景観地理思想における国際理解教育的特質 : 国際理解教育前史の研究
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(2) 38. 国際理解教育の歴史は,第二次世界大戦後成立したユネスコ(国際連合教育科学文化機 関)の活動の歴史でもある。しかし,前述した--バートソンの言及内容にもみられるよ うに,ユネスコ以前にも国際理解教育の精神を内包したものは存在した。本稿では,そ のような国際理解教育前史の存在を明らかにしていく。論及する分野は,国際理解教育の 中核をなしてきた他国の研究に限定していく。研究方法としては,次のような方法・順序 をとる。 1国際理解教育における他国の研究としての成立条件を明らかにする0 2国際理解教育他国の研究の前史として,景観地理思想が存在したことを仮説的に設定 する。そして,景観地理思想の成立条件,内容,方法について明らかにする。 1 , 2で明らかにした点の相互検討をして,景観地理思想が国際理解教育前史として 位置づくことを明らかにする。 I国際理解教育における他Egの研究の成立条件 国際理解教育における他国の研究の成立条件を明らかにするためには,まず,国際理解 教育全体の教育目標を明らかにすることが必要である。日本ユネスコ国内委員会は,国際 理解教育の目標構造について, 『国際理解教育の手引き』の中で痛造的に述べている。 (旬pp.13-14)その論述を次のようにまとめておこう。 回際理解教育の目標構造 A国際理解教育の基盤 ア平和な人間の育成 イ人権意識の滴養 B国際理解教育の中心舞台 り自国意識と国民的自覚の滴養 工他国・他民族・他文化の理解の増進 オ国際的相互依存関係と世界の共通重要課題の認識に基づく世界連帯意識の形成 C国際理解教育の帰結 力国際協調・国際協力への実践的態度の養成 このような国際理解教育の目標構造を受けて,具体的な教育活動は,協同学校(Associated School)において行なわれてきた。ユネスコは, 1953年に「世界共同社会に生 活するための教育における協同活動計画」 (The Programme for C0-0rdinated Experimental Activities in Education for Living in a World Community) という名の下に教育実験を開始した。その教育実験を担当してきた協同学校においては, ①人権の研究, ⑧他国の研究, ③国連の研究が, 3本柱とされてきた。ここでは,先に述 べたように,他国の研究がその中核を占めてきた。この方向性は, 1973年のユネスコ協同 学校計画専門家国際会議で一層強められることとなったOこの点について, 『国際理解教 育の手引き』は次のように述べている。 「次に,国際的な相互依存関係の認識や世界連帯意識の育成に力点をおいたものとして, 1973年,カナ夕闇のケベック市レビでもたれた『ユネスコ協同学校計画専門家国際会議』 をあげることができる。これは,ユネスコ協同学校計画20周年を記念して行われたもので あるが,会議テーマがF人間と一つの世界』 (Man and One World)であったことか らもうかがえるように,とくに人類の一体性,連帯性を強調していたO ここでは,従来,ユネスコ協同学校計画の三本柱といわれてきた『人権』 , 『他国』 ,.
(3) 景観地理思想における国際理解教育的特質. 39. 『国連』のはかに, 『環境』や『開発』という新しい主題や地域社会(コミュニティ) からの取り組みが提唱されたのである。 」 (句p.15) この方向は, 1980年にパリで開かれた「国際協力と平和のための教育に関する協同学校 計画の評価と発展についての国際会議」においても確認されている。この点について,同 会議の報告は次のように述べている。 「大会は,主要テーマを参加機関によって研究することの意義を認め,次の四つの主要 項目を承認した。 a世界の諸問題と,その解決にあたる国際連合組織の役割 b人権 C他国と諸文化 d人間とその環境」 (㊨,p.2) このように,協同学校の研究の柱は, 3本から4本へと変わっていった。この4番目の 柱も社会科地理的分野の学習と大きく重なってくる。このような柱立ての追加だけでなく, 他国と諸文化の研究の方向も新しい傾向を示すようになっている。この点について, 1980 年の専門家会議は次のように述べている。 「 『他国と異文化』というテーマは,協同学校で最も研究されたものの一つであるO異 文化の正しい理解は,今日もなお適切な教育目標と考えられる。しかしながら,参加者 は『外国』の文化について教えることよりも,異文化とその相互関係や影響に,より重 きを置くべきであると考えた。 」 (㊨,p.3) 「更に,異文化の研究に関して,現代社会における社会的・文化的伝統の持つ役割につ いて教える必要性と,いかにして我々が,これらの伝統と現代の科学社会とを一つにす ることができるかを検討したO 」 (句p-3) ここに示されているように,単に自国の文化的視点から他国の文化を理解する従来の方 法ではなく,文化人類学的視点を導入した他国理解が重要視されるようになってきている。 以上,国際理解教育において他国の研究が重視されてきた経緯を述べた。 それでは,社会科教育における外国学習は,どのような考え方で展開されてきたのだろ うか.この点について,ベッカー(James M. Becker)とメ-リンガ- (Howard D. Mehlinger)は次のように述べて,外国学習の基盤には常に国際理解の考え方がある こ,とを強調している。 「1945年以来, 『世界理解のための教育』は,外国についての社会科教育の理論的基盤 を提供してきた。 -略-しかしながら,実際には, 『世界理解のための教育』は,他国・ 他文化に対する共感を教授する過程になっている。 」 (㊨,p.10) 我が国の社会科においても,小中高にわたって国際理解教育的配慮がなされていること について,榊原康男氏が, "社会科では国際理解教育はどのように取り上げられているか" (①,pp. 108-120)において,克明に分析している。そして,その結果について,次の ように述べている。 「社会科における国際理解教育への配慮は,いたれりつくせりといっても過言ではない であろう。問題は,すべての面が急速に変化発展している日本や世界の現実の中で,何を 取り上げ,いかに指導するかということである。児童・生徒の興味や関心を喚起し,説得 力のある指導を展開するためには,多くの課題がある。具体的な指導計画やそれに基づい た教育実践を通じて,それらの課題に対する検討を重ねていくことがたいせつであろう。」 (ョ,pp.H9-120).
(4) 40. 以上論述してきたように,国際理解教育において,他国の研究は重要な位置を占めてき た。また,社会科における外国学習も,国際理解教育的配慮を基盤にもってきた。このよ うな展開を踏まえて,国際理解教育における他国の研究の成立条件を,次のように設定す る。 国際理解教育における他国の研究の成立条件 1人権意識を踏まえた他国の理解 2平和教育のための他国の理解 3他国・他文化に対する共感的理解 4異文化間の相互関係・影響の理解 5現代社会に対する文化的伝統の影響に関する理解 6文化的伝統と現代の科学社会との調和的発展に対する理解 国際理解教育における他国の研究としての成立は,これらの何れか一つを含んでいれば よいと考えるべきであろう。このように考えるならば,国際理解教育の歴史をユネスコ成 立以後に限定する必然性はない。当然,国際理解教育前史が存在しているはずである。次 章で,前史の存在を検討していく。 Ⅱ景観地理思想の構造 地理教育史の中に,前記成立条件を含み込んだ理論は存在しないだろうか。この問題意 識の下に検討していった結果, 19世紀末から20世紀初頭にかけて台頭してきた景観地理思 想及びそれを受けた景観地理教育思想の中に,その条件を見出すことが可能であった。本 稿では,景観地理思想の代表的提唱者であるシュリュ-クー(Otto Schluter)の論を 明らかにしていく。そして,国際理解教育における他国の研究の前史として位置づくこと を明らかにしていく。 1景観地理思想台頭の背景 最近の地理思想史研究において,シュリュ一夕-を中心とした景観地理思想再評価の動 きがみられる。シュリュ一夕-の景観地理思想の把握については, 『時間の克服』概念を 中心として論争が繰り返されてきた。本稿では,シュリュ一夕-の著作に直接あたること は意図的に避け,最近のシュリュ一夕-研究者の研究業績を基軸にして,シュリュ-クー 景観地理思想の構造と方法を抽出していく。最初に,景観地理思想が何故出てきたのか, 地理思想史上どのように位置づくのか,について言及していく。 Ig世紀末から20世紀初等にかけてのシュリュ一夕ーの景観地理思想は,その背景として, カント(Immanuel Kant) ,フンボルト(Alexander von Humboldt) ,リッター (Carl Ritter)をもっている。 水津一朗氏は,シュリュ-クーの立脚点はカントの「純粋理性批判」にあることを次の ように述べている。 「しかも,シュリュークーの立脚点は,かって感銘を受けたカントの『純粋理性批判』 であった。 『内容のない思考はうつろであり,概念のない観点は盲昌である。 』前年の 講師就任講演でも,すでにシュリュ一夕-紘, 『くりかえしこそ,存在と生成をむすぶ 連鎖である。われわれは,歴史的形成のなかから,比較的徐々にかわるもの,比較的一 般的なもの,比較的基本的なものをとらえ,考察すべきである。 』とのべている。 」 (⑦,p.1376).
(5) 景観地理思想における国際理解教育的特質. 41. ここで述べられているように,シュリュ一夕ーは,景観把握に歴史的生成の視点を入れ ることを重視した。 野間三郎氏は,フンボルト,リッターの地理思想・調査研究の中に,シュリュ一夕-景 観地理思想を求めている。氏は,次のように述べて,景観の形態学者としてのフンボルト を明らかにし,シュリュ一夕ーの基盤としての位置づけをしている。 「しかし,景観の把握と描写に実質的なものを与えたのはフンボルトにあることは,こ れも誰しも認めるところである。フンボルトの南米旅行の大部な報告中にみられる地誌 研究の特質は,景観の全要素の関連とそれがつくりだす統一体の見事な把握であったし, 彼がその『自然の相観』 (1808)の中でなしとげたものは,要するに景観の形態学とも いうべきものであったとすることができる。 」 (旬p.41) また,野間三郎氏は,リッターの業績の評価として「個体」概念の樹立を,次のように 述べている。 「Ritterの最後の,ぞして最大の著作はアフリカ(1巻) ,アジア(18巻)より成る 所謂『一般比較地理学』であった。この意味に於て彼は何人の目にも地誌を樹立した人 ととらえられている。しかし,本当は,自然と人間を同時にとらえ得る方法, 『個体』 の概念を樹立したところに, Ritterの(人文)地理学の確立者としての意義があるの である。 」 ((勤p.94) そして,この「個体」概念こそ,今日,景観と呼ばれているものであると,次のように 述べている。 「自然地域でなしに,我々が今日景観とよんでいるものに当たる彼(リッター,筆者注) の地理的個体が外的所与でなくて研究によって取り出すもの,再構成するものだという 考えは, Gottingen時代になって漸く姿をあらわす。一一略--・ 彼の事業の中心問題は『地理的固体』の概念の形成にあり,自然科学的方法と歴史学 的方法,自然地理学と地誌の併置にあるのでなく,地表の自然現象と人間社会の現象を 同時にとらえる・一つの科学的方法の創出にあるOこのことはまた彼が地理学を一般地理 学と地誌の対置としてとらえなかったことによっても裏づけられるのである。」 (㊨,p.93) この野間三郎氏の論述は,シュリュ一夕-の景観地理思想が,リッターの研究業績を 背景にしていることを示している。 ここで示されるように,カント,フンボルト,リッターといった近代地理学を構築して いった研究者の業績の中に,景観地理思想の基盤が存在していた。しかし,現実の地理学 界の動きにおいては,フンボルト,リッタ-の後を受けついだリヒトホーフェン(Ferdinand von Richthofen) ,ラッツユル(Friedrich Ratzel) ,ヘットナ- (Alfred. Hettner)という関係科学としての地理学が主流を占めてきた。この関係科学としての地 理学-の正面からの対決が,シュリュ-クーの景観地理思想であった。 2シュリュ一夕-景観地理思想の成立根拠・内容・方法 ①成立根拠 前述したような関係科学としての地理学全盛の時に,何故,景観地理思想が台頭してき たのだろうか。シュリュ一夕-景観地理思想の成立根拠を探っていこう。 能登志雄氏は,シュリュークーが地理学に強く残っていた目的論的思想を打ち破る働き をしたことを,次のように明確に述べている。 「彼(シュリュ一夕-,筆者注)のいう形態とは個々の現象の形態ではなく,そのあら ゆる変化を抽象した表現としての形態である。個々の現象がこの抽象された形態に対し.
(6) 42. てもつ意義は,その現象がどの程度に景観の状態を規定しているかという程度によって 評価されるOこのような手段によってシュリュ一夕ーは,地理学に根づよく残存する目 的論的な思想を排除し,総合の名の下に温存されている非論理性に正面から挑戦してい るものと解される。その論理の厳しさはあらゆる妥協を否定するものであって,筆者は これを地理学的唯物論と呼びたい。 」 (㊨,p. 188) 即ち,シュリュ一夕-の景観地理思想が科学としての性格を強く打ち出しえたところに 成立根拠をおいている。 第二には,地理学固有の研究対象をもつことの重要性の主張があげられるoこの点につ いて,浜谷正人氏は次のように述べている。 「かれ(シュリュ一夕-,筆者注)が考察対象を『景観』に限定した理由は,主に次の 二つであると考えられるoその-つは人文地理学に個有で,しかも一般性をもった対象 を与えるため。すなわち,かれによれば従来の人文地理学一一ラッチュル(F・Ratzel) や-ットナー(A. Hettner)によって担われてきた--は,自然地理学の補助イスの 位置にあり,その研究は専ら自然一人問の問の『関係』を扱っていたために,科学とし ての独自性はきわめて弱いものでしかなかった。そのような人文地理学に独立の科学と しての独自性を与えるためには,なによりもまず個有の対象を設定する必要があるだろ う.一般にどの独立の科学も,対象として個有の現象をもっているから,人文地理学の 対象は『関係』ではなくて『現象』でなければなるまい。 」 (㊨,p.87) このように述べ,地理学の固有の研究対象は「現象」でなければならないことを明言し ている。 成立根拠の第三の「現象」が「文化景観」であることの必要性については,次のように 浜谷正人氏がその論拠を整理している。 「かれ(シュリュ-クー,筆者注)によれば,二つの地理学の一元的な統一を保持する ためには,自然地理学--主として地形学--と(形態的に)類似の対象を,人文地理 学は持たねばならない。これが人文地理学の対象規定に際して,かれが採った大前提で あった。自然地理学は地形や植生といった,いわば自然景観と呼べる自然現象を扱って いるのだから,人文地理学もそれと類似の項象,文化景観を対象にすればよい。文化景 観を対象とすることによって,人文地理学は固有で独自な,しかも一般性のある対象を 得ることができるし,しかも自然地理学との統一は破壊されないで済む。 」 (⑩,p.fc このようにシュリュ一夕-景観地理思想の成立根拠の第三においては,地理学固有の研 究対象としての文化景観の必要性が論じられてきた。 第四の成立根拠としては,景観の導入による研究内容の無限性からの脱却があげられる。 この点について,水津一朗氏は次のように述べている。 「関係科学にひそんだ無限性を断ち切り実証科学としての地理学の研究対象を明確にし ようとする要求こそ,シュリュ一夕ーの景観学(Landschaftskunde)の出発点であり, その伝統は,ドイツをはじめとして,現代地理学の中になお脈々と息づいている。 」 (㊨, p.115) 以上述べてきた点を次のように整理しておこう。 シュリュ-クー景観地理思想の成立根拠 1地理学における目的論的思想の打破 2研究対象としての地理学独自な現象の設定 3自然・人文両地理学の統一.
(7) 景観地理思想における国際理解教育的特質. 43. 4研究内容の無限性からの脱却 ④内容 前述してきたように,シュリュークーの景観地理思想の研究対象は文化景観である。そ. れでは,その文化景観のどういう側面を内容として取り上げようとしたのだろうか。この 点について検討していこう。 浜公正人氏は,シュ1)ユータ-の地理学体系について,次のように述べている. 「かれ(シュリュ一夕-,筆者注)の地理学の体系は,ある特定領域の"地域"構造を. 『景観』によって捉える景観論的地誌学と,『景観』そのものを分類する景観形態学の 二つから成っており,両者は有機的・循環的な関係におかれている。」(㊨,p.100) これを次のように表現しておこう。 シュリュ一夕ー地理学の体系 脚≡霊W&1B& mmmmiヨ麗 シュリュ一夕ーは,このような地理学の体系を構想していた。しかし,実際の研究活動. は景観論的地誌学に中心がおかれていた。この点について,水津一朗氏は次のように述べ ている。 「シュリュ-クーの景観は,本来個別概念であり,景観個体(Landschaftsindividuum) であった。-略-・-シュリュ一夕-は,これらの類型概念を科学的に組織化し景観学. の法則定立のために積極的に役だてようとする努力にはかけるところがあった。」(⑱, p.131) ここで述べられているように,シュリュ一夕-の景観地理学が景観個体の段階に留まっ. ていたことは,明確にしておかなければならない。しかし,この景観個体の研究において. は,静的景観ではなく動的景観であったことも重要な点である。シュリュ一夕-の景観概. 念が動的景観であったことについて,野間三郎氏は,-ットナーとの対比で次のように述 べている。 「しかし,ヘットナ-紘,『歴史は時間に関して継起する事件を取り扱う。地理は空間. について同時におこる現象を問題とする』という立場から出発し,論理の展開に厳密で. あったから,人文地理学の中に時間を取り入れることにおいてはなはだ不自由であった. 彼は『時間における変化』を歴史に属するものとして地理学から排除したから,歴史地. 理学もそれを認めながらも,『時の断面』という平板な形でしか考えることができなか た。この点ではシュリュ一夕-は『文化景観』を歴史的産物としてうけとるのであるか ら,ヘットナ一に比してより有力な立場を保ち得たのである。」(㊨pp.46-47) それでは,前記成立条件を踏まえ,本項で述べた景観の性格を備えた文化景観を,どの ような方法で研究しようとしたのだろうか。この点について検討していこう。 ④方法. 前述してきた成立条件・内容といった研究対象の限定は,研究方法に独自な性格を付与 することとなった。 第-に特質としてあげられることは,研究方法の自由の獲得という点である.この点に ついて,浜谷正人氏は次のように述べている。 「シュリュ一夕-は,かれの中心課題たる景観現象の科学的な分析,かれのいうところ. の因果的解明に際しては,自然とか交通といった特定の条件に要因を求めるのではなく.
(8) 44. て, 『完全に自由な方法』が採られねばならない,と主張した。 『自由な手法』とは,要 因を求める方向を限定せず,多元的に要因を探究することに他ならない,と主張した。 」 (㊨, p.103) このようにして研究方法の完全な自由を獲得したシュリュ一夕ーは,景観を分析する方 法について,次のような二つの方法を採用した。 「かれ(シュリュ一夕-,筆者注)によると,景観を分析するには二つの方法がある。 一つはGenetischな研究であり,も一つは原因Kausaltatの研究である。前者 は,現在の景観がいかなる歴史的経過を-て形成されたかの研究,つまり景観変遷史的 研究であり,後者はかかる歴史的変化を規定する原因の究明である。 」 (㊨, p.33) これを次のように図示しておこう。 景観変遷史研究 シュリュ一夕-の景観分析方法. ≡二. 歴史的変遷を規定する原回の究明 シュリュ-クーは,景観解明のためにAの景観変遷史研究を重視した。この研究方法は, 各時期の静的な記述をしていくものではないo彼はこの研究において「時間の克服」概念 を導入してきた。 第二の特質として,この「時間の克服」 (Uberbinding der Zeit)概念の導入があ げられる。この「時由の克服」概念は,多様な解釈を生じ論争を生み出してきた。そのよ うな中で本稿では,水津一朗・浜谷正人両氏の次のような見解を採ることとする。 「時間の克服」概念に対する水津一朗氏の見解 「シュリュ一夕-は, 『時間の克服』をとなえたために,地理学的現象をよびおこした 歴史的要因を重視する立場のひとびとから,不当に評価されがちである。しかしかれの 『時間の克服』は,時間の無視ではなかった。むしろ歴史的事象を深くみつめて,こみ いった変化の奥にある比較的継続するもの,徐々に変化するものの意味をつかみとる ことによって,歴史の動きの中から,地理学的秩序や法則に近いものを発見しようとし たのである。 」 (⑭蝣P.171) 「時間の克服」概念に対する浜谷正人氏の見解 「当該論文において,北東チューリンゲンの集落構造の差異を,二つの民族の特性に常 に基因させて把握したり,この小領域に展開する諸現象の特質,その歴史的変化を『通 過地方』という相対的位置(要因)に帰しているのは,いずれも現象の法則的因果関係 の把握を目指したものと言うことができないか。また,集落立地の選定が常にNestlage を求めて行なわれるという素朴な命題も, 『自由意志を規定する法則』と言えばいえる。 シュリュ-クーが『時間の克服』の導入に於て意図したものは,上記のように一般的な因 果関係,法則の追求ではなかったか。 」 (㊨ pp.109-110) このようにシュリュ一夕ーは, 「時間の克服」概念の導入によって,景観研究から一般法 則を発見する途を示した。しかし,シュリュ一夕ーの具体的研究内容は,地方的法則のレベ ルに留まった。このことがシュリュ-クーの「時間の克服」概念が誤解される原因を作り出 したとも考えられる。しかし,ともかく,このような「時間の克服」概念の導入による景観 研究は,当時の地理学界に対して画期的な提案であった。 第三の特質として, Bの歴史的変化を規定する原因の研究方法について検討していこう。 シュリュ-タ-の原因に関する研究方法について,浜谷正人氏は次のように述べている。 「シュリュークーの『景観』研究の方法で最も注目すべき点は,景観現象の分析に際して.
(9) 景観地理思想における国際理解教育的特質. 45. その外観的な形相を単に感覚に映るままに記述するのではなくて,その現象の形成要因に まで考察を加えて,景観現象と形成要因とを常に有機的に関連させながら,統一的に把握 するという方法である。 」 (㊨, p.92) このような景観現象と形成要因との有機的統合をめざした研究が行なわれた。その際に形 成要因については,自然的要因を副とし,人文的要因を主とする考え方を明確に打ち出して いる。この点について,水津一朗氏は次のように,シュリュ-クー提案の意義の大きさを明 示している。 「大地の上で創造する人間については,古くはメンデルスゾーン,近くはシュリュ一夕の恩師キルヒホフによってもとりあげられているが, 20世紀初頭,シュリュ一夕一によっ て自然における人間の主体性が,地理学の前面にもたらされた意義は大きい。 しかもかれにおいては,人間の『内的生命』は,社会集団の影響をうけることが,はっ きり指摘されているOこのことは,シュリュ一夕-の感化をうけたオランダのヴァンヴレンの『社会地理学』 (41年)でものべられたように,まさに19世紀地理思想からのみご とな転回であった。フランス学派をまつまでもなく,シュリュ一夕-は,人間行為を制約 する自然の作用と行為をおこす人間の内的力(原因)とを,はっきり区別している。 」 (㊥, p.1373) ここにみられるように,人間の側から景観規定要因を自由に究明していく方法は,まさに, 社会科学的な方法である。シュリュ一夕-景観地理学が,社会科学としての地理学であり現 代地理学に通じるものであることについて,水津一朗氏は次のように明確に述べている。 「シュリュ一夕-地理学においても,文化景観の因果関係の究明のためには,もちろん自 然からの制約は無視されていない。自然は彼によると,人間行為の推移を『制約するもの』 (Wirkung, beschrankende Bedingungen)であり,思想や民族性は,行為をおこす力で あり,行為の『原因』 (Ursache)であった。しかし行為を『制約するもの』と行為の 『原因』との区別は,初期のヘットナ-地理学においては,ことさらに考慮されなかった. 社会科学としての地理学の確立にとって, -ットナーよりもむしろシュリュ一夕-の貢献 が大きい根拠は,まさに上記の点にあるし,それゆえに,景観形成力としての社会的要因 を強調する現代地理学の一派にも,シュリュ一夕-地理学は,とどこおりなくつながるこ とができた。 」 (㊨ pp.118-119) 前述してきたところから,シュリュ-クー景観地理思想の研究方法を,次の3点にまとめ ることができる。 1研究方法の自由の獲得 2 「時間の克服」概念の導入 3景観形成要因究明における人文的要因(思想や民族性)の重祖 以上論述してきたシュリュ-ターの景観地理思想は, 20世紀初頭の世界の地理教育界に大 きな影響を与えた。我が国においても,大正末期から昭和初期にかけて,景観地理教育論争 が展開され,日本地誌・外国地誌を,景観地理思想を組み込んで構成しようとする試みが種々 なされた。 ㊨ Ⅲ景観地理思想の国際理解教育的意味 国際理解教育における他国の研究の成立条件とシュリュ一夕-の景観地理思想の関係につ いて検討していこう。 他国の研究を成立させる大前提になるのは,他国の科学的把握である。科学的把捉を保障 するためには,目的論的思想の排除が第-に要求される。この点に関して,シュリュ-クー.
(10) 46. 景観地理思想は,地理学的唯物論と呼ばれる程に厳しく目的論的思想の排斥を行なった0 この点から,景観地理思想が他国の研究の成立条件の大前提に合致していると評価できる。 次に,他国の研究の成立条件, "他回・他文化に対する共感的理解", "異文化間の相互 関係・影響の理解"の側面について検討していこう。 他国・他文化に対する共感的理解を前進させる最大の要件は,他国・他文化の独自の価 値を認めることである。そして,次に,その独自の価値に基づいて形成されてきた社会・ 文化を尊重していくことであるOこの点に関して,シュリュ-タ-の景観地理思想は,文 化景観の形成要因として,民族・思想を主要因と考えることの重要性を指摘してきた。こ の考え方は,文化的偏見を生じさせない重要な要因である。また,民族・思想を主要因と 考える方法は,異文化の関係・影響を考慮に入れた文化景観の把握-と容易に進みうるも のである。この意味において,シュリュ-タ-の景観地理思想は,他国の研究の成立条件 の重要部分を内包している。 第三に,現代社会に対する文化的伝統の影響に関する理解について検討していこう。こ の理解のためには,現代社会形成に至る前史の解明が必要である。シュリュ一夕-の景観 地理思想は,静的な景観地誌学ではなく,変遷史を重視した動的な景観の追求を行なって いる。これは,単なる地誌研究とは明確に違ったものである。景観地誌の変遷の追求過程 においては,当然のことながら,文化的伝統の社会に及ぼす影響が解明されることとなる。 この点から,シュリュ一夕-景観地理思想は,この成立条件を含んでいるといえる。 第四に,文化的伝統と現代の科学社会との調和的発展に対する理解について検討してい こうoこの理解のためには,歴史的社会の発展において,共通の法則の存在を認めること が必要である。過去の社会に働いている法則性と現代社会に働いている法則性とが共通な ものであることが認識できるならば,そこに,文化的伝統を組み込んだ現代社会の調和的 発展の認識が可能である.この点について,シュリュ一夕-の景観地理思想は, 「時間の 克服」の概念を導入した。そこでは,時間を越えて働いているEB果関係の認識・法則性の 究明を行なっていこうとしている。ここで把握された法則性を組み込んだ過去社会,現代 社会を理解していくならば,そこに,文化的伝統を組み込んだ現代社会の調和的発展の認 識が生まれてくる。この点においても,シュリュ-クー景観地理思想は,成立条件を満た していると評価できる。 以上4点の検討によって,シュリュ一夕-景観地理思想が,国際理解教育における他国 の学習の成立条件を相当満たしていることが明らかになった。確かに,人権意識を,S、まえ た他国の理解,平和教育のための他国の理解といった側面は不十分である。しかし, 4条 件の包含という点から,シューリュ-クー景観地理思想を,国際理解教育前史として位置 づけることができる。 注. ①日本ユネスコ国内委員会編, 『学校における国際理解教育の手びき〔改訂版〕 』 1971.3. ㊤内海鼠東南および南アジァにおける国際理解教育協同学校計画視察報告,社会科 研究No. 19, 1971.3,pp.1-ll. ㊨ A. J. Herbertson, "Geography".Section of The Practice of Instruction edited by J- W- Adamson, National Society's Depository, 1912, pp.246-247 ④日本ユネスコ国内委員会, 『国際理解教育の手引き』 ,東京法令, 1982. 2..
(11) 景観地理思想における国際理解教育的特質. 47. ㊨ 『国際理解』編集委員会,国際協力と平和のための教育に関する協同学校計画の評価 と発展についての国際会議--報告-一,国際理解No. 13, 1981. 8, pp.1-8. ㊨ James M. Becker and Howard D. Mehlinger, Conceptual Lag and the Study of International Affairs, NCSS 38th Yearbook International Dimentions in the Social Studies, PP- 1-10.. ⑦水津一朗,シュリュ一夕ーと文化景観の形態学,地理, 8-12, 1963. 12, pp.1370- 1378.. ⑧野間三郎,近代地理学の発達, 『朝倉地理学講座I,地理学総論』 , 1967. 8, pp.10-61.. ⑨野間三郎, 『近代地理学の潮流一一形態学から生態学--』大明堂, 1963. 4. ⑲能登志雄,地誌学,. 『朝倉地理学講座I地理学総論』 1967. 8, pp.176-210. ⑪浜谷正人, 0.シュリュ一夕-覚書き, -いわゆる「景観論」と「時間の克服」を中 心として--T金沢大李法文学部論集・史学編, 20巻1973, pp. 81-115. ⑲水津一朗,形態と発生, 『朝倉地理学講座I地理学総論』 1967. 8, pp.115-140. ㊥水津一朗,ドイツにおける歴史地理学の特質-シュリュ一夕ーの地理学をめぐって歴史地理学紀要I , 1959, pp. 30-45. ⑭水津一郎, 『近代地理学の開拓者たち』 ,地人書房, 1974. 3. ⑯代表的研究例としては次のようなものがあげられる。 山本熊太郎, 『景観地理教授法』 ,古今書院, 1932. 辻村太郎,景観地域, 『岩波講座地理学(総論) 』 1933, pp. 1-144. 飯本信之,景域に立脚したる地理学と其の教授,地理教育, 24-1, 1936. 4, pp.5-34.. 三種勝衛, 『郷土地理の観方一地域性とその認識-』 ,古今書院, 1931. 10..
(12) 48. Characteristics of Education for International Understanding m Landschaftskunde - the History of the Preceding Age on Education for International Understanding-. Kazuhiko Iwata. We start on a course of study regarding Education for International understanding after the Second World War. The UNESCO Associated Schools Projects continue today with its studies. The studies consist of understanding human rights, other nations and the United Nations. The study of understanding other nations is a main problem all this while. Following.six conditions are necessary for the study. 1 Understanding other nations relating to Human Rights. 2 Understanding other nations relating to Peace Education. 3 Mutual understanding other culture and other nations. 4 Understanding inter-cultural relations. 5 Understanding the influence of contemporary societies on cultural traditions 6 Understanding harmonious progress between current scientific societies and traditional societies. I sought for a theory with this six conditions before the Second World War. The result was that Otto Schliiter's Landschaftskunde contained the six conditions. His Landschaftskunde has following characteristics. 1 Excluding teleological views 2 Restricting an object of study to cultural landscapes 3 Making one's own selection of methods 4 Importing a view of "Uberbinding der Zeit into methods 5 Laying stress onan idea and national spirit The result is that Otto Schluter's Landschaftskunde is located in the history of the preceding age on Education for International Understanding..
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