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昭和三五年文雅堂書店『日本神話』   昭和六〇年 桜風社

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(1)

 こうして﹁天の岩戸開き﹂はめでたき舞のうちに幕を閉じ︑

次は︑記紀も備中神楽も舞台を出雲の国へ移して︑スサノオノ

ミコトとの﹁大蛇退治﹂︑オオクニヌシノミコトの﹁国譲り﹂

の神話が語られるのである︒ 竹野長次 中村啓信 菅野雅雄 ﹃古事記の民族学的研究﹄         昭和三五年文雅堂書店

﹃日本神話﹄   昭和六〇年 桜風社

参考文献

津山高専紀要 第27号 (1989)

山根堅一 逸見芳春 竹本健司

倉野憲司 武田祐吉

坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野 晋

松村武雄

武田祐吉

尾崎知光 川副武胤

折口信夫 荻原浅男

森 浩一 森 浩一

竹内明照 ﹃備中神楽﹄ ﹃備中神楽﹄ ﹃古事記・祝詞﹄  昭和五七年 岡山文庫 昭和五八年 新見市昭和町商店会

昭和四〇年 岩波書店 ︵日本古典文学大系︶

﹃日本書紀上﹄  一九八七年  ︵日本古典文学大系︶

﹃日本神話の研究﹄昭和五八年  ︵第一巻〜第四巻︶

﹃古事記編lI﹄ 昭和四八年  ︵武田祐吉著作集︶

﹃全注古事記﹄  昭和五七年

﹃古事記及び日本書紀の研究﹄         昭和五一年

﹃日本紀﹄    明和六三年  ︵折口信夫全集︶

﹃古事記への旅﹄ 昭和六三年

﹃倭人の登場﹄  昭和六〇年  ︵日本の古代1︶

﹃縄文・弥生の生活﹄  ︵日本の古代4︶昭和六一年

﹃成羽史話﹄   昭和三九年 岩波書店 培風館 角川書店 桜楓社 風間書房 中央公論社 日本放送出版協会 中央公論社 中央公論社

成羽町教育委員会

(2)

(16)

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き一 山本

とのないようにということであった︒そのために張られたのが

尻久米縄である︒

 尻久米縄というのは︑現在でいう﹁しめなわ﹂︵標縄・注連縄︶

であり︑ある地を占有して入ることを禁ずる印として引き渡す       お え 縄である︒これを宗教的意義に用いる場合には︑災いや汚稜な

どの侵入を制する呪法になるのであるが︑この場合は︑それで

はなしにアマテラスオオミカミが再び天の岩屋にこもることの

抑止︑一種の魂留の行法であったと言えよう︒

 こうして事件はめでたく結着し︑最後の締めくくりとして︑

八百万の神たちは協議の末︑スサノオノミコトにその犯した罪

を償わせるために﹁千位の置戸を負せ﹂﹁髪を切り爪も抜かし

めて﹂高天原から追放したのである︒

 では神楽の締めくくりに目を移そう︒

第五場 天照大御神の出御

 タチカラオノミコトが大幕を開けると︑中央奥にアマテラス

オオミカミが鏡を持って鎮座︒諸神は正座して拝礼︑祝詞を奏

上する︒

手力男  ﹁天の岩戸を開かんとて︑八百万の神遊び︑これぞ

 神楽のはじめなり︒﹂

思兼  ﹁御神楽の秘文にいわく︒﹂

諸神  ﹁あっばれ︑あなおもしろし︑あな楽し︑あなさやけ︑

 おけおけ︑一二三四五⊥ハ七八九十百千万︑トオカミエミタ

 メ︑ハライタマエ︑キヨメテタマエ⁝⁝﹂

  タチカラオノミコトが鏡をとり︑ウズメノミコトに渡す︒  諸神拝礼のうちに幕を閉じる︒   うれしき舞で舞い納めとなる︒ 思兼 ﹁さて諸神たち︑岩戸開けまことにおめでたき儀に存  ずる︒手力男の命は︑日の神の再び岩屋に入りまさぬよう︑  尻久米縄を引きたまえ︒﹂ 手力男 ﹁なかなかのことなり︒﹂ 思兼 ﹁さあらばこの所にて︑各々祝詞を詠じて舞い別れば  やと存じ候う︒﹂  歌ぐら︑天津神天の岩戸を押し開き         御世明らかなるぞうれしき

 アマテラスオオミカミの出御によって︑高天原は︑﹁あっばれ︑

あなおもしろし⁝⁝﹂と歓声に沸くのである︒そして再び岩屋

に隠れることのないように﹁一二三⁝⁝﹂と唱えながら魂留の

呪法を行い︑注連縄を張りめぐらすのである︒

 この場面の中心は﹁天津玉章の岩戸を押し開き御世明らかに

なるぞうれしき﹂という歌ぐらが示す通り︑オオミカミの出御

に対する喜びであろう︒しかし︑その喜びをもたらしたものは︑

知恵の神であるオモイカネの考案になる祭祀であり︑ウズメノ

ミコトによる舞踏にあった︒﹁何とすばらしいことではないか︑

ああ面白い⁝⁝﹂という感動は︑実にこの祭祀の霊験あらたか

なるを賛歌し︑祭祀を執行するにあたっての舞踏の効用を称え

たものに他ならない︒ここに﹁天の岩戸﹂の神話をもって﹁神

楽﹂の起こりとなし︑その重要性を説こうとする神代神楽の創

始者西林国橋の意図が見えるのである︒﹁神楽の秘文にいわく﹂

とあるが︑その秘文こそ作者自身の思想と解すべきであろう︒

一151一

(3)

津山高専紀要第27号(1989)

  手力男の命は太鼓たたきに近寄り︑しばらくの間︑太鼓

 たたきとこっけいな問答のやりとりをする︒

手力男 ﹁さて音楽︑このたび岩戸がかりをなすについては︑

 不用の品が数々ござれば︑しばらくお預り願いたい︒第一

 の口叩としては⁝⁝﹂

  と︑幣や扇子を次々と差し出して音楽に預け︑奥の幕に

 垂れていた布を持ち出してたすきにかけ︑岩戸に近づきこ

 じあける︒

 タチカラオノミコトは腕力の神格化であり︑その登場の目的

は言うまでもなく︑岩戸を強力にまかせてこじあけ︑アマテラ

スオオミカミを岩戸から連れ出すところにあるのであるが︑備

中神楽においては今一つ観客を舞台に引き付けるという役割を

果たしている︒特に﹁岩戸開き﹂のように動きの少ない物語に

は欠くことのできない存在となっている︒

 太鼓たたきとのやりとりは︑まさに洒落に洒落を重ねたもの

であり︑わけても︑たすきがけの所作に至っては︑その帯状の

布の解明からはじまって︑その結び方︑たすきがけの方法に至

るまで実にユーモラスに演出をするのである︒

 ﹁岩戸開き﹂もいよいよ終演が間近くなってきた︒ではまず

﹃古事記﹄の結末の方から見てみよう︒

︹古事記︺天照大御神怪しとおもほして︑天の石屋戸を細め

       の       あ   こも に開きて内より遺りたまひしく︑﹁吾が隠りますによりて︑

天の原自ら闇く︑また葦原中国も皆闇けむと思ふを︑何の

         あそび       もろもろ ゆゑにか天雷受売は楽をし︑また八百万の神も諸富へる﹂        いましみニと とのりたまひき︒ここに天宇受売命まをししく︑﹁汝命に まして貴き旧います︒かれ︑歓び笑ひ楽ぶぞ﹂とまをしき︒ かくまをす間に︑天児屋背・布刀玉命︑かの鏡を指し出で         み て︑天照大御神に示せます時に︑天照大御神いよいよ奇し       のぞ      かく と思ほして︑やや戸より出でて臨みます時に︑かの隠り立 てりし天手力男神︑その御手を取りて引きだす︒すなはち︑      しりくめなは    みしりへ 布刀玉命︑尻久米縄をその御後方にひき渡して︑﹁これよ     かへ り内にな還り入りそ﹂とまをしき︒かれ︑天照大御神出で ましし時に︑高天原も葦原中国も︑自ら照り明りき︒

 ウズメノ︑︵︑コトの狂態に誘われて︑高天原は揺れ動くほどの

暎笑に包まれた︒笑いは怒りを静め︑すくんだ心を活気づける︒

オオミカミが岩戸を細めに開いて外の様子を見ようとするの

も︑この笑いの結果に他ならない︒すでに怒りは和み︑衰えた

日の光は再び春の光として出現しなければならなくなる︒

 時を逃さずコヤネノミコトとフトタマノミコトが用意したヤ

タの鏡をオオミカミの前に差し出す︒オオミカミはその鏡に

映った像を見て︑いよいよ不思議に思って岩戸から身をのり出

してのぞき見をする︒隠れ立っていたタチカラオノカミが︑そ

の手をとって連れ出すのである︒

 かくして︑アメノウズメノミコトの神懸り︑すなわちタマフ

リの呪術によってオオミカミの﹁タマ﹂は振り動かされ︑以前

にもまして偉大な﹁タマ﹂を持った神として復活したのである︒

 アマテラスオオミが岩屋から出ると︑高天原も葦原の中つ国

も以前にも増して強大な光明に照らされて平和がよみがえって

くるのだが︑神々の希求は︑再びオオミカミが岩屋に隠れるこ

(4)

(14)

山本

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き1一

北方民族としての出雲派と︑南方民族としての高千穂派との衝

突闘争を伝えたものだとする説等︑その説は多様であるが︑い

ずれにしても︑岩屋にこもった日の神を再び高天原に招き迎え

る祭祀であることには変わりはない︒岩屋にこもっているアマ

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ テラスオオミカミの魂を振り動かすタマフリがウズメノミコト

に科せられた使命なのだ︒神懸りして悪魔を退散させ︑新しい

生命を生み出す性器を露出することによって︑日の神の霊魂の

再生を図るという積極的な意図をもっての行為である︒

 神々の笑いも真剣な笑いでなければならない︒オオミカミの

霊魂を呼びさまし︑新しい春を招く笑いでなければならない︒

神々は女神の性器に向かって声高らかに笑う︒それによって女

神はさらに狂うように踊るのである︒

 神楽の舞台にかえそう︒

       あま 思兼 ﹁銅女の命は御神楽を奏したもうたり︒富屋の命は天

 つふとのりと      ふとたまぐし  津太祝詞を奏上なし︑太玉の命は太玉串をささげ奉りたも

 うべし︒﹂

両神  ﹁かしこまってあり︒﹂

  一同正面奥に向かって正座し︑児屋の命が祝詞を唱え︑

 一同それに和す︒

  ﹁タカマノハラニカムヅマリマススメムツカムロキカム

 ロミノミコトモチテ⁝⁝﹂

思兼 ﹁この所に天の手刀男の命は急ぎたまえ︒﹂ 第四場 手刀男の命の舞 幕の内︑ 歌ぐら︑天照らす大神すら千早ぶる         神のすさびは畏みましき 舞い出し︑

 いかつい面相で︑それでいてどこかひょうきんな感じを与え

る神が力強く舞い出て︑型どおりの名乗りをあげる︒

思兼  ﹁さって手刀男の命にましまさば︑このたび︑日の大        ぬコ うりき  神岩屋に入りたもうて⁝⁝御命は強力なる神におわせば︑

 何とぞ岩戸を押し開き︑大神の御出御を取り計らいたまえ

 や︒﹂ 手力男  ﹁心得てあり︒さあらばこれより岩戸に近づき日の

 大神のこ気色を伺い奉らん︒﹂

  岩戸︵奥の大幕︶に近より︑中をうかがう︒

手力男  ﹁さってただ今︑日の大神のこ気色を伺い奉りしと       の  ころ︑かく詔りたまいぬ︒﹃われこのころ岩屋にこもりお

 るに︑天上天下ことごとく常闇なるべきに︑諸神たちは何

 を騒ぎ楽しむや︒また天の錨女の神は何を面白く遊び舞い

 狂うそや︒﹄とあやしみ穿りたもうて︑玉の御手をもって︑

 岩戸を細目に開けてごろうずるほどに︑この機をすかさず

 強力自在にまかせて岩戸を押し開き︑御手をとり奉りてお

 導き出し奉らむ︒﹂

思兼  ﹁しからば急ぎたまえや︒﹂

手力男  ﹁かしこまってあり︒﹂

一 153

(5)

津山高専紀要第27号(1989)

快に舞う︒

 観衆から盛んに声がとぶ︒          ひめまい  もちろんそれは﹁姫舞﹂に相違あるまいが︑しとやかさ︑初

初しさ︑そんな影はみじんもない︒舞台狭しと舞い遊ぶ︒鈴の

音がひときわ冴えわたって神秘的な雰囲気を醸しだす︒そして

ちょっぴりと色気も漂ってくる︒舞手は男性なのだが︒

では︑この場面に︑﹃古事記﹄の文章を重ねてみよう︒

    あめのうずめのみニと       ひかげ  たすき ︹古事記︺天宇受売命︑天の香山の天の日影を手引にかけて︑    まさき かづら         ささば  たぐさ  天の真性を塁として︑天の香山の小竹葉を手離に結ひて︑

       う け      かむがか  天の石屋戸に汗気伏せて踏みとどろかし︑神懸りして︑胸

        もひも   ほ と       とよ 乳をかき出で︑心緒を陰土に押し睡りき︒ここに高天原動

 みて︑八百万の神聖に笑ひき︒

 ﹁ウズメ﹂は鎮魂をつかさどるものの職名であり︑ウズメノ       さるめのきみ ミコトは宮中の鎮魂祭に奉仕するシャーマンの猿女君の祖神で

あるという︒鎮魂の祭儀は﹁魂しずめ﹂と考えられやすいが︑

古代においては単なる魂しずめだけではなく︑衰弱した魂を目

覚まし︑その霊能を強大ならしめる﹁魂ふり﹂の呪的方法が合

一しているのである︒

  ひかげ   まさき  ﹁日影﹂﹁真底﹂は︑いずれもつる状の植物で︑これをある

  たすき      たぐさ いは裡とし︑あるいはわがねて髪の上に載せる︒また﹁手草﹂

は︑手にとるくさ︑手に持つ物の意で︑笹とか榊の枝とかを手

に持つことである︒ここでは︑聖山である天の香山の笹を束ね

て手に持ったのである︒

 ﹁手草﹂や﹁採り物﹂の習慣は︑能や狂言にも見え︑殊に面 白いのは狂女は必ず笹を持つ︑笹を持たねば狂女にならないと

いうように一つの型になっていることだ︒なぜ︑笹なのかは分

からないが︑﹁ささ﹂とか﹁そそ﹂とかいう音に関係があるよ

うに思える︒備中神楽では笹の代りに鈴を持つのであるが︑こ

れも神秘的な音を発するから︑神懸りになくてはならぬものと

して使われてきたようだ︒

 さて︑日影︑真折で体を覆い︑手には笹を持ったウズメノミ       う け コトが︑岩屋の前に進み出て﹁浮気伏せて踏みとどろかし﹂て       う け 踊るのである︒﹁ウケ﹂は﹁覆槽﹂︵書紀本文︶とも書かれ︑中

 うつ の空うな木製の容器のことで︑その上に立って︑ぽんぽんとこ

れを踏みならして踊る︒その踊りが最高潮に達したとき︑その

舞人に神霊が降りついて神懸りの状態になる︒胸の乳房をあら

    も       ほ と わにし︑裳の緒を陰土まで押しさげて狂うがごとく踊るのだ︒

そこで満座の神々は高天原が揺れるほどどっと笑うのである︒

 このセクシーな踊りを現代人はストリップの元祖のように言

う向きがあるが︑決してそんなものではない︒胸がはだけ乳房

があらわれ︑裳のひもがゆるんで性器が露出したのは︑彼女が

踊りに夢中になっていたためにそれに気づかなかったのでもな

く︑神々の歓心をかうためにわざとそうしたのでもない︒あえ

てそうした姿態をしなければならないわけがあったのであり︑

神々の笑いもストリップ劇場の踊り子を鼻の下を長くして見と

れている男たちの笑いではない︒

 天岩屋戸神話については︑幾つかの説がある︒岩戸は墓所を

意味し︑天岩屋戸の段はアマテラスオオミカミの崩御の章だと

する説︒スサノオノミコトを暴風にみたてて︑太陽と暴風との

優劣を争ったものだとするもの︑また︑日蝕神話だとするもの︑

(6)

(12)

山本

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き1一

  ひのくまのかみ ます日前馬なり︒

      もろもろ      かがみつくりべ  とほつおや ︹書紀一書二︺諸の神たち︑憂へて︑すなはち鏡作部の遠祖

あまのあらとのかみ      いみべ    ふとたま    にきて

天業戸者をして︑鏡を造らしむ︒忌部の祖児玉には幣を造

    たますりべ      とよたま らしむ︒玉作部の遠祖曲豆玉には玉を作らしむ︒

 鏡の作製についてみると︑書紀本文にはその記事はないが︑

古事記および書紀一書一は︑イシコリドメ︵伊斯許理叫号・石

      ヘ  ヘ  ヘ  へ 凝姥︶に命じて造らせたとある︒イシコリとは︑石づくりの鋳

型を用いて金属を凝固させるところがら名付けたのであろう︒        ヘ  ヘ  へ また︑書紀一書二のアラトノカミのアラトは粗砥の意であり︑

鏡づくりに必須の道旦ハである︒

 なお︑古事記の文をそのまま読むと︑天の金山から採鉱した

鉄で鏡を作ったように解釈できるが︑これは疑問である︒考古

学によると我が国に現存する古代の銅はすべて銅製の円鏡であ

るとされている︒また︑中国では古く﹁カネ﹂は銅を意味して

いた︒さらに書紀一書一の﹁香山の金を採りて日矛︵神事用の

棒︑鍛治屋が物を鋳る時に使う道具︶を作らしむ﹂という点か      かぬちあまつまら ま ら考えると﹁鍛人天津麻羅を求ぎて﹂の下に脱落があるとみた

い︒すなわち︑﹁天津麻羅を求ぎて日矛を作らしめ︑また︑仮

しこりどめのみこと おほ 斯許二度押脚に科せて鏡を作らしめ﹂とすると分かりやすくな

り︑やはり鏡の素材は銅であると考えた方が自然であろう︒

 その形について本居宣長は八稜形の鏡であると解している

が︑八稜形の鏡が製作されるようになったのは奈良時代以後で

あるから︑円形と考えるのが妥当であろう︒書紀一書一にも﹁そ

の神の象を図し造りて﹂とあり︑古語拾遺にも﹁日の象の鏡﹂

とある︒その神というのは︑いうまでもなく日の神︑太陽であ       やあた      や た るから︑明らかに円形であり︑﹁八尺﹂・﹁八七﹂はその形で はなく︑大きさを示す語と考えられる︒        ぼくせん  次に︑玉の祖に命じて玉を作らせ︑次にはト占によって祭祀 の準備や方法について︑コヤネノミコト︑フトタマノミコトに        は は か 占わせる︒天の香山の男鹿の肩の骨を抜いて波々迦の木︵樺の 類︶でその骨を焼き︑熱したところに水を注ぎ︑生じたひびを 見て判断するのである︒つまりオモイカネノカミの考えた祭儀 の準備やその方法について︑今一度その可否をト占によって確 認したのである︒  ﹁長鳴鳥﹂というのは鶏のことであり︑黎明を告げる鳥であ る︒またこの鳥は除魔の力をもつ神秘的な鳥であるとも言われ ている︒したがって長鳴鳥を鳴かせたのは︑ 一面においては︑      ちょうりょう 暗黒の世界に跳梁する悪鬼邪霊を退散させ︑一面において︑太 陽の出現︑つまりアマテラスオオミカミのお出ましを誘うため の呪術的意味があったのであろう︒  少し深く立ち入りすぎたようであるから︑神楽の方へたちか えって次へ進めよう︒

いよいよ祭典のクライマックスである︒

思兼  ﹁さて︑天の下女の命は舞い出で︑

 を奏したまえ﹂

第三場 三女の命の舞 この所にて御神楽

 右手に鈴︑左手に舞扇︑真紅の衣装をこらしたウズメノミコ

トが舞い出る︒

 ﹁さんや︑はあさんや︑さんや︑さんや﹂の難句の太鼓で軽

一155一

(7)

津山高専紀要第27号(1989)

であり︑神の示現する場所になるのである︒これを斎部︵忌部

氏︶の祖であるフトタマノミコトが捧げ持つことによって準備

が完了するのである︒

 さて祭壇の準備が完了するといよいよ祭典である︒

 祭典は二つの要素を必要とする︒一つは口論によるもので︑

         のりと      しょ その代表的なものが祝詞である︒今一つは舞踊に代表される所

さコと 作事である︒

 ここでは︑中臣氏の祖であるアメノコヤネノミコトが祝詞を

   さるめのきみ      かみがか あげ︑猿女君の祖であるアメノウズメノミコトが岩戸前で神懸

りして踊ることになるのだが︑それは次の場面に譲ることにし

よう︒  以上のようにオモイカネノミコトがオオミカミを岩屋から連      さいし れ出す策は祭祀をとり行うことにあった︒聖木である榊に玉・

        き とヒつ 鏡・ぬさをつけて祈禧することであった︒ここで大切なのは鏡

と玉とである︒中つ枝の鏡は太陽を象徴し︑上つ枝にかけた玉

 たま は霊に通じる︒岩戸の前におく玉と鏡と祝詞の誘いの言葉とに

  じゅじゅつ よる呪術的行為によって︑日の神はそれに依りつくものと考え

たのである︒

 さて︑この岩戸開きの一段は︑アマテラスオオミカミを天の

岩戸から連れだすための神事を中心にした物語であるが︑﹃古

事記﹄﹃日本書紀﹄編さんの重要課題でもあった﹁国家成立﹂

という観点からみると︑﹁宝鏡出現﹂の章としてとらえること

もできる︒すなわち︑皇位の象徴である﹁三種の神器﹂のうち︑

鏡と玉との出現を説く物語でもあるのだ︒記紀のその部分の記

述もあわせてみておきたい︒     たかみむすびのかみ    おもひかねのかみ         とこよ ︹古事記︺高御産巣日豊の子︑思金神に思はしめて︑常世の

ながなきどり      あめ  やすのかは       あめ  かたしは

長鳴鳥を集めて鳴かしめて︑天の安河の河上の天の堅石を    あめ  かなやま  まがね         かぬちあまつ ま ら   ま      い 取り︑天の金山の鉄を取りて︑鍛人天津麻羅を求ぎて︑伊

しこりどめのみこと おほ       たまのおやのみニと     やさか 斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ︑玉革命に科せて八尺

 まがたま  い ほ つ   み        たま       あめのこやねのみニと

の勾聡の五百津の御すまるの珠を作らしめて︑天児屋命・

ふ とたまのみニと        あめ  かぐやま  ま をしか     うつぬ 腰刀細身を召して︑天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜き

       は は か      うらな て︑天の香山の波々迦を取りて︑占合ひまかなはしめて︑

     い ほ つ まさかき      ほつえ 天の香山の五百津真率木を根こじにごじて︑上枝に八尺の       なかつえ  やあた 勾聡の五百津御すまるの玉を取りつけ︑中枝に八尺の鏡を

     しづえ    しらに き て  あをに き て      し 取りかけ︑下枝には白丹寸手・青丹寸手を取り垂でて︑こ

 くさぐさ      ふ と みてぐら

の種々の物は︑布刀玉命布刀御幣と取り持ちて︑天児屋命

ふ とのりとユとほ       あめのたぢからをのかみ 布刀詔唐言疇ぎまをして︑天手力男神戸のわきに隠り立ち

  あめのうずめのみニと て︑天宇受売命⁝⁝

     おもひかねのかみ      たばか      とこよ  ながなき ︹書紀本文︺思岳神深く謀り遠く慮りて︑ついに常世の長鳴

どり       たちからをのかみ       いは 鳥を集めて︑互に長鳴きせしむ︒また手力雄神をもって磐

と  とわき  かくした     なかとみ  とほっおやあまのこやねのみこと  いみべ      ふと

戸の側に立てて︑中臣の遠祖園児儲蓄︑忌部の遠祖太

たまのみニと  あまのかぐやま  い ほ つ   まさかき  ねニじにこ   かみつえ    やざかに

玉薬︑天香山の五百箇の真坂樹を掘じて︑上枝には八坂慶

     みすまる とりか   なかつえ    やたのかがみ とりか    しづえ の五百箇の御統を懸け︑中松には八腿鏡を懸け︑下枝には

あをにきて      とりし      いのりまう

青和幣︑白和幣を懸でて︑相ともにのみ祈疇す︒ ︵宝鏡

をつくる記事なし︶

      たかみむすびのみこと みこおもひかねのかみ    かみ   

おもひたばかり

︹書紀一書乙高皇産霊尊の息思兼神という者有り︒思慮

 さとり      そ

の智有り︒すなはち思ひてまをしてまうさく︑﹁彼の神の

みかた  あらは       を

象を図し造りて︑招重きたてまつらむ﹂とまうす︒かれ︑

    いしこりどめ       たくみ       あまのかぐやま  かね  と すなはち石凝姥をもって重工として︑天香山の金を採りて

ひほこ          まなか   

うつはぎには   あまのはぶき

日矛を作らしむ︒また真名書の皮を金剥ぎて︑天羽輪に作

     も       きいのくに る︒これを用て造り奉る神は︑これすなはち紀伊国にまし

(8)

(10)

山本

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き」一

から神話の世界はまことにおもしろい︒

 このスサノオノミコトの処罰に関する一段は︑﹃古事記﹄も﹃日

本書紀﹄もともに天の岩戸の物語の結末の部分に記しているの

であるが︑﹁備中神楽﹂では︑スサノオノミコトの処分を先にし︑

その後でオオミカミの出御対策へ入るという構成になってい

る︒おろらく神楽の創始者西林国橋が︑この物語の終結を﹁め

でたき舞﹂にしたいと意図したためであろう︒

 さて︑スサノオノミコトに対する処分が決定されると︑オモ

イカネノミコトは︑オオミカミを岩屋から連れだすための具体

策にとりかかる︒

      おもんばか 思兼  ﹁さて︑それがし遠く思い深く慮るに︑諸神たちは     まのかぐやま       いほっまさかき  これより天香山にはせのぼり︑五百箇真幸を根こじにこじ

      かみ      やさかに  て持ち下り︑上つ枝に八尺環の曲玉を取りつけ︑中つ枝に

  や た      あおにきて  しろにきて  は八腿の鏡を取り懸け︑下つ枝には青和幣・白和幣を取り

 し      あまつのりと  ふとのりと       たたえ  垂で︑天の児屋の命は天津祝詞の太祝詞を申し︑相共に称

 ニと      とこよ

 辞を申したもうべし︒また︑常世の長鳴きの鳥をして長鳴       うずめ みニと いすずますず  かしめ︑天の銀女の命は五十鈴真鈴をとりて御神楽を奏し

 たまい︑また諸神たちはともどもに楽の拍子をとりたもう

 べし︒かく仕えまつらば︑日の大神の大御心も自ら和らぎ        たちからお  たもうらん︒この時に手力男の命をして岩戸近く侍らせた     ヘロ うりき        やた  まい︑強力にまかせ岩戸を押し開き︑鋼女の命をして八難

 の鏡を捧げ奉らしめなば︑必ずお出ましあらせられんと存

 ずるそや︒﹂

両神  ﹁これはよき御思慮にてあり︒しからば思いのままに

 謀らせたまえやの︒﹂  アマテラスオオミカミ︑すなわち日の神の出御を願うために は︑それにふさわしい準備と手順が必要なのだ︒その要点をま とめてみると︑

② ①

@@@ c)

@O

というふうに整然とした旦ハ体策を打ち出し︑

る︒       よりしろ  まず︑日の神を招き降ろす依代としての榊を天香山から根の

ついたまま亘りとってくる︒この天香山が大和に実在する﹁香

具山﹂であるかどうかの議論は別にして︑この山を聖山とする

思想があったことは間違いない︒祭式その他にも﹁天香山﹂と

いう名は頻繁に出てくるところで︑少なくとも記紀の編さんが

なされた七八世紀の頃には天香山すなわち聖山という意識が

人々に根付いていたことは間違いなかろう︒

 榊は神霊がのり移る樹であり︑それにこれまた神霊の宿る玉

や鏡をとりつけ︑ぬさを結びつける︒これもやはり神の招き代 天香山から榊を根こじにして持ち帰る ⊥轍鑑輿賜 天の太玉の命がこれをささげ持つ 天の平屋の命が祝詞を奏上する 常世の長鳴き鳥を鳴かせる 天の鋼女の命が神楽を舞い︑諸神は拍手をとる  大神が不審に思い︑顔をのぞけるだろう 手力男の命が強力にまかせて岩戸を押し開く 天の釦女の命がやたの鏡をささげて天照大神を岩屋か ら連れだす        てきぱきと指示す

一 157一

(9)

津山高専紀要第27号(1989)

       ヘ  ヘ  へ 舞であるから︑﹁くそまる﹂︵くそをひる︶という言葉を避けた

のであろうが⁝⁝要するにこれらの所業は︑神聖なものに対す

 おとく る汚濱行為である︒

 そして︑いっさいの不浄から隔離された神聖な機屋へ︑生き

馬の皮を剥いで投げこんだのである︒機を織っていた女がそれ

      ひ   ほ と を見て驚いて稜で陰土をついて死んだのである︒﹁稜﹂は機を

織る時に横糸を通す道具であり︑﹁陰土﹂はいうまでもなく女

性の性器である︒        かび  書紀本文では︑アマテラスオオミカミが俊で体を傷つけられ

たとあり︑書紀一書一ではワカヒルメノミコトが稜で傷ついて

死んだとある︒       くそ  このスサノオノミコトの暴行に対して︑初めのうちは︑﹁尿

なすは酔ひて吐き散らすとこそ⁝⁝﹂と許されるのであるが︑

神聖な機屋を冒され︑織女が死んだりするに至ってはついに我

慢ならず天の岩戸を閉ざして籠り︑天も地も暗夜となる︒そこ

で神々が安の河原に集まってオオミカミを引き出すための民衆

会議を開いたのである︒

 さて︑オモイカネノミコトが知恵をしぼって善後策を考える

のであるが︑先ず乱暴を働いたスサノオノミコトの処置から検

討すべきであるとして協議し︑その結果︑﹁たとえ日の神の御

弟とは申せ重き罪を犯させたまいしことなれば︑八百万の神た

        ちくら  おきと  はらい       ね  かたすくに  かん ちの神慮によって星座の置戸の祓を負わせて︑根の等温国へ神

やら 遣いに遣うべきものなり﹂と衆議一決して︑高天原から追放さ

れることになるのである︒

  ちくら  おきと  ﹁千座の置戸﹂の︑﹁運座﹂は多くの台を意味する︒すなわち︑ 多くの台の上に品物を積んだ状態であり︑罪を犯した者がその 賠償としてたくさんの品物を台にのせて差し出すのが当時の社 会的慣行であったのであろう︒  ところが︑それだけではまだ不充分だったのであろうか︑記 紀は次のように記している︒

       はか       ちくら ︹古事記︺ここに八百万神田に議りて︑須佐之男命に︑千位

 おきど  おほ     ひげ       かむ の置戸を負せ︑また髪を切り︑手足の爪も抜かしめて︑神

やら  やら

逐ひ逐ひき︒      もろもろ    つみ      よ   おほ ︹書紀本文︺諸の神たち罪過を素菱鳴尊に帰せて︑科する

 ちくらおきと      せ 

はた

に千座置戸をもてしてつひに︑促め徴る︒髪を抜きて︑そ    あか の罪を順はしむるに至る︒またいはく︑その手足の爪を抜       かむやらひやら きて蹟ふといふ︒すでにしてつひに逐降ひき︒

 記紀ともにスサノオノミコトに対する処罰の方法は同じであ

るが︑書紀本文の方がやや記述が詳細で︑﹁⁝⁝科するに千座

      ヘ  ヘ  ヘ  へ 置戸をもてし︑つひに促め徴る︒髪を抜きて⁝⁝﹂とある︒高

       ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  へ 天原を騒がせた罪として全財産を没収し︑それでも足りないの

で髪を抜いて償わせ︑また︑手足の爪を抜いて追放したのであ       そ る︒ひげ︑一髪︑爪を切ったり抜いたりしたのは︑その力を殺ぐ

という別の意味もあったのかもしれない︒

 こうして︑スサノオノミコトは高天原を追放されて︑やがて

出雲の国に降りるという筋書になるのだが︑高天原では﹁荒ぶ

る神﹂として︑ひげや爪まで抜かれて追っ払われるというピエ

ロ的役割を果たさざるを得なかったスサノオノミコトが︑いっ

たん地上に降り立つと︑うってかわって英雄神となるのである

(10)

山本 (8)

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き1一

水田は︑長雨や日照りが続いてもそれに影響されないというほ

どの良田であった︒それに比べてスサノオノミコトのそれは皆︑

やせ田で︑雨が降ると流され︑かんかんに日が照ると︑やけて

しまうというひどい田であった︒そのためにスサノオは嫉妬し

    ひはがち  みぞうめ  あはなち  しきまき て春は﹁廃渠槽﹂﹁上溝﹂﹁殿畔﹂﹁重播種子﹂という行為をなし︑

    くしざし 秋には﹁橿籔﹂﹁馬伏す﹂という行為に及ぶのである︒

  ひ      はかち  ﹁馬槽﹂は水を流す樋の大きいものであり︑﹁廃﹂は︑﹁放つ﹂

      し  き  ま  き の古風よみで︑やはりこわずことである︒﹁重々種子﹂という

のは︑﹁重ねてまく﹂の意であり︑オオミカミが種子をまいた

上にまた種子をまいたのである︒

 アマテラス手口ミカミとスサノオノミコトとは︑前述のごと

く︑記紀ともに姉弟という関係になっているが︑もともとスサ

ノオノミコトは︑﹃出雲風土記﹄にも見えるとおり︑出雲を代

表する土着の神であったと考えられる︒︵このことについては

﹁大蛇退治﹂のところで述べる︶したがって争いの本質は﹁勝

さび﹂とか︑﹁嫉妬﹂とかによる姉弟争いというよりも︑出雲

を代表する土着民族の︑より高い農耕文化を持った高天原系民

族に対する挑戦であったと言うべきものではあるまいか︒

         し  き  ま  き  そう考えると︑﹁重圏種子﹂という行為の目的は︑土地の所        くしざし 有権を主張し︑﹁撞籔﹂することによって︑他の何者の侵略を

も許さないという決意を示したものとも考えられる︒

 オオミカミの岩戸籠りの要因となるスサノオノミコトの第二       いみばたどの の悪態は︑オオミカミの﹁忌機殿﹂に﹁生き駒を逆剥ぎにして

投入る﹂という行為であるが︑ここは記紀ではその記述にかな

りの違いがあるので比べてみよう︒     おほにへ      くそ ︹古事記︺大嘗きこしめす殿に尿まり散らし⁝⁝天照大御神︑ いみはたや      かむみそ 忌服屋にまして︑神御衣織らしめたまひし時︑その服屋の

むね  うが       ぶちこま  さかは

頂を穿ち︑天の斑駒を逆剥ぎに剥ぎて落し入るる時に︑天  はたおりめ  ひほと の織女見驚きて︑稜に陰土を突きで死にき︒かれここに天

     みかしこ 照大御愚見畏みて︑天の岩屋戸を開きてさし隠りましき︒        にぴなへ ︹書紀本文︺また天照大神のまさに新嘗きこしめす時を見て︑

        にひなへのみや  くそま すなはちひそかに新宮に放属る︒また天照大神の︑まさ

 かむみそ      いみはたどの に神衣を織りつつ︑斎服殿にましますを見て︑すなはち天

  さかは ぎには     

おほとの   いらか   ヒつが

斑々を剥ぎて︑殿の莞を穿ちて投げいる︒この時に︑天

    おどろ       かび         いた 照大神︑驚動きたまひて︑峻をもて身を傷ましむ︒これに      いか        あまのいはや       いは よりて︑発怪りまして︑すなはち天石窟に入りまして︑磐

 と    さ      ニも 戸を閉して早りましぬ︒

       わかひるめのみニと  いみはたどの ︹書紀一書一︺この後に︑稚日女尊︑斎服殿にましまして︑  かむみそ         みそなは         さかは 神垂々服織りたまふ︒素菱鳴尊見して︑すなはち忍駒を逆

ぎには      みあらか 剥ぎて︑殿の内に投げ入る︒稚日女尊︑すなはち驚きた

    はたもの       かび      み  やぶ まひて︑機より落ちて︑持たる稜をもて体を傷らしめて︑

かむさ 神退りましぬ︒かれ︑天照大神︑素菱鳴尊に語りてのたま

    いまし    きたな はく︑﹁汝なほ黒き心有り︒汝と相見じ﹂とのたまひて︑

    あまのいはや      いはと   さ すなはち天石窟に入りまして︑磐戸を閉著しつ︒

 スサノオノミコトの第二の悪態はオモイカネが述べているよ

うに神聖な機殿に馬を逆剥ぎにして投げ入れる行為であった︒

      おほにへ       くそ 記紀ではそれに加えて﹁大嘗きこしめす殿に尿まり散らし﹂︵記︶

にひなへのみや  くそま ﹁新宮に放煙る﹂︵紀︶という所業を記している︒すなわち︑

オオミカミが新穀を供えて神を祭り︑ご自身でも召しあがる御

殿に汚物をまき散らしたのである︒もっとも神楽は︑神前での

159一

(11)

津山高専紀要第27号(1989)

 やみ       や そ  まがかみすさ      まがニと  闇となりて八十の邪神荒びたりけり︒禍事次々とできぬれ

 ば︑諸神たちはいたくこれを憂い悲しみつつ︑岩戸を押し

 開くべき手立てをわれに思い謀れとのことなるかな︒﹂

両神  ﹁いかにも﹂

思兼  ﹁さて非道の仕業ありし重盗鳴尊はいかに処置したも

 うかな︒﹂

両神  ﹁さればこそ︑たとえ日の神の御主とは申せ︑重き罪

 を犯させたまいしことなれば︑八百万の神たちの神慮に

よ・で・虚の置戸の磁を負わせて・櫛の璽帰臥に襯置い

 に遣うべきものなり︒﹂

思兼 ﹁いかにも︑しかればそれがしも一思案つかまつらん︒

 ふふん:::﹂

 腕を組み︑頭を傾けて思案する︒

 アマテラスオオミカミが天の岩屋に隠れる原因としてのスサ

ノオノミコトの悪態の第一は︑農耕生活の妨害行為である︒す       ざ だ   ながた なわち︑オオミカミの経営する狭田・長田に対して︑﹁苗代に

ひえ       あはな         やつかほ 稗まき﹂﹁くしざし﹂﹁畔放ち﹂﹁みぞ埋め﹂八束穂に稔る御田

    ぶちニま に﹁天の斑駒を放ち入れ﹂という行為である︒

 ﹁狭田・長田﹂とは︑狭い田︑横に長い田と解する︒広々と

した平野の広い水田ではなく︑水を引き入れやすい谷川に沿っ

た︑幾重にも仕切った狭い段々の田であろう︒遠い弥生時代の

農耕生活を思わせるものである︒        あぜ  そのせっかく塗りたてた畔を切りはなったり︑水路を埋めた         あはな りする︑これが﹁畔放ち﹂﹁みぞ埋め﹂という行為であり︑春

から夏にかけての悪業である︒       ヘ  ヘ  ヘ  へ  ﹁くしざし﹂というのは︑現代でいう﹁くいうち﹂であり︑ 田畑・山林などの土地の所有を主張することである︒また︑秋 に稲穂が稔る頃になると︑まだらの馬を追いこんで︑めちゃめ ちゃにしたのである︒  この部分についての記紀の文章を抜粋してみよう︒

    かち      つくだ   あはな ︹古事記︺勝さびに天照大御神の営田の阿離ち︑その溝を埋

      おほにへ         との  くそ め︑またその大嘗きこしめす殿に尿まり散らしき︒

       しわざ         あづきな ︹書紀本文︶この後に︑素菱鳴尊の為行︑はなはだ無訂し︒

       あまのさなだ   ながた       み た 何とならば︑天照大神︑天狭田・長田をもて御田としたま        しきまき    あはなち   

あまの

ふ︒時に素望二尊︑春は乱脈種子し︑また畔修す︒秋は喜

ぶちこま

斑駒を放ちて︑田の中に伏す︒

       ひのかみ  た  みところ     なつ   あまのやす ︹書紀一書三︺この後に︑日豊の田︑三処有り︒号けて天安

だ  あまのひらた  あまのむらあはせだ      ながめひでり

田・天平田・天邑井田といふ︒これ皆良き田なり︒霧旱          そこな にあふといへども︑損傷はるることなし︒かの素菱心墨の

      あまのくひだ  あまのかはよりだ  あまのくちと だ 田︑また三処有り︒号けて欝欝田・天川依田・羽口鋭田

       やせどニろ       ひで    や といふ︒これ皆梨地なり︒雨ふれば流れぬ︒旱れば焦げぬ︒        やぶ       ひ はがち かれ︑素菱鋸歯︑妬みて︑姉の田を照る︒春は廃渠槽︑及

 みぞうめ  あはなち      し き ま き        くしざし び埋溝︑殿畔︑また重播種子す︒秋は撞籔し︑馬伏す︒

 このように記紀の語るところは︑その表現に多少の違いはあ

るものの︑いずれも農耕生活をおびやかす妨害行為に他ならな

い︒しかもそれは︑春から秋へと四季を通じて行われており︑

それは単なる﹁勝さび﹂︵勝に乗じて︶という一時的な感情か

らだけとはとても思えない︒特に留意したいのは︑﹁書紀一書三﹂          やぶ の﹁妬みて︑姉の田を害る﹂という語句である︒オオミカミの

(12)

(6)

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き」一 山本

る神であり︑アマテラスオオミカミが岩屋に籠ると︑オオミカ

ミは日の神であるから全世界は暗黒の夜ばかり続く︒そのため

にあらゆる凶事が起こった︒神々は悲しみ騒ぎ︑天の安の河原

に集まってオオミカミを再び現世に迎える方策を相談し︑その

結果︑最も知恵・思慮に秀でたオモイカネノミコトに善後策を

依頼したのである︒

 さて︑次は︑オモイカネノミコトがその思案するところを述

べるのであるが︑まず︑アマテラスオオミカミがなぜ岩戸を閉

ざして籠ったのかという事情の確認から議事が進められる︒

 思兼  ﹁さってそれがしが案ずるに︑

のごとく︑いと猛々しき神にして⁝⁝﹂ 素三皇の尊はその御名

 オモイカネノミコトの説明は以下下段へと長々と続くのであ

るが︑この間の事情を記紀の記述をもとにして簡単に紹介しよ

う︒  ﹃古事記﹄によると︑イザナギノカミが﹁左の御目を洗ひた

       あまてらすおほみかみ まふ時︑成れる神の名は︑天照大御神︒次に右の御目を洗ひた

      つくよみのみニと まふ時︑成れる神は︑月続命︒次に御鼻を洗ひたまふ時︑成れ

    たけはやすさのをのみこと る神は︑建速須佐之男命︒﹂というように︑スサノオノミコト

とアマテラスオオミカミは姉弟関係となっている︒﹁書紀本文﹂

もまた同様である︒

 さらに︑アマテラスオオミカミには﹁高天原﹂を︑ツクヨミ

       よるのをすくに       うなばら ノミコトには﹁夜之食国﹂を︑スサノオノミコトには﹁海原﹂

を統治せよと命じた︒ところがスサノオノミコトはそれが不承        はは   ねのかたすくに 知で︑自分は﹁批の心根之堅州国﹂に行きたいと泣き叫んだ︒ イザナギノカミは大いに怒り︑﹁それならお前はこの国に住む な﹂と言ってスサノオノミコトを追放したとしている︒  父のイザナギノカミによって高天原から追放されたスサノオ ノミコトは︑根の国へ赴く前に姉のアマテラス過多ミカミに暇 こいに行った︒そのありさまは山川が︼斉に鳴り騒ぎ︑国書が 震動するほどであった︒﹁天の浮橋ふみならし⁝⁝﹂の歌ぐら はこの場のようすを象徴的に謡ったもののようである︒  そこでアマテラスオオミカミは大いに驚き︑悪心があっての ことと思い︑武装して立ち向かった︒スサノオノミコトが︑自 分に二心はない︒ただ︑父親から追放された事情を告げ︑暇こ いに来たにすぎないと言うと︑それなら忠誠心を示せというこ       う け い とで︑スサノオノミコトは宇気比︵誓約をたてること︶して子 どもを生み︑神に心の善悪を判断してもらおうと言った︒結果 はスサノオノミコトの勝ちとなり︑勝ちに乗じてさまざまな乱 暴な行為に及んだと記している︒﹁書紀本文﹂も︑若干の相違 はあるものの︑ほぼ同様の主旨を述べている︒  では︑もとの神楽の場にかえってみよう︒

       すさ 思兼︑﹁⁝⁝しかるに素菱鳴命の御荒びはさらにもやませた        さ だ  ながた  まわず︑はては︑大神︑天の狭田・長田を作らせたもう時︑

    ひえま         あはな みぞ      やつかほ  苗代に稗蒔き︑くしざし︑畔放ち溝埋め︑秋は八束穂に稔

  み た       ぶちこま  る御田に︑天の斑駒を放ち入れて損なわしたまい︑また︑

 いみはたどの      み そ       いきニま

 忌機殿にましまして︑御衣を織らせたもうを見て︑生駒を

 さかは  逆剥ぎにして投げ入れたもうなど︑非道の仕業ますます募

 りたまいければ︑ついに大神は怒りたまい︑天の岩屋に入        とこ  りて岩戸を閉じて籠りたまいけり︒このゆえに天上天下常

161

(13)

津山高専紀要第27号(1989)

岩戸﹂と称する岩窟がある︒この地は禁足地になっており︑岩

戸神社の裏から渓谷を隔てて拝することになっている︒私が訪

れたのは夏で︑ぎっしりと生い茂った青葉のために︑その所在

さえわからないほどであった︒        や およろず  また︑岩戸神社より五百メートル上流の一角に︑八百万の神

が集まって協議したとする﹁天の安河原﹂や︑アメノウズメノ

ミコトが舞をしたとする﹁神楽尾﹂がある︒そして毎年十一月

から一月にかけて︑各部落で終夜舞い続ける﹁岩戸神楽﹂はあ

まりにも有名である︒

 さて︑﹁言いたて﹂が終ると﹁ひざ折り舞﹂に移る︒いわゆ

る本舞である︒太鼓のリズムと太鼓たたき︵神楽では親しみを

込めて音楽さんとよぶ︶の﹁ヨ皇家ー︑ヤーハー︑ヨーハー﹂

 はやし

の難に合わせて︑静かに︑厳かに舞う︒

   たくみ  面の匠のなせる技か︑はたまた舞手︵神楽大夫という︶の技

量によるものか︑気品のある穏やかなその面に不思議と愁いの

影が浮かぶ︒

第二場 思兼の命の舞

 ぐっと口をひき締め︑

の神が舞い出る︒ 出ばったあご︑         おきなめん 眉もひげも真白な翁面

幕の内︑ 歌ぐら︑天の岩戸を開かんとて

        や お  よろず        八百や万の神たちを       つど       集え集えて広くはからん

舞い出しのあと言い立て︑       やニニろ 思兼  ﹁さって舞い出でしそれがしは︑強意深き思兼の命な  り︒これより安の河原に急がばやと存じ候う︒﹂  ひざ折り舞をして 思兼 ﹁急ぎ候うてようやく天の安の河原に着いたと覚え申  してあり︒すでに諸神たちは集いたまえるかな︒﹂ 両神  ﹁天の児屋の命︑太極の命御前に候う︒﹂ 思兼  ﹁して︑それがしを呼び出せしは︑何らの用件にてあ  りけるかな︒﹂ 両神  ﹁さればにて候う︒このたび︑天照大神︑天の岩屋に  入りたもうて︑いまだお出ましなきにより︑諸神たちは憂  い悲しみ︑相謀れども︑大御心を安めだてまつるべき良き        おんみこと  思案もなし︒御命は思慮深き神におわせば︑大神のお出ま  しを仰ぐべき手立てを思い謀りたまえや︒﹂ 思兼  ﹁う一む︑それがしに日の大神のお出ましの手立てを  思案せよとのことにおわするかな︒﹂ 両神  ﹁さればにてあり︒﹂  アメノコヤネノミコト︑フトタマノミコトの待つ所に︑八三 深きオモイガネノミコトが登場する︒眼光鋭いその風貌は︑

﹁八音心深思兼﹂の名にふさわしく︑いかにも知恵の神︑思慮の

神を感じさせる︒天の岩戸を開くために︑こうして八百万の神

たちが﹁天の安の河原﹂に続々と集まってくる︒

 ﹁安の河原﹂というのは︑高天原で何か重大な事件が起こっ

た時に︑神々が集まって協議する場所であり︑神代における民

衆広場である︒

 アメノコヤネノミコト︑フトタマノミコトは︑諸神を代表す

(14)

山本 (4)

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き」一

 ﹁歌ぐら﹂というのは︑神楽歌・神歌のことで︑登場する神々

が朗々と謡い上げるものである︒多くは上の句を舞い出た神が

謡い︑下の句は太鼓たたきとの唱和という形をとっている︒神

楽特有の節回しがあり︑その謡はきわめて難しく︑これによっ

て神楽大夫としての真価が問われるという︒形式は短歌形式の

ものが多いが︑﹁天の浮橋⁝⁝﹂のように七五七七のものや︑

七五七五七七のようなものもある︒       たか  ﹁天の浮橋﹂は︑天上にあって天つ神たちの住む聖なる地コ局

まのはら       あしはら  なか  くに 天原﹂と︑この地上である﹁葦原の中つ国﹂とを結ぶ橋を意味

   とこ よ する︒﹁常夜の雲﹂とは︑天上を幾重にも厚い雲が覆いつくし︑

暗黒の世界になったことを意味する︒すなわち︑上聖句におい

て︑スサノォノミコトが高天原に天も地も震動するほどの勢い

で上ってきて荒れ狂うさまを︑下二句は︑日の神であるアマテ

ラスオオミカミが天の岩戸を閉ざして岩屋に籠ったために︑幾

日も幾日も暗闇が続いたことを象徴的に示している︒

 こうして﹁歌ぐら﹂は︑舞と不離一体となり舞台の雰囲気を

盛り上げ︑観客を神話の世界へ導くのである︒

 もちろんこの歌ぐらは︑神楽の素材となった﹃古事記﹄にも

﹃日本書紀﹄にも見ることはできない︒備中神楽の祖といわれ

る西林国橋の創案によるものであろうか︒

 次に︑両神は小幕をはねて本舞台へ舞い出る︒これを﹁舞い

出し﹂という︒

 舞い出し︑言いたて︑        なかとみ      おや 両神  ﹁そも舞いいだすそれがしは︑中臣の遠つ祖︑天の

 ニやね  みニと      いっきべ       ふとたま  みこと

 児屋の命︑またこれなるは︑斎部の遠つ祖天の手玉の命な        かんたけはやすさのおのみニと り︒さって︑このたび日の大神の再興︑神武速写菱鳴尾非 道の行いありければ︑天照大神はこれを怒りたもうて︑天       とニやみ の岩屋に閉じこもりたもう︒このゆえに国の中常闇となり て昼夜の区別もなし︒﹂     あまつかみ 歌ぐら︑天津終天の岩屋に閉じこもり          とこやみ        世は常闇となるぞ悲しき

 舞い出た両神はしばらく舞ったあと︑正面に向かって︑声高々

と名乗りをあげ︑この場へ登場した理由︑目的などについて語

る︒これが﹁言いたて﹂である︒ここでは︑スサノオノミコト

が非道を働いたためにアマテラスオオミカミが怒って天の岩屋

に閉じこもり︑豊中が幾日も幾日も夜のような暗闇が続くこと

を嘆いているのである︒

 ﹁天津神﹂は天の神︑すなわちアマテラス贈主ミカミのこと

である︒  ﹁天の岩屋﹂について︑﹃古事記﹄は﹁天岩屋﹂︑﹃日本書紀﹄

    あるふみ は本文も一書も共通して﹁天石窟﹂と表記しているが︑いずれ

にしても堅固な洞窟を意味している︒︵墓地だとする人もある

が︶  もちろん神話の世界であるから︐具体的にどのようなものか︑

どこにあったのかは知るべくもないが︑私たちの先祖は︑この

天の岩屋に見立てた洞窟を日本各地に伝えている︒その中で最

も著名なのは宮崎県高千穂町にある﹁天の岩戸﹂の洞窟であろ

う︒ 高千穂峡で知られる五ヶ瀬川の支流の岩戸川を挾んで︑西側に

﹁天岩戸神社  西本宮﹂があり︑東側の断崖の中腹に﹁天の

一163一

(15)

津山高専紀要第27号(1989)

 ノミコトに国土献上を求め︐天孫を降臨させる︒

  ﹃備中神楽﹄  天照大神・日の神

  ﹃古事記﹄   天照大御神

  ﹃日本書紀﹄  天照大神・日の神         ○ スサノオノミコトー出雲に降り︑肥の河上で大蛇を退治

 し︑クシイナダヒメを得︑須賀の地に塗る︒

  ﹃備中神楽﹄  素菱装甲・神武速素菱男尊

  ﹃古事記﹄   須佐之男命・建速須佐之男命

  ﹃日本書紀﹄  素菱鳴管・速素菱男尊

 ㈱ 記紀は﹁神﹂と﹁ミコト﹂の両語をそれぞれ使い分けており︑

 ﹁ミコト﹂に比して﹁神﹂は宗教的・神秘的意味を強くもっている

 ようだ︒しかし︑備中神楽では特に区分はなく︑すべて﹁ミコト﹂

 としている︒

四︿構成﹀

 スサノオノミコトの悪態によって︑アマテラスオオミカミが

       たかまのはら  あしはら  なか  くに 天の岩戸に隠れるに及んで︑高天原も葦原の中つ国も暗黒な世

界と化し︑あらゆる災いが発生する︒そこで︑諸神ことごとく

あめ  やす   かわら

天の安の河原に集まって善後策を相談するところがらこの物語

は展開する︒.これを便宜上次の五場に分けて考察を進めること

にする︒  第一場︿両神の舞﹀    第四場 手力男の命の舞

 第二場く思兼の命の舞V  第五場 天照大神の出御

 第三場く釦女の命の舞V

五︿舞台﹀

 一般には神社の拝殿や民家の奥の間があてられるのである        こうどの が︑成羽では﹁神殿﹂とよばれる神楽殿が屋外に特設される︒ 二間四角になるように四本の柱を立て︑これに座敷をつくって 八畳敷の舞台とする︒備中神楽では八畳の広さが基本になり︑ これに合わせて足運び等がきまるのだそうだ︒これに﹁舞い出 し﹂︵幕の内で舞う場所︶や︑楽屋をつけ添えると神楽殿がで きあがる︒       し めなわ  なげしにあたる部分には注連縄を張りめぐらして神棚を作        ぴやっかい   あめ  うきはし る︒天井には神々を勧請するための白蓋や︑天の浮橋になぞら   ちみち えた千道が張られる︒  もちろん︑これらは﹁岩戸開き﹂に限ったものではなく︑す べてに共通する舞台である︒

第﹇場 両神の舞

 太鼓が鳴り︑大幕が開かれ︑柔和で気品のある仮面をつけた

二柱の神が︑幕の奥に姿を現す︒アメノコヤネノミコトとフト          かりぎぬ タマノミコトである︒狩衣に陣羽織︑ゆったりとした袴を着け︑

   え ぼ し 頭には鳥帽子を頂き︑右手に舞扇︑左手には幣を持つという出

で立ちである︒これより﹁岩戸開き﹂の開演である︒

幕の内︑ 歌ぐら︑

あめ  うきはし

天の浮橋ふみならし

    とこ よ     常夜の雲ぞ久しかるらん

 ﹁幕の内﹂というのは︑開かれた大幕の奥での演技であり︑

神殿と幕の奥との境にはこの大幕の他に︑下半身を隠す程度の

小幕があり︑この小幕を巧みに使って舞い出るのである︒いわ

ゆる道行きを演ずるのだ︒

(16)

山本 (2)

備中神楽と記紀 一神代神楽その一「天の岩戸開き一

て︑改めてこの問題について考えてみようと思い立ったわけで

ある︒したがって︑右八篇のうち︑﹁岩戸開き﹂﹁国譲り﹂﹁大

蛇退治﹂の三篇について︑﹃古事記﹄﹃日本書紀﹄のそれぞれの

記述を重ねながらその考察の一端を述べることにする︒

 最後に︑すばらしい舞を見せてくださった備中神楽保存会の

皆さんに心よりお礼申し上げる︒

付記   引用文について

日  ﹃備中神楽﹄の台辞は︑山根堅一著﹃備中神楽﹄を参考

  にした︒

口  ﹃古事記・日本書紀﹄は︑いずれも岩波書店の﹃日本古

  典文学大系﹄によった︒ただし︑特殊なものを除いて漢字

  は常用漢字に︑接続詞︑副詞︑助詞などは︑かながきに改

  めた︒

二 説明文について

 の 神々の名はすべてカタカナで表記した︒

 口 敬語は省略した︒

神代神楽その一

    ﹁天の岩戸開き﹂

一︿時﹀昔々︒弥生〜古墳時代を想定しようか︒

    たかまのはら 二︿所﹀﹁高天原﹂︒日本神話で︑天孫系民族の祖先神が住んで

いたとされる所︒

三︿登場の神々﹀伝書の表記と天岩屋戸以後の事績を記す︒ ○ アメノコヤネノミコト  中臣氏の祖︒天孫降臨の条では  五伴緒の筆頭として随伴する︒   ﹃備中神楽﹄  天の直屋の命   ﹃古事記﹄   天魚屋命   ﹃日本書紀﹄  亡児身命      ダ  ○ フトタマノミコト  忌部氏の祖︑天孫降臨の条で五伴緒  の一人として随伴する︒   ﹃備中神楽﹄  太玉の命   ﹃古事記﹄   布刀玉命   ﹃日本書紀﹄  太玉命      ハガ  ○ オモイカネノミコト  思慮の神︑知恵の神︑天孫降臨に  随伴し︑五十鈴宮に祭られる︒   ﹃備中神楽﹄  思兼の命   ﹃古事記﹄   思金神   ﹃日本書紀﹄  思兼神 ○ アメノウズメノミコト  猿女君の祖︑天孫降臨の条で五  伴緒の一人として随伴する︒   ﹃備中神楽﹄  天の鋼女の命   ﹃古事記﹄   天宇受売命   ﹃日本書紀﹄  天銀女命        ご ○ アメノタチカラオノミコト  カの神︑天孫降臨に随伴す  る︒   ﹃備中神楽﹄  天の手力男の命   ﹃古事記﹄   天手力男神   ﹃日本書紀﹄  天手力雄神

○ アマテラスオオミカミ  日本神話の主神︒オオクニヌシ

一165一

参照

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