子どもの感受性を育むアートの教育に関する研究‐レッジョ・エミリア・アプローチを手がかりにして‐
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(2) 目次. 序. 章. @1 ∼4. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 第一章 感受性を育む必要性と課題…・・……・…… 5 ∼17 第一節感受性の概念 ………・・………・・・・・・…’..・・.川.’5∼7 第二節人間形成概念の狭陸化……・・…・・・・・・・・… …・・’.川. 8∼9. 第三節地域社会の学校化 子どもの感受性の青みを困難にしているわが国の現状と課題. 9∼17. 第二章 レッジョ・エミリア・アプローチの成立過程. ・・・…. @ 18 ∼25. 第一節レッジョ・エミリア・アプローチの萌芽. (第一期:第二次世界大戦終結∼1950年代)・. 18∼21. 第二節レッジョ・エミリア市における幼児学校の市立化. (第二期:!960年代前後∼1970年代). 2!∼24. 第三節レッジョ・エミリア・アプローチの世界への拡大. (第三期:1980年代以降)・・. 第三章. 24∼25. レッジョ・エミリア・アプローチにおけるアートの実践と子どもの感受性. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. ∼69. 26. 第一節レッジョ・エミリア・アプローチにおけるアートの実践・・・…. 26∼64. 第二節レッジョ・エミリア・アプローチの下で育まれる感受性. 64∼69. 終 章子どもの感受性を育むアートの教育の可能性・… 70 ∼75. 引用・参考文献・・. ・・. V6∼78.
(3) 序章 1間題意識と研究の日的 本研究の目的は、イタリアのレッジョ・エミリア・アフローチユを手がかりにして、子ども. の感受性を育むアートの教育の可能性を示すことにある。. 現象学者の中田は、周囲のささやかな事柄に敏感な人こそが豊かな感受性を 備えた人であるとし、個々の人間が他者との豊かな情感の共有によって、自分の潜. 在能力を美しく開花することこそが豊かな感受性の育みだとしている(中 日ヨ,2008,p10,p257)。更に、中日ヨは、子どもが「他者と共に生きる際の感受性」を育. むためには、信頼できる教師や仲間たちとの共通の情感を基盤とした対話の積み 重ねと、それに伴う、あくまで聞き手としての在り方へと敏感になる経験の積み重ね が必要だとしている(中田,2008,p237,p253)。. しかし、長年、子どもの作文指導に従事してきた宮川は、近年多発する「生徒 間」あるいは「対教師」への暴力行為は、「気持ちを表現する言葉の幅が狭く」なっ. た子どもたちが、表現できない出来事へと直面した時に、感情や行動を激化させて しまうことが要因ではないかと分析している(朝目新聞朝刊,2009/12/1)。. こうした、自分をうまく表現できず、仲間の生徒や教師の在り方へと敏感になれな い子どもの行動のどこに、「他者と共に生きる際の感受性」を見出すことができるの だろうか。. また、海洋学者のカ」ソンは、身近な大人との自然探索を通じて、幼少時に育 んだ感受性、すなわち、超越的な存在に畏れ驚嘆する感性は、生涯にわたって、 人に自然の美しさと神秘、生活への満足、生きていることへの新たな喜びを感じさ せてくれるだろうとしている(カーソン,1996,p50)。. しかし、教育人間学者の矢野によれば、今日のわが国では、学校から「超越の世 界」と「強い禁忌」が排除されてしまっただけでなく、地域社会にも、子どもに深い生 成体験を与える場所や時間は存在していないという(矢野,1998,p116,p118)。.. それでは、深い生成体験、「超越の世界」、「強い禁忌」を失った子どもたちは、ど うすれば、超越的な存在に対する感受性を育むことができるのだろうか。. このようにして、わが国の今日的な教育の問題を、子どもの感受性との関わりとい. う観点で考えるならば、そこには教育問題の背後にある、地域社会や学校の問題が 浮上してくる。そして、子どもにとって、感受性の青みが困難になった学校や地域社. 会の現状について考えることは、新しい教育の可能性を考察することに対する一つ の示唆となるはずである。. 1秋田は、レッジョ・エミリアにおけるr3歳以上の教育機関」(nido)を、r3歳児未満の施設であ る」幼児保育所(infanzia)と区別して、幼児学校と訳すとともに、「保育、保育者、保育室」の代 わりに、「教育、教師、教室の語」を用いている。しかし、秋田によれば、レッジョ・エミリアの幼児. 学校における実際の活動内容は、日本の幼稚園や保育所と同様、「保育」であるという(秋 田,2003,p91)。本研究でも原則として、レッジョ・エミリアにおける保育を「教育」、保育者を「教 師」、保育室をr教室」と記述する。. !.
(4) しかし、子どもの感受性の育みに関するこれまでの研究で、新しい教育の可能性 を希求したものは数少ない。. そこで、本研究では、子どもの感受性一一他者の存在や、その他者と自分の相 違に気づき、対話を通じて相手を受け入れるという意味での<他者との関わりにおけ. る感受性〉、自分自身の身体や心の動きへ敏感になるという意味での<自身との関 わりにおける感受性〉、自然をはじめとした様々なものやことへと敏感になる、あるい. は自分が実際に存在している時間や空間だけでなく、眼に見えない存在や世界を 受け入れるという意味での<世界との関わりにおける感受性〉一一の青みを困難にし. ている、わが国の現状について考察する過程で、わが国の地域社会や学校の課題 を明らかにする。そして、「新たな意味」と「新たなコミュニケーション」の創造によって. 「『もう一人の自己』と『もう一つの世界』を『生きる技法』」としてのアート(佐 藤,2003,p加)を実現している、レッジョ・エミリア・アプローチにおけるアートの教育を. 手がかりにして、豊かな子どもの感受性を育む、学校と地域社会の在り方について 探っていく。. 2先行研究の検討と本研究の特色 子どもの感受性についての先行研究で、比較的多くみられるのは、次の二つであ る。. 一つは、たとえば、石崎ら(1997)の研究にみられる、美術における学習と訓練によ. って生み出された表現作品と、芸術作品への反応・解釈・判断といった鑑賞的な過 程についての分析から為る、美的感受性についての考察である。こうした、鑑賞や 制作に関する技能を分析することによって為される、美的感受性についての考察は、. 美的感受性の「生得的」あるいは「環境や文化による習得的」な発達要因の特性を 明らかにするなど、「美術教育のための基礎的研究として」(石崎他,1997,p1−p10) 大いに意義がある。. もう一つは、たとえば葛西ら(2006)の研究にみられる、他者への共感と内的理解を. 目指して行われる、感受性訓練についての考察である。感受性訓練は、心理療法 の一つとして、現代の希薄な人間関係のなか、感情の扱いに不慣れで他者に共感 できない子どもたちが、感情を調整する手段を身につけるために有効な手法(葛西 他,2006,p55−p65)とされている。. しかし、本研究において課題となる子どもの感受性の在り方は、石崎らのいう美 的感受性や、葛西らのいう感情を調整する能力だけに止まるものではない。 つまり、本研究で対象にする感受性の内容は次の通りである。. 第一に、子どもの感受性を、美術教育における評価や共感経験尺度といった一 定の基準や、他者との比較によって測定されたり、数値で表現されたりするものとし てではなく、あくまで個々の子どもが、他者との豊かな情感の共有によって顕在化さ せ、育んでいく潜在能力(中田,2008,p257)として捉える。. 第二に、子どもの感受性を、訓練の目的として、強制的に育めるものとしてではな.
(5) く、多数の他者が共存する地域社会や学校における生活でこそ育めるものとして捉 える。. また、レッジョ・エミリア・アプローチについての先行研究としては、尾崎ら(2001)の. 報告にみられるような、子どもに対する情報量の多寡や教師の声がけの変化などに よって、子どもの作品にどのような違いが表れるかといった比較実験などがみられる。. こうした実験は、子どもたちの作品を美術教育の目的としてみるならば、作品制作の 過程において、子どもたちが「何につまずき、どこで注意を逸らして」しまうのかに気 づくきっかけになる(尾崎他,2001p904−pg07)という点で、大いに意義がある。. しかし、レッジョ・エミリア・アフロ」チの本質は、同じ時間に同じ道具や素材を用. いて同じ活動を行わせる設定保育の枠組みのなかで、教師の言葉や働きかけによ って、子どもの表現力にどれだけの違いが出たかを見出そうと試み、それを既存の 描画指導方法と比較して語ろうとするような実験からではみえてこないはずのもので ある。なぜなら、レッジョ・エミリア・アプローチのアート教育においてみられる、子ども. の芸術作品に対する反応や子どもの創り出した作品を、子ども・教師・保護者によ る対話のツ」ルとして捉えるような発想は、多様な他者や自己と「出会い対話する 創造的行為の技法」(佐藤,2003,piv)として、アートを捉えることによって、はじめて 可能になるからである。. そこで、本研究では、ア』トと子どもの感受性を、先のように定義した上で、子ども. たちの感受性の青みを困難にしているわが国の教育と地域社会の現状と、レッジョ・ エミリア・アプローチの下で育まれる子どもたちの感受性について明らかにする。そし. て、感受性に関わる、この二つの事柄に関する考察を通じて、既存の教育と学校に 対する発想を転換し、わが国の地域社会や学校に、感受性を育める場を回復する ことの可能性について探っていく。. 3論文構成. 序章 第一章感受性を育む必要性と課題 第一節:感受性の概念 第二節:人問形成概念の狭陸化 第三節:地域社会の学校化 一子どもの感受性の青みを困難にしているわが国の現状と課題 第二章レッジョ・エミリア・アプローチの成立過程. 第一節:レッジョ・エミリア・アフロ」チの萌芽. (第一期:第二次世界大戦終結∼1950年代) 第二節:レッジョ・エミリア市における幼児学校の市立化 (第二期:1960年代前後∼1970年代) 第三節:レッジョ・エミリア・アプローチの世界への拡大 (第三期:1980年代以降).
(6) 第三章レッジョーエミリア・アプローチにおけるアートの実践と子どもの感受性 第一節:レッジョ・エミリア・アプローチにおけるアートの実践. 第二節:レッジョ・エミリア・アプローチの下で育まれる感受性. 終章 子どもの感受性を育むア」トの教育の可能性. 4.
(7) 第一章感受性を育む必要性と課題 第一節 感受性の概念 『哲学事典』(平凡杜,1971)によれば、感受性という言葉が、心理学の領域で用 いられる場合には、「受けた刺激に対し、その感覚を受けとりうる受容性の鋭さ」を意 味するという。そして、感受性という言葉が、哲学の領域で用いられる場合には、「カ. ントの感性に付与されている意味をもつ。すなわち人間の認識能力のうち、悟性は. 自発的に統一、総合、構成の働きをもつが、感性は外界からの触発において、外. 的事物から単に印象を受容するのみである。この感性の受容的働きを感受性とい う」と記されている(『哲学事典』,197!,p271)。. 感受性は、「外傷への回帰が実として凝固しえずに極限化していくその存在の心 性」として、レヴィナス(佐野,1992,59p)が論じているように、倫理や美との連関にお いて語られることが多い。. また、18世紀あるいは19世紀の西洋文学において、感受性という言葉が用いられ ている場合、それは明らかに、「身体の脆弱性・可塑性に台座をおいた『受動性』の 言説の一つの様態」を意味していたという(太田,1996,p47)。. そして、現代、子どもとの関わりにおいては、美術における学習と訓練によって生. み出された表現作品と、芸術作品への反応・解釈・判断といった鑑賞的な過程に ついての分析から為る美的感受性(石崎他,1997,p1−p10)や、他者への共感と内 的理解を目指して行われる感受性訓練(葛西他,2006,p55−p65)などが、数多く語 られている。. このように、感受性は、時代やコンテクストに応じて、多様な捉え方をされている。. そこで、以下に、現象学者の中田(2008)が、人間(大人=「思春期に達した者(中 田,2008,p55)」)が感受性を育む際の特徴として挙げている要素のうちの三つ、<主. 題的な他者との出会いに先立つ、匿名的な他者との共存〉(ベルト)、<意識の二重 性〉<欠如態として苦悩し続ける人間〉(サルトル)の内容について探りつつ、今日の. わが国において、子どもの感受性をどのように捉えていけばよいのかについて明らか にしていく。. (1)主題的な他者との出会いに先立つ、匿名的な他者との共存. ここで取り上げるのは、実際に存在し、人によって主題的に意識される他者では なく、匿名的な他者、すなわち、人によって非主題的に意識される他者と、感受性 の青みとの関係である。. 中田は、人が他者関係を可能とするには、「感情移入によって経験されるはずの 他者の存在」が、感情移入に先立って、あらかじめその人に知られていなければなら ない(中田,2008,p235)とする。. そうであれば、ここで考えねばならないのは、その他者が「私」の想定できる範囲の.
(8) 存在であるか否かということである。. 中田によれば、感情移入が擬似的なものである以上、他者は「私によって想像可 能な範囲」を超えられないという考え方がある一方で、現象学者のベルトがいうように、 「他者経験が可能となるのは、……私が他者を知覚する以前には、いまだ出会われ ていないため『無名の』という意味で、匿名的な他者が、あらかじめ非主題的に私に 意識されていることによる」とみなす考え方もあるという(中田,2008,p235−p236)。. 中田はベルトのいう匿名的な他者について、次のように説明している。ベルトの考. えによれば、一人で眼の前にある物を見ている時でも、r私は、今ここにいる私には 見えない、その物の裏側が他者には見えているはず」であることや、それは「いまだ出 会っていない他者に……も見えるはず」であるということを、漠然としてではあるが、あ. らかじめ意識しているからこそ、実際、「他者と出会った時に、私はその他者を、匿. 名的で非主題的に意識されていた他者の一人として現実に経験できる」のだという。 そして、中田は、こうした匿名的な他者に対するベルトの解釈に従えば、「あらかじめ 共に意識されている匿名的な他者」を、私がどのように、非主題的に意識しているの かに応じて、「そのつど実際に出会われてくる他者」との感受性が、「或る程度規定 されて」しまうことになるはずだとしている(中田,2008,p236−p237)。. (2)意識の二重性. 中田は、意識の二重性について、次のように説明している。 中田によれば、「意識が自分の意識を捉えようとする」ことで生じる「ほんのわずか な裂け目」によって、「連続していた意識の流れ」が切断されることにより、人は、何で あんなことをしたのだろうという、不安な想いを抱くことになったり、時に不都合な状態 に陥ったりするのだという(中田,2008,p31−39)。. このように、不都合な状態に陥った時の人間の在り方を、中田は、サルトルの「心 理的決定論に従った在り方」という表現を用いて、次のように説明している。. 中田は、「心理的決定論に従った在り方」とは、自分に不都合をもたらした無意 識の行為が、「その時に∼だと思ったから」といった、「当時の私の何らかの想いによ って引き起こされた」とみなす、人の意識の在り方をいうのだとしている。中田によれ. ば、心理的決定論に従って弁解することにより、人は不安から解放され、問題の事 態から救われるけれども、その時、既に人の意識は、人が不安から逃れようとしてい る努力や、人が逃れようとしていることの内容に気づいてもいるという。そして、中田. はこのように、一つの意識のなかで二重の意識が働いている状態を、意識の二重性 というのだとしている(中田,2008,p39−p43)。. それでは、意識の二重の働きは、感受性の青みと、どのように関わっているのか。 中田はこれを、「沈み」という言葉を用いて、次のように述べている。. 中田によれば、意識の裂け目とは、明確には知覚できないほどに僅かなものであ るという。そして、たとえば「怒っていた私と怒りを捉えている私との間」の差異、つまり、. 意識の断絶に伴って生じる、意識の流れにおける沈みも、意識の裂け目と同様、非.
(9) 常に微妙なものであるとして、感受性の青みを規定するのは、こうした「微妙な沈み」 に気づけるかどうかにあるとしている(中日ヨ,2008,p31)。. (3)欠如態として苦悩し続ける人間. ここでは、人間を欠如態として捉え、未だ十分でない自分を補い続けようという苦 悩のなかで育まれる、人間の感受性について探る。. 第一に、人間が欠如態であるとはどういう意味か。中田によれば、現実的人間が、 「決して与えられることのない自分との一致」に向かって、「絶えざる追い越し」(サルト. ル,!956)を目指す存在である以上、未来において「欠如を……満たそうとすること」. こそが、「現実的人間」にとっての可能性であり、自分の欠如の充実が可能となって はじめて、「私」には、「未来という時間が……開かれてくる」はずであるという。更に、. 中田は人間が、自分の欠如を補うため、絶えず自分自身を創り続けなければならな い存在として、未来だけでなく過去とも、強いつながりを持っとしている。そして、人. 間は、自分独自の固有性や、過去の事実に支えられているからこそ、かけがえのな い、自分だけの未来を創り出せるというだけでなく、「何の拘束も制限もない状態」で は、自分を存在させることすらできないのだという(中田,2008,p56−p57,p80)。. 第二に、人間が欠如態としての自分を自覚するのはどのような時か。中田によれ ば、誠実さや悲しみや苦悩において典型的であるように、人間は「完全な人間として 自分を捉えることなく、自分の欠如を常に自覚し、この欠如を満たそうと未来へ向か って自分を超え続けて」こそ、自分が欠如態であることを感じられるのだという(中 田,2008,p57)。. 第三に、人間はいつになれぱ、欠如態としての状態から、脱することができるのだ ろうか。中田はそれが「死」によってであるとして、これを次のように述べている。中田 によれば、サルトルの「それが在らぬところのものであり、それが在るところのものであら. ぬ意識が、それで在るところのものとなるのは、死によってである」という表現からも窺. えるように、「欠如を含むために未来の可能性が開かれ続け、それを満たし続けなけ ればならない限り」、人間が生きている間は「いつまでたっても、それが在るところのも. の」に達することにはならず、人間は、死の瞬間においてはじめて、「自分の存在を いわば完成させる」しかないのだという(中田,2008,p82)。. そして、第四に、欠如態としてあることは、人間が感受性を育むことと、どのような 関わりを持っているのか。中田は、サルトルのいう「『誰かに向けられることも、主題化 されることもなく』、個々の人間によって『満たされるべき空虚』として、しかも、『或る直. 接的で個人的な緊迫さによって、反省されることなく』『生きられる』しかない」はずの. ものを、「個々の人間に独自の固有性」という言葉で表現している。そして、その人が 負わされてきた、不幸・過失・苦悩・悲しみといった「過去の重み」によって形作られ. る、「個々の人間に独自の固有性」こそが、サルトルのいう、個々の人間の「内面的 な彩どり」、すなわち、「その人間の感受性の豊かさ」を意味するのだとしている(中 田,2008,P57,P80)。.
(10) 第二節 人間形成概念の狭陸化 ここでは、子どもの感受性が何らかの到達点を以って、あるいは何らかの目的を以 って育まれるものなのかどうかを明らかにするため、その手がかりの一つとして、モレン. ハウア』(2001)の記述をもとに、美的人間形成について探る。. モレンバウアーによれば、人間形成という言葉は、「置かれる制度的なコンテクス ト」によって意味が異なるため、「誤解を招きがちな言葉」ではあるが、多くの人間形 成論は「(規範的な)到達点」、つまり、『現実へと向かいっいには実現された人間形 成過程、という概念」から生じているのだという。そして、モレンバウアーは「この種の. 規範的な含意」が、「人間の諸力の形成の『調和』をあらかじめ想定したフンボルト」、 「この『調和』の想定と結びついた現代の『全体性』理念」、「人類の歴史という長い. 道のりの終点に想定された『和解』の理念を、主体は目指さねぱならないとするアド ルノ」の考えについても当てはまり、如何なる人間形成論においても免れえないもの だとしている(モレンバウアー,2001,p11−p12)。. また、中田も、教育という領域において人間の豊かさを考える場合には、発達や 発展という概念を避けては通れないとし、一般的にも「人間の発達は、一・・教育が 完成した状態である『おとな』の発達段階へと向かって漸進的になされるもの」といっ た考え方が支配的だとしている。したがって、一人では生きられない新生児として、こ. の世に生まれ、大人による養育や教育を受けることによって、「最終的には、自立し た大人として社会生活を営めるようになることが目指される」人問にとって、教育は 「こうした過程に寄与すべく」、大人の側から「『未熟な子どもに』対して働きかけられ る営み」として捉えられているのだという(中田,2008,p249−p250)。. それでは、人間形成過程という概念が、このようにr教育が完成した状態である 『おとな』の発達段階」として捉えられるようになった根拠とは、一体何なのだろうか。. モレンハウア」の記述は、こうした規範的含意が、次のように、三つの段階を経て、 「人間形成概念を狭めてきた」様子を明らかにしている。すなわち、その第一段階は、. 人間形成概念を学校へ持ち込んだこと、第二段階は、「『一般教育』向けと『職業 教育』向けに授業内容を分けた」こと、そして第三段階は、「こうした学校のもくろみ に諸教科を動員するための理論・実践として教授学が生まれた」ことである(モレンバ ウアー,2001,p12)。. そして、モレンバウアーは、こうした人間形成の狭陸化が、人々に、「学校で行わ れているのは人間形成のごく一部にすぎないという事実」を忘れさせてしまったばか りでなく、逆に、「人間形成についての考察」が教授学や授業の論拠となり、授業形 式による「組織的教授の諸問題」が、ますます注目を集めるようになったという。また、. 学校制度における必然的な狭陸化と相まって、人間形成の過程が、ただ「人間形 成が達成すべき結果」からのみみられるようになったこと、そして、文部行政側と教育. 関係の双方の側にいる者たちが、目的にふさわしい教授行為によって、「望まれた 結果が……引き起こされるべき」であるという、同じ論理へと従ったことによって、人.
(11) 間形成の狭陸化が、より一層促進されだとしている(モレンハウア」,2001,p!2)。. しかし、モレンバウアーは、学校教育への導入に端を発する人間形成概念の狭 陸化を悲観的に論じながらも、たとえば「ピアジヱが子どもの象徴遊びの人間形成 的意味を問うている」ことからも明らかであるように、主として学校教育における「現実. へと向かいっいには実現された人間形成過程、という概念」の外側でも、人間形成 について問うことは可能だとしている(モレンバウアー,2001,p12)。. そして、モレンバウアーは、人間形成を「美的な『人間形成』の問題」という文脈に. 沿って論じることにより、規範的な含意に配慮することなく考察することの可能性に ついて述べている。つまり、モレンバウアーは、「成長しつつある個人が、『世界の習 得』と『諸力』形成(フンボルト)の様々な過程」や体験・経験・認知といった「様々な. 段階を通過し、意識や自己反省や文化的順応の様々な形式を通過していくとき… 一そこで何が起こっているのか、という問題」として、「文化人類学的な事態に関わる. ような意味」で、人間形成という言葉を用いるというのである(モレンバウア ー,2001,P11)。. また、モレンハウア」は、人間形成を「美的な『人間形成』の問題」という文脈に沿. って論じる限りにおいては、「美的人間形成の社会的あるいは政治的有用性」が 「副次効果」として存在しうるとしても、美的人間形成の理論は、その種の有用性に ついて、「いかなる情報も与える必要がない」としている。すなわち、こと美的人間形 成に関しては、シラ」やアドルノが、「事象というメディア」を通してなされる美的な判. 断が「まさに……反省的であるがゆえに」、そこに「人間の社会的結合のより善なる 状態」が生み出されるものとして思い描いた「困難な構築作業」を、人が負担する必 要などないというのである(モレンバウアー,2001,p15−p16)。. 第三節 地域社会の学校化 一一 qどもの感受性の青みを困難にしているわが国の現状と課題 (1)他者との関わりにおける感受性の青みを困難にしているわが国の現状. まずは、教育の現場に関わりを持つ専門家の文章から、他者との関わりにおける 感受性を、現代の子どもたちが著しく欠いている現状について明らかにする。ここで 取り上げるのは、教育現場でアートの指導を行っている中嶋(2003)が、大学生を対 象に、グループ・ワークを行った際の印象について記した文章である。中嶋はここで、. 現在の大学生の姿から、彼らが幼い子どもだった時の状況を推測して、考察を行っ ている。. 中嶋は、「ひと昔前にはごくあたりまえ」だった「遊びのル』ル」や「コミュニケーショ. ンのルール」が、最近の多くの子どもたちには欠落しているようだとしている。そして、. ア」トの指導を通して出会う、相手に触れることを怖がったり、気持ち悪いと感じてし まうような大学生の状態を、「接触不能」と表現し、こうした、他者との接触を忌避す る若者の傾向について、「間接的コミュニケ」ション」対「直接的身体コミュニケ』シ.
(12) ヨン」という構図を用いて、次のように述べている。中嶋は、携帯電話・ゲーム・パソコ ンといった「間接的コミュニケ」ションの過熱」によって、直接的身体コミュニケ」ショ. ン能力を育む機会を奪われ、幼時の成長過程で、群れと遊びの「ルールを知り、自. 分の役割や居場所を見つけ、相手の呼吸を知る、といったグループの遊びを…… 体得してこなかった」若者に、「大学という『教育』の場」で、慌てて直接的身体コミュ. ニケーション能力を補完しようとしても、間に合うはずなどないというのである(中 嶋,2003,P308−P309)。. ここでの中嶋の記述からは、アーティストという立場で、子どもと関わる専門家が、 最近の子どもたちのなかに、「直接的身体コミュニケーション」の能力や、それととも. に育まれる<他者との関わりにおける感受性〉の欠落を、経験的に感じ取っている様 子が窺える。. そして、中嶋のいう「直接的身体コミュニケ」ション」能力を形成するための前提. 条件である、群れと遊びの「ルールを知り、自分の役割や居場所を見つけ、相手の 呼吸を知る、といったグル』プの遊び」を体得する機会の欠落は、次にみる矢野 (1996b)と山下(1998)の記述にも見出すことができる。. 教育人間学の研究者である矢野は、教育現場で、喧嘩がどのように捉えられてい るかを示すことによって、こうした機会の欠落について示している。. 矢野によれば、対立・闘争・葛藤=喧嘩は、本来、「それまで疎遠だった当事者 が相互の立場を理解し、互いの力を認識し、共通の交渉ル」ルを設定し、やがて 基本的合意=〈和解〉に向かう社会的プロセス」であり、それは、他者との共存にお ける「最も基本的なコミュニケ」ション」の一つであるという。したがって、かつて子ども. の喧嘩は、必ずしも大人によって禁止されるような暴力行為としてではなく、あくまで 遊びの一種として捉えられていたのだという(矢野,1996b,p3−p4)。. しかし、矢野は、今日、子どもの喧嘩が、大人によって、できればなくしてしまいた い日常悪として捉えられているようだとしている(矢野,1996b,p3)。. また、スクール・カウンセラ」の山下は、本来教育とは無縁であった、遊びの領域 が教育化されていく現状から、子どもにとっての遊びの欠落について記している。. 山下によれば、部活動や企業は、元来遊びと密接な関わりを持っていたスポ」ツ や芸能にさえ、「教育の衣をまとわせて」、「教え教えられる関係の中」へと囲い込み、 「子どもたちの遊びの領分」を、完全に浸食し尽くしてしまったのだという。すなわち、. 人々の「教育への傾倒」が、本来教育とは無縁であった遊びの領域までをも学習の 枠内へと取り込み、遊びは「学校内外で教えられるものとして位置づけられるように なった」というのである(山下,!998,p61)。. それでは、このように、子どもたちの世界における遊びを大きく変容させた、そもそ もの原因とは、一体何だろうか。. 矢野は、「学校化する地域社会」2という概念を用いて、それを明らかにしている。 2戦後ユ0年での経済回復に自信をつけた日本の国家と国民は、その成果が教育の効果にあ るという確信を強め、学校教育にも、積極的に市場経済原理を導入した。その結果、教育の効 率化が推進され、教育の達成度の測定を目的としたテストでの好成績が、「教育をよりよく身に つけることと同義」にみなされることとなった。こうした「教育効果の数値による評定化」は、学校. 10.
(13) 矢野によれば、わが国では、戦後の都市開発によって、多くの地域で、多様な価 値が一掃され、似通った階層の、限られたライフスタイルを持つ人々による「均質的 同質的な人工空間」が形成されたという。矢野は、このような地域社会では、子ども. の学業成績によってのみ各家庭が差異化され、各家庭の内実が似ているほど、差 異化を巡る競争も過熱していくとする。そして、こうした大人社会の価値の一元化が、 子ども間の競争をも激化させ、全ての子どもを、成績評価という「重い枕」に縛りづけ ることになった、というのである。矢野は、こうした地域社会の現状を「学校化する地 域社会」という言葉で表現している(矢野,1998,p116−p117)。. また、子どもたち自身による学業重視の姿勢は、学校において、如実に見受けら れることなったという。. 山下によれば、子どもたちは学校で、恩師との出会いや、人間的成長の達成など はおろか、専ら人と競い、弱者を蹴落とし、攻撃性を身につけることを学んでいると いうのである(山下,1998,p74)。. つまり、子どもたちは、発達という枠を超えた、「全体的人間」(矢野,1998,p113)と. しての成長を諦めてまでも、他者と競い続け、大人が求める一元化された価値を死 守しなければならないことになり、これこそがまさに、子どもにとっての「重い椥」となっ ているのである。. 更に、教育方法学の研究者である佐藤は、多様な他者の存在を考慮しない情 報収集の在り方が、子どもに何をもたらしているのかについて、次のように述べてい る。. 佐藤によれば、最近では、子どもが国内外を旅したり、色々な媒体に触れたりする. 機会も増え、それに伴って、子どもが「さまざまな地域の生活習慣や風習を知る機 会」も増えたという。しかし、情報は「受けとめる側のコンテクスト(文脈)によって取捨 選択される」ため、相手と関わりのないコンテクストは「持続的なコミュニケーション」や、 相互の「コミュニケーションから生まれる新たなコンテクストに対応した情報」のやりとり. を生み出すこともない。したがって、佐藤は、コンピュ」タによる、相手と関わりのない. コンテクストの下では、情報の受容が一方的なものとなり、子どもの世界が拡張され ることにはならないとしている。すなわち、「有識者に手紙を書く、聞き取りをする、調. 査する、観察する」といった煩わしさもなく、簡単なコンピュ」タ操作一つで、純粋に. 自分の欲しい情報を得られることは、私たちにとって、大変誘惑的ではあるけれども、 こうした情報収集は、以下のような理由で、大変危険なことだというのである。つまり、. 本来「世界や他者は「『私』のために存在し、生きているわけではない」ため、人は 「世界や他者に都合をつけて」もらい、知りたくもない情報を耳にするなどの煩わしさ に耐えることで、自分の知りたい情報を得たり、一見「無駄とも思える活動」のなかか から「人間の温かさや息づかい」を奪い去り、「教育の嬢小化と学校の、自、苦しさ」が加速されるこ. ととなる。更に、70年代の教育信仰は、学習塾といった「教育の場」を、「学校制度の枠外」にま で求め、テストの点数・=教育の成果だと考えた親たちが、子どもたちを塾へと駆りたてた結果、. 「70年代初頭には乱塾時代という言葉を生み出すほどの勢いで全国津々浦々に」「塾というミ ニ学校」が蔓延した。山下は、日本の国家と国民全体による、こうした教育への傾倒を、「地域. 社会全体が学校化」の一途を迫ることとなったという言葉で表現している(山 下,ユ998,p60−p6ユ)。. 1!.
(14) ら、「予期せぬ発見をしたり」することができるのだという。そして、人は「無駄とも思え. る活動」や「予期せぬ発見」などといった経験の積み重ねによって、「世界や他者と の関わり方」や「世界や他者は『私』の都合に合わせて存在しているのではない、と いうこと」を学べるはずなのであるという。しかし、人が、r世界や他者は『私』のために 存在し、生きているわけではない」という「前提を欠落させて、コンテクストを作ってい. く」と、人は、世界や他者が『自分の都合に合わせて存在するのだ、などという妄想 にかられてしまうようになる」というのである(佐藤,1998,p88−p89)。. 地域社会の学校化に関する、矢野や山下の記述に従えば、現代の子どもたちが 置かれているのは、学業成績の達成という一元的な価値に支配された、多様な価 値の重視されない世界である。. こうした、多様な価値の存在が前提とされていない世界において、子どもは、仲間 という他者から切り離された、あくまで個別の存在として扱われる。したがって、子ども. には、多様な考えを持った仲間との葛藤を克服するための交渉も、多様な考えを持 った仲間同士でのル」ルの創造も、経験する必要がないということになり、たとえば、 喧嘩という他者とのダイナミックな対話は日常悪とみなされ、禁止されてしまう。. それでは、こうした世界のどこに、子どもが<他者との関わりにおける感受性〉を育 む可能性を、見出すことができるのだろうか。. また、世界や他者とのコミュニケーションに関する佐藤の記述に従うならば、多様. な他者の存在を考慮しない孤立した一元的な学びから、子どもが「他者と共に生き る際の感受性」(中日日,2008,p237)を、十分育むことができないことは明らかである。 そして、こうしたrコンテクストとコミュニケーションの能力」の欠落は、rさまざまな地域. の生活習慣や風習」を通して、クラスや学校という枠を超えた、より大きな世界や 人々と触れ合い、感受性を育む可能性をも逸してしまうはずである。. (2)自身との関わりにおける感受性の青みを困難にしているわが国の現状 佐藤は、今日の子どもたちが、幼時から「『学校知』の習慣」に関ることで、人間的. 誇りを失い、「自己肯定感の低さと……人間的な交わりの弱さ」によって「学びを意 味づけられない状況」に置かれているとする(佐藤,1998,p78)。. こうした「学校知」への傾倒は止まるところを知らず、山下は、学齢期以前の子ども. の早期教育のみならず、90年代中頃以降には、胎児教育すらも行われるようになっ たとしている(山下,1998,p61)。. それでは、自己肯定感の低さが、子どもの学びの成立を妨げるのはなぜか。 佐藤は「自己の否定」という概念を用いて、これを次のように述べている。. 佐藤によると、本来自己の否定は、周囲からの働きかけによって形作られてきた、 それまでの自分を、新たに広がる世界の申で相対化し、「『もう一人の自分』を発見 してゆく緊張関係の過程」においてなされるものであるという。しかし、「今日の子ども. に特徴的な自己肯定感の希薄さ」は、「『もう一人の自分』を生み出すべき自己形 成の弱さと深く関わって」生じたものであり、それまでの自分を相対化し、「『もう一人 12.
(15) の自分』を発見してゆく緊張関係の過程」において為される自己否定が、ここでは 成り立ちえないという。そして、佐藤は、前提となる自己の否定が成立しない限り、学. びも成立しないという悪循環が、子どものなかに生じるのだとしている(佐 藤,1998,P79)。. また、山下は、佐藤がいうところの「今日の子どもに特徴的な一・・自己形成の弱 さ」について、次のように述べている。. 先にもみた通り、子どもたちは学校で、弱者を蹴落とすことや他者への攻撃性とい ったことのみを学ぶよう促され、常に他者との競争を強いられている。それゆえ、山下 は、このような状況下での子どもたちには「人間として自らの存在を祝福されていると いう実感」を持つことも、「将来に対する展望を切り開いてくれるもの」もないのだとし ている(山下,1998,p74)。. それでは、中田の記述でみたように、感受性の育みには、現在の自分が確かに存 在しているという実感とともに、その過去も未来もが、大きな影響を与えるとするなら ば、現在の自分だけでなく、過去や未来に対しても、確証を持てない子どもたちは、 どのようにして、自身との関わりにおける感受性を、育んでいけぱよいのだろうか。. (3)世界との関わりにおける感受性の青みを困難にしているわが国の現状 ここでは、<世界との関わりにおける感受性〉を育むことの難しさを<多様性に欠け. た、一元的な価値の浸透と、そこでの生成体験の喪失〉と〈「超越の世界」と「強い 禁忌」に閉ざされた学校〉という二つの観点から明らかにする。. まずは、矢野(1998)の記述をもとにして、多様性に欠けた、一元的な価値の浸透 と、そこでの生成体験の喪失について考える。. 矢野は、地域社会の学校化が、世界との関わりのなかから感受性を育んでいく機 会を、子どもたちから奪うこととなった経緯を、生成と多様性という言葉を用いて、次 のように述べている。. 矢野によれば、かつては学校が、一元的な発達の論理に貝一」って存在していた一. 方で、学校外の地域社会には、「いろいろな職業をもった人々の営み」や「世俗的 価値を超えた祝祭」、そして「多様な価値が共存し」、そこには子どもに「深い生成体. 験をあたえる場所と時間が存在していた」という。しかし、戦後誕生した「均質的同 質的な人工空間」において、似通ったライフスタイルを生きる人々の間では、学業の. 達成度のみが各家族間の差異化を見出す指標となり、そこに暮らす子どもたちは、. 学業成績の向上のみを望まれる存在になってしまったという(矢 野,1998,P116−P117)。. 更に、先にもみた通り、喧嘩の禁止や「教育への傾倒」によって、本来「教育とは 無縁であった遊びの領域まで」もが、学習の枠内へと組み込まれ、そのことによって、. 子どもが生成を体験する機会は、より一層狭められることになってしまった(矢 野,1998,p117/山下,1998,p61)。. 矢野は、このような地域社会の現状をみれば、「子どもを取り巻く環境が、どれほど 13.
(16) 生成と多様性を欠いているか」は明らか(矢野,1998,p117)であるとし、こうした環境. 下での子どもたちの変容について、次のように述べている。. 矢野によれば、多様な価値観が消失し、学校のみならず、家庭や地域社会でも、. 生成の体験が不可能となるにつれ、「子どもは世俗的世界を逃れ生成の体験を求 めて、秘密を探求するテレビゲームや残忍なホラ」ビデオ、あるいは暴力的性的な 主題のマンガや不気味な怪談といったジャンク・カルチャ」を放浪することになる」と いう。しかし、矢野は、むしろジャンク・カルチャーの多くは、「擬似的な生成体験」を. 提供するに過ぎず、子どもたちを「なしくずしの神秘主義」に陥らせる危険があると警 告している(矢野,!998,p117)。. また、中日ヨも、矢野がいうところの、子どもたちの「世俗的世界」からの逃避につい て、次のように述べている。. 中田は、将来に希望を見出せず、「おとなになった時のために、という教育目標」 に、何の意味も持てない子どもの場合、「おとなの側からなされる教育的働きかけは、 将来から切り離された、その場その場で体験されるだけの、それ自体として独立した もの」でしかなく、「そうした子どもが、その時限りの快楽に耽ったり、教育的働きかけ から逃避して、引きこもったり」するのも当然だという(中田,1998,p250−p251)。. そこで次に、「超越の世界」と「強い禁忌」に閉ざされた学校について記した矢野 (1998)の記述から、子どもが<世界との関わりにおける感受性〉を育むことの難しさに ついて考える。. 矢野は、自身の記述において、わが国が敗戦後の学校教育から排除してきた部 分に焦点を当て、今日、わが国の学校教育が抱える課題について論じている。 それは第一に、教育機関からの多様な超越性の排除である。矢野によれば、敗. 戦後、日本の教育関係者は、「戦前・戦中の国家主義的軍国主義教育への反 省」から、「人間中心主義・合理主義・民主主義の戦後思想に基づいた戦後教育 思想」に促されて、「あらゆる種類の超越性を教育機関から排除レ・一非合理な神. 話や封建的な因習や心性に惑わされない、観察と実験と検証による科学的で批判 的な精神の育成」を目指したという。しかし、こうした精神の育成が、その目的を「一. 義的で明断な言語系による機械論的決定論的な世界把握」、そして「世界のみな らず人間をも像(対象)としてとらえること」に置いていたため、「極端な合理主義教. 育」の推進は、結果的に、人間をも物化させることになってしまったという(矢 理子,1998,p114−p115)。. そして、第二に、教育機関からの「強い禁忌」の排除である。矢野によれば、戦後. の学校教育が、平等主義の建前から、「生徒間の差異」の消去を目指したことで、 戦前の学校教育が目指した「標準化した身体と言語の形成」が促進されたという。. 更に、標準化した身体と言語を形成するため、学校が「脱聖化した世俗性と徹底し た均質性と画一性とによって、平坦化された空間」で、構成されるようになり、学校 空間から、暴力・性・死という強い禁忌が排除されることになったのだという(矢 野,1998,P115)。. それではこのように、多様な超越性や強い禁忌が、教育機関から排除されること !4.
(17) によって、子どもたちはどのような体験を阻害されることになったのだろうか。. 矢野によれば、「人間中心主義の教育思想によって、暴力を否定し、性を隠蔽し、 死に触れることのないように子どもを外部から保護する、明るく清潔な空間」を目指 した日本の学校は、今現在、その目的とは真逆の在り方をしているという。なぜなら、. 暴力・死・性が、強い禁忌を伴い、「自己の卑小さを体験させ」、他者や世界へと自 分を開き、人間の生成に、最も強いカを持つものであるにも関わらず、学校では、子 どもが暴力・死・性に対し、あからさまな関心を表明することを認めようとはしないのだ という。したがって、「子どもを大人へと方向づけるはずの教育空間」が、逆に、「大人. になろうとする子どもの関心」を抑圧し、「教育の目的と過程とが否定しあって悪循 環」を形作っているというのである(矢野,1998,p115−p116)。. こうした〈多様性に欠けた、一元的な価値の浸透と、そこでの生成体験の喪失〉と <「超越の世界」と「強い禁忌」に閉ざされた学校〉についての考察を通して明らかに. なるのは、我々が反省せねばならない、教育に関する二つの事柄である。 それは、つまり、「個人の誕生が『超越に触れること(生成)』と結びついて」いるにも. 関わらず、「『超越の世界に触れる』という生成の体験が、極度に衰弱し」、個人を生. み出すことが困難な日本の学校空間の在り方(矢野,1998,p116)と、教育問題の根. 本にある「生成のカを発達の論理へと従属させてきた教育的思考の在り方」(矢 野,1998,p118)である。. そして、こうした、「生成の力」に対する「発達の論理」の、今日の教育における優 位性は、先にみたモレンハウア」の記述からも明らかである。. (4)今日のわが国において求められる、子どもの感受性の育みに対する課題 ①子どもの感受性をどのようなものとして捉えるか それならば、我々は子どもの感受性を、どのようなものとして捉えればよいのだろう か。. まずはそれを、他者との関わりという観点から明らかにする。 たとえば、先にみた通り、あらかじめ「私」によって「意識されている匿名的な他者」 を、「私」がどう意識しているのかに応じて、「そのつど実際に出会われてくる他者」と. の感受性が、r或る程度規定されて」しまう(ベルト)のだとすれば、r私」の感受性の 育みにおいて、「そのつど実際に出会われてくる他者」との関わり方は、さして重要で. ないばかりか、場合によっては、「実際に出会われてくる他者」の存在そのものが必 要でないことになってしまう。. また、これも先にみた通り、感受性が「或る人間の性格や他者関係における敏感 さといった、何らかの人間的特性」というよりも、むしろ誰に向けられることも主題化さ れることもない、「個々の人間によって『満たされるべき空虚』」(サルトル)として捉えら. れるものであるならぱ、そこには感受性に対する、次のような視点が欠けていることに なる。つまり、そこには、当の人間が「他者関係における敏感さといった」感受性を育 むという視点だけでなく、その人問が「他者関係における敏感さといった」感受性を、 他者のなかに育むという視点もまた、同じく欠けていることになるのである。. 15.
(18) そして、r他者関係における敏感さ」を重視しない感受性の在り方や、他者の存 在を重視しない感受性の青みの在り方は、先にみたような、個々の人問が他者との 豊かな情感の共有によって感受性を育み合ったり(中田)、身近な大人との自然探 索を通じて、幼い子どもが感受性を育み強める(カーソン)といった発想とは、根本的 に相容れない。. したがって、先に中田によって示された、サルトルあるいはベルトの記述から見出さ. れる感受性や、その青みの在り方は、他者との豊かな関わり合いや「他者と共に生 きる際の感受性」について想定されてはおらず、今日、わが国で希求されている感 受性の在り方とは、全く異なるコンテクストでの感受性の在り方ということになる。. 次に、子どもの独自性という観点から、子どもの感受性の育みについて考える。. 先にみた、作業に没頭することで、意識の二重性を意識し過ぎないよう努めるとい った人間の在り方は、幼い子どもの在り方と相容れるものではない。なぜなら、後に 詳しくみるように、子どもは遊びを通じて、真の溶解を体験できる稀有な存在であり、 溶解を伴う十分な遊戯を通じて生成を積み重ねる(矢野,2003,p57)ことによってこそ、. 豊かな感受性を育める存在だからである。それゆえ、意識の二重性を過度に意識 することを避けようとして、無理に行動するというような人間の在り方からでは、幼い子. どもの感受性の育みについて考える以前に、子どもの在り方そのものの考察すらも 困難であることは明らかである。. 最後に、非有用性という観点から、子どもの感受性の育みについて考える。. 先にみた、モレンバウアーによる美的人問形成の定義に従えば、子どもの人間形 成とは、成長しつつある個々の子どもが、体験・経験・認知などの様々な段階を経て、. 「意識や自己反省や文化的順応の様々な形式を通過していく」過程で生じる、当 の子ども独自の事象としてしか捉えることができないもののはずである。. そして、子どもの人間形成が、こうした個々の子ども独自の事象として捉えられ、. 且つ、日々の遊びのなかで、十分な体験・経験・認知が、子どもに保障されている 限り、子どもの感受性は、遊びの副次的行為として、発達の相と関わりなく、自ずと 育まれていくのではないだろうか。. しかし、モレンハウア』と中田による、狭陸化された人間形成概念に関する記述を みる限り、子どもを取り巻く環境には、発達という一元的な価値へと連なる規範的な. 人間形成概念が横行し、そこでは、モレンバウアーのいう美的人間形成が困難であ ることは明らかである。. ②子どもの感受性の育みに対する学校と地域社会の課題 先の(1)から(3)でみたように、今日、わが国の地域社会と学校は、子どもたちにと. って、容易に感受性を育める場所ではない。なぜなら、それはわが国の、学校を含 めた地域社会全体が、地域社会の学校化という現象を背景にした、多様性を前提 としない世界だからである。そして、多様性を前提としない世界では、他者とのダイナ ミックな対話も、「ありのままの自分」(佐藤,1998,p94)として他者から肯われることも、. 「超越の世界」と「強い禁忌」の存在も、前提とされていない。. 16.
(19) それでは、子どもたちの感受性の青みを可能にするため、今日のわが国において 求められているものとは一体何だろうか。そこで、以下に、子どもの感受性を育む可 能性の手がかりを、レッジョ・エミリア・アプローチにおけるアートの教育へと求め、明ら かにしていく。. 17.
(20) 第二章レッジョ・エミリア・アプローチの成立過程 第二章では、レッジョ・エミリア・アプローチの理念が、どのような歴史や文化のなか. で育まれ、世界的な注目を集めるに至ったのかについて、明らかにしていく。 エドワーズらによれば、レッジョ・エミリア・アプローチとはr革新的な哲学と教育学. の仮説、学校組織の方法、環境デザインの原理」を進展させながら続いてきた、レッ ジョ・エミリア市の教育システム全体を、一括りにしたものであるという。また、レッジョ・. エミリア・アプローチの理論が、rヨーロッパとイタリアの潮流である『進歩主義教育』」、. 「ピアジェとヴィゴツキ』の『構成主義心理学』」、「イタリアの戦後の『左翼の改革政. 治』」という「三つの重要な知的伝統からひきだされる一連の特徴的で首尾一貫した. 発展的な仮説と展望によって基礎づけられている」とし、更に、「この三つの伝統は. すべて、この地方特有の参加民主主義の強い伝統すなわち連帯と協力の市民同 盟の伝統という、過去と現在の歴史と文化の要素によって」混合されたものだとして いる(エドワーズ池,2001,P9−P1O)。. また、マラグッツィは、レッジョ・エミリアにおける教育実践の歴史が、「公共意識の. 一部になるまで拡大した市民の決意と熱意の初期の起源」から生まれたとしている (マラグッツィ,200/,p74)。. 第一節 レッジョ・エミリア・アプローチの萌芽. (第一期:第二次世界大戦終結∼1950年代) まず、第一節では、レッジョ・エミリアを含むイタリア北部の特徴を示した上で、. 1945年の第二次世界大戦後のレッジョ・エミリア・アプローチの萌芽から、1950年 代をレッジョ・エミリアの第一期として、そこでの歴史・理念・文化の形成について明 らかにする。. (1)レッジョ・エミリアという市と、そこに暮らす住民の特徴. 川村によれば、北イタリアの小都市レッジョ・エミリアは、イタリアの中でも極めて幼. 児教育の盛んな地域であり、ここでは街のコミュニティ、研究者、教育者、保護者が. 幼児教育へと積極的に参加し、支出の12%が学費資金に充填されるほど、地域全 体で熱心に、子どもたちの教育を支えているという(川村,2006a,p39)。. エドワーズらは、教育への高い関心の背後にある、レッジョ・エミリアの地域性や住 民の傾向について、以下のように述べている。 エドワーズらによると、レッジョ・エミリアでは、子どもがr『市民性』(CiVility)『市民 化』(CiVi1iZatiOn)『市民意識』(CiViC COnSCienCe)の権利を持っている」ものと理解さ れており、レッジョ・エミリアの教育者たちも、「『市民的』(civil)という言葉」を頻繁に 用いるのだという(エドフ」ズ他,2001,p12)。. そして、エドワーズらは、レッジョ・エミリア市民の「市民性」を形作っているのが、工. 18.
(21) ミリア・ロマ』ニャ地方と、レッジョ・エミリアという地域のあらゆる面での質の高さにあ るのではないかとしている。すなわち、レッジョ・エミリアは、イタリア全体でも、極めて. 「低い失業率と犯罪」、「高い繁栄」、正当で「有効な地方政治制度」、「豊かで質 の高い社会福祉」を誇り、総体的に「住みよい市」として知られているという。また、エ ドフ」ズらは、レッジョ・エミリアが位置するエミリアーロマーニャ地方も、「権威と依存. の垂直的な関係に対抗して、社会的連帯と互恵性と協力の水平的な関係で共に 結びついた市民」による市民共同体、「市民の責任感」、「地方制度と公務員への 基本的信頼」のいずれもが、非常に高い水準を示している(Putnam,1993)ことで知ら れているのだとしている(エドワーズ池,2001,p!2)。. また、エドフ』ズらは、エミリア・ロマーニャ地方に根づく、二つの伝統文化を取り 上げている。. それは、市民が自分の経験に基づいた良識のレベルにおいて、自分や自分が属 するグループの「『主人公』(protagonist)として発言でき」且つ発言すべきである. (He11man,1987)という参加民主主義の精神と、市民が社会問題の解決を目的に、. 「社会階級の境界を越えて政治的な諸党や経済的な諸企業の手段」によって、っ ながろうとする連帯の精神である(エドワーズ他,2001,p12)。. エドフ」ズらは、エミリア・ロマ」ニャ地方に根づく、こうした「参加民主主義と市民 共同体の思想」が、「エミリアーロマーニャ地方一般、特にレッジョ・エミリア市に住む 人々のアイデンティティと誇りの強力な源」になっていると同時に、rレッジョ・エミリア. の教育者たちの教育のヴィジョンと使命についての感じ方の根本」をなしていること は明白だ(Edwards,1995)としている(エドワーズ他,2001,p!2−p13)。. また、市民としての公共性の高さは、北イタリア全体にみられる特性のようである。 勝巳ヨによれば、イタリア統一後、南イタリアの人々が私的なモラル、とりわけ家族に. 関わるモラルを発展させていったのに比べ、北イタリアの人々は公共的モラルを発展. させ、r中産階級の教育と、政治的社会の形成」に力を注いでいったのだという(勝 田,2008,p91)。. 更に、エミリア・ロマ」ニャ地方が位置するイタリアの北部地域は財政面も、南部. に比べて格段に豊かで、それはイタリア統一以降、現在に至るまで、「南北間の格 差=南部問題」として、イタリア国家が解決すべき課題となっている(堺,2007,p5/勝 田,2008,Pg1−P92)。. いずれにせよ、あらゆる意味で恵まれた、イタリア北部に位置するエミリア・ロマーニ ャ地方、そしてレッジョ・エミリア市で、子どもに対する教育への関心が、自ずと高くな るのは当然である。それゆえ、レッジョ・エミリア市での取り組みが、イタリアの他の地. 域や、その他の国において、どの程度まで実現可能かについては、十分検討の余 地がある。. しかし、我々は、次の項でみるように、レッジョ・エミリア市も、第二次大戦の惨禍を 免れえなかったという事実と、レッジョ・エミリア・アプローチが、その戦後の混乱のな. かで芽吹いた文化であるという事実を忘れてはならないのである。. 19.
(22) (2)レッジョ・エミリア・アプローチの起源. イタリアでは、「何世紀もの伝統をもつカソリック教会と若いイタリア国家(1860年建. 国)との間の熾烈な権力争い」が、「幼児教育を含む近代の所産に影響を及ぼして きた」のだという(エドフ」ズ他,2001,p26)。. そして、こうした状況のなか、第二次大戦中、激しいレジスタンス運動の行われた レッジョ・エミリア市(秋岡,2003,p73)では、子どもを持つ女性労働者たちの「保育所. 要求の運動とそれに賛同した実践者たち」の尽力によって、保育・幼児教育への取 り組みが開始され、それが後に、教育者マラグッツィによって理論づけられ、レッジョ・ エミリア・アフロ』チと呼ばれるようになった(石垣,2001a,p48)。. レッジョ・エミリアにおける教育実践の起源は、1945年春、第二次大戦終結の6日 後へと遡る。レッジョ・エミリア近くのヴィラ・チェラでの学校建設の噂を聞いて駆けつ. けたマラグッツィが目にしたのは、女性たちがレンガを洗い、ドイツ軍の残していった 馬・戦車・トラックを売って、学校建設の資金を調達しようと、人々が話し合っている 光景であった(マラグッツィ,2001,p69−p70)。. マラグッツィは、当時の教育上の問題について、次のように語っている。 マラグッツィによれば、戦後の混乱と貧しさに充ちた町では、せっかく開始された学. 校運営にも、大きな犠牲が伴い、そこには強固な連帯が必要であったという。また、 当時、ヴィラ・チェラの学校で用いられていた、小中学生向け国定カリキュラムの内. 容は、子どもに対し、「愚かで非寛容で無関心で、権威に対しては楽天的な媚びた 関心を向け、利己主義の賢さとパッケ」ジ化された知識を求めるもの」であったとい う(マラクツツイ,2001,P71)。. 国定カリキュラムに基づく教育実践に疑問を抱いたマラグッツィは、その後、口』マ で心理学を学ぶ。そして、帰国後、地域の親たちが運営する、レッジョ・エミリア市の 小さな学校に勤務することとなるが、そこに通ってくる子どもの多くは不健康で、標準 イタリア語での意思疎通もできず、ここにも多くの問題が山積していたという(マラグッ ツィ,2001,p71−p72)3。. それでは、当時、レッジョ・エミリアの教師たちは、どのような思想や研究成果を取 り入れることによって、こうした問題を解消しようとしていたのだろうか。. マラグッツィによれば、1950年代に入ると、アメリカから創造性というテーマが上陸 し、レッジョ・エミリア・アプローチに、新たな展開をもたらしたという。マラグッツィは、な. かでも当時、レッジョ・エミリアの教師たちに影響を与えたのが、ギルフォードとトランス. の創造性に関する「人間と生活の哲学的な次元や思考の生産性について」の提言 だったとしている。そして、レッジョ・エミリアの教師たちは、ギル7オードらの研究成果. から、注意深い観察の結果が「多くの注意すべきことや省察すべき」ことを示唆して いるということに気づかされたのだという(マラグッツィ,2001,p/12)。. 宮オムリによれば、イタリアの幼児教育の歴史においては、言語教育が常に重要な意味を持っ ていたという。そして、オムリは、著書『イタリア幼児教育メッソドの歴史的変遷に関する研究:言 語教育を中心に』(2007年)のなかで、アポルティ、レーヴィ、コロミアッティ、アカッツィ、フォルミッ. ジー二らの幼児教育実践と、言語教育の関わりについて記している。. 20.
(23) そして、犠牲と混乱のなかでの学校運営と、教師たちによる研究の成果は、レッジ ョ・エミリアの教師たちに、次のような教訓をもたらす。. マラグッツィによると、レッジョ・エミリア・アプローチにおけるr最初の哲学」は、r存. 在の市民的な意味として人に尊厳を与えること」と「精神と目的の明晰さで選択を 行うことを可能にして、人類の未来に憧れを抱くこと」であったという(マラグッツ ィ,2001,p83)。. また、学校設立に参加した母親たちは、レッジョ・エミリアの教師たちに、次の二つ の要望を行ったという。それは、子どもたちに知性を発達させる機会を与えてくれるこ とと、教師が子どもたちの知性を発達するための準備を怠らないことの二つであり、こ れらは、レッジョーエミリアの教師と「その深い示唆を理解する他の人々」によって共有. され、集合的な見識となって、長年にわたり、マラグッツィたちの努力を持続させてき たのだという(マラグッツィ,2001,p83−p84)。. 第二節 レッジョ・エミリア市における幼児学校の市立化. (第二期:1960年代前後∼1970年代) (1)イタリアにおける政治と慣習の大きな変化. マラグッツィによれば、田舎である南部から、都会である北部への大規模な移住が 始まったり、女性たちが、それまでの伝統を打ち破り、新しい仕事の可能性とともに、 自分たちの要求のための運動を始めるなど、レッジョ・エミリア市とイタリアという国が、. 政治と慣習における多くのことについて、大きく変化し始めたのは、イタリアの人々が テレビを視聴し始めた1954年頃であるという。また、ベビー・ブームが「幼児学校の目. 的を変化させ」、子どもを幼児学校に通わせたいという人々の要求が大衆的な現象 になるなど、社会状況や市民要求の変化が、多くの学校の制度化や、そこでの「新 しいアイディアを創造し新しい教育の方略の実験を行う必要」を生み出すことになっ たという(マラグッツイ,2001,p76)。. 更に、1960年代、マラグッツィらは、社会における差異を何ら考慮せず、活動的な. 教育における理論と実践の密接な関係を無視し、「幼児学校が社会サービスとして 存在すべきかどうか」生を政治論争の中心として、麻痺状態に陥っていた左翼の政 治理論を廃棄したのだという。マラグッツィによれば、自分たちの、こうした活動的な. 幼児教育の在り方は、多くの家族、子ども、教師たちの関心を集め、多くの人々の 期待が、レッジョ・エミリアの教師たちを、ますます多様な政治的立場へと開かせるこ とになったという。そして、こうした多様な政治的立場を尊重する姿勢は、レッジョ・エ. ミリアの教師たちを、非寛容や偏見から解放すると同時に、自分たちの「教育プロジ ェクトを洗練させ、多くの相反する抑圧に対する抵抗を助ける自律性」を強化するこ とへとつながったのだという(マラグッツィ,2001,p86)。. 4上野によると、イタリアの親たちの多くは、宗教教育以外、幼稚園に特別な期待を置いておら ず、それは、子どもに幼稚園を休ませる頻度が多いことからも明らかだという(上野,1988,p658)。. 2!.
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