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慶松光雄慶松光雄

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⑦具の号①侭障困o冨閂の静一m目昼ご○含意閃画風写には︑二○世紀に世界に起り地震計によってとらえられM7以

上と測定された地震を︑浅発・深発の二種に分け︑前者を第三図︑後者を第四図とし︑その震央分布図を載せてい 第一章附記・感謝のことば 第二章第三章第四章

明・清壼脈剛川張刊刊の地震史料による

︵註一︶

中国サィスミシティの研究

︵註二︶l特にマグ一チウド7以上と推測される地震を中心としてI

サイスミシテイ ︹余論︺明q清時代中国に発生した地震のエネルギーと

結論

本研究の方法 考察に於けるその価値 明清地震史料の種類及び性質並びに中国サイスミシテイ

018180

慶松光雄

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187

るpこれは地震学者には周知の図であろうが︑いま私の問題としようとする中国を目標にこれを眺めると︑誰れしも

いわゆる環太平洋地震帯の華やかさに比し︑その余りの淋しさを一様に感ぜられるであろう︒それでも浅発地震につ

いてはまだ多少のものを認めることが出来る︒しかしこの場合も︑大体東径一○五度︑北緯三五度までが止りで︑そ

れから東の海岸線に至る真の恥国大陸ともいうべき地域には全く分布を見ず︑二わずかに台湾海峡とそれに面した沿岸

に震央印を見出すのみである︒それが深発地震ともなれば︑あの広大な中国について全くブランクのま上に放置され

ている︒私はこの二人の著者が今世紀に於ける地震学の泰斗であり︑この図が余りにも有名なものであると聞くにつ

け︑両図を前にして深い感慨を禁じ得ないのである︒なぜなら二○年以上に及ぶ中国の歴史的地震に対する自己の研

究を通じ︑浅発地震にせよ︑深発地震にせよ︑中国が決してしかくブランクの地域ではなく︑M7はおろかM8︑時

にはM肺以上と推測される超特大ともいうべき地震までがかなり頻繁に諸処に発生する舞台として世界的に注目すべ

き場所であることを確信するためである︒本論文はこの私の確信を具体的に立証せんとするもので︑論文の主題及び

副題が最もよく意図する所を示している︒

聞く所によると︑最近中華人民共和国治下に於て優秀な計器を具えた地震観測網が広く設置されたとのことである

が︑一九二○年︵民国九年︶甘粛省東部に起った有名な大地震以来︑余り大きな地震が彼地に起ったということを聞

かないし︑新に設置された地震観測網を利するとしても︑長年月の不断の観測を経た後でなければ中国のサィスミシ

テイを論ずるに足るほどの資料が得られるとは考えられない︒それでは中国のサイスミシテイを論ずべき資料は絶無

かというに︑私は決してそうではないと確信する︒否︑むしろ器械観測による資料に代るべき︑長い眼で広大な同一

地域のサイスミシテイを考究するためには︑世界で他に求められないほど豊富貴重な地震資料が中国には古くから集

積され来たっていると考えるのである︒それは歴史的文献中に含まれている無数の地震史料を意味するもので︑それ

らを蒐集整理し系統立てることによって︑中国に起った歴史的地震の各々を具体的に明かにし得るのみでなく︑本論

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8文の表題サイスミシテイの研究に十分役立てることが可能であるとなすものである︒

中国に何故古くから豊富貴重な地震史料が集積ざれ来たり︑それらが如何なる性質を持つものであるかということ

︵註三︶については︑今までにも私の屡説して来た所であるが︑なお本章に関連していさ上か略述を試みよう︒

明・清時代五四四年間︵謎一札朏孵︶は︑各々単一の政治的統一体で︑時に消長はあったにせよ︑中央の行政力は比

較的よく地方の隅々にまで侵透し︑地方に於ては経済的発展・文化の向上眼ざましいものがあった︒さて︑中国各地

に起った地震は︑それを感じた各々の箇処に於てその状況を的確に把え︑その土地の官署に記録として残し︑迅速に

中央に報告するのが少くとも漢代︵西紀前後︶以来清末まで官吏に課せられた義務であったと考えられる︒これは︑

中国に於て地震が天子の政治に対する天の警告として︑日食と相並んで自然現象中最も大なるものとされたいわゆる

天籠説が歴代信奉せられ来ったからに外ならぬ︒この天籠説の外に中国に迄大なる地震史料を集積せしめ来ったもの

に︑陰陽説と関連して説かれた地震観がある︒これは中国人の地震観に於て最も古く︑その基調をなすものでもあろ

うが︑陰陽の各々を具体的事物に配して説く説が完成されたのは︑漢代と見て誤りなかろうと思われ︑爾来︑永く中国

人の頭脳を支配し来ったのである︒それは次の如きものである︒宇宙間の事物は陰陽一一気の均衡の上に成立している

が︑本来静かなるべき大地が動くのは︑陽に対する陰の力が増大これを圧迫し︑その自然活動を塞がんとするからに

外ならぬ︒而して陰陽は具体的事物の形をとって世の中に存在する︒例えば︑君は陽・臣は陰︑男は陽・女は陰︑中

国は陽・夷狄は陰の如しである︒故に臣の力︑君をしのがんとするの形勢あれば地震となってあらわれ︑或は宮中に

於て女籠の余︑女姓の勢い盛んなるに及んで地震が起るとなす如きである︒かくの如きものの中︑いま問題の明代に 第一章明・清地震史料の種類及び性質並びに中国サイスミシテイ考察に

於けるその価値

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191

て明清時代の地震に対する好資料を提供しているものに︑この両時代に著しい発達を見た地方志がある︒すなわち中

国には︑省・府・州・県︑さらには鎮に及ぶまで︑各々の彊域内の百般の事象を記した地方志︹通志Ⅱ省志︑府志︑

県志︑鎮志等︺を有するが︑その編纂刊行は明清時代ことに盛んで︑現存のものだけでも五五○○部をこえ︑私が日

本にいて調査したものだけでも二六○○部以上に達するが︑その中には土地土地の地震をよく伝えるものが少くない

のである︒以上述べたような文献を渉猟して得られた資料に基き︑ある地震についてのすべての有感地を図上に配

し︑一応の全震域を明かにし︑さて図上の各地点に於ける当該地震に関しての記述をもう一度全体的立場から眺めて

見て感ぜられることは︑何万という史料について地震学上不合理と考えられるようなものが殆んどないということで

ある︒これは本論文に於て直接研究対象とした明清時代に発生したM7以上の地震の震域図八七の全部について一様

に見られるが︑震央からの最大有感距離一八○○一九○○粁にも及ぶ驚くべき広大な震域を持つ大地震︵脾鮴牝肋孵

河北省三河・平谷県地震︒光卿砒軌年甘粛省階州・文県地震︶について一層強く感ぜられることである︒中国の地震

は大陸内部に発生することが多いので︑一二の方角からばかりでなく︑震央を中心に四方八方から感ぜられることが

多いはずである︒これを逆にかえして言えば︑前述の如き地震史料が存する以上︑全有感地についてその場所場所の

震度を推定し︑色わけにでも区別した多くの点を全体から眺めれば︑大体の震度分布と震央と覚しぎ所を浮び上ら

せることが可能なはずということになろう︒事実︑震域図はか上る方法を基準とし︑それに河角教授の理論を加味し

たものによって作ったのであるが︑さて出来上った震域図についてもう一度各地点の地震状況に関する記述を吟味し

て見ると︑実に無理がなく︑如何にもあるべき所にあるべき記述が存在するとの感を深くする︒これはとりも直さず

それらの記述の大部分が︑その場所場所に於て︑実際地震を感じた人々によって︑地震後間もない時に︑忠実にあり

のまLをとらえた形でなされていることを示すものに外ならず︑疑わしぎもの作為的なるものを殆んど見受けること

︵註七︺のないのは驚くべきである︒そのことは私の旧稿中の然るべきものについて点検されれば共感を深くされるものと信

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次に申述べたいのは︑現存明清中国地震史料の大部分は官僚によって作られたものであるが︑旧時の中国官僚は困

難な学科試験の及第者として高い文学的教養の持主であり︑地震状況に対してもその観察は鋭敏で簡潔な文章の中に

いま我々の必要とする条件をたくみにとらえているものが多いということと︑さらに我々はそれらの史料に基き一層

それを地震学的精度の高いものになし得る道を有するということである︒例えば︑建物の倒壊についても︑官署・寺

廟・民家と書き分けていることが多い︒官署については︑地方志中の建造物に関する部分︵建置志等︶を見れば︑各

種建物の名称・規模・創建・改修のことなどが記され︑多くは絵図まで添えられている︒而して地震で破損した場

合︑実にこと細かくその状態︑修復への経過などを記していることが少くない︒これは同じ書中にあっても︑地震そ

のものを記述の対象としている所︵災異志等︶とは別の部分︑別の項目中に見出されるもので︑か入るものによって

震度推定をより正確になし得ることは︑すなわち地震学的精度を高める道に通ずるものというべきである︒寺塔につ

いていえば︑塔は土地土地のシンボルである上に地震によってこわれ易いので︑地震一般状況記述中に出て来ること

が多い︒これについても地方志中の﹁寺観﹂︵観は道教の建物︶という項目について調べれば︑先の場合と同様のこ

とを知り得ることが多い︒官署・文廟︵孔子廟︶の方が︑民家より約一度︵日本中央気象庁設定震度階︶耐震度が高

いと考えてよいようである︒粗末な土・泥煉瓦作りの多い中国の民家は︑日本の震度階Vで倒壊するものが多いと考

えられるが︑民家の承の倒壊を記す場合でも﹁民屋間有倒者︵民屋ま上倒るるものあり︶﹂とか︑﹁民屋倒者多﹂と

か︑﹁民屋悉倒﹂とか書き分けてあることが多いのは︑震度の推定には非常にありがたい︒民家の損壊に官署の建物

の損傷が並記されている時は︑民屋に関する記載しか見出せない場合より一層震度を高めて考えられようが︑この場

合︑官署の建造物に関する詳細な記載が地方志の建置志という項目中に得られることは前述の如くである︒これは地

方志の大半が官撰であり︑編纂を綜宰したのが各地方の長官であったことを思えば︑当然かも知れず︑地震による ずる◎

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損傷に対する詳密なる記載もその立場からすれば肯かれる所であろう︒今日︑一つの台風に対して︑中央地方を問わ

ず莫大な関係公用記録が作られ残されることを思えば︑この間の事情は容易に諒解されよう︒以上のことは︑中国各

地の都邑を囲んで建てられている城壁と地震の関係について一層想起さるべきである︒中国の震度階の設定は︑私に

於ても多年の懸案でありながら︑未だ十分のものに達せずにいることであるが︑考案中にはこの城壁を震度測定の絶

好の基準と看なすものがあることを申述べて置きたい︒何故なら︑これは中国に普遍的に存在する︑大小の差こそあ

れ大体同じような構成を持つ建造物であり︑城壁は中国都邑の生命線とも言うべき大切なものであるから︑各省城・

府城・県城などの構造は地方志に図入りで詳細に記載されているのが常である︒一方︑地震による城壁の破損を伝え

る記述は︑城壁に附随した各部分︵城楼・城深・城垣等々︶に分け︑損傷の程度を明かにし︑復旧への経過をも明か

にしているものが多い︒而して中国の城壁は︑地震に際し︑日本の震度階のⅣでその最も弱い部分︵例えば最上部の

女培︶に損傷を来たす場合があり︑V度では大概そのどこかに破壊を生ずると考えられる︒か上る想定に基き︑上記

両方面からの記述を併せ活用し︑城壁をⅣ度以上の地震に対する震度測定の一基準としようとするのが私のねらいで

あるが︑時にあの巨大な城壁が基定から全部崩壊しつくすことが起る︒か入る場合︑その場所の震度をⅧと見て絶対

間違いあるまいとなすものである︒以上申述べたことは︑明清時代の地震史料に対する文献学的な解説であると同時

に︑それが地震学的な資料としても如何に価値の高いものであるかという次第を明かにしたものである︒

次に言って置きたいのは︑史料の信葱性とその吟味についてである︒私の渉猟した文献中に見出される明清地震史

料の多くは︑極めて信葱性の高いものであることを断言してはばからぬが︑而も大量の史料中にはもとより疑わしい

ものの混っていることを否定しようとは思わない︒ここで必要となって来るのが史料批判である︒先ぎにも申述べて

おいたことであるが︑集め得た史料の一つ一つに対する厳密な史料批判︑これこそいささか私が確信を以て築き上げ

て来た分野である︒これに関連して述べておきたいのは︑近年中国科学院から刊行された﹁中国地震資料年表︵上︒

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下2冊ピについてである︒︽この書は︑中国の歴史的地震に関する記述を含むと考えられる古来のあらゆる文献を実

によく探索︑求め得た地震史料を現行の省別に︑編年休に配列した︑整然老大なる巨冊で︑今まで世に出た中国の地

震史料集としては最も完備したものであり︑私の如きもその恩恵を蒙ることが実に多い︒殊に日本にいては全く目に

することさえ出来なかった故宮槽案による大量貴重なる地震史料をこの書によって始めて見ることが出来︑瞳目の思

いがある・しかしながら忌揮なく言えば︑何分大勢の人を動員︑仕事を割当て︑極めて短い年月の間にこの老大な書

をなした欠陥は至る所に存在すると考えられる︒第一に省別ごとに史料を配列した結果︑これによっては決して全国

的立場に立って地震発生の趨勢をつかみ得ず︑また二省以上︑殊には数省以上に震域の亘る地震についてその史料を

一ヶ所にまとめて見ることが出来ないのはへ実に不便不合理な編纂方針ともいうべきであろう︒しかしそれにも増し

て︑私がこ上に声を大にして言って置きたいのは︑同書に於ける史料批判の欠除である︒一体︑歴史的文献に対し

て︑史料批判の精神を欠き︑従って正しい史料の操作を行うことなくして︑玉石混交の史料を羅列し︑尤大な史料集

を急速に作り上げることこそ︑歴史学の専攻者としては最も忌むべきことであると考えるものである◎この書を生ん

だ中国の現状としてはやむを得なかったのかも知れぬが︑この方面からの欠陥を余りに多く見るにつけへ:かえすがえ

すも惜しまれる次第である︒ちな承に︑同書に対する本格的批判はすでに大冊を脱稿︑史学の専門家の眼にも供し︑

刊行への努力を払っている最中であることを申添える︒

以上の序説を終えるに際し︑私のもう一度ここで力説しておきたいのは︑明清時代中国内部で起る地震は︑沿岸海

底に発生するまでをも含め︑被害︒無被害たるを問わず︑実によくキャッチすることが出来るほど細かい地震観測網

がはりめぐらされへ不断の観測を続けて居り︑観測結果の中央に報告され地方に残されたものが︑今日無数の地震史

料として残されて居り︑それらのものに対して歴史学的地震学的操作を加えることによって︑優に中国サイスミシテ

イの研究をなし得るということである︒このことは一九二年清朝の滅亡によって専制君主制の旧体制が崩壊してし

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⑥先の史料集に基いて︑中国全域に亘り大小地震の発生を一目ならしめる地震年表を作った︒これは史料集と相

俟って当代中国に於ける地震活動を明かにし得るものであると考える︒この地震年表についても明清全般を通ずるも

のが出来ている一が︑これまた大部のもので﹁明清一堰計訓地震省別一覧表﹂として刊行予定である︒

側以上の如き過程を通じ明清時代中国に発生した地震は可能な限りこれを把握したと考えたので︑次にはこの中

︵註八︶から大地震と思われるもののみを抜き出した○この場合︑大体の標準としたのは︑震域の半径三○○粁以上の地震

と︑半径三○○粁には達しなくとも何らかの被害記載のある地震全部ということである︒かくして選び出した地震

中には︑大地震と名付けるには濤跨される軽微な被害を伴う局所的地震も多少は含まれているが︑とにかく前記の標

準で選び出した地震の数は︑明代一八八︑清代二一九︑計四○七に達する︒これら四○七の地震には︑それぞれ震央

付近と覚しき地名に従って適当と思われる名称を附し︑発震時を明かにし︑推定最大震度を添え︑時の順序に配列し

た︒﹁明・清時代中国大地震表﹂と名付けるものがそれであるが︑これまた紙面の都合上こ上には割愛しなければなた︒﹁明・清時代中﹇

らぬのは遺憾である︒ して編年された明清時代の全地震を順を追い原稿用紙に写しとり︑中国暦には太陽暦を当てた︒これについて断って置きたいのは︑明の万暦十年︵一五八二年︶までは実際には1︽リウス暦のみが用いられ︑同年改暦後は一挙に一○日を進めたグヒコリイ暦のみが用いられ来ったのであるが︑ユリウス暦の承が用いられていた時代に対してもユリウス暦に加えこれをグレゴリイ暦に換算したものを並記した・ちなみに本論文に於ける太陽暦は︑明初より一貫してグレゴリイ暦の糸を用いた︒自然科学に於ての利便を慮ったからに外ならぬ︒さて︑こ上にいう編年休史料集は︑明清時代全体を通じたものが出来上っているが︑それこそ優に本論集二十冊分以上にも達すると思われる分量で︑別に刊行企画中である︒

⑥次にいまいう所の四○七の地震に対して一々マグニチウドの推定を行い︑その中からM7以上の地震のみをえ

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らび出した︒いよいよ本論文の副題の示す線に沿って核心に到達して来たわけである︒この場合︑四○七以外の地震

について再検討する要はないと考えた︒なぜなら今まで述べて来た手続きによって明かな通り︑明清時代中国に発生

したM7以上の地震はもれなくこの四○七の中に入っているという確信を持ち得るからである︒さて︑かくしてえら

び出したM7以上の地震は里一天︑清五一︾︑計八七に達する︒﹁明清時代一幅計瓠中国に発生せるM7以上と推測

される大地震一覧年表﹂に示す所のものがそれである︒M7以上に統一したのは︑前記⑦三①弓①信陣衷○宮①儲の

の巴の自匿ご○津意向胃吾掲載図の例にならったもので︑かくすることによって中国の部についての同書の欠を補うこ

とが出来ると考えたからに外ならぬのと︑群小地震のそれとは比較にならぬほどエネルギーの大きいM7以上の地震

を八七も把えることによって︑M7以下の多くの地震を捨て去っても︑中国サイスミシテイの大体を察知することが

出来ると考えたためである︒

⑥以上八七の地震について一枚一枚震域図を作った︒この八七枚は同一地図に基き原図通りのスケールに統一し

てある︒これも到底こ上には掲載し得ず別にまとめて刊行予定であるが︑各震域図に於ては有感地の表示のほか︑震

︵註九︶央・震度分布・M勢・肌・h︵震源の深さ︶・最大有感距離等を明かならしめるよう努めた︒この震域図は本論文の結

論への重大段階をなすもので︑これが作製には当該地震史料に基き細心の注意を払った︒震度階はとりあえず日本の

気象庁現行のものを用いた︒しかし多年中国の地震史料から感得したものと︑河角教授の満洲に於ける実際の調査︑

筆者の中国建造物に対する知見等に基きへ適宜の操作を加えて使用した︒震度分布は震央を中心とする等震円によっ

計日■eて現わした︒実際には斯様な線ではなかろうが︑今はそれによって大体の所を示すに止め︑将来中国地震に対する震

度階の設定を待って細部への手直しを行いたい所存である︒次にM・砒・hの算出であるが︑これは筆者の到底能わ

ざる所︑すべて河角教授の御教導にあずかった︒特に今回震域図を新作或は改訂するに当り︑八七の地震全部に対し

て一貫した立場からの見解を出していただいたことは非常な幸いである︒概観するにhを深く見て居られるようであ

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冒頭表題に応ずる本論文の結論の一つは︑第二章㈲に述べた﹁明清時代中国に発生せるM7以上と推測される大地

震一覧年表﹂に示す所のものである︒同表には各地震ごとに地震名称︑発震時︑震央の緯度経度︑M︑h等が記して

あり︑時の順序に配列してあるので︑明清五四四年間のサイスミシテイは︾﹂れによって一目の下に或程度は推察し得

るはずである︒しかしもっと端的に当代のサイスミシテイを示すものは次に述べる五つの地図であって︑これこそ本

論文の真の結論であるとともに明清時代の地震に対する筆者一千年来の辛苦を地震学的に結実せしめたものというべ

きである︒次にそれを列記する︒

④明清時代中国に発生せるM7以上と推測される大地震八七の震央分布図・地図1︿能娠剛叶吐泌︶

⑧明清時代中国に発生せるM7以上と推測される大地震八七の震央に於けるMの大きさ分類図・地図2

⑥明清時代中国に発生せるM7以上と推測される大地震八七の震央に於ける震源の深さ分類図・地図3

倒明清時代中国に発生せるM7以上と推測される大地震八七の震央を中心とせる震度V等震線図・地図4

⑥明清時代中国に発生せるM7以上と推測される大地震八七の震央を中心とせる震度Ⅵ等震線図・地図5

㈲中国顕著地震帯図・地図6

以上六つの図自体が何より雄弁に中国のサイスミシテイを物語るもので︑今さらにつけ加える要なぎものながら多

少の感想を記してむすびの言葉に代えたい・明清五四四年間の史料によってだけでも︑この両時代にこれだけ多くの るが︑これについても十分の根拠をお持ちのように伺っている︒と同時にM率hの算定︑震央の位置決定等はあくまで試論として出されているのであって︑将来多くの方々の協力による検討によって訂正を加えて行きたいとの同教授平素の言葉をも併記する次第である︒

第三章結論

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大地震の発生をとらえ得るのであって︑中国サイスミシテイの実体は決して⑦三の弓の侭や壷︒冨閂が靜一の日ご︽﹈

o津富岡画耳ぽ中に示す如きものでないことははっきり立証出来たと確信する︒と同時にサイスミシテイの研究には如

何に長年月の観点に立つものが必要であるかということを痛切に感じさせられるものである︒次に地域的にいうと︑

確かに大地震のよく起る場所と殆んど起らない場所とは裁然と分れ︑また時間的にも消長が可成りはっきり看取出来

る︒これらは何等結果を予想せず︑何等作為を施こさず︑ただ前述の研究方法を忠実に追って来た結果得られたもの

についての感じである︒前記の表と図が中国サイスミシテイを端的に表現するものであることは恐らく何人にも異論

はなかろう︒これをどう見るかは各人の自由であるとともに︑中国サイスミシテイ研究の手がかりを学界に提供する

ことになるならば幸いと希うものである︒

本章の最後に中国の地震帯について二言して置きたい︒震央分布図に基いて中国の地震帯は色々に考えられよう︒

そのうち河北省の北境すなわち北緯四○度線に沿うものと︑山西省の南西部すなわち沿水下流域の河東と呼ばれた地

域から峡西省渭水下流域のいわゆる関中なる地域へつながるものなどは可成り明瞭にとらえられるものであろう︒し

︵後掲註十参照︶かしながら右は旧稿に於てずっと以前に私の指摘して置いたことではあり︑今更再説の要なぎものである︒こ上には

ただ一つ︑中国の地震帯について私の新たな一大発見ではないかと思われるものを強調して置きたい︒震央分布図に

ついて中国の西辺に眼を止めていただきたい︒甘粛省東部を頂点とし北東から南西へ︑すなわち四川省西部を経て雲

南省へ︑数多くの大地震の震央が殆んど一直線にずらり並んだ壮観には誰れしも一驚されるに違いない︒図上の震央

点に即して言えば︑北は﹄ミ︒︒﹄同.謡..⑳Z︵一七三九年一月三日地震︶︑南は﹄三・.⑳同.韻.・吟Z︵ニハ五二年七月

二百地震︶の両点を結んだ線に沿ってほぼ一直線に配列されたかに見える所のものがそれである︒私は旧稿﹁明代︵註十︶︐地震概況﹂の中に︑今回の震央分布図で見出される大地震のよく起る地域のいくつかを指摘して置いたが︑いま言う

所の地帯については甘粛省東部︑雲南省各地を述べるに止まり︑これを連ねるかくの如き大地震帯が存在しようとは

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表A

Magnitude7andover,China,1368‑1911

M7以上と推測される大地震年表 TameA

ChronologicalTableofEarthquakesEstimated

明清時代(1368‑1911)中国に発生せる

TotalFner‑

gymevery25Yearsfroml476 Epicenter推定震央

Ⅱ│割

TimeofOccurrenceGregorianCalender NameofEarthquake地震名称下記の地名に地震の二字を付す E

2310.erg NumEINYearMonthDayHour

100

20075

75100

200150

75150

150

100200

100

100

15075

75

75150

75

05646514610881994382

●●●●●●●●●●◆●●●●●●●●● 52003200305194000110

31

38.2

33.641.0

35.136.3

30.6

28.634.2

34.5

34.0

28.3

38.5

34.7

37.4

34.339.6

34.440.3

30.8

35.2

20631015112985773892

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 88778877878788777777

103.5

117.5

116。0

110.1

115.4

120.5

119.9

114.1

114.8

115.3

102.3

123.9

109.8

106.0

109.1

120.3

108.8

114.6

117.6

113.7 甘粛省東部安徽省霊壁県河北省北西部峡西省朝邑県山東省撲州蘇・断両省交界地帯漸江省南部河南省郡陵県河南省扶溝県付近河南省東境中部四川省寧蕃県黄海北部峡西省甘粛省寧夏・固原間侠西省西安府河北省楽亭県│爽西省浬陽県付近河北省蔚県安徽粛池州府

河南省修武県

伽伽肋如・伽伽胸朏肋加州卸肋岫伽胸胸胸伽岫

−0

28797997139224152860 21221111221121

14771481

1484

1501

1502

15051517

1522

1524

1525

15361548

1556

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15681568

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1585

1587

12345678901234567890 11111111112

8.110.7

6.856.1

叩つぶ

(21)

別朗朋型妬茄即朋朗帥剖躯銘剥弱舗師胡釣仙似蛇銘 妬妬

OctSept

Dec

DecJuly

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河北省三河・平谷県 62919〜2126night2919〜211321〜232319〜21

15〜16

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17〜19

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301〜3

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21

157〜9

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1611193〜5

25.19〜21

185〜7

211 117.8117.11船。7119.2110.6112.9114.3116.1116.5106.0119.6118.5114.5104.0112.0111.0116.41m。5105.7115.5103.7115.7116.6111.9118.5113.7

116.9 37.423.420.224.920.536.840.035.436.536.032.140.239.532.429.335.131.525.434.636.131.539.539.922.735.540.6

40.0

788304299566992276765171883

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 777887777877778777877777878

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20050

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75 0.91.31.37.12.40.30.21.81.814.10.60.61.81.85.00.20.90.628.20.60.40.10.90.139.8

1.37.1

@つ函

5.530.2

8.872.9

(22)
(23)
(24)

209

地 図 1

Mapl (SeeTableA)

(表A参照)

〜 7 0 . 7 5 。 8 0 。

MapoftheDistributionoftheEpicentersofthe87Large EarthquakesEstimatedM7andover,inChina,1368一1911 明清時代(1368‑1911)中国に発生せるM7以上と推測1される大地裳87め爽央分布図

120°125..130°135.140.

11

LMtrir

L《企↓上乢

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戸 。

︒″■■8

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357

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青海 歯謂揚

30

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3 蜜 | や 5 9 洞庭湖郵陽湖

ぃ59 M陽湖

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25.

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2.

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23 23 01側鋤0釦0400500師

01側鋤0釦0400500師

海南島

(25)

210

地 図 2

Map2

勺口上

﹃l4

つOL

−0L

14

勺︑八

へp4 MapoftheClassificationoftheMagnitUdesofthe87LargeEarthquakes

EstimatedM7andover,atTheirEpicenters,inChina,1368‑1911

臓鰯鯛魏雛譲鯨蝿Mの大きさ分類図

40。

︒O

青海

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。 ●

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黄 河 。

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◎侭︶

30

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洞庭湖

郵陽湖

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○M7.0〜7.4

台湾

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9

0100200「300400km

海南島海南島

(26)

Mapof5ISOSeiSmalS(byJapaneso

SeismicIntensityScale)oXtheU7LargeLarm

quakesEstimatedM7andover,inChina, 1368‑1911(71EQrthquakesHaving5oIsoseiSmals

Map4

1111

翌 纒 l 翼

11●111〜・秘計

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画︶1噸

(27)
(28)

211

地 図 3

MapS J〃﹄

8 5 。 9 0 ・ 9 5 。 1 0 0 ° 1 0 5 。 1 1 0 . − 1 1 5 ・ 1 2 0 。 1 2 5 。 MapoftheClassificationoftheDepthsofFocusof.the87

LargeEarthquakesEstimatedM7andoVer,atTheirEpicepters, inChina,1368‑1911

寵灘雛渇魏謬潅舞鮒:震源の深さ分類図

45。

明清爵 以上と

40

◎︒

e

海 @ 砂●

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35

黄河. 'eel,

● 揚 子 江

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30。 太湖

●◎動

洞 庭 湖 鄭 陽 湖

.

◎︒

○0〜501口、

、75 1回、

。100km

●150km e2001口、

。2501q、

野IIIIllll野

○ ○ e 台湾

ざ一 .1

0100200300400h,

(29)

212

地 図 6

Mape o エ

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犯 ・ 1 0 0 。 . . t ゴ . 1 0 5 。 1 1 0 9 − − ≦ = 、 5 。 1 2 0 。 1 2 5

RemRemarkableEarthquakeZone'sinChina

中 国 顕 著 地 震 帯

EarthquakeZone'sinChina

I 顕 著 地 震 帯

︑︑

●︒

§・回

015101510

43

−へご皿︶い︐.︽哲狂︾︽咽クユ︾

弩‑零等霊壽

干 、 子

一 証

伊鐸

01290400600800h、

(30)

213

GradnI(SeeTableA)TotalEnergyof86LargeEarthquakes,Magnimde Estimated7andover,China,inevery25Yearsfroml475tol900.

グラフ[(議鑿壼文)離孟圭鯛突薙誌宣需隼奎美鶉淵メニ

I

zEekg

1024

1暇

10

1,500 1,600 1,700 1,800

China 中国

Japan 日本

1,9"AD

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