• 検索結果がありません。

商業アニメーション制作における「創造」と「労働」 東映動画株式会社の労使紛争から

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "商業アニメーション制作における「創造」と「労働」 東映動画株式会社の労使紛争から"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに 二〇一五年三月、日本アニメーター・演出協会(JA n i C A ) が「 ア ニ メ ー シ ョ ン 制 作 者 実 態 調 査 報 告 書 」 二〇一五年版を公開した。 同調査は、アニメーション産業自体の規模や実態の解 明・分析自体がままならない現状において、様々な限界 や 問 題 点 も 抱 え な が ら、 ア ニ メ ー シ ョ ン 制 作 現 場 の ス タッフの生々しい実態と声とを、かなりの程度記録に留 め る こ と に 成 功 し た と 言 え よ う。 ま た 同 報 告 書 中 で は、 回答者中のアニメーション制作者の平均年収が、国税庁 による平成二五年度の民間給与調査結果と比較して、約 八一万円低いこと、またその就業形態には「自営業」お よび 「フリーランス」 が過半数を占めること、 さらに 「自 分の才能や能力を発揮する就業意識が高い」ことなどが 指摘され た ( 1 ) 。 こ の 結 果 は、 各 種 メ デ ィ ア で も と り あ げ ら れ、 ア ニ メーション制作現場の厳しさが指摘された。しかし、そ もそもアニメーション業界が慢性的な労働条件の問題を 抱えていることは、繰り返し指摘されてきたこともでも あ る ( 2 ) 。報道はともすれば、この実態を一時的に、場合に よってはセンセーショナルに取り上げるレベルに留まっ ており、そのことがかえって、問題の構造的な分析と把 握を阻み、一時的な話題としてそれを消費することを促 してさえいるように思われる。 もっとも、これはそもそも学術界において、アニメー ション産業における労働を論ずる視点が定まっていない ことにも起因しよう。映像文化研究は、おおむねテクス

商業アニメーション制作における「創造」と「労働」

使

社会文化研究・第 18 号

(2)

ト 論 に 基 づ く 内 容 分 析 に 傾 き が ち で あ り、 「 表 象 研 究 」 と呼ばれる映像の哲学的・理論的分析が一領域を形成し ている。その一方、文化産業に関する研究は、産業振興 の視点から論じられることが多いため、現状分析による 企業経営やスタッフのマネジメントスキル、法制度の解 釈などに重点が置かれがちであり、当事者による著述を 除けば、産業と一定の緊張関係を持つ「労働」や「労働 運 動 」 の 問 題 が、 映 画 史・ 放 送 史 研 究 の な か に 表 れ る、 いちエピソード以上の意義を見出されることは稀であっ た。それゆえ、文化創造の現場における「労働」の問題 を焦点化しようとする試みは、理論化以前の実証的検討 さえされることが少なかっ た ( 3 ) 。 これに対して本稿は、 東映動画(現 ・ 東映アニメーショ ン) 株式会社 (以下 「東映動画」 ) を対象に、 そのアニメー ション製作事業における「労働」の問題を論じようとす るものであ る ( 4 ) 。特にそこで、アニメーション制作に従事 するスタッフを「労働者」と位置づけてきた東映動画労 働組合の活動を焦点としたい。 東映動画は社内労働組合を持った、日本においては例 外的なアニメーション製作会社である。しかし先述した ような背景から、アニメーションにまつわる歴史記述で も、その労働組合運動にまつわるエピソードが表れるの は、 概ね一九六〇年代に東映動画に在籍した宮崎駿など、 後年有名になる諸スタッフから見た記述がほとんどであ る。労使紛争について記述される際も、組合の結成時で ある一九五九年から六一年にかけての時期か、一九七二 年におこる大規模な人員削減について触れられる程度で あり、各時期の争点とその意義が詳細に分析されること は全くといっていいほどない。 これに対して木村(二〇一〇)は、一九五六年の東映 動画創業から、六〇年代半ばまでの経緯を追い、五九年 と六一年の二度にわたる労働組合の組織化過程とその成 果によって、在籍スタッフの中に労働者として、また作 品の作り手としての能動的な自覚が芽生えたこと、創業 時に数十人程度であった総従業員数が三〇〇人近い規模 まで増大していた当時のスタジオにおいて、労働組合が 個人的な親交のみによらない組織的な紐帯を育てる場と して機能したことを、独自に調査を行った労働組合の原 資料を用いて論じた。また一方で、組合の組織化によっ て従業員の能動性が醸成された後、労使間のみならず職

(3)

員内部においても、作品志向の分散と、雇用形態の複雑 化、製作本数の増加などによって、再度の状況変化が生 じていくことを示唆した。 もともと労働組合運動が生起した背景には、労働条件 の改善要求とともに、当初東映本社が掌握していた企画 権を、むしろ東映動画の現場スタッフが担わんとしたこ とがあった。しかしテレビ時代の到来とともに訪れた作 品数の増加と人手不足により、現場スタッフの裁量が一 時的に拡大したことで、個々の志向に基づいて作品を選 ぶことが可能になっていった。また、これに前後して本 格的に導入された「契約者」制度は、既存のスタッフに とって、作品制作に携わる上での身分や報酬のあり方の 選択肢を増やした。 こ う し た 要 因 は、 会 社 で は な く 現 場 ス タ ッ フ こ そ が、 アニメーション文化の創造の根幹であることを、労働運 動を通して承認させようとする動機を弱めた。こうして 東映動画の労働運動は、創造にまつわる要求と労働に関 する要求が混然一体となっていた時期から、二者が乖離 していく具体的な実情を踏まえつつ、その再度の接合の あり方を、経営合理化の中で模索する厳しい時期を迎え るのであ る ( 5 ) 。 本稿ではこの議論を引き継ぎ、六〇年代半ばから七〇 年代初頭の東映動画を例にとって、第一にはテレビアニ メ製作開始と、それに伴う人事労務政策の転換を、第二 には東映動画の経営難からおこった製作規模縮小に伴う 人員削減策の性格を、 それぞれ分析することで、 商業ベー スでのアニメーションの創造と、それに従事する上で生 じる「労働」が、 相互にどのような関係に位置づけられ、 またそれがいかなる変化を被ったのかを論ずる。そして さらに、当時の東映動画労働組合の取り組みとその進展 に、理論的・歴史的意義付けを行いたい。   一   報酬・労働・技術 一九五六年の創業以来、東映動画の主たる事業は、年 間一本 ・ 八〇分規模の劇場用長編アニメーション映画と、 多数のコマーシャルフィルムの製作であった。これに大 規 模 な 変 動 が 生 じ た の は、 一 九 六 三 年 の こ と で あ っ た。 手塚治虫が初代社長を務めた株式会社虫プロダクション が、国産としては初めて、毎週一話、三〇分枠での短編

(4)

アニメーションを放映する事業を実現させ、六三年の元 日よりフジテレビ系列で、新番組『鉄腕アトム』が開始 されたのである。 これに追随し、東映動画も六三年七月から、テレビア ニ メ シ リ ー ズ 第 一 作『 狼 少 年 ケ ン 』 の 製 作 に 着 手 し た ( 6 ) 。 それは年次計画にない急激な事業転換であった。東映本 社および東映動画の社長を務めていた大川博は、この年 の年頭あいさつで、劇場用長編アニメーションの年間二 本製作の実現と、CM受注の増加を訴えてはいたが、テ レ ビ ア ニ メ の 製 作 に 乗 り 出 す と は 発 言 し て い な か っ た ( 7 ) 。 こうして唐突に開始された新事業は、東映動画のマネジ メントに様々な問題と転換をもたらした。 「実力主義」と契約者 未だテレビアニメ製作が検討されていない六二年の時 点で、既に東映動画は「三段階給与制度」を従業員に提 案 し て い た。 こ れ は 入 社 三 年 目 か ら 出 来 高 制 を 導 入 し、 五年以上で「一人前とみとめるもの」は「契約者」へ切 り替えるという構想であっ た ( 8 ) 。 「 契 約 者 」 は 正 社 員 と は 異 な り、 個 々 人 が 会 社 と の 間 に事業委託契約を結ぶ形式で、出来高のみないし専属契 約 料 と 出 来 高 か ら 構 成 さ れ た 報 酬 が 支 払 わ れ る も の で あった。当初は能率の高さから高額の給与を得ていた社 員を、契約者へと切り替える形で始められた。 しかし、製作部門の正社員採用が六四年を最後に停止 されたため、以降の新規採用は、基本的に全て契約者と なった。六五年九月の労働組合の定期大会では、当時の 組合の規約上、構成員ではなかった契約者の増加による 組織率低下が、問題として指摘され た ( 9 ) 。 これらの変化に並行して、賃金の支払い形態も様々に 変容した。テレビアニメ製作開始以前から、増産自体は 東映動画の課題であったため、 まず六三年に「褒賞制度」 が施行され た )(1 ( 。これは特に成果を上げたと見られる者に 一時金を支給することで、生産性の向上をはかろうとし たものであった。 しかし、集団作業を基本とするアニメーション制作の 工程で、個人を対象に一時金を支給する制度は、職員間 の不信を誘った。特に労働組合では、この制度にいかに 対応すべきかが話し合われた。 その反応は職種によって分かれた。 組合全体としては、

(5)

制 度 へ の 不 信 感 を 共 有 し な が ら も、 「 も ら え る も の は も らおう」という意志が動画課や、トレースと彩色を行う 仕上課にあったのに対し、業務の集団性が強い技術、美 術、CM部門は、個人に褒賞を出すことへの拒否感を強 く示した。また、演出家たちが、作品の質低下や労働強 化、組織分裂への危惧などの、包括・原則的な立場から 反対した。 しかし「褒賞制度」が実行された結果、その一人当た り の 平 均 額 は、 動 画 課 へ の「 能 率 賞 」 で 約 三 五 〇 〇 ~ 四〇〇〇円、仕上課でも約七〇〇~一八〇〇円に上った のに対し、他のセクションへの「技術賞」は、全員支給 の代わりに一人当たり三〇〇~五〇〇円という金額に留 まった。支給される者、特に原動画を担当するアニメー ターにとっては、個々人への支給を受け入れた方が、圧 倒 的 に 有 利 な 結 果 で あ っ た。 労 働 組 合 は、 「 制 度 と し て 反対でありながら何故この制度を受け入れなければなら な か つ た か 」 に つ い て、 「 ア ニ メ ー タ ー の 側 に 技 術 を 認 めよと云う、質或いは量の評価を要求する声が、近来に わかに高くなつていることに起因」すると分析した。 六三年夏には、テレビ班に基準外賃金を支給すること で、スタッフの士気向上がはかられた。これは基礎給与 の四〇~六〇%分を加算して支払い、さらに一定以上の 作業量をこなしたものには、出来高分を支給するという ものだっ た )(( ( 。これはテレビアニメ製作コストの増大をも たらした。 コストを増大させてでも東映動画が基準外賃金を支給 した背景には、まず、テレビアニメ製作において同業他 社 に 後 れ を 取 っ た こ と が あ っ た と 思 わ れ る。 親 会 社 の 東 映 本 社 は、 五 九 年 に 民 間 放 送 局 で あ る 日 本 教 育 テ レ ビ(NET)の設立に出資を行った企業であり、また実 写のテレビ映画製作でも成果をあげていた。NETでプ ロデューサーを務めた宮崎慎一によれば、そうした背景 から、 「他局が国産アニメーションを放送しているのに、 東映動画を傘下にもつ『東映が株主であるNETがやら ないのはおかしい』という情勢」があったとい う )(1 ( 。 テレビアニメの増加は人手不足を招き、同業者間での 技 術 者 の 引 き 抜 き を も た ら し た。 こ の 時 の 東 映 動 画 は、 既に長編映画の制作能力をもつスタッフで構成されてい たがゆえに、他社から引き抜くよりは、むしろ新興の他 社によって引き抜かれる立場であった。

(6)

引き抜かれる側の職員にしてみれば、こうした労働移 動はしばしば、報酬や地位の上で、より厚遇されること を意味し た )(1 ( 。こうして虫プロダクションや「Aプロダク ション」などへの流出が起こっ た )(1 ( 。 それに前後して六四年には、東映動画を退職して社外 に独立プロダクションを設立する者もあらわれ た )(1 ( 。これ は下請け会社として編成されれば経営合理化に利するも のであったが、反面、彼らが東映動画の専属ではなくな ることは、生産ラインとその技術が他社によっても利用 されることを意味していた。この点で、経済的な合理化 と 製 作 体 制 の 整 備 は、 微 妙 な 食 い 違 い を 見 せ る こ と に なっていった。 アニメーター側からすれば、自らの技術に対して正当 と思われる報酬を要求することや、 その能力を認められ、 より創造的な地位につくことができないのであれば、同 業他社へ移籍するか、 独立プロダクションを立ち上げて、 その欲求をかなえようとすることができた。またこのよ うな労働移動を経ずとも、密かに他の仕事を受注して収 入と意欲を満たす者もい た )(1 ( 。 東映動画は、六一年に起こった労働組合の公然化、そ して六三年から開始されたテレビアニメ製作事業による 他社との競争激化という二つの条件のもとで、スタッフ への報酬増額によって遺留をはかることを余儀なくされ たと思われる。 こ れ は ア ニ メ ー タ ー の よ う な 技 術 者 の 間 に、 「 実 力 主 義」を育む要因になった。この「実力主義」は、出来高 払いという形で解決されかねないと労組から警戒されて いた が )(1 ( 、それが実現したのであった。 契約者問題について労働組合は、基礎給与の低さが厳 然としてあり、それに対する組合側も、考課基準の不明 確さや本社給与との格差などを批判した、同一労働同一 賃金の要求が強いため、契約に切り替えて多くの仕事を こなすことで収入増加をはかる者が出る、つまり「個人 的 に 処 理 し た い と 願 う の は 仕 方 な い こ と 」 だ と し つ つ )(1 ( 、 一 方 で は そ れ が「 『 俺 も 将 来 う ま く な つ て あ ん な に 高 い 給 与 を も ら う ん だ 』 と い う 具 体 的 な 希 望 の 位 置 を 示 し、 これによつて現在の低賃金をゴマ化」そうとするものだ と指摘してい た )(1 ( 。技術や作業効率を通した会社への貢献 を認めさせ、それを賃金に反映させるような要求は、そ れが「個人的に処理」される限りにおいて、契約者制度

(7)

への呼応に繋がった。 これには従来の社員の昇格・昇給を規定していた「技 術者資格制」よりも、職員側にとって有利に見える側面 も あ っ た。 「 技 術 者 資 格 制 」 は、 各 部 門 を 三 ~ 五 つ の 職 級に細分化し、それぞれ最低賃金やノルマを定めたもの だ っ た が、 そ の 昇 級 は 作 業 量 が 根 拠 と さ れ が ち な 反 面、 一定の職級以上に昇格すれば「管理職待遇」となり、残 業手当が打ち切られて、実質的な減収に繋がる可能性も あっ た )11 ( 。これに比して契約者は、どこまでも作業料に応 じて収入が上昇するため、多くの仕事をこなせる者なら ば、社員よりも魅力的な身分に見えたであろう。 しかし、テレビ班を中心に契約者主体の製作体制が構 築されれば、そこでは個々のスタッフが技術と速度を通 した競争に晒され、特に速度を持たないスタッフには収 入上不利に働くことになる。契約者制度は原理的に、ご く少数の高能率なスタッフの高収入が、他の者の低収入 の根拠となる性格を持ったのであ る )1( ( 。 さ ら に、 こ の よ う に 技 術 や 作 業 効 率 を 認 め ら れ る こ と で、 一 時 的 か つ 個 人 的 に 収 入 が 増 大 し て も、 そ れ は 企 業 な い し 業 界 全 体 の 浮 沈 に よ っ て、 そ の 規 模 が た や す く 変 化 す る も の で し か な か っ た。 『 狼 少 年 ケ ン 』 は、 一九六五年八月一六日に新作放映を終了したが、その理 由を東映動画は、スポンサーの宣伝費削減により、従来 二つの枠を持っていたテレビ番組製作費の支出が困難に な り、 そ の 一 本 化 を 図 っ た こ と に あ る と 認 識 し て い た。 そして「交渉の過程においてスポンサー側に予算措置の 見 通 し さ え つ く な ら ば 放 映 続 行 の 意 志 が 充 分 に あ っ た 」 ことから、 「製作費のコスト高」が問題視された。 これに続いて東映動画は、新たなスタッフ編成方針を 実行した。ここでテレビアニメ班の社員に支給されてい た、 賃金の基本四〇%分の割増支給が廃止され、 再度「褒 賞制度」が導入されると同時に、今後は長編製作の「作 画職は社員を充当」し、テレビアニメ製作の「作画職は 契約者を充当する」との原則も定められ た )11 ( 。 この一連の経緯からは、スポンサー動向によって容易 に そ の 体 制 が 動 揺 し う る テ レ ビ ア ニ メ 製 作 に お い て は、 固定給の社員よりも、作業量に基づく報酬を支払う契約 者を用いるのが適切だという判断がなされたことが分か る。 「 基 準 外 賃 金 」 か ら「 褒 賞 制 度 」 へ の 切 り 替 え は、 一律方式の増額を止め、個々人の作業量に応じた支払い

(8)

をすることによって、意欲・能率の向上と製作コスト抑 制の両立をはかろうとした施策であり、その延長線上に は、受注の不安定性に適応するための、アニメーター雇 用の不安定化があったのである。 最 終 的 に 東 映 動 画 は、 後 述 す る 労 使 間 裁 判 に お い て、 契約者制度導入の意義を、 テレビアニメ製作と関連付け、 以下の三点から説明した。第一に、作業能率を上昇させ る必要があったこと、第二に受注金額の低さに対応した 報酬額の算定が容易であること、第三に受注の不安定性 に適合的なことである。 契約者制度は、作業能率上昇による合理化という既存 の命題が、テレビアニメ製作という未曽有の事業の影響 を受けて、さらに先鋭化したものであった。そしてその 事業基盤の弱さは、主として製作部門の職員の立場をも 脆弱化させたのである。 時間による管理から作業量による管理へ 東 映 本 社 か ら 直 接 に 受 注 す る 劇 場 用 長 編 の 製 作 体 制 は、テレビアニメに比して、比較的安定したもののはず であった。しかし急激に始まったテレビアニメ製作によ る 人 員 不 足 は、 長 編 製 作 を も 動 揺 さ せ た。 東 映 動 画 は 一九五八年以来、年間一本を継続的に公開してきていた が、六四年には初めて新作長編が封切られなかった。 この間に進行していた長編企画 『ガリバーの宇宙旅行』 の製作は中断され、そのスタッフも一時、テレビ班に充 当された。こうした施策は、テレビ班と長編班の収入額 の違いを個々人が具体的に経験する原因にもなり、制作 意欲の減退が起こって、長編製作が再開された後も、そ のスケジュール遅延へと結びつい た )11 ( 。 また長編の次回作も、テレビ班中心のスタッフ編成で 進 ん で い た た め、 従 来 の 社 員 ス タ ッ フ は 手 す き に な り、 遊 休 化 を 避 け る た め テ レ ビ 班 へ の 投 入 が 適 宜 行 わ れ た。 製 作 コ ス ト 抑 制 の た め に 社 員 と 契 約 者 を 使 い 分 け る 策 は、あくまで原則に留まり、徹底されなかった。 このように社員と契約者、長編班とテレビ班とが入り 乱れながら、テレビシリーズ製作自体は維持されていっ た結果、六五年から六六年にかけては就業形態をめぐる 労使対立が顕在化した。以下、二つの事件を対象に、そ の性格を分析する。 社員アニメーターの小田部羊一をめぐる事件は、六五

(9)

年五月から八月にかけて起こっ た )11 ( 。小田部は当時、子ど もを保育園に送迎するため教習所へ通っており、そのた め 遅 刻 や 職 場 離 脱 が 増 加 し て い た。 こ れ が 問 題 視 さ れ、 出勤停止処分がなされたが、その後も教習所通いが続い たため、解雇処分の可能性が浮上した。会社と小田部個 人との間の交渉では、一時は依願退職による契約化が勧 奨されたこともあった。 労働組合側は、出勤停止処分までは個人的な問題とみ なしていたが、小田部と結婚していたアニメーターの奥 山玲子が、育児休暇や保育施設の不備による共働き職員 の普遍的な問題として、婦人部の機関紙で取り上げたこ となどから、署名運動が始められた。署名は契約者のも のを含め、 約二五〇名分が集められた。労使交渉の結果、 小田部の解雇は実行されず、職級上の降格処分によって 決着した。 この事件は、小田部の勤務態度から生じた個人的な事 件とは言い難い側面があった。社員と契約者が入り乱れ てテレビシリーズの製作が続けられ、またスケジュール とコストの都合上、残業代が十全に支払われない状況下 では、 「勤務体系がルーズ」になり、 「夜が遅い分、朝の 出勤が遅くても何も言われない状態」になってい た )11 ( 。社 員であっても、結局のところ仕事を仕上げられれば、就 業規則に定められた、午前九時から午後五時までの定時 を守らなくとも、問題視されない風潮ができつつあった のである。 いまひとつの事件は、一九六六年に起こった、演出家 の久岡敬史への懲戒による出勤停止処分をめぐる争議で あ る )11 ( 。東映動画は、久岡の処分理由を以下の四点から説 明 し た。 第 一 に、 久 岡 が 演 出 担 当 回 の シ ナ リ オ 生 原 稿 を、会社指示によらず社外に持ち出して絵コンテ作成を 行い、その間の出社や連絡を怠ってスケジュールを混乱 させたことは、就業規則にある「自己の職分を越える専 断の行為」である。第二に、生原稿の持ち出しは「所属 長の許可なく会社の図書を持ち出した」 行為に該当する。 第三に、生原稿を事前の通知なく連絡不能な状態におい たことは、自宅作業の特例があるとはいえ無断欠勤同様 である。そして第四に、会社からの打電に対して、翌日 中に応答しなかったのは、 上長の指示 ・ 命令に従わなかっ たことを意味する。なお久岡は当時、東映動画労組の副 委員長であるとともに、全東映労連の執行委員長も務め

(10)

て お り、 東 映 直 営 館 で あ っ た 福 島 東 映 の 閉 館 を め ぐ り、 団体交渉のため現地を訪れていた。 この事件を理解するには、当時の演出家の勤務慣行を 知る必要がある。まず、演出家が絵コンテを作成する際 には、社外作業が認められていた。同じ演出家であった 高畑勲の証言によれば、その一一日間には、作業の時間 と場所を自らの裁量に基づいて選択でき、また作業中の 勤務状況を届け出る義務は無かった。その代わり、仮に 一日当たりの労働時間が八時間を超えた場合でも残業代 は支払われなかったが、給与とは別に、一本当たり三万 円の演出担当料が支払われた。また六六年度、東映動画 労組委員長を務めていた黒田昌郎によれば、出社してい る時には細かい問い合わせなどにも対応せねばならない ため、集中が必要な絵コンテの作業は自宅か喫茶店など で行うことが多かったとい う )11 ( 。 したがってこの場合、久岡が絵コンテ作業期間中に組 合活動を行っていても、処分される理由はないというの が組合側の認識であった。むしろ、この間の久岡の組合 活動の経緯を会社側が把握していたことから、そこには 役員への攻撃的な意図があるものと考えられた。また同 僚の演出家たちも、シナリオの生原稿を持ち出しての絵 コンテ作成が、例外的な行為ではないことを証言した。 小田部や久岡に対する処分は、いずれも個人的なみせ しめか、場合によっては組合活動への報復であると捉え られた。実際、社員スタッフの勤務実態は、既に時間に よる労務管理から外れつつあり、個人に課された仕事を こなした上で、定時中における逸脱行動が問われるなら ば、 それは恣意的なものにならざるを得なかっただろう。 一方、契約者の場合は、作業量によって報酬が算定さ れていたから、勤務時間による管理を行う必要自体がな かった。テレビシリーズ製作の継続によって、社員と契 約者が混在するようになったことで、スタジオ内の人員 の誰が、勤務時間によって管理されるべき社員であるの かを把握し、またその管理を徹底することは難しくなっ ていく一方で、スケジュールとコストの問題から、その ス タ ッ フ に は 事 実 上 の「 自 由 出 勤 制 」 が と ら れ て い た )11 ( 。 このような経緯からすると、使用者側としては、勤務時 間によってアニメーターや演出家の労務管理を行うこと を、断念せざるを得なくなったと思われる。 むしろ、個々人のノルマ消化率を条件とするのでなけ

(11)

れば、会社による管理そのものが瓦解してしまう。しか も そ れ は、 「 定 時 」 の 概 念 を 持 つ は ず の 社 員 よ り も、 契 約者の方に親和的な発想でもあった。こうした事件もま た、契約者中心の製作体制への移行を、より強く会社側 に促す要因となったのではなかろうか。 二   経営規模と文化創造基盤の連動構造 一九六一年の労働組合公然化、六〇年代半ばの製作体 制の再編に次いで、東映動画に大きな労使紛争が起こっ たのが、七二年の大規模な人員整理の折であった。 七〇年代初頭は、邦画界全体が経営再編を行う時期に あたる。七〇年から七二年にかけては、邦画の配給収入 が、平均入場料金の値上げにも関わらず減少した。入場 者数も一九五八年をピークに下降を続け、七〇年にはそ の四分の一以下になった。これに合わせてスクリーン数 も減少し、六九年にはピーク時である六〇年の半数を割 り込んだ。このため邦画大手各社は激しい合理化を迫ら れた。東映動画の人員整理もまた、こうした情勢下で引 き起こされたものであった。 人員整理の性格 一九七一年、東映動画が本社から受注してきた長編予 算 の 大 幅 な 減 額 が 起 こ っ た。 六 九 ~ 七 〇 年 の 受 注 額 は、 八〇分規模の長編が七五〇〇万円、六〇分規模の中編が 三五〇〇~四〇〇〇万円であったが、七一年からは、そ れぞれ五〇〇〇万円と四五〇〇万円になっ た )11 ( 。 しかもこれは、東映本社が年発注を減少させる意志を 見せたことに対し、東映動画が受注の継続を訴えた結果 の妥協措置であった。東映本社にしてみれば、アニメー ション映画はグループ内で製作・配給する一プログラム に過ぎないのであり、利益の薄い高コストな作品は、で きるだけ削減したいという意向があった。こうして事実 上、長編の製作は中止され、以降は中編のみが、東映動 画の製作する劇場用作品となった。 このような転換は、既に六七年には、組合側の危惧す るところであった。六七年春の興行では、オリジナルの 長編『少年ジャックと魔法使い』とマンガ原作をもつ中 編『サイボーグ009   怪獣戦争』が同時上映され、観 客アンケートでは後者が高い人気を示し た )1( ( 。東映動画労 組は「自主企画によるこみ行った高度細密な技術内容よ

(12)

りは、むしろTVや雑誌などで知名度の高い素材を基に した企画が、観客動員率を作用する重点としてクローズ アップされ」る傾向が会社側にあるが、それは「迎合的 企画と予算厳守」により合理化と利潤追求を行う消極策 だと批判的に言及してい た )11 ( 。 しかし、東映本社からの受注生産によって成り立つ劇 場用作品の規模は、本社の支払い能力と意思に依存する ものであった。東映動画は、その枠内に収まるように算 出された金額で、本社から製作を受注するのであり、こ の額に東映動画が費やすコストが収まらなくとも、赤字 は東映動画が背負うことにな る )11 ( 。 この構造の中では、受注額の大幅な減少は、劇場用作 品の規模縮小に繋がらざるを得なかった。既に企画が進 行していた七一年の長編の規模は、本社から支払われる 中編規模の受注額に全く見合わず、その二倍以上のコス ト が 費 や さ れ、 八 〇 〇 〇 万 円 以 上 の 赤 字 が 記 録 さ れ た。 これにテレビシリーズの、各スポンサーからの受注額伸 び悩みも重なり、東映動画は七一年だけで一億円近い赤 字を計上した。 こうして製作規模縮小による合理化が、喫緊の課題と なった。東映動画において、テレビアニメ受注の不安定 性が不安定雇用の拡大に結びついていたことは既に述べ たが、長編の受注にも不安定性が生じた以上、その制作 に中心的に関わる社員を含めて、全社的に雇用が揺るが されるのは必然的な帰結であった。 一 九 七 二 年 夏 に 封 切 ら れ た 中 編『 魔 犬 ラ イ ナ ー 0011変身せよ!』の製作にあたっては、社員作画班 の縮小がはかられた。アニメーターおよびトレース・彩 色の人員数は、従来の三分の二程度に削減され、剰余人 員はひとまずテレビ班へと回された。しかし人員減によ り 作 業 は 遅 延 し、 結 局 従 来 の ス タ ッ フ が 呼 び 戻 さ れ て、 公開に間に合わされ た )11 ( 。 この経緯を労組側は、会社側が「人員縮小政策の誤り を全面的に認めたもの」として認識した。一方会社側は これを、社員アニメーターには予算から逆算されたノル マを「消化する能力がないということを確認した」もの と認識していた。 本作の完成後、東映動画は「長編年一本、テレビ二ラ インの新製作体制」への規模縮小を打ち出して、希望退 職・解約者の募集に踏み切り、それが所期の目的人数に

(13)

達せず、むしろ労働組合側の猛烈な反対と、職場闘争に よ る 時 限 ス ト な ど を 招 く と、 「 臨 時 休 業 」 を 宣 言 し て 年 末までスタジオを閉鎖した。 その間の制作業務は、非組合員や契約者、下請けスタ ジオの人員などを利用して行われた。これは、分業から 成り立つ商業アニメーション製作が、もはや特定のスタ ジ オ と い う 具 象 的 な 生 産 拠 点 を 労 使 間 で 争 奪 す る 意 味 が、少なくとも使用者側には無くなっていたことを意味 していよう。企画や製作管理といった工程をヘッドワー クと位置づけ、その権限・権利と、既に増加しつつあっ た一定の技術力を持つ下請けプロダクションとを抑えて いれば、社内人員特有の技術や企画内容にこだわらない 限り、作品の製作が可能になっていたのであ る )11 ( 。 さらに「臨時休業」中には、四三名の指名解雇・解約 が発表された。この対象者を含め、一〇〇名近くの人員 削減が、会社側の示した合理化案であった。被指名者の うち、争議団を組織した人々は、七四年の和解による復 職まで、解雇撤回裁判を続けた。 このような経緯を見れば、製作規模の縮小が人員の削 減に直結したことが明白であろう。社員や専属契約者の 削減は固定費の削減を意味するから、これは受注額の減 少や伸び悩みの中で、東映動画という企業が存続するた めの施策という性格を持っていた。 希望退職者とは異なり、会社側の指名により解雇・解 約 さ れ た 四 三 名 の う ち、 二 三 名 は 社 員 で 構 成 さ れ て い た。このうち原動画を担当するアニメーターは、一六名 を数えた。また、仕上課職員も三名含まれた。他の二〇 名は、契約者一二名、アルバイト八名で構成された。こ ちらにはアニメーターや仕上に加えて、撮影やゼログラ フィなど技術のアルバイトも含まれた。 全体で、 アニメー ターおよびトレーサー、彩色といった作画職は、三四名 を数えている。動画課と仕上課は、製作部門の中でも最 も多くの人員を抱える部署であったから、製作規模を縮 小するにあたっては、ここが最も苛烈な人員整理の対象 となった。 非正規雇用者の解雇を優先せず、社員と契約者を同等 に考課して対象者を選定した理由について、当時の労務 担当者は、社員よりも働きのよい契約者がいる以上、契 約者を先に切るのは適切ではないとの判断があったと説 明してい る )11 ( 。ただし、裁判時の準備書面における解雇条

(14)

件としての考課基準に関する議論を見直すと、興味深い ことが分かる。たとえば労組員としての活動に熱心であ るために、残業を含めた作業実績の少ない者が指名解雇 の対象たることは、会社側も問題ないと考えていた。組 合員を直接にリストアップせずとも、活動に熱心なもの は該当しやすい構造があったと言えよう。 また、アニメーターの中には、社員として手間のかか るシーンを率先して担当することにより、低能率とみな された者もいた。賃金が安定しているがゆえに、能率の 上がらないシーンを担当するのは、ひとつの勤労倫理と も言える。言うなればこの考課は、労働の質と量の関係 性が問われたケースであった。 し か し こ の 時、 製 作 規 模 の 縮 小 に 伴 い、 「 こ み 行 っ た 高度細密な技術内容」を要求される作品自体も必要とさ れなくなっていた。作業スピードは遅くとも、丹念で難 解な仕事をこなすスタッフが不要と判断されるのは、そ れ に 対 応 す る 企 画 内 容 の 変 容 と 連 動 し た 変 化 で あ っ た。 労 働 の 質 を め ぐ る 分 析 が、 こ こ で 行 わ れ る 余 裕 は な く、 数値化しうる作業量の考課によって、特定の働き方その ものが排除されたのであっ た )11 ( 。 このようにして選定された被指名者のうち、和解成立 まで争議団に残った一八名は復職を果たした。しかしそ れまでに、希望退職・解約に応じた約三〇名をはじめと して、 東映グループ内での異動や、 一部部門の分離独立、 さらには争議自体の忌避や配転への失望など様々な動機 からの自主的な退社もあり、一〇〇名近くの人員削減が 実現していた。そもそも長編の規模縮小を制作現場で感 じとり、七二年以前に東映動画を去ったスタッフも少な からずい た )11 ( 。この意味で、東映動画の人員削減は、会社 側の明確な施策として打ち出される以前に、製作規模の 縮小と企画内容の変容が見られた時点で、始まっていた とも言える。 文化創造の質を問う論理 東映動画労働組合で、長年にわたって活動をしてきた 撮 影 の 吉 村 次 郎 は、 六 〇 年 代 に お け る 現 場 の ク リ エ ー タ ー や 技 術 者 の 試 行 錯 誤 を、 「 脆 弱 な 経 済 基 盤 の 中 で 生 き 残 る 対 策 と し て 省 力 化 を『 工 夫 』」 し つ つ、 同 時 に 視 聴者から見捨てられることのないよう「映像という商品 の価値」を守ることであったと総括している。そしてそ

(15)

の 試 み は、 「 一 品 製 品 と し て の 作 品 の 質 を 守 ろ う と す る こと」に結実してい た )11 ( 。 アニメーション製作会社における製品とは、言うまで もなくスタジオで創造される作品である。東映動画にお いて、その製作規模が縮小し、低予算の枠組みに適応し ていくことは、すなわち「高度細密な技術内容」を支え た 社 内 人 員 さ え 不 要 に な る 危 険 に 繋 が っ て い た。 し た がって、東映動画の労働運動にとって、作品の質を守る ことは「映像という商品の価値」だけでなく、職員の雇 用と生活を守ることも意味した。 これは特に、指名解雇・解約の経緯に明瞭に表れてい た。それは会社経営の規模から編成される作品企画自体 の大規模な変化が、スタッフの構成と雇用に直接影響を 及ぼしたものであった。 そもそも東映動画労働組合の組織化過程では、動画ス タジオ側のアニメーターたちが、長編の企画を自ら担お う と し た 動 き が あ っ た。 し か し 最 初 の 組 織 化 の 過 程 で、 こうした文化創造の主体として自分たちを認めさせよう とする姿勢の性急さは、他のセクションからの要求との 食い違いや、そこからの批判による修正を余儀なくされ た。たとえば女性労働者の多い、トレースや彩色を行う 仕上課は、男性の多い動画課の、作家としての主体性を 訴えるような試みに対して、セクハラやパワハラの防止 など、男性職員とは異なる、しかし具体的な職場環境の 整備と、労働者としての権利確立へ向けた、別の要求を 持っていたからであ る )11 ( 。 こうした組織化当初の、アニメーターたちによる創作 上の要求を前提とした運動の論理的基盤は、他の現場か らの要求と擦り合わされることで鍛え直され、作品創造 をめぐる権限と、労働者としての権利を、双方ともに擁 護する論理へと組み替えられていったと考えられる。こ の中で生じた 「いい作品を作ろう」 というスローガンは、 創 造 性 の み を 重 視 し て、 他 を 等 閑 視 す る 発 想 で は な く、 作品の質を守ることを通して、その担い手である労働者 自身の権利と雇用を擁護する基盤になったのである。そ してこの論理は皮肉にも、会社側の製作規模縮小と人員 削減策によって裏付けられたと言える。 「 い い 作 品 を 作 ろ う 」 と い う ス ロ ー ガ ン が、 む し ろ 劣 悪な制作現場の実態を隠蔽する機能を担った、 悪しき 「理 想主義」ではないかという主張もあ る )1( ( 。しかしこれまで

(16)

に見てきた東映動画における製作体制の再編と、それへ の労働組合側の対応を見れば、これが文化創造に携わる 技術者の権利と雇用を、個々人ではなく集団として擁護 するため、 既存の製作規模から生み出される 「作品の質」 、 引いてはそれを保障する技術とその担い手を守るための 訴えであったことが分かるだろう。 吉 村 次 郎 は 筆 者 に よ る イ ン タ ビ ュ ー の 際、 「 い い 作 品 を 作 ろ う 」 と い う ス ロ ー ガ ン の 具 体 的 な 内 実 を、 「 企 画 権とスタッフ編成権」であると説明し た )11 ( 。これはいかな る規模と質の作品を、どのようなスタッフ構成で製作す るかという権限を、経営側ではなく労働者側が掌握せん とする、文化産業における職場と労働の自主管理に繋が る発想と考えることができよう。 一九六一年に労働組合が公然化した際、初代委員長を 務 め た 永 沢 詢 は、 「 良 い 作 品 を 作 ろ う っ て い う ス ロ ー ガ ン を 労 働 組 合 的 に 掲 げ た と し て も、 『 い い 作 品 っ て 誰 に と っ て の?』 と い う 事 に な る 」「 そ れ を つ き 詰 め て い く と個人的な問題になる」として、このスローガンは「嫌 い 」 だ っ た と 述 べ て い る )11 ( 。 し か し、 「 こ の 世 界 は や っ ぱ り共同作業で、個人的な表現はできない」と考え、六五 年には東映動画を離れて、やがて水彩画家となっていっ た永沢の発想は、むしろ「個人的な表現」の結実として の作品に向いていよう。 この「個人的な表現」とは異なる、労働者として文化 創 造 を 行 う 集 団 的 な 技 術 者 の 視 点 か ら 見 た と き、 「 い い 作品」とは、作品創造の中核をなすスタッフの表現意欲 を昇華する過程に、その他のスタッフがただ埋没させら れるのではなく、一人ひとりの職員が能動的に、自身の 技術を十全に発揮して、その創造に参加しうる製作体制 を伴った作品を指すことになるだろう。これは個々人が 自助努力によって技術力を向上させることで収入も上昇 させ、その結果として生活と創作意欲とを満たしていく モデル、すなわち理論上は全てのスタッフが高水準の技 能と速度を身に着けた熟練となることを前提とした働き 方を求めるものではなく、むしろ個々人の志向と技術力 の差異を承認しあうことで職場を構成し、その結果とし て職員間での競争を抑制して、集団としての権利を企業 側に対し主張するモデルと言える。 このモデルは、企業経営を合理化していくための論理 とは重なりえないかもしれないが、一方で制作現場を取

(17)

り仕切るための論理とは、むしろ親和的な側面もあった と思われる。一九六〇年代後半から八〇年代まで、東映 動画で制作を務めた岸本松司は、以下のように述べる。 確かにね、 遅い人いました。で、 早い人もいました。 でもやっぱ、早くて上手が一番いいです。でも、早 いけど下手もいます。遅いけど上手もいるの。それ がね、要するにバランスなんですね。そりゃ上手い 早い奴がいっぱいいれば、制作進行なんかいらんで すよ。下手がいて遅い奴がいるから、それをうまい こと、こう混ぜ合わせて、一本のものが出来るわけ じゃな い )11 ( 。 技 術 や 速 度 を 持 た な い 者 を 含 め て 制 作 現 場 を 構 成 し、 動かしていく論理は、職場における弱い労働者の立場を 承認することに繋がっていよう。一般的な労働組合の史 的成立過程を見ても、その担い手が、極めて高い専門的 技術と知識を有する熟練工による運動から、技術革新に よる機械化がもたらした半熟練 ・ 不熟練工の増加を経て、 そうした流動的で立場の弱い労働者による運動へと移り 変っていったことが分か る )11 ( 。これを踏まえれば、東映動 画による労働運動もまた、作品創造の根幹を担いうるア ニメーターたちの、創作上の権利獲得運動として始まり ながら、より広範な労働者の存在を視野に入れた運動と して、その思想を更新していったと見ることができる。 それは作品の質と労働の質とを関連付けて捉え、企業 の合理化に抗したものであった。そしてこの発想は、ア ニメーションの制作現場をいかにマネジメントするかと いう論理と、そう遠からぬところに位置していたのでは なかったか。 おわりに 従 来 、劇 場 用 長 編 映 画 を 製 作 し て き た 東 映 動 画 に お い て 、 テ レ ビ シ リ ー ズ の 製 作 開 始 は 巨 大 な 変 化 を も た ら し た 。 それまで少数のベテランスタッフの元に階層的に編成 さ れ て い た ス タ ッ フ が、 急 激 な 増 産 に 伴 う 人 手 不 足 に よ っ て、 よ り 創 造 的 な 地 位 で 作 品 制 作 に 関 わ る よ う に なった。また、こうして顕在化した各種の技術者たちを 社内に慰留するため、東映動画は一時的な高収入をもっ

(18)

て報いることを試みた。 これは会社側に対し、労働組合を通して自分たちの技 術 や 能 力 を 認 め さ せ よ う と し て き た 職 員 た ち に と っ て、 大きな情勢変化であった。仕事量の増大がむしろ、自身 の 地 位 と 収 入 の 上 昇 に 寄 与 す る よ う に な っ た か ら で あ る。そして技術 ・ 能力を通した承認欲求は、 作業量によっ て収入を増加させうる、契約者制度への転換を後押しす る要因になった。これはJAniCAの報告書が指摘し た、 「 自 分 の 才 能 や 能 力 を 発 揮 す る 就 業 意 識 が 高 い 」 ア ニメーション制作者の傾向と関連していよう。 しかし、技術と作業スピードを併せ持つ契約者が、個 別に高収入をもって報われる制度は、それ以外のスタッ フの低収入を合理化する論理を伴っていた。 この構造は、 より上手く早く仕事をこなせるようになれば収入が上昇 す る と い う「 具 体 的 な 希 望 の 位 置 」 を 明 示 す る こ と で、 究極的には全てのスタッフが、そうした熟練者へと成長 していくというモデルを形成した。 一方で、 テレビシリーズ製作による労務管理の混乱は、 演出家やアニメーターを、勤務時間によって管理する限 界を示した。勤務時間ではなく作業量によってスタッフ を管理することの方が、使用者側にとっては合理的にな りつつあったから、これも社員より契約者を重視する体 制への転換を導いたであろう。 さらにテレビシリーズの受注の不安定性と邦画界の斜 陽 化 が、 製 作 費 の 削 減 を 通 し て 人 件 費 の 抑 制 を 促 し た。 こうした状況下で労働組合は、技術者の運用をめぐる問 題を、経営側とは異なる論理で考える拠点としての性格 を 持 っ た。 契 約 者 制 度 の 批 判 を 通 し て、 技 術 者 同 士 の 過 剰 な 競 争 を 抑 制 し よ う と 試 み る と 同 時 に、 「 製 品 」 と しての作品の市場価値から決定される製作規模に合わせ て、作品創造の過程で傾注される技術内容を切り縮める のではなく、スタジオに蓄積された技術と人員を十全に 運用しうる作品創造と経営の在り方を模索・要求するこ と に よ っ て、 職 員 の 権 利 と 雇 用 を 守 ろ う と す る 発 想 は、 集団として労働者であると同時に、その一人ひとりが文 化創造に携わっていることの自覚を併せ持つものであっ た。しかしこうした発想は、合理化に傾く経営側と激し く衝突した。 指名解雇に関する裁判で、 会社側の弁護士は、 アニメー タ ー と い う 職 業 に 関 し、 「 芸 術 的 で あ り、 独 創 的 な も の

(19)

であるという仕事について、これは労働者性になじまな いんじゃないか」 、「こういうものを作るのは普通の人間 にはできないんだということ、そうするとやっぱり(中 略)従属性もないんじゃないか」と主張した。ここには 創造と労働を、相矛盾するまったく別のものとする認識 が示されている。しかし、東映動画労働組合の活動を通 して表れた思想は、創造と労働を接続し、商業的な文化 創造の現場を、労働者として能動的に取り仕切ろうとす るものであった。 筆者はアニメーション制作の労働過程に創造性を認め る べ き だ と 述 べ て い る の で は な い。 む し ろ 歴 史 的 に は、 創造性こそが重点的に注目されてきたのである。本稿で の主張は全く逆のもので、創造性だけを重んじるのでは なく、労働にも目を配るべきであり、またこの二者が相 反するものでもないということである。 また、その労働の特殊性を強調し、他の産業・労働論 と峻別しようとするものでもない。むしろ、時間拘束に よ ら な い 成 果 主 義 導 入、 能 力 主 義 に 基 づ く 貧 困 の 肯 定、 フレキシブルな経営に対応するための非正規雇用枠の拡 大といった現象が広範に顕在化した現在、本稿で示した よ う な 問 題 は 普 遍 性 を も っ て 捉 え ら れ よ う。 ア ニ メ ー ション産業における「労働」の問題を、他の産業におけ る労働と関連付けて考えることによってこそ、それを一 時的でセンセーショナルな話題として消費する以外の理 路が、切り開かれるのではなかろうか。 芸術社会学は、資本主義社会における芸術家が、その 「 生 産 と 社 会 組 織 の 様 々 な 部 門 」 に い か に「 入 り 込 ん で いる」かを論じてき た )11 ( 。本稿の議論は、アニメーション 文化の創造が、いかなる制度の元にどのように労働とし て「入り込んで」きたかを、東映動画の事例から析出し ようとしたものでもあった。この議論をいかに現代文化 産業の分析と接続できるかは、 今後の理論的課題である。 註 (1) 一般社団法人日本アニメーター ・ 演出協会 (JAniCA) 実態調査プロジェクト委員会編 『アニメーション制作者実 態調査報告書二〇一五』 公益社団法人日本芸能実演家団体 協議会、二〇一五年、三四、 四四、 五一頁。 (2) 新聞報道では「縁の下の弱者   アニメの現場」 『朝日新聞』 一 九 七 九 年 一 一 月 一 五 日、 「 ア ニ メ が あ ぶ な い   プ ロ ダ ク

(20)

シ ョ ン 人 手 不 足 深 刻 」『 日 本 経 済 新 聞 』 一 九 九 〇 年 一 月 二二日など。また勇上(二〇〇六)も参照。 (3) た だ し 近 年 で は 井 上( 二 〇 〇 七 ) が、 「 巨 額 の 資 本 投 下 を 前提として企業的組織のもとに創出される文化財」 たる映 画 に、 「 興 行 的 採 算 を 重 視 す る 経 営 側 と 作 品 の 芸 術 的 昇 華 に 賭 す る 演 出 家 等 と の 間 に、 文 化 生 産 の 価 値 序 列 を め ぐ る 緊 張・ 相 克 が 潜 在 し て い る 」 と し て、 東 宝 争 議 を 対 象 に、 そ の 諸 相 を 実 証 的 か つ 理 論 的 に 分 析 し た。 ま た、 大 橋( 二 〇 〇 六 ) が、 ア ニ メ ー シ ョ ン 制 作 下 請 け 現 場 の 調 査 結 果 に 基 づ き、 産 業 構 造 上 の 問 題 を 論 じ た ほ か、 松 永 ( 二 〇 一 五 ) が ア ニ メ ー タ ー の 過 重 労 働 受 容 要 因 を、 当 事 者の内的合理性の観点から解明することを試みている。 (4) 本 稿 で は、 事 業 全 体 を 指 す 場 合 は「 製 作 」、 現 場 作 業 を 指 す場合には「制作」と表記した。 (5) 木村(二〇一〇)の議論は、 しばしば言及されてきた七二 年の労使紛争と、労働組合組織化時の問題とが、直接的に は異なる状況と要因から生じたものであり、 一つの争議が 長期にわたって継続していたわけではないことに注意を喚 起したものでもあった。しかし「東映動画の労使紛争」と いうと、 未だに七二年の大規模な合理化によって象徴化さ れてしまうこともあり、時期的な区分や、個々の紛争の要 因分析を行う視点自体が醸成され難く、 それが事象の実証 的検討や理解を阻んですらいるという問題がある。 (6) この経緯については木村(二〇一五)を参照。 (7) 『 映 画 年 鑑   一 九 六 四 年 版 』 時 事 通 信 社、 一 九 六 四 年、 一五九頁。 (8) 映 演 総 連 東 映 動 画 労 働 組 合『 第 二 回 定 期 大 会 経 過 報 告 』 一九六二年、一五―一七頁。 (9) 映演総連全東映労連東映動画労働組合 『第三回定期大会議 案 書 』 一 九 六 五 年、 七 ― 八 頁。 従 し た が っ て 契 約 者 化 は、 組合による職場規制を脱して、 より自由度の高い働き方を 得るための手段でもあった。なお、 六〇年代後半には東映 動画で契約者の組合が発足し、 さらに七六年には社員組合 との合併が行われて、 現在の東映動画労働組合に至ってい るが、この経緯の分析は他日を期したい。 ( 10) 以下、 褒賞制度に関する記述は下記の資料による。映演総 連 全 東 映 労 連 東 映 動 画 労 働 組 合『 第 三 回 定 期 大 会 議 案 書 』 一九六三年。 ( 11) これについては労使双方の様々な資料が確認でき、 時期と 職種によっても条件が異なる。 ここでは六三~六五年の東 映動画労組の定期大会議案書の記述を参照した。 ( 12) 古田(二〇〇九) 、二四四―二四五頁。 ( 13) 木村(二〇一〇) 、二七頁。 ( 14) Aプロダクションは、 TBS等が出資して設立された「東 京ムービー」から、 アニメーション制作実務を下請けする 企業であった。 ( 15) 『魔 女 っ 子 大 全 集〈 東 映 動 画 篇 〉』 バ ン ダ イ、 一 九 九 三 年、 一四八―一四九頁。

(21)

( 16) 木村(二〇一〇) 、二七頁。 ( 17) 前掲『第二回定期大会経過報告』 、一七頁。 ( 18) 前掲『第三回定期大会議案書』 、八三頁。 ( 19) 掲『 第 二 回 定 期 大 会 経 過 報 告 』、 一 六 頁。 将 来 は 稼 げ る ようになると明示するのが重要だという、 アニメーター低 収入論への反応は現在でも珍しくないが、 この時点で東映 動画労組がそうした議論を既に批判していたことは注目に 値する。 ( 20) 野口・佐藤(一九六一) 、五〇頁。 ( 21) したがって、特定の個々人の高収入をもって、この時期の アニメーション制作者が収入的に恵まれていたとみなすの は一面的な評価である。 ( 22) 以上の経緯の詳細は木村(二〇一五)を参照。 ( 23) 逆に受注さえ安定的であれば、賃金の水準は別として、人 員とその技術蓄積を同業他社に流出させないためにも、 安 定 雇 用 が 選 ば れ る 可 能 性 が あ っ た か も し れ な い。 た だ し、 東映本社の労務政策として、 急な増産期に臨時者を採用し て 調 整 弁 と す る 慣 行 が、 既 に 五 〇 年 代 よ り 存 在 し て お り、 それとの関連性においても、 さらに分析が深められる必要 があろう。 ( 24) 木村(二〇一〇) 、三〇頁。 ( 25) 以降の経緯については叶(二〇〇四)および、 労組が書き 留めたこの問題の日誌から構成している。 ( 26) 叶(二〇〇四) 、九九頁。 ( 27) 以降の記述は、 一九六六年に東京都労働委員会に不当労働 行為救済の申立がなされた際の、 下記の資料 ・ 証言記録と、 労組側の最終準備書面を参照して構成する。 東映東京制作 所闘争記録委員会編(一九九〇) 、「昭和四十一年都委不第 九号事件(東映動画)第六回審関連記録」一九六六年八月 一 一 日、 「 都 労 委 昭 和 四 一 年( 不 ) 第 八 号   同 第 九 号   不 当労働行為救済申立事件最終準備書面」同年九月三〇日。 ( 28) 田 氏 へ の イ ン タ ビ ュ ー( 二 〇 一 四 年 九 月 四 日 実 施、 於・ 東京都新宿区)による。 ( 29) 一方で撮影所側では既に、 撮影就労日以外は定時出勤を義 務付けないことで就労時間の調整を行ってきた 「自由出勤」 の慣行が廃止されていた。東映動画の実態は、 こうした本 社側の労務政策に背理するものであった。 ( 30) 当該年次における東映動画の「試算表並諸勘定内訳表」を 参照した。同表は指名解雇撤回裁判の途上で、 組合側の申 請により公開されたものである。 ( 31) 「まんが週間の観客調査」 『合同通信映画特信版』一九六七 年四月二三日、六頁。 ( 32) 映演総連全東映労連東映動画労働組合 『第七回定期大会議 案書』一九六七年、一三頁。 ( 33) の 構 造 に つ い て の 説 明 は 多 く の 紙 数 を 必 要 と す る た め、 別稿を期する予定である。 ( 34) 以降の記述は、後述する指名解雇・解約の撤回を求めた労 使間裁判での各準備書面を参照している。

(22)

( 35) これは韓国を初めとする東アジア諸国への発注を常態化さ せる前提でもあった。 ( 36) 渡辺繁信氏へのインタビュー (二〇一四年七月二五日実施、 於・千葉県千葉市稲毛区)による。 ( 37) これは映画興行を通して、 観客志向の変容とも繋がる問題 である。特定の企画内容への支持が、 間接的に特定の働き 手を排除しうる構造の中に組み込まれていたと言える。 ( 38) 七一年に退社した高畑勲や宮崎駿は、その一例である。 ( 39) 『日本TVアニメーション大全』世界思想社、 二〇一四年、 三一九頁。 ( 40) 詳細は野口・佐藤(一九六一) 、木村(二〇一〇)を参照。 ( 41) くみ (二〇一五) 。なお、 この記事では米国におけるアニメー ターの労働運動との対比において、 米国のユニオンは作品 の質ではなく不公正を問うとしている。 しかし東映動画労 働組合もまた、 賃金格差に対し同一労働同一賃金の原則を 説き、 それが技術者の「実力主義」と矛盾をきたすという 段階を経ているから、こうした比較は単純化であろう。 ( 42) 吉村氏へのインタビュー (二〇一三年四月二二日実施、 於 ・ 東京都練馬区)による。 ( 43)「 永 沢 詢 イ ン タ ビ ュ ー( 三 )( 東 映 長 編 研 究 第 五 回 )」 http://style.fm/log/02_topics/top041008a.html (二〇一五 年七月一日最終閲覧) ( 44) 本 氏 へ の イ ン タ ビ ュ ー( 二 〇 一 四 年 一 一 月 二 四 日 実 施、 於・長野県上伊那郡)による。 ( 45) 熊沢(二〇一三) 、三九―四九頁。 ( 46) ウルフ(二〇〇三) 、二三頁。 【参考文献】 ・ 井 上 雅 雄( 二 〇 〇 七 )『 文 化 と 闘 争   東 宝 争 議 一 九 四 六 ― 一九四八」新曜社 ・ウルフ、 ジャネット(笹川隆司訳) (二〇〇三) 『芸術社会学』 玉川大学出版部 ・ 大 橋 雅 央( 二 〇 〇 六 )「 日 本 の ア ニ メ ー シ ョ ン 制 作 現 場 の 実 情 と 課 題 ―― 下 請 け 制 作 現 場 の 調 査 か ら ――」 同 志 社 大 学 総 合政策科学研究科(修士論文) ・ 叶 精 二( 二 〇 〇 四 )『 日 本 の ア ニ メ ー シ ョ ン を 築 い た 人 々』 若草書房 ・ 木 村 智 哉( 二 〇 一 〇 )「 初 期 東 映 動 画 に お け る 映 像 表 現 と 製 作体制の変革」 『同時代史研究』第三号 ・ 木 村 智 哉( 二 〇 一 五 )「 テ レ ビ ア ニ メ ー シ ョ ン の 国 産 化 と 初 期 事 業 の 形 成   一 九 六 〇 年 代 日 本 の ア ニ メ ー シ ョ ン 制 作 会 社 と テ レ ビ 局 を 例 に 」『 東 ア ジ ア の ク リ エ イ テ ィ ヴ 産 業 ―― 文 化のポリティクス』森話社 ・ 熊 沢 誠( 二 〇 一 三 )『 労 働 組 合 運 動 と は な に か   絆 の あ る 働 き方をもとめて』岩波書店 ・ く み か お る「 『 良 い 作 品 を 作 ろ う!』 主 義 が も た ら す 弊

(23)

害 ―― 日 本 の ア ニ メ は ブ ラ ッ ク 業 界 」 http://blogos.com/ art icle/115780/ (二〇一五年七月一日最終閲覧) ・ 五 〇 年 史 編 纂 チ ー ム( 二 〇 〇 六 )『 東 映 ア ニ メ ー シ ョ ン 五 〇 年 史   一 九 五 六 ― 二 〇 〇 六   ~ 走 り 出 す 夢 の 先 に ~』 東 映 ア ニメーション株式会社 ・ 創 立 四 〇 周 年 記 念 事 業 委 員 会 編( 一 九 九 七 )『 東 映 動 画 四 〇 年の歩み   一九五六~一九九六』東映動画株式会社 ・ 東 映 東 京 制 作 所 闘 争 記 録 委 員 会 編( 一 九 九 〇 )『 映 画 の 労 働 者 た ち   写 真 と 証 言   東 映 東 京 撮 影 所   一 九 六 四 ・ 六 ・ 一 九 ~ 一九八五 ・ 一〇 ・ 一』東映労働組合 ・ 野 口 雄 一 郎・ 佐 藤 忠 男( 一 九 六 一 )「 偉 大 な る 手 工 業・ 東 映 動 画 ス タ ジ オ( 撮 影 所 研 究 第 一 一 回 )」 『 映 画 評 論 』 一 八 巻 九 号 ・ 古 田 尚 輝( 二 〇 〇 九 )『 「 鉄 腕 ア ト ム 」 の 時 代   映 像 産 業 の 攻 防』世界思想社 ・ 松 永 伸 太 朗( 二 〇 一 五 )「 ア ニ メ ー タ ー の 労 働 問 題 と 職 業 規 範 ――「 職 人 」 的 規 範 と「 ク リ エ ー タ ー」 的 規 範 が も た ら す 仕 事 の 論 理 と 労 働 条 件 の 受 容 」 一 橋 大 学 大 学 院 社 会 学 研 究 科 (修士論文) ・ 勇 上 和 史( 二 〇 〇 六 )「 ア ニ メ 産 業 に お け る 労 働 」『 日 本 労 働 研究雑誌』五四九号 ※ 本 稿 は 平 成 二 五 ~ 二 七 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金( 特 別 研 究 員 奨 励費   課題番号二五 ・ 九〇二〇)の成果の一部である。

参照

関連したドキュメント

4 アパレル 中国 NGO及び 労働組合 労働時間の長さ、賃金、作業場の環境に関して指摘あり 是正措置に合意. 5 鉄鋼 カナダ 労働組合

ダイダン株式会社 北陸支店 野菜の必要性とおいしい食べ方 酒井工業株式会社 歯と口腔の健康について 米沢電気工事株式会社

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん

[r]

[r]

原子力損害賠償紛争審査会が決定する「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害

東京電力パワーグリッド株式会社 東京都千代田区 東電タウンプランニング株式会社 東京都港区 東京電設サービス株式会社

東電不動産株式会社 東京都台東区 株式会社テプコシステムズ 東京都江東区 東京パワーテクノロジー株式会社 東京都江東区