研究雑話
怪異生成の現場を探る
人文学部教授 ! 岡 弘 幸
学生さんたちが妖怪研究者にしてくれた
作家の京極夏彦さんや夢枕獏さん、漫画家の水木 しげるさんなどの活躍の影響もあって、現在では「妖 怪学」が学問の領域として認められつつある。けれ ども、その「妖怪学」は、大学院以来の私の恩師が
「総帥」とされていることもあり、恐ろしくて、10 年ほど前までは、私はただのファンとして関連書物 を読むだけで、とても研究しようとは考えてもいな かった。
人生の転機は急に、何の予告もなく訪れる。もう 9年も前、県立高知女子大学に勤務して5年目のこ とである。ぜひとも「妖怪」を研究したいという学 生の要望に強く後押しされ、2002年度後期の講義で、
学生たち(最初は数名の受講生しかいなかったのだ が、回を重ねるたびに、単位はいらないから参加し たいという学生が集まり、結局は10数名にまで増え た)と、現在の高知市域に限定して、古くは江戸時 代の記録から現代の都市伝説まで幅広く資料を渉猟 し、2種類の「高知市異界マップ」を作成した。そ れまで、日本列島におけるカッパの分布図や、それ ぞれの妖怪の個別研究はあったが、ひとつの地域内 での共時的な分布を明らかにする研究は行なわれて こなかったからである。
実際のところ、あまり期待はしていなかったのだ が、この作業から、実に興味深いことが明らかになっ た。すなわち、農山漁村部はそれぞれの自然環境に あわせて、たとえば、川では「カッパ(高知ではエ ンコウと呼ばれる)」、山間部では「天狗」「山姥」
が引き起こすとされた怪異があったのに対し、城下 などマチでは「幽霊」が怪異の代表とされていたこ とである。マチは自然から遠く離れるため、カッパ のように自然環境を形象化した怪異は想像されない。
騙し騙され、あるいは頼りにし、逆に裏切られる人 間の関係こそが、幽霊を深夜の街角や化物屋敷など
に登場させることになったというわけである。幽霊 譚からは、江戸時代のマチ生活者の価値観や考え方 を明確に読み取ることができる。
これまでの民俗学では、カッパなどの「妖怪」と、
人の死霊である「幽霊」を別個の怪異として捉える ことが一般的であった。しかし、「異界マップ」か ら、妖怪と幽霊の差異は、自然環境あるいは社会環 境の差異であったことがわかったのである。まだ仮 説の段階にとどまっている未熟な説ではあるが、幸 いなことに、学会はもとより一般の方からも好評を 得ることができた。こうして、妖怪好きの学生さん たちに後押しされる形で、恩師の厳しい視線を気に しながらも、私は妖怪研究者としてスタートするこ とになったのである。
北海道開拓移民の研究へ
さて、この出発点から、どのように研究を進める か。私には、何としても考察してみたいテーマがあっ た。これまでの怪異研究、そして「異界マップ」も そうであったように、それらは、すでにムラやマチ に定着して、暮らしを営み続けるなかで語り伝えら れてきた怪異についての研究であった。いわば、安 定した生活のなかで、いつの間にか、人びとに語ら れるようになっていた怪異を、学者の視点から任意 に切り取って分析したにすぎなかったのである。
そこで、ひとつの疑問が生じるのではないだろう か。「では、怪異は、どのような経験をもとに、ど のような形で、生み出されるのか?」すなわち、怪 異が生成する現場に立ち会ってみる、ということで ある。そんなことが可能なのだろうか。私には目算 があった。それは、明治時代初期から中期にかけて、
各地から北海道開拓のため移住した移民の記録を調 べ上げることである。
そこで、2003年から地道に自費でコツコツと資料
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を買い集め、札幌、釧路、小樽、余市、網走、旭川 と各地を丹念に歩きまわった。少しずつでも熱心に 続ければ、おのずと道は開けるものなのであろうか。
2005年の夏、京都市にある総合地球環境学研究所(大 学共同利用機関法人・人間文化研究機構)の内山純 蔵助教授(当時)が主催する「東アジア内海の新石 器化と現代化‐景観の形成史」というプロジェクト から声がかかり、資金援助を受けられるようになっ たのである。私の役割は、北海道、北陸、北部九州 の3つの地域で怪異・妖怪伝承の資料を収集し、そ れをもとに日本人が自然や人間関係をどのように形 象化してきたのかを明らかにしつつ、環境認識すな わち「景観」の変遷を考察するというものである。
まさに、「高知市異界マップ」を思う存分発展研究 できる場を与えられたわけである。
怪異の日本史
6年のあいだ、担当地域を頻繁に訪れて資料を集 め、地質や開拓など、地域の歴史や自然環境の差異 にしたがって、異なった種類の怪異・妖怪が生み出 され、表象されてきたことを、いくつかの論文にま とめることができた。
さて、怪異発生に関する話に戻そう。北海道開拓 移民が残した資料から、仮説までにも至ってはいな いが、次のような怪異の日本史を描くことができる のではないか、と夢想している。
たとえば、カッパ(エンコウ)、天狗、山姥など の怪異を当たり前のものとして暮らしてきた土佐の 人びとが、明治の初めに北海道に移住したとする。
そこは、冬になると一面の銀世界となり、ブリザー ドが吹きすさぶ極寒の地である。また、凶暴なヒグ マも出没する。こんな世界では、土佐の生活文化は まったく役にたたないどころか、生活の知恵すべて がゼロの価値となってしまう。凍りついた川に、カッ パが棲息することは不可能だ。
しかし、どのような生活環境であっても、人は怪 異を必要とし、生み出す。では、それは、どんな怪 異だったのか。
開拓初期の記録を読むと、幽霊や生霊の話が圧倒 的に多いことに気づく。豪雪・酷寒に苦しむなかで の集団生活。頼りになると同時に、裏切られる可能 性も否定できない。もっとも恐怖の存在となるのは、
そう「人間」だったということなのだ。
ところが、困苦の末、何とか生活が安定し始める と、病気や死などの災厄を生霊や幽霊のせいではな く、ムラの周囲を徘徊するキツネ(の妖怪)などが 原因とするように変化するのである。当然のことな がら、幽霊・生霊は誰か特定の人物を原因とする怪 異であるため、場合によっては人間関係の和や、よ うやく安定したムラの暮らしを乱すことにつながり かねない。そこで、災厄の原因を村の「外部」に棲 息するキツネやカッパたちのせいにして、生活世界 の安定を守ろうとした。言い換えるならば、人間が 災厄の原因というケガレを生活世界の外部に排除し たとき、自然系の妖怪たちが発生したわけである。
これを私は「災厄の外部化」と呼んでいる。そして、
そのムラが都市化するにつれ、江戸時代のマチがそ うであったように、幽霊が跳梁跋扈するようになる。
すなわち、私が夢想する怪異の日本史は、生活が 不安定な時代の幽霊(生霊)から、生活が安定する にしたがって妖怪へと変化し、さらに都市化するに つれて自然系の妖怪が撲滅され、再び幽霊が現れる ようになるというものである。
以上のような考えが正しいのか、あるいは、大幅 に変更、さらには完全に破棄しなければならないも のなのか? 私は、今後も北海道を現場として、外 側からではなく、異界を内側から仰ぎ見るような研 究を継続して行なっていこうと考えている。
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