長崎大学教育学部紀要 一人文科学 ‑ N0.67,13‑27 (2003.6)
寄せては返す海 :絵画 Ⅳ
お茶 の水画廊 2 00 2 井 川 怪 亮
デ ジタ リアン
私が補聴器の恩恵を受けることとならたのは‥大学院を修了しフランス留学を終えてか ら、やがて教職関係の立場になる頃であった。最初はポケ ッ ト式コー ド線のある補聴器を 使用 した後、続 いて長崎に来てか ら耳掛け式をず うっと使用 した。そ してつい昨年、58の 年齢を経てオーダーメイ ドの補聴器をつけることとな り、 こうした変遷を経て "進化 した 人間… になったという感慨がある。
それ もその商品名がなんと "デジタリアンMであったか らで、 こうして今や私は相当高 額なイヤ リングを身に付けた ことにもなったようだ。それによって私は人間的にも文字通
り真性の "デジタ リアン''・とな り、.いわば進化 した人間となった気分だ。
ところで、話題 となって いる …デジタル"であるが、…ァナ ログ 'とどう違 うのか興味 あるところだが、着用 している人の個人差があるので、 とやか く言 っても始まらない。一 般的には、その差なるものは、説明で納得出来るものでないと思 う。私の場合は "デジタ リアン"を使用 して 1年以上経 った。その感想は、購入直前は聞こえに対する期待 をデジ タルに託 していた。 ところが使用を開始 してみると、なかなか慣れず、よほどアナログの パワーの方がましだった と途方 に暮れて しまうことが多かった。で も不思議な もので、い つ しか 「身体的な慣れが出てきたかなあ」 と実感する程度 となった。
ある薄 ら寒い師走の頃、補聴器用の電池が切れてきたので、それを買いに補聴器屋に出 向 くと、老人 とその息子家族 の客が いて、色 々な補聴器 を前 に して、 どれ に しよ うか と 迷 っている風景に出会った。それは以前補聴器を購入 していた私 とダブって見えてきたの で、多少照れ くさくなって、その光景を見るのを止めて しまった。 これ ら補聴器の性能 と いった差異な どをつい口走って しまいそ うだったか らだ。人たちは誠に勝手極 まる言 い分 や、またいい情報な どを知っているようで実は知 らないのだ。要はその人 しか歩めない世 界で もあるか ら、その時々の流れるままで しかないように思われた。
そのように思えば思 うほど、何だか頭が くるくるとまわる。そ こで今言えることは、螺 旋状なる耳か ら直感 した "デジタ リアン''として、まさしく聞 こえるか聞こえないか とい
う狭間において、ほんの僅かであるが私が進化 した ? !という現実を味わった ことだった。
"くるくるばあ"の表現
私が …デジタ リアン" になった と自負すればするほど、前述のように頭が くるくるとま わってきた。ふ と、…くるくるばあ''という言葉が浮かんできた。 これは人差 し指を頭に近 づけて、 くるくると巻いて 「くるくるばあ」 と言ってジェスチャーをするが、 この "くる くるばあ'ての "ぱあ"は、 「ばか」 とか 「泡 にな った」の意味が含 まれている。言葉は常
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に生きているものだろうが、めまいが している私にとって、 この時ばか りは リアルに聞 こ えてきたのだった。それは、また人間の学ぶ原初的な知恵であ り、言葉のような気が して きた。何故な らこの言葉は自己認識の確立 としての言葉のようであ り、例えば仲間意識か ら外 される脅迫的な言葉 として子 どもの一番早い時期にその言葉を身に付け、覚えたよう な気 もするか らだ。
私は職柄会議の時、いつのまにか頭 に空間の認識が睡魔に似た症状で襲って くる。それ で会議そのものについていけな くなることがたまにあ り、書類の余白につい鉛筆で くるく ると渦を巻いて しまう。 まさに =くるくるばあ…を書類上に描き、 これが表現 としての私 そのものではないか と思 った りしている自分に気が付 く。"くるくるばあ"をリア リティな 真直 ぐな表現 として、書類上にジェスチャーをしている証なのだろうか。 このデ ッサ ンが、
見かけ上自作 として渦巻きにまで類似 しているとは、思いも寄 らなかった。
そ してそれが 自作の課題 としてかれ これ7年以上 も、 シコクコピーによる渦巻きの作品 として私の制作の中核 を成すようになったのも不思議な緑 と思われる。そ こで "渦に因ん だもっともな出会いの体験"を自己の中に眠っている記憶か ら呼び起 こしてみよう。
身体的な渦の想い出
私の頭髪は近年ますます薄 くなるばか りで、更に前頭の毛が渦を巻いている。それで女 子学生か ら 「天然ですか、それ ともパーマですか」とか らかわれている始末である。 この 前頭の巻き毛が原因で、渦巻き作品を作っているわけではないが、逆に、「現在渦巻き状の 作品を作っているのは、この巻き毛のためだ」と彼女たちに説明をすると、「えーほん と !」
と驚いていた。続 いて "渦に因んだもっともな出会いの体験''をゼ ミ生たちに話 してみた。
「瀬戸内海育ちの私は絶えず海 との線が深 く、夏になると海水浴はもとよ り、海岸線を 歩き岩をったって、 いつ しか潮が満ちて戻れな くなった ことや、それ こそ 白砂 に青松の風 景な どが 目に焼き付いている。海水に浸かって魚釣 りをした りして、静かな海面上に幾つ かの潮の小渦を身体的に受けとめた りしていた。ある日には今治に渡るため来島海峡を横 切った。その潮の干満の差が激 しく、それに出 くわ し乗っていた小船が、渦に巻き込 まれ そ うになった。その船の舵がいうことを利かな くな り、船が傾き始め、その渦 に巻き込 ま れて しまうのではないか と、子 ども心に心配をした光景な どを走馬灯のように思い出す。
その頃の我家では、風呂場が母屋 と離れていて、井戸の釣瓶で水を汲んでバケツで風呂 場まで運び、家の手伝 いと称 して水汲みをしたものだった。そ して風呂を薪で沸か し、風 呂場には、まだ電線が引かれてな く石油 ランプを灯 して使っていた。入浴時に風呂の蓋 を 開けて下水板の上に乗って湯船に浸ると、大きな渦が舞った。 ランプの明か りがゆ らりと 湯気の湯面に揺 らぐ様は実に懐か しく思 う。飯台に並んだサザエの渦巻き蓋 も外観 も渦巻 きで、 この不思議 さに頭が下がる思いが した りした。朝顔や胡瓜な どの蔓の渦巻きも、 ま たひまわ りの花か らタネが実る頃のその渦状な どもスケ ッチ した ことな どを覚えている。
校庭のグラン ドを熊手で掃除をする。その掃け目跡の、渦の軌跡を描きその楽 しかった こ とな どや、怖 いこととして溜め池で細い蛇が どくろを巻 く場面に出 くわ した りした。そ し て台風 シーズンになると渦巻きの風を体感 していた」
このように彼 らに述べていくと、 これ らの幼少体験が渦の原体験か とも問われたが、 し か し自作に直結 していった とは言 い難 い。先述 したように、書類の余白に決まって渦が現
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れた。繰 り返すが、 これ らが作品化できないものか と思考 した ことな ども一度 もなかった。
ただそのような状況の流れの中で、私の作品発表がイ ンスタ レーション風になってきて、. 展示空間そのものに渦巻き的な作品を設営 したのだ。 (写真①〜③⑰) (但 し、 もともとシ コクコピーによる作品発表は、80年代後半か ら登場 していたが、 このように直接的な渦作 品の出現は95年山口県立美術館個展時においてである) これ ら渦巻き状作品のことの経緯 な どについては、前々号かに実例 として挙げたので、 ここでは省略する。 こうして大渦巻 き作品が展示空間一杯に展開 し、その渦巻きの作品の余剰が、つまり余 りものが現在登場 し、小さく渦巻 いてきたのである。
小渦巻きの直感
私の作品において小渦巻きが出現 したのは、実は一昨年冬 ソウルの 「芸術の殿堂」での 国際彫刻展 (前号に記載)会場において初めて試みた ことだ。 この小渦巻きの出現の直接 的な ヒン トは、何であったのかを思い出そ うとしているが、なかなか思い出せないでいる。
しか しこの 「芸術の殿堂」に出向 く前までには、その発想が出来ていた ことは明 らかであっ た。その証拠 に小渦を巻 くための作品づ くりとして、中心部に小さく渦巻 くため、た こ糸 を継ぎ足 し、その糊貼 りな どの作業の追加を済ませていたか らだ。 ということは、既に小 渦巻きの作品 としてのイメージが存在 していた ことになる。
何故そのような追加等の作業をせねばな らなかったのか。そ ういえば、 この国際彫刻展 は、出品用 として大きさが指定 (限定) されていた ことだった。私は同展の規定書を読み なが ら、それ に即 して小サイズの作品を仕立てよ うと試みた ことが、そ もそ もの始 ま り だったのだ。彫刻展 となると一般的に作品は通常台座の上に置 くことになる。本展 もそ う であ り、そ とで私はその規定に従って大きさを考慮 したが、 この種の展覧会は渡韓 しての 作品発表 ということもあ り、多少作品のサイズが大きくなって も同展の委員会は融通を利 かせて くれるだろうと私は考えていた。その想定は、ある程度の規定の大きさをクリア し てイメージ練 りしたが、 この時、台座の使用に関 しては私は完全に無視 していた ことも確 かだった。 というのは、私の作品はインスタレーション時いつも宙吊 りとして、・天地両サ イ ドに糸を引っ張って作品を固定するので、大概は会場に出向き、そ こで作品の高さを検 討 し、位置決定を諮 っているか らである。 (写真(彰〜③⑮)
本展出品作品の最初のイメージは、会場にある台座の高さに作品の高低を調節 しようと 考えていた。 ところが実際現地に行ってみると、私の作品に対 して 「出品点数や作品の大 きさについて限定 もな く、また 自由にどの壁面をも使ってよい」 ということにな り、 もち ろん台座な ども関係なかったので、本当にびっくりして しまった。それでは始めか らその ように伝えて くれれば、いろいろな作品を準備 したであろうと思われたが、 しか しなが ら イ ンスタレーション作品 というのは、なにが しかの制約や条件があって こそ、それ らを乗
り越えたところに大きな出会いや発見が存在するのだ。
どうして私だけ特別扱 いされたのか、その理 由は、私が現地に来てイ ンスタレーション を試みていた光景を、同展主催者である朴賛甲会長が見 られた ことであった。つまり井川 作品はインスタレーション作品であ り、かつ色彩を扱 った作品であ り、その上招待作家 と
しての位置付けだったか らとのことであった。
それで私は台座の高さなど気にせず、天井 と床 との関係か ら感覚的な高さを決定 した。
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すなわち前号にも述べたように 「小渦巻き」を覗 くような感覚で設営 した。 この時、小渦 巻き作品群への展開を直感 したのだった。 このような直感は最近特に韓国で発表する度に ある閃きを感 じ取るのだった。
ところで今回のような小渦巻き作品が登場する前までは、壁面的なカーブ した作品が支 流をな していた。 この時の作品および展示 としてのイ ンスタレーションの考察については、
既に前号紀要で述べているので、それに譲るとして、 ここで私 自身面白く思 うのは、作品 それ らが次第に空間へ と変遷 して行き、つまり進化 をしてきていることだった。 もともと の大渦巻き作品の余剰作品 として捨て られるものを、捨てないで再利用 し、最初は、画廊 空間の壁面の壁に沿って張って展示 した ことである。それが次第に壁か ら浮き出 し、やが て弧を描 く作品へ と向かい、現在ではその弧 とその弧か ら小渦巻き作品へ と移行 してきた 作品の展開となっている。 この小渦巻きの直感は感覚的に楽 しいものとなったが、 さらに どこへ向か うのかは私はわか らない。おそ らく完全に消失 して行き‑、否復活 レ ‑、やが て自作が平面作品へ戻って来ることへの検証 として、完結 した一つの絵画作品へ と還元 さ れるだろう。その前に リサイクルアー トの論証が必要になるだろう。
渦巻きのステ ップ
前述の、一昨年冬 ソウル殿堂へ向かいなが ら、お茶の水画廊への作品は小渦巻き作品を 想定 していた。理 由は、ギャラリー空間のスペースの関係 と、 もうひとつ気にしていたオ ブジェのことがあったか らである。その上、展示イメージもある程度出来あがっていたか らで もある。
このところ、私にとって韓国での作品発表は、渦巻き表現の展開へのステ ップを大き く 与えて くれているのだ という実感がある。例えば着彩 したロープで大きな岩場や石に巻き つけた作品 としては95年の海雲台 (海洋環境美術祭)、シコクコピーによる大きな渦巻き作 品が登場 したのは、同年山口県立美術館での大個展であった。その後、 これ らシコクコ ピーの余剰作品 として初めて出現 したのは、97年真木 ・田村画廊の個展か らであった。そ して床面の空間、つま り天井か ら吊るす作品として登場 した最初の作品は98年の東新大学 校 (羅州国際美術展)、更にそれ らの余剰作品の大きな展開作品 としては、99年のモラン美 術館 (国際彫刻展)、続 いて同 じく余剰作品が小さな渦 として登場 した01年の芸術の殿壁 (国際彫刻展)、同様に新たな渦ヴァリエーションとしての作品は 02年の無心ギャラリー (感情 と規律展)な どがある。 これ らの渦巻き作品群のインスタ レーションの論理性 につ いては、何れ項 を改めて詳 しく述べることになるだろう。
このように見て くると、私は韓国での作品展開によって大きな刺激を与え られ、 またそ の都度現地でそれを実感 していた。 これは何よ りも現地の人の良さか ら、つまり韓国人の 芸術家に対する配慮や誠意な どによ り、私の感性が高め られた と感謝する。 もう少 し書 く と、一つには、国を越えた場所性であることが挙げ られる。 これは異空間への体験的な状 況 として、環境やスケールの違いな どがあって、そ こか ら展示やインスタ レーションの作 業が始まる。すると気分的に緊張感が出てきて、表現意欲を高めているのではと思 う。二 つ 目には、先にも述べたが韓国側の企画者や担 当者が非常に寛大であることだ。その点、
日本ではこれまでの経験か ら感想を述べると、美術館の学芸員の意向が強かった り、展示 する周 りの作家の方 々が我先にと自己の展示場 としてのテ リ トリーを独 占し、それを主張
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する問題な どで、私な どいつも隅っこに追い込まれっ放 しとなる羽 目に陥っていた。結果 的に言いた くないのだが、仕方な く窮鼠猫を噛むの如 く、 自己主張せ ざるを得ない状況 と なった ことが しば しばであった。そのような ことで、ある一点に留まらざるを得な くな り、
日本でのグループ展のや り辛さを痛感 してきたのだった。
もらった瓦 と拾 った瓦
私が86年に爆心地公園での平和のモニュメン ト制作を手がけた頃、地元の人か らたまた ま爆心地よ り近い200‑400mのところで見つけてきた被爆 を受けた瓦 (原爆瓦、または被 爆瓦 という) を譲 り受けた ことがある。私にとっては衝撃的で、一種の宝物を得た という よ りも驚きであった。表面が変色 している様は、まるで芸術作品かのように非常に絵画的 に見えて くる。絶対に人間の技であ り得ない表面だ。色狂いの私は、つい色をつけてやろ うという衝動が走ったが、いざ色を塗ろうとすればするほど、塗れない。それか ら20年も 近 く経って学生に 「いやあ、原爆瓦に塗れなかった。でも海岸で拾 ってきた瓦には楽々と 塗れたよ」 と言 うと、 「放射能があるか らですか」 と彼 らは言 う。 こんな素朴な忠告 には 学ぶべきことはあったが、 しか しなが ら、芸術家の欲 というか、.原爆瓦を提示するだけで もかな りのインパク トがある。それを利用すれば芸術の価値 も附加 して行 くことになると 思 うことがある。今ア トリエのどこかに隠れて しまった原爆瓦だが、 どうして も心情的に 塗れなかった。 いつかそれな りの理由として、そのチャンスがあれば、 この被爆瓦 も何れ は作品にしたいと想いなが ら10年以上が経った ころ、外海の浜辺を歩いていた ら、瓦の断 片を見つけた。 「これは何 とかなる。今度のお茶の水画廊で発表 したい」と思った。
7年前か ら暖めていたオブジェがようや く目を覚 ます段階にきた。 このオブジェは瓦の 欠けたものである。それを路上や砂浜で拾った時の、あのときめきを思い出 している。
お茶の水画廊での個展は昨年に続いてのものとな り、前回よ り少 しは飛躍 しようと個展 作品の構想 を練 って いた。 「今度 こそ、瓦作品 を登場 させ よ う。そ うすれば リサイ クル アー トの一環 として位置付けが出来るか もしれない」などと、瓦作品に挑戦 してみようと 心待ちするようになったのだった。 (写真④〜⑧)
ところが実際 これ ら瓦を取 り出 してみると、瓦を持つ手の感触が今一つ、 しっくりしな い。枯れ枝や流木のように、本来、木であるものは手に握った時、手の温 もりに近いため 違和感な どの抵抗感はない。だが瓦はざらざらして、触れていると何故か呼吸が しづ らく なる時さえある。それで、 これに着彩 しようとするのだが、絵の具までもを触 らせないよ うにして しまうのだった。そ うこうしている内に個展の会期がや って来た。少々焦 りも出 て来てあれ これ と言っている場合では無 くなった。そ こでまず、瓦を洗った。それを充分 乾か してか ら着彩を始めると、次第に瓦への手触 りも馴染んで来たのは意外だった。当初、
私は抵抗感を持 ったはずなのに、 こんなにも移 ろい易 く、す ぐに染まって しまうものなの だろうか。本当に人間の感触 とは、昆虫標本よ りも脆 くてはかないと痛感するのだった。
瓦のひ とり歩き
瓦を拾った時の、あれほどのときめきが、それを着彩するに及んで少々手触 りが悪 く、
おまけにいざ作品発表の段取 りになると、果た して瓦はどうなることか と心配をし始めた。
更に亡き父や叔母は、きっとこの二人は、私が瓦を作品化 しようとしていることをあまり
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良 く思わないだろう。す ぐさま 「割れた瓦 とは縁起で もない。それを人様 に差 し出す とは とんでもない」と私を叱っただろう。それに子 どもらに話をすると "花さか じいさん"の 昔話が出てきて、 「悪いお じいさんは、いいお じいさんに習 って 『ここ掘れ、 ワンワン』
と言って小判を期待するが、出て くるものは瓦の破片ばか りで しょう。イメージとしては ね。イマイチ」と、続いて 「どこまでも、おか しなお父さんね。 まるで意地悪 じいさんだ」
とや られて しまった。 「おお、お前 もか」とますます心配が募 ってきた。それで頼みの家内 に同情 を乞 うと 「瓦にねえ、ああそ うそ う、マロニエで発表 したパ レッ トの和紙作品を出 してみた ら」 とそっけな くあしらわれた。だが、その時、 「そ うだ !」と私は閃いた。
それは、一層の こと花さか じいさんをも登場 させることを思 いついた。 こち らの方は、
校庭のパーキ ング場で見つけた、車に引かれた皮の剥けた小枝を桜の木に見立てるため、
それに着彩 した。桜の花々はパ レッ トの形を和紙で到 り抜き、それに着彩 した ものであ り、
瓦を対にしてそれ らの作品をインスタレーションした。 (⑨〜⑫)
自己満足 とはいえ、私 自身による絵画の論理性は、ず うっと一貫性 を通 して来た という 確信が一方 にある。そ して年齢 と共に感性の予感な どとかが蓄積 してきたような錯覚 さえ していたのだが、ある光景によって、 いわば、そのうぬぼれを見事に破壊 させ られ、その 葛藤の中にいる私を垣間見た。その光景は、結果的に観客の多 くは、意地悪 じいさんの方 を、関心 を持 って見てお られたのだ。"花 さか じいさん''の面 白話よ りも、瓦そのものへ の関心 として、 「瓦の形態が凄々しい」 という。 「彫刻刀で彫 ったか、 またはやす りで磨い たので しょう」 と聞かれるので、 「いや、海岸で拾ってきたのです」と答えると、 「ああ、
それで研磨 されているのですか。本当に自然の贈 り物ですね。私 も拾ってみようか しら」 と。 (写真⑯)
客が帰った後で痛感 した ことは、「拾 った」な どと言 う種明か しは余計な ことだったのか なあということだった。 しか し自己表現のロジカル性は、マルセイユで学んだものであ り、
私は作品の一貫性の証 として、それを続けていくことだろう。先述の他者が見ることの問 いかけと、それを作者が述べることとは斯 くもかけ離れていた ことについて も思案 した。
実は私 自身でさえも、拾 って作品化することの意味が、 リサイクルか ら来ている理 由はあ るものの、その時の表現 とは、私が確かに表現 してはいるものの、それを超えている ?何 が しかの存在が、まるで一人歩き している分身のようなものだとつ くづ くと思われた。
表現 とは、本来 自己を超え他者によってのみ、判断されるものだろうとも思われた瞬間 であった。
欠けたものと余剰な もの、その演出
ふ と、私は、ぽつ りと雨が打つ福田平八郎筆の 「雨」を想 う。 ここには瓦が画面一杯に 表現 されている。 これを見ていると制作当時の 日本画の時世 として、現代に生き残る工夫 の跡が感 じられ、 しか も日本画の伝統的な格調の高さを保持 しなが ら、世界における絵画 の問題を同時に含んでいるように思われる。 この 「雨」は、画面構成力はもちろんのこと、
その着想に頭が下が り、瓦上にぽつ りと雨の丸い玉を描 いて、何よ りも日本人の持つ心情 と季節感 をそのまま誼いあげている傑作である。 ところが私たち現在の 日本人は、瓦への 愛着が薄れて行 く一途である。我家の屋根 にも既に瓦を取 り付けていない。かつて借家住 まいをしていたが、天井か ら雨漏 りとな り、結果的に瓦か ら トタン屋根に大家さんが換え
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て しまった。雨が降れば トタンに叩 く雨音はうるさく、朝方起きた時、何か軽 く気分 も浮 ついて仕方ない。外出か ら戻って来ても、心が しば らく落ち着かなかった。 これまでの瓦 屋根の、瓦の重みが私の精神を支えていた ことを初めて思い知 らされたのである。
ところで先ほどの欠けた瓦 とシコクコピーの余剰 としての渦巻き作品とであるが、相性 が合 っているのではと気づいたのは、インスタレーション進行中であった。 (写真⑩)予め 小渦巻きを想定 しなが ら、次にそれを支えるところの空間を切る弧を描 く作品 と壁に寄 り 添 う作品をセ ッティングし、瓦は入 り口に入ってす ぐ左側にと当初考えていた。 ところが、
奥の壁に添 うシコクコピーの余剰の作品は今一つ、私の感性 にぴった り来ず、それを取 り 払 って瓦を置いてみた (写真⑫〜⑭)。瓦は面積的に小品に過ぎないのに、その存在感は意 外にもあったのだ。黒い瓦の存在がそ うさせるのか。つまり瓦の重さがそ うさせるのか。
あるいは瓦の形状なのか。 いずれにして も不思議な出会いとな り、私の感受性 をくす ぐる のだった。今 もその光景を思い出 している。瓦の持つ存在を考えている。 シコクコピーと いう薄 くて軽い、そ して広 いもの、それに比べて、瓦 とは、濃縮 した黒い塊で、それ ら2 つが極めて対照的であ り、バランスが取れたのであろうか。
ネガテ ィブな貼 り絵
それか ら貼 り絵の出品も、今回の際立ったものとなった。 (写真⑱〜⑳)何故か と言 うと、
このような貼 り絵の出品もため らいがあったか らだ。ひとつは私 自身のプライ ドである。
小さな四角い画用紙 にせ っせ と制作 していることは、大きな色タッチの井川にしては、見 かけ上、額縁に納ま りそ うで、何 とな くバツの悪 さを覚えたか らである。
実は昨春、私の友人の哲学者が詩集 「緑色のまなざし」を出版するというので、その表 紙絵 を任 された。その ころ30枚ほどの貼 り絵作品をためてお り、またいつ しか リサイクル アー トの総決算 として、 この貼 り絵を考えてみようとしていた矢先で もあった。そのこと とその詩集のイメージが重な り、ため らわず この表紙絵 を手がけた。 (写真⑳)
私の描 くタッチは、窓拭きをするような形態で幾分スタイル化 して、以前にも書いたが マンネ リ化 している。だが表現においては、 このマンネ リ化 をバネにして、よ り発展的に 展開するように努めて来た。 このような中で、絵画における色の問題は絶えず携わって来 た。 同時にこの ことは、充分過ぎるほど形態の問題 も率んで来た。
ところが一方で色か らくる形態ではな く、形態か らくる色の問題を提議するような出会 いがあった。つま り廃材の中で形態が決定されて量産され、 しかもそれ自体が色そのもの であることの発見があ り、 これは私にとって新たに視覚的な刺激 となってきた。
ある短大の幼児教育学科で 「図画工作」の授業を担当している。そ こでは色紙 を使 うこ とが多 く、その残 りものとして切 り屑が どっと出て くる。必要 としない形態が排出されて いる。それ らの形態を見つめていると捨て難い感情 に襲われて くる。実に見事なネガティ ブな形態 と、即色だ。何 とかせねばと、早速手当た り次第に、 これ ら廃材を画用紙にべた べた と貼っていった。繰 り返すが、私が決定 した形態ではない。つま りこれ らの形態は私 がハサ ミを入れたのでない。その偶然が生み出 した所産は、形態であるが、同時に色その ものの形態である。
このように切 り取 られた形態は、あたか も偶然が織成す 自然界の全ての階調かのようで、
その存在感に圧倒 される。そ していつか平面に戻ろうという気にさえさせ られるのだった。