This document is downloaded at: 2016-09-18T23:43:21Z
Title
ヒロシマ・ナガサキ通信 No.136
Author(s)
Citation
ヒロシマ・ナガサキ通信 No.136; 1997
Issue Date
1997-11-15
URL
http://hdl.handle.net/10069/36727
Right
© 長崎の証言の会
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
1
ヒロシマ。ナガサキ通信NO136 (1) (24) ’九月七日、福岡高裁は﹁長崎原 爆松谷訴訟﹂の控訴審判決で一審 の長崎地裁判決を支持、国側の控 訴を棄却した。提訴から九年余、 国の主張は再び退けられ、その非 科学的不当な原爆症認定方法と被 爆者切り捨て行政は厳しく断罪さ れた。 国は二度にわたる判決の重みを 真剣に受けとめて、これ以上争う のをやめ、直ちに松谷英子さんの 原爆症認定を行い、現在の硬直し た被爆者行政を転換すべきである。 言うまでもなく、現代の科学で も、原爆放射線による人体への影 響が完全に解明されているわけで はない。﹁その絶対的尺度としてD S師自体をそのまま適用すること− を跨踏させる。﹂﹁調査、審議、判 断の過程には看過しがたい誤り、 欠落があった。﹂という今回の判決 は、きわめて当然である。 政府は、原爆被害を放射線障害 だけに限定し、しかも二キロ以内 で線引きするという、機械的な現 行の認定方法を改め、実態に即し 〆 、国 松
は 谷
原 訴
爆 訟
行 控
政 訴
を 審
直 判
ち 決
に を
転 受
換 け
せ 入
よ れ
、苧
た原爆症認定を行うべきである。 また、アメリカの核戦略に追随 し、国家補償による被爆者援護を 一貫して回避してきた政府の姿勢 そのものを、根本から改めるべき である。 私たち長崎の証言の会は、長崎 原爆松谷訴訟を支援する会の一員 として微力を尽くしてきたが、今 回の裁判闘争から多くのことを学 ぶことができた。 何よりも、真実は必ず勝利する ということへの確信、そして一人 唖画汎や味弛帥垂妨勵糊、一秘唾畦一 団結によってこそ、この勝利がも たらされた、という深い感動を味 わうことができた。 私たちは、この勝利を確実なも のにするため、国側の最高裁への 上告を断固阻止し、現在の原爆行 政と核抑止肯定、対米追随外交の 根本的転換を要求して、さらにた たかうことを表明するものである。 一九九七年十一月九日 長崎の証言の会 、●
、1
ノ ■カンパに感謝します︵敬称略︶ 富田林第一中学校︵二万円︶ 前川洋子︵一万円︶春日野ヤス ェ、永田了子︵六千円︶鈴木洋 子、松田義一︵五千円︶夏田太 ︵四四六○円︶高木里美︵三四○○円︶大場新︵三千円︶渡辺
一夫、吉田恵子︵二千円︶大内 要三、川崎紘平、森重人、角悦子 ︵二千円︶八谷和男︵一二○○円︶ 古浦千恵子、鈴木勝子、柳生淳子、 伊藤普、尾崎節子、神崎郁夫、坂 本キミ子︵千円︶山崎正俊︵五百円︶計二二、五六○円
伯話動日記 ハリ●州叫﹃証言﹄u集の記者会見 9.別、皿﹃証言﹄﹃通信﹄發侭 発送作業 9.邪長崎県母親大会 9.訂、肥公開シンポ﹁日米安■加。伯証言運営委員会
総会を前に、方針、会計、運営 その他について協議しました。① 広島・長崎の今日的課題、日米防 衛ガイドライン問題、日本の加害、 被害問題など新方針に反映させる こと、②証言の会発足訓年。︵塊︶ 記念事業︵﹃旅﹄英語版、﹃逗厘合蕊 記念集会など︶、③碑めぐり活動に●
巳
佐世保港の82%は米軍専用。写真は日本が米軍から借用している立神岸壁。米艦の
接岸中はSSI<(佐世保重工)は仕事ができない。(佐世保軍事問題研究会提供)
一 の を 戸潔箪盟
飛 、 が ぴ そ き粥曽
で 正 言議
拠谷力
、訴#
灘
− −|鱸鰔黙騨億新年特集、ぜひ
︵N︶ ‐ ︵証言の会事務所にて、n名出席︶ を提案することになりました。 委員、とくに編集スタッフの強化 切にすることを確認。また、運営 転載を避け、証言活動の基本を大 の証言記録は原則として他からの しあいました。また、﹃証言﹄掲載 関して、今後の提携の問題など話 ついて、④広島の証言の会発足に 保体制と在日米軍基地﹂︵佐世保︶ 基地調査 蛆。狸広島の高橋昭博氏来訪 蛆・岨証言の会運営委員会 蛆。過留学生と語りあうつどい ︵被災協︶ 加。妬︾世界平和祈念市民平和大 行進、W市民平和のつどい 蛆。肥座談会﹁平和憲法と新ガ イドラインの挑戦﹂ n.1新婦人長崎支部﹁松谷英 子さんを囲むつどい﹂︵被災協︶ uo7松谷訴訟高裁傍聴。勝訴 判決報告集会︵福岡市︶ 一 ﹁核戦争当事国﹂への道 ﹁新ガイドライン﹂という恐る べき詐術が始まった。﹁日米防衛 協力のための指針﹂Ⅱ﹁ガイドラ イン﹂という耳障りのよい言葉で、| 安保条約・憲法の枠内、しかも専 守防衛。非核三原則・国連憲章に 合致すると言う。 しかし、アメリカは﹁核抑止力 を保持するとともに、アジア太平 洋地域における前方展開兵力を維 持﹂し、﹁周辺事態﹂に際して日 本自衛隊は自動的、全面的に米軍 に呼応、共同対処すると明記して おり、そのための﹁作戦、情報活 動及び後方支援﹂を伽項目にわたっ て掲げている。これではまさに羊 くにく 頭狗肉の大ペテン、文字通りの戦 争マ’一ユァルそのものだ。 加藤周一はこれを﹁白紙委任状 だ﹂︵朝日、9月沁日︶と言い、小 川和久は﹁橋本首相は国民に〃戦 争当事国″になる覚悟を問え﹂ ︵週刊現代、n月晦日号︶と主張する。 だが、これはアメリカの﹁核の 傘﹂を前提とするガイドラインで あり、核戦争が始まれば日本は核 出撃基地となる。我々はこの策動 を断じて許さない。︵通信編集部︶’
− ー 一 − ANewsletterfromHlROSHIMA−NAGASAKl上 …
1997.11.15 定価年1500円(送料含む) 発行長崎の証言の会 事務局 〒852長崎市目覚町25−5 (a・FAXO95-848-6879) 〔主な内容〕松谷訴訟高裁判決 (渡崎均)2,座談会。平和懲法と 新ガイドライン4,ヒロシマは今 (高橋昭博)7,佐世保シンポ報告 8,広島の証言の会設立11,語り 部の夏(吉崎幸恵ほか)12,語り 部後継者を13,「傷だらけの手」 アメリカ巡演(若林彰ほか)14. 原爆を描く(崎田昭夫ほか)16, カシニ探査機の危険性20’
ヒロシマ・ナガサキ通信Nql36 (4) (5) が自衛隊、安保を認めながら、憲 法九条の改正にはあくまで反対し ている。しかし、それでもなお、 現実の豊かさを維持し、安保、自 衛隊を肯定するという現状追認的 な平和意識があり、なしくずしと なって本当の歯止めがかからない。 とくに気掛かりなのは、国際貢 献、国際協力、国際理解という意 識がすごくのびていることです。 だが、そこでは非軍事の限界を設 けるという意識が形成されない。 新ガイドラインの詐術と欺備 鎌田ガイドラインの基本とし てうたわれている﹁日米安保の枠 の内﹂﹁憲法の制約範囲内﹂﹁専守 防衛﹂﹁非核三原則﹂など、また 深まる危機から脱却への道を 鎌田﹁日米防衛協力指針︵ガ イドライン︶見直し﹂の中間報告が 6月9日発表され、9月躯日には 本決まりとなりました。長崎平和 研究所では、9月”日、佐世保で 公開シンポジウムをやりましたが、 これは明白な違憲、戦争マニュア ルそのものだと言われています。 一九五一年の日米安保条約では、 米軍による﹁日本防衛﹂を主眼と し、そのために基地を提供すると いっていたのが、六○年の安保改 定では﹁極東の平和と安全﹂が強 調されました。しかし今度は﹁ア ジア太平洋﹂の平和と安全へと拡 大し、﹁周辺事態﹂での米軍の参戦 に国をあげて協力する、まさに新 たな国民総動員体制です。 そこで今日は、五、六十年前の 戦争体験を振り返って、今日の事 態をどう分析し、戦争へのガイド ラインでなく、平和へのガイドラ インを構築するために、いま私た ちは何をなすべきか、率直に論じ てほしいと思います。 ●緊急座談会平和憲法と新ガイドラインの挑戦
(写真は左から鎌田,阿部,内田,舟越の各氏) ﹁国際法の基本原則﹂﹁国連憲章﹂ などの表現で幻想を持たせ、反論 させない。具体的内容からそれに 反論していくことが必要です。 舟越﹁理想と現実﹂の二元論 的言葉の魔術が進行して、現実と の矛盾をつかれることもなく、こ の卵年間日本人がおかれてきた歴 史がある。﹁自衛隊﹂﹁防衛艦﹂や ﹁周辺事態﹂こうした言葉の裏に軍 隊、軍艦、戦争マニュアルという 現実が見えなくなっている。 阿部こんどは防衛庁を省に昇 格させよとまで言いだした。安保 条約には﹁日本がアメリカの安全 を保証する条約﹂と明記してある。 内田弱年の砂川事件。伊達判 決では、﹁安保による米軍の日本駐 留は違憲性の濃いもの﹂とあった が、最高裁が﹁日本の戦力不保持 の建て前から生ずる防衛力の不足 を補うことは違憲ではない﹂とい う巧妙なすりかえで合憲としまし た。新ガイドラインでもそうした すり変えが特徴的ですね。 舟越これまでなかった戦争マ ニュアルが、これでようやくその 手順ができたという事です。それ は非常に細部にわたって作られて いて、政府や軍が確実に簡単に介 入できる仕組みがある。 阿部条約ではなくガイドライ ンであることが問題。政府間協議 で既成事実を作るやりかたです。 昭和十年代の国家総動員 阿部南方のハルマヘラに陸軍 中尉としていたとき敗戦。二十四 涼死した。翌年六月帰国。﹁戦争を 使唯した﹂として公職追放となり ました。使唯した覚えはないが。 しかし、軍国主義的なものは強く 残っていて、部下にも﹁民主主義 といっても、日本は立憲君主国だ から、民が主になることはない﹂ などと訓示していた。だから、い までも戦友会では、なんであんた が社会党かといわれます。戦争体 験があるからこそ反戦にもなる。 鎌田新ガイドラインは、戦時 中の国家総動員法のようなものだ と当時の体験者は言いますね。 阿部﹁有事の際に民間施設や 労務を供給する﹂とあり、空港港 湾に限定されていない。まさに国 家総動員法です。昭和十二年、近 衛内閣が.国一政党﹂の新体制 を発足させて、翌年の国家総動員 法成立となった。これには財政、 経済、通信、交通、生産⋮⋮と、 あらゆる分野を含んでいる。これ 元長崎県労評議長 長崎大学教育学部教授 長崎の証言の会代表委員 ︵司会︶●
●
阿部国人
舟越歌一
内田伯
鎌田定夫
昭和加年代の太平洋戦争以前の状 況に酷似してきましたね。 危機と国民世論とのギャップ 舟越国民がこの現実に目を開 くチャンスをどう作っていけるか。 一見、安穏な生活、イデオロギー 対立も見えず、他方、政治不信、 無関心はっのるばかり。総評ブロッ ク解体で平和運動のかっての力が 消えた。これらが相乗効果的に作 用しているようです。 阿部しかし、国内法改訂でも し憲法9条に抵触すれば、簡単に は押し切られないのではないか。 内田国民の生命財産を守る基 本的権利という点で、憲法を盾に した国民世論に期待したい。 鎌田アジア太平洋からみると、 すでにあちこちの国から危険信号 が発せられていて、言葉のアャで 乗り切るわけにもいかなくなって いる。日米軍事同盟の強化、アジ アのなかの新たな覇権、政治経済 的影響力について、中国やASE ANなどには非常な危機感がある。 民間のジャーナリズムからもかな り批判が強まっています。 舟越日米中のアジアでの覇権 争いがあるが、アジァヘのスタン スという点では米中は共同の基盤 で対立している。日本は別で、戦 前戦後の日本の立場をふまえて行 動すべきなのに、アメリカの後に して成立します。 暴走するな﹂という付帯決議を付 議論の末に﹁政府は慎重に運用し が国会で審議され、かなり激しい 続いて、﹁国民職能申告令﹂がで 虐旋謡徴用が始まる。いわゆる ﹁白紙召集﹂です。その後はもう国 会にもかけず、政令、通達でどん どん進めていく。﹁朝鮮人労務者内 地移住に関する件﹂なども内務と 厚生の両次官通知です。 太平洋戦争の始まる前年の帝国 議会の議題はもう﹁太平洋戦争参 戦﹂です。すべての政党がバスに 乗り遅れるなと競い、まもなく農 民組合や労働総同盟、総評などす べて解散し、大日本産業報国会に 一本化してしまった。大政翼賛会 もその前月に発会しています。 誰ももう反対できない。法律よ り天皇の勅令優先です。これが太 平洋戦争突入直前の状況でした。 内田私は開戦の時は国民学校 六年生で、すっかり軍国少年でし た。中学に入学すると配属将校が いて、航空隊に勧誘されたり、聖 戦思想をたたきこまれた。三年の 二学期には軍需工場ゆきです。原 爆の日まで三菱兵器大橋工場でずっ と働いていました。 鎌田泓も同学年です。初めは まだ生活綴り方的な部分もあった が、五年生の頃、紀元二千六百年 祭や日独伊三国同盟参加の頃から’
●
0
一一一一一一■ーー一一一一一一一一一一一_______ 急変した。昭和十六年、国民学校 令が公布され、十二月、真珠湾攻 撃です。ものすごいスピードで戦 争にまきこまれ、﹁戦争する人間﹂ に変えられていった。 新有事立法と改憲への動き 鎌田話をもどします。有事立 法については﹁三矢作戦﹂だとか 以前から何回か国会で議論になり、 そのつど国会と世論にたたかれて きた。ともかく軍事的マニュアル を米軍と自衛隊は必要としていた のです。今度はそれが六月ごろか ら一挙に出てきて、米日両国政府 と官僚の作文をもとに、国会の論 議もなく進め.られてきた。 一方で建て前としての憲法はい じらず、実質は違憲、議会制度自 体が危機的状況になっています。 舟越憲法はいじらぬと言いな がら、改正のための常任委員会を 作ろうとしている。推進派は与野 党を含め相当な数になっています。 有事があり、常設委員会ができれ ば、もう一挙に憲法改正へといく 可能性がある。しかも、新ガイド ライン反対の立場はそれぞれ違う。 現実への批判の力もないと思える くらいで、もはや風前の灯です。 しかし、空洞化されながらも、 − なお憲法が歯止めになっているの が現実なんですね。この力がどこ にあるのか考えたい。国民の多く 鎌田戦後補償も満足にやって一ついて回るばかり。 いない。ODAなどに期待して表 面的には端的な対日批判はしなく とも、本音では不信感が強い。国 内でもこの日本の姿勢への批判は 強くなりつつあるのではないか。 平岡広島市長の﹁核の傘からの脱 却﹂︵平和宣言︶はその象徴的なも の。長崎の平和宣言も基本的には 同じだと思う。しかし、これが新 ガイドライン問題と不可分だとは 必ずしも認識されてはない。それ だけアメリカや日本政府の情報操 作もうまくなっている。戦争ガイ ドラインでなく、﹁平和へのガイド ライン﹂をはっきり打ち出せる力 を日本の平和勢力が作れるかどう かが問題です。 内田長崎空港に300回をこ す米軍機発着、という事態に、大 村市議会でも﹁空港の軍事基地化 に反対﹂との意見書を採択した。 大村市には自衛隊関係者が一万人 以上いる中でのこと。実は一九七一 一年の長崎空港開設のとき、﹁新空 港の軍事利用反対﹂と時の久保知 事が地元と覚書を交わしている。 阿部軍事基地化反対というよ り、軍事利用反対という表現の方 が妥当ではないか。基地ではない と言い逃れられる。新ガイドライ ン決定以後は具体的マ’一ユアルと して実行される。沖縄も基地協定L
星
毎 − − − − − − − − − −’
(6) ヒロシマ・ナガサキ通信Nql36 (7) 11 永唯諏塘繩糊旅嬉“軸に竺錐鋤伸一 のままでもやれる。 鎌田佐世保でのシンポジウム で、県知事、市長など、基地のあ る4つの自治体に招待状を出した が、沖縄県知事だけメッセージを 寄せられた。佐世保の基地調査で は、港の塊%が米軍による占拠状 態で、住宅のそばに弾薬庫がある。 最近、大きな医薬品倉庫が造られ た。最悪の時は核戦争を想定しな ければ、現代の軍事科学とは言え ないでしょう。そうなれば後方支 援ということで、輸送、食糧、医 療、修理、情報など、日常生活の 全分野にわたった作戦協力に長崎 県全土が巻き込まれることになる。 自治体もよほど本気にならないと 住民を守ることはできない。 ピースガイドラインの構築 鎌田いま私たちは何をなすべ きか。散発的な反対運動を持続的 で強大なものにしていく方策は? 阿部なぜ六○年安保のような 大闘争が盛り上がらないのか。こ こに至った長い歴史的経過にまで 言及する余裕がない。毎年、安保 肯定派はふえ続け、安保による占 領という実感がない。 舟越日本国民のアメリカへの 幻想は強い。韓国・中国は眼中に ない。その中で沖縄も佐世保もす 平和祈念館建設をめぐって l被爆者追悼平和祈念館の建 設がなかなか進展しないのは何が ネックになっているのですが? 高橋平和祈念館の理念をはっ きりさせてほしいというのが、被 爆者団体の強い要望です。要する に、戦争責任を明らかにすること、 将来に向けて核廃絶ということを 建設の理念として、なんらかの形 で明記してほしい。国や厚生省が 難色を示していますが、このまま では被爆者団体はゴーサインは出 さない。それでも建設を進めるの かどうか。 建設場所としてはレストハウス と平和公園の間に地下方式で、と 考えられているが、これには反対 意見も多い。追悼の施設を地下に 置くというのは私も反対ですね。 l施設の機能としては? 高橋長崎は国際交流で、広島 はデータベースを主体にし資料収 集的な目的を中心にする、とされ’
■インタビュー高橋昭博氏に聞くヒロシマは今⋮⋮
︵聞き手・鎌田定夫︶ 去る扣月脚日、広島の高橋昭博さんが長崎平和研究所 を訪問されたので、一時間ほどインタビューした。高橋さん は被爆を語る数冊の著書もある元広島原爆資料館長。 ’ べてものすごく基地機能は強化さ れつつあり、矛盾は深まるばかりだ。 阿部基地反対の沖縄でも、基 地の経済効果論が出始めた。大村 市などの場合も同じような問題が ある。安保条約は近代的に条文化 されているが、満州国をつくる時 の﹁日満議定書﹂などはまったく 安保条約と同じです。 舟越運動のスローガンですが、 ﹁反安保﹂でいけるのかどうか。 ﹁改悪反対﹂、﹁見直し反対﹂なのか。 現状では﹁反安保﹂だけでは難し いのではないか。 鎌田即効性はないかもしれな いが、憲法9条と前文を繰り返し 主張、鮮明にしながら世論の反撃 に期待して取り組んでいくしかな いのではないでしょうか。 平和宣言でも、﹁謝罪﹂﹁戦争責 任﹂は自治体としても言うべきこ と。それがアジアでの真の信頼醸 成の基本になる。そこを結合する 言葉にまだ成功していない。 アメリカの戦略でも、冷戦後は 情報操作に非常に神経を使ってい る。すべて数値化し、情報分析し、 政策を立てている。核。基地・被 爆。戦争体験を結合して、若い世 代に語りかけることが必要です。 阿部かっての朝鮮戦争、ベト ナム戦争の場合にも後方支援は行 われたが、今度は日本が介入する 側に立つことになる。 ています。すでに体験記は広島市 原対部が全国から集めています。 平和文化センター、広大原医研資 料センターの宇吹暁さん、中国新 聞社などもそれぞれにやっている。 それらを将来ネットワークで結ぶ 必要があるでしょうね。 祈念館については、いま日本被 団協など被爆7団体が交渉に当たっ ていて、検討委員会や厚生省との 接点をさぐっています。検討委員 会には伊東壮さんらも加わり、も う発足後一年以上になります。 l長崎も理念問題は同じです。 高橋﹁長崎を国際交流の場と する﹂というのなら、アジアとの 関係から見ても、戦争責任の問題 はますます避けられないでしょう蝿 本島発言とヒロシマ ー本島発言に関していろいろ 議論が続いていて、広島県被団協 からの抗議などもありましたが。 高橋先日、ユネスコ協会主催 の会で平岡市長が講演しました。●
●
鎌田被爆二世教職員の会のよ うに、アジア民族や自治体相互の 国際交流をすすめ、軍事力など必 要としない状況を下から作ってい く。まさに平和のガイドラインを 実践的に打ち出していくこと。舟 越さんたちのピースバスのような 活動の応用を各地でやれるといい。 舟越私自身の反省でもあるが、 どうも最近は反核と反戦が分離さ せられている感じがある。 鎌田そこをもっと結びつけて いくたたかいが必要です。広島や 長崎では、安保や沖縄はなかなか 言わないが、反核は言うという姿 勢が一般的だが、考えてみれば非 核と反安保・反戦は不可分なもの。 原爆だけでなく、戦争の証言活動 が非常に重要です。被爆者だけが 原爆を語るのでなく、今こそすべ ての体験者と未体験者が、核と戦 争を結びつけて語る、新しい証言 連動を展開すべきです。 舟越731部隊はかなり語ら れてきたが、南京虐殺はまだ少な一ぃ雛験賭鵬灘蝿篭消
や中国に出かけているが、まだほ とんど真実は語られていない。戦 友会などで懐旧談が語られる程度 です。 鎌田長崎平和研究所発足の記 事を読んで支援を申し出た戦友会 有志もあるが、まだ圧倒的部分が そのとき平岡さんも本島発言に言 及しました。 私も同意見ですが、広島はおごっ てはいない。反省もしている。だ が、当時は広島市に自治は認めら れず、軍と国の権力は絶対的だっ た。戦争は国軍によって行われた 国家的責任の問題です。国家と国 民を区別すべきです。国が責任回 避をすれば広島に責任があるとい うことになるのか、それは違うと 言いたい。朝日新聞の論壇︵大阪 版︶にも書いたが、人間としての 反省に立って私たちは証言運動を しているのです。 l﹁アウシュビッツ、ヒロシ マ、ホロコースト﹂論については。 高橋これはいずれも国家によ る犯罪です。アウシュビッツとヒ ロシマの連帯が必要なのです。人 数としては比較にならないが、戦 争犯罪としては、アウシュビッツ、 ヒロシマ、ナガサキ、いずれも同 じという位置づけはすべきでしょ う。南京虐殺も同じですね。 峠三吉を引用されたが、﹁ちちを かえせ、ははをかえせ﹂は、広島。 長崎だけじゃない、すべての戦争 に対する人間の叫びです。 沖縄。アジアとの交流・連帯 l広島では被爆7団体が提携’
●
●
一 ︵7頁よりつづく︶ 海外の人の多くは日本の植民地下 にあった人々です。中国、朝鮮人 などの被爆は強制連行などの結果 起こったことです。その人たちは 戦後長く放置されていた。私たち はどうしても被害中心に考えてし まいがちで、反省しています。 lそれは長崎市も同様です。 証言の会や被爆二世教職員の会な ど、市民運動の側の取り組みはこ の三十年持続し、先日のマレーシ アでの戦争。原爆展の実現にまで やっと辿りついた。本島発言に聞 くべき点があるとすれば、この点 ですね。しかし、これを市民全体 のコンセンサスにするまでには、 もうすこし時間が必要ですね。 高橋さんもお体大事に、今後と もご活躍ください。︵文責。編集部︶ の声をあげてほしい。 逝くのでなく、勇気を出して真実 沈黙しています。黙ってあの世へ 非核。不戦のガイドライン構築 のために、新たな証言運動を提唱 したい。長時間どうもありがとう ございました。 二九九七年十月二八日、長崎平和研 究所にて、文責。編集部︶ 斗症抑鑑騨い鍜柵墹伽雛腓勝部剛一一 際的連帯の方はいかがですか。 高橋原爆資料館長が沖縄に呼一 ばれて行ったので、今度は広島へ一 沖縄の方を呼ぼうとしています。 l長崎では市長が小中学生三一 百人をつれて沖縄へ出かけ交流し ています。これをアジア各国との 市民的交流に広げてほしい.⋮:。 高橋去年の広島平和宣言には ﹁すべての戦争犠牲者に思いをはせ る﹂という一項がとりいれられま した。実は去年、沖縄県の﹁平和 語りべの集い﹂に招かれ、対馬丸 や集団自決体験などが出されまし た。終わってから、母と妹を手に かけたと言う方が、﹁高橋さん、広 島・長崎に比べたら、私たちの体 験は微々たるものです﹂と言われ た。私は﹁とんでもない。原爆で は自分の知らぬまに死んだ。肉親 を自分の手にかけるというのは大 変なことです。﹂と言いました。 6月羽日の平和祈念式典で、大 田知事が﹁広島。長崎を忘れては いけない﹂と言われたが、広島。 長崎の平和宣言に沖縄の問題が言 われたことがあるだろうかと反省 させられました。それが去年やっ と﹁すべての戦争犠牲者に思いを 馳せる﹂という文言になったわけ です。広島で被爆した︵前頁下段へ︶ ー ■■■■■■−‐. ー − F 一 一 一 ー ' 一 一 一 一 一 ‐ 一 一 一 一 一 ・ 一 一 一 一 や一軍一一一一一一q−r−一一’ (8) (9) ヒロシマ・ナガサキ通信NQ136 I この公開シンポジウムは長崎平 和研究所・九州地区平和学会の共 催で一九九七年九月二七日に佐世 保市の長崎県立大学で開かれ、一日目 は報告と討議、交流会。二日目の 二八日は佐世保基地調査を行った。 、基調報告︵前田哲男︶ 一九九七年は日米ガイドライン が結ばれた年、しかしこれは歴史 への逆行である。危険な点は①政 治の不関与。審議官、課長、制服 組の主導で作られた。②国会の不 関与。政府は国会にはかるつもり はないといっている。これは民主 主義の危機だ。③内容の危険性。 安保条約が決めていないこと、 その正当な解釈をふみこえていて、 下からの安保くずしであり、憲法 の空洞化である。周辺の事態に、 つまり日本の外で発生したことに 自衛隊単独または日米共同で対処 しようとしている。 外へ向けてのガイドライン。機 雷の除去は他国の戦争に介入する ●公開佐世保シンポジウム・レポート
﹁日米新安保体制と在日米軍基地﹂
l沖縄・佐世保。岩国。横須賀l
︵長崎平和研究所研究員︶末永浩
ことになる。第三国船舶の臨検で は攻撃されることもあり、新しい 次元への展開となるだろう。自衛 隊による物資︵武器・弾薬・燃料を 含む︶の輸送や補給は日本攻撃が 前提ではない。 内に向けたガイドライン。地方 公共団体の協力や民間企業の活用 が必要となる。それには法律や政 令、行政指導が必要となり、次期 国会に有事︵戦時︶法制が出てくる。 それは地方自治の破壊、基本的人 権の圧迫、財産権を侵す。 民間施設の一時利用はもう始まっ ている。小樽港への空母入港、佐 世保、鹿児島、東京、函館への入 港。これらの既成事実は有事立法 で義務となる。災害救助法では医 療・建築・運輸の従事命令等につ いては罰則があるが、自衛隊法で は全く同じ条項ながら罰則がない。 その罰則をつくるだろう。 ドイツの米軍基地は記%閉鎖、 フィリピンには全くない。日本だ けが唯一の例外だ。私たちは地方● ●
一 ②基地報告 ④佐世保の報告︵今川正美︶ 米国の意思をみせつける分散入 港。原潜はこれまでに百十八回、 今年は十七回で、長期滞在型へ。 冷戦中は岸壁につけなかったが、 一九九一年より赤崎岸壁につける。 米国内規程では五百米以内に民家 があってはならないのに、追及さ れると一切関知しないと返答。 原潜母艦のために赤崎岸壁を拡 充し、四四億円の思いやり予算。 グアムより点検整備を移転した。 それに医療品の入れかえ。入出 港をずらじ、反応をいちいちチェッ クしている。自由に出入りしたい のだ。市対策課もカンカンに怒る。 SSKへ第三ドックを明け渡せと いう。半年あけ渡すと経営ができ ない。そのための浮ドックの借用 料が十八億円。基地問題に取り組 まざるをえなくなっている。 ⑧岩国報告︵田村順玄︶ 自治や憲法を守っていかなければ ならない。非核証明を出さないと 入港を認めないという神戸方式に も学ばなければならない。 このガイドラインは究極的には 中国をにらんだものといえよう。● ●
もう一本の滑走路移設事業は思 いやり予算で千六百億円。隣接地 を埋め立てて一・四倍の広さへ。沖 にな 縄基地縮小を岩国に担わせようと いうのではないか。超低空飛行、 爆破処理、基地内の自由使用をは かっている。新ガイドラインは全 土基地化で、安保の被害を受ける。 ◎横須賀報告︵清水昭司︶ 基地機能が強化拡充された。横 須賀が空母など十二隻の母港化。 佐世保は六隻の母港化。米海軍の 海外母港は日本だけで世界に例が ない。空母の航跡をみれば、世界 を桐喝して歩いている。中国と北 朝鮮が仮想敵か?日本も軍備を一 強化し、米と共同訓練をしている。 海中は常時戦事体制。米は日本の どこかに核を置いている。ガイド ラインは米では戦争マ’一ユアルだ。 ③佐世保基地調査 九月二八日、午前十時、私達三 かしまえ 五名は佐世保の鹿子前から第四瀬 川丸に乗り込み、佐世保港の基地 巡りをした。︵解説。篠崎正人氏︶ 九十九島は百六十七の島々があ る。クロスから名付けられたとい う黒島はキリシタンの島。かつら 島とおじか瀬は米軍艦砲の標的に’
’
− ーー_‐ニーーーー_==−_一一 したいとの申入れに反対運動が起 り、とりやめになった。真珠養殖 の筏、ハマチや鯛のいけすもあり、 平戸か五島の島々がかすんでいる。 天気の良い時には大島造船所のク レーンも見える。 港口は約八百米、その中央の四 百米を船が航行する。左側は松浦 藩、右の西彼半島は大村藩、それ ぞれの見張り所︵番所︶があった。 当時から船の出入りが多かった。 右に横瀬浦が見える。一五六二 年にポルトガル船が入港し、開港。 王直らも来た。ハチの子島に十字 架。島や半島の海岸に米軍基地の 金網のフェンスがみえる。燃料補;’
州蝿鵜鐙蝿淵娼盤総瀞鰕濡鱸雛鯲淫た謡懲騨總辨スコまで
国旗がみえる。八十六万皿貯蔵でている。処理のとき、近くに石こあり、約二千八百人。建物に日本、 き、フェンスがぐるりと取り囲む。ろが飛び散ることがある。みるとアメリカ、国連の旗がみえる。も針尾の無線塔がみえる。船は港山の上に住宅があった。とLSTの船のホテル。
の中心部に向って進む。港内は長灰色のホバークラフトがみえ、第二談衛隊のクラマ、コンゴウ、 崎港の八倍の広さがあり、そのう和∼開ホーンの騒音を出す。一八サワカゼ、サワギリ、アサギリ。 ちの腿%が米軍接収海面。海面は○二○馬力で搭載能力はM1は一一∼九号岸壁は米軍のもの。四、 A︵比較的自由︶、B、Cと分かれ、両、装甲車は4台、トラック蝿両。五号岸壁のみ、金を米軍に払って 水面の活動はかなり制限されてい先方の灰色の軍艦は海上自衛隊使用している。 る。マーカー︵投錨︶がある。ここの船。護衛駆逐艦、センダイ︵2ダビューク、ベローウッドがいらでいつも海上抗議デモをする。32番︶二一○○トン。る。ウエルカムの字がみえる赤崎
停泊はできない。右側に海上自衛隊の施設、日本岸壁。ドライドックがある。SS
うら郡しら 浦頭へ入って行く。今、引揚公で二カ所しかない磁器測定所。右K第三ドックもみえる。朝八時に 園、資料館がある。かって引揚港手に退役艦ミクマ︵217番︶が動佐世保を出港すると、沖縄に翌日があり、ここから徒歩で峠を越えいている。午後二時つく。急襲上陸用舟艇L
て針尾練兵場跡の宿舎に入り、南右手に米軍前畑弾薬庫が見える。CAC三隻、グアムから来た船、 風崎から全国各地へ列車で向った。明治時代建設のトンネル。ハイテ給油設備がみえる。コンテナ船も 森繁久弥、加藤登紀子らもその中クミサイル保存?長距離ミサイ利用できる。廃油処理船がいる。 にいた。もう当時の面影はない。ルは保存していない。赤や青の標私達の船はまた外へ向う。右手 いおり ここで亡くなった人一万数千を識、マスク用意とか書いてある。の山に中世の城趾がある。庵崎給 埋葬したのが釜墓地。その隣りに①のマークがみえる。その上の方油所は日米共同使用。米軍針尾住宅地がある。の山に住宅がある。この場所はテすべての米軍基地をみた。これ一
左に港口がみえて、中は広い。|ロに弱い。 |では商業港としては絶望的である。 針尾弾薬庫の方へ向う。米軍と自 衛隊のがあり、迷彩がほどこして 前畑埠頭は二、三万トン級が接一佐世保港と長崎空港は一体のもの 岸できる。西九州倉庫の建物や砂一である。波をけり進む自衛艦は海 ある。トンネル式、中は不明。調の山がみえる。大きな埠頭が使え上警備が任務。右手の山に通信所、 査にも答えず、調べていたところないので、佐世保は商業港として要塞砲跡も残る。平戸藩こうご崎 にパトカーが来て、中へ入れないは発展できない。自衛艦︵219雪、番所跡には常時二十人がいたとい ようにしたという。型のトンネル’667と669はペルシャ湾に行っう。十一時に鹿子前に戻った。■ (17) ヒロシマ.ナガサキ通信NQ136 (16)
鶴文乃様
先日はお忙しいところをお手紙 下さいまして、また貴著﹃長崎の ひと 女﹄までご恵贈いただき、感謝い たしております。 早速拝読いたしました。私も被 爆者の一人として、共感するとこ ろが多く、身につまされる思いが しました。 しかし、もしこれがノン・フィ クションであるとすれば、文中の 母親治子さんや娘の美生さんが、 家庭環境や原爆被爆に対する偏見、 差別などに負けず、未来に希望を もって、もっと積極的に生き抜い て欲しかったと思います。 鶴さんもご存じのように、広島・ 長崎の被爆者は終戦後五十年以上 も、何らの援助もなく放置されて いましたが、昭和三十二年になっ て、初めて原爆医療法が制定施行 され、原爆病院も建設されました。 治子さんたち親子も、病院へ行 [往復書簡]原爆を描くこと
崎田昭夫。鶴文乃
しかし私は、生まれた赤ちゃん、| 佑美子の行く末を思うとき、その 誕生を喜ぶよりも、不安が先立つ のをどうしようもありません。せ めて健やかに育ち、その将来に幸 杯の生き方だったのでしょう。 んが、彼女にとってはそれが精一 もいえる生き方には賛成できませ が⋮..⋮。。 り偉そうなことは言えないのです 目にあった経験があるので、あま の選択を誤り、それぞれにひどい す。とはいっても、私も妻も病院 と思うと、非常に残念な気がしま た人生が開けていたかも知れない けておられたなら、あるいは違っ たりしないで、徹底的な治療を受 くのをいやがったり、素人判断し ともあれ、この物語で、一番哀 れに感じたのは、美生さんが最後 に危篤状態で救急病院に運びこま れ、手術室で女の子を出産して亡 くなられたことです。:⋮・⋮美生 さんの病気に対する無知、無謀と● ●
多かれとひたすら祈るばかりです。 実は私はこの感想文を書きなが ら現実と文学作品を混同している ような奇妙な思いが頭からはなれ ませんでした。それはこの物語が 自分史でなく、小説として表現さ れているからだと思います。 でも、私は、私や家族が被爆以 来体験してきたことや、他の被爆 者を見聞してきたことなどを思い あわせ、ここには多少の文学的表 現があったとしても、事実が述べ られているにちがいないと思って います。 申すまでもありませんが、原爆 は一瞬の間に老幼男女の区別なく、 三十五万人以上の一般市民を虐殺 し、あるいは重軽傷を負わせまし た。辛うじて助かったものも、放 射能障害で次々に死んでいきまし た。あれから五十二年たった今も なお、原爆症で苦しみながらこの 世を去る人があとを絶ちません。 物語の中の治子さんや美生さんも その犠牲者の一人だと思います。 原爆はあのときむごたらしく焼き 殺された人々にとって地獄だった と同様に、生き残ったものにとっ ても、また地獄でした。そして、 被爆しなかった子や孫までが被爆● ●
− ー は今更ながらに被爆者としてのみ ならず、人間としてはげしい怒り を覚えます。 私たちはこれまでの長い年月、 世界の平和を愛する人々とともに ﹁世界平和。核兵器廃絶﹂を訴えて きましたが、残念ながらまだその 目的を達成していません。 被爆者はだんだん高齢化し、体 力、気力も日増しに衰えてきまし た。何年かあとには全然活動でき なくなるでしょう。地球と人類の 未来はどうなるのだろうと強い不 安を感じずにはおれません。幸い、 鶴さんのような優秀な後継者がお られますので、これから先もよろ しくお願いいたします。 先日、証言の会でお会いしたの をご縁に、自己紹介がわりに私の 記事が載っている﹃証言﹄第8集 と第加集のコピーを同封します。 鶴さんはフランスと日本を行き 来しておられるそうで、大変ご多 忙のことと思います。どうかお体 に気をつけて、ますますのご活躍 一 をお祈り申し上げます。 七月二十一日 きればならないことを思うと、私 者の苦しみや不幸を背負って生’
− − − ‐ - - ‐ ‐ − ‐ ‐ ‐ 一 一 - - ‐ 一 ‐ − = 一 一 ど P ‘ = 一 三 としたら、崎田様のように生きて最近は子どもたちにしっかり平 崎田昭夫様 くることができたか、そして、家和の大切さを伝えねばと思ってい 台風が近付いているとかで風が族はそれをしっかり支えられたかます。﹃証言﹄は私のバイブルで、強く吹き始めています。九州の方どうか:⋮⋮.。この中からヒントを得、できるだ
は台風の中ではと心配です。この小説は、私と同年輩の女性けバランスよく︵被爆者だけが叫ぶ 長いお手紙をありがとうございが白血病で死亡したことをきっかような作品ではなく︶創作していこ ます。崎田様の誠実さがひしひしけに、私の周囲から見聞したことうと思います。 と伝わってまいりました。拙い小を参考に小説化したものです。ここ作目の﹁ところてんの歌﹂を 説をていねいにお読みくださっての中で、私は人間のたくましさな娘たちが英訳と仏訳にしたとき、感激です。ど書くまいと思いました。﹁戦争﹂ボランティアで最終チェックをし
現実と小説の世界を混同すると自体のむごさを表現しようと。もて下さったアメリカ人が、﹁これは 書いてくださいましたが、私は当う一つは、アジア滞在で知った両方の視点が入っているから⋮..:と 時四歳でしたから、実体験として﹁アジアの人々の犠牲﹂を視野に入と快く見て下さったそうです。こ はあまり記憶がないのです。ただ、れて、書こうと思い、ほんの少しれから世界に伝えるときは、その あのとき兄︵当時十六歳︶と父が亡ですが、その辺も入れました。スタンスが必要だと痛感していま くなりましたので、その後の生活美生は原爆には勝てないのだけす。﹁核﹂の恐怖は知られているよ は大きく変化し、母が苦労したこれど、したたかに自分の命を地球うでも、まだ実感としては伝わつ とは、私の肌の粒子の一つ一つまに残していく。しかし美生は被爆ていないと外国にいると感じます。 で染み込んでいて、それが創作の者として屈折した思いをもって死拙い作品を読んで下さいという エネルギーになっているかと思いんでいくという設定にしました。のはとても勇気がいることですが、 ます。兄は崎田様と同年齢で、生ほとんどの小説が、悲惨な境遇それが唯一自分ができる反戦運動 きておりましたらきっと同じように置かれてもたくましく生きていではないかと常に自分をプッシュ な境遇にあったかと思います。全く人間讃歌になっていますが、私しています。これからは外国に向 身やけどで、四日後に死んで行きは﹁戦争﹂を書きたいと思っていけどんどん発信していかねば、核ました。ます。つまり、崎田様のように感だらけの地球をもとに戻すことは
崎田様の書かれた文章は読んでじて下されば、私の気持は伝わっ不可能だろうと考えています。おりましたが、お会いしたときにたということです。どうぞ、崎田様の世代から、私
は結び付きませんでした。厳しい苦労をし尽くして報われずじまたちが上手に﹁平和への思い﹂を 人生をよくぞ歩いてこられたと敬いの老人たちのことも書いておか受け継いでいけるようご指導下さ服するのみです。兄が生きのびたねばと思ったわけです。い。暑いので、きっと体中のキズ
が痛まれることと思います。︵心の一 中も︶どうか無理をなさいません ように。できるだけ細く長くご活 躍下さいますよう、お祈りいたし ます。 七月二十七日 ■崎田昭夫さんI略才の時長崎市銭座 町︵叩キロ︶で被爆。原爆青年乙女の 会、長崎の証言の会会員。 ■鶴文乃さん14才の時長崎市滑石町 で被爆、父と兄を失う。﹁長崎の女﹂ ﹁ところてんの歌﹂﹁つつきれ下駄とズッ ク靴﹂ほかの著書がある。 [新刊紹介] ■直野章子著 ﹃ヒロシマ・アメリカ l原爆展をめぐってl﹄ 一九九五年の﹁スミソ|一アン原爆展﹂ をめぐる〃事件〃は今も私たちの記憶 に新しい。その年、アメリカン大学で 開催された原爆展は、いわば﹁広島市 初の本格的な海外原爆展﹂として話題 をよんだ。本書はこの原爆展の開催に あたって日米の架け橋として決定的な 役割を果たした著者︵広島出身の被爆 二世、カリフォルニア大院生︶の垂苛身 大″の記録である。日米の落差、被爆 の意味、そして何よりも人間の可能性 を深く考え感動させられる。 ︵渓水社、本体一二○○円︶ ■長崎平和研究所﹃長崎平和研究﹄ 第二号二つの公開シンポジウム︵諫 早湾干潟事業の菓実を洗う、核軍縮と核 被害。原子力政策を考える︶と第一回 研究員会議の全記録○︵本体伽円、発売・ 平和文化、研究所直送は送料とも千円︶1 (21) ヒロシマ・ナガサキ通信Nnl36 (20) ウェスチングハウスやジェネラ ル・エレクトリックのような、核 技術の取引商人たちによって所有 されている主流のニューズ・メディ アは、この計画の危険を大衆に知 らせないだろう。知らせるのは我々 の仕事だ。我々は主な公共教育活 動に携わり、かつ同時に直接行動 や、ロビイ活動を通してわが国の 政府にカシニを中止するよう求め なければならない。こうした行動 を起こすために、皆さんの協力が 必要である。 私があなた方にこれを書き送る のは、核産業が大量破壊という事 業を五十年間も継続してきたので、 我々はこの危険で不必要な核実 験について、広く知らせなければ ならない。カシニについての事実 は、ほとんど知られていない。 日後に認めた。 地域の上空で分解した事を、十二 し、南アメリカの人口密度の高い 探査機が実は火の玉となって気化 たと公表しようとしたあと、宇宙 宙探査機が大洋に﹁無事﹂着水し 墜落した。米国宇宙指令部は、宇 二○○マイル︵捌油︶に沿って、 カシ’一号が発射されると、地球 上の数百万の生命が危険に陥るこ とがありうる。科学者たちは、再 突入の事故により、ガンだけでも 二○○○万から三○○○万の死者 がでると推計している。被曝によ るその他の影響は、遺伝子病の増 加や、出産障害などが含まれ得る。 仮説上では、僅か1ポンド︵蝿g︶ のプルトニウム・郷でも均等に散 布されると、地球上の誰もが、肺 ガンになる恐れがある。 かかる致命的核実験は、中止さ せねばならない ニウムの最も危険な形態である。 ンド︵郷囎︶搭載予定で、プルト れにはプルトニウム・剛が、蝿ポ カナベラルから発射する予定。こ 宇宙探査機︵oシの四目︶をケイプ・ 十月六日、NASAは、カシ’一 ・カシニは、タイタンⅣロケット [緊急メッセージ] カシニの危険性