【学位論文審査の要旨】
1 研究の目的
3d遷移金属および4fランタノイドを有する金属錯体は、その電子構造に起因する興味深 い磁気特性および光学特性を示す。これらの金属錯体では、情報記憶装置から生物医学分 野に至るまで多様な用途が考えられるため広く注目を集めている。本研究では、遷移金属 およびランタノイドを含む錯体の電子構造および磁気特性を解明することを目的とする。
本学位論文の前半の章では、第一周期の遷移金属を含む錯体の磁気異方性およびスピン交 換相互作用などの磁気特性を検討する。具体的には、Co の単核・二核錯体および Cu、Ni などの二核錯体における磁気異方性に関して非経験的分子軌道法を用いて検討し、磁気特 性を解明することを目的とする。後半の章では、機能性材料の設計を目指し、金属/ランタ ノイドを内包するフラーレンの電子状態について検討する。具体的には、金属/ランタノイ ドを含む金属内包フラーレンであるM2@Ih-C80やMM’@Ih-C80を、密度汎関数理論計算を用 いて電子状態を検討し、安定に存在する金属内包フラーレンを提案することを目的とする。
また、単分子磁石の可能性についても検討し、今後の磁石としての機能を議論する。
2 研究の方法と結果
第一章では、Co錯体に関する量子化学計算により磁気異方性パラメータDを求め、実験 と矛盾しない結果を得ている。パラメータDの振る舞いが、特定のd軌道間の遷移により 決定されていることがわかり、また、第二配位圏が、磁気異方性に大きな影響を与えてい ることもわかった。第二章では、Cu、Ni、Coの二核錯体に関する量子化学計算により、dx2-y2
が、磁気的相互作用において鍵となる役割を果たしていることを明らかにした。具体的に は、Cu錯体の場合は、平面性の高い構造を形成しているため、金属の dx2-y2軌道間で相互 作用が発生しスピン交換相互作用Jが大きくなるが、NiやCo錯体の場合、平面性が低く金 属間の相互作用が弱いため、Jが小さくなることを明らかにした。更に、スピン交換相互作 用が、構造パラメータであるM-O-Mの角度などにより制御が可能なことも明らかにした。
第三章では、金属/ランタノイドを含む M2@Ih-C80の中性および陰イオンの構造および電 子特性を調べた。密度汎関数理論計算を用いて、M2@Ih-C80 (M = Sc, Y, La, Gd, Lu) の基底 状態を調べたところ、La2@Ih-C80を除いて、すべて高スピン状態であることがわかった。
この高スピン状態では、Ih-C80にスピンが発生するため不安定であり、実験的にも単離され ていない。そこで、Ih-C80のスピンが消滅するように一電子還元(アニオン化)を検討したと ころ、安定なアニオンを得ることができた。この結果は、実験による M2@Ih-C80のアニオ ン種の単離の報告と矛盾しない。さらに、[Gd2@Ih-C80]-について、磁気相互作用を見積も
ったところ、極めて稀なGd(III)イオンと金属由来の軌道のスピン間に強い強磁性相互作 用があることがわかった。M2@Ih-C80の光吸収スペクトルを、時間依存密度汎関数理論を用 いて計算したところ、[Sc2@Ih-C80]-を除いて、類似の吸収スペクトルを得られた。これは、
[Sc2@Ih-C80]-だけ金属の軌道が励起に関わっていたためであることがわかった。
第四章では金属/ランタノイドを含む MM’@Ih-C80の中性および陰イオンの構造および電 子特性を調べた。分子軌道を解析したところ、金属からIh-C80への価電子の移動が、金属由 来の軌道のエネルギーと金属固有の酸化状態によって変化し、i) LaM@Ih-C80 (M = Ce, Pr), ii) LaM@Ih-C80 (M = Sm, Eu), iii) GdM@Ih-C80 (M = Sc, Y, La, Lu)の3つのグループに分類で きることがわかった。また、金属由来の軌道のエネルギー準位に基づいて、安定な MM’@Ih-C80を設計可能なことを示した。さらに、等核の場合と同様、MM’@Ih-C80の吸収 スペクトルは、内包された金属に関わらず、類似した吸収スペクトルが得られ、またアニ オン化によって安定化することがわかった。
第五章では、安定した MM’@Ih-C80の観察および単離に向けて、Ih-C80ケージの化学修飾 による安定化を検討した。これまで、実験からラジカル付加反応により合成された M2@C80-(CF3) (M = Y, Gd) が 安 定 で あ る こ と が 報 告 さ れ て い る 。 そ こ で 、 異 核 の MM’@Ih-C80に お い て 同 様 の 官 能 基 の 導 入 を 試 み た と こ ろ 、GdLa@Ih-C80-CF3 and GdLa@Ih-C80-C3N3Ph2が中性の状態で安定であることがわかった。
第六章では、DyM@C80 (M = Sc, Y, La, Lu)の単分子磁石としての可能性を検討した。以前 報告されていたDySc2N@C80とDy2ScN@C80と比較したところ、Ih-C80ケージ内の内包金属 および非金属の組合せにより、純粋な金属のみの場合と比較してスピンの緩和のエネルギ ー障壁が4倍以上になることを示した。
3 審査の結果
本学位論文の前半では第一周期の遷移金属を含む単核・複核の金属錯体における磁気異 方性パラメータ・スピン交換相互作用などを求め、実験を再現する結果を得ている。更に、
得られた結果に基づき、単分子磁石の設計指針を明らかにしている。以上の結果は、すで に論文(Bull. Chem. Soc. Jpn. 89 (2016) 657)にて報告しており、今後の材料設計の観点から意 義深い研究である。
後半では、金属を内包した Ih-C80ケージについて検討を行っている。等核の M2@Ih-C80
錯体においては、一電子還元(アニオン化)により安定化することを金属由来の軌道のエネル ギー準位の観点から説明した。更に、 [Gd2@Ih-C80]-ではこれまで報告されたことが無い非 常に強い強磁性相互作用があることを発見した。以上の結果は、論文(J. Phys. Chem. C 121
(2017) 18169)にまとめている。
さらに、異核のMM’@Ih-C80錯体の量子化学計算を行い、電子状態に基づき3つのグルー プに分類することに成功した。本検討は、異核のMM’@Ih-C80錯体に関する世界で初めての 第一原理計算であることから高く評価されるべきであり、現在論文として投稿中(J. Phys.
Chem. C submitted)である。
更に 、アニオ ン化だけでな く、ラジ カル反応を経 由して得 られた化学修 飾され た
MM’@Ih-C80が中性の状態で安定に存在することを示した。また、今後の磁石材料の観点か
ら、磁気異方性に関しても検討を行い、単分子磁石の可能性を議論した。
上述の通り第一章から第三章の結果は、すでに論文にて報告し、更に、第四章について
は、現在J. Phys. Chem. Cに投稿中である。第五章以降も、適切なメディアを通して公表す
る準備を進めており、研究成果の公表に関しても学位審査基準を満たしている。
以上から、第一原理計算を用いて金属内包のIh-C80ケージを包括的かつ網羅的に検討した のは世界でも本学位論文だけと考えられ、電子状態の解析のみならず機能性材料の可能性 まで議論した本研究は高く評価できる。
4 最終試験の結果
本学の学位規定に従い、最終試験を行った。公開の席上で論文の内容を発表し、分子物 質化学専攻教員他との質疑応答をもって試験に充てた。また、論文審査委員が本論文およ び関連分野について試問を行った。その結果、専門科目および外国語(英語)についても 充分な学力・能力があることを認め、合格と判定した。