工芸の視点から見た正倉院御物 「螺鈿紫檀五絃琵琶」
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(2) のみ付き、それが高音域を広げる可能性を示唆し. の絃同様、第1絃は特に長く、共鳴を意識した. ている。第5柱の音は次の絃、もしくは次の次. ものと考えられる。また、乗絃から転手までの絃. の絃の開放絃の音と一致する。第5柱は高音を. の長さはヴァイオリンのエンドピンからブリッジ. 求めた結果といわれているが、1∼4絃の第5柱. までの絃と同様に共鳴を強く意識したものではな. 部分の音は運指に余裕を持たせるためのものと考. いかと考えている。. えられる。従って第5柱は存在したと考えるの が妥当である。. (4)奏法について(弾弓、支持法等に関して). 復元したものを実際に扱い楽器としての検証を (2)海老尾の先端部分の有無について. 行った。約6.5kgと極めて重く、壁画や彫刻に. 江戸時代の拓本には海老昆は存在しなかった.. 見られる支持法には無理がある。キジルの壁画に. しかし、明治期にその部材が発見され、それが五. は琵琶の1種類の翫成を棒状のピックで弾いてい. 絃琵琶本体のものかどうか議論されてはいるがい. るものがあるがこの五絃琵琶の奏法は嬢面上での. まだに確たる結論は出ていない。意匠的にはペル. 絃と絃の間を考えると手弾には無理があり、撰あ. シャの唐草模様もしくは唐の宝相華等の意涯を立. るいは前述のピック様のもので弾いたと考えられ. 体的に扱っものと考えることができ、五絃琵琶全. るが特定はできなかった。. 体のバランスを考えると存在した方が適当と考え ている。また、紫檀の材質の特徴の中に硬いとい. 4.まとめ. う反面、意外にもろいという一面がある。海老尾. 世界に唯一の唐時代の五絃琵琶を復元し、楽器. の形は複雑であり、木取りは三二から絃倉そして. としての位置づけを図ってみた結果、材料の性質. 海老尾に至るまで一つの材(一木づくり)である。. あるいは音を出す仕組みを合理的に使ったもので. 木目は海老尾の湾曲部を通る。この琵琶は倉庫に. あることがわかった。. 保管されている時に何らかの関係で力がかかった. 西域の壁画などに現れているものと復元したも. か、あるいは長い年月が木に及ぼす影響のために. のを比較し、同じ支持方法で扱うことを試みたが. 一番構造的に弱い部分が木目に沿って壊れたので. 支持に無理があり、異なるものという結論に達し. はないかと考えられる。つまり、壬申の検査の拓. た。三法に関わっては擦あるいはその他のものの. 本に見られる海老尾の先端部分の形は湾曲部の中. 使用が想定できるが決定することはできなかった。. の小突起の一部を残す形なのである。現在、この. 加飾に関わっては、今回は装飾を省いた復元で. 海老尾の先端部分は単なる装飾ではなくヴァイオ. あったが木を彫り込み別の材を嵌入させる木地螺. リンのスクロールの様に微妙に音作りに関わり合. 鋸という技法においては音は抑えられてしまう可. いを持つ部分ではないかと考えており、今後海老. 能性が出てくる。楽器としての機能は備えている. 尾の形と音とに関する研究を考えている。. がその装飾が示すように極めて特殊な用途あるい は空間で用いられた可能性を持っていると考えら. (3)第1絃の転手の位置について. 第1絃の転手の位置は明らかに絃をより長く 保つためのものと考えられる。ピアノの最低音部. れる。. 主任指導教官. 指導教宮. 森岡茂勝. 山本政幸.
(3) 平成13年度修士課程学位論文. 工芸の視点から見た正倉院御物「螺釦紫檀五絃琵琶」. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 教科・領域教育専攻. 芸術系コース. MOO229D 小野 元.
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(5) 工芸の視点から見た正倉院御物「螺銀紫檀五絃琵琶」 目. 次 頁. はじめに. 1.. 第1章. 4.. 琵琶と五絃琵琶 1節 琵琶とはどのような楽器か. 4.. ・四脚琵琶. 7.. ・院成. 9.. ・五絃琵琶. 9.. 2節 正倉院螺釦紫檀五絃琵琶(五絃琵琶について) ・五絃琵琶を含む楽器の歴史. 12. 14.. (正倉院との関わり合い) ’. ・全体の形状. 17.. ・構造. 17.. ・材. 19.. ・加撃. 20.. 3節 五絃琵琶の持つ不確定要素. ・第5柱の有無 ・第1絃の転手の位置 ・海老尾の先端部分の有無 ・奏法. 第2章. 螺釦紫檀五絃琵琶の復元. 1節 設計図の作成 2節 材料の加工. 21. 22. 23. 24. 25.. 28. 30. 37.. ・紫檀. 37.. ・ヤチダモ. 38..
(6) ・檜. 39.. ・イチイ. 40.. ・槽の加工. 43.. ・鹿頸から海老尾の加工. 44.. ・腹板の加工. 45.. ・柱の加工. 46.. ・渡しと柱の加工 ・乗絃の加工. 46. 46.. ・覆手の加工 ・転覆手の加工. 47.. ・絃. 48.. ・響孔の加工について. 48.. ・遠山について. 48.. ・槽と鹿頸との繋がりについて. 48.. 3節 組み立て 4節 完成. 第3章 結果及び考察(復元を終えて) ・第5柱の有無 ・第1絃の転手の位置. 46.. 50. 51.. 52. 52. 55.. ・海老尾の先端部分の有無. 57.. ・奏法. 60.. ・総合考i察. 62.. おわりに. 64.. 参考文献. 68.. 謝辞. 資料集.
(7) はじめに 正倉院の紫檀螺銀五絃琵琶(以下五絃琵琶)は、きらびやかな背面の 装飾と酪駝に乗っている胡人(ペルシャ人)のデザインで有名である。 また、現存する唐の様式を持つ世界唯一の五絃の琵琶として誰でもどこ かで見聞きしたことがあるに違いない。. この美しい琵琶のフォルムにひかれて過去にミニチュアを制作した。 音を出すという機能はなく形態だけをまねたものであった。こうした中. で、この琵琶について更に詳しく知りたいと考え五絃琵琶、あるいは正 倉院の御物に関わる出版物を調べた。それらの説明は、この五絃琵琶は 中央アジアのステップの交易路である、いわゆるシルクロードを経て伝. わったものであること、天平時代の工芸晶の白眉であること、奈良の大 仏に光明皇后によって紫の綾織りの布袋に入れられて奉納されたもので あること、また酪駝と四絃琵琶を弾く胡人を腹板に配していること、あ るいはその形態の意匠がササン朝ペルシャの様式の影響をきわめて強く. 受けていることなどとあり、図版も正面方向と裏面方向からの2方向の ものがほとんどで大嗣小異であった。. リュートやマンドリンなどの槽が薄い曲げた板材を接着して作るのに 対して琵琶の槽は本来一枚の厚板から彫り出していく。槽を作る方法が 異なるので音響効果もおのずと異なる。一方この様な制作とは別に、こ の琵琶は天平時代にシルクロードを経て日本に伝わったといわれるがそ れは事実なのか、また逆に、もしそうであるとしたならば日本の琵琶の 原型といえるものが大陸に現存しているのではないだろうかと考えた。. 筆者は1997年には中国のいわゆる西域(新彊ウイグル自治区)にお いて、対象を琵琶あるいは琵琶の原型らしき楽器、もしくは絃を張った. 楽器として中国西部の様子を調べてみた。玄 三蔵が書いたr大唐西域 記』にはタクラマカン砂漠の周辺の国は伎楽、音楽が盛んであると記さ れている。. また現存するキジルや敦燈の仏教遺跡の壁画の中には当時の楽器の種 類や奏法が描かれており、このことは古の時代に確かにこの地で琵琶の. 1.
(8) 祖と言えるであろう楽器がはやったことを示している。この音楽は亀輻 楽と呼ばれ、ペルシャやインドの音楽を吸収して作られたものであるた くご. ひちりき. め、これらの壁画に笙筏(アッシリアのハープ)やインド生まれの筆簗 などの楽器が登場している。. かつての西域の王国の地は現在ウイグル人の自治区となっており、民 族の変化とともに楽器の種類や形も随分変化したに違いない。ウイグル 人達が演奏する絃楽器の共鳴胴はマンドリンのようにたくさんの板材を 接着して作られていた。楽器の製作所や博物館なども調べてみたが結局、. 日本の琵琶の原形と考えられるものはこれであるという判断はできない 状態であった。. 大陸から日本に伝わったとされている琵琶は四三の琵琶、院威(げ んかん)、五絃琵琶の三種類といわれている。現在でも唐楽では大院、. 小二等の院威の変化したものの使用が見られるし、東南アジア諸国では 同形態の月琴が使用されている。四絃の琵琶は、楽琵琶、薩摩琵琶、平 家琵琶などほとんど形態的には変化しないで現在にその姿が受け継がれ ている。ではなぜ五絃琵琶には直系といえるものがないのであろうか。. 正倉院の献物帳には他の琵琶とこの五絃琵琶に関する記述があるから 1,200年ほど前のものであることは確かである。このような五絃琵琶の 持つ不思議さと楽器としてはあまりにも美しすぎる装飾でますますこの 琵琶はどのようなものであるかということに興味を持つようになった。. 詳しく調べていくに従って五絃琵琶には明治期に弾くために大修復 が行われた経緯が明らかになった。そのために特に頭部形状や柱の数な どに関してはオリジナルな意匠かどうか不明瞭な箇所さえ出てきている ことがわかった。つまり、この琵琶の詳しい形態に関わることは明治時 代の拓本などの少数の資料を除けば憶測でしかないということである。. 五絃琵琶の調律に関わる研究は、林謙三が陽明文庫の『五絃琴譜』1 と楽琵琶の譜の比較から行っており、その研究は『正倉院楽器の研究』. 2にある。国立劇場芸能部はr古代楽器の復元』3で五絃琵琶の復元を行 っている。林の研究は琵琶の音を理論的な音律と比較で解き明かす試み. 2.
(9) であり、国立劇場芸能部の復元研究は正倉院の螺釧紫檀五絃琵琶の復元 というよりは五絃の琵琶の構造を分析・解釈し、楽器としてのイメージ を重視して制作したというものであり部品の構成方法(特に鹿頸と槽の 部分のつながり)が実際の五絃琵琶とは異なっている。 以上が五絃琵琶の現在に至る様子と研究である。. この五絃琵琶は実際にどのような音を出すのかということやこの琵 琶の持つ実際の立体的なヴォリュームはどの様なものであるのかは不明 であるため、筆者はかつて実際の形態の意匠、大きさで制作することを. 試みた。制作にあたっては、楽器の構造や楽器が音を出す仕組みに関わ る研究がまだまだ不十分であった上に、実物と同じ材料は極めて手に入 れにくくほとんどを代用の材で間に合わせて作るという状況ではあった が一応音が出るものができた。. 五絃琵琶の形作り、音作りでは材料、部品構成が大きな比重を持ち、. 実物を弾くことはかなわないが、楽器である以上実際のヴォリュームを 抱えて弾くことによってのみわかることがあると筆者は考えている。. 本研究の目的は、工芸の観点から五絃琵琶の資料を吟味、分析し、 次に同じ材料を用いて五絃琵琶の制作方法と同様と考えられる楽琵琶の ものを利用し、実際の五絃琵琶に近いものを制作することとした。ここ では外部の形態のみならず楽器としての機能を持たせるという観点で、. より厳密に復元する。次に実際に弾く(そのフォルムや重量を扱う)こ とで実態に迫る。奏法なども含む曖昧な部分に答を出すこととしている。. 第1章では五絃琵琶とはどのような楽器であるかということを歴史 的なつながりと資料・図版を用いて示す。次に今回研究するこの五絃琵. 琶の持つ不確定要素についてまとめる。第2章では第1章の不確定要 素に答を出すために実物と同じ材料を用いて復元する。これにもとづい. て第3章では第1章の不確定要素に対する答を出す。. 3.
(10) 第1章 琵琶と五絃琵琶 第1節. 琵琶とはどのような楽器か. 弦楽器の分類ではドイツのホルンボステル(1877年∼1935年)と ザックス(1881年∼1959年)がベルリンの国立高等音楽院(楽器分 類室)で行った楽器分類がよく知られているが、弦鳴楽器を9つに分 類し、琵琶はギター・リュートの仲間とされている。そして、このよう な絃の張られた楽器の起源は次の文が示すようにかなり古いものである に違いない。「弦楽器は一般に、石器時代人の狩猟の弓から作られたと されている。」「弓のほかに、古代人が、強く糸を張る必要の有る道具が. なかったからである。」4この絃を張った楽器である琵琶は基本的な構成. 部品は分厚い板をくりぬいてそれに腹板を貼付けた槽(共鳴胴)、三回 線やギターなどに比べると短い樟(ネックの部分)、フレットにあたる 柱(じゅう)、絃を固定する覆手、絃藏、転手及び絃で構成されている。. 特に琵琶の意匠を大きく決定づける槽の形は水滴型が中心であるが円. 形のものや八角形のものもある。形態的な類似性が認められるウード5 やマンドリンなどの槽は薄い板を貼り合わせて作られるのに対して琵琶 の方は一枚の厚い板をくり抜いて作るところにその特徴がある。「この 木を剖り抜いていく様式はペルシャの様式」6といわれ、槽そのものの 厚みも随分薄い。また全体的な大きさやそれぞれの部品の形態的意匠も 様々であり、例えば音を作ることに直接関わる柱と絃の位置関係につい ても槽と同様に形状や高さなども色々な種類がある。奏法も機で弾いた り、爪を付けて弾いたり、また楽器の支持法などを考えると実に様々な パターンがある。我が国のものではサワリ7の効果を持ったものもある。. 絃の数は四、五本である。種類は時代によってまた、国によっても異な り、壁画に見られるもの等を含めると多種類に及ぶのである。. 我が国に伝わったものとしては、四絃8琵琶、五絃琵琶、玩成(秦琵 琶)の三種類が知られている。いずれも正倉院にその実物と記録がある ことを考えると天平時代のものであることに異論はない。(図1). 4.
(11) ’. 図1日本に伝わったとされる三種類の琵琶(三州英史『図説日本の楽器』東京 書籍,1992). 五絃琵琶は廃れたとされ、院威は類似した月琴があるがデザインが大 きく変わったことを考えるとやはり廃れたと考えるべきである。現在は このうち四絃琵琶のみが形を若干変えたり、演奏形態を変化させながら 生き残っている。. 五絃琵琶は廃れたといえるのであろうか。廃れたという以上は我が 国における興隆期があったということが前提での話である。はたして五 絃琵琶は四絃琵琶のような形で我が国に浸透していたのであろうか。. 一般に日本の五絃琵琶に関する記録は非常に僅少であるように見受 けられ、渡来してまもなく実用に供せられなくなったかと思われるほど. である。このような中で、近衛侯爵家に伝えられている『五絃琴譜』9 (資料図版1・1∼2参照)は中国にもない唯一の五絃琵琶の譜であっ て、極めて珍重な資料であると言われている。しかし、楽器としての五 絃琵琶の足跡はまったくつかめない状況である。. 現代の日本においては琵琶といえば平家琵琶をイメージする場合が 多いようである。サワリのきいた音がいかにも日本人の感性にぴったり. くるらしい。また、幼少の頃にラフカディオ・ハーンの「怪談耳なし 芳一」を聞かされ、あまりにもそのイメージが強いからかもしれない。. 5.
(12) その反面、雅楽の楽琵琶に関することはあまり知られていないのが 現状である。近年、邦楽を充実させようという方向で音楽教育が進んで いると聞く。しかし、琴や尺八についてはよく聞くが同じ邦楽の楽器で あっても琵琶についてはほとんど耳にしない。理由として他の笙や竜笛 などの楽器との合奏における(古代のオーケストラにおける)楽琵琶の. 位置づけや和音に関わる問題が考えられる。つまり、日本の琵琶は中国 のピパ10のようにメロディを弾くものではなく伴奏に徹した楽器であり、 またギター等のような形態での和音づくりは期待はできないのである。. 現在の琵琶の普及ということに関しては楽琵琶も平家琵琶も同様の 状況であり決して目立ったものとは言えない。これは日本の音楽が西洋 化したことや和音という点ではギターの方が琵琶よりはるかに(和音の 点でも押絃の点でも)親しみやすく、あるいは価格の面からも手に入り やすいということが原因であると考えられる。. 近年、武満徹のノヴェンバーステップスで鶴田錦史が錦琵琶を弾く など、新しい取り組みが行われ今までとは異なる動きは確かにある。し かし一般的には琵琶といえばやはり平家物語を語るときに弾かれるもの、. あるいは雅楽の中の1パートであるという固定されたイメージはぬぐえ ない。琵琶の音は日本人の心のどこかに生きているのではあるが、生活 の中で接する機会は琴や尺八に比べると極めて少ないと言わざるを得な い。. 筆者は過去、1997年に中華人民共和国二二ウイグル自治区の二二シ ュガル(かつての二二国)を中心に琵琶の起源に関わり合いがあると思 われる絃楽器について調べた。そこでは、多くの種類の絃楽器と人々の 生活に溶け込んでいる楽器の姿が印象的であった。かつて玄二三蔵の『大. 唐西域記遺の中にこのあたりは音楽の盛んなところと記されている。. 中国のr二二書』には琵琶(五絃琵琶を含む)という楽器に大きく 関わり合いを持つ古代の音楽について次のように記されている。二二時 代の宮廷音楽は燕楽(えんがく)とも称し、大がかりな組織と内容を持 つ。階初(階の時代の初期)に設けられた七分伎は、清三二(漢魏時代 の清商楽)、国伎(西涼伎のこと。現甘粛省一帯の西涼国の音楽。亀藁、. 6.
(13) 楽と漢民族の音楽が融合したもの)、亀二二(亀三国=二二彊ウイグル自. 治区クチャー帯の楽舞)、安国伎(安国の楽舞、中央アジアのブハラ付 近)、天竺伎(古代インドの楽舞)、高麗伎(古代朝鮮の楽舞)、文康伎 (後に三二と改称。漢民族による仮面をつけた祭祀舞踊)であり、のち. に疏勒伎(二二の楽舞、現新彊ウイグル自治区カシュガルー帯)と康国. 伎(康国の楽舞、中央アジアのサマルカンドー帯)の二部伎が加わり九 部技となった。唐の時代には文康伎に変えて謙楽伎(朝廷の功績を称え る楽舞)を加えた。(申略)さらに高昌伎(トルファンー帯の楽舞)を. 加えて十部伎となったとある。11この十回忌の申で五絃琵琶が使用され ないのは清楽、康国伎のみであり、西域の伎楽にこの楽器が多く使用さ. れているということから西域から中国へ伝わったことは問違いないと思 われる。その頃からずっとこのように楽器が使われているのかどうかは 勿論不明である。結婚式の行列では罐馬車に乗った人々が西域の二心型 の楽器であるラバーブ、ドタール、トンブラ等を掻き鴫らしながら歌っ ていた。バザールでも色々な楽器の音があちこちから聞こえてきた。こ. れらの絃楽器の中に日本の琵琶の祖になった楽器があると考えられるが 二二系のものばかりであり、共鳴胴もはるかに膨らんでおり、また覆手 もなくフレットを樟に糸を巻いて作るものや海老尾といえるもの自体が. 全くないもの等、明らかに形態の意匠が異なると思われるものばかりで あった。結果として現在使用されている楽器と琵琶との直接の形状の類 似関係は認められなかった。やや共鳴胴のカーヴの持つ雰囲気が似てい る程度であった。. 日本に伝来した琵琶は平安時代の物語などを調べると一部の地位者の ものであったり、あるいは鎌倉時代以後は平家物語を語るときの琵琶法. 師の道具ではあったが日本人の日々の生活の中に直接入り込んだもので は決してなかった。以下日本に伝わった三種類の琵琶を示す。. 三絃琵琶 四二琵琶は古代ペルシャでデザインされ中国に伝わり、続いて日本に 伝わったという説が有力であり、この四絃の琵琶は霞本で変化しやがて. 7.
(14) 楽琵琶となったと考えられている。この楽琵琶は他の琵琶に比べるとも っとも古い時代に日本に伝わったということと、現代に至るまでデザイ ンをほとんど変えていないという特徴を持っている。. また、このことはこの琵琶という楽器がある意味でヴァイオリン等と 同じく完成された楽器と考えられ、京都で琵琶を制作する松浦経義12は 「魂柱にあたる部分を動かすことができたら、さらにより良い響きを期 待することができる。それができないところにこの楽器の限界がある。」 と述べている。. この楽琵琶から派生したものに薩摩琵琶、また伝来の方法が異なる平 家琵琶、それが改良された笹琵琶と変化しながら現在にも伝わっている。 四絃琵琶の各部の名称は図の通りである。 鹿頸 o o. 絃門. 辮. えんさん. 遠山(背面の甲の山形). 程 緩巌 海鼠. 履楓面). ノ. 絃. 槽(背面). ‘. 半月. ’欝. ・. Pi霧一二. かんばち. 虚心. 逗親. 磯. 曜. 隠処(野手裏の四穴). 額 穫享. 図2 四絃琵琶の各部の名称. 縄帯. (後藤四郎編『日本美術全集第5巻天平の美術. 正倉院』学習研究社,1978,p.189). 8.
(15) 二三. 三三は円形の胴を持ち四二琵琶、五絃琵琶と比較すると柱の数が現在 の中国琵琶のように多いのが特徴である。楽器の名称に関しては中国の. 竹林の七賢のうちの一人である翫威が奏者として卓越した腕前を持って おり楽器の名称となったと中国には伝えられている。宋以降は月琴と呼 ばれたともある。日本においては大正時代によく似た構造の月琴がはや ったとの記述があるのみであり、楽譜も伝わっていない。. 東南アジア、中国では月琴は現在でも極めてよく見られる楽器であり. 槽の中には金属製の共鳴絃が張られている。そのためやや金属的な響き が残る。また、絃の数は四本である。現在、長崎で中国製のものが入手 できる。また中華民国の音楽や中国の天橋楽(てんぎょうがく)では現 在も大院や小院等の楽器が使用されている。これらは全体的な形態は古 来のものとほぼ同じであるが、やや槽が厚く、丸い2つの共鳴孔を持つ。. 五絃琵琶 正倉院に現存しているこの五絃の琵琶は、背面の宝櫓華紋13に代表さ れるように唐時代の意匠の代表的なものとしてまた、世界に唯一のもの としてあまりにも有名である。この琵琶の起源を知る上でキジルの千仏 洞の壁画が例に挙げられる。実に多くの仏画の中に古代の楽器がどのよ うなものであり、またどのように使われたかを描いたものが多くある。. この中には五本の絃を張ったものも50件ほど登場している。(資料表 1参照)これらが五絃琵琶に直接つながっているかどうかは転手の制の 相違あるいは響孔の位置や形態、その全体の大きさの相違のため断定で きない。しかし、特に第8窟の供養天の持つ絃楽器(資料図版2参照)、. 第38窟の伎楽天(資料図版3参照)、第123窟の伎楽天(資料図版4 参照)の持つ絃楽器は絃及び転手の数から五絃と確認できることと明ら かに直二型のリュート系であり、五絃琵琶が直頸型に近いリュートであ るから当時の文化の流れを考慮すると深い関わり合いがあると考えられ る。つまり五絃琵琶はいわゆる西域の文化と大きく関わり合いがあるの である。また、インドの遺跡の壁画に描かれているものを時代的に、地. 9.
(16) 域的に比較すると五絃琵琶に関しては発祥地は四絃琵琶の源流が古代ペ ルシャにあるのに対して五絃琵琶の起源はインドであるといわれている。. 確かに歴史的に見ると古代インドと西域には仏教の伝播を通しての深 い関わり合いがあった。中国僧は西域を経てインドへ、逆にインド僧は. 西域を経て中国へと往来し、この往来の中で五絃琵琶も伝播したと考え られるからである。. このように、五絃琵琶に関しては歴史的に見ても不明確な部分が多く、. 実際にどのような伝播経路を経て、またどのような形態の変化を遂げな がら現在に至っているのかは憶測を出ない。確かにインドの壁画の琵琶 のような楽器に絃が五本あるということや、やや細身の槽、また、直頸 のデザインは正倉院の五絃琵琶に似てはいるが四絃琵琶よりもという程 度である。キジルの壁画に関しては更に正倉院の五絃琵琶に類似する部 分が多くある。. 唐の『二二盟によると五絃琵琶は元来、西域楽器であり、その形制を 見ると「四絃琵琶の形制と二二琵琶の二二とを合わせたような形を持っ. ている」とある。中学校や高等学校の社会科の教科書や資料集には正倉 院御物の二二紫檀五絃琵琶が載っており、天平の文化が古代ペルシャか ら俗にシルクロードと呼ばれる中央アジアのステップの道を経て大陸か ら伝わった証拠として腹板の部分の酪駝に乗った四二琵琶を奏でる胡人 の意匠が示される。. しかし、この琵琶がどの様な音を響かせるのか、また腹板のデザイン と同様に華麗な背面の大宝二二紋が何を意味したものなのか、誰がどこ. で制作したものか、あるいはその材料についての考察、更に当時この琵 琶でどのような曲がどのように演奏されたのかはあまり問題とされない。 五絃琵琶の各部の名称は図の通りである。(図3). 10.
(17) げんもん. 絃門 鹿頸. 半月 かんばち. え びお. 桿撲. 海老尾 いとくら. 絃蔵. ⊥,. てんじゅ じょうげん. ρ. 転手. 乗絃. じ. 柱. ふくばん. 腹板. そう. 槽(背面). ふくしゅ. 覆手. 磯(側面). 落帯. 隠月(覆手裏の音穴). 図3 五絃琵琶の各部の名称(正倉院事務所『よみがえる正倉院宝物』朝日新聞社, 1999,p.115). U.
(18) 第2節 正倉院螺鍋紫檀五絃琵琶(五絃琵琶)について 本来、日本には琵琶のような楽器はなく、天平時代に大陸から伝わっ. たことは正倉院の記録を見ても明白である。五絃琵琶という楽器の存在 自体は確かではあるがそれが誰によって、いつ、どこで作られたものか、. どのような奏法を用いて弾かれたのか、あるいはどのような音程でどの ような曲が奏されたのかに関してはいまだにはっきりしていないのであ. る。同様に形態に関しても不確定要素がまだあるのである。さらに窪正 倉院国家珍寳帳』14、陽明文庫のr五絃琴譜』を除いてはこの五絃琵琶 に関わる資料もほとんどない。. 西暦756年(勝宝八歳)に東大寺大仏に奉じられたこの琵琶は弘仁 年間に他の宝物とともに出蔵された記録がある。「弘仁14年2月に箏 一面、紫檀琵琶一面、三二紫檀五絃琵琶一面、新羅琴二面、銀平文革筥 一合、二三慧一面、銀薫炉一口が出蔵され、同年四月、五絃琵琶、鰍木 慧、銀薫炉が返納され、同時に新羅琴、箏、琵琶は別のものが代納され た。」15というもので、これはこの時代に唐の文化の流行があったこと. を示していると考えられるが、この時の五絃琵琶の返納は唐制の世界唯 一の琵琶を後世に伝えるという意味で極めて大きいものであった。大陸 との貿易が盛んになり俗にいう唐物の入手が簡単になるにつれ宝物は出 蔵されることもなくなり、. ばく よう. 曝涼16と呼ばれる宝庫の虫干しも856年の. 第四回以後行われなくなった。また、この五絃琵琶を納めてある宝庫自 体も長い年月の問には落雷にあったり、盗難の記録もある。明治初期に は「壬申の検査」が行われておりその記録が拓本として残っている。17 (図4及び資料図版5参照). 12.
(19) 「い奪 驚.. & 噌≒輔. ’謎・. ノ やつ 頓遭鼠蜘噛曲朝幽圃幽』盛L・. 図4 壬申検査社寺宝物図集 第12冊部分 (正倉院事務所編r正倉院紀要第22 号』正倉院事務所,2000,p.48). その後、明治中期には新院の先端である海老尾、絃を固定する覆手、. 絃、柱、転手が剥落した螺釦とともに修理あるいは新補されている。こ こではそれまでの状態を最もよく示す「壬申検査社寺宝物図集」ではな かった部品も楽器として使用するという状況の中で付属されたのである。. このようにどこが天平時代のオリジナルな部分なのか、あるいは後補 なのか、また後補の部分においても第五柱のようにオリジナルなものか らデザインされたかどうかは判断できない現状の中ではあるが、次の観 点から今一度五絃琵琶の様子を更に詳しく述べることとする。 ・五絃琵琶を含む楽器の歴史(正倉院との関わり合い) ・全体の形状 ・構造 ・材 ・加飾. 13.
(20) 五絃琵琶を含む楽器の歴史(正倉院との関わり合い) 五絃琵琶をはじめとする多くの天平時代の楽器と正倉院との関わり合. いでは、単純に天平時代の木工楽器が1,200年の時を経て現在に至っ ているということは正倉院という建物の構造のすばらしさや保管方法に 依るところが大きいと一般的には思われている。確かに風通しをよくし、. 虫干しをする曝涼も制度化されていた。しかし、明治初年頃はこれらの. 宝物の多くは時間の経過の中で破損していたのであり、現在のような形. に整理復元できたのは1892年(明治25)∼1904年(明治37年)に 宮内省に設けられた御物整理掛の貢献によるのである。正倉院は世界的 に見ても極めて希な、8世紀の世界の楽器宝庫といわれるが整理掛によ るこの工:芸的な復元作業がなかったならば宝物の現在の姿はなかったと. 考えられる。正倉院の楽器に関わってはそれぞれの現在数とともに挙げ れば次のとおりである。 わごん. きん. しつ. そう. しら者ごと. 和琴12張琴1張 慧1張 箏4張新羅琴3張. 絃楽器. りゆん. くこ. げんかん. 準(七絃楽器)1張 笙筏2張 翫威2面 琵琶5面. 五絃琵琶1面 おうてき. 管楽器 打楽器. しょう. しょう. う. 尺八8口 横笛4口 籍2口 笙3口竿4口 にのつづみ. 腰鼓(漆鼓)20口. 二鼓 (磁鼓)1口. ほうきょう. 方響1(残蕨9枚) のいわゆる楽器18種類である。. この中で五絃琵琶に焦点を当て、歴史の上からを見てみると、その記 録は最初、『正倉院国家珍三二』に登場する。楽器の中には紫檀楓琵琶 のように紛失したので代替品を納めたという記録があるものがあったり,. 宝物の中には大正時代に売却されたものもある。しかし、この五絃琵琶 に関しては記録の上から本来のものと考えられる。. 14.
(21) また、宝庫は昭和時代に御物を火災や震災から守るためにコンクリー ト製の新しいものができ、五絃琵琶もかつての北倉からここに移されて いると聞く。. 以下、正倉院と五絃琵琶に関わることがらをまとめると次のようにな る。(表1). 正倉院と五絃琵琶に関わるできごと. 表1 蒔 代. 756年. 資 料 ※国家珍宝鰻. 天平勝宝八歳. 内. 容. ・「墨銀紫檀琵琶一颪亀甲錨揮簸納紫綾袋浅黄膓零丁」 とあり. ・光明皇太后により紫の綾の袋に入れられて東大寺大. 仏に奉じられた 6月21日 ・紫檀琵琶・桐木箏等とともに出蔵 2月19日. 823年 弘仁14年 江戸時代後期 年代不詳. ・返却される 4月14B ※丹鶴図譜18 (資料図版6. ・本縫細工に欠落あり. 参照). 1867年 明治初年. 1872年 明治5年. ※r壬申検査社 寺宝物図集』. 1899年 明治32年. 17臼に宝麹一重撮影 ・転手、亡妻、海老尾、頭及び柱三枚欠、螺鋼亦多剥 落 今修補之とある ・黒短真頼博士等による宝物名、品質形状、員数:等の. (壬申の年). 1877年頃 明治10年頃 1883年 明治16年 1884年 明治17年 1892∼1904年 明治25∼37年 1897年 明治30年. ・宝物の管理丁丁が複雑な変化を起こしたために博 物館に正倉院宝物の残片が入っていた。 ・(壬申の検:査)8角12巳∼18B. 整理. ・曝涼制度(毎年定期に宝罐を旧き、風入れ)が復活 制定された ・正倉院を宮内省の管轄とする. ・杉孫七郎を掛長とする御物整理掛による修理や榎造 の製作. ※御物整理掛 からの公文書. ・螺鋳紫檀五絃琵琶などの文様を復元するので博物館 にある部品らしい螺鋼・ヨ毒曙などの磯片を弱き渡し. てほしい 掛長 杉孫七郎(依頼) 6海3日 ・爽用楽器として修理(付箋あり)8月 新補. 転手・絃・覆手. 鰺理・補修 螺鋼 ・表面に貼られたタイマイに擾で掻いた傷がある (大宮御齎での修理の後、皇居に運ばれ雅楽局の楽 人によって明治撰定譜と同ご奏法で試演された 結果。). 19◎8年. 明治41年. ・正倉院を帝室博物館の所轄とする 東京帝室博物館に正倉院宝庫掛を置く ・正倉院御物自録く旧宮内省寳器主管作成の正倉院宝 物の目録). 1913年 大正2年 1914年 大正3年. ・宝鷹の解体修理を行う. ・奈良帝室博物館に正倉院宝庫掛を置く. 15.
(22) 戦後間もなく. 1952年 昭和27年 1963年 昭和38年 1978年 昭和53年 1998∼1999年 平成10∼11年. ・正倉院の楽器の総合調査 ・五絃琵琶が弾かれ録音された ・五絃琵琶を弾いたレコード ・宝物を窒調設備の完備された新宝庫に移した為に従 来の曝涼はなくなった ・『壬申検査巻寺宝物麹集匪と宝物の照合始まる r壬申検査粒寺 宝物籔集』第. 12冊第1項. ∼9項. ・匡壬申検査社寺宝物図集匪と宝物の照合 ・転手・覆手・乗絃は全て後補されたもののよう ●海老羅・頭は婿本では欠けているが1臼物をつけ たようである. ・拓本では柱は5枚とも欠落(御物目録には柱3枚 欠とあり〉. 1β物2枚を元の位置に貼り他3枚を後補したのか. 16.
(23) 全体の形状 五絃琵琶の形状の特徴は四絃琵琶よりもやや細身でやや厚めの槽を持 つことである。更に、四二琵琶がウードのように頸と絃蔵との角度がほ ぼ直角に屈曲しているのに対して五絃琵琶はほとんど角度を持っていな い直頸と呼ばれる意匠である。また、海老尾のデザインも四二のものと. 大きく異なっている。腹板には、13個の華紋、あるいはふたこぶラク ダに乗り、四絃琵琶を奏する胡人(ペルシャ人または西方の人)、生命 の木である棄椰子、花あるいは飛鳥がデザインされている。背面、覆手、 海老尾及び側面には宝相華、飛鳥などがデザインされている。. このデザインから考えると横に構え、左手で柱を押さえ右手で弾く右. 縷奏法用である。5本の転手は8角形の断面を持ち、明治期に螺銀の院 威の転手のデザインをもとに作られたという記録が残っている。転手の 位置関係は海老尾を上方向とするならば、向かって右下が一番細い第五 絃、次いで左下が第四絃、右上が第三絃、左中が第二絃、そして左上が 一番太い第一絃という順番で、絃の転手が交互に並んでいないという特 徴を持っている。また、檜製の柱は五個ある。三絃から半音程ずつの位 置にあり19四絃琵琶の柱の位置と明らかに異なる。上端部にあたる海老 尾も特に複雑な形をしており、湾曲部の裏側には小さな突起がある。半 月は楽琵琶などに比べ小さめであり、陰月も小さい。二手は腹板に貼ら. れた竈甲の形から想像し作られたものであるとされ、楽琵琶のそれと若 干の相違がある。以上が大まかな特徴である。. 構造 内部構造は過去に解体調査されたことがなく、またエックス線調査な ども行われていないので不明であるが腹板の中程の膨らみから現代の薩 摩琵琶にも使用されているような形式の魂柱様のもの(柱と渡し)があ ると考えられる。覆手は腹板に接着されているだけでダボによって補強 されていない。研究当初においては、槽と鹿頸、絃蔵等は一体と考えて いたが先行研究者の松浦経義の話で四番目の柱のところで接がれている. ことがわかった。つまり、基本構造は四絃琵琶と同様と考えられるので. 17.
(24) ある。槽に鹿頸をさし込んで固定し、その接合部分を覆うように腹板が 固定されている。この構造はいわば相欠接構造であり力学的にも実に合 理的と考えられる。(図5). 槽・鹿頸・腹:板の構造. 謝. 同 断面 図5 槽・鹿頸・腹板の構造. また、鹿頸より上の材の用い方は木口が海老尾の湾曲部と鹿頸の下端 に表れる木取りである。腹板に関しては一枚の板ではなく、三枚の柾目 は. いもなぎ. 板を接いである。摺合接(芋接ぎ)と呼ばれるこの方法は単純に板材を 接着しただけのものである。また腹板全体の形状の特徴としては平面で はなく中央部分がかなり膨らみを持つことと腹板の下端方向の厚さの方 が上端方向の厚さより大きいことである。側面からの図版では撲(ばち). 面の上端あたりが最も高さを持つように見える。また、その膨らみに対. 18.
(25) 応ずるように槽の方の厚みは磯から遠山までは徐々に、そして遠山から 二二にかけては急に薄くなる。. 山手の細部に関わっては二二琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶では詰手を支 えるために腹板と二手の問に小さな支柱を入れているが楽琵琶にはその 例がなく、五絃琵琶も楽琵琶同様、覆手に支えばない。 材. 材についてはヤチダモ、イチイのように日本にあるものもあるが主要 な部材である紫檀はインドから東南アジアあたりを産地とするものであ る。現在ではこれらの原産地では木材の輸出が禁止されているので入手 が困難である。この紫檀は美しい光沢を持つことと同時に非常に硬いと いわれているが、正倉院にはこの材を用いた工芸品が多く見られる。例. えば、紫檀木画挾載、木画紫檀棊局、木画紫檀箋六局など多くのものが ある。. 正倉院の楽器類にもこの五絃琵琶をはじめ多くのものに紫檀が用いら れている。(資料表2参照). この五絃琵琶の具体的な材料構成は、格段に良質の紫檀の厚板を掘り 抜いて作られた槽、また、海老尾、絃蔵、鹿頸も紫檀製、腹板にはサワ グリが使用されているとされている。このサワグリ(二三)と呼ばれて いるものには実態がなく、「サワグリ」の異名を持つものは数種類あり これまで特定ができなかったが、現在では解剖学的比較でヤチダモの老. 木に最も似ていると考えられている20(資料表3参照) ヤチダモの材としての特徴は多孔質であり桐と同様に音を伝えやすい ことである。この特性を楽器の腹板に利用するということは極めて理に かなっているといえる。. 五個の柱は檜であり、松浦経義によると消耗品と考えられるとのこと である。つまり、長年弾いているうちに磨り減っていくので状況によっ ては新しいのものに変えるということである。覆手はアララギ(イチイ)、 五本の絃は絹製である。. 19.
(26) 加飾. 加飾については木地を彫り込み、厚さ1mm程度の夜光貝21をその形 に切り取り、嵌め込んで固定するという木地螺銀と呼ばれる技法が用い られている。(資料図版7参照). 夜光貝自体は現在も入手可能ではあるが、腹板の胡人の大きさの、し かも腹板の膨らみに合うような大きさのものを探すのは難しい。木地螺 べっこう 鋼の材としては夜光貝以外に竈甲が使用されている。この技法を利用. するには貝等が嵌め込まれる側の材料の厚みもある程度必要となってく. るはずである。この木地螺錨に使用されている夜光貝の使用については. 平成8年正倉院年報十八号の、正倉院宝物(螺鋼、貝類)材質調査報 告に詳しい。 ばち. また、撲受けや獣帯、十数個の華船には竈甲が利用されている。踏 甲の背面には金箔が貼られており、この二三は内田至名古屋港水族館館 長の報告で東アフリカ産のものに近いことがわかっている。22落帯は竈 甲貼りで下の彩絵を透かして見せるようになっている。また、腹板の華 こはく. めのう. 紋の中心部には號珀・覇璃などの宝石を利用していると言われてきたが 実際は踏甲の透明な部分を利用していることが分かっている。. 20.
(27) 第3節 五絃琵琶の持つ不確定要素 天平の工芸品の白眉といわれる五絃琵琶は色々な不確定要素を持っ ている。天平時代から何度か修理を繰り返したこの琵琶には「二手、二 手、海老尾頭二二三枚鮫失、螺釧タイマイ過半剥落、今二二完補之、明. 治32年8月17日還納正倉院」という付箋があり、このことから「新 補は覆手、海老尾、転手五本、柱二枚その他螺銀に少なからず施されて いる。」ことがわかる。覆手の形は腹板に張られていた此手型のタイマ イを二手の投影と考えて作られている。また、転手は紫檀螺二院威のデ ザインをもとに作られ、絃は勿論新しいものであり、この琵琶から、純 粋な「天平の音」を聞くことはむずかしいといわなければならない。23. このように音だけでなく形態にも補修が加えられているので天平工 芸の最も優れたものといわれながらも学術的に曖昧な部分が多いと考え. られる。この補修は1899年(明治32年)楽器として音を出すという 目的のために転手、二手、絃、柱などを中心に行われたものであり、結 果として元の形が曖昧になるほど極めて大がかりなものであった。当時 の鹿頚や絃蔵等の修復前の様子は具体的に「壬申の検:査における拓本」. に見ることができる。また、この明治期の修理、変更箇所についての材 料等に関わる記録の内容は次のようになっている。「転手は二二紫檀院 威のものを参考に作られ、覆手はイチイで新補、絃も三二。柱は旧のも のに新のものが入っており二三は剥落もしくは紛失したものを夜光貝を 使用して後補。明治の壬申の拓本にはない海老尾がこの修理の時に付け られた」24というものである。. 戦後、この五絃琵琶を弾いたレコードが世に出たということである。. 先行研究者の松浦経義はこのレコードを聞いているが、筆者が過去に試 作した五絃琵琶を弾きながらレコードの音は確かにこのようであったと 述べている。楽琵琶と五絃の槽を比較した場合、五絃琵琶の方が細身で あり、厚みがある関係で音がやや硬いと指摘している。このように五絃 琵琶には現在もまだ解決がなされていない不確定要素が残されている。. 今回検証する五絃琵琶の不確定要素と疑問点を抜き出してみると次の四. 21.
(28) 点になる。. ・第五柱の有無. ・第1絃の転手の位置 ・海老尾の有無. ・奏法(支持の仕方、弾絃方法等). 第5柱の有無 五絃琵琶は頚に五つの柱を持っており、四絃琵琶と比較すると、五絃 琵琶の第一柱は丁度四絃琵琶の乗絃と第一柱との中間に相当する箇所に 置かれている。五絃琵琶は乗絃から第一柱、第一柱から第二柱そして第 五柱に至るまで、すべて半音程に隔たっており、二・三・四・五柱は四絃 琵琶の一・二・三・四柱の位置にそれぞれ対応している。(図6). i. 魯. 阜. 五絃琵琶 四絃琵琶 図6 五絃琵琶と四絃(楽)琵琶の柱の位置の比較 (吉川英史『図説日本の楽器』 東京書籍,1992より引用し、筆者描。). 五絃の一・二・三・四二がもともと現在の位置であったことは螺釦装飾. の位置関係から考えても妥当と思われる。『壬申検査社寺宝物集』の拓 本には第五柱の接着の跡が見えるがこの柱は天平の時代から存在したも のか否かは不明である。このことに関して、林謙三は現在の第五柱に疑. 22.
(29) 問を持っており、その理由として次の三条25を挙げている。. ・四三と五柱の問には頚に何らの装飾もないこと。. ・現状のような五柱の存在は楽器の表板に散布する花形模様 の一箇に接近しすぎて装飾効果の妨げをなしていること。. ・仮に五三が古い接着三二に立てられたとしても、最初は第五 絃専用の短小の柱であったろうこと。. 特に、三つ目の点についてはキジル石窟壁画(第135窟)に第五柱 が短小の二二となっているものがある。(資料図版No.8参照). 以上、柱については存在しなかった、存在した、現在の形とは異なる 形で存在したという三つの場合を想定し、これに対して第五柱の音を実 際に扱うことで楽器の機能及び扱い易さから答を畠す。ここにおいては 古代の調が問題になるので、林謙三が既に解読している『陽明文庫』の 「五絃琴譜」を利用する。. 第一絃の転手の位置 転手の位置関係はなぜこのようになったのであろうか。前述のキジル 石窟群の壁画に現れる五絃楽器は50にもおよんでいる。26(資料表1). その中で転手の位置のはっきりしているものを挙げてみると第8窟、. 427窟、394窟、398窟が挙げられる。いずれも横に構えた楽器の上側 に三本の転手、下方に二本の転手が見られる。最も太い第1絃の転手 を1、第二絃の転手を2、以下三絃、四絃、五絃のものをそれぞれ同様. の表し方をすると転手の構成順序は1,2,5の1,3の問に2が3,5 の問に4が来ているというものである。このような順序ならきわめて 普通の古代中国の五絃楽器の意匠になるのであるが正倉院のものは4 を挟むように3,5があり、1の転手は全く一つだけ離れて配置されて いる。(図7). 他のたとえばアジャンターなどの古代インドの壁画にも五絃琵琶に似 た楽器は登場するがこのような形式ではない。二二の墓の壁画に描かれ ている二代奏楽図の中には五絃琵琶同様の転手の位置関係を持つものが 見られる。27. 23.
(30) 爵. ㌧鞘. ?P、・・. 五絃楽器のもの. 五絃琵琶のもの. 図7 転手の比較. 五本の転手の配置の仕方は大きく二種類ある。しかし五絃琵琶のパタ ーンはあまり多く見られない。. このことは敢えて1の転手に巻かれる絃の長さ、つまり、絃の響きに 関係があると考えられるため、実際のもので試してみたい。. 海老尾の先端部分の有無 海老尾の先端部分の有無については、歴史的には1897年(明治30 年)6月30日、御物整理掛の掛長、杉孫七郎からの公文書に「螺鋸紫 檀五絃琵琶などの文様を復元するので博物館にある部品を返して欲し い」との依頼があり、この時に海老尾の先端部分は発見されたとされて いる。. しかし現在でもこの海老尾の先端部分については林謙三が『正倉院楽 器』で述べているように、江戸時代の模写図によると海老山が雲形であ ることから現制はより所のない想像的修補のように思われたり、螺鋼模 様の様式から考えると適当であると述べられたりする。五絃琵琶の形態 に関わる記録としてもっとも確実なものは『壬申検査社寺宝物図集劃 の拓本であり、この拓本がとられた時点では海老尾の先端部分は存在し ていない。現在では螺鋸装飾の観点から海老尾の夜光貝に毛彫りされた. 24.
(31) 模様に入り込んでいる黒漆様のものの有無、あるいは成分の分析によっ て新山かどうか決定しようとの試みがあるがまだ確実ではない。. 以上、海老尾の有無については材料や施されている螺鋸の装飾的意匠 の観点を中心に論議されているが依然結論は出ていない。. 奏法. 奏法に関しては、古代インドの壁画、中国の西域の壁画などにも若干 五絃楽器の奏法についての記録が残されている。岸辺茂雄の『二代の楽 器』28にも詳しいことが述べられている。これらの五絃楽器が正倉院の 五絃琵琶の直接の起源かどうかはわからないが二二というところが似て いるところではある。. この三絃よりやや細身である五絃楽器は壁画をたどっていくと古代イ ンドから西域に伝わり、西域で変化をして唐に伝わったったことに異論 はないように思える。奏法についても形態についても複:雑な変化があっ たに違いない。. 果たして五絃琵琶はどのように弾かれたのであろうか。劉二軍29の天 平楽府(てんぴょうがふ)の五絃琵琶は中国琵琶と同じ構え方、つまり. 琵琶を縦に抱きかかえるような方法で擬は持たずに付爪を用いて演奏さ れていた。. 一方、キジルの壁画には琵琶の一種類である院成に似た楽器を棒状の. もので弾いているものがある。30また、支持の方法では、壁画にみる 五絃楽器は楽琵琶と同様に横に支持されており、別の壁画によると頭を 水平よりも下にしてかまえているものがある。さらに槽の部分を曲げた 肘の上にのせ胸前に支持している姿のものも見られるが、このかまえ方 は中華人民共和国のウイグル人たちがラバーブを弾く時の様子に酷似し ている。. このように、似た楽器を扱いながらも様々なパターンが見えるのは、 民族性の違いから極めて当然のことと考えられる。色々な支持の方法、. あるいは記法があることはわかるが五絃琵琶にどの方法が用いられたの かというと明らかではない。. 25.
(32) 以上のように世界的に類を見ない五絃琵琶であるが細部を調べていく と様々な不確定要素を持っていることがわかる。本研究は、五絃琵琶に. ついて実際に復元作業を試みることによって解答を得ようとするもので ある。. 26.
(33) !代表者近衛通隆『陽明世傳』陽明文庫,柑45,項なし. 2林謙三r1E倉院楽器の研究1風間書房,1964 3国立劇場芸能部『古代楽器の復元』音楽之友社,1995 4 黒沢薩朝『選解 世界楽器大嘉典』雄由閣,1994,p.280 5胴が木製、「ウード」とは英悪のw◎◎dと同じ意義。. 6若林忠宏『民族楽器大樽物館』京都書院アーツコレクション」999,p.79 7 琵琶、三味線等で絃長を変化させ、装飾音を作る部分。 8 「絃」は「弦」とともに楽器に張る線条という意味を持つ。「絃」は絃を張った楽器という 意味も持つことから、「五弦琵琶」などと表記されているものもあるが「絃」の方がふさわ しいと考えr絃」で統一した。. 9代表者近衛通隆『陽明世傳3陽明文庫,1945,pp124−25琴譜の琴に関しては「琵琶の御琴 」という表現があるようにかつては琵琶も琴と呼ばねていた。 1。琵琶の中国の読み。形態的には日本のものよりもやや鹿頸が太く、柱が多い。日本の琵琶 のように伴奏用ではなくメ自ディーを弾く。 判 『蓄自書』(くとうじょ)巻二十九,志第九,音樂二,中華書局出版,1975 「新唐書墨と共に唐. 一代の右肩を述べた書物。 12松浦経義氏、京都大笹屋、楽琵琶から平家琵琶まで琵琶一般の制作をされている。 13唐と天平の代表的な文様。特別な花の形ではなく花の概念からつくられた文様。 M光明皇后が聖武天皇の冥福を祈9、大仏に献納した献納品の臼録。 纉。四郎編r日本美術全集 第5巻 天平の美術 正倉院」学習研究社,稔78,p.139 薯6和田軍一『正倉院案内』吉川弘文堂,!996,p112中国では『礼6記』に見え、我が国では毎 年あるいは6年ごとに行うことが奈良時代から制度化されていた。 冒木村法光冒壬申検奎社寺室物國集と正倉院宝物3(『正倉院紀要第22号』)正倉院事務所, 2000,pp.48−9宝物図集の実物は東京国立博物館蔵、全31柵。五絃琵琶は第肇2柵の1丁か ら9Tに拓本とスケッチがある。 18 L刺新宮城主水野忠央(18◎4年∼1865年)の編纂による精巧な木版多色尉図録。 19 ム謙三『正倉院楽器の研究3風間書房,紛64,p.55 量5. 2。正倉院事務所編ぽ正倉院の木工蓋日本経済新聞社,1978,pp.118−9. 21リュウテンサザエ科 奄美大島以南の太平洋、フィジー諸島近海、インド洋にかけての礫 底(4∼200m>に広く分布している。 Gre欲green turban 22内田至「正倉院宝物の海が親類材質調査報告」儒正倉院 年報第13戯号』 1991,ppi−20) 23東野治之冒正倉院』岩波新書,1988,pp.董81−2 24 ム謙三,前掲書,p.55 25林謙三,前掲書,p.161. 26新彊ウイグル自治区文物蟹理委員会拝城県キジル干立場文仏保管所縞『中国石窟キジル石 窟2巻五平凡社,1984,pp238−57 27拓殖元一『アジア音楽』音楽之官社,狛96,p43 28岸辺茂雄『初代の楽器5音楽之友社,組68,pp.119−45. 29劉宏軍(りゅうほんじゅん)。音楽監督。rラストエンペラー」では坂本竜一と共に作曲・ 演奏を担当した。. 30新宅ウイグル自治区文物管理委員会拝城県キジル千仏洞文仏保管所編冒中国石窟キジル石 窟3巻』平凡社,1984 図版No.190,2◎3 第77窟N◎」90院威様のものを弾いている伎 楽天は親指と人差し指で小さな穆状のピックを持っている。. 27.
(34) 第2章 螺銀紫檀五絃琵琶の復元 五絃琵琶は明治期に楽器として使用できるよう補修が行われ、そのま ま今日に至っていることが構造的曖昧点を残す原因となっている。また、. その補修以前の姿に関する資料がないことにより、補修がそれ以前のも. のをよりどころにしたものなのか否か不明である。この点がより一層曖 昧さを増幅させているのである。. 例えばその柱(フレット)については現在のように五柱であったと いう説、第五柱がない四三であったという説、また第五柱だけは短小の ものであったという説がありいずれが正しいかは不明である。また、海 老尾と呼ばれる部分の先端の部分の有無に関しても制作時のものかどう か憶測を出ないという状況がある。. これらの諸説は遺跡などの過去の事物による歴史的なもの、あるいは 音楽理論的なものから導き出されているが本研究ではこれらの曖昧な点 を工芸というこれまでとは異なる視点から検証できないかと考えた。. 「復元」という言葉には、もとの位置・形態に戻すこととあり、現在 の状況から過去の形を考えて元の形に戻すととらえた。あるものを復元 するにあたっては、特にそれが修理を繰り返したものの場合はいつの時 代に戻すのかということが問題となる。つまりいつの時代を想定して復 元するかということである。今回扱う五絃琵琶に関してもこれまでの修 理のことを考えるといつの時代の形に戻すかということは大きな意味を. 持ってくる。五絃琵琶の持つ本質にせまりたいと8世紀の制作当時の 形態をイメージして復元にあたった。 本研究では先行研究者の松浦経義、木戸敏:郎の協力、助言を得ながら、. また材料をできるだけ実物と同じ材料で復元することによって、工芸品 であると同時に楽器としての機能を持つ五絃琵琶を検証する。つまり、 まず楽器としての形態から検証していくわけであるが、それのみに限ら. ずその形態が持つ意味や構造、重量、支持方法等の観点から、あるいは 材料に関わることを含めて考える。更に唐木を中心とする加工技法を考 察することを目的とした。. 28.
(35) 復元にあたっては、まず五絃琵琶の揚載されている参考資料をできる だけ多く収集し、同時に楽琵琶を制作している先行研究者から琵琶制作 にあたっての留意点や五絃琵琶に関わる情報を収集した。材料の入手に 関わっては『正倉院の木工』1を中心に、使用されている材料を吟味し、. 極力同一種類のものを入手した。次に設計図を描き、加工組立という手 順で復元にのぞんだ。なお、今回の復元は装飾を省き本体のデザインの みとした。. 具体的な復元行程は以下の通りである。 ・設計図の作成 ・材料の加工 ・組立 ・完成. 29.
(36) 第1節設計図の作成 五絃琵琶を復元するにあたっての設計図は正倉院事務所が1967年に 日本経済新聞社から出版した種正倉院の楽器』のp.102、p.103の表(資. 料表4・1∼2参照)、p.83の測定値:の記入された図(資料図版9参照). 及びp.51の柱制の表(資料表5参照)をもとに作成した。この図と表. は1948年(昭和23年目から1952(昭和27年)の四年間に調査員を 芝祐泰、林謙三、瀧遼一、岸辺成雄として毎年五日ずつ行われた正倉院 の楽器の総合調査の実測調査をもとにつくられたものである。この測定 図は琵琶のヴォリュームを決定づける槽の下部の左右のラインのつなが りに無理があり、この曖昧な点を明らかにするために多くの出版社から. 出ている図版を比較検討した。さらに五絃琵琶は中学校、高等学校の社 会科の歴史分野でも多く扱われており、これらに関しても比較分類した。. この比較分類は最初に形態的なものから始め、次に各々の資料の図 版上における値を測定すると同時に最大幅/全長(小数点以下4桁を四. 捨五入)を求めるという方法で行った。(資料表6参照)この表を作 成していく中で対象とした図版には最大幅と最大長の比率が大きく他と. 異なるものがあることがわかった。なお、資料表6の最後の比較項目 である「版の色」は、カラー印刷とモノクローム印刷を区別するために、. カラーの方は色みが有るという意味で「有」、モノクロームは工みが無 いという意味で「無」と表している。. 中学校、高等学校の社会科の教科書の図版は小さい場合が多く、美術 全集などとは異なる扱いとした。これらの教科書の中には正倉院の五絃. 琵琶の版ではなく、東京国立博物館の明治時代の模造品(列品番号H− 1090)の版の使用が見られ、比較対象から外した。また、これらの図. 版のそれぞれが持つ比率の差を容易に把握できるように同じ最大幅 (60mm)で表した。(資料図版m・1∼3参照)槽のラインと同様に 柱の位置を決めようとしたが図版の比率の相違から決定できなかった。. r正倉院の楽器』の測定値と比較分類した多くの図版の値の違いにつ いては正倉院事務所の西川技官に話を聞いた。2大きくポイントとなる 内容は次の二点であった。. 30.
(37) ・昭和42年の『正倉院の楽器』に記載されている測定値に忌違 いはない。. ただ、写真を撮ってトレースしたものにその値を記入 したものであるから設計図の形と現物は当然誤差を生 むことはある。. ・一度撮った原版は繰り返し使用する。 二つ目の点についてはこれだけ様々な撮影技術が発達している中で一定 の原版しかないということは一般的には考えられないことであるが、宝 物を保存する立場からこのような措置が実際にとられているということ であろう。. 図版の形態的分析を進めると山手の上の絃の結び、海老尾の形態から. 使用されている版は明らかに最低でもカラー原版が二つ(資料図版11 参照)、白黒原版がやはり二つあることがわかる。また逆に、すべての カラー図版に関しては前述の絃の結びの形や海老尾と三二の位置関係を. 見ると二つのうちのどちらかの範躊に入るように思える。表6の分類 は絃が作る二つの円の重なる部分が少なく海老尾の形が縦方向に大きく. 表されるものをA、円の重なる部分が多くAと比較すると海老尾が明ら かに横方向に広がっているものをBとした。Cの範躊には『二代の楽器忍 の五絃琵琶の図及び東京帝室博物館編r正倉院御物図録一二一二』の五 絃琵琶の図を入れ、奈良国立博物館編の『正倉院展の歴史雌の五絃琵琶. の図をDとした。『正倉院展の歴史』の図はA、Bとは明らかに比率が 異なることから区別してDとし、Cに分類した二つの図は比率に関して はA、Bとほぼ同様であるが転手に見える菱形様の模様がA、 Bとは明 らかに異なり、二つの図相互では同じである。. これらの図版すべてに該当することであるが正面図が測定図の割合 より横に広がっているのである。. なぜこの様に『正倉院の楽器』における測定値と他の図版のプロポ ーションが大きく異なるのかということについては撮影時におけるレン ズの軸に対して腹板が直交していなかったことがまず第一の原因と考え られる。側面図における槽と腹板の接着部分にあたる線と水平線がなす. 31.
(38) 傾きはほぼ二二の部分が水平線に接する状態程度のものである。(資料. 図版12参照)写真でとられた五絃琵琶の正面方向からの図版は傾きの 角度の割合だけ正面図が実際より縦方向に圧縮され、より横に膨らんだ. 形態となるのである。この角度はおよそ700∼800程度であり、琵 琶の二二をしとし、それが投影されてできた図版の長さを1とし、琵琶 が平面となす角度をθとすると 1=・sinθ・しであり、sin70。≒o.94とすると. 1=sin70。・L=sin70。×108≒101.49となり65mm程度全長が短 くなる。この値はsin80。では15mm程度である。 『正倉院の楽器』の測定値と共に使用した後述の図版は、横幅の:最大. 値を測定値と同じ値にした時に約40mm短くなっており、このことか らこの正面図はほぼ74。の角度を持って撮影されたことがわかる。 今回調べた図版の中には(最大幅/全長)が実物に近いものがある。. つまりその値は全長:最大輻がほぼ108:31なのである。これは前述 の傾きを考慮に入れずに、単に全長と全幅の関係を測定値だけをもとに 作成した結果と思われ、随分形態的に狂いが出てきてしまっている。ま た、他のものに関してもこれと同様に二二と海老尾の位置関係が同じに もかかわらず、大きくプロポーションが変化しているものがあり、世界 唯一の二代の五絃琵琶として示すにはあまりにもパターンが多すぎて不 十分である。. 一般的にはこのような様々なパターンを見ながら、五絃琵琶とはこの ようなものであると判断しているのである。. これらの誤差がいかにして生じたかについては明確なデータ(使用レ ンズの焦点距離、被写体までの距離など)がない、考えられる理由とし. ては例えば、出版物のプロポーションに合わせた図版の編集や琵琶のあ る部分の様子を強調した編集など、図版の編集者の意図によるものがま ず考えられる。次に図版は様々な行程を経て製版されるが、製版時に使 用したレンズの収差の関係など、技術的問題が考えられる。このように 版を起こす時に色々な処理を行ったために原版は同じであるにもかかわ らず異なるプロポーションのものが出現したと考えられる。現在の技術. 32.
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