高等教育における中等教育英語科指導法のあり方 :
教材としての米国文学とジェンダー・セクシュアリ
ティ問題を通して
著者
千代田 夏夫
雑誌名
鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要
巻
25
ページ
117-132
発行年
2016-02-26
URL
http://hdl.handle.net/10232/00029400
2016, Vol.25, 117-132 ・はじめに 本稿は中学3 年生の英語の授業を想定し、アメ リカ文学の教材としての可能性を探る、鹿児島大 学「英語科指導法Ⅱ(英米文学)」(前期完了)1 における3 年間の試みをレヴューしつつ論考する ものである。とくに2014・2015 年度の二年間は ジェンダー・セクシュアリティの観点から読むと いう「制約」を付けて行った。2013・2014 年度の 当該授業については既に本学紀要において論文化 2しているので本稿では本年度のレヴューを中心 に、過去二年間の成果も総合しながら考察を行い たい。 2015 年度紀要にも記したことだが3、平成25 年 (2013)年 12 月 13 日に公表された「グローバル 化に対応した英語教育改革実施計画」4では、最 終頁7 頁を全て割いた「日本人としてのアイデ ンティティに関する教育の充実について」の項目 で、国語教育における「古典に関する指導を重視」 「文学教材の充実」等が挙げられている。つまり ある国のアイデンティティの根底には文学の存在 が大きいのであり、なれば真の相互理解に基づく グローバル化においては実践面での英語のみなら ず、相手国の文学を学ぶこともまた、自国の文学 の学び同様の重要性を有すると充分に考えられる のではないか。 2015 年 3 月 31 日東京都渋谷区議会は同性カッ プルを結婚に相当する関係と認め、「パートナー」 として証明書を発行する条例を賛成多数で可決、 4 月 1 日付で施行された5。また2015 年 6 月 26 日、 アメリカ合衆国連邦最高裁判所の判決において合 衆国全域で同性婚が認められた6。平均15 歳の中 学三年生という年齢、第二次性徴もほぼ完成し、 セックス・ジェンダーという二点からの「性」に おけるゆらぎの最中7にあって、しかしながら性 をタブー視する社会規範下においてその悩みは表 面化しにくい。「性的少数者」とされる同性愛や 両性愛、無性愛(asexual)等に関しては、性をタブー 視する社会構造のうちで更にマイノリティとされ る同性愛を語る際の二重のくびきたるダブル・バ インドに縛られ、なおのことである。ジェンダー・ セクシュアリティに関してはまだまだ手薄な保健 体育という科目のほかに、文学教材を用いた英語
高等教育における中等教育英語科指導法のあり方
-教材としての米国文学とジェンダー・セクシュアリティ問題を通して-
千代田 夏 夫
[鹿児島大学教育学系(英語教育)]American literature and issues of gender and sexuality studies as components of English
education at junior high school: Developing its methodology at college
CHIYODA Natsuo キーワード:英語科指導法教育、中等教育、高等教育、米国文学、ジェンダー・セクシュアリティ 1 教職に関する科目として教育職員免許法に則って開講されている。 2 千代田夏夫「中学校英語教育教材としての米国文学作品—大学学部教育におけるテクスト選定作業を中心に—」『鹿児 島大学教育学部教育実践紀要』第23 巻(2014)、95-102、千代田夏夫「中等教育英語における、米国文学とジェンダー・ セクシュアリティ—高等教育での教材選定と模擬授業を通して」『鹿児島大学教育学部教育実践紀要』第24 巻(2015)、 103-118。 3 千代田(2015)、105。 4 http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/__icsFiles/afieldfile/2014/01/31/1343704_01.pdf 2015/9/24 アクセス。 5 日本経済新聞 2013 年 3 月 31 日「同性パートナー条例が成立 渋谷区議会で賛成多数」http://www.nikkei.com/article/ DGXLASDG31H7P_R30C15A3CZ8000/ 2015/9/17 アクセス。 6 朝日新聞デジタル 2015 年 6 月 27 日。「同性婚「全米州で合意」連邦最高裁判判決、論争に決着」(ニューヨーク = 中井 大助)http://www.asahi.com/articles/ASH6V7R3KH6VUHBI044.html 2015/9/17 アクセス。 7 村瀬幸浩『男子の性教育 柔らかな関係づくりのために』(大修館書店、2014)、155。
の授業でこの問題を扱うことは、文学と英語とい う、二重の、いわば異化要素があるがゆえに、有 益有効なものとなるのではないか。かえって語り やすくなるのではないか。 本稿の試みは、グローバル化という一言に秘め られた真の多様性理解を目指して、英語教育・文 学教育そして性教育三者が一体となった立体的な 授業の可能性を論考するものである。本授業では グループワークが中心となり、グルーピングは教 員の作成したくじ引きで行われる。一学期間に、 後述するウォームアップを経て二回の正規の模擬 授業を行うが、第二ローテーションの段階でグ ループを変える。なおジェンダー・セクシュアリ ティという語の定義であるが、もっとも広範かつ 一般的なものとして、ジェンダーを社会的性差、 セクシュアリティを性交渉(sexual intercourse)自 体も含む性にまつわる全てのこととした8。2015 年度前期の本授業受講者は教育学部37 名(男 19 名 女18 名、2 年生 2 名、3 年生 15 名、4 年生 20 名)法文学部11 名(男 5 名女 6 名、2 年生 10 名 4 年生 1 名)科目等履修生 1 名(女性)の計 49 名 (男24 名女 25 名)であり、四年生に限れば英米 文学専攻者は皆無であった。文学といってもその ジャンルは多岐にわたるが、本授業では例年フィ クションを対象に、散文、韻文、戯曲等形式は問 わないこととする。 I 模擬授業への準備 まずは叩き台として教材を教員側が用意し、第 一次ローテーションのグループで簡単な模擬授業 を行ってもらう。本授業は協同学習の実践の場で もあることを強調しておきたい。そして実際に正 規の模擬授業30 分を目指して教材を受講者自身 に探させ選定させる。この学生自身による教材の 選定作業が一つの大きな要となる。 1.グルーピング グルーピング自体、教育学上重要なトピックで ある。協同学習の参照として定評のあるバークレ イ他『協同学習の技法』9では、ランダムな決定 方法、学生による決定方法、教師による決定方法 の三項のもとにそれぞれ「フリーフォーム」「整 列」「挙手」「試験の成績」等多くのグルーピング 法が示される。本授業では同書に倣えば「ランダ ム〜」の「番号カード」にあたる、花と野菜の名 前を書いたくじを引かせることをグルーピング方 法とした。またこれらのグループは「授業ごとに メンバーが入れ替わ」る「インフォーマル= グルー プ」ではなく「与えられた課題が終わるまで解散 しない」「フォーマル= グループ」の形成と言え よう10。なお「効果的な協同学習を展開させるた めのグループの大きさは、通常、2 人から 6 人」 とされているが本授業では受講者数とスケジュー ルの都合上、第一ローテーションを、うつぎ・ばら・ 花水木・つつじ・あかしあ・ふじ・あやめの7 グ ループ平均7 名、第二ローテーションをそらまめ・ きうり・トマト・なす・かぼちゃ・アスパラガス の6 グループ平均 8 名とした。 なお『協同学習の技法』においては「バズ= グ ループ」の使用例として「ジェンダーに関する話 し合い」「性差別をテーマ」としたケースを挙げる。 「同性の小グループであれば[ 性差別の ] 経験を話 し易いであろうと考え」たとの実施者の言である が、この考え自体が異性愛規範に則ったものであ る。すなわち同性間では恋愛・性愛感情は芽生え ないという前提のもとにジェンダー、性差別の問 題を取り扱おうとしていることには異議を禁じ得 ない11。 2.original/retold の違い 8 村瀬、iii。なお竹村和子はアン・フォスト = スターリングとジュディス・バトラーの論に基づいて「「ジェンダーはセッ クスのうえに構築される社会的・文化的な性差である」という定義は十分なものではなく、「社会的・文化的な」性 差であるジェンダーによって、セックスという虚構が構築される」と定義しなおさなければならない」と述べる。こ の竹村の指摘にも目配りが必要であろう。傍点ママ、竹村和子『思考のフロンティア フェミニズム』(岩波書店、 2000)、53。 9 バークレイ・クロス・メジャー『協同学習の技法 大学教育の手引き』安永悟監訳(ナカニシヤ出版、2009)、35-39。 本書については鹿児島大学教育学部高谷哲也准教授にご教示を得た。記して謝す。 10 バークレイ他、33。 11 バークレイ他、93。
教材として扱うに際し、可能なアプローチとし
てまずは原典とretold の二種があることを説明し
た上で、実際にそれを読み比べてもらう。本授業 では三年間、話者ニックが出自を語る最初の一頁 強とそれ以降の英語文の難易度の差が激しい『グ レート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)12 を用いている。原典で複雑な文構造をもって語ら れる複雑なニックの性格とおいたちがretold 版で どのように簡易化されるか、その差異を確認させ ることが目的である。また代表的retold 版の一つ であるladder シリーズでは本作においては二種の retold 版が出ており、retold の中での差異を確認で きる上でも適当と考えている13。
加 え てoriginal、retold と も に The Great Gatsby という作品自体が中学三年生の授業教材として適 当かをまずグループで討議し、ハンドアウトを作 成提出することで言語化することで問題を明確に して教員がそれぞれについて、授業で受講者全員 に紹介、コメントを付した。The Great Gatsby につ
いては少なくともoriginal については難解すぎる との見解が三年連続で多数を占めている。それで もあえて教員の側から最初のたたき台として提案 し続ける理由は、教員側から提示された教材や試 案に対して否定の態度を取らせることで、自律性 を喚起したいという狙いからである。その否定か ら入る自律性が自主的な教材選定スキル養成に繋 がる。 また単なる否定のみにはとどまらない。その難 のあるテクストをあえて教材として用いるにはど のような可能性があるかというところまでを明文 化する。多くの案の中「retold 版を用いつつも比 喩表現のみoriginal 半から抜粋」の案に関しては、 フィッツジェラルドは比喩表現の巧みさにおいて 米文学史上独自の位置を占める作家であり、受講 者はそれを早速に見抜いたと言える。また1920 年代という時代の特殊性、すなわち第一世界大戦 後の未曽有の好景気と資本主義の爛熟、女性参政 権の獲得にはじまるいわゆる「性の自由」に鑑み、 「時代背景や文化などを社会科と連携させること で相関的に理解を促すことができる」という指摘 は、後述する"The Gift of the Magi" における道徳 教育との連携とも併せ、本発表が目ざす性教育英 語教育文学教育というクロスジャンルの立体性 に、新たな可能性を示唆するものとして重要な指 摘であろう。 2006 年初版と 2012 年初版という retold 版二種 であるが、後者については「あまりにも簡略化さ れているので内容を読み取り文学作品として楽し みには向いていない」等、簡易すぎるという指摘 も出た。同じladder シリーズでもより簡略化が進 んでいるという点は、現在の英語教育のあり方の 上でも示唆的である。 3.簡易模擬授業 簡易模擬授業では教員側からテクストを選定配 布 す る。 本 年 度 はHemingway の“Indian Camp”
(1924)を用いた14。昨年度は同じくヘミングウェ
イの“The Sea Change” (1931)を用いたが、英米
文学専門でない学生、学年も2-4 年までばらばら な受講生の大半を占める中(本年度は皆無)、ま ずは叩き台のテクストとしてヘミングウェイが適 当なのは、Pavloska の指摘「(日本人学生が)文 化的象徴としてヘミングウェイに親しんでいるか ら」15からも分かるように、「文化」のアイコンと してのヘミングウェイの位置、またヘミングウェ イの特質である大事なことを書かないという「氷 山理論」16からは、結果的にではあるが文構造な どが、語弊はあるが簡易な英文が生まれ、original
12 F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby (Herdfordshire: Wordsworth Classics, 1993).
13 スコット・F・フィッツジェラルド『The Great Gatsby グレート・ギャツビー』(IBC パブリッシング株式会社、2006)、『The
Great Gatsby グレート・ギャツビー[新版]』(IBC パブリッシング株式会社、2012)。
14 "Indian Camp" in Ernest Hemingway, The Short Stories: The First Forty-Nine Stories with a Brief Preface by the Author (New
York: Scribner, 2003), 91-95.
15 千代田(2015)、104。
16 氷山理論(原理)(iceberg theory, iceberg principle)はヘミングウェイの小説作法を語る言葉として最も有名なものであ
る—中略—ヘミングウェイは『午後の死』第十六章を「書こうとしていることを作家がよく知っていれば、それを敢 えて書かないことで作品により高い効果を付与できる。氷山の動きに威厳があるのは、水面下にあって見えない氷山 の八分の七があるからだ」という主旨の文章で結んでいる(今村楯夫・島村法夫監修『ヘミングウェイ大辞典』(勉誠 出版、2012)、759-60「氷山理論 / 原理」の項(熊谷順子))。
版のままで「行間を読み取る」という文学読解の 訓練ができることなどが理由として挙げられよ う。 ここからは昨年度と同じジェンダー・セクシュ アリティというテーマをいかに絡ませるかという ことが課題となる。original/retold の検討と違い、 今回からは全受講者分のハンドアウトを作成配布 し、教壇に立って進めてもらう。ニックと医師の 父、ジョージおじが出産を控えて苦しむインディ アンの女性の診察のためインディアンの村に向 かって無事分娩させるも、インディアンの夫は自 殺してしまい帰途の描写ではなぜかジョージおじ の姿がない、という五頁ほどの短編である。 「ジェンダー・セクシュアリティ」というテー マを前面に押し出そうとすると、前述のセクシュ アル・マイノリティの問題が特化されるような感 覚が持たれがちでもある。しかしジェンダー・セ クシュアリティの問題とはより広範囲なものであ り、女性が女性であること男性が男性であること、 結婚や出産など、「多数派」の異性愛規範のなか でも問題設定が大いに可能なものである。ジェン ダー・セクシュアリティの枠組みの中での本授業 であるが、“Indian Camp”において多くの班が行っ たのが、インディアン対白人という人種面での差 別・対立問題に主軸を置くというものであった。 もちろん文化を含むアメリカ社会に向かい合うと きrace, class, gender という三項目はいまだ有効な 視座であるが、今回の課題はrace ではなく gender なのである。そこを“Indian Camp”という題名そ のものにも前景化された人種のモチーフで、アプ ローチした班が多かった。自殺から伺われる男性 性の脆さや女性の出産などは見つけるのが困難な モチーフでは決してない。今回はジェンダー・セ クシュアリティ問題とそこから生じる差別ひいて はその差別問題にどう向き合うかということに焦 点化してほしかった。しかしさらに言うならば「こ
のくそ女め!(damn squaw bitch!) 」(93) 等、人種 差別面の表象として取られた言動はジェンダー・ セクシュアリティ面でも理解可能なものである可 能性も高く、race, gender の不可分性も明らかとな る。 しかし同時にやはり、そのような異性愛規範に 沿ったいわば「安全な」アプローチのみならず、 セクシュアル・マイノリティの問題にも積極的に 関わってほしい。この二極の間でアンビヴァレン ツとも言える思いを教員は有することになる。 今年度授業中に実際に起こった事例であるが、 “Indian Camp”ではインディアン男性とジョージ おじが恋愛関係にあった、ゆえに愛する男性の死 に寄り添うため帰途にジョージおじの姿がなかっ たという提案など、本作のみのテクスト読解にお いてはかなり「荒唐無稽」ともいえる仮定を「あ えて」学生扮する教師側が提出することで異性愛 規範・非異性愛規範関係なしに、自由な議論がで きる雰囲気を率先して作ってゆくということが少 なからぬ班で見られたことは非常に有意義なこと であったと考える。文学を教材に用いる利点とし て、想像力を思い切り自由に広げることができる というものがあり、その想像力の涵養こそが今日 求められているグローバル化の中での多文化理解 にも必須の要素であることは言うまでもない。異 文化理解とは、他者を他者として認識すると同時 に他者のうちに自己を見るすなわち共通点を見い だすことも、重要なことである。一次的には英語 と文学(虚構)という二重の他者化を経て、二次 的に自己との共通項を見るアプローチを提案した い。 Ⅱ 模擬授業 このような簡易模擬授業を経て第一ローテー ションの模擬授業へ入ってゆく。以下1-13 の作品 は発表順である。扱われた作品(テクスト)は全て、 受講者自身の選択によるものである。
1."The Gift of the Magi" (1906)
O. ヘンリー(O. Henry, 1862-1910、本名 William Sydney. Porter)の名作である17。original の難解さ— そ の な か で の デ ラ の 描 写 に お い て はan ecstatic scream of joy, a quick feminine change to hysterical
tears and wails 等、日本人が一般になじんでいる「賢 者の贈り物」のヒロイン像には馴染まない、19 世 紀的なジェンダー観「女性=情緒不安定」が見ら れる—については2014 年度紀要で触れたが18、本 グループはretold 版を用いた。本グループでは「現 在の物質過剰のある意味で恵まれた子どもたちに 読ませる」という道徳教育的な視座を「題材設定 の理由」として挙げているところにクロスジャン ル的な新しさが見られた。基本的には文法事項中 心、全10 時間で行われる指導案には各 2 時間ご とに主として関係詞、過去進行形、比較級、未来 形の文法事項を文学教材によって学ばせるという アプローチが記された。文法事項の学習を主とし ながらも、「デラの髪やジムの時計の描写の抜き だし」「それぞれにとっての髪と時計の意義とそ の喪失の象徴」をワークシートで考えさせるなど、 内容理解に触れることも忘れない。しかしそれら に対する生徒側の実際の答えが「髪は女の命」「男 の時計は仕事や力を示す」という類型ばかりに留 まり教員側もそれ以上の展開の模索を行わなかっ たことが問題と言えよう。類型からさらに如何に 進展させるか、テクスト中の個別例「デラにとっ ての髪」「ジムにとっての時計」を考えることが 文学テクスト読解の肝要な点であり、それを経て のちの普遍への還元というかたちを確認したい。 文学作品中の個別例から普遍へという構図は初等 / 中等教育における文学教育にせよ高等教育 / 研究 における文学研究にせよ、共通のものである。
2.
The Adventures of Huckleberry Finn
(1884) アメリカ文学はここから始まるという『アフリ カの緑の丘』中のヘミングウェイの言でも有名 な マ ー ク・ ト ウ ェ イ ン(Mark Twain, 1835-1910) 本 名Samuel Langhorne Clemens の 古 典 で あ る19。 原作はかなりの長編であるが、当該グループは retold 版を用いた。ハックと逃亡奴隷ジムのミシ シッピ川筏下りが主たるプロットとなる原作であ るが、ここでは川下り以前の、トム・ソーヤーも 現れる「強盗団結成」の場面が用いられた。“Do we kill the women, too" asked Ben. ”“No, you must not kill the women. No one has read anything like that in the books. Bring them to this cave, and be kind to them. After some time they will fall in love with you and never want to go home any more,” answered Tom. “Soon this cave may be filled with the women and there will be no more room for us. But you may do as you like, for I've nothing to say,” said Joe. (64-65) 当該グループは後半に記述されるハーレム的事 態をジェンダーの視座から捉えての選択であっ た。後述するように性に目覚める年ごろのトムと ハックにおいて重要な箇所ではある。しかしジェ ンダー・セクシュアリティというテーマと本作 のこれ以降の流れ、トウェインという作家の特性 に鑑みて、さらに重要なのは前半に現れる「女 性は殺さない」「そのような話は本にも出てこな い」という南部騎士道精神の発露である。「本に
も出てこない(no one has read...)」という台詞自体 がこの強盗団結成が現実味を欠く「ロマンス(荒 唐無稽な物語)」20であることを示すが、この箇 所の選択は、トウェインの南部性ひいてはアメリ カ文学における南部という、教材対象として向き 合うときにも必須な南部アメリカ文学の属性すな わち騎士道精神と「ロマンス」に気付かせる結果 となった。なおマーク・トウェインは筆名であり 本名のサミュエル・クレメンズSamuel Langhorne Clemens であることへの言及が求められた。これ は前掲のO. ヘンリーが William S. Porter であり後 述 のTennessee Williams が Thomas Lanier William である件と同軸のことである。瑣末事に見えるか もしれないが、筆名の問題というのは例えばフラ
ンス文学のスタンダール(Stendhal)がマリー =
アンリ・ベール(Marie Henri Beyle) の筆名である 件然り、教養レベルの問題に関わってくる。 筏の川下りにおける種々の事件との遭遇ばか りが前面に押し出される印象のある本作である が、まだ筏下りが始まる前の見落としがちな小エ
18 千代田(2014)、101。
19 D.C. Gupta、上山政義編著『Mark Twain's Best Stories』(中央図書、1974)。 20 上田和夫編『イギリス文学辞典』(研究社、2004)「ロマンス」の項、301-2 参照。
ピソードをジェンダー・セクシュアリティの面か ら見つけ出した当該グループの功績は大きい。し かし当該箇所において上述のように、作家と小説 全体とのスパンで捉えるときに後半の方が重要で あったように、まずは全作品を通して読むことが 求められる。なおretold、original の別に関わらず 教師(発表グループ)は原作を読んでおくことの 必要が確認された。2014 年度授業における The Scarlet Letter の事例でもみられたように21、原典 での全体の流れを把握した上でなくては、細部を 取り上げても正しい文脈においた理解・授業はで きない。
3."The Curious Case of Benjamin Button" (1922) ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット主 演(David Fincher 監督、2008 年)で映画化もなさ れたF. スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald, 1896-1940)の初期短編である20。授業 時数は7 時間、内容・文法に 2 時間を割き残り 5 時間を文学理解に充てる計画である。また実施予 定時期を「中学3 年、1 学期末」と時期の指定を していることに注目したい。ここには「受験前を 避ける」かつ夏休み前の実施を経て「夏休みに文 学に親しんでほしい」という狙いがなされている とのことであり、受験と(受験期の)夏季休暇と いう中学3 年生独自の要因を取りこんだ評価すべ き点である。目標には「語彙、文法の復習・多様 な考えに触れ、寛容な心を養うこと・文学のおも しろさを実感すること」と示されている。「寛容 な(tolerant)」という語は 2001 年 9 月 11 日の同時 多発テロリズム以降各学問ジャンルのみならず日 常生活レベルでも我々の身近に迫ってきた語であ り、差別と不即不離のジェンダー・セクシュアリ ティ問題へのアプローチに不可避な語と言える。 当該グループの特色は原文の一部(一単語)を穴 埋め方式にワークシートを作成し宿題に課し、最 初の二時間をその確認に充てていることである。 また3・4・5 時間目を DVD 鑑賞に充てているこ とで、本講義の教員(千代田)が強調してきた映 像の活用という点では評価できる。 映像活用は大いに行うべきであるが、映画版『ベ ンジャミン・バトン 数奇な人生』は原作の短編 を大幅に改変して167 分の大長編にまで拡大した ものであり、原作とのかい離が甚だしい。そして 一番の問題は当該グループがDVD のみを鑑賞し、 原作を読んでいなかったということである。原作 を読まずして映画との相違点は確認できないしそ れを踏まえた授業実施も不可能である。映画版は 原作の忠実な映像化ではないこと、映像はあくま で補助教材であり、本末転倒とならぬよう厳に戒 めたい。「人生の最良の部分は最初に現れ最悪の 部分は最後にくる」というマーク・トウェインの 言に影響されて書いたという作家の言23は、本授 業でも用いられたハックルベリー・フィンとその 作者トウェインとも響き合って間テクスト性とい うことをはからずも浮き上がらせた。 原作では1860 年のボルティモア、上流階級の 白人夫婦のもとに生まれた主人公は映画では1918 年老人ホームに住みこむ黒人の妻とその夫に拾わ れた孤児として描かれ、以後原作のそれを大きく 超過したラブ・ロマンス化がなされている。ス ターを起用した超大作映画としては仕様がないも のの、SF 的側面がコンパクトにまとめられた原作 の文学的価値は大きく損なわれている。また質問 を4 つ掲載したワークシートのいずれにもジェン ダー・セクシュアリティの問題は浮上せず、計画 発表のみでそもそも模擬授業そのものが行われな かったのは遺憾である。本作であれば恋愛におけ る年齢差などは主要モチーフとしてすぐに浮上し よう。
4.
The Scarlet Letter
(1850)19 世紀アメリカ文学を代表するナサニエル・
ホ ー ソ ー ン(Nathaniel Hawthorne, 1804-64)の代 表的長編をretold 版を用いた模擬授業である22。
21 千代田(2015)、115。
22 F. Scott Fitzgerald, “The Curious Case of Benjamin Button,” retold by Annete Keen. (London: Pearson Education Ltd., 2011). 23 F. Scott Fitzgerald, The Short Stories of F. Scott Fitzgerald: A New Collection, ed. and with a preface by Matthew J. Bruccolli, (New
計14 時間、模擬授業は 10 時間目、「牧師の告白 について自分の考えを持つ。13 時間目のディベー トに向けて、グループ内での対話活動を行う」と いうものである。全計画では1-3 時間目にデミ・ ムーア主演の映画版(Roland Joffé 監督、1995 年) 全編を鑑賞となっているがこれは長すぎる。要所 を見るにとどめ、“Benjamin Button”の項でも述べ たように、映画をテキストとした授業ではないこ とを確認すべきである。ハンドアウトとして「あ らすじ」と人物相関図が配布されたが、このあら すじに一番の問題が生じた。「自分がヘスターの 隠し男であり、産まれたパールの父親であると告 白し、胸を押し開いて肉体に生々しくやきつけら れたA の字を見せた。それはヘスターの上衣にこ の文字を着けられたその日、自ら肉体に烙印した 文字だった。そしてディムズデールはヘスターの 胸に抱かれながら死んでいった」(ハンドアウト 原文ママ)。原典においては、そのラストシーン において牧師の胸に本当に緋文字があったかどう かは見たものもあれば見なかったというものもあ るというように、曖昧さをのこしたまま作品は閉 じられるのであり、それは用いられたretold 版も 同様である。つまりこのopen ending・曖昧さこそ がホーソーン文学の本質なのであり、そこをはっ きり胸に緋文字があったとまとめてしまうのは大 きな間違いである。ホーソーンの本質を掴まぬま まにこの難解な大作を用いたゆえの錯誤と言える が、これについてはひたすらに原文を細かく丁寧 に読むという、必須作業の重要性を繰り返すばか りである。ことにこのような古典の大作は有名で ありながらなかなか読む機会がないため、15 歳 というこの時期にあらすじとしてでも間違った知 識を付与されてしまうと、その後の人生において ずっと誤った「教養」を持ち続けることになって しまうので、厳に注意したい。なおretold 版と原 典双方を配布したことは評価できる。教員(千代 田)による原典の対応箇所の読みあげにより、錯 誤は模擬授業終了後の次週に是正された。この点、 教員にも前もって用いられる教材を知らされない という本授業のシステムについて改良の余地があ ることが示されたことでもあった。
前述のように2014 年度も The Scarlet Letter は教 材に選ばれたが、これは千代田自身が持っている アメリカ文学史の講義で必ず言及される作品であ り、姦通というモチーフがジェンダー・セクシュ アリティに直結するがゆえに、学生が選びやすい という構造が明らかとなった。アメリカ文学史は 実際に作品を講読する授業ではないため、本授業 の教材選定時にはあらためての熟読が求められ る。模擬授業では17 世紀の神政政治における牧 師の高い地位と寡婦たるへスターの相対的な低位 置ひいては結婚制度における男女不平等、魔女狩 りとの連関が示されたがいずれも調査不足であっ た。なおワークシートの最後尾に作中の「キー ワード」として「英単語を調べていくつか書きだ してみよう」という項目ではpriest, sin, adulteress, criticize, immorality 等が模擬授業中生徒から出さ れた。原罪感覚を示すsin や死すべきものとして の人間=mortality に対する immorality などの用語 の理解は、西欧文明の基底を成すキリスト教理解 つまりはグローバル感覚の涵養に不可避なもので あり、本模擬授業の収穫であったといえる。 ワークシートでは1)ディムズデールの「自 分がパールの父である」という告白が「A 牧師は 早く告白をすべきだった」「B 遅くても別によい」 という二者択一2)「1)をもとに、自分の意見 を書いて見よう(日本語)」(設問原文ママ)とい う設定がなされ、議論が行われたが、そもそもそ の「告白」が上述のように担当者による錯誤であっ た以上、これは本質的に意義を有さないと言わざ るを得ない。ディベートの導入は新しいもので大 いに注目に値する。ワークシートに記された「学 級全体で牧師の告白のタイミングについてディ ベートを行い、男女の不貞行為に対するイメージ の差異から女性蔑視について焦点化していく」と いう計画はジェンダー・セクシュアリティのテー マにも合致する優れたものであるが、いかんせん その「告白」事態が当該グループの錯誤に基づく ものであるがゆえに、残念な結果となった。
5.
Brokeback Mountain
(1997) 現 代 ア メ リ カ 作 家 ア ニ ー・ プ ル ー(Annie Proulx, 1935-)の作品である25。アン・リー監督 による映画(2005)は日本でも大ヒットした。実 施予定校は公立中学3 年生 1 学期末である。予定 授業数は7 時間、目標は「同性愛を悲観的に見な い、多様な考えに触れる」(原文ママ)、模擬授業 は7 時間を 30 分にまとめるため、指導案におけ る内容理解とグループワーク・まとめを凝縮した ものである。イラスト入りのハンドアウト、指導 案、ワークシート、原文コピー4 枚、計 7 枚の配 布物による模擬授業である。1960 年代米国ワイ オミング州における羊飼いのイニスとジャックの 愛は、一種のユートピアである山中という舞台設 定も相まって、同性愛異性愛の別を問わない普遍 性を持って読者に迫る。作品はホモフォビア(同 性愛嫌悪)によるゲイへのリンチを想起させる ジャックの死までの20 年間にわたる二人の交流 を描く。イニスは婚約者と結婚し二人の娘をもち ジャックもまたロデオ・クイーンと結婚し妻の実 家の会社で働くようになる。この内容確認の上で ワークシートに、1)(娘、妻、ジャック、イニ ス自身の四葉の写真とともに)イニスは誰が好き なのか2)イニスはジャックとの小さな牧場経営 を拒んでいたが、その時のイニスの気持ちはどう だったか(設問原文ママ)という問が設定される。 上記のユートピックなまでのイニスとジャック の愛を描く筆致の迫力は指導案記載の目標の「同 性愛を悲観的に見ない」という目標にある程度ま で合致する。ここに傑作として評価の高かった映 画版の、愛情にあふれた映像を見せることも考え られる。しかしその「(同性)愛の自由」は現実 世界のソドミー法というかたちでホモフォビアが 合法化される山下において消滅する。現実に同性 愛差別が存在しないような錯誤に陥らぬよう、当 該グループはソドミー法にも言及する。1960 年 代の米国は黒人の市民権を求める公民権運動およ び第二波フェミニズムのリベラル・フェミニズム 運動が盛んになった時期であるが、同性愛に関し ては1969 年 7 月のストーンウォールの反乱まで その解放運動を待たねばならなかった。2015 年現 在は撤廃ないし2003 年ローレンス対テキサス州 裁判を通して最高裁の違憲判決が出されているソ ドミー法であるが、1960 年代は未だなおほとん どの州で施行されていた。また4 年ぶりの再開時 のジャックからの牧場経営の誘いを断ったイニス の内面がワークシートで焦点化されたが、そこに は金の有無がジェンダーロールに繋がる可能性、 ジャックの資金というかたちで被保護下に入る ジェンダーの「女性化」を拒んだイニスの可能性 を探ることができ、「男性は外で労働女性は家で 家政」という古典的性別役割の堅固さを見る上で も、有益であった。 冒頭に昨今の同性婚肯定への大きなうねりを 記 し た が、 た と え ば 今 年6 月のアメリカ学会 LGBTQ シンポジウムにおける兼子歩氏の発表26 にも明らかであったように、専門家の間でコンセ ンサスを得ているのは結婚という愛の確認の形 が、あらゆる形の愛に適用されるべきであるとい うことであり「同性婚」そのものではないという 論理が主流であることとも、同性愛異性愛の別を 問わない「愛」の普遍を描くテクストを用いてそ れを説いた当該グループの授業進行は対応してい よう。これはいわゆる「セクシュアル・マイノリ ティ」への差別偏見が、性の問題のみならず「自 由と人権の問題」であるという今日の性教育27あ るいはジェンダー・セクシュアリティ研究、クイ ア・スタディーズの見地にも一致する28 6."Désirée's Baby"(1893)25 Annie Proulx, Brokeback Mountain (New York: Norton, 1999).
26 兼子歩「同性婚運動と現代アメリカ・リベラリズムの限界」([ 部会 E LGBTQ とアメリカ ] 2015 年アメリカ学会第 49 回年次大会、2015 年 6 月 7 日於国際基督教大学) 27 村瀬、158、184、190。 28 2011 年国連人権理事会にて採択された「人権と性的指向・性別自認」決議への日本も賛成票を投じている(村瀬、 161)。また「人権教育および人権啓発の推進に関する法律」(2000 年制定)に基づく法務省策定「人権教育・啓発に関 する基本計画」、法務省・文部科学省『人権教育・啓発白書』(2011 年度版)では「「その他の人権問題」として性的指 向を理由とする偏見・差別をなくし、理解を深めるための啓発活動や、性同一性障害者の人権を保障するための取り
ケイト・ショパン(Kate Chopin, 1850-1904) の短 編である29。ショパンはここ数十年の米国文学キャ ノン(正典)見直しの中で評価の進んだ作家であ り、19 世紀末の女性作家としてのみならずクレ オール文化圏の作家としても重要な存在である。 原典は4 頁ほどの極めて短くまとまったウェルメ イドな作品であり、全5 時間、5 時間目の模擬授 業である。人物相関図とあらすじを表面に、作家 情報を写真とともに裏面に掲載したハンドアウ ト、設問と難解と思われる単語の訳付きの本文抜 粋のワークシート、「教師の発問」と「予想され る答え」を左右に振り分けたものが1 枚、作品全 文のコピーが2 枚である。元捨て子でありながら 富裕に育てられたデジレの幸福な結婚後、産まれ てきた赤ん坊に黒人の特徴があったことで夫に混 血を疑われデジレは出奔するも、最終三行で実際 には黒人の血が流れていたのは夫の方であったこ とが明らかにされるという、劇的な内容である。 黒人の血が一滴でも流れていれば黒人と見なす という、(19 世紀に発生し種々の形で 20 世紀に 法律化された)いわゆるワンドロップ・ルールの 堅固な南部ニューオーリンズでの上流白人社会 における黒人の出自の問題が主たるテーマである が、当該グループはそのモチーフから、結婚とい うジェンダー・セクシュアリティのテーマに切り 込んだ。アメリカにおける人種の問題は黒人のみ ならずインディアンについてもアメリカ文学が確 立した19 世紀を通してフェニモア・クーパーに 代表されるように重要な問題であり、本稿でも “Indian Camp”における人種問題への強い惹起傾 向を指摘したが、当該グループは南部における白 人黒人という典型的対立図に迷うことなく、ジェ ンダー・セクシュアリティに特化することに成功 している。作品選択の成功ということでもある。 ワークシートには1)オービニー(夫)に「そ れは、子供が白人でないということだ。つまり君 が白人ではないということだよ」と言われたとき に、デジレはオービニーが黒人である可能性を言 わなかった。なぜだろう?2)デジレはどうして 家を出ていったのだろう?の二問(設問原文ママ) が設定される。当該グループが狙った結婚におけ る男女の不平等、経済的に男性に自らを付託する 女性の弱さ30という狙いはThe Scarlet Letter を教 材としたグループと大差ないが、当該グループの 成功は、繰り返しになるが、まず “Désirée's Baby” という作品を見つけてきたこと、そして前景化さ れる白人黒人の対立構図のなかで結婚と出産とい うジェンダー・セクシュアリティのモチーフから アプローチを行ったことであろう。実際の授業で は「自分たちでリトールドしたもの」を配布予定 とのことであったが、模擬授業では原典そのもの が配布・使用された。学生ら自身によるretold 版 の作成にも立ち会いたかったが、本作について は原典そのものでも注釈を適切に付ければ中学3 年生でも充分に読み得る短さと内容の秀作であ る。なお本作の舞台はミシシッピ州ニューオーリ ンズであるが、それは前述のテネシー・ウィリア ムズの代表作A Streetcar Named Desire(1947)の 舞台でもあり、ここでも間テクスト性が浮上す る。もちろん南部というより広い括りであれば
The Adventures of Huckleberry Finn、Cat on a Hot Tin Roof そして“The Curious Case of Benjamin Button”
のボルティモアも範疇に入るのであり、南部北部 というアメリカ文化における不可避のトピックに 必然的に行きあたることは、“Indian Camp”にお いて社会科とのクロスジャンル的試みを提案した グループの案の実現性の高さが確認されることと なる。
7.
Cat on a Hot Tin Roof
(1955)テ ネ シ ー・ ウ ィ リ ア ム ズ(Tennessee Williams, 1911-1983)の代表的戯曲である31。三年間に渡る 本授業において戯曲が教材となった初のケースで あった。計12 時間のうちの 10 時間目が模擬授業、 組みの必要性を説いているのである。こうした底揺れとも言うべき変化は、今後、人権教育・性教育における「性の 多様性」学習の励ましになっていくに違いない」と村瀬は論じる(村瀬、162)。 29 http://www.katechopin.org/pdfs/desirees-baby.pdf 2015/9/17 確認済。 30村瀬は性の三つのあり方として生殖としての性、快楽としての性、支配としての性をあげる(村瀬、107)。 31 Tennessee Williams, Cat on a Hot Tin Roof (New York: Penguin, 1976).
登場人物らの相関図と作家の説明が1 枚、あらす じとワークシートの回答欄のみが1 枚、原典のコ ピーが1 枚の配布である。比較的難解な本戯曲に 関して、ビッグ・ダディとその妻ビッグ・ママ、 その長男グーパーと次男ブリックにそれぞれの妻 名とマーガレット、そしてブリックの親友であり 自殺したスキッパーについての説明が要領よくま とめられ理解の大きな助けとなる。問いは四問設 定される。1)ビッグ・ダディは誰に家を継がせ たいのか2)なぜブリック以外に農園を継がせよ うとしないのか等々であるが、当該グループとし ては妻であるビッグ・ママや息子の妻らを相続の 対象としない点に女性蔑視を読み取ろうとした模 様である。しかしながら時代背景や南部という土 地柄を考え合わせても更に、また現在の日本の相 続の状況を考え合わせても「家(いえ)」の継承 は息子が行うというのは法律でも想定されている ことであり、とくに本作の状況は実の娘がいなが らそれを無視するというようなものではない。父 系母系という点にまで遡って根本的に相続継承問 題における性のあり方を問うという問題設定はも ちろん可能であるが、それは当該グループの意図 ではなくそこまでの覚悟と準備もなかった。ゆえ に牽強付会の感が否めなかった。換言すればその 作品において、(相続における)男性中心性を主 題にする必然性はとりあえず見受けられないので ある。 当該グループは母でなく次男という相続継承者 の選択に性差別を見ようとしたが、本作で注目す べきはやはりブリックとスキッパーの愛情関係で あり、スキッパーを失ってのち自暴自棄に陥っ て夫婦関係にも亀裂が入っているブリック夫妻 のhomosocial(同性愛が生じても自然なほど男性 間のきずなは深いが同性愛は禁忌である女性蔑視 男性優位の社会構造)−homoerotic(同性愛その もの)な微妙な状況であろう32。それがそのまま Brick や Skipper という登場人物の名前にも投影さ れているのであり、Big Daddy や Big Mama に至っ
てはその象徴性は一目瞭然である。文学作品にお ける名前の意義について学ぶ好機でもあったゆえ にそちらへの言及がなかったことが惜しまれる。 また他のウィリアムズ作品同様、本作はポール・ ニューマン、エリザベス・テイラー主演で映画 化(Richard Brooks 監督、1958 年)もなされてお り、適宜映像の使用も求められるところであった。 なおテネシー・ウィリアムズが筆名であり本名は Thomas Lanier Williams である旨ハンドアウトに記
述されていたことは、ウィリアムズが20 世紀を 代表する劇作家であり日本でも文学座杉村春子の ブランチ役で知られる『欲望という名の電車』な ど人口に膾炙している状況に鑑みて適切なことで あった。なお本作においては南部性というトウェ イン、ショパンとの相関性があることは言うまで もない。
8."Song of Myself" (1891-92) from
Leaves of
Grass
こ こ か ら が グ ル ー プ 変 更 後 の 第 二 ロ ー テ ー ションである。ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman, 1819-92)による本年度初めての韻文教 材である33。韻文の特徴ないし利点としては、1) 文字数の少なさ2)ゆえにretold でなく original を使用できる、などがあるが、同時に1)構成す る各語の象徴性が高まり2)また英詩特有の韻律 の規則に通じる必要があるため教師側に求められ る要件は多い。当該グループは3 時間を 1・2 時 間は本文翻訳、3 時間目に内容理解という計画を 示した。具体的には教材部分のgrass が比喩しているものを考え、作中の“It may be you transpire from the breasts of young men”が表しているものが 何か、ホモセクシュアル的指向と絡めて考えると いう二段階を経た後、ホイットマンについて時代 背景と併せて説明をきくというものであった。 ワークシートは人型の影を印刷し1)上述一文 を訳して下の図にイメージを描写してください 2)grass に対するイメージについて記入3)あな
32 homosocial の概念についてはこの語がジェンダー・セクシュアリティ研究で認識される契機となった Eve Kosofsky
Sedgwick, Between Men: English Literature and Male Homosocial Bond (New York: Columbia University Press, 1985) 参照。
33 Walt Whitman, Leaves of Grass: Authoritative Texts, Prefaces, Whitman on His Art, Criticism, eds. by Sculley Bradley and Blodgett
たが作者だとして、同性愛についてみんなにばれ ないように伝えたい場合、同性愛を暗にしめすた めにgrass 以外でどのように比喩表現しますか? (設問原文ママ)という3 項目から成るものであっ た。1)に関して言えば詩の内容を絵にするとい う方法は学部教育でも例えばColeridgeの詩 “Kubla Khan” (1797, 1816 ) に対するアプローチ例のよう に用いられている技法であり34、高く評価できる。 2)に関しては中性性、自由、繊細、青臭さ、む せかえる等の語が生徒側から出され、3)に関し ては(単性性の連想から)カタツムリ、蛾などが 出た。2015 年度でもホイットマンの同作品は教材 として選ばれたが、19 世紀にあって自らの同性愛 指向を同時代人と比して相対的にかなり明らかに 歌い上げたホイットマンはジェンダー・セクシュ アリティという枠において有効な作家と言える。 身体の影に翻訳部分を描かせる意図としては 「胸毛」などの体毛という狙いがあったようであ るが、「火」などそれ以外の反応が出た時の、拒 絶却下しない対応方法が重要である。多様性を引 きうけつつ「「今日は」この視点からみてみたい」 等の一種のレトリックが必要であろう。当該グ ループが実際に実践してみせた、他の可能性を排 除しない機能を有する助詞の「も」の使用は重要 である。 ハンドアウトのレイアウトの重要性も浮上し た。すなわち原文と翻訳を両方配布するにして も、それぞれの本からのコピーそのままでは今回 の場合、原典のコピーのフォントが小さかったた め、明らかに日本語の方に先に注意が言ってしま う。本授業はあくまでも英語の授業を想定したも のであり、特定の目的がない限りはやはり英語の 原文のフォントを大きくする必要がある。これは 2014 年度 ポーの“To My Mother”35の 授 業 に お いても記したとおりである。ワークシートの設問 3「ばれない」については「明らかには知られな いように」等々の言い換えが必要であること、ま た中性性の連想からカタツムリが同性愛のモチー フとして生徒側から出されたが、同性愛と中性性 の安易な結びつき・連想が起こらないよう注意が 必要であること等が留意点といえよう。器質的問 題であるインターセックス、性分化疾患(DSD: Differences of Development)36と精神面での問題が 大きいトランスセクシュアル等との違い、混同の 問題についても教員側から言及がなされた。
9."The Story of an Hour" (1894)
前項と同じくショパンの短編である37。夫の事 故死の報を受けた心臓に持病のあるマラード夫人 が当初は悲嘆にくれたもののそのうち結婚という くびきからの解放を実感するに至る。そこに誤 報であった夫が生環しそのショックで死んでしま う。周囲はそれを喜びのあまりの死と解釈したと いう2 頁の超短編である。計 5 時間の 5 時間目、 指導案にあらすじ、ワークシート、著者紹介と時 代背景、生徒の反応例を記入したワークシートに 全文のコピーおよび翻訳が配布された。冒頭には 3 分ほどのアニメーション動画が流され良いイン トロダクションとなった。ただしYouTube 上の動 画使用については著作権に留意が必要である。 “Désirée's Baby”同様、極めて少ない分量に劇 的内容を盛り込んだウェルメイドな作品である が、注意すべきはその文学性の違いである。前者 が結婚と出産という女性の一生における重大時の モチーフを経て、人種という更に次元を異にした 大きな問題系を織り込んでいるのに比し、“The Story of an Hour”には結婚制度における女性の抑 圧とそこからの解放というモチーフは織り込まれ ているものの、作品の本質は誤解に次ぐ誤解とい う一種の小咄的なユーモアである。 ワークシートには1)どうして妻は夫が亡く なったのに「自由だ」と考えられたのか2)なぜ 夫人は夫が生きていたことを知って亡くなってし まったのか3)なぜ医師たちは夫人が「喜びのあ まりに」死んだと言ったのか?4)著者はこの作 品で何を伝えたかったのだろうか?(設問原文マ 34 国際基督教大学教養学部 1997 年開講 "Romanticism" の授業。 35 千代田(2014)、107。 36 村瀬、154。 37 http://www.katechopin.org/story-hour/ 2015/9/17 確認済。
マ)という4 問が設定された。第 2 問において
The Scarlet Letter、“Désirée's Baby”同様結婚下に
おける女性の抑圧という普遍的な問題が浮上する のはよいとして、医師たちが夫人が「喜びのあま りに死んだ」といった理由として、「夫を傷つけ ないため」「夫人の夫への深い愛情を信じて疑わ なかったから」「夫人の名誉を守るため」等の答 えが見受けられたことには注意が必要である。 もちろんあらゆる可能性を最大限に考慮し、出 てきた意見を尊重し可能な限り却下しないことを 目的としそれゆえにグローバル化の中にあって多 様性の尊重に直結する文学教材の授業ではある が、それはあくまでテクストの文学性が高い場合、 つまりそれだけ多種多様な解釈に耐えうる質の 高さ—たとえば安易な一元的解釈を許さないThe Scarlet Letter のラストのように—を有する場合に 限られる。本作品は上述のように限りなくユーモ ア小咄に近いものであり、主人公である夫人の内 面の変化以外の医師や夫、姉妹、医師、夫の友人 等はすべて「深い読み」を求められない・求める べきでない存在である。換言すればその一種の戯 画化あればこそユーモアが引き立つと言えよう。 ゆえに強調されるべきはジェンダー・セクシュア リティのテーマに鑑みても第2 問「なぜ夫人は夫 が生きていたことを知って亡くなってしまったの か」であって、第3 問「なぜ医師たちは夫人が「喜 びのあまりに」死んだと言ったのか?」は作品の 種類を見誤ったゆえの教師側の手落ちであったと 言える。誤解なきよう繰り返すが、本作もその分 量と劇的進行ゆえに教材としては優れたものであ る。同じ作家の似たような内容・分量の作品なが ら、文学性の高低ないし種類の違いが露わとなっ た。それぞれの特長を生かしてアプローチを変え ることの必要性が求められる。ここでは3 問は「な ぜ夫人は死ななくてはならなかったのか」ないし 「なぜ作家はこの女性を殺さなくてはいけなかっ たのか」というものに置換することが考えられる。 すなわち19 世紀末の南部上流階級において結婚 制度に疑義を持ち自由を欲した女性にとって、そ れは、死を持って罰されなくてはならないほど に、叶わぬことであった、という流れを作成する 方が、ワークシートの四問において教師側自体目 標としていた「結婚によって女性の自由が奪われ てしまうことがある」等の答えにも結びつきやす く建設的であろう。なおショパンは今年度の本授 業で初めて現れた女性の作家であった(2014 年度
はJean Webster の Daddy-Long-Legs(1912) が扱われ
た)。女性が女性を描くということ、それが男性 作家の描く女性像とどう異なるか、作家自身の条 件ということも重要である。自身上流階級の構成 員であったショパンにおいて夫人を生かしきれな かったことに、フェミニズム的な意味での「限界」 があったという結論も可能なのである。 10.
Breakfast at Tiffany's
(1958) オードリー・ヘップバーンの映画版も有名なト ルーマン・カポーティ(Truman Capote, 1924-84) の中編である38。売れない作家ポールが回想記の 形で同じアパートに住んだ不思議な女性ホリー・ ゴライトリーについて記す本作は『ティファニー で朝食を』のキャッチーな訳やイメージととも に中学生にも取りつきやすい教材とまずは言えよ う。計10 時間の 10 時間目を模擬授業に、指導 案、作者紹介ならびに出版当時のアメリカの時代 背景(ママ)、あらすじと人物相関図、ワークシー ト、模擬授業教材部分のコピー1 枚に該当部分翻 訳、計6 枚の配布物である。ワークシートでは1) 以下のホリーのセリフで最も印象に残ったものを 一つ選び、日本語に訳してみましょう2)この作 品を読んだ感想や考えたことを、下の①〜④から テーマを選んで書いてみましょう。①ホリーの生 き方について:原作と映画でラストが違いますが、 自由と愛のどちらを選んだ方が幸せでしょうか? ホリーと自分、どちらの立場から考えても良いで す②女性の生き方について:ホリーのように女性 は本当に男性の庇護がないと生きていけないので しょうか?③本文の中の印象に残ったセリフや表 現④その他(設問原文ママ)となっている。 最初の二時間が映画鑑賞にあてられるのは、The Scarlet Letter、“The Curious Case of Benjamin 38 Truman Capote, Breakfast at Tiffany's (Harmonworth: Penguin Books, 1958).
Button”、 Brokeback Mountain についても述べたよ うに時間の割き過ぎである。しかし同時にこの時 間によって上記の質問にも現れているように原作 と映画版でラストが異なる—前者はホリーは自由 を選び後者はホリーとポールが結ばれる—ことが 明らかとなる。映画は主題歌「ムーン・リヴァー」 とともに日本人に人気が高く、オードリー・ヘッ プバーンにせよティファニーにせよ今日の日本社 会に相当根付いているものであるがゆえに映画と 原作は全く異なるという確認を行う意義は高い。 当該グループの狙いは1950 年代半ばから 1960 年代にかけてのアメリカにおける公民権運動およ びハンドアウトにもわざわざ記載されたベティ・ フ リ ー ダ ン(Betty Friedan, 1921-2006)著『新し い女性の創造』(The Feminine Mystique, 1963)に 代表される第二波フェミニズムとくにリベラル・ フェミニズム(女性も男性と同等の権利を求める、 対照的なのが男女の区分そのものを疑義に付す70 年代のラディカル・フェミニズム)の流れの中に、 「自由人」ホリーの姿を置こうとするものであっ た。しかしワークシートの設問にもあったように ホリーはその自由人としてのステイタスを常に男 性の庇護のもとに維持しているのであり、経済面 も含む女性の自立を前提とするフェミニズム的な 像とはおよそかけ離れている。それをワークシー トの設問でも翻訳を求めたindependent 等の語に 惑わされ、単純に結びつけてしまった点に当該グ ループの錯誤があった。なお作家性ということで いえばカポーティもまたウィリアムズやボールド ウィンと同じく自らのゲイネスを明らかにしてい た作家であり、その視座から本作へのアプローチ を行う—例えば語り手ポールのゲイネスの可能性 や異性愛規範に則った形で原作とは異なりホリー とポールを「結婚」させたハリウッドの異性愛主 義などへの考察—ことも可能であっただろう37。 11.
Giovanni's Room
(1956) 黒人作家として自らのホモセクシュアリティも 明らかにしていたボールドウィン(James Baldwin, 1924-1987)の代表作である40。指導案では全15 時間の計画、模擬授業では2-6 時間目を総合して の発表となった。自己探求のためにパリに出たア メリカ人青年デイヴィッドはアメリカ人女性ヘラ と出会い結婚までを考えるが、ゲイのイタリア人 ジョヴァンニと恋仲となる。ワークシートでは結 末を伏せられ、デイヴィッドはヘラとジョヴァン ニのどちらを選ぶか、その理由、ヘラ・ジョヴァ ンニ双方を選んだ人の意見をグループで話し合う という授業構成である。「ブロークバックマウン テン」とも共通する「異性愛と同性愛の選択」を 文学作品を通して明確に示し、実際にそこまでの テクスト本文やあらすじを解説する前に生徒に考 えさせるというのは画期的といえる。また上述の 議論ののち、ヘラを選ぶという異性案規範に沿っ た結末を示し、その理由を改めて考えさせるのも 意義がある。 しかし配布されたテクストは原典四章の一頁の みであり前後の文脈を辿ることがほぼ不可能であ る。あらすじは説明済みかつ今後の展開を伏せた 上でのデイヴィッドの選択を問うという授業進行 の都合があるとはいえ、英語教育教材としての文 学ということに鑑み、内容的アプローチにせよ文 法的アプローチを主にするにせよ、最低3 枚ほど の本文は求められよう。 作家と時代背景の説明として第二次世界大戦中 のナチスドイツによる同性愛者への迫害、そのシ ンボルたる「ピンクの三角形」また親ドイツのヴィ シー政権や大戦後のフランスにおける同性愛差別 にまで記述が配布されたのは有意義なことである が、資料からの引き写しの様相が強くヴィシー政 権などのタームの具体的な説明に応えられなかっ たことは、2014 年度ホイットマンの教材使用時に も歴史用語・文学用語に関して見られたことであ るが41、大いに改善の余地がある。黒人かつホモ セクシュアルといういわば二重のくびきダブル・ バインドを負ったボールドウィンが、アメリカと39 ハリウッドの異性愛主義と検閲に関してはドキュメンタリー映画『セルロイド・クローゼット』(The Celluloid Closet,
Rob Epstein, Jeffrey Friedman 監督、1995)を参照。
ヨーロッパという典型的な二項対立の世界の中、 「白人」を描くという本作の多次元に渡る多重構 造は、文学教育において格好の教材である。指導 案に示された「当時の時代背景や近年の同性婚に ついての理解を深める」という一文も、実際に 2015 年 6 月 26 日連邦最高裁の同性婚の違憲判決 却下時のニュース映像を流すなどして時宜を得て 実感を持って迫るものであった。なお本作のエピ グラフにはホイットマンの一節が引かれており、 打ち合わせをしてあらかじめ互いの持ちよる教材 / 作品を明らかにするわけではないにもかかわら ず、間テクスト性がはからずも生じてくることは 本授業の醍醐味と言えよう。
12.
The Good Earth
(1931)パ ー ル・ バ ッ ク(Pearl S. Buck, 1892-1973)の 代表的長編である42。アメリカ文学でありながら 舞台は第一次大戦前の中国であり当該グループが ジェンダー・セクシュアリティのテーマとして注 目したのは「てん足」であった。指導案、ワーク シートならびに作家紹介、教材部分の原文を打ち 直したもの、該当部分の翻訳計4 枚の配布物であ る。全2 時間の計画で配布部分を夏休みの課題と して読んできたその二学期最初の授業という設定 である。結婚相手としてやってきた女性がてんそ くをしていないことに失望を感じた男性という部 分が授業の中心となる。てん足という一点から今 昔の結婚観の相違に授業展開がなされた。第一次 世界大戦前の中国という設定におけるてん足とい う特殊な風俗から垣間見られる結婚観と、指導案 に「今の結婚観」として記された「男性が女性に 求めるもの:外見、性格、家事ができるか、愛情、 一般常識」「女性が男性に求めるもの:経済力、 外見、職業、安心感、力強さ、精神的に強い」(す べてママ)が比較対象となる。当該グループは「男 女平等に比べたら近づいていると分かる」と教師 役のコメントを出したが、このようなテーゼを教 師側から提出することには大いに疑義が残る。そ もそもショパン等の19 世紀末アメリカ南部にせ よ『大地』の中国にせよ、現代日本とはおおよそ 異なる風土のもとの物語である。しかしながらそ の幾重もの遠隔を経てなお、今日の日本社会にも 通ずる普遍的な問題を見いだすスキルを教師生徒 双方身につけたい。「賢者の贈り物」において「個 別から普遍へ」という構図を示したのと同様であ る。ジェンダー・セクシュアリティ問題を扱う場 合、「どれほど」男女平等に近づいたのか、とい う問いを発することが肝要である。本発表冒頭で も述べたが「扱っているのは文学=虚構である」 というメタ的意識も含めた幾重にも重なる遠隔性 ゆえに、性というタブー視される素材を扱い得る のである。 なお当該グループの模擬授業の最大の眼目は ディベートの導入であった。ただしディベートに ついての教育を受けたものは当該グループにおら ず信頼に足るとは言えないインターネット上のサ イトを参考にしたという脆弱性があった。題目は 「家事と仕事を完全に分けるべきである。肯定か 否定か」というものであり、肯定、否定、ジャッ ジの三組に生徒が分けられた。そもそもディベー トとは個人個人の本意とは関係なしに与えられた 命題を論理的あるいは修辞的に守り相手方を攻撃 する一種のゲームであり、ディスカッション(議 論)とは全く異なるものである。結果から述べる とテーマに男女の枠を定めなかったため、家事・ 仕事という作業内容そのもののディベーティング になってしまいジェンダー・セクシュアリティの 問題と乖離してしまったことが遺憾であった。し かしディベートという一種のゲームの中では、本 心を自己責任で述べるディスカッションとは異な り、言いにくい主張を述べることができる利点も 考えられるのであり、文学教育とディベートとの 組み合わせの可能性は、ディスカッションともど もこれからもっと探られてしかるべきであろう。
13."The Broken Heart" (1819-20)
ワシントン・アーヴィング(Washington Irving, 1783-1859) の The Sketch Book of Geoffrey Crayon,
41 千代田(2014)、109。