意識機能と写像の概念 : 生世界論のための追補(
その1)
その他のタイトル The Mapping Model of Consciousness
著者 木村 洋二
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 13
号 2
ページ 67‑78
発行年 1982‑03‑28
URL http://hdl.handle.net/10112/00022796
意 識 機 能 と 写 像 の 概 念
― 生 世 界 論 の た め の 追 補 ( そ の 1)‑‑
木 村 洋
この小論は,人間のもつ意識機能を「写像」の概念を中心に再構成することによって,人間一 社会科学におけるいくつかの認識論的問題を整理するとともに,かねてより筆者の構想する生世 界論および機能的系理論へのアプローチを固めようとするものである。
序
最初に,本稿の発想に示唆を与えた三つの文献について簡単にふれておきたい。藤岡喜愛「人 間とイメージ」, R.D.レイン『家族の政治学」, P.バーガー=T.Iレックマン「日常世界の構成」
がそれである。
まず藤岡は, 「精神」の働きを「外界集合F」「知覚集合G,」 それに「内界集合=イメージ総
. . . .
体H」の間の対応づけの作用として捉え,その連関を「F‑G‑H」として図式化することによ って,ヒトさらにはヒト以外の生物のもつ「精神作用」の様々な局面に明快な照明を与えた%
他方, R.D.レインは同書の終章において,「投映」(projection)もしくは「外化」(externali‑ zation)と「内化」 (introjection)をめぐる錯綜した家族力動を「写像」 (mapping)の概念を 用いて記述すると共にその広範な応用の可能性を示唆している2)0
さらにP.バーガーは,周知のように,人間が自らを物的・精神的に外界へ投入する不断の活 動を「外化」 (externalization)とよび, この外化された活動の所産が外在的な事実性として客 1)藤岡喜愛 1974。「Fは個体へ影響を及す外界の要素であり, Gは内界,外界についての知覚の総体であ る。 Hは個体内部に個体が独自につくる世界であり, Gをとおしてつくられ, GをとおしてFに影響を およぼすものである。」 (118頁)
2) R. D. Laing 1972. 後に加筆された第一章と終章で用語法に若干の差があるが, いくつかの部分を抜 き出すと,「投影とは内部の外部への•••写像であり,'内化 (introjection) とは外部の内部への写像であ る。…家族成員の家族への投影は,外部からの彼ら成員への内化と結びついてある所産を形づくること になり,今度はこれがさらに投影あるいは内化される。このような投影と内化が交互に内化されたりし ながら際限なく続くのである (p.117)」,「値城としての社会世界のシステムには,すでに諸投影によっ て様々に写像された部分集合が含まれているが,今度はこれが定義域となって,そこから内化写像が家 族を通じて(われわれの上に)集中し,さらにもう一度これが(社会世界へと)再投影される」 (p.118 一訳文は引用者が手を加えてある), 「内化される (internalized)のは対象それ自体ではなく, 関係 のパターンであり.それは内的操作によってなされる。この内的操作によって人間は集団の構造を自分 の内なる肉としていく (p. 8訳書15頁)」。ちなみに, 最後の引用文からも明らかなように, レイ ンの internalization,intorojection (彼自身これらを同義に使うことを断っている)はバーガーの internalizationにかなり近い。これに対し, レインがexternalizationとも呼んでいる投影写像の方 は,バーガーのいう externalizationと相当隔たっており, 「客観視」的意味合いが強い。
一・67、一
関西大学「社会学部紀要」第13巻第2号
観的な性格を獲得する過程を「客観化」 (objectivation),そしてこの客観的な現実が社会化の 過程を通じて再び主観的な意識の中に摂り込まれる過程を「内化」 (internalization)と呼んで
これら三契機の循環過程として「人間と社会の弁証法的関係」を理論化した凡
これらの業績は,それぞれニュアンスの相違はあるものの,人間の意識機能に外界への対応づ けと外界からの対応づけの二つの側面を区別し,両者が相互規定的に連関しつつ反復更新されて いくプロセスとして人間の認識実践活動を捉えている点で共通しており,いずれも人間とその世
コ ン パ ク ト イ ン テ グ ラ ル
界のかかわりを簡潔かつ総合的な形で理解する貴重な視座を含んでいるといえる。
とは言え,こうした視座設定のもつ理論的可能性がこれらの研究によって汲みつくされている わけでは無論ない。たとえば, R.D.レインの研究は,明確な形で「写像」の概念を用いてはい るものの,ほとんど試論の段階を出ていないし,その適用範囲も限られている。逆に,広範囲に わたってF‑G‑Hという集合論的発想を展開した藤岡喜愛は, 「写像」概念の導入にはためら いを示している。社会学的にみてもっとも緊密な理論図式を展開した P.バーガーには特に「写 像」や「集合」といった概念を援用しようとする気配は見られない。
さて,われわれの見るところでは,全く別個に発想されたこれらの研究成果を相互補完的に発 展させることによって,その延長上により強力な概念枠組を構成する可能性が開かれているよう に思われる。以下では一般システム理論の枠組をベースにして,藤岡的「集合」概念にレイン的
「写像」概念をより組織的な形で導入しつつ,人間とその世界をめぐるバーガー的パースペクテ ィヴを再構成するという方向で,その理論的可能性を探ってみたい。
1. 自 己 制 御 、 ン ス テ ム の 基 本 構 造
まず本稿の立脚する「一般システム理論」° とりわけ「情報ー資源処理パラダイム」5)の視座か ら,「自己制御システム」における情報的制御の構造を概観しておきたい叫
3) P. Berger=T. Luckman 1966および P.Berger 1967. 「社会の基本的な弁証法的過程は,三つの契機 もしくは段階から成立っている。これら三つの契機を切り離さずに理解してはじめて,経験的に適合的 な形で社会を把握することができる。外化とは,人間が物心両面において間断なく自らを世界へと注ぎ 込むことをいう。客観化とは,この(物心両面にわたる)活動の所産が,その本来の生産者に対して,彼
フアクテイシティ リアテリイ
ら自身とは異なったひとつの事実性として立ち現われるような現実性を獲得することである。内化と は,人間がこの同じ現実を客観的な世界の構造から今一度主観的な意識の構造へと変換することによっ て再ぴ我がものとすることをいう。社会が人間の所産であるのは外化によってであり,社会がそれ独自 の現実となるのは客鍋化を通じてである。そして人間が社会の所産であるのは内化を通じてなのであ る。」 (Berger,1967, p. 1 4 ‑なお訳文には引用者が若干手を加えた。)
4)一般システム理論の基本的な考え方については, L.von Bertalanffy 1968, K. E. Boulding 1956等 を参照されたい。
5)吉田民人 1974。なお同 1967に氏の「ウィーナー的自然観」のより全面的な展開がある。
6)本稿では「写像」も「集合」も事態を整理するひとつの「言語」として用いる。その限りで,演算の 導入を目的とした数学固有の厳密さは問題にしない。もしわれわれが「集合」や「写像」といった概念 を用いることによって,他の概念では不可能であるような形で事態を整理し,正確な思考を容易に展開 することが可能になれば,われわれの目的には十分である。なお,われわれはこうした集合(特に後に みる意識下の領域について)に一定の構造を仮定したいと考えている。それ故以下では「集合」をしば
しば「空間」と呼びたい。
システ ...
単純な自動制御機械から高度な生命系に至るまで,あらゆる自己制御システムはおよそ次のよ うな情報的制御のメカニズムを有している。(図1)
図1
情 報 化
r ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ,
I I
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I I情 報 空 間 1 I
l ___________—ー一麟ロ---
I
E環 境 空 間上図において, E環境空間 は,当該システムに外在する諸事象の集合を表わすものとする。
この環境空間Eに対し,システム内に摂り込まれている「情報」つまり「物質・エネルギーの時 間的ー空間的・定性的一定量的<パターン>」(吉田1967)の集合を考える。
ここで環境空間における一定の事象からこの情報空間 I内の一定のパターンに対する「対応づ け」=「写像」/:e→iを考える。事象eのIにおける「像」 f(e)= iは,いわゆる「認知情 報」「観測信号」と呼ばれる情報群 c1
c
次節以下の識意空間のCと区別してこのように表記)を 構成する。環境Eは写像fによってc1に写し込まれることになるが,システムにとっては,さしあたりこうして写し込まれた環境だけが有意味な環境となる。
次に,情報空間Iのある要素 iから環境空間Eのある要素eへの写像g:i→eを考える。これ はシステム内の情報を外部空間のなにものかに対応づけるプロセスであり,いわゆる操作・制御 もしくは実行などとよばれる活動がこれに相当するとみることができる。 gによって物質化され るIの部分集合をD「指令情報」とよぶ。写像J:E→C1がシステムの<認識>作用であるとす れば写像 g:D→Eはシステムの<実践>活動であるといえよう。
なおこの実践写像gによって環界Eに外化された活動は,それ自身情報空間とは独立した独自 の物的連関に把捉されることになり,その帰結の一部が再び写像fを通じて情報化され,次の制 御プロセスヘフィー・ド・バックされるわけである。
7)一般に,この環境空間には,自然な確率過程に従って「エントロヒ°ー」つまり無秩序の度合を深めてい く大きな傾向が存在するが,ある種のシステムは,環境から「情報」もしくは「物質エネルギー」(「資 源」)を摂り込むことによって,この無秩序化の傾向に逆いながら,自らの構造を生成・制御していく
ことができる。ベルタランフィは,こうしたシステムのうち「情報」のみに開かれたシステムをフィー ド・バック・システムと呼び,物質・ エネルギーに対して開かれているシステムをオープン・システム と呼んだ。メタボリズムを行う生命系は後者の代表である。この種の「オープン・システム」において は,秩序の生成つまりエントロヒ°ーの減少が可能であるが,それ自身物質代謝をもたない自動制御「機 械」においてはこれは不可能である。こうした「機械」システムにおいてはおそらく,「情報」を摂り 込むことによってエントロピー増大の速度が低下しているのであろう。
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最後にこの認知情報C1を指令情報Dに変換する写像hを考える。観測された情報から行動制 御情報を引き出すこのC‑D (Cognitive‑Directive)変換は, いわばシステムの「意思決定」
に相当するもので,各システムは物的もしくは回路的になんらかの形でシステムにセットされた
「目標値」にこの観測情報を照合して「偏差」を読みとり,必要な制御情報に変換するわけであ る。このようにC‑D変換を媒介する「目標値」の集合を「評価情報」8)とよぶ。
さて,以上みた三つの変換プロセスは,単純な自動制御機械からヒトとその社会に至るまであ らゆる自己制御システムを貫通する普遍的な構造原理であり,システムによる具体的な行動形態 の差異は,そこで用いられる情報の種類と変換メカニズムの相違からくるとみることができる。
いうまでもなく,われわれ人間は,対応が因果連関や時空的近接(もしくは頻出)性によって規定
アービト,H
されるようなシグナルーサイン性の情報ではなく,一定の規約のもとに自在に連関しうるような シンボル性の情報,つまり言語とイメージによって環界を情報化し, C‑D変換を行うほとんど 唯一の生物である9)。以下では,このシンボル性の情報空間に無意識の領域を加え,そこに「写 像」の概念を導入することによって,情報的制御の人間的構造を素描してみたい。
2. 意 識 空 間 の 写 像 モ デ ル
例によって,システム(この場合人間個体)に外在する諸事象の集合を考え,これを環境空間 E (Environment)と名づける。次にわれわれが意識作用の対象,というより相関項として直接 把捉できるものすべての集合C (Consciousness)を考え,これを意識空間もしくは表象空間と 呼ぶ。およそ意識にのぽりうるありとあらゆる表象・槻念・情念がこれに含まれることになる。
さらに無意識的なものの集合,つまり通常は意識されないけれども,なんらかの形で(たとえば
「夢」などのように)意識に影響を及ぼしていると思われる意識下の心的領域を考え,下意識空 間!OlU(Unconsciousness)と呼ぶ。さて,以上三つの集合の間に図2のような「写像」つまり
「対応づけ」の作用を考える。
まず,環境空間から意識空間への写像/:E→Cとは,環界のある事象eをなんらかの表象c に対応づける働きであって,いうまでもなく,われわれの行う「認識」作用がこれに相当する。
この認識写像には無論個々の事象を個々の観念・表象に対応させる 1対 1の写像(たとえば「命 8)この「評価情報」は低級な自動制御機械の場合より物的な形で(たとえばバイメタルと接点の距離とし て)セットされているが,高度な自動制御システムでは一定のプログラムとして回路的に組み込まれて いる。ちなみにヒト(とその集団)は,この「評価情報」が生得的に組み込まれていない,つまり自己 設定が可能であるような唯一のシステムである。この「評価情報」の「自己設定可能性」こそ「主体シ ステム」を定義する最も本質的な要因にほかならない。
9)情報化が因果連関に依存している例としてはサーモスタットのバイメタルやカメラの測光システム,そ れに人間の感覚ー運動システムなどがあり,時ー空的近接や頻出によるものとしては,「条件反射」
や「観望天気」などをあげることができるだろう。人間はシンボルの使用によってこうした時ー空的布 置連関の拘束から解放され,その情報化しうる「世界」の範囲を飛躍的に拡大したのである。
10)この「下意識空間」は,いうまでもなくフロイトの「無意識」というよりも「エス Es」に近いものと して概念されている。本稿では意識世界総体を下から支える心的エネルギー=カセクシスの基底構造 (Under‑structure)の意も込めて「下意識空間U」と呼んでおきたい。
図2 E 現 境 空 間
f んF
\ ' ︐
g
C 意 識 空 間
/ー
L ,
f:E→C 認識写像 i : C→U 内化写像 j: u→C 表出写像 g:C→E 外化写像 U 下 意 識 空 間
.J
` り
.J
(逆写像 I1‑1: 認識論, jーI:精神分析, g‑1:動機理解)
名」)から,諸個物を一定の範疇に対応させたり(たとえば「分類」),さらに一個物をいくつか の側面に対応させたり(たとえば「分析」)するような多価の写像もあって,おそらくこれらが高 度な形で統合されている点に人間の認識作用の特徴が存在するものと思われる。
ここでもわれわれは写像fによって情報化しうる限りでしか環境Eを知ることができず,しか も知りえた限りでの環境だけがさしあたり各人にとって情報的=主観的に有意味な世界J(E)を 形づくることになる11)。
次に意識空間Cから意識下Uへ の 写 像 i:C→Uを考える。一旦「脳裡」に浮んだ心像が無意 識の領域に「沈澱」したり「刻印」されたりする現象で,レインのいう「内化」12)がこれに近い。
個別的な「他者」像から,具体的な「情景」や「体験」, さらには抽象的な「価値」理念に至る まで,様々な心的内容がこの内化写像iによって意識下に刻印されうる。こうして内化された表 象は意識下で大きな情動的負荷を帯びてある種のかたくなな構造態を形成することになり,再び
トラウマ
意識空間に浮上する際には強い感情を喚起することが多い。愛する他者像や,原風景,外傷体験 といったものを想起する時,しばしば強い感動が伴うのは,まさにそれらが内化されているから である。
次に,下意識から意識への写像 j:U→Cを考える。「夢(の仕事)」がその典型であるが,覚 醒時でも外界から意識への写像fが遮断されている時に一定の情感を伴いつつ心に浮んでくる想 念・イメージは(「自由連想法」などに明らかなように), なんらかの程度でこの意識下からの 11)このようにして認識された「世界」 f(E)は意識空間に属するEの「像」であって (f(E)cC), 意識 に外在する「環境」そのもの (E)ではないことに注意しなければならない (35頁の「実体化」をめぐ る議論を参照のこと)。 E自体はfと独立に実在する何ものかであって, それ故にこそ主観的な思惑の いかんにかかわりなく物的な「力」を及ぼしうるし(たとえば「淘汰」といった形で),また,観測器め の進歩やパラダイム変動 (fの変化)によって C内に異った世界「像」f(E)を結びうるのである。ち なみに,藤岡の「外界集合 •F• 」は,本稿の表記法を採用すれば外界 E の f による C 内の「像」 f(E)
(より厳密にはf:E→Cの逆像fーI(C)) に相当するといえる。種によって外界集合 •F• (つまり f(E))が異なるのは,認識機能fの構造が異なるからなのである。
12) 「それ (internalization) は,ひとつの集合を構成する一群の関係を,(••….)経験のある様相から他の 様相へ, つまり知覚から想像や記憶や夢へと移し換えることを含意している」 (Laing1972, p. 7)。な ぉ,無意識の内容を直接把握できない以上,ある表象がgによって内化されたか否かは次にみる表出写 像hによるCへの写し込みによって判断するしかない。
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表出写像 jの影響をうけていると考えられる。「意識」が値域となるこの表出写像の特徴は,意 識にとっての受動性, つまり写像の「自動性」「内発性」にあるといってよいだろう。表象やイ
メージの操作を通じで情感の表出と統合を図る象徴的<表現>活動と,直接具体的な他者との交 わりを求める<結合>交流の二つの内発的活動がその主要な類型を構成する13)0
最後に,意識空間から環界への写像 g:C→Eを考えよう。これは心的表象を外界のなにもの かに対応づけようとする活動で, ほぼ P.バーガーの言う「外化」活動に相当するとみることが できる。この外化写像には,コミュニケーション行動のように内的な表象や想念を言語等によっ て単に情報的に外化しようとするものから, 「思念された意味」の実現をめざすより物質的な行 為実践まで種々のレヴェルの活動が存在する。いうまでもなく,こうした外化活動を指定誘導す る意識表象,いわゆる「目標」概念と実行「意志」が人間の「指令情報」に相当するわけである。
われわれ人間の場合,「認知情報」からこうした「指令情報」を導く C‑D変換つまり意思決 定 h:/Ce)→ g(c)の作業は,ある程度論理的に整序された高次の「目的」意識や「価値」理念と いった「評価基準」との照合を含む合理的な思考判断のプロセスとして現象することが多いが,
他方,表出写像によってもち込まれる「情念」がこの変換に関与することも少くない。<価値統 合>とよばれる高度に意識的な統合機能14)が必要とされる所以である。
図3
任
行 為
環 境 空 間
13) <配慮関心>をめぐる自ー他の<結合交流>の詳 細については近稿1982を参照。
ところでもし,認識写像fによって意識にもたら されるもの/(E)を「概念」とよべば,この表出 写像hによって意識にもち込まれるもの/(U)は
「情念」であると言うこともできるだろう。なお 後でみるように,意識によるこうした想念を統合 し,意思決定を媒介するのが価値「理念」である
(右図)。
14) 37頁参照。ちなみに,機能要件としての<価値統合>の目的は,まずなによりも意思決定 (=C‑D変 換)写像 hの全体集合Hに対し一定の統合的な構造,つまり情報ー機能的に整序された決定順位構造
(プログラム)を与えることにある。
E
J
c 概念 ⑦ 情念
u
>
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さて,こうした評価変換過程において「主観的に思念された意味」がいかなるものであったに しても,ひとたび環界に外化された活動は主観の意識からは原理的に独立した独自の連関網に把 捉されざるをえない。一般に,とりわけ社会的行為においては,こうした活動の辿る経過とその 及ぼす効果は極めて複雑であって,日常われわれがこれを同型に写像認識することはほとんど不 可能に近い。そのため,ある外化行為の結果を情報化して再び次の行為サイクルヘとフィードバ ックするには,意図の有無にかかわらず一定の取捨選択が不可避となる15)。われわれが通常「責 任」もしくは「功績」として概念するところのものは,こうした帰結の一部を選択的に情報化し た社会 的行為 の フィー ド ・バック信号16)にほかならないのである(図3)。
15)ここでバーガーがあまり重要視していない(おそらく混同している) objectivity概念の二つの意味を 峻別しておく必要がある。「外在的な事実性」と「相互主観性」(バーガーの用語でいえば collective recognition, 1973 p. 20)の二つの意味がそれであって, 内容的にはちょうど「客体性」と「客甑性」
という二つの日本語訳のイメージにほぽ対応していると言える。
再び要約するならば,<外化>された活動は,主体の思惑とは原理的に独立した事実的ー客体的なそ れ自体としては本来不可視の連関にまず捉われるのであって,しかる後にその一部が選択的に情報化さ れ,いわゆる客観的事実として相互主観的に確認・定立されるにすぎないのだ。この事実的ー客体的連 関と相互主観的一客観的連関は基本的には全く別のものである。前者は環境ー資源空間に属し,後者は 情報空間に属している。後者は前者と同一である,つまりそれを同型に写像していると自称しているだ けであって,後者つまり相互主観的な形で客観視された連関は,前者つまり事実的ー客体的な連関にほ ぼ対応しているかもしれないし, ほとんど対応していないかもしれないのである(たとえば「天動説」
と「地動説」の場合を想起されたい)。
言うまでもなく,社会的領城においてこの不可視の事実的ー客体的連関(一「潜在的連関」) をあば き出し,顕在化しようとするのが社会学的「機能分析」であって,そこからいかようにしてひとつの選 択的情報連関のシステムー「世界像」が相互主銀的に構成・客「観」化されていくか,そのプロセスと 方法を解読するのがバーガー的知識社会学の企てにほかならなかったはずである(事実「制度化」 と
「正当化」の分析はそうなっている)。すなわち, バーガー的な<内化>によって主観の意識に摂り込 まれるのは,バーガー自身のいうような外在的事実性としての客体的世界ではなく,相互主親的に構成 された客観的世界であると言わなければならない。
r‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑7
I I
社会的=客観的連関
(社会世界) I I I
L ‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑‑7 I I
個体の主観的意識
(生世界)
事実的一客1本的連関
(環境空間)
外 化
破線部分がバーガーのいう objectivationに相当する。社会的一客「観」的連関の総体としての社会世 界は,事実的ー客「体」的連関の総体=「環境空間」から選択的に情報化された相互主観的情報構成態で,
個体の意識によって<内化>されるのはこの社会的世界である。これに対し,個体の<外化>活動が第 一次的に投入されるのは事実的ー客体的な環境空間へ対してである。こうした理解は,客観化つまり相 互主観的構成の過程にイデオロギー的歪曲を犯す原理的危険(というよりも「必要」)が存在すること を理論的に明らかにするとともに,「機能分析」の位置づけを通じて「機能主義社会学」の正当な評価 を可能にするという点で極めて重要である。
16)いわゆる「責任」の観念が社会(=「相互主観性」)によって異なるのは,この「選択的構成」のし方が 異なるからである(作田啓ー 1952)。ところで「行為」の帰結が「責任」 として社会的にフィード・
バックされるとすれば,逆に責任帰属のあり方が行為主体の社会的編成のあり方に照明を与えることに なる。わが国における「連帯責任」のあり方(たとえば高校野球における野球部員の個人的非行を理由 とするチームの出場停止等)は,その限りで「行為主体」が「個人」よりも「集団」として通念されて いることを物語っていると言えよう。
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関西大学「社会学部紀要」第13巻第・2サ
以上,環界,意識,下意識の三つの集合の間の対応づけの作用について具体的な意味づけを試 みた。私見では,こうした「写像」概念に「逆写像」や写像の「合成」の概念を加えることによ って,その射程をさらに拡大することができるように思われる。以下,若干の補注17)をはさんで その可能性を検討してみることにしたい。
3. 逆 写 像 と そ の 解 釈
さて,集合Aのある要素aに,集合Bの要素bを対応させる写像¢があるとき, Bにおけるa
の像b=rp(a)に原像のaを対応させるもうひとつの写像が得られる。このようにもとの対応を 逆にたどって得られる対応を逆写像と呼び,通常¢→であらわす。数学では普通この逆写像の概 念は 1対1対応の場合に限って用いられるが,ここでは例によって,概念を整理する道具として 拡大利用することにする。
さて,まず認識写像fの逆写像を考えてみよう。これは,われわれが意識している表象や概念 が,意識に外在するいかなる対象にどういう形で「対応」もしくは「的中」しているかを辿るそ のプロセスを意味しているとみることができる。いわゆる認識論の問題設定がまさしくこれに該 17)ここで生体organismの問題について簡単にふれておきたい。繁雑になるのを避けるため, 図2では 省略したが,実際に人間が環境と相互作用するためには下図のような形で「生体」が介在しなければな
らない。
図4
環境空間 ・
゜
E ヽ ︵ーー〒 \担 生 体fn
意識空間 c
/1 :E→0感覚写像 g2: 0→E運動写像 丘:O→C知覚写像 gぃC→0意志写像 g,
f1•g2 シグナル反射 f•g シンボル反射
k
゜
下意識空間 u lの事例心身症
Kの事例ョーガ つまり, 認識写像fも外化写像gも本来, 生体0を媒介することによってはじめて可能になるのだ
(いうまでもなく図でf,の機能を担うのが「受容器」であり,釦を担うのが「効果器」である)。当 然,意識野に送り込まれない 0だけへの写像も存在し,これが釦と直接結合して, f1°釦の合成写 像つまり「反射弓」が形成される場合もあるだろう。ちなみに,この感覚ー運動系の反射を「シグナル 反射」とよべば,言語的一精神的にある種の機械的な対応を要求されるサービス労働(エレベーター・
ガールなどの)は, fとgを合成した「シンボル反射」であると言えるかもしれない。思考による媒介 なしに認知と行動が1対1で直接結びついているからである。
ところで,生体と下意識の間にもなんらかの対応が存在する公算は大きい。下意識の抑圧された精神 的葛藤が自律神経系を介して身体機能に影響を及ぽす「心一身症状」などはその一例であろう(/)。
これに対し,「調身」と「調息」によって「調心」つまり精神状態を制御しようとするヨガの瞑想法な どは,これとは逆向きの写像 (k)であるのかもしれない。
なお,こうして E, C, Uの三つの集合に感覚ー運動性の情報集合としての生体0を加えることによ って後にみる機能要件論とのより整合的な接合が可能となることを付言しておこう。
当すると言えよう。カントを例にとれば,主観の「直銀形式」が/,そしてこのfによって意識 に与えられる「現象」が/Ce)I (eEE)であり, eそのものの,つまり「物それ自体」は基本的 に不可知である,ということになろう。
ここでもし,対応fの存在そのものを忘失すると, fによって意識空間にもたらされる表象 c=J(e)が「原像」f→(c)=eと同一視されることになる。こうした写像性の忘失による「像」
と「原像」の同一視がいわゆる実体化 (hypostazation)の現象である。われわれは普通,こう した写像性を特に主題化することなく,意識表象とりわけ環界Eがfによって結ぶ世界「像」 C を超越的な存在として実体化し,その「世界」が実在することを「あたりまえ」と見倣して素朴 に生きていることが多い。 こうした「自明性」に内在する「自然的態度」は, 「問題的状況」の 発生,つまり認識枠組であるfが状況に適合的に「対応」しなくなった時にはじめてこの「実体 化」に気づいて,その「写像」のあり方を問うのが普通である。これに対し,フッサールの提唱 する「反省的態度」もしくは「超越論的還元」18)の手続きは,この種の実体化つまり環界の fに
よる「像」 f(E)と「原像」 f→(C)の癒着に意識的切断を加え(「エボケー」),その「対応のあ り方」を主題的に問おうとするひとつの自覚的な方法であるとみることもできよう。
次に表出写像hの逆写像を考えてみよう。意識野に浮んでくる心像を逆に辿ってその背後にあ る意識下の「原像」に対応させようとするこの逆写像 jーI:C→Uに相当するのは, ほかならぬ かの精神分析の作業であろう。実際,「精神分析」は,夢や自由連想時(/の遮断)に表出され る心像から,それに対応するような無意識界の要素をさぐり出そうと試みる。しかしこの場合,
夢の内容や特定のイ.メージを無意識の特定化された要素に厳密に対応させるような「解釈」には 慎重でなければならない19)。無意識の世界を直接情報化するすべがない上に, 「表出写像」は多 価つまり 1対多もしくは多対1の対応である可能性が強いからである。
最後に,外化写像gの逆写像を考えよう。人間のある活動がある意識表象に導かれる形で外化 されたとすれば,この外化された活動から逆に意識内容を推定することが,この逆写像をとる作 業に相当する。いうまでもなく, M.ウェーバーの動機理解つまり行為者によって「主観的に思 念された意味」20)の把握がその典型であるが,方法的自覚をもたない「動機理解」や「脱中心化 的帰属」もこれに含まれる。われわれにとっては最も日常的でファミリアーな逆写像であると言 えるだろう。この逆写像のとり方いかんによっていわゆる「誤解」が生じうるが,これは「精神
18) E. フッサール 1974。
19) 「夢の作業と逆の方向をたどり,顕在夢から潜在夢に到達しようとするのがわれわれの解釈作業なので す」(フロイト 1971136頁)
ところで, 「解釈」による「治療」の可能性が「精神分析」の科学性を保証すると言っても,それは現 実的な有効性であって,必らずしも事実対応性ではない。たとえば,ある「症状」を「キツネ」によっ て説明するのも「出産トラウマ」によって説明するのも,それが意識空間C以外のところから持ち込ま れると主張する点で等価である。出産トラウマ説の適否はともかくとして,民間の伝統的「医療」にお いて「キツネ説」が時に「治療的」でありうる理由もその辺にあるのかもしれない。
20) M. ウェーバー 1976。無論「思念された意味」には「指令情報」だけでなく「C‑D変換」=「写像h」 も含まれる。それ故厳密には g‑1のみでな<h‑1の作業も「動機理解」に含める必要があろう。
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関西大学「社会学部紀要」第13巻第2号
分析」とは異なって,当の「原像」を抱いている他者とのコミュニケーションを通じてその誤差 を原理的に修正・縮少していくことが可能である21)0
以上, fー1•rt•g lの三つの逆写像について意味づけてみた22)。極めて粗いスケッチでしかな いが,われわれの写像モデルのおよその射程をうかがうことはできたように思う。
最後に,本モデルと機能的系理論の骨子たる機能要件論との意外な付合を明らかにしてこの小 論を閉じることにしたい。
4. 写 像 モ デ ル と 機 能 要 件
かつて筆者はパーソナリティ・システムの機能要件,すなわち「あるパーソナリティ・システ ムが一定の環境のなかで存続していくために充たさなければならない必要不可欠で代替不能な条 件群」として次の4つを定式化した23)。すなわち,<適応目標の達成:>, <生体維持:>, <情緒 の統合:>, <価値統合>の4つである。これら4つの要件は, T.パーソンズの AGIL図式に修 正を加える過程で,論理操作としてはほとんど帰納的に得られたものである。しかし,極めて興 味深いことに,本稿の写像モデルから上の4つの要件がほぽ演繹的な形で導出できることが明ら かになった。以下にその概略を示しておきたい。
まず図5をご覧いただきたい。もし,われわれ人間の生存がこれらの「集合」のいずれからも 逃れられず,しかもそれらの間の良好な接合関係を維持しなければならないとすれば,次にみる ような4つの媒介過程が解決されるのでなければならない。
まず第一に,生体0と環境Eを媒介する必要がある。この媒介過程の主要な課題は感覚ー運動 的な情報ー資源処理を通じて生体のホメオスクシスを維持・促進することにあるから,これは第 2要件の<生体維持機能>ー「生理的欲求の充足を主なメカニズムとしてオーガニズムを維持 保全する機能」に相当するとみることができる。
次に意識Cと環境Eの媒介であるが,これは写像 f,gに明らかなように,環境を認識つまり シンボル・レヴェルで情報化し,これに思考判断を加えて一定の行為活動を合目的的に環境へと 投入外化することを含意している。「系外への働きかけによって系に必要な財と情報を獲得する 機能」として定式化される第 1要件の<適応目標達成機能>がまさにこれに該当すると言える。
さらに,意識下の領域Uと意識Cそのものとを媒介する働きが必要である。内化・表出の箇所 21)もっとも,本人すら自分の「原像」ー「思念北た意味」を確定できないような場合もないわけではない。行 為が多元的動機によって決定された(多対1対応)ような場合や,意識下からの表出写像iの強い影響 を受けている場合などにそうしたことが起りやすいと言える。
22) 残るひとつの写像 i は,それ自身意識化不可能な領域への対応づけなので一~心的外傷の神経生理学的
対応物でも発見されない限り一ーその逆写像を云々することは無意味であると思われる。
23)木村洋二 1977。なお,現在筆者は不要な混同を避けるため, これらの機能要件を Adaptive‑goal‑ attainment, Base‑maintenance, Cathectic‑integration, Value‑integration, 略して ABCV図式と 称している。第2要件の Base‑maintenanceは,パーソナリティ・システムではくぐヒ体維持;>, 集団
システムでは<成員維持>として具体化され,第 3 要件の Cathectic-integration は集団の場合~吉合 形成>として特殊化される。
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図5 E 環境空間
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' (
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〇 生 体
① 適応達成
~
こ R 生体維持c 意識空間
③ 情緒統合
u 下意識空間 ④ 価値統合
でふれたように,この媒介機能のポイントは体験や意識表象にカセクティックな心的エネルギー を負荷することと,それを表出・調整することにある。いうまでもなく「社会的・文化的対象へ のカセクシスによって情緒を表出・統合する」第3要件の<情緒統合機能>がこれに相当する。
最後に,本来連関が恣意的である意識空間内において,認識と外化実践を媒介する評価情報群 つまり価値理念や目的意識を統合的に編成し,一貫したC‑D変換=意思決定を可能にするよう な,高度に情報的な媒介機能が必要となる。これが「諸要件の重みづけを価値命題として構造化 し,それを適用・遵守することによって一貫的にシステムを制御する」第4要件の<価値統合機 能>に対応することはもはや明らかであろう。
以上,環界,生体,意識,下意識間に一定の媒介過程を仮定するところからパーソナリティ・
システムの4つの機能要件を導出することができた24)。ここでもまた本図式の整理・索出機能が 例証されたと言うべきであろう。
本稿では,意識の主要機能を環界一意識ー無意識間の「写像」つまり変換・対応づけの働きと みる視点から認識・内化・表出・外化の各写像機能について整理してみた。われわれの概念図式 は,意識の多様な局面を簡潔かつ精確に記述することを可能にするとともに,それらの統一的把 握を通じて総合的な人間理解を促進するという点で一定の有効性をもつように思われる25)。筆者 としては, 「集合」と「写像」概念の導入によって得られる簡潔さと統合力がその拡大適用の危 険性を上回ったと考えたい。
24)われわれのモデルは,単に機能要件を導くことができるだけでなく,集合と対応の性質から各媒介過程 つまり機能要件のもつ構造ー機能的な特性について一定の情報を提供するし,また,ひとつの行動がい くつかの集合を横断するところから,要件間に存在する機能連関と構造分化の現象を理論的に予想させ る利点がある。
25)とりわけ「精神分析」と「動機理解」を逆写像として明確に位置づけることができたのは,写像概念の 導入による端的な成果のひとつであると言えよう。なお,次回は意識下の空間Uに一定のトボロジカル な構造を仮定することによって人間的意識の基底構造にアプローチを試みる予定である(近稿 1982)。
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