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文芸作品を通してみる国立ハンセン病療養所の「子ども」 : 断種・「らい者ゆえに子どもがもてない」という言説をめぐって 利用統計を見る

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文芸作品を通してみる国立ハンセン病療養所の「子

ども」 : 断種・「らい者ゆえに子どもがもてない

」という言説をめぐって

著者名(日)

山本 須美子

雑誌名

白山人類学

10

ページ

21-40

発行年

2007-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002369/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

(2)

文芸作品

   断種・「らい

を通してみる国立ハンセン病療養所の「子ども」

者ゆえに子どもがもてない」という言説をめぐって

山 本 須 美 子

‘A Child, in the State・Run Hansen’s Disease Sanatoria: Through the Analysis of a Novel‘Which Has Been Lost,        * YAMAMOTO Sumiko The purpose of this study is to examj皿e‘a Child’in the state−run Hansen’s disease sanatorium, through the analysis of a novel ‘Which has been lost’ written by Masasi Tsukita, a former Hansen’s disease patient. This novel was appeared in ‘Airano’, the magazine of a patients’ self−gevernment association.of Hosizuka−Keiaien, in 1949.      Hansen’s disease sanatorium has been the isolated community of the patients where the residents had been prohibited from haVing a child, The author TsUl(ita criticized a men’s castration in this novel, describing a state of m血d of a protagonist who had been pressed to do so. And he clarified that there had been the permeated discourse that仏A leper cannot have a child’both in the Hansen’s disease sanatoria as well as in the society,      We also interviewed the author Tsukita in 2005 and 2006. Tsukita told in the interview that he actually did not have a child,because he thought that he would not be able to raise one. It was Tsukita’s decision on his own initiative and his way of life, The judgement of national compensation for Hansen’s(lisease patientS in 2001 had accused the nation of infringement of patients’ human rights that they had been prohibited from having a child. It can be said, however, that all decisions of not haVing a child by many former Hansen’s disease patients might have been not only pressed by the rUle or taboo, but induced by the decision such as Tsukita’s and that eventually shows their ways of lives. キーワード:断種手術,子ども,国立ハンセン病療養所,ハンセン病元患者,人権侵害 Keywords:Men’s Castration, Child, State−Run Hansen’s Desease Sanatoria, Former Hansen’s Disease Patient, Infringement of Human dights *東洋大学社会学部;Department of Sociology, Toyo University,   112−8606/yamamoto−s@toyonet.toyo.ac.jp 5−28−20,Hakusan, Bunkyo, Tokyo,

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はじめに  『姶良野』は,現在全国に13ヶ所ある国立ハンセン病療養所の一つで鹿児島県鹿屋市にあ る星塚敬愛園の患者自治会の機関誌である。本稿の目的は,『姶良野』に掲載された入園者に よって書かれた文芸作品の中から,1949年に発表された月田まさ志の創作『失われたもの』 [月田1949:31−42]を選び,この作品を検討することを通して,国立ハンセン病療養所の「子 ども」をめぐる事象を再考することである。この作品は断種手術(ワゼクトミー)を真正面か らテーマとして取り上げている数少ない作品の一つである。『姶良野』の中には,このような 作品は他にはない。  ハンセン病療養所入園者が長い年月を生きてきた療養所での生活の諸相の一端を明らかに するために,恋愛や結婚,また子どもをめぐる事象に着目することは不可欠な視点である。筆 者は前稿において,『姶良野』の文芸作品を分析資料として用いることの意義を述べ1),『姶良 野』の文芸作品において恋愛と結婚がいかに表象されてきたのかを検討した[山本2006]。  本稿で取り上げる国立ハンセン病療養所における子どもをめぐる問題は,らい予防法の違憲 と隔離政策の違法を認めた2001年5月11日の熊本地裁判決において,結婚は許されていた が子どもを産むことが禁じられ,断種・中絶が実施されていたことが人権侵害の要としてクロ ーズアップされた。裁判において原告側は,「人間の性と愛に対する侵害」として以下のよう に述べている。  「人間は,愛によって人生を豊かにすることができる。愛は,性を基盤とし,両者は密接に 関連している。人間の愛・性への制約は許されない。  らい療養所においては,子どもを産むことも育てることも許されない徹底した優生政策が採 り続けられた。青松園では一人の子どもも生まれ育てられたことはない。母の体内に宿った子 どもはすべて堕胎された。男たちは,連れ合いの子宮を傷つけないように自ら断種した。  原告らは,実施された個々の優生手術を問題にしているわけではない。優生政策と非人道 的な処遇によって,ここに生きたすべての人間のあるべき性が根本から踏みにじられ,それ故 に人生で最も重要な価値を有する性と愛が言いようのないほどに侵害されたのである。」[八尋 2001:65−65]。  以上の原告側の主張は,裁判後も療養所で子どもを産み育てることが許されなかったことを めぐる主流の言説を形成している。『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』におい ても,療養所の子どもをめぐる問題は同じ言説で語られ[財団法人日弁連法務研究財団2005], 1)前稿で『姶良野』の文学作品を分析資料として用いることの意義については述べているので,本稿で  は詳述しない。

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判決後5年が経過した現在においては,ホルマリン漬けにされた胎児標本をめぐる問題に関係 者の関心が集まっている2)。この背景にも,裁判における原告側の「人間の性と愛の侵害」と いう主張がある。そして,この「性と愛の侵害」という主張は,「人権侵害」という現在最も 強力なハンセン病問題を語る言説と重なっている。  らい予防法違憲判決後という現在においては,療養所で子どもを産み育てることが許されな かったことは,このように「人権侵害」という言説で捉えられることが主流になっているが, それは判決後という現在の視点での過去の解釈である。本稿では,過去のその時点を生きてい た人々がその時点でどのように考えていたのかを昭和24年の月田まさ志の創作『失われたも の』の分析を通して明らかにしたい。  また,小説の作者である月田には,小説が書かれてから半世紀以上が経過した現在,2005 年と2006年に三回の聞き取り調査を行った。小説の分析と現在における月田への聞き取り調 査を付き合わせ,さらに2001年の裁判で「子ども」をめぐる原告側と被告である国側の主張, 及び判決文を参照し,ハンセン病療養所の「子ども」をめぐる事象について再考したい。そし て,療養所において「子ども」をもつことができなかったという現実は,「人権侵害」という 言説だけでは掬い切れない複雑性を内包していたことを示したい。  さらに,本稿では断種を中心的テーマとして扱っている小説を取り上げるが,これは男性 入園者への聞き取り調査の難しさを補うものでもある。筆者は,前稿において女性入園者へ の聞き取り調査から得られた資料に基づいて,療養所の結婚や子どもについて検討した[山本 2005]。しかし,女性である筆者と共同研究者の加藤は,男性入園者に対して断種についての 詳しい聞き取り調査を行うことは難しかった。小説の分析は,それを補ってくれるものであり, 本稿では男性の視点を中心に療養所の「子ども」をめぐる事象について論じたい。  なお,本稿は,平成14年度及び16年度トヨタ財団研究助成を受けて実施された研究成果 の一部である3)。

1星塚敬愛園における「子ども」をめぐる歴史的変遷

 ハンセン病療養所は,1907年制定の法律「癩予防二関スル件」に基づいて開設されて以来 の歴史をもっている。国立ハンセン病療養所星塚敬愛園は,1935年に開設され,現在入園者 2)2006年5月13日・14日に開催された第二回ハンセン病市民学会においては,「胎児標本問題を考える」  と題したシンポジウムが開かれた。 3)トヨタ財団平成14年度助成研究B「国立療養所におけるハンセン病元患者の生活世界に関する文化人  類学的研究  ジェンダーの視点から」(研究代表者:加藤尚子)  トヨタ財団平成16年度助成研究B「ハンセン病療養所における結婚と子ども一語りから再考する『隔  離』の中の生活」(研究代表者:山本須美子)

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は360人である。  療養所内の結婚は,国立ハンセン病療養所の前身である公立ハンセン病療養所開設当初は 禁止されていた。しかし,実際は男性が女性の部屋に侵入することが後を断たず,その結果生 まれた子どもの処置をどうするかという問題が生じた。初期には里子に出したり,患者の親族 に引き取らせていたり,当時堕胎罪規定はあったが,妊娠中絶手術が頻繁に行なわれていた。 1914年に多磨全生園の前身の全生病院院長となった光田健輔は,違法と知りながらも,1915 年より患者の逃亡防止のため結婚を認め,その条件として男性患者に断種手術(ワゼクトミ ー)をほどこしていた事実が報告されている[藤野1993:27]。断種手術をほどこした上で結 婚を認めるという光田の方針は,公立療養所から国立療養所に転身した歴史の長い療養所だけ ではなく,初めから国立療養所として開設された星塚敬愛園にも受け継がれた。  星塚敬愛園での結婚や子どもについては,自治会の発行している園史からその変遷を追うこ とができる[星塚敬愛園入園者自治会1985:42−43]。開設した年に沖縄から入園した患者の中 には,子どもつれまで混ざっている幾組かの夫婦がいたので,施設側としてはすぐに断種手術 を行なわなければならなかった[星塚敬愛園入園者自治会1985:42]。施設の方針に従って届 けを出し断種手術を受けた者は,園内における「夫婦」として認められた。この園内における 「夫婦」には,戸籍まで入籍した正式の夫婦と,園内に届けただけのいわゆる内縁夫婦とがあ った。正式の夫婦のための夫婦寮は二棟で,呉竹寮,若竹寮といい,それぞれ4畳半6室が あった。内縁夫婦寮は,潮寮3号室,4号室で1室12畳半に,3組あるいは4組の夫婦が仕 切りのない大部屋に雑居した。その後は,大部屋雑居の内縁夫婦寮が増加していった。  戦前は男女交際が禁止されていたが,戦後は男女交際が自由になり結婚件数が増えたのに伴 い,1947年には,断種件数がいっきょに41件と最高になった。そして1950年ごろから,園 内結婚の条件として断種手術が強制されなくなった。しかし,1951年に小鳥寮という4畳半 の個室8棟が完成したのを皮切りに,本格的な夫婦寮の建設が始められ,夫婦寮への入居順位 は断種手術を受けた順番で決められた。大部屋雑居から早く夫婦だけの個室に移りたいと,皆 先を争うように断種をしたので,1951年の断種件数は40件にもなった。1953年には,施設 側の幹部と自治会との間で断種手術問題が話し合われ,園長が今後断種手術を夫婦寮の入居条 件にしないが,妻が妊娠した場合は,夫に断種手術をすることを公言した。その後入園者の高 齢化に伴い,1970年以降は,断種手術の記録はない。 II創作『失われたもの』  本章では,1949年に『姶良野』に発表された月田まさ志の創作『失われたもの』[月田 1949:31−42]を取り上げる。この小説は,断種を中心的テーマとして取り上げている。以下,

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この作品を要約する。  主人公の松本吉夫は25歳で,3年前の終戦直後に入園した。まゆ毛がちょっとうすいくら いで,まだ病気とはわからない軽症である。今年の一月頃から,乙女寮の22歳になる大木良 子と恋愛をし,秋になったら結婚することになっていた。そしてきのうの午後,療養所でも結 婚条件の第一になっていたワゼクトミーをするように,看護婦が呼びにきた。しかしその時た またま松本は遊びに行っていたので,看護婦には会わなかったのであすに延びた。  「その夜,松本は,眠れなかった。すでにワゼクトミーのことを決心して,女をもとめたの であったが,あすとおしせまった時間の前に立つと,どうかしてのがれたい焦心と,みじめな 不安がつのって来て,諦念の中に,そのふたつがもっれあった。人はその時になって,その時 の心境になりうるのである。(中略)なぜ,男だけが苦しまなければいけないのか。妊娠した ら女が苦しむ。健康者社会では,女は子どもを産む,その時の苦しみは,女がひとりの生命を つくる宿命的な犠牲であるのだ。らい者が子どもを産むことは,背徳だといって罪悪視され, 許されない。それなら男か女か手術を受けなければならない。男は簡単である。女はややこし くて危険性があるという。やつばり,男が手術を受けなければならないのか。もっと進んだ医 学的な方法はないのだろうか・・子どもは生まれない。4)」[月田1949:32]。  松本が悶々としていると,友人で同い年の平田がいよいよあすに迫った断種の気持ちを尋ね てきた。松本は,「どんな気持ちって,性能がだめになるからぼくは切らないよ。」と答えて, 苦しんでいる本心を隠した。以下,松本と平田のやりとりである。 平田「きみは,女が,もし妊娠した場合のことも考えないで・・肉欲だけで結婚するっもり    か。」 松本「平田君,きみは,精神だけで結婚できると思っているね。」 平田「できると思う。もし結婚するならばだよ・・すすんですじを切ってもらうよ。」 松本「もし結婚したらと言うのだろう。それなら,すじを切るということにおいて,すでに肉    体の交りを肯定しているじゃないのか・・」  平田は急所をつかれて,しばらくだまりこんでいたが,つぶやくように 平田「とにかく,ぼくはいまの心境では一生結婚しないっもりだ。おそらくしないだろう。病    気になってから,結婚する人の気が知れないよ・・」 松本「そうか,きみが結婚しようが,独身で暮らそうがかってだが,らい者だからといって,    結婚を否定することには大反対だ。らい者だからと否定され,否定する理由はないと 4)『姶良野』からの引用に際しては,すべて旧仮名遣いを修正して記した。

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   思う。人間は,ある道程において,独身でいることは不自然とさえ思うよ。・・」[月田    1949:32−33コ。  「平田は,手の指は両方とも曲がったり切れたりして,髪は半分ぐらい抜け,鼻は少し崩れ て醜い姿であり,はく息は臭かった。夜中,情欲に負けて,独身者がよくやる,自慰的なしぐ さをしているのを松本は知っていた。平田自身も25の若さであり,病気は重いとはいえ,や りばのない情熱と,異性との未知な情欲の世界を想像する時,神を信じているとはいいながら, それに満足出来ず眠れぬ夜は,健康者となんら変わらない器官のすべてをあたえた神をのろい ながらも,表面は神をとなえていた。」[月田1949, 33]。  松本は恋人の良子には断種を受け入れることを以下のように話している。 松本「らい者は,現在の顔や病気に左右されてはいけない。たがいが,一度は重くなって死ん    で行くのだから,病気が悪くなり,弱ったとき,慰め合うのだからね。」 良子「よくわかっていますわ。でも,あなたがつらい思いをしなければならないわ。許してく    ださいね。ふたりの幸福のために・・」 松本「ぼくは,どんな苦しみも,侮辱も受けるよ,それが,あなたに捧げる唯一の,真実のあ    かしとして」[月田1949:34]。  松本は,以上のように良子には断種をするといいながらも,今となってはうなずけないもの を感じていた。そして,先月家に帰省した時,一番親しい友人が子供を抱いて遊びに来た。  「そして,ある限りの父親の愛情で子どもを愛ぶしている姿を見て,全身の毛穴から食入る ような寂しさ,人間の一番深い悲しみ,らい者のみじめさに泣いて帰園した。…  子どもが ほしい… いっぺんでもよいから顔が見たい。・・これを,単なる感傷と人々は笑うだろう か?」[月田1949:34]。  「らい者が子どもを生むことは,罪悪なのか?手術を受けないと,良子は許してくれない。 すじを切って,女を抱こうとする心・・子どもがほしいと狂う心・・どれが本当な自己の心だ ろうかと,松本は思った。ふたっの心がもっれあっているのが,いまの松本にほかならなかっ た。自分にも,父親となりうる愛情があるのだ。あすになったら,一生,父と呼ばれることは ない。それを失うことによって,良子との幸福があるというのか。」[月田1949:34]。  松本が悶々としていると,手術場の当直の岡田看護婦が断種のために呼びにきた。松本は詩 を書いていたが,岡田看護婦も詩友であり,以前は病者間で二人の間はうわさになったことも あった。「きょうこの組合せは,余りに惨酷すぎるひにくであった。もう,そのひにくを受入 れるより他になく,それによって,何倍かの苦しみが加わってきた。」[月田1949:36]。  松本は以前,岡田看護婦に心を動かされていたが,彼女が郷里に帰って結婚することを知り,

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良子と結婚することになったのも否めない事実であった。一緒に歩く途中で,岡田看護婦と松 本は,らい者の結婚について話す。 岡田「らい者の結婚は,精神の夫婦生活でなければならないと思いますわ。」 松本「…  らい者の結婚も美しいところはありますが,男の性能がだめになり女が逃げた例    もあり,現に,そのため毎日いさかいがたえない夫婦もあります。ここの職員の大部分    は,らい者の結婚を,いやらしく,きたなく思っています。深く掘り下げたら,健康者    の結婚となんら変わらないのです。ただ子どもを生むことを許されず,肉体がみにくく    変わる病気ということだけなのですからね。らい者自から宗教とか道徳とか言って,人    間性を否定し,また認識のない社会人が区別をしているだけなんです。」 岡田「あなたは,肉体だけで結婚するというのですか?」 松本「肉体だけとは言いません。らい者の結婚も精神だけでは成立しないと言うんです。らい    者だからって,神に近い高遠な魂で肉体を完全に征服することは,とうてい不可能なこ    とです。…  ぼくは結果論はきらいです。きょうはきょうその瞬間,ひとにぎりの幸    福,ひとまたたき,きらっと輝いた幸福をつかむだけで満足しているんです。それを求    める小さな欲望が,らいの宿命を背負った,若いぼくたちを生かしているのです。」[月    田1949:37]。  岡田看護婦は,いつにない松本の深い内面をのぞき,生きる人間の赤裸々な姿を見たような 気がした。ふたりの視線がぱったり合った。 松本「岡田さん,ぼくも父親となりうる愛情があるんです。」  松本と岡田看護婦は医局に着いた。午後の医局には,大田という三十近い看護婦と,野田と いう医者がいて,待たせやがってといった表情であった。大田看護婦が局部をそるためにかみ そりを持ってきて,ニヤリと不快な笑いをした。松本は,いままで聞いてきた手術時の看護婦 や医者が与える侮辱的なあつかいやその非情に対するうっぷんを爆発させ,「ばか」とどなっ て言った。 松本「大田さん,あなたのいまの笑いはなんですか。ことしの春,夫婦入園してまだ一週間も    たっていないのに,さんざんなことを言って,ワゼクトミーを強制したり,誰々は毛が    なかったから仕事が楽だったなど,言いふらし,これはあなたのことではないのですか。    議論に負けた仇を,手術の時に返す医者もいるんです。それにぼくはまだ正式に結婚も    しておらず,はっきりときまったのが1一日ほど前です。それをのら猫みたいに嗅ぎつけ    廻って,呼びにくる。あなた方,天使の白衣は,らい者の血を吸取るんですね。」[月田    1949:38]。  大田看護婦が指摘された事実を否定できないでうつむいていると,医者が言葉をつつしみな

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さいと注意をした。それに対して松本はいう。 松本「あなた方は,らい者が深刻に苦しむのを見て,せせら笑っているのです。動物以下に扱    っているのです。」  そして,医者と言い合った後,松本は「すじを切りたくありません。」と言った。どうして かと尋ねる医者に,「子どもを見たいのです…  」と言った。  「コレだけ言うのに,どんなことを言うより何倍かの勇気が必要であり,心の中で幾度か繰 返し,人知れず苦しんできたのだった。食入るように,松本を見つめていた医者は『子ども を?…  ハハハハ…  』もっとも勇気をこめた人間の叫びは,冷たい科学者の一笑を買っ たにすぎなかった」[月田1949:39]。  医者は松本に子どもを生んでも育てられないだろうと言うと,松本は子どもができたら家に 帰って働くと答えた。それに対して医者は以下のように言った。 医者「きみは,勝手にここから出られないことは知っているだろう。伝染病だからね,病者と いうことは自覚しているだろう。」  「お前はらいだ。人間ではあるが人間並の扱いは受けられないのだ,という意味が含まれて いた。らい者にお前はらいだと言うことが,一番みじめさをあたえることを,職員はみんな知 っていた。」 松本「病気であっても人間です。」 医者「人間であると思うなら…  ,子どもの将来を考えて見たまえ。…  きみの気持ちは    わかるよ。まだ元気だからね。いま社会に出て働く能力があっても,ここ三,四年の間    だよ。らい者と知れた以上,子どもを生んでも社会が受入れてくれない。まして,働く    能力がない人の子はね。親の家に帰っても社会から,迫害され白眼視されるし,いま,    らい者を親にもっている子は,結婚も出来ずに泣いていることを,きみ自身知っている    だろう。」 松本「それは,社会が悪いのです。親にも子にも罪はないのです。社会がらいに対する認識が    ないからです。それに,関係者を収容するための宣伝が,らいは世にもおそろしい伝染    病だ,と逆宣伝にもなり,古い医者はまた,そんな宣伝をするのです。」 医者「…  いまらい者が子どもを生むことは,大きな罪悪だからね,宗教的にも,道徳的に    いっても…  。」 松本「宗教や,道徳からは,そんなに解釈ができるかも知れませんが,人間の本能の中には,    それで割り切れないものがあるんです。ぼくはそれに・・。」 医者「それに,苦しんでいるというのだろう。子どもを生むことも。それは個人主義の考えだ    よ。共同生活を営んでいる以上,肯定出来ないことだよ。この現実社会ではね。…    子どもを欲しがっていることを,きみの奥さんは知っているかね?」

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松本「知りません。このことを知ったら,きっと悲しむでしょう。妊娠すると言って,まだ許    してくれません。」 医者「そうだろう,妊娠したら,女が苦しむからね。きみ以上に苦しむことだから。」 松本「先生,すじを切ったら何年か後はだめになるのじゃないですか?」 医者「そんなことはないだろう。ただ輸卵管を切るだけだから,身体にも,生理的にもなんら    影響はないよ…  心配することはない。ハハハハハ・・。」  医者は眼前の常識しか考えず,医者としての職務さえ済ませたら,それでいいんだと思うと, 松本は自分の気持ちを吐露しても仕方がないと思う。 松本「切ります。」 医者「それがよい。手術を受けることは,らい者として当然のことであり,園則であり,法律    でもあるのだからね。きみだけを許すことは出来ないよ。前例も引くからね…  。な    かには進んで切る人もいるんだよ。」[月田1949:39−40]。  「いくら人間だと主張し,子どもを生む義務があると,血を吐いて叫んだところで,らい者 は,宗教と道徳,法律に縛られて,身動き出来ず,子どもを生んだとしてもJ社会が受入れて くれない。らいが治るまで続くのだと思うと,眼の前の現象が暗くなるような気がした。不可 抗力の前に,白己の無力を知り過ぎるほど知った。」[月田1949:40]。  松本は,局部にかみそりを当てるのを,ためらう岡田看護婦に頼んだ。  「冷たい石鹸水をっけ,上の方から,かみそりをあて,ザリザリ下の方に移ってゆく。さっ ぱりとした気分になるような,心よい音であった。すでに恥も外聞も見栄も,すべてをすてて いた。息を止めるようにして,腕をくみ,なすがままにしていた。指先が局部にふれたとき, すぼんだような気をした。神経も,智性も,感情も,一瞬に凍った。そして,そのあと,つか めない,うすい霧のようなものが体内に漂っていた。岡田看護婦は,終始,何かを一生懸命か みころしているような,こわばった表情でそっていた。・・手術台の上に,両足をひろげ,局 部は下腹に,絆創膏で固定され,その上にガーゼをかぶせた。メスをいれるところが二っ穴を 開けてあった。もうまな板の魚だった。」[月田1949:41]。  そこへ看護婦生徒がどやどやと医局の見学に入ってきた。  「まな板の魚が,こんどは生きた勉強台になっていた。メスを入れるところをヨードチンキ で二回拭いた。メスを待った。思念が,波で流される砂山のように崩れる。からだが硬直する。 もう,何も考える必要はなかった。この眼前の屈辱と,人権の無視と闘うのが精一杯だった。 安価な悲しみなどみじんもなく,子どものことも考えず,二f一いくつかの眼を一身に意識した とき,みじめな自分が愛しかったが,…  こんなになってまで,女を求める自己嫌悪がにゅ うと頭をもたげてきた。」[月田1949:41]。  医者はピンセットで輸卵管をひっぱり出した。ハサミの音が二回した。

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 「すべては終わった。男の価値はない。人間のぬけがら。全身からしぼり出すように涙が出 た。求めていた子どもの顔が涙にぽっかりと浮き上がってきた。自分に良く似ていると松本は 思った。…  手術台の上に乗ってから,わずか十八分間の出来事であったが,永い忍従に思 えた。一センチほどの白いすじが二本,ガーゼの上に並べてあった。それは永遠に失われた父 の愛情だった。」[月田1949:42]。

III考察

1小説の分析  創作『失われたもの』の中心的テーマは,小説の最後で断種をした主人公松本のそれに至る 葛藤である。この小説では療養所の松本をめぐる様々な立場の人間を登場させ,断種にっいて の考えを交わさせることによって,断種をめぐる事象を重層的に描き出している。以下,登場 人物を,(1)同い年の友人平田,(2)婚約者の良子,(3)故郷の同級生,(4)以前思いを寄せた 岡田看護婦,(5)執刀をした医者と大田看護婦,と5つに分類し,それぞれと松本との間で断 種がどのように捉えられているのかを検討する。 (1)同い年の友人平田  断種をあすに控えて悶々とする松本は,同い年で同室の平田に気持ちを聞かれるが,本心は 明かさず,「性能がだめになるから切らない」と答える。病気の重い平田は,病気の軽い松本 が「肉欲だけで結婚する」ことを批判し,病気になったのだから自分は一生結婚しないという。 松本は,「精神だけの結婚」はありえないと反論し,らい者だからといって人間としての生活 を否定されることはなく,独身でいることは不自然だと言う。他方で,平田自身も神を信じて いながら,異性との未知な情欲の世界を想像し,自分の肉欲を打ち消すことはできないでいる ことが描かれている。  平田は病気が重くて生涯独身でいるしかなかった男性を,松本は断種をしても結婚を選んだ 男性を代表している。男と女の比が3対1というアンバランスな療養所の現実は,多くの生涯 独身男性を生みだした。『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』では,断種手術を 受容してきた男性達の多くが,それをやむをえないもの,もしくは当然のこととして「受容」 してきたのは,まわりに多数存在する「結婚すらできない多くの男たち」の‘惨めさ’と比べ ることで可能になったことが指摘されている[財団法人日弁連法務研究財団2005:243]。  しかし,ここでの松本と平田のやりとりは,検証会議の最終報告書が指摘するような,結 婚ができる松本の,結婚できない平田に対する優越感をストレートに示してはない。逆に,こ こで平田が,肉欲だけで結婚することを否定し「精神だけの結婚」を説き,らい者なのだから

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結婚しないと言っているのは,結婚できない自分の,できる松本への劣等感に起因すると捉え られる。月田は別の小説『二十九の童貞』で,療養所での独身男性の悲哀を中心的テーマに取 り上げている[月田2002]。「わたしも結婚できたらすべては解決するだろう。しかし,結婚 出来ない。人の知らない世界で,恋人を作り結婚もし,痴態を画くだけである。そして,わた しの童貞の人生が,いつ終るだろう… 。すべての呪いと,嫉妬のかたまりのまま…  。」 [月田2002(1950):256]。そして,作者の月田は,平田が神を信じていても自分の肉欲を打ち 消すことができないことを描写することによって,「精神だけの結婚」の無意味さを示し,病 気の軽重に拘らず,両者ともらい者であっても「人間」であるのだから,「精神だけの結婚」 ではない,性関係を伴った健康者と同じ結婚をすることが自然なのだと主張している。  桑畑は,沖縄愛楽園の『愛楽誌』に掲載された創作『紅い蟹』[國本1952:98−114]を検討 し,この作品に描かれている〈精神的結合〉の称揚について指摘している。「本作品に見られ る〈精神的結合〉の称揚とは,断種手術ゆえに〈肉体的結合〉が遠ざけられた白らの/パ・一一一ト ナーの身体の価値を穀損しないために(復権させるために),あえて〈肉体的結合〉の意味を 無化させる〈戦略〉であったとも考えられる」と述べている[桑畑2006:79]。  桑畑の指摘にみられるように,結婚は許されているが子どもを産むことが禁じられていた療 養所に生きる入園者の間には,結婚における精神性を強調する言説があったといえる。桑畑は それを〈肉体的結合〉の意味を無化させる〈戦略〉であったとも考えられるという。しかし, この小説の作者である月田は,「精神だけの結婚」を強調する平田を,「人間」として不自然だ として松本に否定させることを通して,療養所にあった「精神だけの結婚」を強調する言説を 否定している。「精神だけの結婚」を強調する言説は,結局は,結婚ができない男の劣等感の 裏返しでしかないことを示している。 (2)婚約者の良子  松本は,婚約者の良子とは,お互い病者として慰めあって生きていこうと思っている。良子 は,松本に断種手術を受けてもらうのを申し訳ないと思いながらも,二人の幸福のためには仕 方がないと捉えている。松本は,断種手術という屈辱を受け容れることが,良子に捧げる唯一 の真実のあかしなのだと良子にいう。  つまり,松本と良子という愛し合う二人の間では,「二人の幸福」のためには断種手術は受 容せざるを得ないこととして描かれている。また良子は,妊娠を恐れて松本が断種手術をしな いと体を許してくれない。松本は,良子を抱くためには断種手術を避けて通れない。  松本と良子のやりとりには,子どもをもつことにっいてのジェンダーによる考え方の違いも 読み取ることができる。女性は,男性に申し訳ないと思いながらも,自分が妊娠しないために は男性に断種手術を受け容れてもらうしかない。男性が断種手術を受け容れることを、自分へ

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の愛の証しだと捉えている。  男性が断種手術を頑なに拒んだ結果,女性が妊娠し,中絶をせざるを得なくなったという事 態は,男性の女性への思いやりの欠如と捉えることもできる。1998年の『姶良野』に掲載さ れた竹牟礼みよ志の『吾子よ!』という随筆[竹牟礼1998:8−14]は,昔,妻が中絶手術をし たときの記憶を紐解き,中絶をさせてしまった自分を責めている。「あれこれ理屈を並べたと ころで,結局は自分白身が手術台の上で,男のプライドを傷つけられながら,ワゼクトミーを 受ける屈辱から逃げたかったのが本音のようだった」と述べている[竹牟礼1998:12]。検証 会議の最終報告書でも,妻を思いやって断種をしたと回答した者も少なくなかったことが指摘 されている[内田2006:247コ。また男性は断種手術をするとインポテンツになると言われてい た。私たちの聞き取り調査ではこれに関しては聞けなかったが,男性が断種手術を拒む一因で あったのではないかと考える。さらに妊娠出産で女性が病状を悪くすると入園者には信じられ ていたことも,女性に妊娠をさせないために男性が断種手術を受容れた一因であるといえる。 (3)故郷の同級生  松本は,帰省した折に会った故郷の同級生が父親になり,子どもを愛撫している姿をみて, 「全身の毛穴から食入るような寂しさ,人間の一番深い悲しみ,らい者のみじめさに泣いて帰 園した。」[月田1949:34]。父親になった同級生をみれば,「子どもがほしい」という気持ちが 否定しがたく湧き上がるのである。「らい者」ゆえに父親になることのできないみじめさが, 故郷の同級生との対比で強調されている。 (4)以前思いを寄せた岡田看護婦  岡田看護婦は,松本にとっては,以前思いを寄せたこともあり,他の職員とは違う特別な存 在である。松本は岡田看護婦に対して,自分の本音,あるいは以前好きだった女を前に,断種 をせざるを得ない男の強がりともとれる感情を吐露する。  松本は,岡田看護婦に対して,職員の大部分が,らい者の結婚をいやらしくきたないものと 思っているが,掘り下げて考えれば健康者の結婚となんら変わらないという。ただ,子どもを 生むことを許されず,肉体がみにくくなる病気ということだけが違うのであると。変わらない のに,らい者自らが宗教とか道徳とか言って,「精神の夫婦生活」を持ち出したり,認識のな い社会人がらい者を区別しているのだと岡田看護婦に自分の考えをぶつける。  らい者自らあるいは社会がらい者が区別するから,らい者の結婚はいやらしくきたないもの になるのであって,健康者の結婚となんら変わらないというのが月田の意見だと考える。らい 者の結婚を「精神の夫婦生活」を持ち出して異なったものと捉えることは,らい者の人間性を 否定することであると松本を通して月田は主張している。

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(5)執刀をした医者と大田看護婦  断種手術に立ち会った大田看護婦は岡田看護婦とは対照的にJ手術時に看護婦が与える侮辱 的な扱いを具現化している人物として登場している。松本は,大田看護婦に「ばか」とどなり, うっぷんをぶちまける。大田看護婦は指摘された事実を否定できないで黙っていたが,そこに 登場して松本とやりとりをするのが医者の野田である。  松本は医者とのやりとりの中で,勇気を出して「子どもをみたいのですじを切りたくない」 という心の底から搾り出したような気持ちを吐露する。これに対して医者が松本に言う言葉は, 断種手術を施した療養所の言い分として読める。つまり,らい者は子どもを生んでも育てられ ないだろう。たとえ外で働いたとしてもここ3,4年だけで,らい者と知れた以上,その子ど もは社会が受け容れてくれない。そして,らい者が子どもを生むことは,宗教的にも道徳的に も大きな罪悪であり,また断種手術をしなければ妻が妊娠して苦しむことになり,共同生活も できなくなる。手術を受けることは,らい者として当然のことであり,園則であり,法律でも あるのだから,前例を引くからきみだけを許すことは出来ないと。  松本は,「産んでも子どもを育てられない」のは,社会に根付いた偏見や差別ゆえであると 医者にいう。しかし,実際には「らい者ゆえに子どもがもてない」と入園者自身も職員も思い 込んでいる。らい者であることは烙印であり,その人間性が否定され,社会の偏見や差別ゆえ に「産んでも子どもを育てられない」のではなく,「らい者ゆえに子どもがもてない」と職員 にも入園者にも捉えられている。以下の文章にはそれがよく表れている。「お前はらいだ。(そ こには)人間ではあるが人間並の扱いは受けられないのだ,という意味が含まれていた。らい 者にお前はらいだと言うことが,一番みじめさをあたえることを,職員はみんな知っていた。」 [月田1949:39]。  それゆえ,らい者が子どもをもつことは背徳だと捉えられ,罪悪視される。松本の「子ども を見たいのです…  」という言葉は,療養所内の職員にも入園者にも暗黙に共有されてしま っている「らい者ゆえに子どもがもてない」という人間性の否定に対する必死の抵抗だといえ る。これは療養所では,入園者が決して発することのできない言葉であり,小説の中だから可 能だったのである。  島比呂志は月田のこの小説を評して,「療養所のどの作家が,彼のごとく,子どもを持ちた いとハッキリいい得たであろうか。文学は小手先の技巧ではない。腹である。この点で,こ の作品こそ,北條をしのぐ唯一の作品といえよう。」と述べ,この小説を賞賛している[島 1949:26]。  「いくら人間だと主張し,子どもを生む義務があると,血を吐いて叫んだところで,らい者 は,宗教と道徳法律に縛られて,身動き出来ず,子どもを生んだとしても,社会が受入れて くれない。らいが治るまで続くのだと思うと,眼の前の現象が暗くなるような気がした。不可

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抗力の前に,自己の無力を知り過ぎるほど知った。」[月田1949:40]。松本の「子どもを見た いのです…  」という抵抗は,「不可抗力」の前では無力だったのであり,松本が断種手術 を施されたシーンで小説は終わっている。  以上のように,この小説は,療養所で当時を生きていた主人公松本の視点から,彼を取り巻 く人間関係の中で断種がどのように捉えられていたのかを重層的に描き出すことによって,松 本が人間性の否定である断種を受容れざるを得なくなるまでの葛藤を見事に描き出している。 2過去と現在の橋渡し (1)らい予防法国賠訴訟の争点  ここで,「はじめに」で取り上げた2001年の裁判の原告側の主張にもう一度戻ってみるこ とにする。「原告らは,実施された個々の優生手術を問題にしているわけではない。優生政策 と非人道的な処遇によって,ここに生きたすべての人間のあるべき性が根本から踏みにじられ, それ故に人生で最も重要な価値を有する性と愛が言いようのないほどに侵害されたのである。」  これに対して,被告である国側は,療養所を出て子どもを産むことはできたと以下のように 主張している。  「一般に国立療養所において入園者同士が結婚し子どもを持てないのは当然のことであり, その反面,退所すれば子どもを持つことに何らの制限もないし,もとより,在宅患者は断種手 術などだれからも要請されることもない。してみると,療養所では子どもは持てないとか,ハ ンセン病患者は子どもは持てないと考えていたという問題は,入園者に退所の自由があったの かどうかの問題であって,これを優生政策と結びつけるのは,明らかな論理の飛躍である。ま して,原告らの中には退所するしないにもかかわらず,子どもをもうけた原告が多数存在する ところ,原告らはこれらの者についても自らが断種堕胎を受けたと等しい共通被害があると主 張しているのであり,右のような原告らの主張は理解不能というほかない。」[八尋2001:96]。  原告側の「人間の性と愛に対する侵害」という主張と上記の国側の主張に対して,裁判所の 判決は以下のようである。  「しかしながら,被告は,少なくとも,原告らの大半が入所した昭和30年代以前においては, 退所させることをほとんど念頭に置かないで,患者を隔離してきたのであり,患者らは,いっ たん入所すると,家族や社会と切り離され,療養所外の生活基盤を失い,退所することがきわ めて困難な状況に置かれ,その結果,多くの入所者が,療養所を生涯のすみかとして暮らさざ るを得ず,現実に,入所者の大半が,退所することなく,生涯を療養所で過ごしているのであ る。したがって,国立らい療養所とそれ以外の一般の国立療養所とでは,入所者の置かれた状 況が全く異なっているのであり,これを同列に見る被告の主張は失当である。昭和30年代ま で,優生手術を受けることを夫婦舎への入居の条件としていた療養所があったが,これなどは,

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事実上優生手術を強制する非人道的取扱いというほかない。被告の主張は,入所者らの置かれ た状況や優生政策による苦痛を全く理解しないものといわざるを得ず,極めて遺憾である。  優生政策による被害を退所者をも含めた意味で,個別独立の共通損害として評価すること はできないが,隔離による被害を評価する上での背景的事情として見ることとする。」[八尋 2001:310−111]。  以上のように判決は,優生政策による被害を,原告の共通損害として評価することはできな いが,ハンセン病療養所とそれ以外の一般の国立療養所を同列に見ることはできないとして, ハンセン病療養所の優生政策による入園者への被害を認めている。国側の「退所すれば子ども を持っことに何らの制限もない」という主張は,ハンセン病療養所においては適切ではないと している。 (2)月田の見解  半世紀前に月田が小説によって断種は人間性の否定であったと言っているのと,上記の 2001年の原告側の「人間の性と愛に対する侵害」という主張とは重なる。しかし,月田の小 説は,原告側の主張にはない点,優生政策や非人道的な処遇の根底に横たわる「らい者ゆえに 子どもがもてない」とするハンセン病患者の人間性そのものを否定する言説,療養所だけでは なく社会にも浸み込んでいる言説に批判の矢を向けている。「らい者にゆえに子どもがもてな い」という言説があるゆえに,らい者が子どもを産むことは,宗教的にも道徳的にも大きな罪 悪と捉えられ,入園者は「子どもがほしい」とは決して言えなかったのである。療養所におい て子どもを産み育てることができなかった事実の底流にはこの言説があったことを,月田の小 説は描き出している。これは,小説という文学作品であるから表現することができたといえる。 国賠訴訟は,あくまでも原告が被告である国の責任を訴えることが目的なので,社会の偏見に ついては踏み込んでいない。  ところで,現在80歳を超える小説の作者である月田には,2005年と2006年に三回に渡っ て聞き取り調査を行うことができた。月田は,小説だけではなく,1947年頃から現在に至る までずっと詩を書き続けてきた。小説は途中で書かなくなっている。A田は,「やっぱり詩を 書くということは表面だけじゃなくてね,事の芯までね,本当の多くを見つめる」という。こ の小説は,25歳の独身の時に書いた。戦時中に,断種をしたくないということで首を吊って 亡くなった方がいて,月田はそれに刺激を受けて1949年にこの小説を書いた。当時まだ独身 であった月田は,小説を書くために,断種を経験した人に何人か話を聞いたそうである。  僕もまだ独り身だったしそんなに詳しいこと知らないわけですからね,色んな人達,ワ ゼクトミーした人を尋ねていってそして聞いてね。それである人なんか,一番最初はです

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ねワゼクトミーを,輸精管をこう切ってね,先を結んでいたようですね。そしたら自然と ほどけてまたつながったということがあるらしいですね。それで,いやこれではいかんと いうことで,何cmかを完全に切り取ると。繋がらないために。そういう方法をやったので, 僕が尋ねた人は,自分のそれを見たと。ガーゼの上に,こうして何c皿か。結婚もしていな いし,だからずっとそういう人達を聞いてね。それであれを書いた。  そして,この小説を書いた2年後に結婚をした月田は,友人と二人で「ワゼクトミー反対の 会」を作ろうと話し合った。その頃は,夫婦舎が何棟もどんどん出来始めている頃で,断種が 夫婦舎への入居条件になっていた。「ワゼクトミー反対の会」を月田と一緒に作ろうと話し合 った友人は,夫婦舎に入りたいと奥さんにせがまれて断種をしてしまったので,会は月田一人 になってしまった。しかし,その頃,自治会でも断種をしなければ夫婦舎に入れないのは大き な矛盾じゃないかと問題になりだして,1952年から園と交渉を始め,1958年3月に予防法闘 争が始まる前に,園は断種を夫婦舎の入居条件にすることを撤廃した。月田の小説は,こうし た歴史的経緯において,断種が撤廃される火付け役の役割を果たしたと療養所内で評価する人 もいる。月田は,1953年のらい予防法闘争にも積極的に関わった。  この小説において月田は主人公松本に自己を投影しているといえるが,実際の月田は,松本 のように最終的に断種をしていない。  子どもを産むということは,僕は子どもを育てるっていうことと同じ事だと思うんです よ。同じ事だから,育てることができなかったら,僕は子どもを産まないと。だから,妻 とも話して,妊娠したら堕うしてもらうよと。その代わり僕も,潔よくワゼクトミーを, 断種すると話しあってたんですよ。一回妊娠してたら次も妊娠する可能性がある訳ですか ら。しかし僕は病状からしてね,僕はもう妊娠しないと確信があったから。ずっと妊娠し なくてすんだわけですけどね。そういうことを,自分自身の信念としてあるもんだから。  「らい者ゆえに子どもがもてない。」という言説を人間性の否定と捉え,小説において断種を 批判していた月田は,「子どもを産むということは,僕は子どもを育てるっていうことと同じ 事だと思うんですよ。同じ事だから,育てることができなかったら,僕は子どもを産まない。」 と主体的な判断によって療養所において子どもを産まないことを選んでいた。ここで問題にし なければならないのは,裁判における被告である国側の主張のように「退所すれば子どもを持 っことに何らの制限もない」ということではなく,月田のいうように「子どもを産んでも育て られない」ことであると考える。  月田自身は,病気が良くなるとこれまでに二回社会で働くために療養所を出たが,病気が悪

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くなってまた療養所に戻ってきた。また実家はハンセン病という病気には理解があったが,親 も弟妹も親族も引き取って育ててくれない。まして,預かって育ててくれる施設はない。こう いう状況では,「子どもを産んでも育てられない」という判断をせざるを得なかったのである。  「育てることができないから子どもをもたない」という入園者の判断と,「らい者ゆえに子 どもがもてない」という言説は,入園者に子どもをもたせないという同じ結果を生む。しかし 「育てることができないから子どもをもたない」という月田の判断は,「らい者ゆえに子どもが もてない」という言説に屈したのではない。A田も妻が妊娠するようなことがあったら,「潔 よく断種する」と語っている。  ハンセン病療養所における「子ども」を論じる上での難しさはこの点にあると考える。つま り,入園者自身が子どもを育てることができない状況を判断して子どもを産まなかったことを, どう位置づけるかである。 (3)園側の主張  「育てることができないから子どもをもたない」という月田の判断と同様の判断は,療養所 の元所長だった医師への筆者らによる2006年の聞き取り調査においても聞いた。この元所長 であった医者自身,過去に男性の断種手術や女性の中絶手術を何回も行った経験があった。  生まれてきた子どもの世話を誰が面倒見るんだということについては,はい,じゃあう ちの病院が面倒みますとか,うちの養護施設がね,その子どもさん達の面倒をみますと, 言ってくれるところはどこにだってないわけですよ。それから家庭の方でも,いっぺん療 養所を,うちを出て療養所に入っちゃった人の子どもをこう,受け取ってもらえない。そ れから実際今度は両方が病気で,その間に生まれた子どもっていうことになると,やあみ んなもう,あれは筋を引くんだからと。いうふうなことを,世間は言っているわけなんだ から,そう簡単に,あの,うちの可愛い娘の産んだ子だから,うちがもらいましょうとか。 いやそれは。うちの亭主のね,男の子だから,うちで引き取ろうという風なのは,現実に ないわけですよ。〔中略〕人権どうのこうのといわれるけど,でもじゃあ後のね,面倒を 誰がみるんだと。  筆者は他の療養所で30年以上医療に携わっていた医者にも聞き取りを行ったが,「産んで も育てる人がいない」という判断から優生手術を施したという上記の医者と同じ見解であった。 奄美和光園で子どもを産むことができたのは,カトリック教会の運営する託児所が子どもを引 き取って育てたからということであった。また,園内の保育所は,あくまで親が園に入る前に 一緒に生活していた子どもを預かるところだというのが厚生省の考え方で,園内で産まれた子

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供を園内の保育所で預かることには厚生省は反対だったという。  つまり,「産んでも育てる人がいない」という判断から優生手術を施したというのは,医療 者側の共通の認識であるといえる。しかし,こうした実際に療養所で長年医療に携わってきた 人々の証言は,マスコミに取り上げられることはない。現在,ほとんどの方が沈黙を守ってい る。 (4)「らい者ゆえに子どもがもてない」対「産んでも育てられない」  園側の「産んでも育てられない」という判断から優生手術をしたという判断は,入園者自身 が子どもを産んでも育てることができない状況を判断して子どもを産まなかったという判断と 重なる。筆者が聞き取りを行った医者は,子どもを産むことができた奄美和光園に戦後数年間 赴任していた時でさえも,「産んでも育てられない」から入園者に断種をしてくれて頼まれた と語った。  2001年の国賠訴訟では「産んでも育てられない」という点は争点にはなっていない。原告 側は,「断種・堕胎を行うに当たり,患者から同意を得ていたとしても,絶対隔離絶滅政策の 中で患者は同意せざるを得ない立場に置かれていたのであるから,実質的にはすべて強制され ていたものと理解すべきであって,違法性がないとはいえない。」と述べている[八尋2001: 28]。しかし,筆者は,「産んでも育てられない」という入園者の判断を,人権侵害を告発す る法的な解釈として「実質的にはすべて強制されていたものと理解すべき」という原告側の捉 え方に還元してしまっては,療養所で生き抜いてきた入園者自身の判断の重みが軽んじられて しまうと考える。国賠訴訟後に主流となっている「人権侵害」という言説も,療養所で子ども が産み育てられなかった事実を取り上げ,入園者の愛と性を侵害したと強調する。しかし,こ れらの捉え方では抜け落ちてしまう複雑な現実の一端を,月田の小説と半生が突きつけている。 小説で人間性の否定として断種を描き出した月田自身,「産んでも育てられない」から子ども を産まないと自ら判断している。物事の本質を詩作によって半世紀以上も見つめ続けてきた月 田は,小説で批判をした「らい者ゆえに子どもがもてない」という言説に屈する生き方を決し て選んではいなかったのに,子どもは産まないと判断していた。「産んでも育てられない」の は,小説の中で主人公松本が医者に言ったように「それは,社会が悪いのです。親にも子にも 罪はないのです。社会がらいに対する認識がないからです。」しかし,入園者はそういう状況 の中を生き抜かなくてはならなかったのであり,そういう中では「産んでも育てられない」と 判断せざるを得なかったという事実を月田の半生は示している。  青山は,子どもを産んだ経験のある女性入園者3名への聞き取り調査を通して,断種・堕胎 を入園者自身が望んだ背景にある自己決定ということばの危うさを指摘している[青山2004]。 「知的障害および精神障害者のように自己決定の過程でその能力が焦点となる場合と異なり,

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ハンセン病患者では終生隔離を念頭におかれた施設収容の持つ絶対的な権力,それは必ずしも 物理的な強制という形式ではなく,園内における入園者自身が身体化している規律に基づいて いることが子どもを産むことへのタブーからうかがえる。」と述べている[青山2004]。つま り,青山は,断種・堕胎を入園者自身が望んだのは,療養所の規律に基づいた自己決定である ことが,入園者の子どもを産むことへのタブーにみてとれると捉えている。青山のいう「子ど もを産むことに対するつよいタブー意識」は,「らい者ゆえに子どもがもてない」という言説 と重なる。しかしながら,月田の「産んでも育てられない」という判断は,療養所の規律に基 づいた自己決定とは捉えられないし,「らい者ゆえに子どもがもてない」という言説に絡め取 られたものでもなかった。  もちろん月田は療養所で生き抜いてきた入園者を代表しているわけではない。らい予防法闘 争や自治会活動に関わり,小説や詩を発表してきた。入園者の中ではいわば特異な存在である といえる。筆者の星塚敬愛園での入園者への聞き取り調査からも明らかなように[山本2005], ほとんどの夫婦は,妻が妊娠することを思いやったり,夫婦舎に入りたいために,あるいは育 てる人がいないからと,または規則として断種や中絶を受容れていた。こうした多くの入園者 による子どもを産まないという判断が,どの程度規律に基づきタブーを意識していたのかを半 世紀後の聞き取り調査によって検討することは難しい。そうした中で,月田の小説と半生は, 療養所の規律やタブーには絡め取られず,入園者自身が「産んでも育てられない」と判断した 可能性を示している点で貴重である。そこに療養所で生き抜いてきた月田の生きざまが示され ている。そして,当時,多くの入園者による「産んでも育てられない」という判断の中には, 月田と同じような規律やタブーを意識しただけではない,個人の主体的な判断があったのでは ないかと考える。 おわりに  本稿は,『姶良野』に掲載されてきた入園者によって書かれた文芸作品の中から,1949年に 発表された月田まさ志の創作『失われたもの』を選び検討することを通して,国立ハンセン病 療養所の「子ども」をめぐる事象を再考した。  半世紀以上前に書かれた小説を検討し,また現在における小説の作者への聞き取り調査を検 討資料に加え,20p1年の国賠訴訟での原告側と国側の主張と判決文を参照した。本稿は,半 世紀以上前の過去の療養所の「子ども」をめぐる事象と,その過去の事象を解釈しようとする 現在という時の隔たりを縦横することによって,裁判後に主流となっている「人権侵害」とい う言説が掬い落としている現実の複雑性を拾い上げ,ハンセン病療養所の「子ども」をめぐる 事象を新たな視点から再考できたと考える。

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 また本稿は断種をテーマにした小説を取り上げたので,男性の視点から「子ども」をめぐる 事象に切り込むことになった。前稿における女性入園者の語りの分析[山本2005]と合わせ るとより有効である。 参 考 文 献 青山陽子   2004 「子どもを持っことの意味  ハンセン病元患者の語りから」『第77回日本社会学      会大会発表レジュメ』(於:熊本大学,2004年11月20日). 内田博文   2006 『ハンセン病検証会議の記録  検証文化の定着を求めて』東京:明石書店. 桑畑洋一郎   2006 「ハンセン病者の文学に関する一考察  〈生活をつくる実践〉としての沖縄愛楽      園のハンセン病者文学」『比較社会文化研究』19:75−88. 財団法人日弁連法務研究財団   2005 『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』. 竹牟礼みよ志   1998 「吾子よ!」『姶良野』267:8−14. 島比呂志   1949 「らい小説の進路」『姶良野』2(4):26−27. 月田まさし   1949 「創作  失われたもの」『姶良野』2(3):31−42.   2002(1950)「二f九の童貞  童貞と処女はさびた実である」『ハンセン病に咲いた花       戦後編』盾木氾(編),240−256ページ,東京:皓星社(初版:『U」桜』11月号). 藤野豊   1993『日本ファシズムと医療一ハンセン病をめぐる実証的研究』東京:岩波書店. 星塚敬愛園入園者自治会(編)   1985 『名もなき星たちよ  今は亡き病友らに捧げる星塚敬愛園入園者50年史』鹿児      島:新生社. 八尋光秀   2001『ハンセン病国倍訴訟判決』大阪:解放出版社. 山本須美子  2005 「ハンセン病療養所における結婚と子ども  H園における女性入園者の語りから」     『白山人類学』8:3−18.  2006 「文学作品にみる国立ハンセン病療養所の恋愛と結婚」『白山人類学』9:162−189.

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