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日本統治時代台湾におけるマラリア防遏事業と衛生思想の普及について

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(1)

学位 論文

日本 統治 時代 台湾 にお けるマ ラ リア防過事業 と衛生思想 の普及

について

兵庫教育大学大学院

学校教育研究科

教育内容・方法開発専攻

認識形成系教育 コース

社会系教育分野

M13123J

曽根 申

答平

(2)

目次 序章 第一章 台湾総督府 のマ ラ リア防過事業 第一節 下水・ 地物整理 (マラ リア防過 の黎 明期) 第二節 台湾地方病及び伝染病調査委員会 第二節 医学的研 究 第 四節 マ ラ リア流行地 (開発原病地

)へ

の防過事業

(1)

膨湖庁

(2)

「蕃地」

(3)

鐵道・ 水利等 工事現場 (一

)阿

里 山 (二

)九

曲堂 (三

)瑛

石 閣

(4)

内地人移住地 第五節 マ ラ リア防過会議 第六節 マ ラ リア撲滅計画 第七節 マ ラ リア防遇規貝Jとマ ラ リア防遇心得 第人節 マ ラ リア防邊事務講習 小結 第二節 台南州 のマ ラ リア防過事業 第二節 高雄州 のマ ラ リア防過事業

(1)

マ ラ リア流行 の沿革

(2)

マ ラ リア防邊血液検査服薬方法

(3)

マ ラ リア防過血液検査施行成績

(4)

マ ラ リア死亡率

(5)

薬 品消費

(6)

博染病予防及びマ ラ リア防過地物整理費補助

(7)

衛 生予算

(8)

排水施設

(9)

下水掃 除の状況

(10)

高雄州 の衛 生組合 1頁

4頁

4頁

8頁

8頁

11頁 11頁

13頁

14頁

14頁

15頁

17頁

17頁

19頁

23頁

26頁

31頁

37頁

第二章 地方のマラリア防邊事業一保健組合・衛生部落建設中心に

- 39頁

第一節 特別会計伝染病予防臨時費資金 とマラリア防邊費の負担区分・補助方法決定

39頁

42頁

56頁

56頁

57頁

57頁

61頁

64頁

64頁

645ヨ

68頁

69頁

70頁

(3)

第 四節 移民村 の防邊事業

(1)

豊 田村

(2)

吉野村 第五節 台湾大地震 第六節 新竹州 のマ ラ リア防遇事業

(1)

地方病マ ラ リア防邊 ノ概況

(2)

マ ラ リア患者調ベ

(3)

下水施設

(4)衛

生部落建設

(5)保

健組合 第七節 台 中州 のマ ラ リア防過事業

(1)保

健組合

(2)

マ ラ リア薬品費の負担

(3)

マ ラ リア患者 の治療

(4)

マ ラ リア防邊作業

(5)衛

生宣博

(6)

駆轟剤及消毒薬 ノ配付

(7)過

怠処分 小結 第二章 原住 民に対す る防遇事業 第一節 理蕃事業概説 第二節 蕃地衛 生 医療概説 第二節 原住 民 に対す る防遇 ―衛 生組合 の成立 小結 第 四章 学校教育 にお ける衛生教育及びマ ラ リア防過教育 第一節 台湾 にお ける初等教育の歴史 第二節 公 学校 国語教科書 について 第二節 公学校 国語教科書 に見えるマ ラ リア防過記事・衛生記事

(1)

「カオ フアライマス」

(2)

「ネマス」

(3)

「アサ ノシゴ ト」

(4)

「ヨル 」

(5)

「ペ ス ト病 」

(6)

「蠅 卜蚊 」

75頁

75]ヨ

77頁

83頁

92頁

92頁

98頁

107頁

107頁

108頁

109頁

109頁

109頁

111頁

112頁

118頁

120頁

121頁

123頁

126頁

126頁

128頁

131頁

135頁

136頁

136頁

139頁

139頁

139頁

139頁

140頁

140頁

141頁

142頁

(4)

(7) (8) (9) 「種痘」 「博染病」 「蚊 とマラ リア」

142頁

143頁

144頁

145頁

145頁

145頁

146頁

147頁

148頁

150頁

151頁

衛 生 記 事

152頁

152頁

152頁

153頁

153頁

153頁

153頁

154頁

155頁 157頁 第四節 公学校理科教科書について 第五節 公学校理科教科書に見えるマラリア防過記事 。衛生記事

(1)

「げんごらう、やご、ぼ うふ り、ひる」

(2)

「害轟」

(3)

「ねずみ」

(4)

「蚊」

(5)

「バクテ リア」

(6)

「動物 と植物 と鉱物」 第六節 部落振興会の国語講習用教科書 に見 えるマ ラ リア防遇記事 。

(1)

「医者」

(2)

「デ ンセ ンビャウ」

(3)

「 トラホーム」

(4)

「ソウヂ」

(5)

「蚊」

(6)

「便所」 小結 終章 註

(5)

序章 明治

28年

(1895)4月

17日 の 日・清 の下関条約の締結 によ り日本 に台湾 。膨湖諸 島が 割譲 された。 これ によ り昭和

20年

(1945)8月

15日 に 日本が第二次世界大戦 に敗れ るま での約

50年

間、台湾 は 日本 の統治 下に置かれ た。当時 の台湾 は非常 に劣悪 で「療病の巣窟」 と称 され るほ ど不衛生な場所であつた。その中で もペス トやマ ラ リア1とい つた病気 に悩ま され ていて、台湾総督府 はこの病気 の防邊事業 を台湾統治の根幹 の一つ として捉 え、防過 事業 を開始 してい つた。その理 由には、ビゴー の代表的な絵 にも象徴 され る「日本人は猿、 猿マネ」 とい う劣等意識 が あ り、それ を払拭す るた めに衛 生事業 を台湾統治 の根幹 と位 置 づ けて実施 したのではないか と考 えられ る2。 先行研究 としては飯島渉の『 マラリア と帝国』3と本間恵介の研究4がある。飯島や本間 は台湾のマラ リア防過の実態を明 らかに しているが、彼 らの研究は上層部のマラ リア防過 であ り、下部である衛生組合や原住民のマラリア防過に関 しては手薄である。顧雅文の「植 民地期台湾における開発 とマラ リアの流行―作 られた 「悪環境」一」5は開発原病論 6ゃ 疾 病地理学の知識や

GISを

駆使 して分析 を行つて、マラリアは開発によつて悪環境が生み出 されたものであると結論付 けた画期的な研究である。 しか し彼女の研究はマラ リアが開発 にようて生み出 されたものであるとい う指摘に留ま り、マラ リア流行地における防遇事業 についてあま り触れ られていない。劉士永の「"GIS Mala五a and Highland Environmentin

Colonial Taiwaゴ '」7は

1917年

か ら

1921年

の台湾におけるマラリア罹患者数のデーターを 整理 し、マラ リアか らの 「避難地」であつた 700メ ー トル以上の高地は、

1920年

代か ら台 湾総督府が推進 した森林開発政策に伴 う人の移動によつて主要な流行地 となったことを指 摘 し、

GISに

よる空間分析の必要性 を提言 した研究である。また台湾におけるマラリア防 過に関する研究には疱燕秋の研究8がある。疱は台湾総督府のマラ リア研究は植民地時期の 医学の出発点の一つであ り、戦後の台湾医学発展の原動力の一つになった と指摘 している が、防過に関す る分析は概説に留まつている。 さらに 「公讐」の活動業務 を明 らかに し、 公医が地方行政に関与 していたことを明 らかに した栗原純9や鈴木哲造 10の 研究がある。マ ラ リア防遇には封蚊封策 と封原轟封策がある。封蚊封策 とは、水溜、溝渠の埋立や排水溝 の浚渫な どの地物整理な どを指 し、主に

1919年

のマラ リア防過規則の改正によつて封蚊封 策の重要性が増 し、法的拘束力を持つよ うになつた。封原轟対策 とは、キニーネの服薬を 中心 とした血液検査のことであ り、マラ リア防過は、封原贔対策 を主軸 として進められて きた。 本論の研究 目的は以下の二つに集約 され る。①台湾のマラ リア防邊や衛生事業が どのよ うな実態であったのかを明 らかにす ること、② どこの部署が衛生を掌つていたのかを明 ら かにす ること、③ どのよ うな方法で衛生思想の普及 を図つていたのかを明 らかにす ること である。本論の研究方法 としては 日本植民地時期に刊行 された文献か らマラ リア防遇の実 態を明 らかに し、なるべ く日本植民地を経験 した人物に対 しての間き取 り調査で補完 した

(6)

い 。 本論 では、原典史料 に基づいて台湾 にお けるマ ラ リア防遇事業 の内容 を具体 的 に明 らか に し、衛生組合や模範部落 の建設や大清潔法 による定期的な コミュニテ ィの清潔活動 の実 施 を材料 として衛 生思想 の習慣化

=近

代化 につ いて検証 していきたい。 そのため第一章 で は台湾総督府 のマ ラ リア防過事業、第二章では地方 (州庁

)の

マ ラ リア防過事業、第二章 では蕃地医療衛生 について、第 四章では学校教育 にお ける衛 生教育及びマ ラ リア防過教育 について検討す る。 [一次史料] 『 マラリア防過誌』台湾総督府警務局衛生課

1932年

『昭和十一年高雄州衛生要覧』 高雄州警務部衛生課

1937年

『衛生概況』新竹州衛生課

1939年

『昭和十四年版保健組合事業概況書』台中州警務部衛生課

1939年

ドク トル都築甚之助 『伝染病予防消毒免疫新論』報文社

1903年

『 肉叉蚊第二回報告』台湾地方病及伝染病調査委員会

1905年

『公文類纂』第二十人編

1914年

五種の公学校国語教科書

1901∼

1944年

橋本 白水 『 台湾の事業界 と人物』南国出版協会

1928年

橋本 白水 『台湾統治 卜其功労者』南国出版協会

1930年

国府種武 『 台湾に於ける国語教育の展開』第一教育社

1931年

『 台湾六法』台湾 日日新報社

1934年

『昭和十年台湾震災誌』台湾総督府

19364

『改訂台湾人士鑑』台湾新民報社

1937年

『台湾教育沿革誌』台湾教育会

1939年

『理蕃誌稿 I∼ Ⅳ』台湾総督府警務局

1918∼

1938年

『台湾警察協会雑誌』『台湾警察時報』台湾警察協会1917∼

1944年

『衛生組合指導要領』高雄州警務部衛生課

1939年

『官営移民事業報告書』 台湾総督府

1919年

『吉野村概況』吉野村居住民會

1936年

四種の公学校理科教授書 台湾総督府 1915、 1927、 1929、

1930年

『 国語塾読本』鳳山郡民風作興會

1939年

『台湾五十一年末統計概要』進学書局

1969年

『 高砂族調査書 第六編 薬用草根木皮』台湾総督府警務局

1939年

『 国民読本参照国語科話方教材』墓湾線督府民政部學務課

1900年

[二次史料] 『理蕃の友 I∼ Ⅲ』台湾総督府警務局理蕃課

1932年

(7)

下村 八五郎 「墓南 州 下 二於 ケル 「マ ラ リア」防 過作業 ノ賞際 卜其成 績 」『 蔓湾 讐學会雑誌 』

1935年

森 下薫 、下村 八五 郎 、杉 田慶 介 「新竹州 下震 災地方 二勃奎 セル流行性 マ ラ リアニ就 テ」 『蔓湾讐學会雑誌』

1937年

羽鳥重郎

『眠鰐 自叙回想録』眠鰐 自叙回想録刊行会

1964年

森下薫

『マラリアの疫学と予防』菊屋書房

1976年

吉田幸雄

『図説人体寄生虫学 第

2版

』南山堂

1982年

藤井志津枝 『理蕃一日本治理台湾的計策』 文英堂

1997年

松田吉郎

『台湾原住民の社会的教化事業』晃洋書房

2011年

論 文] 薬茂 豊 「中国人 に対す る 日本語 教育 の史的研 究」 周 慧茄 「日治時期 蔓湾公 學校理科教育 之研 究」

2012年

王秋陽 「日本統治時代台湾における日本語教育―グアン氏言語教授法に関連 して一」 『 山口大学大学院東アジア研究科博士論文』

2011年

[新聞] 『 台湾 日日新報』 [映像史料] 『 学術映画 マラ リア』塩野義商店学術映画部 森下薫・小 田俊郎監修

1939年

長崎大学熱帯医学研究所にフィルムが保存 されてお り、閲覧す ることができる。筆者 は 既にこの『 マラ リア』 とい う学術映画を拝借・ 閲覧 し、当時のマラ リアに関す る研究や防 過方法について映像化 されている。 また翌年には映画の内容 について『 マラリア学術映画 梗概』 とい う本 に纏められ、塩野義製薬学術映画部か ら出版 されている。因みに上記の本 は国立国会図書館デジタル ライブラリーで閲覧することができる。

『筑波大學大学院博士論文』

1977年

『台湾師範大学台湾史研究所碩士論文』

(8)

第一章 台湾総督府 のマ ラ リア事業 第一節 下水 。地物整理 (マラ リア防邊 の黎明期) 明治

30年

(1897)4月

、台湾総督府 がマ ラ リア防遇事業 の初期 の措置 として土石採掘跡 の取締 に関す る命令 を出 し、『 マ ラ リア防邊誌』(台湾総督府 警務 局衛 生課 。昭和七年 二月 二十 日)4・

5頁

に次のよ うに記載 され ている。 一 、土石採掘跡取締 に関す る件 (明治 三〇年 四月民総第 六人人号民政局長 (水野遵) よ り各知事へ) 菫 北城 内外 に於いては土碑 を製 し又 は家屋建築に際 し地上げの為 め土石 を採掘 しその 跡 を埋没せ ざる習慣 あ り執 も其採掘 した る後 に汚水瀦溜 し又 は塵芥汚物堆積 し殊 に人 家桐密 の箇所 に在 りて最 も不潔 を極 め衛 生上有害 た るは別 に排 を侯 たず候右 は獨 り蔓 北市街 のみな らず他各地 に於 いて も亦 同様 の ことと被存候果 して然 らば将来左 の標 準 に依 り適宜取締 の方法御設可有之依命此段及通達候也 一 、市街地 に於て土石 を採掘 した る ときは直に其の跡 を埋没す るか又 は汚水排 除の装 置 を為す な ど汚水 を瀦溜せ しめ ざる様 取締方法 を設 くる こと但 し汚水排 除の径 路 は所 轄警察官署の認 可 を請 け しむ るこ と 一 、市街外 と雖 も市街 に連接 し人家棚密 の場所 には前項 を参酌適用す ること 一 、市街又 は市街 に連接 した る人家桐密 の場所 に於て養魚池又 は放生地泉水等 を設 け ん とす る者 は所轄警察官署 に届出認可を請 け排水 口を設 け しむ こと 以上 の史料 か ら

(1)市

街地 で土石採掘 を した ときはそ の跡 を埋没す る。若 しくは汚水 ツト除の装置 を作 る。汚水ツト水経路 は警察の認可が必要である。

(2)市

街 の外 で も人 口密集 地で は同様。

(3)市

街や人 口密集地付近 で養魚地等水 が溜 まるものを設置す る場合 も警察 に届 出て認可 を受 け、ツト水 口を設 けるな どの対策が実施 され た ことが分 か る。 台湾総督府 は、明治

32年

(1899)4月

台湾下水規貝J、 6月 台湾下水規則施行細則 をそれ ぞれ制定 したが、『 マ ラ リア防過誌』

5頁

には次のよ うに書かれている。 一 、蔓漏 下水規則制定 明治二十二年 四月律令第六琥 を以て墓彎 下水規則制 定同年五 月一 日よ り施行せ り。 一 、蔓彎下水規貝J施行細則制 定 明治 二十 二年六月府令第 四十人琥 を以て蔓湾 下水規 則施行細則 を制定せ り。 以上 の下水規則 は主 として市街 地 に施行せ らる ゝものな るもマ ラ リア防遇上大 な る効 果 あ りた るもの と認む。 この史料 か らは台湾下水規則 。同施行細則 の内容 は明 らかではないが、主 として市街 地 に施行 され 防過上大 きな効果があつた といわれている。

(9)

因みに台湾下水規貝Jの要点を簡単に触れておきたい。 ①公共下水は地方官庁が監督・管理者である。 ②私設下水の場合は (イ

)下

水の改築修繕 (口

)下

水の新設 (ハ

)下

水の廃止及び下水の 清掃に関す ることが管理内容 としてあげ られ、 この三つを行 う際は地方官庁の指定及び監 督が必要である。また下水溜の設置に関す る条文も記載 されている。 同 じく同下水細則の要点 としては

3つ

ある。①下水構造材料や下水溝の形に関す る規定、 ②私設下水道設置の際の許可制の明記、③私設下水道の工事竣成の際の衛生検査の実施に 関する規定が書かれている。

H

明治

32年 (1899)9月

、台湾総督府は鉄道港湾な どの職工人夫の衛生管理に関す る命令 を出 し、『 マラリア防過誌』5,6頁 には次のよ うに書かれている。 一、鐵道又は築港等に於ける職工人夫の衛生に開す る件 (明治三十二年九月内訓第四十 六琥) 鐵道敷設及築港其の他諸般工事の着手に付ては多数の職工人夫等一時に唐集 し平素衛生 上に無頓著なる彼等をして不潔汚織なる家屋内に群居せ しめ衣服飲食其の他衛生上必要 の注意を怠 る時は種々の疾患を醸 し加之一朝博染病の侵襲を蒙 るに至 らば忽 ち博染の勢 を遅ふ し彼等個人の困難は勿論鶯に工事の進行 を妨 ぐるの不幸を見るや も計 り知 る可 ら ず如斯事例は内地に於いても往々賞験す る所なれば多数の職工人夫を使役す る場合に於 いては請負人直螢工事に係 る時は該工事は直螢する官署に於ては別紙事項 も設備及注意 を鶯 し一面には職二人夫の健康を保護 し一面には工事の進行 を妨 ぐる等の憂なき様措置 すべ し 以上の史料か らは工事現場で働 く多数 の職工人夫を不潔な住居に集団で住まわせている と、伝染病が蔓延 し工事の進行にも支障をきたす。 日本内地では度々経験 していることな ので、工事 を担当す る官署が責任 を以て職工人夫の衛生管理 を行 うように命令 を出 した。 別紙の職工人夫の衛生管理に関す る施策は四点あ り、職工人夫の宿泊所については以下の ように記 されている。 一 職工人夫等の宿泊所は左の各項に準像 し構造す ること 一、宿泊所は卑瀑汚務の土地に建設せ ざること 二、崖下に宿泊所 を建設せ る場合 に於いては其の崖 を距 ること十二尺以上 とし、崖下 には必ず排水溝を設 くること 二、毎一人要するに居室の面積は一坪以上 となす こと 四、居室は瀑雨を防ぎ採光通氣の粘 に注意 し窓は毎一人に封 し一尺平方以上 となす こ と 五、寝菫 を用ひ ざる寝所は必ず床 を設 け可成畳敷 とし其床下は二尺以上 となす こと

(10)

六、炊事場及浴場は人家桐密 の場所 に在 りては相営の煙突 を設 くること 七、便所 は井戸及炊事場 を去 ること三間以上場所 に設 け糞便 の受器 は釉薬 を施 したる 瓶又 は不滲透性 の材料 を用 ゐ るこ と 人、管下の排水及炊事場浴場等 の汚水排除の鶯相営勾配 を有す る下水路 を設 け其の断 面 は園形 をなす こと 12 史料 による と宿 泊所 は じめ じめ した汚い土地 を避 ける、職 工人夫一人 に対 し

1坪

(約 3.3 ピ

)以

上の居室面積 を与 える、窓は職 工人夫一人に対 し

1尺

(約

30c m)平

方以上 の もの を設置す る。寝台 を使用 しない場合 は畳敷 きで床下は

2尺

(約

60c m)以

上 にす る、炊事 場や浴場 には煙 突 を設置、ひ さ しの下 には水 の流れやすいツト水路 を設置す る等細 かな決 ま りを規定 した。 また便器 は釉薬 を施 した ものか不浸透性 の材料 を使用す るよ うに規定 され た。釉薬 を焼 き物 の表面に掛 けて焼 くと、水が漏れ ない よ うにな り汚れ も付 きに くい とい われ てい る。 普通患者及 び伝染病患者 に対す る設備 については以下の よ うに記 され てい る。 二 普通患者及博染病患者奎 生 に際 し療養 又 は隔離 消毒等差支 ざる鶯豫 め左 の各項 に 準抜 し設備 を鶯す こと 一 讐師は常 に雇置 くか又 は奎病者 あるに際 し診療治療 に差支 えぎる様豫 て公 讐若 は 開業讐師 と約束 を鶯 し置 くこ と 二 博染病患者収容 に供す る鶯隔離室 を設 くるこ と 三 隔離室 は人 口百人 に付 き患者一人 を収容す るの割合 を以 て建設 し患者 毎一人 に要 す る病室 の面積 は一坪以上 となす こと 四 隔離室 には炊事場浴場便所 を附属せ しめ他 の健康者 と匝別す ること 五 偉染病奎生 に際 し消毒法施行 に差支 ざる様豫 て消毒薬 を備置 くこ と13 史料 による と、患者発 生時 に診療 して くれ る医師 を確保 してお く、伝染病 患者 を収容す る隔離病室 (患者一人 に対 し一坪 以上 の面積

)を

設 置す る、隔離病室 には炊 事場浴場便所 が備 え付 け られ他 の健康者 と区別す る、伝染病発生 に備 えて消毒薬 を準備 してお くこ とな どが定 め られ た。伝染病患者 が発生 した時の措置 について次のよ うに記 してい る。 三 博染病 患者嚢生 した る ときは速 に所轄警察官署 に届 出同時 に患者 の隔離 消毒法施 行等 臨機相営 の虎 置 を鶯 し置 き警察官吏臨検 の上線 て其 の指揮 に従 ふ こ と14 伝 染病 患者 が発 生 した時 はす ぐに警察 に届 出 を行 い 、患者 の隔離消毒 な どを警察主導 で 行 う事が規 定 され てい る。 また清潔 法 と身体 の摂養 (健康維持

)に

ついては以下の よ うに 記 され てい る。

(11)

四 平素左 の各項 に注意 し清潔法 の施行及身證 の掃養 を力 しめるこ と 一、衣服 は時々洗濯 し殊 に就寝の際は清潔 なるものを着用す 二、衣服 臥具其の他畳等は時々 日光 に曝 し乾燥せ しむ ること 二、飲食物は腐敗 に傾 きた るもの或 は腐敗 し易 きものを用ひ ざること 四、飲料水 は豫 め其の水質 を検査 し飲料 に適す るものを用ゆること但 し善良の飲料水 得難 き場所 に於いては必ず煮 沸 して之 を用 ゐること 五、宿泊所の内外は不潔 な らぎる様常に掃除を怠 らぎること 六、便所 は時々糞便 を汲取 り毎 日一同石灰類 を撒布す ること 七、下水溝 は常に疎通 に注意 し塵芥汚物の停滞せ ざる様掃除す ること 人、人家棚密 の場所 に在 りて炊事場 にお ける疏菜 肉類 の暦片及 日々掃 除 した る塵芥 は 覆蓋 を有す る塵芥箱 に入れ 置 き塵捨場 に運搬 し又 は一定 の場所 に於 いて焼却す る こ と 但 し塵芥溜 は塵芥汚物 を取除 きた る跡 には其都度石灰類 を撒布す るこ と15 史料 に よる と清潔 な衣服 を着用 し寝具 は 日光消毒す る、腐 りやすい食材 を使 用 しない、 煮沸消毒 した水 を飲む、下水溝 は流れ を良 くす るた め掃 除 をす る、生 ゴ ミは蓋つ きの ゴ ミ 箱 に捨て焼却処分す る、 ゴ ミや汚物 をためてお く所 には石灰 を撒 くな どのルール を設 けた。 石灰 を用 い るのは比較的安価 で あ り、微 生物 の分解 を遅 く し殺菌効果が あるた めに撒布 し た と考 え られ る。 ゴミ箱 を設置 した りす ることで規則 に基づいて ゴ ミや廃棄物 を処理す る こ とが行われ、 ゴ ミは ゴ ミ箱 に捨 て る とい うことを習慣化 させて衛生観念 の近代化 を図つ てい る。 以上 の内容 か ら職 工人夫 の健康 を保護す るた め、又 工事 の進行 を妨 げ る心配 がない よ う にす るため宿泊所 の設備や職 工人夫 の生活 に細心の注意 を払い、尚且患者発生 に備 えて予 防対策 してい るこ とが明 白になつた。 明治

33年

(1900)12月

、台湾総督府 は新設停車場附近の衛生工事 に関す る命令 を出 し、 『 マラリア防遇誌』

8頁

に次のよ うに記 されている。 一、新設停車場附近衛生工事に開す る件 (明治三十二年十二月民衛第人九七琥各縣知 事へ通達) 鐵道布設工事の進捗す るに従ひ新設停車場附近は漸次市街を形成 し或は新設停車場 と 在来の市街 と自然接績す るに至る場所 も可有之に付右等の場所に於ては営初衛生及交 通上相営の設備 を篤すにあ らざれば後 日諸般の障害を醸生すべきを以て縣下主要なる 場所 に於ける新設停車場附近に新に市街 を形成 し近傍市街に接績す る如き場所に於て は豫め土地の高低を測 り低地は適営の地上げを鶯 し雨水汚水をして一定の地に排 出 し 得べき勾配 を保た しめ道路の幅員及下水系統を定め之を標示 して市街 を形成せ しむる 様施設可相成依命此段及通達候也

(12)

以上 の史料 よ り新設 され た鉄道 の駅周辺 の土地 は、近 隣の市街 とのバ ランス を考慮 し予 め土地 の高低 を測 り低地 は地上げを した こと、雨水汚水 を排 出で きるよ うに道幅や下水系 統 を定 め市街 を形成 してい つた こ とな どが明 らか となつた。 第二節 台湾地方病及び博染病調査委員会 明治

32年

(1899)台

湾総督府は台湾地方病及び伝染病調査委員会を設置 し、『 マラ リア 防遇誌』

5頁

に次のように記 されている。 一、蔓漏地方病及博染病調査委員會設置 本島に於ける各種疾病殊に地方病及博染病並阿片療者治療法等の調査研究は疾 く其の 必要 と認むる所な りしが適 々蔓北、蔓南、蔓中の各讐院長讐学校長 よ り菫湾地方病調 査會設置に開 し建議す る庭 あ り然れ ども刻下特に之に要する費用の豫算なきを以て不 得 己先づ同年十二月調査會 の規程 を定め漸次其の調査に著手す るの方針 を執 り該會 に 開 し費用を要する場合に於いては本年度衛生費 より差繰支耕す ることゝし委員幹事を 命 じた り 以上の史料 より台北 。台南・ 台中の病院長や医学校長か ら早 く台湾地方病及び伝染病調 査委員会を設置す るべきとい う意見が出され、12月 に調査会の規程 を定め漸次調査に着手。 費用は衛生費か ら支弁す ることとし、台湾地方病及び偉染病調査委員会の委員 と幹事を任 命 したことが分かる。 第二節 医学的研究 マラリア防遇の医学的研究は明治

34年

(1901)よ り本格的に開始 された。明治

34年

の医 学的研究については、『 マラリア防過誌』

8頁

に次のよ うに明記 されている。 一、羽鳥重郎氏は本年線督府製薬所 (五月官制改正によ り専賣局に移 る

)附

属衛生試 験室に於いて 「アノフエ レス」及其の飼養研究をな し成績を奎表せ り 一、マラ リア調査 「アノフエ レス」の研究肉叉蚊第一回報告書菫湾地方病及博染病調 査委員會臨時委員木下嘉七郎提出に付九月之を印刷 に付 し島内及内地各方面へ酉己布せ り。同氏は三 日熱及び熱帯熱の爾熱種 「マラリア」の流行を認 めた り。 明治

34年

羽鳥重郎氏が総督府製薬所付属衛生試験室でマラリアを媒介す る蚊 (アノフェ レス

)の

最初の研究を行つた。羽鳥重郎氏は明治

32年

に来台 し、明治

34年

当時は台湾総 督府製薬所嘱託、衛生試験室主務であつた。その後明治

35年

台北庁検疫委員、同

42年

台 湾総督府防疫医官、翌年総督府の命 を受 け、台北庁北投においてコッホ流の対人的防過法 の実験 を行 つた。内容は約一六〇〇名 の検血並びに牌腫検診 を行い、判明 したマラ リア患 者にキニーネ とい う薬の投与を組織的に行 うとい うものであつた。大正

9年

台北州衛生課 長 を歴任する。 日本熱帯医学の先駆者的存在であつた。16

(13)

台湾地方病及び伝染病調査委員会臨時委員 の本下嘉七郎が、明治

34年

にア ノフェ レス研 究第一回報告書 を提 出 してい る。木 下はマ ラ リア防過 の先駆 け とな るキニーネ予 防内服法 を実施 した人物で ある。17 明治

35年 (1902)の

医学的研 究 について次 の よ うに記 され てい る。 一 、東京帝國大学助教授今村保氏 は本年七月本 島に於 ける 「マ ラ リア」研究の篤 め末 蔓せ られ た るに付地方病調査委員 を嘱託せ り同氏は新竹州南庄 に於 いて四 日熱 の流行 を證明せ り。 一 、明治三十五年鳳 山地方 に於 ける 「ア ノフエ レス」研 究調査報告書 を地方病調査臨 時委員木下嘉七郎 よ り提出せ り。18 東京 帝国大学助教授 の今村保 が来台 し、地方病調査委員 を嘱託す る。 四 日熱型 マ ラ リア を発見 してい る。今村保 は国家 医学会 に在籍 し、『 足尾銅 山の衛生一般』とい う論文 を著 し、 足尾鉱 山病 院 に依 つて記録 され た死因統計表 を利用 し結核 とは別 の肺疾患 による死亡率が 高い こ とを明 らかに した。 また

1902年

に北豊吉 と共 に『 徹菌学講義』 を著す。19 明治

36年

(1903)の

医学的研 究 についてはつ ぎの よ うに記 され てい る。 一 、地方病及博染病調査委員會 臨時委員木下嘉七郎 よ り肉叉蚊研 究第二回報告提 出に 付本年 六月之 を印刷 に付 し内地及び島内各関係方面へ配布せ り。 一 、内務省痘苗製造所技師官 島幹之助氏末菫 に付本年七月地方病讐務 を嘱託 し、基隆、 深 坑、菫北、新竹及墓 中地方 の 「マ ラ リア」に開す る調査 を鶯 さじめた り。 一 、地方病調査委員會 に於 いて 「マ ラ リア」蚊族研究の調査 を鶯せ り。20 内務省痘苗製造所技師の官 島幹之助氏が来台、地方病調査讐務 を嘱託 されマ ラ リアの調 査研 究 を行 つた。宮島幹之助氏 は 日本 で最 も早 くマ ラ リア原 虫の発育 とそのシナハマ ダラ カに よる媒介 を実験証明 した。明治

36年

痘苗製造所 (後の伝染病研究所

)技

師、大正

3年

北里研 究所創設 とともに寄生 虫部長 となった。我 が国にお ける最 も古 い寄生 虫学 の研 究 者 。指導者 の一人 で、広 く医学・ 衛 生界 の発展 に貢献 した人物 である。21 明治

37年

(1904)の

医学的研 究 については以下の よ うに記 され てい る。 一 、マ ラ リア豫防法なる印昴J物に開 し注意方 都 築甚 之助編 著鳳 山に於 け るマ ラ リア豫 防策 なる印刷物曇 に鳳 山麻 に於 て刊行頒布せ しが一般人民 を して本書記載事項 を以て官麻 の方針 と誤解せ しむ るの虞 なきにお あ ら ざるを以て人月十七 日左記 の通鳳 山麻長へ通達せ られ次て同二十二 日其の旨爾餘 の各 麻長へ通牒せ り。(本人六人琥

)民

警第一五〇六琥 (人月) 本年五 月貴麻 に於 いて都築甚之助著 「鳳 山に於 けるマ ラ リア豫防策」なるもの出版頒 布 相成候虎右 は畢党個人 の意見 に過 ぎざるが故 に之 を官麻 に於 て出版頒布す る ときは 往 々之 を官麻 の方針 と誤解 す るもの之 あるべ く加 之書 中記載 の事項 に して営府 の豫 防

(14)

方針 に違 ふ等 の こ とあ りては衛生行政 の統一 を攪す の虞 なきを保せず候條注意 可相成 依命此段及通達候也 一、墓東麻下に於 ける 「マ ラ リア」調査 (十一月) 蔓東麻 下に於 ける 「マ ラ リア」病調査 に開す る報告書、蔓東讐院馨員蒲池佐惣太 よ り 提 出あ り高覧 に供せ り (民警第二〇二九琥

)22

5月 鳳 山庁で出版 された都築甚之助著『 鳳 山に於 けるマ ラ リア予防策』に対 し、総督府 は 個人 の意見 に過 ぎない内容 と判 断 した。都 築甚 之助氏 のマ ラ リア予 防策 の内容 はまだ調べ られ ていないが、総督府 の予防方針 (対原 虫対策

)と

違 つてお り衛 生行 政 の統一 を乱す恐 れ が あるので注意す るよ うに と各庁長へ指示文書 を送 っていた こ とが分 か る。都築甚 之助 は、明治∼昭和初期 にかけての陸軍軍医 として活躍 し、伝染病予防の研 究 を行 い、脚気が 栄養欠乏で起 こ り、米糠 で予防 。治療が出来 ることを発 見 した人物 である。23著 書には『 麻 刺利 亜新説』や 「麻刺利 亜 卜蚊 トノ関係 」『 中外 医事新報 (519)』 等 が ある。 また都築 は、 北海道 の開拓地 にお けるマ ラ リア対策 のため、北海道 のア ノフェ レス蚊 の研 究 を進 める と 同時 に台湾 で も調査 を進 め、マ ラ リア対策 の根幹 は対蚊対策 に求 め られ るべ きだ と持論 を 説 いた。24 台東庁 にお けるマ ラ リア調査 に関す る報告書 を台東 讐院讐員 の蒲池佐惣太 が11月 に提 出 した。蒲池佐惣太 は後 に台湾総督府 医院 医員 を歴任 し、狸紅熱の研 究者 として も有名 であ る。

25

明治

38年 (1905)の

医学的研 究 は次 の よ うに記 され てい る。 一 、肉叉蚊調査報告書印行 本 島地方病 た る 「マ ラ リア」感染 の原 因 を鶯す 肉叉蚊 に開 し曇 に営府 地方病及俸染病 調査委員會 嘱託官 島幹之助及 臨時委員木下嘉七郎 を して調査研 究 を鶯 さ しめた りしが 同人等 よ り之 に開す る報告書 の提 出 あ りた るに付本年 四月之 を印刷 に付 し各官麻 、書 学校 、讐院、讐師並 に内地 に於 ける関係諸官衛へ配布せ り。26 台湾地方病及び伝染病調査委員会臨時委員 の木 下嘉七郎 がア ノフェ レス研 究 の中心 とな り何度 も報告書 を提 出 してい るこ とが分か る。 明治

38年

に印刷発行 された報告書肉叉蚊 (アノフェ レス

)研

究第二回報告書 で前編 を台 湾地方病及 び伝染病調査委員会嘱託 の官 島幹之助氏 、後編 を臨時委員 の木 下嘉七郎氏 が担 当 した。研 究 の結 果 、台湾 産 のア ノフェ レス の種類 は七種類 (A.sinensis,Wiedemann

A.Listoni,Liston A.annulipes,Walker A.fuliginosus,Giles A.Rossi,Theobald

A.maculatus,Theobald A.Kochi,Donitz)

で あ る 。

A,sinensis,Wiedemann

(15)

は,sinensis,Wiedemann A.Listoni,Liston)はその数が多い。A.fuliginosus,Gilesは 数 は 少 な い が 南 北 に 亘 り 分 布 し 、A.Rossi,Theobaldは 嘉 義 以 南 で 産 す る 、

A.maculatus,Theobald A.Kochi,Donitz)の

二 種 は 稀 に 検 出 す る の み で あ る 。 A.sinensis,Wiedemannは一年 を通 して発生 し、A.Listoni,Listonは 4月 か ら ll月 (特に 6 月∼8月 に多い

)に

発生す る。等 の内容 を報告 してい る。 第 四節 マ ラ リア流行地 (開発原病地

)へ

の防過事業

(1)彫

湖庁 明治

38年 (1905)か

ら同

41年

(1908)頃

にかけて毎年のように膨湖庁でマラリアが大 流行 している。明治

38年

の膨湖庁への対応について『マラリア防遇誌』10∼

11頁

に次の ように記載 されている。 一、膨湖 島に於 ける 「マ ラ リア」流行 本年人月 中旬 よ り膨湖麻 下各 地 に激烈 な る熱性病流行 し死亡者漸 く増加す るの傾 向あ りき元来本 島人 は未 だ内地讐師 に信頼せ ざるが故 に之が診療 を受 くるを厭 ひ甚 しき患 者 に石灰 水 を服せ しむ る との流言 を放つ ものあるを以て同麻 に於 て も是等 の謬 見 を匡 す と共 に患者 に説諭 して讐師 の診療 を請 は しめ施療救治 した りしが病勢益 々犯薇 し九 月下旬 に至 る患者一千人百五十人人 の多 きに至 り死者 亦績 出す るを以 て博染病 に準 じ 相 営豫 防法 を施行 し之が費用 は博染病豫 防費 よ り支 出 したき旨稟 申あ り事態軽視すべ か らざるを以て右稟 申を認 可す る と共 に地方病及博染病調査委員會 よ り委員大鳥次郎 を派遣 して之 が調査 を鶯 さ しめた りしに検診 の結果全 く悪性 「マ ラ リア」症 た るこ と を確認 したる旨報告 あ り依 て同麻 に封 し之が豫防に努 め蚊族 の撲滅 を計 るべ き旨厳達 し既 に罹病せ るものは速か に讐師の治療 を受 け しめ殊 に夜間は必 らず蚊帳 を使用せ し む る様 一般 に訓諭せ しめた りしが措置幸 に宜 しきを得 て十一月 中旬 よ り病勢漸 次衰退 に趣 き十二月下旬 に至 り全 く終燎せ り初奎以来の患者及死亡数左 の如 し 患者 人、九六二人 死亡

九二六人 患者 百 中死亡 一〇 。人人 8月 中旬以降膨湖庁各地で熱病 がパ ンデ ミックを起 こし死亡者 が続 出 した。総督府 は伝染 病 に準 じ予防法 を施行 し、そ の費用 は伝染病予 防費 か ら支 出す るこ とと した。 地方病及び 伝染病調査委員会 よ り委員 の大鳥次郎 27を 派遣 し悪性 マ ラ リアを確認。蚊族 の撲滅 を計 る よ うに厳達 し、患者 には医師の治療 を受 け させ るよ うに、夜 は必ず蚊帳 を使用す るこ とを 指導 した。 そ してア ノフェ レス発 生 に適 した場所 が多い に もかかわ らず住 民 は夜 間蚊帳 を 使 用せず 、病気 に罹 つて も治療 を受 けるものが少 なか つた こ とに対 して民政長 官 の後藤新 平 が膨湖庁長 に注意 を与 え、『 マ ラ リア防過誌』11∼12頁に以下の よ うに記 されてい る。

(16)

一 、マ ラ リア防邊に開 し膨湖麻長 に封 し通達 (民警第一 、九七八琥十一月 四 国民政長 官) 貴麻 下湖西外十人郷 に於 て熱性 患者嚢生蔓延 の勢猛 烈 な る趣報告之候 に付賞地調査 の 鶯 め大鳥讐長 を派遣せ しに其 の復命 に依れ ば該病 は全 く悪J性麻刺里亜 に して元来流行 地 は海岸平坦の地に して到 る虎瀦水沼地の如 き 「ア ノフェ レス」蚊族嚢生 に適営 なる 場所少 なか らざるに住 民は夜 間睡眠時 に蚊帳 を使用せず 又罹病す るも自ら進 んで書療 を受 くるもの少 なき等本病 の嚢生蔓延 に開す る要約 は殆 ん ど具備せ ぎるなき賞況 に有 之趣 に就ては相営豫防法施行相成居 り候義 とは存 じ候へ ども尚ほ左 の各項 を賞施 し今 回の如 き惨状 を持末再演せ ざる様措置可相成依命 此段及通達候也 一 、蚊族 の嚢生すべ き池沼瀦水地 は賞地の状況 に依 り之 を埋没 しるか又は相営排水の 方法 を設 くること 二、邸内は成 るべ く」卜水 を能 くし土地 を乾燥 な らしめ雑 草 は之 を刈 除す るこ と 二、夜間睡眠時には蚊帳 を用ふ る習慣 を養成す ること 四、罹病者 は速かに讐療 を受 くること 五、蚊族 と該病 との関係又其の恐 るべ きこと 其 の他前各項 の豫防上必要 な るこ と等 を住 民に理解せ しむ る方法 を講ず るこ と 以上 明治

38年

に民政長官の後藤新平が、悪性マラ リア流行 とい う惨事の再発防止 を命 じ徹底 すべき事項 として次の五点を挙げている。①不必要な沼地 。水溜 りの埋立て ②排水に注 意 し雑草は刈 り取る。③蚊帳使用の習慣化 ④罹病 した ら直に医者 に行 くこと ⑤蚊 とマ ラリアの関係 を理解 させ る (衛生思想の普及)。 理解 させる方法 としては、衛生講話会の開 催や幻燈を用いた りしなが ら衛生思想の普及を行つた。 明治

41年

(1908)の

膨湖庁への対応 については次のように記 されている。 一、悪性マラリア流行 膨湖麻附属列島に於ては数年末年々時を期 して悪性マラリアの流行 あ り本年 も亦大嶼郷に 於て人月以来嚢生九月中旬に至 り患者百六十餘名 を出 し其の勢を昌板 を極 め益々蔓延 の兆あ り公讐を派 し警察官吏 と共に保 甲を督励 し豫防撲滅 に努 めた りしが十月上旬中に於 ける四 名の嚢生患者を最終 として終燎を告げた り本年 中の患者死亡左の如 し 患者 死 亡 治療 中患者 二 人 二 人 人 四人 九 二 人 人 口千 に封す る罹患者 一一九人28 8月 以降発生 した悪性マ ラ リアの流行 に対 し、総督府 は公 医を派遣 し警察官吏 と共 に保 甲 を督励 し撲滅 に努 めた。 明治

38年

も同

41年

も勢い盛 んなマ ラ リアが総督府 主導 の下迅速

(17)

に適切 な措置が行 われ短期 間の うちに終息 していることが分かる。

(2)

「蕃地」 明治

40年

(1907)か

ら同

42年

(1909)頃

にかけて 「蕃地」開拓事業が盛 んにな り、 こ の事業 に従事す る者 が多 くなつた結果マ ラ リア患者が著 しく増加 した。明治

40年

の「蕃地」 開拓事業に関わるマラリアの流行 と対策については『 マラ リア防過誌』

13頁

に以下のよ う に記載 されている。 一、マラ リア流行及封策 本島風土病 中最 も注意を要すべきは 「マラ リア」に して各地方共に頻年彩多の患者 を 出 し豫防亦不良な りしが逐年衛生上の設備漸次歩武 を進むると共に患者の奎生著 しく 減少す るに至れ り然 るに近時蕃地啓嚢に開する幾多の事業勃奎するに至 り之に従事す る者頗 る多 く徒て本病患者亦三十九年 中より漸次増加 し末 り四十年 中官立臀院並公磐 の治療 に属す るもの賞に四萬九千百三十九人の多きを見 るに至 り墓東麻下其の最 も多 嚢地多 く而 して一般豫防に開 しては十分之に注意す ると同時に最近の 「マラ リア」学 説 を應用 し豫防の方法を賞施せ しに其の効果の是に著 しきものあ り 目下之が豫防に壷痒中な り 官立讐院及公讐の取扱つた患者左の如 し 年別

内地 人

M39

二七 、二三一

M40 -人

、 九七 〇 本 島人

合計 七、一二〇

三四、二五一 三〇、一九六

四九、一三九 「蕃地」啓発事業が盛んになつた結果マラ リア患者が著 しく増加 した。明治

40年

に官立 医院 。公 医が治療 した人数 は

49,139人

にのば り台東庁が最 も多か った。「最新 のマ ラ リア 学説」 に就 いての詳細 は この史料 か らは明 らかでないが コ ッホ 29や ノホ ト30に よる対原 虫 型 のマ ラ リア理論 だ と考 え られ る。 その理論 を応用 し予防法 を実施 した結果著 しい効果 を 上 げた とい う。 明治

42年

の 「蕃地」開拓事業 に関わ るマ ラ リアの予防については次の よ うに記 されてい る。 一 、マ ラ リア豫防 衛生諸般 の設備 漸次進 む に従 ひ極要市街 に在 りては全 く 「マ ラ リ ア」の嚢生 を見 ざるに至れ りと雖 も近年蕃地開拓 の業盛 なるに伴ひ之 に従事す る者頗 る多 く篤 めに患者著 しく増加 し年 々一高有餘人の死者 を出す に至 り状況惨惰 た るもの あ り然 るに本病豫 防 に開 し先年 末調 査研 究 中の事項 も本年 に至 り略 々完 了せ しを以て 汎 く全 島に亙 り之 を防過せむ とし今や 之が企蓋 中に属せ り而 して最近本病死者数 を奉 ぐれ ば左 の如 し

(18)

年別 三十 九年 四十年 四十一年 死者 一 〇 、五人三 一 一 、七一五 一一 、七二三31 衛 生諸般 の設備 が進歩 し主要都 市ではマ ラ リアの発 生がな くな つた。 しか し「蕃 地」 開 拓事業 に従事す る者 が多 くなった結果 マ ラ リア患者 が著 しく増加 した。惨愴 た る状況だが、 調査研 究 中の事項 も終了 し更な るマ ラ リア防遇 を企画 中で ある とい う内容 である。「蕃地」 マ ラ リア予防に関す る調査研 究事項 の詳細 は不明であるが、総督府 が 「蕃地」開拓事業 に 関わ るマ ラ リアの予防に力 を注いでいた こ とが分か る。

(3)鐵

道・水利等工事現場 (一

)阿

里 山 明治

43年 (1910)3月

高木友枝衛生課長 が阿里 山官営作業 に関す るマ ラ リア防過方法 に ついて台湾総督府 の佐久間佐馬太 に上 申書 を提 出 し、『 マ ラ リア防過誌』22∼

23頁

に以下の よ うに記載 されてい る。 一 、阿里 山官螢作業 に開 し 「マラ リア」防過方法施行方 明治 四十二年 二月八 日高木衛生課長 よ り左 の上 申書提 出せ り 上 申書 仄 に聞 き及び候虎 に よれ ば我 が蔓漏 多年 の問題 た りし阿里 山官螢 の件 は衆議院通過 し 今や貴族院 の議 に上 りつ ゝあ り是又不 日通過せ らるべ き形勢 に有之趣右豫算 に して協 賛有之候 上 は直 ちに事業開始相成 る可 き事 と被存候然 るに森林所在 地 は海抜六千尺以 上 に位す るが故 に未 だ 「マ ラ リア」病毒 の侵襲 を被 らず粁末 と雖或 は之が免疫地た る を望み得 ざるにあ らず と雖嘉義 よ り阿里 山に至 る海抜三千尺以下の土地 あ りては恐 ら く本病 の流行 を末すべ く従 て鐵道建設等 に従 事す る職員 工夫等 の如 きは必ず本病 の悩 ます所 となるは明瞭 に有之延 て事業経螢上支障を末 し候様の こと有之候 ては遺憾不砂 次第 に候依 て之が豫 防治癒 に従 事せ しめ兼 ねて一般 讐事衛生 の事 に営 らしむ る鶯 に相 営員数 の讐師 を組織 中に加 へ且病 室等 の如 きは診療 に必要 な る諸設備 も亦豫算相成候 様致度滋 に意 見開陳仕候也 明治 四十三年 二月八 日 内務 局衛生課長技師 高木友枝 蔓湾総督伯爵佐久間佐馬太 衛 生課長 の高木友枝 が台湾総督佐久間佐馬太 32に 阿里 山周辺 は海抜

1,800m以

上 の高地 でマ ラ リアの心配 は少 ないが、嘉義か ら阿里 山までの海抜

900m以

下の土地では鐵道建設 等 の従事者 にマ ラ リア流行 の危 険性 が あ り、鉄道建設 事業 に支障 を来 して もい けない ので

(19)

予防・治療のため多数の医師や病室等の衛生設備の豫算をお願い した とい う内容である。 また ここか ら台湾総督府は議会の承認・ 協賛を経て阿里山官営事業を行 つていることが分 か り、台湾総督は内閣の一員であるとい うことが言える。 高木友枝氏は明治

35年

(1902)台湾総督府医院長兼台湾総督府医学校長 とな り、ついで 台北病院長、民生部臨時防疫課長 としてペス ト防疫、マラリア防過に尽力 した人物である。 大正

2年

(1913)著

書『 台湾の衛生状態』により医学博士の学位 を受けた。民生部臨時防 疫課長のあと内務局衛生課長技師 となったもの と考えられ、衛生総督 といった異名 をもつ。 33 (二

)九

曲堂 大正

3年 (1914)7月

台南庁 の九曲堂水源地 でマ ラ リア防遇 を実施す ることについて総 督府作業所 か ら警察本署へ依頼があ り、『 マ ラ リア防遇誌』45∼

46頁

に次の よ うに記 されて い る。 一、九曲堂水源地 に 「マ ラ リア」防過の件 大正三年七月二十 四 日総督府作業所 よ り 九 曲堂水源地 に封 し「マ ラ リア」防遇方法施行方左 の通照會阿利 た り (作業第一 三二 九号) マ ラ リア病豫防に開 し依頼 の件 営所管理 に属す る九 曲堂水源地方 に 「マ ラ リア」病狙薇職員一 同困難致 し居候 に付貴 署治療暦豫防暦 に依 り救治致度候 間罹病者 監査 の鶯 め時々讐師の主張及今 回開始 に営 り原轟保有者 の調査方便上阿縁麻 に依頼致度 に付何分御 手配可然御 取計相成度比段及 御依頼候也 尚出張讐の旅費は営所 に於て負惰可致候 大正三年総督府作業所 が警察本署 に対 し、総督府作業所管理 の九曲堂水源地方 でマ ラ リ アが流行 してい るので警察本署が指導 してい る治療暦・ 予防暦 によ り施薬す るが、医師派 遣 と原 虫保有者 の調査 は阿緞庁 に依頼 した方が都合 がいいので手配 してほ しい、出張署の 旅費 は作業所 で負担す る とい うことを伝 えた。 それ を受 け警察本署長 は台南庁長 に次のよ うに伝 えてい る。 一 、九 曲堂 「マ ラ リア」豫防に開 し大正三年七月二十五 日警察本署長 よ り墓南麻長宛 左 の通照會せ り (本衛第 四二六琥) マ ラ リア豫防 に開す る件 貴麻 下九 曲堂水源地方 は 「マ ラ リア」流行 し同地勤務 の作業所職員 は之 に犯 さる ゝも の多 く一 同困難 の趣 に有之今般作業所 は之が救済 として豫防服薬開始 の由にて援助方 依頼越候虎 交通 の便 を計 り阿緞麻 防疫害 を して之 に営 らしむ ること ゝ致候條承知相成 度 右照會す 34

(20)

台南麻 下九 曲堂水源 地方 でマ ラ リアが流行 し多 くの作業所職員 が罹病 し、救済 の依頼 が あつた。交通の便がいいので阿線庁防疫讐 を派遣す るが承知 してほ しい とい う内容である。 また同時 に警察本署長 は阿線麻長 に次のよ うに依頼 した。 一、九曲堂 「マ ラ リア」豫防 に開 し大正三年七月二十五 日警察本署長 よ り阿縁麻長宛 左 の通照會せ り (本衛第 四二六琥) マ ラ リア豫防に開す る件 蔓南麻 下九曲堂水源 地方 は 「マ ラ リア」流行 し同地勤務 の作業所職員 は之に犯 さる ゝ もの多 く一 同困難 の趣 に有之今般作業所 は之が救済 と して左記方法 に依 る豫 防法施行 の由就 ては原轟保有者及患者 の検索其の他施行 に開 し援助監督 を受 け度 旨同所依 り依 頼越 し候條貴麻 防疫讐 を して之に営 らしむ る様致度 右照會す 左記 一、営所在勤者一同の血液 を槍査す (イ

)原

轟保 有者 は別紙治療暦 に依 り服薬せ しめ全治 の上は別紙 の豫 防暦 に依 り豫 防 服薬 を鶯 さしむ (口

)原

贔 を保有せ ざる者 には別紙豫 防暦 に依 り豫防服薬 を鶯 さしむ 二、施行 中豫 防服薬者 「マ ラ リア」類似 の疾病 に罹 りた るときは血液検査 を鶯 し原轟 の有無 を確 め保有者 なる ときは別紙治療暦 に依 り服薬せ しむ 追て出張旅 費 は作業所 よ り支給 の筈 に付 出張 は其 の都 度水源 地事務所 に打 ち合せ られ 度候35 台南麻 下九 曲堂水源 地方 のマ ラ リア流行 に対 し、阿縁麻 防疫讐 を派遣 し援助監督 を して ほ しい。その方法 は①作業所在勤者全員 の血液検査 、原 虫保有者 は治療暦 に従い服薬 、全 治 した後 は予 防暦 に従い予 防服薬す る。原 虫保 有 していない もの も予防服薬す る。②予 防 服薬者 がマ ラ リア類似 の病気 に罹 つた時 は血液検査 、原 虫保有者 には治療暦 に従 い服薬す る。 出張旅費 は作業所 よ り支給。 出張はその都度水源地事務所 と打 ち合 わせ を してほ しい とい う内容である。そ して阿線庁長 は警察本署長 に次 のよ うに回答す る。 一 、九 曲堂水源地 「マ ラ リア」豫防 に開 し大正三年七月二十七 日阿縁麻長 よ り本署長 宛左 の通 同報 あ り (阿警衛第二三六三琥) 七月二十五 日付本衛第 四二六琥 を以て営麻 防疫讐 を して九曲堂水源地 「マ ラ リア」豫 防法施行 の鶯 め援助 監督方 の件左記 各項 に依 り従 事せ しむ るこ とに致 し候條右 に御 了 知相成度 右 同答す 左記 一、毎月一回原轟保有者 を調査す ること 一 、毎月一回以上月反薬監督 の鶯 め出張す ること36

(21)

阿縁庁防疫 讐派遣 の件 を阿緞麻長 は了承 した。阿縁庁 の派遣 した防疫 讐37が 毎月一回原 虫保有者 を調査す る (血液検査)、 防疫讐 は毎月一回以上服薬監督 のために派遣す る とい う 内容 で ある。 以上 か ら台南庁下九 曲堂水源 地でマ ラ リアが流行 し、特別 に阿線庁 か ら防疫 害 を派遣 した こ とが分か る。治療暦 。予 防暦 の詳細 は不明だが、総督府 が適切 で迅速 な措 置 を講 じてい る様子 が窺 え知れ る。 (三

)撲

石 閣 大正

4年

(1915)総

督府は鉄道工事人夫に対す る措置を決定 し『 マラリア防過誌』

48頁

に 次のように記 されている。 一、花蓮港麻瑛石閣支麻水尾庄及掃りヽ地方は鐵道工事人夫の約一割 は常に「マラリア」に 侵 され工事に支障を生ず る趣 を以て防過方法施行方希望あ り、水尾庄は住民共同負愴 とし 掃りヽは鹿島組にて薬品等を負惰せ しめ咲石閣防過事務所に於て毎月一回採血槍鏡せ しめ原 轟携帯者には 「マラリア」防遇方法に準 じて規定の月反薬を鶯 さしめ尚掃ツヽ工場に於ては一 般健康者 にも毎週二 日間の豫防服薬を篤 さしめた り。 以上 より花蓮港庁撲石閣支庁の水尾庄 と掃りヽ地方は鉄道工事人夫の約一割が常に 「マラ リア」に侵 されていたこと、現場か らの希望に依 り防遇方法を施行 したことが分かる。費 用は水尾庄は住民共同負担、掃ツヽ地方は鹿島組の負担 としている。防過方法は瑛石閣防遇 所で月一回血液検査、原虫保有者 は服薬す る。掃ツヽ工事場では健康者 も毎週二 日間予防服 薬を行 うとい う内容である

(4)

内地人移住地 明治

43年

(1910)3月

高木友枝衛生課長が花蓮港方面殖民計画に関す るマラリア防過方 法について佐久間総督に上申書を提出 したが、その内容は『 マラリア防過誌』

23頁

に以下 のよ うに記 されている。 一、花蓮港方面殖民計蓋に開 しマラリア防過方法施行方 明治四十二年二月八 日高木衛生課長 より左の上申書提出せ り 上申書 今般花蓮港方面殖民計豊の趣聞知致候然 るに同方面は 「マ ラ リア」の流行劇甚なる地域に 有之候 に付之に封する豫防の方法は今 よ り十分施設す るの最 も必要なるを認 め居候就ては 別紙蔓縄地方病及博染病調査委員會委員羽鳥重郎の報告に係 る方法は適営なるもの と被相 認候 に付御採用相成尚前顧以外の殖民部落へ も前段同様御施行相成候様致度上申候也 明治四十二年二月八 日 内務局衛生課長 高木友枝 墓湾総督伯爵佐久間佐馬太

(22)

以上か ら花蓮港方面はマ ラ リア流行 が非常 に激 しい地域 なので十分 な予防が必要 で羽鳥 重郎 38の 報告書 に書いて ある予防法 を実施 して ほ しい とい う内容 を上 申 してい る。 この羽 鳥重郎 (地方病及伝染病調査委員会委員

)の

報告書 には次 の よ うに記載 され てい る。 墓溝 地方病及博染病調査委員會委員羽鳥重郎報告書の一節 新設移 民部落 の 「マ ラ リア」豫 防 に開す る件 新鮮 に して未 だ全 く 「マ ラ リア」 に感染せ ざる内地移住 民部落 を新 たに建設す るに際 し「マ ラ リア」豫防上の第一 の要義 は之 に 「マ ラ リア」病毒 を入れ じめず前 々無毒状態 を保持す るにあ り此の 目的 を達せ んには計書 の完 全 と規律 の厳正な る とを要す例之七脚川 の如 き隔絶せ る地域 に設 定す るは最 も適営 なるも の と認むべ し (イ

)凡

そ新鮮移 民 を収容すべ き部落 は土著人部落 を距 ること千五百メー トル近 くも千 メ ー トル以上なるを要 し此距離以内に土著人 を居住せ しめざること (口

)土

著人苦力其 の他 の外来者 は 日没前 に移 民匡域外 に退 出せ しむ ること (ハ

)移

民匡域 内の在住者 は一切外泊 し又 は 日没後 まで匡域外 にあるべか らざるこ と 移民 は花蓮港墓東上陸後直 ちに其 の所 定部落 に入 らしむべ きこ と (二

)新

鮮移 民 にあ らず して移 民匡域 内 に在住す るもの及前項 に反 した るものは注意者 と して直ちに厳密 に 「キニーネ」の豫防的内服 を働行す ること二 ヶ月 を下 らず且時々血液検 査 を行ふ こと (ホ

)外

末者 に して 日没後 尚退 出せ ざる もの若 は宿 泊す るもの已む を得 ざる ものは必ず一 定の防蚊室内に限 り滞在又 は宿泊 を しむ るこ と (へ

)蚊

帳 は各戸 に之 を給 し長 く完全 を保 た しむ るこ と39 マ ラ リアに感染 した こ とのない内地人が台湾 で移住民部落 を新 たに建設す る場合 、一番 重要 な こ とはマ ラ リア病毒 と接触 しない ことである。そのためには完全無欠 な計画 と厳正 な規律が必要不可欠である。具体的には次の 6′点で ある。①移 民部落 は本 島人 の村 か ら最 低 限

lkm以

上離す。②本 島人及びその他 の外来者 は 日没前 に移 民区域外へ退 出 させ る。③ 内地人 は外 泊禁止、 日没前 に帰宅。④上記事項 の違反者 はキニーネ 内服 を二 ヶ月以上続 け 血液検査を行 う。⑤やむを得ず外来者が移民匡域内に宿泊す る場合、防蚊室内に宿泊 させ る。⑥各戸に蚊帳を支給 し使用を徹底 させ る等である。 万一マラ リア患者が発生 した場合の措置及びその他の事項について次のよ うに記載 され ている。 如上数項に して完全に励行せ らるれば必ず其の 目的を達すべ しと雖萬一不幸に して 「マラ リア」患者奎生 し若 くは績奎を見んか次の諸項を厳施するを要す (卜)「マラ リア」患者は必ず一定の防蚊病室内に収容治療すること (チ)「マラ リア」の後療を完全遂行す ること (り

)必

要に應 じ「キニーネ」の豫防的内月長を一般に賞施すること

(23)

(ヌ

)患

者は毎同二 日相次で健者は一 ヶ月に一回採血検査す ること (ル

)患

者の血液検査を施行す るに営 リー回にて病原虫を発見せ ざる時は翌 日重ねて其の 検査 を行ふこと 其の他凡そ 「キニーネ」を私費を以て購入せ しむべか らず而 して各人が壇に 「キニーネ」 を携帯 し又は之を服用せ しむべか らざること 無意味なる溝渠小瀦水地を作 さしめざるべ し其給大なる池坂 には必ず魚類を飼養せ しむベ きこと 病室には完全なる防蚊装置を施す こと 治療及び診査を完ふす る鶯め讐員を置 くこと及検査に必要なる器具器械等を備付 くること 此の如 くして無 「マラ リア」部落を成 さんかよく其の労働能力を保存 じ一回奉げて繁榮の 日を見んことを期すべきな り他の移民地の如 く病毒の浸潤姦に久 しきか如 くなるに至 らざ らんは惟れ一に監督指導宜 しきを得 るや否 にあ りて存す40 以上の史料 よ リマラリア患者が発生 した場合は、①患者 は防蚊病室内で治療する。②最 後まで完全に治療す る。③必要に応 じ健康な者 にもキニーネ予防内服を実施す る。④血液 検査の実施等の措置を講 じる。其の他の事項 として①勝手にキニーネを購入 。服用 させな い。②不必要な溝や池を作 らない。池には魚類 を飼育する。 よく飼育 されていたのは、マ ラ リア対策の一環 として放流 されたタップ ミノー (タブ ミノ

)41で

ある。③病室には防蚊 装置を設ける。④治療のため医師を置き必要な器具を準備 してお く等が挙げられる。 第五節 マラリア防遇会議 台湾総督はマラリア対策が急務であるとして明治

42年

(1909)に最初のマラ リア防邊会 議 を開催 した42。 明治

43年

(1910)12月

については『 マラ リア防遇誌』28∼

29頁

に次の ように記載 されている。 一、マラリア豫防上に開す る協議決定 明治四十三年十二月十六 日讐學校 に於て明四十四年度 「マラ リア」豫防に開 し協議 し 左の件決定せ り。 一、豫防方法施行地 東海岸は花蓮港街、撲石閣街、成廣潟、移民指導所二箇所 蔓北麻下は北投庄に縫績施行すること 西海岸は鳳 山街、阿線街、竹頭崎街、樟脳寮庄、九曲堂水道工事現業地 二、豫防薬 として 「キニーネ」を用 ゆるときは九 日目十 日目に各一瓦服用せ しむ るこ と但 し全量二瓦を四十八時間内に四同又は十同に分服せ しむるも差支な し 三、プラスモジューム トレーゲル を見出 して治療する方法を市街地に施行すること 四、「マラリア」豫防方法を施行す る他の住民には適宜の方法に依 り蚊帳を所持せ しむ ること

以上

(24)

研究事項 一、キニーネ錠を官製 となすの可否 一、錠剤器械の研究 稽垣、羽鳥、小島、勝山、春原の諸氏委員 とな り調査す る こと 其の他マラ リア智識 を周知せ しむ る鶯三ヾ四〇―五〇頁位の「マラリア」豫防心 得を刊行すること 明治

43年

12月 総督府が医学校で開催 した会議において翌

44年

度のマラリア防過方針が 決定 された。①マラ リア防過法の施行地 (東海岸の花蓮港街、瑛石閣街、成廣湾、移民指 導所二箇所、蔓北麻下の北投庄に継続施行。西海岸の鳳 山街、阿緞街、竹頭崎街、樟脳寮 庄、九曲堂水道工事現業地

)②

キニーネ を予防内服す る時期 と薬の分量 (二 日間でキニー ネ

2gを

分服、八 日間の間隔をあけて服用す る

)③

マラ リア原虫プラスモジューム トレーゲ ル43の 発見に伴い新たに開発 された治療方法を市街地で施行す ること。④予防方法施行地 以外の住民には蚊帳を所持 させ ることの以上四事項を決定 した。また今後継続すべ き研究 課題 としては①キニーネ錠を官製 とするか どうか、②錠剤 を作る器械の研究 (稲垣長次郎

44.羽

鳥重郎・ガヽ島草二

45o勝

山虎二郎46・ 春原三壽吉47の 調査研究

)③

マラリア予防心 得の刊行を挙げている。稲垣・羽鳥 。小島は以後のマラリア防邊会議 にも参加す る人物で ある。また勝 山は線督府医院薬局長であ り、春原は線督府医院調剤師である。 明治

44年 (1911)2月

の会議については次のように記 されている。 一、マラ リア」豫防會議の件 明治四十四年二月二 日内務局長公室に於て 「マラ リア」豫防上に開 し協議左 の事項 を 決定せ り。 一、マラリア豫防方法施行地は前決定の箇所 とす 二、賞行方法の具證的に起草 し警務課長會議に附す ること 二、告諭、豫防上の法規等は衛生課に於て起草す ること 四、衛生講話、幻燈等を催 し住民の衛生思想を向上せ しむること 五、営局に於て毎月一回會議 を開 くこと48 明治

44年

(1911)2月

内務局長公室で開かれたマラ リア予防会議において次の五点が決 定 された。①マラ リア予防施行地は前年度 (明治

43年

)決

定の箇所 とす ること、②具体案 を警務課長会議に諮 ること、③告諭や予防上必要な法規は衛生課で起草すること、④住民 の衛生思想 を向上 させ るために衛生講話や幻燈会を開催す ること。⑤内務局で毎月一回會 議を開催することが決定 された。 明治

44年

4月 の会議 については次のよ うに記 されている。 一、マラ リア防遇に開する會議

(25)

明治 四十 四年 四月二十 日衛 生課棲上 に於 てマ ラ リア豫 防上 に開 し會議 を開 き國府 防疫 事務官は東海岸 の視察報告 をな し終て協議決定せ し左 の如 し 會員 は岡 田、國府 、渡邊 の各 防疫事務官並 に倉 岡、小 島防疫讐官、森防疫讐出席す。 四十 四年度 に於 ては東海岸 に 「マ ラ リア」撲滅方法 を賞行す ること左 の如 し 一、花蓮港街 、市街地全部 鐵道部員 は同部 に於 て施行 の こ と但 し検血 は絶督府 出張員 に於 て し又賞行 し易 か らし む る鶯警察官吏を補助せ しむ るは差支な し。 一、撲石 閣、成廣鴻 所在公 讐 を して採血 の上花蓮港街 に送 附せ しめ営方 に於 て検査 し服薬 は警察官 吏 に依 頼 し、施行 に付 ては営方 よ り出張せ ざるこ と但 し監督巡視 は三 ヶ月 に一回位 の割似 て なす 一 、卑南街 敷 ヶ月 の後 には花蓮港街 の従事員 に餘裕 を生ずべ く其 の期 に於 て施行 に着手す るこ と 以上49 明治

44年

4月 衛生課 において開催 され たマ ラ リア予防会議 で、国府小平防疫事務官が東 海岸 の視察報告 を行 い、その後以下の三点が決 定 され た。①花蓮港街全域 でマ ラ リア撲滅 方法 を実行。鐵道部員 は同部 で施行 し、検血 は線督府 出張医 と警 察官吏が協力 して行 う。 ②咲石 閣 と成廣湾 はその地 の公 医が採血 を実施 し、花蓮港街 に送 り衛 生課 で検査す る。服 薬 は警察官 吏が行 う。施行 につい ては衛 生課 か らの出張は実施 しないが、咲石 閣 と成 廣湾 の監督巡視 は三 ヶ月 に一回程度 とす る。③卑南街 に対す るマ ラ リア撲滅方法 は、花蓮港街 の従事員 に余裕が出来てか ら実施す る。会議 出席者 は岡田義行50、 國府小平51、 渡邊順親 防疫事務官52、 倉 岡彦助53、 ガ、島第二防疫 医官、森滋太郎 防疫 医 54の 六名 であつた。 明治

44年

(1911)12月

の会議 について以下のよ うに記 してい る。 一、マ ラ リア防遇に開す る會議 明治 四十 四年十二月五 日午後 二時 よ り衛 生課長室 に於 てマ ラ リア防遇上 に開 し協議決 定す るこ と左 の如 し 阿線 小 島防疫讐官提 出 一、鳳 山支麻管内マ ラ リア防過に開す る件 鳳 山街捕 鼠過怠金 二千五百園位 あ り之 を以てキニーネ を購入 し同支麻管 内十人 ヶ所 の 派 出所 に配布 し置 き住 民の需 に應 じ施興す るこ と ゝして は如何 協定 「キニーネ」の服用 は必ず讐師の指定 に依 らしめ之 を濫用せ しめざること 菫南麻 下に於 ける捕 鼠過怠金 は捕 鼠 の奨励 に費すべ き方針 な り麻長 と内議 この方針 を 愛ぜ ざれ ば如 何 とも難 し 二、阿縁麻蕃仔哺庄及蔓漏 製糖會社 に阿線街同様特別 「マ ラ リア」防邊法施行 の件

(26)

同庄に土人六百人會社使用人六百人計千二百人あ り阿緞街防疫組合匠域内に属 し又會 社及庄民 も防遇法施行 を希望 し居 るを以て賞施 しては如何 協定 讐學校卒業生を月五十日以内の手営にて雇入れ しめ営府監督指導の下に會社に於て施 行せ しむること 尚右讐師には年末等に於て相営賞典せ しむること 讐師は堀内教授に於て周旋すること 二、阿緞街防疫方法縫績に開する件 同街は給防邊の 目的を達 したるもの ゝ如 く今 日に於ては約原轟携帯者一

%患

者一

%計

%な

り故に同街は之を鷹の手に移す等徒末の方法を愛更するの必要なきや 協定 従来の通引績 き施行 し高木技師の婦朝を待つこと55 明治

44年

12月 衛生課長室で開催 されたマラリア防遇会議で阿緞庁の小島第二防疫医官 が提出 した三点の案件についての協議が行われ以下の決定がなされた。 ① 山街の捕鼠過怠金でキニーネを買い鳳 山支庁内の派出所 に置いては どうか とい う提案 に対 して、キニーネの服用に関 しては医師の指示が必要でそれに基づいて実行す ること、 及び台南庁については過怠金 を捕鼠奨励 に使 う方針なので捕鼠過怠金でキニーネを買 うことはできない とい うことが決まつた。②台湾製糖会社 56も 住民もマラリア防遇法の 実施を希望 しているので阿線庁蕃仔哺庄 と台湾製糖会社に阿線街同様の特別マ ラ リア 防邊法を実施 しては どうか とい う提案に対 し、医学校卒業者を雇い総督府指導の下特別 マラ リア防遇法を実施す ること及びその医師は堀内次雄教授 57が 斡旋す ることが決ま つた。③阿縁街はマラ リア防過の 目的をほぼ達成 し原虫保有者

1%患

1%の

2%に

なつたが、従来の防過方法を変更す る必要はないか とい う提案に対 し、従来通 り施行 し 高木友枝技師の帰朝を待つて再検討す るとい う事が決定 された。以上の うち②の「阿線 庁蕃仔哺庄 と台湾製糖会社に総督府指導の下、阿縁街同様の特別マラリア防遇法を実施 す る」とい うことが新たなマラ リア防遇政策 として決定 されたことが窺 える。医学校卒 業生もヤラリア防邊対策に関与 していることも分かる。 また花蓮港庁の羽鳥重郎防疫医官提出の案件 については次のように記載 されている。 花蓮港街 羽鳥防疫讐官提出 一、花蓮港街防遇方法縫績に開す る件 花蓮港街は土地の奎展急遠 に して住民の移動甚だ しく防遇困難な り徒末の方法に於て 改むべき所なきや 協定 呉全城、鯉魚尾等病毒輸入地方 (花蓮港へ

)へ

は豫防服薬法を施行す ること

図 1)集 団検血作業
図 2)外 部作業一 竹林下枝 の伐採 と清掃作業
図 3)簡 易な防蚊装置 を有 してい る家屋

参照

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