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〈論文〉フィリッポ・リッピとアンドレア・デル・ヴェロッキオ--1460年代の聖母子像をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. フ ィ リ ッポ ・リ ッ ピ と ア ン ドレア ・デ ル ・ヴ ェ ロ ッキ オ ー1460年. 代 の 聖 母子 像 を め ぐって一. 劔. 持. あずさ. は じめ に 15世 紀 の 芸 術 家 ア ン ド レ ア ・デ ル ・ヴ ェ ロ ッ キ オ(1435頃 刻 家 と し て 活 躍 し た こ と で 知 ら れ て い る 。 実 際 彼 は 、15世. ∼1483)は. 、 主 に彫. 紀後半 の フィ レンツェ. に お け る 主 要 な 彫 刻 家 の 一 人 で あ り、 代 表 作 と して は 、 メ デ ィ チ 家 の た め に 制 作 さ れ 後 に 政 庁 舎 に 移 さ れ た 《ダ ヴ ィ デ 》(図1)、. オ ル サ ン ミ ケ ー レ聖 堂 外 壁 の ニ ッ チ. に 設 置 さ れ た 《聖 トマ ス の 不 信 》、 晩 年 の 《コ ッ レ オ ー 二 騎 馬 像 》 等 が あ げ ら れ る1。 ま た こ れ ら の 公 共 的 な 制 作 物 に 加 え 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 本 人 や そ の 工 房 に 関 連 づ け られ る 比 較 的 小 型 の 浮 き彫 りや テ ラ コ ッ タ に よ る 聖 母 子 像 も、 数 多 く現 存 して い る 。 こ の よ う な 小 型 の 聖 母 子 像 は 、 個 人 の 住 居 や 家 族 用 礼 拝 堂 な どの よ り私 的 な 空 間 の た め に 制 作 さ れ た と考 え られ て お り、 従 っ て こ の 分 野 に お け る 作 例 の 多 さ か ら も、 当 時 の フ ィ レ ン ツ ェ に お け る ヴ ェ ロ ッ キ オ の 人 気 の 高 さ を う か が う こ とが で き る だ ろ う。 この よ うに第 一 線 で 活 躍 す る彫 刻 家 だ っ た ヴ ェ ロ ッキ オ だが 、 そ の 一 方 で 、 画 家 と して 絵 画 制 作 も行 っ て い た 。 当 時 の 芸 術 家 工 房 の 活 動 が 、 多 岐 に わ た っ て い る こ と は 珍 し い こ と で は な い が 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 工 房 は 、 そ の 万 能 性 で 際 立 っ て い た2。 と りわ け、 ヴ ェ ロ ッキ オ工 房 の 場 合 、 興 味 深 い の は、 後 に画 家 と して有 名 に な る弟 子 が 多 数 在 籍 し て い た こ とで あ る 。 レ オ ナ ル ド ・ダ ・ヴ ィ ン チ が ヴ ェ ロ ッ キ オ の 弟 子 で あ っ た こ と は よ く知 られ て い る が 、 彼 の 他 に も、 ピエ トロ ・ペ ル ジ ー ノ 、 ロ レ ン ッ ォ ・ク レ デ ィ な ど、 い ず れ も15世. 紀 後 半 を代 表 す る 画 家 と して 活 躍 す る 実 力. 者 が 揃 っ て い た3。 親 方 の 第 一 の 専 門 分 野 は 彫 刻 で あ っ た と して も、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 工 房 で は 、 絵 画 制 作 に 取 り組 む 機 会 も豊 富 に あ っ た こ とが 推 測 さ れ る 。 ヴ ァザ ー リ に よ れ ば 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 「一 芸 に 秀 で る こ と で 満 足 せ ず 、 研 鐙 を 通 じ て 他 の 芸 術 に も秀 で ん とす る 人 物 だ っ た の で 、 今 度 は 絵 画 に 関 心 を 向 け た 」 と い. 一306一. (1).

(2) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. う4。 ヴ ァザ ー リ に よ る ヴ ェ ロ ッ キ オ 伝 の 中 で は 、 《キ リ ス トの 洗 礼 》(図3)を. 描. い た 際 の 、 弟 子1/オ ナ ル ドの 才 能 が 自 分 よ り優 れ て い る こ と を 知 り、 絵 を 描 く こ と を や め て し ま っ た とい う エ ピ ソ ー ドが 有 名 で あ る 。 しか し、 別 の 箇 所 で ヴ ァザ ー リ は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 素 描 を 自 ら所 有 し て い る と し、 そ の 美 し さ を 賞 賛 し て い る 。. 彼 の 手 に な る何 点 か の 素 描 が 私 の 素 描 集 にあ るが 、 どれ も き わめ て 丹 念 で 的確 に描 か れ て い る。 この なか に は髪 を美 し く結 い、 飾 りを つ け た女 性 の幾 つ か の頭 部 が あ った が 、 そ の 美 しさの た め に レ オナ ル ド ・ダ ・ヴ ィ ンチ はた えず そ れ を模 写 した もの で あ る5。. こ の よ う に 、 工 房 か ら 多 くの 画 家 を 輩 出 し、 素 描 の 腕 も評 価 さ れ て い る 一 方 で 、 現 存 す る ヴ ェ ロ ッ キ オ に よ る 絵 画 作 例 は き わ め て 少 な い 。 現 在 、 多 くの 研 究 者 が 一 致 し て ヴ ェ ロ ッ キ オ に 帰 属 し て い る 作 品 は 、 《ピ ス ト イ ア 祭 壇 画 》(図2)、 トの 洗 礼 》(図3)、. 《聖 母 子 》(図5)の3点. で あ る6。 さ ら に 、 近 年 の 修 復 調 査 に. よ り、 ロ ン ド ン ・ナ シ ョ ナ ル ・ギ ャ ラ リ ー に 所 蔵 さ れ る2点 使 》(図4、6)が. 《キ リ ス. の 《聖 母 子 と二 人 の 天. 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 手 に な る も の だ と 判 明 した7。 そ の 中 で も と り. わ け 初 期 に 位 置 付 け ら れ た ベ ル リ ン の 《聖 母 子 》(図5)と 二 人 の 天 使 》(作 品 番 号NG2508、. 図6)は. ロ ン ド ン の 《聖 母 子 と. 、 と も に、 わ ず か に先 行 す る フ ィ リ ッ. ポ ・リ ッ ピ に よ る 聖 母 子 像 との 関 連 性 が 指 摘 さ れ て い る8。 こ の う ち ベ ル リ ン の 《聖 母 子 》(図5)に. は 、 ひ ろ い緑 野 に、 な だ らか な丘 が 連. な る の どか な 風 景 を 背 に 、 聖 母 子 が 描 か れ て い る 。 イ エ ス は 、 通 常 の 幼 子 が そ う す る よ う に 、 あ ど け な い 様 子 で 母 に 向 か っ て 手 を 伸 ば し て お り、 マ リ ア は や さ し くそ の 姿 を 見 つ め る 。 神 の 子 の 神 聖 さ と い う よ り、 人 間 ら し い 親 子 の 情 愛 が 伝 わ っ て く る 作 品 だ 。 リ ッ ピ の 作 品(図16)と. 比 較 す る と、左 右 反 転 して い る もの の 、 聖 母. 子 の 基 本 的 な 姿 勢 や 、 前 景 に 大 き く人 物 像 を 配 置 し て 背 景 に 風 景 描 写 を 挿 入 す る構 成 な ど に 、 両 者 の 共 通 点 は 明 らか で あ ろ う。 ベ ル リ ンお よ び ロ ン ド ン(NG2508)の. 作 例 は 、 ヴ ェ ロ ッキ オの 数 少 ない 絵 画 作 例. と し て 貴 重 で あ る こ と に 加 え 、 画 家 と して の 活 動 初 期 に お け る 彼 の 関 心 の 方 向 性 を 知 る 上 で も重 要 で あ る 。 ヴ ェ ロ ッ キ オ が リ ッ ピ作 品 に 関 心 を 寄 せ て い た こ と は 作 品 か ら明 白 だ が 、 彼 が そ れ を 参 照 し得 た 具 体 的 な 経 緯 は 、 明 らか に は な っ て い な い 。. (2). 一305一.

(3) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. 一 般 的 に 、 あ る 作 品 が 他 の 芸 術 家 に お よ ぼ し た 影 響 の 広 が りや 深 さ を 考 え る 際 、 そ の 作 品 の 「伝 わ り方 」 は 、 当 然 検 討 さ れ な け れ ば な ら な い 問 題 だ が 、 彼 が ど こ で リ ッ ピ作 品 に 触 れ た の か 、 ま た 彼 が 見 た の が 、 リ ッ ピ 作 品 そ の もの だ っ た の か 、 周 辺 の画 家 に よ る模 倣 作 や 類 似 作 、 ま た は関 連 す る素 描 等 だ っ たの か につ い て は、 現 在 の とこ ろ私 た ち は想 像 す る ほか な い。 こ の 問 題 に 、 若 干 の 具 体 性 を 与 え て み た い と い う の が 本 稿 の 目的 で あ る 。 あ らか じ め 告 白 し て お く な ら、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が リ ッ ピ作 品 を 参 照 した 場 面 や 経 緯 を 特 定 で きる わ けで は な い。 た だ、 問 題 とな る聖 母 子 像 が 制 作 さ れ た と きに、 ヴ ェ ロ ッキ オ や リ ッ ピ が どの よ う な 状 況 に あ っ た か を 整 理 す る こ とで 、 両 者 の 関 係 性 や 彼 ら を つ な ぐ芸 術 家 の ネ ッ トワ ー ク に つ い て 、 よ り具 体 的 な 見 通 し を 得 る こ と は 可 能 だ と考 え てい る。. 第1章. 聖 母 子 像 の概 要 と問 題 の所 在. 最 初 に 、 本 稿 の 考 察 の 対 象 と な る 聖 母 子 像 の 情 報 を 整 理 して お こ う 。 フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピ の 作 品 は 、 次 の2点. が 問 題 とな る。 ウ フ ィ ッ ィ美 術 館 に所 蔵. さ れ て い る 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》(図15)と 所 蔵 の 《聖 母 子 》(図16)で. ミ ュ ンヘ ン 、 ア ル テ ・ピ ナ コ テ ー ク. 、 制 作 年 は 、 両 作 品 と も1460年. 代 の 半 ば か ら後 半 と. さ れ て い る 。 両 作 品 に は 、 天 使 の 有 無 、 人 物 の ポ ー ズ の 違 い は あ る もの の 、 前 景 に 聖 母 子 を 配 置 し、 背 景 に 風 景 を 挿 入 す る と い う 基 本 的 な 構 図 が 共 通 し て い る 。 実 際 、 ミ ュ ンヘ ン作 品 は 、 ウ フ ィ ッ ィ作 品 の ヴ ァ リエ ー シ ョ ン と して 制 作 さ れ た と考 え られ る9。 また 、 こ れ らの 聖 母 子 像 の 注 文 主 や 制 作 当 時 に設 置 さ れ た 場 所 は わ か っ て い な い 。 しか し、 そ の サ イ ズ か ら し て 、 ど ち ら の 作 品 も、 私 的 な 祈 りの 対 象 で あ っ た こ とが 想 像 さ れ る 。 ウ フ ィ ッ ィ 作 品 に つ い て は 、 そ れ が メ デ ィ チ 家 の 別 荘 に 保 管 さ れ て い た こ とか ら、 メ デ ィ チ 家 が 注 文 に 関 わ っ た こ と も推 測 さ れ る が 、 決 定 的 な 証 拠 は 出 て い な い 。 と は い え 、 ウ フ ィ ッ ィ 作 品 に み られ る 、 天 使 が イ エ ス を 支 え 持 ち 上 げ る と い う 特 徴 的 な 図 像 や 、 イ エ ス の 背 後 で 強 い 存 在 感 を発 す る 岩 山 の 描 写 等 は 、 特 定 の 主 題 へ の 強 い要 請 を うか が わせ 、 神 学 的 な教 養 を持 つ 洗 練 され た注 文 主 の 存 在 を 想 起 させ る10。 メ デ ィ チ 家 や そ の 周 辺 の 裕 福 で 教 養 の あ る 人 物 の た め に 制 作 さ. 一304一. (3).

(4) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. れ た 可 能 性 は 高 い だ ろ う 。 お そ ら く、 ミ ュ ンヘ ン作 品 の 注 文 主 も、 そ の よ う な 個 人 だ っ た と考 え ら れ る 。 次 に 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 作 品 を 確 認 し て お こ う 。 現 在 、 ベ ル リ ンの 国 立 絵 画 館 に 所 蔵 さ れ て い る 《聖 母 子 》(図5)は. 、1873年. に フ ィ レ ン ツ ェ で 購 入 さ れ た 。 や は り、. 私 的 な 礼 拝 像 とみ られ る 本 作 品 は 、 そ の 注 文 主 に つ い て の 記 録 は 伝 わ っ て い な い 。 しか し、 様 式 的 な 観 点 か ら大 多 数 の 研 究 者 に よ っ て ヴ ェ ロ ッ キ オ に 帰 属 さ れ 、 全 面 的 に彼 の 手 が み と め られ る 唯 一 の作 品 と い う 評 価 を 受 け て き た。 制 作 年 代 は、 1468-1470年. に 位 置 づ け ら れ て い る11。. す で に 述 べ た とお り、 こ の ヴ ェ ロ ッ キ オ の ベ ル リ ン 作 品 が 、 ミ ュ ン ヘ ン の リ ッ ピ 作 品 の 構 図 に 多 く を 負 っ て い る こ と は 、 一 見 し て 明 らか だ 。 しか し、 基 本 的 な 構 図 は リ ッ ピ 作 品 に 従 っ て い る もの の 、 人 物 像 に は よ り深 い 陰 影 が 与 え られ 、 三 次 元 的 な 立 体 感 が 強 調 さ れ て い る な ど、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が 、 本 作 品 で 独 自 の 成 果 を み せ て い る こ と も十 分 に 理 解 で き る 。 ま た 、 ロ ン ド ン、 ナ シ ョ ナ ル ・ギ ャ ラ リ ー 所 蔵 の 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》 (NG2508、. 図6)に. も注 目 し て い き た い 。 こ の 作 品 は 、 こ れ ま で 研 究 者 に よ っ て ほ. と ん ど省 み られ る こ とが な か っ た が 、 近 年 の 修 復 調 査 に よ っ て 、 同 時 代 の 彫 刻 作 品 と も 共 通 す る ヴ ェ ロ ッ キ オ の 様 式 的 特 徴 が 明 ら か に さ れ た も の だ 。 ナ シ ョナ ル ・ ギ ャ ラ リ ー で は 、 本 作 品 の 制 作 年 を1467-1469年. 、 す な わ ち、 現 存 す る彼 の 絵 画 作. 品 の う ち 最 初 期 に 位 置 付 け て い る12。 と こ ろ で 興 味 深 い こ と に 、 こ の ロ ン ド ン作 品 に 非 常 に よ く似 た ボ ッ テ ィ チ ェ リ (1445-1510)の. 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》(図7)が. 、 ナ ポ リ に存 在 す る。 両 者 は、. 人 物 た ちの ポ ーズ や 、 相 貌 表 現 、 背 景 に挿 入 され た 自然 描 写 等 にお い て は異 な って い る も の の 、 全 体 の 構 図 は ほ ぼ 同 じ で あ り、 絵 を 見 て 受 け る 印 象 は き わ め て 近 い と 言 っ て 良 い 。 こ の ボ ッ テ ィ チ ェ リ に よ る ナ ポ リ 作 品 は 、1460年. 代 末 に位 置 づ け ら. れ る13。 そ の 頃 ボ ッ テ ィ チ ェ リ は ヴ ェ ロ ッ キ オ 工 房 に 助 手 と して 参 加 した と考 え ら れ て お り14、 ナ ポ リ 作 品 に み られ る 堅 固 な 人 物 表 現 に は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ か らの 強 い 影 響 を 確 認 す る こ と が で き る15。 そ れ で は 、 工 房 の 親 方 で あ っ た ヴ ェ ロ ッ キ オ が こ れ らの 「聖 母 子 と二 人 の 天 使 」 の 構 図 の 発 案 者 で あ り、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ は ヴ ェ ロ ッ キ オ に よ る 作 品 を 手 本 と し て ナ ポ リ作 品 を 描 い た の だ ろ う か 。 そ う結 論 づ け る に. (4). 一303一.

(5) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. は、 状 況 は少 々複 雑 で あ る。 両 者 の 関係 を考 え た場 合 、 どち らを実 質 的 な先 行 作 と み なす のか につ い て は、 慎 重 に な らざ る を得 ない の だ。 問 題 は 、 両 者 の 作 品 の 発 想 源 で あ る と考 え られ る 作 品 が 、 フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピ の ウ フ ィ ッ ィ 美 術 館 の 作 品(図15)で. あ る とい う こ とだ。 ボ ッ テ ィチ ェ リ と リ ッ ピ. の 関 係 は 深 く、 彼 は 弟 子 と して リ ッ ピ 工 房 に お よ そ5年. 間在 籍 して い た。 そ れ は. ち ょ う ど、 リ ッ ピ が ウ フ ィ ッ ィ 作 品 を 描 い た 時 期 に あ た る 。 ま た ボ ッ テ ィ チ ェ リ は 、 お そ ら く工 房 に 在 籍 中 か ら、 師 リ ッ ピ の 作 品 を 下 敷 き に 、 数 通 りの 「聖 母 子 と 二 人 の 天 使 」 を 制 作 す る な ど、 リ ッ ピ 作 品 を 熱 已・に 研 究 し て い た の で あ る16。 こ の よ う な 状 況 を 考 慮 す る な ら、 単 純 に 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ の ナ ポ リ 作 品 は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の ロ ン ド ン作 品 に 追 随 し て 描 か れ た と は 言 え な い だ ろ う 。 む し ろ 、 リ ッ ピ 作 品 を熟 知 して い た ボ ッテ ィチ ェ リに触 発 され て、 ヴ ェ ロ ッキ オが リ ッピ作 品 を熱 心 に 研 究 し た と い う 可 能 性 も十 分 に 考 え ら れ る 。 こ の 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 側 の 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ を 介 し た リ ッ ピへ の 関 心 とい う視 点 は 、 従 来 の 研 究 の 中 で は あ ま り強 調 さ れ て こ な か っ た 。 む し ろ 、 先 行 研 究 で は 、 様 式 観 察 に 基 づ き、 フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピが 直 接 の ヴ ェ ロ ッ キ オ の 絵 画 の 師 匠 で あ っ た 可 能 性 が 言 及 さ れ て き た17。 しか し 次 章 で 確 認 す る よ う に 、1460年. 代 末 頃 の ヴ ェ ロ ッ キ オ の 活 動 状 況 を 振 り返 る と、. 当 時 の 彼 は 重 要 な 仕 事 に 忙 殺 さ れ て い た こ とが 推 測 さ れ る 。 ま た 、 同 時 期 の リ ッ ピ も、 常 に フ ィ レ ン ッ ェ に い た わ け で は な い 。 こ の よ う な 状 況 を 考 慮 す れ ば 、 や は り、 ヴ ェ ロ ッ キ オ に よ る リ ッ ピ研 究 の 過 程 で は 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リの 役 割 を 見 過 ご す こ と は で き な い だ ろ う。 そ こ で 本 稿 で は 、 上 述 の 数 点 の 聖 母 子 像 の 比 較 分 析 を 通 じ て 、 リ ッ ピ と ヴ ェ ロ ッ キ オ を 結 ぶ 存 在 と し て の ボ ッ テ ィ チ ェ リの 役 割 を 明 らか に し て い くこ とを試 み る。 具 体 的 な作 品 に分 析 に入 る前 に、 次 章 で は、 それ ぞ れ の芸 術 家 が 、 これ らの聖 母 子 像 が 描 か れ た1460年. 代 に 、 ど の よ う な 活 動 を して い の か を確 認 し て お く こ と と. す る。. 一302一. (5).

(6) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 第2章1460年 第1節. 劔持. 代 の リッ ピ、 ヴ ェ ロ ッキ オ とそ の周 辺. 晩 年 の フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピ. 1460年. 代 は 、 フ ィ リ ッ ポ ・ リ ッ ピ(1406頃. ∼1469)の. 晩 年 に あ た る。 こ の 時. 期 、 リ ッ ピの制 作 活 動 の拠 点 は、 主 に フ ィ レ ンッ ェ の外 に あ っ た。 孤 児 と な っ て サ ン タ ・マ リ ア ・デ ル ・カ ル ミ ネ 聖 堂 に 引 き取 られ 、 カ ル メ ル 会 修 道 士 と な っ た リ ッ ピ は 、 修 道 士 画 家 と して 頭 角 を あ ら わ し た 。 フ ィ レ ン ツ ェ の カ ル ミ ネ 聖 堂 に 残 さ れ た リ ッ ピ に 関 す る 記 録 は1431年. に と ぎ れ 、 そ の 後 、1434年. に北. イ タ リ ア の 都 市 、 パ ドヴ ァ に滞 在 して い た こ と が 判 明 して い る。 彼 は お そ ら く 1437年. ま で に は フ ィ レ ン ッ ェ に 帰 郷 し た が18、 そ の 後 は 修 道 院 を 離 れ 、 別 の 場 所. に 住 居 と仕 事 場 を構 え た ら しい19。 現 在 の と こ ろ 、 リ ッ ピ工 房 が フ ィ レ ン ツ ェ の ど こ にあ っ た のか は伝 わ っ て い な いが 、 リ ッピが 常 設 の工 房 を持 って い た こ とは、 し ば しば記 録 され てい る助 手 や 共 同制 作 者 の 存 在 に よ っ て示 唆 され て い る。 1452年. 、 リ ッ ピ は 、 フ ィ レ ン ツ ェ 郊 外 に 位 置 す る プ ラ ー トの 、 サ ン ト ・ス テ. フ ァ ノ 聖 堂(現. 在 の プ ラ ー ト大 聖 堂)20主 要 礼 拝 堂 の 装 飾 を 委 嘱 さ れ た 。 リ ッ ピ は. 同 礼 拝 堂 に 「洗 礼 者 ヨ ハ ネ 伝 」 「聖 ス テ フ ァ ノ伝 」 の フ レ ス コ 画 を 描 い た の だ が 、 こ の プ ロ ジ ェ ク トは 、 順 調 に 進 ん だ わ け で は な か っ た 。 お そ ら く1453年. の夏 には. 実 際 に 壁 画 の 制 作 が 開 始 さ れ た もの の 、 そ の 進 行 は さ ま ざ ま な 要 因 に よ り遅 れ 、 と き に は 中 断 さ れ る こ と も あ り、 リ ッ ピ が プ ラ ー ト側21か の は 、 実 に1465年. の11月. ら最 終 の 支 払 い を 受 け た. で あ っ た22。. リ ッ ピ は 、 こ の 仕 事 の た め に 、 当 然 プ ラ ー ト に も制 作 拠 点 を 開 い た と 推 測 さ れ る 。 こ の 工 房 で は 、 複 数 の 弟 子 や 助 手 が 働 い て い た に 違 い な い 。 プ ラ ー トに お け る プ ロ ジ ェ ク トの 進 行 に つ い て 、 綿 密 に 検 討 し た ボ ア ス ー ク の 論 考23に 年4月. よ れ ば 、1454. に 、 リ ッ ピが ヤ コ ポ な る 者 を 使 っ て い た こ とが 記 録 さ れ て お り、 ま た 、 同 年. 5月 に は 、 フ ラ ・デ ィ ア マ ン テ が 彼 の 共 同 制 作 者 と し て 言 及 さ れ て い る24。 フ ラ ・ デ ィ ア マ ン テ は 、 リ ッ ピ の 親 し い 共 同 制 作 者 で あ り、 そ の 関 係 は リ ッ ピ の 死 ま で 続 い た。 ま た リ ッ ピ は 、1455年5月. 、 プ ラ ー トに 小 さ な 住 居 を購 入 し て い る25。 つ ま り. こ の 頃 、 彼 は 生 活 の 重 心 を フ ィ レ ン ツ ェ か ら プ ラ ー トに 移 す こ と に し た と考 え られ る 。 も っ と も、 プ ラ ー トに 住 居 を 購 入 した た め に フ ィ レ ン ッ ェ の 仕 事 場 を 閉 鎖 した. (6). 一301一.

(7) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. わ け で は な く、 画 家 は 、 必 要 に 応 じ て 両 都 市 を 行 き来 し て い た よ う だ 。 例 え ば 、 彼 は1457年. か ら1458年. に か け て プ ラ ー トを 離 れ 、 ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・デ ・メ デ ィ チ か ら. 依 頼 さ れ た 祭 壇 画 の 制 作 を フ ィ レ ン ッ ェ で 行 っ て い る26。 1465年. に プ ラ ー トで の 壁 画 制 作 が 完 了 し た 後 、 そ れ ほ ど 時 を お か ず 、 リ ッ ピ は. ウ ン ブ リ ア 地 方 の 都 市 、 ス ポ レ ー トの 大 聖 堂 管 理 委 員 会 か ら、 同 聖 堂 内 陣 の 壁 画 装 飾 を 委 嘱 さ れ た 。 彼 は1466年5月. か ら6月. に か け て 、 現 場 の視 察 の た め ス ポ レー. トに 滞 在 し て い る 。 そ の 後 、 実 際 の 壁 画 制 作 は1467年. の 春 か ら始 ま り、1469年10. 月 、 そ の 完 成 を 前 に 、 リ ッ ピ は ス ポ レ ー トで 没 し た 。 ス ポ レ ー ト大 聖 堂 礼 拝 堂 装 飾 が リ ッ ピ の 助 手 フ ラ ・デ ィ マ ン テ ら に よ っ て 完 成 し た の は 、 同 年 の12月. であっ. た27。 ス ポ レ ー トで の 壁 画 制 作 が 進 行 し て い る 問 も、 リ ッ ピ は フ ィ レ ン ツ ェ の 工 房 と プ ラ ー トの 住 居 を 維 持 して い た と思 わ れ る 。1466年11月(す. な わ ち ス ポ レ ー トで の. 制 作 が 始 ま る 以 前)、 ス ポ レ ー トの 大 聖 堂 管 理 委 員 会 は リ ッ ピ に 対 し て2回. 代 理人. を派 遣 して い るが 、 そ れ は フ ィ レ ン ツ ェ と プ ラ ー トに向 け て で あ っ た とい う。 ま た 、1467年. 以 降 も、 ス ポ レー トに滞 在 中 の リ ッ ピが 、 フ ィ レ ン ツ ェ の 工 房 に い る. 弟 子 に 向 け て 送 金 す る な ど し て い る28。 こ の よ う に 、1450-60年. 代 の リ ッ ピ の 活 動 を ふ り返 る と 、 フ ィ レ ン ッ ェ に 活 動 拠. 点 は 置 きつ つ も、 プ ラ ー トや ス ポ レ ー トで 制 作 を し て い る 期 間 が 相 対 的 に 長 い こ と が わ か る 。 と り わ け 、 大 聖 堂 の 壁 画 制 作 の た め に ス ポ レ ー トに 移 っ て か ら は 、 長 期 に わ た っ て ス ポ レ ー トを 留 守 に す る こ と は な か っ た29。. 第2節. 聖 母 子像 を描 い た 場所. さ て 、 す で に 述 べ た 通 り、 ウ フ ィ ツ ィ 美 術 館 の 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》(図15) お よ び ミ ュ ンヘ ン の 《聖 母 子 》(図16)が. 描 か れ た 年 代 は 、1460年. 代 半 ばか それ 以. 降 に 設 定 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 ち ょ う ど リ ッ ピ が ス ポ レ ー トで 本 格 的 に 制 作 を 始 め る 前 後 と い う こ と に な る だ ろ う 。 で は リ ッ ピ は 、 こ れ らの 聖 母 子 像 を ど こ で 描 い た の だ ろ うか 。 す で に 確 認 し た よ う に 、 そ の 時 期 、 リ ッ ピ は フ ィ レ ン ツ ェ の み な らず 、 プ ラ ー ト に も拠 点 を 持 っ て い た 。 ま た1467年. 春 か ら は ス ポ レ ー トで 壁 画 制 作 に 従 事 して い. 一300一. (7).

(8) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. た の で 、 三 つ の い ず れ の 都 市 に お い て も、 画 家 が こ れ ら の 聖 母 子 像 を 描 い た 可 能 性 が あ る こ と に な る 。 と は い え 、 最 晩 年 の ス ポ1/一. トで 描 か れ た と は 考 え に くい 。 ス. ポ レ ー トで は リ ッ ピ は 体 調 を 崩 しが ち で あ っ た こ と や30、 問 題 と な る 聖 母 子 像 が 、 い ず れ も フ ィ レ ン ッ ェ に 伝 え ら れ て い た こ と31を 考 慮 す る と、 や は り、 フ ィ レ ン ッ ェ か プ ラ ー トで 描 か れ た と考 え る の が 自 然 で あ ろ う 。 ま た 第1章. で 紹 介 し た よ う に 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リが 、 こ れ らの 聖 母 子 像 に き わ め て. 近 い 構 図 の 作 品 を 描 い て い る こ と も 、 リ ッ ピ が 両 作 品 を フ ィ レ ン ッ ェ(ま ラ ー ト)で. 描 い た こ と を 示 唆 し て い る 。 ボ ッ テ ィ チ ェ リ は1462年. たは プ. 、未 だサ ン ト ・. ス テ フ ァノ聖 堂 主 要 礼 拝 堂 の壁 画 制 作 が 完 成 してい ない 時 期 に リ ッピ工 房 に入 っ た が 、 そ の 後1467年. の 親 方 の ス ポ レ ー ト行 き に は 同 道 せ ず 、 フ ィ レ ン ッ ェ に 残 っ. た。 リ ッ ピ の ウ フ ィ ツ ィ 作 品 に き わ め て 近 い 、 捨 て 子 養 育 院 美 術 館 所 蔵 の 《聖 母 子 と 天 使 》(図13)は. 、 ボ ッテ ィ チ ェ リが 、 リ ッ ピ親 方 の 作 品 を 間近 で見 て い た こ と を. 想 像 さ せ る 。 ボ ッ テ ィ チ ェ リが ミ ュ ンヘ ン作 品 の 構 図 を 基 に し た 作 品 も描 い て い る (図14)こ. と か ら も、 リ ッ ピ は ス ポ レ ー トに 出 発 す る 以 前 に 、 フ ィ レ ン ッ ェ の 芸 術. 環 境 で こ れ ら2枚. 第3節. の 聖 母 子 像 を 描 い た と考 え られ る 。. ヴ ェ ロ ッ キ オ の1460年. 代. そ れ で は 続 い て 、 ア ン ド レ ア ・デ ル ・ヴ ェ ロ ッ キ オ の1460年 て い き た い32。 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 、 お そ ら く1435年. 代 の 動 静 を確 認 し. に フ ィ レ ンッ ェ に生 まれ た 。 本. 名 は ア ン ド レ ア ・チ オ ー 二 と い い 、 父 親 は レ ン ガ 職 人 で あ っ た 。 ヴ ェ ロ ッ キ オ と は 、 彼 が 後 か ら名 乗 る よ う に な っ た 姓 で あ る 。 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 当 初 、 金 細 工 師 の 親 方 に 弟 子 入 り した と推 測 さ れ る 。1457年 ヴ ェ ロ ッ キ オ 自 身 が 提 出 し た 財 産 申 告 書(catasto)に. に. は、 金 細 工 師 と して働 い て. い た が 、 仕 事 が な い の で や め た と報 告 さ れ て い る 。 そ れ は ち ょ う ど 、 リ ッ ピ が メ デ ィ チ 家 の 依 頼 で ナ ポ リ王 に 贈 る た め の 祭 壇 画 を 制 作 し て い た 時 期 に あ た る が 、 同 じ フ ィ レ ン ッ ェ で 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ は き わ め て 苦 しい 生 活 を 送 っ て い た よ う だ 。 1450年. 代 の ヴ ェ ロ ッ キ オ の 活 動 に つ い て は ほ と ん ど 知 ら れ て い な い 。 し か し、. 60年 代 に 入 る と 、 文 書 記 録 か ら彼 の 彫 刻 家 と して の 活 躍 を 追 う こ と が で き る よ う. (8). 一299一.

(9) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. に な る 。1461年. 第1号/2012.9. 、 彼 は オ ル ヴ ィ エ ー トの 大 聖 堂 管 理 委 員 会 か ら、 新 しい 礼 拝 堂 の. デ ザ イ ン 案 に 対 し て 支 払 い を 受 け た 。1467年1月. に は、 フ ィ レ ンッ ェの 商 業 裁 判. 所 か ら、 オ ル サ ン ミケ ー レ聖 堂 の 外 壁 の ニ ッチ に 設 置 す る た め の ブ ロ ンズ 像 《キ リ ス ト と 聖 トマ ス 》 の 注 文 を 受 け て い る33。 ま た 同 年 の10月19日 ッ ェ 大 聖 堂 管 理 委 員 会 か ら一 塊 の 大 理 石 を購 入 した こ と、10月29日. には、 フ ィレ ン に は大 聖 堂 の. 北 聖 具 室 の ドア を 鋳 造 す る た め に か か っ た 費 用 を 請 求 し た こ とが 記 録 さ れ て い る 。 続 く1468年6月. に は、 彼 は フ ィ レ ン ツ ェ政 府 か ら ブ ロ ンズ 製 の 蝋 燭 立 て を依 頼. さ れ て お り、 同 年9月 銅 製 の 球(palla)の. に は、 フ ィ レ ンッ ェ大 聖 堂 の ク ー ポ ラ頂 塔 の 上 部 に設 置 す る 制作 に 関 す る 委 員 会 に 名 を連 ね て い る 。 最 終 的 に、 こ の 銅 球. の 制 作 を受 注 した の は ヴ ェ ロ ッキ オ だ っ た。 こ れ ら の 記 録 か ら は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が1460年 以 外 の 仕 事 を 始 め て お り、60年. 代 の 初 頭 に は す で に金 細 工 の 制 作. 代 の 後 半 に は 十 分 な 技 量 を 持 っ た 彫 刻 家 と して 認. め ら れ て い た こ とが う か が え る 。 そ し て 、 ピ エ ロ ・デ ・メ デ ィ チ が 、1464年. に亡. く な っ た 父 コ ジ モ ・デ ・メ デ ィ チ の 新 しい 墓 の デ ザ イ ン を ヴ ェ ロ ッ キ オ に 依 頼 した こ と は 、 芸 術 家 に と っ て 大 き な 意 味 を 持 っ た で あ ろ う34。 言 う ま で も な く メ デ ィ チ 家 は 、 当 時 の フ ィ レ ン ッ ェ に お い て 、 政 治 家 と し て も文 芸 の パ トロ ン と して も最 大 の 権 力 を 持 っ て い た 。 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 、1469年. に ピエ ロ が 没 した 後 は、 そ の 跡 を. つ い で メ デ ィ チ 家 当 主 とな っ た ロ レ ン ッ ォ と良 好 な 関 係 を維 持 し て い くの で あ る35。1469年. 、 ロ レ ンッ ォ は、 父 で あ る ピエ ロ とそ の弟 ジ ョヴ ァ ンニ の 二 人 の た. め の 墓 碑 を ヴ ェ ロ ッ キ オ に注 文 した36。 サ ン ・ロ レ ン ッ ォ 聖 堂 メ デ ィ チ 家 墓 所 に 設 置 さ れ た こ の 記 念 碑 は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が 、 フ ィ レ ン ッ ェ の 彫 刻 家 と して 、 第 一 線 の 地 位 を確 立 した こ とを示 してい る。. 第4節. 画 家 と して の ヴ ェロ ッキ オ. 前 節 で み た よ う に 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 、60年. 代 の ほ ぼ10年. を か け て 、彫 刻 家 と し. て の 地 位 を 築 い て い っ た と考 え られ る 。 で は 、 彼 の 画 家 と して の 活 動 は い つ 頃 か ら 始 ま った の だ ろ うか 。 ヴ ァザ ー リに よれ ば、 彼 は ロ ー マ で 古 代 彫 刻 を見 た こ とが き っ か け と な っ て 、 「金 銀 細 工 の 仕 事 を 放 棄 し、 ブ ロ ン ズ で 幾 つ か の 小 さ な 像 を 鋳 造 し は じめ 」、 そ れ ら が 賞 賛 さ れ た た め 、 次 に 大 理 石 の 彫 刻 を 始 め た と い う37。 こ. 一298一. (9).

(10) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. の よ う に彫 刻 家 と して の 名 声 を確 立 して か ら、 絵 画 に 関 心 を向 け た とい う こ とで あ っ た。 しか し実 際 の と こ ろ 、 彼 が 金 細 工 師 を や め た 後 、 い か な る 経 歴 を 経 て ブ ロ ンズ 鋳 造 や 大 理 石 彫 刻 を よ くす る 彫 刻 家 と し て 注 文 を 受 け る ま で に な っ た の か に つ い て は、 よ くわか っ てい ない 。 絵 画 の修 業 につ い て も同様 で あ る。 た だ 、 当 時 の フ ィ レ ン ツ ェ に は 、 さ ま ざ ま な 職 人 の 工 房 が ひ しめ い て い た 。 さ ら に 当 時 は、 金 細 工 師 と画 家 は き わ め て 密 接 な 関 係 に あ っ た こ とが 知 られ て い る。 ボ ッテ ィ チ ェ リや ギ ル ラ ン ダ イ オ な ど、 画 家 と して名 を な した 芸 術 家 た ち の 中 に は 、 当 初 は 金 細 工 師 の 下 で 修 業 を し た とい う 例 が 少 な く な い 。 画 家 た ち が 絵 画 に 使 用 す る た め の 金 箔 の 調 達 も、 金 細 工 師 に 依 頼 す る 場 合 が あ っ た よ う だ38。 す な わ ち 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が 最 初 に 金 細 工 師 の 親 方 に 弟 子 入 り し た と し て も、 フ ィ レ ン ツ ェ と い う環 境 の 中 で 、 他 の 技 術 を 修 得 す る 機 会 は 十 分 に あ っ た と考 え られ る 。 す で に 述 べ た よ う に 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が 直 接 関 与 し た と考 え られ る 絵 画 作 品 は 現 在 5点 で あ る 。 こ の う ち 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 現 存 す る 絵 画 で は 最 初 期 の 作 品 と み な さ れ て い る の が ロ ン ドン の 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》(NG2508、 母 子 》(図5)だ39。. 図6)と. ベ ル リ ン の 《聖. ヴ ァザ ー リ は、 ヴ ェ ロ ッキ オ が 絵 画 に 関 を向 け た 動 機 を語 る. 際 、 「一 芸 に 秀 で る こ と で 満 足 せ ず 、 研 鐙 を 通 じて 他 の 芸 術 に も秀 で ん と す る 人 物 だ っ た の で 」 と、 そ の 向 上 心 を 強 調 し て い る が 、 果 た し て そ れ だ け だ っ た の だ ろ う か40。 ヴ ェ ロ ッ キ オ が 活 動 範 囲 を 広 げ た 背 景 に は 、 フ ィ レ ン ッ ェ と い う 職 人 や 芸 術 家 が し の ぎ を 削 る 環 境 の 中 で 、 自 ら の 工 房 を よ り安 定 的 に 維 持 して い く た め の 計 算 が あ っ た の か も しれ な い 。 当 時 の フ ィ レ ン ッ ェ は 、 芸 術 家 の 世 代 交 代 の 時 期 で あ っ た と も い え る 。 ブ ロ ン ズ 鋳 造 の 第 一 人 者 ギ ベ ル テ ィ は1455年 く し た ドナ テ ッ ロ は1466年. に、 大 理 石 彫 刻 を よ. に そ れ ぞ れ 没 し て お り、 メ デ ィ チ 家 に 寵 愛 さ れ た 画 家. フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピ は 、1467年. に ス ポ レ ー トに 向 け フ ィ レ ン ッ ェ を 発 っ て い た の. で あ る。 1460年. 代 末 に は 、 ヴ ェ ロ ッキ オが 絵 画 制 作 に 関 わ っ た こ と を示 す 最 初 の記 録 が. 登 場 す る 。1469年. 、 彼 は 商 業 裁 判 所 に 対 して 、 「信 仰 」 の 擬 人 像 の デ ッ サ ン を 提 出. した。 当時 、 フ ィ レ ンツ ェ の商 業 裁 判 所 の 六 人 委 員 会 は、 裁 判 所 を七 つ の美 徳 の 擬 人 像 で 飾 る こ と を 計 画 し、 ピエ ロ ・デ ル ・ポ ッ ラ イ ウ ォ ー ロ に す で に 「慈 愛 」 を 依. (10). 一297一.

(11) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 頼 し て い た 。 残 る6点. 第1号/2012.9. の擬 人 像 を制 作 す る画 家 を選 考 す る過 程 で 、 ヴ ェ ロ ッキ オ も. デ ッサ ンの 提 出 を 求 め られ た の で あ る41。 そ し て 、1470年. 代 の 初 め に は 、 若 き レ オ ナ ル ドが ヴ ェ ロ ッ キ オ 工 房 に 入 門 し て い. る 。 レ オ ナ ル ドが 絵 画 で 優 れ た 業 績 を 残 し た の は 周 知 の こ と だ が 、 だ とす れ ば 、 少 な く と も1470年. 代 以 降 の ヴ ェ ロ ッキ オ工 房 に は、 画 家 が 育 つ 環 境 一 す な わ ち、 親. 方 が 絵 画 を 受 注 で き る とい う 環 境 一 が 整 っ て い た と い え る の で は な い だ ろ う か 。 上 記 の こ と を あ わ せ て 考 慮 す る と 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 確 か に1460年. 代 の後 半 に. は 、 絵 画 制 作 に 取 り組 み は じめ た と言 え そ う で あ る 。. 第3章1460年. 代 の聖 母 子像 を め ぐ って. それ で は具 体 的 な作 品の 分 析 を通 じて、 ヴ ェ ロ ッキ オが リ ッピ作 品 を研 究 す る 中 で 、 い か に ボ ッ テ ィ チ ェ リ と密 接 な 関 係 を 保 っ て い た の か を 確 認 し て い き た い 。 第1節. リ ッ ピ とヴ ェロ ッキ オ の接 点. フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピ は 、 疑 い な く 当 時 の フ ィ レ ン ツ ェ で 第 一 級 の 画 家 で あ り、 リ ッ ピ の 描 く聖 母 子 像 は 高 い 人 気 を 誇 っ て い た 。 現 存 作 品 か ら は 、 リ ッ ピ が 比 較 的 小 型 の 聖 母 半 身 像 を 多 数 制 作 し て い た こ と が 推 測 で き る し 、1450年. 代 以 降 に は、. リ ッ ピ の 作 品 に 追 随 した 小 型 の 聖 母 子 像 が そ の 模 倣 者 た ち に よ っ て 大 量 に 制 作 さ れ 、 流 通 し て い た こ とが わ か っ て い る42。 と りわ け1460年. 代 に 制 作 さ れ た ウ フ ィ ッ ィ作 品 や ミ ュ ン ヘ ン 作 品 は 、 新 しい 試. み に あ ふ れ る 作 品 で あ っ た 。 聖 母 子 像 と風 景 描 写 の 大 胆 な 組 み 合 わ せ や 、 人 物 た ち の 問 に 流 れ る 親 密 な 雰 囲 気 が 次 世 代 の 芸 術 家 た ち を 刺 激 し、 こ の2点. の聖母 子像. は 、 彼 ら の 手 本 と な っ た と 考 え ら れ て い る43。 絵 画 制 作 を 本 格 的 に 始 め た ヴ ェ ロ ッ キ オ も、 リ ッ ピ作 品 の 人 気 の 高 さ に 加 え 、 こ の よ う な 造 形 面 で の 斬 新 さ に 惹 きつ け ら れ た の で あ ろ う。 ヴ ェ ロ ッキ オが リ ッピ作 品 を参 照 した経 緯 につ い て は、 さ ま ざ ま な可 能 性 が 考 え ら れ る 。 一 般 的 に 、 ミ ュ ン ヘ ン の 《聖 母 子 》(図16)の. よ う な小 型 の 聖 母 子 像 は、. い ず れ か の 個 人 の た め の 私 的 な 礼 拝 像 と し て 制 作 さ れ た もの で あ り、 家 族 や 親 しい 知 人 以 外 の 者 が 容 易 に 実 物 を 目 に す る こ とが で き た と は 考 え に くい 。 しか し、 仮 に な ん らか の 理 由 で ヴ ェ ロ ッ キ オ が リ ッ ピ 工 房 を 訪 ね る 機 会 が あ っ た とす れ ば 、 例 え. 一296一. (11).

(12) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. ば ミ ュ ンヘ ンの 《聖 母 子 》 の 制 作 中 の 段 階 か 、 あ る い は 同 様 の 構 図 を 持 つ 他 の 絵 を 実 際 に見 て い た可 能 性 はあ る。 残 さ れ た資 料 の 中 に は、 リ ッピ とヴ ェ ロ ッキ オの 問 に 個 人 的 な 関 係 を 示 す もの を 見 出 す こ と は で き な い が 、 フ ィ レ ン ッ ェ の 芸 術 家 が お 互 い の 仕 事 を 意 識 しあ っ て い た こ と は 、 し ば し ば 指 摘 さ れ る 点 で あ る 。 そ の 一 方 で 、 彼 が 絵 画 制 作 に 取 り組 み 始 め た の が1460年. 代 後 半 で あ る とす る. と、 リ ッ ピ が ヴ ェ ロ ッ キ オ の 師 で あ っ た と い う 説44は 、 あ ま り説 得 力 を 持 た な く な る 。 こ の 時 期 の 二 人 は 、 お 互 い に き わ め て 多 忙 で あ っ た 。 リ ッ ピ は1465年 は プ ラ ー トで の 仕 事 を 抱 え て お り、1467年 ロ ッ キ オ が 、 と り わ け60年. まで. に は フ ィ レ ンッ ェ を後 に した。 ま た ヴ ェ. 代 半 ば以 降 に 、 メ デ ィチ 家 か らの 重 要 な注 文 が相 次 ぐ. な ど し た の は す で に 見 た とお りで あ る 。 ヴ ェ ロ ッ キ オ が リ ッ ピ作 品 を 直 接 見 て い た 可 能 性 は 残 さ れ る も の の 、 こ こ で は 、 彼 と リ ッ ピ作 品 を 結 び つ け た よ り明 らか な 媒 介 と し て 、1460年. 代 末 頃 に、 ヴ ェ ロ ッ. キ オ工 房 に助 手 と して 関 わ っ た ボ ッテ ィチ ェ リの存 在 に注 目 してい きたい 。. 第2節. ボ ッテ ィチ ェ リの役 割. リ ッ ピ の ミ ュ ンヘ ン作 品(図16)と ら た め て 比 較 し て み よ う 。 第1章. 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の ベ ル リ ン作 品(図5)を. あ. で 述 べ た よ うに、 二 つ の作 品 の 構 図の 共 通 【 生は明. らか だ 。 しか し そ の 反 面 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が リ ッ ピ 作 品 を 単 純 に 模 倣 し た の で な い こ と も、 ま た 明 ら か で あ る 。 す で に 指 摘 し た よ う に 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 作 品 で は 、 人 物 に よ り深 い 陰 影 が ほ ど こ さ れ て い る 。 加 え て 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 《聖 母 子 》(図5)で. 目 を ひ くの は 、 リ ッ ピ 作. 品 と比 較 す る と、 イ エ ス の 体 の 向 きが 、 観 賞 者 に む か っ て(す し て)斜. な わ ち絵 の表 面 に対. め に設 定 され てい る点 で あ る。 この 変 化 に よ っ て、 母 に むか っ て手 を伸 ば. す 幼 子 の 動 き が 、 よ り 自 然 に 、 生 き生 き と表 現 さ れ て い る の で あ る 。 ま た 同 時 に ヴ ェ ロ ッ キ オ は 、 ゆ っ た り と 幼 子 を 抱 く よ う に マ リ ア の 手 の 位 置 を 変 更 し て お り、 ま っ す ぐ に 我 が 子 を 見 つ め る 彼 女 の 目線 も手 伝 っ て 、 親 子 の 一 体 感 が 強 く演 出 さ れ て い る 。 全 体 的 に 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 作 品 で は 、 リ ッ ピ 作 品 に く らべ る と人 物 像 が よ り奥 行 き を も っ て 表 現 さ れ て お り、 彫 刻 家 と し て の ヴ ェ ロ ッ キ オ の 特 徴 が よ く 出 て い る と言 え る 。 さ ら に イ エ ス の 腹 部 を 覆 う軽 や か な 縞 模 様 の サ ッ シ ュ や 、 マ リ ア の. (12). 一295一.

(13) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. 襟 元 を 飾 る 繊 細 な 刺 繍 、 袖 部 分 の 布 地 の 模 様 とい っ た 細 部 に は 、 い か に も金 細 工 師 出 身 の ヴ ェ ロ ッ キ オ ら しい 正 確 な 表 現 が み られ る 。 リ ッ ピ 作 品 に は 、 衣 装 の 模 様 や 刺 繍 の 表 現 に 関 して、 これ ほ どの精 密 さ は期 待 で きない 。 この よ うに ヴ ェ ロ ッキ オ は 、 リ ッ ピ 作 品 を 参 照 しそ の 構 図 や 母 と 息 子 を 包 む 親 密 な 雰 囲 気 を 踏 襲 し な が ら も、 独 自 の 造 形 表 現 を 追 求 し て い る の で あ る 。1460年. 代 後 半 は、 ヴ ェ ロ ッキ オ が. 積 極 的 に 絵 画 制 作 に 関 与 し始 め た 時 期 で あ っ た 。 ベ ル リ ン作 品 か ら は 、 名 声 を 確 立 し た 画 家 の 作 品 を 消 化 し て 自 ら の 作 品 とす る 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 貧 欲 な 姿 勢 を う か が う こ とが で き る 。 そ の 一 方 で2枚. の 絵 に は 、 き わ め て 特 徴 的 な 細 部 の 共 通 点 もみ とめ られ る 。 そ れ. は 、 頭 の そ れ ほ ど 高 く な い 位 置 で 、 小 さ く 渦 巻 き状 に ま と め ら れ た 髪 の 毛 で あ る 。 リ ッ ピ作 品 で は 耳 の 後 ろ 側 に 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 作 品 で は も う少 し高 い 位 置 に 描 か れ て い る(図9、10)。. 本 論 に と っ て興 味 深 い の は 、 こ の 印象 的 な髪 型 を持 つ マ リ. ア が 、 ア ヴ ィ ニ ョ ン、 プ テ ィ ・パ レ 美 術 館 所 蔵 の ボ ッ テ ィ チ ェ リ に よ る 《聖 母 子 》 (図8)に. も登 場 し て い る こ と だ45。 こ こ で は 、 イ エ ス に 授 乳 す る マ リ ア の 髪 の 毛. は 結 い あ げ られ 、 レ ー ス で 飾 ら れ て い る が 、 そ の ち ょ う ど こ め か み の 上 部 に 、 渦 状 に ま か れ た 髪 の 一 房 を 見 つ け る こ とが で き る 。 こ の ア ヴ ィ ニ ョ ンの 《聖 母 子 》 は 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リが リ ッ ピの 聖 母 子 像 か ら 出 発 し、 試 行 錯 誤 を く り返 す 中 で 生 ま れ た ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン の 一 つ と み な さ れ て い る 。 基 本 的 な 構 図 は リ ッ ピ の ミ ュ ン ヘ ン 作 品(図16)か. ら 派 生 し た も の と考 え ら. れ る が 、 幼 い イ エ ス の 姿 態 や 量 感 の 増 し た 肉 付 きの 表 現 に お い て は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ との 親 縁 性 が み と め られ る。 ま た 、 背 景 に 導 入 さ れ た ア ー チ を もつ 建 築 物 は、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ独 自 の 工 夫 で あ る 。 こ の よ う に 、 全 体 と し て は む し ろ 師 リ ッ ピ の プ ロ トタ イ プ か ら隔 た っ た 印 象 の 方 が 強 い 作 品 だ が 、 そ の 中 で 直 接 的 に リ ッ ピ の ミ ュ ンヘ ン作 品 に 共 通 す る モ テ ィ ー フ が 、 先 述 の マ リ ア の 髪 型 で あ る。 さ ら に 、 そ の 頭 部 を 覆 う レ ー ス の 付 け 方 は、 ミ ュ ンヘ ン作 品 で は な く、 ウ フ ィ ツ ィ の 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》(図15)の. もの に. 酷 似 して い る 。 ア ヴ ィ ニ ョ ン 作 品 に み ら れ る 、 た っ ぷ り と し た 襲 の 寄 せ 方 は 、 ウ フ ィ ッ ィ 作 品 の マ リ ア の 頭 部 を 飾 る 繊 細 な レ ー ス と 同 様 の もの だ 。 両 作 品 を 比 較 す れ ば 、 レ ー ス が 作 り 出 す 華 や か な か た ち が よ く似 て い る こ と を 確 認 で き る だ ろ. 一294一. (13).

(14) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. う。 す な わ ち 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ は ア ヴ ィ ニ ョ ン作 品 で 、 リ ッ ピ に 由 来 す る レパ ー ト リ ー を 組 み 合 わ せ 、 よ り魅 力 的 な 髪 型 を 作 り だ そ う と し て い る の だ 。 髪 の か た ち や レ ー ス 等 の 細 部 モ テ ィ ー フの 共 通 性 は 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ が 、 師 リ ッ ピの工 房 に い た と きに、 そ こで 制 作 され た絵 画 を手 本 に、 さ ま ざ ま な構 図や モ テ ィ ー フ を素 描 等 のか た ちで 描 きた め てい た こ とを想 像 させ る。 彼 は、 リ ッピ工 房 を 出 た 後 も そ の よ う に し て 描 き た め た 素 材 を 活 用 しつ つ 、 独 自 の 聖 母 子 像 を 模 索 し て い っ た の だ ろ う。 こ の こ と と 、 リ ッ ピ 工 房 を 出 た 直 後 の ボ ッ テ ィ チ ェ リ が ヴ ェ ロ ッ キ オ 工 房 に 関 わ っ て い た こ と を あ わ せ て 考 慮 す る な ら、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の ベ ル リ ン作 品(図5)に. もみ ら れ た 共 通 の 髪 型 は 、 ボ ッ テ ィチ ェ リ と ヴ ェ ロ ッ キ オ の 密 接. な 交 流 を 示 唆 し て い る とい え る の で は な い だ ろ う か 。 ボ ッテ ィチ ェ リ とヴ ェ ロ ッキ オの 関係 性 につ い て は、 従 来 、 ヴ ェ ロ ッキ オ の持 つ 彫 塑 性 が ボ ッ テ ィ チ ェ リ に 影 響 を お よ ぼ し 、1470年. 以 降 の 彼 の様 式 を形 成 す るの. に 貢 献 し た と い う側 面 が 重 点 的 に 語 ら れ て き た46。 し か し、1460年. 代 末 に、 ヴェ. ロ ッ キ オ が リ ッ ピ 作 品 か ら派 生 し た 聖 母 子 像 を 集 中 し て 制 作 し て い る こ と に 留 意 す る と、 ヴ ェ ロ ッ キ オ と ボ ッ テ ィ チ ェ リの 関 係 性 を 異 な っ た 視 点 か ら捉 え る こ とが で き る 。 す で に リ ッ ピ 工 房 で の 修 業 を 終 え 、 リ ッ ピ の 様 式 を 熟 知 した ボ ッ テ ィ チ ェ リ の 存 在 は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ に と っ て 大 い に 刺 激 的 だ っ た の で は な い か 。 彼 を 自 らの 工 房 に 迎 え 入 れ た こ とが 契 機 と な っ て リ ッ ピ作 品 へ の 関 心 が 高 ま り、 ま た 彼 を 媒 介 と し て 、 リ ッ ピ 作 品 に 対 す る 習 熟 度 が 増 して い っ た こ と は 、 十 分 に 考 え られ る 。 第3節. で は 、 ベ ル リ ン作 品 よ り早 い 時 期 に 位 置 付 け ら れ た ロ ン ド ン 、 ナ シ ョ ナ. ル ・ギ ャ ラ リ ー の 《聖 母 子 と二 人 の 天 使 》(NG2508、. 図6)を. と りあ げ 、作 品 分 析. を 通 じ て 両 者 の 関 係 が 複 雑 に 絡 み 合 っ て い る こ と を 指 摘 し、 こ の 観 点 を 補 足 し て い きたい 。. 第3節. ボ ッテ ィチ ェ リ とヴ ェロ ッキ オ. ヴ ェ ロ ッ キ オ の ロ ン ド ン作 品(NG2508)と. ほ ぼ 同 様 の 構 図 を持 つ ボ ッ テ ィ チ ェ. リ に よ る 作 品 が 、 ナ ポ リ、 カ ポ デ ィ モ ン テ 美 術 館 に 所 蔵 さ れ て い る こ と は す で に 紹 介 し た(図6、7)。. こ れ ら の 作 品 に み ら れ る 、 天 使 が イ エ ス を 抱 き上 げ る と い う モ. テ ィ ー フ は 、 リ ッ ピ に よ る ウ フ ィ ッ ィ美 術 館 の 《聖 母 子 と二 人 の 天 使 》(図15)に. (14). 一293一.

(15) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. 由 来 し て い る と考 え ら れ る 。 2点 の 作 品 は 、 ウ フ ィ ッ ィ作 品 と は 異 な る構 図 と な っ て い る が 、 例 え ば ロ ン ド ン 作 品(NG2508)の. 、 や や 唐 突 に イ エ ス の 横 か ら顔 を 出 す 天 使 は 、 ウ フ ィ ッ ィ 作 品. で ほ と ん ど隠 され な が ら も懸 命 に イ エ ス を 支 え る 天 使 に通 じる表 現 で あ る 。 さ ら に 、 彼 が 強 い ま な ざ しで こ ち ら を 見 つ め て い る の も、 ウ フ ィ ツ ィ 作 品 で 我 々 に 微 笑 み か け る 天 使 に な ら っ た も の で あ ろ う。 つ ま り こ れ らの 絵 も、 前 節 で 検 討 し た 作 品 と同様 に、 間違 い な く リ ッピ に よ る聖 母 子 像 を 出発 点 と して派 生 した もの な ので あ る47。 こ の 、 同 じ手 本 を 持 つ ロ ン ド ン作 品(NG2508)と. ナ ポ リ作 品 を 比 較 す る と、. ヴ ェ ロ ッ キ オ と ボ ッ テ ィ チ ェ リ の 複 雑 な 関 係 性 が 浮 か び あ が っ て く る(図6、7)。 ま ず 、 堅 固 な 人 物 表 現 に お い て は 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リが ヴ ェ ロ ッ キ オ の 影 響 を 強 く 受 け て い る こ と は 明 らか だ が 、 背 景 に 挿 入 さ れ た 壁 に 関 し て は む し ろ 、 聖 母 子 と建 築 的 背 景 の 組 み 合 わ せ に つ い て 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リが そ れ ま で 重 ね て き た 試 行 錯 誤 の 延 長 線 上 で 理 解 す る こ と が で き る48。 こ の 少 々 唐 突 な 印 象 を与 え る壁 に 関 し て は む し ろ 、 空 間 を 聖 別 し、 マ リ ア の 純 潔 の 象 徴 で あ る 「閉 ざ さ れ た 庭 」 を 示 す も の だ が 、SysonとDunkertonは 17)を. 、 そ の 有 力 な 原 型 と し て 、 ま た して も リ ッ ピ の 作 例(図. あ げ て い る49。. ま た 例 え ば ナ ポ リ作 品 に お い て 、 難 しい 角 度 か ら描 か れ た 画 面 中 央 の 天 使 の 彫 刻 的 な 造 形 性 に は 、 確 か に ヴ ェ ロ ッ キ オ か ら の 影 響 が 認 め られ る もの の 、 天 使 に マ リ ア を 見 上 げ さ せ た 点 は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の ロ ン ドン 作 品 と は 異 な る ボ ッ テ ィ チ ェ リ 独 自 の 工 夫 だ とい え る 。 実 際 、 視 線 を マ リ ア に 集 中 さ せ た こ とで 、 ナ ポ リ作 品 に お け る 人 物 た ち の 一 体 感 は 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 作 品 よ り も一 層 高 め られ て い る の で あ る 。 以 上 の 観 察 か ら も わ か る よ う に 、 両 作 品 の 制 作 過 程 で は 、 リ ッ ピの 残 し た 強 力 な 手 本 を 前 に し て 、 二 人 の 芸 術 家 に よ る さ ま ざ ま な 造 形 的 対 話 が な さ れ た こ とが 想 定 さ れ る 。 そ の 対 話 は 、 様 式 の 問 題 だ け に と ど ま らず 、 構 図 、 人 物 の 姿 態 、 動 き、 舞 台 設 定 等 の 多 岐 に わ た っ て お り、 ま た 、 お そ ら くそ こ に は 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リが 蓄 積 し て い た さ ま ざ ま な 素 描 が 介 在 し て い た だ ろ う こ と も想 像 さ れ る 。 リ ッ ピ 作 品 の 構 図 や モ テ ィ ー フ を 描 き とめ た 素 描 等 が 介 在 し た 可 能 性 は 、 前 節 で 注 目 し た 特 徴 的 な 髪 型 が ロ ン ド ン 作 品(NG2508)に 高 ま る と言 え る だ ろ う。Sysonら. も見 ら れ る こ と に よ っ て よ り. の報 告 に よれ ば 、赤 外 線 調査 に よ って 、 同作 品 の. 一292一. (15).

(16) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 劔持. マ リ ア の 頭 頂 部 を お お う 青 い 布 地 の 下 に 、 渦 巻 き状 に 編 ま れ た 髪 が 見 つ か っ た とい う50。 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 、 当 初 は あ の 小 さ く巻 か れ た 髪 の 毛 を 描 き な が ら も、 制 作 の 過 程 で 変 更 を加 え たの で あ る。 最 後 に 、 ロ ン ド ン作 品(NG2508)の. 、 他 の ボ ッ テ ィ チ ェ リ作 品 と の さ ら な る 共. 通 性 を 指 摘 し て お き た い 。 ロ ン ド ン作 品 に は 、 授 乳 を し よ う とす る マ リ ア と幼 子 ら し く彼 女 の 左 小 指 を い じ る イ エ ス が 描 か れ て い る 。 こ の 授 乳 の 聖 母 の 姿 は 、 先 述 の ボ ッ テ ィ チ ェ リ の ア ヴ ィ ニ ョ ン作 品(図8)の. マ リ ア に 非 常 に よ く似 て い る 。 と り. わ け 、 乳 房 を押 さ え る マ リ ア の 手 の 形 態 に 注 目 す る な ら、 左 右 反 転 し て い る も の の 、 両 者 は き わ め て 近 い と言 っ て よ く、 ま た 細 く骨 ば っ た 、 緊 張 感 の あ る 指 の 描 写 も共 通 して い る(図11、12)。. 細 く筋 張 っ た 手 は 、 ブ ロ ン ズ の 《ダ ヴ ィ デ 》(図1). な ど に も 見 ら れ る 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ 作 品 の 特 徴 で も あ る51。 従 っ て 、 赤 外 線 照 射 に よ っ て 発 見 さ れ た 隠 れ た 巻 き 髪 の 存 在 と と も に 、 ロ ン ド ン 作 品(NG2508)は. 、ナ. ポ リ作 品 の み な らず 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リの ア ヴ ィ ニ ョ ン作 品 と も、 強 い 関 連 性 を 示 し て い る と言 え る の で あ る 。. お わ りに そ の 動 機 は ど う あ れ 、 ヴ ァ ザ ー リ が 伝 え る よ う に、 彫 刻 家 と して 身 を 立 て た ヴ ェ ロ ッ キ オ が 、 遅 れ て 絵 画 を 手 掛 け た とい う こ と は 間 違 い な さ そ う で あ る 。 そ の 際 、 参 照 す べ き 手 本 の 一 つ と し て 彼 が 関 心 を 寄 せ た の が 、 フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピ だ っ た。 本 稿 で は 、1460年. 代 に制 作 さ れ た リ ッ ピ、 ヴ ェ ロ ッキ オ 、 ボ ッテ ィチ ェ リの 聖. 母 子 像 を め ぐ り、 従 来 指 摘 さ れ て き た リ ッ ピ か ら ヴ ェ ロ ッ キ オ へ の 「影 響 」 が 、 具 体 的 に どの よ う な 経 緯 で 及 ん だ の か に つ い て 考 察 し て き た 。 も う 一 度 ま とめ る な ら ば 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ と リ ッ ピ に 密 接 な 交 流 が あ っ た こ と は 想 定 し に く い 一 方 、1460 年 代 末 の ヴ ェ ロ ッ キ オ 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ 両 者 の 作 品 に は 、 構 図 が 似 て い る とい う こ と以 上 の 、 複 雑 な 造 形 上 の 交 流 を うか が う こ とが で き た 。 こ れ らの こ と を 考 慮 す る と、 ヴ ェ ロ ッ キ オ は 、 リ ッ ピ様 式 を 受 け 継 い で い た ボ ッ テ ィ チ ェ リ と の 交 流 の 中 で 、 リ ッ ピ作 品 を よ り着 実 に 消 化 し て い っ た と考 え られ る の で あ る 。 どの よ う に し て 絵 画 制 作 を 習 得 し た の か 等 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 画 家 と し て の 活 動 に. (16). 一291一.

(17) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. つ い て は 依 然 、 未 解 決 な 点 が 多 い 。 しか し本 稿 の 取 り組 み に よ っ て 、 少 な く と もそ の 一 端 を 示 す こ と は で き た の で は な い だ ろ う か 。 リ ッ ピが 次 世 代 の 画 家 に 及 ぼ した 具 体 的 な 影 響 や そ の 広 が り を 明 ら か に す る た め に も、 本 稿 の 取 り組 み は 有 効 で あ っ た と思 わ れ る 。. ■ =■ 口. 主 ヴ ェ ロ ッ キ オ の 作 品 に つ い て は 、 以 下 を 参 照 。D.A.Covi:Andreadel距7706c乃. ゴo'五 舵. α〃4W∂7た,Firenze2005.. 2. A.P,Rizzo:"llTirocinodell'Artista",inM.Gregolietal.ed.:exh.cat1吻63〃. ゴ6召o'㎏. 加.. ∫)ガ'孟z侃z4ガ1ヴz6πz6θ1Zαノ勿6461Qz4磁'07066π'o,Firenze(PalazzoStrozzi)1992,pp.53-59.; ヴ ェ ロ ッキ オ工 房 に匹 敵 す る 万 能性 を誇 っ て い た の は 、 ポ ッラ イ ウ ォ ー ロ兄 弟 の 工 房 で あ っ た 。P.L.RubinandA.Wright:Rθ. 痂. ∬ 侃66π07θ7ηc6.7'加.47'げ. ヱ470∫,London. l999,pp.87-97.. 3 RubinandWright,ψ.6鉱,pp.97-94.. 4 .乙6巧'646ρ. ゴZ6666616/Z'ガ ρゴ"07ガ,30Z〃'07ガ6α. α76励060π p.363.邦. 鰍o麗. α朋o彪zガo忽660挽. κ 乃露6"07ガSσ. 規6漉. 訳 は以 下 か ら引 用 した。 ヴ ァザ ー リ. 漉0α6彪. 監 訳 、 白 水 社1989年. 、232頁. ゼ"646ZOゴ0堰. πo泌1σ. ガ0厩ZSα7ガ ρゴ"076. 〃6∫∫,tomo3,Firenzel902,. 『ル ネ サ ン ス 彫 刻 家 建 築 家 列 伝 』 森 田 義 之. 。. 5. Ibid.,p364.邦. 訳 に つ い て は 、 同 掲 書 、232頁. 。. £U. Covi,ρ1).o鉱,p.174.. 74. J.DunkertonandL.Syson:`lnSearchofVerrocchiothePainter:TheCleaningand Examinationof"TheVirginandChildwithTwoAngel"',1V認o照1Gσ. 〃6ηT66肋. B〃16'勿Vol.31(2010),pp.4-41.. ガ6α1. http://www.nationalgallery.org.uk/upload/pdf/Dunkerton. 8. P.Adorno:刀. レセ77000雇o,Firenzel991,P.90;Covi,ρ. _Syson_2010b.pdf ρ.6鉱,P.188.;L.SysonandJ.. Dunkerton:"AndreadelVerrocchio'sFirstSurvivingPanelPaintingandOtherEarly Works",7'加. 9. β%ア 伽g競1吻g磁. κ6153,2011,pp.368-378.. J.Ruda:FraFilippoLippi,Lndonl993,pp.468-469.. 一290一. (17).

(18) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 10. ウ フ ィ ッ ィ美 術 館 の. 劔持. 《聖 母 子 と 二 人 の 天 使 》 の 主 題 に つ い て は 、Ruda,ρ. ρ.c鉱pp245-251.;. M.A.Lavin,"ThejoyoftheBridegroom'sFriend:SmilingFacesinFraFilippo,Raphael,  . andLeonardo,inM.BaraschandL.FreemanSandlered.:.4γ'伽.4ρ6(ゾ ガ π1ZOη07(る ヂ11匠. 砒s. ノ々ノzso/z,1981,PP.193-210.. 11. Covi,01).6尭,p.174.. 12. SysonandDunkertorL砂.6ガ4note9).SysonとDunkertonは の 実 験 は1460年. 八観 躍6.S伽. 、 「彼 の 画 家 と し て の 最 初. 代 半 ば か ら 終 わ り に か け て 」 で あ っ た と し 、NG2508を. そ の 最 初 期 の 作. 例 に位 置 づ け て い る。 彼 らの様 式分 析 は緻 密 で あ り、調 査 に よ っ て判 明 した技 量 の 高 さ につ い て の説 明 に も説 得 力 が あ る。 筆 者 は これ らの 作 品 を実 見 す る機 会 を得 て お らず 、 判 断 す る 能 力 を 持 た な い が 、 と り わ けNG2508の 使 の 頭 部(い. 幼 児 の 頭 部 お よ びNG296の. ず れ も 下 か ら 見 上 げ た 角 度 で 描 か れ て い る)に. 左 側 の 天. 、 ヴ ェ ロ ッキ オ に特 徴 的 な. 要 素 が あ る と い う 印 象 を 持 っ て い る 。 本 論 で は 、 こ の 見 解 を 支 持 す る こ と と した い 。. 13. R.Lightbown:Bo漉c6〃. 広 五旋. exh.cat召o漉661砿. 一F70規. α〃4防7た,Londonl989,pp.38-41.;D.Comerlati,ed.:. 五 〇76履o'加1吻gπ. 晒c6痂'oSωoη. αノo砿. 一Pα7∫s(Mus6edu. Ruxembourg)2003-2004,p.90.. 14. RubinsteinandWrigh七. 15. Bo'〃66〃. 16. Lightbown,砂.cガ. 17. む しろ 、 先 行 研 究 で は、 様 式 観 察 に基 づ き、 フ ィ リ ッ ポ ・リ ッ ピが 直 接 の ヴ ェ ロ ッ キ. 砂.6ガちp.104;DunkertonandSyson,oρ.6鉱(note8),p.6.. 宏01).6肱(notel3),P.90. ちpp.24-25.. オ の 絵 画 の 師 匠 で あ っ た 可 能 性 が 言 及 さ れ て き た 。RubinsteinandWrighしo汐.6鉱,p.95.. 18. Ruda,01》.cゴ',pp.23-26,513-516.. 19. リ ッ ピ が ピ エ ロ ・デ. ・ メ デ ィ チ に 宛 て た1439年. の手 紙 に は 、 画 家 の 困窮 ぶ り と、援 助. の 必 要 性 が つ づ ら れ て い る。 自 らへ の 報 酬 を 当 て 込 ん で い る こ とか ら、 この 時 期 、 リ ッ ピは す で に修 道 院 を離 れ て い た とみ な され て い る。 リ ッ ピが 修 道 院 に在 籍 しつ つ こ の 手 紙 を 書 い た と す る な ら 、 報 酬 は 彼 個 人 の 手 元 に は わ た ら な い か ら だ 。C.Lachi,"ll ProblemadellaBottegadiFilippoLippi.NuoveScoperte,inM.P.Manniniacuradi: 加. 翫. p.33.リ. 伽 磁'4ガF鋤. 妙 〇五ガ ∫似R6∫`α%70,S㎎g惚. リ ヲ. 丑 ゴ66π 加,MuseoCivicodiPratol995,. ッ ピ が ピ エ ロ に 宛 て た 手 紙 に つ い て は 、Rudaop.cit,p.27,520.. ま た リ ッ ピ は 、 修 道 院 の 外 に 出 た 後 も修 道 士 と し て の 身 分 を 維 持 し て お り、 カ ル メ ル. (18). 一289一.

(19) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 第1号/2012.9. 会 と の 関 係 も 良 好 だ っ た と 考 え ら れ る 。M.Holmes,F7α. 乃 妙 ρ〇 五 ガ ρ毎. 丁加Cα7〃z61飽. Pα ゴ 〃陀7,London1999,pp.14-15.. 20. サ ン ト ・ス テ フ ァ ノ 聖 堂 は 、1653年. に 司 教 座 聖 堂(大. 聖 堂)に. な っ た 。 プ ラ ー トの 歴. 史 、 お よ び サ ン ト ・ス テ フ ァ ノ 聖 堂 の 美 術 に つ い て は 、 以 下 を 参 照 。 金 原 由 紀 子 ラー. 21. トの 美 術 と 聖 帯 崇 拝 』、 中 央 公 論 美 術 出 版 、2005年. プ ラ ー ト は 、12世. 『プ. 。. 紀 後 半 に 自 治 都 市 と し て 独 立 し た が 、1351年. か ら は フ ィ レ ン ッ ェの. 統 治 下 に 入 っ て い た 。 サ ン ト ・ス テ フ ァ ノ 聖 堂 主 要 礼 拝 堂 装 飾 を 注 文 し た の は 、 名 目 上 継 続 して い た プ ラー 前 掲 書 、35頁. トの 行 政 機 関 に よ っ て 承 認 さ れ た 公 的 な 委 員 会 で あ っ た 。 金 原 、. 。. 22. Rud乱01).c鉱,p.457.. 23. E.Borsook,"FraFilippoLippiandTheMuralsforPratoCathedral",1吻. 忽1襯g6π46s. κz6〃s"露 ∫'07ガ∫c乃θπ1%∫'髭z4広6∫ゴ πFlo76〃z,19,1975,pp.1-148.. 24. ibid.,p.45.. 25. ibid.,p.48.. 26. ibid.,p.51;ジ. ョヴ ァ ンニ. ・デ ・ メ デ ィ チ か ら 依 頼 さ れ た 祭 壇 画 に つ い て は 、Ruda(ψ.6鉱,. pp442-444.. 27. Ruda,01).c鉱,pp474-475.. 28. ibid.. 29. ibid.. 30. ibid.. 31. ウ フ ィ ッ ィ 作 品 は 、1796年. に フ ィ レ ン ツ ェ 近 郊 の ポ ッ ジ ョ ・イ ン ペ リ ア ー レ の 旧 メ デ ィ. チ 家 別 荘 か ら ウ フ ィ ツ ィ 美 術 館 に 移 さ れ た 。 ミ ュ ン ヘ ン 作 品 は 、1808年. にバ イ エ ル ン. 公 の コ レ ク シ ョ ン に 入 る 前 は 、 あ る フ ィ レ ン ッ ェ の 神 父 の 所 有 で あ っ た こ とが わ か っ て い る 。Ruda,oヵ.擁. なp468469.. 32. ヴ ェ ロ ッ キ オ の 生 涯 や 経 歴 に つ い て は 以 下 を 参 照 。Covi,oρ.c鉱,pp.5-16.. 33. こ の 群 像 が 実 際 に オ ル サ ン ミ ケ ー レ 聖 堂 に 設 置 さ れ た の は1483年. で あ っ た 。Covi,. o∫).6鉱,pp.63,71.. 34. Adorno,ρ 22日. ρ.6鉱,p.24;コ. ジ モ の 墓 は 、1465年3月20日. ま で に 完 成 し た 。Covi,ρ. 以 後 に 注 文 さ れ 、1467年10月. ρ.6鉱,p.38.. 一288一. (19).

(20) フ ィリッポ ・リッピとア ン ドレア ・デル ・ヴ ェロッキ オ. 35. 劔持. ア ン ドレ アが 没 した 後 、 弟 の トン マ ー ゾ が 、 ア ン ドレ アが メ デ ィチ 家 の た め に制 作. し. た 作 品 が 未 払 い に な っ て い る と し て 訴 訟 を 起 こ し て い る 。covi,o少,c肱,pp.lo-12.. 36. Covi,01).6鉱,P.89.. 37. LeVite,o汐.磁p.359;ヴ. 38. 例 え ば フ ィ リ ッポ. ァ ザ ー リ(森. 田 監 訳)、. 同 掲 書 、230頁. 。. ・ リ ッ ピ も 、 サ ン ト ・ス テ フ ァ ノ 聖 堂 装 飾 の た め の 金 箔 を 、 フ ィ レ. ン ッ ェ の 金 細 工 師 か ら 購 入 し て い る 。Borsook,砂.6鉱,p.80.n.32.. 39. 註14を. 40. LeVite,o少.c鉱,p.363;ヴ. 41. 参 照 。 ァ ザ ー リ(森. 田 監 訳)、. 同 掲 書 、232頁. 。. し か し 、 ヴ ェ ロ ッ キ オ が 一 連 の 擬 人 像 を 受 注 す る こ と は な か っ た 。6点 エ ロ ・デ ル ・ ポ ッ ラ イ ウ ォ ー ロ に 、1点 れ た. 《剛 毅 》(1470年. の う ち5点. は ピ. は ボ ッテ ィチ ェ リに委 嘱 され た 。 この 時 に描 か. 、 ウ フ ィ ッ ィ 美 術 館 所 蔵)は. 、 ボ ッテ ィチ ェ リが 画 家 と して独 立. を し た こ と を 示 す 作 例 と さ れ る 。Lightbown,(ψ.6鉱,pp!12-44. 42. M.Holmes:"CopyingPracticeandMarketingStrategiesinaFifteenth-Century  . FlorentinePainter'sWorkshoP,inS.J.CampbellandS.J.Milnered.:ル απ4Cπ1'κ η1T7α. πs1認ゴo溺 〃 疏6伽1ガ. 43. Ruda,01).c鉱,251.. 44. 註17を. 45. ラ イ トボ ー ン は 、 本 作 品 を. αガ33α 〃c6α. ゴ6Eκc加. 〃9θ. ζy,Cambridge2004,pp.38-74. 参 照 。 「初 期 の ボ ッ テ ィ チ ェ リ に 帰 属 」 と し 、 ボ ッ テ ィ チ ェ リ 作. 品 と は 断 定 し て い な い 。Lightbown,ρ. 46. α〃R6π. 嬉. ρ.c鉱,p.310(plate152).. 一 般 的 に、 ヴ ェ ロ ッキ オ工 房 で の 経 験 が 、 ボ ッテ ィチ ェ リが リ ッ ピ か ら受 け継 い だ 繊 細 な 様 式 を 、 よ り力 強. く堅 固 な 様 式 へ 変 化. さ せ る 契 機. と な っ た と さ れ て い る。. Lightbown,oρ.6鉱,p.26;SysonandDunekrton,砂.o鉱(note9),p.378.. 47. SysonandDunekrton,ρ. ρ.6鉱(note9),p.372;こ. ボ ッ テ ィ チ ェ リ の 聖 母 子 像(図13)を. の こ と は 、 ナ ポ リ作 品 以 前 に 描 か れ た 、. 見 れ ば 、 よ り理 解. しや す い だ ろ う。 こ こ で は. ボ ッ テ ィ チ ェ リ は 、 よ り忠 実 に 、 師 匠 の プ ロ ト タ イ プ に 依 拠 し て い る 。 風 景 描 写 の か わ りに 挿 入 さ れ た 築 物 に よ る舞 台 設 定 は 、 こ れ以 降 の 聖 母 子 像 に も しば しばみ られ る ボ ッ テ ィ チ ェ リ の 特 徴 の 一 つ と な っ て い く 。A.G.Kroegel:"TheFigureofMaryin botticelli'sArt",Bo痂66〃. 48. (20). 註47を. 飢 砂.o鉱(note15),p.5&. 参 照 。. 一287一.

(21) 文学 ・芸 術 ・文 化/第24巻. 49. SysonandDunkerton,ρ. 50. ibid.,p.372,377.. 51. ibid.,p.373.. 第1号/2012.9. ρ.6ガ'.(note9),p.371.n.9.. 一286一. (21).

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参照

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