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智山學報 第67 - 003田村 宗英「Marici(摩利支天)についての一考察」

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Academic year: 2021

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≪抄録≫  Mārīcī(摩利支天)は、インドにおいて古くから信仰されてきた尊格とみられ る。また、mārīcī は日本において広く知られている尊格にも関わらず、網羅的な 先行研究が少ない。このような点から、今回mārīcī を研究対象として選んだ。  本稿では、mārīcī の文献や尊格の成立について幅広く述べた。一般的に mārīcī は、太陽の光や陽炎を尊格化したものといわれるが、水とも深い関わりがある。 パーラ朝に多くの作例があることから、7-8 世紀ころには広く流布していたと推 測される。Mārīcī という名称に至った経緯は、恐らくマルト(marut)神群に由 来すると考えられる。このマルト神群は、暴風雨を尊格化したもので、カシュヤ パ仙の息子たち、もしくはルドラの息子たちなどともいわれる。  Mārīcī の特徴的な部分は、猪(varāha)が多用される点と、持物に早い段階か ら弓矢を持っていた点である。これらを考慮するとルドラ(rudra)との関係性 がみえてくる。以上を含めて、mārīcī が形成されていく一端を考察した。 0.はじめに/研究目的  Mārīcī(摩利支天)は、インドにおいて古くから信仰されてきた尊格とみられ、 Bhagavadgītā にもその名が登場する。  Mārīcī を研究対象とした目的は、ネパールでまとめられたと考えられる Saptavāra1の第 6 番目を構成している点である。Saptavāra は、筆者が現在研究を 続けているVajravidāraṇa-dhāraṇī の第 2 番目にあたるため、その構成などについ ても考察対象としている。そのため、Saptavāra に含まれている陀羅尼をそれぞ れ検討していく一環としてmārīcī を取りあげることとした。  さらに、mārīcī は日本において広く知られている尊格だが、網羅的研究がなさ 1 saptavāra (1.Vasudhārānāmāṣṭottaraśataka 2. Vajravidāraṇadhāraṇī 3. Gaṇapatihṛdaya

4. Uṣṇīṣavijayādhāraṇī 5. Parṇaśabarīdhāraṇī 6. Mārīcīdhāraṇī 7. Grahamātṛkādhāraṇī)

Mārīcī(摩利支天)についての一考察

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れていない。そのため、本稿では先行研究を再確認しつつ、仏教以前の文献研究 をも視野に入れることにより、mārīcī の全体像を俯瞰するための端緒としたい。 1.仏教以前の mārīcī について ①名称についての検討  Mārīcī は、サンスクリット語 marīci(太陽や月の光線、光、陽炎)から作られ た名称である。この marīci という語は、太陽や月の光・光線という意味だけでは なく、水とも深い関わりを持ち、「光と熱とを帯びて宇宙を循環する水の粒子」 をも指す2  これは、すでに『リグ・ヴェーダ』にみられるが、水や供物などが「太陽光線」 を経路として、天と地を循環するという考え方である。太陽光線はraśmi という 語で表され、元々は「革紐、革綱、手綱」を意味する。この太陽光線たちは、マ ルト(marut)神たち、一切神たち、祖霊たちなど様々な天的存在と等置される。 また、これら太陽光線は、「光と熱とを帯びて宇宙を循環する水の粒子」である marīci たちを飲むともいわれる。これは、太陽と祭火とを両端とした光線の道を 通って marīci たちが天地を含めた宇宙を循環することを指している3  Marīci の語根や語源については決定し難いが、太陽光線 raśmi と置き換えら れるマルト(marut)神たちとの繋がりが深いと考えられる。上述した通り、 Bhagavadgītā 第 10 章 21 偈 4に出てくる尊格の名称(ここではmarīci)で、マル ト神たちの筆頭として登場している。このマルト神たちというのは、インドラに 率いられる神々の集団であって、一般的には暴風雨を神格化したものと解釈され る。マルト(marut)は、若く、黄金に身を飾った男子たちとして表象され、イ ンドラに従って牛の略奪行に出かける表現が見出されることから、冬至を過ぎて 回復された光の象徴も示唆しているようである 5

2 M.Mayrhofer, Etymologisches Wörterbuch des Altindoarischen, vol.2.Heidelberg: Universitätsverlag C.Winter,1996,p.321

篠田知和基・丸山顯德 編(項目執筆者 後藤敏文)「アーパス」の項,『世界神話伝説 大事典』,勉誠堂,2016,pp.415-416

3 阪本(後藤)純子『生命エネルギー循環の思想 ― 業と輪廻説の起源を求めて ―』, RINDAS 伝統思想シリーズ 24, 2015,p.12

用例については、A.Weber, Indische Studien, Ⅸ .F.A.Brockhaus,1865,p.9 の註 1 を参照。 4 辻直四郎『バガヴァッド・ギーター』講談社,1980,p.67 

上村勝彦『バガヴァッド・ギーター』岩波書店,1992,p.89

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 マルト(marut)という語の神話的な由来は、『ヴァーマナ・プラーナ』に挙げ られる。この中で、マルト神群はカシュヤパ仙とその第二の妻ディティの子とし て登場する。ディティは、ダイティア(アスラの一族で、神々の敵とされる)た ちの母でもあるが、神々の首長であるインドラに自分の子どもたちを殺され、深 い悲しみに陥った。そして、夫であるカシュヤパ仙に「インドラを倒す力を持っ た子どもを授けてほしい」と頼んだところ、厳しい苦行を達成すれば望みを叶え ようと約束された。しかし、この事情を知ったインドラは、計略をめぐらして彼 女に近づいた。ある日、インドラは、激しい苦行に疲れてまどろんでいる彼女の 鼻孔から胎内に入り込み、自慢の武器であるヴァジュラによって胎児を七片に引 き裂いた。その時に胎児が泣き声をあげたので、インドラは「マー・ルダ(mā ruda /泣くな)」と言った。このインドラが発した「マー・ルダ(mā ruda)」と いうことばが元となり、子どもたちは「マルト(marut)」という名前で呼ばれる ようになったという 6  さらに、これとは別にマルト神たちは、ルドラ(rudra)の息子たちであると もいわれる。先の『ヴァーマナ・プラーナ』での逸話でインドラが発した「マー・ ルダ(mā ruda)」とルドラ(rudra)は語根√ ru(もしくは√ rud)で共通してい ることからもルドラとの関連性がうかがえる。 ②尊像についての検討  現在、mārīcī はインド・チベットともに女性の尊格として表現され、インドで はパーラ朝に多くの像が作られたようである。インドで出土したものは、いずれ も多面多臂像で、三面六臂、三面八臂に二分されるが、「オーディヤーナ・マー リーチー(Oḍḍiyāna mārīcī)」と呼ばれる六面十二臂 7のものもある。尊像の大き 大事典』,勉誠堂,2016,p.885  『リグ・ヴェーダ』第 5 巻のヴァルナ varuṇa 讃歌には、「力を誇示する勇士たち」と して示される。(阪本前掲書 p.10) 6 ヴァーマナ(vāmana)とは小人の意味で、ヴィシュヌの第 5 番目の化身。

Vāmana Purāṇa chap.69/Alain Daniélou,The Myths and Gods of India,The Classic Work on Hindu Polytheism from the Princeton Bollingen Series, 1991, Rochester, p.103

John Dowson, A classical dictionary of Hindu mythology and religion,geography,history,and

literature. London: Routledge&K.Paul,1972,p.204 ここでは mā rodīḥ と示されている。

菅沼晃 編『インド神話伝説辞典』,東京堂出版,1994, pp.314-315

7 六面十二臂の mārīcī 像は、インド東部沿岸のオリッサで多く出土することから「オー ディヤーナ・マーリーチー」と呼ばれる。(森雅秀:『インド密教の仏たち』,春秋社, 2001, p.293)

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な特徴としては、猪の顔(面)と猪の座、持物が針と糸という点である。最も一 般的なスタイルは、7 頭の猪(varāha)が牽いている車に乗る三面八臂像とされ、 Sādhanamālā (No.137)には正面が黄色、右面が赤色、左面が猪の忿怒面、右の 四本の手には針、鉤、矢、金剛杵、左の四本の手には、期剋印に羂索、弓、アショー カ樹の枝、糸を持っている 8。持物の針と糸については、悪人の目や口を縫って閉 じるという意味合いがあるとされる。針と糸を持つ尊格は他に類を見ないが、太 陽光線raśmi との関連も想定される。①「名称についての検討」の中で、太陽光 線raśmi と置き換えられるマルト(marut)神たちと mārīcī との繋がりを指摘し たが、raśmi の元々の意味合いである「革紐、革綱、手綱」、これが何かと何かを「つ なぐもの」という形で理解され、mārīcī の持物である針と糸に引き継がれた可能 性もあるのではないかと考えられる。また、ここには太陽と祭火とを両端とした 光線の道を通ってmarīci たちが天地を行き来するという考えも重ねられている のではないかと思われる。  また、猪が多数出てくることについては、森先生が詳しく論じられているが 9 mārīcī との関連を考える場合、持物の「弓矢」にも着目したい。mārīcī は仏教の 女尊の中でも早くから弓矢を持物としていた点が特徴的である 10。ここで「猪」 と「弓矢」を特徴としてみると、両者を併せ持っているのは「ルドラ(rudra)」 であることがわかる。ルドラは「天の赤い猪」とも呼ばれ、持物は棍棒(ヴァジュ ラ)と「弓矢」である。  ルドラとの関わりに注視して、一つ目の特徴である「猪(varāha)」について 検討すると『リグ・ヴェーダ』においては、ルドラやマルト神たち、ヴリトラと いった神々の呼称として使われている 11。①名称の検討において、マルト(marut) オーディヤーナ・マーリーチーの儀軌は、『バリの百成就法集』の中(Toh.3340,3344,3345 / Ota.4161,4165,4166)や Sādhanamālā にも含まれている(森前掲書同頁)。例えば、 Toh. 3344 には「六面十二臂でそれぞれの顔(面)には目が3つずつあり、右回りに赤・ 黒・白・緑・黄色の5つの顔、上方には、黒色の猪の顔がある。右手には、剣とチャ クラ、棍棒、矢、斧、独鈷杵、左手には、期剋印に羂索、カトゥヴァーンガ杖とドク ロ杯、アショーカ樹の枝と梵天の首、弓、三叉戟を持っている」とある。

8 B.Bhattacharyya, Sādhanamālā, 2vols.G.O.S.Nos.26, 41.Baroda: Oriental Institute, 1968, pp.281-283 田中公明『仏教図像学』,春秋社,2015, pp.125 9 森前掲書 pp.93-100 10 森前掲書 pp.89-90 11 Ṛg-Veda. X.86 石黒惇「ヴィシュヌの化身像―神話と図像の形成をめぐって」『愛知学院大学文学部

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からmarīci―mārīcī に至ったと仮定したが、ルドラを通して猪と mārīcī の繋がり が見出される。また、マルト神たちはルドラの息子たちであるともいわれる。特 に、複数形「ルドラたち」と呼ばれる場合はマルト神たちを指すという 12。また、 先述した通り、ルドラの特徴的な持物は、棍棒(ヴァジュラ)と「弓矢」であり、 mārīcī が仏教の女尊の中でも早くから弓矢を持物としていた点が共通項として挙 げられる。  このようなことから、mārīcī の名称の基と考えられるマルト神たちが、ルドラ の息子たちと呼ばれる点、ルドラが「天の赤い猪」と呼ばれる点や持物の特徴が 弓矢という点などから、mārīcī はルドラの影響を強く受けて形成されてきたので はないかと考えられる。  加えて、ブラーフマナ文献の時代に至ると、猪(varāha)は雲や水(原初の水) と同一視されるようになったという 13。Mārīcī は、水とも深い関わりを持ち「光 と熱とを帯びて宇宙を循環する水の粒子」をも意味するところから、猪(varāha) との関連性が指摘される。また、後代において猪(varāha)がヴィシュヌの化身 として統一されていく過程では、太陽と関係する尊格との密接な関係があるとさ れる。ここで猪(varāha)を介して水と太陽(光と熱)との関わりも見出される。  以上のことから、mārīcī という尊格は太陽が象徴する光や熱、それに加えて水 を象徴する尊格やモチーフと重層的なつながりを持ちながら形成されてきたと考 えられ得る。 2.文献について  文献 14上の位置について、『プトン仏教史』(Toh 蔵外 5197)・第四章「目録部」 15 においては、所作タントラのうち「仏頂尊(タントラ)類」として分類されている。 紀要』24, 1995,p.24 辻直四郎『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波書店,1970, pp.180-185 石黒説では、猪(varāha)がヴィシュヌの化身となっていく過程で、Ṛg-Veda. X.86 を挙げ、ヴリシャーカピ(vr˳sākapi)が猪(varāha)を表すとされているが、辻訳で は「猿猴ヴリシャーカピ」となっている。ヴリシャーカピが、どの段階で猪(varāha) とされたのか検討が必要。 12 篠田知和基・丸山顯德 編(項目執筆者 後藤敏文)「ルドラ」の項,『世界神話伝説大 事典』,勉誠堂,2016, p.939 13 石黒前掲書 p.25 14 陀羅尼本文などについては、塚本啓祥 他 編『梵語仏典の研究Ⅳ 密教経典編』,平楽 寺書店,1990, p.94 を参照のこと。 15 西岡前掲書

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 また、ケートゥップ・ジェの『タントラ概論』(Toh. 蔵外 5489)では、所 作タントラで、その中でも如来部の母尊のグループに入ると述べている。 引 き 続 き、Toh.564(Ārya mārīcī nāma dhāranī /’phags pa ’od zer can shes bya ba’i gzungs)を「陀羅尼を功徳とともに説示しているもの」、Toh.565(Māyā mārīcijātatantrād uddhṛtakalparāja nāma / Sgyu ma’i ’od zer can ’byung ba’i rgyud las ’byung ba’i rtog ba’i rgayl po shes bya ba)を「陀羅尼の解説と成就法と詳細 な儀軌などを説示するもの」として、この二種類を所作タントラとして信頼で き る と し て い る が、Toh.566(Ārya mārīcimaṇḍalavidhimārīcijātadvādaśasahasrād uddhṛtakalpahṛdayasaptaśata nāma /’phags ma ’od zer can gyi dkyil ‘khor gyi cho ga ’od zer can ’byung ba’i rgyud stong phrag bcu gnyis pa las phyung ba’i rtog pa’i snying po bdun brgya pa shes bya ba)に関しては「一万二千頌のもの 16から抜粋したもの で、二十五尊、十一尊、五尊の成就法と儀軌が説示されている。所作タントラに 基づいた部分的な教えと儀軌と修習と供養の実践が見られるが、生起次第、究竟 次第など無上瑜伽タントラの述語が多く使われるし、他に疑わしいところが多く 見られる」と述べている 17  以上のような言及があるが、概して「所作タントラ」に位置付けられるとみて よいであろう。  儀軌類については少し注意を要する。まず、Sādhanamālā の中で mārīcī に関す るものが、16 篇(No.132-147)ある。これについては、高橋尚夫先生が論文中 18 で、チベット語訳との対応を一覧表にして挙げておられる。また、この論文中で、 Sādhanamālā に含まれているもの 16 篇、それに加えて、チベット語訳にはもう 16 これは「一万二千頌ある経典」という意味だと思われるが、同じような記述が ’phags ma ’od zer can ma`i lha tshogs(’jigs med chos kyi rdo rje : Bod brgyud nang bstan

lha tshogs chen mo bshug so, 青海民族出版社,2001)p.713 に見られる。ここでは、黄

色のmārīcī は、ドルジェンデンパ(rdo rje gdan pa)の六法であり、これをバリ翻訳 官が伝授されて儀軌としてまとめたと述べられている。さらに、一万二千頌のもの から抜粋してまとめたとも述べており、その後に12の儀軌が列挙されているが、 内容は『バリの百成就法』に入っているものと似通っている。あくまで推測ではあ るが、バリ翻訳官がドルジェンデンパ(rdo rje gdan pa)という阿闍梨から伝授をう けた際には、「一万二千頌ある経典」を拠りどころとしていたのかもしれない。 17 F.D.Lessing & Alex Wayman, Introduction to the Buddhist Tantric Systems. India: Motilal

Banarsidass Pub, 1968, pp.112-113

18 Sādhanamālā とチベット語訳との対応は、高橋尚夫:「アーナンダガルバ作 摩利支 天成就法」(『頼富本宏博士還暦記念論文集 マンダラの諸相と文化 上―金剛界の 巻』,2005,法藏館)に詳しい。

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3 本あるとして合計 19 本 19の儀軌(成就法)があると述べられている。

 これらも踏まえた上で今一度調べてみると、タイトルにはmārīcī とは記載さ れていないものの、内容や奥書などに、mārīcī の名称が出てきているものがあっ た。以下に示した目録の該当番号に網かけをしているが、Toh.3236 と Ota.4057 (Dhāraṇīpāṭhopadeśa/gsungs gdon pa’i man ngag)は、タイトルには尊格名の表記 がないものの、帰敬文ならびに奥書にmārīcī が明記されていることから、これら もmārīcī の儀軌として挙げておきたい。また、Ota. のみに入っているものとして、 Ota.4482(mārīcīdevīsādhana/lha mo’od zer can gyi sgrub thabs)も挙げられる。これ はプトンの目録 20には入っていることから、恐らくデルゲ版では抜けてしまった ものと推測される。  後に詳述するが、mārīcī の成就法について相承系譜をたどると、サキャ寺の二 代目座主バリ・リンチェンタク(バリ翻訳官)の名前が出てくる。そこから『バ リの百成就法集』(Toh.3306-3399)についても調べてみたところ、mārīcī の成就 法が 6 本入っていたので、加えて記載しておきたい(目録の該当番号の下に波線 を引いている)。  以上、現時点で確認できるmārīcī 関連の儀軌は、Toh. では 26 本、Ota. では 27 本である。新出文献を中心に今後検討していきたい。 【儀軌類】 Tib: Toh .3226-3234, 3236,3340-3345 ,3522-3537,3660-3662 Ota. 4047-4055,4057,4161-4166,4344-4359,4482,4483-4485 【帰敬文・奥書にmārīcī が明記されているもの】

  Toh .3236/ Ota. 4057(Dhāraṇīpāṭhopadeśa/gsungs gdon pa’i man ngag) 【『バリの百成就法集』(Toh.3306-3399)に入っているもの】

   Toh. 3340/ Ota. 4161 (Uḍḍiyānamārīcīsādhana/uDyan gyi ’od zer can gyi sgrub pa’i thabs) 19 これは、Toh.3226-3228,3234-3229 それに対応する Ota の 9 本が訳者は違うけれども 同じ内容である、つまりは重複しているということから、16 本+その他の 3 本とい うことで 19 本という数を挙げておられる。 20 西岡祖秀「『プトゥン仏教史』目録部索引Ⅲ」『東京大学文学部文化交流研究施設研 究紀要』6,1983

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   Toh. 3341/ Ota. 4162(Kalpoktamārīcīsādhana/rtog pa nas rsungs pa’i ’od zer can gyi sgrub pa’i thabs)

   Toh. 3342/ Ota. 4163(Kalpoktavidhinā sitamārīcīsādhana/rtog pa las gsungs pa’i cho ga ’od zer can dkar mo’i sgrub thabs)

   Toh. 3343/ Ota. 4164(Aśokakāṇḍāmārīcīsādhana/mya ngan med pa’i zhing gi ’od zer can gyi sgrubs thabs)

   Toh. 3344 / Ota. 4165 (Uḍḍiyānamārīcīsādhna/uDyan gyi ’od zer can gyi sgrub pa’i thabs)

   Toh. 3345/ Ota. 4166 (Oḍḍiyānakramamārīcīsādhana/uDyan gyi rim pa’i ’od zer can gyi sgrub pa’i thabs)

【Ota のみに入っているもの】

  Ota. 4482 (mārīcīdevīsādhana/lha mo’od zer can gyi sgrub thabs) 3、相承系譜について

 mārīcī の儀軌について、その相承系譜を確認するとサキャ派との結びつきが深 いのではないかと考えられる。現在確認できるものは、ダラムサラで発行されて いる成就法集Zur kha brgya rtsaḥi dkal chag bshugs so 21所収のmārīcī に関する箇所 である。ここでは、秘密金剛手-偉大な成就者jitāri/jetāri 22-ドルジェンデンパ (rdo rje gdan pa che chung23)-バリ翻訳官―白衣の三人(これはサキャ派の在家の 偉大な祖師である、クンガーニンポ・スーナムツェーモ・タクパギャルツェンの ことを意味していると考えられる)―サキャパンディタ・クンガーギャルツェン (サパン)―ドゴン・パクパ・ロドー・ギャルツェン(ここまでがサキャ派初期 の五祖といわれる)、それからダライ・ラマ8世のヨンジン(先生)であったイェー シェー・ギャルツェン、ゴルパの創始者であるゴルチェン・クンガ・サンポ 24 などが名を連ねている。このことから、サキャ派とのつながりが非常に深いとい 21 智山伝法院のクンチョック・シタル先生よりご提供いただいた。

22 ここでの表記は grub chen dgra las rnam rgyal であるが、ケートゥップ・ジェの『タン トラ概論』においてjitāri もしくは jetāri という阿闍梨が出てくるため、このように 表した。

23 ドルジェンデンパと呼ばれる阿闍梨だと思われるが、che chung(大小)とついている。 二人いたのか、それともこのような呼び方をされていたのかは不明であるが、バリ 翻訳官に成就法集を伝えた人物としてしばしば名前が出てくる。

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うことがわかる。また、続いてニンマ派のことも出てくるが、今回はサキャ派だ けを取りあげ、その他の派については今後確認を取っていきたい。 4、おわりに  これまで仏教以前も含めてmārīcī の全体像について触れてきたが、様々な面 で考慮すべき点が多い。今回、図像においてはmārīcī の持物である「猪」や「弓 矢」に着目しながらルドラとの関係性をみてきたが、インド・チベットでmārīcī が女性の尊格として表現されるのに対し、日本では平安時代に伝えられて以降、 特に戦いの神、軍神としての性格が強められて、猛々しい男性の尊格として表現 されるようになったのは非常に興味深いところである。  今後、見出された文献に基づきつつ、mārīcī という尊格がどのように形作られ ていったのか、その過程をたどるとともに、mārīcī の功徳や図像における懸念事 項を検討していきたい。

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