[研究ノート]
ウィラトゥ比丘と仏教団体「民族・宗教を保護する会」
(マバタ:MaBaTha)の
反イスラームキャンペーンについて
平 木 光 二
Wirathu, Buddhist Monk, and the Anti-Islam Campaign
of the Buddhist Group for Protection of Race and Religion
(MaBaTha)
Hiraki, Koji
The general impression of Myanmar monks is that they do not participate in politics. However, even under the military regime which has suppressed political activities by force, Buddhist monk activists have existed.
Wirathu, a Buddhist monk activist, launched an anti-Islam campaign called 969 through anti-Islam hate speech and the distribution of propaganda leaflets to citizens by establishing a hard-line group for Protection of Race and Religion (MaBaTha).
The author sets up a hypothesis that the islamophobia held by successive presidents and racist monks has been a primary factor of ethno-religious conflict between Myanmar-muslims including the Rohingyas and ethnic Rakhine (Arakanese), Mon and Myanmar Buddhists.
For a better understanding of the features of MaBaTha that have been rumored to incite racially and religiously triggered violence, the author questioned the legitimacy of the emblem of the 969 campaign and that of establishment of a religious group.
The results show that the emblem of the 969 campaign is not officially approved by the Ministry of Religious Affairs and that Wirathu was ordered not to establish a religious association by the State Sangha Maha Nayaka Committee which is a government-appointed body that oversees Buddhist
monkhood.
Despite that, why could Wirathu continue the 969 campaign? The author suggests the reason is that islamophobic President Thein Sein afforded Wirathu and MaBaTha special benefit in every way, which enabled him to openly participate in politics.
The study concludes Myanmar people’s innermost fear of Islam has been the primary factor of conflicts between Myanmar-muslims and ethnic Rakhine (Arakanese), Mon and Myanmar Buddhists.
キーワード: ウィラトゥ,イスラモフォビア,マバタ(MaBaTha),民族・宗 教保護法,ミャンマー・ムスリム
1.はじめに
2012年6月,ミャンマー西部に位置するラカイン州で,上座仏教徒のラ カイン族とイスラーム教徒の Rohingya(ロヒンギャ・ロヒンジャー)(1)との間で激 しい民族・宗教間衝突が起きた。この事件を契機として,Rohingya 問題が 世界に広く知られることとなった。 その衝突に関して見方がいくつかある。その1つに,衝突の2ヵ月前の 2012年4月,民政移管後の初の補欠選挙でアウンサンスーチー率いる国民 民主連盟(National League for Democracy:NLD)が40議席以上を獲得した選挙結果 (に不満をいだく政治勢力)と関係付ける見方がある。あるいはつぎのよう な説がある。テインセイン大統領の新政権が発足した2011年以降暴動が頻 発したことから,軍事政権から民主主義体制へ移行する政治的にも社会的に も不安定な過渡期であるがゆえに起きた現象であるとする見方がそれであ る(2)。 しかし,なぜミャンマーでイスラーム教徒と仏教徒のあいだでしばしば衝 突が起きるのか──2012年の衝突はその象徴にすぎない──,その問題を 根本から問い直すと,前者の説はたんに Rohingya-ラカイン衝突という個別 の事象の原因を示しているにすぎないし,後者の説は,軍事政権のパワーバ ランスが崩れたために暴動の誘発を招いたと考える説だとすると,軍事政権が強権を行使して政治活動を封じ込めていた2001年にも200人以上の犠牲者 をだした暴動(3)が起きているが,その原因をどう説明するのかという問題が 残る。そもそもテインセイン大統領政権下において軍の力が弱体化した兆候 は認められなかったし,現アウンサンスーチー新体制の現在においても軍の 力は依然として強大である。しかも Rohingya-ラカイン衝突に類する騒乱や 暴動はいまにはじまった現象ではなく,19世紀の植民地時代からすでにイ ンド人とのあいだで見られた現象である。 ビルマ(ミャンマー)は,そういう意味ではおそらくヨーロッパの国々に先 んじてイスラーム教徒との摩擦を経験してきた国だといえる。植民地時代に ビルマ人がインド人の金貸しや地主に苦しめられたことはよく知られている 事実であるが,しかしそれはあくまで経済に起因するトラブルであって,イ スラームという宗教を嫌悪していたのではなかったようである。ところが, 斎藤[2010:10]によれば,1938年7月イスラーム教徒シュエピーが書いた書 物が発端となり,反インド人(反ムスリム(4)斎藤注)暴動へと発展していった, という。もしそうだとすると,はじめは嫌悪の対象がインド人という人種 (民族)に向けられていたのであるが,しだいにかれらの信仰する宗教までも が嫌悪の対象となっていたのではないかという推測が成り立つ。 話をイスラーム教徒と仏教徒の民族・宗教間衝突の原因に戻すと,イ ギリス植民地時代からビルマ人のあいだに燻っていたイスラモフォビア (islamophobia),すなわちイスラームを嫌悪,敵視する感情が次世代のビルマ人 たちにも受け継がれていて,そうした敵対感情がビルマ人の意識のなかに潜 んでいるが故に,些細な原因(犯罪的行為を発端として発生する場合もあるが)を口実 に,憎悪が増幅してミャンマー・ムスリム(5)とのあいだで流血騒ぎとなり, 民族・宗教間衝突へとエスカレートするのでないかというのが筆者の仮説で ある。 しかも植民地時代と異なり現代においては,経済的不利益を蒙っていると イスラーム教徒に不満を募らせる民族はビルマ族以外にもモン族の仏教徒の なかにも存在しているので,モン族の仏教徒たちの動向にも目を向ける必要
がある。 ところで,ミャンマー人は,ビルマ族が生まれながらにして仏教徒である ことをあたかも自明のこととみなす傾向があるが,このような民族観に基づ くと,仏教徒でないミャンマー人などという存在は仮想の民族にすぎず,し たがって現実の世界において,たとえイギリス独立前からミャンマーに住み つき,ビルマ語を話し,髭を落とし外見も服装もミャンマー人のように振 舞っていようとも,その宗教が仏教でなければミャンマー人とは認められ ず異人種(ルーミョウヂャー)とみなされて,民族,宗教差別を受けるリスクを 背負うことになる。ラカイン州のカマン族(6)がそのよい例である。かれらは Rohingya と異なり国籍を認められた国民であるのだが,その事実は暴徒に とって何の意味をなさず,イスラーム教徒であるがためにかれらも襲われた のである。不法移民ではないカマン族が襲われるのはそういう理由からであ る。 ビルマ人の民族・宗教観がそのようなものであるとして,ビルマ国民のエ スニシティ意識を巧みに利用するものがいた。ネーウィン,ソーマウン,タ ンシュエ,テインセインといった独立後ビルマという国を支配し統治してき た政治権力者たちがそれである。そして重要なことは,1人の例外もなくか れらはみな軍人か元軍人であったという事実である。その事実を過小評価す べきではないと思う。2016年文民初の大統領が誕生するまでじつに半世紀 以上にわたって,かれら軍人が政治,経済はもとより宗教についても,軍人 の視点から宗教省を通じて仏教大学の創立やサンガ機構の構築,あるいは僧 尼を顕彰する制度にいたるまでさまざまな宗教施策を実施してきたのであ る。 2008年の新憲法において,「仏教,キリスト教,イスラーム,ヒンドゥー 教,精霊信仰を国家に存在する宗教として認定する」(第362条)と謳い信教 の自由を保障しているが,信仰の自由が奪われているのが実状であり,とり わけイスラームがその対象となっているのは周知の通りである。その理由と して,イスラーム教徒の人口問題と海外のイスラーム諸国から潜在的な経済
および宗教的圧力を受けていることがあげられる。 人口問題に関していうと,ムスリムの人口増とその結果もたらされる人口 過密が引き起こす諸問題が政府当局者を悩まし,ラカイン州の人々にとって 差し迫った現実の脅威となっているという背景がある。しかし,後者の経済 および宗教的圧力に関する問題のほうが民族の心理にかかわる問題でより深 刻である。「ムスリムはかれらの宗教を仏教徒に押し付け,仏教徒の女性を 盗もうとしている」「サウジアラビア(7)が陰でムスリムのビジネスやモスク を支援している」と不満をもらす軍の士官や政府高官の発言にイスラーム諸 国とりわけサウジアラビアにたいする不安や恐怖の念を見て取ることができ る。 こうしたイスラームにたいする不安の念,恐怖心をネーウィン将軍以下テ インセイン大統領にいたる政治指導者らは抱いていたのではないかと想像す る。なぜならネーウィン将軍がクーデターで政権を奪取してまず着手したこ とは国軍からムスリムを排除することであったし,かれらが独占してきたビ ジネスを終焉に追い込んだのもネーウィンであった。アウンサンスーチーへ 政権移譲を履行したことで評価を得たテインセイン大統領ですら,Rohingya 問題を例にとっていえば,みずからラカイン州に入って現地を視察したのは 暴動発生から16ヵ月後のことであり,在任中も Rohingya の人権問題につい て深くコミットせず,総選挙で敗北する前に駆け込み的に反イスラーム法を 成立させたことからも,テインセインもイスラームにたいしてネガティブな 思考を持っていた人物であったと想像される。 イスラームにたいする嫌悪感は,政治権力者や国軍の軍人ばかりでなく寛 容な心をそなえているべき宗教者である比丘や尼僧たちの意識のなかにも潜 んでいるのであって,人種的にもウィラトゥ比丘などのミャンマー人にかぎ らず,サッダンマ(Ashin Saddhamma)比丘などモン族の人々のなかにもいるこ とが植民地時代と異なるところである。 本稿は,ミャンマー国内のメディアのほかに,諸外国のメディア,政府機 関,人権団体等が発信する電子版のニュース,記事,論考を主たる情報源と
して,ウィラトゥとはどういう人物なのか,かれがめざしたものは何だった
のか,そしてウィラトゥとサッダンマらが結成したマバタ(MaBaTha)の運動
の実態について記述を試みたものである。したがって本稿は現地調査を実施 して執筆したものではないことをはじめにお断りしておく。
2.ウィラトゥ,サッダンマと969キャンペーン
2013年,Time 誌 “THE FACE OF BUDDHIST TERROR” で一躍,時の人に
なったウィラトゥ(法名 Ashin Viccitta Bivamsa)は,マンダレー近郊の村で生まれ,
17歳で出家し,現在約2500名の僧が止住する新マソーイエン僧院(マンダレー) の僧院長である。 ウィラトゥは Time 誌で脚光を浴びる10年以上も前に,反イスラーム感情 を扇動する文書を配布した罪(8)で逮捕投獄された経歴をもつ活動家の比丘 である。その罪で25年の禁固刑が言渡されてオーボ刑務所に収容されたが, 9年後の2012年1月恩赦により釈放された。 かれには精神的な師と仰ぐ人物がいる。仏教普及伝道局初代局長チョール イン(U Kyaw Lwin)である。チョールインは元比丘であって仏教思想に造詣が 深く,宗教布教推進局から『ひとりの善き仏教徒』という浩瀚な書物を出版 しているが,969の思想は本書に述べられている伝統的信念に基づいている とされ,しかも書名のみを改題して再刊された『最上の仏教徒』(2000年)の 表紙が969のロゴの原型であるといわれている。チョールインは2001年に亡 くなるが,かれの子息は,「ウィラトゥは仏教の普及と伝道というだれもや らないことを実行すると父が高く評価していた」と述懐している。チョール インの死後ほどなくして,ウィラトゥは,「わが民族が消滅する恐怖」と題 する反ムスリム文書を配布し説法を開始した。 一方,ビルマ族よりも先に上座仏教を受容した民族であると自負するモン 族と呼ばれる南部に住む人々のなかにも反イスラームキャンペーンを行う比 丘と在家支援者が存在する。モン州の州都モーラミャイン在住のサッダンマ 比丘とウィマラ(Vimala)比丘らである。モン人のアイデンティティーである
仏教が衰退することを危惧し,仏教を普及させることを比丘の責務ととらえ るモン人気質を受け継ぐかれらは,マンダレーのウィラトゥとは無関係に独 自に始めていた。2012年10月頃のことである。 かれらの運動の特徴は969というシンボリックな数字を用いたことにあ る。これを考案したサッダンマは,「969」について「仏教の要諦は仏法僧の 三宝である。もし仏教徒の心のなかにそれがなければ,信仰は失われてしま う。969は三宝をあらわしているのである。仏教に関心がない人々に仏教を 普及するためにこれをつくったのだ」と説明し,そのアイデアはチョールイ ンの『ひとりの善き仏教徒』からヒントを得たと述べている。イスラームの 「786」に対抗してつくられたシンボルが「969」である。 かれらは地元のモン州で969ロゴを用いて運動を開始した。969ロゴを用 いるという新奇なスタイルに着目した国内外のメディアはかれらの運動を 969キャンペーン等と報道し,サッダンマがウィラトゥらと合流して全国規 模の運動へと発展した後も969ロゴを使用したので,マバタの運動も969キャ ンペーンと呼ぶ。 では,なぜモン人がイスラーム教徒を排斥し反ムスリムの立場をとるの か。サッダンマの支援者であるモン人の女性法律家の説明によれば,ムスリ ムがビジネスから仏教徒を締め出したからだという。イスラーム教徒との商 取引をめぐって,モン人のあいだにおいても仏教徒を排斥して許せないとい う不満が蓄積していることがうかがえる。 サッダンマらがとった行動は,ムスリムが経営するバスには乗らないとい うボイコット運動であり,仏教の普及活動であった。そして高校生以下の児 童・学生に仏教を普及させるには仏教教育を学校の必須科目にするのが近道 であると考え,法制化を視野に入れて活動している。その成果のひとつが, マバタのメンバーであるパンニャヴァラ比丘が2016年6月ヤンゴンに建設 したマホータダー高校(9)の開校である。
3.969キャンペーン
──イスラモフォビアを煽るリーフレット,説法 ウィラトゥは,969キャンペーンの遂行にあたり,リーフレットの頒布 や説法会の開催,フェイスブック(Facebook)(10)を活用した。市民に頒布した リーフレットには,仏法僧の文字と,「民族,宗教を防衛せよ」の見出しの もと,「①ムスリム・カラーが販売する786(ハラール,HALAL)商品の購入を 避けよ。②かれらとの人間関係,結婚,ビジネスを避けよ。③ミャンマー女 性はかれらとの恋愛を避けよ。④ラカイン人のことを気にかけよ。ミャン マーがイスラーム国家になることを阻止する責務をわれわれはみな負ってい る」と,反イスラーム感情を煽る人種差別用語を使った過激な文句が踊って いる。 ウィラトゥは全国各地で969説法集会を開催し,カイン(カレン)州パー アンでこう説法している(11)。 「⑤モスクは敵の建物である。だからモスクを破壊しても罪にはならない」, 「⑥イスラームの教えによれば,ムスリム・カラーがミャンマー女性をレイ プすれば,その男は階級が上がる」,「⑦テインセイン大統領はロヒンジャー を非難する姿勢を明確にしているので賞賛に値するが,スーチーは沈黙した ままである。だから大統領を支持しよう」 「⑧ムスリムは豚肉を食べない。だがこの国で手にはいる肉といえば豚肉 だ。だからかれらは豚肉を食べるべきなのだ。⑨豚を食べないかれらが,豚 肉を食すミャンマー女性を追いかけまわしている。どうやってかれらを理解 しろというのだ」 「⑩ムスリムの女性は夏でも衣服で身体全体を覆っている。暑いのにご苦 労なことだ。⑪ムスリム男性との結婚は親に毒を飲ませるのに等しい悪業 だ。⑫かれらの嫁となった女は仏陀の像を踏まされて,イスラームに改宗さ せられてしまう。⑬われわれは一致団結すべきだ。このカイン(カレン)州 がムスリムのものになってもいいのか。⑭わたしは殉教者だ。わたしは宗教 戦士だ。ブラックを恐れる必要はない。⑮かれらと関わるな」と。以上の内容を整理すると,969は,イスラームの脅威から民族,宗教(仏 教),および国家の防衛を目的としているということができる。 民族の防衛とは,ビルマ民族(実質的にはミャンマー人女性)の防衛であり,宗 教(仏教)の防衛とは,ビルマ民族のアイデンティティーである仏教の護持 であり,国家の防衛とは,仏教国であるミャンマーがイスラーム国にならぬ よう防衛することである。そして説法のなかに,実行手段,方法が明示され ている。すなわち民族の防衛については,ムスリム男性との結婚の制限やイ スラーム教徒との人間,社会関係の遮断(②,③,⑪,⑫,⑮)が,宗教 (仏教)の防衛については,自国民の仏教離れを食い止め青少年への普及活動 と,異教の拡大の阻止(④,⑤),国家の防衛については,不買運動(①, ②),愛国心の鼓舞,発揚(④,⑬)が示されている。 しかしその一方で,かれの969説法は,根拠に基づかない発言(⑥)やム スリムの食物禁忌や服装を誹謗中傷して反イスラーム感情を煽るヘイトス ピーチ(⑧,⑨,⑩)で満ちているのだが,「ビルマ民主の声」役員,エー チャンナインは,969キャンペーンをビジネスを仏教徒の手に取り戻そうと いうアピールが民衆に受けているのだと分析する(12)。 2013年1月頃,ヤンゴンのタクシー,バス,商店などに支援者らの手に よって969キャンペーンのステッカーが貼られ始め,仏教徒である消費者 はステッカーが貼られている店で買いものをするようになった。その結果, 969のロゴ表示を店頭に掲示した店は売り上げが増加したが,ムスリムの商 店は顧客を失った。そしてかれらムスリムは顧客を失っただけでなく,ミャ ンマー人の友人たちが自分から距離をおくようになったという。たった1枚 の969ステッカーが長年にミャンマー人との人間関係をも破壊するに至った のである。 イスラーム教徒の目には969のステッカーは暴動が始まるサインと映り, 三宝の威徳の象徴である969が異教徒の生活や存在を脅かす道具として使わ れたわけである。
4.民族・宗教を保護する会の結成と,会の正当性について
モン州では,サッダンマらのグループが,一方マンダレーではウィラ トゥらのグループがそれぞれ独自に活動していたが,両者は統合して2013 年6月,「民族・宗教を保護する会」(Amyoda Batha Thatha.na Saun.-shauk-ye
Ahpwe:マバタ(MaBaTha)と略称)を結成し,会長にはアビダルマ研究の学僧
ウー・ティローカ(U Tiloka Bhivamsa)長老(13)が就任した。
ところが,969についても,またマバタという団体それ自体についても, その合法性や会の正統性について疑惑が持たれている。これに関して,宗 教省は「わが省は969キャンペーンによって仏教僧のネットワークをつく ることを認可していないし,それを指示したこともない」との声明を出し,
サンガの最高決定機関である国家サンガ大長老会議(State Sangha Maha Nayaka
Committee:SSMNC)副議長グナリンカーラも,2013年9月2日,SMNC の規則 に抵触するという理由により969キャンペーンに基づく組織をつくること, 969のロゴを仏教という宗教のシンボルとして用いることを禁じる指令を出 していて(14),当局者は一致して969は非合法であり,会は正統でないとの 判断を示しているのである。 それにもかかわらず,ウィラトゥが命令を無視して違法な運動を止めな かったが,それを可能にしたのは,「969は平和のシンボルであり,ウィラ トゥはブッダの息子である」と彼を擁護したテインセイン大統領の存在が あったからである。そして,2013年4月,あるムスリム男性が商店から(宗 教省により宗教的価値がないと判断された)969ステッカーを剥ぎ取った行為にたい してバゴー裁判所は,「宗教感情を踏みにじる故意および悪意の行為を禁じ る」とする植民地時代につくられた刑法の条文を適用して2年の禁固刑を言 渡すという不可解な判決がでたが,この事例もテインセイン大統領の権力を 前提にしなければ理解しがたい裁判なのである。ウィマラ自身,「われわれ が差別的説法をしても当局が規制しないのは,われわれを支援してくれてい るからだ」と語っている通りである。
また,説法会が開催された後,決まって暴動が起きるという疑惑がウィラ トゥ同様サッダンマらについても持たれている。2013年3月,マンダレー 管区メイッティーラで大規模な暴動が起きた直後,「あなたがたの運動が宗 教暴動を引き起こしているという世論についてどう思うか」とメディアに 問われ,サッダンマは「われわれは仏教のためだけに活動している。三宝 は人々の心に平安をもたらす水のようなものである。それを配っているだ けだ」「では,暴動で破壊された建物に969のロゴがスプレーされているが, それについてどう思うか」との質問に,「969ロゴをどう使用するかは人次 第だ。969はモーラミャインで始まったが,われわれが969について説法し ている地元やエーヤーワディー川のデルタ地域では暴動は起きていない。メ イッティーラで969リーフレットは発見されていないし,配布したものもい ない」と答え,メイッティーラでの反イスラーム暴動への関与を否定した。 [The IRRAWADDY 2013.6.19.] 果てしなく続くかにみえた民族・宗教間衝突は,メイッティーラ暴動の 1週間後に起きた事故(事件)を境に事態は終息へ向かっていった。2013 年4月2日未明,ヤンゴンにあるイスラームの寄宿制の高等教育施設マド ラサ(madrasa)(15)から出火し,就寝中の10代の生徒13名が焼死するという事 故が起きた。このマドラサには13歳から16歳までの約70名のムスリム学生 が在籍していた。現場検証をした調査団は老朽化したブレーカーを出火原 因であると断定し事故として処理したが,この報道を知って衝撃を受けた Kurukshetra 大学のムスリムのシャヒド・アフマドはその2日後次のような 内省的文章をウエブ上に掲載した。「ムスリムは自分たちが憎悪の対象にな りつつあることを反省する時がきていることを認識すべきである。ヤンゴン のマドラサのこどもたちを焼死させた仏教徒を非難する資格がわれわれにあ るだろうか。答えはノーである。パキスタンでは,多数派のムスリムが少数 民族であるキリスト教徒や仏教徒を不信仰者(kafir)として殺害してきてい るのであるから」と(16)。 この事件は,標的が一般人ではなくマドラサの神学生であるということ,
しかもまだ十代のこどもが狙われた点がこれまでの暴動と異質であり,この 事故(事件)によりイスラーム教徒を標的とする暴力も行き着くところまで いった感がある。
5.民族・宗教保護法の法制化をめざして
マバタ結成の約1週間後の2013年6月,マバタの指導僧が集まり会合が 開催された。そこで仏教徒とムスリムの緊張を緩和する方策についてや,民 族と宗教を防衛するにはどうすべきかが話し合われる予定だった。ところが 突如ウィラトゥが,仏教徒女性がムスリム男性と結婚するにあたっては両親 と役所の許可を必要とすること,仏教徒女性との結婚を欲するムスリム男性 は仏教に改宗することとし,違反者には10年の禁固刑を科し財産を没収す る──等の私案を提示し,それを議論するよう求めた。ところがあまりに過 激な主張であったために会議は紛糾したが,最終的には大統領,議員に圧力 をかけて法制化を目指すことで意見がまとまった。会議終了後,メンバーの ダンマピヤ長老は「この法案は仏教徒女性の権利を守るためのものであっ て,人権侵害にはあたらない」との見解を示した。 会議の内容が外部に漏れ伝わると,イスラーム教徒からも,またミャン マー女性でつくる人権団体からも激しい反発の声があがり,アウンサンスー チーは「女性の権利と人権の侵害である」とのコメントを出したが,この時 点では2年後に法案が議会で可決されるとはだれも予想していなかった。一 方ティローカ会長,ウィラトゥらはネーピ−ドーで法制化にむけて,大統 領,関係大臣と非公式に接触し水面下で動いていたのである。それを嗅ぎ付 けたロイターの記者に,大統領府の高官,ゾーテイは「わが国では政治から 僧を切り離すのは難しいのだ」と困惑気味に語っているが,内心ではかれら の運動を歓迎していたはずだ。なぜなら,テインセイン大統領も,歴代の大 統領や国軍の強硬派たちと同様イスラームの勢力拡大を警戒しており,ウィ ラトゥらが反イスラームキャンーペンを張ることは大統領,政府にとって好 都合だったからである。だからかれらの運動を規制せずに黙認していたのである。2015年10月4日,法律成立を祝う式典で,ティローカ会長が「私 が大統領に個人的に協力を要請したところ,大統領がその法案の必要性を 認め,協力を約束してくれたので法制化が実現したのだ」(17)と支持者の前で 語ったスピーチがすべてを物語っている。 時間を法律制定前に戻すと,総選挙で再任の可能性が薄いとみた大統領は 在任中に法律を成立させたいと焦り,正式な手続きを経ずに草案を議会に提 出していた。ところが,「草案の起草は大統領府の責任である」というスー チー寄りのシュエマウン下院議長(タンシュエ軍事政権下の NO3)の正論に阻まれ て政府に差し戻されてきたので,急遽法案作成の委員会を設置し,改宗に関 しては宗教省が,人口抑制は入国管理人口省が,異教徒間の婚姻と複婚を禁 ずる法案に関しては連邦最高裁判所がそれぞれ起草に当たることとし,草案 の作成に着手した。
この間,国内ではキリスト教徒が多いチン族の組織 the Institute of Chin Affairs は,国際的人権基準に照らしても,また信教の自由を保障する憲法 にも抵触するとして,法案を成立させないことを求める書簡を大統領に送 り(18),海外からは諸外国の人権団体(19)が民族・宗教保護法案に懸念を表明 していた。ミャンマーに民主主義の早期実現を求めるアメリカは,Rohingya にたいする人権問題や宗教問題に強い関心を寄せつつ,ヘイトスピーチで人 種差別や人権侵害を繰り返し,民主主義にネガティブなマバタの動向も監視 していたが(20),ついに2014年6月,民族と宗教を保護する法案が可決成立 すれば,ムスリムのみならずキリスト教,他の宗教からも暴動を誘発する 恐れがあるとの懸念を表明し廃案を促す声明をだした。ところがそれまで, ウィラトゥに忠告を与え,思想的にも穏健派とみられていたマバタ副会長 Dr. ニャニッサラ長老は内政干渉であるとして強く反発し,「仮想の外部勢力 にたいし僧は一致団結せよ」との声明を出し,態度を硬化させるに至った。
6.民族・宗教保護法成立
国内外の批判の声をよそに,2015年5月19日,4法案のうち「人口抑制」に関する法案が人口増加率抑制に関する健康保護法という法律名で最初に成 立した。そして総選挙を3カ月後に控えた8月,残り3本の法案──宗教の 改宗に関する法,ミャンマー仏教徒女性の婚姻に関する特別法,一夫一婦婚 姻制履行に関する法──が次々と可決成立した。ただし細則(bylaw)が整っ てはじめて施行に移されるのが原則である。 これら4本の法律のねらいは,ビルマ族以外の民族の人口抑制と,ミャン マー女性がムスリム男性との結婚によってイスラームに改宗させられること を防止することにある。 ビルマ族以外の民族とは,ウィラトゥが認めているごとく Rohingya がそ の主たる対象であるが,中華系の少数民族も含まれる。というのは他の民族 と比べてとくに Rohingya の出生率,人口増加率が高いという調査結果が知 られているからである。要するに,Rohingya,中華系少数民族の人口抑制を 図る目的でつくられた法律が人口増加率抑制に関する健康保護法(以下「健康 保護法」と略す)と,一夫一婦婚姻制履行に関する法である。 「健康保護法」[第2項(ga)]では,母体の健康のために出産間隔を3年空 けることを定め(21),一夫一婦婚姻制履行に関する法は,複婚を禁じ一夫一 婦婚姻とすることを定めており,対象は専ら Rohingya である。「健康保護法」 には罰則規定はないが,一夫一婦婚姻制履行に関する法には,罰則規定があ り,違反者には最長10年以下の禁固刑が科せられる厳しい内容である。 つぎに改宗に関わる法律は,宗教の改宗に関する法(以下「改宗法」と略す) と,ミャンマー仏教徒女性の婚姻に関する特別法(以下「特別法」と略す)であ る。 「特別法」には最長3年以下の禁固刑の罰則が,「改宗法」には最長2年以 下の禁固刑の罰則が設けられている。 「特別法」(第2章4と4(3))には,婚姻可能な者の条件として,ミャン マー仏教徒の女性(22)が満18歳に達すれば,同じく満18歳に達した非仏教徒 の男性と結婚できるが,「非仏教徒の男性と結婚するときには,定められた 書式で両人がそれぞれ婚姻登録官に申請しなければならない」(第3章)と
定められている。 そして同法はムスリム男性との結婚に踏み切った場合を想定して,結婚 後,結婚前の宗教(仏教)から他の宗教に改宗させられることを防ぐために, 「特別法」の第4章で非仏教徒男性が遵守すべき事項を具体的に明示してい るが,そのなかの条文,たとえば19(3) ──「夫と妻が生活をともにする家 庭に,ミャンマー仏教徒女性が,仏像,仏画,パゴダの絵,比丘(の写真), 仏具の設置を許可し,信仰することを許可しなければならない」──を一読 すると,偶像崇拝を禁じるイスラームを想定していることは明らかである。 要するに,「特別法」と「改宗法」はミャンマー女性がムスリム男性との結 婚条件を厳格にし,異教徒と容易に結婚できないようにすることと,ムスリ ム男性との結婚に踏み切った場合には,イスラームに改宗させられることな く仏教徒でありつづけられるよう女性を保護することを目的とする法律であ る。 ところで,斎藤[2010: 10]によれば,「ミャンマー人(仏教徒)女性と異教 徒男性との結婚については,インド人ムスリム男性(Rohingya ではない。筆者註) とミャンマー人(仏教徒)女性の結婚問題が指摘されていて,結婚について は,改宗やイスラーム法の適用などでミャンマー女性の権利が守られていな いという不満が当時すでに報告されている」といい,「異教徒の男性と結婚 する女性は民族を破壊すると非難の的になった」(23)といわれたように,異教 徒男性との結婚問題は植民地時代の1930年代にも見られた社会問題であり 今もその問題を引きずっているのである。そして今回自国民の女性を守ると いう大義名分でうまれた法律を巡りイスラームの側よりもむしろ自国民女性 から激しい憤りの声があがったのは皮肉だというほかない。オックスフォー ド大学の社会民族学の専門家,Dr. キンマーマーチィー(24)は,「わが国のよ うな男性優位の社会では,女性が評価されることはないし,たえず差別をう けている。家庭にあっては異教徒からではなく,仏教徒男性から暴力を受け ている女性がどれほど多いかを考えて欲しい。結婚についてもわが国には 伝統的な慣習があり,どれを選択するかは女性が決めることだ」と語って
いる。彼女が指摘するごとく「伝統的な慣習」があるその一方,「結婚(に 関して)はミャンマー法が純粋に民事の契約で宗教と関わりがない」[奥平 2014B:129]とする法観念がある。婚姻のプロセスにおいて「宗教」というファ クターが介在する余地がないというこの考えに基づけば,マバタは伝統的な 婚姻の慣習を軽視したうえに,新法は従来の法的観念とも相容れないどころ か,そのためにかえって不合理な選択を女性に強いる事態を招く結果となっ ているのである。 ミャンマーは男性優位の社会であり,その象徴が国軍(軍隊)であるが,
それと並ぶもう一方の雄がサンガ(僧団)である。The Rainfall Gender Studies
Group の共同創設者で,ヒラリー・クリントン米国務長官から International Wo m en of Courage(2012年)を受賞した人権活動家ズィンマーアウン(25)が, キンマーマーチィーが言及を避けたサンガについて一歩踏み込んで,「素案 を作成したのは男性の比丘であって,女性を代表していない」と発言する と,脅迫状が送りつけられてきたという。宗教界,政界がいかに保守的であ るかがこれによってわかる。 ウィラトゥとマバタの責任が重いのは,人権意識が欠如しているために国 内の異教徒のみならず自国民の人権までも侵害しているという事実である。 ミャンマー人にはミャンマー人独自の人権があるのだと主張してみても,世 界から理解が得られるとは思えないのである。
7.おわりに
民族・宗教保護法成立後,マバタはヒジャブの着用やイード・アル・アド ハー(犠牲祭)(26)というイスラーム教徒にとってきわめて重要な行事において 執り行う動物の犠牲(供犠)を法律で禁止すべきであると主張する。ヒジャ ブの着用禁止について,マバタは「われわれはかれらの宗教を攻撃している のではない。ミャンマーで暮らす以上ミャンマーの法規に従うべきであり, 校則にも合致しないからだ」と説明しているが,このように何でも法律の力 で異教を封じ込めようとするウィラトゥの対応は仏教者として相応しいといえるのであろうか。 犠牲を主題とする経典がパーリ仏典のアングッタラ・ニカーヤ(27)にあり, 異教徒にたいする仏陀の対応から学ぶべきことがあるのではないか。その内 容を要約すると,犠牲を行おうと多くの羊や山羊をつれたひとりのバラモン が,──イスラーム教徒ではないが──,犠牲を行なうことに「果報や功徳 があるのでしょうか」と仏陀に三度尋ねた。すると,仏陀は「果報や功徳が あるとわたしもそのように聞いています」と三度応じた。そこでバラモンは ゴータマも賛同してくれたと早合点してしまう。しかし,傍らのアーナンダ 尊者から質問の仕方を変えて問い直しなさいと指示されてその通りにバラモ ンが問い直すと,そこではじめて仏陀は,「犠牲に果報や功徳がある,ない の問題以前に,儀式の執行に際して犠牲獣の生命を奪っているのだけれど も,それは福徳を積むことになるのであろうか」とかれに反問したのであ る。そう問い返されたバラモンはそれは福徳を積むことにならず,その逆で あるという答えをみずから導き出して,供犠を取り止めて羊や山羊を放生さ せたという。 「殺生はよくない。だからただちにそれを止めなさい」とは仏陀は一言も いっていないのである。アーナンダの一言がなければ,バラモンは仏陀が是 認したと思い犠牲を実行したことであろうし,仏陀もかれに殺生の問題を提 起することもなかったであろう。ここに宗教者の寛容の精神をみることがで きるし,それを仏陀は示している。 仏教徒であるミャンマー人が,儀式的屠殺であるにせよ罪のない生きもの を殺すことに激しい嫌悪を覚えるあまり,俗人のチョールイン未亡人が「ム スリムは動物を殺すことに慣れているので,人間を殺すことも平気なのだ」 と激しい口調で語るのは理解できる。しかし国民を教導する立場にある比丘 たるものが,信徒の偏狭な宗教観を諌めるどころか,説法の名を借りて俗人 同様に民族や宗教を差別するヘイトスピーチで国民を扇動する行為はテーラ ヴァーダから逸脱しているというべきである。 ウィラトゥらの声ばかりが大きいが,それに異を唱える声も一方である。
ガンビーラ元比丘は「ウィラトゥらは仏教運動というが,ブッダの教えに逆 行するもので,その考えもブッダの教えに反するものである」と批判し,民 族,宗教差別の拡散を阻止する Saffron Monks Network の指導僧パンタヴァ
ンサ長老(28)は969キャンペーンが瞑想や仏教を広めるためならよいが,そ れを利用して宗教攻撃を加えるものがおり,比丘の使命から完全に逸脱して いると述べて969に同じく反対の立場を表明している。そして「ある特定の 宗教を差別するのは馬鹿げている。そうした考えは民主化プロセスからも逸 脱している。テーラヴァーダの教えに従い,われわれ僧は仏陀が教えたこと を遵守しなければならない」とも語っているが,これが仏教者以前に健全な 国民としてのものの考え方なのではないだろうか。 さて2015年4月,ウィラトゥとマバタをとりまく状況が一変した。ティ ンヂョーが文民初の大統領に任命され,ついでアウンサンスーチーを国家顧 問とする法律が可決したことにより,スーチー・ティンヂョー新体制が誕生 したからである。ウィラトゥは,アウンサンスーチーが野党の党首であった 時代,民族・宗教保護法と国籍法を NLD が修正することも廃止することも 絶対に許さないと圧力をかけていたが,立場が逆転したいま,関心は民族・ 宗教保護法の取り扱いとマバタという団体が解散(29)に追い込まれるのか否 かに移りつつある。そしてウィラトゥとミャンマーの近隣諸国の比丘グルー プとの接触が見られる現在,マバタのイデオロギーが国外へ波及していくの かどうかについても今後の動向を見守りたい。 謝辞:本稿は現地調査に基づいて執筆したものではなく不備な点が多々あるにもかか わらず,文章にまとめるように助言してくださった橘堂正弘先生,田辺和子先生,奥 平龍二先生,池田正隆先生のご配慮に深く感謝するものであります。 注 ⑴ 「ロヒンジャー」はビルマ語読み,「ロヒンギャ」は現地人読みであるといわれ る。Rohingya はバングラデシュと国境を接するラカイン州の上座仏教徒ラカイン
族と緊張関係にあり,ラカイン州外では上座仏教徒であるビルマ族およびモン族と イスラーム教徒であるミャンマー・ムスリム(注5参照)が対立するという複雑な 構図になっている。 ⑵ この点に関して,駒澤大学の矢野秀武先生からご説明があり,またタイのムスリ ム事情についてもご教授をいただきました。 ⑶ 2001年5月15日バゴー管区タウングー市で起きた反ムスリム暴動。タウングー 市はヤンゴンから北東220km にある人口9万の都市で,ムスリムの人口は約2千 人。比丘に指導された仏教徒は,ムスリムの商店やモスクを襲撃し礼拝中のムスリ ムを殺害した。その結果,ハンタ・モスクを含む11のモスクと400の家屋が破壊さ れ,200人以上の犠牲者がでた。破壊を免れたモスクは翌年5月まで閉鎖とし,家 庭で礼拝せよとの命令が出された。M-MEDIA 2012.12.12.: “Persecution of Muslims in
Myanmar.”
⑷ M-MEDIA 2012.12.12. “Persecution of Muslims Myanmar” (http://m-mediagroup/en/ archives/7355) において,1930の暴動を Anti-Indian riots, 1938の暴動を Anti-Muslim riots と 表 現 し,Indian と Muslim の 語 を 使 い 分 け て い る。 か れ ら も Indian か ら Muslim へと変質していったととらえていることがうかがえる。 ⑸ ミャンマーには Rohingya 以外にも多様なムスリムが存在する。中国系ムスリム をビルマ語でパンデー(Panthay),マレー系ムスリムをパシューという。パンデー もパシューも非公認の少数民族である。インド系ムスリム(パディー)は古くはパ ガン時代からいたようであるが,今日広く散在して居住する。近年ムスリム自身が このように多様なムスリムを指してミャンマー・ムスリムと自称することがある。 ⑹ 古くからこの地に土着しているのでミャンマーを構成する民族として認定され ている。約600年前にイスラームに改宗したとされるが,宗教を別にすればビル マ文化を受容し,ビルマ人とほとんど変わらない。タンドゥエー,チャウピュー, スィットゥエー,ヤンビエーなどの諸都市に居住する。 ⑺ Rohingya は世界に約177.5万いるとされ,ラカイン州の80万人が最多であるが, ミャンマー国外で突出して多いのがサウジアラビアで,50万人いるとされる。以 下パキスタン,バングラデシュに各20万人,アラブ諸国に5万人,マレーシアに は2万5千人いるとされる。Euro-Burma Office Briefing Paper No. 2 2009.3.26. “THE
ROHINGYAS—Bengali Muslims or Arakan Rohingyas?”
⑻ これ以外に1997年のマンダレー暴動に関与した容疑を含む複数の容疑がある。 ⑼ ジャータカに登場するマハー・オーサダ(Osadha)童子(菩薩)のこと。国歌
の斉唱を行なうのが本校の特色。対して Rohingya の教師・学生は国歌を斉唱せず, 愛国心の欠如が批判されている。
トゥらの発言等をフェイスブックを通じて情報収集し,意見交換をしているなどの 現状についてご教示いただいた。
⑾ myanmar muslim.info 2013.4.24. “Hate-Speech against the Religion Propagated at
Sermons in Pha-An, Karen State”
⑿ shafaqna 2013.4.11. “Buddhsit killers,Fearful Muslims”
⒀ 長老の教え子で,カイン(カレン)族の Ashin Kuvera 比丘(ガバーエーの仏教 学大学講師)の案内で,インセインユワーマ僧院でお目にかかったことがある。と ても温厚な方という印象を受けた。
⒁ ス ー チ ー 新 体 制 移 行 後 も 重 ね て SSMNC は 容 認 し な い と の 声 明 を 出 し て い る。The IRRAWADDY 2016.7.13. MAY SITTPAING 記者“State-Backed Monk’s Council
Decries MaBaTha as ‘Unlawful’ ”
⒂ M-MEDIA 2013.4.1. Thuta 記者 “Thirteen Children burnt to death at the burning of an
Islamic Religious School in Yangon” また,AI-Hij U Aye Lwin の説明(The Myanmar Times,
24 Feb 2014)によれば,「ミャンマーのマドラサは,ムハンマド・ナーノータウィー によってデリー北東のデーオバンド市に1867年創立されたスンナ派のデーオバ ンド(Deobandi, Deoband)学院の思想を継承し,女性をモスクに入れないとか, ヴェールの着用を推奨する保守的教育をしているという。上ビルマではアラビア語 が,ヤンゴンではウルドゥー語が,南部ではペルシャ語が教授されていて,軍政 が1997年に実施した調査では,全日制マドラサは759(ヤンゴンに111)校あった」と いう。なお,デーオバンド学院について,イスラム事典(p. 264)には,「アジア諸国 (おもにビルマ,アフガニスタン)から学生が集まっている」との説明がある。 ⒃ New Age Islam 2013.4.4. Asif Ahmed “Burma: Planned religious and racial riots against
Muslims”
⒄ The IRRAWADDY 2015.10.5. KYAW PHYO THA 記者 “Ma Ba Tha Mobilizes Masses to
Praise President in Rangoon” (http://www.irrawaddy.com/ election/news/)
⒅ The IRRAWADDY 2014.6.16. “Scrap the Religious Conversion Bill, Group Tells Thein
Sein”
⒆ Amnesty International, 2015.3.3. “Myanmar: Scrap ‘race and religion laws’ that could
fuel discrimination and violence”
⒇ The IRRAWADDY 2015.12.21. LAWI WENG 記者“Wirathu Slams Ma Ba Tha
Blacklisting in US Spending Bill” ウィラトゥは武器を購入した事実はないと米国の懸
念を否定している。
ミャンマー全土を対象とする措置ではなく,住民の97%を Rohingya が占めるラ カイン州内のブティダウンとマウンドー郡の2地区を想定し,その地域における出 産の間隔を3年間空けることを住民に課すための許可をネーピードーに請願する権
利を知事に与えるというものである。
第1章3(2) は,ミャンマー仏教徒女性とは「国民であってしかも仏教を信仰し ている女性ないし仏教を信仰している両親から生まれた女性のことをいう」と定義 する。
Dr. Chie Ikeya (Rutgers University-New Brunswick) 2015 “Intimate Colonialism?
Family Law and Anti-Asian Racism in Colonial Burma, Southeast Asia, and Beyond”
(youtube. com/watch?v=bv=hu4ei531)
The IRRAWADDY 2014.8.4. KHINE THANT SU 記 者 “In Places of Military
Domi-nance, Women Can Never Be Equal”
22歳の時,民主化蜂起10周年を祝う運動で政治的変革を訴えるパンフを配布 した罪で11年間投獄された女性活動家。The IRRAWADDY 2014.3.29. “Women Have
Courage and Power That Is Kept Hidden”
ラ カ イ ン 州 で 暴 動 が 起 き た2012年 の 犠 牲 祭 は 中 止 に 追 い 込 ま れ た。The
IRRAWADDY 2012.10.24. LAWIWENG 記者 “Burmese Muslims Cancel Eid Festivities”
Pali Text Society, AN vol. IV. pp. 41‒46.
The IRRAWADDY 2013.6.19. KYAWPHYOTHA 記者:“Two Sides of the Sangha” 長老 は,969キャンペーンが国民の間で人気を得たのは国民に反イスラーム感情がある からだと指摘する。
The IRRAWADDY 2016.7.6. “MaBaTha Supporters Protest Against Rangoon Chief
Minister”; VOA (in Burmese) 2016.7.7. ヤンゴン管区首相ピョオミンテインは「マバ
タは必要ない。なぜなら国家サンガ大長老会議という組織があるから」と答え,新 政権側からもマバタに応戦する発言が出始めている。なお国家顧問兼外相就任後ア ウンサンスーチーは同大長老会議を表敬訪問している。 第一次文献 宗教保護法原文(ビルマ語):http://www. networkmyanmar.com/human-right 参考文献 『イスラム事典』1982東京:平凡社 奥平龍二2014 A「現代ミャンマー世俗国家の特質について─新憲法(2008年)の「宗 教関連条項」および「前文」を中心に─」東京:『東南アジア─歴史と文化─』No. 43.
文化─』No. 43.
斎藤紋子2010『ミャンマーの土着ムスリム』東京:風響社
ビルマ連邦連合政府編1999(ビルマ国際議連訳)『ビルマの人権』東京:明石書店 電子版アドレス:
Amnesty International (http://www. Amnesty International Charity Limited [GB]amnesty. org) The Atlantic (http://www.theatlantic.com)
Documenting Oppression Against Muslims (http:// www.doamuslims.org) India Today (http:// www.indiatoday)
The IRRAWADDY (http://www.irrawaddy.org) M-MEDIA (http:// www.m-mediagroup)
myanmar muslim.info (http://www. myanmar muslim.info) Myannmar Now (http:// www.myanmar-now.org) New Age Islam (http:// www.newageislam.com) The Stateless Rohingya (http:// www.thestateless.com) VOA (http:// www.burmese.voanews.com)