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中世王国年代記写本のなかの世界図〈mappamundi〉 利用統計を見る

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中世王国年代記写本のなかの世界図〈mappamundi〉

著者

鈴木 道也

著者別名

SUZUKI MICHIYA

雑誌名

東洋大学文学部紀要. 史学科篇

39

ページ

258(1)-229(30)

発行年

2013

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00006635/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

中世王国年代記写本のなかの世界図く"化I〃α〃""戒>

鈴 木 道 也

は じ め に パリのセーヌ左岸、パンテオン近くのサントージュヌヴイエーヴ図書館 に所蔵された整理番号782の一写本(以下MS782)は、13世紀末から14世 にかけて制作され、中世フランスの代表的な史書である俗語散文体王国年

代記『王の物語<Ro"α〃庇smys>(あるいは『フランス大年代記<G7q"fたS

cソ"℃"/9"esdセルα"ce>j)』を載せている!。『王の物語』は、トロイア起源 神話に始まるフランク王国の歴史を、メロヴイング、カロリングそしてカ ペーという「連続する」三つの王朝の歴史として描き出したもので、ルイ 9世治世(1226-70年)にサンードニ修道院で編蟇が始まり、カペー朝フイ リツプ2世治世まで(-1214年)を纒めていったんその作業を終え、1274年、 編者プリマの手で時の国王フイリップ3世に献呈された。 しかしサンードニ修道院では、献呈後もこの年代記に同時代史を書き足 していった。その結果、現存する『王の物語』の写本群は、制作時期によっ て記述年代の下限が異なっている。例えば14世紀前半に制作された何点か の写本には、末尾にカペー朝末期からヴァロワ朝成立時(1328年)にかけ ての状況がかなり詳細に記録されており、15世紀初めの写本になると、シャ ルル5世治世(1364-80年)を鮮やかな挿絵とともに記している2. このような写本群のなかでも最初期に位置づけられるMS782は、『王 の物語』成立時の構成を忠実に伝える貴重な作品であり、フイリップ2 世治世に関する記述を以て終わっている(f327r.)。しかしMS782には 続きがあり、それまでとは異なる筆跡を持つ別の写字生の手によって、 サ ン ー ド ニ 修 道 院 で 後 に 書 か れ た 国 王 ル イ 9 世 の 伝 記 、 『 ル イ 9 世 伝 く肋αL"伽v/c"s>jが転記されている(f327v.-f374r.)。そしてこの伝記の 末尾に、下部に少し余白を残すものの、頁のほぼ全体を用いて、一枚の 二五八︵1︶

(3)

mappamundi,すなわち中世の

世界図が描かれている(f374v.: 図l)。 この時代の年代記や百科全書 的 作 品 に こ う し た 世 界 図 が 描 か れ る こ と は ま れ で は な い 。 し か しながら、キリスト教的世界観 にもとづいて世界全体の歴史を 描き出そうとするいわゆる普遍 年代記ではなく、ひとつの、あ るいは複数の「連続する」王朝 の歩みを叙述の中心とする王国 年代記、またはひとつの都市の 縁起を軸にその周辺域の歴史を 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ昌宕§旨ミミV 図1:Paris,Bib.S、G.,MS782,f.374v 記す都市年代記の場合には、そこに世界図が書き込まれることはほとんど ない。現存する200点近い『王の物語』写本のなかでも、世界図が確認で

きるのは今回取り上げるMS782だけである3・ではこの世界図は、前置さ

れた『王の物語』や『ルイ9世伝』との間にいかなる関係を有するのであ

ろうか。以下述べるように、地図の目的や性格そしてその由来を語る記述

は写本中には一切残っておらず、テキストとの関係を探ろうとすれば、わ

れわれは地図に含まれる様々な情報から推測するしかない。本稿では、こ

の世界図に表象されている歴史観や世界観を明らかにするために、ひとつ

の試論的考察を行ってみたい。 以下、中世ヨーロッパにおける世界図制作の全体的傾向を整理した上で

(I)、代表的な世界図の基本構造を確認し(II)、それをMS782の世界図と

比較することで、この世界図の基本的特徴を明らかにしたい(│││)4.

二五七︵2︶ 中世ヨーロッパのmappamundi

世界図<mappamundi>をはじめとして、

’ 中世ヨーロッパ世界で制作され

(4)

た様々な地図に関する最初の包括的な研究は、1987年に刊行された論集 7〃H伽o〃可Cq"ogrqpノリノ,Volumelであり、世界図の研究を主導してきた

のは、この本の編者でもあるハーレイ(J.B.Harley)やウッドワード(David

Woodward)であった5・ここではウッドワードの論文に基づいて中世の地 図制作史を概観するとともに6、中世地図研究の最近の傾向を確認してお きたい。 中世ヨーロッパの地図は、星図、羅針儀海図(海図)、地域図、そして

一般的にはマッパムンデイ(mappamundi)と称される世界図の、おおよ

そ四つに分類される7.これらはそれぞれの目的に沿って別個に成立・発 展し、相互関係は乏しく、また階層性も持たないと考えられている8・こ のうち羅針儀海図は航海に際して用いられ、正確な海岸線が描かれ、目的 地の方向とそこまでの距離が記される9.現存する羅針儀海図のうち最も 古いものは1270年頃の製作であり、多くは14世紀以降に制作されている。 地域図の出現も時期的にはほぼ同様で、イタリアやイングランドにl3世紀 のものがみられるが、フランスや低地地方そしてドイツなどで確認されて いるものは、いずれも14世紀に入ってから作られたものである。そこに は、実際の航海を通じて古くから蓄積されてきた地理情報が惜しみなく注 ぎ込まれており、局所的ながらその記述は極めて精度の高いものとなって いるlOo 四種の地図はさらに細分化されるが、世界図のなかで最も一般的なの

は、三区分図<Tripartite>であろう。なかでも、6世紀の思想家セビリアの

イシドールスが著した『語源<E"mo/og〃"〃〃6">』あるいは『事物の本

質について<De〃α加畑だ'"〃>』の写本挿絵として描かれた、極めて単純な 構造を持つTO図はよく知られている(図2-l)。最も単純なTO図の場合、 東を上とする円盤状の大陸がアルファベットの「T」字によって3つに分 けられ、上部に<Asia>、下部右側(南側)に<A廿ica>、下部左側(北側)

に<Europe>の文字が記されているのみである。各大陸に住む人々の祖と

されるノアの3人の息子の名<Sem><Cham><Japeth>がその下に記される場

合もある。そこから少し発展して、いくつかの都市や城塞を書き加えたも 二五六︵3︶

(5)

、 患 ザ 心 § 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ暑さ・ミミミV 窟 静 2:帯状図 一 庭 識 I:TO図(三区分図) 庭 議蕊翌 § 詞 舞 蒋 瞬 3 : 四 区 分 図 4 : 移 行 期 図 図2:中世ヨーロッパにおける世界図の四類型 のとして知られているのが、ガイウスーサッルステイウス『ユグルタ戦記

<De6e//o、ノ"g"γ伽"o>』写本に付されたTO図で、9世紀から14世紀にかけて

制作されたものが60点ほど確認されている。このいわゆる「サッルステイ ウスのTO図」には、「西」や「南」を上にしたり、アフリカが全体の半分 を占めていたりと、様々な構図のものがみられる。

世界の三区分は、Tが礫刑の十字架に準えられるように、旧約のイメー

ジであると同時に新約的世界のイメージでもあった!'。加えてその三区分

は、ローマ=カトリック教会が奉じた三位一体の教義にも重ねられる。 TO図のT部分の横棒は、通常はナイル川と黒海によって構成されているの

であるが、アジア地域とヨーロッパ地域を分かつものとして、より具体的

に黒海北部のアゾフ海、あるいはそこに流れ込むドン川を重視すると、そ

れが横棒の左側(北側)を上に反らせる形となり、結果としてTOではな

<YO図と呼びうるような構図を持つものも確認される。

二五五︵4︶

(6)

中 世 の 世 界 図 に お い て 三 区 分 図 と な ら ぶ も う ひ と つ の 系 統 が 、 帯 状 (Zonal)図である(図2-2)。この地図は、北を上とする大陸が、北から南 まで5つから7つの帯状の気候帯によって区分されているものである。その 原型は2つあり、ひとつはキケロ『国家論』第六書のなかの「スキピオの夢」 に関して5世紀初めにマクロビウスが著した注釈害のなかに現れるもの、 もう一つは5世紀の思想家マルティアヌスーカペッラの百科全書的作品『文 献学とメルクリウスの結婚』を取り込んだサンートメールのランベールの

『花の書<Ljbe'ん"伽s>』の、何点かの写本に描かれたものである。

三区分図と帯状図を組み合わせ、「T」字状の海によって区分される三 大陸の南側に、人跡未踏の士地を置いたものが四区分図である(図2-3)◎ 中世ヨーロッパの地図では四という数字も重要な意味を持つことがあり、 その発想は一般的には「火」、「水」、「空気」、「士」を根本要素とするアリ ストテレスの自然観に由来するとされる。またプトレマイオスの『四つの

=<Q"α〃抑"加加>』の影響を受けて、大陸の外周を円ではなく四角にし、

四方位を明示するものもある。三区分図のTO図においても、四方向から の風、楽園に流れる四本の川、アジアを流れる四本の大河(ガンジス川、 インダス川、ティグリス川、ユーフラテス川)などに影響が現れていると される。例えば13世紀半ばに書かれたメッスのゴーテイテの百科全書的俗

語詩『世界の像<L'伽age娩加o"庇>』にもTO図が描かれており、100点以

上の写本が残っているが、これはイシドールスのTO図を基本としつつも、 周囲に四風神が描かれている。 四区分図は、こうした四という数字へのこだわりを象徴的に示したもの であろう。その最初期のものは、サングトーガレン修道院の「世界図」で あるが、広く普及したのは、イベリア半島北部リエバナ修道院長のベアトゥ スが8世紀の末に著した『聖ヨハネの黙示録注釈』に記されたものであり、 10世紀から13世紀にかけて制作された、この作品のl5点ほどの写本群のな かに四区分図が確認される。 三区分図であれ四区分図であれ、イシドールスの世界観に影響を受けた これらの世界図は、みな抽象的で模式図的であった。これに対して、5世 二五四︵5︶

(7)

紀初めの神学者パウルスーオロシウスが、異教徒からのキリスト教批判に 反 論 す る こ と を 目 的 と し て 、 ア ダ ム か ら 彼 の 同 時 代 ま で の キ リ ス ト 教 史 を

まとめた『異教徒に反論する歴史く"伽o伽α伽e応"〃〃gα"Cs>』の写本に

添えられた世界図は、イェルサレムや楽園など、聖書的世界の記述にとっ て 重 要 な 場 所 に つ い て の 豊 富 な 地 理 情 報 を 含 ん で お り 、 そ の 影 響 は 、 マ

シューーパリス『大年代記<C7"℃"icα〃Q/orα>』の世界図や通称「ロンドン

詩篇の世界図くハα"erwo"/〃加叩>」など、とくに13世紀にイングランドで 精 力 的 に 制 作 さ れ た 世 界 図 に 強 く 現 れ て い る 。 イ ン グ ラ ン ド に お け る 地 図 制作ブームのひとつの到達点を示す、l290年から1300年頃の作と推定され る「ヘレフオード図」もオロシウスの明白な影響下にあるが、この点は後 述するl20 14世紀以降になると、ベネデイクト会修道士のラヌルフーヒグデンが著

した『万国史<Po"c/"o"畑">』第一書に描かれた、楕円形型の大陸に多く

の地名を記した世界図(図2-4)が、その写本の広がりとともに数多く制 作されたことが知られている。他にもl320年頃の「フラーパオリーノの地 図」、1335/36年の「オピキヌスーデーカニストリスの地図」、1375年の「カ タラン図」、l430年頃の「ボルジア家の地図」など、詳細に描き込まれた 世界図を挙げることができる。しかしこの時期に数を増してくるのは、地 中 海 沿 岸 部 の イ タ リ ア 諸 都 市 や カ タ ル ー ニ ャ 地 方 で 制 作 さ れ た 海 図 で あ る。ピエトローベスコンテなどの地図制作者たちが、個人あるいは集団と しての名前を持って把握されてくるようになるのもこの海図の段階からで ある。さらに15世紀のいわゆる大航海時代に入り、西ヨーロッパ世界に正 確な地理情報が数多くもたらされるようになると、地図製作に科学的知見 が導入され、その象徴性・芸術性は背後に退いていく。中世の地図に描か れた楽園そして怪物たちは消えていくことになる。 このように、中世の世界図は多様な形態を有しており、その構図と内容 に込められた制作意図は世界図ごとに異なっている。巡礼時の道案内を目 指した比較的実用性の高いものもあれば、キリスト教的世界観を観念的抽

象的に示したものもある。しかし全体の傾向として中世の世界図は、後の

中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ§ミミミsV 二五三︵6︶

(8)

時代とは異なり地理的精度の高さよりも象徴性を優先している。したがっ てこれまでこうした世界図に対しては、プトレマイオスに代表される古代 世 界 の 豊 富 で 正 確 な 地 理 情 報 を 放 棄 し 、 聖 書 的 な 世 界 観 に 囚 わ れ て し ま っ た中世人たちの、地理認識の不正確さを典型的に示しているといった評価 が与えられてきた。しかし近年の研究は、地理知識の欠如や誤りを以てそ の価値を減じるのではなく、当時の世界観を読み解く貴重な史料としてそ れを積極的に評価、分析する方向にある。例えばジヤン・クロードーシュ ミッットは、12世紀ルネサンス期において世界理解のために構想された世 界図の、そのきわめて複雑なイメージを取り上げている13.この時代の思 想家サン・ヴイクトルのユーゴーが述べているように、「象徴とは、実際 には目にみえないものを指し示す可視物の集合体」であり、そうした意味 に お い て ま さ に 中 世 の 地 図 は 、 宗 教 的 な 絵 画 や 彫 刻 と と も に 中 世 的 世 界 観の象徴である'4.地図のなかには、天地創造からキリストの受難を経て 最後の審判に至るキリスト教世界の全歴史が目にみえる形で明示されてお り、それは「目で見る史書」ともいえる。 世界図のなかでも最も研究が進んでいる「ヘレフオード図」を例に近年 の研究動向を整理すれば、そこには次のような問題関心が見られる。すな わち、①19世紀に生じる世界図再評価の背景、②美術史的観点からする製 作年代の推定、③描き込まれた動物と当時の自然観、④アレキサンダー伝 説の影響、⑤海と陸の割合など、その構図、⑥聖地、楽園、あるいはゴグ・ マゴグの世界の描き方、⑦世界図と写本装飾との関係、など。 こ う し た 関 心 の 高 ま り に よ っ て 、 中 世 に は こ れ ま で 考 え ら れ て い た よ りも多くの地図が作成されていたことが指摘されている。何を以て地図 とみなすかという定義の問題はあるものの、1960年代の文献では283点紹 介されていたのが15,約30年後の1994年の文献では400点が確認されてい る'6.数においては模式図的なTO図が最も多く、全体の八割以上を占め ている。もっとも、そうした地図はヨーロッパ全域に遍在しているわけで はなく、イングランドなど限られた地域で集中的に現れている。空間表象 の手段として地図を選択することは、必ずしも一般的ではなかったように 二五二︵7︶

(9)

思 わ れ る 。 そ の た め 、 現 存 す る 中 世 世 界 図 の 類 型 的 把 握 は 可 能 で あ る が 、 その影響関係は不明確で、中枇初期から後期にかけて、世界図の「発展」 過 程 を 明 ら か に す る こ と は 容 易 で は な い 。 例 え ば 、 最 初 期 の も の と さ れ る ザンクトーガレンの「世界図」の制作過程、13世紀イングランドにおける 突 然 と も い え る 世 界 図 の 流 行 、 そ し て フ ラ ン シ ス コ 会 修 道 士 の 地 図 制 作 者 としての西ヨーロッパ全域における活躍の背景など、明らかにされるべき 課題も多い。 以 下 で は 、 中 世 に お け る 世 界 図 の な か で も 良 く 知 ら れ る 「 エ プ ス ド ル フ 図」と「ヘレフオード図」を例に、そこに現れる世界観の基本的構造を確 認してみたい。 中枇王国年代記写本のなかの世界図八ご息号ロミミミV IITO図に現れる歴史観・世界観一「工プスドルフ図」と「ヘレフォー ド図」− 1 エ プ ス ド ル フ 図 エプスドルフ図は、キリスト教的歴史観を象徴する6世紀以来の世界図 制作のひとつの到達点といえる(図3)。エプスドルフの名は、l830年にこ の地図が発見されたドイツ北部の修道院の名前に由来する。地図は、発見 から半世紀後の1888年に修復を目的としてベルリンに移され、30枚に分割 された。無造作に切り分けられたわけではなく、もともとこの地図は30枚 の羊皮紙を貼り合わせて作られていた。地図は巨大であり、縦3.58m×横 3.56mに及ぶ。中世ヨーロッパで制作された世界図としては、知られてい るもののなかでは最大である’7。しかし残念なことに第二次世界大戦中の l943年に連合軍による空襲で地図は焼失してしまい、現在では修復時に撮 影された白黒写真しか残っていない。 地図の制作者は、イングランド出身で、ボローニャで教会法の講義を行っ た後、エプスドルフの修道院長を務めていたテイルベリのゲルウァシウス 本人、あるいはそれに近い人物とされている。彼は自ら百科全書的作品『皇

帝の閑暇<O伽ノ"?pe伽/α>』を編んだことで知られており、地図の完成は

l3世紀初めと推定されている。 二五一︵8︶

(10)

図3:エプスドルフ図

慰営

! 『_ _ ’ ニ ー ,! ! , !: −−、".E弓jf毒誉菫霧霊滞り?‘‘ ; , ! ' エプスドルフ図はTO図のひとつに位置づけられる。大陸は大きく三区 分され、周囲からは12種の風が吹き込んでいる。しかしエプスドルフ図の 特徴は、TO図の一般的傾向とは異なって、それがきわめて豊かな地理情 報を含んだ具体図だというところにある。ボンポニウスーメラの『世界地 理」やアレクサンドロス・ロマンスと称されるアレクサンドロス大王の遠 征に関する一連の伝説群、あるいはプリニウスなどの著作を主たる情報源 としながら、旧約・新約の聖書的世界とそれに続くキリスト教史が、多様 な文献を参考に可能な限り詳細に描き込まれている。例えばパレスチナ地 域 に つ い て は ビ ュ ル ツ ブ ル ク の ヨ ハ ネ ス の 記 述 を 、 ま た 北 ヨ ー ロ ッ パ 地 域 についてはブレーメンのアダム「ハンブルク教会史』、あるいは聖ブレン ダンの作品からの引用もみられる18. 地図に描き込まれた町、人、動物は膨大であるが、ここではとくに細密 二五○︵9︶

(11)

な描写が施されている部分を紹介しておきたい。まず地図の中心に位置づ けられたイェルサレムには、イエス復活の場面が描かれている19。その周 辺には、星や牛が書き込まれたベツレヘム、死海の水に呑み込まれるソド ムとゴモラ、不死鳥が舞うシナイ山を確認できる。アジア地域では、上方(方 位では東方、以下同様)の楽園にはアダムとイヴ、生命の樹、四つの流れ、 知恵の樹などを確認することができる。楽園の下(西方)には、山に囲ま れた中国(Seres)、楽園の西には1lの支流を持つガンジス川が流れる。二 本の木の間で月と太陽の預言を受け取っているのは、神話に記されたアレ クサンドロス大王の姿である。右側(南方)は古代インドのプリジ国、左 側(北方)はコーカサス山脈によって区切られており、その向こう側には、 野蛮なゴグ族とマゴク族の世界が広がっている。さらにその下(西方)に は、女戦士だけのアマゾーン族の王国を描き、北の端にはアレクサンドロ スが建てたとされる祭壇が赤く燃えている。 地図の右側、アフリカ地域には、大陸を細長く貫くナイル川を軸に、代 表的な都市を配した後、余白に鹿、ヒョウ、ダチョウ、巨大な爬虫類、そ の 他 奇 妙 な 動 物 や 人 間 が 描 か れ て い る 。 ア ジ ア 地 域 に 描 か れ た も の を 含 め、この地図には全体で約60種の動物が描かれている20.ナイル川は、世 界の西の果てに近いところにある湖に発し、その近くにはギリシア神話の 黄昏の地、蛇に囲い込まれた「ヘスペリデスの園」がみえる。ナイルの流 れは西から東へ向かい、大陸の端で今度は向きを逆に変えて地中海へと向 かっていく。その途中には多くの人間が描かれるが、鼻や目そして口を持 たない者たち、あるいは巨人や巨大な唇を持つ者たち、そして言葉を知ら ず動作だけでコミュニケーションをとる者たちもいる。 最後に地図の左下側、ヨーロッパ地域では、イエスの足が描かれた地図 西端部にヒスパニアが描かれ、ピレネーを越えるとFrancia(フランス)に 入 る ◎ イ エ ス の 足 下 の 北 側 に は 、 イ ン グ ラ ン ド 、 ア イ ル ラ ン ド 、 ス コ ッ ト ランドの島々がみえる。フランスから東方に進むと、アルプス山脈と思わ れる帯状の線を越えたところに、城壁に囲まれ、内に七つの教会を持つロー マが確認できる。ハート型の島はシチリア島である。 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ昌己ロミミミV 二四九︵Ⅲ︶

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こ の 枇 界 図 か ら は 、 中 世 ヨ ー ロ ッ パ に お け る 既 知 の 学 識 を す べ て 一 枚 の 地図のなかに統合しようとする凄まじい熱意を感じることができる。しか しそれは単なる観念的で夢想的な地図にとどまるものではなく、実用性も 意識されていた。書き込まれた無数の都市は、旅をする巡礼者や十字軍戦 士たちが、とくに河川交通路を利用して目的地に至ることができるよう に 、 主 要 河 川 上 に 正 し く 配 置 さ れ て い る 。 た だ し 地 図 の 上 方 に は イ エ ス の 頭、左右にはイエスの手、そして下方には彼の足が大きく描かれており、 地図の背後には世界全体を抱きかかえるイエスの姿を容易に想像すること ができる。 当時ヨーロッパで知られていた地理的知識のほぼ総体を示しているとい う点で歴史的価値を有し、またその豊富な情報は有益な情報を提供しよう と す る 配 慮 に 由 来 す る と し て も 、 エ プ ス ド ル フ 図 が わ れ わ れ に 伝 え る 地 理情報はやや過剰であり、そこから象徴的な世界観を抽出することは難 しい。それはむしろ、キリスト教的世界観と、「12世紀ルネサンス」以降 知られるようになった古典古代およびイスラーム、ヘブライ由来の自然科 学的知見の統合を目指して13世紀に出現する、百科全書的著作群の系譜に 位置付けることができるだろう。エプスドルフ図は、「目で見る百科全書」 であった。他方で、豊富な情報を含みながらも、そこに示される政治性を 指摘、あるいはその政治性を巡る議論を展開することが可能なのが、次に みる「ヘレフォード図」である。 2 ヘ レ フ ォ ー ド 図 (1)基本的構成 へレフオード図は、エドワード1世治世(1272-1307年)の1290年から l300年にかけて、当時へレフォード司教であった「ホルデインガムとラ

フォードのリチャード(RichardofHaldinghamandLaffbrd)」の命で制作さ

れた世界図であり、縦l.5m×横l.3mという大きさと、千をこえる地名表 記が示す豊かな内容によって2'、これもまた中世ヨーロッパを代表する世

界図となっている(図4)22.一枚の羊皮紙をそのまま用いた五角形で、そ

二四八︵Ⅱ︶

(13)

の形に沿って描かれた上部が尖った枠のなかに入れられ、『詩篇」(の写本 に描かれた)世界図と同様の装飾が、枠の周囲に施されている。地図はさ らに木枠にはめ込まれ、ヘレフオード大聖堂の祭壇後方の飾り壁に掲げら れていたとされる。この地図に関して、我が国ではすでに応地利明氏によ る丁寧な解説が存在する23。しかし地図がいかなる世界観を示し、またそ れを基底にいかなる政治性を有しているのか、その確認に必要な限りにお いて、以下概要を示しておきたい。 まず地図の上部(東方)枠外には、最後の裁きを行うイエスと天使たち が描かれ、彼らの足下では聖母マリアが天使たちから王冠を差し出されて いる。イエスの左側は、神に選ばれて天国へと向かう者たちであり、右側 はイエスによる最後の審判の結果地獄へと落とされる者たちである。

下部枠外の左下(北西部)では、皇帝アウグストゥス(CaesarAugustus)

が三名の者(Nicodoxus、Theoclims、Polvclitus)に対して世界調査を命じ ている240 右下(南西部)には、「オロシウスによる世界図についての記述がこの

図のなかには示されている<DescriptioOrosiideomestamundisicutinterius

ostendimr>」の文字とともに、馬に乗った人物が描かれている。ここでい うオロシウスは他の世界図にも情報を提供する『異教徒を駁する史割の 著者である。地図の周囲には、小さい円ながら4人の座像と8体の動物の頭 によって12の風が現されている。四辺にはラテン語で死を意味する<M・O・ R、S>が記されているが、それらの文字によって分かたれた四つの部分が、 それぞれ地図における東、南、西、北部分となっている。 アジア地域の東端にある楽園には、アダムとイヴのいる楽園が描かれて いるが、それ以外にも塩柱となるロトの妻、水没するソドムとゴモラ、ア ララト山上に残された箱船、バベルの塔、モーセによる出エジプトとその 後の道程、シナイ山上で石板を受け取るモーセなど、旧約聖書を彩る多く のエピソードが丁寧に描き込まれている。さらに楽園の下(西方)には インドが、その左側(北方)には、山脈のむこうにエプスドルフ図と同様 <Seres>と呼ばれる中国があり、この地の産品である絹についての注記が 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ畏胃ミ言ミミV 二四七︵胆︶

(14)

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(15)

が み え る o ヘレフオード図でヨーロッパの地勢を規定するのは、いずれもアルプス に発するドナウ、ライン、ローヌの三大河とその支流であり、その流れに より、例えばライン川からピレネー山脈までがガリアと呼ばれるなど、ヨー ロッパはいくつかの地域に分けられている。多くの都市が描かれている が、そのなかでもローマは傑出した位置を占め、「世界の頭ローマ、丸き

世界の手綱を握る<Roma,Capudmundi,Tenetorbisfi・enaromndi.>」と記さ

れる。それに比べるとギリシア諸都市の位置づけはそれほど大きくなく、 アテネとコリントそしてデルフオイ(誤ってDelosと記されている)の名 が確認できる程度である。尖塔を持つ城塞が大きな都のひとつの指標であ るとすれば、ローマに匹敵する規模で描かれているのは、ヨーロッパで は、「バルセロナ<Basella>」、「パリの都<Prisiuscivitas>」そして「ロンド ン<Londonia>」である26. ラ イ ン 川 を 超 え ゲ ル マ ニ ア の 地 に 入 る と 、 途 端 に 地 図 は 寂 し い も の と なる。この地域に関する情報源は主としてブレーメンのアダムによると 思われるが、13世紀段階の最新の地理情報も含まれているとされる270 都市名を確認できるのはブレーメン<Bremen>、クヴェードリンブルク

<Quidelingburgh>、マグデブルク<Magaddesburg>、ハルバーシュタット

<Alberstad>、パッサウ<Pazaei>、そしてプラハ<Braga>であり、ノルウェー

の地にはスキーを履いた男性がいるものの、ロシアの地には熊のみが記さ れる。 ブリテン諸島は、大陸の他の部分よりもあきらかに大きめに描かれてい る。空間的に余裕はなく、TO図北西部の縁に沿って湾曲しながら、かな り窮屈そうである29.しかしそこに書き込まれた地理情報は、他とは比べ ものにならないくらい充実している。何本かの川筋によって南北アイルラ ンド、ウェールズ、コーンウォール、イングランド、スコットランドの諸 地方に分けられ、多くの都市の名が、それを示す小さな聖堂や城塞ととも

に記されている29o

奇妙なのが、ヨーロッパのところに大きく金文字で<AFRICA>、アプリ 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ長さロミミミV 二四五︵Ⅲ︶

(16)

力のところに<EUROPA>と記されている点である。ジブラルタル海峡を挟 んだ両側に、アフリカ大陸側には「アフリカの終わり<TbnninusAfiica>、

ヨーロッパ側には「ヨーロッパの終わり<TenninusEurope>」と赤文字で註

記が入れられているので、制作者が誤った認識を持っていたとは思えず、 この地図で最大の謎となっている。 一連の地図作成において主たる情報源となっているのはオロシウスであ るが、これまでの研究により、その他にも、先に挙げたブレーメンのアダ ムに加え、プリニウスやセビリアのイシドールス、『アントニヌスの旅程 くノ4"o"加加g"s〃/""erq"α>』やサン・ヴイクトルのユーゴー、5世紀のマ ルテイアヌスーカペッラや3世紀のガイウス・ユリウス・ソリヌス『奇異 なる事物の集成<Co//ec/α"eα花r"腕me"fo7"M加加>』などから情報を得てい ることが確認されている。とくにカペッラは、地中海の島喚についての有 益な情報源となっている。これらの参考文献が、この地図に自然科学的、 あるいは古代異教的要素を与えているが、基本的にヘレフオード図はカト リック教会、とくに12世紀の十字軍遠征期以降のカトリック教会の、イェ ルサレムを中心とするキリスト教的世界観にきわめて忠実な世界図といえ よう。 (2)世界図の政治性一ダーマッドースカリーの研究から‐ こうしたヘレフオード図に込められている政治的意図について、ごく最 近新たな指摘を行ったのがダーマッドースカリーの論文である30.その主 張の要点は、この地図がオロシウスの作品を主たる情報源としているとこ ろにある◎先述のようにヘレフォード図の制作にあたっては多くの文献が 参考にされているが、スカリーによれば、その中で最も重視ざれ地図の 性格を規定しているのがオロシウスおよびその思想的背景をなすアウグス テイヌスの世界観であるという。 この地図が示す様々な特徴のうち、①城壁に旗が垂れ下がった状態、す

なわち降伏状態で描かれたく好戦的な都市civitasbellicosa>トロイ[Troia]の

真西に位置するのが都市ローマ、②ローマの対岸には、ローマに敗北した 二四四︵喝︶

(17)

<強力なmagna>カルタゴ[Cartago]、③ヨーロッパ地域で、トロイやカルタ

ゴと同様、高い尖塔を複数持つ町として描かれているのは、ローマの他に

は、パリ[ParisiuS]とロンドン[Londonia]のみ、④オロシウスによれば、「カ

ルタゴに対する勝利が、この都市ローマの正しさと権威を確実なものとし た」が、「後にはこの勝利が、ローマを衰退させたのである」とされてい ること]!、⑤ブリテン諸島のすぐ、近くに、「教皇の冠」を頭に載せ全国調 査を命じる皇帝アウグストゥスが描かれていること、これらを列挙しなが ら ス カ リ ー は 、 こ の 地 図 に は 、 ま ず ト ロ イ ア か ら ロ ー マ 、 ま た カ ル タ ゴ か

らローマへの<imperium>の継承と連続という思想が内包されているとい

う。次に、都市ローマの普遍性は揺るぎないものながら、<imperium>の担

い手はローマ人からフランク、そしてイングランドの民へと委譲されてい るとの主張を、この地図から読み取る32。

しかしこの<imperium>はキリスト教化されたものであって、最終的にそ

れが落ち着く場所は、ブリテン島と周辺の島峨であった。すなわちブリテ ン島は、そのキリスト教化を以てローマ帝権の影響下に入るのであって、 地図左下に描かれたアウグストウスの時代ではない。アウグストゥスが教 皇の冠を載せているのはそうした背景があるとスカリーは推定する。異教 的ローマとキリスト教的ローマを区別し、ブリテン島と周辺の島娘を統く る王権は後者の継承者であるとの主張は、まさにこのオロシウスの思想を 受け継ぎ、ヘレフォード図が制作される半世紀前に活躍したイングランド の歴史家、マシューーパリスの考え方でもあった]]・ スカリーの主張の当否はこれからまだ慎重に検討されなければならな い。しかしそこには、地図の制作主体が、異教的世界認識とキリスト教的 世界認識を融合させた世界図の上に、自らの政治的主張を展開させてい く、その具体的な戦略を読み解くための方法論的な手がかりが示されてい るように思われる。 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ昌さ屋ミミミV 二四三︵坊︶

(18)

IIIMS782のTO図に現れる世界観 (1)基本構成 ここまでの確認作業を踏まえて、MS782に描かれた世界図の構造を分 析してみたい(図5)。この世界図は、類型的には中世ヨーロッパ世界で一 般的なTO図と呼ばれるものであり、多くの特徴を他のTO図と共有してい る。アルファベットの<O>のような円形の枠のなかに全世界は収まり、 北方において湾曲しているものの、中央に位置する<T>の形をした海域に よって、世界は「アジア」「ヨーロッパ」「アフリカ」の三つに分かたれ ている。<T>の縦棒にあたるものは地中海であり、また横棒の左側はマル マラ海、黒海、そしてアゾフ海、右側はナイル川(Nilus)になる。この 世界図は赤、緑、青の三色を使って描かれている。紅海は赤く塗られ、 楽園の境界線は赤で記されている。建物は緑色と青色で描かれ、大陸を取 り囲む海と、それを三つに分かつ大洋は、緑色に塗られている。書き込ま れた用語の数は62語で、その情報量は、上で紹介したエプスドルフ図やヘ レフォード図と比べかなり少なめである。世界図の下部に記された署名か ら、世界図を含むこの写本をシャルル5世が所有していたことが分かる。

アジアの最東端、赤く囲まれた場所が楽園(Hicestparadisus)[5-l]34で

ある。また地図の中央部に描かれた城塞は、世界の中心に位置づけられる

イェルサレムを示している(Jhersalem)[5-28]3'.世界の外側からは、東

からの「エウロス(Eums)[5-I],南からの「アウステル(Auster)」[5-IV]、

北からの「ボレアス(Boreas)」[5-III]、西からの「ゼフュロス(Zephilus)」

[5-II]に代表されるギリシア神話のl2種の風神が、この世界に風を吹き込

んでいる。 他のTO図と同様に、この地図ではアジア地域が空間的に大きな割合を 占めている。聖書では、世界を構成する三部分「アジア」「アフリカ」「ヨー ロッパ」は、それぞれノアの三人の息子セム、ハム、ヤペテに委ねられる。 中世ではこの三部分に三職分が割り当てられ、セムが治めるアジアは祈る 者たちの世界、ハムが治めるアフリカは戦う者たちの世界、そしてヤペテ が治めるヨーロッパが働く者たちの世界とされた。このことから、三部分 二四二︵Ⅳ︶

(19)

I

中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ昌冒ミミミV

I

き 0 0 5 苗弱 7 農 職鍬搦綴綱 1 1 §悪'

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4 1 1 塗 頚Ⅱ 心、.Ⅷ‘7pV のなかで最も重要な役割を果たす祈る者たちの世界=アジアが、TO図にお いて上半分と大きな割合を占めることとなる。 とはいえ模式図とは異なり具体図では、南方でも北方でも、海域を示す <T>の横棒が<O>と接すること、すなわち三大陸が完全に分かたれるこ とは少ない。MS782も同様で、北方では、アジアのペルシア(Perchiaお

よびPersida)[5-ll,5-14]、メディア(Media)[5-12]、アッシリア(Assiria)

[5-l3]から、ヨーロッパのハンガリア(Hongada)[5-31]、ゲルマニア

(Gennania)[5-33],アレマニア(Alemania)[5-34]へとつながっている。

また南方では、地図のかなり上の方に紅海(Marerubrum)[5-19]が描かれ、

そのすぐ下に記されているのは、エジプト(Egypms)[5-21]、バビロンの

城塞(Babilon)[5-22]、アレキサンドリア(Alexandrina)[5-26]、そして

二四一︵肥︶

(20)

テーベ(Thebaida)[5-23]とエテイオピア(Ethiopia)[5-24]である。この

あ た り の ナ イ ル 川 デ ル タ 地 域 は 、 現 在 の わ れ わ れ の 地 理 認 識 で は ア フ リ カ であるが、中世の三区分では<T>の横棒の上、つまりアジアの一角を構成

している。この地図において一定の面積を占めるアフリカ(Affifica)[5-45]

部分に描き込まれているのは、リビア(Libus)[5-44]とアトラス山(Mons

Athalas)[5-46]のみである(アトラス山の東部に描かれた都市の名前は不

明)。

アジア地域についても確認しておきたい。東方(Oriens)[5-2]の楽園の

すぐ隣に位置するのは上インド(IndiaSuperior)である36・そこから、お

そ ら く イ ン ダ ス 川 で あ ろ う 大 河 を 隔 て て 西 方 に 向 か う と 、 メ ソ ポ タ ミ ア

(Mesopotamia)[5-5],ニネヴェ(Ninive)の城塞[5-6]、シナイ山(Mons

Synaicus)[5-18]が続き、東西方向に流れる川(おそらくユーフラテス川)

の北方には、バビロニア(Babilonia)[5-7]、メッカ(Mecha)[5-9]、そし

てその下、この地図でいえば西方に、トロイア(Troia)[5-15],アンテイ

オキア(Antochia)[5-16]、ダマスクス(Damaschus)[5-l7]の城塞が三つ

並んで描かれている。地図の中心、イェルサレム(Jhersalem)[5-28]の東

にはシリア(TbrraSirie)[5-27]、北にはガリラヤ(Galilea)[5-29]の文字

がみえ、北にある町はナザレ(Nazareth)[5-30]と記されている。いずれ

も聖書でよく知られた名前である。 ではヨーロッパの地には何が描かれているのであろうか。まず<T>の縦 棒となる地中海に浮かんでいる島のようなものには、東から順にキプロス

(Cipms)[5-47]、シチリア(Sicilia)[5-481、サルデイニア(Sardinia)[5-49]、

カデイスーヘラクレス(の柱)(GadesHerculis)[5-50]と記されている。そ

の北の大陸に、ひしめき合うように大きく描かれた四つの城塞は、それぞ

れギリシア(Grecia)[5-36]のアテネ(Athena)[5-37]、コンスタンティノー

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そしてフランス(Francia)[5-41]のパリ(Parisius)[5-42]である。他にヨーロッ

パ地域で具体的に地名が記されているのは、ロンバルデイア(Longobardia)

[5-40]とヒスパニア(Hispania)[5-43]のみである。最後に、海峡の向こう

二四○︵旧︶

(21)

側、この世界の西端、楽園の対極に位置するのは、アングリアーヒベルニ

ア(AngliaHibemia)['51]とブリタニア(Britamia)[5-52]の島々であった。

この世界図の特徴としてここでは2つ挙げておきたい。第一は、少ない 情報のなかで城塞都市が大きな位置を占めている点である。中世フランス に お け る 地 域 図 の 出 現 を 分 析 し た カ ミ ー ユ ー セ ル シ ュ ク に よ れ ば 、 パ リ を

別にすれば、この地図に描かれた町は、①聖書に出てくる都市[イェルサ

レム、ナザレ、バビロン、ニネヴェ]、異教的古代世界を象徴する都市[ト

ロイ、アテネ、ローマ]、十字軍関連都市[ダマスカス、アレキサンドリア、

メッカ、コンスタンティノープル、アンテイオキア]の3つに分類されると

いう]7・パリはこれらの町とは異なり、まさに現代史を象徴するというこ とになる。それと関連して第二に、ヨーロッパ地域に描かれた城塞都市は わずか4つ、アテネ、ローマ、コンスタンティノープル、そしてパリだけ であるという点である。この配置は非常に意図的であって、残り三つの歴 史的都市を継ぐのがパリであることを示しているように思われる。パリの 町はフイリップ2世治世以降、王の滞在期間や文書発給の頻度などから判 断して王国の政治的な「都」として中心性を発揮し始めていたし、『王の 物語』の編者であるプリマをはじめとする王権周辺の年代記作者たちは、 トロイア起源神話にひきつけて、「パリ」の名はトロイア王国最後の王プ リアムスの名に由来するとするプロパガンダを展開していたのである38。 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミミミミミSV (2)世界図の制作者 フランソワーアヴリルの写本研究により、フイリップ3世に年代記を献 呈した時のサンードニ修道院長マシューードーヴァンドームが、年代記写 本の制作に際して挿絵を委ねた人物は二人いたと推定されている。いずれ も名前は明らかではないが、一人は西フランスのショレを中心に活動して いたショレ・グループの誰か、もう一人は「シャルルマーニ1親方」と呼 ばれている人物である39・彼らの活動は同時代に制作された『トロヤ物語』 やステンドグラスにも広がっていたことが確認されている。MS782の『王

の物語』部分には36点の挿絵が確認されているが、そこに彼らの手として

二三九︵別︶

(22)

確認されるのは、シャルルマーニ1やフィリップ2世など「フランスを作っ た」王たちの図像であった。 またアンーエーデマンは、MS782における『王の物語』部分の挿絵を描 いた人物は四名とし、上記の二名とは別に、あと二人の挿絵画家の存在を 推定している40. MS782には、1310年から20年までのいずれかの段階で、1304年に完成 したギョームードーナンジの手になる『ルイ9世伝』が付け加えられてい る。この部分にはルイ9世の挿絵が描かれており、その画家はストーンズ によって「パペルー親方」と推定されている4'◎彼が伝記の冒頭に描いた ルイ9世の姿は、1297年に聖人と認められたルイ9世の敬度さを象徴する かのどと<、百合の紋章が描かれた青いマントを纒い、左手には、おそら くサントーシャペルに納められたものであろう、大きな聖遺物箱を持って いる。 このように、MS782には現在までのところ五名の挿絵画家の存在が指摘 されている。しかし世界図にはたったひとりの人間も、また動植物も一切 描かれておらず、このうちの誰が、あるいは別の誰が世界図を制作したの か、その特定はきわめて困難である。 (3)世界図の意味するもの あらためてMS782に戻って考えてみたい。興味深いのは、地図に書き 込まれた都市名の多くが茶色でマークされていることである。世界図の下 に記されたシャルル5世の署名もマークされていることから、このマーキ ングは彼の治世(1364-80年)、もしくはそれ以降と推定される。地名が丁 寧にマークされているように見えるが、全てではない。アジア・アフリカ 地域では、城塞が描かれた都市は網羅されているものの、「ゴグやマゴグ

の地」(10)、「ペルシア」(11,14)、「メディア」(12)、「アッシリア」(13)、

テーベ(23)、エテイオピア(24)、ナイル(25)といった地名は除かれて いる。対してヨーロッパ地域は、地中海の島I與から北東地域の地名まで網 羅的にマークされている。とくにブリテン諸島からイベリア半島、そして 二三八︵創︶

(23)

地中海沿岸部から西ヨーロッパにかけては、地名だけではなく地域全体が 塗りつぶされているような印象を受ける42.マークされた場所は、その多 くが『ルイ9世伝』中に出てくる地名(遠征地)に対応していることから、 このマークは、写本読者が伝記を読みながら、あるいは読後に、その内容 を確認するためにつけた可能性もある。この写本をとりあげたダニエルー ルコックは、イェルサレムを中心とするこの地図によって、読者はルイ9 世の治世をキリスト教的な時空間のなかに位置づけて理解することが可能 になったとその効果を指摘している43. しかしこの世界図には、新約以前の旧約的な、また異教的な世界も描か れており、フランス(フランク)史を古代王朝史につらなるものとして位 置づけようとする意味と効果も有していたように思われる。この点に関し て先に紹介したスカリーの手法に倣えば、アジア地域の古代都市トロイア (15)の、その真西にパリ(42)の都が描かれている点に注目することが

できるだろう。この配置は、『王の物語』冒頭に記されたフランク(フラ

ンス)王朝のトロイア起源神話を想起させる効果をもっていたのではない かと推測される。 最後に、ヨーロッパの地にひしめき合うように大きく描かれた四つの都 市、コンスタンティノープル(35)、アテネ(37)、ローマ(39)、そして パリは、学問の府としてのパリの強烈な自意識を示しているように思われ る。この時代のフランスは、『王の物語』を含め数多くの著作が積極的に 俗語に翻訳されていく翻訳文化の発展期を迎えていたが、それは王権が、 イタリアから移転(translatio)された学権(smdium)の中心地として自ら を位置づけていたからにほかならない。ペトラルカは、「ガリアの者たち は、混乱するローマに比してガリアの地の穏やかさを誇るが、ガリカには いかなる(教会)博士もおらず、イタリア(Italia)を出てはいかなる詩 も唄も輝かず…その優位はいささかも揺らぐ、ことはない」と述べて44、フ ランスのそうした試みを冷ややかに眺めている。 こうした点を考えあわせてみると、MS782の世界図は『ルイ9世伝』 の後に描かれているが、それはこの伝記を締めるためだけのものではない 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ§さロミミsV 二三七︵〃︶

(24)

ように思われる。『ルイ9世伝』冒頭に描かれた彼の肖像が、その聖性を 顕 す 効 果 を 有 し て い る の に 対 し 、 最 後 に 記 さ れ た こ の 世 界 図 は 、 ル イ 9 世 の伝記だけではなく、プリマの序文一「聖職者と騎士は、アテネがかつて 哲 学 の 源 で あ り 、 ま た 兵 士 が 栄 え て い た こ と か ら 、 ギ リ シ ア に お い て 統 治 した。次いで彼らはギリシアからローマに赴き、そして今度はローマから フランスに来たのである」−にも応えることによって、「王の物語』全体 のエピローグとしての役割も果たしているのである“。 さらにカミーユーセルシュクは、世界図が写本の冒頭ではなく末尾に置 かれていることで、それは歴史叙述の纒めであると同時に、記述された年 代の先を予告するものであるとすると主張する46。MS782の世界図は、エ プスドルフ図のように百科全書的な性格を持つものではなく、『王の物語』 『ルイ9世伝』両害の内容を整理、象徴するとともに、来るべき時代に向 けたフランス王権の政治戦略を明示するものであった。ヘレフオード図が

帝権(imperium)のイングランドへの移転(translatio)を含意するもので

あったとすれば、この世界図はフランス、とくにパリへの「学権(studium)」 の移転を志向.示唆するものであったといえるだろう。そしてそれは、『王 の物語』や『ルイ9世伝』の俗語による編蟇という史書編蟇事業の目的と も合致するものであった。 こうしてみると、前時代のヘレフォード図やエプスドルフ図などに比し て構図や精密さに欠け、またすでにルネサンス期の「近代的な」地図への 移行を示す世界図も出現していた14世紀の世界図制作のなかに置いてみる と、MS782の世界図は一層単純で素朴にみえるが、そうであるだけに主 張は明確であり、それは時として、テキスト以上に顕著な政治的メッセー ジを発しているように思われる。 二三六︵恥︶ む す び に か え て 中世の世界図は、たとえそれが聖地への巡礼案内などを用途とし、高い 実用性を期待されていた場合でも、正確な地理情報の提供だけを以てよし とすることはなく、古典的・キリスト教的世界像を形づくる上で重要な出

(25)

来事を、一定の規則に従って配置することを作法としていた。世界図は、 その多くが教会や修道院のなかから生まれているが、制作に携わる教会関 係者たちは、時には世俗の王や諸侯、あるいは皇帝のイデオローグとして 活動する場合もあった。 12世紀から13世紀にかけて、過去を記録する年代記が韻文体から散文体 へ、またラテン語から俗語へ変化することで、歴史(叙述)は耳で聞くも のから目で読むものになった。読者を持つことになった年代記写本には、 視覚的効果を意識して多くの挿絵が描き込まれるようになるが、フランス 王国におけるその先駆的事例が、今回取り上げたMS782である。そこに こうした世界図が挿入されていることは非常に印象的である(ただし例外 的な事例)。この世界図もまた多くの人の目に触れること、そして文字を 読むことのできない人にもひとつのイメージを提供することを期待されて いるのである。 先に紹介したヘレフオード図の左下には、制作時のヘレフォード大司教 であったリチャードヘの献辞として、「このestoireを知る者、あるいは聞 いたり、読んだり、見たりする者は、これを制作し、開示したホルディン ガム、またはスリーフオードのリチャードに、神の憐れみと天国でも歓び が与えられんことをイエスに祈ろう」と記されている47.<estoire>は、「歴 史」と「物語」をともに意味する中世フランス語(アングロ・ノルマン語) である。他方、写本782に記された王国年代記は、<roInan>であった。こ こで言うロマンとは「ロマンス語」の意であり、ラテン語で書かれた作品 を「俗語」である「ロマンス語」、すなわちフランス語に移すという意味 を帯びていた。この点では、それは同時代に生み出された一連の物語と変 わらない。しかし一方で文学が次第に自らを虚構と認め、歴史という過去 の記憶が持つ権威には訴えかけず、「文学的真実」を伝えていく道を歩ん でいくのに対し、同じ俗語を用いながらも、歴史叙述は「歴史的真実」に こだわり続ける。その編者たちは、試みを続ける自らの作品(ouvre)を、

<estoire>と呼んでいる48.中世の世界図もこうした<estoire>の一種であり、

歴史叙述などの言語表象と並んで、あるいはそれ以上に、依頼者/制作者 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ員ざロミミミV 二三五︵別︶

(26)

たちの歴史観・枇界観を雄弁に物語る作品であったといえよう。14世紀に 入るとTO図などの枇界図は下火となり、地域単位の、より詳細で正確な 地図が求められるようになっていく。MS782のTO図は、まさにこうした 移行期にあって、ひとつの例外的な事象にとどまりながらも、俗語版王国 年代記に込められたフランス王権の統治理念を象徴的に示しているように 思われる。 !この写本は40行2段組375葉であり、サイズは縦32センチ、横22センチである。また来 歴に関しては、シャルル5世以降のフランス国王が所有していた後(ルーブルの蔵書 目録1373年、1411年、1413年、1423年に記載あり)、その蔵書印から、18世紀にサン トージュヌヴィエーヴ図書館に収蔵されたことが知られている。 2『王の物語」の最初期の写本群については、鈴木道也「「フランス大年代記』の普及と フランス・アイデンティティ:パリ国立図書館写本廿.10132を巡って」『埼玉大学紀要 教育学部(人文・社会科学編)」54巻2号、2005年、17-27頁。 3A.D.,Hedeman,77iem)ノα〃加age,〃/"s"α"o"sqfr/ieG'・α"昨Sc/"℃"/9"es咋丹α"ce,1274 -/422,Berkeley/LosAngeles/Oxfbrd,1991,pp.24-77. 4前近代世界で生み出された様々な地図(絵図)のなかにその時代の価値観や世界観を 読み取ろうとした試みとして、我が国では藤井讓治・杉山正明・金田章裕編『大地の 肖像絵図・地図が語る世界」京都大学学術出版会、2007年がある。またヨーロッパ における代表的な成果としては、Brepols社から現在までに10巻が刊行されているシ リーズ<TerrarumOrbis:HistoryoftheRepresentationofSpaceinTbxtandlmage>を挙げる ことができるだろう。シリーズに収められた論集は以下の通り(刊行地、出版社はす べてTilrnhout,Brepols)。S.D.Westrem,77reHeJE/b'r/伽p.・"刀α"Sc叩"o"α"d刀α"s/とJ"o〃 (W"eLege"α,w"力Co加加e"/qry,2001;N.Bouloux,C"""だe/sqvo/"gdogrqp/7/9"es血"s /Y/α"e”湿陀s/6c/e,2002;D.Marcotte(ed.),〃"碗α"晒加ee/c"""ノセgdog/"叩ルノ9"eクノゆo9"e "co"ci/e"Cb"s/α"ce."z"ow"G""ノα"me厨/ね”だ.・J4c/es"Cb//09"e"/'U"んe応彬咋 Re"s,18-〃〃ovem6ノゼノ999,2002;L.S.Chekin,NorthemEurasiainMedievalCartogaphy: Inventory,Tbxts,Translation,andCommentary,2006;P.Falchetta,FraMauro'sMapofthe World:WithaCommentaryandTranslationsofthelnscriptions,2006;DqanirahCouto, Jean-LouisBacqu6-Grammont,MahmndTaliqanl(ed.),〃"asル岬o"9"ed"go"Pers/9"e, XWe-XyZ"Es/6c/es:〃岬o"cα/α"αsq///iePems/α〃G"脳s"ee"r/i/oeig/7/ee"//ice"""/es, 2006;MargrietHoogvliet,P/α"『αe/scr籾"rαfrbxies,jmageser/i"碗を"e""9"e火s"qPPae 碗""di伽"e-XJ/7es/ec/eSノ,2006;AngeloCattaneo,分αA"z"℃hMIppα"1""diα"d戸批e"/ルー Ce"/"ry脆"ice,2011;PatrickGautier-Dalche,LqGdog"qP/7/edeP/o/§碗をee〃OCC/火"r β隆-X"es/&c/eノ,2009;GuenievreFournier-Antonini,Barce/o"e,G§"“erMZJγse"/e・ Cq"o""/"ese〃〃αges,XJ/ye-XZXEsj&c/e,2012なお'1巻目として、EmmanuelleVagnon, 二三四︵妬︶

(27)

QJ"ogmp/7/ee〃Eprdse"rα"o"s火/'0"e"r胴をdire〃α"をe〃e〃o“/“"r伽”"e〃”XZ"ど白 /αβ"chJXJをs/6c/eノが刊行予定である。またジョンーレニー=ショート(小野寺淳・大 島規江監訳)「世界の地図の歴史図鑑」柊風舎、2010年は、多くの図版を用いて地図 の歴史を分かり易く解説している。 'J.B.HarleyandD.Woodward(ed.),QJ"og7"qpノリノ加p/でル/sIo"c,α"c/e"/,α"d"7edievα/E"mpe α"d/"eMMed"e〃α""",UniversityofChicagoPress,Chicago,1987. 6D.Woodward,18MedievalMappaemundi,inCq"ogrqPノリノ/〃〆eノ'岬o"c,α"αe"/,q"d 〃edievq/E"mpeα"d/heMセ"”α"eα",pp.286-355. 7〃qppα〃""d/の語は同時代史料中にもみえるが、そこでは多様な地図が区別され ずに用いられている。が、研究に際しては一定の要件を備えたもののみを世界図 (液α〃α加脚"鋤と呼び、その他と区別している。 8例外として、次章で紹介する13世紀ドイツで制作された「エプスドルフの世界図」の なかにライヒェナウの「地方図」が組み込まれていること、イタリア地域の「地方図」 に「海図」の影響がみられること、などが挙げられる。 9詳細な陸路を記した地図としては、当該地図を収集したりチャードーゴフの名にちな んでゴフ・マップ<Goughmap>と呼ばれる、14世紀後半のイングランドで製作された 一連の陸図が知られている。 NickMillea,777eGo"g"A""・77ieEqr//esrRoqdMpqfGノでα/Br"α/"?,Oxfbrd,2007.ゴ フ・マップの高精細デジタル画像が、以下のサイトで公開されている。http://www. goughmap.org/about/ '0代表的なものとしては、ピエトローヴェスコンテが地中海や黒海沿岸部を描いた、14 世紀前半成立の一連の海図を挙げることができるだろう。CGM.B.,LaRonci6re,Les po""ノα"s〃αノノe"s,Lyon,1929. '1大陸を分割する海が描き出すTの字の上に、イエスが礫にされた十字架そのものが 書き加えられることもあった。JonathanT・Lanman,TheReligiousSymbolismoftheTin TLOMaps,Cqノ・/ogmPhicq,18,no.4,1981,pp.18-22. '2三区分図には、イングランド=フランス系と、スペイン系がある。ローマモデルに依 拠して描かれているのが<Albimap>や<VaticanLibraryWorldMap>など、スペイン系 と呼ばれる三区分図である。一方、カンタベリーで11世紀前半から制作が始まるイン グランド=フランス系と呼ばれる世界図は、その豊富にして詳細な書き込みによって 特徴づけられていた。<TheBeamsWorldMapofSantoDomingodeSilos,Spain>は、12 世紀の初めに制作されたものであるが、<Albimap>に似ており、地中海をその中心と し、アドリア海やエーケ海がそこから延びるような形をもっていた。またその地図で はアダムとイブが描かれることが多かった。<TheBeatusdeOsmaWorldMap>はアン グローフレンス系の典型である。使徒や数多くの怪物が描き込まれている。12世紀の <theMunich'Isidore'MapandtheSawleyMap>はますます書き込みが豊富になってくる。 <PsalterMap>もイングランド=フランス系のひとつの完成型で、地図の東端に楽園が 神の姿とともに描かれている。その美しい装飾によって観賞用であることはあきらか であり、航海目的での使用は不可である。 '3SchmittJean-Claude,Lesimagesclassificatrices,Bめ"o/"9"edセノゼco/eftscルα〃es,1989, 中世王国年代記写本のなかの世界図八ミ員ゼミミミSV 二三三︵恥︶

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t.147,pp.311-341. '4GerhartB.Ladner,MedievalandModernUnderstandingofSymbolism:AComparison, "ec"/"碗,54,1979,pp.223-256. '5MarcelDestombeS(ed.),M"Pe"'o"des4.D./200-I500.・Cq/q/og"eprepqrepqrノα CO加加“/o〃昨sCα〃“4〃c/e"""de/'U"io"Gdogrqp/7/9"eI"/er"α"o"α/e,Amsterdam, 1964. '6同論文は、その後Geogrqp/iieerC"""だ.Lα閃ep"se"rα"o"DeLEspqceD"WE4〃湿姓 S花c/e,Ashgate(VariorumCollectedSmdies),Farnham,1990に再録されている。 '7エプストルフ図については次の文献が重要である。WalterRosien,DieErbsror/br 雁"""e,Hannover,1952.地図に描かれた地名の同定も、主としてこの文献による。 l8ブレーメンのアダム(AdamBremensis)のいわゆる『ハンブルク教会史くGesta Hammaburgensisecclesiaepontificum>」を取り上げた最近の文献としては、AnguS SomervilleandAndrewMcDonald(ed.),77ie〃〃"g/4ge.・ARea昨r.UniversityofTbronto Press,2010. '9人体内の各部分(microcosmos)と全宇宙(macrocosmos)を照応させる思想は古代か らあるが、地上界全てを取り込もうとする世界図のなかで人間が果たす役割は乏し い。世界図の中心をなすのは、その初期においてはローマやデロス島、あるいはシナ イ山であり、11世紀以降、すなわち十字軍運動が展開された後はイェルサレムがその 位置に置かれるようになる。1110年頃の制作とされる「マインツのハインリッヒの世 界図」が、地中海に浮かぶクレタ島やロードス島を中心としているのに対して、この エプスドルフ図を含む12世紀後半以降の世界図は、多くがイェルサレムをその中心と している。イェルサレムの危機とその獲得、そして12世紀におけるその喪失が、西ヨー ロッパの人たちにこの都への強い思いを抱かせることになったと思われる。 20世界図に現れる動物については、WilmaGeorge,AnimalsandMaps,Berkeley,1969(吉 田敏治訳『動物と地図』博品社、1993年)に詳しい。 21地名は基本的にはラテン語で記されているが、ノルマンーコンクエスト後のイング ランドで用いられた俗語フランス語の一系統ノルマン・フランス語表記も一部に確 認されている。全ての地名表記を解読・解説した労作として、ScottD.Westrem,77ie Hel歌う/tIA"):/4乃α"Sc叩"o〃α”刀α"s/α"o〃”//ieLege"ぬw"ルCb加加e""r)ノ,Brepols, Tumhout,2001がある。後にこの著作は、FolioSocietyによるヘレフオード図出版事業 に際して改題、再版された(ScottD.Westrem,77ie"eノピ/bノてノ恥r〃MtIp:"乃α"“叩"o〃 α"d刀α"s/α"o"Q///zeLege"ぬw"hCb〃me"/α肌FolioSociety,London,2010)本稿では 2010年版を参考にした(以下、Westrem,77'eHe/W/b”"bγ〃A"pと表記)。 22ヘレフオード図を分析対象とする、またそれに言及する研究は少なくないが、ここ では先に挙げたWestremの著作に加えて、ArthurL.Moir,77ie"br/dA4上ZP加Heノヅ刀℃ノ Ca/"ec加/,Herefbrd,1955(1977);MerylJancey,MZIPPqMM""dj.・777eMIPq//he"or〃/〃 〃舵f"dQ"〃e‘加J/,Herefbrd,1987;PaulD.A.Harvey,MIPPqM""戒.77ie〃醜/b'て/〃br〃 Ak¥7,London,1996を代表的な著作として、また多角的な分析を行った近年の論集 としてPau1D.A.Harvey(ed.),77ie"eノ噂/b〃〃br"MZIp.・MMedievα/〃bγ〃M"F,4"77ie" Cb"rx/,London,2006を挙げておく。 二三二︵〃︶

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