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東日本大震災・原子力発電所事故に伴うボランティア活動・・・1

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Academic year: 2021

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(1)

大分工業高等専門学校紀要 第 48 号 (平成 23 年 11 月)

―1―

東日本大震災・原子力発電所事故に伴うボランティア活動

工藤

康紀

一般科理系 2011年3月11日に東北・関東地方を中心に未曾有の大地震が襲った。その後発生した大津波によって東 京電力福島第一原子力発電所は全電源喪失という初めての危機的な状況を経験し炉心溶融を起こした。 その結果、ばく大な量の放射線を空気中にまき散らした。そのため、原発から20kmの範囲内は立入禁止 となり、20~30km圏には緊急時避難準備区域が設定されている。今回、この緊急時避難準備区域にある 福島県南相馬市原町区で災害ボランティア活動を実施してきたので、その報告を書く。

キーワード

:

東日本大震災,災害ボランティア活動

放射線

1.はじめに

東日本大震災1)は、その地震の規模が大きかったこと もあるが、地震による大津波、さらには東京電力福島第一 原子力発電所(以下、福島第一原発と略記)の第1、第2、 第3号機のメルトダウンによって、被害はこれまでに経験 したことのない広範囲且つ長期にわたる災害となった。原 発による災害は現在も進行中と言ってよい。 物理学を学び、原子力や放射線について学んだものとし てはとても人ごととは思えなかった。大震災の直後に発生 した福島第一原発の事故がその後大変なことになるであ ろうことはすぐに予見できた。そのため、その後の推移が 非常に気になり、「何かしなければ!」と感じるようにな った。それが、今回のボランティア活動の発端である。 本稿では、その後どうしたか、そして実際のボランティ ア活動はどうであったか、最後に今後に向けてまとめる。 本稿は、直接調査を目的としたものではないので、この報 告が何に役立つかは分からないが、少なくとも今後の災害 ボランティア活動に役立つのではないかと思い、報告する こととした。

2.ボランティア活動へ向けて

「ボランティア活動に行かねば!」と思ったが、学校の 授業があり、それを待っている学生を放り出して行くこと はできない。そこで、夏季休業になり授業がなくなった7 月25日から30日にかけて行くことにした。そのためそれま でに現地の様子やボランティアの何たるかについて(これ までもボランティア活動の経験はあったが)、事前に調べ ることにした。ただし、実際は他の仕事が多忙を極めてお り、十分な準備はできなかった。取りあえずは、全国社会 福祉協議会のHP2)などを参考にしながら、まずは、次の ようなことを準備した。 ①ボランティア活動保険への加入。②どこに行くか、受 け入れ先を決めること。③どのような準備が必要であるか を知ること等。 ①は、大分市社会福祉協議会へ出向いて届け出をしたら、 すぐに「ボランティア活動保険加入カード」(図-1)を発 行してくれた。ただし、料金720円が必要(加入プランに よって金額が違う)。②は難しい点である。「どこでも行け ば仕事はある」と思っていたが、大震災発生後すでに4ヶ 月が過ぎ、ところによっては県外者の受入れを中止してい るところもあったからだ。その中で、福島第一原発の被害 を受けている人の役に立ちたいという気持ちから、福島第 一原発に近い地域に絞りしかも、比較的自由に受入れをし ていた「福島県南相馬市原町区」に決めた。同じ南相馬市 でも鹿島区ではボランティアの需要が減ってきていた。③ 図-1 ボランティア活動保険加入カード

ケース1

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大分工業高等専門学校紀要 第 48 号 (平成 23 年 11 月)

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に関してはボランティア活動に関するホームページ3) 見れば、およそのことは分かる。そこには「被災地で活動 する際の宿所は、ボランティア自身が事前に被災地の状況 を確認し、手配してください。水、食料、その他身の回り のものについてもボランティア自身が事前に用意し、携行 のうえ被災地でのボランティア活動を開始してくださ い。」とある。基本的に「自己完結する」ことを前提に準 備をすることが必要となる。住民に迷惑を掛けないように することである。ただし、災害発生後4ヶ月もするとそれ ぞれのボランティアセンター(以下、ボラセンと略記)で さまざまな物を用意してくれるようになっていたので、事 前に問い合わせをするのが最善のようだ。なお、宿泊場所 の確保には苦労することが多い。自家用車で行くことがで きる場合は、車中泊することも考えられるが、地域によっ ては車中泊を禁止することもある。今回は、横浜市に本部 のある「災害復興支援ボランティアねっと4)」が原町第二 中学校の体育館を宿泊所として運営していたので、そちら に泊まることができた。多くのボランティアが泊まってい たのでホテルに泊まるよりも現地の情報が集まりやすい し、何より経費の節減になった。

3.ボランティア活動の実際

(1) ボランティアセンター(ボラセン) 大震災後どこの市町村にも社会福祉協議会のある所に 「ボランティアセンター」が設置されるようだ。ほとんど の場合、市町村の社会福祉協議会の中に設置されることが 多い。今回行った南相馬市の場合、原町区と鹿島区とのそ れぞれにボランティアセンターが設置されたが、本部は鹿 島区ということになっていた。(図-2) どこのボラセンでも同じであろうが、まず最初の受付で 各人の登録が必要になる。さらに、ボランティア保険に加 入してない場合は、そこで加入手続きが必要となる。その 後、ボランティア活動に関する一般的な注意があり、その 後それぞれの地区での注意事項等の説明がある。今回は特 に、まだ見つかっていない人がいることもあり、被災者の 方の意志を尊重し、勝手に写真を撮ったりしないような注 意事項の説明があった。ボラセンで働いている人は市町村 の職員であることが多いが、自分たちも被災者である場合 もあるので、彼等の活動は多忙を極めているといえる。 (2) ボランティア活動の実際 南相馬市のボラセンも市の社会福祉協議会が運営して いたが、彼らも被災者である場合が多く、当初は大変だっ たと思われる。ただし、著者が行った頃には、比較的安定 して業務に当たっていた。 活動内容;1日目;馬事公苑にて写真等の洗浄と整理。 2日目;S氏宅前付近の道路の側溝の泥出しと蓋の設置。 3日目;再び、馬事公苑にて写真等の洗浄と整理。4日目; 「テクノセンター浜」で支援物資の整理・仕分けと配布。 最初の馬事公苑は、福島原発から20km圏のすぐ外にあ り、当時放射線量が1.5μSv/hであり、活動は毎日続けて 行わないようにとのボラセンからの指示が書かれていた。 そのためか、希望するボランティアは少なかった。ここで は、海岸や河に流れついた写真・アルバムや賞状・楯などの 洗浄と整理をしていた。それらを整理し持ち主に返すため に縦覧会場に並べていた。 2日目に行ったS氏宅は、農家であるが農機具等がすべ て津波で流されており、しかも放射線が高いということで S氏の娘さんの家族は埼玉県に、奥さんは福島市に避難し ていた。そのため、本人は何もする気がしなかったが、今 回久しぶりに奥さんが戻ってきて少しは片づけをする気 になって、ボラセンに仕事を依頼したとのことだった。そ の中で、依頼事項は家の前の道路の側溝の蓋が津波で流さ れてしまって危ないので、それらを探し出して溝に蓋をし てほしい、もし見つからない場合は何か対策をしてほしい とのことだった。蓋がないと車や自転車が間違って落ちる 図-3 S氏宅前の側溝の泥出しと側溝蓋の設置現場 図-2 南相馬市ボランティアセンターのブログ

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大分工業高等専門学校紀要 第 48 号 (平成 23 年 11 月)

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危険があり、危ないとのこと。実際に我々が作業を開始す ると近くの住民も出てきて、S氏の前だけでなくその辺一 帯の側溝の泥出しと片づけをすることとなった。(図-3) 要望があってもボラセンに依頼することを考えようとし ない人も多いとのこと。 4日目に行った「テクノセンター浜」の体育館では、支 援物資の振り分けと配布を実施していた。ただし、仮設住 宅等にはこちらから配布するが、借り上げ住宅や県外に避 難している人には配布できないので、手紙を出して適当な ときに取りに来てもらうようにしていた。そのため、その 日に何人が来るかは分からないので、十分な数の支援物資 をいつでも渡せるように準備しておく必要があった。 (3) 放射線の影響 放射線の直接的な影響は感じなかったが、馬事公苑で写 真の洗浄・整理をするときには、放射性物質を吸い込まな いように必ずマスクを着用し作業をするように指導され た。さらに、側溝の清掃をしたS氏の住む南相馬市原町区 では、当初ボランティア活動を希望する人が少なかったら しい。それは、やはり放射線の影響を気にしていた人が多 かったということのようだ。また、町の住民の4割前後が 他の地域へ避難していることも放射線の影響を気に掛け ている証拠である。特に小さい子どもを持つ親にとっては 大変気がかりなことであった。そのため、家族がバラバラ になっている割合も高い。S氏の家族も放射線の影響がな ければ、家族一緒に暮らしたいと言っていた。

4.最後に

実際にボランティア活動に行ったのは東日本大震災が 発生してから4ヶ月が過ぎていたので、現地はかなり落ち 着いてきていた。ただし、原発事故の方は今後どうなるか は余談を許さない状況が続いていた。今回ボランティア活 動に行った南相馬市原町区は当時「緊急時避難準備区域」 に指定されていて5)、町の住民の4割前後が他の地域へ避 難していると言われた。小中学校及び高校の授業は隣町の 相馬市で実施されていて、子ども達はバスで送り迎えされ ていた。 このような大災害のときには、ボランティアセンターは ほとんどの場合、市町村の社会福祉協議会の中に設置され る。もし、将来大分市でこのようなことが起きた場合には 大分市でもすぐにボランティアの受入れができるように 準備していることが大事だと感じた。準備のあるのとない のとでは、その設置までに掛かる時間が大幅に違ってくる ことは明白であり、日頃の備えが大切である。 最後になりましたが、福島第一原発の事故が一刻も早く 収束し、住民が元の家に戻ることができるようになること を祈っています。がんばろう東北! がんばろう福島! 謝辞:「災害復興支援ボランティアねっと」の松本光雄氏 には宿泊場所の提供など大変お世話になりました。ここに 深く感謝します。 参考文献 1) 2011年3月11日(金)14時46分に発生した東北・関東地方 を中心とした大地震とそれに伴って発生した津波、及び その後の余震により引き起こされた大規模地震災害 2) 例えば、http://www.saigaivc.com/ 3) 災害ボランティア活動に関するHP; http://www.shakyo.or.jp/saigai/katudou.html 4) 現在は移転しているが、次のHP参照。http://v-home.net/ 5) 南相馬市の緊急時避難準備区域は、その後9月30日に解 除された。 (2011.9.30受付)

参照

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