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戦後10年間の日本における家庭用洗濯機とその製品色 20世紀の日本における主要工業製品色の変遷(3)

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[ 論文 ]

戦後10年間の日本における家庭用洗濯機とその製品色

20 世紀の日本における主要工業製品色の変遷 (3)

The colors of washing machines in Japan during the post WWII decade.

- the change in the color of major products in Japan in 20th century (3)

●伊藤潤 / 静岡大学電子工学研究所

 ITO Jun / Research Institute of Electronics, Shizuoka University

● Keywords: washing machine, home appliance, color design, industrial design history

要約 本稿は 20世紀の日本における主要な工業製品の色の変遷 についての一連の研究の第三報である。 洗濯機における “white goods” の受容過程を明らかにするこ とを目的とし,第二次世界大戦後の 10 年間,1946(昭和 21) 年から 1955(昭和 30)年を対象期間とし,その間の洗濯機の製 品色の変遷についてメーカー資料と各種文献を調査した。 まず戦後の進駐軍家族住宅(DH 住宅)向けの納入機の製 品色について調査を行った。東京芝浦電気,國森製作所,神 戸製鋼所の納入機は,戦前の芝浦マツダ工業の「ソーラーD 型」を元にしたと考えられるが,過半数を占める國森製作所 の納入機の製品色は白色であった可能性が高く,日立製作所 の納入機も白色と推定された。また,従来 DH 住宅への家電 製品の納入は打ち切られたと表現されることが多かったが, 少なくとも洗濯機に関しては GHQ からの当初の要求量より 多く発注されたことを明らかにした。 続いてメーカー各社の製品について調査を行った。戦後最 初期は洗濯機製造を行っていたのは東京芝浦電気のみであ り,戦前と同じ機種名の撹拌式のものを製造していたが,そ の製品色は判明しなかった。その後,DH 住宅向け納入機納 入の後,年間生産台数が 2,000 台を超える1950(昭和 25)年頃 からメーカー各社も洗濯機を発売するようになり,撹拌式以 外の形式を採用するメーカーも現れたが,いずれも製品色は 白であった。各社の2号機ならびにその後に発売された洗濯 機もほとんどが白色,あるいは白色と推定され,戦後 10 年間 で製品色が有彩色と確認できたのは東京芝浦電気の一機種の みであった。  戦前には白色と確認できた洗濯機がほとんど存在しないの に対し,戦後の洗濯機の製品色は一転して白色となった。既報 では「連合軍住宅向けの納入品が民生用に転用されたことで 日本に“white goods”が移植された」と結論付けたが,洗濯機 での事例を見ると,DH住宅向け納入機は“white goods”的な 概念をもたらし,DH住宅向け納入機を受注していないメー カーの製品色決定にも影響を及ぼしたと言える。 1.はじめに 1) 戦後の電気洗濯機  洗濯機は第二次世界大戦後(以下,「戦後」とする)の日本 の復興,発展を象徴する,所謂「三種の神器」のひとつである。 既報のとおり,「白物家電」を代表する製品でもあるが,第二次 世界大戦前(以下,「戦前」とする)の製品色は基本的に白では なかった*1。「白物家電」の元となる“white goods” という概 念が日本に入ってきたのは,第二次世界大戦後の進駐軍家族 住宅(Dependents Housing,以下「DH住宅」とする)向けの 納入品が契機であったことを指摘した*2が,本稿では,“white goods”の受容過程を明らかにすることを目的とし,その具体 例として,第二次世界大戦後の10 年間,1946(昭和21)年から 1955(昭和30)年を対象期間とし,その間の洗濯機の製品色の 変遷について論じる。この10年間は製品普及の初期段階に当 たり,主要な家電メーカーが相次いで洗濯機開発に参入した。 2)研究手法  現存する製品実機および製品色に言及する文献を収集した。 ・a)メーカー資料調査  以下の各社*3(五十音順)の御好意により,製品カタログ 等の内部資料を閲覧させていただいた。  三洋電機 本社社史室(大阪府守口市)  東芝家電製造 愛知工場(愛知県瀬戸市)  日本建鐵(千葉県船橋市)  日立アプライアンス(東京都港区)  松下電器産業 本社社史室(大阪府門真市)  三菱電機 静岡製作所(静岡県静岡市) ・b)ミュージアム調査  以下のミュージアム(五十音順)の展示品,収蔵品を見学した。  岩手県立博物館(岩手県盛岡市)  SANYO MUSEUM(大阪府守口市)  シャープミュージアム(奈良県天理市)  東芝科学館(現・東芝未来科学館,神奈川県川崎市)  デンソーギャラリー(愛知県刈谷市)  松下幸之助歴史館(大阪府門真市)  三菱電機 静岡製作所内「ギャラリエ」(静岡県静岡市) ・c)社史調査  社史は当事者による公式資料であるが,当時者によるもの

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ではない。多くの既往研究でも一次資料として扱われている が,詳細については他の資料との整合性がない場合も少なく ない。その点に注意し,適宜同業他社の社史等との比較を行 いながら,各社の社史*4を調査した。 ・d)メーカー技術論文誌調査  後世に編纂された社史よりも同時代性の強い資料として, メーカー機関誌や技術論文誌が挙げられる。既往研究では 1946(昭和21)年創刊の東芝の機関誌『東芝レヴュー』*5 その継続前誌である『芝浦レヴュー』の参照が多いが,本研 究ではその他のメーカーの技術論文誌に着目した。技術論文 誌はその性質上,個々の製品に誌面を割くものではないが, 稀に新製品情報が掲載される。以下の4誌(五十音順)につ いて,1946(昭和21)年から1955(昭和30)年にかけて発行 された号を通読調査した。  日立製作所『日立技報』(28巻1号∼ 37巻12号)  富士電機製造『富士時報』(22巻1号∼ 28巻6号)  松下電器産業『National technical report』(1巻1号∼4号)  三菱電機『三菱電機』(21巻1号∼ 29巻12号) ・e)その他文献調査  その他日本電機工業会や家庭電気文化会の資料などを中心 に適宜参照した。 2.DH住宅向け洗濯機 1)発注と「打ち切り」  既報*6のとおり,戦後は進駐軍家族住宅(Dependents Housing,所謂「DH住宅」)向けの特需が発生し,洗濯機につ いては,國森製作所,東京芝浦電気,神戸製鋼所の3社が受注 した。物価庁によって価格査定され,業界団体の日本電気機 械製造会へ承認書が送られる仕組みであったという*7。洗濯 機の価格承認は1947(昭和22)年 5 月 6 日に行われ,國森製 作所が2,899台(単価13,500円),東京芝浦電気が1,300台(単 価12,300円),神戸製鋼所が800台(単価12,000円),合計4,999 台であった*8。日本電機工業会の資料には納入時期は記され ておらず,「認可の日より実施」*9とあるため,価格承認後に 生産を開始したと考えられる。  DH住宅向けの家電製品の価格承認は,他の家電製品につい ては複数回行われており,数量も多い。例えば冷蔵庫は14,436台, 扇風機は39,072台について価格承認がそれぞれ5回ずつ行われ ている*10。それに対して洗濯機の価格承認は1回だけであり,特 異である。山田(1984)は,「日本人のメイドを雇った方が安くつ くと」アメリカ側が考えはじめ,納入が「打切」られたとしている。 とくに,山のような洗濯物を手洗いで片付けていく手ぎわ のよさは驚異の的だった。そのため,洗濯機だけは二十二 年五月で進駐軍への納入打切りを通告されてしまった。*11  また大西(2011)は,「打ち切り」の時期を1948(昭和23)年 7月としている。 家電機器の調達数量は,それぞれ約2万台で1948年末ご ろまで続いたが,なぜか洗濯機のみ約5,000台と少なく 1948年7月に打ち切りとなった。 洗濯機の発注量が減った理由は,日本人のメイドを雇っ たほうが安くつくことがわかったからだ。*12  この打ち切られたとする説は日本人メイド云々の理由ととも に既往研究等*13で繰り返し引用されている。前者の山田の「打 切り」は1947(昭和22)年5月ということであるから,価格承認 が5月6日の1回だけで終わり,「追加発注がなかった」ことを 意味していよう。後者の大西の1948(昭和23)年7月の「打ち 切り」は,価格承認から1年2ヶ月後のことになる。発注4,999台 の「一部取り消し」の可能性も否定はできないが,他の家電製 品が数ヶ月から半年程度で価格承認が繰り返されていること から,納入が完了していて然るべき時期であろう。発注量が少 ないことに言及しているため,ここでの「打ち切り」は納入が完 了しても「追加発注がなかった」ことを意味すると読める。  では進駐軍からの洗濯機の発注は当初の計画より少なく なったのだろうか。1946(昭和21)年3月6日,GHQが日本 政府に対し発したSCAPIN第799号「占領軍およびその家族 住宅建設計画に関する件(Housing Program for Occupation Forces and Their Dependents)」における洗濯機「Household Washing Machines (w/wringer or Drier)」の要求数量は3,333

台であった(図1*14囲み罫線部)。2万戸のDH住宅に対し, 冷蔵庫や扇風機,トースターやアイロン等はそれぞれ2万台 要求されており,「各住宅1台ずつ」を意味すると考えられる 一方,洗濯機の需要は元々少なく見積もられていたのである。 むしろ実際は5割増しの4,999台の発注が行われたというこ とであり,日本人メイドの優秀さ云々という説明もあくまで も山田一個人の見解として受け取るべきであろう。山田正吾 (* †1998)は1941(昭和16)年に東京芝浦電気の前身の1 つである東京電気に入社,後に東芝の炊飯器等の開発に携わ り,広告部長や消費者部長を務めた人物であり,また大西正幸 (* )は1962(昭和37)年東芝入社の技術者である。当事 者である各メーカーにとっては「打ち切り」と感じられたの かもしれないが,少なくとも洗濯機に関しては「打ち切り」の 表現は不適当だと思われる。  また,大西(2011)によると,その後一度だけ1952(昭和27) 年に100台の追加発注があり,日立製作所が落札した*15 2)4社の納入機  東京芝浦電気は芝浦マツダ工業を1942(昭和17)年8月15日 図1「SCAPIN799」(1946)

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に吸収合併した企業である。既報*16の通り,戦前の国産洗 濯機メーカーには芝浦マツダ工業以外にも工正舎やわが国初 の洗濯機メーカーと推定される能川製作所*17など数社が存 在したが,いずれも戦後は企業活動が確認できない。事実上 唯一戦前から洗濯機を作っていた企業である東京芝浦電気が DH住宅向けの洗濯機を受注したのは当然と言えよう。  図2*18は1946(昭和21)年12月5日発行の『工藝ニュース』 に掲載された東京芝浦電気の納入品の図である。「D型」とあ り,また同号には「Model D」の図面も掲載されており*19,戦前 の「ソーラーD型」と同型と考えられるが,製品色が「ソーラー D型」同様に青色だったかは定かでない。前述のとおり,価格 承認は1947(昭和22)年5月6日とされており,この図面の『工 藝ニュース』掲載は5ヶ月早い。この「D型」を標準仕様として 各社に開発と見積もりを求めたと考えれば辻褄は合う。  過半数を受注したのは1934(昭和9)年創業の國森製作所 (現・國森,KUNIMORI ENGINEERING WORKS CO., LTD.)

である。管見の限り,國森製作所が戦前洗濯機を手掛けてい た記録はなく,受注の経緯は不明である*20。國森製作所にとっ て洗濯機は本業ではなかったため,その後民生品の製造には 移行しなかったものとみられる。  図3*21は『デペンデントハウス』(1948)掲載の洗濯機であ るが,「KEW」のロゴがあるため國森製作所製と看取される。 口縁部の処理が前述の芝浦マツダ工業の「ソーラーD型」より も「ソーラーA型」に近い。この程度の差異は許容されたとい うことであろう。製品色は不明であるが,「國森創始者の親族」 の証言として「白やグレーなどの地味な色だった」という回答 を得た*22。受注過半数の製品色についての重要な証言である。 「地味な色」という表現は「無彩色あるいは低彩度色」という 意味であろう。図3から「かなり高明度」であることが確認 できることをふまえると,國森製作所の納入機はかなり白に 近い色であったと考えられる。  神戸製鋼所の納入機の詳細は不明である。林原(2007)は 「神戸製鋼の納入機については,関連会社である神鋼電機製 の振動式であることが確認されている」 *23としているが,國 森と東芝の納入機が撹拌式であるのに対し,振動式という異 なる洗濯機構の開発を行ったということになる。GHQ側が 機構の異なる製品の納入を認めたとは考えにくく,また同社 社史には「進駐軍家庭用電気洗濯機も製作したが」,「作業の つなぎとしたものである」*24とあり,独自に振動式という新 しい機構の開発を行ったとも考えにくい。また「神鋼電機株 式会社」は1949(昭和24)年に神戸製鋼所の電機事業が鳥羽 工場を中心独立した企業であり,1947(昭和22)年当時は存 在しない。何らかの事実誤認があるのではないかと思われる。 なお神鋼電機は1955(昭和30)年に家電事業を撤退した*25  既報*26のとおり,DH住宅に向けたほとんどの納入品は白 色の指定があったこと,また第八軍司令部技術部から出され た『将校および家族宿舎の修理復旧に関する仕様概要』で「室 内各部は監督将校指示に基き白色または明色を塗装するこ と」*27とされていたことから,洗濯機も白色指定がされてい た可能性は高い。  上記の仕様概要を推察の根拠とするには,実際に住宅を接 収する際にどのように「監督将校指示」がおこなわれたのか 検証しておく必要があろう。渋沢栄一( †1931)の四男 である渋沢秀雄(* †1984)の自邸が1947(昭和22)年に 接収された際の証言が残っている。この渋沢秀雄邸は1924 (大正13)年10月12日から31日まで「電氣ホーム」として 公開された田園調布の住宅である。「ヴェラスケスの描いた 馬上のスペイン王子*28によく似」た米国軍の19歳の係官が「敢 然と家の内部を見てま」わったときのことである。 「この天井はホワイト・ペイント」「この部屋は浴室に改 造する」「壁はこの高さまでタイル張り」彼がこんな英 語を口走るたびに,學生アルバイトの通譯者が日本語に 直し,それぞれの工事擔當者がノートに記入してゆく。 そしてこの一團が私の舊書齋へきたとき,ヴェラスケス 少年はカリンの床柱を指さすと「ホワイト・ペイント」 と命令した。とたんに私は「ノウ・ノウ」と叫びながら 前へ進み出て,通譯者に「これは木の肌の美しさを樂し む柱です。ペンキを塗つてはいけません」といつて貰つ たら,彼は即座に「オウケイ」と承知してくれた。*29  仕様概要が出された1年後の1947(昭和22)年も「白色ま たは明色を塗装」するという仕様が基本的には守られていた ことがわかる。  1952(昭和27)年の日立製作所の納入機と思われるのが,図 4*30である。同年に「純家庭用」として発売されたTA型撹拌 式洗濯機(図5*31)と「Hitachi」のロゴの有無以外は同型と看取 される。『日立評論』によれば,TA型の外観は「滑らかな曲線 で包まれた優雅な形状の上に,耐アルカリ,耐熱性の強靱な白 色塗粧を施してあつて,極めて清潔な感じを与え」*32るもので あった。また,『日立洗濯機50年史』は納入機を「第1号機」の SM-A1とし,「真ッ白に輝やく100台の家庭用洗たく機」と記 している*33。以上より,日立製作所の納入機は白色と推定する。  本研究ではDH住宅納入機すべての製品色が白色という確 証までは得られなかった。今後のさらなる研究が望まれる。 図2「電氣洗濯機(D 型)」(1946) 図3「KEW Electric Washer」(1947)

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3.主要メーカーの戦後初期の洗濯機 1)東芝の洗濯機  東京芝浦電気(以下,「東芝」とする)は,進駐軍向けの 洗濯機と並行し,戦後すぐにD型(1946(昭和21)),K型(1948 (昭和23)),F型(1949(昭和24))を発売した*34  これらの製品色は不明であるが,戦前と同仕様であればD 型は青色,K型は灰黄色*35ということになる。  東芝の戦前の洗濯機については,既報*36にて「ソーラー電 氣洗濯機」と「芝浦電氣洗濯機」の2つの名称があり,1938(昭 和13)年から1940(昭和15)年の間に「ソーラー」ブランドか ら「芝浦」ブランドに改称された可能性を示したが,本研究 の調査にて詳細が判明した。  図6*37は1939(昭和14)年の『住宅』4月号の芝浦マツダ工 業の広告である。「芝浦電氣洗濯機」と書かれているが,挿絵 を見ると,洗濯槽に旧名「ソーラー」のロゴ「Solar」が残った ままである。1938(昭和13)年2月号に掲載された同機の広 告*38では「ソーラー電氣洗濯機」表記であった。すなわち, 「ソーラー」電氣洗濯機と「芝浦」電氣洗濯機は同じものである。 図7*39は1938(昭和13)年の『住宅』10月号の芝浦マツダ工業 の広告である。「芝浦電氣掃除機」の下に「舊名 ソーラー電 氣掃除機」と添えられている。『マツダ新報』1938(昭和13)年 5月号の記事に「ソーラー電氣洗濯機D型及びE型」*40とある ことから,「ソーラー」ブランドから「芝浦」ブランドへの改称の 時期は1938(昭和13)年5月から10月の間と推察される。「敵性 語」対策での改称*41だとすれば,やや早い時期の事例である ように思われる。その後,既報*42のとおり,製品本体の「Solar」 のロゴは「芝浦電氣洗濯機」に変わったと見られる。  F型は戦前にはなかったモデルである。1951(昭和26)年 の『東芝レヴュー』の「半世紀に於ける東芝技術の発達」には 「終戦後は直ちに生産が再開され,型式はD型の改造型で, 6lbsの洗濯容量を有する進駐軍用に続いてK型が発表され たが,現在市場において販賣されているのは洗濯容量4lbs, 1/4HPで,絞り機をもつ新設計のF型である」*43と記されて いる。「新設計」とあるが,外観(図8*44)はほぼ戦前のモデ ルと同様である。製品色は不明である。  1951(昭和26)年12月発売のFW型は,同年に来日した 米国のインダストリアルデザイナー,フレデリック・ハッファー (Fredric Hoffer,生没年不明)を起用したモデルである。その 外観(図9*45)について,1952(昭和27)年の『東芝レビュー』4 月号では「純白の槽(ホーロー引)ニートラルブュルーの落付 いたスカートは,機能の向上と相まって独自の地歩を占めてい る」*46と表現されている。また,この図ではまだ「Solar」ブランド を冠しているようである。大内(2005)によると,「従來の『脚の 上に槽』のデザイン主義を離れ,槽とスカートの兩側から脚の突 出した新型を創出した。之は低く安定感があるものであるが, 色彩も陳腐な靑綠から白と灰靑の配色に改められた」*47と東芝 の社内報『東芝ライフ』に記されているという。東芝の洗濯機は F型までは戦前同様の「陳腐な青緑」色だったのかもしれない。  図10*48は1953(昭和28)年製のFW型の実機の写真であるが, 「ニートラルブュルー」あるいは「灰靑」と表現されている色は, ブルーというよりも青味のグレーという印象の色である。なお, 本機には「Solar」ではなく「Toshiba」のロゴが記されている。  なお,東芝が「総てのデザイン顧問として招へいした」*49 ハッファーは,ペンシルヴァニア大学の土木建築科を卒業, レイモンド・ローウィ(Raymond Loewy,* †1986)に師 事し,終戦後すぐに来日し,1950(昭和25)年7月に外国人デザ イナーとして日本で初めてインダストリアルデザイン事務所 を構えた *50。1953(昭和28)年の『新建築』には「フレドリック・ ホッファー事務所」*51による「コンステレーション・バー」*52 が,1955(昭和30)年の『工芸ニュース』には東芝のレコード 図4「進駐軍向かくはん式電気洗濯機」(1952)図5「TA型電気洗濯機」(1952)

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プレーヤーやディーゼル機関車660Pなど*53が掲載されてお り,まさにレイモンド・ローウィばりの「口紅から機関車まで」 を地でいく仕事ぶりだったようである。  翌1952(昭和27)年に「FW型の普及版として発売された」 小型の撹拌式洗濯機P型(図11*54)は「近代感覚を盛ったデ ザイン,高級品と同様の白色ホーロー洗濯槽の採用」*55が特 徴として挙げられている。  その後,後述する三洋電機の噴流式の洗濯機SW-53に追 随し,1954(昭和29)年8月噴流式のV型(図12*56)を発売, 翌1955(昭和30)年にはVB-3型(図13*57),VI-3型(図14*58), VF-3型(図15*59)を発売した。いずれも3色カラー印刷の図 より白色の製品であろうことが伺える。ただし,「VB-3型には 外観の色彩が3種類あり,即ち白色,緑色,紫色で需要者の好 みにより撰択することが出来る」*60製品であった。 2)主要メーカー各社の初号機  第二次世界大戦以前は洗濯機を製造していなかった東芝以 外の主要メーカーも次々と洗濯機を発売するようになる。  富士電機製造は1948(昭和23)年にW54型(図16*61)を発 売した*62。管見の限り,東芝以外の主要メーカーでは最も早 い時期に発売された製品である。  日立製作所(以下,「日立」とする)の洗濯機開発の経緯に ついては日立の資料間での若干の齟齬があるが*63,1949(昭和 24)年9月に「反転式洗濯槽と遠心分離式脱水槽の二つを一 つにまとめた4kgの洗濯容量のものが試作完成し」,1950(昭 和25)年2月から生産が開始された*64(図17*65)。  日本電装(現・デンソー)は1950(昭和25)年5月にドラム 回転式C型電気洗濯機(図18*66)を発売した*67。管見の限り, 製品色が白と確認できる最初の国産洗濯機である。社史には 発売2年後の1952(昭和27)年の「7月には月産1000台に達し, 有力メーカーを押さえて売上台数は全国第1位となった」*68 とあり,年間生産台数15,117台のうちかなりの割合を占めた ものと思われる。  松下電器産業(以下,「松下」とする)は1951(昭和26)年9 月に白色の撹拌式洗濯機MW-101を発売(図19*69)した*70  三菱電機(以下,「三菱」とする)は1952(昭和27)年か ら攪拌式洗濯機MW-1の販売を開始した*71  三洋電機(以下,「三洋」とする)は1953(昭和28)年8月26 日に日本初の噴流式洗濯機SW-53(図20*72)を発売した。こ のSW-53は洗濯機の普及を大きく促進し,またこれ以降他社 製品でも噴流式が主流となっていく*73。三洋は後発ながら, 翌1954(昭和28)年から2年連続トップシェアを獲得した*74  なお,和田(2008)は角型の噴流式洗濯機は場所をとらず 日本の住宅事情に適しており,この三洋のSW-53が火付け役 となって洗濯機は角型が主流になり,住宅内に居場所を得た と評価している。 丸型の撹拌式洗濯機は角型の噴流式洗濯機へ変わり,卓 袱台からダイニング・テーブルへと変化する。丸形か ら角型へのデザインの以降は,設置場所を固定するこ 図11「Toshiba P 型」(1952) 図12「東芝電氣洗濯機V型」(1954) 図13「東芝電氣洗濯機 VB-3 型」 図14「東芝電氣洗濯機 VI-3 型」 図15「VF-3 型」(1955) 図16「富士電機製造W54型」(1948)図17「日立製作所初号機」 図18「日本電装C型」(1950)図19「松下電器産業101型」(1951)図20「三洋電機SW53型」(1953)

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とを意味し,電気洗濯機は住空間の決められた場所に 定着するようになった。ここでようやく洗濯場が固有 の場として住空間の中に収まるのである。*75 しかし,大内(2005)によるとSW-53は発売後しばらくして 改良がおこなわれ,「1953年12月に移動用車輌を付加し排水 孔を拡大した」*76らしい。また1955(昭和30)年発売の松下 のMW-300型*77,三菱の噴流式PW-104型*78(図21*79)も移 動を前提としている。三菱では1953(昭和28)年4月24日に 洗濯機等について第一回意匠会議を行っており*80,ある程度 の検討を経たデザインであると考えられる。当時の生活者に とってはまだ洗濯機は住宅内を移動して使いたいものだった ということであろう。 表1 戦後 10 年間の各社の洗濯機ならびに各年の生産台数 発売年 [生産台数] 東京芝浦電機 富士電機製造 日立製作所 日本電装 三菱電機 松下電器産業 三洋電機 1946年 [162 台] 1947年 [1,854 台] 1948年 K W54 [265 台] 1949年 [364 台] 1950年 初号機 回転式C(白) [2,328 台] 1951年 FW(白+ニートラ ルブリュー) AW-46W461(白) KW(白) MW-101(白) [3,388 台] 1952年 P(白) SM-A1(白)TA SM-A2 MW-1 MW-201(白) [15,117 台] 1953年 [104,679 台] W462 TA-2 KW-4 TA-2B KW-4C C-44000 MW-2 MW-3 MW-4 MW-102 MW-103 MW-202 SW-53(白) 比率 26.3% 0.3% 3.0% 8.9% 8.2% 44.4% 4.6% 1954年 [265,552 台] V W361 W362 P361 R-A TA-1 TA-2 MW-104 MW-301 MW-302 MW-303 MW-304 MW-305 MW-30A SW-53R SW-55(白) 比率 23.4% 2.4% 3.2% 2.8% 5.9% 27.8% 32.7% 1955年 [461,267 台] VB-3(白 / 緑 / 紫) VI-3 VF-3 W363 W469 SM-A3 SH-P SH-A SH-PT SH-PT1 SH-AT1 SH-PT2 SH-AT2 SH-PT3 SH-AT3 TP-LB 噴流式 FN 回転式スーパー E PW-101 PW-103 PW-104 MW-11 MW-15 MW-300(白) MW-306 MW-307 MW-40A MW-S50 MW-S50A SW-56 SW-550 SW-57 SW-580 SW-600(白) SW-560 比率 17.6% 3.4% 4.1% 1.7% 6.3% 24.2% 28.8% 図 21「三菱電機 PW-104 型」(1955)図 22「富士電機製造 AW-46 型」(1951)図 23「日立製作所 KW 型」(1951)図 24「松下電器産業 201型」(1952) * 実機および文献から製品色が判明している機種については機種名に続いて括弧内に製品色を記した

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 早川電機工業(現・シャープ)は他社より遅れ,1957(昭和 32)年に洗濯機と冷蔵庫の生産を開始した*81  以上のように,各社の初号機のうち実機を確認できたのは 日本電装,松下,三洋のもので,いずれも製品色は白であった。 各社ともに東芝をはじめとする先行他社製品あるいは米国を 中心とする海外製品を参考にしたと考えられる。 3)主要メーカー各社の2号機以降の製品  1955(昭和30)年までの各社製品と各年の生産台数ならびに 1953(昭和28)年以降の各社の市場シェアを表1にまとめた*82  各社の2号機以降で文献により製品色が確認できたのは, 1951(昭和26)年発売の富士電機製造の2号機AW-46(図 22*83),日立の2号機KW型(図23*84),1952(昭和27)年発 売の松下の2号機201型(図24*85),1955(昭和30)年発売の MW-300型,三洋のSW-600型(図30*86)である。  富士電機AW-46の外観に関する記述を以下に示す。 外観―優美で近代的な感覚を充分生かしてデザインさ れています。洗濯槽の内面は純白な琺瑯引となってい て,外装は合成樹脂塗料で純白色に塗装し,クローム メッキされた中央の化粧リングとプラスチっ原文 クの富士 電機マークは,純白な丸みを帯びたスタイルと良い調 和を示し,そのスマートさに於て一層近代的な美しさ を遺憾なく発揮しています。*87  日立のKW型の外観は以下のとおりである。 外観も近代的感覚を盛り,塗粧に於ても鋭意研究の結 果,美麗な耐アルカリ,熱性塗料を使用しておりその外 観は,第11図に示す通り清潔感溢れる純白色のスマー トなものとなった。*88  図24は松下の201型の広告であるが,文中に「清潔な白色 仕上げの新しいデザインで楽しく御使用ねがえます。」とあ る。また松下のMW-300型については以下のように記述され ている。 11)外板は高級材質による1枚巻きの堅牢な機構であ る。完全防錆処理の上,入念に白色メラミン樹脂焼付 塗装仕上げを加えてあるから,被膜強靱でいつまでも 美しく堅牢である。*89  三洋のSW-600型のリーフレットは「⑤素晴らしい塗装」 について以下のように謳っている。 我が国最大のオートメーション塗装工場で連続5回の 入念な白色メラミン樹脂焼付仕上げを施していますか ら,ぜったいに錆びたり剥げたりしません*90  表1に記した各社の製品のすべての図版を確認できたわ けではないが,ここでは市場への影響力が強いと考えられる, 1953(昭和28)年以降のシェア1,2位のメーカーの製品を示 す。松下の1953(昭和28)年発売のMW-102型,202型,103型 (図25*91),1954(昭和29)年発売のMW-301型,303型(図26 *92),1955(昭和30)年発売のMW-306型,307型(図28*93), 三洋の1954(昭和29)年発売の実質的な2号機*94SW-55型(図 27*95)ならびに1955(昭和30)年発売のSW-56型,57型(図29 図 25「松下電器産業 MW-102,MW-202,MW-103 型」(1953)図 26「松下電器産業 MW-301,MW-303 型」(1954)図 27「三洋電機 SW-55 型」(1954)    図 28「松下電器産業 MW-306,MW-307 型」(1955)  図 29「三洋電機 SW-57 型,SW-56 型」(1955) 図 30「三洋電機SW-600 型」(1955)

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*96),前述したSW-600型(図30)である。三洋のSW-55型は カラー図版より製品色が白色であることがわかる。他の製品 も図を見る限り明度の高い色で塗装されており,製品色につ いての特記事項も確認できなかったため白色と推察される。 4.戦後10年間の洗濯機の製品色  表1の通り,洗濯機を発売するメーカーと生産台数が増えた のは1950(昭和25)年以降である。既報のとおり,戦前には白 色と確認できる洗濯機がほとんど存在しない*97。一方1950(昭 和25)年以降の新規参入各社の洗濯機は白色一辺倒である。 有彩色だと確認できた機種は1955(昭和30)年発売の東芝 VB-3型1機種のみであった。終戦後,1950(昭和25)年までの 間に,メーカー側には「洗濯機は白色」という認識が形成され ており,またその後は各社が白色の製品を次々発売したことで その認識が補強されながら保たれたと考えられる。  1946∼1949(昭和21∼24)年の4年間の総生産台数は2,645 であるが,富士電機のW54の生産台数は「200台程度」*98のた め,東芝の製品が9割以上を占め,4分の3以上が「D型」で ある。前述の通り,戦前の「ソーラーD型」と同仕様だとすると 青色だったことになるが,実際の製品色は不明である。しかし, 1947(昭和22)年のDH住宅向けの発注台数4,999の方が多い ため,その後の各社の洗濯機の製品色決定に及ぼした影響が 大きかったのは東芝機よりもDH住宅向けの納入機であろう。 東芝機,富士電機機W54,DH住宅向け納入機いずれも円筒形 の撹拌式であったが,1950(昭和25)年の日立と日本電装の初 号機はそれぞれ撹拌式とは異なる形式を採用しており,東芝 機,富士電機機W54,DH住宅向け納入機いずれをも直接参考 にはしていない。にもかかわらず,製品色に白色が選択された という事実は,DH住宅向け納入機によって「洗濯機は白色」と いう認識が既に形成されていたことを示していよう。特に日本 電装はDH住宅向け家電製品を何も受注していないため,他の 納入品の塗料の転用といった理由で白色が選択されたわけでは ないのである。その後シェア1位となる松下,三洋もDH住宅向 け洗濯機は受注していないが,初号機から白色を選択している。 東芝,三菱,日立,後に松下となる中川機械*99等の主要メーカー 各社が受注した冷蔵庫とは異なり,洗濯機においてはDH住宅向 け納入機はその後の家庭用製品に間接的に影響を与えた側面 が強いと言える。 5.結論  本研究では以下を明らかにした。 1.DH住宅に納入された洗濯機の製品色は,過半数の國森製 作所製のものをはじめとし,白色であった可能性が高い 2.従来DH住宅への洗濯機の納入は途中で打ち切られたと 表現されることが多かったが,実際にはGHQからの当初 の要求量より多く発注された 3.DH住宅向け納入機納入の後,年間生産台数が2,000台を 超える1950(昭和25)年頃から各社が発売した洗濯機の 製品色は白色であった 4.戦後10年間に発売された洗濯機のほとんどが白色,あるい は白色と推定され,有彩色と確認できるのは1機種のみで あった  戦前には白色と確認できた洗濯機がほとんど存在しないの に対し,戦後の洗濯機の色は一転して白色となった。既報では 「連合軍住宅向けの納入品が民生用に転用されたことで日本に “white goods”が移植された」*100と結論付けたが,洗濯機での 事例を見ると,DH住宅向け納入機は“white goods” 的な概念 をもたらし,DH住宅向け納入機を受注していないメーカーの 製品色決定にも影響を及ぼしたと言えるのである。 註 *1 伊藤潤:戦前の日本における洗濯機とその製品色−20世紀の 日本における主要工業製品色の変遷(2).芸術工学会誌.2017b, no. 75.pp. 128-135. *2 伊藤潤:「白物家電」の誕生−20 世紀の日本における主要工業 製品色の変遷(1).芸術工学会誌.2017a,no.74,pp. 92-99. *3 本調査の大部分は2006年から2007年にかけて行った。社名や所在 地は当時のものである。東芝家電製造は東芝ライフスタイルとし て現存するが,三洋電機と日本建鐵(三菱電機の洗濯機を生産し ていた子会社)は現存しない。 *4 調査した社史(五十音順)とその発行年を以下に記す。 神戸製鋼所:『神鋼五十年史』(1954),『シンフォニアテクノロ ジー創業100年史』(2017) 三洋電機:『三洋電機三十年の歩み』(1980),『三洋電機五十年 史』(2001),『三洋電機経営史 1950-2011』(2014),『三洋電機 商品史 挑戦の軌跡』(2014) シャープ(早川電機工業):『アイデアの50年 早川電機工業株 式会社50年史』(1962),『誠意と創意 80年の歩み シャープ株 式会社』(1992) デンソー(日本電装):『日本電装25年史』(1974),『日本電装 35年史』(1984),『デンソー 50年史』(2000) 東芝(東京芝浦電気):『東京芝浦電気株式会社八十五年史』 (1963),『東芝百年史』(1977) 日立製作所:『日立製作所史』(1949),『日立製作所史 1』(1960), 『日立製作所史 2』(1960),『亀戸工場50年のあゆみ』(1960),『亀 戸工場続10年史』(1960),『日立洗濯機50年史』(2002) 富士電機製造:『富士電機社史 : 1923-1956』(1957) 松下電器産業:『創業三十五年史』(1953),『松下電器五十年の 略史』(1968),『洗濯機事業部二十五年の歩み』(1981),『松下 電器の技術50年史』(1968) 三菱電機:『建業回顧』(1951),『三菱電機社史』(1982),『三 菱電機研究所50年史』(1986),『三菱電機デザイン史 萌芽期∼ 2003』(2004) *5 1952年に『東芝レヴュー』から『東芝レビュー』に改題された。 *6 伊藤:前掲書,2017a,p. 97. *7 岩崎景春編:日本電機工業史.日本電機工業会,1970,vol. 2,p. 290. *8 同書,p. 298. *9 同書,p. 298. *10 同書,pp. 291-292. *11 山田正吾,森彰英:家電今昔物語.三省堂,1983,p. 45. *12 大西正幸:洗濯機技術発展の系統化調査.国立科学博物館技術の 系統化調査報告.国立科学博物館産業技術史資料情報センター, 2011,vol. 16,p. 162. *13 大内(2005,p. 43),林原(2007,p. 131),大西(2011,p. 162)など。 *14 C E - G D : S C A P I N - 7 9 9 : H O U S I N G P R O G R A M F O R

OCCUPATION FORCES AND THEIR DEPENDENTS 1946/03/06.国会図書館デジタルコレクション,http://dl.ndl. go.jp/info:ndljp/pid/9885873(参照2018-07-31),1946,p. 12. (囲み罫線は筆者による) *15 大西正幸:洗濯機技術発展の系統化調査.国立科学博物館技術の 系統化調査報告.国立科学博物館産業技術史資料情報センター, 2011,vol. 16,p. 162. *16 伊藤:前掲書,2017b,pp. 128-135. *17 伊藤潤:国産初の電気洗濯機製造者と推定される能川製作所−20

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世紀の日本における主要工業製品色の変遷(2.5).芸術工学会誌. 2018,no. 77,pp. 22-23. *18 商工省工藝指導所編:進駐軍家族用厨房用品.工藝ニュース. 1946,vol. 14 (3), p. 7. *19 同書,p. 1. *20 国森製作所(現・国森)はむしろ冷凍機を主な事業としてい た。創始者の親族からの証言によると,民生品の洗濯機は作ら なかったようである。『國森寅介氏を語る』という記録には,営 業担当の西田嘉一という人物が「長期東京に出張して専ら洗濯 機販売の任を●うした」(●は判読不可)とある(株式会社國森 海外部齋藤麻弥氏からの私信(2017/4/21)による)。

*21 GHQ DESIGN BRANCH JAPANESE STAFF・商工省工芸技術 指導所編:デペンデントハウス.技術資料刊行會,1948,p. 211. *22 株式会社國森海外部齋藤麻弥氏からの私信(2017/4/21)による。 *23 林原泰子:日本における家庭用電気洗濯機の成立に関する研 究.九州大学博士学位論文,2007,p. 119. *24 神鋼五十年史.神戸製鋼,1954,p. 142. *25 シンフォニアテクノロジー創業100年史.シンフォニアテクノ ロジー,2017,p. 105. *26 伊藤:前掲書,2017a,p. 98. *27 占領軍調達史編さん委員会:占領軍調達史 部門編Ⅲ工事編 . 調達庁,1959,p. 33. *28 ディエゴ・ヴェラスケス:王太子バルタサール・カルロス騎 馬像(El príncipe Baltasar Carlos a caballo)(プラド美術館蔵, ca1635)のことか。 *29 澁澤秀雄:家とられ記.宴会哲学.文藝春秋新社,1953,p. 97. *30 日比種吉編:日本電機工業史.日本電機工業会,1956,p. 288. *31 〔Ⅴ〕家庭用電氣機器及び工作用電氣機器「昭和27年度に於け る日立技術の成果」.日立評論.日立評論社,1953,vol. 35 (1),p. 121. *32 同書,p. 122. *33 日立洗濯機50年史.日立ホーム&ライフソリューション, 2002,p. 2. *34 大西:前掲書,p. 163. *35 伊藤:前掲書,2017b,p. 133. *36 同書,p. 132. *37 芝浦マツダ工業:芝浦電氣洗濯機.住宅.1939,vol. 24 (4),巻 末広告. *38 芝浦マツダ工業會社:ソーラー電氣洗濯機.住宅.1938,vol. 23 (2),巻末広告. *39 芝浦マツダ工業:芝浦電氣掃除機.住宅.1938,vol. 23 (10), 巻末広告. *40 芝浦マツダ工業會社:ソーラー電氣洗濯機D型及びE型.マツ ダ新報.1938,vol.25 (5),p. 25. *41 大西正幸は「戦局が厳しくなり,英語の使用が禁止されると 「Solar」マークは廃止され,「芝浦電氣洗濯機」と漢字で表示 されました」(大西正幸:電気洗濯機100年の歴史.技報堂出版, 2008,p. 43)と記しているが,根拠となる資料は示されていない。 *42 伊藤:前掲書,2017b,pp. 133-134. *43 半世紀に於ける東芝技術の発達.東芝レビュー.1951,vol. 6 (2), p. 90. *44 同書,p. 93. *45 昭和26年度に於ける東芝技術の成果.東芝レビュー.1952, vol. 7 (4),p. 165. *46 同書,p. 165. *47 デザイン擔當者としての一年.東芝ライフ.1952年,第30号, pp. 12-13. *48 岩手県立博物館蔵(筆者撮影) *49 明石一男:’51インダストリアル・デザインの展望.工芸ニュー ス.1952,vol. 20 (1),p. 14. *50 山形光男:ハツファー・インダストリアル・デザイン事務所を 訪ねて.工芸ニュース.1951,vol. 19 (1),p. 27. *51 英文表記は“FREDRICK HOFFNER”となっている。誤植の可能 性が高い。 *52 コンステレーション・バー.新建築.1953,vol. 28 (2),pp. 34-37. *53 デザイナー近作集.工芸ニュース.1955,vol. 23 (10),pp. 12-13. *54 東芝家電製造蔵(筆者撮影) *55 昭和27年度に於ける東芝技術の成果.東芝レビュー.1953, vol. 8 (5),p. 78. *56 東芝電氣洗濯機V型取扱説明書(東芝家電製造蔵(筆者撮影)) *57 東芝電氣洗濯機VB-3型取扱説明書(東芝家電製造蔵(筆者撮影)) *58 東芝電氣洗濯機VI-3型取扱説明書(東芝家電製造蔵(筆者撮影)) *59 東芝電氣洗濯機VQ-3型リーフレット(東芝家電製造蔵(筆者撮 影)) *60 電氣洗濯機.家庭電器知識普及シリーズ.家庭電気文化会, 1955,vol. 10,p. 32. *61 富士電機社史.富士電機製造,1957,p. 289. *62 新型洗濯機(型AW-46).富士時報.富士電機製造,1951, vol. 24 (4),p. 197. *63 日立製作所『日立製作所史2』(1960),『亀戸工場続10年史』 (1960),日立ホーム&ライフソリューション『日立洗濯機50 年史』(2002)それぞれで初号機とするものが異なっている。『日 立評論』の当時の記事と整合性が高いのは『亀戸工場続10年史』 である。 *64 農沢靖夫:洗濯機その他.亀戸工場続10年史.日立製作所亀 戸工場続10年史編纂委員会,1960,p. 333. *65 最近に於ける日立技術の成果.日立評論.1950,vol. 32 (6),p. 532. *66 デンソーギャラリー蔵(筆者撮影) *67 日本電装25年史.日本電装,1974,p. 258. *68 同書,p. 29. *69 写真には蓋が写っていないが,実際には蓋付きの製品である (松下幸之助歴史館蔵(筆者撮影)) *70 洗濯機事業部二十五年の歩み.松下電器産業,1981,p. 17. *71 三菱電機社史.三菱電機,1982,p. 543. *72 SANYO MUSEUM蔵(筆者撮影) *73 三洋電機五十年史.三洋電機,2001,pp. 46-49. *74 大内秀二郎:新製品の普及とマーケティング−電気洗濯機普及 の事例−.京都大学博士学位論文,2005,p. 26. *75 和田菜穂子:近代ニッポンの水まわり.学芸出版社,2008,p. 223. *76 大内,前掲書,p. 30. *77 「7)脚部に移動用コマを4個付け,自由に移動できる。」(新 製品紹介.National Technical Report.松下電器産業,1955, vol. 1 (4),p. 88.) *78 「(2)軽くて丈夫な仕上 簡素美を生かしたデザインで場所をと らず,軽くて底に車がついているので簡単に移動ができて便利 である。」(電氣洗濯機.家庭電器知識普及シリーズ.家庭電気文 化会,1955,vol. 10,p. 32.) *79 電氣洗濯機.家庭電器知識普及シリーズ.家庭電気文化会,1955, vol. 10,p. 32. *80 三菱電機デザイン史 萌芽期∼ 2003.三菱電機,2004,p. 12. *81 シャープ100年史「誠意と創意」の系譜.シャープ,2012,p. 3-07. *82 各社のシェアは大内(2005)による *83 新型洗濯機.富士時報.富士電機製造,1951,vol. 24 (4),p. 197. *84 昭和26年度に於ける日立技術の成果.日立評論.日立評論社. 1952,vol. 34 (1),p. 118. *85 読売新聞.1952年12月8日朝刊,p. 4. *86 『サンヨー電気洗濯機』リーフレット.1955.(三洋電機蔵(筆 者撮影)) *87 新型洗濯機.富士時報.富士電機製造,1951,vol. 24 (4),p. 197. *88 昭和26年度に於ける日立技術の成果.日立評論.日立評論社. 1952,vol. 34 (1),p. 118.

*89 新製品紹介.National Technical Report.松下電器産業,1955, vol. 1 (4),p. 88. *90 『サンヨー電気洗濯機』リーフレット.1955,p. 3. *91 洗濯機事業部二十五年の歩み.松下電器産業,1981,p. 22. *92 同書,p. 23. *93 同書,p. 145. *94 SW-53Rは初号機SW-53に「絞り機追加」(三洋電機三十年 の歩み.三洋電機,1980,p. 592.)した改良版であるため, SW-55が「2号機」といえる。 *95 お洗濯の心得.三洋電機,1953,表紙(三洋電機蔵(筆者撮影)) *96 電氣洗濯機.家庭電器知識普及シリーズ.家庭電気文化会, 1955,vol. 10,p. 38. *97 伊藤:前掲書,2017b,p. 134. *98 新型洗濯機(型AW-46).富士時報.富士電機製造,1951, vol. 24 (4),p. 197. *99 中川機械は1972年に松下冷機と改名し,2008年に松下電器産 業に吸収された。 *100 伊藤:前掲書,2017a,p. 98.

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