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企業論に於ける社会的責任の限界

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(1)

企業論に於ける社会的責任の限界

その他のタイトル The Limit of Social Responsibilities on the Theory of Business Administration

著者 鯰江 城夫

雑誌名 關西大學經済論集

巻 9

号 2

ページ 119‑141

発行年 1959‑06‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15592

(2)

119 

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

経営者の社会的責任に付てはその論ぜられるとこる決して新しい問題ではなく既に数年来︑内外の文献に於て多きは勿論︑実業 界︑経済団体等よりも数種の論文︑決議が発表されて居りながら︑しかも現在に於て猶未だ新しき課題としての価値を失はず︑殊 に昨年十月には一橋大学に於ける日本経営学会第三十二回大会の統一論題として採上げられ︑多くの研究報告が為されて居るので あるが︑其等の中より学ぷぺき多くの教示にあづかる事を得ると共に︑中にはその論ぜらる

4

立場に於て範囲︑内容に於てその場

を異にするが為に︑却つて問題を混乱︑複雑にする虞なしとしないものも見受けられるやに思料されるので︑荘に之を照理し問題

の所在を一層明かにせんとする事に於て課題をもつものである︒

︑ 社 会 的 責 任 意 識 の 生 成 と そ の 条 件

が追求せらるるに至った事二︑福祉国家の要求につれ私企業に対する財政︑金融面其他の国家助成︑統制政策の実

( 1 )  

施に基きその社会的責任が顧慮せらるるに至った事と共に︱︱‑︑固定設備の増大に基き長期的に資金の回収を必要と.

する近代的大企業の成立により︑企業の生産物が不良なる場合︑直接社会に不利益を与えるが如き︑企業活動そのも

のの影瞥の大なる事は勿論︑多数︑株主︑従業員︑取引関係者︑消費者により構成されている近代的巨大企業の経営

活動並びにその盛衰︑殊に企業経営の破綻が之等の関係者に与える破壊的影響︑或いは成果配分に於て直接間接社

会に対し影響する処重大なる事に由来するものである︒即ち資本︑経営の分離以来大企業が単なる私法上の存在た 元来企業経営の社会的責任が論ぜられるに至った理由は 一︑公企業︑公私合同企業等の設立により直接公的責任 鯰

企 業 論 に 於 け る 社 会 的 責 任 の 限 界

二 城

一 ・ ̲ ) )

(3)

従 来

の ︑

企業の資本主義的利潤追求性に対し︑ 企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

るのみでなく国民経済を構成する重要要素となり企業の利潤追求の経営活動が社会的発展に寄与するが如き経済状

態に於てはその営利活動を自由放任に委すべく︑何等の制約︑自律を必要としないが企業の利己的利潤追求が社会

福祉と調和せぜるに至り︑却つて直接間接反社会的影響を有ち得る点に付て社会的責任の問題が発生するものであ

り企業の社会性の増大は私企業の長期的発展は勿論︑資本主義の永続の為にも単なる私的利潤の極大化をのみ指標

とし︑利害者集団との関係を無視するを得なくなるに至ったものであるが︑経営者の社会的責任の自覚は結局社会

的発展と経営的発展とを如何に調整し︑調和せしむるかの問題に帰着する︒

而して経営者の社会的責任はその意味する内容に於て諸説区々であるが︑之に関する最も普遍的なる立論に於て

企業性格の社会性︑公共性を強調︑主張するものであり︑

( 2 )  

の極端なるものは企業目的の営利性を否定し︑代るに公共目的を前面に押出さんとするものである︒即ち私企業の

経営者は営利を指導精神とし之を目標として経営活動に従事しつつ彼等がその企業の構成及び国民経済の構成に対

して有つ社会的職能をば社会的責任として自覚すべきか否かに付て問題となるものである︒現代の資本と経営の分

離及び企業規模の拡大を前提とする大企業は︑一方猶営利的性格を保持しつつ︑他方企業の担当すべき公共の利益の

実現に対する責任を有つに至っている︒企業は既に単なる私有の域を脱して社会制度の有力な一構成要素であり︑

( 3 )  

経営者も唯︑資本の提供者より経営を委任されたものと云うより社会より信託されたものと理解すべく︑従つて企業

は社会の公器であり経営者も亦公僕としての社会的責任を実践すべき任務を有つものである︒曽て企業者として経

営の最高方針の決定を担当していた出資者は機能的に著しく後退し自ら経営に対し外部的関係に立ち経営に対する

諸利害者集団の中の︑一っのインタレストとしての立場に立つに至った場合︑猶従来の如く経営目的を営利性にのみ

(4)

21 

求める事は誤であり︑勿論資本的関連を全く軽視する事は出来ぬとしても企業に対する他の社会的関連をも等しき

比重に於て尊重せらるべき目標を有つべきであって経営に対する諸種の利害者集団の︑利害の適正なる調和こそ企

( 4 )  

業︑経営者の社会的責任なりと説かれる︒従つて此場合の経営者は現在の資本主義経済機構の枠内にある近代的大

企業の経営者たる事が前提であり︑而も少数の否定的見解が存するとも機能論的に企業者とは分離した専門的経営

職能担当者に限定されたものである事は論を侯たない︒然し斯く限定した場合に於ても猶叙上の立論は未だ素朴な

る意見の域を出ず統一された見解に到達し居らざる事は勿論︑経営者の社会的責任なる表現自体が未だ学問的に限

定された内容︑範囲を有つに至らず検討を要すべき諸種の問題を含んでいる︒即ち先ず︑責任の意義︑並びに社会

的の内容︑例えば企業に於ける責任を対内的︑対外的に分った場合︑社会的責任は如何なる範囲を覆うべきか︑或

( 5 )  

いは責任は何人に対し負担すべきか︑仮に社会に対して負うべき責任なりと解する時はその負担すべき責任の範

囲︑具体的内容及びその根拠︑例えば社会と経営との間のトラスト関係等を明かにする事を要し︑更に之等の社会

的責任の主体たる経営者をば如何に理解するかが先問題となる︒資本主義経済の発展が企業経営の形態とその実質

( 6 )  

を根本的に変革せしめ︑随つて又経営者の性格をも変質せしめている現在︑之を如何なる段階に於て認識し或いは

その将来に於ける支配的形態を如何に理解するかにより関連せしめられる社会的責任の内容に於て大なる差異の存

する事は論を侯たない︒而して之に付ては未だに論者により認識に相当な懸隔が存在する︒即ち本来経営者とは特

定の個人又は身分的関連の名称ではなく経営︑或いは経営体なる現代の史的所産に伴い之を基定としてのみ考え得

る経営体の組織構成者であり︑機能分担者であって多数意見としてはその機能的側面に於て把握し専門的経営︑職能

( 7 )  

担当者︑裁定者として理解するものであり︑現代資本主義の段階に於ては経営者の機能は市場経済の中で直接︑行

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

(5)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

動する個人の企業者︑経営者により遂行されるよりは多数の成員からなる管理者の集団により遂行される事が特徴

であり︑而もその経営管理に於ては組織的協佑︑組織的管理方式が採用され組織的規準によって管理活動が行われ

ている︒従つて経営者は資本の圧力を受ける場合に於ても外部的な影響としてのそれであって企業の内部に在つて

( 8 )  

は極めて自主的な権能を有している︒曽ての市場経済なる社会的環境と自由且︑資本主義基盤に立つ私経済的︑営

利経済的企業︑資本利潤への無限の努力を有する経営とは全く性格に於て異つている︒経営構造︑経営機構は制度

化し特定利害者の利益をのみ代表する経営者は既に存在しない︒資本醜出者は既に外部的存在となり終つているも

のと理解する事が経営学に於ては通説とされ︑更に最近経済学其他経営学以外よりも資本主義とその将来︑社会主

( 9 )  

義との関連に於ても採上げ論証されるところであるが︑之に対して斯様な第三者的裁定者的経営者の成立を全く否

( 1 0 )  

定し︑飽迄現代資本主義機構の特徴よりして機能資本家の存在を強調する根強い反対説が存在している︒即ち経済

はその固有の法則に従って発展するものであり︑必ず或特定の社会関係に規制されその下で財貨の生産を行うもの

である︒而して現在の生産は飽迄利潤生産であり︑それ以前の封建的生産様式とは異ると同様にそれ以外の形式に

(11) 

より生産は指導されるものではない︒個々の企業は利潤に根源的に規制されるものである事の認識を誤るべきでは

ない︒而して此事を推論するならば︑根源的には資本の制約から自由である経営者はあり得ない︒仮に専門的経営

者により︑管理が行われるものとしても制度としての株式会社を超えてそれを規制する社会経済の法則から自由で

はあり得ない︒資本主義の発展が株式会社の高度化をもたらし︑新しい型の経営者が出現するとしてもそれは株式

会社なる法的︑経済的制度の有つ必然の結果︑制度的産物であり︑その為に資本的企業としての性格が変るもので

はない︒その本質は資本の組織であり︑資本の運動に根源的に規制され展開されねばならないと論ずる︒或いはア

(6)

123 

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶ メリカに於ける企業支配者の実証的研究により株式所有に於て高度の集中ある事︑及び企業支配の型は過半が依然 所有者支配である事を論証し︑要するに株式分散の高度化に伴う支配形態の変遷過程に於て少数支配の成立までを 認めるも︑それ以上に進み株主が資本家的企業支配者としての性格を失い経営に対する関心を全く喪失し︑単なる 投資︑投機株主としての社会存在に至る点に強く反対するものであり︑飽迄資本家としての機能を果す株主が︑総 株式に対する持株比率を相対的僅少に止めつつ企業支配を十分に行い得るが故に如何様に株式分散が高度化するも 機能資本家の消滅はあり得ず︑専門的経営者による管理が行われる場合に於ても機能資本家による間接管理と見る べきであり︑経営者は出資者との特殊関係︑委任関係によりその利益を代表せざるを得ない︒現代の大企業に於て ま

その経営活動を多数人の間に分担する必要があるとしても企業の本質よりして危険負担を伴う利潤獲得の創

意︑計画︑決断又は最終的人事権等の中心的機能は最後迄企業者が自己に保留︑実行するものである事は経営機能

の分担が委任︑支配と従属関係にある事よりして明かである︒資本醜出者は経営管理活動を経営者に委任するとし

ても資本の提供の代替に経営者選任権を終局的支配の手段として自己に留保し︑資本の利益に背馳する事を得しめ

ざるが如き体制を設定するもので︑随つて経営者の管理機能は資本の利益を害せざる限度に於てのみ委託されるに

更に又大多数株主の受取る配当が利子化されている事は他面企業利潤を前取する機能資本家としての余剰価値取

得者の存在を暗示するものであり︑元来株式会社制度とは擬制的自己資本形態に他ならず︑借入資本を自己資本と

して擬制しつつ支払うべき利潤を利子化して︑その差額を一部機能資本家が独占するものであり︑

超過利潤を挙げ褐る企業を政治と結託する事により︑独占支配し多数の資本提供者が当然有すべき機能権を喪失す 過ぎないものと理解する︒

一切の有利なる

(7)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

るにつれその経営権をも掌握するものである︒又︑株式の高度分散︑株主の増加は社債券所有者の増加が大株主の

支配力に無影響であると等しく︑仮令大株主の持株比率を低下せしめるとしても︑それは機能資本家の消滅の証明

とはなり得ない︒新しい支配者革命を主張する事は資本主義の発展に伴い必然的に発生する独占︑其他諸弊害を資

本主義体制の枠内に於て修正せんとする資本主義擁護論にその基礎を置くものであり︑完全なる経営者革命は資本

主義体制下ではあり得ないと結論する︒即ち経営者革命論の妥当する経済秩序は既に資本主義社会としての性格を

失い︑次に来るべき社会制度下にあるべきものであると立論する︒

(1 )

国民経済の観点から社会的責任を論ずる文献に付ては

P.R 八巻十号五二頁以下に佐々吉郎教授の紹介がある 例えば

A•H•

Ha ns en   Ec on om ic   Policy 

an d  F ul l E mp lo ym en t 

̀ 1947 

L•

F .  Ur mi ck ,  L ea de rs hi p  i n  t he   Tw en ti et h  Century, 

19 57

茸盆他

(2 )

一 橋 大 学 産 業 経 営 研 究 所 編

﹁ ビ ジ ネ ス レ ピ ュ ー

﹂ 一 巻 二 号 三 七 頁 以 下 参 照

(3 )  G . Goyde

r, T  he   Fu tu re   of  P ri va te   Enterprise, 

19 54   chap. 

I V .  

IX•

X I   ( 4 )  

C.  Argyris, 

Ex ec ut iv e  Leadership. 

P. 20  

( 5 )  

G.  Go yd en ,  o p .  c i t . P,   .1 6  (6)L•

F .  Ur wi ck

; 

p . 

c i t . ,   p 21   (7 )

専門的経営者層の成立は経営学に於ては通説とされるものであり︑例えば代表的には新資本主義と経営者の変革に付︑

A .

A. Be rl e, T  he   20 th   Ce nt ur y  C a pi t a li s Rt   ev ol ut io n  1954~

井 ハ 信 行 訳 三

0 頁に﹁容全令がそこにある︒したがつて資本主義

もある︒衰えつつある要素は資本家である彼の地位には会社の︑主として大会社の取締役会がたつている:・・・・主要な会社

はたいていの場合資本を求めない︒彼等は自ら資本を形成する﹂と述ぺられているが其他にも同様な主張がある︒

C. A. R.   Crosland, 

Th e  F ut ur e  o f   Socialism, 

19 56   P.F•

Dr uc ke r,   th e  P ra ct ic e  of  m an ag em en t, 9  1 56   B .I .   Barnard,

h  T e  F un ct io ns   of the E

xe cn ti ve  1 95 4 

一 四

(8)

25 

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

一 五

L•

F.  U rw ic k 

̀ Leader

sh ip n     i th e  2 0t h  Ce nt ur y,

1 9  

5 7  

( 8 )

G 

. G oy de r,   op .  c i t . ,   p .8 2 

( 9 )  

Pe op le 's   Ca pi ta li sm

の唱導等がある︒

( 1 0 ) 之等の説の多くは主として社会主義的立場の論者が資本の支配を否定する事に対する反対論であり又経営者の地位は世襲 的既得権の性格を有たない点を指適するものもある︒此主張の紹介が占部都美

(P.R 十巻五号︶池内信行︵同八巻十号︶

上林貞治郎︵同八巻四号︶本間幸作︵経営学会大会報告要旨中︶等に於て為され経済理論の立場よりは

Sw ee zy , Pr es en t  as   Hi st or y,

M .

 

 

D

ob b,

  On 

Ec on om ic   Th eo ry   an d  S oc ia li sm , 

1 9 5 5   h i .  

も其見解が見られる︒

(11)M•

Do bb ,  o p .  c i t . P,   .1 24  

︑ 経 営 者 性 格

然らば薮に問題とさるべき社会的責任の主体としての経営者性格は上述の既に専門的経営者階層が成立してゐる

ものと見るべきか︑或いは資本主義機構の有つ必然性よりして︑依然機能資本家による間接支配が行われるものと

見るべきか︑之等両説を比較した場合その何れを採るべきかの決定を要する︒

( 1 )  

曽て経営学的見地よりする労使関係︑経営者性格を関連的に論ずる場合︑経営体を有機的組織体としての対境的

経営自主体なる表現によって理解する説が行われ資本提供者は︑その資本を提供する事により直ちに経営機能を現

実に担当するものでなく︑株式の遥有制度が一般に普及する事は経営の外郭的存在としての投資者層の社会的形成

( 2 )  

を促がすが︑元来資本は企業の構成要素ではあるが︑直接的主体的に経営機能とは別個の存在である︒偶々資本主

( 3 )  

義の初期段階に於ては機能資本家が経営者機能を果し︑人格的に同一人に帰属し得たに過ぎない︒殊に又経営資本

の過半が自己資本以外の借入金により調達され︑しかもそれが常態として存在する事は又一面所有支配の反対論︑

(9)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

企業の社会性の論拠とも為され得るものである︒随つて現代経営の構造と機構は制度化し︑ 新しき秩序が形成さ

れ︑企業は之の周囲にある諸利害者集団によりその成長が保持されているので︑唯に一構成要素に過ぎざる資本の︑

機能資本家の︑或いは特定利害者集団のみの利益を顧慮して経営される事は許されない︒諸利害者集団各々の部分意

思が経営なる綜合的立場に於て調整され︑それが全体意思︑経営自らの意思として規定されるべき社会構成体を形

( 4 )  

成する状態に至っている︒之即ち経営自主体の成立であり︑経営者は之等の諸利害の公正なる調整を図るべき裁定

者的立場に立つものである︒而して経営に於ける利害者集団は対立的な面と経営体を媒介とする運命共同体として

の協調的な面との二面的性格を保持するものであるが︑経営成果の消長に利害の最終的基礎を置く︑共通の基盤と

しての経営体の生産成果を昂揚する面とその成果の配分に於て相互支配的な対立的な面との何れを重要視するかに

より︑経営者性格の認識︑政策的取扱いが異るべき筈であり︑論者により説の分るる処である︒而して又更に進ん

では経営の政策︑管理が複雑化し到底個人の統制し得る範囲を超え管理活動の反覆による画一性︑予測性は経営者

の恣意的判断︑支配の範囲を縮少し︑個人的思考︑創造性は漸次稀薄化し代つて客観的・自動的・機構的方法が出

現する事によって経営者の主観的判断︑管理は精密な科学的方法︑操作の組織化により制御され組織自体が自動的

に運行し物的︑管理的メカニズムを形成する場合︑経営者は人的要素を離れた所謂制度的経営者への発展を支配的

'

5) 

形態と理解する説もある︒

( 6 )  

更に又他方現代資本主義の段階に於ては最高管理職能の担当は一般に一個人によってではなく複数人によって遂

行される事が特色であり専門的教育︑経験︑能力を有つ管理職員の数が絶対的にも相対的にも増加し︑企業の経営

( 7 )  

管理は之等多数の成員よりなる管理者集団により組織的協佑・組織的基準により規律されるが此事は経営の制度化

(10)

127 

即ち企業に独裁的支配力を及ぽす中心勢力の存在を認むる点に於ては経営者革命否定説と軌を一にするが︑その

経営者の人格には︑機能資本家を認めざる点に於て異り︑又機能資本家を否定する点に付ては経営者支配説と等し

きも理想的裁定者としての専門的経営戦能担当者︑或いは制度的経営者を超えて経営者の独裁に至るべきを断ずる

点に於て経営者支配説とも異る︒即ち株式会社制度に於ける株式の分散現象による支配変遷段階中︑

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶ え︑独裁的支配階級を形成するに至るであろう︒ 現実の認識に於ては正鵠を得ないものと断ぜざを得ない︒

と共に他方飽迄資本主義経済

( 8 )  

と共に経営の官僚化をもたらすに至ると論ずる説もある︒或いは又近代的経営者の追求目標は株主へ配当の為の企

業利潤ではなくして職業的プライド︑実業界での威信を得る為のものであり︑従って絶対的利潤額よりも時期的︑

( 9 )  

或いは対競争者間の相対的増加利潤が問題となる事は勘く共機能資本家の存在に対する否定論の根拠となるもので

あり︑私見によれば制度的経営者説は云うまでもなく︑かかる経営自主体の成立を裁定者として公正なる利害の調

整者としての経営者性格は仮令之等対境的経営自主体が実現さるべき正しい企業形態であり︑或いは利潤の追求に

代るに社会的利益を目標とする経営者が可能態︑理想態︑指導理念としての目標の正しさに於ては之を認め︑或い

( 1 0 )  

は希求すべきものとしても︑又企業性格の変化︑経営者の機能的変容︑組織革命等に於て対境的経営自主体成立の

可能性をも認めつつ猶︑

制度の規制よりして機能資本家の優位を主張する経営自主体否定説にも与し得ない︒現在︑及び将来の予想よりす

れば︑之等がそのまま放任され︑経済がその自律的発展に委ねられ︑阻止の意図的配慮による社会的反対勢力の結

( 1 1 )  

集︑樹立に努めるに非ざれば或いは独断の謗を免れ得ないとしても︑バーナムの所謂経営者革命に最も近く経営者

独裁を将来の支配的形態として把握するものである︒理想的利害裁定者としての経営者を経過し更にその域を超

一般的株式比

' .  

, .. 

,.' 

.•

. . . . .  

(11)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

率の低下を通ずる相対的持株集中による所謂少数支配説は採らず又経営支配以上の経営者独裁を予想する︒唯斯か

る独裁的経営者はその成立過程に於て専門的経営者︑制度的経営者が一部機能資本家との妥協︑結合経営を経過す

るが如く見受けられる場合もあり得るがその場合の機能資本家は人格的には同一人に帰するとするも構成要素的に

資本の機能︑資本による支配力を経営内に確保すべく資本家としての資格に於て経営に参画するものでなく︑機能

的に新しい経営職能担当者としての資格を取得すべく登場するものと解すべきであり︑既に少数支配︑遥有制度は

消減し︑資本の支配力は単に経営に対する一利害者集団としての影響力をしか有し得ないものである︒現実に経営

管理を掌握する者が新しい経営者層として独裁的支配者階級を形成するに至るものである︒

更に客観的事実としての新しい社会︑経済関係が財政︑租税制度︑統制法規︑行政の諸制度との関連に於て発生

しつつある事を見逃す事が出来ない︒即ち基礎産業部門︑特に製鉄︑機械︑石油化学︑電力︑鉱山或は交通等の行

政的に関連の多い企業にあっては行政府の直接の援助の他︑世界銀行の融貸︑政府保証︑金融政策︑外資割当︑為

替操作︑或いは再評価積立金の繰入れ︑新増資に対する課税経減の法的措置等を無視して経営は成立し得ざる客観

的事実︑配当︑俸給︑製品価格等に於ける社会的水準による限界︑制約の存在は所謂組織革命が妥当し利害関係者

集団の勢力均衡︑適正妥当なる調整の場としての経営体︑経営組織の形成は後期資本主義としての特徴であり︑専

門的的経営者より指導的経営者へとの発展を辿るとも考え得るが更に今後︑之等の経営性格が如何なる方向に進展

するものと理解するか︑勿論執行職能の実現過税に於ける影響力の問題であるが制度的経営者への方向を辿るか更

に政治と結托し又は独自に独才的経営者へと発展するものと判断するかが問題となる︒特に我国経営者は受託経営

層として取締役会が基本方針︑最高政策の決定機関たる機能を有し︑之を指令執行する機関としては全般︑総括経

一 八

(12)

129 

一 九

営層としての社長が存在する筈であるが︑商法に於ても未分化であり︑米国等とは異なり取締役会の構成員が殆ど

の場合︑所謂社内重役で占められ︑時に日常業務を執行する社外重役が存在する場合に於ても執行者としての性格

濃厚である事は特に決定機関と執行機関の重合に伴ふ総括経営層による専制︑独オ化︑集権的管理支配と受託経営層

( 1 2 )  

たる取締役会︑決定機関の無力化︑形骸化か結果するものである事が実証的研究により指摘されているが之等の事

よりしても経営者独オヘの予想が暗示されるものと云わざるを得ない︒

唯併し乍ら上述の事は飽迄現状に於ける経営者性格の認識及び之が此儘放任又は自律的発展に委ねられた場合の

将来に於ける支配的性格を予想したものに過ぎず︑あるべき経営者性格としては勿論︑対境的経営自主体と社会的

利益の実現に努むべき理想的︑指導的経営者層の成立を希求するは当然であり︑又現状に於ても他面︑組織革命︑

階級的世論形成︑利害集団の発言力の強化︑等の現象もその朋芽として見受けられ︑又︑経営者も企業外部より資

本の制肘を受けるも企業内部に於ては比較的自主的権限を有し利害者集団利益の調整を或程度経営政策中に反映せ

( 1 3 )  

しめ得るに於ては取締役会強化に︑経営参加に︑反対勢力の強化に︑経営者独オに対する阻止の可能なるすべての

手段を通じて一層之等の助長に努力すべき事が必要とされる事は論を侯たない︒

(1)

此点に付ては

PR•

第五巻第二号一 0

頁以下栗田真造「労使関係と経営の立湯」参照 (2 ) 

D . A .   L a i r d ,   T h e   N e w   P s y c h

o l o g y   f o r   L e a d e r s h i p

.     P

1 5

3  

(3)L•

F.  

U r w i c k ,   o p .   c r t . P . ,   3 5  

(4)L•

F.  

U r w i c k ,   o p .  

cit••

P . 5 5 D ,  

. C

.   T h o m s o n ,   M a n a g e m e n t ,

Labour~nd

 

C o m m u n i t y .   p .   1 5  

(5 )

4

る主張に対する諸外国文献は古川栄一﹁新経営者﹂に豊富である︒

( 6 )

日本経営学会三十二回大会報告於一橋大学藻利重隆﹁経営者の社会的責任とその企業的責任および自己責任﹂

(7 ) 

D . A .   L a i r d ,   o p . c i t . ,   P .

1  

6 0

 

(8)p.R

誌第九巻七号二五頁以下占部都美﹁現代経営における経営の官僚化の動向﹂

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

(13)

130 

のない様に特定人が権利を行使する義務であり︑ 一定の関係及びすべての支配的関係に於ける社会的権利と義務と 企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

(9 ) 

C r o s l a n d T ,   h e   F u t u r e   o f   S o c i a l i s m   1 9 5 5 P . ,     4 2 4  

D . A .

  L a

i r d ,   o p .   c i t . ,  

P .

1 3

7  

(1 0)

B

 

o u

l d

i n

g ,

K . E  

.   T h e   O r g a i n z a t i o n a l

  R e v o l u t i o n ,

  1

9 5

3  

社会的責任に関連して

P

誌九巻六号五頁以下︑酒井正三郎教授の紹介参照︒ R

(1 1)  

J a m e s   B u r n h a m , h   T e   M a n a g e r i a l   R e v o l u t i o n ,   1 9 4 1 .  

長崎惣之助訳﹁経営者革命﹂

( 1 2 ) 高宮晋監修﹁近代的経営組織の実例﹂六︑七頁︑四七頁以下 ( 1 3 )   H

o l

d e

n ,

  T o p   m a n a g e m e n t , . 2   p 1 3

以下及び

G o r d o n B ,

u s

i n

e s

s   L e a d e r s h i p n     i

t h

e   L a r g e   C o r p o r a t i o r   1 1 目 ゲ ら れ る 如 く 米

国に於ては漸次取締役会自体が退化する傾向にあり取締役会強化論は時代への逆行なりとの説も考へられる︒

︑ 社 会 的 責 任

( 1 )  

斯様な経営者性格を前提とした場合その社会的責任とは︑社会に対し有すべき責任︑即ち企業或いは企業の経営

者が有する社会的地位に対する責任︑或いは企業の社会的活動によってもたらせる影響に対する責任︑更に進んで

資本主義発展の現段階に於ける経営者の有すべき社会的機能︑例えば企業の構成︑及び国民経済の構成に対しても

( 2 )

3) 

つ社会的機能を果す責任等と解釈し得るものであるが︑本来︑責任とは権利に対応する義務と等しく︑権限にとり

相関的なものであり特定人の権利と他の者の権利との間の調整を要求するもの︑即ち他の者の重要な権利を犯す事

の間の適合が社会的責任の本質を為すものと考えられる︒次いで経営に於ける社会的とは一︑所有の社会化︑二︑経

営体自体の社会的性格︑三︑経営の外部社会との関係︑三つとされ︑社会的責任に付ては特に第三のものに関連して

四〇

(14)

31 

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

而して経営者の社会的責任の普遍的なる主張に於ては企業がその営利的性格を保持しつつ公共の利益をも実現す

( 5 )  

べき責任なりと説くものであるが︑その具体的内容︑範囲を如何に考うべきか︑或いは其等の根拠如何︑例えば受

託とは何如なる社会関係に於て何人より委託されたものと見るべきか︑或いはその極端なるものに於て企業の営利

性を否定する場合︑資本主義経済機構下に於ける企業と経営との関係︑企業目的如何等の考慮を必要とする︒

社会的責任の内容に於て経営活動を対内的︑対外的に分ち対外的経営活動のみを社会的責任なりとする見地よ

( 6 )  

り︑しかもその対内的活動の企業に於ける重要性を強調する説︑又は︑経営者の自己責任と企業的責任との対立よ

( 7 )  

り社会的責任を論証せんとするもの或いは同じく企業的責任なる用語を用ふるもその内容に於て︑経営者が企業︑

( 8 )  

又は企業の利益に対して負担すべき責任を意味する場合︑企業が社会に対して負ふべき責任を意味するとでは全く

その内容を異にすべき筈であり︑又︑企業の内部構成に於ける社会的責任と対外的関連における社会的責任とに分

( 9 )  

つもの︑法律的責任︑政治的責任︑道徳的責任に区別するもの︑或いは消極的社会的責任と積極的社会的責任の区

別より把握せんとするもの等︑その論ぜらるる内容︑分析︑認識方法に付てもその立論の立場を異にするものである

が︑本来︑人間が社会的存在である限り企業的責任もそれを企業︑又は企業の利益に対する責任と解した場合にも何

等かの意味に於ては経営者の社会的責任の一部を構成するものであり︑社会と全く無関係の責任はあり得ず︑責任

とは凡て社会的責任となるが其等の中特に翠に採上げるべき社会的責任の内容を明にする事を要するものである︒

次に企業目的と社会的責任との関連に於ては企業は社会の公器であり従って企業目的は公共福祉への貢献なりと

( 4 )  

論ぜられる場合が最も多い︒

(15)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

( 1 0 )  

し︑社会的責任︑公共目的即︑近代的企業の目標とし︑従来の営利目的を否定する説と︑飽迄営利を企業目的とし

( 1 1 )  

つつ社会的責任を以て営利なる企業目的を達成する為の迎命づけられた使命︑即ち営利なる目的達成の為の条件︑

(12) 

制約なりとする説︑経営者の企業的責任を再検討し︑自己責任を包摂し得るものとする為のモメントなりとするもの

等︑論ずる処一様ではない︒次に社会的責任の具体的内容及び範囲を考察すれば之亦論者により説の分るる処であ

( 1 3 )  

り︑例えば企業の国民経済の繁栄に対する責任を意味するものと解し或いは又普て︑一︑企業所得の増大と︑二︑

( 1 4 )  

企業所得の公正なる分配︑三︑後継経営者の養成︑の三つが経済同友会によって主張された事があり同様な説はド

( 1 5 )  

ラッカーによっても為されているが︑結局︑之等の主張に共通した見解としては企業経営の発展と社会的発展とを

( 1 6 )  

調和せしめ︑真の公共の利益を企業の利益に一致せしめる事が社会的責任の内容なり考えられるものであるが︑然

らば之等の諸説中︑政に採上ぐべき社会的責任の範囲と具体的内容を如何に理解するが最も課題に応え得るもので

あるか︑之を明かにする為には社会的責任が経営活動を指導すべき経営者の社会に対する責任と解した場合︑社会

に影響をもたらすべき経営活動の内容のすべてに亘つて之を考察する事より始めるを必要とする︒

経営活動は之を諸種の角度︑範疇︑区別標準により把握し得るものであるが其等の中●経営活動に於て経営成果

を獲得する部面と経営成染を配分する部面とに分ち︑しかも一般に経営活動によって影態を受ける階級︑或いは利

害関係者︑利害者集団に対する責任の観点より相関的に論ずるものが普通である︒而してその利害者集団を如何な

( 1 7 )  

る範囲と見るべきかは論者により異るが一応並列的に一︑経営体自体二︑生産者三︑経営者四︑従業員五︑金融機

関六︑債権者七︑消費者八︑同業者九︑一般大衆十︑政府公共団体︑とした場合︑其各々に対する可能的最大の給

付責任と之等の諸利害者集団相互の利害の調整を図る事が社会的責任の具体的内容なりとされるのである︒即ち可

(16)

133 

能なる最大の利潤獲得により得られたる成果は分配を通じて利害関係者に還元されるべく︑各々の集団に対しては

例えば出資者︑

株 主

債権者等に対してはインフレーション対策︑

持に努め︑その債権保護及びより高率の配当を支払う事︑従業員に対しては雇傭の安定︑良好な賃銀条件︑能力発

一般公衆に対しては産業人口の吸収︑政府公共団体には租税

負担︑経営体に対しては長期的経営に必要なる資金の内部留保︑其他に努めると共に他方之等利害者集団間に於け

る相互支配的な衝突を調整する事が要請されるものであるが︑その何れを採るも経営体と利害者集団との関係︑及

び利害者集団相互間の利害は相反し︑成果分配に於ける利害の対立はすべての場合に見られるところである︒而し

て如何なる点を妥当と見るべきか公正な調整は困難であり︑経営者の高度の責任自覚に侯つ他はない︒

或いは更に成果配分の湯泉︑基礎となるべき成果獲得の部面に於ても同様な事が云い得る︒即ち可能なる最大の

成果獲得に努力すべきが経営者の基本的責任である事は論を侯たず又︑成果配配分に於ては利害の対立とその調整

が問題となるも成果獲得の最大は最大配分に至る華礎であるが故に生産面に付ては互に協力すべき共通基盤のみを

( 18 )  

認め各利害者の間には一切利害の対立を認めない立場もあるが︑必ずしも然らず利潤獲得の過程に於ける生産活動

( 1 9 )  

の分野に於ても既に従業員︑労務者の福祉︑利益を害する虞ある事︑又は労佑組合が生産性の向上運動に対し反対す

る所以に明かであり或いは又企業の立場よりすれば経営合理化により相対的少数なる人員により等しき生産能率の

維持が要求されるが其事は麗傭に対する社会的責任と背反する︒企業内部のみならず対外的活動に於ても独占︑過当

競争︑下請企業に対する買叩き等は当該企業の利潤獲得には合目的的であるとしても之は前述の利害者集団の利益

を害ふ事となるが故に経営者は企業利潤獲得の為の責任と利害者集団の利害調整に於て凡ゆる部面に矛盾を有する

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶ 揮の機会等︑消費者には良質商品︑サービスの供給︑ 減価償却其他の方法により企業の実質資本維

(17)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

事となる︒成果配分を最大にする為に要する成果獲得の過程に於て既に成果配分後に為すべき利潤の還元︑利害の

調整の目的と背馳する︒手段性︑目的性の価値背反が生ずる︒

或いは又現在に於ける資本の構成が︑勿論業種により異る事は勿論であるが一般的に自己資本よりも社債︑金融

機関よりの借入金の形に於ける額の方が過大である傾向は統計其他によって明にされている処であるが之亦従来の

企業の正当な資本構成を歪めると共に社会的責任に於ける一課題を提供するものである︒即ち税法上に於て自己資

本に対する配当は利潤として課税された後に為されるが借入金利息は経費として課税を免れる︒随つて経営者は必

要なる資本の調達を増資によって配当率の維持に苦慮するよりも安易な借入金に頼るは当然と云はねばならない︒

此点に付ても社会的責任の一っと云はれる税負担に対する責任と企業体の利益との脊反が見られる︒或いは又配当

と社内留保の分前決定に於て︑出資者と企業体の利益は対立し配当率の時期的変動は例えば不当に高率なる配当は

当時の株主には有利なるも其他の株主には企業実体︑資本価値の低下を通じその利益を害するものであり︑

資者に不当なる不利益を結果する︒又企業利益を公共利益と一致せしめる事が社会的責任とされた事は前述の通り

であるが此企業利益と公共利益との関連性に就て二点に付明にすべき問題が存在する︒

即ち第一点は企業利益と公共利益とを一致せしめる点に付てであるが之は一致せざる事の方が常態であると思料

( 2 0 )  

される事である︒企業の生産物が直接社会に対し有用な製品サービスを提供する等︑経営活動が公共利益の積極的

発展に寄与し得る面は充分保有するものではあるが本来企業活動を指導する営利の観念自体は其等とは異質的な関

係にあるが故に直接︑間接に反社会的影響を多分に有ち得ると共にその影聰するところも唯に一種類に止まらず︑

一部に於ては有益なるも他の部面に付ては悪影響を及ぼす事が考えられ又その判定すら困難な事が常である︒又近 四四

一 部

(18)

13.5 

に於て既に予想し得る処である︒

四 五

代的産業構造に於ては国家財政との関連的考慮を無視し得ず︑為に政治との接触の分野を拡大し︑殊に基礎産業部

門に於ては財政投融資︑政府の措置が経営政策上極めて重要であり︑企業の命運の凡てを財政措置に結付けざるを

得ず︑従って企業内部に於ける経営合理化に努むるよりも最高経営能力を之等の獲得に結集する事が企業目的︑営

( 2 1 )  

利獲得には︑より合目的的であるが如き場合︑経営者としては斯<努力する事こそ課せられたる企業的責任と云う

べきであり︑而して又一面之が社会的に政治と結託する処の行為として反社会的影響を有するが故に社会的責任論

に於て之が排除すべく要請され︑荻に又︑企業に対する責任と社会に対する責任の間に脊反が存する︒或いは又必

要資本を借入金に依存する事︑交際費︑営業経費の不当な支出等が仮に企業利潤の増大を結果し︑又は従業員に利

益を与へる場合に於ても︑成果配分の観点からは反社会的と云はざるを得ない︒斯様に企業に於ける利潤追求は公

共福祉に貢献し国民経済の発展にも寄与するというが如き︑企業利益と公共利益とを一致せしめ得る機会は初期資

本主義時代以外には存在し得ないものと云はざるを得ない︑或いは又企業利潤獲得の最大により最大の成果配分を

可能とするとしても利潤獲得の過程に於て従業員の福祉︑取引関係者︑競争者等を害する場合︑既に反社会的であ

る︒又︑生産活動自体が反社会的であり︑生産物が直接社会に害毒を与へ得る機会も存在する︒更に︱つの経営活

動が多種の影響︑反射反覆的影響を結果する場合︑それ等に於て社会の利益を害する内容を有する事は具体的諸例

而して企業利益︑公共利益の関連に於ける問題の第二点は之等両者が対立する場合︑社会的責任の範囲を如何に

理解するかに付てである︒曽て企業責任と企業経営者の責任とを同様に理解する説も既述した処であるが此点は誤

であると思う︒本来企業とは営利につながる概念であり︑価値的意味を含まず︑企業には責任の観念を直接結び付

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

(19)

きものと思はれる︒ 企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

ける事は為し得ない︒営利の追求に終始するのみであり︑随つて社会的利益に合致する場合も︑之に反する場合も

存在し得る訳であり︑又人格的要素をも含まない︒蓋し企業概念を営利の観点より抽象する意味に限定するが故に

如何なる新会に対する責任とも直接関係を有しないからである︒

斯様な企業活動が社会的にその利益を害するが如き場合︑条件に於ては経営者に対しその企業活動を抑制︑

正︑排除すべき事が自律︑反省的に要請されるものであり︑之即ち経営者の社会的責任の具体的内容と理解するも

利潤追求に付て最大限に奉仕すべき責任を有つと共に他

社会的存在として自己の属する社会に不利益を及ぽすべき影響は之を排除すべき責任を有

っ︑之即ち経営者の社会的責任であり︑企業の社会的責任とは為し得ない︒

而して斯く理解した場合企業活動の制限さるべき範囲として社会の利益に反する処のものすべてに亘つて之を否

定すべきものとするかに付ては︑論理的には社会的価値に於ける余剰を以てその標織と為し得る︒即ち企業目的達

成の為の手段としての企業生産物︑並に生産活動が社会に与へる影響に於て︑その利益を増加せしむべき諸条件と

不利益を蒙らすべき諸条件との比較に於てその社会的価値に余剰ある限りはそれが是認せらるべくその総和に於て

余剰なき限り︑その利益︑不利益の均衡を得る点にまで之を制限すべきものであらうが唯此場合社会価値を具体的

に如何様に把握すべきかに付て問題は残るものと云はざるを得ない︒而して企業及経営者の両者に責任の存在を認

め︑しかも企業責任より経営者責任を演繹せんとする説︑或いは社会的責任を以て企業の目的達成の為の条件とす

る説とは意見を異にする︒企業はその自己目的を飽迄貫徹すべく︑之に対する制約は全く別個の観点より為さるべ

而して経営者の社会的責任なる表現は之等の価値計慮と自律の判断のすべてが理想的︑指導的︑裁定者としての 面 ︑

経営者は人格的︑ のである︒経営者は企業活動の指導者として企業目的︑

四 六

(20)

37 

応せしめるかに付ては将来に課題を残すものであろう︒ に反する場合︑翠に限界があるものと思料される︒

四 七

次に経営者の社会的責任を積極的︑消極的の二面に分った場合の責任の範囲︑即ち企業の利益と公共の利益とを

調整すべき責任に於て経営活動が社会的に不利益を与へるが如き場合には之を排除すべき消極的責任は絶対要請せ

られるべきものとするも然らば更に桔極的に経営活動を通じ社会的利益の増加に貢献すべく努むべき責任ありや︑

又その限度如何の問題が存在する︒即ち経営者の社会的責任の具体的内容として私企業的見地を超えて国民経済的

観点よりする国民経済への貢献︑企業生産物を社会に吸収せしめるべき購買力の造成・完全雇傭︑賃金の安定︑其他

企業の構成︑国民経済の構成等公共利益への積極的寄与を説く論者も多数見られるが之等は政に所謂︑積極的社会

的責任に相当するものであり︑之等の事は謂うべくして実行に容易ならざる課題を提供するものと思はれる︒即ち

公益目的への積極的努力が企業利益を害せざる程度に迄はかく努める事も可能であるがその枠を超え之が企業利益

唯之等の事を実際に可能とするには社会的価値の正当なる評価計慮が静態的にも困難なる事︑及び勁態的に企業

利益が対社会的不利益よりも小なる場合にもその弊害のみを除き︑或いは企業利益の︑より増大による均衝を図り

得られる事︑及び公益への奉仕が企業利益に反する場合にもその不利益を消滅せしめるべき努力の可能性が一層此

事に困難性を増加せしめるものであり︑之等のより高度に於ける調整の実行を資本主義の枠内に於て如何に之を適

( 1 ) 経営者の社会的責任を論ずる文献としては次の如きものがある︒

L•

F.  

U r w i c k , h   T e   P a t t e r n   o f   m a n a g e m e n t ,

1956

 

邦訳﹁現代の経営者哲学﹂

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

( 2 2 )  

経営者に委ねらるべき事を暗示するものであろう︒

(21)

企業論に於ける社会的責任の限界︵鯰江︶

M .   B o w e r ,   T h e   D e v e l o p m e n t   o f   E x c u t i v e   L

e a

d e

r s

h i

p ,

 

1951 

W . L .   W a r n e r

  & 

J . C .   A b e g l e n ,   B i g   B u

s i

n e

s s

  L e a d e r s   i n   A m e r i c a ,

1955 

 

R . J .

C  

o r

d i

n e

r  

̀ 

N e w   F r o n t i e r s   f o r   P r o f e s s i o n a l   m

a n a g e r s ,

1956 

 

・ ty .

 

猶其他文献の招介は P R 八巻十号︑九 ︑

F.C•

H o o p e r ,   T h e   S i g n i f i c a n c o f e     m

a n a g e m e n t   i n  

t h

e   m o d e r

n   c

o m m u m  

巻十二号︑如水書房﹁経営者﹂一橋大学﹁ピジネスレピュー﹂一巻二号︑日本経営学会三十二回大会報告要旨中にある︒ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ( 2 ) P R

誌第八巻十号宮田喜代蔵﹁現代経営者とその社会的責任﹂四八頁以下に経営者の個人的責任でなくその社会的責任が

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

問題となり⁝⁝個々の私企業の経営者について社会的責任が問題となる︒として社会的責任の分析が為されている︒

(3 ) 

C . I .  

Barnard

は責任意識とは自責の念であると理解し

D•K•

D a v i d

は之を自己の努力を特定目的特定理想に向けるぺき

義務︑即目的論と表裏するものと考え

B r o w

n も目的達成の義務或いは一定の関係に於てある事を為す権限を有するもの

に期待される行動とする︒︵昭和三十四年二月経営学会関西部会︑村本教授報告︶

(4)L•

F .   U r w i c k ,   o p

  c i t . , .     P

18 

(5)L•

F .   U r w i c k ,   o p   c i t . , .     P

21 

(6 )

特に経営者階級より此主張が強い︒

P

R 誌第十八巻十二頁以下参照

( 7 )

日本経営学会三十二回大会︵昭和三十三年十月︑於一橋大学︶藻利重隆報告要旨一

0

三頁以下

( 8 )

同上︑藻利教授報告要旨一

0

五頁

( 9 )

宮田教授﹁現代経営者とその社会的責任﹂四八頁

P

誌八巻十号 R

( 1 0 ) 一 橋 大 学

﹁ ピ ジ ネ ス レ ピ ュ ー

﹂ 一 巻 二 号 山 城 教 授

﹁ 経 営 者

﹂ 他

(11)経営学会関西部会(昭和一二十四年二月)村本福松教授報告に於てC.I•

B a r n a r d ,

D•K•

 

D a v i

d の諸論引用

(1 2)

前掲︑藻利教授論文一〇八頁 ( 1 3 ) 同 上

‑ 0

( 1 4 ) 経済同友会に於ては経営方策特別委員会による研究結果を昭和三十一年十一月全国大会決議として﹁経営者の社会的責任

の自覚と実蹟﹂を発表

( 1 5 ) P e   t e r  

F•

D r

u c

k e

r ,

h   T e   P r a c t i c e   o f   M a n a g e m e n t ,  

1956 

四八

参照

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