延慶本平家物語の行家 : 頼朝・義仲・義経との関
係をめぐって
著者
平城 三矢子
雑誌名
日本文藝研究
巻
56
号
4
ページ
165-192
発行年
2005-03-10
URL
http://hdl.handle.net/10236/10209
延
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本
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家
物
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源 行 家 は 、 頼 朝 ・ 義 仲 ・ 義 経 ら 源 氏 三 者 の 叔 父 で あ り 、 三 者 そ れ ぞ れ と 行 動 を 共 に し て 、 源 平 争 乱 の 世 を 生 き た 。 平 家 物 語 に お け る そ の 登 場 場 面 は 、 頼 朝 ・ 義 仲 ・ 義 経 に 比 べ 非 常 に 少 な い が 、 巻 四 ﹁ 源 氏 揃 ﹂ か ら 巻 十 二 ﹁ 泊 瀬 六 代 ﹂ ま で の 、 源 氏 蜂 起 か ら 頼 朝 政 権 の 確 立 に 到 る ま で 、 登 場 し 続 け る 。 平 家 諸 本 で 行 家 に 関 す る 記 事 を 比 較 す る と 、 語 り 本 系 諸 本 で は 、 簡 略 化 し 、 ま た 消 失 し て お り 、 行 家 の 存 在 は 希 薄 な も の と な っ て い る 。 し か し 、 延 慶 本 ・ 長 門 本 ・ 盛 衰 記 の 読 み 本 系 三 本 に は 、 語 り 本 系 諸 本 よ り 多 く の 、 ま た 詳 し い 行 家 関 係 記 事 が 収 録 さ れ て お り 、 な か で も 延 慶 本 だ け が 、 登 場 場 面 か ら 、 そ の 死 の 場 面 ま で の 記 事 を 揃 え も つ 。 行 家 に 関 す る 先 行 研 究 に は 、 ま ず 人 物 論 と し て 、 吉 田 晴 洋 氏 が 、 延 慶 本 を 中 心 に 諸 本 の 行 家 関 係 記 事 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ な ど の 史 料 の 記 事 を 用 い ら れ な が ら 、 行 家 は 、 以 仁 王 事 件 そ し て 源 氏 蜂 起 の 発 端 ・ 敗 戦 の 将 ・ 源 氏 の 内 訌 の 要 因 ・ 頼 朝 の 同 族 処 分 の 過 酷 さ の 強 調 と い う 、 物 語 中 に お け る ﹁ 絶 妙 な 働 き ﹂ を 担 っ て い る と 指 摘 さ れ て い る 盧。 一 方 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 六 五佐 倉 由 泰 氏 は 、 覚 一 本 を 中 心 に 諸 本 の 行 家 記 事 を 総 合 し て 、 行 家 は 、 作 品 世 界 の 表 層 を 滑 る の み で 、 作 品 の 叙 事 の 展 開 を 主 導 的 に 進 め る 機 能 を 果 た す 事 の な い 、 捉 え ど こ ろ の な い 存 在 と し て 描 か れ て お り 、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ に 設 け ら れ て い る 多 く の 枠 組 み ・ 型 ・ ﹁ も の が た り ﹂ が 行 家 の 形 象 に 当 て は め ら れ て い な い と 考 察 さ れ て い る 盪。 物 語 の 構 造 に 関 わ る 論 と し て 、 服 部 幸 造 氏 は 、 行 家 と そ の 兄 義 憲 の 二 人 に 着 目 さ れ 、 義 憲 は 常 に 行 家 と 共 に 語 ら れ て お り 、 そ こ に は 同 じ 為 義 の 子 と し て 生 ま れ 、 戦 え ば 必 ず 敗 れ 、 頼 朝 に 敵 対 し 、 度 々 の 合 戦 に 功 績 を 残 す こ と も な く 散 っ て い っ た 二 人 を 並 べ て 描 く 、 作 者 の 意 図 が あ る こ と を 指 摘 さ れ 蘯、 ま た 早 川 厚 一 氏 は 、 征 夷 大 将 軍 の 官 宣 旨 を 得 た 頼 朝 が 、 以 仁 王 の 令 旨 を 帯 し て 挙 兵 し た 義 仲 ・ 行 家 を 制 圧 し 、 世 を 取 る と い う 、 平 家 物 語 の 歴 史 叙 述 を 解 明 さ れ て い る 盻。 本 稿 で は 、 行 家 と 、 頼 朝 ・ 義 仲 ・ 義 経 が 関 わ り 合 う 場 面 に 焦 点 を 当 て る 。 延 慶 本 に お い て 、 行 家 を 中 心 に 据 え 、 頼 朝 ・ 義 仲 ・ 義 経 と の 関 係 が 、 ど の よ う に 描 か れ て い る か を 探 り た い 。 そ れ は 、 吉 田 晴 洋 氏 の 、 行 家 は ﹁ 源 氏 の 内 訌 の 要 因 ﹂ と い う ご 指 摘 眈か ら 一 歩 踏 み 込 ん だ 、 延 慶 本 に 描 か れ る 源 氏 の 内 部 抗 争 の 構 造 を 、 そ の 一 端 で は あ る が 明 ら か に す る こ と に 繋 が る 。 諸 本 比 較 と 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ と の 比 較 を 通 し て 、 延 慶 本 を み て い く 。 諸 本 は 、 長 門 本 ・ 源 平 盛 衰 記 ・ 四 部 合 戦 状 本 ・ 覚 一 本 を 対 象 と す る 。 ﹃ 玉 葉 ﹄ ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ は 、 客 観 的 史 料 で は な い が 、 延 慶 本 の 叙 述 を 浮 か び 上 が ら せ る た め に 、 比 較 は 有 効 で あ る と 考 え る 。
一
頼
朝
、
義
経
へ
の
令
旨
伝
達
行 家 の 初 登 場 は 、 第 二 中 八 ﹁ 頼 政 入 道 宮 ニ 謀 叛 申 勧 事 ﹂ 、 そ し て 第 二 中 十 ﹁ 平 家 ノ 使 宮 ノ 御 所 ニ 押 寄 事 ﹂ に 記 さ れ て い る 、 高 倉 宮 令 旨 伝 達 の 場 面 で あ る 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 六 六高 倉 宮 謀 叛 の 際 の 、 行 家 の 令 旨 伝 達 に 関 す る 先 行 研 究 に は 、 ま ず 赤 松 俊 秀 氏 に よ り 、 長 門 本 が 延 慶 本 と 異 な り 、 義 盛 改 名 行 家 に よ る 頼 朝 へ の 令 旨 伝 達 、 頼 朝 に あ て た 特 別 な 令 旨 に 触 れ な い こ と に つ い て 、 長 門 本 に は 写 し 誤 り が み ら れ 、 記 事 に 混 乱 が 生 じ て い る こ と か ら 、 原 本 は 延 慶 本 に 近 い と い う 行 家 令 旨 伝 達 記 事 の 古 態 性 の 分 析 が な さ れ て い る 眇。 ま た 櫻 井 陽 子 氏 は 、 ﹃ 明 月 記 ﹄ ﹃ 玉 葉 ﹄ と ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 記 事 の 比 較 か ら 、 宮 の 令 旨 と 頼 朝 の 挙 兵 と が 結 び つ け ら れ る の は 事 件 当 時 の 認 識 で は な い こ と を 指 摘 さ れ 、 ﹁ 平 家 物 語 は 後 年 の 歴 史 解 釈 に よ っ て 以 仁 王 の 乱 と 頼 朝 挙 兵 と を 明 確 に 結 び つ け る ﹂ と さ れ て い る 眄。 高 倉 宮 謀 叛 事 件 を 収 録 す る 平 家 諸 本 を み る と 、 延 慶 本 ・ 長 門 本 ・ 源 平 盛 衰 記 ・ 四 部 合 戦 状 本 ・ 覚 一 本 が あ げ ら れ る が 、 高 倉 宮 の 令 旨 の 使 節 と し て 行 家 を 関 わ ら せ る の は 、 延 慶 本 ・ 盛 衰 記 ・ 覚 一 本 と な っ て い る 。 延 慶 本 に お い て 行 家 が 、 高 倉 宮 謀 叛 と 頼 朝 挙 兵 を 結 ぶ 令 旨 の 使 節 と し て 、 ど の よ う に 描 か れ る か を み て い く 。 延 慶 本 の 問 題 と す る 箇 所 を 引 用 す る 。 新 宮 ノ 十 郎 ヲ 召 シ テ 、 ﹁ 令 旨 ヲ 持 テ 頼 朝 ガ 許 ヘ 下 レ ﹂ ト 仰 下 レ ケ レ バ 、 ﹁ 勅 勘 ノ 身 ニ テ 候 ヘ バ 叶 候 マ ジ ﹂ ト 申 セ バ 、 ﹁ 其 謂 有 ﹂ ト テ 新 宮 ノ 十 郎 ヲ 蔵 人 ニ ナ サ レ テ 、 義 盛 ト 名 乗 ケ ル ヲ 改 名 シ テ 、 行 家 ト 名 乗 ラ セ ケ リ 。 仍 新 宮 十 郎 蔵 人 行 家 、 高 倉 宮 ノ 令 旨 ヲ 給 テ 、 治 承 四 年 四 月 廿 八 日 ニ 潜 ニ 都 ヲ 出 ニ ケ リ 。 同 五 月 八 日 、 伊 豆 ノ 北 条 ヘ 下 着 テ 兵 衛 佐 ニ 宮 ノ 令 旨 ヲ 献 ル 。 兵 衛 佐 此 令 旨 ヲ 給 テ 国 々 ノ 源 氏 等 ニ 施 行 セ ラ ル 。 こ の 記 事 の 内 容 は 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ と ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ に 確 認 で き る 。 ﹃ 玉 葉 ﹄ 治 承 四 年 九 月 三 日 条 に 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 六 七
又 為 義 の 息 、 一 両 年 来 熊 野 辺 に 住 し て 、 去 る 五 月 乱 逆 の 刻 、 坂 東 方 に 赴 き 了 り 、 か の 義 朝 の 子 に 与 力 し 、 大 略 謀 叛 を 企 つ る か 。 と 記 さ れ 、 高 倉 宮 謀 叛 を き っ か け に 、 行 家 が 坂 東 に 向 か っ た こ と が 把 握 さ れ て い る 。 し か し 、 行 家 が 宮 の 令 旨 を 頼 朝 に も た ら し た と は 考 え ら れ て い な い よ う で あ る 。 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 治 承 四 年 四 月 九 日 条 で は 、 陸 奥 十 郎 義 盛 眩廷 尉 為 義 の 末 子 。 折 節 在 京 の 間 、 こ の 令 旨 を 帯 し て 東 國 に 向 ひ 、 ま づ 前 兵 衛 佐 に 觸 る る の 後 、 そ の ほ か の 源 氏 等 に 傳 ふ べ き の 趣 、 仰 せ 含 め ら る る と こ ろ な り 。 義 盛 、 八 條 院 の 蔵 人 に 補 せ ら る 。 名 字 を 行 家 と 改 む 。 と あ り 、 行 家 に 対 す る 令 旨 の 使 い と し て の 命 、 蔵 人 に 補 さ れ た こ と 、 義 盛 か ら 行 家 へ の 改 名 が 、 延 慶 本 と 共 通 し て い る 。 延 慶 本 が 独 自 に 描 く 箇 所 に 注 目 す る 。 ﹁ 勅 勘 ノ 身 ニ テ 候 ヘ バ 、 叶 候 マ ジ ﹂ ト 申 セ バ 、 其 謂 有 ト テ 新 宮 ノ 十 郎 ヲ 蔵 人 ニ ナ サ レ テ 、 義 盛 ト 名 乗 ケ ル ヲ 改 名 シ テ 行 家 ト 名 乗 ラ セ ケ リ 。 と 、 行 家 は 自 ら の ﹁ 勅 勘 ﹂ を 問 題 に し 、 令 旨 の 使 い と な る 資 格 が な い こ と を 述 べ る 。 こ の 行 家 の 言 葉 を う け て 蔵 人 任 命 、 改 名 と い う 運 び と な る 。 諸 本 を 比 較 す る と 、 源 平 盛 衰 記 で は 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 六 八
三 位 入 道 申 し け る は 、 ﹁ 令 旨 の 御 使 い を 勤 め 候 は ん に は 、 無 官 に て は そ の 恐 れ あ る べ し ﹂ と 申 せ ば 、 ﹁ 然 る べ し ﹂ と て 、 当 座 に 蔵 人 に な さ れ け り 。 十 郎 蔵 人 は 義 盛 を 改 名 し て 行 家 と 名 乗 る 。 と 、 無 官 で は 宮 の 使 節 と し て の 正 当 性 に 欠 け る 、 と い う 頼 政 の 配 慮 か ら 蔵 人 に さ れ て お り 、 覚 一 本 で は 、 熊 野 に 候 、 十 郎 義 盛 を 召 し て 、 蔵 人 に な さ る 。 行 家 と 改 名 し て 、 令 旨 の 御 使 に 東 国 へ ぞ 下 り け る 。 と 事 柄 の み を 述 べ 、 行 家 の ﹁ 勅 勘 ﹂ は 問 題 に さ れ な い 。 こ の ﹁ 勅 勘 ﹂ と い う 言 葉 は 、 延 慶 本 で は 全 九 例 あ り 、 内 四 例 が 頼 朝 の 言 葉 の な か に 表 れ る 。 頼 朝 に 課 さ れ た 大 き な 問 題 で あ っ た 。 佐 宣 ヒ ケ ル ハ 、 ﹁ 去 永 暦 元 年 ノ 春 ノ 比 ヨ リ 、 池 殿 尼 御 前 ニ 命 ヲ 被 生 奉 テ 、 当 国 ニ 住 シ テ 、 既 廿 余 年 ヲ 送 リ ヌ 。 池 殿 仰 セ ラ ル ル 旨 ア リ シ カ バ 、 毎 日 法 花 経 ヲ 二 部 読 奉 テ 、 一 部 ヲ バ 池 尼 御 前 ノ 御 菩 提 ニ 廻 向 シ 奉 リ 、 一 部 ヲ バ 父 母 ノ 考 養 ニ 廻 向 ス ル 外 ハ 、 又 二 ツ 営 ム 事 ナ シ 。 勅 勘 ノ 者 ハ 、 日 月 ノ 光 ダ ニ モ ア タ ラ ズ ト コ ソ 申 伝 タ レ 。 争 カ 此 身 ニ テ サ 様 ノ 事 ヲ バ 思 立 ベ キ ﹂ ト 詞 ニ ハ 宣 ケ レ ド モ 、 ︵ 第 二 末 七 ﹁ 文 学 兵 衛 佐 ニ 相 奉 ル 事 ﹂ ︶ 傍 線 部 に 見 ら れ る よ う に 、 自 分 は 勅 勘 の 者 で あ る と い う 意 識 が 記 さ れ る 。 ま た 、 其 後 文 学 又 来 リ ケ レ バ 、 佐 対 面 シ テ 、 ﹁ サ テ モ イ カ ヾ シ テ 勅 勘 ヲ ユ リ 候 ベ キ 。 サ ナ ク ハ 何 事 モ 思 立 ベ ク モ ナ シ 。 イ カ サ マ ニ モ 道 ア ル 事 コ ソ 、 始 終 モ ヨ カ ル ベ ケ レ 。 ︵ 第 二 末 七 ﹁ 文 学 兵 衛 佐 ニ 相 奉 ル 事 ﹂ ︶ 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 六 九
頼 朝 の 、 勅 勘 を は ら さ な け れ ば 事 を 起 せ な い と い う 意 識 が み ら れ る 。 そ し て 、 同 九 月 四 日 、 鎌 倉 ヘ 下 着 テ 、 ︵ 略 ︶ ﹁ 兵 衛 佐 被 申 候 シ ハ 、 ﹃ 頼 朝 ハ 勅 勘 ヲ 蒙 ト 雖 モ 、 翻 テ 御 使 ヲ 奉 テ 、 朝 敵 ヲ 退 ケ 、 武 勇 ノ 名 誉 長 ジ タ ル ニ ヨ テ ナ リ 。 忝 ク モ 居 乍 ラ 、 征 夷 大 将 軍 ノ 宣 旨 ヲ 蒙 ル 。 勅 勘 ノ 身 ニ テ 直 ニ 宣 旨 ヲ 請 取 奉 事 、 其 恐 ア リ 。 若 宮 ニ テ 請 取 奉 ベ シ ﹄ ト 候 シ カ バ 、 ︵ 第 四 ・ 十 六 ﹁ 康 定 関 東 ヨ リ 帰 洛 シ テ 関 東 事 語 申 事 ﹂ ︶ ﹁ 頼 朝 ハ 勅 勘 ヲ 蒙 ト 雖 モ 、 翻 テ 御 使 ヲ 奉 テ ﹂ と し な が ら 、 ﹁ 勅 勘 ノ 身 ニ テ 直 ニ 宣 旨 ヲ 請 取 奉 事 、 其 恐 ア リ ﹂ と し て お り 、 征 夷 大 将 軍 の 宣 旨 が 下 さ れ る ま で 、 自 分 自 身 を ﹁ 勅 勘 ノ 身 ﹂ と 認 識 し て い る こ と に 注 目 す る 。 こ れ 以 降 、 頼 朝 が 自 身 の 勅 勘 を 問 題 に す る こ と は な い 。 石 井 進 氏 は 、 ﹁ ︵ ﹃ 玉 葉 ﹄ 寿 永 二 年 ︶ 十 月 九 日 の 小 除 目 に よ っ て 、 頼 朝 は は じ め て 正 式 に 本 位 に 復 し 、 ﹁ 勅 勘 ﹂ を ゆ る さ れ た 。 ﹂ と 指 摘 さ れ て い る 眤。 物 語 で は 、 征 夷 大 将 軍 の 宣 旨 が 、 頼 朝 の 初 め て の 任 官 で あ る 。 こ の 、 復 任 し た と き が 勅 勘 宥 免 の と き で あ る と い う 意 識 が 頼 朝 に あ て は め ら れ て お り 、 ま た 同 じ く 行 家 に も あ て は め ら れ て い る と 考 え ら れ る 。 そ れ は 同 時 に 、 平 治 の 乱 に 敗 れ た 朝 敵 と し て の 意 識 が 、 頼 朝 同 様 行 家 に も 持 た さ れ て い る こ と を 表 す 。 行 家 は こ の 令 旨 伝 達 場 面 で 、 ﹁ 新 宮 ノ 十 郎 ﹂ と し て 呼 び だ さ れ て お り 、 そ れ は 平 治 の 乱 後 、 新 宮 に 潜 伏 し て い た こ と に よ る 呼 称 で あ る 眞。 ま た こ の 後 に 、 行 家 ハ 平 治 ヨ リ 以 来 、 熊 野 ニ 居 住 シ ケ レ バ 、 新 宮 ニ 与 力 ス ル 者 多 カ リ ケ レ バ 、 何 ト 無 ク 其 用 意 ヲ ゾ シ ケ ル 。 ︵ 第 二 中 十 ﹁ 平 家 ノ 使 宮 ノ 御 所 ニ 押 寄 事 ﹂ ︶ 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 〇
行 家 が 熊 野 新 宮 で 、 蜂 起 す る 準 備 を し て い た こ と が 描 か れ て い る 。 そ し て 高 倉 宮 謀 叛 事 件 発 覚 の 際 、 入 道 相 国 、 此 人 々 ニ 向 テ 宣 ケ ル ハ 、 ﹁ 哀 レ 、 新 ︵ 宮 ︶ ノ 十 郎 女 ヲ 平 治 ニ 失 フ ベ カ リ シ ヲ 、 入 道 ガ 青 道 心 ヲ シ テ 捨 置 タ レ バ 、 今 カ ヽ ル 事 ヲ 聞 ヨ 。 頼 朝 ガ 事 ハ 、 池 尼 御 前 イ カ ニ 申 給 ト モ 、 入 道 宥 サ ズ ハ 、 争 カ 命 ヲ 生 ベ キ 。 安 ラ ヌ 事 哉 ﹂ ト テ 怒 給 ケ リ 。 後 悔 先 ニ 立 タ ズ ト ハ 、 加 様 ノ 事 ヲ 云 ニ ヤ 。 ︵ 同 右 ︶ 清 盛 の 、 平 治 の 後 悔 の 言 葉 に 、 行 家 が 現 れ る 。 こ の 傍 線 部 の 言 葉 を 記 す の は 、 延 慶 本 の み で あ る 。 延 慶 本 で は 、 行 家 は 平 治 の 乱 の 敗 北 を 抱 え 、 そ の 雪 辱 を 期 す る 存 在 と し て 、 頼 朝 と 共 に 注 視 さ れ て い る と い え よ う 。 次 に 、 第 二 中 十 ﹁ 平 家 ノ 使 宮 ノ 御 所 ニ 押 寄 事 ﹂ に 記 さ れ る 行 家 令 旨 伝 達 記 事 を み て い く 。 同 日 ︵ 治 承 四 年 五 月 十 五 日 ︶ ニ 高 倉 宮 ノ 御 謀 叛 ノ 事 顕 ハ レ 御 ス 。 去 ジ 四 月 廿 八 日 ニ 十 郎 蔵 人 行 家 高 倉 宮 ノ 令 旨 ヲ 潜 ニ 給 テ 伊 豆 国 ヘ 下 テ 兵 衛 佐 ニ 奉 リ 、 案 ヲ 書 テ 義 経 ニ 見 セ ム ト テ 其 ヨ リ 奥 州 ヘ 趣 キ ケ リ 。 行 家 が ま ず 頼 朝 に 令 旨 を と ど け 、 そ の 後 写 し を 、 行 家 の 判 断 に よ り 義 経 へ と 届 け に い っ て い る こ と に 注 目 す る 。 源 平 盛 衰 記 で は 、 先 づ 近 江 国 に は 、 山 本 ・ 柏 木 ・ 錦 織 に か く と 知 ら せ て 、 令 旨 の 案 書 を 与 へ て 美 濃 ・ 尾 張 へ 越 ゆ 。 山 田 ・ 河 辺 ・ 泉 ・ 津 野 ・ 芦 敷 ・ 関 田 ・ 八 島 に 触 れ 廻 り 、 又 案 書 を 与 へ て 信 濃 へ 越 ゆ 。 岡 田 ・ 平 賀 ・ 木 曾 次 郎 に 相 触 れ 、 又 案 書 を 与 へ て 甲 斐 へ 越 ゆ 。 武 田 ・ 小 笠 原 ・ 逸 見 ・ 一 条 ・ 板 垣 ・ 安 田 ・ 伊 沢 に 相 触 れ て 、 案 書 を 与 へ て 、 伊 豆 国 北 条 に 打 越 え て 右 兵 衛 佐 殿 に か く と 言 ふ 。 ︵ 略 ︶ 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 一
行 家 は 伊 豆 よ り 常 陸 へ 越 え て 、 兄 な れ ば 信 太 に 知 ら せ 、 佐 竹 に 告 げ て 、 案 書 を 与 へ て 、 姪 な れ ば 告 げ ん と て 、 奥 州 へ こ そ 下 り け れ 。 近 江 国 か ら 美 濃 ・ 尾 張 、 そ し て 信 濃 、 甲 斐 へ と 順 に 廻 っ て 案 書 を 与 え た 後 、 頼 朝 へ 伝 え て い る 。 そ の 後 伊 豆 よ り 常 陸 へ 越 え 、 そ し て 奥 州 へ と 都 近 く か ら 順 番 に 各 地 の 源 氏 に 触 れ 回 っ て い る 。 覚 一 本 の 記 述 を み る 。 都 を た っ て 近 江 国 よ り は じ め て 、 美 濃 、 尾 張 の 源 氏 共 に 次 第 に ふ れ て ゆ く ほ ど に 、 五 月 十 日 、 伊 豆 の 北 条 に く だ り つ き 、 流 人 先 兵 衛 佐 殿 に 令 旨 奉 り 、 信 太 先 生 義 憲 は 、 兄 な ら ば と ら せ ん と て 、 常 陸 の 国 信 太 浮 島 へ く だ る 。 木 曽 冠 者 義 仲 は 、 甥 な ら ば た ば ん と て 、 東 山 道 へ ぞ お も む き け る 。 近 江 国 よ り 、 美 濃 、 尾 張 に 触 れ た 後 、 頼 朝 へ 、 そ の 後 は 常 陸 の 国 、 そ し て 信 濃 へ と 、 諸 国 廻 宣 の 役 目 を 担 っ て い る こ と は 、 盛 衰 記 と 共 通 し て い る 。 頼 朝 へ の 伝 達 は 、 諸 国 の 源 氏 へ 触 れ な が ら の 通 過 点 と し て の 意 味 合 い が 加 わ り 、 延 慶 本 の 、 ま ず 頼 朝 へ 、 と い う 意 識 が 、 盛 衰 記 と 覚 一 本 で は 薄 れ て い る 。 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 治 承 四 年 四 月 廿 七 日 条 の 記 事 で は 、 高 倉 王 の 令 旨 、 今 日 前 武 衛 将 軍 の 伊 豆 國 の 北 条 の 館 に 到 著 す 。 八 條 院 の 蔵 人 行 家 持 ち 来 る と こ ろ な り 。 武 衛 水 干 を 装 束 き 、 ま づ 男 山 の 方 を 遙 拝 し た て ま つ る の 後 、 謹 み て こ れ を 披 閲 せ し め た ま ふ 。 侍 中 は 甲 斐 ・ 信 濃 両 國 の 源 氏 等 に 相 觸 れ ん が た め に 、 す な は ち か の 國 に 下 向 す 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 二
ま っ す ぐ 頼 朝 へ と 届 け た こ と は 延 慶 本 と 共 通 す る が 、 そ の 後 は 甲 斐 ・ 信 乃 の 源 氏 ら へ の 伝 達 と な っ て い る 。 延 慶 本 で は 、 頼 朝 ・ 義 経 が 高 倉 宮 の 令 旨 を 受 け 取 る べ き 人 物 と し て 、 特 別 視 し て 描 か れ て い る と い え る 眥。 そ し て 行 家 を 、 こ の 二 人 と つ な が り あ る 存 在 と す る 意 識 が 、 延 慶 本 の 記 述 か ら 読 み 取 れ る 。
二
頼
朝
か
ら
の
離
反
と
義
仲
へ
の
依
存
第 三 末 七 ﹁ 兵 衛 佐 木 曽 ト 不 和 ニ 成 事 ﹂ の 記 事 は 、 行 家 と 頼 朝 ・ 義 仲 三 者 の 交 点 で あ る 。 頼 朝 と 義 仲 が 不 和 と な る 、 そ の 原 因 に つ い て 、 四 部 本 ・ 語 り 系 諸 本 は 詳 述 せ ず 、 読 み 本 三 本 は 、 二 つ の 出 来 事 を 記 す 。 延 慶 本 ・ 長 門 本 は 、 ま ず 第 一 義 と し て 行 家 の 頼 朝 か ら の 離 反 が あ り 、 そ れ に 第 二 義 と し て 武 田 信 光 の 讒 言 が 加 わ る 。 源 平 盛 衰 記 は 、 第 一 義 に 武 田 の 讒 言 を お き 、 行 家 の 離 反 は そ れ に 追 い 討 ち を か け る と い う 構 成 で あ る 。 こ の こ と に よ り 、 源 平 盛 衰 記 に お い て は 、 原 因 と し て の 行 家 の 比 重 は 、 軽 く な っ て い る 。 こ の い わ ゆ る 清 水 冠 者 事 件 に お け る 、 行 家 に 関 す る 先 行 研 究 と し て 、 武 久 堅 氏 は 、 義 仲 に と っ て 、 頼 朝 か ら 離 反 し た 行 家 を 引 き 受 け た こ と は 、 手 書 き 大 夫 房 覚 明 を 得 る 契 機 と な っ た こ と 、 そ し て 頼 朝 と の 直 接 対 決 を 避 け 、 清 水 の 冠 者 を 人 質 と し て 派 遣 し た 真 意 は 、 戦 に よ る 信 濃 在 地 の 人 々 の 犠 牲 回 避 に あ っ た こ と を 解 明 さ れ て い る 眦。 二 章 で は 、 不 和 の 原 因 と し て 行 家 が ど う 描 か れ て い る か を 捉 え な が ら 、 行 家 と 頼 朝 ・ 義 仲 の 関 係 を み て い き た い 。 冒 頭 部 分 に 、 行 家 が 頼 朝 か ら 離 反 す る に 至 る 過 程 が 描 か れ る 。 去 比 ヨ リ 、 兵 衛 佐 ト 木 曽 冠 者 ト 不 和 ノ 事 有 テ 、 木 曽 ヲ 討 ム ト ス 。 其 故 ハ 、 兵 衛 佐 ハ 、 先 祖 ノ 所 ナ レ バ ト テ 、 相 模 国 鎌 倉 ニ 住 ス 。 叔 父 十 郎 蔵 人 行 家 ハ 、 大 政 入 道 ノ 鹿 嶋 詣 ト シ テ 造 儲 タ リ ケ ル 、 相 模 国 松 田 御 所 ニ ゾ 居 タ リ ケ ル 。 所 領 一 所 ナ ケ レ バ 、 近 隣 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 三ノ 在 家 ヲ 追 捕 シ 、 夜 討 強 盗 ヲ シ テ 世 ヲ ス ゴ シ ケ リ 。 或 時 行 家 、 兵 衛 佐 ノ 許 ヘ 文 ニ テ 云 ヤ リ タ リ ケ ル ハ 、 ﹁ 行 家 ハ 御 代 官 ト シ テ 、 美 乃 国 墨 俣 ヘ 向 事 十 一 度 、 八 ヶ 度 ハ 勝 テ 三 ヶ 度 ハ 負 ヌ 。 子 息 ヲ 始 ト シ テ 、 家 子 郎 等 ド モ 多 ク 打 ト ラ レ テ 、 歎 申 ハ カ リ ナ シ 。 国 一 ヶ 所 預 タ ベ 。 是 等 ガ 孝 養 セ ム ﹂ ト ゾ 書 タ リ ケ ル 。 兵 衛 佐 ノ モ ト ヨ リ 即 返 事 有 。 ﹁ 木 曽 冠 者 、 信 乃 上 野 両 国 ノ 勢 ニ テ 、 北 陸 道 七 ヶ 国 打 取 テ 、 既 九 ヶ 国 ガ 主 ニ ナ リ テ 候 。 頼 朝 ハ 六 ヶ 国 コ ソ 打 シ ナ ヘ テ 候 ヘ 。 御 辺 モ イ ク ラ ノ 国 ヲ 打 取 ト モ 、 御 心 ニ テ コ ソ 候 ハ メ 。 サ テ コ ソ 院 内 見 参 ニ モ 入 セ 給 テ 、 打 取 国 何 ヶ 国 ト モ 、 注 申 サ レ テ 給 ワ レ セ 給 ハ メ 。 当 時 頼 朝 ガ 支 配 ニ テ 、 国 庄 ヲ 人 ニ 分 給 ベ シ ト 云 仰 ヲ モ カ ブ リ 候 ワ ズ ﹂ ト 有 ケ レ バ 、 行 家 ﹁ 兵 衛 佐 ヲ タ ノ ミ テ 、 ヨ ニ 有 ム コ ト コ ソ ア リ ガ タ ケ レ 。 木 曽 冠 者 ヲ 恃 ム ﹂ ト テ 、 千 騎 ノ 勢 ニ テ 信 乃 国 ヘ 越 ニ ケ リ 。 兵 衛 佐 是 ヲ 聞 テ 、 ﹁ 十 郎 蔵 人 ノ 云 ワ ム 事 ニ テ 、 木 曽 冠 者 、 頼 朝 ヲ 責 ム ト 思 心 付 テ ム ズ 。 襲 ワ レ ヌ 先 ニ 木 曽 ヲ 討 ム ﹂ ト 思 ケ ル ヲ リ フ シ 、 ま ず 、 行 家 が ﹁ 所 領 一 所 ﹂ も な く 、 ﹁ 近 隣 ノ 在 家 ヲ 追 捕 シ 、 夜 討 強 盗 ヲ シ テ 世 ヲ ス ゴ シ ケ リ 。 ﹂ と 描 か れ て い る 事 に 注 目 す る 。 こ の ﹁ 強 盗 ﹂ と い う 言 葉 は 、 延 慶 本 中 、 全 五 例 あ る が 、 個 人 の 行 動 と し て 描 か れ る の は 行 家 の み で あ る 。 ま た 、 ﹁ 強 盗 ﹂ の 語 例 で は な い が 、 三 浦 介 義 明 の 言 葉 に 、 サ テ 三 浦 介 義 明 ガ 許 ヘ 御 文 持 向 タ リ ケ レ バ 、 ︵ 中 略 ︶ 是 等 ヲ 前 ニ 呼 テ 申 ケ ル ハ 、 ﹁ ︵ 中 略 ︶ 各 々 早 ク 一 味 同 心 ニ テ 、 佐 殿 ノ 御 許 ニ 参 ズ ベ シ 。 若 冥 加 オ ワ セ ズ シ テ 、 打 死 ヲ モ シ 給 ハ ヾ 、 各 又 頭 ヲ 一 所 ニ 並 ブ ベ シ 。 山 賊 ・ 海 賊 ヲ モ シ タ ラ バ コ ソ 瑕 瑾 ナ ラ メ 。 佐 殿 、 若 シ 果 報 ヲ ハ シ テ 、 世 ヲ 執 ︵ 給 ︶ ハ ヾ 、 己 等 ガ 中 ニ 一 人 モ 生 残 タ ラ ム 者 、 世 ニ 逢 テ 繁 昌 ス ベ シ ﹂ ト 申 ケ レ バ 、 ︵ 第 二 末 十 二 ﹁ 兵 衛 佐 国 々 ヘ 廻 文 ヲ 被 遣 事 ﹂ ︶ 傍 線 部 箇 所 ﹁ 山 賊 ・ 海 賊 ヲ モ シ タ ラ バ コ ソ 瑕 瑾 ナ ラ メ ﹂ と 、 強 盗 行 為 に 走 る こ と は 、 武 士 に と っ て の 瑕 瑾 で あ る と さ 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 四
れ て い る 。 行 家 は 、 堕 ち た 武 士 と し て 描 か れ て い る と い え よ う 。 そ し て 行 家 は 、 頼 朝 に 手 紙 で 、 頼 朝 の ﹁ 御 代 官 ﹂ で あ る こ と を 主 張 し 、 戦 歴 を 披 露 し 、 子 息 ・ 家 子 郎 等 を 討 た れ ﹁ 嘆 申 ス ハ カ リ ナ キ ﹂ 由 を 訴 え 、 ﹁ 考 養 ﹂ の 為 に と 、 所 領 の 無 心 を す る 。 こ の よ う な 行 家 に 対 し て 、 頼 朝 は 、 木 曽 冠 者 、 信 乃 上 野 両 国 ノ 勢 ニ テ 、 北 陸 道 七 ヶ 国 打 取 テ 、 既 九 ヶ 国 ガ 主 ニ ナ リ テ 候 。 頼 朝 ハ 六 ヶ 国 コ ソ 打 シ ナ ヘ テ 候 ヘ 。 御 辺 モ イ ク ラ ノ 国 ヲ 打 取 ト モ 、 御 心 ニ テ コ ソ 候 ハ メ 。 サ テ コ ソ 院 内 見 参 ニ モ 入 セ 給 テ 、 打 取 国 何 ヶ 国 ト モ 、 注 申 サ レ テ 給 ワ レ セ 給 ハ メ 。 当 時 頼 朝 ガ 支 配 ニ テ 、 国 庄 ヲ 人 ニ 分 給 ベ シ ト 云 仰 ヲ モ カ ブ リ 候 ワ ズ 。 と 行 家 の 訴 え を 退 け る 。 こ の 頼 朝 の 言 葉 に つ い て 、 武 久 堅 氏 は 、 ﹁ 北 陸 道 七 ヶ 国 ﹂ の 管 領 は 、 義 仲 入 洛 直 前 の 情 勢 で あ り 、 寿 永 二 年 春 の 段 階 で は 、 ま だ 実 現 し て い な い た め 、 頼 朝 の こ の 返 答 に は ﹁ 史 実 の 展 開 面 で 整 合 性 の 綻 び ﹂ が あ り 、 物 語 に お い て 作 ら れ た も の で あ る こ と を 指 摘 さ れ て い る 眛。 こ の 作 ら れ た 頼 朝 の 返 答 は 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 元 暦 二 年 八 月 四 日 条 に 、 前 備 前 守 行 家 は 、 二 品 の 叔 父 な り 。 し か る に 度 々 平 家 の 軍 陣 に 差 し 遣 は さ る と い へ ど も 、 つ ひ に そ の 功 を 顕 は さ ざ る に よ つ て 、 二 品 あ な が ち に 賞 翫 せ し め た ま は ず 。 備 州 ま た 進 み て 参 向 す る こ と な し 。 と 記 さ れ る 中 の ﹁ 二 品 あ な が ち に 賞 翫 せ し め た ま は ず ﹂ と い う 頼 朝 の 態 度 と 共 通 す る 。 し か し 、 続 く ﹁ 備 州 ま た 進 み て 参 向 す る こ と な し ﹂ と い う 記 述 は 、 延 慶 本 の 、 頼 朝 を ﹁ 恃 ム ﹂ 行 家 の 姿 と は 離 れ る 。 延 慶 本 で は 、 頼 朝 を ﹁ 恃 ﹂ ん で 拒 ま れ る 行 家 と 、 行 家 を 突 き 放 す 頼 朝 と が 、 描 か れ て い る 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 五
そ し て 行 家 は 、 兵 衛 佐 ヲ タ ノ ミ テ 、 ヨ ニ 有 ム コ ト コ ソ ア リ ガ タ ケ レ 。 木 曽 冠 者 ヲ 恃 ム 。 と 義 仲 へ と 走 る 。 こ の 行 為 が 、 頼 朝 の 義 仲 に 対 す る 猜 疑 心 を 引 き 起 こ す 。 兵 衛 佐 是 ヲ 聞 テ 、 十 郎 蔵 人 ノ 云 ワ ム 事 ニ テ 、 木 曽 冠 者 、 頼 朝 ヲ 責 ム ト 思 心 付 テ ム ズ 。 襲 ワ レ ヌ 先 ニ 木 曽 ヲ 討 ム ト 思 ケ ル ヲ リ フ シ 、 こ の ﹁ 十 郎 蔵 人 ノ 云 ワ ム 事 ニ テ ﹂ と い う 言 葉 は 、 頼 朝 に よ っ て く り 返 し 述 べ ら れ て い く 。 ・ 佐 大 ニ 怒 テ 、 ﹁ 十 郎 蔵 人 ノ 語 ニ 付 テ 、 サ ル 支 度 モ ア ル ラ ム ﹂ ト テ 、 ヤ ガ テ 北 国 ヘ 向 ム ト シ ケ ル ヲ 、 ︵ 第 三 末 七 ﹁ 兵 衛 佐 与 木 曽 不 和 ニ 成 事 ﹂ ︶ ・ ︵ 略 ︶ 一 族 ノ 儀 ヲ 忘 テ 平 家 ト 同 心 セ ラ ル ヽ 由 漏 レ 承 ハ ル 間 、 実 否 ヲ 承 ラ ム ガ 為 ニ 是 マ デ 参 向 ス ル 所 也 。 十 郎 蔵 人 ノ 云 ム 事 ニ 付 テ 、 頼 朝 ヲ 敵 ト シ 給 カ 。 ︵ 同 右 ︶ 行 家 が 義 仲 追 討 の 理 由 で あ る こ と が 強 調 さ れ て い る 。 こ の 後 頼 朝 は 義 仲 に 、 敵 対 心 無 き 事 の 証 と し て 、 行 家 も し く は 義 仲 の 成 人 し た 息 子 の 引 渡 し を 迫 る 。 こ れ に 対 し て 義 仲 は 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 六
生 年 十 一 才 ニ 成 、 清 水 冠 者 義 基 ヲ ヨ ビ ヨ セ テ 、 ﹁ 人 ノ 子 ヲ ワ ギ ミ ホ ド マ デ ソ ダ テ ヽ 他 人 ノ 子 ニ ナ ス ベ キ ニ テ ハ ア ラ ネ ド モ 、 十 郎 蔵 人 ハ ﹃ 帰 ラ ジ ﹄ ト 宣 フ 、 ナ ニ カ ハ ク ル シ カ ル ベ キ 。 イ ソ ギ 佐 殿 ノ 方 ヘ 行 ケ 。 果 報 ナ カ ラ ム ニ ハ 、 一 所 ニ 有 ト テ モ 叶 マ ジ 。 冥 加 ア ラ バ 、 所 々 ニ 有 ト モ 、 ソ レ ニ モ ヨ ル マ ジ 。 ト ク ! "出 立 ベ シ ﹂ ︵ 第 三 末 七 ﹁ 兵 衛 佐 与 木 曽 不 和 ニ 成 事 ﹂ ︶ と 、 あ く ま で ﹁ 帰 ラ ジ ﹂ と 、 義 仲 の 許 に 居 続 け る 意 向 を 示 す 行 家 を 受 け 入 れ 、 代 わ り に 子 息 清 水 冠 者 を 頼 朝 に 差 し 出 す こ と を 選 ん だ 。 義 仲 は 入 京 後 、 こ の 時 の こ と を 次 の よ う に 語 る 。 行 家 ハ 頼 朝 ニ 追 放 セ ラ レ テ 、 義 仲 ガ 許 ニ 来 ル 。 叔 父 為 リ ト 雖 モ 、 已 ニ 猶 子 為 リ 。 義 仲 ニ 対 シ テ 賞 ヲ 行 ハ ル ベ キ 者 ニ ア ラ ズ 。 ︵ 第 四 ・ 一 ﹁ 高 倉 宮 第 四 宮 位 ニ 付 給 ベ キ 由 事 ﹂ ︶ 行 家 の 行 動 は 、 頼 朝 に よ る ﹁ 追 放 ﹂ で あ っ た と さ れ る 。 こ の 場 面 で は 、 行 家 が 頼 朝 に よ っ て 突 き 放 さ れ 、 そ し て 義 仲 に 受 け 入 れ ら れ る 、 と い う 物 語 上 の 構 図 が 読 み 取 れ る こ と を 、 押 さ え て お き た い 。
三
義
仲
と
の
対
立
平 家 を 追 い 落 と し 、 入 京 し た 後 、 行 家 と 義 仲 は 権 力 を 争 い 対 立 し て い く 。 そ の 最 た る 様 子 が 記 さ れ て い る の が 、 第 四 ・ 廿 一 ﹁ 室 山 合 戦 事 付 諸 寺 諸 山 宣 旨 成 サ ル ル 事 付 ケ タ リ 平 家 追 討 ノ 宣 旨 ノ 事 ﹂ の 中 の 、 行 家 播 磨 下 向 の 記 事 で あ る 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 七平 家 物 語 に お け る 、 水 嶋 合 戦 ・ 備 中 瀬 尾 合 戦 ・ 室 山 合 戦 ・ 法 住 寺 合 戦 と い う 記 事 配 列 が 史 実 と 異 な る こ と は 、 夙 に 指 摘 さ れ て い る が 、 今 回 問 題 に す る 箇 所 に つ い て 改 め て 史 料 と 比 較 し た い 。 上 段 に 挙 げ た よ う に 、 史 料 に お い て は 、 義 仲 は ま ず 備 中 瀬 尾 で の 合 戦 に 勝 利 し た あ と 、 水 嶋 合 戦 で 敗 れ 、 そ の 後 帰 京 。 行 家 は 義 仲 帰 京 後 、 平 家 追 討 使 と し て 、 播 磨 へ 下 向 し て い る 。 対 し て 下 段 の 延 慶 本 に お い て は 、 水 嶋 合 戦 敗 北 の 知 ら せ を 受 け た 義 仲 が 、 播 磨 へ 下 向 し 、 備 中 瀬 尾 合 戦 に 勝 利 。 そ の 後 備 中 国 万 寿 庄 へ 勢 揃 え し 、 平 家 と 対 戦 の 構 え を し た と こ ろ 、 京 か ら の 早 馬 を 受 け 、 帰 京 。 同 時 に 行 家 は 、 義 仲 を 避 け る た め 出 京 し 、 播 磨 へ 向 か っ た と す る 。 物 語 で 、 義 仲 が 勝 ち 戦 に の り 平 家 と 対 戦 と い う そ の 時 、 早 馬 が 伝 え た 事 は 、 行 家 の 都 で の 行 状 で あ っ た 。 義 仲 に 帰 京 を 余 儀 な く さ せ た 原 因 と し て 、 行 家 が 設 定 さ れ て い る 。 本 文 を 挙 げ る 。 表 一 史 料 と の 記 事 配 列 の 比 較 ﹃ 玉 葉 ﹄ ﹃ 百 錬 抄 ﹄ ﹃ 一 代 要 記 ﹄ 寿 永 二 年 十 月 十 二 日 備 中 瀬 尾 合 戦 、 義 仲 勢 勝 利 閏 十 月 一 日 水 嶋 合 戦 、 義 仲 勢 敗 北 閏 十 月 十 五 日 義 仲 帰 京 十 一 月 八 日 行 家 、 平 家 追 討 の 為 播 磨 下 向 延 慶 本 寿 永 二 年 十 月 一 日 水 嶋 合 戦 、 義 仲 勢 敗 北 十 月 四 日 義 仲 、 播 磨 へ 発 向 備 中 瀬 尾 合 戦 、 義 仲 勝 利 備 中 国 万 寿 庄 に 布 陣 十 一 月 二 日 義 仲 帰 京 行 家 、 義 仲 を 避 け 播 磨 下 向 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 八
猿 程 ニ 、 京 ノ 留 守 ニ 置 タ リ ケ ル 樋 口 ノ 次 郎 兼 光 、 早 馬 ヲ 立 テ 申 ケ ル ハ 、 ﹁ 十 郎 蔵 人 殿 コ ソ 、 イ タ チ ノ ナ キ 間 ニ 貂 ホ コ ル ラ ム 風 情 、 院 ノ 切 人 シ テ 、 殿 ヲ 誅 チ 奉 ラ ム ト 支 度 セ ラ レ 候 ナ レ ﹂ ト 告 タ リ ケ レ バ 、 木 曽 大 ニ 驚 テ 、 平 家 ヲ 打 捨 、 夜 ヲ 日 ニ 継 テ 都 ヘ 走 上 ル 。 十 郎 蔵 人 ハ 是 ヲ 聞 テ 、 木 曾 ニ 違 ワ ム ト テ 、 十 一 月 二 日 、 三 千 余 騎 兵 ニ テ 京 ヲ 出 、 丹 波 国 ヘ カ ヽ リ テ 、 播 磨 路 ヘ ゾ 下 リ ケ ル 。 木 曾 ハ 摂 津 ヘ 懸 テ 入 京 。 樋 口 次 郎 の 早 馬 に よ り 、 ﹁ イ タ チ ノ ナ キ 間 ニ 貂 ホ コ ル ラ ム 風 情 ﹂ と 、 自 分 よ り 強 い 者 の い な い と こ ろ で 威 勢 を 振 る う 、 小 者 で 卑 怯 な 行 家 の 様 子 が 伝 え ら れ る 。 こ の ﹁ 鼬 な き 間 の 貂 ほ こ り ﹂ の 用 例 は 、 管 見 で は 平 家 物 語 よ り 以 前 で は 見 つ け だ せ て い な い が 、 ﹃ 宇 津 保 物 語 ﹄ ︵ ﹁ 菊 の 宴 ﹂ ︶ に 、 大 宮 ﹁ い ひ 知 ら ぬ が 中 に も 、 雑 役 の 蔵 人 な ど に も 仕 う ま つ り ぬ べ き 者 侍 ら ば 参 ら せ む 、 と 思 ひ た ま ふ る を 、 や む ご と な き 人 、 あ ま た 候 ひ た ま ふ 、 と 承 れ ば 、 鼬 の 間 な き 心 地 し て な む ﹂ 。 東 宮 、 う ち 笑 ひ た ま ひ て 、 ﹁ 参 り た ま は む ほ ど こ そ 、 心 地 に は 、 鼠 の 心 地 も す べ か な れ 。 い と さ な 思 し そ や 。 ︵ 略 ︶ 傍 線 部 に 見 ら れ る よ う に 、 ﹁ 鼬 ﹂ に 対 し て ﹁ 鼠 ﹂ の 使 わ れ て い る 用 例 が あ っ た 。 意 味 は 同 じ で あ る と 思 わ れ る が 、 平 家 物 語 で は 、 鼠 で は な く 鼬 と 同 類 の 貂 を 用 い ら れ て い る こ と は 、 同 じ 源 氏 で あ り な が ら 、 義 仲 と 違 っ て 実 力 の な い 行 家 を 表 現 す る 意 図 が 含 ま れ て い る の で は な い だ ろ う か 。 そ ん な 行 家 が ﹁ 院 ノ 切 人 ﹂ と な っ て 院 を 味 方 に つ け 、 義 仲 を 討 つ 支 度 を し て い る と の 告 げ に 、 義 仲 は 、 平 家 と の 対 戦 を 捨 て ﹁ 夜 ヲ 日 ニ 継 テ ﹂ 帰 京 す る 。 ﹁ 院 ノ 切 人 ﹂ と 行 家 が 評 さ れ る 背 景 は 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ の 記 事 よ り う か が え る 。 寿 永 二 年 九 月 二 十 三 日 条 の 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 七 九
行 家 を 追 討 使 に 遣 は す べ き 由 、 院 よ り 再 三 義 仲 に 仰 せ ら る 。 義 仲 左 右 を 申 さ ず 。 俄 に 以 て 逃 げ 下 る 。 行 家 を 籠 め ん た め と 云 々 。 と い う 法 皇 か ら の 行 家 へ の 追 討 令 の 存 在 や 、 閏 十 月 二 十 九 日 条 に 記 さ れ る 、 こ の 日 奈 良 僧 正 来 ら る 。 ︵ 略 ︶ 先 づ 二 十 七 日 参 上 の 処 、 行 家 と 御 双 六 の 間 、 他 事 無 し 。 見 参 に 入 る と 雖 も 、 空 し く 退 出 し 、 昨 日 参 上 し 仰 せ を 奉 る と 云 々 。 法 皇 が 行 家 と 双 六 に 耽 る 様 子 、 ま た 十 一 月 七 日 条 、 伝 へ 聞 く 、 義 仲 征 伐 せ ら る べ き 由 に よ り 、 殊 に 用 心 欝 念 の 余 り 、 か く の 如 く 承 り 及 ぶ 由 、 院 に 申 さ し む と 云 々 。 仍 つ て 院 中 の 警 固 の 武 士 に 入 れ ら れ 申 し 了 ぬ と 云 々 。 行 家 已 下 、 皆 悉 く そ の 宿 直 を 勤 仕 す 。 而 る に 義 仲 一 人 そ の 人 数 に 漏 る る 由 、 殊 に 奇 と な す 上 、 又 中 言 の 者 あ る か 。 院 中 の 警 固 の 武 士 に 、 行 家 が 筆 頭 に 任 命 さ れ て い る 。 こ の よ う に 、 行 家 は 院 と 密 に 繋 が っ て い た 。 し か し ﹃ 玉 葉 ﹄ に は 、 次 の よ う な 記 事 が 見 ら れ る 。 寿 永 二 年 閏 十 月 十 八 日 条 、 義 仲 の 所 存 、 君 偏 に 頼 朝 を 庶 幾 ひ 、 殆 ど か れ を 以 て 義 仲 を 殺 さ ん と せ ら る る か の 由 僻 推 を な す か 、 将 告 げ 示 す 人 あ る か と い へ り 。 か く の 如 き 間 、 法 皇 を 怨 み 奉 り 、 兼 ね て 又 御 逐 電 の 事 を 疑 ふ 。 こ れ に 依 り 忽 ち に 敗 績 の 官 軍 を 捨 て て 、 迷 ひ 上 洛 す る 所 な り 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 〇
義 仲 の 帰 京 の 原 因 は 、 頼 朝 と 法 皇 の 同 盟 に よ る 、 義 仲 誅 罰 を 危 惧 し て の こ と で あ っ た と 記 さ れ て い る 。 ま た こ の 背 景 に は 、 閏 十 月 二 十 日 条 、 ︵ 義 仲 ︶ 申 し て 云 は く 、 君 を 怨 み 奉 る 事 二 ヶ 条 、 そ の 一 は 、 頼 朝 を 召 し 上 げ ら る る 事 然 る べ か ら ざ る 由 を 申 す と 雖 も 、 御 承 引 無 く 、 猶 以 て 召 し 遣 は さ れ 了 ん ぬ 。 こ の 二 は 、 東 海 東 山 北 陸 等 の 国 々 に 下 さ れ し 所 の 宣 旨 に 云 は く 、 若 し こ の 宣 旨 に 随 は ざ る 輩 に 於 て は 、 頼 朝 の 命 に 随 ひ 追 討 す べ し と 云 々 。 こ の 状 義 仲 生 涯 の 遺 恨 た る な り と 云 々 。 法 皇 が 義 仲 の 反 対 に も 拘 ら ず 、 頼 朝 を 召 し 上 げ ら れ た こ と 、 そ し て 義 仲 播 磨 下 向 の 間 に 下 さ れ た 、 頼 朝 の 軍 事 力 行 使 の 公 的 な 行 政 権 を 認 め る 、 十 月 宣 旨 の 存 在 が あ っ た 。 義 仲 を 平 家 と の 合 戦 中 に 京 へ 戻 ら せ 、 法 住 寺 合 戦 へ と 追 い 詰 め て い っ た 、 頼 朝 と 法 皇 の 義 仲 滅 亡 を 謀 る 行 為 が ﹃ 玉 葉 ﹄ に 記 さ れ て い る 。 物 語 は こ れ を 、 ﹁ 院 ノ 切 人 ﹂ を し て い た 行 家 の 、 ﹁ イ タ チ ノ ナ キ 間 ﹂ を 突 く 卑 怯 な 行 為 と し て 、 描 き 出 し て い る 。 そ し て 、 史 料 で は 正 式 な 平 家 追 討 軍 と し て の 行 家 播 磨 下 向 は 、 ﹁ 木 曾 ニ 違 ワ ム ﹂ 為 、 義 仲 か ら 逃 げ る よ う に し て の 出 京 と さ れ る 。 こ の 後 都 で 義 仲 は 、 源 氏 狼 藉 の 為 の 院 庁 か ら の 責 め を 一 身 に う け 、 法 皇 と の 対 立 を 深 め 、 そ の 結 果 、 法 住 寺 合 戦 へ と 追 い 込 ま れ て い く 。 行 家 は 、 義 仲 の 滅 び を 促 進 す る 存 在 と し て 、 設 定 さ れ て い る と い え る 。
四
義
経
と
の
都
落
ち
と
﹁
心
替
﹂
義 仲 の 最 期 以 降 、 行 家 の 動 向 は 、 し ば ら く 物 語 に 描 か れ な い 。 次 に 登 場 す る の は 、 頼 朝 に よ っ て 都 を 追 わ れ る 義 経 と 共 に 、 第 六 末 十 二 ﹁ 九 郎 判 官 都 ヲ 落 事 ﹂ の 場 面 で あ る 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 一緒 方 、 臼 杵 、 経 続 、 松 浦 党 以 下 、 鎮 西 ノ 輩 、 義 経 ヲ 以 テ 大 将 ト ス ベ キ ヨ シ 、 庁 御 下 文 被 成 下 ニ ケ リ 。 義 経 畏 テ 賜 テ 、 三 日 、 事 ノ 由 ヲ 申 入 テ 、 京 中 ニ 少 モ 煩 ヲ イ タ サ ズ 、 卯 時 計 ニ 洛 中 ヲ 出 ニ ケ リ 。 備 前 守 行 家 、 惟 澄 、 惟 栄 ガ 一 族 相 伴 フ 。 彼 是 凡 ノ 勢 、 僅 ニ 五 百 余 騎 ゾ 有 ケ ル 。 関 東 ニ 志 ア ル 在 京 ノ 武 士 、 近 国 ノ 源 氏 等 追 懸 テ 射 ケ レ ド モ 、 事 ト モ セ ズ 。 散 々 ニ カ ケ チ ラ シ テ 、 川 尻 マ デ ハ 着 ニ ケ リ 。 大 物 浦 ニ テ 船 ニ 乗 テ 、 鬼 海 、 高 麗 、 新 羅 、 百 済 マ デ モ 落 行 ナ ム ト 思 ケ レ ド モ 、 平 家 ノ 怨 霊 ヤ 強 カ リ ケ ム 、 折 シ モ 西 風 ハ ゲ シ ク シ テ 、 大 物 浜 、 住 吉 浜 ナ ム ド ニ 打 上 ラ レ テ 、 船 ヲ 出 ニ 不 及 ケ レ バ 、 摂 津 国 源 氏 、 豊 嶋 冠 者 ヲ 始 ト シ テ 、 太 田 、 石 川 ノ 若 者 共 、 雲 霞 ニ テ 追 懸 テ 、 当 国 小 溝 ト 云 所 ニ テ 戦 ケ レ バ 、 伴 ヒ タ ル 伊 栄 行 家 ヲ 始 ト シ テ 、 臼 杵 経 続 心 替 シ テ 引 別 ニ ケ レ バ 、 与 力 ノ 輩 皆 チ リ " !ニ 成 リ ニ ケ リ 。 ま ず ﹁ 緒 方 、 臼 杵 、 経 続 、 松 浦 党 以 下 、 鎮 西 ノ 輩 、 義 経 ヲ 以 テ 大 将 ト ス ベ キ ヨ シ 、 庁 御 下 文 被 成 下 ニ ケ リ ﹂ と さ れ て い る の は 、 義 経 が 、 院 に 申 請 し た こ と に よ る も の で あ る 。 判 官 院 御 所 ニ 参 テ 、 大 蔵 鑄泰 経 ノ 朝 臣 ヲ 以 テ 申 ケ ル ハ 、 ﹁ ︵ 略 ︶ 京 都 ニ 候 テ 時 政 ヲ 待 付 候 テ 、 イ カ ニ モ 成 ベ ク 候 ヘ ド モ 、 君 ノ 御 為 人 ノ 為 、 其 煩 有 ベ ク 候 ヘ バ 、 西 国 ヘ 罷 下 候 ワ バ ヤ ト 存 候 。 庁 御 下 文 給 リ 候 ナ ム ヤ 。 豊 後 国 住 人 伊 澄 、 伊 栄 等 ニ 始 終 見 放 ズ 心 ヲ 一 ニ シ テ 、 力 ヲ 合 ス ベ キ 由 、 仰 下 サ ル ベ ク 候 。 ︵ 略 ︶ ﹂ ︵ 第 六 末 十 二 ﹁ 九 郎 判 官 都 ヲ 落 事 ﹂ ︶ こ の 、 義 経 が ﹁ 始 終 見 放 ズ 心 ヲ 一 ツ ニ ﹂ す る こ と を 願 っ た 人 物 、 伊 澄 ・ 伊 栄 は 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 元 暦 二 年 一 月 十 二 日 条 に 、 豊 後 国 の 住 人 臼 杵 二 郎 惟 隆 ・ 同 弟 緒 方 三 郎 惟 栄 は 、 志 源 家 に あ る 由 、 兼 ね て も つ て 風 聞 す る の 間 、 船 を か の 兄 弟 に 召 し て 、 豊 後 国 に 渡 り 、 博 多 の 津 に 責 め 入 る べ き 旨 、 議 定 あ り 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 二
と み え 、 伊 澄 は 惟 隆 と 同 人 物 か と 思 わ れ る が 、 範 頼 が 平 家 を 攻 め る 際 に 、 周 防 か ら 豊 後 へ 渡 る こ と に 協 力 し た 、 北 九 州 の 源 氏 方 の 勢 力 で あ る 。 義 経 が 九 州 で 勢 力 挽 回 を 計 る た め に 、 ど う し て も 味 方 に つ け た い 者 達 で あ っ た 。 ま た 、 こ の 御 下 文 の 以 前 に は 、 義 経 に 頼 朝 追 討 宣 旨 が 下 さ れ て い る 。 判 官 モ ﹁ 始 終 ヨ カ ル マ ジ ﹂ ト 思 給 ケ レ バ 、 頼 朝 ヲ 追 討 ス ベ キ 由 宣 旨 ヲ 下 サ ル ベ キ 旨 、 大 蔵 鑄泰 経 ヲ 以 テ 、 後 白 川 院 ニ 判 官 申 サ レ タ リ ケ レ バ 、 十 六 日 、 右 大 弁 光 雅 朝 臣 院 宣 ヲ 承 テ 、 従 二 位 源 朝 臣 頼 朝 鑄ヲ 追 討 ス ベ キ 由 ノ 院 宣 ヲ 下 サ ル 。 ︵ 第 六 末 八 ﹁ 判 官 二 位 殿 不 快 事 ﹂ ︶ 頼 朝 追 討 宣 旨 と 御 下 文 の 下 賜 を 行 い 、 義 経 の 都 落 ち ま で 、 義 経 を 擁 護 し て い る 院 が 描 か れ て い る こ と に 注 目 す る 。 御 下 文 が 下 さ れ 、 義 経 出 京 の と き 、 ﹁ 備 前 守 行 家 、 惟 澄 、 惟 栄 ガ 一 族 相 伴 フ ﹂ と 、 行 家 が 登 場 す る 。 こ こ ま で 、 行 家 が 義 経 と と も に 描 か れ る こ と は 延 慶 本 に お い て は 一 度 も な い が 、 史 料 に は 、 こ の と き 行 家 と 義 経 が 同 盟 関 係 に あ っ た こ と が 記 さ れ て い る 。 ﹃ 玉 葉 ﹄ 文 治 元 年 十 一 月 二 日 条 で は 、 義 経 明 暁 鎮 西 に 向 ふ べ し 。 そ の 間 聊 か 申 請 の 旨 あ り 。 ︵ 略 ︶ 抑 山 陽 西 海 等 の 庄 公 、 共 に 義 経 の 沙 汰 と な し 、 調 庸 祖 税 、 年 貢 雑 物 等 、 慥 か に 沙 汰 進 上 す べ き 由 、 仰 せ 下 さ れ ん と 欲 す 。 兼 ね て 又 、 豊 後 の 武 士 等 、 院 に 召 さ れ 、 義 経 行 家 等 、 殊 に 扶 持 す べ き 由 仰 せ 下 さ れ ん と 欲 す と い へ り 。 件 の 両 条 仰 せ 下 さ る や 否 や 、 宜 し く 計 ら ひ 奏 せ し む べ し と い へ り 。 傍 線 部 に 見 ら れ る よ う に 、 義 経 は 、 院 の 御 下 文 を 義 経 と 行 家 に 下 さ れ る よ う 求 め て い た 。 さ ら に 、 十 二 月 二 十 七 日 条 に 記 さ れ る 頼 朝 の 書 状 か ら 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 三
︵ 略 ︶ 義 経 を 以 て 九 国 の 地 頭 に 補 し 、 行 家 を 以 て 四 国 の 地 頭 に 補 せ ら れ 候 ふ 条 、 前 後 の 間 、 事 心 と 相 違 し 、 か の 輩 各 そ の 柄 を 相 憑 み 、 非 分 の 謀 を 巧 み 、 下 向 せ し め 候 ふ 刻 、 指 し て 寄 せ 攻 む る 敵 無 し と 雖 も 、 天 の 譴 め 遁 れ 難 く 、 船 に 乗 り 纜 を 解 き し 時 、 海 に 入 り 浪 に 浮 び 、 郎 従 眷 属 、 即 時 に 滅 亡 せ し め 候 ふ 条 、 誠 に 人 力 の 及 ぶ 所 に あ ら ず 、 已 に こ れ 神 明 の 御 計 り ご と な り 。 義 経 は 九 国 の 地 頭 に 、 行 家 は 四 国 の 地 頭 に 補 さ れ て お り 、 院 庁 が 、 義 経 の 申 し 出 を 容 れ 、 行 家 と 義 経 二 人 に 、 都 落 ち に 際 し て で き る だ け の 権 限 を 与 え て い た こ と が 分 か る 。 ま た 、 行 家 と 院 の つ な が り に 関 し て 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ 寿 永 三 年 二 月 三 日 条 に 、 今 日 行 家 入 京 す 。 そ の 勢 僅 か に 七 八 十 騎 と 云 々 。 院 の 召 し に 依 り て な り 。 と あ り 、 義 仲 が 討 た れ た 後 も 、 行 家 と 院 の 結 び つ き は 続 い て い た 。 物 語 で は 、 こ の よ う な 行 家 の 存 在 は 消 え 、 義 経 の み に 照 明 が 当 た る 。 行 家 は 、 ﹁ 相 伴 フ ﹂ 輩 と し て 、 義 経 に つ い て い く と い う 設 定 で あ る 。 こ う し て 義 経 と 共 に 都 落 ち し た 行 家 ら で あ る が 、 伊 栄 行 家 ヲ 始 ト シ テ 、 臼 杵 経 続 心 替 シ テ 引 別 ニ ケ レ バ 、 与 力 ノ 輩 皆 チ リ ぐ ニ 成 リ ニ ケ リ 。 と ﹁ 心 替 シ テ ﹂ ﹁ 引 別 ﹂ れ る と 描 か れ る 。 こ の 場 面 を 、 史 料 の 記 事 と 比 較 す る 。 ﹃ 玉 葉 ﹄ 文 治 元 年 十 月 八 日 条 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 四
伝 へ 聞 く 、 義 経 行 家 等 、 去 る 五 日 夜 乗 船 、 大 物 辺 に 宿 る 。 追 ひ 行 く 武 士 等 、 近 辺 の 在 家 に 寄 宿 す ︵ 略 ︶ 。 未 だ 合 戦 せ ざ る 間 、 夜 半 よ り 大 風 吹 き 来 た り 、 九 郎 乗 る 所 の 船 、 併 し な が ら 損 亡 し 、 一 艘 と し て 全 き 無 し 。 船 過 半 海 に 入 る 。 そ の 中 、 義 経 行 家 等 、 小 船 一 艘 に 乗 り 和 泉 の 浦 を 指 し 逃 げ 去 り 了 ん ぬ と 云 々 。 家 光 に 於 て は 梟 首 し 了 ん ぬ 。 豊 後 の 武 士 等 の 中 、 或 は 降 人 に な り 、 範 資 の 許 に 来 た り 、 又 生 き な が ら 捕 取 せ ら れ 了 ん ぬ と 云 々 。 義 経 と 行 家 は 、 小 船 一 艘 に 乗 り 共 に 逃 げ た と さ れ て お り 、 行 家 に ﹁ 心 替 ﹂ し た こ と は 記 さ れ な い 。 ま た 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 文 治 元 年 十 一 月 六 日 の 記 事 で は 、 行 家 ・ 義 経 、 大 物 の 濱 に お い て 乗 船 の 刻 、 疾 風 に は か に 起 り て 、 逆 浪 船 を 覆 す の 間 、 慮 外 に 渡 海 の 儀 を 止 め 、 伴 類 分 散 し て 、 豫 州 に 相 従 ふ の 輩 わ づ か に 四 人 、 い は ゆ る 伊 豆 右 衛 門 尉 ・ 堀 彌 太 郎 ・ 武 蔵 房 弁 慶 な ら び に 妾 女 字 は 静 。 一 人 な り 。 ﹁ 伴 類 分 散 し て ﹂ と 記 さ れ る が 、 ﹁ 心 替 ﹂ と い う 積 極 的 な 行 為 は 書 か れ な い 。 次 に 諸 本 の 記 述 を 比 較 す る と 、 長 門 本 、 源 平 盛 衰 記 、 四 部 合 戦 状 本 、 覚 一 本 と も に ﹁ 義 経 ・ 行 家 そ の 行 方 を 知 ら ず 。 ﹂ と 記 し て い る 。 四 部 合 戦 状 本 に お い て は ﹁ 臼 杵 ・ 緒 方 変 心 し て 引 き 分 か れ け れ ば 、 与 力 の 輩 皆 散 々 に 成 り 行 き け り 。 ︵ 中 略 ︶ 義 経 ・ 行 家 は 、 其 の 行 方 を 知 ら ず ﹂ と 、 ﹁ 変 心 ﹂ と い う 言 葉 が み え る も の の 、 ﹁ 臼 杵 ・ 緒 方 ﹂ の 変 心 で あ り 、 行 家 に は あ て は め ら れ て い な い 。 延 慶 本 で は 、 豊 後 武 士 と 、 行 家 が ﹁ 心 替 ﹂ し た 為 に 、 義 経 は 、 都 落 ち 後 の 勢 力 基 盤 を 失 い 、 孤 立 さ せ ら れ 、 吉 野 へ 落 ち て い く こ と に な る 。 そ し て こ の 後 、 行 家 義 経 追 討 宣 旨 が 下 さ れ た こ と が 記 さ れ る 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 五
十 二 月 六 日 、 美 乃 近 江 両 国 ノ 源 氏 等 、 義 経 行 家 ヲ 追 罰 ノ 為 ニ 西 国 ヘ 下 ル 。 山 陽 南 海 西 海 三 道 ノ 国 々 ノ 輩 、 彼 ノ 両 人 ヲ 召 取 テ 可 献 之 由 、 院 宣 ヲ 下 サ ル 。 其 状 ニ 云 ク 、 前 備 前 守 源 行 家 、 前 伊 予 守 同 義 経 等 、 野 心 ヲ 挟 ミ 、 遂 ニ 西 海 ニ 趣 テ 、 摂 津 国 ニ オ イ テ 纜 ヲ 解 ク 之 間 、 忽 ニ 逆 風 ノ 難 ニ 逢 フ 。 誠 ニ 是 一 天 ノ 健 也 。 漂 没 ノ 聞 、 其 説 有 ト 雖 モ 、 命 ヲ 損 ス ノ 実 、 猶 疑 無 キ ニ 非 ズ 。 早 ク 従 二 位 源 朝 臣 ニ 仰 テ 、 不 日 ニ 在 所 ヲ 尋 ネ 捜 リ 、 其 身 ヲ 提 ゲ 搦 メ シ メ ヨ 者 。 文 治 元 年 十 二 月 六 日 右 中 弁 ︵ 第 六 末 十 三 ﹁ 義 経 可 追 討 之 由 被 下 院 宣 事 ﹂ ︶ ﹁ 早 ク 従 二 位 源 朝 臣 ニ 仰 テ ﹂ と 、 頼 朝 に 対 し て 仰 せ 付 け ら れ て い る こ と に 注 目 す る 。 こ こ で 頼 朝 は 、 義 経 と 行 家 を 追 討 す る 、 正 式 な 権 限 を 法 皇 よ り 得 た 。 義 経 を 擁 護 し て い た 法 皇 は 、 義 経 都 落 ち 後 、 頼 朝 へ と 翻 っ た の で あ る 。 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ で は 、 院 の 御 下 文 が 下 賜 さ れ 、 義 経 が 離 京 し た 後 、 次 の よ う な 記 事 が 記 さ れ て い る 。 文 治 元 年 十 一 月 五 日 条 、 関 東 よ り 発 遣 の 御 家 人 等 入 洛 す 。 二 品 忿 怒 の 趣 、 ま づ 左 府 に 申 す と 云 々 。 院 に 対 し 、 激 怒 し て い る 頼 朝 の 様 子 が 伝 え ら れ て い る 。 そ し て ﹃ 玉 葉 ﹄ で は 、 行 家 義 経 追 討 宣 旨 が 下 さ れ る 前 、 文 治 元 年 十 一 月 九 日 の 記 事 に 、 院 よ り 頼 朝 の 許 に 御 使 を 遣 は さ る べ き 由 、 そ の 定 め あ り 。 経 房 鑄、 光 長 朝 臣 、 定 長 等 そ の 謀 を 廻 す と 云 々 。 又 澄 憲 法 印 同 じ く 沙 汰 を 廻 す と 云 々 。 而 る に こ の 輩 皆 停 止 。 若 宮 の 別 当 丸 ︵ 頼 朝 の 近 臣 、 日 来 在 京 す と 云 々 ︶ 、 昨 朝 遣 さ れ 了 ん ぬ 。 そ の 御 定 の 趣 、 人 知 ら ず 。 最 密 の 事 と 云 々 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 六
内 容 は 分 か ら な い な が ら 、 法 皇 か ら の 、 御 下 文 に 対 す る 弁 解 ・ 行 家 義 経 追 討 宣 旨 に つ い て の 取 り 決 め が あ っ た か と 推 察 さ れ る 。 ま た 文 治 元 年 十 一 月 二 十 六 日 条 の 、 頼 朝 の 書 状 に は 、 行 家 義 経 の 謀 叛 の 事 、 天 魔 の 所 為 た る 由 仰 せ 下 さ る 。 と 記 さ れ て お り 、 院 庁 が 、 頼 朝 追 討 宣 旨 や 、 行 家 と 義 経 の 地 頭 任 命 な ど の 行 為 を 、 ぼ か そ う と し て い る こ と が 窺 え る 。 こ の 場 面 の 背 景 に は 、 頼 朝 の 圧 迫 を 受 け た 法 皇 の 、 義 経 か ら 頼 朝 へ の 、 心 変 わ り と い う べ き 行 為 が あ る 。 延 慶 本 で は 、 御 下 文 で 命 ぜ ら れ た 豊 後 武 士 た ち の ﹁ 心 替 ﹂ で 、 御 下 文 の 効 力 が な く な っ た こ と が 表 さ れ 、 ま た 院 と つ な が り の あ っ た 行 家 に 、 ﹁ 心 替 ﹂ と い う 行 為 が あ て は め ら れ て い る 。 こ れ ら の こ と に よ り 、 義 経 の 再 起 は 不 可 能 な も の と な り 、 義 経 は 滅 亡 へ の 一 途 を 辿 っ て い く 。
五
頼
朝
に
よ
る
常
陸
房
昌
命
へ
の
流
罪
と
﹁
面
目
﹂
行 家 は 、 頼 朝 に 拒 絶 さ れ 、 そ の 許 を 去 っ た 後 、 義 仲 そ し て 義 経 の 許 へ と 赴 き 、 そ れ ぞ れ の 滅 亡 を 促 進 さ せ て い っ た 。 そ し て 行 家 自 身 、 院 宣 に よ り 謀 反 人 と な り 、 頼 朝 の 使 者 に よ っ て 討 た れ る こ と に な る 。 行 家 最 期 の 場 面 、 第 六 末 廿 二 ﹁ 十 郎 蔵 人 行 家 搦 ラ ル ル 事 付 ケ タ リ 人 々 解 官 セ ラ ル ル 事 ﹂ の 末 尾 に は 、 頼 朝 に よ る 行 家 の 死 後 処 置 の 記 事 が 置 か れ て い る 。 行 家 の 誅 罰 を い か に 扱 う か は 、 頼 朝 に と っ て の 問 題 で あ り 、 行 家 が 関 わ っ て い く も の で は な い 。 し か し 、 延 慶 本 が 行 家 の 死 を ど の よ う に 描 く か を 明 ら か に す る た め に 、 取 り 上 げ た い 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 七本 文 を 引 用 す る 。 昌 命 、 十 郎 蔵 人 ノ 首 ヲ 持 セ テ 、 鎌 倉 ヘ 下 リ タ リ ケ レ バ 、 ﹁ 神 妙 也 ﹂ ト 感 ジ 給 ケ レ バ 、 ﹁ イ カ ナ ル 勧 賞 ニ カ 預 ラ ム ズ ラ ム ﹂ ト 、 人 々 申 ケ ル ニ 、 勧 賞 ニ ハ 預 ラ ズ シ テ 、 下 総 国 鐚西 ト 云 所 ヘ 流 サ レ ニ ケ リ 。 諸 人 、 ﹁ コ ハ イ カ ナ ル 事 ゾ ヤ ﹂ ト 、 驚 申 ケ レ ド モ 、 其 心 ヲ 知 ラ ズ 。 二 年 ト 申 ニ 、 ﹁ 行 家 誅 タ リ シ 僧 ハ 、 下 総 国 ヘ 流 シ ツ カ ハ サ レ ニ キ 。 未 ア ル カ 、 召 セ ﹂ ト テ 召 返 シ テ 、 鎌 倉 殿 ノ 宣 ケ ル ハ 、 ﹁ イ カ ニ ワ 僧 、 ワ ビ シ ト 思 ツ ラ ム ナ 。 下 臈 ノ 身 ニ テ 、 大 将 タ ル 者 ヲ 誅 ツ ル ハ 、 冥 加 ノ ナ キ 時 ニ 。 和 僧 ノ 冥 加 ノ 為 ニ 流 遣 タ リ ツ ル 也 ﹂ ト テ 、 勧 賞 ニ ハ 、 摂 津 土 宅 庄 、 但 馬 国 ニ 太 田 庄 、 二 ヶ 所 ヲ ゾ 給 タ リ ケ ル 。 是 昌 命 ガ 面 目 ニ ア ラ ズ ヤ 。 ﹁ 昌 命 ﹂ は 、 こ の 前 に 記 さ れ る 、 行 家 と の 戦 い の 場 面 で 初 め て 登 場 す る 。 ︵ 北 条 ガ 甥 ニ 北 条 平 六 時 定 ︶ 又 大 源 次 宗 安 ヲ ヨ ビ テ 、 ﹁ 何 哉 、 己 ガ ミ ヤ ダ テ タ リ シ 山 僧 ハ 有 カ 。 召 テ 参 レ ﹂ ト テ 、 宗 安 ヲ 遣 ス 。 是 ハ 西 塔 法 師 ニ 常 陸 房 昌 命 ト 云 者 也 。 ︵ 延 慶 本 廿 二 ﹁ 十 郎 蔵 人 行 家 搦 ラ ル ル 事 付 ケ タ リ 人 々 解 官 セ ラ ル ル 事 ﹂ ︶ 傍 線 部 に み ら れ る よ う に 、 ﹁ 西 塔 法 師 ニ 常 陸 房 昌 命 ﹂ と い う 人 物 で 、 蔵 人 息 ヲ シ ズ メ テ 、 ﹁ 抑 ワ 僧 ハ 山 僧 カ 、 寺 法 師 カ 。 又 鎌 倉 ヨ リ ノ 使 カ 、 平 六 ガ 使 カ ﹂ 。 ﹁ 鎌 倉 殿 ノ 御 使 、 西 塔 北 谷 法 師 、 常 陸 房 昌 命 ト 申 者 也 ﹂ ト 云 ケ レ バ 、 ︵ 同 右 ︶ ﹁ 鎌 倉 殿 ノ 御 使 ﹂ と 、 自 身 を 称 す る 。 し か し 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 文 治 二 年 三 月 廿 七 日 条 の 、 時 政 に よ る 洛 中 警 護 の 勇 士 選 定 の な か に 、 ﹁ ひ た ち は う ﹂ の 名 が み え る の で 、 当 時 は 時 政 配 下 の 者 で あ っ た よ う で あ る 。 こ の 昌 命 が 、 行 家 を 誅 し 、 頼 朝 の 許 ヘ 首 を 届 け た と こ ろ 、 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 八
勧 賞 ニ ハ 預 ラ ズ シ テ 、 下 総 国 鐚西 ト 云 所 ヘ 流 サ レ ニ ケ リ 。 と い う 処 置 が 下 さ れ る 。 こ の と き 、 昌 命 が 鐚西 へ 流 さ れ た こ と は 、 管 見 の 及 ぶ 限 り で は 史 料 に 確 認 で き な い 。 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 文 治 二 年 九 月 十 三 日 条 、 行 家 誅 罰 か ら 約 四 ヶ 月 後 の 記 事 に 、 最 勝 寺 領 越 前 国 大 蔵 庄 の 事 、 北 条 四 郎 時 政 の 代 時 定 、 な ら び に 常 陸 房 昌 明 等 、 押 領 を 致 す の 由 、 寺 の 解 を 副 へ て 、 院 宣 を 下 さ る る と こ ろ な り 。 よ っ て 御 沙 汰 を 経 ら れ 、 自 今 以 後 、 時 政 地 頭 職 を 知 行 す と い へ ど も 、 本 寺 の 下 知 を 忽 緒 す べ か ら ず 。 早 く 新 儀 の 無 道 を 停 止 し 、 本 寺 の 進 止 に 従 ひ 、 年 貢 課 役 の 勤 め を 致 さ し む べ き の 由 、 仰 せ 下 る る と こ ろ な り 。 と あ り 、 昌 明 が 越 前 国 に い た こ と が 記 さ れ て お り 、 時 政 の 代 官 時 定 と 共 に 行 動 し て い る こ と か ら 、 流 罪 は な さ れ て い な い 可 能 性 が あ る 。 ま た 、 行 家 誅 罰 か ら ち ょ う ど 二 年 後 の 、 文 治 四 年 六 月 十 七 日 条 、 常 陸 房 昌 明 は 、 近 年 京 都 よ り 参 る と こ ろ な り 。 元 延 暦 寺 に 住 す 。 武 勇 に て そ の 名 を 得 る な り 。 中 就 前 備 前 守 行 家 を 誅 し て 以 降 、 人 之 を 憚 る と 云 々 。 昌 命 は 京 都 に い た こ と が 分 か り 、 や は り 流 罪 が 行 わ れ た 可 能 性 は 低 い 。 こ の こ ろ 昌 命 が 鎌 倉 に 来 て い た 、 と い う こ と に 注 目 す る 。 昌 命 の 流 罪 は 、 行 家 を 討 っ た 後 鎌 倉 を 離 れ て い た こ と 、 そ し て 二 年 近 く た っ て 鎌 倉 へ 戻 っ て 来 て い た こ と が 元 に な っ た 、 創 作 で は な い だ ろ う か 。 二 年 後 、 昌 命 を 召 し 還 し た 頼 朝 は 、 流 罪 の 真 意 を 語 る 。 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 八 九
イ カ ニ ワ 僧 、 ワ ビ シ ト 思 ツ ラ ム ナ 。 下 臈 ノ 身 ニ テ 、 大 将 タ ル 者 ヲ 誅 ツ ル ハ 、 冥 加 ノ ナ キ 時 ニ 。 和 僧 ノ 冥 加 ノ 為 ニ 流 遣 タ リ ツ ル 也 。 身 分 の 低 い 者 が 、 大 将 を 討 つ こ と は 、 冥 加 の 無 く な る 行 為 で あ る と し 、 昌 命 の 冥 加 を 失 わ せ な い 為 に 、 流 罪 を 処 し た と 明 か さ れ る 。 行 家 を 誅 し た 、 昌 命 の 冥 加 を 重 ん じ る 頼 朝 が 描 か れ て い る 。 そ し て 昌 命 に は 所 領 が 与 え ら れ 、 ﹁ 是 昌 命 ガ 面 目 ニ ア ラ ズ ヤ ﹂ と 結 ば れ る 。 こ れ は 、 延 慶 本 独 自 の 文 章 で あ る 。 昌 命 に 処 せ ら れ た 一 旦 の 流 罪 は 、 頼 朝 の 昌 命 へ の 温 情 か ら な さ れ た も の で あ り 、 改 め て 勧 賞 を 賜 っ た こ と は 、 昌 命 に と っ て こ の 上 な い ﹁ 面 目 ﹂ で あ る と 評 さ れ る 。 こ の 一 文 に よ り 、 頼 朝 の 昌 命 に 対 す る 計 ら い が 、 賛 え ら れ て い る と い え よ う 。 行 家 の 誅 罰 は 、 そ の 末 尾 に 置 か れ る 昌 命 の 流 罪 を 介 し て 、 頼 朝 礼 賛 へ と 繋 が っ て い る 。
お
わ
り
に
延 慶 本 の 行 家 は 、 平 治 の 乱 雪 辱 を 期 す る 、 源 氏 の 嫡 流 頼 朝 と 義 経 に 繋 が る 存 在 と し て 、 登 場 す る 。 そ の 人 物 は 、 夜 討 強 盗 、 所 領 無 心 す る 、 堕 ち た 武 士 で あ り 、 ま ず 頼 朝 を 恃 ん で 退 け ら れ 、 頼 朝 か ら 離 反 す る 。 次 い で 恃 ん だ 義 仲 に 引 き 受 け ら れ る も 、 義 仲 不 在 の 時 を 狙 い 、 ﹁ 院 ノ 切 人 ﹂ を し て 法 皇 に 義 仲 誅 罰 を 勧 め 、 ま た 義 経 に 伴 っ て 都 落 ち す る も 、 た ち ま ち ﹁ 心 替 ﹂ し て 義 経 を 裏 切 る 。 こ う し た 行 家 の 行 為 に よ っ て 、 義 仲 、 義 経 の 滅 亡 が 促 進 さ れ て い っ た 。 そ し て 行 家 を 退 け た 頼 朝 が 、 一 人 台 頭 し て い く 。 史 料 で は 、 義 仲 、 義 経 に 対 す る 延 慶 本 の 行 家 の 行 為 は 、 頼 朝 が 法 皇 と 結 ん で 行 っ た 、 義 仲 、 義 経 滅 亡 の 企 て と し て 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 九 〇記 さ れ て い る 。 延 慶 本 で は 、 こ の 頼 朝 の 画 策 は 描 か れ ず 、 行 家 が 引 き 起 こ し て い っ た 源 氏 内 部 抗 争 に よ っ て 、 義 仲 、 義 経 が 滅 び 、 頼 朝 政 権 の 誕 生 が 導 か れ る と い う 構 造 と な っ て い る 。 そ し て 頼 朝 の 行 家 誅 罰 の 際 に は 、 行 家 を 討 っ た 昌 命 に 流 罪 が 設 定 さ れ て い る 。 そ れ は 昌 命 に 対 す る 頼 朝 の こ の 上 な い 配 慮 で あ っ た と さ れ 、 頼 朝 が 賛 え ら れ て い く 。 註 盧 吉 田 晴 洋 氏 ﹁ 平 家 物 語 研 究 │ │ 十 郎 蔵 人 行 家 像 │ │ ﹂ ︵ ﹃ 緑 岡 詞 林 ﹄ 十 九 青 山 学 院 大 学 日 文 院 生 の 会 一 九 九 五 年 三 月 ︶ 盪 佐 倉 由 泰 氏 ﹁ ﹃ 平 家 物 語 ﹄ に お け る 行 家 ﹂ ︵ 人 文 科 学 論 集 文 化 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 学 科 編 ﹃ 信 州 大 学 人 文 学 ﹄ 三 〇 一 九 九 六 年 三 月 ︶ 蘯 服 部 幸 造 氏 ﹁ 信 太 先 生 義 憲 ﹂ ︵ ﹃ 伝 承 文 学 研 究 ﹄ 十 七 伝 承 文 学 研 究 会 一 九 七 五 年 二 月 ︶ 盻 早 川 厚 一 著 ﹃ 平 家 物 語 を 読 む │ │ 成 立 の 謎 を さ ぐ る │ │ ﹄ ︵ 和 泉 書 院 二 〇 〇 〇 年 三 月 ︶ 眈 前 掲 盧、 吉 田 晴 洋 氏 論 文 眇 赤 松 俊 秀 著 ﹃ 平 家 物 語 の 研 究 ﹄ ︵ ﹁ 頼 政 説 話 に つ い て │ │ 平 家 物 語 の 原 本 に つ い て の 続 論 │ │ ﹂ 法 蔵 館 一 九 八 〇 年 一 月 ︶ 眄 櫻 井 陽 子 著 ﹃ 平 家 物 語 の 形 成 と 受 容 ﹄ ︵ 及 古 書 院 二 〇 〇 一 年 二 月 ︶ 眩 行 家 が 、 陸 奥 十 郎 と 呼 ば れ る の は 、 吾 妻 鏡 で こ の 箇 所 だ け で あ り 、 ま た 他 の 資 料 に お い て も 確 認 で き な い 。 可 能 性 と し て 、 平 治 物 語 ︵ 中 学 習 院 大 学 図 書 館 蔵 本 ︶ に 、 義 朝 の 頼 む 兵 と し て 二 回 、 行 家 と と も に 呼 び 出 さ れ る 、 義 家 六 男 の ﹁ 陸 奥 六 郎 義 隆 ﹂ と の 混 同 が 考 え ら れ る 。 眤 石 井 進 著 ﹃ 日 本 中 世 国 家 史 の 研 究 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 一 九 七 〇 年 七 月 ︶ 眞 角 田 文 衛 氏 は 、 ﹃ 平 家 後 抄 │ │ 落 日 後 の 平 家 ﹄ ︵ 朝 日 新 聞 社 一 九 七 八 年 九 月 ︶ の 中 で 、 ﹁ 為 義 の 子 ・ 十 郎 蔵 人 行 家 ︵ 初 め の 名 は 義 盛 ︶ は 、 為 義 の 娘 の 子 、 第 十 九 代 熊 野 別 当 行 範 ら に 匿 っ て 貰 い 、 平 家 の 眼 か ら 逃 れ て い た ﹂ と 、 平 治 の 乱 後 の 、 行 家 の 行 状 に つ い て 解 析 さ れ て い る 。 眥 中 村 理 絵 氏 は 、 ﹁ 延 慶 本 平 家 物 語 に み る ﹁ 謀 叛 人 頼 朝 ﹂ か ら ﹁ 将 軍 頼 朝 ﹂ へ の 転 換 │ │ 第 四 ﹁ 十 七 文 学 ヲ 使 ニ テ 義 朝 ノ 首 取 寄 事 ﹂ を 契 機 と し て │ │ ﹂ ︵ ﹃ 軍 記 物 語 の 窓 ﹄ 第 二 集 関 西 軍 記 物 語 研 究 会 編 和 泉 書 院 二 〇 〇 二 年 十 二 月 ︶ の 中 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 九 一
で 、 延 慶 本 で は 、 ﹁ ﹁ 父 恥 ﹂ を 雪 む べ き 者 と し て 、 頼 朝 、 義 経 が 同 格 に 扱 わ れ て い る ﹂ と 指 摘 さ れ て い る 。 こ の こ と は 、 延 慶 本 に お い て 、 頼 朝 と 義 経 と が 特 別 視 さ れ て い る こ と を 示 し て い る 。 眦 武 久 堅 氏 ﹁ 木 曽 義 仲 受 難 の 選 択 │ │ ﹁ 人 質 ・ 清 水 冠 者 の 派 遣 ﹂ │ │ ﹂ ︵ ﹃ 日 本 文 藝 研 究 ﹄ 第 五 十 五 巻 第 四 号 関 西 学 院 大 学 日 本 文 学 会 二 〇 〇 四 年 三 月 ︶ 眛 前 掲 眦、 武 久 堅 氏 論 文 本 稿 に お け る 本 文 引 用 は 、 延 慶 本 は ﹃ 延 慶 本 平 家 物 語 本 文 篇 ﹄ ︵ 北 原 保 雄 ・ 小 川 栄 一 編 、 勉 誠 出 版 ︶ 、 長 門 本 は ﹃ 長 門 本 平 家 物 語 の 総 合 研 究 第 二 巻 校 注 篇 ﹄ ︵ 麻 原 美 子 編 、 勉 誠 出 版 ︶ 、 源 平 盛 衰 記 は ﹃ 新 訂 源 平 盛 衰 記 ﹄ ︵ 水 原 一 考 定 、 新 人 物 往 来 社 ︶ 、 四 部 合 戦 状 本 は ﹃ 訓 読 四 部 合 戦 状 本 平 家 物 語 ﹄ ︵ 高 山 利 弘 編 著 、 有 精 堂 出 版 ︶ 、 覚 一 本 は ﹃ 平 家 物 語 ﹄ ︵ 日 本 古 典 文 学 大 系 、 岩 波 書 店 ︶ 、 吾 妻 鏡 は ﹃ 全 譯 吾 妻 鏡 ﹄ ︵ 貴 志 正 造 訳 注 、 新 人 物 往 来 社 ︶ 、 玉 葉 は ﹃ 訓 読 玉 葉 ﹄ ︵ 高 橋 貞 一 著 、 高 階 書 店 ︶ 、 ﹃ 宇 津 保 物 語 ﹄ ︵ 新 編 日 本 古 典 文 学 大 系 、 小 学 館 ︶ に よ る 。 付 記 本 稿 は 、 関 西 軍 記 物 語 研 究 会 第 五 十 二 回 例 会 ︵ 二 〇 〇 四 年 十 二 月 十 二 日 於 京 都 女 子 大 学 ︶ で の 口 頭 発 表 に 基 づ き 、 加 筆 修 正 を 施 し た も の で す 。 席 上 御 教 示 を 賜 っ た 諸 先 生 方 に 、 厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 ︵ ひ ら ぎ み や こ ・ 関 西 学 院 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 博 士 課 程 後 期 課 程 ︶ 延 慶 本 平 家 物 語 の 行 家 一 九 二