百合子の初期作品における〈農村〉の位相
著者名(日) 木村 幸雄
雑誌名 大妻国文
巻 42
ページ 151‑170
発行年 2011‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001295/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
大妻国文
第必号
。
年 月
百合子の初期作品における
︿ 農 村 ﹀
の位相
木 キ ナ
幸
雄
はじめに
︵一
九一
七︶
は︑
宮本百合子の初期作品|||習作﹃農村﹄︵一九一五︶︑処女作﹃貧しき人々の群﹄︵一九一六︶︑農民小説﹃禰宜様宮田﹄
いずれも東北の︿農村﹀を舞台として描かれた作品である︒とはいえ︑作中に描かれている︿農村﹀の位
相は︑三者三様に異なるものとなっている︒
まず﹃農村﹄は︑﹁安積開拓の父﹂として知られる百合子の祖父中僚政恒が聞いた福島県安積郡桑野村開成山周辺のス
ケツチ集とでもいうべき習作である︒その周辺の︿農村﹀の地形・地質・風土・建物︑そのなかで営まれるさまざまな人々
の生活が︑丹念に観察され︑観察者である︿私﹀の感想とともに︑綿密に写生され︑記録されている︒
百合
子は
︑
九
五︵
大正
四︶
年︑
十六
歳︑
お茶の水高女五年生の時にこの習作を書いているが︑自然の風景や登場人
物たちのスケッチに︑細やかな観察がゆきとどいているのは︑四︑五歳の頃から︑開成山の中僚邸に住んでいた祖母のも
とをしばしば訪ね︑十歳になった年から毎年夏休みをそこで過ごし︑開拓村の自然や人々の生活を身近に観察し︑さまざ
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
五
五 まな見聞にふれる機会に恵まれていたからにちがいない︒
この習作を書いた翌一九一六
大正
五︶
年︑
日本女子大学英文科予科に進学した百合子は︑これを素材として処女作
﹃貧しき人々の群﹄の制作に精進し︑坪内遁遥の紹介で
﹁中
央公
論﹂
に発
表︑
天才少女作家の登場として注目されること
にな
る︒
タイ
トル
が︑
﹁農
村﹂
から
﹁貧
しき
人々
の群
﹂
へと改められ︑主人公
︿私
﹀が
︑
︿ 農
村 ﹀
の観
察者
から
︑
そこで生活す
る︿
貧し
き人
々﹀
の友︑その救済者へと自己変革をめざし︑行動する主人公へと変身を遂げている︒それにつれて︑
農
村﹀
の位
も相
︑
︿私
﹀が
︿貧しき人々﹀との聞の溝を埋め︑彼らとの共生共栄の夢の
﹁花
園﹂
を追
す求
るド
ラマ
の 舞 台﹂としての時空間へと転換されて行く︒
さらに
九
七︵大正六︶年七月の
﹁中央公論﹂自然号への執筆依頼を受けて制作された﹃禰宜様宮田﹄になると︑
百合子は︑取材の範囲を桑野村から飯坂へとひろげ︑両者を合成し︑
フィクションの時空間としての
︿農
村﹀
を構
成し
て いる︒その世界に登場してくる人物たちは︑実在の場所を離れ︑現実のモデルを超えて︑
て登場してきでいる︒作者に直結する分身としての
︿ 私 ﹀
は登
場し
てこ
ない
︒
一種の典型化された人物像とし
タイトルになっている主人公の
﹁禰
宜様
宮 田﹂は︑神主の家柄に生まれながら貧しい純朴な自作農民となり︑妻と三人の子供たちを育てながらつつましく暮らしを 立てている︒彼は万物の共生共栄を希求しつづける底抜けに善良な︿自然人﹀だが︑
町の
﹁鬼婆さん﹂と悪名高い女地主
に目
をつ
けら
れ︑
その策略にからめとられて不毛の小作田をおしつけられ︑搾取されつづけたあげく︑自作の田畑まで奪 われてしまう︒生活の土台を奪いつくされた主人公は︑自動車道路を建設する工事現場の工夫に雇われ︑そこで斧で切り
倒される原始林の木々の嘆きを嘆きつつ︑暴走するロl
ラの下敷きになって︑圧殺されてしまう︒彼は︑
フィクション化
され
た︿
農村
﹀ の位相のなかで︑地主制度の犠牲者︑﹁時代の犠牲者﹂
として典型化された人物像として描かれていると
いえ
よう
︒
さて︑習作﹃農村﹄をはじめとして︑これら東北の︿農村﹀を舞台として描かれた百合子の初期作品について︑安積開
拓の歴史とのかかわりから考察した先行研究としては︑高橋哲夫﹃安積の時代
﹁貧
しき
人々
の群
﹂
の舞
台﹄
︵歴
史春
秋出
版
一九九四・一︶︑塩谷郁夫﹁安積開拓の文学的背景||百合子とE雄の初期の作品について﹂︵日本大学安積開拓研究会
﹃殖
産輿
業と
地域
開発
||
安積
開拓
研究
||
﹄柏
書房
一九
九四
・七
︶︑
同﹁百合子と開成山﹂
岩淵
宏子
・北
田幸
恵・
沼沢
和子
編
﹃宮
本百
合子
の時
空﹄
翰林
書一
房
。。
六︶
など
があ
る︒
それらの先行研究をふまえつつ︑百合子の初期作品の舞台として描かれている東北の
︿ 農
村 ﹀
の位
相の
変容
に注
目し
︑ それを百合子の作家主体の確立過程とのかかわりにおいて︑あらためてふりかえってみておきたい︒なお︑百合子の作品
からの引用は︑新日本出版社版﹃宮本百合子全集﹄による︒
﹃農村﹄は︑七章から成るかなり長い習作であるが︑﹁冬枯の恐ろしく長い東北の小村は︑四国あたりの其れにくらべる
と幾層倍か︑貧しい哀れなものだ﹂と書き出され︑百合子の祖父たちが開拓した福島県安積郡桑野村に焦点が合わせられ
てい
く︒
まず︑第一章は︑村の全貌を総括的に描くスケッチとして︑鳥敵的な視点から具体的な地名入りで書き出されている︒
かなり高くて姿の美しい山々
11
1一一一春富士︑安達太良などに四方をかこまれて︑三春だの︑島という村々と隣り合い
只一つこの附近の町へ通じる里道は此村のはずれ近く︑長々と︑白いとりとめのない姿を夏は暑くるしく︑冬はひやひ
やと
横た
わっ
て居
る︒
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
五
五四
この里道は︑百合子が︑開成山に住む祖母を訪ねて行くようになった頃には︑郡山の町から桑野村開成山の村役場へと
真直ぐに通じる新道として整備されていた︒この﹁里道﹂が︑﹁夏は暑苦しく︑冬はひやひやと横たわって居る﹂と描写
されていることからうかがわれるように︑﹃農村﹄のスケッチは︑今目の前に見えている光景を写すだけでなく︑
﹂れ
ま
での観察や見聞などもふまえながら描き出されているのである︒﹁町のステーション﹂に着いた百合子は︑人力車に乗っ
て町筋を通り過ぎ︑両側が田畑になっている村道を通って開成山に向かう︒その村道のつきあたりに見えてくるのが︑
﹁有
るか
なし
の︑
あま
りみ
だて
もな
い村
役場
﹂
の﹁
開成
館﹂
lll安積開拓のシンボルとなっていた建物で︑
一八
七四
︵明
治七︶年に建てられた和洋折衷の三階建で︑当時まだ洋風の建築法が伝わっていなかった地方で︑地元の大工たちが苦心
して建てた﹁擬洋風建築﹂だったが︑明治洋風建築の先駆者として知られていた中僚精一郎を父に持つ百合子の目には︑
それが﹁有るかなしの︑あまり見だてもない村役場﹂として映っていたというのも︑
正直
のと
ころ
であ
った
ろう
︒
ところが︑その開成館︑開成大神宮が並び立つ丘のふもとに三つ並んでいる大池のほとりの自然の美しい光景のスケッ
チには︑目を見張るような新鮮な感動がみちあふれでいる︒
三番池は美しい水草の白く咲く︑青草の濃いのどやかな池であった︒
この池に落ち込む︑小川のせせらぎが絶えずその入口の浅瀬めいた処に小魚を呼び集めて︑銀色の背の︑素ばしこい
魚等は︑自由に楽しく藻の聞を泳いで居た︒
白い花を咲かせている水草は菱で︑季節は夏である︒
こういう自然の風景のスケッチについて︑塩谷郁夫氏は︑﹁三つの池の描写は﹃貧しき人々の群﹄にはない具体性を持つ
ているばかりではなく浪漫的な美意識さえ感じさせるもの﹂と評価している︒
つけ
加え
てュ
=
その描写は︑三つの池
を︑
自然
の姿
︑が
四季
折々
に︑
時々
刻々
に変
貌す
る場
所と
して
︑
それに合わせて村人たちの生活が営まれる場所として描か
れて
いる
︒
また
︑塩
谷氏
は︑
﹁百合子は一番池と三番池とを取り違えたのか︑それともわざとその様に描いたのか不明だが︑郡山
町の一番近い池が三番池であり﹂と︑百合子の池の呼び方と地元の呼び方とがくい違っている点についても指摘している︒
桑野村が開村した一八七六︵明治九︶年の地図にまで遡ってみると︑開成大神宮の前に︑神社側から見て
﹁上
の池
﹂︑
開
成沼
﹂︑
﹁下
の池
﹂
の順に三つの大池が並んでいる︒開村に当たって改修︑開設された年代もこの順番であった︒したがっ
て地元の人々が︑﹁上の池﹂を﹁一番池﹂︑﹁開成沼﹂を﹁二番池﹂﹁下の池﹂をコ二番池﹂と呼び慣わすようになったのは︑
地理的にも歴史的にも順当なことであったに違いない︒
だが︑郡山駅から人力車に乗ってやってくる百合子の目に︑最初に見えてくるのが
﹁下
の池
﹂︑
二番目に見えてくるの
カ
ヨ﹁
開成
沼﹂
︑
そして三番目に見えてくるのが
﹁上
の池
﹂
とな
る︒
﹃農
村﹄
には
︑
その順番にスケッチされているので︑
﹁上
の池
﹂を
﹁一
一一
番池
﹂と
呼ん
だの
も︑
また
それ
なり
に順
当な
こと
であ
った
と言
える
ので
はな
かろ
うか
︒
ところで︑三番池のスケッチとしては︑見落としてならないものが︑もう一つある︒それは五章の冬景色のスケッチ
のな
かに
描き
こま
れて
いる
︒
三番池の周囲の草原の草は皆︑かれはてて︑茶色になり︑朝々の霜で士が浮き︑ポコポコになって︑見通せる限り皆︑
なだらかなでこぼこになって居る︒桑は皆葉を払い落として︑灰色のやせた細い枝をニヨキニヨキと︑あじきない空の
どんよりとした中に浮かせて︑その細いに似合わない︑大きな節や﹁こぶ﹂が︑いかにも気味の悪い形になって居て︑
見様では︑西洋の御伽噺の挿絵の木のお化けそっくりに見え︑風が北からザlツと一吹き吹くと︑木のお化けは︑幾百
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
一五
五
一五 六
も幾千も大きな群れになって︑骨だらけの手を伸ばして私につかみかかろうとするようだ︒川の水も減って︑赤っぽい
粘土のごみだらけのきたない処が見え出し︑こちこちになってひびが入って居る︒小魚の姿などはとうにから見えない
ので
ある
︒
この三番池の冬の光景は︑さきの夏の光景と対照をなすものとして描かれている︒その対照において︑自然のなかにく
りかえし立ち現れてくる
︿生
﹀と
︿死
﹀
の姿が︑あざやかに描き出されている︒北風と共に襲いかかってくる冬枯れの桑
の木のイメージは
﹁ 死
神 ﹂
のイメージと重なるものとして描かれていることに注目したい︒桑は︑開拓村の養蚕に欠か
せな
い木
だが
︑
その独特の観察が面白い︒この観察と表現は︑小さいときから︑﹁西洋の御伽草子﹂なども︑よく読んで
育ってきた都会の少女のものとなっている︒少女時代の詩の習作の一
つに
︑﹁
片す
みに
かが
む死
の影
﹂が
ある
が︑
その
な
かに登場する﹁死神﹂は︑獲の多い服をきて︑大鎌をもち︑人間の心臓を狙って襲いかかり︑生を司る太陽神と争う︒
そのような自然描写につづけて︑第一章には︑開拓村の村人たちの生活の現状と問題点とが︑総括的に述べられている︒
明治初年代に開かれた開拓村の中に︑未だに当時の﹁貧しい生活﹂から脱け出せない農民の暮らしが続いている︒それに
加えて︑隣町の経済活動が盛んになるにつれ︑人々が金銭欲にかりたてられるようになり︑町の地主たちが厳しい年貢の
取立てに走り︑村の小作人たちはますます﹁惨めな生活﹂のどん底に追いやられていく︒もともと地理的に劣悪な農地の
地質の改良も進まず︑また農民の保守性や無知に妨げられて農業の技術や経営にも進歩が見られない︒
そういう考察に注目して︑塩谷氏は︑そこに﹁百合子の文学観の基底にあった科学的考察﹂を認めている︒だがそうい
う考察が﹁彼等︑哀れな農民の上に運命の神は絶大な権威を持って居るのである﹂というような観念的で運命論的な農
民観に集約されていることも見逃してはなるまい︒また︑﹁惨めな生活﹂のどん底に追いつめられて︑苦しんでいる小作
人やその子供たちの姿を︑﹁暗い︑きたない︑ごみごみした家に沢山の大小の肉塊が転がって居るのである﹂︑﹁実際︑肉
塊︑が生きて居て地主のために労働して居るというばかりで︑智的には︑何の存在もみとめられていないのである﹂という
︿ 私 ﹀
の観察は︑小作人の存在に対する同情を含んだ理解であるとは言え︑やはり﹁東京から来たお嬢さん﹂︑﹁地主のお
の上からの眼によってなされたものにほかなるまい︒
孫さ
ん﹂
ところで︑﹃農村﹄を︑開拓村の開成山周辺のスケッチ集としてベlジをめくってみると︑第一章の村の総括的なスケツ
チにつづき︑第二︑一二章には︑個別の小作人やその子供たちの姿を︑目近かから観察し︑クローズ・アップして描かれた
スケッチがおさめられている︒第二章には︑近所に住んでいる小作人甚助夫婦の子供たちが︑暗い家の中で︑食べ物をめ
ぐって争っている姿が描かれており︑第三章には︑小作男である菊太が︑女地主である祖母のところを訪ねてきて︑年貢
米をまけてくれと粘り強く交渉を続ける姿が丹念に描かれている︒そこには︑小作人とその子供たちが︑決してごみごみ
した家に転がっている﹁沢山の大小の肉塊﹂にとどまっているものではなく︑ひとりひとりが個性と人間性とをもって生
き︑行動している人間として描かれている︒
そこ
に︑
百合
子の
日が
︑﹁
東京
から
来た
お嬢
さん
﹂︑
﹁地
主の
お孫
さん
﹂ の
目
から脱皮して︑人聞をその肉体とともにその魂をも観察して描く作家の眼に成長して行く兆しを認めることが出来よう︒
習作﹃農村﹄に描かれている︿農村﹀
の位
相が
︑観
察者
︿私
﹀
の眼から眺められた安積郡桑野村のスケッチ集だとする
ならば︑処女作﹃貧しき人々の群﹄の
︿ 農
村 ﹀
の位
相は
︑
それをふまえつつ︑主人公︿私﹀が演じる貧民救済・弱者救済
のド
ラマ
の舞
台と
して
仕立
て直
され
たも
のと
なっ
てい
ると
一百
三人
ょう
︒
﹃農村﹄の書き出しにあった﹁三春富士﹂とか
﹁安
達太
良﹂
など
とい
う実
在の
地名
は省
かれ
︑﹁
桑野
村﹂
は﹁
K村
﹂︑
﹁郡
山町
﹂
は﹁
K町
﹂と
表記
され
︑
三つの池のほとりの四季折々の美しい風景描写や桑野村の荒涼きわまりない冬景色の描写
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
一五
七
五 八
など︑迫力のこもったスケッチも︑主人公の演じるドラマの舞台装置として不必要になったものは︑すべてカットされて
いる︒﹃農村﹄の七章にわたるスケッチのうち︑﹃貧しき人々の群﹄のなかに生かされているのは︑二章と三章のみである︒
さて︑﹃貧しき人々の群﹄は︑全十九章から成る中篇小説で︑主人公︿私﹀の演じるドラマの展開にしたがって︑段落
構成
を見
ると
︑
つぎのように六段から構成されている︒ドラマは︑夏から秋にかけて︑
K村
を舞
台と
して
展開
され
る︒
第一
段︵
一
1四 章
︶
夏
平地にある小作人甚助の家高台にある祖母の家
甚助の家で︑その子供たちとの葛藤に巻き込まれた︿私﹀が︑祖母の家に逃げ帰り︑貧困から抜け出せない農民の生活
の問題︑開拓村の歴史の光と影との聞に見出される矛盾に眼を聞かれ︑村における自分の立場に反省を深め︑貧者・弱者
救済を自分の使命と自覚し︑自分と彼らとの聞の溝を埋め︑彼らとの共生共栄の
﹁美
しい
花園
﹂を
追求
する
決意
を固
める
︒
第二
段︵
五
1八 章
︶
夏
村の中祖母の家
は︑貧者・弱者救済の仕事に励み︑白痴の息子を抱え︑住む家も失い︑貧困のどん底にまで没落している善馬鹿
一家にまでその手を差し伸べ︑祖母の家を訪ねてくる貧者・弱者が増えるのを喜ぶ︒
︿ 私 ﹀
第三
段︵
九
1卜
一章
︶
真 夏
祖母の畑祖母の家
真夏の作物の収穫期に︑祖母の畑に作物泥棒が入るようになり︑捕まえてみるとそれが甚助であることに驚くが︑彼の
改心に期待して見逃してやる︒すると泥棒が増え︑物乞いに祖母の家を訪れてくる者も増え︑家の秩序を乱され︑︿私﹀
は当惑し︑挫折を覚えざるを得ない︒
第四
段︵
十二
1十
四章
︶
夏の終わり隣町の教会村の中
寄付
金を
集め
︑
隣の
K町のキリスト教会に集う有産階級の婦人連が︑虚栄心を競いあいながら︑K村の貧民救済の慈善活動を思い立ち︑
人力車を連ねて村へやって来る︒︿私﹀はそれを不信の眼をもって眺めているが︑
その
金を
ばら
撒き
に︑
物欲と悪意とを抱いて待ち受けていた村人たちの前で︑婦人連は無残な失態を演じて退散してしまう︒
第五
段︵
十五
i十 六 章
︶ 夏 の 終 わ り 村 の 酒 屋 祖 母 の 家 新 さ ん の 家
町の婦人連が︑態善活動でばら撒いていった金銭が︑村の中に荒廃をもたらし︑その影響は︑︿私﹀が救済の手を差し
伸べていた甚助やその子供達︑善馬鹿や新さんの上にも及ぶ︒
嵐の夜
第六
段︵
十七
1十 九 章
︶ 祖 母 の 家 村 の 往 還
秋の嵐の夜に︑︿私﹀が好意を寄せていた孝行息子の新さんは墓地の雑木林に首を吊って自死し︑救済の手を差し伸べ
秋
その翌日雑木林の墓地隣村の沼
ていた善馬鹿は︑行き倒れになり︑隣村の沼に落ちて溺死してしまう︒二つの死を前にして︑自分の貧者救済・弱者救済
﹁花園﹂追求の夢を打ち砕かれた︿私﹀は︑自分の非力を噛みしめながら︑︿貧しき人々﹀の友として再起することを
誓vフ ︒ の
のドラマの舞台として描かれているK
村の
このように︑﹃貧しき人々の群﹄の段落構成を整理してみると︑そのなかで主人公︿私﹀が演じる貧者救済・弱者救済
︿農村﹀の位相の大まかな見取図が見えてくる︒その見取り図を︑﹃農村﹄と
照らし合わせながら︑もう少し具体的につめて見ていきたい︒
まず︑﹃農村﹄の第二︑三章が推敵され︑改作されて生かされている第一段についてみてみよう︒第一章から第四章ま
でが第一段となるが︑﹃貧しき人々の群﹄の第一︑第二章には︑﹃農村﹄の第二章が︑ほぼそのまま生かされている︒
両者の書き出しを比べてみよう︒
村の南北に通じた里道に沿うて︑子供沢山で居て貧しい小作男の夫婦が住んで居るあばら屋がある︒
町に
地主
を持
って
居て
︑そ
の畑
に働
いて
居る
のだ
けれ
共︑
段々
に人
数は
ます
し:
::
︵﹃
農村
﹄︶
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
五 九
ノ、
。
村の
南北
に通
じる
往還
に沿
って
︑
一軒の農家がある︒人聞の住居というよりも︑むしろ何かの巣といった方が︑よほ
ど適
当し
てい
るほ
ど楊
い家
の中
は︑
窓が
少な
いの
で非
常に
暗い
︒︵
﹃貧
しき
人々
の群
﹄︶
るの
に比
べ︑
後者
は︑
﹁一
軒の
農家
﹂
の非
常に
暗い
﹁家
の中
﹂を
︑簡
潔な
描写
で︑
の住人の冗漫な説明に流れてい
その中で小作人の子供たちが︑食べ物 同じ場面を書き出しにもってきながら︑前者が︑これまでの見聞を交えた﹁あばら屋﹂
をめぐる争いをくりひろげることになる舞台として︑明確に提示している︒たんに文章が推敵されているばかりではなく︑
ドラマの主役たちが登場してくるべき舞台として︑意識的に設定されている︒そのことは︑﹃農村﹄の第二章が︑﹃貧しき
人々の群﹄においては︑第一章と第二章とに切り分けて描かれていることからもうかがわれる︒前者では︑通りすがりに
︿私
﹀が
︑興
味に
駆ら
れて
︑﹁
あば
ら家
﹂
のな
かを
のぞ
きこ
み︑
五人の男の子供たちが︑食べ物を争う姿を観察している︒
その姿に同情して声をかけたことがきっかけとなって︑思いがけない子供たちとの葛藤に
巻き込まれ︑敵役を演じさせられることになり︑観察者と演技者との区別がつかなくなってしまう︒後者においては︑食
べ物を争う子供たちは︑大・中・小の三人兄弟として登場し︑その争う姿は作者の目によって︑客観的に描写されている︒ が
︑観
察者
であ
った
︿私
﹀が
︑
そして︑子供たちに同情の声をかけたことから︑彼らとの葛藤にまきこまれ︑主人公を演じるようになる︿私﹀は︑第二
章か
ら登
場さ
せら
れて
いる
︒
︿私
﹀が
︑
一番大きい子に︑﹁ねえ︑寂しいだろう﹂と︑東京弁で同情の声をかけると︑﹁おめえの世話にはなんねえぞl
ツ﹂と︑方言で︑﹁思いがけない怒罵の声﹂を投げつけられ︑﹁魂を動転﹂させられるところから︑主人公︿私﹀と︿貧し
き人々の群﹀とをめぐる人間ドラマが立ち上がり︑K村の︿農村﹀の位相は︑その舞台として描かれていく︒
つづく﹃貧しき人々の群﹄の第三章は︑﹃農村﹄の第三章と重なり合っている︒舞台は︑いずれも村の高台にある祖母
の家に移され︑同じ日の夕方の出来事が描かれている︒しかし︑描かれている内容が︑大幅に改稿されていることに注目
しなければなるまい︒﹃農村﹄の第二章では︑小作人甚助の家でその子供らの争いに巻き込まれ︑怒鳴られ︑小石を投げ
つけられてひどく傷ついた︿私﹀が︑高台にある祖母の家に逃げ帰り︑その出来事についてあれこれと反省を深めている
ところで祖母の小作人をしている菊太が訪ねて来る︒そして︑第三章では︑彼が女地主である祖母に︑自分の家の窮状
を訴え︑年貢米をまけてくれと懇願し︑粘り強く交渉を続ける︒その一部始終を︑︿私﹀が側で観察し︑詳細に記録し︑
︿ 私 ﹀
は観察者・記録者に徹している︒ところが︑﹃貧しき人々の群﹄の第三章の改稿においては︑︿私﹀が主役を演じ︑
﹁菊太﹂は﹁仁太﹂と名前を変えて登場してきでいるのだが︑その年貢米をめぐる交渉の場面は省かれてしまっている︒
けれども︑夕方近くなって︑小作男の仁太というのが来て二時間近くも話して行ったことは︑私に或る考えの緒口を
あた
えた
︒
彼は︑私共の持畑||上一一里ほど先の村にあるーーに働いている貧しい小作男で︑その男が来ればきっと願い事を持つ
ていないことはないといわれているほど︑困っているのである︒
これは︑第三章に︑仁太が登場する場面で︑この仁太の訪問が︑﹁私に或る考えの緒口を与えた﹂というところが大事
なと
ころ
で︑
そこが改作のポイントとなっている︒その﹁或る考え﹂とは︑地主と小作の関係についての考えにほかならt
︑
of− −
ν ︿ 私 ﹀
は︑仁太の﹁衰えた体﹂を眺め︑あきらめているような話振りを聞きながら︑甚助とその子供たちのことを思い
出す︒甚助の子供たちの姿を思い浮かべながら︑仁太の子供たちを思いやる︒すると︑不在地主の小作とか︑在地地主の
小作とかの区別を超えて︑小作人とその子供たちの存在が︑気の毒なものとして見えてくる︒そして︑﹁ああ︑ほんとに
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
ムF、、
ムF、、
彼等はこんな気の毒な小作男の子供達であったのだ!﹂ということに眼を聞かれ︑心が彼等に対する憤りや憎しみから解
放さ
れ︑
より広い視野から︑地主と小作の関係について︑考え直すことができるようになる︒これまで彼等との関係にお
いて︑自尊や侮蔑などに歪められた心情にとらわれていたことを反省し︑﹁私共と彼等とは︑生きるために作られた人間
である﹂という基本的人権においては平等であり︑﹁世が不平等であるからこそ||富者と貧者は合することの出来ない
平行線であるからこそ︑私共は彼らの同情者であらねばならない﹂︑﹁金持ちが出来る一方では気の毒な貧乏人が出来るの
は︑宇宙の力である︒どれほど富み栄えている者も︑貧しい者に対して︑尊大であるべき何の権利も持たないのである﹂
という考えに到達する︒そういう考えに立って︑︿私﹀は︑﹁自分と彼等との聞の︑あの厭わしい溝は速くおおい埋めて︑
美しい花園をきっと栄えさせて見せる!﹂と決意する︒
つぎの第四章は︑第三章で以上のような考えに到達した︿私﹀が︑新しい朝を迎える翌日の場面になるが︑そのはじめ
のと
ころ
で︑
﹁自
分の
生活
の改
革﹂
の必要を痛感しつつ︑自分の今日までの境遇を︑明治初年代にK村の開拓者であった
祖父のところまで立ち返って省みている︒そして︑開拓の歴史を光と影とに切り分けて見つめる批判的な眼を獲得し︑
﹁開拓者自身は︑或る程度まで自分の希望を満たし︑喜ばれ︑猶その村の歴史上の人物として称揚されるけれども︑はか
ない移民として︑彼の事業の最後の最も必要な条件を充たしてくれた︑沢山の貧しい者共は︑どのような報いを得ている
のか?﹂とK村の現状を問い︑﹁開拓者にとってはいなければならなかった彼等でありながら︑二十年近い今日まで彼等
はただ同じように貧乏なだけである︒年中貧しく忘れられて死んで行くだけである﹂と答えている︒
それ
をふ
まえ
て︑
﹁私は︑祖父の時代からの沢山の貧しいものに対して︑どうしても何かしなければならない﹂という自己の使命を自覚し︑
︿貧
しき
人々
の群
﹀
との溝を埋める行動にたちあがるのである︒
の貧者・弱者救済のドラマは︑希望と挫折の間をゆれうごきながらも︑夏から秋にかけて︑六段にわたっ
て演じ続けられることになるが︑甚助夫婦とその子供たちにつづいて︑相手役として登場してくるのは︑善馬鹿・どその家
さて
︑︿
私﹀
族であり︑新さんとその母である︒善馬鹿は︑もとは一人前の百姓であったのだが︑たった一人の男の子が生まれつきの
白痴で︑愛想をつかした女房に逃げられ︑気遣いになり︑住所不定の浮浪者としてうろつきまわっている︒
狂気の息子と白痴の孫をかかえて︑なりふりかまわず働き続け︑
その
老母
は︑
﹁沸
沸婆
さん
﹂と
呼ば
れて
いる
︒
いわば︑開拓の歴史の
影のどん底に没落した障害者家族・弱者家族と言えよう︒そして︑新さんは︑水車小屋の一人息子であったが︑十六の年
から北海道に出稼ぎに行き︑七年間親を助けるために稼ぎ続けたあげく︑病気になってもどってきている孝行息子である︒
貯めていた八十円を持って家へ帰ってみると︑優しい働き者であった父はすでに亡くなり︑一人残された母は︑借金のv
とから人が変わり︑息子が持ち帰った金まで︑すべて巻き上げようとたくらむ守銭奴に変わり果てていた︒いわば︑金銭
万能の時代風潮の地獄の底につき落された母子家庭の悲劇にほかならない︒これらの登場人物たちは︑﹃農村﹄には︑描
かれていなかった人物たちで︑これらの人物たちの登場によって︑︿農村﹀の舞台はさらに︑︿生﹀と︿死﹀とがはてしな
い闘いをたたかい続ける﹁宇宙空間﹂
へと
ひろ
がっ
てい
く︒
第六段︑結末の段には︑善馬鹿の死と新さんの死とが︑対照的な二つの死として並べて描かれている︒二つの死は︑秋
の夜の暴風の荒れ狂うK村を舞台として︑同じ夜に発生した︒
第十七章で︑秋の夜に︑暴風が吹き荒れるK
村が
︑﹁
宇宙
の力
﹂
の支配する小宇宙として︑生と死とが戦う舞台へと転
換されていく様に注目してみたい︒
まず︑暴風が︑立木という立木のあらんかぎりを吹き倒さないではおかないという激しさで吹きまくる夜の中に立ち︑
それにあらがいつづける樹木の姿が︑つぎのように擬人化されて描かれているのに注目したい︒
樹木
の総
ては
︑
その頭を狂乱したように打ち振り打ち振り︑小枝は白い肌を生々しく引き裂かれて飛び︑幹は苦しげ
に執り捻り︑鋭い悲鳴をあげて揺れている︒家屋の角ではぶつかる風がわめき︑白い葉裏を翻してもまれる葉が種々の
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
~ ノ、
一六 四
声をあげて泣き叫ぶ︒ーー
﹁暴
風﹂
が
﹁死
神﹂
に︑
﹁樹
木﹂
がそ
れに
あら
がう
﹁生
命﹂
の姿を比輸するものとして描かれていることは︑いうまでも
ある
まい
︒
ーーーの後には︑幻視のなかに︑別天地が開け︑荒れる夜の中に︑対照的な二つの
﹁人
影﹂
が登
場し
てく
る︒
黒い人影は静々とその騒乱のうちを動いて行った︒
る万
物の
中に
︑
あしどり頭を真直ぐに保ち︑手足が規則正しく動くにつれて︑等しい歩調で
おごそいかほど厳からしく見えたことだろう?
あ た り
︵中略︶歩く姿は︑この四周の萎縮し尽くしてい
残虐な快楽に耽る暴風にとっては︑驚くべき反逆者である︒
これが︑秋の嵐の夜に幻祝される夢幻の舞台に登場する﹁第一の人影﹂である︒彼は︑生命をなぎ倒すという﹁残虐な
快楽
に吹
ける
暴風
﹂︵
死神
︶
に堂々と抵抗する﹁驚くべき反逆者﹂︵人間︶として登場してきでいる︒
その
﹁人
影﹂
が立
ち
止まり︑荒れる夜のなかに︑赤く輝く村役場の灯火の玉県の光明を凝視しつつ︑生を求めて宙に身を躍らせた跳躍が︑そ
のまま反転して死への転落となる︒その姿は︑その夜︑優しかった父の眠る村の墓地の雑木林の木に首を吊って自死する
新さんの生と死の真相を暗示するものとして描かれている︒
つづ
けて
﹁第二の人影﹂が登場し︑烈風に弄ばれる枯葉のようによろめきながら︑離魂病者さながらに︑あてどもな
くさまよいつづける︒その姿は︑その夜の嵐のなかをさまよい続けたあげく︑隣村のはずれの沼に転落し︑溺死した善馬
鹿の生と死の真相を象徴的に照らし出すものとなっている︒
そういう二つの死の真相を見つめることを通じて︑︿私﹀は︑自分︑が
﹁美
しい
花園
﹂
の夢を求め続けてきた慈善的な救
済活動︑か︑完全に失敗したことを思い知らされる︒そして自己反省・自己批判をふかめ︑徹底した自己否定のどん底から︑
﹁私はとうとう失敗してしまったけれども︑彼らに対して何かしてやらなければならないという望みばかりが︑どれほど
私に情けない思いをさせるだろう!﹂という内的衝迫に突き動かされて再び立ち上がり︑
死ん
だ善
馬鹿
や新
さん
︑
その
同
類たちである︿貧しき人々の群﹀に訴え︑呼びかける︒
けれども︑どうぞ憎まないでおくれ︒私はきっと今に何か捕らえる︒どんなに小さいものでもお五いに喜ぶことの出
来るものを見つける︒どうぞそれまで待っておくれ︒達者で働いておくれ!私の悲しい親友よ!
私は泣きながらでも勉強する︒一生懸命に励む︒そして︑今死のうというときにでも好いから︑本当に打ち解けた︑
心置ない私とお前達が微笑み会うことが出来たらどんなに嬉しかろう!どんなにお天道様はおよろこびなさるか?
そう
呼び
かけ
つつ
︑︿
私﹀
は︑頭上に﹁私を育てて下さるお天道様﹂を仰ぎ見︑足元に善馬鹿が溺死した沼を見つめ︑再出
発の
決意
を固
めて
いる
︒
釜口
馬鹿
の死
骸は
夜に
なっ
てか
ら見
つか
った
︒
隣村の端れの沼に犬を抱いて彼は溺れていた︒
沢山の小海老の行列が︑延びた髪の毛の聞を︑出たり入ったりしていたという︒
この結びの一節は︑哀悼の意をこめて︑一二行詩のように書かれている︒
百合
子の
初期
作品
にお
ける
︿農
村﹀
の位
相
一六
五