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Title
世親『法華論』訳注 (1)
Author(s)
藤井, 教公
Citation
北海道大学文学研究科紀要 = The Annual Report on Cultural
Science, 105: 21-112
Issue Date
2001-11-30
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/34001
Right
Type
bulletin
Additional
Information
(2001) 北大文学研究科紀要 105
世
親
可
法
華
論
﹄
訳注∞
藤井教公・油連宏昭ほか
一
、
はじめに
﹃法禁論﹄は、世競(天親︿m
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ロ 門 同 日 記 ) が 著 し た と 伝 え る 司 法 華 経 ﹄ の 注 釈 室 闘 で 、 異 名 を ﹃ 妙 法 蓮 華 経 憂 波 提 舎 ﹄ (菩提留支訳)あるいは﹃妙法蓮華経論擾波提舎﹄(勤那摩提訳)という。本論はサンスクリットテキスト、チベット 訳テキストのいずれも存せず、ただ漢訳二種が残るのみである。今日インド撰述にかかる唯一の法華注釈書となって いるが、内容は文々匂々に解釈を施したものではなく、序品における七成就、方便品における五示現、響輸品におけ る七輪などの独自の視点から経の大綱を簡略に示したものとなっている。 本論の漢訳は、六世紀初めに北朝に来支した菩提留支と勤那摩提の二人のインド人訳経僧によって別々になされた たようである。そのために今日二種の漢訳が残っているわけだが、両テキストの関に内容的な相違は見られ、ず、字句-21
役毅﹃法禁論﹄訳注
ω
の相違や、語句の省略などの差に止まっている。両本を比べると、概して勤那摩提訳の方が語句の上ですっきりと整 理されている印象を与えている。 本論訳出後の伝播の状況は余り明らかではない。本論の引用が見られるようになるのは、惰の天ムロ智頭(印 ω ∞i
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)
の後期時代の著作とされる ゃ 、 海 市 出G
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)
が智韻の法華経講説をまとめ、智額没後に完成した吋法 華文句﹄においてである。﹃法華玄義﹄も瀧頂の再三にわたる修治の手が入っていることからすると、﹃法華論﹄ 同市に関しては智頭の与り知らぬところで潅頂によって取り込まれたという可能性もある。 本論を多く引用、援用したのは一ニ論の吉蔵G
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S
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)
である。吉蔵は﹃法禁玄論﹄ のヨ
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﹃ 法 華 統 略 ﹂ な ど 、 大部な法華注釈蓄を著しているが、それらの中に本論を引用するばかりでなく、本論に対する注釈警である司法華論 疏﹄一一一巻を著している。この注釈警は菩提留支訳に拠っているが、吉蔵のほか、この論議闘を山引用したり、注釈書を製 22-ず る 場 合 で も 、 ほとんどが菩提留支訳に依拠している点は、本論の伝播を考える上で興味深い事実を提供している。 天台では上述の如く潅頂が修治した智顎の著作に引用が見られ、その後の天台教団の中でも重視されていたようで むしろ本論は最澄以来の日本叡山天台において重んじられており、最控は自身で本論の科文を製している。 あ る が 、 また、円珍(∞ニi
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)
は入唐して天台山で天台章疏を学び 十巻を著している。 本論はまた中国法相宗においても重視され、慈愚大部基(
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∞ 色 ) は 司 法 薬 玄 賛 ﹄ において引用・援用している。 について少しく触れたが、近現代においてテキスト自体に対する基礎研究はこれまでのと ころそう多くはない。近年の本書一に対する研究成果では、潜水梁山師の国訳ならびに訳、証があるくらいであるが、こ 以上、本論の伝播、 の国訳の不備な点は、底本として菩提留支訳テキストに拠りながら、同テキストの難読部分については伺の断りもなくその部分だけ勤那摩提訳を採用している点である。このような窓意的なテキストの用い方がされているので注意が 必要である。この間訳以後、本論の研究成果としてカルフォルニア大学から刊行されたテリ 1 ・ラエ舗のディサテ 1 シヨンがあ別、これに本論の英訳と訳注とがある。しかしながら、我が閣では清水梁山師以後、本論に対する厳密な 国訳と訳誌は未だなされておらず、現代語訳ももちろんなされていない。 筆者藤井は、平成八年度に北海道大学文学研究科大学院槙習﹁法華論研究 L を一年間に買って開講し、大学院生諸 君とともに﹃法華論﹄を最初から演習形式で講読した。本稿は、その時に院生諸君が用意した書き下し、現代語訳、 隈の統 訳注について授業で検討を加え、訂正加筆し、書き下し文のスタイル、現代語訳における訳語、 を取ったものである。演習に参加し、原稿作成に関わった院生諸君は次の通りである。 の形式などに最小 地建宏昭 石井泰紀 市 }l1 純 造 小 沢 宜 忠 雄 桂 紹寿 狐野利文 武田和博 千野政寿 都築千尋 中村覚道 方く 23 江雅邦 林寺正俊 矢田 山 口 このうち、当初から原輔のとりまとめの労を取ってくれたのは、現在は博士課程を単位取得して退学した武田和博 君であり、また池護宏昭君も途中二年間のインド留学を挟みながらも本稿がこのような形にまとまるまでの加筆補正、 体裁の統 の労を惜しまれなかった。したがって、本稿に幾分の功ありとすればそれは上記の原稿作成に携わった諸 の甥であり、報理ありとすればそれは私、藤井の過である。ここに大方の批正を請う次第である。 ( 1 ) 天 ム 口 組 官 岨 酬 と 司 法 禁 論 ﹄ の 関 わ り に つ い て は 、 拙 論 ﹁ 天 台 智 額 の ﹃ 法 整 経 恥 解 釈 ii 如来蔵仏性思想の立場から ii ﹂勝呂信静編﹃法 禁経の思想と展開﹄(平楽寺警応)二
OO
一 年 、 お よ び 奥 野 光 緊 ﹁ 天 台 教 学 と ﹃ 法 華 論 ﹄ │ │ 士 口 蔵 と の 比 較 に お い て i i L q 天台大師研 北大文学研究科紀要世 一 親 ﹃ 法 華 論 ﹄ 訳 注
ω
出 九 ﹄ 所 収 、 一 九 九 七 年 ) な ど の 論 孜 が あ る 。 ( 2 ) 吉蔵の吋法華論﹄の援用に関しては、奥野光資﹁古口蔵の﹃法華論﹄の依用について││七処に仏性有りの文をめぐって i i L ( ﹃ 仏 教 晶 子 ﹄ 第 幻 号 、 一 九 八 七 年 ) 、 ﹁ 士 口 蔵 教 学 と 司 法 禁 論 ﹄ ﹂ ( 平 井 俊 栄 監 修 ﹃ 一 二 論 教 学 の 研 究 ﹄ 所 収 、 春 秋 社 、 一 九 九O
年 ) 、 J 口 蔵 の 授 記 思 想 ii 米 光 愛 正 氏 の 批 判 官 に 応 え て llL( ﹃駒漂短期大学仏教諭集﹄第一号、一九九五年)などの一連の論孜がある。また同氏には日本 天台までを含む﹃法華経論﹄の依用について、﹁円珍の﹃法禁論﹄解釈をめぐって﹂(﹃印度学仏教学研究﹄第四十一巻第一号、一九九 二年)の論孜がある。さらに知官接と吉蔵の﹃法華議﹄解釈について、﹃法華論﹄が挙げる十七の異名部分を円珍の﹃法孝義記﹄に義づ いて対印加した論文に、河村孝照﹁土問裁の法禁論疏について﹂(﹃印疫学仏教学研究﹄第四十五巻第二号、一九九七年)があって、歳代 中国仏教とそれを移入した日本仏教におげる司法禁論﹄受容の様相を知ることができる。 ( 3 ) 清 水 梁 山 ﹁ 開 閉 誇 妙 法 蓮 華 経 侵 波 援 金 口 L ﹃ 際 誇 大 蔵 経 ﹄ 論 部 一 一 十 、 一 九 一 一 一 年 。 ( 4 ) 、H m 吋 弓 刃 向 巾 ﹀ σ σ 0 同 一 ︿ 山 田 口 σ 山 口 門 出 Hロゲ( u
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巾 ロ 片 山 門 M N 円。同町司会∞同門山内皆同門日間七戸自己記-安出 a出 口 々 間 三 ﹀ω
門 口 門 同 一 可 O 同芦田町山田件。吋可申口弘氏明記]九日円山口 n m y d三 4 巾 吋 田 町 片 山 、 。 叫 わ 由 民 問 。 門 口 H P ∞ 巾 吋 } 乙 巾 出 ﹀ ] { 也 ∞ 印 ・ ( 5 ) 吋法翠論﹄の内容解説についての論孜には次のようなものがある。 丸山孝雄﹁法華経論の立場﹂﹃講腹・大乗仏教 4 法華思想﹄春秋社、一九八三年。河村孝照﹁﹃法禁論﹄解題 L 立正大学法華経文化研究所﹃法華文化研究﹄第 2 5 号、立正大学法華経文化研究所、一九九九年。 24一
一
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、本稿は、﹃大正新修大蔵経﹄巻二十六所収の菩提罷支訳テキストを依揺する。尚、テキストの提示は、﹃大正蔵﹄ などの表記は、﹃大正蔵﹄ に準じたが、出字体は新字体に改め、適宜、句点や中慰問点を補った。また、テキストの見出し部分に付した貰数 の該当個所を示す。﹁勤 L とは鞍那摩提訳である。倒 、 ︹ テ キ ス ト ︼ ( ℃ -E L -M ) ( 鞘 七 -H O n -N -M ) 一、本稿は、﹃法華論﹄上下二巻のうち、上巻所収の﹃法華経﹄序品の部分について、書き下し、現代語訳、訳注を付 し た も の で あ る 。 一、書き下し文は現代仮名遣いにより、新字体を用いた。 、テキスト部には、勤那摩提訳との一語句の棺違を注記し、書き下し文中には、内容的な注目記を付けた。 、注番号は当該語の最後に付けた。 例、転不退転法輪。 ー鞍那摩提訳には、﹁転 L の 字 を 欠 く 。 経の如く﹁婆伽婆は王会城の老間関蝿山中に住したまいし﹂が故なり。 2 ﹃ 妙 法 華 ﹄ ﹁ 仏 住 主 会 城 老 間 関 掘 山 中 ﹂ ( 吋 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 一 九 行 自 ) と 対 応 す る 。 -25 、経文・法華論のテキストの引用には鍵括弧﹁ L を付け、語句を補うときは角括弧[ ︺を、意味の補足・語句 い換え等は丸括弧( ) を 用 い た 。 例、経の如く﹁婆伽婆は王舎域の警関幌山中に往したまいし L が 故 な り 。 司[法華]経﹄において﹁尊師は、王合域の警簡掘山の中にとどまられ﹂とあるように。 第八地以上の無功用智は、下(第六地以下)と上(第七地)と異なっているからである。 、﹃法華経﹄からの引用と思われる箇所については、党本(南保・ケルン本)の文句との対応を検討し、注記した。 北大文学研究科紀要
世親﹃法華論﹄訳注
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﹁妙法蓮華経憂波提舎﹂科段分け
帰敬働 法華経本文引用 分段 序分成就 衆 成 就 ( 分 段 ) 衆 成 就 一 数 成 就 衆 成 就 一 一 行 成 就 衆成就一一一摂功徳成就(分段) 摂 功 舘 成 就 一 ( 芦 間 功 穂 成 就 ) 声 聞 功 徳 成 就 一 上 上 起 門 戸 間 功 穂 成 就 二 総 別 相 門 戸開功穂成就一一一摂取事内 撰 功 徳 成 就 ニ ( 菩 薩 功 徳 成 就 ﹀ 菩 薩 功 穂 成 就 一 上 支 下 支 門 菩 躍 功 穂 成 就 二 摂 取 事 門 菩薩功徳成就一一一撰取事門 摂功徳成就一ニ(補足) 衆 成 就 西 成 儀 如 法 住 成 就2
6
如来欲説法時宝成就 依所説法威儀鑓順住成就 依止説図成就 大衆欲開法現前成就 文珠蹄利答成就 総説 成就十事 成就十事 成就十事 成就十事 成就十事 成就十事 成就十事 成 就 十 一 挙 成 就 十 一 挙 成就十事 成就十事 七 六 五 四 三 ( 分 段 ) 一現見大義閣成就 二現見世間名字章句意甚深図成就 一 一 一 現 見 希 有 国 成 就 回 現 見 勝 妙 国 成 就 五現見受用大関成就 六現晃摂取一切諸仏転法輪圏成就 七現見善堅実如来法輪因成就 八現見能進入国成就 九 現 見 臆 念 因 成 就 十現見自身所経事国成就 27 I ﹂の科段分けは誇注釈に基づき独自に作成したものである。 北大文学研究科紀要
序 婦敬僑 世相 制 ﹃ 法 整 論 ﹄ 訳 注 山 { テ キ ス ト ︼ ( 匂 -z w N -H ) ( 勤 ℃ ・
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戸 川 ) 妙法蓮華経憂波提舎巻上 ︹ 書 き 下 し 文 ︼ 妙法蓮華経憂婆提舎、巻の上 大 乗 論 師 婆 薮 繋 一 思 釈 大乗論師婆数繋豆、釈す。 後 鏡 北 天 竺 一 一 一 蔵 菩 提 留 支 共沙門曇林等 頂礼正覚海 為 、 深 利 智 者 紙農牟尼尊 令法自他利 帰命過来世 弘慈降神力 大悲止四魔 ︻ 現 代 語 訳 ︼ 訳 後 貌 北 天 笠 一 一 一 蔵 菩 提 皆 支 、 沙門曇林等と共に訳す。 浄法無為僧 正覚の海と浄法と無為僧とに頂礼し、深き利智者の為に毘銅典を2
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開示毘髄典 開 示 す 。 うやま 紙に牟尼尊と及び菩薩・湾問とを慶いて、法をして自他を科せし め、略して鞍伽弁を出す。 及 笠 岡 藤 声 聞 略出勤伽弁 現在仏菩薩 過未世と現在との仏・菩薩に帰命す。 護 願 菩 施 提 我 増 無 長I畏 弘慈もて神力を降し、願わくば我に無畏を施し、大悲もて間魔を 止め、菩提を護り増長せしめたまえ。 正しいさとりの海︹である仏]と、浄らかな法と、不滅なる僧とに環礼して、 深く鋭い智ある者のために字句を解釈する典籍を開き示します。ま さ に 仏 と 菩 藤 と 芦 田 山 と を 敬 っ て 、 教法によって自らと他を利議せしめ、簡潔 の論を創出します。 過去・未来・現在の仏と菩蕗とに帰命します。 広 大 な [ 仏 の ︺ いつくしみによって神通力を及ぽし、 願わくば私に揺るぎない確信を与え、 大いなるあわれみによって、 四 つ の 魔 を 止 め 、 さとりを護り増大させてください。 2 勃 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 前 四 礼 正 覚 海 L 以下の帰敬偽を欠く。 箆 倣 典 と は 、 J Q 削}内田辺口出のことで、九部経・十二部経の一つ。もともとは教説の分析的な解説を意味していた。 勃倣弁とは、古口蔵に依れば、摩徳勤倣 ( H H 阿 倍 吋 片 山 ) の こ と 。 日 間 同 門 広 と は 十 二 部 経 の 一 つ で 、 も と も と 論 議 の 内 容 を 意 味 し て い た が 、 これが発達して論蔵となった。ここでは、﹃法華経﹄に対する論ということを意味している。 問 問 魔 と は 人 々 を 悩 ま せ る 四 つ の 存 在 。 ( 一 ) 煩 悩 魔 ( 身 心 を 悩 ま す 食 な ど の 煩 悩 ) 、 ( 二 ) 纏 魔 ( 稜 々 の 管 し み を 生 ず る 五 纏 ) 、 ( 一 一 一 ﹀ 死 魔 ( 死 ) 、 ( m 間)天魔(人々の善行を妨げる他化自在天の魔)のこと。
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3 4 北大文学研究科紀婆設親司法筆論﹄訳注
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争刀 以七成就釈序説分七 法華経本文 ︹ テ キ ス ト } ( 七- z
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九 九 ・ ロ ・ 自 ) ( 鞍 刊 ) ・5
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z M 匂 ) 妙法蓮華経序品第 時仏住王舎域誉関掘山中。与大 比丘衆万二千人倶。皆目疋阿羅漢。諸漏己尽無 復積悩。心得自荘善得心解脱善得慧解脱。心 善調伏。人中大捷。応作者作。所作己弁。離 諸重担。逮得日利。尽諸有結。善得正智心解 脱。一切心得自在型第一彼岸。菩護摩詞薩八 万 人 。 皆 於 開 鰐 多 議 一 ニ 窺 一 一 一 菩 提 不 退 転 。 皆 得 陀羅尼大弁才楽説。転不退転法輪。供養無量 百千諸仏。於諸仏所種諸善根。常為諸仏之所 称歎。以大惑悲市修身心。益出入仏慧通達大智 到於彼岸。名称普間無量世界。能度無数百千 衆 生 。 如 是 我 問 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︼ 妙法蓮華経序品第一 ﹁是くの如く、我、開けり。一時、仏は王舎域の遊間関幅山中に住 し た ま い き 。 大 比 丘 衆 万 ニ イ ヤ 人 と 慎 な り き 。 皆 、 是 れ 、 開 羅 漢 な り 。 諸の漏は己に尽き、復た煩悩無く、心に自在を得、善く心解脱を 得、善く慧解脱を得、心は善く調伏し、人中の大龍なり。応に作 すべきは作し、作す所は巴に弁じ、諸の重担を離れ、己利を逮得 し、諸の有結を尽くし、善く正智・心解説を得、一切心に自在を 得、第一なる彼岸に到れり。菩薩・摩詞薩は八万人なり。皆、問 鵜 多 羅 一 一 一 読 一 ニ 菩 提 に 於 い て 退 転 せ ず 、 皆 、 陀 羅 尼 を 得 、 大 弁 才 も て 楽 説 し 、 不 退 転 の 法 輪 を 転 、 ず 。 無 且 一 黒 百 千 の 諸 仏 を 供 養 し 、 諸 の 仏所に於いて諸の善根を種え、常に諸仏の称歎する所と為り、大 慈悲を以て身、むを修し、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に3
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到り、名称は普く無量の世界に聞こえ、能く無数百千の衆生を度せり O L ︹ 現 代 語 訳 } 妙法蓮華経序品第 ﹁このように、わたしは開いた。ある時、仏は王舎域の警閣制崎山のなかにとどまられ、大勢の比丘たち、 万二千人 とともにおられた。彼らはみな弼羅漢で、諸々の心の汚れを滅し尽くし、 また煩悩なく、心に自在を得て、心の解脱 を 得 、 による解脱を得、心を普く制御し、人々のうちの偉大な龍であった。作すべきことを作し、作すべきこと は既に作し終わり、諸々の重荷を離れ、自己のさとりという利益を得て、すべての生死の迷いをひきおこす煩悩の束 縛を断ち、よく正しい智慧と心の解説を得、すべての心に自在を得、究槌のさとりの彼岸に到っていた。 L ﹁また、偉大な窓口羅たち八万人がいた。みな、無上の正しいさとりに達しようとして退くことがなかった。彼らはみ なダ!ラニーを得ており、人々に自在に法を説く弁舌の才を有していて、退き後戻りすることのない教えの輪を廻し、
3
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数え切れない程の仏たちを供養して、 それらの仏のみもとで多くの善の根本をつちかい、常に仏たちに讃歎され、大 いなる慈しみとあわれみをもってその身と心を修めて、巧みに仏の智慧に入り、大いなる智慧に達して、 さとりの彼 に 到 達 し 、 その名はあまねく無量の世界に聞こえて、数え切れないほどの数の衆生を︹彼岸に︺渡した。 L 5 戦那摩擦訳では、﹁転 L の 字 を 欠 く 。 吋法華論﹄では肺門羅漢の叙述に十六匂を挙げるが、林凡文吋法華経﹄では十八勾となっている。その対応については、附表を参照。 吋法華論﹄では袋町薩摩詞議の叙述に十三匂を挙げる。焚文﹃法華経﹄でも十三句となっている。その対応については、附表を参照。 6 7 北大文学研究科紀要世親﹃法華論﹄訳注川 8 円 山 宮 山 吋 山 口 問 の 北 日 写 。 ﹁ 保 持 す る こ と L の窓で、教法を心にとどめて忘失しないという意味がある。普通は神秘的なカを有する章句・呪文 を 指 す 。 分 段 { テ キ ス ト ︺ ( 匂 -HmyN ・ 忠 也
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戸 切 ) ( 動 向 ) ・5pq
・z s M
品 ) 釈臼。此経法門。初第一品示現七種功徳成就。 此義応知。何等為七。一者序分成就。二者衆 成就。王者如来欲説法時歪成就。問者依所説 法威儀髄願住成就。五者依止説閣成就。六者 大衆現前欲開法成就。七者文殊部利菩寵答成 就 。 ︻ 現 代 語 訳 ︼ 注釈していう。この﹂法華︺経﹄ ︻ 書 き 下 し 文 ︺ 釈して日く。此の経の法門、初めの第 口 聞 は 、 七 種 の 功 纏 の 成 就を示現す。此の義、応に知るべし。何等をか七と為すや。 -32 一 に は 、 序 分 成 就 。 こ に は 、 衆 成 就 。 一 一 一 に は 、 如 来 欲 説 法 時 至 成 就 。 四には、依所説法威儀随頗住成就。 五には、依止説圏成就。 六には、大衆現前欲開法成就。 七には、文殊師利菩露答成就なり。 の教えのうち、初めの第一章は、七つの特性が完成していることを示している。このことを知らなければならない。七つとは何か。 第一に、序の部分という︹特性の︺完成である。 第二に、︹教えを関こうとして集まっている︺人々という︹特性の]完成である。 第一一一に、如来が法を説こうとする持が来ているという︹特性の︺完成である。 第四に、︹あることに︺依拠して説法し、蔽かなる張る舞いに準拠して維持しているという[特性の]完成である。 [衆生に]依っているという︹特性の︺完成である。 第 五 に 、 法 を 説 く 原 田 副 が 第六に、法を開きたいという望みが大衆に現れているという[特性の︺完成である。 第七に、文殊師利菩寵が答えているという{特性の]完成である。
3
3
2 勅 那 摩 提 訳 ぜ は 、 ﹁ 釈 臼 ﹂ を 欠 く 。 勅那摩提訳では、﹁此経法門 L 安﹁此法門中﹂とする。 勅 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 一 苦 境 L を ﹁ 間 切 L と す る 。 勃 抑 抑 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 此 義 応 知 ﹂ を 欠 く 。 勅那摩提訳では、﹁依所 L を ﹁ 一 所 依 L と す る 。 動那摩提訳では、﹁威儀随願﹂を﹁随順威儀 L と す る 。 勅 那 摩 提 訳 で は 、 ぷ 非 同 薩 L を 欠 く 。 3 4 5 6 7 北大文学研究科紀要世毅﹃法華論﹄訳注
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序分成就 ︹ テ キ ス ト ︺ ( ℃ ・5
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戸 。 e M M ) ( 勤 ℃ ・5
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守 ・ H H P 戸 ω ) 序分成就者。此法門中示現二種勝義成就。此 義応知。何等為二。一者一不現諸法門中最勝義 成 就 。 一 一 者 一 不 現 自 在 功 徳 義 成 就 。 如 王 舎 域 。 勝於一切諸余城舎。者間掘山勝余諸山。顕此 法 門 最 勝 義 故 。 如 経 婆 伽 婆 住 王 本 一 口 域 老 岡 南 幌 山 中 故 。 { 現 代 語 訳 ︼ ﹁序の部分という︹特性の︺完成 L とは、この { 書 き 下 し 文 ︼ ﹁ 序 分 成 就 L とは、此の法門中、二種の勝義の成就を示現す。此 の義、応に知るべし。何等をかごと為すや。 一には、諸の法門中の最勝義の成就を示現す。 一には、自在なる功徳の義の成就を示現す。王舎域の、 一 切 の 諸 の余の域全口より勝れ、誉関掘山の、余の諸山より勝れたるが如き は、此の法問けの最勝義を顕すが故なり。経の如く﹁婆蜘婆は王舎3
4
域の誉閤掘山中に住したまいし L が 故 な り 。 ることを示している。このことを知らなければならない。一一種とは何か。第一に、諸々の教えの中で最も優れた意義 [﹃法華経﹄という︺教えの中で、一一種のすぐれた意義が完成してい が完成していることを示している。 に、自在である功徳の意義が完成していることを示している。 また、老回関幅山が他のすべての山より優れているというよ 王舎域が他のすべての域よりも優れているということ、 に お い て ﹁ 尊 師 は 、 うなことは、このつ法華経﹄という]教えが最も優れた意義のものであることを顕しているからであるo
A
法 華 ︺ 経 ﹄ 王会域の老間関堀山のなかにとどまられ L と あ る よ う に 。19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 勤那摩提訳では、﹁又序分成就者﹂とし、﹁又 L の 字 を 加 え る 。 勃那摩援訳では、﹁中﹂の字を欠く。 勃那摩援訳では、﹁勝﹂の字を欠く。 紡那摩援訳では、﹁此義応知﹂を欠く。 動 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 一 不 現 一 切 諸 法 門 中 ﹂ と あ り 、 ﹁ 一 切 L の 字 を 加 え る 。 紡那摩援訳では、﹁義﹂の字を欠く。 紡 那 臨 時 援 訳 で は 、 ﹁ 成 就 ﹂ の 後 に ﹁ 放 ﹂ の 字 を 加 え る 。 紡那摩援訳では、﹁勝於一切箔域金口﹂を﹁勝余一切域会放﹂とする。 勅 那 臓 障 提 訳 で は 、 ﹁ 諸 山 L の後に﹁故﹂の字を加える。 勃那摩提訳では、﹁顕此法門最勝義放﹂を欠く。 勅 那 麻 路 援 訳 で は 、 ﹁ 婆 伽 婆 住 L を ﹁ 如 回 定 我 間 一 一 時 仏 住 ﹂ と す る 。 ﹃妙法華﹄﹁仏住五合城者間関幌山中﹂(﹃大正蔵﹄第九巻、資下、十九行呂) 8 衆成就 ( 分 段 )
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{ テ キ ス ト ︼ ( 匂 -H F q ・5 a
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品) ( 勤 HV-HHP ミ ・ ω・
ω ) 衆成就者。有田種義故。成就示現応知。何等 為 回 。 者数成就。二者行成就。三者摂功穂 し。何等をか四と為すや。 四種の義あるが故に、成就の示現、応に知るべ 成就。四者威儀如法住成就。 ︻ 書 き 下 し 文 ︺ ﹁ 衆 成 就 ﹂ と は 、 と 対 応 す る 。3
5
には、摂功徳成就。四には、威儀如法住成就なり。 一には、数成就。二には、行成就。 北大文学研究科紀要世親﹃法華論﹄訳注
ω
︹ 現 代 語 訳 ︺ ﹁︹教えを聞こうとして集まっている]人々という[特性の]完成 L と は 、 四種の意義がある。完成の示現を知らな ければならない。閤穣とは伺か。 に、数という︹特性の︺完成である。 第 第二に、行という︹特性の︺完成である。 第三に、功徳をあわせているという{特性の]完成である。 第四に、厳かな振る舞いが法に従って持続しているという{特性の]完成である。 36 l 勅那摩擦訳では、﹁故 L の 学 を 欠 く 。 勅 那 摩 擦 訳 で は 、 ﹁ 一 空 域 応 知 L を 欠 く 。 2 衆成就 数成就 { テ キ ス ト ︼ ( ℃ ・5
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)
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鞍 ℃ ・ M M P 戸 。 ) 数成就者。諸大衆無数故。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ﹁数成就﹂とは、諾の大衆は無数なるが故なり。 { 現 代 語 訳 ︼ ﹁数という︹特性の︺完成﹂と(いうの︺は、諸々の[教えを開こうとして集まっている︺大勢の人々の数は無数で あ る か ら で あ る 。衆成就 行成就 ︻ テ キ ス ト ︺ ( U ・
5 w
ミ ・5
者N H ) ( 勤 U-MHPN ・ A Y H N ) 行成就者有四種。一者謂諸声関修小乗行。一 者謂諸菩薩修大乗行。一一一者謂諸菩龍神通自在 髄時一部現。能修行大乗。如臆陀波羅菩寵等十 六大賢士。具足菩謹不可思議事。荷常示現種 種形相。謂優婆塞・優婆夷・比丘・比丘尼等。 問者謂出家声関威儀一定。不問菩薩故。 ︻ 現 代 語 訳 ︺ ︹ 書 き 下 し 文 ︼ ﹁ 行 成 就 L と は 、 四 種 有 り14 一には、諸の声聞の、小乗の行を修するを謂う。 二には、諸の菩薩の、大乗の行を修するを謂う。 一ニには、諸の菩薩の、神通自在にして、随時に示現し、能く大乗 を修行するを謂う。融問柁波羅菩薩等の十六大賢士、 の不可思 議事を具足して、常に種種の形精を示現するが如し。謂く、優婆 -優婆夷・比丘・比丘尼等なり。3
7
自には、出家せる声閣の、威儀一定なるを謂う。菩薩と同じから ざるが故なり。 ﹁行という︹特性の]完成﹂には四種ある。第一に、諸々の声閣であって、小乗の行を修める者たちである。 第二に、諸々の菩薩であって、大乗の行を修める者たちである。 る。臆陀波羅菩寵等の十六大賢士が、 一に、諸々の菩薩であって、神通力を思うままにし、随時に示現し、巧みに大乗[の行]を修行する者たちであ 優 婆 北大文学研究科紀婆 の不可思議な事柄を具え、常に種々の様棺を示すように。[それは]世親吋法華論﹄訳注
ω
塞、優婆夷、比丘、比丘尼等である。 第四に、出家した声簡であって、振る舞いは一定の者たちである。菩躍[の援る舞いの場合︺と同じではないから で あ る 。 3 勤 那 摩 相 究 訳 で は 、 ﹁ 讃 L の 字 、 そ 欠 く 。 勤 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 讃 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 協 批 判 訳 で は 、 ﹁ 諮 ﹂ の 也 子 を 欠 く 。 勃 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 抽 内 通 自 在 ﹂ を 欠 く 。 勃 那 摩 摂 訳 で は 、 ﹁ 修 ﹂ の 也 子 を 欠 く 。 勃 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 臆 陀 波 羅 強 口 薩 等 十 六 大 賢 土 L を ﹁ 践 陀 婆 器 撤 等 十 六 人 L と す る 。 勃那摩提訳では、﹁常 L の 字 を ﹁ 能 ﹂ と す る 。 勃那摩提訳では、﹁謂 L の 字 を 欠 く 。 勃那摩提訳では、﹁放 L の 字 を 加 え る 。 勤那摩提訳では、﹁謂 L の { 子 を 欠 く 。 勅 那 態 提 訳 で は 、 ﹁ 声 問 問 L を ﹁ 人 ﹂ と す る 。 吋法泰弘棚﹄は行により人々を四種に分けるが、﹃妙法華﹄はこ穫に分けるのみである。すなわち、﹁其名日間若矯煉如。摩一部迦葉。 L 以 下 に 列 挙 さ れ て い る 、 阿 羅 漢 や 学 ・ 無 学 と 一 言 わ れ る 者 た ち ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 一 頁 下 、 一 一 二 一 行 自 t J 二 真 上 、 一 一 行 自 ) と 、 ﹁ 其 名 臼 文 殊師利菩薩。観世音菩薩。﹂以下に列挙されている、菩薩摩諮援と替われる者たち(﹃大正蔵 L 第九巻、二真上、八行自1
一 四 行 自 ) とである。これらはそれぞれ、﹃法華論﹄の一言う﹁一者謂諮戸間修小乗行 L と﹁一一者議諸菩薩修大乗行﹂とに相当すると思われる。一 方 、 焚 文 ﹃ 法 華 教 ﹄ ( ケ ル ン 潟 燦 本 ( 州 内 Z ) は 、 コ 一 種 に 分 げ る 。 そ れ ら は 、 そ れ ぞ れ ﹃ 法 華 論 ﹄ の 第 一 、 第 二 、 第 一 一 一 の グ ル ー プ に 穏 当 すると思われる(第一グループ一同 2 ・ 匂 -Y F ∞ ' 匂-N
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。第二グループ一次戸℃・ω
入 ζ ﹄ 巴 。 第 一 一 一 グ ル ー プ 一 次 Z -H ) ・ω
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8
15 N ) O 吋妙法華ご、党文﹃法禁経﹄とも、﹃法華一諭﹄の第四グループに相当する者たちは挙げていないようである。 パ ド ラ パ ! 日 ブ ( 資 護 ) を 長 と す る 十 六 人 の 賢 土 ( 由 民 ℃ 尽 忍 同 ) 。 林 凡 文 ﹃ 法 華 経 ﹄ は 次 の よ う に 一 一 一 日 う 。 σ 吉 弘 吋 同 ℃ 同 日 間 同 ) 口 ヨ 間 同 慣 習 阿 国 知 山 由 g q o a す 山 田
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門 津 田 吋 巾 ロ 即 門 知 ¥ ( 州 内 Z ・ ℃ い い い や ℃ - P -N ) このうちσ
町 田 仏 吋 与 問 ] 叫 が 腿 陀 波羅に相当する。これらの名称は、議官提流支訳吋勝怒排他党天一助関経﹄(﹃大蕊蔵﹄第十五巻、六二頁中)に挙げられる十六菩鐙の名称 とほぼ一致する(経什訳﹃怒益林凡夫所関経﹄では一部異なる)。漢訳法華経では十六名を一回として扱うことはしないが、吋妙法華﹄ ( ﹃ 大 五 歳L
第九巻、二百見上)には﹁毅柁婆緩 L ﹁ 宝 積 L ﹁ 導 制 L の 一 一 一 菩 緩 、 ﹃ 立 法 華 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 六 一 二 頁 上 ) に は ﹁ 大 導 邸 L ﹁ 水 天 L J 晴 天 L の 一 二 菩 薩 の 名 が 見 ら れ る 。 衆成就 摂功徳成就 O ( 円 分 段 ) 39-{ テ キ ス ト ︺ ( ℃ ・5 w
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・ NNENω)( 勤 匂 -M H P 戸 { 書 き 下 し 文 } H N e ] E u ) 皆是阿羅漢等有十六句。一部現声開功徳成就。 皆於間鰐多羅一ニ窺三菩提不退転等有十三匂。 示現菩薩功徳成就。 ﹁ 皆 、 是 れ 阿 纏 漢 な り ﹂ 等 、 十 六 句 有 り 。 声 問 問 功 徳 成 就 を 一 部 現 す 。 ﹁皆、開鵜多羅三窺一一 に 於 て 退 転 せ ず ﹂ 等 、 十 一 一 一 句 有 り 。 菩薩功徳成就を示現す。 北大文学研究科紀要投 親 ﹃ 法 華 論 ﹄ 訳 一 夜
ω
︹ 現 代 語 訳 ︼ ﹁彼らはみな蹄羅漢であった L 去々には十六の語句がある。[これらの語句は︺声聞の功徳が完成していることを示 し て い る 。 の功徳が完成していることを示している。 ﹁みな、無上の正しいさとりに達しようとして退くことがなかった L 云々には十三の語句がある。[これらの語句は︺ 19 18 17 16 勤 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 有 L を ﹁ 者 ﹂ と す る 。 勃 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 故 ﹂ の 学 を 加 え る 。 勃 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 比 自 不 退 転 阿 務 多 羅 一 一 一 毅 一 一 一 菩 援 等 者 L と す る 。 勅 那 臓 障 提 訳 で は 、 ﹁ 故 ﹂ の 字 を 加 え る 。4
0
衆成就 摂功徳成就 ( 湾 問 功 徳 成 就 { テ キ ス ト } ( ℃-H
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( 鞍 ℃ ・ 口 州 グ ロ ] { ι 1 ] { 吋) 戸 間 功 徳 成 就 者 。 彼 十 六 匂 一 一 一 門 摂 義 一 不 現 応 知 。 者 総 別 相 門 。 コ 一 何 等 一 一 一 門 。 一 者 上 上 起 門 。 者 摂 取 事 門 。O
同 分 段 ) 門 書 き 下 し 文 ︺ ﹁ 声 間 関 功 徳 成 就 ﹂ と は 、 彼 の 十 六 句 、 一 ニ 聞 け の 摂 の 義 の 示 現 な り 。 応 に 知 る べ し 。 何 等 を か 一 ニ 門 と な る 。 総 別 相 門 。 一 ニ に は 、 喪 取 事 門 な り 。 一 に は 、 上 上 起 門 。 一 に は 、︹ 現 代 語 訳 ︺ ﹁戸慣の功徳が完成していること﹂とは、上述の十六の語句が、三つの観点から、包括的に意義を示していることで ある。︹このことを]知らなければならない。一ニつの観点とは何か。第一に、上上起丹(先々の文句に基づいて後々の 文句が起こるという観点)、第二に、総別相内(総論各論という観点)、第三に、摂取事門(事柄を包括するという観 点 ) で あ る 。 22 21 20 動 那 麻 原 援 訳 で は 、 ﹁ 市 出 品 開 ﹂ を ﹁ 阿 羅 漢 ﹂ と す る 。 勅 那 腕 時 提 訳 で は 、 ﹁ 彼 十 六 句 示 現 三 種 間 川 摂 義 L と す る 。 摂 功 徳 成 就 の う ち の 一 つ で あ る 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 二 六 巻 、 衆成就 ( 芦 間 功 徳 成 就 摸功徳成就 ︻ テ キ ス ト ︺ ( 匂 -H ダ NNC' ℃ -r w N ・ N φ ) (山靭七戸 mwwN ・ H 吋 也 ・ 上上起門者。謂諸漏巳尽故名為阿羅漢。以心 得自在故名為諸漏日尽。以無復償悩故名為心 お 得自在。以善得心解脱蕎得慧解脱故名為心得 約 却 自在。以遠離能見所見故名為無復慣悩。以養 戸 吋 ) 北大文学研究科紀要 一資中、一三行自) 41-上上起門) 門 書 き 下 し 文 ︼ ﹁ 上 上 起 門 ﹂ と は 、 謂 く 、 ﹁諸の漏は己に尽くる﹂が故に、名づけて﹁向羅漢なり﹂と為す。 ﹁ 心 に 自 在 を 得 る L を以ての故に、名づけて﹁諸の漏は巴に尽く L と 為 す 。
社毅吋法華論﹄訳注
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得心解説善得慧解脱故名為心益口調伏。人中大 龍者。行諸悪道如平抱一路無所拘擬。応行者自 行。応到処日到故。応作者色。人中大龍己儀 対治降伏煩脳之怨敵故。所作己弁者。更不後 生 如 相 応 事 巳 成 就 故 。 離 諸 品 嗣 一 一 担 者 。 以 応 作 者 作所作己弁後生重担日捨離故逮得己利者巳捨 持 重 担 証 混 般 市 故 。 氏 、 諸 有 結 者 。 以 逮 得 己 利 断 諸 煩悩国故。善得正智心解脱者。諸漏日尽故。 一 切 心 得 自 在 者 。 議 問 知 見 道 修 道 智 故 。 判 別 第 一 彼岸者。益出得正智心解脱善得神通無誇三昧等 諾功徳故。大向羅漢等者。心得自在型彼岸故。 衆所知識者。諸王王子大臣人民帝釈天王党 天 王 皆 識 知 故 。 又 復 湾 関 窓 口 寵 仏 等 是 勝 智 者 。 彼勝智者皆悉善知。是故名為衆所知識。 ﹁復た煩悩無き﹂を以ての故に、名づけて﹁心に自在を得﹂と為 す 。 ﹁ 替 く 心 解 説 を 得 、 益 出 く 慧 解 脱 を 得 る L を以ての故に、名づけて ﹁ 心 に 自 在 宇 佐 得 L と 為 す 。 能見・所見を遠離するを以ての故に、名づけて﹁復た煩儲無し L と 為 す 。 ﹁養く心解脱を得、善く慧解脱を得る L を以ての故に、名づけて ﹁ 心 は 善 く 調 伏 す ﹂ と 為 す 。 ﹁ 人 中 の 大 龍 な り L とは、諸の悪道を行くこと、平坦の路の拘擬 する所無きが如くにして、応に行やすべきは己に行じ、応に到るべ き処は巴に到るが故なり。 42 ﹁応に作すべきは作し L ︹ と は 、 ] ﹁ 人 中 の 大 龍 L は、巴に対治を 得、積悩の怨敵を降伏するが故なり。 ﹁作す所は巳に弁じ﹂とは、更に後に生ぜず、相応の事の如く日 に成就するが故なり。 ﹁諸の重相一を離れ﹂とは、﹁応に作すべきは作し、作す所は巴に 弁ずる﹂を以て、後生の重担を己に捨離するが故なり。﹁己利を逮得し﹂とは、己に重担そ捨て、浬繋を証するが故なり。 ﹁ 諸 の 有 結 を 尽 く し ﹂ と は 、 ﹁ 日 利 を 逮 得 し ﹂ の煩悩の困を断 ずるを以ての故なり。 ﹁ 善 く 正 智 ・ 心 解 脱 を 得 し と は 、 ﹁ 諸 の 、 漏 は 巴 に 尽 く る L が故な り ﹁一切の心に自在を得 L とは、善く見選と修道との智を知るが故 な り 。 ﹁第一なる彼岸に到れり L と は 、 ﹁ 善 く 正 智 ・ 心 解 脱 を 得 ﹂ 、 ﹁ 大 阿 羅 漢 等 ﹂ と は 、 ﹁ 心 に 自 在 な 得 ﹂ 、 彼 岸 に 到 る が 故 な り 。 -43 神 遇 、 無 静 一 一 一 味 等 の 諸 の 功 徳 を 得 る が 故 な り 。 ﹁ 衆 の 知 識 す る 所 ﹂ と は 、 諸 の 王 ・ 王 子 ・ 大 臣 ・ 人 民 ・ 帝 釈 天 王 ・ 党天王等、皆識知するが故なり。又復た、声聞・ -仏 等 、 れ勝智者なり。彼の勝智者、皆悉く善く知る。 の故に、名づけ て﹁衆の知識する所﹂と為す。 ︹ 現 代 語 訳 ︺ ﹁上上起門﹂(先々の文句に基づいて後々の文句が起こるという観点) とは、以下のようなものである。 ﹁すべての心の汚れを滅し尽くし L ているので﹁阿羅漢﹂と呼ばれるのである。 北大文学研究科紀要
世 毅 ﹃ 法 務 十 論 ﹄ 訳 注
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﹁心に自在を得﹂ているので﹁すべての心の汚れを滅し尽くし﹂たと呼ばれるのである。 ﹁また煩悩もなく﹂なっているので﹁心に自在を得﹂たと呼ばれるのである。 ﹁ よ く 心 の 解 脱 を 得 、 よく智慧による解脱を得﹂ているので﹁心に自在を得 L たと呼ばれるのである。 主観客観の対立を離れているので﹁また慎悩もなく﹂なっていると呼ばれるのである。 ﹁ よ く 心 の 解 脱 を 得 、 よく智慧による解脱を得﹂ているので﹁心をよく制御し﹂ていると呼ばれるのである。 ﹁人々の中の偉大な龍 L と(一一おわれるの︺は、妨げのない平坦な道を行くように悪路を行き、行うべきことをすでに 行い、到るべき処にすでに到っているからである。 ﹁作すべきことを作した L ︹ と 一 言 わ れ る の は ︺ ﹁ 人 々 の 中 の 偉 大 な 龍 ﹂ は 、 す で に 煩 悩 と い う ︹ 敵 の ] 対 治 手 段 を 得 て 、-44
脱 降 伏 さ せ て い る か ら で あ る 。 ﹁作すべきことをすでに作し終えた﹂と れるの︺は、再び来世に生まれることがなく、 ふさわしい事柄をすで に完成したからである。 ﹁諸々の重荷を離れた L [ と一言われるのは︺﹁作すべきことを作し、作すべきことをすでに作し終えた L こ と に よ っ て 、 来世に生まれる重荷をすでに捨て去ったからである。 ﹁自己のさとりという利益を鐸た﹂︹と言われるのは]すでに重街を捨て去り、混繋を体得したからである。 ﹁すべての生苑の迷いをひきおこす煩悩の束縛を断つ﹂と るのは︺﹁自己のさとりという利益を得﹂て、諸々 の煩悩の原悶を断っているからである。 ﹁ よ く 正 し い 智 慧 と 心 の 解 説 を 得 た ﹂ [ と 一 一 一 一 口 わ れ る の は ] ﹁ 諸 々 の 心 の 汚 れ を 滅 し 尽 く し L た か ら で あ る 。﹁すべての心に自在を得た L [ と 一 言 わ れ る の は ] よく見道と修道の智慧を知っているからである。 ﹁究極のさとりの彼岸に到った﹂︹と言われるのは︺﹁よく正しい智慧と心の解脱を得﹂て、 さとりの彼岸に到ってい るからである。 ﹁偉大な阿羅漢たち﹂[と一言われるのは︺﹁心に自在を得 L て、さとりの彼岸に到っているからである。 ﹁人々によく知られた L ( と替われるのは]諸々の玉、王子、大臣、人民、帝釈天王、党天王等がみな[彼らを︺知つ ているからである。また、声問、 仏等は勝れた智者であるが、 その勝れた智者がみな[彼らを︺知っている。 それ故に、﹁人々によく知られた﹂と呼ばれるのである。 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 動 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 制 門 ﹂ の 学 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 為 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 擦 訳 で は 、 ﹁ 諸 漏 日 尽 L の 後 に 、 ﹁ 諸 漏 巳 尽 故 名 為 阿 緩 漢 L を 加 え る 。 勤 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 以 無 復 煩 悩 故 ﹂ を ﹁ 以 心 飯 山 煩 悩 故 L と す る 。 動 那 摩 嬰 訳 で は 、 ﹁ 為 ﹂ の 学 を 欠 く 。 勅 那 麻 原 提 訳 で は 、 ﹁ 為 ﹂ の 学 を 欠 く 。 紡 那 摩 擦 訳 で は 、 ﹁ 為 L の { 子 を 欠 く 。 紡 那 摩 擦 訳 で は 、 ﹁ 以 L を ﹁ 己 L と す る 。 勃 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 善 得 L を 欠 く 。 勃 那 麻 原 提 訳 で は 、 ﹁ 為 L の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 応 作 者 臼 作 ﹂ と し ﹁ 巳 L の 字 を 加 え る
-45-北大文学研究科紀婆役親司法禁論﹄訳注
ω
45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 勃 那 麻 原 提 訳 で は 、 ﹁ 得 L を ﹁ 尽 ﹂ と す る 。 勃那摩提訳では、﹁之﹂の学を欠く。 紡那摩援訳では、﹁就 L の 字 を 欠 く 。 勤那摩提訳では、﹁離﹂の学を欠く。 動那摩捻訳では、﹁以﹂を﹁巳 L と す る 。 紡那摩擦訳では、五回得立智心解脱 L を ﹁ 議 官 得 豆 町 和 国 心 得 解 脱 ﹂ と す る 。 勤 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 何 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 麻 原 提 訳 で は 、 ﹁ 諸 支 子 大 何 回 帝 釈 焚 天 王 ﹂ と す る 。 勃 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 又 ﹂ の 字 を 欠 く 。 駒 郡 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 者 ﹂ の { 子 を 欠 く 。 勤 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 悉 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 間 定 故 名 為 衆 所 知 識 L そ ﹁ 故 名 血 球 所 知 識 ﹂ と す る 。 衆成就 摂功徳成就 (声聞功徳成就 ︹ テ キ ス ト } ( ℃- r w
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・ N H a H ) -N m f 目 。 ) ( 勤 ℃ ・ M M P ロ ・ 吋 z N H ) 総 別 相 門 者 。 皆 日 疋 問 羅 漢 等 十 六 勾 。 初 旬 是 総 。 余匂別故。彼開羅漢名之為略。十何十五種応義 応 知 。 何 等 十 五 。 一者応受飲食臥具供護恭敬 等故。二者応将大衆教化一切故。三者応入緊4
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A b H U V 間出向 j J 幸 市 甲 n z 車 脅 際 i也 、 、 { 書 き 下 し 文 ︼ 総 別 相 門 と は 、 ﹁ 皆 同 定 れ 開 羅 漢 L 等の十六匂にして、初旬は是れ総、 余匂は到なるが故なり。彼の阿羅漢は之を名づけて﹁応 L と 為 す 。 十 五 種 の ﹁ 応 ﹂ の 義 有 り 。 応 に 知 る べ し 。 何 等 を か 十 ? な な る 。 一には、応に飲食・臥呉・供養・恭敬等を受くべきが故なり。蕗域邑等故。四者応降伏諸外道等故。五者応 以智慧速観察法故。六者応不疾不運説法如法 相応不疲倦故。七者応静坐空関処。飲食衣服 一切資生不穣不緊少欲知足故。八者応一向行 善行不著諸禅故。九者応行空軍行故。十者応 行無相聖行故。十一者応行無願聖行故。十二 者 応 降 伏 世 間 禅 浄 心 故 。 十 一 一 一 者 応 起 諸 通 勝 功 ぽ 徳故。十四者応証第一義勝功諮故。十五者応 如実知同生諸衆得諾功纏為利益一切諸衆生 故 。 北大文学研究科紀要 切を教化すべきが故なり。 三には、応に衆落・域邑等に入るべきが故なり。 四には、応に諸の外道等を蜂伏すべきが故なり。 二 に は 、 応 に 大 衆 参 ) 将 い て 五には、応に智慧を以て速やかに法を観察すべきが故なり。 六には、応に疾からず遅からず法を説くに、法の如く相応して疲 槽 せ 、 ざ る べ き が 故 な り 。 七には、応に空関所に静坐し、飲食・衣服・一切の資生を積まず 褒めず、欲少なく足るを知るべきが故なり。 八には、応に一向に善行を行じ、諸の禅に著せざるべきが故なり。 九には、応に空の盟行を行、ずべきが故なり。 十には、応に無相の聖行を行、ずべきが故なり。 十一には、応に無願の聖行を行命すべきが故なり。 十二には、応に世間禅の浄心を降伏すべきが故なり。 47 十三には、応に諸通の勝るる功徳を起すべきが故なり。 十四には、応に第一 の勝るる功徳を証すべきが故なり。 時 には、応に如実に間生の諸衆を知り、諸の功徳を得て、為に 一切の諸の衆生を利益すべきが故なり。
世親﹃法議論﹄訳注山 { 現 代 語 訳 ︼ ﹁ 総 別 相 門 L ( 総論各論という観点)というのは、﹁皆是れ阿犠漢﹂等の十六匂のうちの初めの匂が総論であり、残り の匂は各論であるからである。その阿羅漢は J 応(け汁ふさわしいごとも名付けられる。﹁応(日ふさわしいごには、 十五種の意味がある。[このことを︺知らなければならない。 と は 何 か 。 第 に、飲食・臥具・供養・恭敬などを受けるにふさわしいからである。 第二に、大勢の衆生を率いて [ 彼 ら を ︺ みな教化するにふさわしいからである。 に、緊落や都市などに入るのにふさわしいからである。 第四に、諸々の外道などを説き伏せるにふさわしいからである。 第 五 に 、 によって速やかに法を観察するにふさわしいからである。 48 第六に、疾くもなく運くもなく教えを説く場合に、[それが]理法に合致しており、︹しかも︺倦み疲れないのにふ さわしいからである。 第七に、閑静な所に静かに座り、飲食・衣服・一切の必需品などを蓄えることがなく、少欲知足にふさわしいから で あ る 。 第 八 に 、 ひたすらに善行を行じ、諸々の禅定に執着しないことにふさわしいからである。 第 九 に 、 の聖一行を行ずるにふさわしいからである。 第十に、無栢の聖行を行ずるにふさわしいからである。 第十一に、無願の聖行を行、ずるにふさわしいからである。
第十二に、世間的な禅定における浄らかな心を降伏するにふさわしいからである。 第十一一一に、諸々の神通力の勝れた功徳を起こすにふさわしいからである。 第十四に、第 の勝れた功植を体得するにふさわしいからである。 第十五に、あるがままに仏の教えを奉ずる人々を知り、様々な功徳を得て、 それによって一切の衆生を利設するに ふさわしいからである。 54 53 52 51 50 49 48 47 46 勅那摩擦訳では、﹁相﹂の学を欠く。 紡那摩提訳では、﹁阿 L の 学 を 欠 く 。 勤 那 麻 原 提 訳 で は 、 ﹁ 楚 L の 学 を 欠 く 。 動那摩提訳では、﹁余句那故﹂の後に、﹁皆同疋羅漢者 L を 加 え る 。 動那摩擦訳では、﹁彼附緩漢名之為応。有十五種﹂を、﹁彼羅漢名有十五種 L と す る 。 勅那摩提訳では、﹁何等十五﹂を欠く。 動那摩援訳では、﹁勝 L の 字 を 欠 く 。 勅那摩提訳では、﹁諸 L の 字 を 欠 く 。 ﹁ 応 L としているのは、担任えの字義をとったものと考えられる。出吾氏はしばしば﹁応供(日供養に値するごと訳されるが、それは ここに挙げられる十五の意味のうちの第一に相当する。 これら空・無相・無願は、一一一つの禅定、すなわち三解説円である。 北口蔵はこの﹁間生﹂を仏の口から生まれた者とする(﹃大正蔵﹄第間十巻、七八九真中)。仏の口から生まれた者とは、司法華経﹄﹁方 使 口 問 L の 記 述 に 市 出 来 す る ( ﹃ 大 友 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 六 真 下 ) 。 56 55 北大文学研究科紀要 4 9
-世親司法議論﹄訳注
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衆成就 摂功徳成就 ( 戸 間 功 徳 成 就 { テ キ ス ト ︺ ( ℃ -N P 戸 。 警 官 ) (鞍℃ -H g w -N H a ℃ - H H F 戸 匂 ) 摂取事門者。此十五匂。摂取十種功徳。応知。 示現可説来不可説楽故。何等為十。一者摂取 徳功徳二勾示現。如経諸漏己尽無復煩悩故。 二者一ニ句摂取諸功徳。一句降伏世間功徳。如 経心得自在故。二匂降伏出世間学入功徳。如 経善得心解脱善得慧解脱故。一ニ者接取不違功 田 徳。髄順如来教作故。如経心益口調伏故。居者 摂取勝功徳。如経人中大龍故。五者摂取所応 作勝功徳。所感作者。謂能依法供養恭敬尊重 如来。如経応作者作故。六者摂取満足功徳。 満足学地故。如経所作日弁故。七者三勾接取 印 刷 過功徳。一者遍愛。一一者過求命供養恭敬。三 者過上下界。己過学地故。知経離諸重担故。 連得己利故。尽諸有結故。八者援取上上功徳。 摂取事門) ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 前 接取一挙門とは、此の十五勾もて、十種の功徳を摂取す。応に知る べし。可説の果と不可説の果とを示現するが故なり。何等をか十 と 為 す や 。 冊 一には、摂取の徳・功徳をこ匂もて示現す。経の如く﹁諸の漏は 日に尽き、復た煩悩無きしが故なり。 こには、三勾もて諸の功認を摂取す。一句は、世間の功徳を降伏 す。経の如ノ川﹁心に自在を得る﹂が故なり。二匂は、出世間の学 人の功徳を降伏す。経の如く﹁善く心解脱を得、善く慧解説を得 る L が 故 な り 。 一 ニ に は 、 不 違 の 功 儲 閣 を 摂 取 す 。 如 来 の 教 ・ 作 に 随 顕 す る が 故 な り 。 経の如く﹁心は養く調伏せる﹂が故なり。 四には、勝るる功徳を摂取す。経の如く﹁人中の大龍 L なるが故5
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な り 。 五には、所誌作の勝るる功簡を摂取す。所応作とは、能く法に依如経善得正智心解脱故。九者摂取応作利益衆 り、如来を供養・恭敬・尊重するを謂う。経の如く﹁応に作すベ 生功徳。如経一切心得自在故。十者摂取上首 きを作せる﹂が故なり。 功 徳 。 如 経 到 第 一 一 彼 岸 故 。 ムハには、満足の功徳を摂取す。学地を満足するが故なり。経の如く ﹁作す所は己に弁ぜる﹂が故なり。 七 に は 、 一 一 一 匂 も て 過 の 功 徳 を 喪 取 す 。 一は愛を過ぐ。二は求命の 供養・恭敬を過ぐ。三は上下界を過ぐ。己に学地を過ぐるが故に。 経の如く﹁諸の重担を離れたる﹂が故なり。﹁己利を逮得せる﹂が 故 な り 。 の有結を尽くせる﹂が故なり。 八には、上上功徳を摂取す。経の如く﹁普く正智・心解脱を得た る ﹂ が 故 な り 。
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九には、応に衆生を利益すべき功徳を摂取す。経の如く﹁一切の 心に自在そ得たる L が 故 な り 。 十 に は 、 の功徳を摂取す。経の如く﹁第 なる彼岸に到れる L が 故 な り 。 ︻ 現 代 語 訳 ︼ ﹁ 摂 取 事 門 L ( 事柄を包括するという観点)とは、この︹初匂以外の︺十五句によって、十種の功舘を包括している ことである。[このことを]知らなければならない。[十五勾は︺説くことのできる巣と説くことのできない果を示し 北大文学研究科紀婆設親司法華論﹄訳注山 ているからである。十とは何か。 第 に、︹間羅漢の︺摂取すべき穂や功徳をニつの匂によって示しているのである。ユ法華︺経﹄において﹁諸々の 心の汚れを滅ぽし尽くし、 また煩悩も無いしとあるように。 第 二 に 、 一 一 一 つ の 匂 に よ っ て 諸 々 の 功 徳 を 摂 取 す る の で あ る 。 一つの句は、︹弼羅漢が︺世間の人々の功諸に勝ってい る[ことを示している ] 0 ﹃ 経﹄において﹁心に自在を得ている L とあるように。︹残りの︺二つの匂は、︹悶羅 経﹄において﹁議く心の解脱を得てい 漢が]出世間の学人の功徳に極めて勝っている[ことを示している︺。﹃ る L ﹁善く智慧による解脱を得ている﹂とあるように。 一 に 、 ( 教 え 連わない功徳を摂取するのである。︹阿羅漢はみな︺如来の教え・行いに揺っているからである。
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コ法華︺経﹄において﹁心を善く制御している﹂とあるように。 第四に、︹阿羅漢の︺勝れた功徳を摂取するのである。コ法華︺経﹄において﹁人々の中の偉大な龍である L とある よ う に 。 第五に、作すべきことの勝れた功徳を摂取するのである。作すべきこととは、法に従って、如来を供養・恭敬・ ることである。コ法華︺経﹄において﹁作すべきことを作している L と あ る よ う に 。 第六に、[尚子地を]満たした功徳を摂取するのである。[間羅漢はみな︺学地を満たしているからである。﹃︹法華︺ 経﹄において﹁作すべきことをすでに作し終わっている﹂とあるように。 第 七 に 、 一 ニ つ の 匂 に よ っ て [あるものを]超克しているという功徳を摂取するのである。 一には渇愛を超克している。一一には生活手段として供養・恭敬を︹受けることを]超克している。 一一一には上下界[である三界︺を超克している。{阿羅漢はみな︺すでに学地を学び終わっているからである。﹃[法華︺ 経﹄において﹁諸の重荷を離れている﹂﹁自己のさとりという利益を得ている L ﹁諸々の有結を尽くしている﹂とある よ ﹀ つ に 。 第八に、[陪羅漢の︺最高の功徳を摂取するのである。﹃ 経﹄において﹁善く正しい知慧と心の解脱を得てい る﹂とあるように。 第九に、衆生を利益しなければならないことの功徳を摂取するのである。﹃ 経﹄において﹁すべての心に白 在を得ている﹂とあるように。 第十に、長としての功徳を摂取するのである。﹃︹法華]経﹄において﹁究極のさとりという彼岸に到達している﹂ -53 とあるように。 63 62 61 60 59 58 57 戦 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 応 知 ﹂ を 欠 く 。 勃 那 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 何 等 為 十 ﹂ を 欠 く 。 勃 那 摩 捷 一 訳 で は 、 ﹁ 得 L と す る が 、 土 口 蔵 の 疏 が ﹁ 徳 功 徳 ﹂ と し て い る ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 四 十 巻 、 七 八 九 真 下 ) 勅 那 摩 擦 訳 で は 、 ﹁ 作 L を ﹁ 一 行 ﹂ と す る 。 勃 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 謂 能 L を 欠 く 。 勃 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 故 ﹂ の 学 を 加 え る 。 勃 那 摩 援 訳 で は 、 ﹁ 愛 ﹂ を ﹁ 受 ﹂ と す る 。 の に 従 う 。 北大文学研究科紀要
世殺﹃法華論﹄訳注川 70 69 68 67 66 65 64 勃那摩擦訳では、﹁故 L の 字 を 加 え る 。 勅那摩提訳では、﹁故 L の 字 を 欠 く 。 十 六 句 の う ち の ﹁ 景 山 世 間 阿 羅 漢 ﹂ と い う 匂 を 除 く 残 り 十 五 句 の こ と 。 土口蔵によると、説くことのできる楽は有為であり、説くことのできない巣は無為である。(﹃大正蔵﹄第四十巻、七八九頁中) ﹃ 妙 法 華 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 一 頁 下 、 一 一
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一 一 一 行 自 ) に そ の ま ま の 形 で 存 在 す る 。 ﹃ 妙 法 華 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 一 一 員 下 、 一 一 一i
二二行自)にそのままの形で存在する。 ﹃ 妙 法 華 ﹄ に は 見 ら れ な い 。 党 本 に は 、 出 ℃ 島 田 仲 間 σV 問 答 一 司 出 口 名 門 M M写 山 田 ︿ 出 } 内 出 ー 込 町 田 町 民 廿 丘 四 山 田 谷 と あ り ﹃ 法 華 論 ﹄ の 引 用 文 句 と 対 応 し て い る 。 ( 同 日 4 u a y 戸 吋 ) ﹁ 益 百 得 心 解 脱 。 議 口 得 慧 解 脱 L という匂は、阿羅漢が山山笠間の学人の徳よりも緩めて優れている、異体的には阿部職漢の解脱は出没間何人の 解説に勝るという趣意を示している。これに類似した解釈は、﹃智度論﹄においても挙げられている。﹃智度論﹄は阿羅漢の特府民を一万 す﹁心得好解脱葱得好解脱﹂という文句を次のように解する。学人心掛跡得解脱。非好解脱。何以故。有残結使故。(﹃大正蔵﹄第二 十五巻、八十頁中) ﹃妙法華﹄には見られない。焚文司法華経﹄には、同︺出口弓即日とあり﹃法華論﹄の引用文句と対応している。(州内沼℃グ﹁吋) ﹃ 妙 法 華 ﹄ に は 見 ら れ な い 。 党 文 ﹃ 法 華 経 ﹄ に は 、 自 由 } 戸 間 口 出 向 田 同 町 と あ り 吋 法 禁 論 ﹄ の 引 用 文 句 と 対 応 し て い る 。 ( 田 内 Z -匂 -YF 吋 ) ﹃ 妙 法 華 ﹄ に は 見 ら れ な い 。 党 文 ﹃ 法 業 経 ﹄ に は 、 } 内 ﹃ 片 山 } 内 ﹃ 々 出 i H Y とあり﹃法禁論﹄の引用文句と対応している。(田内 Z ℃ ゲ } ・ 吋 ) 吋 妙 法 薬 ﹄ に は 日 比 ら れ な い 。 焚 文 ﹃ 法 懇 経 ﹄ に は 、 } Q 片 山 } 内 山 門 出 口 々 即 日 吋 法 整 論 恥 の 引 用 文 句 と 対 応 し て い る 。 ( 同 日 4 ・u -Y 円 吋 ) ﹃ 妙 法 整 十 ﹄ で は ﹁ 逮 得 弓 利 。 同 州 、 諸 有 給 L の二匂のみある。(﹃大五歳﹄第九巻、一頁下、二一1
二 二 行 間 口 ) ﹁ 離 諸 重 一 担 。 逮 得 己 利 。 尽 諸 有 結 ﹂ の 三 匂 は 、 党 文 ﹃ 法 薬 経 ﹄ に は 、 告 白 町 田 門 出 ぴ 町 山 門 白 山 門 出 門 戸 口 ℃ 円 山 ℃ 仲 間 的g
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同 2 Y 山 町 三 y r 円 白 山 白 山 町 と あ り 吋 法 禁 論 ﹄ の 山 引 用 文 句 と 対 応 し て い る 。 ( 相 内 Z ' ℃ Y} 吋 ) ﹃妙法薬﹄には見られない。党文﹃法禁経﹄には、印ロ J A H U ロr g n吉 田 町 甘 さ え 円 H g r g ℃ 門 出 回 吉 田 町 げ と あ り 司 法 華 論 ﹄ の 引 用 文 句 と 対 応 し て い る 。 ( 町 内 2 日U -Y 戸 吋 ) ﹃妙法華﹄には見られない。党文司法華経﹄には、g
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即 日 仲 間 と あ り 、 ﹃ 法 整 詳 細 ﹄ の 引 用 文 句 と 対 応 し て い る 。 ( 同 内 Z -℃ゲ戸∞) -54 71 76 75 74 73 72 77 7879 ﹃妙法華﹄には見られない。党文吋法華経﹄には、合同開ヨ若山吋出
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-℃吋同℃仲間際とあり﹃法華論﹄の引用文句と対応している 0 ( 州 内 Z 匂 y 由) 衆成就 摂功徳成就 ( 諮 問 龍 功 徳 成 就O
介段) 一 ア キ ス ト ︼ ( ℃ -N N Y N ・ お も 出 ) ( 山 朝 刊 v-HHP ロ ・ ︹ 書 き 下 し 文 } h v g M M ) 応、菩 矢 口80薩何
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彼 十 匂 門摂義示現。 者上支下支門。ニ者摂取 ﹁ 窓 口 藤 功 徳 成 就 ﹂ と は 、 彼 の 十 三 旬 、 一 門 の 摂 の 義 の 示 現 な り 。 応に知るべし。何等をかニ門なる。 一 に は 上 支 下 支 門 、 一 一 に は 摂 事 門 。 取 事 門 な り 。 の功徳が完成していること﹂とは、前述の十三の語句が、こつの観点から包括的に意義そ示していることであ { 現 代 語 訳 ︺ る 。 ︹ こ の こ と 知らなければならない。﹁一一つの観点﹂とは何か。第 は、上支下支門(上下の部分があるという 観点) であり、第二は、摂取事門(事柄を包括するという観点) で あ る 。 81 80 勃 那 摩 擦 ︼ 訳 で は 、 ﹁ 彼 諸 菩 縫 十 一 一 一 匂 功 徳 二 門 摂 応 知 ﹂ と す る 。 勃 那 摩 捻 訳 で は 、 ﹁ 何 等 ニ 門 ﹂ を 欠 く 。 北大文学研究科紀要世毅司法華論﹄訳注
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衆成就 摂功徳成就 (寄躍功徳成就 一 ア キ ス ト ︼ ( 匂 -NmyN ・ お も -N ダ 戸 N ω ) ( 動 日 ) ・ M M F N ・ ロ ・ ℃ ・ H N F 戸 。 ) 上支下支門者。所謂総相別相。此義路知。皆 於 階 縛 多 羅 三 窺 一 ニ 菩 提 不 退 転 者 間 疋 総 相 。 余 者 是別相。彼不退転十種示現。此義応知。伺等 為 十 。 一 半 背 任 問 法 不 退 転 。 如 経 皆 得 陀 羅 尼 故 。 二者楽説不退転。如経大弁才楽説故。王者説 不退転。如経転不退転法輪故。四者依止義知 識不退転。以身心業依色身接取故。如経供養 無量百千諸仏故。於諸仏所種諸善根故。五者 断一切疑不退転。如経常為諸仏之所称歎故。 六者為何等伺等事説法入彼彼法不退転。如経 以大慈悲荷修身心故。七者入一切智如実境界 不退転。如経善入仏慧故。八者依我空法空不 退転。如経通達大智故。九者入如実境界不退 転。如経弼於彼岸故。十者作所応作不退転。 上支下支門) ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ﹁ 上 支 下 支 門 L とは、所謂、総指と別報なり。此の義、応に知る べし。﹁皆、阿鵜多羅一ニ毅三菩提に於て退転せず L とは、是れ総棺 なり。余は是れ別相なり。彼の﹁不退転 L は、十種もて示現す。 此の義、応に知るべし。伺等をか十と為すや。 一には、開法に住する不退転なり。経の如く﹁皆、陀羅尼を得る﹂ が 故 な り 。5
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回 一一には、楽説する不退転なり。経の如く﹁大弁才もて楽説する L が 故 な り 。 叩 一ニには、説く不退転なり。経の如く﹁不退転の法輪を転ずる L が 故 な り 。 間には、善知識に依止する不退転なり。身、むの業は、色身に依り て摂取するを以ての故に。経の如く﹁無量百千の諸仏を扶養する﹂ が故なり。﹁諸の仏所に於いて諸の善根を種うる﹂が故なり。 町 出 一切の疑を断ずる不退転なり。経の如く﹁常に諸仏の称 五 に は 、如経能度無数百子衆生故。 歎する所と為る﹂が故なり。 ムハには、伺等何等の事の為に説法し、彼の彼の法に入る不退転な り。経の如く﹁大惑悲を以て身、むを修せる L が 故 な り 。 七 に は 、 切智の如実の境界に入る不退転なり。経の如く 仏慧に入れる﹂が故なり。 八には、我の空・法の空に依る不退転なり。経の如く﹁大智に通 達する﹂が故なり。 川 町 九には、如実の境界に入る不退転なり。経の如く﹁彼岸に到るれ﹂ が 故 な り 。 -57-十には、応に作すべき所を作す不退転なり。経の如く﹁能く無数 百千の衆生を度せる L が 故 な り 。 ︹ 現 代 語 訳 } ﹁上支下支門﹂(上下の部分があるという観点) と い う の は 、 つまり総論的な柑と各論的な栢のことである。このこ とを知らなければならない。﹁すべての者は無上なる正しいさとりから退転しない L というのが総合的な様相であり、 その他(の語句の表すもの︺は個別的な諜棺である。 その﹁退転しない﹂︹という語︺は十種類に明示されている。このことを知らなければならない。 十 と は 伺 か 。 北大文学研究科紀婆
静 一 毅 ﹃ 法 華 十 件 調 ﹄ 訳 注 山 第一に、教えを開くことに止まることから退転しないことである。﹃︹法華︺経﹄に﹁彼らはみなダ
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ラニーを得て い る L と あ る よ う に 。 第一一に、人々に自在に法を説くことから退転しないことである。﹃[法華︺経﹄ に﹁人々に自在に法を説く弁舌の才 を有している﹂とあるように。 第一一一に、説示することから退転しないことである。﹃︹法華]経﹄に﹁退き後戻りすることのない教えの輪を廻す﹂ と あ る よ う に 。 第四に、優れた人物に依拠することから退転しないことである。[菩離の仏に対する供養などといった︺身心の業は [仏たちの︺物質的な身体に依拠して取り込まれるからである。コ法華]経﹄に﹁数え切れない程の数の仏たちを供養 -58-して﹂﹁それらの仏のみもとで多くの善の張本をつちかい﹂とあるように。 第五に、すべての疑念を遮断することから退転しないことである。﹃[法華︺経﹄に﹁常に仏たちによって讃歎され L と あ る よ う に 。 第六に、いろいろな事柄のために説法しつつ、それぞれの教えに悟入することから退転しないことである。コ法華︺ 経﹄に﹁大いなる慈しみとあわれみをもってその身と、むを修め L と あ る よ う に 。 第七に、すべての事柄を知る智慧という真実の領域(如実境界) に罷入することから退転しないことである。コ法 華︺経﹄に﹁巧みに仏の智慧に入り L と あ る よ う に 。 第 八 に 、 アートマンが空であることと事物が空であることに依拠することから退転しないことである。﹃[法華︺経﹄ に﹁大いなる智慧に達し﹂とあるように。第 九 に 、 あ り の ま ま の 対 象 に 悟 入 す る こ と か ら 退 転 し な い こ と で あ る 。 ﹃ [ 法 華 ︺ 経 ﹄ に ﹁ さ と り の 彼 岸 に 到 達 し ﹂ とあるように。 第 十 に 、 行 わ な け れ ば な ら な い こ と を 行 う こ と か ら 退 転 し な い こ と で あ る 。 コ 法 華 ︺ 経 ﹄ に ﹁ 数 え 切 れ な い 程 の 数 の衆生を︹彼岸に︺捜した﹂とあるように。 96 95 94 93 92 91 90 89 88 87 86 85 84 83 82 動 制 抑 摩 提 訳 で は 、 ﹁ 此 義 ﹂ を 欠 く 。 勤 那 摩 擦 訳 で は 、 ﹁ 有 ﹂ の 字 を 加 え る 。 動那摩提訳では、﹁批義応知。何等為十﹂を欠く。 勤 那 摩 嬰 訳 で は 、 ﹁ 転 ﹂ の { 子 を 欠 く 。 動那摩提訳では、﹁作所応作 L を﹁応作所作住持 L と す る 。 勃 那 摩 擬 訳 で は 、 ﹁ 数 ﹂ を ﹁ 還 し と す る 。 ﹃ 妙 法 華 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 二 頁 上 、 一 一 一 行 自 ) に そ の ま ま の 形 で 存 在 す る 。 ﹃ 妙 法 華 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 一 一 頁 上 、 一 二