――目次――
1,
仏教の本質論,華厳学より見たる,坂本幸男,Yukio SAKAMOTO,pp.1-26.
2,
生活技術における経験的なものと呪術的なもの,杉浦健一,Kenichi SUGIURA,pp.27-48.
3,
ヨーガスートラの理論的機構の意義,理論と実践との宗教的相関,岸本英夫,Hideo
KISHIMOTO,pp.49-67.
4,
八識義別論,河合英男,Hideo KAWAI,pp.68-87.
5,
ヤスパースにおける死の問題,青地正長,Masanaga AOCHI,pp.88-100.
6,
日蓮教学における己心義論争について,深川恒喜,Tsuneyoshi FUKAGAWA,pp.101-119.
7,
フォイエルバッハの宗教哲学,Gregor Nüdling, Ludwig Feuerbachs Religionsphilosophie,小口偉一,Iichi
OGUCHI.pp.120-130.
8,
阿弥陀経梵本中両語解,藤田真道,Shindō FUJITA,pp.1-8.
9,
オックスフォード・グループ運動,村上俊雄,Toshio MURAKAMI,pp.131-133.
10,
海外雑誌論文,pp.134-136.
11,
新刊紹介,pp.136-150.
Posted in 1936
(昭和11)年
沸教の本質論
− 華厳撃より見た る1
坂 本 幸 男
鼓に沸教といへるは﹁諸撃蒜 許葦李付 目慧嘉 是諦彿数﹂といふ時の件数、即ちbuddh冒a帥富na の謂に非 ずして、buddha喜anaを指すのである。buddトaく≡naを仰伽捉婆は八畦藍宍十七巻︶に於て﹁彿認﹂と課し、倍伽 政障は郷阿毘華小論︵一巻︺に於て﹁彿説一と緋じ、眞評は愕令群論︵一巻︶に於て﹁彿正数﹂と研課し、玄契は敢幣諭 ︵十二番︶輩沙諭︵一二六巻︶惧令諭︵一巻︶等に於て﹁怖数﹂と詳出11し、最近では荻原博士も和繹構友倶令諭疏︵八三賞︶ に於て﹁沸教﹂と緋ぜられてゐる。又、本讐﹂いへるは、sくabh誓aの契りの課語にして、玄偶は之れを婆沙諭に於て﹁白 煙﹂と緋じ、喩伽諭︵八一怨︶顕揚諭︵十二番︶に於ては感性﹂と許し︵?・︶、荻原博士は﹁撃と課してゐられる。従って故に自分が﹁冊数の本讐と名けた析のものは、宕死の術■語に随へば﹁数健﹂或は﹁離礁﹂と云主義にょつて置き換へ
らろべき性質のものである。
彿数の大倉如何の聞恋は、まのあたり彿陀より説法を詐くことを得た彿弟手達の問には、恐らく問題とならな
かつたであらう。然るに一度怖陀の般浬棄に遭遇し、俳陀に依って説き示された教法の審理なり或は其の研究な
りが遺弟達の閃に始めらるるや、漸次此の問題が椋現するに至つたものの如くであり、更に其の後俳陀を去るこ
偶数 の 本質論 Jβgアと益々遠くなるに連れて、一方仰陀観の饅達を促がすと同時に文化面≠界親の饅建と相保って、仰教本質諭は著 しき進歩の迩を示したのである。人−次に共の経過を略説しょう。 婆沙論︵一二六巻︶の侍ふる桝に振れば、人々が俳教に非ざるものを俳教なりと想ふに至つた焉めに襲智論の 作者は此の彿教本質論を試みることとなつたと述べてゐる。 ﹁彿教云何。乃至贋誰﹂間何故作二比論璃答篤レ止tJ於二非俳教義小沸教想上故。如こ今有言可我準−仰教義聞二伸教叫 彼於二非仰教中元二俳教想ペ焉レ欲レ避ユ止如レ是想一故及焉レ願三示俳所説着発眞彿教徐所説者非一衰沸教叫故作二斯論ぺ 間今時何故有レ作二是言義説二仰教義開二伸教ペ答彼使二根杢歌作二是詮ぺ 謂今所詮染薄絹解生死浬架因果等法根 本背走俳所詮故。有誰彼使二相似一面説。謂仰先依二如レ是次第名句文身恵レ他演説。今亦復依二如レ是次第名句文 身一両宣説故。宥説破使二随順l而説∪謂仰先依二如レ追随順名句文身一馬レ他演説。今亦復任二如レ是随順名句文身︼ 而宣詮故∪看視被依塀レ事虞同一故作二光詮ぺ謂如一価達観聞二法撃入監得兼離染塞漏上聞二今所詮l亦舞二期事ぺ ︵婆沙論一二六巻、大正・二七巻 六五八貞下︶ 即ち或は箪に唯、彿陀が竹て説かれし言葉の如く北ハの如くに復唱して以つて之れを仰致なりと惟ふもの、或は 生死・捏架とか同線とかの法誰に関する数説は何れや皆仰陀の所詮に基けるものなるが故に共等の問題に就きて の宣詮は之れ俳数なりと謂ふもの、更に又、聖遺に入り煩悩を断じ聖某む得せしむるに効果のある詮ならばこれ は仰語と同じ効県のあるもつなるが故にこ笹坪数なりと考ふるちハ、等=つ如く彿陀に非ぎる斉誓一=堰造ら∠れを 仰陀聖叫Fi葉即ち仰敢なりLL兄他言んしLすーハものを生するにギつたので、断る混乱む除却して眞の彿敢を間明する 彿故 の 本原論 招どぶ
の必要に迫られて途に仰敢の本質論を倫じたのである、とは仰教本質論わ起源に鯛する埠沙論わ解痩である。
此わ問題た取り扱つた現行する文献わ申で澱も古き圭わの一は、紀元前筏頃い作し﹂川ルはれ一〇機碑論であらう。
常時小乗各部派は眈に共の成立を告げ、各々其の研倦の聖血ハに基いて猫白の教養を宣揚した結発として、他派の
誼と相違を来す場合には他繰研侍の聖血ハを彿語に非すと迄極言する状態に在つた。加之、他方には叉、新興彿数
とも稲すべき初期大系控此ハわ出現を見た時代であつたので、其の閏に春つて俳教の本倉論が論議せらるるに到つ
たのも亦、自然の勢である。護智論の註繹菩たる犬毘婆沙諭は諸種の異説を紳介しっつ蔑智諭の詫梓をなし其の
後に出た雑心論及び供合論は僅かに大毘婆沙論の結論を指ぐるに止め、ただ順正理論のみ梢と詳しく之れを論
じ、更に下つて稲友の倶弁論疏も此の問題㌢由り上げたけれども何等新説をⅢす研がなかつた。叉、大乗経典中
には此の問題に解れたものも勘くないが、然し、組織立って之れを論じたものは無く、復た申観系の論背中にも
詮り見富らたいやうである。然るに餓伽行派のものの中には贋諭したものが少くはない。其の代表的のものは何
といつても倫伽論であらう。狩場論は全く稔伽諭その依を機承したに過ぎないが、共外秘大乗論、和寒論、蹄大
乗諭無性搾、成唯識論及び僻地経論等も市接此の問題に論及した研が見受けられる。然し此の彿教の本質論、釦
ち教照論が眞に櫻系的に諭ぜらろるに到ったのは葦に支那に釆つてからのことに廃する。早くも南北朝時代には
此の問題が論及せられ、淡華玄菰へ八巻上︶には幣師の三誰が紹介されてゐる程である。叉、隋の揮影寺の襲遠 は大乗義董︵一巻︶に於て昆虫・成賓・地持・智鹿等の議論に基いて三蔵の照性を取り扱ってゐるけれども、そ れは唯これ等諸諭巾の−誰を紹介する程度を出なかつた。然るに同晴代の後輩たる天台は法革玄轟等に於て盛に控 仰故 の 本質論 】郎タ照を舛じ、全く天ム口端自の見解に基いて控碍論をして形而上畢約分野に道教展せしめ以て致醜論に新機軸を出し
た。次いで唐の智償も捜玄記︵一巻A.D.語00︶に教照論を焉したが、これは従来のものと興った組織と内容とを盛ってゐる。捜玄記は慧光の華厳経疏に掠る研が多いと許せられてゐるから此の数倍諭も慧光の系統のものか
とも思はれるが、併し地諭完の慧遠のとは全く興る研があるので或は柿諭宗系統のものを受け堰いだのではない
かとち想像せられ、今の庖明確でない。而して数倍諭に一大飛躍をなさしめたのは茸に玄非三赦にょる新繹俳教
の侍束である。慈思はこの幽富なる新資料を巧みに川ひて新組織の下に堂々たる数倍論を義林茸︵一上︶及び成 唯識論述記︵一本︶等に於て発表した。同時代の後発たる賢首の教閏論は其の資料の鮎に於て全く慈恩の数倍論に負ふ研が甚だ多いのであるが、乍仰、文一方、共の組純と内容とに於ては華厳撃猫白の新天地た開拓し以て数
碍諭の幸美を賽さしめ 観がある。弟子の葦弗は刊定記︵一巻︶に於て抹玄記と全く異った組織を立てたが、これは彼の教判論の相違に由来するものであつて止むを得ない研であらう、が而し其の内泰に於ては賢首を出た研
が﹁歩も見受けちれない。これに反して李通玄︵華厳合論九巻︶は此の問題を主として華厳1司教の立場より取り 扱つ三異彩を放った。更に又、清涼︵華巌玄談七雀︶は大鰐探玄記を蛸襲したが、天台の影響を受けて内容上に少しく附け加ふる桝があり、更に理論的構成よりも賞践的方面を車要祀した関係上、亦、組縮むも極く僅か許
り欒吏した。圭峯︵同党離大疏上之二︶は組織を賢首の起信論叢記の数倍論に模して改めたけれども、其の内容に於ては撲玄及び玄談等よわ出る研がない。
我闘に於ては徳TL侍敢とか日‖に華々しき論戦が行はれ︵法難去撃惑︶、徳一は轟林奪の宜場を守って法輩 偶数 の 本質論 J〝30玄薙が控憫と控詫とを睨同せるを破したのに封して、仲秋は玄並の詮に基き義林茸の四発散憎む鮫博したが、併 し何れも新閑係,王組織守ろ造には到ら・︶.uかったもm.の如くである。北ハの外吊里抄︵一之∵.︶等ハ如く此ハ問揖た 取り扱ったものも少くはないが、共等は概ね上水述べしものの詫梓以上に川る研がないから省略することにする。 以上に撼つて考ふるに、印度以水の教惜諭即ち俳致の本質論は賢首の揉立記に至って一と先づ其の頂鮎に達し たと思はれるので、人′は搾玄記に中心を置き乍ら其の組織む起信論表記に模して一、具象的立場︵随相門︶二、 認識論的立場︵唯識門︶三、形而上畢的立場︵錯性‖及び無擬門︶の三方面よりこの間題を考察÷一ることにしょ う0 〓 ︵A︶ 考智諭︵十二雀︶は例数の本質の問題に踊して、 ﹁仰教とは云叫ん。答へて日く、仰わ語二言・評論・唱・詞∴語路・語音・語業・譜表是む彿敦と謂ふたり。﹂ ︵大証二三巻 九八一頁上︶
。Kataヨad Buddha・くaCana召.↓ath忍at−sya y抑く蒜くaCana召くy詳賀.〇g肯 nirktir く詳・pathO
く厨・ghO苫く厨舟arヨaく餌g・基訝ptib㌧二Y監Omitra︸∽AbhidharヨakO訂くy師kす釦P・詑︶ と述べてゐるから、彿教の本質を伽陀の言葉即ち語末莞と見撤してゐるものの如くである。然るに饅智論は此の 文の次に更に、 係数 の 本質論 五 7〝JJ
六
彿致 の本質論
﹁件数とは何の法に名くるや。答ふ、名身・句身・文身の次第の行列、次第の安布、次第の連合なり。﹂︵同上︶
。Buddha・くaCana召n抑ヨa ka e芯dhaりmaF n抑ヨa・k首a・pada・打茸a・くya蔓jana・k抑yぎa召ypl anu・
p焉.くa・raCan抑an亡p早くa・巴h甚l anレl aロup旨くa・SamぎOgaiti㌧︵円上︶
と述べてゐる研を以て見れば、名・句・文身牢俳数の本類とたしてゐるものの如くである。両者の中、果して何 れが襲智諭の作者迦多術尼子の本意なり本に闘しては、人′俄かに断定することは困難であらう。何となれば、蛮 智論にいふ俳教とは、明かにb亡ddha・﹁aCana即ち﹁俳陀の言葉﹂を指すのであるから文字通りに云へば仰の 譜表業を本質となすといふ詮が雀骨拍であると思はれるが、他面叉、饅智諭は﹁契控・應頚・記説・伽他・自説・ 閃練・誓喩・本革・本生・方贋・希法・論議は何の法に名くるや。答ふ、名身・旬身・文身の次第の行列、次第 の安布、次第の連合なり﹂︵同上︶とて束ねて名・旬・文身誼を主張してゐるから名・句・文身を俳教の大栗LL見 たのであるとも推定せられ得るのみならす、更に又饅智論にありては音聾は色組に抽せられ、名・句・文身は不 用應行窺に持せられて、各々異なれる範疇に壊する礪宜した寛有の法と考へられてゐるからである。併し費智諭 00 聖止場を推定すべき資料が全く無いといふ繹でもない。即ち捕吏が﹁封法論帥は仰教は両者を鰻と篤すと許す、 蚤智諭に下の如く誰け∴りて︰・︰︰﹂ ︵和諾保倉諭疏八三貞︶と云つて、その次に上摘の蔑智諭の文を螢げてゐる研を 以ってすれば饅智諭は語と名・句・文との両者を仰教の木質と見てゐたのではないかと想像せられるのである。 次に大腿婆沙諭︵一三ハ巻︶になろと二つの異説が現はるるに空つた。知ら一は幾何論ハリ伸ハ語 乃圭浩美、 是れを仰教と謂ふたりLの文に裁き語発を以って彿敵わ・饉となす詮にして、他は﹁彿致し﹂は名・旬・文身の次第 路㍑
の行列、安和、連合なり﹂の文に掘り名・旬・文身を以って沸教の目地とせんとする詮である。而して前借は後 者わ仙ハ根上すろ文句を、仰教ゎ日間た期すー∴に非すし∵什川む抑はサ∵∴た=、、エ甲簡−・ノたJ蓋しこれに石 部にれりては﹁一切の名は皆能く養を打はす﹂ハ婆抄論十五雀︶と云はるる如く、名等には養を願はす作川が存す るので其の鮎む捉へて襲智論は名・句・文身の次第の行列た沸教と名けたのであるが、併し其の名等を恐起せし むるのは語言であるから彿陀の語が彿教の水質でなければならぬと主張するのであらう。之れに対して後者は前 者の掘り研とする文句を、展稗田に依りて仰の語乃至譜表を沸教と謂へるなり、と脊椎した。即ち直接﹁太郎﹂ と呼ぶのも間接に﹁父親︵一郎︶のチ﹂と呼ぶのも結局同㌻へた指すに外ならぬが如く﹁名・句・文身﹂といへ る時は直接俳敦の自照を表したものであり、﹁彿わ語﹂といへる時は語は名・句・文を起さしめものたるが故に それは教の醍たる名・句・文を間接に表現したものに過ぬから、要する桝、沸教の本質正名・句・文身であらね ばたらぬと主張するのである。然るに如是詮者は﹁語業を鰻と焉す。仰の意の説く研は他の聞く研なるが故に﹂ ︵大正二石巻 六五九頁︶とて語音を以って仰教の本質となすのが正純石部の立場であると断定した。蓋し俳 戒造の目的は諸の有情に法要む宣諭して生死む給し捏整を得せしめんが焉めなるに、こは仰の譜表菜に由るを以 って此の故に彿教は唯だ仰の語末業のみを照とたすと貴眼したのであらう。︵婆抄諭一二六怨︶ 其の後、郊阿毘畳小論は﹁八嵩の法陰はゃ色陰の棒たり。彿説は語鞋性となすを以っての故なり。有るが説く 名を性となさば、行薙の締なり﹂︵難心諭一雀 大正・二八巻 八七二貞仁︶ しL言ひ、倶令論ち亦﹁諸の仰数は 寧イ・描と焉すと説くものは、被れは洗練は普色薙の梼なりと説き、詔の俳教は名を醍と焉すと詮くものは破れは 彿数 〃 本質論 七 J/Jょす
法纏は皆行薙.の擁なりと詮くなり﹂︵借金諭一巻 大正二元巻 六日中︶ と述べてゐる。而して異説左掲げて それに封して何等批評を下さない時は、両説を並川するのが棋合諭の熊度であると俸へられてゐるから、倶合論 は前の雑心諭と倶に件数の本質を語及び名∴句・文身と見蝕したのであると思はれる。然るに順正理論︵三谷︶ 及び顆宗論︵三巻︶は似合論等と同じく両説を掲げ乍らも.遂に之れに批判を加へて名を教鹿となす立場を取っ た。即ち語を数應となす論者は語︵くど︶と数︵くaCana︶とは名栴を異にするに過ぎぬものであるから、敦は是 れ語なりといひ容べきも、名︵n抑ゴLJ︶ と教とは鯉を別にするが故に如何にして数が即ち名なりと云ひ得るかと 反駁するかも知れぬが、乍併、抑ゝ\仰教とは如貴に義を詮はすことに依って始めて沸教と名づくるのである、然 ● るに轟を詮はすものは賓に名であつて語ではないから、従って名があぇことに由つて説きて数と焉すことが勘乗 る。故に彿教わ鰭は名でたければならぬ、といふのが順正理論の主舶である。 斯くて布部宗に在りては、語と名・句・文との内法を俳教の本質となす饅智・都心・惧合等の誰と、語たる色 法を以って本質となす婆沙許家の諒と、名・句・文の不利應行法を以つて本質となす帽証理の詮との三詮が存在 したのである。 ︵B︶ 次に紆竜部に就いて此の関越を考へて見よう。粁畳部研倖の文献は有本しないから適確なことほ明でないが、 無性粋大乗論繹の﹁諸の契粋が旬語を自性と罵すといふは、且らく理に應ぜ阜﹂︵一巻 大正∴∴巻二八′︺山 中しは結党部が鮮麗︵語︶を敢附となすと説くを無性が畔舘の立場より披した文であると探玄紀二巻︶及び円 俳数 の 本質論 八 JβJJ
定記︵二巷︶等が述べてゐるから、控侵部は恐らく語を仰教の本質と見てゐたのであらう。而して亦、偶合論︵五 巻︶順正理論︵十川巷︶及び構左わ倶弁論疏︵和繹一閃九日︶等が、折鶴部は名・旬・文身を軒、有とすることを
許さぬと述べてゐることからも、粁量部が語を教鰐となしたのであらうことを樅足するに難くない。
鮭量部が語を数絶となすことは、婆沙許豪が語表業を数倍となすのと結果に於ては同じであ古けれども、其の
由来する桝は必ずしも同一ではない。婆沙許家にありては一方に於て名・旬・文の黄有を認め乍らも俳陀の意
ゐ
説く桝は他の開く囲なるが故なりとの理巾に某き、譜表菜郎ち語を教醗となすと主張したのに封して、控最部に
れりては語の外に別に名・句・文身の茸有を認めない焉めに、語を数倍となすと、茸眼したのである。従って此の
鮎からいへば名・句・文身が茸有することを許さざる讐喩者︵婆沙十開巻︶及び成賞諭︵七巻︶等も語を数倍と なすことになるのであつて、現に大乗義章︵一巻︶は成茸を以つて饗を教経となすものと判じてゐる稗である。佃、軍に軽量部と云つてもそれには数段の黎達があつたから、数櫻論に紺しても亦、多少見解の利達を来したも
のの如くである。Ⅲ定記︵一巻︶には控部宗の数櫻諭に三説存したことを述べてゐる。﹁依二控部歩聾笹薮撃⋮⋮然此完申白布二三詮ペ一云十二鹿申聾塵篤レ潤、離レ聾準別名旬軍政。一云法虚相
続恨聾馬上慣唯H霊息識桝縁故。一云通二恨及軍一撃焉レ性、巾二前二寧皆有レ理故。﹂︵綾織一ノ五ノ一、十六頁︶ Ⅲ定記は控景部の聾を致照となす誰の典櫨として順正理︵十閏巻︶と無牲極大乗論鐸︵一雀︶との文を掲げたけれども右三詮に関して其の〓血ハむ示さたかつたのは甚だ遺憾である。併し右三誼中第一の聾鹿中の聾を教鰐と
なす詮は語を数佗となす婆沙許家の誰に封比し、第二?準嘩申の恨の馨を敦盛となす誼は、成茸論が名・句・文 悌数 の 本質論 九 〃/.TJ僻数の本㌣誠
一〇
を解押する際に﹁名は軍を性とし法入の桝抽なり﹂と云へるに由りて知らるる如く、経竜部は名・句・文を仮の 整と名づけたのであるから、従って恨と茸との相違こそあれ之れを女∵句・文を数鹿となす順正理の詮に封比 し、第二石棺茸の二撃忙数倍とたす説は、語及び名・句・文む数麗となす張智・倶合筆の誰に封比する時は共の 聞、有部宗と控部完との教鴨論壇展申に面白き共通竺現象の存したことが知り縛らるるであらう。 次に石部及び軽部の教髄論を理解する上に必要の■範閲に於て語及び名・旬・文等の説明をして置かうと思ふ。 語︵く腎︶とは整︵恥さda妄自性とするものであるけれども箪なる音︵ghO写a︶ではなく、何等かの意味む表はす 聾む指すのである∪例へば風鈴の晋は馨ではあるけれ㌻も何等の意味も表はさないから語ではなく、之れに封し て、人々が合話する時の馨は意味を表はすから語であり得るのである。 名n師ma︶とは婆沙諭︵十掴巻︶に依れば、随と召と合との三義を具するものをいひ、心心桝法は路上召との 二義む具するも合の養を放き、名以外の不相應行と色と無篤とには随と合との二義あるも召の轟純音が棟に名た ることむ得すとせられてゐる。叉、随とは其の桝作に随って往き.て相應することであり、ポとは此の弟の哀情に 立つるときは求むるが如くに便ち應することであり、合とは頚を造るに随って韓じて童を曾せしむることである と解押せられてぁる。倶令論︵五巻︶に依れば、名とは作想︵sa旦宗・打ara思︶即ち表象む起さしめるものにし て、例へば色・整・不等の名稲をいひ、稲友は之れを﹁想と一ぶふ心研法を作り生するものなり。yeゴa Sa旦か師Caitasik〇dharヨaすkriy已e janyate.︵te冬P.−讐︺﹂−と謹膵ト∵ゐる。
旬︵pada︶とは﹁菜川と穂と暗との血隠する差別む桝了する、此か餐を旬と解す。訂iy抑止毒づ打巴ぎ阿智∽al⋮l JαJβband訂・5.許協gPヨyante・tatpada学︵te諷p.︸琵︶.サと舌はるるが如く、動詞と形容詞と動詞の時︵tense︶ との閥係にょりて兼︵aTt訂︺キり几仝に詮はす焉︵く賢ya︶ をいn、腔∴ば﹁諸行は無常な行︵aコity釦sm召Sk㌣ h餌︶﹂といふが如きものである。 文︵くya恩ana︶ とは字︵ak竃ra︶にしてa師等の母音及びkakha等の子音を指し、而かもこは寄︵︼ipya︶ とは匿肌せられるものである。如ち苔は古人が如何にして耳を通さぎるも眼にょりて思想を悼へ得べきかを工夫 ◎ せし結果案出したもので、即ち諸の字を好はさんが矯めに苔が製造せられたのである。 此の語と名と何と文との関係を示せば、語にょりて文を起し文にょりて名を牽し、名にょりて義を搬はし、文 名によりて句を起し、句にょりて義を顆はすのであるが、粁竜部に寮りては、名・句・文は聾の上の屈曲の差別 に退きすして聾を離れては別の照無しと説き、布部は整を離れて別の自照が貴社することを主張した。 粁量部の名筆の非賓有を主張する根城は ー。青草は皆譜ではなく、養を顧はす青草のみを語と名けるのであ る。而かも語が養を願はすのは要するに用初の賢聖が契約して諸の逼り申に於て立てた限定︵m腎y抑da︶即ち能 詮の定量︵a<adhi︶にょるものにして、例へば共同して、方・獣・地・光二言・金剛・眼・天∴水の九種の董に ◎ 於て一のgOといふ整む立つるが如き場合である。従ってgOといふ名が此の九軽の養を抑はすのではなくgO ◎ といふ草が養を紆はすのである。又、語は名を生するといふけれども、若し語が名を生するとすれば語は聾を自 性とするから、一切の草が名を生するといふことにならう。然るに一切の挙が名を生するといふことはあり得な いことである。何故ならば整には何等兼を紺はさない聾もあるからである。若し養を斯はす聾は特殊の啓で差別 仰敦 の 本質論 .●♂Jア
例数の 本質論
一二
がある、といふならば、然らば其の差別のある聾のみで義を輔はすに充分なれば、殊更らに名を待つ必要がない
◎ であらう。︵語は名を斯はすと説く場合も同様な難鮎あり︶叉、一つの接が分分に漸次に生するといふことはあり得たい。然るに若し名は語にょつて生するとすれぼ、例へばサクラといふ名が生すろ焉めにサとクとラとの三
聾にょつて三刹那に捗って生するといふことになり、明かに前の一法は分分に生ぜすといふ規定に反することに
なる。叉、其の際、最後のラの啓を撃9る畔サクラの名が一時に生するのであると救梓するとしても、それは成立しないであらう。何故ならば、若しラの聾を草するときサクラの名が生するとすれば、但、ラの聾のみを聞き
てサクラの表象が起り得べき筈なるに、事賓はそれと相違するからである。
以上は棋合論︵五巻︶に現れたる控部の名・句・文非賓有の論詑の大略である。 次に布部の名・布・文茸有誰の主張を見よう。帽証理論︵十閏巻︶は教詔と理詑とを挙げて粁部の誼を破してゐるが、今は簡を欲して理許のみを述べることにする。日常経験するところにょれば、我々は他の語を粗略に聞
いて其の童を了せざるために相手に何を語ったかを閃ひ返すことがあるが、これは我々が聾は聞けども所肇の名
に達せない焉めである。叉、⋮叫に辰︰等のみむ動かすのを見て其の説かんとする桝を知ることがあり、或は叉琴を
隠して兇を荊することもある。これ等の事賞に徹しても撃と名とは別の存在であるといふことが知られるであら
う。加之、名・句■文を繚する法雉繹断と唯言詞のみ中経すろ南無将解とが障別せられてゐろ限り、聾と名・句
・史とモ肌潤と見たければならぬ。従つて聾は但の一言音にして何等の差別和も佃両いもハであゎ、僅巾に屈曲あ︹
しむるはこれ文にょる萬めである∪叉、駆詐の定整に依って語が轟を末はすといふけれども、能給の定食とは何
J/ノ,ブ.\を指すか、恐らく名以外にはないであらう。即ち能祝着は脾に請む致せんとする時、要す赴くの如き定丑あるを
もつて、上れに両つて語らば什をして了解せしむるならんLL、先づ能詮わ疋発たる争で総じて川ル惟するからである。又、控部は難じて、若し語が名を生すといへば一切の聾は皆義を搬はすべしといふけれども、我にありては
巷を能詮と許さざるが故に此の非難ば懲らない。更に、義を願はす聾に差別・ありといはば此の差別ある馨にて恭
一 を細はすに充分太るをもつて名を必要とせす、と難するけれども、これも亦過難とはならないであらう。何故な
らば、能詮斉は先づ自己の云はんしLする所の名を児度し、後ちm心に随つて語を覆し、語にょりて文を聾し、文にょりて名を賛し、名は方に韮を掠はす蹄、其れを犀純理門に依りて語は名を覆し、名は養を鮫はすと説くに過ぎ
ぬからである。叉、其の際、一潅が漸次に生ぜらるる過も無く、復た最後の文のみが名を生するといふ不都八‖も
起らない。何故ならば、励へばサクラの一名を生するに苦り、サとクとラとの三文が分分にサクラの一名を生す
るに非すして、サとクとラとの三文が粗菓してサクラといふ一名を生するからである。其の理巾は、サとクとは
恨令既に過去に落謝せりと挑も我が詫に在りては三≠茸有なれば、サとクとは鯉に非ざるを以ってラと共に能く
粗菓してサクラの一名を生ぜしめることを得るからである。
右の如き理山に基づいて推量部と石部とは名・旬・文の茸有・非葦有に閲して激しい論評をなしたのであつた
が、それが直ちに沸教本質論に反映して木たことは前述の如くである。
︵C︶ 以上に依つて小乗の代表的教濃諭を経ったから次に大乗あそれに就いて考察を進めよう。 偶数 の 本質・、山 一三 れ3〃彿数 の 本質論 一四 椎摩控には﹁青草と語言と文字とを以つて而も俳事と作す﹂へ菩薩行品大正十開巻五重二貞下︶と云ひ、解深密 控にも﹁善男子よ、我れは終に無自性性を以って無自性性を取るとは詮かす。然るに無自性性は詔の文字を離れ たる白内の所行なれば、言説と文字とを玲てて而かも能く宣誰す可からぎるなり﹂ ︵第四巻大正十六巻七〇七頁 中﹂と詮き、更に十地論たも﹁誰者は此の二審︵言説と名・句・文︶を以六一て説き、評者は此の二事を以つて聞 く。﹂︵一巻大正二六巻一二九頁上︶と述べてゐるから、大乗に於ても普通一般的に云ふ時は、整と名等との四法 を教鰭となす誰が行はれてゐたと思はれる。然るに叉、解深密控第五巻には﹁如来の言音に略して三種有り、一 には契攣一には調伏三には本母なり﹂︵大正・十六巷七〇八貢下︶と説き、難集論第一巻にも﹁成所引とは謂く諸 の聖の所詮たり﹂︵大正・三一巻六六九頁中︶と述べてゐる。成桝引に閲しては演秘︵一本三︶に三種の異説があ ■ に卸せざるを以つて此れに由りて法詞二無擬解の境に差別有るなり﹂︵第二怨大正二三巻六貢中︶と述べ、しか であらう。降って成唯識論になると﹁此の三は馨を離れては別の鰻無しと維も而も恨と茸との興りあり。亦、聾 るけれども、俳の所引とする解樺も存するから、雛祭論は解深密経と共に語を数鰻となす誰と見倣すことが可能 も、これは布部′特に順正理︶の名・句・文の茸有む主眼する誰を破した文責であると云はれてゐる.聾を離れ て別鰐なしと説くから聾を離れて別館ありと云ふ布部の誼とは興るけれども、帽証理論が控量部を破するに用払 た桝の﹁法詞二無擬解の境には差別なかるべからす﹂との理詑を鼓に再び援用して聾と名等とを匿別したことは 諸法の教畢上に於ける布部思想の影世の一つの現れとして注意すべきである。探玄・刊定・玄談竿は何れも右∈ 文を典披として成唯識論は名・旬・文を以つて教の性となすと主張したものと見撤すけれども、成唯識論白身に Jβ≠r)
在りては名∴伺・文打保なること訂卓張するのが秦であつて必ずしも教憫を諭することを目的としたものではな い。乍仰、成唯識論は引き柑いて﹁諸簡の伸上には亦光明と妙香と味と等に依りて三㌢一根宣するが故なり﹂と述 べて名・句・文は唯﹂黎の分仰の差別のみに非すして、此の土以外わ浄土に於ては光明及び香・昧等の所謂る六 境の分位の差別が皆名・句・文なることを明し、且つ第九巻には﹁無量の名句字に於て陀羅侶自在なりとは、謂 00 く法軽暖解なり。即ち能詮に於て級持自在なるなり﹂︵大正二二一巻五三頁下︶とて名・句・文を能詮となしてゐ るから、張在〓し寮より恨を種別して教慣を諭すれば、茹膜宗が見る様な解繹も可能であらう。 ⊥ゾ上に依って稔伽行派に於ては、整と名等とを教経となす誰と、聾のみを教醒となす誰と、名・旬・文を致標 と見る誰との三種の異説が行はれたものの如くであるが、此の三誰を如何に統一するかに関して、玄撃二赦は次 の如く述べてゐる。
ストノトーチ′ト′
﹁以レ恨従レ茸、撃箪典牌↓離.襲撃別名句等l故。以㌧照徒レ用、名筆焉/性、能詮=諸法自性差別三桝依故。生レ 解究克要巾二丈養具一修方成故。諸説亙無レ達也﹂︵川定記一巻綾織一ノ五ノ一、十六頁︶ 放で問題となるのは、稔伽行状に於て如上の三誰が行はれたと許して而かも名・句・文を恨とするならば、前 述の軽量部のそれと何慶に相違が存するかと云ふことである。上に説明した限りに於ては、両者のmには殆んど 相違はないけれども、更に一歩進んで春木そのものの見方に迄突込んで行くと根本的の差異が存する。即ち紆量 部にありては聾は色心封等の地位に於ける存在なるに封して、稔伽行派に在りては馨は心即ち誠にょりて轡作せ られたものに過ぎないからである。従って、稔伽行派に於て聾及び名等を教鰻となすと云っても、それは識囲硯 彿教 の 本質論 上山】一.六 彿孜 の 本僅∵話 扮法の主に就いてのみ云h得るこ■とで別賛して云へば識が数倍であるといはねば収まりがつかぬこと一になるであ ららノ0 更に以上の三詮む四旬分別に配すれぼ、草を数醜となす説は第一旬に、名等を数照となす詭は第二句に、馨と 名等とを数倍となす誼は第三旬に相蕾する。従って論理的に云へば第四旬たる非峯非名等を教惜となす誼が存し ても良い筈である。賢首は縦摩㌍の﹁一切諸法、如二幻化相↓汝今不レ應レ有レ桝レ憾也、所以着付、一切言説、不 ヽヽヽ︳ヽヽヽ︳ヽヽヽヽ レ鱒二是相ぺ至二於智者↓不レ著二丈雫↓故無レ所レ慣、何以故、文字性離、無レ有二文字↓是則解脱、解脱相者、則諸 法也﹂︵大正・一閃巻五川○頁下︶の交と、十地群論第一巻に、風を以って音盤に喩へ喜を以つて名・句︰文身に 喩へし丈とを山ハ嬢として、貫即鯉言の加東五山って数惟となす説の存することむ主眼した。意思あ養林童︵一本 二九︶に四真数照の第一たる柿相蹄性牌を説明するに際して、此の維摩控の文を授川して数倍が眞如なることむ 明してゐる桝を見ろと、法相宗の展如を以ってホ理と見撤す華厳宗に於て、此の維摩控の文を以って郎牢を教鰻 とたせしものなりと考へた賢甘の見方には必すしも無理が存するとは云へないであらう。仰、俗諦に在りては恨 有なるも眞諦にては諸法皆容む立場とする中親系の諭書に於ては、数倍を明かに論じた所はないけれども、若し 数倍を明すとすれば此の第四句に相賞するものになると云はれてゐる。 右に由つて、大乗の経論に於ては教鰻に川種あることが明となつたが、閃種の申わ各各の一の立場を固執する ハが必すしも太東経論ハ托意ではたく、此の用句が相即すろ研に小塞い数牌論に封して誇り得べき大東敢憫論い 特色が存するととを忘れてはならぬ。 βJβ
︵D︶ 上米は能詮一りみむ教潤ししなすせ厭に就いて北ハm敢描論キ眺め束つたハでぁるが、更に此ハ外に所詮わ兼たも含 めて致照となす見方が存する。稔伽論︵第八十一巻︶及び願揚論︵第十二巻︶の﹁諸控の慣性に略して二種市わ 謂く文と及び義とた行。竹机に知るべし文は是れ桝依にして義は走れ能依なり、是の如き二種を線じて一切の桝知 の境界し﹂名く.︵大正二二〓撃室二五貞下︶の女がそれである。何故に此の二論が能詮の文の外に所詮の養をも合 して教櫻となしたかに輔しては誰明が存しない焉めに明nではないが、恐らく教の本来の使命は義を詮はすこと に存するから、従つて明くも眞の教たる限り、それは必す轟を詮はすものでなければならぬ筈である、といふ0 が其の理由であらう。更に切言すれば石部︵婆沙諭十五巻︶等に在りては名は必ず養を抑はすけれども、稔伽わ 派︵倫記二一下二五参照︶に在りては一切の名筆は必ずしも韮を詮はすと決定してゐる詩ではたいから、名等と 轟とを合して教として?完全む期する必要が存した焉めであると田心はれるのである。 佃、稔伽諭等は﹁文﹂む解説して、文に名身・句身・字身\語・行州・機講の六種ありと云ひ、且つ其の申ぁ 行相に紬しては能説者としてわ黎閑・菩薩・如来を擁し、磯請に就きては把粛としての二十七種の補特伽羅を糠せ しめ、最後に﹁先の如き六種は冊文を願はす、若し一種を放くも轟を細はすこと能はす、能く弟を賄はすに由り て是の故に文と名くるなり﹂︵大正・三十怨七五一員上︶と結んだ。こは仰致そのものの内容に一大攣革を来した ものとして注目すべき事柄である。何故ならば、上乗述べし教とは、婆沙諭が既に辟密に規定した如く、俳陀の 言詮のみに附す・㌃ことであつたのに拘らす、今椋伽論に禿ると仰陀の詮の外に啓開及び軍隊の詮を取り入れ、更 冊数 山 本質∵諭 路封
彿数 の 本質論 一八 に鰭者迄も包含せしめて之れを能詮となしたからであぇ。勿論、訝衆なくして説法することは断じてあり得ない から説法わある桝必ず群衆が預想せらるるといふ意味で評者をも入れたものと想像せらるるが、而し厳密にいへ ば糖者は能詮の経とはなり得るも直接能詮とは云ひ得られないであらう。 次に、眞の敦は必す童を詮はすことを必要候件とし、且つ叉、玲伽論等に於て仰の言語以外のもの迄.も能詮と なすことが許されるとなれば、斯かる思想を徹底するときは筍しくも養理を願はすものたる限り皆走れ彿教な少 と云ふ所進行かなければ収まりがつかぬこととならう。勿論、斯かる思想は歴史的革質を無税した考へ方ではあ るけれども、仰教の哲畢的解繹としてはそれも亦許さるべきであると思ふ。外形よりも内容を尊び、彿陀の言詮 よりも覚詐を重んする大乗控此ハに在りては、斯かる思想に立脚して一切法を以って彿敦の照性なりと見他す傾向 が随慶に蔑見せらるるのであるが、今、其の最も代表的のものを摘ぐれば、椎摩控の﹁或は俳土石り。仰の光明 を以って俳事を作すあり、諸の菩薩を以つて俳事を作す有り、仰の舛化の人を以つて俳事を作す有り、菩提樹を 以つて彿事を作す有り、仰の衣服・臥具を以って彿事を作す有り、飯食を以つて仰事を作す有り、開埜塁観を以 って僻事を作す有り、︰⋮⋮⋮・仰身む以つて僻事を作すあり、︰⋮⋮:青聾・語言・文字を以つて彿事計作す有 り、或は清揮彿上の寂実・無言・無説・蕪示・無識・輔作・無焉を以つて彿事を作す有り、是くの如ぺ阿難よ、 諸仰の威儀・進止・諸の施嘉する桝は俳事に非ざること無し。阿難よ、此の四魔八高岡千の諸の煩悩の門有り、 而して諾わ衆生は之れが篤めに咤芳するに諸仰は即ち此り法■で以つて仲春を作†﹂︵大正・十川巻五年二日ド︶で あらう。従妹は此か文に媒って他方浄土に在りては箪に牽境の差別射みならす六境の上の差別ち亦能詮の名・旬 Jβ≠′
文となると説き、天台は此の文に基いて他上の六囁︵此土は色・撃・法の三傑︺が経たることを柑と述べた程で ある。︵法華玄華人巻上ノ十五︶何故に六哩が経となり得るかの理由に閲しては、既に述べしが加′\義理む詮はす が焉めであるが、天台は更に其の理巾を詳説してゐる。一例を拳ぐれば一光明を見て道を得るときは色む用ひ て経となすものであり、自ら能く心を研草し思惟して遺む得るときは、法塵を川ひて経となすものであるといふ が如き類である。従つて此れは、婆沙諭︵一二六巻しが仰教に非すとして斥けた仰の﹁彼れは事を鞘する慮り同 じきに依るが故に此の説を作すなり﹂の場合の極端な例であるから、歴史的事寛としての彿教の本質では別席あ り得ないけれども、彿陀観の饅展につれて沸教即ち彿語の概念小倉にまるる内容が著しく軒畢的に普遍化された 場合には、是くの如き一切法が沸教わ本質なりといふ考へ方も亦可能であらう。而して故に釆つて彿教ゎ本質論 は其の行く桝迄畿展したものといひ得らるるであらう。 三 以上は何れかといへば、具象的方面より仰教ゎ本質論を取り扱ったのであるが、次に認識論的方面から此の聞 題を眺めて見たいと思ふ。何事に関しても心を中心とすることは、俳教全櫻を通じての粘色であるが、殊に稔伽 行状の系統に在っては、三界唯心の標語の下に著しく唯心論的仰向を帯びてゐる。従って一切の現象は之れを皆 識の所産と見るのであるっ然るに故に沸教も現象たる限り、稔伽行派の立場からすれば、亦これ識の所産と云は ぎるを得意い。今此の方面より彿教の本質を究めんとするのが此の項の課題である。 ︵A︶ 彿故 の 本 質∵誼 JIタイ占
一切の現象を識の所産と見る稔伽行派の立場に於ては、我々の認識に上る硯象に封して其れの原型となるべき ものが自分の識以外に存在して︵但し、こは他人の識の所産なり︶それを単に模究することにょりて認識が可能 となると見るか、或は斯かる原型となるべきものは何等存することなく、畢に自らの識が構成することにょつて ゼツ のみ認識が可能となるt見るかの二つの場合が考へられる。探玄記等は前者の場合を本質が有るものといひ、後 ゼソ 者の場合を影像のみなるものと見倣すのである。而して今、彿教の白礁を定めんとするに常つて、其の本質を白 ゼソ 照とす一心か、或は影像を自照とするかにょつて種々詮が興って木ると円心ふ。今、.其の本質と影像との有無にょる 可能の瘍合を奉げれば、︵一︶有木質無影像、︵二︶有本資有影像、︵三︶無本質有影像、︵閃こ笹本質無影像の四種の 場合が考へられる。 第一の有本質無影像七は、これに相常する場合は厳密にいへば見懲らないけれども、張ひて言へば小薬教が其 れに常族まるであらう。即ち小乗に於て直接俳語を所縁として諏者の耳識及び意識が生する場合の如きをいふの であつて、即ち自識以外の存在たる仰語を直接所縁とするから有本質なるも︵但し、小乗の彿語は識の所産に非 ざるを以つて虞の意味の本質とは云へない︶未だ識が一切わ現象を顕現すると説かないから影像は無いことにな るのである︶従つてこれを認識論的に云へば、本質む教膿となす誰に苦るであらう。 琴一の有本質有影像とは、二十唯識論の﹁展種村上力 二識成二決牢︵大証・三三巷七六頁︶ anyOny巴hipatitくenaくijぎptiヨiyaヨQヨithab︵くi争訂tik賢腎ikぶ、P.陀︶﹂ の文にょって知らるるが如く、里ハ識が節税した現象を坤上線として、乙ハ織はそれに棚似した鋭敏む願現する 俳敬 の 本質論 仇冒
そり関係は決定してゐるとせられ、叉成唯識論︵第八巻︶簿は﹁有情頬白他線縛容レ作三轡﹂︵大正・三一巻閤 二日︶と▲ぢて、乙ハ識は甲わ識の桝抑わ規準手配揺には桝緑LLないが榊推には桝絶とすると許すのであ一〇。
従って甲の森が硯じた硯象は太質となり、それに相似して乙の識が欒現した現象は影像となる繹である。之れを
俳と衆生との関係に常て韻めると、群衆たる衆生の善根が増上線とたつて彿の利他の種子を撃覆して、彿陀の識
の上に文義の相を生ぜしめるはこれ本質としての彿教であり、更に此の文義の相が、均上線と罵りて衆生の有漏
無漏の善根の種子を撃聾して衆生の識の上に文義の相を生ぜしめるはこれ影像としての俳数である。斯かる現象
を普通に彿陀の説法を衆生が聡くと科するのである。而して、彿陀の諭淡は仰の浮識が欒現したものであるから
本質を教照となすことは云ふ迄も無い桝であるが、併し衆生が直接聡く説法は衆生の識が自ら仰の説法に似せて
額硯した所の言説であるから、其の鮎より云へば影像をも合せて教醗となすものとも云ひ得られる諾である。然
し一般法相完等では先きの小乗数の場合を認めないから此の第二の場合む本質教腰と名けてゐる。佃、こは護法
観光及び最勝子等の学説であゎ1従って叉所謂る正統法相完あ立場であるが乍併、眈に同率抄︵一之三︶等も指適せるが如く、仮令それが識桝攣のものであつても、白の識以外の淡を本質となすことは唯心論の徹庶を期する
上から云へば佃不完全なるを免れぬであらう。此の難瓢を救ふものは第三の立場である。
第三の無本質有影像とは、主として如来政経起を説く終数等の立場である。即ち彿英には如如と如如智とのみ
有りて色身及び言聾等の現象としての功徳は存しない。従って彿は説法することも勿論無い筈である。が唯、仰
の大悲大智が樹上経と焉って横根の熟せる衆生の心小に仰の色身毒聾等の現象を楯硯せしめるのである。これ
価∴歓 の 本質論 川一打彿教の本質論
二二
を一般には仰の説法を把くと補するが、其の語法たるや衆生の自識が他の本質を待つこと無く自ら構成し将現し
たものに過ぎぬから、全く影像を数倍とすることになる繹である。併して之れを特に俳教と名けた所以は、其の
際仰の大悲大智が強き増上線とたつた焉めに恨りに彿教と名けたに過ぎないのである。生に到って初めて唯心論
は其の徹底を期するを得たといへよう。・而して斯くの如き影像傲照誼を主張するものは、華厳単に在りては龍軍
堅慧等であると説くけれども、乍併、此の外に如来銀縁起を許さない鮎は異るとしても、同じ.く仰の不説法牢王 張して影像教鰭論詰唱へたものがある。即ち無性と仰地経論に紹介せらるる一師とであつて、無性鹿大要㈹繹︵第 一哲に﹁此巾哲薩撃八時由者識上直非直説教集節税以筆硯性こ︵大jE・三一巻三八〇頁中︶と云ひ、俳地 経論第一巻に﹁布義、妻=釆慈悲本願増上線力、間者識上文章相生、此文義相雄下祝依二目善棋力一起上而就二狙撃名 筆彿寧L︵大正・二六巻二九一口下︶と云へるがそれである。意思は此の誰を﹁眞如他に於ては語言を絶し、諸00
事も雁首焉めに其の鮎で密意にょつて惰りに彿は説法せす﹂と云へるものに過ぎないと見撤して、無性等の誰を
不証義と断じこれに反して仰の浮識の上には必す文轟の相が生するから俳は説法すといはぎるを得ないと主張し
た。然るに賢首は慈恩が排斥した誰を如来蔵縁起に踊係づけて慈恩の所謂る正義とする護法の詮の上級に位せし
めたのは注目に偶するものであらう。
第洞の無本質無影像とは、維摩耗の﹁夫説法者無レ詮無レ示、其縛法者無レ聞無レ得l︵大正・十開巻正閏○頁︶等 の文に依りて末はさるるが如く、衆生の心外に仰の化身・音響笠が鯉きのみな主宰、亦衆生ハ心Hに噸柁十る桝の仰の包身∴常客等も伽⋮く、唯、識のみありて常棚郎寅なる所謂る舛教の教の場合をいふのである。般若・中論
〟拍将及び頓数等は多く此の立場に立つと云はれてぉるが、放で問題となるのは雅致が如何にして教と名づけられ得る
t.
かデ冒し壱あ↓OU経歴は出社以〓最小・・王バ菩薩の何人1一首鶴政ち虞葦に不二い法門心′1現はし得た如く音聾等の言数なくとも桝詮の養理を詮はす限り、無数も亦これ教たり得ることが許さるペきであらう、とは華厳
問答︵上巻四︶のいみじくも答へた研である。 ︵B︶右は何れかといへば現象心即ち桝謂る事心の立場に於て、而かも能詮者としての仰の心と把粛としての衆生心
との封立の上に於て、彿数の本質を論七たのであるが、更に一歩進めて、彿心と衆生心との封立を絶した所謂る
理心の立場より冊数の本質論を眺めて見たいと思ふ。
彿性諭の如来蔵品に﹁一切?衆生は悉く如来・の智の内に在るが故に名けて如来蔵と焉す。如如の智は如如の境に朽ふを以っての故なり。扇衆生は決定して如如の項を川づる茸看ること無く、非びに如来の捧持する桝と焦
るが故に所蔵と名け、衆生を如来赦と焉すなり﹂︵大正二二一巻七九六5と云はるるが如く、諸の衆生には別の 目饉が存する諜でほなく、如来赦を培って以つ.て衆生と成すのである。然るに此の如来赦は彿の智が㌍して以つて白閥となすものであるから、衆生の盤閻が仰の心中に在ることとなり、従つて俳心を離れては外に衆生有るこ
とも無く亦、所詮の致も無しといはぎるを得ないのである用如来性起品の﹁如束の宰捷の身中に悉く一切衆生が
草根心を賛し菩薩行を修して等正党を成するを見るL︵大正・九埜ハ二七貞︶の丈の如きは右の立場む潰癒したも のである。然るに一度、立場を欒へて衆生の心を中心として挑むるならば、衆生の心を離れては仰の別館鈍t上 彿敬 の 本代∵諭 J♂畑彿故の本質論
二田 いはぎる に同じたものであるからである。如ちその始覚に同ぜられた乃木覚たるや、俳の木琴し﹂衆生の本覚とに元来直別 が有る繹ではないから、衆生の本覚に同じだとも云ふことが可能であり、従つて準身には衆生と俳と匿別無きこ とになり、更に進んで眈に衆生の眞如の醍と仰の眞如の鰭とに匿別が無い限り、虞如の用にも亦両者の間に差別 が存する理由無く、従つて仰の應身化身の如きも茸は衆生心中の眞如の用大に外ならすして別彿無しといはぎる を得ないこととなるからである。彼の有名な夜摩大宮誰偶口⋮の﹁若し人三世一切の彿を知らんと欲せば、應常に 是くの如く観すべし、心は諸の如来を造る﹂の偶餅は、賓に這冊の渦息を説き明せるものである。而して以上の 二つの立場は要するに同一事茸の二万而に過ぎないのであるから、二説は不相離の関係に布る。従つて衆生心内 の彿は休心巾の衆生の焉めに説法し、俳心中ゐ衆生は衆生心内の仰の説法を聡くとも見られ得るであらう。︵此の 師係を玄談は鏡像と水乳との二喩を挙げて巧に説明してゐるが今は簡を欲して省略しょう。︶是くの如く説者と聡 者とが全放して無擬たるのは甚洗唯誠に於ける仰数の本質観にして、即ち認識論的立場は故に至つて究発すと いふべきである。四
最後に、謂ひ得るならば一種の形而上畢的立場から例数の本質論を簡革に述べて本稿を終りたいと思ふ。 玄焚諜極大席論澤第二巻に﹁従■段清澤法華研流控筆致法市長清浄法外等沈∴︵大沢・▲二軍 二.〓︶−一㌧し 卯 へろが如く、糠大乗論等の稔伽わ派の諭#に祈りては、大乗わ十二分敢は贋如法外より等流したものである。雁州 川性は等凍を膵して﹁従二法雅一囲漑教法L︵大証二.二巻三九岡貞︶と述べてゐるが、羅如鴎緑た許さ一ない唯孤軍派 に在りて如何にして﹁研起﹂といふことが可能であらっか。この疑問に答ふるものは原綿詳柿大束諭繹第十巻い ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 眞如於二一切法車高藤山レ縁二罵如︼起二無分別智一無分別智是展如研流。此智於二諸智中一最膠、閃二此智一流二田無分 別後得脚研生大悲可 此大悲於ニー切に巾義勝。閃二此大悲一如来飲下筆立正法︼救巾済衆生上誰二大莱十二部許可定法 是犬悲桝流l︵大正二二∵巻二二二貢︶の文である。即ち大乗俳致たる大乗の十二分教を起すものは大悲であり、 犬悲む起すものは後得智であり、後得智を起すものは無分別智であり、無分別智は展如を経じて起るものであつ て即も眞如は無分別智の因経ではない。従つて斯かる畔展別使の関係を等流とも研起とも名けたのであるから、 恨令眞如示凝然であつても何等差支へない繹である。要之、最後の根本茸ホたる眞如と現象としての教法とは、 瓦に利払封立して一致することなき#在であるが、唯、虞如は一功の現象の壕後の存在の棍様とたる鮎で、眞如を 仰教の木質なりと見撤すことが川東ないこともないであらう。兼林童︵一大二六︶は樺相鐸牲醸の分明に際して、 虞如と教法とむ海水と波相とに讐へ、揉玄記︵一巻四六︶も湖と誠味とに比して教法の鰭が眞如なることを説明 してゐる程である。 0 更に叉、仁王般若の二諦晶には﹁契控應疲記別諷涌自説縁起讐喩大事水生方廣希有論議所有宣詮音啓語言文字 0 童句一切皆如無レ非㌫見相こ︵大正・八巻八三九頁︶と述べられてゐるが、此の十二分教を如なりと見る見方は、 教法は緑より生ぜられたものであり、縁より生ぜられたものは必す無自性であり、無自性なるが故に眞如ならざ ろべからすといふ立場よりなされたものである。従つて此の立場からも沸教の本質は虞如なりと云ひ得らるるで 仇∵放 の 本 質、皿 ノ鋸J
あらう。
右は主として三乗教の眞如鶴に立脚して教膿を論じたのであるが、更に一歩進んでエ粟の眞如観に立てば、理
事無擬であるから一切の教法は会稽を奉げて眞如なりと見るときも荷差別の事相宛然として存し、文展如の盤鰹
が一切放となるときも倍、一味湛然として平等なることを擬げない。従って前の場合の如く本を以って末を牧め
或は相を合して性に踪すことを待って教法の槽が眞如なりと云ふ必要なく、現象としての教法の常虐に即ち眞如
が紆現してゐると見て、眞如を仰致の本質となすのである。
更に復た、華厳風教の立場からすれば事事無擬であるから、一一の現象が其の位、一入一切、一切入一、一郎
一切一切釦一の重重無義経起の関係にある。従って一棟産と雉も直に俳教の本質となすことが可能であつて、彼
の度合部品の偶に﹁〓切?彿利微摩の中に、慮合邦は自在力を現はし、弘誓の頗海に雷撃を震ひ、I一切衆生類を 調伏したまふ﹂ ︵大正・九巻四一四頁︶と述べてゐるが如きは、其の二例である。而して又、斯かる無轟の教法も、要之、皆走れ如来の海印定申に同時に柄現するものと云はれ、従って俳北の海印三味を以って彿教の木質な
りと見るのが華厳の最後の而かも絶封的立場である、とせられてゐる。
僻数の本質論
JβJg生活技術に於ける経駿的なものと
呪術附なもの
一杉 浦 健
二 ヽヽヽ ヽヽヽ 宗教とはいのちすることであると云はれてゐる。然し如何にいのちするかと云ふ具標的な問題は散り解かれて ヽヽヽ ヽヽヽ ’ヽ︳ ゐない。現代は単に畢閃的興味からするいのちの研究のみに止まらす、いのちの仕方即ち吾人の清き方にまで進 んで考へて見ることを必要とする時代であると思ふ。宗教で活きると云ふことは≠俗で活きることと同一の意味 ヽヽ︳ に使はれては梧ない様である。然し活き方即ち生活方法と云ふものを考へる時には一應世俗の生き方即ち生活技 術と云ふ研から出覆して考へてはどうかと思ふ。 ヽヽヽ 今迄は活き方を道徳、宗教、科挙、紆済、柾合等の問題に州別化し、柚象化して研究して乗た。その概念的な ヽヽヽ 議論は眈常述べつくされてゐる観がある。筆者は過去の概念的、形式的な熊慶とは別に内界的、具照的にいのち ヽヽヽ の問題を扱つて見たいと思ふ。宗教的な立場からするいのちの仕方と云ふことは、寮生活の必須僕件を充すと云 ヽヽヽ ふこと即ち衣食作等の生活物資を得ると云ふことを意味するものでないかも知れないが、吾人は具照的にいのち の仕方を研究するために、先づ生活の必須傑作を沸すーUとより出聾する。今日の様に思想や宗教の混乱期にうか 生活技術に於ける経験的なものと呪術的なもの 〟郎坐清技術に於ける紙線的なをのと呪術的なもの 二八 ヽヽヽ ぅか理想や信仰のみからいのちを賓生活と離れたものとして扱ふことに反封し、盲人の現在面前に横はる問質む ヽヽヽ 解決する緒口となる様な立場を求めるために生き方内容的考察を試みる。彼岸あ生活.に重きを置く宗教研究に封 ヽヽヽ して、此岸の生活方控の究明をも加へるため、生き方を問題として見庇い。その目的とする虞を一言で云ふな ら、虞≠術としての信仰及び行事の研究である。 人が世に靡して行く方法には色々あるが、大別して、葦際経験を積んで得た知識、技能に依るものと.茸際の 技能にはよらす、irrati呂a1.surnatu嵩︼、或はsacr恥 などと云はれる普通でない方法に依るものと二つに分 けられる。此の二つは時と庭によつで非常に逆ふは勿論人によつても相異し、戎人には経験的な技能と思はれる ものが他の人には趨経験的信仰になつたりもする∪その上量の多少に甚だしい攣化があらうが有限の人間の中に ヽヽヽ は此の二つの生き方に対する心根がある様である。筆者の意閲は此の二つのものの働き方む今生.清の関連に於て 見極めるこ.とである。 ヽヽヽ それには現在生きてゐる我々E胞の生き方を研究するのが常然であらう。筆者は操際に就て此を行つてゐるの であるが、未だまとめることが〓来ないので恨に未開人の場合に放て考へることとする。未開人を例にとること に封しては方法論上の問題があるが此腱では略す。 二 農耕生活に於ける経験と呪術 現代文明人に於てち呵季ハ攣化が生活に臣響む輿へ一?﹂とは大きいわであるが、未開人は是に支配う九ること ヽヽ︳ が一陣強かつた∪彼等の生活廠式は全く自然の欒化に應じて規定されたのであるから、生き方は是に毅も強く支 劇ほ≠
配された。此の自然の■連り攣りと人生の経験とによつて作られた僻と云ふものは、生満の指導者として大きな力 :、一∵ゎた∪農耕牡清は大冊一隼を通して什古けポ絹紹Ⅹ1jiるものであるから、暦とい閥係が非常に深く、村里 ナり一﹂棉/ 的た太陽観測よりつくられた太陽暦は見れ角、太陽暦その他の葦生活の㌍験から作られた贋は農耕互活上組係が 抹いL∴見るのが一般の常識となつてゐる様である。例へばニュージランドのmaOりi放では漁業生活者は一年を 十ニケ月とする麿を持ってゐるが、農耕生析者は十ケ月の暦を持ってゐる。これは一年を十二ケ月に分けろこと を知らないのでなくて、農耕生活に適合する杖十ケ月とする風習をつくつたのである。即ち第十一月、第十二月 は収穫が終って川のない月であつて、此期は宴倉.談話、遊び、睡眠等むする時である。従って月としては数へ ハl ないと云ふ。 ヽ︳ヽ 然し暦を食物獲得或は叶合壁活の経済的必要のみから糀察することは充分と云へない。贋は生き方の指針とし て民衆の生活技術を最も喘的に示すものであるから生活の全面から研究する必要がある。斯くて一年に於ける大 館、自然の轡化、これに應する人間の㌍臍生活、更には集閣の情緒生活も入れて考へねばなるまい。情緒生活と 云ふのは近親の死んだのむ追憶する場合或は部族の大事作首記憶する等に止まらす毎年定期に行ふ紆臍生活にも 是を待ち笑んだり、追懐したりすることに情緒的意味が深い。斯くてmは天醗、自然の現象より‖常生活は勿 論、その時々の仔細の感情生活までも一くるめにして研究しなければならない。柑に定期の行事の小心となつた 祭りは一年の節々となつて民衆の生活詰識を引きしめるゎに敢も役立つた。斯くも重大な意味を持つ贋を掌る人 は民衆の一指導粛である王者であろ場人‖が多い 盆前技術に於ける紳助的なものと呪術的なもの J7ふぅ
吾人はMa−inOWSkiの調布したTrObriand鳥人の資料にょつて、彼等の全生活に於て経験的のものと呪術 的のものが如何に関係し合ってゐるかを明かにするため生活の指針である暦を小心として考へて見亮。此等土人 の生き方を時にょつて規定する場今二つの標準が考へられる。第一は天照現象が規定する力、第二は季節の造り 攣が規定する力、第三は天鰻や季節に鮭じて行ってゐる祀合生活が規定すろ力とである。 ︵lI︶天龍と人生との関係−・霊︵イ︶太陽と生活との関係、未開人には太陽と暦日及び柵物牛育に関する科畢 的智識がたいので、月程草生満と深い閥連は附けられてゐない。TrObriand島土人は太陽を蓋と夜とを限る口 先とし.て象徴的に考へる傾向が強く、寮生活に封する控除的利川と云ふ方酎が担い。従つて生活と最も交渉を持 つのは口光を左右せんとする呪術にあらはれるが精々である。お天気になる様にする呪術︵waくgigi︶並に雨乞 の呪術︵亡ユkuOa︶k其の代表的なものである。更に神話、説話にHる太陽を見ても象徴的、神秘的要素が多 く、時には人格化されて硯はれる。T岩briand鳥人の生活に於ては太陽が寮生活と練り交渉のないものである と云ふこと灘ち生新技術と深く附係しないことと象徴的神秘的に扱はれて技術的にも呪術的にも深刻でないこと とに特別?意味付をすることが日米るとすれば興味あることである。 ︵ロ︶月と生活との関係、太陽が生清技術と経験的に帥係せす、象徴的輌秘的に考へられたのに封して月は彼等 の生活の全面に於て繹験的に紬係む持つてゐる。従つてTrObri呂d畠土人の月はあくまで賢川的或は現代人の 科堪的とも.デ︷べきものとして考へられてゐる。〃ハ神話、謹話は大腸㍗rれハ加′、象徴的ふ■隼仰向がなく、呪術 的方面も太陽毎に日光を左右せんとすて様な象徴的た呪術は行なはれす、精々称愛や失しくなることに封して、 生消技術に於ける経験的たものと呪術的なもの ルごβ
月に一寸とした呪冨がとなへられるのに止まる。しこれとても盛んなものではないが、控除的な生き方とは碑様な 踊係む持つ∵ゐ一〇。︰月には呪術的、象徴的要素が糾いのみか、その盈恥㌢−説明せんと丁る俗H、説話も仝ノ、兄ら ハ2︶ れないと云ふ。 Graebner によると﹁月は古代農耕文化民族の神話鹿系に強い関心を喚び起した。此は月の盈廠が誕生、死 及び生活の模型をなしてゐること、共用期が女性の月控及び生殖に蹄係してゐる様に見えることに原因する。更 に月が露をもたらすと云ふ考へから、一般に月と水分を闊達して考へる様になり、水分と関係する研から更に進 ︵3︶ んで樅物を成長させるものと見られるに至った﹂と云ふ。他の農排民族が月に封する象徴的た榊話を持つてゐる のにTrObriand畠土人には是がない。彼等に於け去月と農耕生活との紺係には象徴的、輌秘的なものがなく、 経験的な生き方との酪係を熟知しiヨatiOna−な要素む散り多く含んでゐない。Ma︼inOWSkiはTrObriand 島土人は太陽に封しては呪術的態度が強く、その神話、俸詑には象徴的部分が多い、此に反して月には呪術的の 要素が抄いと共に象机的輌話、侍誰を持たない。此れを単なる紳話のモチーフや形態のみから考へるのは薔を得 てない、それには彼等の生活全面との交渉む究明すべきであることを力説してゐる。此は両論研究の上からも一 つの暗示に富んだ立場であると共に宗教の糀察に貢献する桝が多いと思ふ。今更 Na︷ur・MythO︼Ogische Sch 亡lりの神話研究態度は関越としないが、その後の多く帥諸研究も全生活面との機能的連組と云ふことを忽せにし て来た。口、月に隣する紳詣の型を考へる場合北の国々にトいって非常に太陽の光を希望⊥つ1労働するが、輿へ られる期間が妙く、董もイロリ遼の火にょつて暮す人々と、TrObユaロd島土人の様に夜の戸外・︼り姦雄しみ築圃的 生餌技術に於ける無敗的なものLL呪船的なもの J鋸ア
三二 蕪病根術に於ける経験的たものと呪術的なもの 行事、祭儀の殆んど諷べてが夜行なはれ、満月の口にその c︼iヨa舛 に達する川の人々とでは太陽や月に対する 観想が全く遣って来る。人′迄の神話研究に於ては、口、月に封すろ生活技術としての呪術的熊虔及び経験的帯皮 或はその機能と云ふ様たことは主要な意味のないこととされてゐたが、如何に生きてゐるか、或は如何に生くべ きかと云ふことから出覆して宗教、呪術を考へるには考慮しなければならない重要問題である。 ︵Ⅱ︶季節の造り攣りと人生、TrObHiand鳥に於て季節攣化の標準となるものはモンスーンと貿易風であつて、 此が一年を海潤期と乾燥期との二つに分ち、寒暖、海底等わ物理的な攣化から植物の生育より結寛に至る目に見 えろ瑚節の大きた攣化まで此に作ふ。析物の生育を最大の械みとする農耕生活むする人々の生活様式は季節にょ って規定せられる。秋作は濾潤期釦ちモンスーンの初めに焼州、根付む始め、乾燥期即ち貿易風の初めに成熟し 収穫する。斯くてTrObユand良人の農排生活は乾、淑の二季節に根本的影響を受け一る。斯くて怨緋を根幹とす ろ彼等の生括技術は二つの匿分に應じてリズム■狂なしてゐる。特に努働は一年を通じて規則的にまんべんなべ配 分されるのではなく、主要部分は作少の一定時に集中され他はひまな時となる。・文化の進まない民族の洪排勝■拗 は現代文明閥の工業革拗と造って季節に右左されることが甚だしく、仕事あ閑繁は季節にょつて非常な攣化が多 い。此を調節するために共同労働が行なはれ、それが儀祀的行事と関係し普通の経験以上のものも多分に含む様 になつて来る。季節の循環は生物の成育と閥係し、生物の成育は幸要食物に開運する。斯くて日に見る目興⋮外の 攣化Lし丹にた物も季節にょつて大きな※典があり、横堤▼情緒、H仰にまでが一つゞキ■い聯絡たしてゐろ。斯く ●ヽヽ て車節の欒化にょり世俗生活を主とする時と素数生活を中心とする時との二つの雀き方の匝糾さへ見られる冊 J仇一片