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公開 FD ワークショップ ’17 表現教育の可能性(第 8 回)

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FD ワークショップ【紙上再録】

公開

FD

ワークショップ

’17

表現教育の可能性(第

8

回)

STEM+ART が求められる時代に」講演

谷   美 奈

【司会(國寳)】 では、開始時間となりましたので、始めさせていただきたいと 思います。本日は、年度末のお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありが とうございます。私、本日の司会を務めさせていただきます、成城大学社会イノ ベーション学部、共通教育センター所属の國寳真美と申します。よろしくお願い いたします。

本ワークショップは、2010年度より共通教育研究センター独自のFD活動とし て、「表現教育の可能性」という統一テーマのもと開催して参りました。今回で 8回目となります。本日は、帝塚山大学より谷美奈先生にお越しいただきました。

谷先生のご専門は、表現教育、教育方法学で、さらに、デザイナーとして日本お よびフランスでご活躍されていたという経験もおありです。その経験をいかして、

パーソナル・ライティングや、アートの素養のない学生でも参加できるアートワー クショップなどの授業をご担当されてきました。

本日は、谷先生からも提案されておりますが、講演というよりはワークショッ プとして、みなさんと一緒に表現教育についていろいろ考えていきたいと思いま す。そして、皆様には最後にアンケートを書いていただくのですが、それとは別 に、お話の途中に流す映像について皆様のご意見をお聞かせ願いたいということ ですので、みなさん、ぜひ積極的に発言していただければ幸いです。

では、谷先生、ご講演よろしくお願いします。

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【谷】 帝塚山大学の谷美奈と申します。みなさま、お忙しい中、足をお運びいた だき、どうもありがとうございます。

今日の講演内容は、チラシのタイトルにあります「STEMARTが求められ る時代に感性と言語をどう結びつけるのか」とはちょっと違っておりますが、

「STEMART」を「インクルーシブリサーチとクリエイティヴベーシックの実 践から考える」をテーマにお話させて頂きたいと思っています。

このワークショップなんですけれども、どうしても私が一方的に話してしまう ようになってしまいます。ただ、当初は、ワークショップなので机を取っ払って みなさんに円になってもらって、いろいろとアートなワークをしようと打ち合わ せでしていたのですが、実際にどれぐらいの方がいらっしゃるか、どんな方がい らっしゃるかが全然読めないので、最終的には、私が中心に話すということに落 ち着きました。今日は、そういったいきさつがありますので、研究発表をすると かではなくて、私がこれまでやってきた事例に沿いながら、このタイトルにある 太字の「+ART」ですね、「STEM」の「+ART」というところをどういうふうに 捉えることができるかといったことを少しお話できたら、あるいはみなさんにも 一緒に考えていただけたらいいかなと思います。

そして、今日来ていらっしゃる方は、やはり大学教員の方が多いかと思われ ますので、私たちが日々接している大学や大学教育、あるいは研究そのものが

「+ART」とどのように関わっているのか、関わりうるのか、などということを、

一緒に考えて、さらに各々でその問題を持ち帰っていただけたら幸いだなと思っ ています。

ワークショップのテーマについて

私が、なぜ「STEM」をテーマにしようとしたのか。今、「STEM」って、よく 聞きますよね。例えば、このワークショップに参加されているみなさんもご存知 な方が多いと思うのですが、京大の高等教育開発推進センターで流している「あ

さがおML」ってありますよね。今、大学教育のあらゆる情報をこれでもかとい

うぐらい流しているMLですが、それを見ていても「STEM」という言葉はよく

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見るようになったと思います。

ただ、「+ART」という部分については、芸術系の大学を除き、普通の大学では、

まだまだポピュラーではないなと思っています。

そして私がこのような問題を考えたいと思った理由の一つに、これまでの私の 経歴があげられます。先ほどご紹介にもあずかったのですが、私は、大学を出て すぐに大学院には行かず、普通に就職しました。就職する時に何をしようかと思っ て、クリエイティヴなことをしてみたいと思い、アパレル企業に就職しました。

そこで、デザイナーになったんですね。でも、そんなに簡単にはなれないです。

初めは、ほんとにお茶くみから始めてという感じでした。

そして、このデザインということなんですけど、たとえば洋服のデザイナーと いうと、一般的には絵を描く人のようなイメージがあるのかもしれないですが、

デザイナーって絵だけ描けても全然だめなんですね。例えば、基本的にはデザイ ナーとマーチャンダイザーがペアになって仕事をします。だから、デザインだけ でなく市場調査もしていました。市場の隙間をどう狙うかとか、あるいは市場の 問題をどうやってデザインに落とし込むか、デザインをどういうふうに市場に反 映させていくかというようなこともデザイナーの仕事でした。それが一般的には デザイナーの仕事だと思います。

では、なぜデザイナーの私が今、大学教員なのか?という話をもう少し続けた いと思います。フランスでもデザインの仕事をしましたが、その時に色々なご縁 がありました。フランスの高等教育機関のグランゼコール(Grandes Écoles)の 理系の学生を、日本の企業にインターンシップさせるというプログラムを担って いたんですね。インターンシップといっても、彼らは半年とか一年の長い間、イ ンターンを行います。そのプログラムを担う講師を、縁あってすることになり、

その仕事がすごく楽しかったんですね。それで、デザイナーの仕事はもういいと 思って、日本に戻って大学院に入り直しました。

そして、今は大学教員をしているんですけども、その間にも、色々と雑多なこ とをしました。祖母が住んでいた四国の田舎で、村おこしの一環でカフェを作り ました。このカフェは今も運営しています。そういうことをやりながら、大学教 員をやって8年になります。専門は教育学で、その中でも、表現教育、あるいは

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自己表現教育ということを研究しています。

一番メインとなる教育実践研究は、自己省察としての文章表現「パーソナル・

ライティング」というもので、確か2年前ですかね、この成城大学さんの FDワー クショップにも呼んでいただきました。その時は「パーソナル・ライティング」を、

長々と、話させていただきました。その他に、誰でも参加できるようなアートワー クショップ「クリエイティヴベーシック」というものもやってました。

さらに、それとはまた別に、障害のある人の高等教育における研究活動、「イ ンクルーシブリサーチ」というのをやっています。これは始めて2年ぐらいで、

私だけでやっているのではなくて、臨床哲学の人とか、福祉の専門の方とかと一 緒にやってます。

そして、今日は、始めにお話した「+ART」をどう捉えるのかということを、「イ ンクルーシブリサーチ」、「クリエイティヴベーシック」を紹介しながら、「+ART」

をどういうふうに捉えようかということを特に大学教育の枠組みで、考えながら、

お話させていただけたらと思っています。

この「STEM」、あるいは「STEM+ART」なんですが、みなさんもご存知だと 思うのですが、「STEM」は「Science, Technology, Engineering and Mathematics」、「科 学、技術、工学、数学」という教育分野を総称する言葉です。2000年代ぐらいから、

米国で始まった教育モデルと言われています。これは別に高等教育だけでなくて、

初等教育や義務教育まで、広い段階で議論されている言葉です。要するに、科学 技術開発の競争力を向上させようという観点から、教育政策とかカリキュラムを 論じる際に言及されている言葉です。そして時を少し経て、この「STEM」だけ では駄目ではないかという論争「STEM VS. STEAM」が巻き起こりました。

今見ていただいているのは、フロリダ大学が作ったインフォグラフィックです。

「STEM+ART」の重要性を訴えていますよね。左脳と右脳があって、左脳は言語 とか数学とか、論理、会話分析、知性などをつかさどる。その反対の右脳のほう は、例えば空間認識能力やイメージ、あるいは絵画、音楽、感情、クリエイティ ビティなどをつかさどっている。だから、どちらかに重点を置くというよりも、

このバランスがすごく大事ではないかといっているんですね。このスライドの下 に、4人の顔が見えますよね。例えば、スティーブ・ジョブズや、アインシュタ

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インたちです。この人たちは、例えば技術とか論理というのも強いけれども、ク リエイティビティも突出しているじゃないかと。だから、やはりこの両方が大切 で、私たちはそういった教育を目指しますという主張のポスターなんですね。

まさに「STEAM」ということですね。「STEM」に「ART」を足した「STEAM」

の学習計画というのは、例えば、小学校では、数学や科学的な基礎をまずは育成 しながら、今よく言われる批判的な思考を身につけさせて、技術や工学を応用し、

そこから総合的なアプローチで、現実社会に存在する問題に取り組もうという方 向性で捉えられていると思います。

この場合の「STEAM」教育というのは、「STEM」に「ART」が融合されてい て、その具体的な方法として、デザインの原則的な手法を応用しています。つま り、総合的な問題解決を行う学びといえるんですね。ここ数年、問題解決能力と か課題解決力などとよくいわれていますけれども、それを行おうというものだと 思うんです。例えば私がデザイナーをやっていた時の仕事も一緒です。商品のこ こが悪いと言われたから、ではこういうふうに変えようとか、どういうふうにし たら消費者がもっと気持ちよく着てくれるか、というふうに何か問題や課題を見 つけて、それをデザインに乗せて、市場に、あるいは社会に送り出すという考え 方なのです。ですので私から言わせれば、課題解決というのは、「デザイン思考」

と言えるのではないかと考えています。

もちろん、「STEAM」というのが注目されているのは、言うまでもなくテクノ ロジーの進化ですよね。携帯、あるいはインターネット、IoTあるいは、AI、人 工知能の技術によって、大きく社会が変化していくなかでエンジニアや理数系の 人材だけでなく、芸術面に強いデザイナーも養成しなければいけないということ だと思います。あと、もう一つは、人工知能の問題もあって、人間にしかできな い領域のひとつであろうこととして「ART」が注目されているのだと思います。

とにかく、私が今見ている「STEAM」の考え方あるいは、位置づけというのは、

まずは「STEM」を前提に、そこに「ART」をつけ加えている方向性だと理解し ています。

もちろん、これを否定するわけではありません。私が、デザイナーをやってい たときもそのような仕事をやっていたと思いますし、これはこれですごく重要

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なことだと思います。ですが、その一方で、この「STEAM」の中の「ART」を また違う方向で捉えられるんじゃないかと考えているんです。「STEAM」の中の

「ART」をまた違う方向から捉えて、学びのあり方や教育方法を考えられるので はないかというのが、今、私の考えていることです。綺麗な答えはまだ出ていま せん。みなさんと一緒に、今日、この場で考えていただけたら有り難いと思って います。

インクルーシブリサーチから考える

そこで、みなさんに見ていただきたいものがあります。初めに紹介した「イン クルーシブリサーチ」という、障害のある人の高等教育における研究なんですが、

みなさんにお渡ししている袋の中にいろいろ資料が入っていると思います。「ジョ イアススクールつなぎ」と書いてあるものがあります。

そこに「福祉型専攻科」、あるいは「就労移行支援事業」とも書いているんで すけれども。「福祉型専攻科」というのは、「大学」とは正式的には言えないです が、一種の高等教育機関、つまり、障害のある人の高等教育を行う学びの場だと 思っています。そういう所に通っている学生さんと一緒に、研究をしています。

それを、私たちは、「インクルーシブリサーチ」といっています。たぶん、日 本だと、検索を掛けても、「インクルーシブリサーチ」という言葉は、まだ出て こないと思います。イギリスでは、結構、やられているみたいですが。知的障害 者の方が、調査研究のプロセスの上流に参加すること、と私たちは定義づけてい ます。これは、どこからヒントを得たかというと、「インクルーシブデザイン」

というものからヒントを得ました。「インクルーシブデザイン」というのは何か というと、これは結構、ずっと前から言われているので、検索でたくさん出てく ると思います。これまで、あらゆるものはデザイナーがデザインしていたんです けれども、そうじゃなくて、色んな文脈の人がそこに参加して、デザインの上流 のことをやってしまうということですね。それが「インクルーシプデザイン」で す。例えば、高齢者の方が着る服や障害者の方が着る服をデザイナーが、ある程 度問題を調査して、そして問題解決をしながら単独にデザインするのではなくて、

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そのデザインするところに、当事者が入ってデザインしてしまうというのが「イ ンクルーシブデザイン」ですね。

私たちは、そこからヒントを得て、インクルーシブリサーチというものをやっ ていて、今、いろんな活動をやっています。そして、この研究の一環として、ジョ イアススクールという福祉型専攻科のMさんの研究発表に出会ったんです。すご く面白いと思ったんですね。それを題材に、臨床哲学の人とか、福祉関係の人と かと一緒に、研究ワークショップをしています。そして、今日はこのMさんの研 究発表を見て、みなさんがどう思われるのか、ちょっと興味があります。では、

Mさんの発表をビデオで見ていただきたいと思います。

(映像が流れる)

【谷】 はい、ありがとうございます。映像の中の司会者の人が、最後にすごく熱 くなりましたみたいなことを言われていたんですけれども、これを見て、理屈と かはぜんぜん、述べて貰わなくても構わないんですけれども、どういうふうに感 じられたかを、ちょっと、どなたでもいいので、おっしゃっていただけないです かね?挙手していただけますか。ああ、では、どうぞ。

【山地】 普段、私もリサーチをやりますけれども、割と、先行研究を先に当たっ て、それを整理してから自分の言いたいことを、みたいになると思うんですけれ ども、そうじゃなくて、まず、自分の世界を記述するというか、ほんとの基本的 な「わかりたい」というのが、それがまず最初に表れているので、そういう素朴 さ、新鮮さみたいなことを感じましたね。ありがとうございます。

(マイクの調節)

【山地】 研究の原点というか、研究って何だろうということを、ちょっと、ふり 返させられるような感じでしたね。普段、我々の領域だったら、やっぱり業績を 作るとか、何か具体的な先行研究と繋げてどうしようかというところに関心がい

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きがちなんだけれども、そうじゃなくて、まず、自分の世界を記述するというと ころに立って、そしてできることから始めていくというところが、新鮮に感じま した。

【谷】 ありがとうございます。もうひとかたぐらい聞いてみたいんですけれども、

どなたかいらっしゃいます?素朴なことでもいいんです。たぶん、山地さんは研 究者の立場からのご意見でした。でも、ここに参加されている方は、恐らく研究 者ではない方もいらっしゃると思うんですね。そういった立場からでもいいです し、もっと素朴でいいですよ。びっくりしたとか、それぐらいでもいいです。マ イク、お願いします。

【乾】 ほんとに素朴に。実は、僕は、どんなことを喋られているのかというのが、

ほとんど聞き取れなかったんですけれども、とにかく、受けてるなというのは印 象的で、恐らくわざと受けを取りにいっていらっしゃるわけではないと思うんで すけれども、何か、自然な笑いがたくさん、ほうぼうから出てきて、すごく、羨 ましく感じました。

【谷】 パッションを感じましたよね。だから、たぶん、司会者の人も、すごく熱 くなりましたよねということをおっしゃったと思うんですね。すいません、音声 の調子が悪かったので、余計に聞き取りづらかったのもあると思います。あと、

彼の話し方というのは、慣れれば慣れるほど、何を言っているか鮮明になるんで すが、やっぱり聞き取りにくいという問題も少しあるかなと思います。でも、細 かいことは、それこそスライドもありますし、何となく感じていただけたら、も うそれで十分です。

私の中にも、色んな捉え方が二つ三つありましたけれども、一つは、おっしゃっ ていたように、とにかく、「何か羨ましいな、このパッション」みたいなことが、

まずあります。もう一つは、山地さんが言われた、とにかくわかりたいという気 持ちがすごく強くて新鮮で、これこそが研究の原点じゃないかということを、私 もすごく感じたんです。何か、自分がすごく恥ずかしくなって。一応、私も大学

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教員で、研究もしなくちゃいけないし、論文も書いているんですけど、でも何か、

ここまでのパッションを持ってやっているのかなと思ったら、ちょっと疑問で、

そしてすごく羨ましくなったということと、それこそが研究の原点といえるので はないか、と思ったりしました。

ここで、私が思い出したことがあるんですね。私、成城大学のこのセンターに 今日、呼ばれているから、持ち出すわけではないんですけれども、ここのセンター の先生で、東谷先生、そちらにいらっしゃるんですけれども、東谷さんが、『大 学での学び方—「思考」のレッスン』という本を書かれてるんですね。私、毎 年これを少し使わせてもらっているんです。全部ではなくて一部分なんですけれ ども。初年次教育の一環で、大学に入ってきたばかりの学生に、実は、大学の学 問は「お勉強というものよりも、メッチャ面白いものなんだ」っていうのを、分 かち合いたいというか、わかってもらいたくて、この本を使わせていただいてい るんです。私がかなりアレンジしていますが、この本の始めの方に書いてある ことを、ちょっと紹介させていただきます。「大学で触れる学問の世界に必要な ものは思考であり、それは『問う』ことから始まる」。「『問う』とは、『未知のも のを知ろうとすること』『すでに知っているものに疑問を持つこと』である」。東 谷さんは、「子どもの頃の方が、純粋にこうした行為を繰り返していた」けれど、

そういう体験とか面白さを、忘れてはないか?というようなことを書かれている んですね。私も、本当にそう思っているので、一年生に向けてそのような内容を 話します。私だけの言葉だけだったら説得力がないかもしれないので、この本を 時々引用させてもらっています。

そして、東谷さんはこうも書かれています。「本来学問は私たちを楽しませて くれるもので、未知のものを知りたいという好奇心から始まっている」。だけど、

「日常生活は同じことの繰り返しでパターン化してしまっている」。例えば、4月、

5月になって、親元を離れて大学に来た学生に、こういうことを話していくんで す。そうすると学生は「そういえば先生、初めは大学がメチャ、珍らしかったけど、

もうパターン化してるわ、もう授業なんかつまらないし、もうちょっとしたら寝 てるもん」とか言い出します(笑)。そうやって当たり前になりやすいからこそ、

「問う」ということは大切なんだよとか、「問う」ということは、非日常的な行為

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なんだよという話をしていきます。あるいは、子どもの時って、例えばどんぐり をたくさん集めて、それを、単純に大きい順に並べていって、それに夢中になっ たりとか、そういうことをしたよね、研究って結構そういうところから始まるか もしれないし、学問に夢中になっている先生ってそんな感じなのかもしれないね、

というような話をして、大学に誘うみたいなことをやっています。

ただ、やはり、「問い」を作るとか「問う」ということは、なかなか難しいん ですよね。何か押しつけられてやらされているという感じになってしまうことが 多くて、このMさんのように、本当に内発的に、沸々と自動販売機を調べるとい うか、そういったことはなかなか難しいですよね。もちろん、そういったモチベー ションを持って大学に入ってきている学生もいます。でも、そういう学生は多く はない。「問う」ということは面白くて、日常の何気ない現象を何か違う方向で 捉えることで、実は「問い」ってできるんだよ、ということを学生に実感しても らいたいと思っています。そして、このような「問う」ということの習慣化には、

何らかの仕掛けが必要なのではないかと思うんですね。その時に、もちろん色ん な方法があると思うんですけれども、私は、ひとつ、アートというのが、キーワー ドになるのではないかと思っているのです。

クリエイティヴベーシックから考える

それで、私が初めに言いました、誰でも参加できるアートワークショップ、ク リエイティヴベーシックといっているんですけれども、そこに「問う」というこ との可能性を探っています。私の主張としては、アートは、もはや美術系の大学 や芸大の専売特許ではないと思っています。もう、そんな時代ではないと思って いて、普通の大学というか、芸術系の大学じゃないところでも、「アート」とい うことに大きな教育的な意味が見出せるのではないかと思っています。それをど ういうふうにやるのかという課題はたくさんありますけれども、とにかく、そう 思っています。

今、みなさんのお手元にある資料で、クリエイティヴベーシックのシラバスの 例みたいなのがありませんか?「アートのワークショップ、クリエイティヴベー

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シック」という資料ですね。

どんな授業をするかというと、基本的には、15回あって、2回分でひとつのテー マを行います。例えば、11回のところを見ていただけますでしょうか。第11回、

映像系「コマ撮りピクシエーション」とありますが、第11回の時は、「コマ撮り ピクシエーション」をグループワークで作成します。第12回は、この第11回の

「コマ撮りピクシエーション」で作った作品の合評会をします。みんなで批評、

言語化していきます。第12回の後半では、第13回に何をするかという企画会議 をします。そういうふうに回を重ねていくんですけれども、ここまではある程度 ネタがあります。ですが、慣れてくると、自分たちでどんどん新たなアートワー クショップを創出できるようになります。それが最終的な目標です。それを、テー マ創出系、セルフクリエイティヴベーシックと呼んでいます。自分たちで全く新 しいアートワークショップを創出して、実践してみるということをやっています。

今日は、この第11回の『映像系「コマ撮りピクシエーション」の学生作品』

のひとつを、ちょっと、みなさんに見てもらおうと思うんです。この「コマ撮り ピクシエーション」というのは、写真を細かく撮っていく単調作業で誰でもでき ます。パラパラ漫画って、小学校の頃に、クラスの誰かがやっていましたよね。ノー トの端っこに、漫画を書いて、ペラペラとやったら動くというものですね。あれ とシステムは全く一緒です。それを写真でやるという。その作品を、みなさんに、

見ていただきます。作品名は「ロッカー」だそうです。音はないです。すぐ終わ ります。見てください。

(映像を流す)

【谷】 はい、以上です。では、またみなさんに、お聞きします。自由にあなたの 感じたことを聞かせてください。どなたでもいいです。もう本当に素朴な感じで いいです。どんなことを感じました?どなたか、お願いします。

【乾】 はい、リクルート『ケイコとマナブ』の乾と申します。

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【谷】 はい、ありがとうございます。

【乾】 単純に、ロッカーが開いたところで、「おお!」と思いました。はい、もう、

それだけの感想でございますが。

【谷】 そうです(笑)。でも、「おお!」って思いますよね。これ、どうなってい るんだろうって。結構、システムは、単純なんですよ。単純だけど、ホワイトボー ドに書いて、「これ、開く? あれー?」って思いますよね。ちょっと、マジッ クみたいな感じですよね。そういう感想を聞かせていただきたいんです。

【安部】 リタリコの安部と申します。ロッカーの場所を選んだ理由が、単純に気 になりました。

【谷】 ああ、私もそれはよくわからないけど、たぶんそれは、何でしょうね、結 構、偶然性もあるかもしれないですね。特に、これは、もちろんある程度の意図 はあったと思うんですけど。でも、これはやってみないと、どういう絵というか、

動く映像になるかというのは、わからないんですね。何というか、偶然性がかな り面白さを呼ぶというか、そういうところがあると思います。

他の回の授業も、写真だけですがちょっと紹介させていただくと、「ルームゼロ」

と名付けたりもしていたんですが、これはとても単純です。私たちが普段使って いる教室、あまり大きすぎると大変なので、小さめの教室を、模造紙とガムテー プで真っ白にするだけです。ちょっと脚立がいるけれども、天井も全部覆う。た だ、私たちの服装は、写真では頭は見えちゃってますけれども、なるべく真っ白 にして、空間も私達の存在も白くしていきます。普段、私たちが、何気なく当た り前のように使っている空間、教室が、たった一枚、まあ一枚ではないですけど、

単純なシンプルな紙と、ガムテープぐらいで、どんどん変わっていくというよう な体験ですね。これ、ちょっと、私の写真の撮り方が下手くそというのもありま すし、写真ではなかなかわかってもらえないんですけれども、実際に体験すると 本当に不思議な感覚です。何かこう、どんどん、ちょっとずつ融け込んでいくよ

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うな感覚になります。そういった不思議な体験をしながら、最終的には、なかな か言葉にならないようなことを言葉にしていくということをやっています。まさ に、教室を白くするっていうのは、日常から非日常に転換することだと思います。

あるいは、こういうこともします。「セルフ・ビルディング」といいます。これ、

何でできていると思いますか?新聞紙です。新聞紙を、くるくると巻いただけで す。でも、新聞紙をくるくると細く巻くと、ものすごく強いんですね。それをも のすごくいっぱい作ります。それを、ガムテープで補強しながら、こうやって組 み立てていくだけなんです。

学生は、ある程度こういう形の建物を作ろうと思っているけれども、これも、

ある程度モチーフの組み合わせによって偶然にできてしまう、偶然の産物みたい なところがあります。

こういった体験をしていきながら、私たちの日常を、非日常にしていくワーク ショップをしています。

もう一つ、写真は持ってきていないですが、違う回の授業を簡単に紹介します。

学校のすぐ近くの変哲のないちっぽけな公園があって砂場があります。いつも、

毎日、朝夕その前を通っているんだけど、目には映っているだけでスルーしちゃっ ているんですよね。その砂場を、石庭に変えるんです。そこに、何というのか知 らないんですけど、お茶会の時に赤い絨毯みたいなのを敷きますよね。あれを敷 いてですね、お茶会をするんです。かなりシュールな体験になりますね。

そうやって、身近なもの、身近な空間、身近な環境を、非日常化してみるんで す。それは、物とか空間だけでなくて、自分も非日常化されていく。今まで、あ りきたりだった物が、違う現象に見えてくる。自分自身もそうかもしれない。そ の時に発生するのは、モヤモヤだったり、何かこれ面白いな、何これわからへん けど、何か惹かれるとか、そういったことが、もう一杯一杯、湧き出ていくるん ですよね。それが何かなかなか言葉にならないんですけど。

それを、私は、「素の視点」というふうに呼びたいと思うんですね。スライド では、これ、わざと見にくくして「素の視点」をビジュアル化しています。とて も見にくいですね。すいません。黄色に白地で描くと、とても見にくいです。で も、このように「素の視点」とは、何かもやもやした、何か気になる、何か違和

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感を感じるというだけで、まだ、キチンと言語化していないから見えていないん です。でも、何となくはあるし、何となく存在するし、何となく見えてるんです。「素 の視点」というのは、そういうことかなと思います。そういったものが、私たち の中には、一杯一杯、本当はあるはずなんです。でも、それを意識化してあげる ということは、なかなか難しい。私は、この「素の視点」が、動機とか問いの源 だと思っています。

私は、こういったワークショップでみんなと一緒に交流しながら、はっきりし た問いまではいっていない、そういった「素の視点」を浮かび上がらせるという のが、自己表現教育のひとつの役目だと、思っています。

ここで初めの「STEMART」の話に戻りたいです。私の話はもうすぐ終わ ります。初めに私が言っていた「STEAM」の考え方というのは、じつは「デザ イン思考」で、「問題解決型」じゃないかということでした。これは、どちらか というと自分の内からというよりは、他者ありき、ユーザーありき、社会ありき で、そこからデザインを施す、ソフト面も乗せて、解決する。さまざまな課題解 決をしていく。そういった能力を鍛えるということなんです。

一方、アートは、これは、もちろん人によって定義が違うと思いますが、ひと つ言えるのは、デザインよりもまずは自分の内面からというところがある。そこ が違うと思います。これを「アート思考」という言葉で表現したいと思います。

これは「課題解決型」じゃなくて「問題提起型」になると思うんですね。課題以 前に、自らが抱く違和感とか疑問とか、あるいはワクワク感とか、つまり「素の 視点」から出立して、ありふれた日常や常識に疑問を呈する能力を養うことを、

私は考えています。

そして、今日の最初の問いに戻りますけれども、初めに私が言っていたのは、

今の「STEAM」の考え方は、「STEM」を前提に「ART」を加えています。つま り、たとえば、何か工学的な開発をして、それにソフトを付けていく「デザイン 思考」ですね。それは、社会への、他者への表現で、課題解決なんですね。今、

「課題解決」「問題解決」と、大学教育だけでなくて、小学校や中学校でも言われ ています。そういう学びや学習能力が必要なのはもちろんよくわかります。です が、その一方で、何かちょっと違和感を感じるんですね。「それだけでいいのだ

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ろうか?」って。その疑問こそが、私自身の「素の視点」なのです。ですから、

今日はまだ「素の視点」のレベルでみなさんにお話しさせてもらっているのです。

「STEAM」とは、あくまで「STEM」が前提にARTが加えられていますが、そう ではなくて、「ART」を前提に、「STEAM」を、あるいは大学の学びを捉えてみ てはどうかと思っています。それを「アート思考」と呼びたいと思います。そし て、それこそが、自己表現であり、「問題提起型」の学びではないんだろうかと思っ ています。

そして、この「素の視点」を、今は見にくいけれども、なんとかもうちょっと 見やすくして、浮き上がらせて、新しい「問い」を見つける、そういった「素の 視点」を育む教育の仕掛けが、必要なのではないか思っています。

では、私の話はここで終わらせていただきます。ご静聴、ありがとうございま した。

【会場】 拍手

[完]

※本稿は、2018310日に開催された「公開FDワークショップ’17表現教 育の可能性」を紙上にて再録したものであるが、再録に際して、講演者の谷美 奈氏より、全体の整合性や講演で紹介した個人情報を含む事例について検討し た結果、講演の一部と講演後に行われた質疑応答部分を割愛して掲載したいと のことから、今回は、ワークショップ全ての再録ではなく、講演部分を中心と した再録として掲載している。

(編集委員会)

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