令和元年度学位請求論文
日本統治下朝鮮における女優形成の史的研究
―女優・文藝峰を中心として―
【要約】
日本大学大学院芸術学研究科 博士後期課程芸術専攻
李 瑛 恩
論文構成 序章
第1章 韓国・日本における朝鮮女優研究の現状と文藝峰研究
第1節 韓国における朝鮮女優研究の現状と分析
第2節 韓国における女優・文藝峰に関する先行研究の評価と問題点
第3節 日本における文藝峰の先行研究と朝鮮映画女優研究との分析と評価 第4節 朝鮮女優研究と文藝峰研究の課題
第2章 朝鮮と日本における女優の誕生
第1節 韓国における女優の定義と朝鮮女優の誕生 第2節 日本における女優の誕生
第3章 朝鮮映画女優史の展開
第1節 朝鮮における映画女優の特徴とその発達 第2節 朝鮮における映画女優活動の状況
第4章 朝鮮映画女優史における文藝峰
第1節 デビュー以前と演劇活動期 第2節 文藝峰の朝鮮映画活動 第3節 宣伝映画活動期
第4節 朝鮮女優史における文藝峰の位置
第5章作品から考察する文藝峰の位置づけ
第1節 朝鮮映画の資料の現状と映画演技の特徴 第2節 朝鮮女優における映画演技
第3節 文藝峰における映画演技
終章
参考文献一覧 資料編
論文の要約
演劇人であった父親の文秀一(ムン・スイル1899~?)からの影響によって幼い頃から演技活動を 始めた文藝峰(ムン・イェボン1919~1999)は、1932年に映画界にデビューし、絶対な人気を博した 女優である。
本研究は、日本統治下、民族的スターとされた文藝峰の映画界における実像・実績を当時の原資料 および先行研究とを参考に可能な限り復元し、これまで考察されなかった朝鮮女優史を検討する中 で、文藝峰の正当かつ正統な位置づけを試みたものである。筆者の立場(女優)からして、文藝峰研 究の眼目は演技論が中心となるが、この視点こそ従来の朝鮮女優史並びに文藝峰研究に完全に欠落し ていたものである。演技論からのアプローチによって、文藝峰は先行研究にない姿で浮上してくるで あろう。本論文は演技分析を通して女優文藝峰の新たな復活を目するものである。
方法としては、先行研究の徹底した収集、解読につとめると同時に、なるべく研究対象となる時期 の原資料・基本史料(映画作品、批評、新聞雑誌記事、インタビュー、座談会、談話、広告など)を 丹念に検索して読み込み、時代と社会を反映する原史・資料を批判的に読解しつつ、時代背景の中に 朝鮮女優史と女優文藝峰とを浮かび上らせるという地道な方法を選んだ。歴史を同時代の資料で再現 すると同時に、併せて時代の心とでも言えるものを映像からも汲み取ろうと心がけた。もう一つは、
映画シーンを詳細に分析し、演技意図、演技技術、演技力を考察し、演技から女優像・文藝峰像を構 築するという方法である。こちらは映像分析による演技論である。この2つの方法の相互活用によっ て、映画と女優と文藝峰それぞれの、時代の中での実体が鮮明になると考えられる。
第1章 韓国・日本における朝鮮女優研究の現状と文藝峰研究
第1章では、韓国で朝鮮女優の研究が少ない原因を韓国における歴史観を主たる原因と捉えつつ概 観し、韓国と日本の両国において女優の研究がどのように展開していったか、朝鮮女優の研究の進展 と現状を検討した。日本では朝鮮女優に対する研究が極めて少なく、筆者は韓国の先行研究を参考に し、韓国で刊行された女優研究書13冊と、女優の中で最も多く研究された文藝峰研究に関する論文26 本を検討した。韓国では、長い間「内在的発達論」が歴史学を主導し、韓国社会で民族自尊意識と反 日感情が強い力を持っていたが、2000年代に入ってから研究者たちの世代交代もあり、「植民地近代 論」を基にした脱植民地の立場からの研究が進められてきた。その傾向とともに朝鮮女優研究も、
2000年から盛んになっている。2003年から行った「映像資料院」の映画歴史発掘事業もこれの一環と
なったものだと言える。韓国での先行研究を検討した結果、様々な問題が浮かび上がった。まず、朝 鮮女優の第1号については必ず検討されているが、それ以外の女優についての研究がほとんどなされ てない点。二つ目は、朝鮮における女優誕生の理念と経緯などが考察されていない点。三つ目は、女 優という職業の発達過程に関する論考が、舞台に比べて映画ではなされていない点である。そして、
文藝峰に関しては、多数の研究からその業績が明らかになっていても、政治的な観点に偏り、役者、
演技者という問題に焦点を当てた考察がないことである。これらの問題点を踏まえ、以下の章では、
朝鮮女優の誕生、形成、発達の歴史をまず概観した後、文藝峰に対象を絞り、演技者としての彼女の 業績を探り、その成長過程を実証していく。
第2章 朝鮮と日本における女優の誕生
第2章では、韓国で朝鮮女優史の研究書が存在しないため、韓国演劇史を概観しつつ、日本女優の 影響下に誕生した朝鮮女優の定着過程について検討した。韓国で最初の女優とは、日本の伝統文化で ある女形を移植し、女性演技者に変換したものであり、「初めて室内劇場で女性役を演じる女性のこ と」であった。元々韓国の伝統芸能は、屋外で行われる歌舞的な性格が強く、日本から伝来した劇 場、新派劇が女優の形成に重要な役割を果たしたのである。演技という概念がなかった朝鮮にとって 女形も女優も新しい文化であり、新しい存在であったが、女形から女優に変換する過程は日本と同じ である。日本の場合、女性の感情や心理が重要となる近代劇において真なる女性演技が求められ、女 優の存在が重みを増すことになる。これらのことからみると、朝鮮でも女優は、女性役を演じるに際 して、それまでの女形のような様式的な演技ではなく、女性の心から発するものに形を与えようとす る新しい表現者となり、女優としての本質的な役割を明らかにしていくのである。
第3章 朝鮮映画女優史の展開
第3章では、前章で朝鮮に誕生し、定着した女優がどのように展開していったのかを解明するた め、朝鮮で活動した女優のリスト183名を作成した。舞台における資料が少ないため、映画を中心と して考察を進めることになったが、朝鮮では女優という職業が定着した時期と映画が製作された時期 とがほぼ近接していたので、限られた研究対象でも朝鮮における女優の展開過程を検討することがで きた。筆者が作成したオリジナル資料である「資料Ⅰ」の「朝鮮女優列伝(経歴と業績)」と、「資 料Ⅱ」の「朝鮮女優の活動期間と作品本数」を考察の基本題材とし、ここから見出された朝鮮女優展
開の特徴について、本論では6つに分けて述べている。1.「妓生(ギセン・朝鮮の芸者)の起用」
2.民族映画における「スター」の誕生、3.「プロレタリア女優」の出現、4.「舞台出身女優」の 活躍、5.「エンターテイナー(Multi-talented entertainer)」の登場、6.朝鮮総督府による「映 画令」以後の「映画女優」としての社会的地位の獲得、その6つである。朝鮮女優は、妓生を土台と して民族スターに変貌し、プロレタリア映画によって社会的な自覚へと導かれた。そして、映画の発 展、大衆文化の拡散によって専門的な演技者として成長し、経済的主体として自己を確立し、大衆文 化を導く存在として活躍した。また、戦時下、苦難の時期には、女優の社会的な価値を高める映画人 というステイタスを獲得するに至る。朝鮮映画女優は朝鮮風土ローカリティを基にして商業的な目的 で売り出され、歴史と社会の変換に最も影響されやすい存在として、かつ社会と時代に影響を与えう る存在として、女優という職業を成立させ、発達させてきたのである。
第4章 朝鮮映画女優史における文藝峰
第4章では、対象を文藝峰に絞り、その経歴を「デビュー以前」、「演劇活動期」、「朝鮮映画活 動期」、「戦時下映画活動期」に大別し、演技に関する資料を集め、演技を中心として彼女の業績を 検討した。そして、第3章で確認した朝鮮女優の展開と特徴を基に検討してみると、文藝峰は、朝鮮 女優がメディアの多様なジャンルで活動場を広げていた頃、もっぱら映画界を中心にして活動した映 画女優として位置付けられる。民族映画の中で育まれた朝鮮的なイメージが大衆に人気を博し、映画 界で長く活動することができたのである。女優に演技を教育する機関が存在しなかった朝鮮では、舞 台の劇団がその役割を担い、舞台演技が映画演技の土台となる。朝鮮の舞台劇団に文藝峰も属し、演 技の基礎を身に付け、活動したが、無声映画からトーキー映画の変換期に活躍していた文藝峰は、ト ーキー映画に相応しい抑制した演技スタイルを実現した。これらのことから、朝鮮女優史における文 藝峰は、日本統治下朝鮮の代表的な映画女優に位置づけられるとともに、トーキー映画の演技的先駆 者として評価できる。
第5章作品から考察する文藝峰の位置づけ
第5章では、第4章で行った文藝峰の位置づけを基に、現存する映像資料を通して彼女の演技が如 何に実現していったかを分析した。朝鮮で演技概念を形成した新派劇は、映画演技にも移入され、過 剰な演技表現が見受けられるなか、文藝峰は映画の媒体に合わせた抑制された演技の表現を実現し
た。トーキー映画に出演した女優たちはたいてい顔を上げなかったり、カメラに演じる姿を見せない など、朝鮮の封建社会の抑圧をそのまま露わにすることが多かった。それに反し、文藝峰はカメラの 媒体を活かした演技を見せる。戦時下映画の中でも文藝峰は、戦争イデオロギーが求める女性像を体 現しつつも、内に抑えられた心の動きを表現するために、多くのクローズアップで映され、映画演技 の中で最も重要な内面描写という演技表現を披露する女優として位置づけられる。朝鮮映画界で見ら れる最後の作品として検討した『朝鮮海峡』(1943)は、日本語が未熟な文藝峰が初めて日本語で演 じた作品であるが、批評家から彼女の演技スタイルを認められるものの、その演技は二重性を持つ。
協力と見せかけて抵抗をひそませ、抵抗をにじませながら協力をするというスタイルである。その演 技とは、感情の切除と抑制の演技力と同時に、植民地の政策が最終段階となり、民族性が失われた 頃、抑圧された民族の心を大切にした朝鮮の代表的な女優の表現として読み取れる。
終章
結論として、これまで存在しないに等しかった朝鮮女優史に加えて、一女優に演技者として焦点を あてた本研究を通して、これまで政治的、歴史的な観点にのみこだわっていた文藝峰の評価に新たな 視点を提示する。時代と社会の状況に向き合い、民族の心を共有し、抵抗や協力という複雑な思いを 交錯させながら、演技を通して民族の願いを表現する、そこに祖国を代表する俳優が形成される。文 藝峰は時代の空気に先駆けして新しい女性を表現し、また、抑制の効いた演技によって、日帝支配下 を耐える民族の心を、特に女性の思いを表現した。それは、女優としての成長と同時に、女優の社会 的意味をわきまえた人間としての成熟によるものであった。本研究は、未熟ながら女優としての筆者 の立場からの朝鮮女優史への追慕であり、特に傑出した大先輩女優文藝峰への演技論を中心とする頌 歌である。