'
請緬
究
就 會 政 策 概 念 論 雫 ・の 諸 段 階
肚會政策概念の愛遷と同昂
南 亮
三
郎
庸︑肚會政策概念の史的成立
一般維濟學における瀧會政策的理念の畿端は︑十七︑八世紀のメルカンテイリズムの洗禮を受けたドイツ経
濟學の初段階ー謂ゆる官房學囚曽ヨ巽9︒蜀涛iにまで湖ることが出來る︒官房學においては︑國家による人民
の物質的配慮が主問題とされたのであつて︑人民の経濟生活ないし砒會生活に封する國家の保護干渉といふ意
義における後代の杜會政策は︑その理念的胚種を既にご玉に藏してゐたのである︒だが一個猫立の學論ピ①ぼ︒
肚會政策概念論争の諸段階一
■
し
肚會政策概念論争の諸段階'二
としてー但し未だ科學≦♂︒・︒霧昏聾としてではないがー就會政策が取扱はれ始めたのは︑云ふまでもなくド
イツ新歴史學派に薦する當時少批の経濟學者の一團によつてである︒年代の上から云へば十九世紀の六〇年代
の終りから七〇年代の初めにかけてであつて︑具艦的には一八七三年に樹立せられた就會政策學會U.H<①目・写
幽母ωo臥巴U島け涛をもつて︑その生誕の日附となすことが出來よう︒
ところで歴史派維濟學は周知の如くその成立の動機においてイギリス正統派経濟學を直接の封手としてゐ
る︒從つて歴史學派における肚會政策の高揚は︑維濟餌=般の本質に關するこの學派特有の見解に由來するの
であつて︑経濟學から猫立しての杜會政策學の基礎付けは元より問題とならなかつた︒主たるものは経濟學で
あり︑就會政策はむしろその實践的課題を果たす副手であつた︒即ち正統學派における維濟生活の自然法則的
読明に封して歴史的・倫理的観黙を導入し來たり︑前者の個人主義的自由放任論に封して國家による保護干渉
の古き官房學的理念を復活せしめ︑その用具のUとして枇會政策を高調するに至つたのである︒ブリブラムの
記述によれば︑この黙に關する歴史學派の立場は次の三黙に要約することが出來る︒ー﹁経濟生活において
は人は不攣の自然法則にか﹂はるといふのは正しくない︑人聞の就會生活はむしろ︑立法及び行政の意識的行
動にょつて影響されるところの歴史的事象の流れの申に立つてゐる︒さらに経濟生活の諸現象を專ら生産の︑
及びその高揚の見地から観察するのは個人主義的経濟學の根本訣陥である︒生産されたる財貨の︑人ロの個々
の集團のもとへの分配の観察はそれに劣らす重要であらう︒現行の財貨の分配は自由競争の支配下︑及び自由
なる勢務契約の作用下において結局︑有産者と無産者との間に︑人聞就會の平和を破壌し且つまさに革命を鮎
火せしむるやうな危胎な封立を獲展せしむるに至つたのである︒國民経濟學の任務はそれ故に︑財貨の公正な
る分配に封する原則を道義的原理に從つて確立することにあり︑人間文化の至上の保持者としての國家の任務
はこの原則に適慮した諸方策を講するにある︒從つて國民経濟學は経濟的自然法則の學論ではなく︑實は﹃歴
史的・倫理的﹄科學であり︑その申心織には分配問題が立つべきである︒就會政策は財貨の公正なる分配を︑
及びこれと共に肚會に存立する階級謝立の均衡化を所期するところの國家的諸方策の一艦系である︒﹂の
右によつて知らる玉通り歴史學派による肚會政策の高揚は︑正統學派の︑及び後にはマンチエスクー學派の
自由放任主義に封する一反動として現はれたが︑これについては更に︑資本主義枇會の内的矛盾がいよー鮮
明となり肚會主義的革命運動がますく鋭化するに至つたその當時の肚會的背景を眼申におかねばならない︒
薪⁝歴史學派は︑去はば二重の職線を腹背に張つたのである︒正面の敵は正統學派1ーマンチエスター學派の自由
放任論であり︑背後の敵は肚會主義者の革命運動である︒この挾撃に彼等は勇敢に抗しながら︑いかにせば分
配行程を正道に復せしめうるか︑いかにせば﹁肚會的弊害﹂を革命なしに矯正しうるかの︑砒會政策的實践問
題の討究に奔命した︒それ故に︑彼等にとつての主たる課題はーーウイーゼの言葉を借りれば﹁より多く
意思的課題であり︑倫理的要求であつた︒枇會政策の學的課題はただ︑事實の材料を蒐集し︑これを選別する
に在るにすぎなかつた︒﹂㈲從つて彼等は︑みつから就會政策の必要を唱へながら竜︑肚會政策そのもの曳明確
冠會政策概愈論争の諸段階三.
の
瀧會政策概念論孚の諸段階︒四
なる概念規定や認識理論的な考察には殆んど1若干の例外は除いて1從事するところがなかつたのであ
る︒
このことは或る意味において︑薪歴史學派が腹背に張つた職線の統一を維持するために必要でもあつた︒も
し肚會政策學の内部問題の討究に意見の不一致を示すやうな場合が起れば︑彼等の共同職線はおのつから破れ
てしまふからである︒從つて彼等は肚會政策の概念及びその理論的基礎の明確化に意識的な反封をさへしたの
であつて︑たとへば理論的性質を有する討究は紅會政策學會の機關誌から最初は故らに除斥したのである︒そ
の上︑ドイツの官聴方面では肚會政策的諸施設を全然︑國家権力の強化のための︑及び勢働者の政治的鎭撫の
ための手段と解することとなり︑從つてその適用範團は狭く限定せられて︑僅かに勢働關係の官聴的規定並に
國家的勢働者保瞼をもつて肚會政策と目するやうになつた︒故に肚會政策論者は實践上は一定した︑極く狭く
解せられた枇會政策の概念を見出したのであつて︑彼等は多くこれをそのま玉認承してゐたのである⑲︒かく
てシエーンベルビが一八八三年編纂刊行した﹃國民維濟學典鑑﹄にみつから執筆した一文﹃工業榮働者問題﹄
中に祉禽政策を定義して︑その當時の用語例では﹁市民的杜會並に杜會的歌態一般に關する政策ではなく︑翠
に肚會の一部に︑賃螢働者に︑しかして特に企業に從事せる賃榮働者に關する政策と解せられ﹂居ること︑從
つて﹁杜會政策は︑科學的學科としては賃勢働者問題の︑及びその解決の學論︑即ち改革を要する弊害の︑及
びこれを除去して勢働者階級をよりよき且つ満足なる生存に助成せんがための學論であるし④と記したのは︑
當時の一般的見解を適初に描爲したものと云はねばならない︒
就會政策學の史的成立に關する以上の瞥見は︑吾々をして次の一事を確定せしむるに充分である︒肚會政策
學の成立當時から今世紀の初めにかけて︑その主唱者たちの主たる關心は認識批判的討究にはなく総じて實践
的意欲の鱒内にあつたこと︑肚會政策學はより包括的な國民経濟政策學の一分科と解せられながらそれ自禮の
學的基礎付けは全く不問に付され︑一個猫立の學として如何なる性質と封象とを有するやは彼等によつて論明
さる︑に至らなかつたこと︑これである︒肚會政策の明確なる概念規定が諸學者によつて試みられ︑認識封象
の客観的規定が問題となるまでにはなほ多くの年月を要したのである︒
ε
( N )
(9・ )
ε 内枯吋ま目塾5豆︒詔自︒昌臼聞=σq⑦昌山①m穿αq臥静山興ω︒臥巴宮一三ε駐bdお急碧︒倒更鵬各Φ蜀PH酬竃ぎ号窪戸ピ音蔚粛おい摯の器
Gq i B O ・
炉 く ・ ≦ 奮 ρ ︾ 噌 ρ ω o N 三 勺 ︒ 毎 涛 写 団 磐 畠 宅 α H § び 8 げ 9 ω 欝 器 鼠 ︒・ ︒・ 窪 ︒・ ︒ 冨 穿 昌 玉 ・ 卜 錫 沖 団 ↑ ノ . 員 Qo ・ 曾 や
囚 ・ 蜀 噌 凶訂 9︒ β U 一〇 ≦ ‑導 臼 § σQ 2 島 O 帆 ロσ O σQ ユ 雰 鐸 臼 ω O 臥 巴 ℃ O 窪 博5 9ユ ・ 聾 ・ ρ ω ● お P
O ・ ω ︒ ま 昌 ︒ 蹟 ・ 類 9 a び g げ 創 窪 ℃ & 静 ︒ 9 口 O 箔 § o 慧 ρ ω ・ b 邑 ■ 日 ま ぎ ㈹ 2 回 ︒︒ ゆ ♂ 匂d g H 押 oり . 8 9
=︑概念論箏・の初段階
肚會政策概念の一規定は一八九一年︑即ち融會政策學會の成立より十八年の後︑アドルフ・ワグナーによつ
社會政策概念論争の諸段階五 ,
冠會政策概念論争の諸段階六
て初めて行はれた︒彼れは云ふー.︑d鼻興︒励o凶蕊想象鼻画8㊤目09①巳§窪く︒韓告窪≦マ畠凶昏巳鴨団象傍涛ユ窃︒︒霊9塞︾
≦︒げ馨︼≦凶q︒ω︒・鼠巳巴日09一2①留ω<①昌巴§口qω箕oN①ω︒・①ωヨ一舟]≦捧鮎昌貸興Ω⑦︒・①欝σq︒げきσq毒傷く窪毒聾き槻弩冨吋似ヨ嘗6
︒・9罫・・﹁一般に肚會政策のもとで吾々は︑分配行程の領域における諸弊害を立法及び行政の手段をもつて抗争
せんとする國家の政策と解する︒﹂だが財の分配は抑々何故に干渉されねばならぬかの理由を読くにあたつて
彼れは後に多くの追随者を見出したところの一見解‑肚會政策の本來の任務は︑肚會を代表し且つその統一
もヘヘへあヘヘへの維持を配慮する職模を有してゐる國家の諸方策による階級封立の均衡化諺泰σq録6ぎ縄畠窪匹9︒・︒・①昌σq︒σq窪︒・野需で
あるとの見解ーに達したのである㊥︒
一八九七年に及びゾムバルトの﹃枇會政策の理想﹄⑥といふ論文が現はれた︒これは從來の保守的肚會改革
の理論に投げかけられた最初の一駁論と見るべきものであつて︑後代の砒會政策概念に︑特にアモンのそれに
大きい影響を與へたものである︒後に述べるやうにアモンは一九二六年六月に獲表した一論文﹃科學としての
胱會政策﹄において︑ゾムバルトのこの論策をば﹁肚會政策的問題の科學的取扱を初めて試みたもの﹂とし①
これを内在的に批判するζとによつて就會政策の科墨的礎立への途を示さうとした︒プリブラムはまたこれを
評して﹁十九世紀の絡り頃ゾムバルトによつて投げかけられた論駁は︑初めはほぼ直線的に進行して來た肚會
政策概念の歴史における一の興味あるエピソードを意味する﹂㈹と云つてゐるが︑當時の保守的な祉會政策的
改革論者が目前に見る﹁就會的弊害﹂に眩惑されて︑熱情的︑﹁道義的﹂要求に專念するの飴り︑就會政策その
慰の玉基礎理論や終局目標についての綿密なる省察を︑或は意識的或は無意識的に加ふるに至らなかつた事情
を想ひ合はせぱ︑ブリブラムの評言の意味はおのつから首肯されるであらう︒しからばゾムバルトはここで何
を論いたか︒
ゾムバルトは先づ経濟制度全農にか玉はる肚會政策の︒N竃弓象鼻と︑輩に個々の経濟主禮を眼申におくにすぎ
ない個人政策弓︒H︒︒︒塁ぢ︒臣吋とを画別する︒経濟政策の一部としての肚會政策は常に︑維濟政策の他の分科と
拉列するやうな意昧において讐はなく︑すべてをひとしく包括するやうな意味において﹁一般的﹂政策であら
ねばならない︒だが経濟生活では闘争が支配する︑即ちこ玉では利釜の差別性が作用するのであつて︑この差
別性は種々異なる経濟制度の不合一性に基礎を置いてゐる︒均衡化的杜會政策きω唯①凶9︒巳︒︒︒︒国竃弓︒臣κ1肚
會保守的理論家達によつて代表されるやうな相封主義的倫理の意義におけるーは︑それゆゑ明かに無目標且
つ無計劃である︒かくてゾムバルトは次の定義に蓮する︒曰く︑﹁鼠會政策のもとで吾々は経濟政策の次のやう
な諸方策︑即ち一定の経濟制度又はその構成部分の維持︑促進︑或は抑墜を結果せしめるやうな諸方策を理解
する︒﹂階級圖箏が輕濟を支配するので︑目標意識的な杜會政策は必すや階級政策困陣ωω︒巷︒臣押でみらう︒就
魯政策の自律的理想は倫理的債値基準から猫立して﹁維濟的完成﹂の概念から抽出されねばならない︒即ちそ
の理想は丈化進歩のために必要なる生産諸力の最高の完成であつて︑最高生産性をもつ経濟制度が肚會政策に
目標を定める︒彼れ自身の言葉をもつて云へばかうであるー﹁余は︑砒會政策は他の學科からその指針とな
融會政策概念論争の諸段階七