井上円了とソクラテス
著者
柴田 隆行
著者別名
shibata takayuki
雑誌名
井上円了センター年報
号
22
ページ
3-22
発行年
2013-09-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006296/
井上円了とソクラテス
柴田隆行
四聖としてのソクラテス 井上円了が四聖の一人としてソクラテスを選んだことは周知のことであるが、選択の理由は必ずしも明確では ない。﹁井上円了と西洋思想﹂と題する論考を書かれた福鎌忠恕氏は、﹁ソクラテスが﹃聖人﹄として選ばれた理 由は理解に難くない﹂とし、その理由は﹁ソクラテスこそ﹃哲学﹄Q E
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の元祖であり、この用語と、 この学問の創始者その人であった﹂からだと言う ( 1 ) 。しかし、福鎌氏のこうしたソクラテス理解の正当性も間 われなければならないが、井上円了がソクラテスを聖人の一人に数え上げている理由はさほど単純なものではな ぃ 。 こ の 小 論 で は 、 ソクラテスを四聖として選んだ井上円了の真意を明らかにしたい。 まずは井上円了がソクラテスを四聖の一人に選んだ理由を述べている箇所を読もう。 その理由として、 一 九O
二年の﹃哲窓茶話﹄で三つ挙げられている。 哲学者を選ぶ際に古代にあってはアリストテレスを選ぶ者がいるが、自分はソクラテスを選ぶ、 と円了は言 ぅ。その理由は、自分が四聖として選ぶ他の孔子、釈迦、 カントとともに、﹁いずれも哲学の中間に起こりて、 前歴史を統一し、また後歴史を開成したるもの﹂ で あ り 、 ﹁中興の主とすべき﹂だという点にある ( N H E N ) ( 2 ) 。一八九九年の﹃通俗講談言文一致哲学早わかり﹄ でも、古代哲学は ﹁ 紀 元 前 四
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年代に世に出でたるソクラテ ス氏を中興﹂とするがゆえに、 ソクラテスを四聖の一人として選ぶ、 と書かれている ( N 込∞)。哲学の元祖だと か古今東西の哲学の創始者だとかではなく中興者であることが、井上円了が四聖を選ぶ理由としてまず第一に挙 げられている。だがなぜ中興者なのか? その理由はここでは説明されていないが、前掲の ﹁ 前 歴 史 を 統 一 し 、 という一節にこの問題を解く鍵があると思われる。詳しくは追って述べる。ここでは、 聖選択の他の理由を先に聞こう。円了はつぎのように説明を続ける。 また後歴史を開成し﹂ 四 私が孔子、釈迦、 ソ ク ラ テ ス 、 カントの四聖を選んで、 これを尊崇するゆえんのものは、単に学者としてこ れを尊崇せるにあらず、人物としても、知者としても、知徳完備の人として大いにすぐれたところがあるか らである。その知なり、行いなり、今に残されておる高恩は、実に感侃すべきものがあるのではないか。 (NHHH 品) たんに学者としてだけではなく人物としても尊崇に値する人、すなわち﹁知徳完備の人﹂が、 四聖を選ぶ二つ めの理由として挙げられる。 西洋古代哲学の創始者と一般に言われているのは、﹁万物の根源は﹂という発想を人類史上初めて持ったとさ れるタレスか、﹁私﹂について人類史上初めて語ったとされるへシオドスであり、あるいは、﹁哲学﹂の語源であ るフィロソフィア(愛知)を初めて自覚的に語ったとされるピュタゴラスも候補として挙げられる。あるいは、 哲学を哲学として書き残したプラトン、 それを体系として構築したアリストテレスも、西洋古代哲学の代表者とされるに十分な資格があるであろう。 しかしながら、円了が四聖の条件として挙げる ﹁知徳完備の人﹂、東洋大 学の標語を借りるならば の検証を、井上円了のソクラテス理解に即して行うことにしよう。その前にもう一点、円了の四聖選択の理由を ﹁ 知 徳 兼 全 ﹂ の人としては、たしかにソクラテスが一歩先んじるかもしれない。この点 確認しておきたい。円了はさらに続けてつぎのように述べる。 吾人が平素尊崇しているところの孔子、釈迦、 ソ ク ラ テ ス 、 カントの四聖は、共に唯心論者である。すなわ ち釈迦の大事業をなして、万世ののち、赫々たる光明の下より、尊敬さるるゆえんは全くこの唯心の理を信 これを事業に努めしによることは疑いない。孔子も常にこの心を根基として、心正しければ身修ま り、身修まれば家斉う、家斉えば国治まり、国治まれば天下平らかなりとまでいっておる。ソクラテスの当 じ て 、 時においては未だ唯物だの、唯心だのという説が判然と区別のないときであったが、氏が知すなわち徳なり といいし一言は、純然心を本とせしもの、すなわち唯心論者なることを知るに足る。カントは近世唯心論の 祖 で あ る 。 ( N H H S ' E C ) 円了の四聖選択の三つ目の理由は唯心論者であることにある。聖人は﹁唯心論者でなければならない﹂という のは井上円了の思想に属することがらであり、ここでその是非は問わないが、ソクラテスが唯心論者であるかど それはプラトン哲学の検討も含めて別途専門的に論究すべきことが うかについては検討の余地がある。しかし、 らであるので、ここでは扱わないことにする。
中興の主としてのソクラテス 円了が選んだ四聖はいずれも哲学中興の主であるとされる。折々耳にする ﹁ソクラテスこそ哲学の元祖﹂とす る理解の是非は、事実問題よりも﹁哲学﹂をどのように理解するかという認識問題に関わるので、 とは容易ではない。通常哲学史はタレスから書き始められている。その際の共通認識とされているのは、哲学は ﹁理性的な認識としての学的性格をもっ﹂(﹃広辞苑﹄)ことであり、タレス以前のいわゆる賢人たちの教えや神話 とはその点で区別される。たしかに、賢人の教えや神話に、﹁万物の根源は﹂という発想は見られない。この発 想は﹁理性的な認識﹂をともなわなければ生まれないかもしれない。 円了は哲学史講義(﹃哲学要領 これを問うこ 前 編 ﹄ 一 八 八 六 年 ) で、﹁ギリシア哲学はタレス氏をもって始租とす﹂ る が 、 ﹁その以前すでに諸学の思想を匪胎するあり﹂
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と述べている。タレスが哲学の始租であるならば、なぜ タレスが四聖に選ばれないのか。 タレスの時代にはまだ﹁哲学(喜一- o
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白)﹂という言葉がなかったから、という理由も折々耳にする。なら ば 、 喜 一- B o z
-釦という言葉は誰が作ったのか。円了は﹃純正哲学講義﹄(一八九一年)でこう述べる。 哲学の名称はフィロソフィアを原語とし、ギリシアより起こり、碩学ピュタゴラス氏始めてこの語を用うと い pフ 。 ( ] { H N N O ) 円了と同様に仏教徒として西洋哲学を同時代に学んだ清沢満之も、全集編者により﹁西洋哲学史試稿﹂と名づ けられたノl
ト に 、 ﹁ ﹃ フ イ ロ ゾ フ ィl
﹄ナル希蹴ハヘロドトス氏初メテ用ヒタリ其学問的ノ使用ハピサゴラス氏ニ始ルト云フ﹂(﹃清沢満之全集﹄第四巻、岩波書庖二
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三 年 、 四頁)と書いているが、 ﹄うした認識は現代 で も そ の ま ま 適 用 す る 。 へロドトスの﹃歴史﹄(紀元前五世紀)の巻一に、クロイソス王がソロンに呼びかけた言葉﹁知識を求めて ( 喜 一-2
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広く世界を見物して廻られた﹂があり、ツキユデイデスの﹃ペロポンネソス戦役﹄(紀元前五世 紀後半)にも、ペリクレスの演説中に﹁知恵を愛して(喜一-2
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しかも文弱に堕せず﹂という言葉が 見られる。ピュタゴラスは書物を書き残していないので正確なところは不明だが、デイオゲネス・ラエルテイオ スの﹃ギリシア哲学者列伝﹄(紀元後三世紀前半)によると、﹁哲学という語を最初に用い、また自らを哲学者と 呼んだ最初の人はピュタゴラスであった﹂(第一巻序章)という。ピュタゴラスは、知恵のある者は神のみであ り、自分たちは﹁知恵を熱心に追求する人﹂つまり﹁哲学者﹂であると述べたと記されている。これはまさに、 無知の知としての愛知を説いたとされるソクラテスの考えと同じである。ピュタゴラスは紀元前五八二年から 四九六年に生きた人(詳細不明) で あ り 、 ソクラテスは紀元前四六九年から三九九年に生きた人であるから、 ピュタゴラスのほうがこの言葉を使った先人である。しかし、デイオゲネス・ラエルテイオスの記録は紀元後三 いずれにせよ、われわれにとって大切なことは、井上円了も清沢 世紀のものであるから、後知恵かもしれない。 満 之 も 、 喜 一 一O
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をめぐるこうした哲学史の正確な知識を持っており、 と単純に言っているわけではないことを確認することにある。 ソクラテスこそが ﹁ 哲 学 ﹂ の元祖だ ﹁哲学﹂という言葉を最初に使ったのは、意図的ではないにしろ、 それを﹁愛知﹂という意味で最初に使ったのはピュタゴラスであり、井上円了はそのことを知っていた。した ソクラテスが哲学の元祖であるから聖人の一人として選んだわけではないことは明らかである。清沢満 へロドトスかツキユデイデスであり、また、 が っ て 、之は四聖を選ぶようなことはしていないが、彼が一八八九年から一八九四年に真宗大学寮で行った西洋哲学史講 義ではタレスから始めている。その理由として﹁此の人を哲学の鼻祖とする故は、氏が万有を解釈するに当り て、初めて神話的、神学的の見地を捨てたるに依る﹂(前掲全集、第五巻、九頁)とある。これは哲学史の常道 であり、古代哲学を六期に分け、第一期﹁ソクラテス氏前哲学﹂、第二期﹁ソクラテス氏及び不完全ソクラテス 学派﹂というように、ソクラテスを一つの時代区分に使うのも常道である。ただし、清沢満之が古代哲学の第三 期を﹁希蝋哲学全盛時代﹂としプラトンとアリストテレスを取り上げるのは必ずしも哲学史の常道とは言えな い。いずれにせよ、井上円了が古代ギリシア哲学者のなかでもソクラテスを重んじていることは、彼なりの意味 づけがあったのであろう。 なお、清沢満之の古代哲学史区分に見られる ﹁ 不 完 全 ソ ク ラ テ ス 学 派 ﹂ と は 、 いまではどの哲学史でも﹁小ソ クラテス派﹂と呼ばれている学派を指す。﹁小﹂というのは主観的な感じを受けるが、偉大なソクラテスの一部 分を受け継いだにすぎないからだと言われる。この表現が誰によって作られたかは不明だが、一九一六年刊の安 倍能成﹃西洋古代中世哲学史﹄には見られ、そこに仏ぽ在巾Egr 門 担 ZRZPE一巾とドイツ語が記されていること か ら も 察 せ ら れ る よ う に 、 安 倍 は 国 自 由 ︿ O ロ ﹀ 円 ロ
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の じ た 富 司 、 告 札 寄 与 問 、 訟 を 的 岳 、 江 町 h h 悶 白 人 占 同 町 ミ ミ ま を 基 礎 と し て こ アルニムの著作に﹁小ソクラテス学派﹂という言葉は見つからない。さらに遡って調 れを書いている。しかし、 べ て も 、 ﹄ O F 白 ロ ロ ﹄ 品 。σ
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﹂とかといった表現は一八三九年の 型 一 色 江 口F
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ト﹁稿録﹂に記述されているシュヴェl
グ ラl
の﹃哲学史ハンドブック﹄にも見出すことができる。清沢満之と井上円了はそのころ、東京大学哲学科で ﹁不完全ソクラテス フェノロサのもとでシュヴェ 1 グラl
哲学史の英語訳を読んでいた。 一八六八年に甘52
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に よって英訳されたこの哲学史には、たしかに H ,Z
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同 一 日 と い う 語 が 見 ら れ る ( 匂 ・8
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。清沢満之に よれば、不完全学派の一つは﹁師の行為を見たもの﹂(メガラ学派)であり、もう一つは ﹁ 師 の 論 を 見 た も の ﹂ ( 犬 儒 学 派 ) であると言う(前掲全集、第五巻三二頁)。ちなみに、﹁完全なソクラテス学派﹂はプラトンのみで シ ュ ヴ ェl
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哲学史のドイツ語原文は一八六O
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という言葉が見られる。安倍能成が記した表現と若干異なるが、ここにようやく﹁小ソクラテス学派﹂ の ルl
ツを見ることができる。(シュヴェ1
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哲学史第一四版は、日本で教え大きな影響を及ぼしたケ1
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円 釦 丹 野 市 ﹃ と 記 さ れ て い る 。 川徹三と松村一人による岩波文庫版では﹁小ソクラテス学派﹂ と訳されているが、 レクラム文庫版を邦訳した谷 ドイツ語原文はやはり岳巾E
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巾 円 で あ る 。 ) 横道に逸れ過ぎた。元に戻ろう。先に確認したように、円了がソクラテスを四聖の一人として選んだ理由の一 つは、ソクラテスが古代ギリシア哲学の﹁中興の主﹂だからであった。中興に意味があるのは、﹁前歴史を統一 し、また後歴史を開成したる﹂ものだからである。﹃円了随筆﹄(一九O
一年)では、四聖ともに﹁以前に種々の いたこと、﹁前後に各哲学の開展﹂があって、四聖はこれらの中間に 哲学﹂あるのを﹁総合して新世紀を開﹂ あって﹁扇面のカナメ﹂をなしていることが指摘されている(営H
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。井上円了の哲学思想に多少は親しんだ 者であれば、このことの意味を推察することはさほど難しくないであろう。というのも、井上円了の哲学を仮に 一言に集約するならば、それは﹁円満完了の哲学﹂であり、﹁相含論﹂だからである。円満完了の哲学とは、な にごとにも偏らずに議論を深めて全体を総合的に捉えることを言い、相含論とは、﹃哲学新案﹄(一九O
九年)に よれば、一元論でも二元論でも多元論でもなく、唯物唯心いずれでもなく、経験理想、懐疑独断、無窮一瞬、輪 化説因心説、等々のいずれでもない﹁これらの諸論諸説を総合集成した﹂ (HH8H) 理論を言う。これを歴史上に 見出そうとするならば、へl
グルのように﹁哲学史の終わり﹂つまり過去の哲学史を総括する現在の﹁私﹂に行 き着くかもしれないが、そうした立場を自覚的に目指した﹁過去の人﹂となると、歴史の前後の中間に位置する の主ということになるであろう。だが、古代ギリシアに限っても、そうした中 ﹁ 扇 の か な め ﹂ つ ま り は ﹁ 中 興 ﹂ 輿の主はソクラテス以外にもいるのではないか。 ソクラテスは何も書き残しておらず、過去の哲学諸説を収集・整理し、後世につなげたという意味ではアリストテレスのほうが適格ではないか。しかし、そうした判断を覆す それは、先に言及したように、﹁哲学﹂に対する捉え方にあるのではない ものがソクラテスにはあるとしたら、 だ ろ う か 。 知徳完備の人としてのソクラテス 井上円了のソクラテス理解は﹁知徳完備の人﹂に尽きると言って過言ではないであろう。それほどにこの規定 は円了の著作の各所に見出せる。 ﹃哲学要領﹄前編につぎのように書かれている。長いが引用する。 ソクラテス氏は、主として人の知識思想を論究して始めて倫理学の基を聞く。故にその学、道徳をもって諸 善行の基本とし、その純徳の完体これを神と名付く。すなわち諸善諸行の主宰なり。その徳の我人の身体に あるものこれを心霊とす。故にその神の本体は終始生滅することなしという。しかりで氏の道徳を定むるに 三種あり。日く知識、日く正義、日く啓信なり。知識もって我人の自身に対するの本分とし、正義もって他 人に対するの本分とし、啓信をもって天神に対するの本分とす。およそ氏の哲学はもっぱら人心の性質を審 定し、人をして本来有するところの知徳の本体を開発せしむるにあり。故に氏は知徳一体を論じて人の徳は 知識なりという。また人の務るところ知識を発育するあるゆえんを論じて、人の幸福は知識に外ならずとい
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ソクラテス以前の龍弁学派は主観的推理に基づき﹁客観的の考証﹂に欠ける。ソクラテスはこの弊を矯正した が、彼が重んじた﹁客観﹂はこれまでの自然学のそれではない。円了は西洋古代哲学を三段に分け、万有哲学時 代、人間哲学時代、宗教哲学時代とし、ソクラテスは﹁人間の知識および道徳を哲学問題の中心として論じた﹂ (円当・怠)がゆえに人間哲学時代に属すると言う(﹃通俗講談言文一致哲学早わかり﹄一八九九年)。万有哲学時 代とは、タレスからソクラテス以前までの﹁世界万有の起源を論じた﹂時代を指す。ソクラテスが語るところに よると、自分もかつて若いころは自然学を学んでいたが、それが自分には﹁生来不向き﹂と惜り、﹁原因探求の 第二の航海﹂に出て﹁言論において事物の真理を研究する﹂ことにしたと言う(プラトン﹃パイドン﹄合ム∞)。 したがって、ソクラテスが求める﹁客観的の考証﹂は右の引用に見られるように、あくまでも倫理や道徳に関す るものである。円了最晩年の著作﹃奮闘哲学﹄(一九一七年)にはつぎのような格言韻文調の講話が残されてい る ソクラテスの哲学は、学びの庭に三春の、錦まといて出でにけり、広き世界の 中心は、天体ならで人にあり、人の人たる道をすて、天地の元を争うは、首尾転倒の沙汰なりと、タレス以 後の哲学の、迷いの霧を払い去り、これと同時に蛇足なる、読弁の学を打ち破り、知識の花をとりきたり、 倫理の月を回らして、人の心の光明を、あまねく世には知らしめぬ、かくて知徳の一体を、説きて知識の門 内に、倫理の道を聞きたる、師の説いかんと門弟の、中に争論湧き上がり、主苦主楽の極端の、倫理説さえ 起こりたり、ここにプラトン出藍の、才と学とを携えて、哲学海の深底を、探りて得たる理想の理、これを 根拠と定めてぞ、世界の元と人倫の、目的までを示しける、:::(NHNS) 桃かスモモか知らねども、
天体自然ではなく倫理の道を知識によって開いたことに、円了はソクラテス哲学の意義を見出している。ソク ラテス以後に争論が湧き起こり混乱があったが、それは倫理や道徳において﹁知識の花﹂である﹁客観的な考 証﹂が貫徹されなかったことに由来する。これはけっしてソクラテス以前に流行した説弁を弄することを意味し ない。そうではなく、ソクラテスに見倣って、﹁死書を捨てて活書を読み﹂﹁活学を修むる﹂ ( N b N N ) のでなけれ ばならない。ソクラテスは、万有の哲学である自然学を離れ、﹁野にある草木はわれになんらの知識をも与えぬ﹂ と語り、﹁市場や公園に集まれる人を見て学問とせられた﹂
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・)、と井上円了はソクラテスの活学精神を讃え る。ソクラテスの生き方そのものがまさに﹁知徳完備﹂であり﹁知徳兼全﹂であったと円了は理解する。 ソクラテスを紹介し尊崇するのに、彼のこうした知徳完備の生き方が強調さ ﹃ 哲 学 一 瞥 ﹄ ( 一 九 二 二 年 ) で も 、 れ て い る 。 中年以後に至り、始めて人を教育せんことを志し、毎日市場、工場、公園のごとき多数衆人の集まる所に至 り、老弱貧富を分かたず、語々として訓語し、すこしも倦むことなかったと申す。 ( N H a ) とは言え、繰り返しになるが、ソクラテスは活学をあくまでも活書として、言い換えれば、倫理や道徳を知識 の問題として捉えた。円了は右の引用に続けてつぎのように語る。 その学説は知識を本とし、知すなわち徳なることを唱え、知りて悪をなすは知らずして悪をなすに勝るとま で 申 ・ し て お る 。 ( N h o )で円了は、善悪の標準を知識とする者としてソクラテスの名を挙げる ( N m H g ∞ ) 。 理想を標準とするのがプラトン、君主の命令とするのがホップズ、天賦の良心とするのがハチソン、その他、自 利、快楽、道理、等々と種々あるが、ソクラテスは知識の有無が善悪の標準となると考えたという。したがっ て、﹁知りて悪をなす﹂ほうが﹁知らずして悪をなす﹂より勝ると言う。この言葉は、円了によるシュヴェ
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トに見られる。そこで円了は、z
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哲学史英語訳からそのままの抜粋で ﹃ 円 了 講 話 集 ﹄ ( 一 九O
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。この一節のルーツは、プラトンではなくクセノフォン(﹃ソ 1 クラテl
スの思い出﹄第三巻第九章) は正義をはじめその他のすべての徳も智であると云った。﹂(佐々木理訳、岩波文庫、 で あ る 。 ﹁ 彼 ︹ ソ ク ラ テ ス ︺ 一 六O
頁
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四 ソ ク ラ テ ス の ﹁ 知 ﹂ ここで気になるのは、﹁知﹂という言葉がもっ意味の幅と深きである。﹁知徳同体﹂と円了がシュヴェl
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哲学史からの抜粋の行間に記した際の﹁知﹂はF
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ロ 包 n Z ) と三種の知を並記した。さらに彼はこれを白円F
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すなわち﹁洞察﹂ ts ℃ 巾 ﹃ 円 巾 ℃ 巳 Oロと英訳されているのには疑問を覚える。﹁洞察なしの行動﹂は、カントの言う﹁理論なき実践﹂と同 様にナンセンスであり、逆に宮町巴E
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巳ロ(洞察をともなう行動)は確実に目的に至るというのは容易 に理解できる。クセノフォンが紹介しているように、ひとは善を知ってそれを行わないことはできないとソクラ テスは考えたという話とつながる。しかしこれが官民吾氏。ロだと、﹁知りて悪をなすは知らずして悪をなすに勝 る ﹂ の 意 味 が 変 わ り 、へ
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グルの言う﹁犯意なき不法│詐欺│犯罪﹂(﹃法哲学綱要﹄八回以下)のうち、犯罪す なわち能動者受動者双方が不法とわかっているほうが、その双方が気づかずに不法を犯すよりも良いということ になりかねない。だが、不注意より強盗殺人のほうが良いと、ソクラテスが言っているわけではない。 のちにアリストテレスが整理したように(﹃形市上学﹄﹃ニコマコス倫理学﹄等参照)、﹁知﹂と一言で言って も 、 制 作 知 ( 円2
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、 理 論 知 ( 巾 立 丘 町B
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とがあり、直観知(ロ。5
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も あ る 。 これら多様な知を区別せずに何でも知っていれば徳になると、ソクラテスが言っているわけでもない。 前掲の﹃円了講話集﹄ で 円 了 は 、 ソクラテスが知を善悪の標準としていると述べたあと、 さらにつぎのように 続けている。すなわち、仏教も知識標準説と言われるが、 がある。その理由はつぎの通りだと言う。 ソクラテスのそれと仏教のそれとでは ﹁ 天 地 の 相 異 ﹂ 仏教のいわゆる知には有漏、無漏の二種ありて、有漏はすなわち世間の知なれば、ソクラテスの知識と同一 視して可なるも、無漏智にいたっては出世間の知にして、他学のいまだ唱えぎるところなり。 ( N U n g c )ソクラテスに関してのみ言えば、 ソクラテスの知は世間知だと円了は言うのである。もっとも、先に引用した ソクラテスにとってこれは、﹁世間知にすぎない﹂という消極的な話ではない。論弁論者の主観的推理 に比べて、世間知のほうがはるかにすぐれているというのがソクラテスの考えである。円了の言葉で補足するな らば、﹁毎日市場、工場、公園のごとき多数衆人の集まる所に至り、老弱貧富を分かたず﹂のところで目にし耳 にする世間知にソクラテスは活学活書を見出すのである。そのことを前提としたうえで、さらにそれにもかかわ らず、その先によりいっそう深い知がある、と円了は言うのである。﹃哲学茶話﹄でつぎのように語られる。 よ う に 、 それ哲学は一種の別世界にして、その中に天地あり、日月あり、風雨あり、山海あり。釈迦の知はそのいわ ゆる日月なり。孔子の徳はそのいわゆる雨露なり。ソクラテスの識はそのいわゆる山岳なり。カントの学は そのいわゆる海洋なり。その知はわれを照らし、その徳はわれを潤し、その識はわれを護し、その学はわれ を擁し、わが父となり、わが母となり、君主となり、師友となり、日夜われを愛育撫養せり。 (MLHH) 同じく﹁知﹂と言っても、釈迦の知、孔子の徳、ソクラテスの識、カントの学、それぞれにその意味するとこ ろは異なる。ソクラテスの識は、山岳であり、われを護る、と言う。非常に難解な比喰であるが、カントの学と 比較すれば理解可能だろうか。カントの学はあくまでも二元論的な悟性判断であり、さらに限界を自覚したうえ での理性的な判断に基づく。その意味で、カントの﹁知﹂すなわち﹁学﹂は、ギリシア語で言えば岳山田丹市宮市と と悟ったソクラテスにとって、同時に し て の ﹁ 知 ﹂ ではないだろうか。 しかし、自然学研究を﹁生来不向き﹂ ﹁ 徳 ﹂ であるような﹁知﹂はあくまでも
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で あ る 。﹃哲学要領﹄前編にはつぎのような一節がある。 ギリシア哲学は東洋哲学中インドとその性質を閉じうし、形而上の理論は両者の共に長ずるところにして、 形而下の実験は両者の共に欠くところなり。その欠点を補うて完全を得たるものはひとり近世の哲学あるの み 。 (75
∞ )
印 O 同) F Z は形市上の知であるが、4
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巾が十全に発達するのは近代であり、町市町R
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乞哲学的に基礎づけた のはカントであると言ってまちがいないであろう。円了のこの言葉は、釈迦とソクラテスとカントを四聖に数え る布石となっているのではないだろうか。呂町おヨ巾と由。℃ F E が揃ったところでさらに足りないのはワ F B D 2 2 すなわち孔子の徳である。だが、以上で見てきたように、ソクラテスの求めた問。℃ F E に は ℃ Y B D 2 Z も含まれて いたはずである。たんなる知ではなく同時に徳であるような知こそソクラテスが求めたものであり、井上円了が 仏教徒ながら西洋哲学史を学んで求めたものもここにあった。五
円了によヲて改賞されたソクラテス 最後に、井上円了が学生時代に作成した学習ノl
ト(﹁稿録﹂)を読もう。ここにシュヴェl
グラl
哲学史から の抜粋があり、ソフィストとソクラテスの違いについて、 つぎのようにノートされている。 ﹁もっぱら有限で経験的で利己主義的な主観性﹂と﹁個人の偶然的な意志や判断﹂とを元にするソフィストに ソクラテスは﹁自由意志と自己意識の原理を完成﹂させ、﹁客観的意志と合理的思想﹂を中心に据えた。 対 し て 、ソクラテスによれば、理性的な存在者にとって自らの思想は普遍性と客観性を持っており、そうであるかぎり で、その主観性は﹁普遍的な主観性﹂である。﹁人聞は万物の尺度である﹂というソフィストの言葉を使って言 い換えれば、﹁普遍的に思考する合理的な人間﹂だけが万物の尺度たりうる。 こ こ で は 、 ソフィストとの違いを際立たせるかたちでソクラテスの客観的で合理的な思考が強調されているよ うに読める。 したがって、
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巾の要素がここで強く打ち出されているように見える。だが、 この叙述のう ち、どこまでがソクラテスの考えであり、 どこまでがシュヴェl
グラl
の解釈か。あるいは、 そこに井上円了の 理解が混じっていないか。これを検討しなければならない。もちろん、ソクラテス自身は何も書き残していない ので、シュヴェl
グラl
が指摘するように、ソクラテスの思想を語る際の資料としてクセノフォンから多くとる かプラトンから多くとるかでその理解が大きく異なるが、その問題はここでは問わない。 シュヴェ 1 グラ!と円 了の関係を検討するにとどめる。円了のこのノートはシュヴェl
グラl
哲学史からの抜粋であるが、円了はシユ ヴ ェl
グラl
の記述をそのまま写し取っているわけではない。 同d
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の前掲の英訳本では次のように書かれている。J ﹁
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∞ ) 途中で引用を省略した数行は円了のノl
トで省略されている部分である。問題なのは、g
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同 一 門町。ロ間宮までの部分である。これをドイツ語原典と対比させるとさらに違いが明らかになる。 -: 自 己 一 巾 ∞ 豆 一 巾 号 ﹁ 巾 ﹃ 己 主 ﹁ 一 回 各 自 ∞ 己 主 呉 音 一 円 陣 三 一 何 回σ
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ドイツ語原文を邦訳すると、﹁経験的な主観性の代わりに、絶対的すなわちイデア的な主観性を置き、客観的 な意志と理性的な思考を置くこと﹂となる。英訳とドイツ語文はさして異ならないが、井上円了はノートする際 に決定的な間違いを犯している。 シュヴェl
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と書いているが、 円了はこのうち与E
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﹃という使われ方に なってしまい、﹁経験的主観性または観念的主観性﹂というようにこの両者が同格となって、それの﹁代わりに﹂ 客観的な意志と合理的思想とを置く、という話になってしまっている。これはこれで非常にわかりやすい解釈で はある。だが、シュヴェl
グラl
自身の場合は、ドイツ語の定冠詞の格変化から明らかなように、﹁経験的主観 性の代わりに絶対的すなわちイデア的な主観性を﹂と書かれており、ソフィストらによる﹁経験的主観性﹂に対Jν~~l l'\ l~r くこ A唱の 「寝孝之宰制覇軍記ドヰポ.Q~ヘ γì~ t ヘ若手当判画製」 ヰミ寂目回収 J';; t{d)j!;g!_よ必の ν 二心。 時 J_) い' け m _).{._!器寂主制覇記号ミ脅か事選主材料判~1Íト割主己主ヰポ眠術ベ J~:$$U 母国会長 ν 二時 0~ ノ+令子。。 8::'1'-> 0"'-ーム P~' i尽 UnnHE_)μ わ〈制 0~ -\J U' 出馬千ノ 1 g}!と
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細言寄与ミ崎心。笹-¥'tJ.;;.{._!.v0
稿余U
Instead of empirical subjectivity , that absolute or ideal subjectivity should be made the principle (棋盤右対判軍事担 Q どや c !.2' ~0 器取宰ド将兵ぷャト\'>--,主将判事五割ゐ匝間-\Jれ J';; 令。て-litI P 必の)心師会長 ν~~O トj 長心, djミ!.2 ~μ 担~ ベ J士!-?<~量:込用 ον 二時。8::'1'-> 0 -'-6爪ぷヘーム o 坦判手 J~ I' トJ 0 1 ・Þ<'R ο 付与ミふ対二。~t{ð二~~お担いの。ヰ 14 ミ A心 リト j うい 4 更さ¥ム_)'{'_!0
口、。爪会。 ト J0~ -\J8::'1'-> 0 ヘームさ !0~0 -'-6小三握 v 。 .. Every thinking being has the consciousness that waht he holds for right , duty , good , is not merely so to him , but that it is so also for every rational being , and that consequently his tought has the character of universality , a universal validit ぁ in a word , objectivity. Therefore , so far as we are a rational thinking being , our subjectivity is a universal subjectivity. This is , as opposed to that of Sophists , the standpoint of Socrates , and on this account there begins with him the philosophy Objective thought. What Scrates could do in contradiction to the Sophists was … Therefore 2:ヰトo
1 -?<~' ,;、司~1-\ -~1 1'\ -0 恒-?<千ノ士!' ザlJ-litI!.28::'ト「為細 ~_)μ 担 1藍, J 必令。 o .v.;;~8::'1'->:l:主艇 図~!.2けト JU 監戸くいの。 _)μ 誌のい, Therefore -¥J二爪掛握属。, This is -\J二小型崎県 g~' ふ rl~ I-\ -~1 1'\ -0原 文 と は 、 係 り 受 け る 言 葉 が 異 な る 。 円 了 の ノ
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の原文を見れば容易に納得が行く。円了の ノートでは司E
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と書かれている(イタリックは 原文のまま)。円了のノl
トによれば、﹁ソクラテスの思想の特徴は客観性にあるがゆえに、われわれが合理的思 考存在であるかぎり、われわれの主観性は普遍的主観性である。これがソクラテスの立場であり、その意味で哲 学はソクラテスとともに始まる﹂という話になり、支離滅裂である。一方、シュヴェl
グラl
の原文では、﹁ソ クラテスの思想の特徴は客観性にあり、これがソクラテスの立場である。その意味で客観的思想の哲学はソクラ テスとともに始まる﹂となっており、理路整然としている。 円了はいったいなぜ、このような手の凝った、あえて言えば改賀したノl
トを残したのだろうか。円了はシユ ヴエ│グラ!の原文を書き換えてノートし、﹁イデア的主観性﹂をソフィストの それに客観的意志と理性的思考を対置させた。それは、主観性に客観性を対置する点でシュヴェl
グラ!のソク ラテス理解に準じるが、シュヴェl
グラーはその前に、 ﹁ 経 験 的 主 観 性 ﹂ と 同 一 視 し 、 ソフィストがそれ以前の自然哲学者と異なり﹁主観性の 原理﹂に立ったことを﹁正しい﹂と評価し、そのうえでソフィストの主観性は﹁経験的で利己主義的﹂にすぎ ず、ソクラテスが主観性を普遍的なものにした、と書いている。そして、ここがやや複雑なのだが、ソクラテス の普遍性は客観性であり、彼は﹁普遍的で客観的な精神の原理﹂に立っている、とシュヴェ 1 グラーは述べる。 言い換えれば、ソクラテスにおいて主観性は﹁客観的主観性﹂である。形容矛盾を犯しているこのいわば弁証法 的概念のために円了は混乱したのではないか。だが、円了が哲学の聖人として尊崇するソクラテスは﹁中興の主﹂として、まさにこの主観性と客観性を同時に備える人物でなければならなかったのではないだろうか。知の 客観性と徳の主体性 ( 3 ) を完備する者として。