印度學佛敎學硏究第六十六巻第二号 平成三〇年三月 二四 ― 516 ―
法蔵における如来蔵縁起の成立意義
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﹃起信論﹄
﹁立義分﹂
の解釈を通して
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ウィックストローム
ダニエル
一
はじめに
賢 首 大 師 法 蔵 ︵六 四 三 ︱ 七 一 二︶ は 独 自 の 華 厳 教 学 を 大 成 し ていく中で、法界縁起をその中心思想として位置付けた。一 方、 法 蔵 は 壮 年 か ら﹃大 乗 起 信 論﹄ に 強 い 興 味 関 心 を 示 し、 ﹃起 信 論 義 記﹄ な ど の 著 作 の 中 で 如 来 蔵 縁 起 の 主 張 と 体 系 付 け を 披 瀝 し て い た 1 。 法 蔵 の 著 作 の 中 で﹃起 信 論 義 記﹄ こ そ が、 はじめて如来蔵縁起を主張した著作として注目される。 法蔵の如来蔵縁起に関しては、次の先行研究に注目する。 吉 津 宜 英 氏 は ﹃ 起 信 論 義 記 ﹄ が 元 暁 の ﹃ 起 信 論 疏 ﹄、 お よ び 元 暁 教 学 の 全 体 へ の批 判 を 意 図 し て 述 さ れ た と 述 べ た 2 。吉 津 氏 の 見 解に 対 し 、 木 村 宣 彰 氏 は 法 蔵 が ﹃ 起 信 論 義 記 ﹄ を 元 暁 教 学 へ の 批 判 で は な く 、 玄 奘 の 唯 識 学 派 を 批 判 す る た め に 、 述 し た と 述 べ て い る 3 。 吉 津 氏 と 木 村 氏 の 研 究 は、 ﹃起 信 論 義 記﹄ の 随 文 解 釈 に 対 して細かな内容解釈を行っておらず、教判の側面から法蔵の 如来蔵縁起宗の成立について考察しているに過ぎない。その 結果、法蔵の如来蔵縁起宗が対外的な影響下で成立したと述 べながらも、法蔵の教学内に如来蔵縁起が如何に位置付けら れていたのかについては必ずしも明確にされていないように 思う。 法 蔵 の 教 学 を 総 合 的 に 把 握 する た め に 、 如 来 蔵 縁 起 の 位 置 付 け 、 お よ び 法 界 縁 起 と 如 来 蔵 縁 起 と の 関 係 を 解 明 する こ と は 、 極 め て 重 大 な 課 題 と 言 え よ う 。 こ れ に 関 し て 、 筆 者 は 法 蔵 が ﹃ 探 玄 記 ﹄﹁ 十 地 品 ﹂ の 第 六 現 前 地 で 述 べ る 法 界 縁 起 に お け る ﹁ 染 浄 合 説 ﹂ こ そ が 如 来 蔵 縁 起 に 相 当 す る と 推 定 し た 4 。 そ こ で、 本 稿 で は 法 蔵 の﹃起 信 論﹄ ﹁立 義 分﹂ に 対 す る 解 釈 を 通 し て、 ﹁染 浄 合 説﹂ と の 関 係 に 言 及 し つ つ、 如 来 蔵 縁 起の成立意義について考察を加えてみたい。この考察によっ て、法蔵における法界縁起と如来蔵縁起の関係、如来蔵縁起 の意味内容、如来蔵縁起の成立意義という三点を明らかにす る。二五 法蔵における如来蔵縁起の成立意義︵ウィックストローム︶ ― 517 ―
二
法
蔵
の
法
界
縁
起
に
お
け
る﹁染
浄
合
説﹂
と﹃起
信
論義記﹄
法蔵における如来蔵縁起の成立意義を探るに先立ち、彼が ﹃探 玄 記﹄ で 述 べ る 法 界 縁 起 の﹁染 浄 合 説﹂ と の 関 係 を 見 て おきたい。その内容は次のようであ る 5 。 法蔵は﹁染浄合説﹂の詳細を﹁亦如別説﹂に譲るが、言及し て い る﹁別 説﹂ が 何 を 指 し て い る か は 不 明 で あ る。 た だ、 ﹁染 浄 合 説﹂ の 四 門 に 見 ら れ る 用 語 は﹃起 信 論 義 記﹄ に 見 ら れ る そ れ と よ く 類 似 し て い る こ と か ら、 ﹁別 説﹂ が﹃起 信 論 義記﹄などで述べられる如来蔵縁起を指していると推定され る。一例を見よう。 ﹃起 信 論 義 記﹄ は﹁本 覚﹂ に つ い て 以 下 の よ う に 述 べ て い る。 本 ト ハ 者 是 性 ノ 義、 覚 ト ハ 者 是 智 慧 ノ 義 ナ リ 。 以 下 テ ノ 此 レ 皆 為 ニ レ 翻 4 二 ス ガ 妄 染 4 4 ヲ 4 一 顕 4 上 ス ヲ 故 ニ 、 在 ル 二 生 滅 門 ノ 中 ノ 摂 ニ 一。 以 三 テ ノ 真 如 門 ノ 中 ニ 無 二 キ ヲ 翻 染 4 4 等 ノ 義 一 故 ニ 、与此 レト 不同也。 ︵大正四四、二五六上︶ 本 覚 は 妄 染 を 転 換 さ せ る た め に 生 滅 門 の 中 に 顕 さ れ て い る。 一 方、 真 如 門 の 中 で は、 ﹁翻 染﹂ を 説 か な い と い う。 法 蔵は本覚を本性の智慧と定義した上で、本覚が生滅門=衆生 位 に お い て﹁翻 妄 染 顕﹂ の は た ら き を な す と 解 釈 し て お り、 これは﹁染浄合説﹂の﹁翻染現浄門﹂に相当していると考え られる。 こ の よ う に、 ﹁染 浄 合 説﹂ と 類 似 性 が 高 い 解 釈 が﹃起 信 論 義記﹄ にある。次に、 ﹁立義分﹂ の解釈を見よう。三
法蔵における
﹁立義分﹂
の解釈
法蔵は﹁立義分﹂を解釈するに当たって、大いに元暁の解 釈を参照しているものの、要所において独自の如来蔵縁起思 想を展開している。 まず、法蔵は衆生心を次のように解釈している。 初 メ ニ 衆 生 心 ト ハ 者、 出 ス 二其 ノ 法 体 ヲ 一。 謂 ク 如 来 蔵 心 ニ 含 ム 二和 合 ト 不 和 合 ノ 二 門 ヲ 一。 以 三 テ ノ 其 レ ハ 在 二 ル ヲ 於 衆 生 位 ニ 一故 ニ 。 若 シ 在 二 レ バ 仏 地 ニ 一、 則 チ 無 シ 二和 合 ノ 義 一 。 以 二 テ ナ リ 始 覚 ハ 同 レ ズ ル ヲ 本 ニ 一。 唯 ダ 是 真 如 ナ ラ バ 、 即 チ 当 ル 二 所 顕 ノ 義 ニ 一 也。今就 二 クガ 隨染 ノ 衆生位 ノ 中 ニ 一故 ニ 、得 ル レ具 二 スルコトヲ 其 ノ 二種門 ヲ 一也。 ︵大正四四、二五〇中︶ 翻染現浄門 染浄合説 以浄応染門 亦如別説 会染即浄門 染尽浄泯門二六 法蔵における如来蔵縁起の成立意義︵ウィックストローム︶ ― 518 ― 法蔵は衆生心を如来蔵心と定義し、そこに﹁和合﹂と﹁不 和合﹂の二義があるとする。さらに、因と果を染と浄に配当 し、 ﹁大 ノ 位 ハ 在 レ レ バ 因 ニ 、 通 二 ズ ル 於 染 ト 浄 一 ニ耳﹂ と﹁大 ノ 位 ハ 在 レ レ バ 果 ニ 、唯 ダ 取 ル 二於浄 一 ノミヲ 也 6 ﹂ と述べている。 こ の よ う に、 法 蔵 は 法 体 で あ る 衆 生 心 を﹁衆 生 位= 因 位﹂ と﹁仏地=果位﹂という二種の義に分釈している。 ﹃起信論﹄ は 衆 生 心 の 立 場 を 説 い て い る か ら、 ﹁和 合﹂ と﹁不 和 合﹂ の 二義を具備している衆生位における如来蔵心が主題となって いることが知られる。 次に、法蔵は三大について以下のように述べている。 自 体 相 用 ト ハ 者、 体 ハ 謂 ク 生 滅 門 ノ 中 ノ 本 覚 之 義 ナ リ 。 是 生 滅 之 自 体 ニ シ テ 生 滅 之 因 ナ ル ガ 故 ニ 、 在 二 リ テ 生 滅 門 ノ 中 ニ 一、 亦 タ 弁 レ ズ ル 体 ヲ 也。 翻 染 之 浄 相、 及 ビ 随染之業用 ハ 並 ベテ 在 二 ルガ 此 ノ 門 ノ 中 ニ 一、故 ニ 具 サニ 論 ズル 耳。 ︵大正四四、二五〇下︶ 本覚には染法を転換させる浄相、およびその業用があると 法 蔵 は 把 握 し た。 ﹁染 浄 合 説﹂ に お け る﹁翻 染 現 浄 門﹂ を 勘 案 す れ ば、 ﹁翻 染 の 浄 相﹂ と な る 本 覚 は そ の 内 容 と し て 位 置 付けることができるであろう。 最後、法蔵は二門と三大との関係を次のように述べる。 問 ウ 真 如 ハ 是 不 起 門 ニ シ テ 、 但 ダ 示 セ バ 於 体 一 ノ ミ ヲ 者、 生 滅 ハ 是 起 動 門 ニ シ テ 、 応 ニ 三唯 ダ 示 ス 二 於 相 ト 用 一 ノ ミ ヲ 。 答 ウ 真 如 ハ 是 不 起 門 ニ シ テ 、 不 起 ハ 不 二必 ズ シ モ 由 テ レ起 ニ 立 タ 一。 由 レ ル ガ 無 レ キ ニ 有 レ ル コ ト 起 故 ニ 。 所 二以 唯 ダ 示 ス レ体 一 ノ ミ ヲ 。 生 滅 ハ 是 起 動 門 ニ シ テ 、 起 ハ 必 ズ 頼 二 リ テ 不 起 ニ 一、 起 ニ 含 ム 二 不 起 ヲ 一。 故 ニ 起 ノ 中 ニ 具 ス 二三 大 ヲ 一。 ︵大正四四、二五一上︶ こ こ で 法 蔵 は、 真 如 を 不 起・ 不 実 在 と し て 定 義 し た 上 で、 不起である真如が生滅門においてのみ起動していると解釈す る。ゆえに、生滅門において体相用の三大があり、生滅門は 不起の真如門によって成立しているという。中でも、生滅門 に体大を位置付けるのは、真如門と生滅門において浄法であ る本性=体が同じであると法蔵は把握したからであろう。 このように、法蔵の﹁立義分﹂の解釈は真如門と生滅門と の関係を中心問題とし、法蔵にとってその関係は浄法の仏位 と染法の衆生位との関わりにあると言えよう。
四
おわりに
本 稿 で は 法 蔵 の﹃起 信 論﹄ ﹁立 義 分﹂ の 解 釈 を 通 し て、 如 来 蔵 縁 起 の 成 立 意 義 を 考 察 し た。 以 上 の 考 察 を ま と め る と、 以下のようになる。 法蔵が﹃探玄記﹄で述べる法界縁起の﹁染浄合説﹂と﹃起 信 論 義 記﹄ と を 比 較 す る と、 共 通 点 が 多 い こ と か ら、 ﹃探 玄 記﹄で述べる﹁亦如別説﹂は如来蔵縁起を指していると考え二七 法蔵における如来蔵縁起の成立意義︵ウィックストローム︶ ― 519 ― ら れ る。 ま た、 ﹁立 義 分﹂ の 解 釈 と 勘 案 す れ ば、 ﹁染 浄 合 説﹂ は染浄和合の縁起説という意味であり、法蔵はこれを如来蔵 縁起として体系付けた。このことから、如来蔵縁起は法界縁 起の一部であると知られる。 ま た、 如 来 蔵 縁 起 の 意 味 内 容 は 浄 法 の 仏 地 ︵= 果・ 如 来 性 起︶ が 染 法 で あ る 衆 生 の 因 位 に 対 し て は た ら き、 衆 生 心 の 染 法を翻して内在している浄法である如来蔵が起動することで ある。つまり、如来蔵縁起を成立させた意義は、衆生におけ る因位から果位への転変過程を体系付けることにある。 以上のように、法蔵にとって﹃起信論﹄の中心は心生滅門 に あ る。 ﹃起 信 論﹄ の﹁解 釈 分﹂ が 説 く 阿 梨 耶 識 の 本 覚・ 不 覚と四種法熏習は、そうした文脈の中で捉えられていると考 えられるが、 これについては今後の課題としたい。 1 筆 者 に よ る と、 法 蔵 が﹃起 信 論 義 記﹄ を 述 し た の は 四 四 歳 から四六歳の間である。 2 吉津[ 一九九一]五一一︱五二〇頁を参照。 3 木村[ 二〇〇九]四九五頁を参照。 4 ウィックストローム [ 二〇一七] を参照。 5 ﹃探玄記﹄ ︵大正 三五、三四四上︱中︶ 。 6 ﹃起信論義記﹄ ︵大正 四四、二五〇中︶ 。 ︿参考文献﹀ ウ ィ ッ ク ス ト ロ ー ム ダ ニ エ ル﹁法 蔵 に お け る﹃華 厳 経﹄ と 法 界 縁 起