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地 域 研 究 第 2 0 集 ! ' t I: : I・ :・ ア 〕 ト ー

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地 域 研 究 第 2 0 集 ! ' t I: : I・ :・ ア 〕 ト ー

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峡 谷 と 高 原 の 生 活

一 岡山県川上郡川上町 ‑

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一一 . こ = ■ ■ ■ I 21101170630

岡山大学附隅圃雷館

ソ 6602

岡山大学教 育学部社会科教 室 内地域研究会

(2)

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紺 冊 7 戌; ・ ‑ ≡ ‑ ; : N‑ : : 萱 ; . : i : H ≡ : t : 1 : : I J y ‑ ‑ ; ‑1

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(3)
(4)

大 裂 の 押 被 (仁 貿 小 谷 ケ 市 )

弥 高 の 雲 海 (高 山 市 )

ブ ドウ 畑 (下 大 竹 )

∵ ir」

(5)

煙 草 畑 (下 大 竹 )

育 年 セ ン タ ー (高 山 )

育 雛 セ ン タ ー ( 上 大 竹 )

‑ 2‑‑

(6)

川 上 町 役 場

川 上 町 山 村 開 発 セ ン タ ー

コ ミ ュ ニ テ ィ ハ ウ ス

‑ 5‑

(7)

備叫神楽 (文化庁逃走 の無形文化財 )

穴 門 山 神 社 (県 指 定 名 勝 )

川 上 中 学 校

1 4‑

(8)

は し が き

岡山大学教育学部地域研究会の第20集 の諏査報告書 として 「峡谷 と高原 の生活‑ 岡山県]日上 郡川上町‑ 」を公刊す る。

調査地域 は吉備高原の一部 をなす川 上町である。本町は ,昭和29年4月1日.旧手荘町 ,大賀 村お よび高 山村 の 5ケ町村が合併 し.川上町 として発足 した 。われわれ地域研究会は .この地域 の 人 々がその 自然的 ・社 会的条件の中 で どの ような生活 を営 んで きたか .また現在 どの よ うな生活を 営 んでいるかを.地理 ・歴 史 ・地方 自治 ・経済 ・社会 ・文 化 ・教育等 の諸分野か ら総合的 に研究 し て きたo特定の地域 をこうした研究..方法に よって調査 す るようになったのは,戦後 . ミシガン大学 の 日本研究所の ブランチが岡山に設立 されたこともあ って,アメ リカの共同研究が布 く評価 された こと,社 会科 の発足 と共に調査 ・見学等 の フィール ド ・ワークが採用 され たことな どによる ところ が大 きい。今回の調査 は

,

「地域研究 」が実施 されるようにな ってか ら20年 目に当 り.その間 を 回顧 するとき,ま ことに感慨柵丑 な ものがあ る。

川上町 を調査対象地城 として決定 したのは ,昭和50年5月 ごろであ り,実際に調査 したのは同 年72 4日か ら2 8日までの45日間である。参加 したのは,主 と して5年次学生5 9名 ,辛 業生 2名 ,教 官 9名 (円 1名 は非常勤講師 ).計50名 である。調査終了後 ,報告笹の頗原 につい ていろいろと討議 して きたのであるが .川 上町を地域全体 として特徴 づける言葉 として 「峡谷 と高 原 の生活 」が最 も適 しているとい うことになり,この とお り決定 したわけであ る。なお

,

「地域研 究 」とい う題 目は.学生 に とっては必修 であ J).かれ らに調査の理論 と実践 とを体得 させ ることを

目的 としている。学生 た ちは.炎暑 に もかかわ らず よく頑張 り,調査お よび資料研究 を行 こな った。

調査終了後 もかれ らは必要 に応 じて再度現地 にお もむ くな どして .補足調査を試みたO

本調査は学生 に とっては じめての共同研究であ り.未熟 な点 もあ って必ず しも十分 とはい えな い が ,川上町 の調査報告啓がここ(乙できあがったのは.三宅忠雄町長 ,吉本孝 也元町長 ,三村治男元助 役 ,三村義弘教育長 をはじめ .役場 ・教育委艮会 .公民館 ・山村開発 セ ンター ・小学校 ・中学校等 関係各位な らびに町民各位 の温 い ご協力の鳩 と深 く感謝 している次第 であ る0本軒が将来町史編集

その他に おいて何 らかの役 に立つことがあれば ,望外の音 びであ る.

(9)

発 刊 に よ せ て

。 ・ . i・ 川上 町長

三 宅 忠 雄

昭和50年7月か ら2年余 の歳月 をかけ,わが川上町 の歴史的変遷 お よび現在 の情勢 を岡山大 学教育学部社 会科教 室 の地域研究班 の方 々によって.ここに「峡谷 と高原の生 活 一 岡山県川上郡川 上町 ‑ 」が発 刊の運 びにな りま した ことは.官びに堪 えませ ん。関係者 に対 し真 心 よ り敬意 と 感謝 を申上げたい と存 じます。

世 は国際時代 とな り.国の内外 に数 々の問題 をなげかけていますが.こうした視野 にたって広 く情報 を求め推移 を見守 る時代 であ りますO⊥方又 ふ るさとを探究 し.先人の歩 んだ産業文 化を 知 りたい とい う複雑 な両面的 時代であ ります. こうした時 に私 たちの町 の伝統 と歴 史 を通 じて町 民各位 にふるさ と川上町 を和介 し.現状 をとらえ ,将来 に向 って よ りよき町 を発展 させ たい もの

と念願致 します。産業 を興 し.教 育 を損興 し.福祉 を充実 しなが らお互 にな Cみ .は ぐくみあい . うるわしい郷土を築 き上げたい ものであ ります。こ うした意味 で本番 が より多 くのか たが たに愛 読 きれ .健康 で豊 かな郷 土を築 く心 の鞄 ともなれば幸 と存 じます。関係者各 位の ご協力に感 謝申 上 げ .発刊 のこ とば といたします 。

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(10)

調

参 加 指 導 教 官

道 三 郎 高 橋 達 郎 山 内 峰 行

参 加 卒 業 生

森 元 辰 昭

参 加

野 保

小 野

佐 々野 子 砂 山 い づ み 中 島 英

寿

尾 恵 子

史 苗

幸 子

査 参 加 者

宗 田 克 己

在 間 宜 久

郁 子

み ど り

佐 々 間 妙 子

田 中 子 中 由 美 子

林 和 子

三 子

近 粛 和 恵 山 順 子

田 中 史 郎 中 野 美 智 子

Jlt・

子 春 日 子 佐 々 木 音 実 子 佐

口 正 子

林 千

岡 潤 一

由 利 江 丸 尾 一 佐 々 木 二 永 山 由 紀 恵

(11)

峡谷 と高原 の生活 ‑ 川上町 一 目 次

1草 自 然 環 境

1 川 上町 の概観 一ニー‑ ‑̲… ̲̲̲∴ lr̲̲̲̲I+̲" " ̲̲̲̲… ̲̲.̲̲̲'̲ 1 2 川上町の カルス ト地形 ・一一一∴ ̲I̲̲一一一一̲̲‑̲‑‑ ‑一一二̲̲̲̲̲一一̲一一 6 5 大賀 デ ,ケ ン ‑ 複雑 な地質構造 ‑ ‑‑ ‑‑= ‑‑‑‑一一一‑1・‑̲̲一一一一 14 4 山砂利層 と高原 上の孤 立略 一一一一日 一一一一‑‑ ‑̲‑ 一一一∴ ‑̲一日 ‑ I 20 第 2華 人 ロ ー‑一一一一一一一一日 一一一I‑一一一一一一一‑ ‑一一一一一̲‑… ‑ ‑ 25 1 人 Ej構成 H H l‑‑一一一一‑ ‑‑ ∴ 一一一一一‑i.一一一一一 二 一‑ ‑‑ ‑ 25 2 人 Ej異動 ・‑‑‑‑ ̲̲‑ ̲‑ ‑ ̲̲̲̲̲ ̲ .i J i'二 ̲ ∴ ̲∴ ∴ ̲" ‥ ̲̲日 .=

1 原始 ・古代 の開発 ‑‑ ∴ ‑̲日 日 p ‑ ‑ ‑ ‑ 一一一一‑∴ ̲̲∴ ‥ ̲I d5 2 土兼勢力 の動 き ‑‑‑ ‑‑̲̲̲̲̲… ̲̲̲̲̲" ̲̲̲̲̲̲̲̲̲" ̲= " ̲̲̲ 71 第 4草 近世の川上町 一‑̲̲̲‑̲̲̲̲̲̲̲∴ ̲‑̲̲̲… ̲̲‑‑‑̲・̲‑̲" ̲̲̲一一̲̲‑79 1 領主の系譜 と支配 一一一一一̲" ̲̲̲一一1‑‑ ‑‑一一一‑ 一一一日 ‑‑‑ ‑‑ 79 2 地方支配 の機構 と機能 ‑ ̲… ̲̲̲I‑̲̲̲‑… ̲‑̲I‑LL ∴ ̲̲‑̲一一一日 ‑89 5 地方支配の展開 一一一‑‑‑一一〜‑‑一日 ‑1一一一一一一一一‑ ‑‑H H ‑‑‑一一 95 4 農民の生活 (1) ‑ ̲‑̲̲‑̲̲̲̲̲‑̲̲‑ ‑‑ ‑‑̲= ‑i‑.‑‑‑ ‑‑‑‑‑107 5 戯民 の生活 (2)I‑‑一一一一一‑I‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑ ‑一一一‑‑ 一一‑ ‑‑ 一一一 151

第 5草 地方自治 の展開 ‑一一一日 一一一一一一‑ 一一一一一一lr‑A‑‑‑二一一‑‑‑一一一一̲一一‑‑‑159 1 川 上町の沿革 一一一一一一日 ‑‑‑‑一一一一一一一日 二一一一‑ 一一‑1ム‑‑ ‑一一一159 2 町政の変選 一一山 一一一‑一一一一一‑ 一一‑ ‑ 一一一一一‑‑一一一一‑‑一一一一一‑ 1占5 5 財政の消長 ‑̲̲̲‑一一一̲‑‑I‑‑‑‑ ‑‑‑‑‑‑‑一一一一‑一一‑一一1‑‑‑‑‑‑170 6革 交通 と通揺 ‑‑‑一一 一‑一一‑‑一一一一一一一一‑ 一一‑‑一一一一一‑ ‑ ‑‑‑‑‑ ‑185 1 交 通 小 一‑‑一一一一‑ ‑‑‑‑‑一一一1‑‑‑‑‑ ‑‑‑‑‑‑‑一一一一一一一一一一185 2 郵便 と屯官 一一一一‑‑ ‑‑‑‑一一‑一一一一一‑‑‑一一‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ 一一一一一‑2D8

(12)

7準 経 済 構 造 ‑‑ ‑ ‑I‑‑‑‑‑日 ‑‑一日 ‑ 一一一‑ 一一一‑‑‑‑一一一一一‑ 219 1 現 業生産力の発展 と農民層の分解 一一日 ‑‑一一一‑一一一一日 一一一‑= 一一一 219 2 戦 後 におけ る頗業 の動 き 一一一一一一一‑‑ ‑一山 一一一一一一‑ ‑一一一一一一‑ 2d5 5 特殊 作物 と畜産 の効 き 目 一一一一一一一‑ ‑‑‑ ‑‑ ‑‑‑‑一一‑ 一一一1‑‑ 281 4 川 上町 の林業 とその歴史的発展過程 ‑‑ ‑‑‑‑一一一一一一日 ‑‑一一一‑ ‑‑ 291 5 農薬団体 一一一一一‑ ‑ ‑ ‑一一一‑一一・‑‑‑‑‑γ ‑‑一一一一‑N ‑‑ 一一日 505 鉱 工 業 一一一‑‑‑‑‑小 一‑‑ 一一 一一1‑‑ ‑‑‑‑‑ ‑ ‑‑ 一一一日 ‑517 7 商 業◆ ‑ ‑一一一日 一一‑一一‑ 一日 一一一1‑‑‑‑‑‑‑ ‑日 ‑‑一一‑ 一一 5558

社 会 構 造 一一一一一‑‑‑‑小 一一一一‑‑‑ ‑‑一一一‑‑‥ ‑ 一一一‑ ‑‑585 1 家族構成 一一‑一一‑‑一一一一1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑日 ‑ ‑一一‥ 一一一一一一‑ ‑585 2 家族 の役割分担 と権威構造 ‑‑ ‑ 一一一一一一一一‑‑‑ ‑ ‑ ‑‑‑ ‑‑‑ 一一 587 5 家族 をめ ぐる問題 一一一一‑‑‑一一一一‑‑‑一一一‑ … 一一‑‑一一一1‑‑ ‑‑‑‑405 4. 同 族 1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑I‑‑‑I‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑‑‑一一一一‑‑‑408 5. 村 落 一一‑‑= 一一一1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑I‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑ ‑‑414

1 社 寺 ‑一一‑‑ ‑A一一‑ 一一‑‑∴ ‑小 一‑一一‑ 一一一‑一一一一‑‑‑‑‑‑425 2 民俗 と年中行啓 ‑‑一一一一一一一‑‑‑ ‑‑一一一日 一一一‑‑H H ‑‑‑ 一一‑‑456 5 伝 配 ‑ ‑一一一一一一‑ 一一一一‑‑一一一‑‑‑ ‑‑一一一一一一一一一一一一一1 442 第 10草 川上町の教育 一一一一一一一‑ ‑一一・一‑ ‑‑一一‑一一一一‑ 一一‑‑一一一一一一‑一一 447 1 近代小学校 の成立 ‑一一一一‑‑‑ ‑ ‑‑‑‑‑‑‑ ‑一一一‑ 一一一一‑ ‑一一一 447

2 現 代川上町 の学校教 育 ‑‑一日 ‑‑一一一一一一一一‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑一一一‑‑一一一 459 5 社会教育 ・‑一一‑一一‑‑一一一‑‑ ‑ ‑ ‑一一一一日 一一一一‑‑‑ ‑I‑ ‑‑ ‑ 470

(13)

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川 ・ ' ,L 第 1 葦 自 然 現 境

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l L l 」 一 1. I//ゝ I r ' L i r . ・‑L

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1

川上 町 の 概 朝 ,;

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.E・/L. . (1)地形 ・地質 の概観

夜明けの高原は夏 で もひんや りしてい る。bI,JFTEll」ロッジを

. 出

発 し

,

招深いFlを踏み分 けfl見 な クロ ボクの道を たどり,渦巻 き状にIrrをめ ぐって15分 も登 る と,小 さな広軌 こたど りつ くO弥高 山山頂

占55・dmで ある。ここが川上nlJ'で上ckも心 '。見は るかす と,LI

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j(・こ浮かびあが るのは,滑笹 をはいた かの ような山山の連 な りと,それ らをへ だてで苓 あいか ら甘こめ るし らじらとLf=店 であ る.山な み と朝叔 とが鶴亀 に も連 なって,その きまは一輔 の唱給 を見 るようである,湖の冷点 が汗 ばん1:'肌 に

ころよい。

日が きしの ぼると,弥

LLlか らの眺 糾 ままT=[ニくまに現

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にひ きもどされ る。汲 うつ よ うに逃 な り 広が る吉僻 高原の山なみが その容貌 をあ らわす。波板状 の宙原上に,富山, L=地 ,野 乱 神町 ,仁班 な ど,ふ りかえ っては古山市な どの,qi落 と畑地 とが散在 しているO川上町 の大部分 は,まに吉備布 原 にある0‑万 ,高原のなだ らか さとは対照的に.ぼ原 を刻 Lp谷 々は軌 、.そのな谷 の斜面 は森林 に軒 われてい る。谷J劫の低地 の多 くは,この山墳か らは見 えないが ,そこには水田が開 け袋常があ る。

それ らの谷が罷 って髄家川の谷底平野 がやや広 くな るところに,川上町 の中心娘藩 である地頭が位 位 す る。

剛 山県JHJ=王制 目上mJは北紳 54O40′50/7 ‑ 34046′52'y,蔚経1550 21′12'/ 〜 155051

57// の慨に位旧す る。行政 区画か らみ ると,帆 1職 の絹欄 の一 区 を.土.め,繭は後月耶芳井町 に接 し, 北 は川上郡備中町 ,東 は川上郡成羽町 に播す るQ内端 は広rqt,侭 との県境 に接 してい る。面もtlは8 7ki

である 。高度別概許市田 をみ ると, 20‑ 400/JTは 4 9AN(占劉近 く )で伯 も広 く町域 の南軍・半分 を占め,次いで408‑ 600 mが281・i(約3凧 )で北西側の武原 である。 100‑ 200mの地域 は 1 0kAで1割 にす ぎない O儒家川 の谷

平野 のほ とんどはこの高さにイ立旧す る. 占001,1以上 では 小 さな孤立峰 の弥福山( 占55rdm )と薗 」価 の円 か ら県境 忙つづ く小起伏面 の尾根部 の偵 かな部分 とが ある。

この町域 で,吉備相原はPrqN部で甫 (

,

蚊立 付近 の鵬健

郎や勘 lJ市付近には海抜500‑dODmの 波根状 の浸蝕小包 伏面があるが,乗 にむかって拡 くな り,高 1圧 伸即 ,高潮 ,佐屋 ,七地 な どで450 /77前後に浸蝕小捉伏面が広 が るO岡P:]JTI正 (19 )の地形而r<1分 に従 えば,前者 は吉備高原面,級 者 は漸 声

1両 とな るこれ らの侵蝕小起伏面 の形成については次項 でのべ るO

川上町域の水を娼 め,宮 仔脂 原を下刻する水系 は,成羽川の支雅で ,その うち筒家川 (大桁川 ,≡

沢川な どを染 める )の水系が町域の大TnJ,JJTを占めるb 'B家 用は,川上町北東鵬 をかす めて東旅 する成 羽川 に,能町 で合流す るO川上町北潮 は, 2 ,3の成羽川支谷 の‑/)(系lこ屈す るところがあ るo

川上町の地質の概観 は次の通 りであるo南部 には三耶変成榊 こ屑す る叩片捌 罰(千枚軌 黒色片裳u1,

‑1‑

(14)

緑色片岩 な ど )がみ られ ,北部で は,占EF̲代後期 の石灰岩 ,輝緑凝灰岩 ,粘板岩 な どが分布 する。高 山か ら高 山市付近 は石灰岩の台地 であ り, カル ス ト地形 が認め られるOカルス ト地形 の詳細 について は2で述べ るO中部は中生代上部三塁紀周 (成羽統 )よ りな るO大賀 チ ッケ ンとして注 目をあつめた 古生個 と中生屑 との構造 に関 しては,5で詳述 す る。新生 代 o)地層 としては,いわゆる山砂利層がい くつかの異 な った レベルに分布 している。商噺周 もその一つである。また,高原 上に孤立峰 をつ くっ てい る玄武岩があ る D弥高 山 と須志 山がそれである 。山砂利屑 と玄武岩については, 4で述べ る。

(2) 吉備同原 の形成過程

吉備筒原 の形成過程 については,いろい ろ研究 されて きたが ,ここでは開田鴨正 (19日 )が調査 し,善川虎雄 ら(日本地形論‑ 1975)に よって粒理 された見解 を以下 に職 介す る。

広島 ・岡山県境付近 の吉備高原 か ら板戸 内にかけては, 4つの水準 の浸蝕小起伏面に区分 きれ る。

① 吉備 席原面500‑ 700m, ① 板戸内

1

両 300‑ 450m, ③ 瀬 戸内 n百 150‑ 500m,

④ 瀬戸 内 皿面 100m以下 である。吉備訂原中部 は ,新見乗方 か ら南南西 にのぴる櫛 を境 として,地 形 および高 さのやや異 な る2つの地域に分かれ るo北西側 の地域 は500‑ 700mの筒原状 の山地か らな り,こにひろが る湿地小起伏面が岡田の命名す るところの五節同原面 であるO南東伽 の地域 に は500‑ 450mの泣蝕小起伏面がひろが り,ところ どころに500mを越 える山地 が散在 するが ,そ の両線 はかな り急に低 くなって瀬戸内低地帯 に降 っている。 この地域 にひろが る殺蝕小起伏面 を岡田 は瀬戸 内面群 とよび上述の5つに細分 したO吉備%'原画 と漸戸内面群 との額 をなす北北乗〜南南西 の やや傾斜 の大 きい地帯 は,地懲変動 によってつ くられた ものではな く,浸蝕 によって形成 きれた もの と考 え られてい る

この地域 の地形発達 は次の ように考 え られ るo吉備布原面形成後,吉備膚原 は曲降 して開析 された が, その後,谷は疎周に よって埋糾 され , さらに玄 武岩が流出 した後 に削刺 されて板戸 内t在的 i形成 きれた。淑妻戸内 】面形成後 ,吉備高原 は ,井原の北方 の東北東〜西南西の線 に そ う掛 軸を ともな って 降起 し,その結果,頻声

門l

面は醐析 きれ ,深 さ1 0 0m以上の谷が刻 まれ,海戸 内 l面形成畑 まで は現水系 と交差 していたかつての水系 は, この時掛こ,河川 の争寺 な どに よって変 化 し,はば現状 に 近い もの とな ったOその後 ,この谷は厚さ 5 0m以上の棟層 に埋横 され,これを削刺 して瀬戸内 廿面 が形成 きれた。再び中国山地の隆起 に ともない,瓶戸 内 11面 は朗析 され,その南縁 に瀬戸内 nI面が形 成 されて,はば現状にい地形 とな った。

この ように,岡田のい う吉備 高原部 障成 後,この山地 は, その商緑 における廃dLlを ともな って曲流 し,板戸 内面群 が形成 され るとと もに,栃声 円低地帯 の概形 もつ くられて きたこの過程 において, 少 くと も2回深 さ1 0 0mの谷 の下刻 と,嫌屑 に よる邸功が くり返 しお こっている。その時代につい てはまだ よくわか っていないが,第三紀末 か ら偉新 世前期ではなかろ うか と考 え られてい る。

(高橋達郎 ・山根順 子 )

‑2‑

(15)

(5)高原の地形 とくらし

弥高山の山頂か ら西 のふ もとを望む・と,掛 このぴる一本 道にそって細長 くのぴた柴啓があるoこれ がかつて高原 の市 として熊 えた布 山市 であるO隆起 晦平原 といわれ る苦節高原 上には,老 年期的な山 と旧輪魁の浅い皿状 の谷 とが披現状 に広 がっている。平地 に乏 しい谷間 よりは この高原の広い碍傾斜 面を耕す ことに よって,人 々はそこに住みつ き雑務 がで きたO 「一花賀 二神野三 両原 四櫛山 」とい う 青菜があ る.比較的豊 かな村 々であ ったことの いいであろ う。 これ らはみな高原上の村 であ る.こう したはや し言額 があるのは, これ らの蛸啓が石硬常台地上 にあ り,土腰 にめ ぐまれ,肌作物が よくと

ひf J

れるところであ ったか らと思 われ る。同 じ吉備市原 上において も,地 の利 の上下が あ り,日南 (目名・

おん

日向 )陸地 とい う地名 がいたる ところにあるD 口和 とは節義 の芸 で,南面する称両地 にあ り.日射 も 朝早 くか ら受 け られ, さらに冬の寧飾 風 もい くらか郡減 で卓,股発 に もtE悟 に もめ ぐまれた位置にあ るこれに対 して,絵地 とは,北に面 した山の斜面 で,脇裏 にあた り, 日光 にめ ぐまれないO川上町 では,弥高 山のふ もとの南斜面 に日向 とい う地名かあ り, これに対 して ,谷 をへた'てて飯 え越 の北側 が陰地 に あた る。 日向の良家 では ,夏は ElざLが強烈 で作物 がやけるけれ ども水が少 ないか ら水 をや れない と,水が待 に くい とい う高原 の生

宿 での悩 み を聞 く。作物は ,大豆 ,小豆 , つ くねい も,いんげん豆,えん どう豆 な

どであるが,いんげん豆 ,えん どう豆 を 出荷 す る他 は自給作物 だ そうであ る。陰 地 では雪が とけない,冬 は住む ところで ないな ど とい う音韻 がBtlかれた。

石灰岩台地 であ る高原上の脱落は水に 乏 し く,任 々な工夫が なされて きた。神 野を

にす ると,飲料水 は ドリーネの挽 き水 を,開園の家25軒で共同利用 して い たとい うo水汲みは玉労組 であるため, 男の仕串 であ ったo嚇 1‑ 1‑ 1は井 戸 と, ドリーネの底の水 田の写料であ るo 現在 は この井戸水 をポ ンプで村の拓台へ

あけ,各家庭 に水道 で送 ってい るこの 溺水 は夏 で も水温 19lc以上にはな らず ,

また,冬 は温 かい。陸地 の人 の話 しでは, 淡水は凍 らないので ,雪 を とかす役 目 も す るとい う。雨水 は水の少ない布原 の村 に とって1'igfな水於軒であるo水道 がひ

かれる以前 は,各家 で4盤半か らd愚 の 写央 11‑ 1 神野台 の ドリーネ と井戸

‑3‑

(16)

広 さの地 下を掘 り, コンク リー トで屈めて,降水 を樋で受 けてためていた とい う。貯 め 1=水は缶重 で あ り,一度使 った風呂の水は洗 椛用 とな り,畑 か ら仙 った足洗 いの水 ともな り,また神政用水に利用 す るとい うよ うに,一画 も無駄 に しなか った とい うことであ るO

い わ ゐ T = I こ

神野には

「塩谷

の 水 」とよばれ る伏流水が噴 き出 してい るところがあ り,この水 を利用 して, 水 田が作 られ てい る。

この よ うな湧水による井戸は ところどころで見 ることが で き,水 に乏 しい甫原の袋港 に とって虫 琵

な水資軒 とな ってい る。

(4) 佐屋 ,高梁 ,笠 岡の気象資料

川 上町 において,気象 の資料 が得 られ なか ったため,岡山県気象 月報 (昭和4 6‑ 5 0年 )に よっ て,佐屋 ,高架 ,笠 岡の資料について考案 す ることに したこの付近の吉備高原上の気候は川上町 と 芳井町 との鞄界 付近の佐屋の もので代演 させ,谷 間の気候 を高梁 の ものを借 りて考察 してみ ることに す るOこれ らの特徴 を瀬戸内海型 の笠岡 の気候 と比較 しなが らつか人 でみたい O

中国地方の女t侯 区は気温 ,降 水鉦 か ら見てBF1‑ 11 4の よ

うに分 け られ ているが ,佐屋 , 高梁 は山脇気候剛 こ,モ岡は擬 声LJj気候ばに含 まれ るO各観測 地点のLl位はF)この ようである。

佐屋 北棉 54041′11', 頼経 155026′ 8', 粘抜590m 高 北緯 54047′ 5〃

東経 155O56′ 8',

1‑ 1‑ 4 時1国地方の気候区

(和遊博夫厳捗 :「日本 の気膜 」よ り) 海抜70m

^E問 北棟

5

4050,2,, 頼経155050/ム', 海抜4m

(a)L気温= 月別平均 気温 ,良市気湿 ,値 低気温 を塞 1‑ 1‑ 1に ,年較差 ,月別Ell較差の平均 を 表 1‑ 1‑ 2に表 わしたOこれに より,月別平均 気温 においては,佐屋 は笠 岡 よt)2・05・

5▲ C

低 く, 笛梁 よ りは1,5‑ 2・4℃低いこれは佐岸が解放 5 90mとい う描原上 にあ るため ,比較的冷簡 な気 候 を示 してお り,温暖な轍声門気候 との差 がみ られ るO谷間 である高梁 と笠 岡は月別平均 気温 で0.2

‑1・7℃の寮が あるが ,その差 は冬に大 きく夏に小 さい .佐屋 と高梁 は平均気温 で各 月序 に1.5‑ 2 4℃の差が あ り,雷 に差が大 きい 0位暖月 と般幾月の差 で示 され る年較差 は,佐屋 2 512'C ,市梁 2 4・2℃,貸 間2 5・5'Cであ り,谷間 であ る甫梁が大 きく夏の暑 さと冬の寒 さが軽 しい と思 われ る。月

‑4‑

(17)

別 Ll較差 の平均 では ,有 責削ま9.0‑ 12.8℃ の差が み られ る 。 これ は佐段 が7.3‑ 1 1.5℃ .笠岡が

&4‑ 1 1・1℃ の差 であ るのに くらべ て大 きい値 を示 し,‑,日にお いて も,気温 の変 化が比較的 大 き い ことを示 してい る 。

表1‑ 1‑ 1 月別平均 .政商・地低気温 (昭和舶 〜 50年平均 ) ('C )

均安も温 1 2 3 4 5

7 8 9 10 ll 125.5 121415隻...A54 佐屋 2.0 2̲i 4.8 11ー7 15.9 19.A 24.5 24.7 20.5 14.2 8.5

有梁 5.4 19 占.5 15.占 17.占 之1,9 227ム7.0 ・27.1 22,8 1占,2 10.2 4.8 笠 岡 4.9 4.9 l7.4 15.8 17,9 2乙1 27.9 25.5 17,4 ll,8 6.5

.

満気温

速ま 旦

1 2 5 4 5 A 7 8 9 ・10 ll 12 年 佐屋 6.4 a̲4 10.1 17.5 21.5 24̲4 之a5 29.4 24.7 18.8 15.3 7.9 17̲4 高梁 8.5 9.1 12.7 19.8 25.7 27.1 51.2 52.0 27.5 21.2 15.5 1〔】,0 19.8

笠岡 10、0 9.i 12.9 19.0 25.5 2占.d 51207..20 52.5 28.1 22.4 17.1 ll.8 20.4 月

別放低気温

1 2 5 4 5 14iー8 8 9 10 ll 12 年 佐屋 ‑2.4 ‑‑2.5 ‑0.5 a.0 10.0 20.0 15.8 9.4 5.4 ‑0.占 7.8 粛梁 ‑1.7l‑1.4 0.5 7.2 ll.5 I‑i7 2222.:8 222 ̲1 18,0 ll.2 4.8 ‑0,5 1.90..24

衰 1‑ 1‑ 2 月別平均 日収差 ,年僻差 (浦和46‑ 50年 平均 ) ('C)

日 較

Wn

高佐屋

‑ .‑

梁 1881.,2 108 2a7 10.5 125..4 12占 ll4̲.5 ll占 125..2 ー03 a?,.4A

&5

79.0 899̲.94 998..5 1D9 190,̲40 10'll9..7 1D9 172.5 25.5年軒 ≡24..l22

(b)降水 丑 昭和4 6‑ 5t)年 の月別平均 降水T,TILは,次 の表 の よ うであ る 。 蓑 1‑ 1‑ 5 月別 降水丑 (昭和4占〜 5日年 平均 ) 単位 2m

孟 卜A

1 2 5 4 5 6 7 8 9 10 ll 12 竪 琴 十 佐 屋 5占 bO 55 152 lE)4 198 224 158 225 128 59 58 1415 満 艶 51 57 57 128 112 2

1 72 8

7 T3占 205 125 45 40 14占0

佐屋 ,芯紫 ,笠 岡の年降

仙 まそれ ぞれう4う5脚 . H dD叩, 1249mpIで あ り,笠 岡 は雨 fJiの少 ない 擬声 内気僕 を示 す 。佐屋 と描窮 は降水血にお いて あ■そ り差 は み られ ない O全 体 を通 じて,, 7月の 鵬雨, 9月の台風時 にお い て降水鎚 が多 く, それ らと比 べて 8月の醸水 甜5地 点 と も少 ない 。

(C) 寛親 日政 次 に大 気現象 日数を義 T‑ 1‑日 こ示 す .雨 ,苛 の 日数 と も佐屋 が多 いが

,

野の 発生 日数 では高 梁が9 9円であ り,他 と くらペて著 し く多 い 。これ は放射努 で,移

件 筒気圧 におお

‑ 弓一

(18)

表11 11 4 大気現象 ET数

(肺和46‑ 50年平均 ,田富 の深 さは その間の倍大 )

屋 高 梁 笠12 18岡 蓋 冨 12 92 5 18 715

象 ひ よ う 1

0 0

晶降 ≧ 1

mER; 1 257 1 0 59 9 1 0 12

7

B

k

≧ 10 45 4 占 4 1

敷 ≧ 5 0 l l 15 l l

降 ≧ 10 2

0 D

苦 ≧ 2 0 0 0

0

数 ≧ 5 0 0 0

0

, 2 6 1 占 5

' g

深.さT.i

'

, 初撮如(起自)

(46,1.5)(4占.1.5) (46.1.5) ll.27 12.8 12.22

われていて,風が弱 い明け方 に内陸で発 生 し,河の流域 な どに多 く発生 する。高 梁 の町 を高梁川 が流 れていることが作

している。

吉備拓原 には野 呂雨 ,谷若 とい う言薬 がある。留 は谷間の特色 である.

注 )以上の資料 とな った各気象の測定方 法 は次の とお りである。

平均気温 ;下記の El屈高気温 と日最低 気温 との平均 値 を日平均究 温 とし0.1℃単位で示 した0 位高気温 ;当 口9時か ら翌 日 9時 まで

の 日放高気温 を0・1lC単位 で示 した。

偉低気温 ;前 日9時か ら当 日9時 まで の 日磁低気温 を011‑cqi位 で示 したn

降 水 良 ;当日 9時か ら習 R9時 まで の ∩降水砧 を1m単 紀で示 し,月の欄 にはそれぞれ合 計 値を示 した

現象 日数 ;その月の雨 ,望,ひょ う

,

酸の現象 日数 (良 ,階級 に馳係 な く現象 を認めたEI数 )を招 けた

t‑j留月表 ;9時 における和雪 の深 さを 1cmで示 した。

(山地順子 )

2

川 上町 のカル ス ト地形

川 上町 には,県 下の二大 カル ス ト地形の1つ,大舞台 カルス トがあ り,阿哲台 カルス トと共に有名 であるoJII上町には, 5 5 0‑ 4 5 0mの石灰岩の台地 があ り,台地上 には ド')‑ネな どのカルス ト 洪観 がみ られ るO一般的には ,樺高は, 5 5 0‑ 4 5 0mであ るが ,弥布山の西 の石 山市付近の台地 は .標商5 5 0‑ノ占 0 0mである。

上大竹神野 を中心 とす る石灰岩h地 を神野台 あるいは大月台 (狭轟の )と呼 んでい るが,一般的 に ・ 大舞台 とは,川上町 を小心 として鵬巾町南部,芳井町北部にまたがるカルス ト地域 をきしてい ると恩

一ムー

(19)

㌧ 一r一 ■‑ 一一 ‑ 1

われ るo阿哲台 と同様 にカルス トlR観 のみ られ る地域が分散 してい る。それは,大fi= 'デッケ ン や 斬 周 な どの様 々な地盤運動に加 えて,河川の侵蝕がか す り進 んだ粁紫 とい えJ:ラ .

5万分 の1の地形図 では,建地 は全 くみ られ ない42.5万分の 1の地形図 で も, 2‑5個の小IiJi由 が み られ るTさけであるが ,実際 には,神野 をは じめ,野 呂,穴迫 で, ドリーネを観察す ることがで き

‑7‑

(20)

る。その意味 では ,地形図か らドリーネ列 , ウバー レ列 を よみ とれ る阿哲台 とはかな り趣 を異に して い るとい うことがで きよ う。

代表的な カル ス ト地域 としては,神野乱 高 山市 カル ス ト,巌 谷漢 ,穴門 山神社 ,西谷峡 があげ ら れ る 。以下各 々について略述 する.記述 にあた っては .川上町教育委員会編 「かわかみの自然 」に負

うところが多 い。

(1)神野台

<地形> 地頭 よ り,大竹川 ぞいに さかのぼ り,正寺 か らは谷斜面の急坂 を登 りつ きると,急唆 な谷斜面 とは うって変 わ って ,波浪状地形が 目の前 に広 が るo ここは神野台 とよばれ,神野台は,海 抜4 0 0‑ 4 5 0m,東西2khI,南北1・5kmの石灰岩台地 である。正寺か らの比高 は1 60‑ 180 mであ るが ,台地面 の起伏は2 0‑ 5 0mで小起伏面 とよぶにふ さわ しい。台地面 は,火山灰で撃れ てい るこの火山灰 について 「かわかみの自然 」では弥 芯 山,須志山の火 山活動 に起因す る と想像 し てい るが,証拠 はみつか っていないC酉 の高 山台地 と策 の八久保 とは,深い谷 で砺 て られて お り,孤 立 した台地 といえよ うO

<地質> 神野台に分布す る石灰岩 は,高 山石灰岩周 とよばれている。高山石灰岩周 は,準秋吉 層群 に相当す る と考 え られている二位紀 の石灰岩 である。石灰岩 に含 まれ るフズ ・)ナに よって この高 山石灰岩は ,次の A帯 に区分 され てい る。Lep idOlintL mu lti8eP ta軌 Para fu8u lina cfV Jap onica帯, ShwageTina ▼u lgari8樽.F u81ina樺 である。岩谷 においては, この高山石灰 岩 と褐色の輝緑凍灰岩 は,互眉 をな してい る。

・...il:...l../J..I:Il ー.:I.ll ー⊥■■」Ll.̲.,Ul.,...t‑.‑/I.'':i.:.‑'.:.神野台il,‑.. ,, ...大; ..

‑ll lT t 芯 議 乳洞 lJIIL I lT 13, .L A ] I

).l L r 二塁紀石灰岩

l■‑ i ii ii『■r J t l l 1 L l‑.LLl lJI.. 'VL、 L l Jt

l l l l l l l l l l l

l l l l l l t l l L l1 . . . . . .

一‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ● ○

‑ ‑ ‑‑ ‑‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑‑ ''.'J . :.:. . ...: '

■■ 三塁紀 .‑.砂岩,粘板岩...I=..̲‑..̲̲ ̲ ̲. ○ ‑ ̲‑ , ‑

図1‑ 2‑ 2 神野台の地形 ・地質

‑8‑

(21)

この郷原穀灰岩中 には ,多数の海百合の化石が含 まれてお り,まるで梅 の花 を ちりばめたよ うな様相 を呈 してい る.その ため,梅花岩 あるいは梅林石 と呼ばれ ,最近の ブーム に もの って,庭石 として珍 重 されてい る。

< カレン> 「かわかみの自然」には

,

「神野 .下大竹 には,雨水 の潜蝕作用 の結 果形成 きれた カレンがみ られ るが ,フズ リナ,海百合等 の化石 を含 んでいる 」と記職 されているo下大竹の は現地 に行 っていないので何 と も言 えfJいが ,神野 では‑わずかに鞄店 か ら道路傍 の斜面に見 られ た程度で,

ドリーネ内部 には,全 く存在 しなか った。

しか しfLか ら,カ レンがほ とんどみ られ ないか らとい って .被覆 カル ス トである と判断 してよいかわか らない。 ドリーネ 円にあった と思 われ るカ レンは,曲朗 の 醍,破壊 され た可能性 が考 え られる。 .

< ドリーネ> 石灰岩地方にはC02

を含 む雨水 に より,す り鉢状の穴 ( ドリ ーネ )が形成 されるこの地方 では これ を 「クボ (

山と呼 んでいたO神野台 に は,石丸川 ドリ‑ネ と八窪 ドリーネの2 つが存在す る。

石丸川 ドリーネは,輝 きが10DJJ ‑ トル もあ る陥没 ドリーネであるo繭伽の 内壁斜面 は10段の棚 田 (約50とL)と なってい る。 これは,神野台唯一 の水EEl であるo ドリーネ底 には,病巣があ る。

飲 んでみたが

,

星で も19.Cであ る上.

硬水でなか なかおい しか っrこ。簡易水液 ができるまでは,ここを利用 していたC ドリーネ北東の)止帝都 は,調査当時が ま が繋茂 していたが,その中に吸入穴 があ

IJ.二一J・・・二.I.,JLLL:

「▼一 .Jl.ilt t ▲ rL'.I

写其 1‑ 2‑ 1 沢桝の滝

っT:O吸入穴 の まわ りには,排水溝 もみ られ る。その吸入穴 は

,

「か わかみの 自然 」によると

,

「か な り大 きな地 下疎乳洞 に紡 くらし く,石 を落 とす と地 下に8 く音がす るo又,平 常 は, この穴 か ら風 がふきあげるので別名風穴 とも言われてい る」とirかれてい る。

八逸 ド・)‑ ネは,約1 5aの加 地化 され た帝政 ドIj‑ネで ,石丸川 ドリーネの東 に接近 して開 口し てい る。平面形 は ,

ば円形 で,その表面 は,赤 ちゃりた鞄 宰上 で軒われてい る。吸込穴 は,畑地化 の際 .埋めて しまった らしく,その正確な位 配はlr)か らない。 ドリーネの底 か ら斜面 にかけては・野

繋が抑 え られていた o 「

‑9‑

(22)

<鍾乳洞> 岩谷 には,感現穴 と呼 ばれ る純乳洞が ある。その名 の通 り鍾乳洞内部の石段を登 ら っめる と,石住が垂下 し,その下 には 同 が建 て られ ,調刻 きれTこ石神があ る。石柱 の輿 は,やや高 い 所 に小穴 とな っていて通行 できないが ,ずっと奥 まで掛 、ている らしい O現在,この鍾乳洞円掛 こ流 水 はみ られ ない 。

<地窓> 神野の岩谷谷 は ,谷 の周部が古生屑 の石灰岩 であるのに対 して,谷底 は,中生肘の成 羽銃 である。帯曲 あるいは土地が飛 び ,その後 さらに侵蝕 きれた もの と考 え られ ているこうした現 象のみ られ るところは地雷 と呼ばれ てい る。

(2)伏流水 と沢柵の俺

岩谷 の谷 の上流 ,土川 の付近 で谷川の水が 山 の横腹 に的 いた穴 の中に流 れ込み,下流100 メー トル位 は,平常石 ころだけの水悔 し川原 に な って いるO さらに下 って .鍾乳洞下の谷に伏 流水のわ きいでる泉があ る。 (宗11.1克巳老 r吉 WT高TITl」に よる 「栄谷 の噴

」)この伏流水 は,神野台の地下和乳洞 を通過 した ものに .描 山 ,大久保 か らの伏流水 が合流 した もの と考 え られてい る。この流れは,坪田を潤 し,下流1

A h

a)FTrで高 さ2 5メー トルの沢柵 の縄をつ くっ ているO全体 の岩盤が後退 して,l乍LJ̲代の石炊

SL ,

小生代の成顎屑 ,古/&代の粘板岩 の三脚 の 硬度鼻 に よる三役脚の梢で あ .),四季水 が鮭 pL ない 。縄 の下 には正径 10メー トル伯の極 めて 大 きい祖宗がある。伏流水 に よる稲は全国 で も 珍 しい とい うことである。

図 1‑ 2‑ 5 沢椀 の穐 (5)穴門 LIJl神社

六 円LJl神社 は ,成羽川 の上流損料 佃 二硯石

群 を侵蝕 してできた深い谷 にあるこの神社 は,背 の 式内古 杜 で 「名方山赤浜宮 」と称 され ,天照大神 と豊菱大神 を摺 っている。延を式に も記載 され てい

るo

<神社付近の地質> 穴門山神社 付近 の地質 は.非常に板雑 で収下部 に古生代の砂岩 ,粘板岩 , その上に火 山活動 を示す抑緑粒灰砦 ,さらに その上に野上qr屑 の ため と思 われる石灰岩が並 lJってい るこれ らの古生桝 の上には .脱石紡群 とJ:はれ る謙岩 ,赤色艇灰皆がみ られ るbなお当地の石灰岩 は二位紀 の石灰岩 でi2宮 なサ ンゴや フズ ')ナの化石 を含んでい る。

<鍾

乳洞> 穴門山の名肌は ,縄乳洞 よ り命名 された と思 われ る.社取 の背 後には ,二次生成物 (織乳石 ,石句 )の よく発達 した輔乳洞が開 口 しているb入 口か ら6 7m付近 までは入 る ことがで き るが,伏流水が多丑 に沸出 してい るので奥 まで莫軌Eで きない。 しか しなが ら,相 当節 いているよ うで

‑10

(23)

あ るV この郁乳洞 は,深 い谷の中腰鰍 こ閑 rrL,u;流水 が多五日こ所 出 してい るところか ら吐 出穴 では ないか と思 われ る。

(4)横松 谷の圧死穴 ̀ト 「 ■ ‑!

梯 松谷には,

位紀石灰岩 でで きてお り,両掛亡は野馳作用 に よる奇岩 ,絶壁が至 るところにあ り, 大小 の戚乳穴 が見 られ るOまT=小石 が由願 して石灰 岩 を削 ってで きた控瓦穴 は見邸 であ る。

(5)巌谷渓

写真 1‑ 2‑ 2 桝谷渓界 風宕

成羽川 の支旋 松谷J肋 ;石灰岩 と角岩 よ り成 る台地 をC2触 した谷 を巌 谷渓 とよん でい るQ川上町 と棚 中町 の敬界 付近 に付値 してい るn こには,拓 き 60メー トル余 I)の節 風 をf=て た J:うな絶壁 が連 な ら,白放,

打 臥 継子凱 六十 落 し.船 児啓 しな どと呼ばれ てい るo これ らは,いずれ も石 灰岩の斬Fiiであ る。店山石灰岩 と大 岳角態 とのtJUの肝即に よっで生 じ

,

流水 の侵蝕 作用 の紡如堺在 の よ うな断崖 にな ったと考 え られ るo

< ダイヤモ ン ドケイ ブ> 「打拙 」別名 「犬の

肖g

」の歴の邦乱闘 (入 口の褐 さ 9メー トル,輿 行50メー トル )の輿 を爆破 したところ.南へ4 bdメー トルの大即 し桐が発見 され,順卸 45年の 乳 愛媛大学 の山内浩 ちに よって探検 され, タくィヤ モ ン ドケイ ブと高名 され T=。 この抑 こついてU偶 浩 は次 の よ うに紹介 してい る。

「ダイヤモ ン ドケイブは, 日本 に敢少 ないm頂 ̲狩l胡乱嗣 で. この盟 の搾乳洞 と して は 円本巌大 であ る

。 ま

た鈍

洞 の形成 を示す断JElが垂 lErlTな一 枚板 の よ うに朗 の巾史 を‑旧線に走 ってい るのが観 察 さ れ .ロ本の代表 的 な噺阿部乳洞 で もあ る。娘大の 詩色 は.二次生成 物 て .これ は

, 眺

謎型抑乳洞 の特 徴 各位大 限ほ表現 してい る。 これ を榊成 してい る カルサ イ ト(方解 石 )の括晶が大 きく透明 で,不純

一・11

(24)

物 で汚染 され てな く,開放型錐乳洞 で よ く見 られ るよ うな風化失透の現款 が見 られな 。鋪乳管 の長 さ1メー トル5 5は 日本最長 であ り,中央部 上層にあ るク リスタルポ ッ トは,これ も日本 で一番見事 な もの であ る。 しか し, どれに もま して最大 の特徴 はヘ リグマイ ト,ヘ リグタイ ト粥 であるOへ リグ タイ トは小規模 な ものは 日本各地 の跡乳洞 で も観察 され るが,発達 の程度 ,数丑 ,結晶 の美 しさ,ど れ を とって も日ふの他 の鉦 乳桐に比肩 で きる ものはない 。ヘ リグマイ トは一層珍 しい もの で外 国の文 献 に も極 めてまれである (中略 )日本 で最 も美 しい結 晶 で飾 られた鍾乳 洞 とい う意味 で ダイヤモ ン ド ケ イブと命名す る。」

入 口か ら508メー トル付近 には ,天井に眉径 5メー トル,苗 さ十数 メー トル もあ る垂 直 の空洞 が あ り,そのやや手には .流 水の水畔が変化 し,侵蝕 した最深 と患 われ る巾1‑ 2メー ト,I/の2段 の ノ ッチや僻地 した小石,粘土 か

5'1した断面 もみ られ る。一都奥 は砂 の床 と石灰岩 の天井 の間に数 セ ンチのす きmが あ り,そこか ら伏純水 が流 れ てお り,洞瀞 は さ らに輿に続 いてい る もの と思 われ る。

前述 の ご とく透明 o)二次生 成物 の私 室が非常 に良 い ,美 しい鉦乳洞 で ある 。奥で は気温 も12‑ 15

℃ (7月末 日 )であ り,J;‑:L夏 に もか かわ らず,拍 しい とい うよ り堆 い感 じが した。洞内におけ る,気 温の変 化 のIbLjは,大変小 さい ように考 え られ る。

(占) 西谷峡

地頭 の 西の娼谷 には

,

古生周 の石 灰岩 が侵 蝕 作用の縮袈極 めて深 い峡谷 がつ くられてい るO西 谷峡 と呼ばれ る ここに も甥乳洞 が的 Elしてい る.、

<地貿> 大 賀 デ ッケ ン捕道 に よ lJ新 しい巾鉄屑 の上に古 生周 の石灰騎がの ってい る。石灰岩屑 の叫 こは,火 山括 軌で正人 した と恩 われ る三相 岩 が み られ るo ここ西谷 の石灰岩 は七地 ,三沢 に もみ

られ る手柄 屑 とよはれ る石灰岩 であ る。手槍1円は,Y tLhe ina解 , pilr;Ifu Bu lina仰 , Schw agerina札 の 5手酌 こ底分 され てい るo従 って ,宇治J掛 ま前述の高 山石灰岩 よ りも上 部 に位 伍す る と考 え られてい る.粉 岩 は, 国吉城 お よび,八十石 の山道 に もみ られ る ,扮 掛 こ 接 触 す る石灰岩は熱変成作用 を受 けて結晶質石灰岩 とな って いる。

く郡乳洞 > 西谷峡 に朗 口す る鍾

洞 は入 E「の高さ は 1 0メ‑ トル,愉 6メ ー トルで奥行 は5 0 メー トル であ るこの縄乳 同 の下にやや小 さい新乳嗣 が あ る.同山か らの純水 が流れ てい たが .ダム に よ り埋 もれて中 には入 れな い.

(7) 喝渡 しの栢

地頭 か ら布 山 に至 る途中 の燭般 しの深 谷 には,高 さ10メ ‑ ト,I,余 l)の樋が あ る oこの席 は,断JFl に よ って膨成 され た と.考 え られてい るQこの稲 を少 し登 った ところには .かつての稲が後退 してつ く った 5つの避崩 し7こ磁壷跡 がみ られ る oこの馬 粧 し付近 には,鉱 床 があ る C機争 中に亜鉛 ,銅 を掬 っ た跡 がみ られ る。

(8) 高 山市 カルス ト

袖 山市付近 は, 5 0 0‑ 占 8 0メー トルのい小起 伏面 であ る〔畑 地化 され てお り, カ レンはほ と ん ど見 られな い 。家 々の石垣に石灰岩が み られ るだけであ るこの小起 伏両 は布状 の綬斜面 をな して 枚節 に至 る. この

斜面 の畑 の中 あ るいは道断 こ,7i垣 の よ うにカ レンが存7Eす るが ,その敬 は少 な

‑ 12‑

(25)

r一 ′ l・ 軍顛 11 2‑ 5 松節 でみ られ るカ レン

い 。また, ここでは,お茶の木 を畑の境 に依えてい るが ,その木 に囲 まれ るよ うに して,湧泉が1つ 存在 してい る。かつては飲料水 ,現在 は仙 こ利用 してい るのであろ うo廃泉の そばに ,木製のひ しゃ くが1つ位 いてあ った。 この堺斜面 も畑地化 されてお り,キ ャベツな どの野柴 が植 え られ ていた。背 丈 を こす位のかや をお しわけ,谷を下 り,松節 に至 ると,山の斜面の雑草 ,かん木 の中に カ レンが非

常に よく発達 してい るのがみ られ る。このカ レン .稜線 の鋭 いカ レンであ るO . (9)石灰岩台地の利用 と問題点

神野台 では, その下 にあ ると思われ る地下躍桐に降水 がぬけて しま うが故に石丸川 ドー)‑ネを除 いては米 作はで きない。しか も,その米作は, ドリーネ肩 に溜め池 を作 ってお こな ってい るのが現状 である。台地表面は ,残作土 で符われてお り,畑 作rlll/L、の塩箕 を営 んでいるへか つては,水不足 を

映 して,乾嫌 に強 いタバコや コンニ ャクを観梅 していたが ,コンニ ャクは植 えつけてか ら4年 たたな い と収穫 で きないため,減少傾 向にあ る とい う。 そ0‑JIeや りに, トマ ト, ブ ドウな どの栽塔が盛 んに な って きている。

水不足は,石灰岩台地 ではかな り深刻 であ る。紳yL台 では,井戸 も利用 で きないので,石丸 ドJ)‑

ネ底の研泉 を25軒 で利用 した り,大 鋸 Eiみ ,し1くいで閉めて天水 を貯 めた りしていたOまた,風 呂の水 をためてお き,野良の仕̲41着 を洗い,,さ らに それを他 にま くとい うような こともしていた とい う。現在 では簡易水道が発達 し,沸泉5軒が Jifン1 アップ して利用 してい るほす ぎない O水温 は, ほぼ 19℃位 で一定 であ り,冬 季 で も水 は絶 えることはない 。たた硬水 なので離間 には漕当 でないO

(10)カルス ト地形 に開運 す る地名

請二島原地形に関連 す る地名 として

,

「野 」は神野 ,菅野

,

野 LP,の 5つ

,

「原 」は名原,大原 の2つが

‑15

(26)

ある。石灰洞 J:り命名 された ものに ,穴迫 ,権現穴 がある。地名 ではないが,穴門 山神杜 も石灰洞に 関連す る。カ レンに軸係が あると懸 われ るもの としては,岩谷,岩神 ,八十石が あるC凹地形に関係 す る名称 としては,八久風 八建 ,大久保 があ るo現在凹地 は ドリーネ と呼ばれ てい るが ,かつては

Ltクボ ''と呼ばれ ていたo

岡山県 の もう1つの カルス ト地形 であ る阿哲台 と比鞭 してみ ると

,

「台 」が全 くみ られないが

,「

原 」

,

̀「野 」

,

「岩 」

,

「石 」が多 い点 で一致 してい る。西隣 り稀釈台に多い 「野

」は1例見 られ

る。 (中村 由美子 )

3 大 賀デ ッケ ン ー複雑 な地 質構造 ‑ (1)川上町に見 られ るデ ッケ ン描法

堆机岩 の地苅削ま,新旧の地層が順序正 し く埴科 しているのが普通 であ るO ところ姑 ッケ ンは, 新 しい地屑の上 に古 い地層 がの っていて順序が超 にな っている。つま t),横臥槽 tll)(ふつ う,伽が ほ とん ど水平 の裾曲 のこと)とか衝上断層 (上盤側 が下盤側 の碧1円に線 い傾斜 での し上げた断屑 )に よ って, もと もとあ った ところか ら押 し出 され ,水平 (こ近 い益鑑上 を移動 して もとの基盤 をおお うよ う にな った異地性の大 きな岩体が デ ッケ ンであ り,デ ッケンが毘 な り合 ってで きた構造 をデ フケ ン構法 とい うOそして, このデ ッケ ン摘進が侵蝕作用 を受け ると.ク リッペ (根無 し曽塊 )とフェンスター (地雷 )が で きるOク リッペ とは,上層の古 い地層 が侵蝕 されて下層の新 しい地層の上に孤立 して残 された もので, フェンスター とは,古い地層 の中に下層 の新 しい地僧が のぞいてい る もの である.

川上町 では ,大賀 デッケ ンと天王 デッケ ンの二 ヶ所 で,押 し被せ状態 に新旧の二層が按 してい るの を見 る ことが で きる。大安 デ ッケ ンは,小谷 ケ市の艮上山と南天山の胤の大竹川 の河原 に ,古生代の 石灰岩 と中生代の砂岩 (成羽統 )が押 し被 せの状態で接 してい るのが見 られ る。二層の境界線を測定 す ると,走向はN4 DOE .二層の接

する傾斜 は5〔Pであ った由この大食 デ ッケンは,文部省 の天然 記念物 に 拍足 されてお り,中国地方の地質

法 を解明 してい く上で重要 な もので ある。天王 チ ッケ ンは,古生代同憩 の衝上で,天王集 落付近の県迫南山

〜地頭線の路上 に,砂岩 ・粘板岩の 上 に石灰岩が術上 した両が見 られ る (図 1‑ 5‑ 1).この天王 デ ッケ ンは大賀 チ ッケ ンと一連の ものであ るOまた,地頭北西方の西谷の谷 で ち,衝上面が見 られ るこの他 (こも 留萌 はないが弥高 山の地下 には古生

l■̲ l

卜 二二一 「

I I 図1‑ 5‑ 1 天王 デッケン説明図

砂岩 ・粘板岩 (古生層 ) 高 山石灰岩 (古生屑 ) ハ 成羽統 (中生層 ) 退路 よ り見 られ る部分

‑14‑

(27)

団員皿E E B E ] ⅢE j田電E jTE ]

‑ 15‑

(28)

代 の地層 (硯石統 )の上に古生代の石灰岩の地層がのってお り,高山 デッケンと呼 ばれ てい る。 これ ち,やは り大賀 デッケン形成 の時の神 曲 による もの とみな されている。

ク リッペは,大賀 デッケ ンの南北に位取す る繭天 山 と奴上山が ,その好例 で,地質 阻 (図1‑5‑2) に もそれが よ く表わ されてい る。 この付近 には この2つを含めて5つの ク リッペが分布 してい る。ま

た,下手谷 では衝上面のは っき りした ものが見 えるク リッペがあ るO

フェンスターは,神野の岩谷 あた りの谷にみ られる ものが, その好例 であ るO岩谷 の フェンスター は,中生代 の成羽続 にの っている古生層 の石灰岩 の くぼみ ( ドリーネ )の浴蝕が進 み, その底面に広 く下部の中生代成羽銃がまわ りを古 い上部の古生屑石灰岩に囲 まれての ぞいてい るものであ る. この よ うな フェンスターは,大賀 デ ッケ ン付近 お よび大久保 に もある。

川上F町周辺 では,成羽町羽IJJの揮い谷 にそって5.5kmの聞術上面が若干波dflして はば河底 と道路 と の間 を通 っているので よく追跡 で き,地番 もここに 2つあ る。 また,同町 山本 や新 山で古生代石灰岩 が成羽練 と接 しているのがみ られ る。羽 山の西方羽根では,砂岩 ・粘板岩 に衝上す る石灰岩 に被われ てい るものがあ り,羽根 スラス トと呼ばれている。他 に .芳井町 の日南 と島串の胤 には 8個 の クリッ ペがあ る。

(2)大葬 デ ッケ ン発見 とその研究史

(1)で述 べ たような地質構造が明 らかに されたのは,いつ頃 か らかふ り返 ってみ よ う。

大賀 デッケ ンが発見 されたのは,明治4 1年 であるが,その構造が明 らかに されたのは,少 し後 に な ってか らである。

日本 で,本来 とは逆の層序描遠 を持 っデッケ ン村道 が明 らかに されかけたのは ,大正の末頃 か らで, 当時帝大助教授 だ った小沢儀明が ,秋吉台で新 旧の地層の逆転現象 を明 らかに したことに始 まるO小 沢 は,山口についで大賀 をおとずれ ,大野 デ リケ ンの位既 を見 ている。そして,小沢 は,大賀で も地 層の逆転 を発見 し

,

「大賀 デ ッケン 」と名付 けたのであ る。佐藤消明に よる帽硝口29年6月の調責報 告

川上の天然記念物 」によると

,

「小沢儀明博士は,大正12年 (1925)に長門秋吉の於福台 とい う所 で,古生代同志の新 旧二層が逆転 してお る (江,宗 田克 己著 「筒梁川 」に よると,紡錘虫 に よる幣分 か ら二塁系上 に石炭系がのるとい う逆転現象 )のを発見 し,か よ うな大変動 の起 ったのは, 一大造LL卜連動があ った結果 で ,即 ち日本列島が生成 した造山遊動であ ると霞祝 し,卦 こ東 に同 じ石灰 岩の続 きを求め,この大掛 こ於 て,こん どは古生代 と中生代 との デソケ ンを発見 したのであった。そ してこれ もまた第二次の大造山運動が起 った ことを証 した 」とあるOデ ッケ ン研究は小沢の有名な避 鎖 のひ とつになった。 しか し,小沢 は昭和4年に 5 1才の若 さで亡 くな った。 その後,昭和10年代 にな って,大男 デ ッケ ンの名がかな り知 られ るようにな った。昭和1 1年 には,文部省史跡名勝天然 記念物 調査委良曲水鉄五 郎 ,岡山県史頗 名勝天然記念物調禿委員井上約‑が実地調査 してお り,昭和 12年 8月15日には,文部省 の天然記念物 に指定 され るに至った。また昭和12年 ,中国か ら日本 に留学 していた張庇旭が,大男 を特 に収 r)上 げて研究 し

,

「大田地域の地質 」の卒業論文 を1m いTこ.

こうい うわけで,張の恩師 であ る小林貞一が,大 きくとり上 げて捕造史 的に解明 し,それ に よって大 智 デ ッケ ンはかな り大規供な もので ある ことが知 られ,そこか ら火日出 lll遊動 とい う名 が生れた。他

‑1ムー

(29)

図 1‑ 5‑ 5 脱水鉄 克郎の大焚 デ ッケ ン想定断面図

(警芸警 三三三kb崇 ;芸悪 霊雲諾 ・)冨芸笠 ::芋 )

に も数多 くの学者 が研究 してお り,槻後 は広 島大学の梅見久 らに よって研究 されてい る。

(5) 大賀 デ ッケ ンの形

川上町 にみ られ るJ:うな唯班忠 の地層の新 旧の逆転 は,いっ どの ように起 っT=のであろ うか。表 1

‑ 5‑ 1を参考 に して川上町の地史 を概観 LfLが ら考えてゆ こう。

(イ) デッケ ン形成前の地史

先 カンブ リア代〜古年代前脚の地粒卜 台石 は,n本 では今の ところ見 つか っていないので明鰍こは 何 もわか ってい/i・いか,古!蛙代後脚こなるとか/1・rJは っ きりして くる。その掛 中国地方は, アジア大 鞄 の栄 のなだ らか な傾斜 を もった浅 い髄 (秩父地rt巾1)に位正 し,大陸 か らの土砂 が堆胡 していたo

こうして堆放 した市生剛 ま石灰態 の少 ないlu剛 1群 と石灰岩 の多い秋吉刑群に分け られ る。山口樹群 は,現地件の雌棚物 で広 く分 布 しているが,秋 吉研群は ,Jlrl

耶のに押 し被 せて きた ものであるo 吉備高原に見 られ るような秋

1

軌 ま.石灰fll・it■砂岩 ・ff針 角岩が交互 してお り・秋斉台にみ ら れる全部石 灰岩の秋富岡群 と区別 して,準秋吉同群 と呼 ばれている。

図1‑ 5‑ 2を見 ると,川上町では,古生屑 は,北部 と南部にかな り広 く分布 してい るO商 Lll市〜

‑17‑

(30)

〜神野〜天王 にかけては石灰岩 の分布,七地の平地 面には千枚Ja,粘板岩や砂岩の分布,上谷の 北 には千枚岩 ・粘板岩の分布 がみ られ るhまた,正尋 あた りには,三畳紀眉 の中 に石灰岩 がみ られ, ノペ (根 な し岩塊 )の存在が示 されてい る。南部 では佐屋 の北側か ら高岳 ・鈴 木‑帯 に千枚岩 ・ 粘板岩がみ られ る。なお, これ らの地層ので きた古生 代後期には,水温 は現在 よ りかな り高 く,サ ン ゴな ど畷海性 の生物 がす人でお り,弥高山周辺 ・神野 な どで,古生個中 か ら多 くの化石 (フズ リナ, ウ ミユ リな ど)を産出する。また,古生代の末 か ら中生代 にかけて垢基性 の火 lJL「衝動が盛 んにお こな われ,その頃噴出 したのが現在の押縁ホ灰岩である。川上町 では,南方 の芳井 お i:び美星 の両町 との 境界 付近一帯 に分相 している。

古生代後期地向斜 には多 くの土砂が堆群 していたが, 1万

k

nTもの厚 さに堀田 す ると地潜 の厚 さが不 安定 にな り,中生 代にな ると大変動が起 った。 まず,秋吉 を中心 とす る造 山運動 が,三塁紀中 ・後期 に頂 点に越 した。そのため秩父地向斜 は .下部が千枚岩化 されて,一部 は摩化 し侵蝕 きれ,⊥部は細 長 い入江 とな り新 たに土砂が堆億 した。吾郎高 原 でみ られ る成羽銃 は, この ころの堆研物 である。

図 11 5‑ 2を 見ると,川上町の中央部 ‑ 川原 ケ〜 白藤〜首藤〜大谷一地面 ‑猟数一得 ‑ に成 羽統 (三塁紀層 )が,北 と南 を古生層に捜 して広 く分布 してい るこれは,栄辱 (高梁市 )の」ヒ東 か

ら成羽 ・地頭 ・大賀 ・日南 (芳井町 )を経 て下原谷に至 るまでの一連 の ものである。

次の ジ ュラ紀 には地鰍 ま平穏 であ ったが, ジュラ紀末 か ら再 び大変動が ねこった.これが,大空a瀧 山運動 で,大賀 デッケ ンは, この時朋 の もの である。

(ロ)デ ッケンの形成 とその規模

平穏 な ジュラ紀 に堆戟 した土砂 は厚 くつ もり不安定 にな った。深部では,非常なEE力 と熱で変成 し た り,花臓岩紫が送入 して きて,領家変成帯 が形成 され ていた。一方 ,地袋 に近 い浅 い部分の地同 で は,秋吉造 山帯 が二次的に変形 し, それを被郡 していた堆 fL'l周 (成羽続 な ど )ち,はげ し く神曲 し, そこへ梯圧力 に よ り準秋吉古生尉群 が押 し被 せてきたo

この水平移動は,い ったい どの く.らいの規模 で起 ったのであろ うか。小林貞一 は,初め (1941) デ ッケ ンの根元 は,サハ リン (樺太 )に求 め られ ると考 えていたが,その後の研究 に より,一般 に現 地性の石灰岩が水平移動 した ものと考 え られてい るO

新 旧の地層 の逆転 の租界耐 ま,西 は広良の稀釈峡 か ら席 は京都の丹羽山地 まで続 くと考 え られてい る。ここの大男 デ ッケ ンは,芳井 町 日南か ら北東方向約2 0

k

nrの筒深市難波江 に までのぴてい るのが 認 め られ るO張既旭 (1959)に よると

,

「上部秩父 古生桐が千枚岩牧 及三見 紀上 に衝上 している弔 文 は不鮮明の部分 もあるが,広島県深安郎矢川北方 よ り岡山県 川上那成羽北方難 波江 に雫 る迄は追跡 出来 .その間15の Elipr・en及6‑ 7のFen8tern乃至 Ealffen8ternが認 め られ る 」

とな ってい るこの衝上面 の代表例 が ,小谷 ケ市の大竹川河原 にみ られ る もので,その断 面は脇水 鉄

五郎 (1940)図 1‑ 5 ‑5の よ うに想定 してい るDまた,押 し被 せの幅は4里 (約1 4khl)もあ

ると考 え られてお り,現地性の石灰岩の水平移動 によるとい って もかな り大規模 で,この ときの変動 で現在の 日本の地形が完成 したとされてい る。

ぐう デ ッケ ンの形成時期

‑ 18

(31)

i;ユラ紀末か らの大賀造 山遊に よ りで きた造山相の くぼみに硯石統 (関門層群 )が椎田 してい るO この硯石銃の下郡には,陸化 していた石灰 岩屑が こわ されてで きた砂嫌 が堆甘]した石灰角疎岩屑 があ ら,この上周 には,火山灰が水底 で雌槻 した赤色粒灰岩の屑がの ってい る。従 って,大賀 デ ッケンが いつ形成 されたのか とい うカギは, この硯 石櫛 が握 ってい ることにな るが ,この扱 いがなかなかむず か しい。だか ら,今 までなされた多 くの研究 も,大男 デッケノ形成時脚 ま,現 石続 の堆・田酌か耶研中 か雅懲後か と三 つに見解が分かれてい るし,同一者 で も発表時 によ り見解が らが ってい る。楠鬼久 ・ 青村典久 ・片山貞昭の 「岡止順 成羽町北西地域の他日

Ⅶ大貿砺上の時期 について 」に よると,下図 のよ うに大安衝上期の諸見解が盛理 されてい る。

≡≡≡≡q:≡≡二 言 …至芸喜 一搬 ・棉見久 他

これ らの見解は何 を根拠に しているのか,情見久 らの前述 の論文 か らあげてみ よう。

硯石層群堆朝前 に大祭衝上が起 ったとす る税 の限拠は以下の ような ものがある

① 成羽川北西で成羽層群 上に石灰岩が列状 に点‑& してい るが, これは硯石続 を不整 合におお うもの である (小沢 192 5)a

② 難政江の北 西の谷 に分相す る硯石続の倹 岩は.百折岩のC8YCを埋 めるCave‑fi1Iing で ある。(小林 19 5 5 )

③ 衝上線 付近 では現石層群は石灰岩 と成羽層群の両方 をおお っている。 (楠 風 l9 5 0 ) なお,稲見久 は, 1952年税石層群 の石灰岩畔 が.基盤 に石灰岩のない ところでは,成羽層群の基 盤直上で/LEくてやや上位 に発達 していることをみつけ. 19 5 5年 に硯石層群碓樹初l軌こも小 さな衝 上があったと考 え tt現石衝上 ''を提唱 しているO

碑石層群堆村中に大賀衝上がお こっT:とす る河 合TE虎 は,いろいろの立場 か ら考 えて,大賀衝動 の 終塩 を硯石層群堆研中 と考 えると硯石肘群が大野衝上線 を巌襟す る事実 に矛盾 はない としているO (

1 9 5 0 )

硯石屑群耶暁後に大祭衝上 が起 った とする矢部虫束 は ,現石屑群 と成羽 周 の不整合綿 にな らぶ硬 は 大 きす ぎるので,硯石屑群以後衝上断層があ り,現在 の ところに並んでい ると考 えているo

この ように見解が分かれ るのは,桃田岡の時代 を決 めるのに韮重な手 がか りとな る化石が ,この地 域の硯石JR群か ら見つか らず ,地質 時代や他地域 との対 比 を因掛 こしてい るためであるO

だが,この デ ッケ ンの械迄 や形成時代 も研 究が進 むほつれて ますます はっき りと して くるであろ うo そ うすれば,中国地方の構造発達史 ひいては 日本列島の形成の研死 に大いに役 に立つ ものであ る。

(林 和子 )

‑19‑

表 11 11 4 大気現象 E T 数 (肺和 46‑ 50 年平均 ,田富 の深 さは その間の倍大 ) 佐 屋 高 梁 笠 12 18 岡 蓋 冨 12 92 5 18 715 象 ひ よ う 1 0 0 晶 降 ≧ 1 漂 m E R ; 1 257 1 0 59 9 1 0 12 7B k ≧ 10 45 4 占 4 1 敷 ≧ 5 0 l l 15 l l 降 ≧ 10 2 0 D 苦 ≧ 2 0 0 0 0 数 ≧ 5 0 0 0 0 , 2 6 1 占 5 ' g深.さ T.i ' , 初
表 2 ‑ 1‑ 1 旧事荘村 ・大数村 ・‑ . 5山村 の世群数 と人 口 正元年 l 2 5 4 5 占 7 8 9 10 &lt;手荘村 &gt;世総性 一世帯 あた&lt;大賀村&gt;世 帯りの 人 員帯罪女人数比数口 602 (110 ( 849)(2.((2,4.572)550)902)609.4) 4, 2.2,1 055
表 5 ‑2 ‑1 戸 別 等 級 改 良 数 村 内 全 数 1‑ 5 ( 等 ) i(人) 7 (人) 占 〜 10 5 ■ 1 ■7 l l ‑1 5 ) 5 47 18〜 20 1 47 2 1 ‑2 5 15 d 2d〜 5 0 15 1 51〜 5 5 127 5 4‑ 3 7 5 9 &lt;注&gt; 村内全数には鶴見を含 む ハ 現在の町政 ① 昭和 29 年 4 月 1 日合併ほよ り.新川上町が誕生 した。町役弓 削土手荘村大字地 軸18 19 1 1 に設け られ ,大賀 ・高山両村

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