イギリスにおける環境保護を目的とした市民参加制
度
著者
林 晃大
氏 名 学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目 論 文 審 査 委 員 (主査) (副査)
林 晃 大
博 士(法 学)
甲法第18号(文部科学省への報告番号甲第520号)
学位規則第4条第1項該当
2014年3月3日
前 田 雅 子
曽 和 俊 文
榊 原 秀 訓
(南山大学教授) 教 授 教 授イギリスにおける環境保護を目的とした市民参加制度
論 文 内 容 の 要 旨
本論文は、イギリスにおける環境保護行政制度について、環境情報の公開制度、環境に関する行政決定へ の市民参加制度、環境に関する行政決定についての司法審査制度の3つの角度から、紹介・検討したもので ある。 まずは本論文の内容を要約してみたい。本論文は、本論が4部からなっており、それに「はじめに」と「お わりに」が付加されている。 「はじめに」では、本論文執筆の問題意識、本論文の分析対象、本論文の構成などが述べられている。 環境保護は、今や、国内行政の重要課題であるだけではなく、国際的に取り組むべき重要課題である。さ まざまな国際的なとりくみがあるが、本論文では、1998年にデンマークのオーフスで締結されたオーフス条 約(「環境に関する、情報へのアクセス、意思決定における市民参加、司法へのアクセスに関する条約」)に 注目し、同条約が示した、3つの課題(①環境情報へのアクセス、②環境に関する意思決定における市民参加、 ③司法へのアクセス)にそって、イギリスの環境保護制度を紹介し、検討している。すなわち、第一部(公 的登録簿制度)と第二部(環境情報開示)とは、オーフス条約の第1の課題に、第三部(環境許可制度と市 民参加)は第2の課題に、第四部(環境公益訴訟)は第3の課題に対応している。 オーフス条約の締結国は46カ国に及んでいるが、わが国はまだ締結していない。林氏は、わが国での環境 権論を振り返り、環境権の手続的側面を重視する最近の議論を支持し、それがオーフス条約が提起した3つ の課題につながっていることを指摘している。オーフス条約の示す3つの課題に沿ってイギリスの環境行政 制度を評価しようとする本論文の基本的な構成は、環境権の実効的な保障のあり方を探るという問題意識に 支えられているということが出来る。 第1部は「公的登録簿制度を通じた環境情報の提供」と題され、イギリスにおける公的登録簿制度の生成・ 展開・現状が詳しく紹介されている。 公的登録簿とは、水質汚濁、廃棄物処理、大気汚染、放射性物質、遺伝子組み換え生物、土壌汚染などの 主要な環境規制の仕組みに関連して収集、作成される環境情報の義務的公表制度である。例えば、水質汚濁 に関しては、排出同意申請書や排出同意の内容詳細、水質目標に関する通知、サンプルに関する情報、水質汚濁取締りに関する情報などが公的登録簿に整理され、市民が無料で閲覧出来るようにされている。廃棄物 処理に関しては、処理施設の免許申請や免許内容、環境庁通知の詳細、環境庁によるモニタリング情報、環 境影響評価書、取締り情報、焼却施設一覧などが公的登録簿に掲載され、市民の閲覧に供されている。汚染 の状況や環境規制の内容について市民が知ることのできる制度として重要な意義を有する。 本論文では 、 公的登録制度がいかにして生成してきたか、その歴史的な展開を詳細にたどっている。すな わち、産業革命後のイギリスでは、環境汚染に対する行政規制の必要性が早くから認識され、1863年のアル カリ法をはじめとする環境規制法律が制定されたが、大気汚染に関する情報などの環境情報は基本的に秘密 にされてきた。本論文では、産業革命から20世紀初頭に至るまでを「秘密性重視の時代」と名付け、その要 因を、①環境情報の技術的専門性、②過激論者の介入や濫訴のおそれ、③営業秘密性、④規制当局への負担 の4つの角度から説明している。 1974年汚染規制法が水質汚濁関連情報に関する公的登録簿制度を導入し、1985年に施行されることにより、 秘密性保護の時代は終わりを告げたが、論文では、秘密主義を批判し公的登録簿制度の導入を導いたものと して、王立環境汚染委員会(RCEP)の勧告を取り上げて検討している。また、秘密主義を批判する学説も 紹介している。 公的登録簿に登録され、市民に公表される環境情報の内容は、大気汚染、水質汚濁などの分野別に個別に 説明された後、まとめとして、一覧表となって示されている。また、公的登録簿制度の特徴は次のようにま とめられている。「①情報の利用可能性:公的登録簿は適切な時間帯であれば市民が無料で閲覧することが でき、また適切な手数料を支払えば文書の複写を取得することができる。②情報の性質:公的登録簿に登録 される情報は、(a) 許可や同意の申請の詳細、(b) 事業者の氏名や住所を含む許可や同意の詳細、(c) 当局によ る執行の詳細、(d) 審査請求の詳細、(e) モニタリング結果のように規制当局や事業者によって収集された情 報などである。③例外:情報の公開が国家安全に反したり、情報が商業的秘密性を有するような場合には公 的登録簿から除外される。なお、当該情報が商業的秘密情報に該当するかどうかについての規制当局による 判断に不服があれば、事業者は審査請求をすることができる。」 最後にわが国との比較がなされている。わが国では、水質汚濁防止法や大気汚染防止法に汚染状況の公表 の規定がある。また、地方公共団体でも土壌汚染状況の公表などの例がある。廃棄物処理法は廃棄物処理施 設許可申請書の公開や維持管理状況の公開の規定を定め、特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理 の改善の促進に関する法律(PRTR 法)は化学物質の公表制度を導入している。林氏はこれらの例を紹介し つつも、これらの例が断片的な制度にとどまっていること、能動的な公開になっていないことなどの不十分 点があり、イギリスの公的登録簿制度に学ぶべき点が大きいと結論づけている。 第2部では、「環境情報開示と2004年環境情報規則」のタイトルの下で、市民の開示請求に応えて環境情 報を開示させる仕組みについて検討している。 オーフス条約は、公的機関が積極的に環境情報を公表する「情報提供制度」と同時に、市民の請求によっ て環境情報を開示する「情報開示制度」の制度化を加盟国に要請している。前者についてイギリスでは、公 的登録後制度を中心とした包括的な環境情報提供制度がある。後者についてイギリスではどうなっているの かを検討しているのが第2部である。 イギリスにおける環境情報開示制度の中心となっているのは2004年の環境情報規則であるが、本論文では、 まず2004年環境情報規則に至るまでの前史として、1990年の EEC 指令、1992年の環境情報規制、 1998年の オーフス条約、2003年の EEC 指令、2000年の情報公開法の内容が紹介・検討されている。 このうち、2000年に制定された情報公開法は、環境情報のみならず一般に政府の有する情報を市民の請求 に従って公開させる仕組みであり、政府に対して、一定の除外情報に該当しない限り原則として情報を公開
する義務を課している。除外情報には絶対的除外情報と条件付き除外情報があり、後者はそれに該当する場 合であっても、公的機関が事案のあらゆる状況に照らして「公益判断」を行い、不開示の公益性が開示の公 益性を上回る場合にのみ、公的機関は情報の開示を拒否することができるというものである。環境情報に関 しては、2004年の環境情報規制が公開の仕組みを定めているので、基本的にはこれによることになるが、環 境情報規則が適用されない領域では一般的な情報公開法に基づき開示を請求することになる。 2004年環境情報規則について、本論文では、制度の基本的な仕組みを紹介するだけではなく、公開の是非 が争われた具体的な事例を検討することで、実際の姿を描き出そうとしている。例えば、制度の仕組みに関 しては、 ①環境情報規則の対象となる「環境情報」とは何か、 ②開示義務を負う「公的機関」とは何か(「行 政機能」をもつ民間団体も含まれるために「行政機能」とは何かという問いを含む)、③「手数料」の「適 切な金額」とはどう判断されるべきか、④公的機関の助言・忠告義務の範囲はどういうものか、⑤開示の形 式はどうあるべきか、⑥開示請求を拒否された場合にどう争う事ができるのか、などに関する不服審査例や 裁判例が紹介されている。 2004年環境情報規則では、開示を拒否できる場合として、①「個人データ」を含む情報の不開示、②情報 あるいは開示請求の性質を根拠にした不開示、③一定の要素に対して「悪影響を与える」場合の不開示とい う3つの類型を規定している。そこで論文では、この3つの類型のそれぞれについて、主要論点の所在が示 され、具体的な紛争事例が検討されている。②と③の不開示類型については、公的機関に「公益判断」を行 うことを義務付けており、公的機関は「不開示の公益性が開示の公益性を上回る」ことを証明することがで きなければ、情報を不開示とすることができない。 わが国では、環境情報に特化した情報開示制度はないので、一般的な情報公開制度の枠組みで環境情報の 公開が求められることになる。林氏は、わが国とイギリスの制度を比較して、「イギリスでは不開示の公益 性が開示の公益性を上回らなければ不開示とすることができないこととなるのに加えて、『開示推定原則』 が規定されていることから、たとえ例外規定に該当する情報であったとしても『開示』を前提としなければ ならないのである。一方、わが国では、例外規定に該当していたとしても公益上の必要性があれば開示する ことが『できる』と規定されており、『不開示』を前提とした制度が導入されている。この点から、規定だ けを見ると、イギリスではわが国よりも情報が不開示とされる可能性が低いと考えられる」と結論づけている。 第3部では、「環境意思決定に対する市民参加」とのタイトルの下で、イギリスにおける、環境に関する 行政決定についての市民参加制度が検討されている。 まずはじめに、イギリスにおいては、都市計画領域における市民参加が長い歴史を有しているのに対して、 環境規制領域においての市民参加手続が十分に展開してこなかった事情が説明され、その理由として、環境 意思決定の持つ技術的な性質、産業界と規制当局の間の癒着関係、環境基準の設定に関する広い裁量の存在 などが指摘されている。しかし、1998年のオーフス条約採択後2005年の批准までの間に、イギリスでも、環 境意思決定への市民参加の重要性についての提言が数多く行われてきたという。第2部で紹介した RCEP の報告書や、遺伝子組み換え作物の商業化についての、農業環境バイオテクノロジー委員会(AEBC)の報 告書、オーフス条約の中の市民参加規定の内容などが紹介されている。 市民参加といってもさまざまな類型がある。本論文では、イギリスのある論者の分析を下に、市民参加を、 ①「『利害関係者』型(Stakeholder Model)市民参加」(意思決定の正統性を向上させるだけでなく、利害 関係を持つ市民の権利利益を保護するという目的を有するもの)、 ②「『価値』型(Values Model)市民参加」 (一般市民から広く情報を収集することによって意思決定の前提となる情報の質を高めようとするもの)、③ 「『技術的専門知識』型(Technical Expertise Model)市民参加」(意思決定について専門知識を有している 科学者や技術者、法律家といった専門家の意見を引き出すためのもの)の3類型にわけ、イギリスの市民参
加制度を分析する枠組みとしている。
イギリスでは、幾つかの法律が環境上の意思決定に対する市民参加を規定している。イングランドでは、 2010年環境許可規則が、環境許可決定過程における市民参加について規定する。同規則の下では、「標準許 可(standard permits)」と「特注許可(bespoke permits)」という2種類の環境許可が存在し、前者にお いては、(「標準許可」と「特注許可」の判断基準の策定手続あるいは改正手続への参加の場合を除いては) 市民参加が基本的に認められない。後者、すなわち、環境に比較的大きな影響を与える可能性のある事業に ついて適用される「特注許可」においては、その判断過程への市民による意見提出が認められているが、こ こで意見提出が認められる市民は「利害関係を有していると規制当局が判断する者」に限られている(『利 害関係者』型市民参加)。このように、イングランドにおいて市民参加が限定されているのは、行政規制の 効率化、一貫性の向上をめざしてイギリス政府によって取り組まれている「ベター・レギュレーション計画」 の影響があると指摘されている。 他方、スコットランドでは、「ベター・レギュレーション計画」の影響が少なく、2005年水環境規則や、 2012年汚染防止管理規則により、環境許可決定における意見提出や公聴会の機会が保障されている。参加資 格も利害関係者に限定されず、あらゆる者に参加の機会がある(『価値』型市民参加)。 以上のような制度紹介のあと、林氏は、「イングランドにおいてはベター・レギュレーションの要求に応 じる形で環境許可決定過程の簡素化が図られることによって、規制当局単独の意思決定が重視されており、 規制当局が決定を行うために用いる情報の質の改善や意思決定の正統性の強化、利害関係者の権利保護より も、決定の迅速性と一貫性の確保が強調されているという結論を導き出すことができる。」と指摘しつつ、オー フス条約の要請との関係では、「同条約の下で締約国に課せられた義務を最低限果たしていると考えられる」 と評価している。 第4部では、「環境公益訴訟とオーフス条約」とのタイトルの下で、環境行政上の決定に対する司法審査 制度が分析・検討されている。環境情報開示制度の下での司法審査制度については第2部でも検討されてい るので、ここで主として検討されているのは、環境に悪影響を与えるような行政決定に対する司法審査制度 の現状と問題点である。イギリスでは、もともと、公益を守るための訴訟(公益訴訟)が比較的広く認めら れている。林氏は、修士論文で「イギリスの公益訴訟」について研究し、その成果を「イギリスにおける公 益訴訟」(「法と政治」58巻2号1頁∼98頁)として公表しているが、第4部は、このテーマに関するその後 の研究も含めた集大成となっている。 まず第1に、イギリス行政訴訟制度における原告適格論が分析されている。従来の大権的救済と私法的救 済を1つの手続の下で求めることを可能にした司法審査請求制度の下では、原告適格の有無の判断は司法審 査の許可段階と審理段階の両方で行われなければならない。また、審理段階における「十分な利益」の判断 については、本案と切り離して行うべきではない。これらの一般原則を確認した後、本論文では、個人によ る環境公益訴訟と、団体による環境公益訴訟に分けて、関係する判例が多数分析・検討されている。結論と しては、①「個人の提起する環境公益訴訟においては、原告の主張する違法性の程度ではなく、利害関係を 有する地域住民であることや専門知識を有していることといった原告の立場や能力が原告適格が容認される かどうかの重要な判断要素となっている」こと、②「団体による環境公益訴訟の原告適格については、裁判 所は、違法性があれば原告適格を認めるとする IRC 判決よりもさらに原告適格の範囲を拡大し、提起され ている問題の重要性、主張されている違法性の性質、原告の主張する利益の性質を考慮に入れ、さらに団体 の知名度や社会的地位、専門性なども検討した上、広い裁量を用いて原告適格を認めている」こと、③環境 公益訴訟の原告適格を広く認める判例動向は、学説上も国際的にも高く評価されていること、などが指摘さ れている。
第2に、オーフス条約との関係で、出訴期間と訴訟費用の問題が検討されている。すなわち、オーフス条 約は、環境上の決定に対する司法審査が「差止命令を含む適切かつ効果的な救済を提供し、また公正かつ公 平で、時宜にかなった、不当に高額でないものでなければならない」ことを要請しているが、この点につい てイギリスの制度に問題はないのかが問われている。 出訴期間について、イギリスの制度は、司法審査は「(a)迅速に、かつ(b)請求の根拠が最初に生じてから3 ヶ 月以内に請求しなければならない」としている。3 ヶ月以内との原則は、オーフス条約との関係では特に問 題はないとされるが、裁判所における裁量的運用の中で問題が生じる可能性も指摘されている。 訴訟費用については、敗訴者負担原則の下で高額化が進んでいる現状が紹介され、法的扶助制度や訴訟費 用の免除等を命ずる裁判所による命令の運用を工夫するなどの改革の必要性を指摘している。結論的には、 次のように指摘されている。すなわち、 「環境公益訴訟を原告適格のみならず訴訟費用の面からも市民にとっ て利用しやすい制度にしない限り、司法へのアクセスの促進にはつながらないことから、オーフス条約の意 図する『環境問題に関する司法へのアクセス権』の構築は、イギリスにおいて不十分なものであったと言え よう。しかしながら、2013年に入り、新規則の施行により環境公益訴訟については、原告の支払うべき訴訟 費用に上限が設けられることとなった。これにより、問題視されていたイギリスにおける環境公益訴訟の訴 訟費用の原則も、オーフス条約に適合する形となったのである」。 「おわりに」では、オーフス条約の提起する3つの市民参加の意義を再確認しつつ、その視角からみたイ ギリスの環境保護制度の評価がまとめられている。
論 文 審 査 結 果 の 要 旨
本論文は、オーフス条約の提起した3つの角度(環境情報の公開制度、環境に関する行政決定への市民参 加制度、環境に関する行政決定についての司法審査制度の3つの角度)に基づいて、イギリスにおける環境 保護行政制度について、紹介・検討したものである。本論文の特徴及び価値は、以下の諸点にみることがで きる。 第一に指摘すべきは、本論文が取り扱うテーマの現代性、重要性である。環境保護は、今や国際的にも国 内的にも重要な政治的・行政的課題である。しかも環境保護をめぐる問題は、従来の公害の防止にとどまら ず、自然環境や景観の保護のあり方、廃棄物の処理のあり方、遺伝子組み換え食物や放射性物質の取扱い方 など、幅広い分野に及んでいる。対象となる分野の拡大に伴い、保護すべき環境の中味に関しても市民間で あるいは専門家の間で、意見が分かれることも少なくない。こうした中で環境保護をどう進めるかを考えた 場合に、環境保護のあり方について市民が参加し考えるシステムが不可欠となる。 本論文は、その分析の出発点に、オーフス条約の3つの課題(①環境情報へのアクセス、②環境に関する 意思決定における市民参加、③司法へのアクセス)を置いている。本論文がなぜオーフス条約に注目するの か、オーフス条約の提起する3つの課題が現代の環境保護にとってなぜ重要であるのか、について、本論文 は必ずしも十分な説明をしているわけではないが、環境権を手続的な権利として構成するという最近の議論 について説明しているところに、この点についての林氏の問題意識を伺うことができる。多様な見解をもつ 市民が環境に関する意思決定に参加するシステムを構築すること、そのためには環境に関する情報が広く市 民に共有されるシステムがあるべきこと、環境を保護するために市民が裁判所に訴える仕組みが整えられる べきこと、これらの課題にこたえることが、現代の環境保護制度にとって重要な意味を持つ。本論文はこれ らについて、イギリスの制度を詳細にたどって紹介・検討している点で、現代的かつ有益な研究となっていると評価できる。 第二に指摘すべきは、外国法研究としての緻密さ・詳細さである。本論文は主題に関するイギリスの行政・ 司法制度について、法律や規則の規定に基づき詳細に説明すると共に、なぜそのような制度が生まれるに到っ たかを歴史的にたどり、また制度改革につながった政府委員会の報告書を紹介し、制度運用の実際について も世論調査の結果などを引いて確かめようとしている。例えば、イギリスの2000年情報公開法の概要やイギ リスの行政訴訟制度の概略については、既にわが国でも紹介されているが、公的登録簿の全体像をこれだけ 詳しく紹介したのはおそらく本論文が初めてであろう。また、2004年環境情報規則に基づく環境情報の開示 システムについての紹介・分析も本論文が一番詳しいのではなかろうか。オーフス条約との関連で、訴訟費 用の扶助や訴訟費用の減額命令などについて検討している点も貴重である。 外国の制度を正確に理解し、これをわかりやすく紹介することはなかなか容易ではないが、本論文は、3 つの課題に即して、イギリスの環境保護保護制度を包括的に紹介・検討することに成功している。ただ、既 にわが国で紹介がある部分については先行研究を注であげるだけで説明を省略しているところもあるので、 例えばイギリスの環境法全体の仕組みであるとか、イギリスの行政訴訟制度全体の構造とかいった前提的な 説明に欠けるところがあり、そのためにかえってわかりにくくなっているところもある。また、環境保護制 度の変遷を主として法律・規則の規定や報告書類の指摘を軸に説明しているために、より大きな政治的背景 や社会的背景に触れた方が良いように思われるところもある。例えば市民参加が拡大してくるのは、1997年 のブレア政権(労働党政権)の登場によるところも大きいと思われる。 第三に指摘すべきは、本論文がわが国の行政法研究、環境法研究にとって有する価値である。既に述べた ように、本論文によるイギリスの制度の紹介は、それ自体、わが国における紹介の空白を埋めるものとして 有意義であるが、さらに、わが国の行政法学や環境法学にとっても、本論文は幾つかの問題提起を含んでい るように思われる。 例えば、環境許可の内容や汚染の現況や環境法執行の実態について、項目を定めて公的登録簿に登録させ、 これらを義務的に公開させる仕組みである、公的登録簿制度は極めて興味深い制度であり、わが国でも制度 化が検討されて良いと思われる。 また、行政情報を公開させる仕組みは各国で制度化されており、わが国でも情報公開制度は行政活動の統 制のための制度として重要な意義を有しているが、イギリスにおける情報公開制度の運用の特色である「公 益判断」も、わが国の行政法にとって興味深い研究素材である。わが国では、原則公開の例外である不開示 情報に該当すれば不開示としても違法ではないが、本論文の紹介によれば、イギリスでは、絶対的不開示情 報以外の不開示情報類型については、いったんその除外情報に該当したとしてもそれだけで不開示になるの ではなく、開示の公益性と不開示の公益性とを利益衡量して、不開示の公益性が上回る場合のみ不開示にで きると紹介されている。個別の利益衡量を要求するイギリスの制度が、いかなる理論的根拠をもって登場し てきたのか、判例法の国イギリスの特質といかなる関連があるのかなど、より深い研究がなされることを望 みたい。 行政訴訟の部分では、これまであまり紹介・検討されることのない訴訟費用の問題について検討している ところも参考になる。もっとも、訴訟扶助制度について「ごく少数の真に困窮している者にしか与えられな い」と断定していることについては 、 総額がわが国と比べても相当多いイギリスの制度の評価として妥当か、 評価の視点をどこに置くべきかなどが口頭試問においても議論となった。 原告適格については、公益訴訟を広く認めるイギリスの制度が、わが国の今後の環境訴訟を考える上でも 大いに参考になる。そもそも、公益訴訟を広く認めるイギリスの行政訴訟制度の原理として、アメリカ合衆
国で強調される(そしてわが国でも最高裁によって支持されている)「事件争訟性」の観念がそもそも存在 しないことが注目される。同じく英米法圏内において、イギリスとアメリカとでなぜこのような差異が生じ ているのか。この点を深めてゆくことが求められる。 また、原告適格にしても訴訟費用の減額などにしても、イギリスでは、裁判所の裁量が広く認められてい る。この点についても、イギリスの統治制度における裁判所の位置づけを明確にすることで、より説得的に 説明されるのではなかろうか。 以上のように、本論文は、イギリスの環境保護制度について、詳細に紹介・検討した労作として、高く評 価することができる。ただ、幾つか注文を付けるとすれば、次のような点が気になった。 本論は4部構成であり、それぞれに充実した内容が含まれているが、相対的にみて第3部(環境意思決定 に対する市民参加)の分析が平板である印象がある。利害関係者型市民参加と価値型市民参加の類型分析や 「参加の梯子」による評価などが試みられているが、そもそも市民参加が環境保護にどうつながるのか、多 様な見解をもつ個々の市民間の利害対立はどう調整・克服されるべきなのか、市民参加の法理論的根拠は何 なのか、市民参加が民主性、正統性の根拠となるとなぜ言えるのかなど、市民参加を進めることが善である という前に検討すべき理論的課題があるのではないか。この点での掘り下げが不足しているために、説得力 を欠く面がある。また、博士論文全体のタイトルにある「市民参加」と第3部の「市民参加」とは広義の市 民参加と狭義の市民参加の関係にあると思われるが、この点についての説明もある方が良い。 また、全体として叙述内容に重複・繰り返しが多いことも気になった。全体構成を明確にして繰り返し部 分を省けばもう少し引き締まった論文となったと思われる。また、訳語についても改善した方がわかりやす いのではないかと思われるもの(consultee, とか、protective cost order など)がある。注の付け方などに ついても若干の注文をつけたいところがある。 いろいろと注文を付けてきたが、本論文は、わが国では余り知られていないイギリスの環境保護制度につ いて、環境情報の公表制度、環境上の決定に対する市民参加制度、環境上の決定に対する司法審査制度の3 つの角度から、詳細かつ綿密に紹介・検討を加えた論文であり、今後の我が国の環境保護制度の立案、ない し、行政法学・環境法学の前進に寄与するところの多い労作である。 本論文については、2014年1月22日、関西学院大学法学研究科の規定に従って、学内に広く公示・予告し た公開の研究会での本人の研究報告を聞き、同時に、審査委員による口述試験が行われた。その前後にも審 査委員3名による審査委員会をもって審査を行った。これらの結果をすべてふまえて、審査委員3名は、林 晃大氏の本論文を課程博士論文として十分な水準に達していると評価することができるとの結論に至ったこ とを報告する。