小林杜人と転向
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(2) 困難竺 ‘「転向研究 の無意味 い」 。. なれば、そ れは そ れで 、 転向 だ として鶴 見は 次 のよう. るいは珪底 に 国 家 によ る強制とい うものが存在 す ると. 接して、 同じ個人が当時の国策で あ る「満州国⑧j 建設. って 検 挙さ れたとい う事 実があ り 、そ れと時 間的 に近. 「 た と え ば あ る 個 人 が 、 帝 国 主 義反 対 運 動 の 故 を も. な例をあ げてい る。. を対象 として厳 密な意味 で 学問 的 な研究 をす ることの こうい った状 況を 克 服して 、 こ の研究 は 完成 さ れた わけ で あ るが、 鶴 見は 、 転向 の持 って い る思想 的 価 値 子供 の. を韻美す る文章 を発表 したとい う事実 があ るなら 、そ. 、. い わばタ. の間 の思想 の変 化が当 人に よ って 自発 的 な ものと 意 識 されているとしても 、この変化は転向と言えよう。⑨」. な ん ら かの. 、. 重要 な こと は 、 国家 権力 とい う. 、. 本多 秋 五 が 本 書 に つ い て の 書 評 を 魯 い て い る 。. 、. よ く あ る単 なる本 の紹 介 などと違 って 、. 、. 「こ の 本の最大の特 徴 は 、 い まい う転向 概 念から の. 画期的意味について彼はこうのべている。. を 手 に し た 時 、 そ の 質 と 拭 に 驚 晩 し た と い う 。 本書 の. 精緻 にして 鋭 い 本格的 なもので あ った 。本多 は この書. こ の内 評 は. 月に. に出 たのが、 昭和 二十 四年 一 Hで あ ったが、 同年 のJL. 鶴 見ら の、 この『 共同 研究 ・転向 』 の「上 巻」 が世. 、 地位 の. 、. 「転向 問 題 に直面 しない 思想 とい うものは. を 、次 のように記している。. 思想 、 親 がか りの学生 の思想 なので あ って 変 化 に と もな う さ まざ まな 圧 力 に た え て. タ ミ の 上で する水 泳 に す ぎない 。 就職 、 結婚. 転向 を なしつつ思想 を 行動 化して ゆ く ことこ そ 、成 人 と こ ろ で 、 鶴 見 た ち は 、 転向 を 次 の よ う に 定 義 し た. の思想であ るといえよう。固」. のであった。 「私 たち は 、 転向 を 『 権力 に よ って 強制さ れたため. こ の場合 の権力 で. におこる思想 の変化 jと定義したい 。ど ことであって、「 現代 日本の転向を記 述す る上で、 中心. と. い う定義|ーにある。これがやはり一番大きな、性格的. j. 「権力 によって強制されたためにおこる思 想の変化. 『 倫理 の脱色』 とならんで 、 転向とい う言 葉の定義I. 、 国 家 権力 に よ って 強 制 さ れ た 思 想 変 化 で. あ り向 」という。 表面 的に自 発的 、 自主的 と思. 、. となるのも. 当 然 の こと で あ る が. 特徴で あ る。 この定義 によ って 、 転向 研究 は大 変白 由. 、. あ. われるような思 想 的 変容 で あ っても、 その前提 に. -2-. 綱沢 小林杜人と転向.
(3) 13巻2号 2002. 3 文学・芸術· 文化. 仰」 なものとなり、 無凝なものとなった 。. 転 向に 関す る秀 作を待 ち望んで い た 本多 は、 この書 に間違 いなく 合格点 を与えた ので あ る 。こ れが契機 と. 用理論を信 仰 した こ とから 転向 は 発生 す るこ とは いう. まで もない が、 吉本隆 明 は そのこ とを的 確 に指摘 して. は 、 明瞭 で あ る 。 そ れ は 、 日本 の近 代 社 会の構 造 を 、. 「わた しの欲 求から は 、 転向 と は な に を意 味 す るか. い る。. な展 望が開け てく ると評 価 し、 本冑 に対して 彼は 惜し. 総体 のヴ ィジ ョ ン と し て つ か ま え そ こ な った た め に 、. な って 、こ の種 の研究 が活発 化し、 将来 に 向け て 大き みな き賛 辞 を与 え た 。しかし 、本 書の「 有効 性 」を認. イン テリゲ ン チャの間 におこ った 思考 変換をさ してい. とこ ろで 、 こ の転向 の日 本近 代 思想 史 上 で の意 義に. 」. る、い. 「しか し 、 有効 性の寿 命は 案外 あ てにならぬ もので. ち は 持っている。それは、 栢川文三のそれで ある。. つ いて 言及 する際 、い ま― つ 傾 聴 に 値す る指摘 を私 た. ,. にいう ことも忘れはしなか った。. め つ つ も、 若干の疑 問 点がないで は ない と、次 のよう. という 一 点に 問 題 が残 る. j. …·:別の転向定義を要求する転向論、 ……(略) と思う 。. 、 ま ず、「共産主義者の共産主義放 棄を意 味する転向5」. 交渉 する場 合 、そ こ にどのよ う なす さ まじい ドラ マが. とよば れるものが生の根 底的 現実 と もっと も究 極的 に. 説的 に明 ら かにした という 意昧 で 、 また 、 およ そ 思想. て 、 は じめ て 本 来的 な 思想 の意 味を悲劇 的 に 、 か つ 逆. 彼は転向という 問題は、「わ が国の近代思想 史 におい. あ る 。やは り『 革命の脱 色. い」 革命をテーマとする転向論が存在 するは ずで ある 。. こ の本 多 秋 五 が 転 向 を 次 の 三 種 類 に 分 け た こ と は 、. 次 いで 「加 藤 弘之 も森 鴎外 も徳 富蘇 峰 も転 向者 で あ っ. 明治の動 乱期 をのぞ いて、 もっと も痛 烈 な思想 史tの. 展 開 す る か を露 星 した という 意 味 で 、 おそ ら く 幕末 、. よく知られているところである。. を意 味する転 向凸 、い ま― つは、「思想 的回転 (回 心). た という 場合 の、 一 般に 進 歩的合 理 主義的 思想 の放 棄. 物思想 が、 現実 世界に直面 した 時、 そ こ に 如何な る状. 想 の名 に値 す るものは 何か 。 血肉 化さ れてい ない 借 り. m 」とのべたので ある。真の思 一エボ ックを形 成した。. 日 本 の 知識人た ち が、日本の伝 統的 社 会、 宗教、 習. 現象 一般をさすm 」 ものである。. 俗と い った ものの実 態 を精杏 ‘ 認識 す るこ となく ‘借. -3-.
(4) 小林杜人と転向 綱沢. に おけ る 転 向 の 問 題 は 、 そ う い う こ と を 示 唆 し て く れ. 況が生 れるか。如 何な る悲劇 、喜劇 が生 れるか。 日本. てい て、 浅慮 な反 権力 的思想 などは 、 喜々 と して 吸収. 極めて 懐の深 い 、 しかも強力 な吸引 能力 装 置 を 用 意 し. 要 な ど な い の で あ る 。 権力 と い う も の は 、 い つ の 世 に. してい る。強 引 な 物理的 弾圧な どで 転 向 を 強要 す る必. 転 向 を め ぐ って 、 こ れ ま で 様 々 な 定 義 、 議 論 、 そ し. 容しつつ、 最終 的には、 そのエネ ル ギー をも己 の栄 提. おいて も、 相 当のと ころまで 、 己に向 け ての攻撃 を許. てい ると橋川はい う。. 日本には 、 栂端 な 破壊 活動 排 除を 除けば 、 かつ て のよ. て日本の近 代思想 史上で の意味が問われてきた 。いま、. こうい う時代には 、 転 向 研究 などは 、 もは や い かなる. 学問が、そ れぞれの領域で展開 されているようである。. 王権支配が採 用す る常 套手 段で あ る 。 利霊 と化したも. よ って 、 次 第 に 和 霊 に し て し まう と い うプ ロ セ ス は 、. 荒 ぶる霊 をも、 じつに巧 妙 で 、持 続 的 な「癒 し 」に. にしてゆくといった退しさと巧 妙さを 備えている。. 意味 を も持 た ない とい うことになるのか 。い か な る 信. は たら きを す る。かつて 燃や した生 命の炎 は 、 方向 を. の は 、かつ て の 敵 に 忠 誠 を 誓 い 、 そ ち ら の 側 で 有 効 な. うな政治的弾圧、抹殺はない 。自由な思想が、運動が、. 念も哲 学 も思想 も持 つ必 要 は なく、 むしろそ の よ う な. 転換しつつ、 なお激しく燃えあがる 。. も の を 持 つ こと が 軽 蔑 さ れ る よ う な 雰 囲 気 の な か に あ っては 、転 向 な ど、 は なから 問 題 になるこ とは なかろ. 本稿 で取 り上 げようとす る小林杜 人は 、転 向 者 の一. になっていったのであろうか。. 人で あ るが、 彼は い かなる経 路 を辿 り、 い かなる和 霊. う 。たしかに、いま、 赤裸々 な 物理的弾圧、排 除ない 。. し て 、 そ の粋 を 集 め、 そ の 統 治 は 実 に 巧 妙 に な さ れ、. しかし、 民 衆の統 治 技術 は 、 マス ・メデ ィ ア を中心と 民 衆の側 は 、 およ そ 被 支 配 者 意識など持 ち えない のか. 使い つつ、 操縦 す るとい う構 図 が完成 さ れて い る 。思. て い るよ うで あ る。 管理 強化と 「癒 し」 という両刀 を. れ に よ って 苦 悩 し 、 社 会 に 向 け る 目 を 鋭 く 、 広 く 養 っ. 種 々 の日常 性に、社 会的矛 盾 を 発 見し、疑 問 視 し、 そ. 小林 杜人は 、若 くして己 を取り巻 く環 境のなかで の. もしれない 。 理性の 狡 知もい よい よそ の成 熟度 を増し. 想 の領域においても、 い まや 最高の権力とい うものは、. -4-.
(5) て い った 。 家業で あ る農 業、養 蚕に従 事しながら、. 割を担わされるのは当然 のことで あった。. がて検 挙さ れ、 獄 中で の生 活を 余 儀なく さ れる。 絶え. を確保す るために、『保護』 事業が重 視さ れるようにな. ると、 行刑のつぎの 段階として、 再犯の防止 と『転向. 「『 転向 』 方策が軌道 にのり、『転 向 』者 が増えて く. 間ない 苦 し み の結 果、 身 心と も に ボロ ボロ とな り、 自. 城長 五郎 の主宰す る帝国 更新 会 (市 ヶ谷 刑務 所教 務 主. った… … (略 )… … その先 駆は 、 東京 地裁検 事正の宮. j. 任の藤 井 恵照 が常 務理 事)で 、 三一 年末 に仮 釈 放さ れ. 殺を 図 るが失 敗す る。 獄中で の教 誨師 との出会 い によ か つて己 が信 じ、 行ってい た社 会 的 活動 す べてのプ ラ. ここで 、 昭和 の転向史 のなか で 、 この よ う な 生 き方. 三四年末には思想 部を独立させた。 o」. する。 出獄後は 、 帝国更新 会 とい う組 織 に入 り、国家. を し た小林の 帝国更新 会 で 活躍 す るまで の略 年譜 を作. た 小 林 杜 人 を 専 従 に、 多 数 の 『 転 向 』 者 を 受 け 人 れ 、. のため 多 く の人の転 向 を 促し 、転 向者 救 済 のために懸. っておこう。 (小林の著で ある「 『転向 期』 のひとび とm」. 無効 を 自覚 し 、如来へ の帰依 、そして新 しい 道 を選択. 命の努力 を し たので あ る。 彼は 単 にそ れまで の思想 を. を中心に). 対しては 転 向 の「 正 しさ 」を 説き、 奨励 し、転 向者 に 対し て は 、社 会 復帰のため の就職 を は じめ 、 あ らゆ る 援助を 惜 しまなか った。 小林は 転 向前 も 後も 、 真面 目. 科郡雨宮 県村大字土 口に生 れる。 父友 喜、 母ふく。. 農 業と蚕種製造を家業とする。. 入 学。 ハイネ 、 ダンテ 、 トル ス トイ、 ドス ト エフ. 大正 三年 (-九― 四) ー小 学校 卒 業、埴 科農 蚕学 校. 大正 六年 (一 九一 七) ー埴 科農 蚕学校 卒 業後家 業 を. ス キーなどを読む。. は 、社 会 主義運動 、農 民運動 、そ し て また国 家 権力 へ 統治 のため の真面 目 主義は 、 小林の持 ってい た資 質そ. の協 力の際 にも 貰か れて い った 。 国 家が用意す る民 衆. で、 禁欲 的で、誠 実 を 日 常として いた。 彼の この 資 質. 明治 三十 五年 (-九0 二) ーニ 月十五日、長 野県埴. 捨て、運動 を やめ たと い うだ けで はなく、 非転 向 者 に. イドを放摘し、 マル キシズム も 清算す る。 自力の無力、. り 、 宗教 的 救 い を 獲 得 し 、 や が て 転 向 す る 。 一 転 し 、. ル クス 主義に遡 追し 、農 民、 労働 運動 に奔 走す る。 や. マ. のも ので も あ ったとい うことで も あ る。次 のような役. -5-. 2002. 3 13巻2号 文学・芸術・ 文化.
(6) 救世軍長 野小隊 に人隊 。. 仁会雨宮支部の組織 化に参加 。 山室軍 平に注 目し、. 手伝 う 。不当 な被 差別者 との交 流 を始め、 信 濃同. にあ い、 北信、 中信 に小作 争談 激増 。小林は多 忙. 所となる。「いもち」が発生し、 稲作は大きな被 害. 準 備会 の設立 が決 定さ れ、小林 宅 が一 時 的 に 事務. を極める。. が開 催さ れ、 日本 農民組合 に加盟 。小林は組 合 の. 腿 民 運動 激化。長 野 県の小作組 合 連 合 会 創立 大会. 昭和二年 (-九二七)ー 金融 恐慌 により長 野県 下の. 大正 十 年 (-九ニ ― ) ー信涼 自由 大学 に 学 ぶ。 土田. 常務理 事になる。労働 雌民 党全国 大会が開催され、. 埴科支所の書記となる。. 大正 七 年 (-九一 八)ー 五月 より長 野 県 蚕 業取 締所. 田幾多 郎、倉 田百 三などの著作を読む。. 委 員長 に大山郁夫、小林は中央執行委 員となる。. 杏村、 高倉 テル を知 る 。有島武 郎、 内村鑑三 、 西. 大正十 二 年 (-九 二三)ー 一 月近 衛 歩兵 第 三連 隊 に. 昭和三年 (-九二八 )ー 労働 股民 党中 央執 行委 員会. 日本共産 党へ の大弾圧があり、小林も検 挙され る。. に出 席。日本共産 党に人党 。北信 の責任者となる。. 入 隊 す るが、 病のた め入 院、 四月 には第 一衛 戌病. 院に移り、看護兵 となる。. 家族へ の愛情 と同 志へ の思いの間 で 苦 悩 し、 獄中. 年 (-九 二旧)ー 七月 に除 隊、 家業 を手伝 一 _ 大正 十 一 う 。 北倍 社 会 主義 グル ープ の研究 会 、 政治問題研. 白殺を 図 るが、 失敗 する 。 懲役 三年 六 ヶ月 の判 決. 昭 和四 年 (-九二 九)ー 藤井 恵照 教誨 師 に出 会 い、. がくだり、 控訴する 。. 大正十 四 年 (-JL二五)ー 全日 本無産 青年同 盟設 立. 敬意 を 抱 き心酔 す る 。 親翌 を は じ め、 島地 大等 、. に 対し強力 に反 対する 。 日常 的差別の深さ を知る。 の準 備会 が開 催さ れ、 北倍 支 部で はた ら く 。 この. 清沢 満 之 ら の箸 山 に触 れる 。 控訴 を取 り下 げる 。. 究 会北 信 支 部に参 加 、 理不 尽な職 業、 住居 の差 別. 同盟の創立 大会 に 北信 支部 の代 表 とし て 出 席し た. この藤 井 との出 会いが、 のち の帝 国更新 会で の活. 昭和五年 (-九三 O ) ー 独房 か ら 図 書室へ 通 う とい. 動 に つ な がる。. が、その結果村役場の書記を解雇さ れる 。 大正 十 五年 (-九二 六)ー 日本 農民組合 を 支持 す る 長 野県 小作組 合 連 合 準 備会、 労働 農民 党北信 支 部. -6-. 綱沢 小林杜人と転向.
(7) 13巻2号 2002. 3 文学・芸術・ 文化. う教務課の仕 事に つく。. 水平社 の同 人が一 人で もまぢ ると写 真を 買はぬ と云 ふ. 悩 脱却 の光 が見 えてく る。健康 状態 も良好 。 母親. ながら、そ れを 告白したのであった。そして 、 「皆 さん 、. の外 の こと は数 限り ない 。…· :(略 )… …こ の日況 き. 払 っ て 、 と う と う 写 真 を と ら せ な か った の で あ る 。 其. こ とに決 議したので あ る 。そ して此 の同 人三 人 を 追っ. 死去 。 刑期は 昭 和 ヒ年四 月 とい う ことにな って い. 11 昭和六年 (-九三 一 ) ー 宗教へ の理 解 も 深 まり 、 古. た が 、年末 に仮 釈 放 となる。こ れ より 帝国 更新 会. どうか許してF さい。此の通り 謝罪します は」. 件があ った 。 靴製 造 ‘ 修理 を 仕事と し て い た小林 の友. さらに差別の問 題 で 、小 林の若 い魂 を 動揺 させ た 事. j. に勤務。本会の保護委 員として業 務に 尽JJ す る。 が設け られ、小林はその責任者 となって活躍 する。. 昭和九年 (-九三 四)ー帝国更新 会のなかに、思想 部. 人 が 、水 平 社 の同 人で あ るという、いわれな き理 由 で. や っ と の 思 いで 友 人有 利 の 方 向 で 解 決 し た の で あ る 。. はこの理不 尽な差別に対し、怒り苦しみ 、東奔 西走し、. 店の他 所へ の移 転を 拒否 された 時のこ とで あ る。小林. る が 、彼 の世 の中 の不 正 ‘矛 盾へ の開 眼は 、 極めて具. 以上 が小林 の帝 国更 新 会で 活躍 す るまで の歩 みで あ 体 的 、 11 常 的体 験に 基づ く もので あ った 。大 学 という. 「共産 党を脱す る迄 で、こ う記している。 j. 場 所で 、賓 本主義経 済 、 土地制度 の矛 盾などを抽象 的 小野 陽 一 というペン ネ ーム で 著した 『 共産 党 を 脱す. ら しめ た 。小 野 の 心は 一 時は テロ リ ス トにならんとし. 浸透せ る囚製 的差 別 の如 何に根 強いもので あ るかを 覚. 「 こ の事 件は 小野に、 水平 社 同人等 に対し 、社 会 に. る迄m』 という本があるが、このなかで、かつての己の. 同人等 と今 后益々 差別的撤 廃 のた めに恋 闘 す る決意 を. た 程 で あ った 。小 野 は 世 間 か ら 如 何 に 嘲 笑 さ れ て も 、. に学 習するというものではなかった。. 県村における同 仁会支部の創立大会時においてで あ る。. キリ スト 教で あ る。苫労 し つつ、 同志 社 で学び 、 日本. いま― つ小林に社 会的矛 盾へ の開 眼を促した ものは、. 固めたのである ぶ 」. 行動 を 深 く反 省し、 懺悔 す る箇 所があ る。長 野県雨 宮. こういうもので あった 。 「 小野の級 が六年 を 卒 業す る 時 、 記 念撮 影を す るこ とになっ て居 た 。其 の時 全級 の者 共 が中 合せ て、 若し. -7-.
(8) 悪旧習の 打破と い った もの に 小 林 の 心は 吸い 込まれ て. を 打た れ 入信 した。 神の 前に おけ る 平等 、そ のた め に. 救 世軍の 創 設に 尽 した 山室 軍 平に遡 追 し、彼に 強く 心. 司会者であ ったのだ。竺. 集 会 に 出ること を 怠ら なか った。集 会にはい つも 其の. な って 、二 日位 は抜け なか った。こんな時で も小野は 、. こう して 働 く と 、ア ン モ ニア の臭いで 身 体 中 まで 臭く. た 。この 差 別 の 実態 ‘ 己の加 害者 と して の 罪の 厘さ を. を 極力 練 った 。自己 反 省的で あり 、真 面目 主 義を通 し. な ど の ない 精 神を 維持 し、政治の 世界 で の 駆引 き など. て おきた か った 。い つ 、ど こで も 、不正 、虚 偽 、偽善. 農 村 問題に 全生 命を 賭 して闘 う小林 の活動 は 、地 元. は 、後の彼の転向理由 にも大きく 影響することと なる。. ずりながら の日常 を余儀 なく さ れて い った 。この こと. こ と の 出来ない 小 林 は 、ボロ ボロ に な った 肉 体を引 き. 極め て 過酷 なもの と な っていた 。 両者 に軽 重 をつけ る. 家業と社会 運動 との 両立は 、小林の 真 面目さ ゆえに 、. い った 。. 自覚 し 、こ れ を 機会 に 、小 林 は 社 会 的 矛盾 を 解 消 し、. そ う した 彼の 顔を 日 本 共 産 党が 見逃す は ずは ない 。 遂. はいうまで もなく 、県で 知ら れ 、漸次 拡大 してい った。. 小 林は 己の 心 中を 、常時 一点の 曇り も な い状態 に し. 捧げることを誓うので ある。彼の農 民運動 、労農提携 、. 弱者への 全面 的支 援 へ 向け て の 実践活動 に 全身 全霊 を. 委 員会 に 出 席 、の ち に 避 逗する 南喜 一 、浅野 晃 、豊 田. 「 昭 和 三年 一 月十 五 、十 六日 、労 働農 民 党中 央執 行. に 誘いの手が延び ることに なる。. このよ う な 外で の活 動を しながら も 、小 林は 家 業に. 差別撤 廃など 、すべて 彼の 日常からの発信で あ った。 も 全力 を 傾 注する の で ある 。 限界 ま で 汗を 流 し、血を. 地方委 員会 オル ガナイザー 河合 悦 三よ り日本共産 党に. 直 ら を 知る 。 同一 月 二十一日 、上條寛雄の 紹 介で 信 越. 入党勧誘を 受 け 承諾 し、以後 、日共 党 員と して北 信 の. 流すので ある。 「彼は どん な に働 いた で あろう 。あ の山 の 畑に 汗だ. 責任者 となる 。⑳」. か く して小林は 日本共産 党の 党員と な り 、ある種 の. の 声を 聞い て 麦の 草を と り 耕転に 働 い た。 人 奨に 大 豆 粕や 、過燐 酸 石灰等 をま ぜたの を 肥料 に 入れ 荷車に 積. 使命 と 覚悟を 惑受 し、大車 輪 的活躍 を 己に 言 い 聞か せ. く だ く に な って 働 いて いた 。…… (略 )…… 春は 雲雀. 日. んで 、田畑に 選 ぶこと もあ った。…… (略 )……. -8-. 網沢 小林杜人と転向.
(9) かかわって いた人たちにとっては、 極め て 崇高にして、. 別に 、 いわゆ る 知識人 や 学生 、 労働 運動 、農 民 運動 に. て いる 。共産 党に対す る当時 の 一般的 社会的 評価とは. ん としたので あ る 。小 林 は 己の検 挙を次 のように 回想. 法を 改正 、 強 化し 、共産 主義運動 、思想 の 撲滅を 図 ら. 応し た 国家権力は 、 大 正十四年 に 公布さ れた 治 安維持. 労働農 民 党北 信支 部事務 所で 、 屋代 警 察署に検 挙さ れ. 「私 も この 日未明 、 日本 農 民組 合長 野連 合 会 本 部、. して いる。. 小 林 も こ の 組 織 の 一 員にな る こ と は 、 何か 重々 し い、. 日 本的近代 「知」の梨結 した 威厳のある存在で あ った。 大きな力 の支援を獲 得 したように感じたようである 。. 挙で あ ることを 知った 。…… (略 ) ……母は 信 猥 毎 日. た 。事 務所責 任者 と し て 家宅 捜査に 立 ち 会 い日共の検. 新 聞記者 に 涙な がら にわ が 子の こ と を 語り し とか 。 翌. 「小 野 自身も 党に加 盟した こ とが、 彼の無産 運動 者 小 野は 強 く な った 。 何とは なし に 彼は― つ の 脱力 を 自. 日、 雨宮 県小 学校 長 馬場 源 六は 、 全校 生 徒に 『 わが村. としての 歴史 の 一 区画とな った ので ある 。そ れからの 分 に得 た 様に思へ た 。そ れから 検 挙さ れる 迄の小 野 の. よ り 不忠の 臣を 出した 』 こと に つ いて 訓 辞、わ が 妹は. 大き く 強 い力 が 己の 背を 押して く れて いる と いう 安. 衝激を受 けた り と 聞く。 屋代 町付近 の 町村は 、 大逆 事 t 5 件以後はじめて恐怖裳撼せりと。0」. 活 動は目ざ まし いものであった 。5」 堵の 思 いと同 時に、 頑強 な 拘束力 と いう 緊張 感も あ っ. 国 体 そ のものを 批判し、 私有財産 制 を 否定する な ど. か ら は 大き く か け 離れ た 存在で あ り、 そ れ は 恐怖の 対. と いった 日本 共産党 が、 当時の 一般民 衆の 日常的 思 惟. し か し 小 林 が 党員と し て 活躍出来 た 期間 は 極め て 短. って 検 挙さ れ、投獄 さ れた とあ って は 、当 時 、家 族に. 象 ともな って いた 。そ の組 織 に 入り‘ しか も 官憲に よ. 交して いたであろう 。. た にちが いな い。 積極的 使 命 感と 自 己拘束力 感と が 混. い。 昭和 三 年一 月 二十一 日 に 入党した が、同 年の三 ·. こ こか ら 小 林の 獄 中生 活が 始まるので あ るが、 検 挙. 誉なことはなか ったので ある。. とって 、 村落 共 同体 に と って も、こ れ 以上の 恥、 不名. 一 五事件で 、はやくも検 挙されて いるのである。 昭和 三年三 月十五日は 、 いうまで もな く 、 日本 共産 党に 対し 大 弾圧の あ った 日で ある 。 天皇制、 国体、 私 有財産 な どで 党の 方針 を 打ち 出した共産 党に 敏感に 反. -9-. 2002. 3 13巻2号 文学・ 芸術 ・ 文化.
(10) 綱沢 小林杜 人と転向. さ れ た 時 の彼 の心 梢 は 、 これ ま た ‘ 極 端 に正 直 で 、素. 愛 か。 己 が 獄 に つな が れ る こと で 、家 族 、 親 類 縁 者 に. せ ま って いた 。 農 民 連 動 、共 産 主 義 運 動 か 、家 族 への. の動 機 と し た 家 族 の問 題 Qが 、小 林 の眼 前 に お いて も. か け る 迷 惑 、 な か ん ず く ‘貧 困 に あ え ぎ 、 血 涙 を 流 し. 罪 を 認 め 、 責 任 を 負 う と いう の で あ る 。 小 林 の主 義 、. 主 張 ‘ そ し て行 動 が 、 己 の確 た る信 念 に基 づ いた も の. な が ら 、無 言 で 一鍬 を 打 ち お ろ す 父 母 の や つれ た 姿 を. 直 で‘ 己 の活 動 が 罪 を 犯 し た の で あ れ ば 、 正 直 に そ の. で あ った と す れ ば 、 こ の正 直 さ 、素 直 さ を 勇 気 あ る こ. でも 柚 象 的 階 級 闘 争 や コミ ン テ ル ン の方 針 に沿 った 闘. いを 続 行 し て ゆ け る と いう の か。 し か し 、 そ う か と 言. 想 像 す る時 、 彼 の腸 は よ じ れ んば かり で あ った 。 そ れ. って 、共 に闘 ってき た 同 志 も 襄 切 れ な い。 小 林 は肉 も. と と み る の か 、 な ん と いう腑 甲 斐 無 き こと と み る か は. 小 野 は 今 度 の事 件 に つ いて正 式 に党 に加 盟 し た の 「. 精 神 も 引 き 裂 かれ ん ば か り で あ った 。 父 母 への 思 いを. 微 妙 な と ころ であ る。. ら ぬ と 思 った の で 、初 め か ら自 分 の こ と だ け は自 白 し. は 、北 信 で は 自 分 一人 で あ る し 、他 のも の に迷 惑 に な. 彼 は こう語 る のであ った 。. 「 小 野 は 獄 中 で 父 母 を 思 ふ 時 に 、 俺 は社 会 的 功 名 心. て 、 早 く 片 付 け た いと 思 って ゐ た 。 ま た や った こ とを. 隠 し て ゐ て自 白 せ ぬ こと は 、自 分 で卑 怯 だ と 忠 って居. 風 呂 の火 番 でも や ら う と 思 っ A. た 。 そ れ は ど ん な に楽 し い であ ら う 。 父 や母 が 一日 働. な ど は 、 かな ぐ り 捨 て. 煙 り を 小 野 の顔 に吹 き 捲 く る で あ ら う ‘ 煙 に む せ た 顔. 人 る 、 そ の湯 の番 を す る 。 あ の薪 を 燃 やす 度 に 、 風 は. た た め に 、小 野 の最 初 の煩 悶 は初 ま った の であ る 。ぼ」. こ こ で私 は 、小 林 が 獄 中 で苦 し み ‘悩 み ‘ 己 自 身 と. いた 体 の つかれ を 洗 ひ落 す か の様 に嬉 し そ う に湯 に 這. 文 字 通 り 生 命 が け の格 闘 を した 内 容 の いく つかを 取 り. を し て 一生 懸 命 に火 を 燃 やす 。 そ し て父 母 の身 体 を 洗. 政 治 支 配 貫 徹 のた め の常 套 手 段 と し て物 理的 強 制 力. 出 し て み た い。 そ れ は転 向 そ のも の の動 機 の検 討 でも. の ほ か に 、 心 理 的 操 作 が あ る こと は 、 い つの時 代 ‘ い. って や る。g」. ま ず 、小 林 の心 情 を 大 き く 揺 さ ぶ った の は 、 な ん と. あ る。. 言 っても 、 家 族 への情 愛 で あ る 。 転 向 者 の多 く が 転 向. -1 0 -.
(11) 転向 へ の誘動 は 、 家族へ の情 が巧 みに利 用されて い. て 、後者 が有効 性を発揮することは当然 のことである。. 民主 主義 だ の 自由 主義 だ の が 声高に 叫ば れる 場に おい. かなる社 会においても、いうまで もないことで あるが、. こか ら の 個 人の 解放 は 、 日本 の 近 代 精 神史 の 上 か ら 、. の は 橋川文三 で あ るが、 ま さしく 、家 に よ る 拘束と そ. 抗争の歴史で あったという印象 で あろう。は」とのべた. の 歴史 が 、い わば 家 から の解放 を 求 め る さんた んた る. 榔して やまぬ と いう こと は 、 現実 世 界から は 、かなり. 多 く の 場 合、革命のた め 、思想 のた め に 、家 族を 放. 決 して欠かせない難問 の ―つで あった 。. そ う やす やすと出 来る もの で はな い 。 国家 を 欺く こと. った 。国 家 権力 と 対決 は 出 来て も 、 家族 と の 対決 は 、 は 可能で も 、 父母 兄弟 、 姉妹を 欺く こ と は 不可能に ち. 遠い感情 で あった 。. 制社 会は、実 は 身 辺にあると。. 小 林は 次 のよう な発言 をす るよ う になる。原 始共産. かい。 現存する家族のみならず、 現世 不在 の 先祖たち、 そ して 将来 生 れく るで あろ う 子や 孫に 対し て も 、家の. 「家 長 を中心 と し て 一 家が 同体 で あ る。其処に は 私. 意識は連続 している。 と ころが 、家 、家 族 を 思う 心情は 、多 く の 場合 、反. ればな ら ない 。一家に病 人が あ れば その 人は 誰よ り も. 有財 産もなく 、共働 ‘共 有だ。 ……( 略) …… 子供を. 多 く 消 賀す るが 、 決して 外の 人は 不平は云 は な いで あ. 育て るた めには 、一家の 中 心に あ る 人は 労作を しなけ. てゆく運 命に あ る。 近代日本 の 「 家 の 思想」 がここに. こ う し た 家 族 主義の 特 質 は 、今 ら う 。 … …( 略) … • • •. 運動 を 阻止し 、支 配 権力 の体 制のな かに 埋没 させら れ は あ る 。 従 っ て 、 個 人の 自 由 を 拘 束 し 、 蒋 い 、 自 主 ‘. 日 、 封建的 な 形 骸を 破って 、新 しく 我々 に 受 け と ら れ. 体 制、反 権力 迎動 の 支 柱に な る こと は なく ‘逆に そ の. 自立、 独立 を 邪脆す る 家 から の解放 こそ 、近 代 日本へ. が、 小林 の 故 郷 、 農 、 土 への思 い である。 農本主 義 的. 次 に問 題 にした いのは 、家族と連 動 す る問題 で あ る. 。 た様な社会は我々の 足下にあったのである。 0」. な け ればな ら な いので は なから う か 。共 産主 義が 夢 見. の第 一 歩で 、家 を 蹴れ 、 父母を 蹴れ という 悲 しい 激情. が浮上 することもありうるのである 。 「 近代 日 本の 知識 人の思 想的 性 格 と 日本 特有の 家 族 制度 (家制度 とよ ば れ る ) の 関係と い う とき 、すぐ に. 思 い浮 ぶことがらの ―つ は 、日 本近 代の 知識人の思想. -11-. 2002. 3 13巻 2 号 文学・芸術 ・ 文化.
(12) 綱沢 小林杜人と転向. で ある 。故 郷の 自 然に 抱 か れたこ の 夢を 小林は よ く 見. ある 。また 、そ こ に 住まいす るな つ かしい人た ち の顔. ある 。 具体 的 には 故 郷の 山で あ り、 川で あ り、 田畑で. 沈思 黙考 の世 界で 、 重要に位 置を し め た もの に 故 郷が. 心情 と 呼ん で もい い か もし れない 。彼の獄 中 におけ る. に その 役割を 果た し て いたので ある 。@ふるさ とと農 本. お りと化す 。 ふるさ と を 唄い あ げた 文 部省 唱歌も 大い. の もの と な る 。 貧は美 と化し 、 焚尿の 悪臭は 香 水のか. 気は 、す べ て 抜き 取ら れ 、山 紫水 明 の 空間 が あるだけ. い 去って く れ る 。つ ま り村 落共 同体 か ら 毒 気とい う 毒. 小林 に も牒本 主 義的 精神が根 底を 流れて い る 。転向 と. 意 識は結び つき、皇国農本 建国論は 国是となってゆく。. 農 本 主義 と の 関係は 極め て 強いもの が ある 。つ ま り農. たという。 「山は ユー トピアを 生 む。今 獄 中に ある 彼を、 色々. 本 主義的 惑情 は 、 転 向 の 大きな 動 機と な る と い う こ と. で あった 。 転 向者なら ずとも、多 く の 知識人 が 、わが. く。それから夫へ と夢想 して行く 。菅原 の様な奥 地で 、. 闘争に 破れ 、 低つき、 ま た 学校と い う 場で 学んだ 近 代. の 煩悶的闘 争の 世 界か ら 遠ざ け て 静か な 山に 連 れて 行 世 間 を 離れて 開 墾事 業に従 事したら どん な に 愉 快で あ. 的 「 知 」の 限界 と そ の 傲慢さ 、 無 効 性を 知った 時、 彼. らは 農 の世 界、 土の 世 界 に 降 りて いったので ある 。こ. 真 黒 に な っ て 労働 に 従 事 す る 。 そ こ に は 創 造 的 膜 業 ‘ A. 、そ れは 土 に 還る生 活だ 。こ. ら う 。 先づ 三 丁歩も、そ れを 徐々 に 切開いて 、しか も 芸術 的 農 業が展 開 さ る. 気 が あった 。階 級的 闘争 も‘ 貧の リア リ テ ィー も、 猜. こ には 、 あら ゆ る 辛酸を 洗い 流し 、 浴解 して く れる空. 疑 心も 、す べて 溶か し て くれ る 閥法の 器と して 、農 の. 近 代人 が 偽つ い た 肉体 と 精神を 癒す 場は 、 将 来 あ り. ういふ夢は、毎日 小野に 繰返されて 居た。③」. う る かもしれぬ ユー トピア の場合 も あるが、こ れまで. 性を 伴う もの と な る 。ど れ ほど 貧 困 と 矛盾に 満ち た 農. や 土への 回帰 する思想 は 、 と に もかく に も絶対的 価 値. 罹き ど こ ろを 失って し ま った 人た ち にとって 、 この農. 抽象 的 相対 主義と ニヒリズム の 不安の なかで 、 身の. 思想 、 土の思想 は ある 。. の 世界 も 、 傷口を 癒 して くれ る 空 間として は 十分 な 機. を持ちえたの で ある。ぼ ‘小林 は当然 の ことながら、農 民. ある 故 郷の 風景 の 方が 、 よ り具 体 性を 持ち 、よ り 現実. に 通 り過ぎ、経 験し て き た あの 山 、 あの 川 、 あの 土 の. 能を 果す ので ある 。美 と 郷 愁と 慰 労が 、 汗も 血もぬぐ. -12-.
(13) 13巻 2 号 2002. 3 文学 ・ 芸術 ・ 文化. に最高の価値を与えて次 のようにいう 。 … … 其は 直接 生産 に 携わって. そ の意識は 、 深 い 心 層の 部分 に 宿ってい る こと を 改め. 「 世 界 国 家 は 人 類 の 理 想 で あ る が 、 今 急 に 実 現さ. て 知る。次 のような意識の転換を余儀なくされる。 る. ). 「私は農 民が 国 家 的要 素と して 最 も重 要 な る役割を. 三千年 の 歴史 を持 って、 そ の 上 に 初め て 吾々 の 存在 的. 果し て 居り 、 … … (略. 居る の み な ら ず、 国 家の 物 質的 な 力 ( 即ち 国 防武力. 事実 が あ るのだか ら、 先 づ日本人た る こと を 基礎と し. を 持って い て 、 宗教 も 政治 も文化もそ れぞ れ固有 のも. ある 。しか し、 そ れぞ れの国 がそ れぞ れの 歴史 的特 徴. 「 万国の 労働 者 団結 せよ !」は 立派 な スロ ー ガン で. A. もので は ない 。 吾々 日本人 は 、 日本と云 ふ国 土 を. は農 村出身の人 に 依 って 大部分 支 えさ れて 居ると 云ふ. ). 事実は 、農 村の 健全な る 発 展な し に は 日 本国 家の 健 全. 」 ‘ て考へ 行動 せ ねば ならぬ。ぼ. ) 最 も多 く. な 発 展 は あ り 得 ぬ こ と を 示 す もの で あ る 。 そ れ は 殊 に. 日本 精神の 本 質 的な も の を (即ち 家 族 精神. 具 現して 居る。⑳」 ここ に 来て 、小 林 の 精 神は 安定し 、 純粋に し て 無比. 族 、 国 歌へ の 認識 の 変 容で あ る 。そ れまで 階級 的視点. 次 は 家 族、 郷土 となら んで 、 そ の 延長 線上 にあ る民. ざ るを えない小林 で あ った。 日本 人の 一 人 と し て の 忠. のた めに、 と い う こ と に 傾斜してゆ く己 の心情 を 認め. る ことな ど、 所 詮無 理な 注文で はないか 。や は り 祖国. の を 有して いる 。 世界人類 を 画 一的 目標に向けて 束 ね. に の み 眼を 蒋 わ れ、 攻 撃の 対象と し て し か 見な か った. 高な もの が 、 こ の世に存在 す るとは 思えないし、 共産. 誠 的 感情 を 放榔して まで 、 闘 って獲 得 す るに値す る崇. の 再生を 期す 覚悟が生じたのである 。. 民族的心情 や 天皇制 が 、 じつは 多 く の日本民 衆の心 情. 主 義 が 高唱する絶対的 理想 的社 会 な ど、 現実 世 界に 存. と 密 着し てい る こと に 小 林は 気 づいた ので あ る。 抽象 的人類 史、 階級 闘 争史 に おけ る 己よ りも、具 体 的日本. 在 するものではないと、 彼は こういう。. 状態 は あ り得 ない、 皆 相対的 な もの だ 。…… ( 略. 義 運動を 通じ 、 世 界国 家の 平和を 願う こ と は 間違い で. 人と して の 現実的 存在 に 視点 が移 行してゆ く 。共産 主. は な い。 しか し、 静 かに 己の 現存在 を ふ りか え る 時 、. …従 って 絶対的な共 産主義の社会は 成立し な い。四」. ). …. 「 宇宙 に も 陰 陽のあ る様に 、 国家に も 絶対的 な 社会. 小林 は どこ まで も 日本人で あり、 天皇制国家の一 員で 、. - 13 -.
(14) 小林杜 人 と 転向 網沢. 思い を抱 くのは 当然 のことで あ る。 弾 圧を 恐 れ 、安 全. 地 帯に 回避 しよ う とす る彼は 、 周囲 か ら 聞こえ て く る. 日 本 悠久の 歴史 も 現実 世 界 も 把据す る 努 力 を 怠り 、. 「卑怯者」と の篤声に、ただただ獣るば かりであった。 A. 全国 の 労働 者 農 民は 何と云 ふだ ら う 。長 野県. た 空虚な 理 論が 足下よ り 崩れて ゆ く こと に、人 は 気 付 「あ. 革命だ の、 絶対的共産 主義だ の と 叫んで 拠所 に して い く 時があ る。 抽象 的世 界 永久平和 を 願い 、そ のた めの. く せに、あ の階級 的 な行動 を 傷つ け る 陳述は 、 彼は 弾. の 小野 と 云 ふ奴は 、 労働 党の 中央委 員にも な って 居る. 圧に恐 れ て 、 無産 階級 を 襄 切 ったのだ 。小 野は 其の 声. 日常 を 眼にす る 時 、 この 理動 は 、真 に己 の 血の 部分 か ら 湧出す る も の に括づ いて い る の か 否か 、 と い う 不安. を幾 回も 自己 の 心の 内に聞い た 。これは 恐ろ しい 声で. 闘 争ゆ え 、次々 と 賛窮 し、 倒れ て ゆ く 家 族や 、 民衆 の. に襲わ れ る 時が あ る 。この こと を 無 視 して 行う運動 の. 会 の構 造を、 総体 のヴ ィジ ョンと してつ か まえ そ こな. は 、 つ い に自殺を 計 画 し、実 行に移 す が、 死に 至るこ. いた 。不 眠症 に襲わ れ 、廃人 同様 と な った 。獄 中 で 彼. 思い 、 H本 人 と して の 自党な ど 、小 林 は 千々 に心を 砕. 同志 に対す る 褒切り と い う 罪の意 識、家 族へ の 熱い. あった。彼の心は 掻き 乱された。ぼ」. ったた めに 、 イ ンテリ ゲ ンチャ の 間 におこった 思考 変. 前 述 したように、吉本隆明が、転向は「 H本の 近代社. 帰着するところは、自爆か転向以外 にはない 。. 換g」だと いったのは、け だ し当然 のことで あった。 金. こ の 自殺 計 画に象 徴 さ れて いるよ う に、一 時 は 己 の. とは出来なかった 。. 存在 そ のものが許 さ れず 、消え 失 せる こと によ って し. 科 玉条の ごとく信 奉 してい た コミ ンテ ルンの 方 針に強. い 疑念 を抱 き 、これ ま で 軽蔑 して いた 民族や 国体 の 問. か 現実 を 回避 する 方 途は な いと ころまで 、小林は 追 い. 込まれて いたのである。この 瀕死の 状態 を救ったのは、. 階級 的 視点 に立 脚 し、 同志を 裏 切ること な く 生き 抜 く か 、そ れと も、 日本 人 と して 悠久の 歴史 に生き る の. を 通 じて 彼は 転向 を 徹底 的 な ものに した 。この 藤 井の. 教 誨師 藤 井恵 照の宗教 的 指森で あ った 。 この宗教 体験. 題 が ‘小林の心中を 俄かにとら えは じめるのであった。. 生涯を こ の共産 主 義 連動 に捧げることを一 度 は 決意. 教 誨によ って 、小 林 は 罪深 い 己 を 知り 、い か な る 償 い. か、これは獄中の小林にとって 難問中の難問 であった。. した小 林 に してみれば ‘ この 崩 れゆく己 の 姿に 無 念の. - 14-.
(15) によっても償い 切れ ない 罪をわ がものとしたので ある。. ことあ る なし』 を 十分 に 認識さ れた の だ 。吾 々の 此の. た。 即ち 『万のこ と、 み なもて 空 ごと 、 たわ ごと、 ま. 行諸善も 、 其の完 璧を期す るこ と が出来ぬ こと を知っ. 人 生 に 於て 、人間 の行 為に 於て は 、如何に そ れ が善事. す べ て を委 ねる し か 道の ない こ と を悟った 。 共産 主義 に 絶 望し 、 親翌に 心酔し て ゆ く小 林の 姿 がこ こ には あ. で あ っても、 それだ けで は 駄目 なの だ 。 否却 って 自己. ただただ、 己 の無力 、 無 効 を恥じ、 認識し 、 絶対者 に. った 。 己の す べ て を如 来 に 預け る 以外 に道は ない 。 正. 」. 底 化ののち に到達したように、 自力 とい うものの無力 、. こ うして小林は 、 清 沢瀾 之 が 知およ び 肉体 によ る徹. 。. の力 を倍じて 居る 所に 破綻が来 る のだ 。u. 無効を徹底 的に教 えら れ、 如 来 に なに も か も 預け る こ. 世 主 の つ もり に なって行動 して き た 己の 自力 など 、 い. 義のた め 、世 界 全体 の 労働 者、農 民の た め と 称し 、救 か ほど の も の で も ない こ と に 小 林は 気付い た 。愛 す る. とによ って 、 精 神の 安定 を獲 得 す るとこ ろ に 到達し た. ので あ る。獄中で 体験 ‘獲 得 した 宗教に つ い て 彼は 次. た 己のプ ラ イド など、単 なる幻想 で 、そ の よ う なもの は す べて 捨て て 、 無力 な己 を如 来 に 委 ねる 道 を彼は 歩. のようにのべている。. 家 族さ え救 済出来 ぬ 正義と は 何か 。 後 生 大事に し て き. むこ と を決意する。「歎異抄』、 『 教行 侶証』 など が彼の. 完 全なる世界|ー ヘの不 断の. 「宗教とは 、 現実 の不 完 全なる 我を否 定し 、 仏者 の 世界、 即ち 彼岸の世界. 進 展そのもの を云ふの で は なから う か 。従 って宗教 と. O. 周辺には あ った 。念仏 ― 二昧の 日 が続 く。教誨師 藤井に‘ 共産 主義、 および その 運 動 は 絶対的正義で あ り、 世. れた もので ない 以上、 常 に 永遠の 生 命と、 限 り なき 光. は 、 彼岸へ の 憧れで あ る。 欲 望で あ る 。人 間 が完 成 さ. 小 林は如来の顕 現を仰 ぎ見る思い がしたという 紐. 界人類 の た めで あ り、 己は その 兜 なる運 動 の 指導者 で. 」. 刑期 を終 え、出獄した小林は、 今後、 共産 主義運動. 明への 到達を望んでやまぬ ものである 。5. あ るとい った 意識 が、 い か に 傲慢 なこ とで あ り、そ れ がま っ た く の 幻想 で あ る と の 思い に 小 林 は 到達し た 。 現実 世界に完 璧な人間 の 普 なる行 為 などありはし ない 。. 彼は こうい う 。 「 聖人 は此 の 吾々 を究 明 して行く 時に、 如 何 なる 万. -15-. 2002. 3 13巻 2 号 文学 · 芸術 ・ 文化.
(16) 農 民運動 と い った反権 力 、反国 家的 行動 は 、す べて中. 国 更 新 会 は 、ま さ しく前者 であ った。 小林 は帝 国 更 新. と 「ムチ」 は 、政治 支 配 の常套 手段 であ るが 、 こ の帝. すだ け で、転向さす ことが成 功す るはず はな い。「アメ」. 「いま ま での保設 団体 は、刑余者 の保詭 に重点 を お. 止す ると い ったよ うな 、消 極的姿勢 ではな く 、他 人 に. いた いわ ゆる免 囚保護事 業 であ った が 、新 しく猶 予者. 転 向をすす め、ま た、転 向者 の将 来 に ついて懸命 に援 国 家権 力 によ って つく られ た更 生保 随 団体 であ る帝 国. 会を こう説 明 して いる。. 更新会 での活動 、そ の内部 に設 置 され た思想 部 の責 任. の保護 事 業 の分 野をも開拓 した のであ る。家 族主 義 に. 助 活 動 を す る と い った 積 極 的 方 向 へゆく の であ った。. 者 と し て の懸命 な努 力 によ って、彼 の転向 は完 成 す る. 基 ついて、役 員も保護 され る者 も ―つの家族 であ ると. 小 林 が こ の帝 国更新会 に かかわ った のは 、昭和 六年. 2」 念 と した のであ る。U. し、互 いに助 け合 って更 生 を計 る ことを 保護 の根 本 理. のであ る。 わ が信念 に基 づ いた 反体 制 的 運動 家が 、国 家権 力の. の仮 釈 放 にな った直 後 から であ り 、 こ の時点 で、彼 は. 弾圧 に敗北 を喫 し、獄中 で転 向 し て、体制擁 護 派 の人 間 として再 生す ると いう、方向転換 を、小林 の無 節操 ‘. 新 しく人生 の スター トを 切 った のであ る。 昭和 九年 に. は 、 こ の帝 国更新 会 に 、新 しく思想 部 が独 立 した かた. は いる。 し かし、そ のよ うな結 論 づ け では 、思想 的 に 小 林 を見た こと にはな らない 。 と も かく 、帝 国更新会. ちを と って発 足 した。彼 はそ の責 任者 とな って活 躍す. 臆 病 、偽 善 と呼 ぶ こと は 、それ なり の正当 性 を持 って. にお け る小林 の仕事 ぶ り に注目 し てお こう。 そも そも. る こと になる。. 己 に可能 な限 り の力 を奉 げ た のであ る。帝 国更 新会 の. および そ の家族 に対 し、就職 の斡旋 、生 活 の援助 など、. 思想事 件 関与者 が就職難 を 極 める な か、小 林 は当 人. この帝 国 更 新会 な るも の の正体 は何 な のか。 ここで の. 産 主義 から身 を引 く ことを 決意 しただ け では、転 向 は. 思想部 の事業内容 は次 のようなも のであ った。. 彼 の活 躍 こそ 、転向 の完成 と かかわ るも のと な る。共. 繰 り返 さ な いよ う 、体質 改善 を し、そ の上 で、梢 極的. 「A、在 監中—ー未決 又 は既決 中 の思想 犯人並其 の. 完 成 し た こと にはな らな い。 二度 とそ のよ うな行為 を に国家 体制 に協力 す る こと が必 要 であ った。厳 罰を 課. - 16-. 綱沢 小林杜 人 と転向.
(17) 13巻2 号 2002. 3 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 家族の救援. 間 で あ れば こそ、 そ のエネ ル ギーを 国 家 体 制擁護、 尊. これまで 、 共産 主義運動 に 全生 命を 傾注し て き た人. 以て 奉公の誠 を致さんことを切 念せざるを得 ない。佐 ‘」. 技術及 知識の再教育) ‘②就学、 復校、 勉学 の 斡旋、③. 王国家発展 の た め に使 用す るならば 、 彼 ら は 極めて 大. ① 就職 並授 産の 斡 旋 並職 業 補導 ( 就業. 寄 宿 舎 並療 挫の 設備、④ 修挫会 、 座談会 、 講演会 の 開. も共産 主義 運動 に専 念し、 し か る の ち に転向 し た 人 間. き な 大き な 貢献を す る で あ ろうとい うので あ る。小 林. B、 釈放 後. 場の 開設、⑦ 替視 庁 並 所轄署 との連 絡‘ ⑧ 弁護士の 紹. 催、⑤結婚 の 斡旋‘ 転 向 者 家 族の 保護、⑥ 恩賜記 念農. これら の 事業の 内容は 、 あら ゆる運動 家および その. 新た な る 自己 発 見の 場で あ った 。転 向 の 前 も後 も、 小. 獄 中 生 活は 、 彼 にと って 修養 の 場で あ り 、 人 格 陶 冶、. で あ る 。そ う で あ れ ば こ そ 、 今 日 の 己 が あ る と い う 。. 家 族 の 日常 から 将来 にわた る総合 的 支 援 にか か わ る も. 林 の 精神の 深層は 変 るところは な い 。 眼前に 浮上 して. 介 斡旋、⑨ 修養 ‘研 究、 娯楽、 図書の設備g」. のと な って い る 。 小林 の 日常 は多 忙 を 極 めるこ ととな. くる 諸問題 と、 真 球 に取り 組み 、反 省 を 繰り 返し 、 誠. 転 向 後の 帝国更新 会 な どを 通 じて 、 小林 に救済 さ れ. 実 に、ひた すら他人のた めに活動 をしたのである。. る 。 彼は や が て 、大 孝 塾 “に 関係 し、 さ ら にそ れ を 発 国 民思想 」)は 、そ の 機 関誌で あ った。「 転生 」 発 に 「. た 人は多 い 。 裂 切者 、 卑 怯者 、 権 力の 手 先な どと 陰 口. 展 さ せ、 国民 思想 研 究 所の 主事と な る 。「 転生 」(の ち. 刊に際 して の 「辞」 に注 目すべき文 言があ る 。そ の一. さ しの べて い る 。 この行 為は、 もう 、 ほと ん ど宗教的. をたた か れ な が らも 、 彼は そう い う 人にも救 い の手 を. 我等 は 過ぐ る昭 和 年間 、 共 産 主義が幾 多の 誤 謬を 「. 営 為とい って よ か ろう 。 石堂清倫は小 林 の この 行 為を. 部を引いておこう 。 有した る にも 拘わ ら ず、 日本 思想 界に多 大 の 影孵を与. 次のよう に評している 。. しかし彼は こ れに 対し、 一 言も 弁解を 試みた こと は な. 「一部の人は 小林を 司法権力 の手先として 非難した。. へ 、且つこ の 連動 に従事した るものが救 世的 情熱を 以て. 国民として の 真の 自 覚 に立 ち 、 自己 の完成 を 期す ると. い。 彼 は前 後 数千 名 の転 向の 世 話を した 。 そこに 集 ま. その 全生命 を 傾倒し た 事 実を 想ふ時、 更に 彼等 が 日本. 共 に、 再び その 全精 力を傾注 して 国運の 発展に献身し、. - 1 7-.
(18) 網沢 小林杜人と転向. る人が、 彼を 利用 す るだ け のもので あ ろうと、不 純な. て 許 す ことの出 来な い、反 権力 的 集 団で あ り、 追放 す. えて く る 。国 家 権力 に と って小林ら共産 主義者 は 決 し. ねて. ついに和 霊 へと 変 容し て ゆ く 過程 の よ う に も思. そ の 心情 や 決 意 を 一 度 も 問 い た だ す こと は な か った 。. べき集 団で あ った。しかし、小林がこうして検 挙され、. 動 機に よ る も の で あ ろ う と 、 一切差 別 を し な か った 。 無条件で す べて の 人に 接し た 。彼のた め生 活を た て る. 転向し、国家体 制に積極的 に協力してゆく 姿を みる 時 ‘. こ の 無償 の 行 為遂行 に 到達す るまで に、 小 林は 幾多. ある。. これは 日本的 土 嬢から 生 れた 反 王権の 歴史 のよ う で も. ことのできた人は多いが‘⑯」 の経 験 を 積 んで きた が、 な かで も獄 中 で の教 誨師と の. 転向とは、「単に向を変へ たと云 ふ様な生 易 しい もので. ことを発見 す る時間 で あ った。従 って 、小 林 に とって. 覚 し、 大い な る 力 ヘ己を 委 ねる 以外に 生 きる道 のな い. う こと を 、 は る か に 超え て 己を 知 り、己 の 無力 さ を 自. 獄 中 で の拘束さ れた 生 活は 、共産 主義 との決 別とい. いるわけ で は な い。 怨霊 に 戦慄し な がら も、時 と し て. 春 風胎蕩 す る環 境のなかで 、農 耕儀 礼に 明 け 暮れし て. を 王権は 欲 しがる時 があ る 。 王権と い う 怪物は い つ も. とな って い る反 倫理的行 為、反 モラ ル、 反 人道 的 行為. 王権自体 が必 要 とす るという ことで あ る。 一般的 通 念. 追い詰めら れるという激しい憤怒とそのエネ ルギーを、. がある 。 王権 が、か な りの ところまで 批判、攻撃 され、. 王権と い う も の が 長 期に し か も 広 範囲 に わ た って 、. は なしに、 そ れは 、 宗教 的な意味 で 云 ふ再生 とか、新. その存在 を許し、 逆にそのエネ ルギ ーを栄 裾分として、. 出 会 いを通 じての 宗教体 験は 、 彼を し て 無の 世 界に 突. 生 とか転 生 とかと云 ふ 言築の 方が正 しいので は ないだ. 強 く、 大き く 、生 気あ ふれるものに な て ゆ く 。 怨霊の. その体 制 を 維持、 強化して ゆ く 際 に、 欠か せな い も の. らうか ら 」ということになるし、また、「共産 主義者にと. 側 からいえば 、 当初は 王権 に 絡 み、そ れ を 窮地に 追い. の 一 っに、 王権そ のものへの攻撃 の 許 容と そ の 懐 柔策. って、 拘禁生 活と 云 ふこと は 、 じつ に 自己を 批判す る. 悟る境地に立ち入 らせたのである 。. 絶好の機会で あったので ある 。伯」ということになる。. 込むこともあ るが、究 極的 に は 、 王権と 握手 す る 。怨. 入 さ せ、 自力 の 無効 性、他 を 責め ること の むな し さ を. この 小 林 の歩 んだ 道 は 、 荒 ぶる霊 が 幾多 の 変 遷を 重. -18-.
(19) として丁 重 に祀 られ る こと にな る。. 霊 、荒 ぶる霊 は遂 に和 霊 となり 、霊 験 あ ら たかな る神. 小林 は遂 に、国 家権 力 が最 も欲 しがる和霊 に転 化 し て い った のであ ろ う か。 それ でも 、王権 は彼 から監 視 界 で呼 吸 して いた の. の眼 を逸 す こと はな か った。 し かし小 林 は 、も う そ う いう地 点 から は、はるか遠く の世. であ る。 注 m 思想 の科学研究会 「 共同研究 ・転向」 ( 上)平凡社、昭和三十. 四年、二四頁。 ② 同上書、 一頁。 ③ 同上杏、同頁。 ④ 同上也、同頁。 ③ 同上苔‘三頁。 ⑥ 同上魯、五頁。 ⑦ 同上杏、六頁。 ⑧ ( 「」 )は引用者。 ⑨ 同上書、六頁。 増補 ・転向文学論」未来社、昭和三十九年。 二三九 10本多秋五 「 頁。. |. 4. ,ーし. , ‘. m 同上因、二四八頁。 12同上書‘ニ ―六頁。 9' . ' 13同上古、同頁。 , ’ _. ._ し. 'し. ._ J. 9 し. し. l. ‘‘ー. j. j. j. j. l,. j. j. j. 14同上書、同頁。 , ' ‘ 、’ l ` 、 全著作謀」13勁草占用、昭和四十四年、六 吉木隆191 15占本隆明 「 ' し ( 頁。 ハー六ヒ頁。 歴史と体験」春秋社、昭和三卜九年、六ぃ 16栢川文三 「 f t , " 1 r 店、平成十二年、六八頁。 思想検事」岩波虫口 17荻野“士夫 「 l, r , , 1 , 「 18小林杜人 「 転向期」 のひとびと 新時代社、昭和六十二年。 ,ー, , 1 , 小林杜人) 「 共産党を脱する迄 大道社、昭和七年。 19小野陽 一 ( ' ー 、 l ` 、 20同上内、二0頁。 \ , ‘ _ . , 21同上書‘二六頁。 . ' ‘ . ‘ 頁。 四 四 、 LJ t 上 同 22 ` ` , 、 ー ' 、 「 23小林杜人 「 転向期」のひとびと 、二0頁。 ' ' ー ‘ ' ., ‘ 共産党を脱する迄 、Eニー五三頁。 24小林杜人 「 「 転向期」 のひとびと」 、ニ ―頁。 25小林杜人 「 ‘,j 26小林杜人 「 共廂党を脱する迄」、 こ3頁。 � ` . 、 ‘ ‘ ‘ 、 27多くの賢料 がそのことを襄付けているが、栢川文三 の指摘をあ , r ' げ ておこう。 「いわゆる転向 の動機としても っとも多く兄 られ 近親愛その他家族関係」 の動機であり、それにつづ い るのは 「 て 「 国民的自牝 であ ったことは各種 の臼料 から明白 に知られ 標的周辺」弓立社、昭和五十二年 、 一五八 「 」( る事実 である。 i 一五九頁。 )。 28小林杜人 「 共産党を脱 する迄 六九頁。 ( ‘ ' , ‘ 29柏_ 、 一三七頁。 JI、前掲巾2 , 1 ', 30小林杜人縞 •著 「 転向者 の思想と生活」大道社、昭和十年 、 一 五頁。 ハー六七頁。 共産党を脱する迄 、六」 5 小林杜人 「. - 19-. 2002. 3 13巻 2 号 文学 · 芸術 ・ 文化.
(20) 綱沢. 小林杜人と 転向. J. ( 講談社. 、 昭和五十年) がある。. 32文 部 省 唱 歌 と ふる さ と の関 係 を 鋭 く つ いた も のに松 永 伍 一の ふるさと考 「. 33しかし、 この ことは近代 への反逆 のよ うに兄 えはす るが 、結果. し. 言. ,1 1 .. ‘ ' , ‘ 42小林杜人 「 「 転向期」 のひとび と」 、 二八ーニ九頁。. i. 金 が司法省 に寄 せられた。当時 の司法次官 ・皆川治 広 が これを. ったと思 うが 、思想転向 者 の更生保 護事 業 のた めに多額 の寄付. ,1 .. 43同上書 、六四 ー六五頁。 . 1 . 1. , 一. 菱 合 肝株式会社 であ 44大孝 坐 と は次 のよ うなも のであ った。 「. ことがあ る。 「 近代 日本 の知 識 人 の多 く にと って、帰此 は具 体. 「 「 転向期」 のひとび と」 、 .ニニー ―二三頁。). 基 金 にし て、大 孝塾 研 究 所 を創 立 し た の であ る。」 ( 小林 杜 人. 的 には体 制内 に吸引 され てゆく迎命を辿 った。私 は こう のべた 的 に牒業 や農村 に帰 る ことを含 みなが らも 、それ以上 に観念世. 二五四頁 。). 、. 主 要 参 考 •引 用 文 献. 46石幽別倫 、前掲出 、二三 八頁。 . _ . 47小林杜 人編 ・サ 者 「 転向者 の思想 と生活」、五頁 。 ・ー 、・ ‘ ‘ ‘ ⑱ 同上因 、六頁 。. E ―ニヒ頁。 45同上巾 ‘. 界 での製 に寄 り添 おうとす る こと であり 、米 づくり の国 への同 にも たらされ たも のは、現実回避と自抱行 為 の祉大 のみ であり. 帰 を願う も のであ った。 …… ( 略) :· · :しかしそ の営為 の果 て 近代を総体 と して 問 い、 それを真 に超 えるも のではな か った。 」 、. 「 ( 近代 H本 思 想 の 一側面I ナ シ ョナリズ ム ・股 本 主義」 八千 代出版 、平成 六年. 図 小林杜 人編 ・蒋 「 転向者 の忠想と生活」、凹 ニー四三頁。 j. ⑮ 小林 杜人 「 共廂党を脱す る迄 、八〇貞゜. 小 林 杜 人) 「 小 野陽 一 ( 共 産 党 を 脱 す る迄」 大 道 社 、 昭和 七年. ⑮ 同上古 、同頁 。 x j. 小 林杜 人編 ・著 「 転 向 者 の思 想 と生 活 」 大 道 社 、 昭和 十 年. 、 前掲因 。. 37占本隆明. ,1 ` _ 、,. 訣別を はかり 、 一転 して親翌 により回信 をとげ た。それ は刑 務 当 局 の心証 を よくしたり 、刑 の軽減 を期待 して の策略 では な い。. i. 八貞 。 ). 」( 「 異端 の視点ー 変革 と人間と」勁草 因 に達 した のであろう。. 罪 ふか い己れ が絶対 者 である仏陀 によ って救 われたと いう信念. i-. 尻 、昭和 六十 .一 年 、 .一L i三. 昭 和 三十 四年 i同 二十 七年. 昭利 三 十 九 年. j. 未 来 社 、 昭 利 四 十 一年. 「 培 補 ・転 向 文 学」 未 来 社 、 昭和 三 十 九年. 橋 川文 三 「 歴 史 と体験」 春 秋 社. n. 磯 田光 一 「 比 較 転 向 論 序 説ーー ロ マン主 義 の精 神 形 態」 勁 草 書. 藤 田省 三 「 天 皇 制 国 家 の支 配 原 理. 本多秋. 、. 恩 想 の科 学 研 究 会 「 共 同 研 究 ・転 向 」 ( 上 •中 ・下 ) 平 凡 社 ‘. 久 野 収 •鶴 見 俊 輔 「 現代 日 本 の思 想」 岩 波 書 店 、昭 和 三 十 一年. 38小林杜人 「 共産党を脱す る迄 、八三頁。 , ー ' 、 _ . 39この時 の小林 の心梢 に it11して、石党泊 倫は次 のよ うにの べて 、 _ r いる。 「 小 林 が獄 中 で 、死 をも って これ ま で の共 産 主義 思想 と. ヽ �. j. 40小林 杜人 「 共産党を脱す る迄 、 一五六頁 。 , _ , 、 1, 一 5 同上贅 八0頁。. - 20 -.
(21) 叫トニ年 切 、昭fll 占本隆 明 「 吉本隆明全著作集」 13 、勁草 書房 、昭利四十 四年 膝 田 省三 「 転 向 の思想 史 的 研 究ー そ の 一側面」 岩波 掛 店 、昭 11. • • • • t jL . / 9. 安 田常雄 「 H本 フ ァシズ ムと民衆 運動」 れ んが古所 、昭和 五. r •りF | 転向論序説」 ミネ ルバ因房 、昭和 五十五年 中嶋誠 「 〈 日本回茄〉論序説」 JC A出 版 ‘昭和 五卜 八年 近藤渉 「 小林 札人 「「 転向期」 のひとぴ と」 新時代 社 、昭和 六ト ニ年 六十 異端 の視点—| 赤久革 と人間 と」勁怜出房 、昭fll 石堂泊倫 「 . . ニ if 鍋山歌子編 「 鍋山貞 親著作鮨」 ( 上 .下巻)坦企画出版 ‘昭利 六十 四年. ー. 大 正 ·昭和粕 神 史断箪」読 売 新聞社 ‘. 1年 中 野厭治 と社会主義」 勁草苔屈 、平成i 石立泊倫 「. 平 成 八年. 坂本 多加雄 「 知識人. j. 平 凡社 、平 成 十. 荻 野富 士夫 「 思想検事 」 岩波忠店、平成十 二年 鶴 見俊輔 •鈴 木 正 •いいだも も 「 転向 再論 ニq. -21-. 2002. 3 13巻2 号 文学 · 芸術 ・ 文化.
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