、
轡
.
講
演
戴
、hA
,
Aド
「
那須
の
自
然
と
観光」
毳
霾
一
都会
の
人
は
那須
の
自
然
に
何
を
求
めるか
一
飃
職
大 久
保
忠
且
*今日はこ れ だけたくさ んの 人 に集 まっ てい た だ き ま して、 私 も大 変 光 栄で ござい ます。 昨
年
(2004
年 >6
月 頃に、
お隣の新
しい 那 須 塩 原市
の発 足にあたり ま して、 黒 磯 市と西 那 須 野 町と 塩原 町の 三箇 所で、
「那 須 塩 原 市 とい う新 しい 街に何を期 待 する か一
自然
と共
生 する街づ く りを」という話
をしまし た が、
や はり今日も、
半 分 ぐらい はそれ に 近い お話を させ てい ただ き ます。 栃 木 県 北 部で何が誇れ る か、 私た ち が何を誇 りに思 うか と言い ますと、
何より も先ず
自然
が 豊 富であること。 そ れ で、
この 自然 を、
できる だけ都 会で 自然に飢 えて い る方々 、 と く に子供
達に見て い た だ き たい 、 痛切にそ れ を感
じてお りま す。今日 は 「那須の 自然と観 光 」とい
う
テー
マ を い た だ き ま した が、 都 会の 人が、 那 須 という
地 に何 を求めるか とい う、
具 体 的な事
は私にも分 か りませ んけ れども、
那 須 町を中心に した方々 の研 究 会 が 調べ たア ンケー
ト を見ますと、
や は り、
第1
の理由が、
『自然が豊 富だ か ら那 須町 に来て みた』とい う観 光 客の方々が非 常に多い と思い ます。 観 光につ きま しては、 私は そ れ ほ ど勉 強して い るわけではあ りま せ んけれ ど も、
現 在の観 光 の 中心は、
持 続 可 能 な 発 展、 その線上 にある観 光、
とい うふ うに位 置 付 けら れてお ります。 ま さ にこれは、
地 球 環 境の問題の一
つ と して、
こ れ 以 上 自然を破 壊し ない よう
に、
そのた め に、
幼い子 供たち か ら我々 大 人まで が、 自然の大
切 さを身
に感 じて欲 しい、
という
こ と を意
味 して い ます。 最近の 言葉
で言い ますと、
エ コ ツー
リ ズムと か、 エ コ ッアー
とか にな り ます けれ ども 、 そのエ コ ツー
リズム の 考 え方の 基礎
に なるの が、
あとでお話 する 生態
学的 な 立場で見た 自然。 こ れを 理解 するという
こ とにな る と思い ます。持続可 能
な
観光
「持 続 可 能な観 光と は、 あら ゆ る
自
然を経済
的、
社 会 的、
倫理的な必 要 を満
たすように管 理 する。 そ してその土 地 固 有の文 化、 基本 的な 生 態 学 的プロ セ ス、
生物 多 様 性、 全て の生物が 生 存 する権 利 を維 持 する。 こ れ が持 続 可 能な観 光 である」とい う、
マ ス トゥニー
という
学 者の言葉
が あ ります。 従っ て、
旅 行 産 業 と持
続可能 な 発 展とか、
旅 行 産 業の社 会 的 影 響、 旅 行 産 業と 倫理性などに関 する広範
な国 際 的な課 題につ い て取 り組
む、
これ が持
続可能 な観 光の分 野の学 問 とい っ て よい か と思い ます。 その こと を国 際 社 会 に向け て大い にPR
する こ と が、
この持 続 可能な観 光とい う言葉で意 味され てい るわけで す。(
佐藤幸
男2003
による
)
新 しい
観
光の あり方
と しまして は、
今 まで に お そ ら く、多
くの 方々 が この 那 須町で もお話さ れてい る と 思い ますの で、簡
単に復
習の意味
で、
あとい くつ か を付 け加 えてみ ます。 その 二 番 目 *那 須 大 学 副 学 長・
教 授 109は都 市と自然の 関係です ね
、
こ れをどう
いう
ふう
に解釈す
る か とい っ たこと をちょっ とお 話し たい と思い ます。三
番
目 に、 生物 社 会を 生物と人 間との共 生シ ステム と して捉
え る、
とい うように私たちの 考 え方を変えて い かない とい け ない、
そうい う立 場に 立 ち ま して、
生物 社 会の生 物たちが、
自然 の世 界で どう
い う生 活 をしてい るの か、
そ れ を 良 く観 察 し ますと、
植 物や動物
た ち は、
周 りを 意識 し な が ら必死 に 生 きてい る。 それ を学ぶ こ とが、
自然
を活かす 観 光であ り、
持 続 可 能 な観 光で はない か と、私
な りに、
こう
いう
見 方をお 示 し してみ ま し た。ですか ら
、
こ の生物を 主 とする生態系
という
言 葉を私は し ば し ば使い ます けれ ども、
那須町 の 皆さ んで あ れ ば、 生態 系の イ メー
ジ と して、
那 須岳
の 山麓の斜 面 すべ てを生 態 系と呼ん でい た だい て も良い わけです けれ ども、
い ろい ろ な ス ケー
ル で考 える こ とがで き ま す。 例 え ば、
那須
どう
ぶつ 王国の、
下の方の斜 面に広がっ てい る牧 草地であっ て も、
これ は一
つ の生態系
と考 えてい た だい てもよろ しい です ね。 そういう
意 味でどの土地の生態 系であっ て も、
生物たち が 必 死に生 きてい る。 生 物た ち を個々 に よく見る とそ れ が 分 か りま す。 そ れを 「生物
社会
の 共生 シ ステム」
とい う言葉
で表
し ま して、 少し生態 学の 基 本 的 なことをこ こ で説 明 し たい と 思い ま す。四
番
日 に、
そ れ と関係
してです けれ ども、 今 まで の私た ちの 考 え 方を変えて い か ない とい け ない 。 これ は、特
に私た ち は子 供の頃か ら、
工 業 文 明に非 常に便 利な ように教 育 されて きた。 現 在 それ が少し行 き詰まっ て い る、
とい う状 態 ですか ら、
この考え方を少しずつ 変 えてい か な い とい けない 、 とい う話を、
自然を どう捉 える か とい う形で お話し たい と思い ます。 110そ し て 五
番
目に、
この と こ ろ2
年にわ たっ て、
私は 那須町 か ら塩 原 町にかけて那 珂 川 水 系の 川 の水 を調べ てい る の ですが、
学生 を車
に乗せ て あちこち走 り回っ て伊干野 あた りの小川の水 ま で も採
っ てい ま す か ら、
芦野や伊王野の 田園風 景 も丹 念に見て回っ てお ります。 また、高
山植
物を見る た めに登 山をするとい う趣 味 もあ りま すの で、
那 須の山々の い くつ か は歩い てお りま す。 そ うい う意 味で、
魅 力 ある那 須の自
然につ い て、
少し私の感
じてい るこ と をお 話 し ます。そ れ か ら最
後
に、
観 光 地と して の那 須の 現 在 と将来。 つ まり一
言で言い ま すと、
観 光 地 とし ての 那須に とっ て、
競 争 相 手は どこだろ うか。
大
体 東 京か ら一
時 間 ちょっ と で行
け る場 所と し ますと、
箱 根 熱 海、
富 士五湖、
清里、
野 辺Lli
(八 ケ岳 )、
そ れ か ら軽 井 沢、
草津温 泉、
とい っ た所か と思い ます けれ ども、
後でまた その点
は お話し たい と思い ます。 最後
に観 光 地 那 須の将 来の姿として、
持 続可能な観光、
エ コツー
リ ズ ム を那 須 町民が受 け入 れる と し た ら、
どん な問 題 が挙 げら れるだろうか、
という
話を し たい と 思い ます。し たがっ て今日の主題 は
、大
きく分 けて五つ にな りますけれ ど も、新
しい 観 光の意 味、 都 市 と自然、
都 会 人に とっ ての自
然。 そ れ か ら 生物 社 会の生態系
の代わ りとしての 生態 回廊、 特に こ の生 態同廊の話 を丁寧に お話し たい と思 っ て い ます。 その後に 自然 をどう
捉 える か、
共生 と い う もの の考
え方
と、多様
性を 重視 する考え方。 それか ら、
最 後に今 言い まし た よう
に、 観 光 地 那須
の現在
と将 来、
とい っ たこと を お話 し ます。観
光 と地
球
環
境
サ ミ
ット
ま ず新しい観光の 意味と は何か
、
と申し ま し た けれど も、 多 くの場 合、 今まで の観 光と言 うのは団 体 旅 行であ ちこち行っ て
、
受 け入れ る側 もほ とん ど その 団体 をい か に捕
まえてう
まくも て なすか、
とい っ た形
が主だっ た と思い ます。 そ れ は国 際 的な観 光で よく言わ れてい る こ とで す けれ ども、
例 えばタ ヒ チ の 島で、
美しい 海岸
が あっ て、
現地の 人が非 常に優 しい 。 そ こヘ ヨー
ロ ッパ の 人たちが、1960
年 代か ら70
年
代に か けて、
大量 に押 し寄せ た。 その結 果ヨー
ロ ッ パ の 資 本で、
タヒチの現 地 での受
け入 れのイン フ ラ と か、 ホテル やお 土産の 店 などがほ とん ど、
外 国 資 本で作ら れて し まっ て、
現 地の人は単に、
珍 しい 風 習の見せ物とか、
珍 しい顔
つ きを して い る とか、
そ うい う目でし か見ら れ な くなっ た。これ が ちょ
う
ど、
日本の 団 体 旅 行と、 その 人 たち を受け 入 れ る開発 主義
の観
光と よく対応 し て い る。
そうい う開発 キ義
の時
代は、今
は はっ きり言っ て時 代 遅れ とい う事です ね。 それに対 して、
持 続可能な発 展の為の観
光が、1990年代
以降 非 常に重視さ れ る ようになっ た 。 こ れ はい ろい ろ な方が言っ てい ます。 その 歴 史を辿っ て み ますと、1992
年に リ オ デ ジャ ネ イロ で初めて、
国 際 連 合の地 球 環 境サ ミッ トが開か れ ま して、 こ の時か ら地 球 温 暖 化 や生物多
様 性 保全 な ど、
地 球 環 境の 問 題につ い て、
国 際 的に協 力しなが ら解 決し て い こ う、
と い う話 し合い が 出 来 上 がっ て きたわけ です ね。 その なか で も、
地球
温暖化
に対 する対 策は、 こ の1992
年の国 連の会 議で初め て、
先進国が お金 を出して、
発 展 途上国 も、
温 暖化 問 題に取 り組 む、
対 策 をする とい う動 きが 出 てきた、
この 時 の宣 言が、
リ オデ ジャ ネイロ 宣 言で、
そ れ を実 行 する中 身がア ジェ ンダ21
。 日本 語で は、行
動 計 画と訳 されてお りま すが、
この ア ジェ ン ダ21
では、
すべ て地 球環
境問 題、
例えば砂 漠 化とか、 酸 性 雨と か、
環 境ホ ル モ ン を含
む海洋
汚 染と か、
そ れ を項目 別に言い ますと10
項 囗 ぐらい に な り lll ますけ れ ども、
その10
項目の地球
環 境問 題を 国 際 的に協 力して、
お 金 を出し合っ て解 決してい こ うとい うことが、
地 球 環 境 サミッ トで話 しあ われ る、
3
年
ない し4
年
に1
回ずつ 開 か れ て お りま す。
そ れの 、
一
つ の分 科 会のよう
な ものが、 京都 議定
書を決め た、
COP(
気
候 変 動に関す る国連 枠 組 条 約 締 約 国 会 議 )です ね。 こ の分 科 会の第3
回で、
温 暖 化 問題を中 心と し た京 都 議 定 書の 細 かい 内容が決め ら れまし て、
今 年の2
月に そ れが国 際 条 約と し て効
果を発 揮 する ようになっ た。 こう
いう
地球 温 暖 化 問題の 解 決の た めの一
環と して、
特に非 常に大
き な論争
があっ たの は、
〈持 続 可 能〉 に とい うこ と を先 進 国 が 言って、
石 油 消 費を抑え る取 り決め を し ようとい うの で ですね、
後 進 国は、「
先 進 国が原 因で 二 酸 化 炭 素を た くさん出して地 球 温 暖 化 問 題 を招い たの に、後
進 国は今
か らは開 発をす
るなという
の は お か しい で はない か 」 とい う。 つ ま り発展 途 上 国の 皆 さん の非 常に痛 烈 な先 進 国 批 判があっ たわ けで し て、
これを まとめ る た めの妥 協 案として、
貧 困の撲 滅とい うテー
マ をヨー
ロ ッ パ 側が持 ち出し たの です ね。 その結
果、
貧 困 対 策と し て非 常に有 効 なの は、観
光 産 業で は ない か、
という
の で、 最近 に なっ て 国 際 エ コ ツー
リ ズム年
と か、 国 際山岳年
という形
で、 国 際 的にうた わ れ だ し たの です ね。 日本で も昨 年か ら、 小 泉 内 閣が観 光立国の た めの行 動 計 画 とか、
国土交
通省の新
しい 国づ く り政策 大 綱な ど を作っ て、 観 光を振 興 させ ようと動 き出 した わ けです け れ ど も、
その源 流を辿 りますと、
地 球 環 境サ ミッ トにある とい うことです ね。 です か ら、
観 光 問題 と か、
観 光を振 興 させ ようとい うの は、 現 在ではその中心に環 境 問 題があると い うこと を先 ず 覚 えておい てい ただ きたい と思 い ます。都市
と
自然
私は大 学で く
都市
と自然 〉 とい う講義
を担 当 してお り ま す が、
テ レ ビ で も良 くお 話 さ れてい る養 老孟司さ んの本を ちょ っ と読んでみ ますと、
都 市は 人 間の脳の 計算
ど お りに造 ら れ たもの だ とい うa それに対 して 白然は とい うと、 これ が 養 老さ んの非 常に面 白い 表 現で して、
例え ばこ の ホー
ル にゴ キ ブ リ が 入っ てきた ら皆さんどう しますか。
そ うします と、
ほとん どの 人は、
ホ テ ル にゴ キ ブ リ がい るの は と んで も ない という
の で、
その ゴキ ブ リ をつ ぶ す か、
紙に包 んで そっ と捨て る かですね。 とい うこ と は、 と も か く大 人は、
子 供も そうか も し れ ま せ んけれ ど も、
ゴキ ブ リが嫌い なん です ね。 こ うい うとこ ろに 入っ て きて も らっ て は困る。
つ ま り養老さ ん に言わ せ ます と、
都 市とい う の は、
人 間の脳が作っ た人工物の 世界。 とこ ろ が、
ゴ キ ブ リは自然の シ ン ボ ル と言っ て も良い わけで して、
その ゴ キブ リ を排 除 しようという こと は、
結 局、
都 市人 間は、
どう も本 当はこう い う 自然は好 きではない の で はない か、
とい う の で す ね。 非 常に面 白い言い 方で、
私 もこれ に は賛
成 し て おりま す。都 市 化さ れ た杜
会
という
の は、計算
や 予想が 叮能な杜 会、 だい たい理 屈どお りの社 会とい え ますね。・
方自
然という
の は、
例 え ば天気
予報
を気 象 庁がい くら やっ て も 、 か な らずし も 正確 に当た る わけで はあ りま せ ん ね、
山沿
い は所に より雨、
という
言 葉が予報
にはい つ もつ き ます が、
非 常にあい まい で予 測 不 可 能であ ります。 本 来 自然とい うのはそ うい うものなの ですけ れ ど も。 ところで子 供 も また同 じで、 予 測 不 可 能 な行 為 をしま す か ら、
子 供は 自然 その もの と 言っ て も良い 。 那須 大 学で私が講 義を し てい る最 中にもです ね、
お しゃ べ りが止 ま らない 学 生 が100
人のう 112 ち数人い る。 そ うい う人に、
ゴ キ ブリ と同じだ ねっ て言い まし た ら、後
で、
俺たち をゴ キ ブ リ と呼ん だと怒っ て い る。
前後の 話は聞い て い な い わけです ね。 こう
いう
連 中 も一
部 分は子 供で あ り、
野 性の 自然 を残 してい ると言 えるわ けで すね。 そうい う子 供を無 理に都 市 化さ せ る、 人 工物の世 界に急に押し込め ようとする と、17
歳 ぐ らい でキレ て しま うのか もしれない と思っ て い ま す。
同じ流 れ と して
、
人間に自
然が 必要なの は な ぜ なの だろうか を考えてみ たい と思 うの ですが、 都 市 化 さ れ た大 人に対して、
自然そのもの であ る子 供、
私はい つ も、
自分の経 験 も含め て です ね、
子 供とい うのは小さい ときに生 態 系の中で 遊 ん で こ そ、
自分の 生 きてい る価 値が 学べ るの では ない だろうか と、 日 ごろか ら思っ てい る の です けれ ど、
そ れ は少し後で もう一
回話します、 そこ で、
本 当に大 人にも 自然 が 必 要 なのだろ うか。 さっ き は自然が嫌い か もし れ ない と言い まし たけれ ども、
大 入に とっ て 自然が必 要 なの かどうか を考 えて見 ますと、
現象
と しては、
見 か け 上 は確
か に 必要ら しい とい え ますね。次
の 写真の ように、
東 京の 六本 木 近 くの 表参
道 に テ ィ フ ァニー
が店を出 す よう
になっ た。 世界の ブ ラン ド物 を売っ てい るお店が、
次々 と表 参 道 に 出て きて い ま す。 で、
こ れ は どう
して だ ろう
か と考
え ます と、東京
で はケ ヤ キの並 木があれ だけ続い て い る、
緑の豊かなシ ョ ッ ピング街と い うの は ほ と ん ど ない ですね。表参
道の持っ て い る希 少価値
なの です ね。
ケ ヤキの 並 木の 下で ショ ッ ピングするのが楽しい という、
無 意識 に せ よ そう
いう
こ とで集
まっ て くる。 (
写 真1
)
こ の写 真の
向
こう
まで非 常に素 晴ら しい 並木、
ケ ヤ キの並木が続い てお り ます。 つ い 最近で は、
同 潤 会 とい う古い アパー
ト を建て 直 すこ と に写真
1
なっ て、
安 藤 忠雄
さ ん という建築
家が、「
新し い建物
の高
さ は、
この ケ ヤ キの並 木の高さ より 高 くし ない 、 とい う設 計を し た」とい う話 が 有 名にな りま し たけれ ども、
それ ぐらい に、
貴 重 な並 木で ある とい う風 に考
えら れ てい るのです ね。一
方、
数 年 前ま で私 は研 究の 仕事
でモ ン ゴ ル によく行っ てい たの ですが、外
モ ン ゴ ル の国で すね、 そこの 首 都の ウランバー
トル に 行 きます と、
ホテル が 常 にい っ ぱい で、
し か も 日本人の 中 年の 女の 方が非 常に多
い ですね。
こ の人 た ち は そこで、 何を してい るのか と言い ますと、 や は り、
広い 草 原の真
中の自
い テン トで、
そこ で 寝る ような体 験を してみ たい と か、 そ れ も 空港 か ら そ ん な遠く ない所 に観 光用 の テ ン トの家が 並ん で い る、 そこに寝て、 海の ような緑の 草 原 を 見 る だ け で本当
に満 足 してい る。 そう
い うこ とを見ますと、 や は り大 人 も非 常に 自然が好 き なのだ と わ か る わけです ね。身体 (
か らだ
)
が
自然
を
求
め る
次に本
当
か な と 思う
ような話を少 し紹 介しま す けれ ど も、 生物 学 者たちの説によりますと、
人類が受け継
い でい る 遺伝 子ですね、
そこ に書 かれてい る設 計 図にあた るDNA
は、
今 も森の 生活に適 応し た ま ま変わっ てい ない 。 なぜ か と 言い ますと、6000
万 年 ぐらい 前に哺 乳 類、
ミル 1]3
クを 与 えて子供を育て る動物です ね、
ネ ズ ミな どの 哺乳類が出現 し ま して数
千 万年たっ て い る、
その哺
乳類の 中 か ら、
サル やチ ン パ ンジー
な ど の霊 長 類が分 岐し たの は約600
万 年 前。 そして 私た ちの 先 祖であるヒ ト、
ホモ サ ピエ ン スが 霊 長 類か ら分か れ て出て きたの が50
万年 前。 で、
その 人 間、
ホモ サ ピエ ン スが農 業 を発明 して集 団生活を始め たの は、 たっ た1
万年 前です。 さ ら に、
現在
の よう
な都市
の生活
を始め たの は、
産 業 革 命以 降と し ますと、 せ いぜ い250
年 前か らに過 ぎない の ですね。 そ うしますと、
遺 伝 的 な 変 化、
い わゆ る進 化 ですが、
この 進 化が 目 に見 える か たちで現われ る年 数と し て は ですね、250
年で は到 底起 こ り えない。DNA
の一
部が、
突 然 変 異で 入 れ替わ るわけで す けれ ど も、250
年 ぐらい で は到 底 変 化し ない 。 そういう
考え方に立 ち ますと、 1
万 年で も ちょ っ と無 理 じゃない か。50
万 年 ぐ らい 前、
さ らには1
万年 前まで で さ え、
私たちの先 祖の生活を考えて みま す と、
やは り森と か草 原 で生活 してい た。 その時のDNA
が 今 も変わっ て ない と し ますと、
私たち も頭では自然が な く て も生 きてい ける と思 うか も しれませんが、
身 体が 自然を欲してい る の は間違い ない、
とい う のが、 私 も含めて生 物 学 者の考 えてい るこ とで すね。日本 経 済 新 聞 が
、
住み たい 町が どこか という
ア ンケー
トを2
年 程前
で し た か、
い た し ま して、 その トップに立っ たのが幕 張 新副都心、
総 武 線 の 幕 張とい う所か ら ちょっ と海 岸に 出 た所です ね。 完 全に人工的に作 ら れ た都 市
で す け れ ど も、
この 幕 張は千 葉 大 学の、
理学 部 長で生態
学の教 授であっ た沼田真
さ ん、
その教 えを受
け 継い だ お弟予 さ ん が計
画 した緑地 が、
非 常に素 晴らし い ん ですね。 し か も その木の種 類がすべ て、
鳥がよ く食べ る木の実が成る よ うな
、
そ うい う木 の 種類 だ け で作ら れ て お り ます。
他にも大き な緑地 がい くつ か あ りますけ れ ど も、
すべ て、
そうい う考えに立 っ て作ら れて い る の です ね。 鳥が集まるよう な 木の 種 類だけを 植えてい る。 し か も、
外 国か ら持っ て き た よう な木で な くて、
日本 在 来の、
特に千 葉 県、
南関 東 を 中心とする、
その地 帯に、
縄 文 時 代か ら生 えてい た よう
な種類
の木
ですね、
それ に近い木
を集めて植 えてい る、
という
ところ が特
色で す。 これ は 沼田先生 と その仲問の宮 脇昭 さ ん(
前
横 浜 国立大 教 授 )のお考えで して 、.
丁・
葉 県立博 物 館の 中に、
干葉生態 園とい う、
「生態 」という
言 葉を使っ た、
植 物 園があ りますね。 その考え 方が幕 張 全 域にわ たっ て、
緑 地の計 画に入っ て い る。 (写真2
> 写真2
住
み た
い街第
1
位
の
幕
張
副都
心
循 環
型
社 会
と し
て の
生 態系
こ こで 生
態系
の話
を少
しばか りしたい と思い ますが、 典型的な 生態系
と言い ますと、
モ ン ゴ ル草 原を お考 えい ただけ れば 良い。 で、
三角 形 の中に書 きま し た ように生態系
で は、
太陽エ ネ ルギー
、
太 陽の光か ら、
炭水化物
を作る植 物 群 集、
これ を 生産 者と呼
んでお り ま して、
そ れ を 食べ る動 物 群 集、 これ が消 費 者。 そ して、
そ れ ら が死んだ時に分 解 して くれる分 解 者、
これ が 土 壌生物 群 集にな ります。 そ れ ら を取 り巻い て ll4.
・る ものが、
気 象 環 境であっ た り土 壌、
土です ね、
土壌 環 境で あっ た り、
あと地 形の環 境で あっ た り し ま して、
この 環 境と生物群 集、
三つ の役割
を持っ た 生物群集
との 間 に、
相 互 に、物
質な り情 報の や り取 りを してい る と見な し た時 に、
これ は 「生態系
」と呼
べ る。(
写 真3
) 写 真3
.生
物 社金
の
共
生
シ
ス テ
ム
〜 生 態 系の特 徴 く 生 態系の興 型 〉をモ ンゴル草 原に見る ●太 陽エネルギー
と講
i
翻
食 物 遅鎖によ る エネルギー
默
粫 輸繋
鞭
tt 変 換 と物質循 環轟
蘇
そこ で は、
太 陽エ ネルギー
と 空気、
水の永 続 的 な流 入が あ りま す し、
そ れ らの食 物 連 鎖によ る、
エ ネルギー
変 換 と物 質循 環が行わ れてお り ます。 生物の 「種 」と種が、
常に切っ て も切 れ ない 関係を持っ て牛活してい る。 右 下に描か れ て い るように、
生物と環 境の 問に も相互作 用が あ ります し、
物 質や情 報の フ ィー
ドバ ッ クが 生 物 群 集の問にある こと、
これ も生態 系の特 色と い え ます。 その ほかに、
生 物 群がつ くる系には階 層 性が 見 られ る。 階層 性と言い ますのは、
例 えば、
動 物の群 れ が あ りま して、
草 原の植 物を動 物が食 べ てい る、
そ うい う 関係が、
ス ケー
ル を小さく して、
一
匹の羊の胃 袋の中を見ま して も 同じ様 に、
い ろい ろ なバ ク テ リ ア が 胃 袋の中に住ん で お りま して、
そこ で は や り、
餌 を食べ て物 質を 生 彦 して分 解 してい く、
とい うように、
ス ケー
ル を 変 えて見て みる と、
い ろい ろなとこ ろ にこ の 生 態 系が、
大 きな生態 系か ら、
中 くらい、
そ し て小さい 生 態 系 までが複 層 的に、
入 れ 子のよう
に なっ て存在
してい る とい うのが、 こ の 「生態系
の階 層 性 」という意
味で す。そ れ か ら
、
フ ィー
ドバ ッ クと言い ます
の は 、 植 物に一
つ の物 質、
窒 素 な ら窒 素が与
えら れます
と、 そ れ が 回り ま わっ て、 ま た最 後に は、 分 解 者 を 経 由 し て植 物に 戻 っ て く る 。 これ を フ ィー
ドバ ッ クと言い ますね。 こうい うよう な、
階 層 性 と かフィー
ドバ ッ ク がある とい うこ とで、
安
定 性 を保つ のが 生 態 系の特 色です。 これ (写 真4
)はモ ン ゴ ル草 原です け れ ど も、
もともとこ こ で の 生 活で は何
一
つ捨
て る物
は な くて、
ゴ ミで困るとい うこ と も、今
ま で は な かっ たの ですね。 最近 は車を使い ますし、
プラ ス チ ック 製の ゴ ミも増 えて きて、
ち ょっ と問 題 が起 きてい ますけ れ ど。 写真4
難
靉
械
警盞
驚
輿
これ (写 真5
)は、
モ ン ゴ ル の ウ ランバー
ト ル か ら300
キ ロ ほ ど南の ほう、
ゴ ビ砂漠
が始
ま る手 前の草 原の調 査 をした時の 写真です。 左側 が私の 登 山テン トで して、
真 中に、
外モ ン ゴ ル の研 究 所の女 性 研 究 員がい ます。 この 人 が私
た ちに ですね、
毎 朝、
馬と牛の 糞 を集め て きて く ださい っ て命 じる ん です ね。 そ れ で、
私た ち が 集めて き ますと、
携 帯 型の釜戸(
かまど)で火 を炊い て、
牛や 馬の 糞 を燃料
に して ミル ク紅 茶 を湧か して くれます。 そ れ が朝の 食事
の い わば 味噌汁に相 当し ま す。 トイレ も、
シ ャベ ル で草 原の一
部 を掘っ てそ こをトイレに す る わけです か ら、
こ こ で生 活し てい る限 りすべ て循 環 型 社 会にな ら ざるを得 ない です ね。 写真 5
生
物
の
種
の
移
り
変
わ り
そ うい うモ ン ゴ ル草 原のような典 型 的な例か ら見ら れる事
は、
生物 社 会の共生 シ ス テ ム と し て、 生物と 生物が互い に影 響 を与 え合っ てい る。 モ ン ゴル草
原の草
は馬や羊
に食
べ ら れ て も食
べ られ ても再生 する。 そう
いう草
の種
類が、
生 き 延びて きて い る わ けで、
こ れ をお互い一
緒 に なっ て進 化してい るとい うの で、
「共 進 化」
と 言 い ます。
そ れ か ら
、
草原植生の種の多様
性。多様
な ほ ど安 定 性がある。
人 間の社 会 も同 じです。
稲の 田ん ぼ の よう
に単
純 化 して し まい ま すと、
不安
定になるの です ね。 従っ て農 薬 をか け ない と生 き延 びら れ ない 、 不 安 定な状 態なの で厳 しく管 理する、
日本の水
田のような状態
は 日本の祉 会 と似て い るの ですか ね。
そ れ か ら、 喰
う
もの 喰わ れ る もの の関 係。 よ く言 わ れ るの はウサ ギ とオ オ カ ミ み たい な 関係 です けれ ど も。 人 間がそこ に割 り込まない 限 り 絶滅 す る事
は ない ですね。 こ れ は非 常に自然な 世界の姿だ と思い ます。 人 間が そこに割 り込み 過ぎ ますと、
現 在の 内モ ンゴル 草 原の ように、
回 復 不可能 な くらい 半砂 漠 状態の ところ が 増 え て し まう。 人 間 が あ ま り下 渉し なv丶 人 間も 自 lIs然の
一
部の よ うに生 活 してい た ときは、
今 まで の モ ン ゴ ル草 原の ように、
永 続 的 な植生 が何 千年
も続
い てきたわ けですね。 そうい う草原で、
最 近は カ シ ミヤの毛 糸 が 儲 か る か らという
の で カ シ ミヤの ヤ ギ を大
量 に飼
う
よう
にな りま して、
そ してそのヤ ギ が草原 を 荒らす。 そ れ か ら、
漢 民 族がモ ン ゴル 草 原に入 り込ん で か ら、
小 麦 を作る とい っ て、
高 山植 物 の お花畑
の よう
な美
しい草
原ほ どねら わ れて ト ラ ク ター
で耕さ れ る。 元々雨量が少 ない もの で すか ら、
数 年に1
回 くらい し か小 麦が採れない 。採
れ ない と そ こ を放 棄し て よ そ に移る。 そ う やっ て植
生の非常
に良
か っ た場所
ほど半砂
漠 状 態にな りつ つ ある とい うのが、 現 在の砂 漠 化の 大 きな 問 題ですね。 つ ぎに、 生 態 系の種の 組み合わ せ は時 間と と も に変わ る。 こ れ を植生の遷 移と か、
植生のサ クセ ッシ ョ ン と か呼び ます けれ ども、 その 結 果 と して生物た ちは適 材 適 所に 生活 する ように な っ てい る。 そ の サ ク セ ッ シ ョ ン につ い て ちょっ と説 明 しますと、 生態 系の食 物 連 鎖と太 陽エ ネル ギー
の流れ とい うのが 生態 系の働 きで す け れども、
そ れ を行 ない な が ら植 生のタ イ プ が移 り変わっ てい る。 非 常に単 純 化 して言い ま す と、
那須の辺で言い ま すと、
ス ス キが 最 初に 入っ て きます ね、
裸の 土 地があ りま して、
そこ にス スキ が 入 っ て くる。 そ れか らしば ら くする とそこに ア カマ ツが 入っ てきて、
アカマ ツが 少 し茂 りだ し ます
と、動物
が ドン グ リを運ん で き ますか ら、
コ ナ ラ(
小楢)
の木が生 える。 そ れ か ら少し標 高が高い 所で すと、
ア カマ ッの代
わ りに シ ラカバが 生 えま す。 そこ の下 に山ツ ッ ジ が生 える。 この ツ ッジ は有毒
ですか ら動 物が食 べ ま せ んの で、 ッ ッジ が た く さ ん 生えてい る所 は、
昔は馬の放 牧か、
牛の 放 牧が さ れて い た場 所なの ですね。 それ が最 終 的な姿にな るの が右 側に書い てあ る、
森 林の タ イ プです。 北 海 道の亜寒 帯で はエ ゾマ ツ、
ト ドマ ッ が最 終 的な森 林。 原生林と し て保 護 されて い る所では、
それ が現 在で も見ら れますね。 それ か ら東
北 地方、
冷温帯はモ ミと ッ ガ、
そ れ と雪が積
もる所は ブ ナ です。 そ れ か ら関東
地方
以西 は暖温帯
で して、
シイ、
また は カ シ、 それ とク ス の木とタブの木とい っ た森 林 になるだろ うと考
え ら れてお ります。(
写 真6
) 写真6
生 態
系
の
働
き
と
仕 組
み
mo生態
系
の食
吻運鎖 と太
陽
工ネ
ル
ギ
ー
流
su植
生 型 と
植
生遷
移
as ス スキ
→ アカ
マツ・
ナラ
・
シラカ
バ・
ツ ツジ
as北 海 道 (
亜 寒 帯 )〜
エゾ
マ ツ・
トド
マツ ee東 北 地 方 (
冷 温 帯 )〜
モミ・
ツガ
・
ブ
ナ
9・関 東 地 方
以西 (
暖 温 帯 )〜シイ・
カシ
ク
ス・
タブ
こ
う
いう
木の 種類 が な ぜ 分 か る かと言い ます と、一
つ は 地 中深 くボー
リン グ をする、 池や湖 の泥を、
深 く掘 り取 り ますと、
その泥の中に植 物の花 粉が入っ て い る。 花 粉は腐 りま せ んの で、 その花 粉か らですね、
昔の森 林を推 定してい る。 そ うい う方 法で樹の種 類が分かっ てい る わけで すね。 もう一
つ は、
神 社と お寺に残さ れてい る 樹 木とい うのは、
何 百 年 何 千 年と経っ てい るこ とが 多い ですか ら、
こ れ が や はり、
植生遷 移の 最 終 的な姿を作る木だ と推
定で きるの です
ね。 次の 写真の右は、 那 須 大 学 建 設の時に、 バ ス の停 留 所の向かい 側に土 を 盛 っ た とこ ろ ですが、 最 初に人っ て くる のがス スキ、 樹 木はア カマ ツ です けれ ど、
アカマ ツ の実生 が少 し上 に伸び る と、
小 さな 枝 を4
本 ぐらい水 平に出 す。 翌 年ま た一
段 伸びては4
本 出 す、
毎 年 少 し上に伸びて は4
本 出 す、
とい うふうにな りますか ら、 その ]16ア カマ ツ の実生で水 平に出て い る枝 が 何 段 ある か を見 ますと
、
何 年 目の アカマ ツ か とい うの が 分か りま す。 い ち ばん背の高い のが大学
の年齢
と 同 じです ね。 その 周 りにス ス キが生 えてい ま す。 ち ょ うど、 こ の植生遷 移の最 初の と こ ろ が こ の写 真。 左側の写 真の よ に標 高の高い ところ で すと、
シラ カバ が最 初に生 えてい ます。 (写 真7
) 写真7
赤
松 や
白樺
が
裸地 や箪 原
に最初
に侵
入
こ の よ う な植生遷 移にあっ て、
植 物 種の移 り 変わ りの最 終 的な姿を極 相と言い ます。 左上に 書い てある、
極 相の木の種 類と して、
東 北 地 方 ではモ ミ、
ま た は ブ ナ。
それ か らこの 辺か ら西 の暖
温帯
はシイ、
カ シ、
クス と先ほ ど 言い まし た け れど も、
右 側がモ ミの木の典 型 的 な姿
で す ね。 左側に クス の 木と、後
ろ側にシイの木が あ ります。(
写真
8
) 写 真8
わざわ ざこう
いう
こ と を申し上 げますのは、
那 須 地 域の植 生の特 色 がで す ね、 暖 温 帯の木の 種 類 と、
冷 温 帯、
東 北 型の木の種 類が ち ょうど 交 じり合っ てい る。 最 初アカマ ッが た くさん生 え ます けれ ども、
数 十 年たっ た林で は、
その下 に ですね、1m
前 後のモ ミの木が点点
と入っ て い る。 別の ところ は カ シの木
が 入っ てい る。
両 方が交じり合っ てい る、
ま た は移 り変わっ てい く途 中の姿が見ら れ ますの で、
そう
い う意味で、 那 須 地 帯には貴 重 な植 生 がたく さんある、 とい えるの で はいか。緑
の ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
ー
生 態
回
廊
を
つ
くる
つ ぎに
申
し上げたい のは、
私たち、
特に子 供 た ち が、
自然の生態 系に触れて学ぶもの と して、
生 きて いる事の大 切さ を感じ取る こ と。自然の生
態系
の 中で生物た ち はい つ も予想外
の事に出 会い、
臨 機 応 変に対 処し な が ら、 必 死 に自分に合っ た場 所を 選 んで生活 してい る。
そ うい う 目で生物の 生 き方を見て、 そ れ を子 供た ちに良 く分かっ て も らい ますと、
人間の子 供 も、
自然 体 験 を通じて こそ、
世の 中っ てい うのは自 分の思い 通 りにな ら ない ん だ、
とい う事を肌で 理解
する わけです ね。 そう
して自然の 中で遊ん で い る と、
遊ぶ こ とで、
危 険を予 知 する、
そ う い う能 力 も身
につ くの で はない だろ うか。 けれ ども高 校 生 以 上にな りますと、
そう簡 単に は 自 然 体 験 を、
とい っ て もした が ら ない です ね。
そう
いう
時は、高校
生 や大
学生 ですと、一
人 で旅行
をさ せ、
ちょ っ と危険
な 目に遭う、
という
こ と を通じて危険
を予 知 する能 力が身
につ く、自
分の 思い 通 りに な ら ない 世界を知る よう
に な る と 思い ます。 部 屋の中で コ ン ピュー
ター
ゲー
ム だけしてい るの では、
ちょっ とこう
いう
能 力は 身につ きにくい の ではない かと思い ます。 そ うい う意 味で、
私たちの生 活の身 近 な、
生117
活をし て い る所の すぐ近 くに生態
系
に 近い もの を作
る、
という
ことが、
これ か らの子供
た ち に とっ て、
どう
して も必要 だ と考
えるの ですけれ ど も、 実 際には、 生態 系を身 近に置 くとい うこ と はほ とんど無理ですね。 どうし て も開発に さ ら さ れ ま して、 植生 が分 断さ れてい る。 そこ で、
考 えら れ たの は、
既 に分 断さ れて し まっ た緑 地、
木の植わっ てい る とこ ろ、
野草や 作物
も含
め て植物
の植
わっ てい る ところを、 す べ て廊下 で繋
い で や ろう、
そ れ で 生態系
に代わ る ような、 網目状の もの を作 りま しょ う、 とい うのが、
エ コ ロ ジ カル コ リ ドー
と か、
エ コ ロ ジ カル ネッ ト ワー
ク、 とい う言 葉で表されてい ま す けれ ど も、
生態 回 廊の考え方です。 こ れ が、
15
年 ぐ らい 前か ら ドイツ を中心に し て広が っ て まい りま して、 現在
で は 日本の文 化 庁も、 東 京 の 昭利 記 念公 園 な どで、
これの試みをや っ てい ますし、 環 境 省は国立公 園で、 例え ば道 路上の 空中に です ね、
リス や ヤマ ネ が通る為の橋を架 けると か、 そん な試みまでやるぐらい に 日本で も、
だ ん だ ん とその 考え が広がっ て きてお りま す。 こ の考え方は、
生態系は無 理なの で少しで も 生態 系に近い もの を作ろ う、
小さい 哺 乳 動 物も 昆 虫 も住め る ように、
街の緑 地 を廊下で繋こう。 そ れで 生 垣 を持
っ て い る家であれ ば その 生垣 も 廊下の一
つ とみ なす、
街 全 体が、
細 くて も何で も良い から ともか く緑 が ずっ と網 目状に繋がっ てい る、
という
状 態 をつ くる。 そ れ がエ コ ロ ジ カル ネッ トワー
ク、
生 態回廊の 考 え 方で、
ドイ ツ の街で は、 個人の家の庭と 生 垣もその中 に組 み込んでい る そう
です。こ れ (写 真
9 )
は、
千 葉 市の幕 張の すぐ隣の、
街の大 通 りです けれ ど も、 こ れは芝生 を良 く刈 ll8 ;〕込んで い ますね 、 そ して上の ほうはクス の 木 の綺 麗な 並木です けれ ども、
下に ッッ ジ を植 え て綺 麗に刈 り込ん で い る、
実 際に見た目はい い の です けれ ども、
これ はあ くまでも人 間の た め だ けで あっ て、
生物が一
緒に住む事
がで きる よ うなそ うい う緑 地には してい ない です ね。 これ は や は り、
ッ ッ ジの この ぐ らい の 高さで い いか ら、
ずっ と 生 垣の ような植込 み を続 けるのが 生 態 回廊の考
え方
です ね。
まあ町の 中心街
では そ れ を確 保 する必 要は ない と思い ます けれ ども、 もしで き る な ら ば、
そ うし た方が、
い ろい ろ な 種 類の 生物が一
緒に住める。 見 栄 えが悪 けれ ば 上 と横だけ機 械で刈れ ば良い、
それ 以外は草 む しりの必 要が ない の ですね。 その点で 言 うと、
現 在の 日本の緑 地 管 理は、
かな り考 え方が 遅 れ て お りますね。 写真9
ゆ
,
懇
y灘k
・
,su
遠 .,
謹
饗
こ の写 真10
はニ ュー
ヨー
クの マ ンハ ッ タ ンの セ ン トラルパー
クで撮っ た写 真ですが、
芝生の こ の反対側 に、
1m
幅で、
高さ1rn
ぐ らい の生 垣 状に、
芝 生の 刈 り残し部 分 を 延々 と続 けて手 作 業で作っ てある ん です ね。6
年 前に撮っ た 写 真です が、
北アメリカ で もこ こまで来て い る と非
常に感心 しまし た。 こ の芝生のう
し ろ 側も、
潅 木 類 を野生状 態で残し てあ り まし て、
子 供が手
前で遊 ん でい ますけ れ ど、 その そ ばで リスが チ ョ コチ ョ コ出 た り入っ た り してい るの ですね。 そこ に鳥が草の 種を食べ に来て い た り、
ネ ズ ミ写真
10
, 、ゑ
滋葱
撫
簗
が そこ に来れ ば 上 か らワシ が狙 う
とか、
そう
い うふ うに動 物 と植
物と 人間が共生する、
という
考 え 方が既に、 こ の 大 きなニ ュー
ヨー
ク という
街の 中心の公 園で も実 行 されてい る んです ね, 残念
な が ら 日比谷
公園 は そ こまで やっ て お りま せ ん。自然
を ど う捉 え るか
一
考
え
方
を
改
め
る
自然を どう捉 える か につ い て
、
先 ほ ど私 が、
私た ちの考
え方
を 変 えてい かない とい け ない と い う話を し ま し たけれ ども、 私た ち でも頭の切 り替 えという
のは、
自分で分かっ てい てなかな かで き ない ものですね。 私た ち が今
ま で どう
いう
教育
を受
けて きた か と言い ます と、
工業 文 明 と して、 高 度 成 長 時 代か、 もっ とその 前か ら で す けれ ども、
画一
的 という
か、均一
1
生を追 求し て きた と言え ます。 立派な 工業 製 品を作る には 、 み ん な が同じ様な高さの レベルの知 識を持
っ て、 同じ様に訓練 して ですね、
そ して 同じ様
な質
の 良い製 品を作ら なけれ ばい けない という
ので、
こ ういう
教育が な さ れてきた事
は 間違い あ り ま せ ん ね。 そ れ が最も、 ピー
ク に な るのは 、 戦争 の ときだ と言い ます
。 戦争
は み ん な が同じ考
え 方を して同じ様に動か なけれ ば勝てませんの で 。 そ れで画一
性、 均一
性の追求が戦 争 時代の教 育 におい てもっ ともピー
クに達 する 。こ うい
う
工業文
明 を 通 じて、
日本は成 功 した の です けれ ども、
一
方でその副作
用 が 出て きた。
数 字になるもの、
数 値 化でき るもの し か評価
し ませ ん。 これ は 現在
の学 会で もそ うですね。 学会
に論文
を出 します と、
数 値 化 したもの、
ま た は数 式を使っ た ものが ほ と ん ど優先
さ れ るの で すね。一
方、
生 きてい る状 態とい うの は複雑
で す し、
野 外、 フ ィー
ル ド と か、 お医 者さ ん でい うと臨 床の分 野は な か な か数 字に なり ませ んの で、
論 文にならない 。 で、 結 果 的に こ ういう
分 野の 人々が、
どう して もポス トが も らえない よう
な形が、
現在
の学界
で今で も続い てお ります ね。そ れで、 この十 数 年ほ ど、
医
療 とか介護福祉 、
農 業、
教 育、
都 市 開 発とい っ た ところ に、
その 欠 陥が出て きてい る。 観光
に関 連して言い ます と、
マ ス ツー
リ ズム に影 響さ れ た開 発 も、 こ の一
環
と見
て良い の では ない か と思い ます
。これ か ら は ど
う
あるべ き か という
意味
で は、
よ く言われてお り ます けれ ども、 感 性の 時 代だ とい う。 こ の感 性の時 代っ てい うのは、
た だ音 楽とか 絵とか を見て、
ぱっ と感じ取れ る ような そ うい う感性 とい う意 味では なくて ですね、体
のすべ て の感 覚を使っ て、
ま わ りの もの を 感じ 取る、
これが、
感 性の時代 とい う意 味ですね。 私は よ く思う
の で すけれ ども、「
声に出して読 み たい 口本
語」
とい う本でベ ス トセ ラー
を出さ れ た、齋
藤 孝さん、
明 治 大 学の先 生 が、
随 分 そ の後 も、
本を書か れ て お り ますけ れ ども、
ほと ん ど、
この 感 覚 すべ て で感じ取る とい う考えが 基礎と なっ てい るの で す ね。齋
藤さん は、学
生時 代に、
何 十 種 類の武 道 を 全部 体 験した と言っ てお ら れ ま したけれども、
その 代 わ り一
つ も大成 し な かっ た そう
で す が。 そ うい う体 験か らですね、 多 分 あ あい う考え方 119が 出てき た と思い ます。 こ れ が ベ ス ト セ ラ
ー
に なっ たとい う事
は、学者
よ りも一
般の人 た ちの ほ うが、
今 まで の何でも数
値万能とい う世 界は お か しい の じゃ ない か と、 な ん と な く感 じてい た為に、
あ あいう
本がベ ス ト セ ラー
になっ た と、
私は 思い ます。そ れ をも
う
少 し深 く調べ て み ますと、
これは 私が思い 込ん でい る に過 ぎない か もし れませ ん が、
文 化の 面で多様 性の価 値 を発見 し たの は、
レヴィ・
ス トロー
ス とい う、 フ ラ ンス の哲 学 者、
1960
年
代に大 きな論 文、
本を出してお ります。 この 人は アマ ゾンの原 住 民の文 化は西欧の文 化 と対等
の価 値を持っ てい るとい う事 を証 明した の で す ね。一
方、
レ ヴィ・
ス トロー
ス と、
パ リ 大 学で 同 級生 だっ た有 名 な哲 学 者の ジ ャ ン・
ポー
ル・
サ ル トル、
この サ ル ト ルの 方は、
共産 主義が最 先 端の社 会のあ り方とい う考
えに立っ て い た ら し い。 こ の サ ル トル の 考 え 方 を、 ちょっ と断 定 的に見 ますと、
文 化の 進化、
ま た は文 明の進 歩、
これ はな なめ に引い た…
直 線の 上方に進ん でい っ て、
その最先 端に 西 欧の 文 化 がある。 逆に、
その一
直線の 下の 方が 原住
民の 文 化、
とい うふ うに、一
つ の斜 線の上 にすべ て を並べ て、
そうして ど ち ら が高い ど ち ら が低い という
よう
な、 どうしても そ うい う見 方をして し まい が ち なの ですね。 とこ ろが、
レヴィ・
ス トロー
ス はそ うではな くて、 原 住 民の文 化 も西 欧の文 化も、
た だ単に枝 分か れ し た状 態である に過 ぎ ない、
と見てい る。 こ れ は、 生物 学をや っ てい る人 間にとっ ては 当た り前の話ですね。 現 在の サ ル (猿 )は私た ちの先 祖のサルと は違い ます。 サル は サル で、
ある時に枝 分 かれを して、
現 在のサルが サル類 の進 化の最 先 端になっ た。一
方で 人 問 が枝分 か れしてやは り最 先 端になっ た。
ですか ら、
現在
のサル と現在の 人 間 と を比べ て どっ ち が 上 どっ 120 ち が 下 とい う事を言っ てはお かしい です ね。 同 じ ように現 代の昆 虫は昆 虫で、
最先 端ま で 進化 し てい ますか ら、
昆虫の レベ ル を見て ですね、 人 間よ り上だ下 だという事
は お か しい、
これ は すぐ に分か りますよね。 とこ ろが文 化に関して は、一
直線一
と に並べ てどっ ち が 上でどっ ちが下、
とい うよう
な見方
が ず っ と され てい た。 こ れ が、
哲 学と科 学の分 野で は、
西 洋 近 代 科学
の欠 陥、
と して少し前か ら指 摘され てい るもの であ りま す。 先ほども言い まし た が、
数 字で し か物を見 ない、
数 字で表
わ し た効 率を最 優 先 する、
という考
え 方ですね。生態 学 者の場 合も同じです。 私 も生態 学が専 門ですの で、 大 先 輩の今 西錦 司さん と梅 樟 忠 夫 さ んの
、
モ ン ゴ ル の牧 畜 文 化につ い て 書い たも の を よ く読み ます けれ ども、
読んで み た結果 で す ね、
今 西さ んの方が、
モ ン ゴ ルの 牧 畜はい ず れ は消えてい くべ き もの で、
技 術の レベ ルとし て は高い もの で は ない、
とい う見 方 をし てい る。
とこ ろが、
今 西さん よ り後 輩の梅 棹 忠夫
さんの 方は、 モ ン ゴ ル の 牧 畜 文 化とい うの は、
あの 条 件の 中では最 高の技 術である、
とい う評価を し てい ます。 つ ま り梅 棹 さん の方は、
畜 産 とい う 文 化が枝 分かれ して、
現在モ ン ゴ ル でや っ てい る牧 畜 も、
北アメリカ式の畜産 も同じ よう
に両 方とも最 先 端の、一
級の 技術 だ という
ふう
な評 価 をし てい ます。 これ が文 化の多様
性の重視と い う一
つ の例 だと思い ます。
そ うい う多 様 性を尊 重 する とい
う観点
に、今
か ら私たちは自分 た ちの頭 を 切 り替 えてい か な い とい け ない の ですけ れど も、
その 時に、 先ほ ど 言い ました ように、
人 間 が.
.
ヒで、
目の前にい る植 物や、
野生の動
物が 下だ と、
そう
いう
見方
は、
もう今
か ら は 間違い だ と考 えない とい け な い e一
つ の捉
え方
を挙
げてみ ますと、
今そ こ に 生えてい る植 物 も、 同じ舞 台の ヒに立っ て演 劇を して い る俳 優