に打ちつけられた崩れた容貌、伊右衛門の妻であった頃の姿と言ったよ うに様々な姿に変化する。それは、お岩にとっては、本能、恨み、妹への慈愛といった封建的 価値観のもとに抑圧されていた様々な感情に基づいて、自由自在に動き回るということであっ た。この場合、自在に動き回るということは、大きなアクションを立て続けに行なうというこ とではなく、映像のモンタージュによって、ある一つのシーンの中の様々な場所に、姿を変化 させながら次々と出現することである。例えば、【シーン 42 直助の隠れ家・土間】においては、

桶の中の直助の足に無数の蛇が絡み付くという形で、まずお岩は蛇の姿でいったん出現する。

その後、表の戸が一人でに開き、お岩の亡霊が、伊右衛門の妻のなりで戸口に現れる。それに 続く切り返しショットで、直助が、その姿を見て、肝を潰したように驚くのだが、その直助の 背後では、面体の崩れたなりのお岩の亡霊が立ち、直助を恨めしげに見据えている。再び、表 の戸口のショットとなり、お袖が、姉の来訪に喜び、お岩の亡霊を招き入れる。その次に再び、

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直助のショットの切り返しのショットとなるが、ここでは、直助は戸板に打ち付けられたお岩 の下敷きとなって這いつくばり、恐怖に震えている。この場面においては、お岩は、伊右衛門 の妻のなりで表の戸口に現れ、お袖と再会すると同時に、直助の背後に殺された時の姿で立ち、

しかも次のカットでは、戸板ごと直助に倒れかかっているのである。ここでは、カットの断片 的なモンタージュによって、お岩の出現が描出されているが、こうした描写方法により、お岩 が同時に二つの姿で現れ、しかも、直助に対しては、背後に立って恨めしげに見据えることか ら、戸板で直助の上にのしかかることへと、瞬時に異なった行動を起こしているのである。

 こうした、亡霊となったお岩の行動の特徴は、時間的にも空間的にも自由自在な転身と偏在 性ととらえることができる。お岩は、伊藤家の屋敷では、天井に戸板ごと張り付き、隠亡堀で は戸板ごと水中から浮かび上がり、また、生前の姿でお袖を与茂七の宿まで連れていくといっ たように、天地の区別なく行動範囲を広げていく。序盤で描かれる、毒を盛られる以前のお岩 は、その行動の大半が伊右衛門の座敷において、座る、横たわる、といった静止したものであ り、固定ショットで撮られていた。

 この時のお岩の生き方を支えていたのが、親の仇討を最優先事項とし、それを全うするため に、頼りの夫に尽くすという旧弊な封建的価値観であったことを思い出して見ると、自らの人 間としての感情を押さえつけて、伝統的行動規範を優先するという抑圧された精神の状態が、

静止した行動を通して描出されていたことがわかる。こうした序盤での描写方法を踏まえると、

中盤でのお岩が毒をあおるカットでのカメラの不安定なパンの動きを境に、お岩の動きは、死 の間際の、面体が崩れたことによる狂乱の場面においてアクション自体が大きくなり、亡霊へ と転身した後は時間空間の連続性を超越し、時には蛇に姿を変えながら、あらゆる場所に自在 に出現するというものへと変わっていることがとらえられる。この場合、亡霊となったお岩の 行動を支えているのは、伊右衛門を恨み、妹を案ずるという私情である。つまり、この段階に おいて、お岩は、生前自らを抑圧していた封建的行動規範からは完全に解放された状態となっ ているのである。

 以上のように、お岩の行動をとらえたショットの描写方法を中心に、その前半と後半での表 現方法の変化を考察してみると、前半では、お岩は旧弊な価値観に縛り付けられた存在であり、

それゆえ、伊右衛門に対しても建前でしか接することができなかったために生じた悲劇が描か れ、後半では、伊右衛門への怨念という私情のみを行動の理由に据えたお岩が、抑制された精 神のありようから解放され、自在かつ偏在的な出現によって変事を起こし、伊右衛門を錯乱へ と追い詰めていくという文脈をとらえることができるのである。

4 映像による南北的怪奇表現の創出の方法

 中川信夫監督『東海道四谷怪談』は、前半部では伊右衛門の四谷左門殺し、偽りの仇捜しの ための江戸への出奔、お梅の横恋慕による伊右衛門の心変わり、直助の伊藤家に加担するため のお岩殺しの姦計、伊右衛門のお岩暗殺が語られ、後半部では、お岩の祟りによる伊右衛門の 伊藤家一家殺し、隠亡掘の戸板返し、瑞正寺での直助殺し、与茂七とお袖による伊右衛門の討 伐が語られるといった構成になっている。この全体構成のうちで、非日常的な変事が起きると いう意味での怪異を描写しているのは、お岩が死後、亡霊として現われる後半部以降のシーク エンスである。

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 特に後半部での怪奇描写の特徴は、突如として蛇が現われること、お岩の亡霊が天地の区別 なく偏在的に現われることであり、その偏在性は断片的なカットのモンタージュによってもた らされていた。これまで、こうした怪奇描写について、前半部と後半部でのお岩の行動の変化 に着目し、亡霊となったお岩の描かれ方の特徴を考察することで、中川信夫が、亡霊となった お岩の描写を通して、封建的価値観のうちに囚われていた精神と行動の枷から解放され、人間 としての感情に基づいて生きることへの変化を描き出していることがわかった。

 ここまで考察してきたのは、伊右衛門、直助、伊藤家一家がお岩を亡き者にした後、思い通 りの生活を続けようと目論んでいたその日常の中に、お岩の亡霊が介入してくるくだりの怪奇 表現についてであった。お岩の引き起こす縦横無尽の怪異によって、伊右衛門は錯乱し、伊藤 家は滅亡し、直助はこれまでの悪事を暴露してしまう。日常生活の中に起こるはずのない異変 が生じ、蛇や亡霊といった目を背けたくなるような不気味なものが姿を現わす、これが後半部 で描かれる怪奇性の特徴であった。それは、モンタージュによって時間、空間の秩序が失われ、

日常の安定した時間、空間が突如混乱することで生じる画面の中のみで生じる怪異であった。

 この映画作品のうちで、こうした怪奇表現が最も際立っているのは、作品の終盤で、瑞正寺 に蟄居している伊右衛門へのお岩の復讐がクライマックスに達するくだりである。このくだり は、お岩の亡霊に怯え、家から飛び出した直助が、瑞正寺の伊右衛門のもとに駆け込んで来る

【シーン 45 瑞正寺】から始まる。この場面では、直助が伊右衛門に、伊藤家から金を持ち出し たのだろうと毒づくが、伊右衛門はそうした直助の態度に殺気立ち、直助を切り捨ててしまう。

この伊右衛門が、直助を座敷で切り捨てる展開では、切られた後の直助の苦悶の表情のアップ に続き、赤一色の画面、赤く照らされた座敷の中に出現する隠亡堀の光景とその中に横たわる 戸板の上のお岩、その水の中に倒れこむ直助といったモンタージュがなされている。これに続 く次のカットでは画面内はもとの座敷に戻り、切られた直助が倒れている。

 この場面では、瑞正寺の一室というセットの中に、瞬時に赤く染まった隠亡堀の情景が出現 するという怪異が描かれるが、ここでは、寺という聖なる空間の中に突如、かつてお岩の死体 を流した隠亡堀、つまり忌むべき空間が出現する。この描写において重要であるのは、聖域空 間が禁忌の空間にとって代わられるという方法ではなく、寺の一室という聖なる空間があり続 けるその中に、隠亡堀という禁忌の空間があらわれるという方法が用いられている点である。

こうした表現の方法は、伊右衛門が背負っている罪を顕在化させるものであると同時に、鶴屋 南北の作劇の特徴と共鳴する表現と考えることができる。

 南北の作品には、例えば婚礼と葬儀が一つの舞台で同時共存するといったように、異質な要 素同士がぶつかり合い、相互に境界を侵犯しあうことで、制度化された劇空間を無秩序の空間 へと転換させる表現方法の特徴がある。廣末保は、こうした南北の表現方法の特徴を「綯い交 ぜ」の構造であるとし、次のように概念化する。

 二つ以上の異なった世界を綯い交ぜにするということは、異質な様式、異質な秩序、異 質な空間を綯い交ぜることだが、それは、もし意図するなら、〈世界〉を綯い交ぜるばか りでなく、〈世界〉をその内側から解体し、その解体させられた結果の断片を、綯い交ぜ 的に出会わせ重層させ組み合わせる方法へと発展させることができる。意表をついた出会 いと転調。綯い交ぜ式モンタージュと言っておいてもよい21

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 綯い交ぜとは、歌舞伎事典にも項目化されているように22、ある一つの作品の筋のうちに、

別の作品の筋や設定が引用され、織り交ぜられる作劇法であるが、廣末保は、南北の作品につ いて、この綯い交ぜの独自の概念化を試みている。こうした南北の表現の特徴をもとに、映画 の【シーン 45 瑞正寺】の表現をとらえてみると、この場面では、寺の一室の中に、かつての 殺しの現場であった隠亡堀が出現するといったように、対立し合うものが互いに境界を侵犯し 合うことから生み出される、無秩序で拡散した劇空間が形成されていることがわかる。そして、

こうした異質なものの不意の侵入こそが、南北の表現の特徴であるグロテスクさ、怪奇性であ ると考えることができる。

 続く場面伊右衛門が瑞正寺でお岩の亡霊に追いつめられる場面では、こうしたグロテスクな 空間形成は、より顕著に行なわれることになる。隠亡堀の出現の後、伊右衛門は狂乱し、本堂 に駆け込み、すがるように須彌檀へと駆け寄る。しかし、須彌檀は伊右衛門を拒否するように 後退してしまい、そこに伊右衛門がお岩に盛った毒薬の包みと同じ色彩の、赤と金の紙片が無 数に舞い落ちて来る。そして、以下のような断片的映像によるショットが続く。

 子供を抱いたお岩、天からの赤い蚊帳の落下、本堂の暗がりを逃げる伊右衛門、本堂に張ら れている赤い蚊帳、伊右衛門が倒れ込んだ床に散らばっている無数の戸板、お岩と宅悦を打ち 付けた戸板の反転、宙を切りつける伊右衛門、無数の戸板の上に転がっているお岩と宅悦の死 体、戸板の上を這いまわる蛇、駆け込んで来るお袖と与茂七、狂乱の体で刀を振り回す伊右衛 門、落ちて来る赤い蚊帳、赤一色の画面、無数の戸板の上で叫び声を上げる伊右衛門。

 ここでの描写からは、本堂を逃げまどう伊右衛門が、お岩の見せる幻覚に苦しめられ、錯乱 していき、お袖と与茂七が伊右衛門を討つために駆けつけるという文脈をとらえることができ る。しかし、こうした文脈のうちに差し挟まれるカットの断片性には着目しておく必要がある。

ここでの断片的映像は、伊右衛門にとっては罪、お岩にとっては恨みを顕在化する映像である。

すなわち、赤と金の薬の包みは、お岩の容貌を崩してしまう毒であり、死と罪の原因となり、

隠亡堀と戸板は殺しと死が隠された経過であり、蛇はお岩にとっては分身でありながら、伊右 衛門にとっては忌わしく打ち殺したものといったように、ここでの断片的映像は、それぞれが 伊右衛門とお岩と相関関係を持ったものである。

 しかし、この中で、蚊帳だけは少し性質の異なるものである。原典では、蚊帳は伊右衛門の 嗜虐的な一面を描くための小道具であり、隣家伊藤家の差し金によってお岩に毒を盛った伊右 衛門が、伊藤家の娘との婚儀のための金策に持ち出そうとし、お岩が引きとめるも力及ばず、

蚊帳にひっかけた生爪がはがれ、蚊帳が血だらけになるという陰惨な見せ場が描かれる。これ に対して、映画『東海道四谷怪談』では、伊右衛門は賭場への金策に蚊帳を持ち出そうとする が、お岩に代わりの帯を差し出され、蚊帳を残していくという展開になっている。ここで原典 と異なり、伊右衛門が蚊帳を残していくのは、中川信夫監督の演出雑記によると、後々の重要 な小道具とするためであるとされている。映画では、作品中盤でのお岩が毒を盛られ、容貌を 変貌させ、憤死するシークエンスは、主として伊右衛門浪宅の座敷が舞台となっているが、そ の中でも、特に蚊帳に区切られることによって、お岩の死と結びついた空間が形成されている。

つまり、原典での蚊帳は、伊右衛門の嗜虐性の見せ場のための小道具として用いられているが、

映画においては、お岩の恨みを熟成させる空間を作り上げるための装置として用いられている のである。

 こうした、伊右衛門の罪、お岩の恨みと結びついた薬の包み、蚊帳、戸板を提示する断片的

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ショットの並べられ方には、例えば、起こった時間順であるといったような因果関係による法 則性はとらえられない。ここでのモンタージュを統御しているのは、ショットが目まぐるしく 転換する際に生じる色彩、形態、動き、フレーミングの変化のリズムであり、こうしたモンター ジュにより、お岩が伊右衛門を追い詰めていく瑞正寺の本堂という場に、混沌とした時間・空 間が形成されているのである。

5 中川信夫の実験的怪奇表現

 以上、考察してきたように、鶴屋南北の原典においての怪奇性は、表面的には日常的空間だ と思われているものの秩序が、突如、内側から解体し、表層的には日常的空間のように見えな がらも、その実、混沌とした無秩序の世界へと変容するといった表現によって描出される。こ の点を踏まえると、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』の終盤場面に見られる怪奇表現は、伊 右衛門の罪、お岩の死とそれぞれ関わりを持つ断片的映像を用いることで、お岩の復讐、伊右 衛門の狂乱という文脈が形成されようとする最中に、そのショットの配置の混在性によって、

それが拡散し、混沌とした無秩序の世界が形成されていくという表現になっていることがわ かった。ここで形成されるカオスの世界は、表層的には、伊右衛門とお岩と深く相関する映像 断片によって作り出されているのであり、こうした極めて南北的な表現を映画のモンタージュ によって創出させることこそが、中川信夫の実験的怪奇表現なのである。

 (付記)

 本論文は、日本映像学会第 36 回全国大会(2010 年 5 月 30 日、於:日本大学芸術学部)での発表内容に基づ いたものである。

 現在、映像を確認できるのは戦後の映画化作品に限られる。戦前の映画化作品については、フィルムの現存 が確認できないため、資料分析による内容の具体的研究が必要となる。従って、本研究の対象は戦後の『東 海道四谷怪談』映画化作品とする。

 『東海道四谷怪談』(1959 年7月1日封切、カラー、9巻)新東宝/製作 大蔵貢、原作鶴屋南北、脚本  大貫正義、監督 中川信夫、撮影 西本正/民谷伊右衛門…天知茂、お岩…若杉嘉津子、 直助…江見俊太郎、

佐藤与茂七…中村竜三郎、お袖…北沢典子  

 同日、三隅研次監督『四谷怪談』(大映京都、1959 年)が封切となっている。

 「加藤泰・自伝と自作を語る」『世界の映画作家 14 加藤泰・山田洋次編』(改訂増補版、キネマ旬報社、

1975 年、76 ページ)

 中川信夫監督『東海道四谷怪談』は、怪奇映画ベスト 20 選の第4位(『映画評論』特集「怪奇と幻想映画展」、

1966 年 10 月号)に選出され、封切から 10 年後の『キネマ旬報』増刊号(「怪奇と恐怖」特集号、第 503 号、

1969 年8月)には、シナリオと「演出雑記」が掲載された。2009 年に集計されたキネマ旬報社の「オール タイムベスト映画遺産 200」においては、『東海道四谷怪談』映画化作品の中で唯一 106 位にランクインして いる。

 お岩と直助とが二人きりで会話をする場面自体は原典テクストにはない。ただし、台詞内容の出典は、今後 の研究において確認する必要がある。

 滝沢一、山根貞男編『映画監督 中川信夫』(リブロ・ポート、1987 年)所収の「中川信夫フィルモグラフィー」

において作品種別を怪談、怪奇、怪異談とされている作品を抽出した。なお、鈴木健介編『地獄でヨーイ・

ハイ! 中川信夫 怪奇・恐怖映画の業華』においては、『エノケンのとび助冒険旅行』(1949 年、新東宝)

も怪談怪奇映画に加えられている。

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 「新東宝のお盆興行は例年 怪談大会 で成功している。(中略)毎年、新東宝のお化け映画は、人気スター を並べた他社の作品を圧倒している。今年も『四谷怪談』がヒットした。これが企画の妙味であり、商売の 秘訣はここにある。」大蔵貢『わが芸と金と恋』(東京書房、1959 年、201 ページ)

 前掲書、『世界の映画作家 14 加藤泰・山田洋次編』(76 ページ)

10 中川信夫「映画『東海道四谷怪談』演出雑記」『キネマ旬報』増刊号(「怪奇と恐怖」特集号、第 503 号、

1969 年、81 から 82 ページ)

11 廣末保『四谷怪談−悪意と笑い−』(岩波書店、1993 年、21 〜 22 ページ) 

12 塩見鮮一郎『四谷怪談地誌』(河出書房新社、2008 年、24 〜 25 ページ)

13 河竹繁俊校訂『東海道四谷怪談』(岩波文庫、1956 年、101 ページ)

14 シナリオ『東海道四谷怪談』、『キネマ旬報』増刊号(「怪奇と恐怖」特集号、第 503 号、1969 年、85 ページ)

15 前掲書、『東海道四谷怪談』(125 ページ)

16 【シーン 19】夕暮れの道の場面には、伊右衛門の次のようなセリフがあり、お岩殺しへのためらいが描かれる。

伊右衛門「だが直助、拙者には岩は斬れぬ…」(前掲書、シナリオ『東海道四谷怪談』、84 ページ)

17 この場面の台詞は撮影時に追加されたものである。(前掲書、「演出雑記」、85 ページ)

18 このカメラワークは意図的に行なわれたものであり、中川信夫の演出雑記にも、「カメラ、グイ、とまがる 用意願う。」「お岩のみ干す。二、三回にわけて。カメラ移動しながら、グッとカメラ曲げる。おそろしいか んじ」というカメラマン西本正への指示が記されている。(前掲書、「演出雑記」、85 ページ)

19 映画本編より採録

20 前掲書、「映画『東海道四谷怪談』演出雑記」(84 ページ)

21 廣末保「南北の劇空間」『鶴屋南北論集』(国書刊行会、1990 年、214 ページ)

22 服部幸雄、富田鉄之助、廣末保編『歌舞伎事典』(新訂増補版、平凡社、2000 年、298 ページ)

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